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PC関連スレ

1■とはずがたり:2002/11/04(月) 22:01
新規購入を検討するスレ

2009とはずがたり:2017/01/11(水) 13:53:12
Razerの3画面ノートPC「Project Valerie」が盗難被害、産業スパイの可能性も
http://news.goo.ne.jp/article/gamespark/business/gamespark-70902.html
01月10日 11:47Game*Spark

RazerのCEO・Min-Liang Tan氏より、同社が先日発表した「世界初の3画面ノートマシン」である「Project Valerie」が盗難被害に遭ったことが報告されました。

「Project Valerie」は海外のイベント「Consumer Electronics Show 2017(CES 2017)」で発表されたRazerのコンセプトマシン。3画面モニタを備えたポータブルノートPCとして大きな注目を集めていましたが、Tan氏は「CES 2017」会場で「Project Valerie」が盗難されたことを報告すると共に警察に対応を求め、同イベントのショウマネージメント部門と法執行機関にも連絡をしたとのコメントを寄せながら、「産業スパイ」が関わっている可能性についても触れました。

「Project Valerie」は現在までに販売予定や価格について明かされていませんが、話題性の高いユニークなハードウェアとして期待されていました。公式Webサイトではイメージ映像やギャラリーが確認できます。

2010とはずがたり:2017/01/14(土) 09:08:01
通知領域に「Bluetooth デバイス」アイコンがありません。
https://www.fmworld.net/cs/azbyclub/qanavi/jsp/qacontents.jsp?PID=0209-9710

2011とはずがたり:2017/01/15(日) 19:08:44

<ソフト体験版>試用期間を不正に延長 千葉の私立大42人
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170110-00000000-mai-soci
毎日新聞 1/10(火) 2:30配信

 ◇「イラストレーター」を、不正プログラムを使って

 東京情報大(千葉市)の学生42人が、パソコン用画像編集ソフトの体験版を不正プログラムを使って試用期間を延長していたことが大学への取材で分かった。大学は42人に対して口頭で厳重注意する。

 コンピューターのシステムやデータに不正侵入したり、改ざんしたりする不正プログラムは「クラックツール」と呼ばれ、試用期間を延長する行為は著作権法違反になる。インターネット上で入手できるものもあり、不正利用を助長しているとの指摘もある。

 大学によると、学生らが2015年春以降、学園祭のポスターなどを制作する際、米アドビシステムズ社の画像編集ソフト「イラストレーター」の無料体験版を私有のパソコンにインストール。不正プログラムを使って設定されている試用期間を延長した。ソフトの価格は数万円だが、学生らは無料で利用していた。

 千葉県警やアドビ社に通報があり、県警が昨年10月に大学に連絡。大学が調査した結果、42人の関与が判明した。学生らは調査に「違法性の認識はあったが知的財産権を軽視していた」などと釈明したという。大学はアドビ社に謝罪した。不正利用について「先輩から引き継いだ」と説明する学生もおり、15年以前から不正が続いた可能性もある。

 東京情報大は「情報学を扱う大学の学生としてあるまじき行為。全学生を対象に著作権について改めて指導し、再発防止を徹底したい」としている。【伊澤拓也】

2012とはずがたり:2017/01/16(月) 18:10:52

Apple、“お勧めできない”とされた「MacBook Pro」のバッテリーバグを数週間中に修正へ
http://www.excite.co.jp/News/it_g/20170111/Itmedia_news_20170111035.html
ITmedia ニュース 2017年1月11日 10時28分 (2017年1月11日 10時45分 更新)

MacBook Proはお勧めできない、という報告

 米国で大きな影響力を持つと言われる非営利の消費者団体が発行する情報誌「Consumer Reports」は1月10日(現地時間)、2016年末に発表した米Appleの「MacBook Pro」のレビューについて、Appleから評価を落とした原因であるバッテリー持続時間を改善する修正を行うとの連絡を受けたと発表した。

 このレビューでConsumer Reportsは、MacBook Proのバッテリー持続時間がAppleの公式発表(約10時間)より極端に短い場合があったとし、MacBookシリーズとしては初めて“お勧めできない”と評価した。

 これを受け、Appleのフィル・シラー上級副社長はバッテリーについて調査するとツイートした。

 AppleはConsumer Reportsに送った声明文で「Consumer ReportsはMacBookシリーズのバッテリー持続時間のテストで、Webブラウザ「Safari」の隠れている開発者向け設定でブラウザのキャッシュ機能を無効にしていることを知った。(中略)また、このテストで明らかになったバグを修正した」と語ったという。

 Appleは同日、Apple Beta Software Programでこのバグ修正を公開した。同社は向こう数週間中にソフトウェアアップデートでこの修正を一般ユーザー向けにも実施する計画だ。

 Consumer ReportsはAppleの製品に限らず、PCのバッテリー持続時間テストの際はブラウザのキャッシュを無効にしている。だが、Appleは「これ(キャッシュを無効にすること)は一般ユーザーが使う設定ではなく、リアルな使い方を反映していない。(中略)Consumer Reportsに一般的な設定で再テストするよう頼んだところ、同誌は公式通りのバッテリー持続時間だったと報告した」と語った。

 隠れている設定というのは、Safariの[環境設定]→[詳細設定]→「メニューバーに“開発”メニューを表示」にチェックを入れるとメニューバーに表示される[開発]メニューの「キャッシュを無効にする」のことだ。

 Consumer Reportsはバグ修正後の端末で再度(ブラウザキャッシュを無効にした状態で)テストし、その結果を後日報告するとしている。

2013とはずがたり:2017/01/17(火) 14:49:33

日本HP、ブロック風モジュールで機能を拡張可能な小型デスクトップPC
マイナビニュース 2017年1月16日 14時09分 (2017年1月16日 17時30分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/it_g/20170116/Cobs_574452.html

日本HPは1月16日、ビジネス向けの小型デスクトップPC「HP Elite Slice」を発表した。ペースPCに「積み木」を重ねるように、オプションモジュールを追加できる。2月中旬から出荷を開始し、構成によって3種類の基本モデルを用意、価格は148,000円前後から(以下、すべて税別)。直販サイト「HP Directplus」では2月中旬から販売される。

ペースPCの本体サイズは、約W165×D165×H35.5mm、重量は約1.05kg。搭載CPUはモデルによって異なるが、共通の仕様として、OSがWindows 10 Pro 64bit版、メモリがDDR4-2133 8GB(最大32GB)、グラフィックスがIntel HD Graphics 530(CPU内蔵)、有線LAN、無線LAN、HDMI、DisplayPortなど。指紋認証リーダーや、HP Sure StartによるBIOS自動復旧といったセキュリティ機能を備える。

2014とはずがたり:2017/01/18(水) 06:55:29
これで半導体事業で主導権失ったら東芝は終わりだしもしかすると日本の半導体事業も終わりかも知れない。
日本企業に出資して欲しいが難しいかねえ。。

半導体事業で出資受け入れを検討 東芝
http://www.news24.jp/articles/2017/01/18/06351772.html
2017年1月18日 01:38

 東芝が、主力の半導体事業を分社化して他社からの出資を受け入れることなどを検討していることがわかった。

 経営再建中の東芝は、アメリカの原発事業で巨額の損失が発生する可能性が出ている。現在、損失額の確定を進めているが、数千億円の損失を計上することになれば、財務基盤の強化が必須となる。このため、稼ぎ頭である半導体事業を分社化し、そこに他の企業からの出資を受け入れ、財務基盤を強化することなどを検討している。

 東芝は、スマートフォンなどの記憶媒体として使われる半導体、NAND型フラッシュメモリーでアメリカのウェスタンデジタル社と提携していて、世界で第2位のシェアを占めている。出資受け入れ先としてウェスタンデジタル社などが候補となっているとみられる。

2015とはずがたり:2017/01/21(土) 22:50:38
キャノンは小泉と連んでた御手洗のきたねー会社で大嫌いで俺的に潰し対象で,東芝はどっちかゆうたら大好きだったけどこの際仕方が無い。
いいから頑張ってASMLにやられっぱなしの現状を変えよ。

東芝
キヤノンが支援検討 半導体新会社に出資関心
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1036413767/
毎日新聞2017年1月21日 08時00分(最終更新 1月21日 08時00分)

東芝半導体へ出資検討=協力関係を強化―キヤノン
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-170120X297.html
01月20日 23:04時事通信

 キヤノンが、東芝の半導体事業に出資する検討を始めたことが20日、分かった。東芝は米原発事業の巨額損失で減少する資本を増強するため、半導体事業を分社化し、他社の出資を受け入れる検討を進めている。キヤノンは半導体製造で東芝と技術協力してきた経緯があり、出資で関係強化を図るのが狙いとみられる。

 東芝の半導体事業への出資は、日本政策投資銀行など金融機関のほか、フラッシュメモリー生産で提携する米ウエスタンデジタルなど取引企業が検討を進めている。東芝はキヤノンの検討を踏まえ、出資を要請する考えだ。

 キヤノンは光で焼き付けて半導体の回路を作成する露光装置を手掛ける(>>1951-1952)。東芝とは露光装置の次世代技術の開発を協力して進めてきた。半導体事業への出資を通じ、東芝の技術を資金面で支える意向もありそうだ。昨年は東芝の医療機器子会社、東芝メディカルシステムズ(栃木県大田原市)を6655億円で買収している。

 東芝は米原発事業で最大7000億円規模の損失を計上する可能性があり、資本増強が急務となっている。

2016とはずがたり:2017/01/25(水) 20:45:58
2016年11月08日 15時00分00秒
コンピューティングの進化を支えてきた「メモリ(RAM)」は今後どのように進化していくのか?
http://gigazine.net/news/20161108-how-ram-change-computing/

PCやスマートフォンに欠かせない半導体のメモリ(RAM)は、時代と共に大容量化・高速化・低価格化を進めてきました。低価格なメモリによって進化がもたらされてきたコンピューティングの世界で、RAMを代替するべく開発されている新メモリ技術を見てみると、メモリがコンピューティングの未来に果たす役割と重要性は今後も変わることがないようです。

一般的に「メモリ」と呼ばれる「random access memory(RAM)」は、格納されたデータに任意の順序でアクセスできる記憶装置です。RAMは演算処理を行うCPUとデータを保存するストレージ間でのデータの受け渡しを担っており、PCやスマートフォンなどのコンピューターにとって不可欠な部品となっています。このRAMの高速化、大容量化、低価格化が、コンピューターの性能向上に大きな役割を果たしてきたことは歴史が証明しており、RAMがさらに進化することが今後のコンピューティングの進化を決定づけると言っても過言ではありません。

RAMの価格は水物で、他の半導体に比べると大きな値幅を持っています。しかし、長期的に見れば、RAMの容量当たりの価格は着実に下がってきています。2000年に1000ドル(約10万円)以上した容量1GBのメモリは、2016年現在ではたった5ドル(約500円)です。DRAMだけでなくSSDなどの不揮発性メモリの価格も時間と共に下がり続け、これによってコンピューターの性能が上昇し続けてきました。

現在のコンピューターでは、RAMには「Dynamic Random Access Memory(DRAM)」と呼ばれる電荷を蓄えて情報を保持する半導体メモリが使われています。しかし、DRAMは揮発性メモリのため、電力を失うとデータを保持できないという大きな欠点があります。これを補うために定期的にストレージにデータを書き戻す作業が行われますが、この作業によっても完全な冗長性は保たれず、さらには処理速度が遅くなるというデメリットを抱えています。

2017とはずがたり:2017/01/25(水) 20:46:09
>>2016-2017
RAMの欠点である揮発性を解消した不揮発性メモリのNANDフラッシュはSSDなどで活用されており、SSDは従来のストレージメディアであるHDDを置き換えつつあります。RAMと同様に性能向上が著しいSSDは、近年、より高い信頼性と性能が求められるデータセンターでの利用も進んでいます。ただし、Googleが6年間という長期間にわたってデータセンターで行った調査では、「既存のHDDに比べるとSSDの信頼性は低い」という結論が下されるなど、いまだにSSDがHDDを完全に置き換えられる段階にはありません。

DRAMの持つ高速性というメリットと揮発性というデメリットを補って、RAMとNANDフラッシュの中間の特性を持つ新たなRAMの開発も進んでいます。磁気抵抗メモリ(MRAM)は有力な代替メモリの一つ。メモリセルを磁化することでデータを記録するMRAMは、不揮発性にもかかわらず高い書き込み速度を持ち、書き換え回数も無制限という大きな特徴を持つため、DRAMやストレージを置き換えるメモリとして期待されています。

また、IntelとMicronが共同開発する「3D XPoint(3Dクロスポイント)」も有力なメモリ技術です。記録密度がDRAMの10倍以上、書き込み速度&耐久性がNANDフラッシュの1000倍で、なおかつ不揮発性という特性を備える3D XPointメモリは、DIMMにも対応するので、DRAMをキャッシュとして使い超高速ストレージとして利用することも想定されています。他にもIBMが取り組むカルコゲナイドガラスの結晶/アモルファスの相互変化をデータ記録に利用する「相変化メモリ」は、DRAMよりも高密度かつ低コストな不揮発性メモリを製造できる可能性を持ちます。

コンシューマー向けのPCやスマートフォンにおいてRAMの大容量化・高速化はマルチタスク用途において大きな威力を発揮します。そのため、RAMの大容量化・高速化を求める声は大きく、この傾向は最先端のスーパーコンピューターにおいても同様です。2016年時点で世界最高速のスーパーコンピューターの座を射止めた中国の「神威」は1.3PB(1300TB)のDDR3メモリを搭載しています。大容量・超高速メモリは高性能なスーパーコンピューターにとっては不可欠の存在で、理化学研究所と富士通が2020年を目標に共同開発するポスト「京」世代のスーパーコンピューターや、2022年に完成予定のエジンバラスーパーコンピューターセンターの次世代スーパーコンピューターには、DRAMとともに3D XPointメモリが搭載されると考えられています。

アメリカのオバマ大統領が提唱する「Exascale Computing Project」は、2023年までにエクサバイトスケールの新スーパーコンピューターの完成を目標に掲げていますが、その中で処理速度だけでなく電力効率においても著しい性能向上を要求しています。この相反する条件をクリアするために、RAMが果たす役割はさらに大きなものになるとみられており、今後もコンピューターの進化にとってRAMの性能向上が求められていきそうです。

2018とはずがたり:2017/01/26(木) 14:08:51
HKEY_CURRENT_USER\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Policies\Explorer
がない。。
HKEY_CURRENT_USER\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Explorer

HKEY_CURRENT_USER\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Policies
ならある・・

Win10だと変わったのかな?

2003年01月17日 00時00分 更新
ショートカット追跡機能をOffにしよう
http://www.itmedia.co.jp/help/tips/windows/w0627.html
[森川拓男,ITmedia]

 Windowsには、ファイルの名前や保存場所が変わった場合でも、そのショートカットのリンク先を追跡する機能がある。しかし、これはファイルへのリンクを常に監視しているため、システムに負担がかかっているのだ。手動でショートカットのリンクを書き換えることができるのならば、次の手順でこの機能をオフにしよう。

030117-shortcut01.gif
レジストリエディタから次のキーを開く
HKEY_CURRENT_USER\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Policies\Explorer

030117-shortcut02.gif
右クリックし、「新規」-「DWORD値」を選択する

030117-shortcut03.gif
「新しい値 #1」の名前を「NoResolveTrack」にする

030117-shortcut04.gif
「NoResolveTrack」をダブルクリックし、「値のデータ」を「1」にしてOKをクリック。レジストリエディタを終了させ、Windowsを再起動する

2019とはずがたり:2017/01/26(木) 14:11:27
>>2018

ショートカットの追跡機能を無効にする方法
http://www.projectgroup.info/tips/Windows/comm_0051.html
2014/12/15
文書番号:20061


「HKEY_CURRENT_USER\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Policies」まで展開します。
その中に「Explorer」キーがない場合は作成します。
「Policies」の部分で右クリックし、「新規」-「キー」をクリックします。

「新しいキー #1」の名前を「Explorer」と設定します。

クリックで拡大
「Explorer」キーを選択し、右ペインで右クリックして「新規」-「DWORD(32ビット)値」をクリックします。

クリックで拡大
「新しい値 #1」の名前を「NoResolveTrack」に設定します。


クリックで拡大
「NoResolveTrack」をダブルクリックして値の編集ダイアログを起動し、値に「1」と設定して「OK」をクリックします。

クリックで拡大

レジストリエディタを終了し、コンピューターを再起動します。

2020とはずがたり:2017/01/26(木) 14:18:02
丁寧な解説付きの Windows 高速化ツール!「Win高速化」
http://www.gigafree.net/system/winaccelerator.html
制作者 岩田城亮
対応 98/Me/NT/2000/XP/Vista/7

● Win高速化

簡単操作のWindows 高速化ツール。
あらかじめ用意された設定項目のON / OFF を切り替えるだけで、Windows の高速化を実現することができます。
設定項目には一つ一つ解説文が用意されているため、初心者でも安心して使えるようになっています。

「Win高速化」は、名前の通りWindows を高速化してくれるソフトです。

デフォルト状態のWindows から、
無駄・余計 と思われる機能や設定を排除
適当でないと思われる設定を最適化
したりすることにより、パソコンの動作を快適化させることができます。
操作は、基本的にチェックボックスのON / OFF を切り替えるだけなので超簡単。
また、設定項目の一つ一つに解説文が添付されているため、オプションの意味・内容、そして安全性を、しっかりと確認しながら操作を行えるようになっています.
この「Win高速化」によって設定できるオプションは、大きく

システム
デスクトップ
エクスプローラ
起動・終了
その他
といった 5 つのカテゴリに分けられていて、それぞれ以下のような設定を行えるようになっています。
(下記は一例です)

システム
カーネル※1 を物理メモリ上に移すことで、システムのパフォーマンスを上げる
ユーザーアカウント制御( UAC )を無効化する
Windows Update や “ 自動更新 ” によるサービスパックの配布を、ブロックする
デスクトップテーマを無効にして、視覚スタイルを解除する
※1 “ カーネル ” とは、OS の基本機能を司る部分。
カーネルは、通常仮想メモリ(ハードディスク)と物理メモリ に分かれて存在している。
(ハードディスク上にあるデータは、メモリ上にあるデータに比べて読み込みに時間がかかる)
デスクトップ
デスクトップの背景に、壁紙を表示させない
フェード / スライド などのアニメーション効果を、無効化する
UAC の警告プロンプトを表示する際、画面をセキュアデスクトップに切り替えない※2
クラシックタイプのスタートメニューを使用する
マウスをポイントしたら、遅延せずにドロップダウンメニューを展開する
※2 色々と操作が制限されるあの暗転画面を、表示されないようにする。
エクスプローラ
ファイル検索時に、検索コンパニオンを表示しない
作成されるショートカットの名前に、「 - ショートカット」を付けない
ファイルを開くためのプログラムを、インターネットで探さないようにする
右クリックメニューから「送る」を削除する
ファイルの右クリックメニューに「メモ帳で開く」を追加
フォルダの右クリックメニューに、「コマンド ウィンドウをここで開く」を追加
起動・終了
ログオン画面を表示させず、自動的にログオンする
クラシックタイプのログオン画面を利用する
ログオフ時に開いていたフォルダを、次回ログオン時に表示しない
スタートメニュー内にある電源ボタンの動作を、 “ シャットダウン ” にする
シャットダウン用のショートカットを、デスクトップ上に作成
コンピュータの起動 / 終了 時に、サウンドを再生しない
シャットダウン時に、ページファイル / 休止ファイル を削除しない
その他
CD / DVD / USB メモリ などの自動再生機能を無効化する
Internet Explorer 7 / 8 のメニューバーを、アドレスバーの上に配置する
Gmail を、標準のメーラーにする
... 等々です。
使い方は、有効化したいオプションにチェック → 左メニューの「高速化」ボタンをクリックするだけ。
(次回のWindows 起動まで、設定が反映されないものもあります)
もし不具合が発生した場合でも、左メニューの下部にある「システムの復元」から、いつでも以前の状態に戻せるようになっています。

2021とはずがたり:2017/01/26(木) 14:22:10

Avast!のPC最適化ツールについて
http://pcmemo777.blog.fc2.com/blog-entry-38.html
2015-10-20(Tue)

ウイルス対策ソフト Avast! Free版 をインストールすると、もれなくクリーンアップという機能が付いているので、クリックして確認すると、以下のようになった
avast-001.jpg
avast-002.jpg
avast-003.jpg
avast-004.jpg
avast-005.jpg


これって、ウイルスと同じ手口じゃん。

「PCのパフォーマンスが下がっています」と表示して製品購入に誘導する、ってミイラ取りがミイラになってるし。
いや、Avast!にケンカ売るつもりはなくて、Aviraもカスペルスキーも、最近は同じようになってるので、やはりウイルス対策ソフトだけじゃ商売が成り立たなくなってきてるだろうなー、と。

なので、この表示された指摘が妥当なものかどうか検証してみた。

494.41MBのゴミファイル
ディスクのクリーンアップしてもこれだけ残ったということは、どこかに要らないファイルがあるのだろう。
でも、HDD 320GB中30GBしか使用していないので、正直どうでもいい。

システム設定
Services Tuning
\iphlpsvc
IPv6を使っていないので止めろ、ってこと。
確かに、今時直接インターネットに繋ぐことはなく、必ず有線・無線ルータを通り、ルータ⇔PC間は大抵クラスCのプライベートアドレス(192.168.x.xのアレね)なのでIPv4で十分。
止め方は以下を参照。

Vista/Win 7編: レジストリからIPv6を無効にする - マイナビニュース
http://news.mynavi.jp/column/windows/191/

System Tweaks
set CPU priority to prefer foreground apps
CPUの優先度をフォアグラウンドに変えろ、ってこと。
でも、デフォルトはプログラム(=フォアグラウンド)なんだよね。明示的にプログラムになっていないだけ。
意味と変え方は以下を参照。
CPU処理の優先度を変更 | Windows高速化(XP/Vista/7/8対応)
http://jisaku-pc.net/speed/set_08.html

disable fast user switching
簡易ユーザ切り替えを止めろ、ってこと。
私は用途に合わせて別々にユーザを用意し、ログインしたままユーザを切り替えるので、この機能を止めると都合が悪いのだが。止め方は以下を参照。
【Windows 7】「ユーザの切り替え」メニューを無効化 (非表示あるいはグレイアウト) にする | TIPS , FAQ
http://tooljp.com/qa/9B6A176663DF0A124925797F003573E1.html

User Tweaks
disable beeping on errors
disable beeping on errors
エラー時のビープ音を消せ、ってこと。
聞く機会もないので、正直どっちでもいい。

2022とはずがたり:2017/01/26(木) 14:22:27
>>2021-2022

止め方は以下を参照。
ビープ音を無効にしたい - ITmedia エンタープライズ
http://www.itmedia.co.jp/help/tips/windows/w0477.html

disable usage of NTFS tacking feature for LINK resolution
ショートカットの追跡を止めろ、ってこと。
よくFAQやOKWAVEに出ている、「ある日突然、デスクトップ上のショートカットが消えました」っていう、アレを防止する。
確かに、アレは本当に迷惑な機能なので、止めませう。

ショートカット追跡機能をOffにしよう - ITmedia エンタープライズ
>>2018-2019

foreground lock timeout
フォアグラウンドロックのタイムアウトを短くしろ、ってこと。
Windows7では意味なし。以下を参照。

Windows 7では他のアプリにフォーカスを奪われるのを防ぐことはできない - ymknの日記
http://ymkn.hatenablog.com/entry/2013/03/16/174125

hung app timeout
wait to kill app timeout
wait to kill service timeout
similar to WaitToKillServiceTimeout, but for shutdown
各種タイムアウトの時間を短くしろ、ってこと。

ここ、あまりいじらないほうがいいと思うのだが…。
変え方は以下を参照。
How To Speed Up Windows Shutdown Process
http://www.addictivetips.com/windows-tips/how-to-speed-up-windows-shutdown-process/

menu show delay
メニュー表示の遅延を短くしろ、ってこと。
短すぎると弊害アリ。
Windowsのスタートメニュー表示を速くする - Windows高速化への道
http://www003.upp.so-net.ne.jp/shigeri/speedup/startmenu.html

disable contacting the Microsoftweb service to resolve file association
ファイル拡張子のWeb探索を止めろ、ってこと。
止め方は以下を参照。
ファイルを開くためのプログラムをインターネットで探さない | attosoft.info
>>2020

不要なアプリケーション
指摘の内容をregeditで削除してもいいし、フリーのレジストリクリーナを使ってもいい。


結局のところ、巷に溢れる高速化テクニックをツールを使って自動でやるのが、このクリーンアップという機能らしい。

下手なことを書いたら営業妨害になりかねないので、評価や判断はみなさんにお任せ。

2023とはずがたり:2017/01/26(木) 14:27:41
「IPv6無効設定」はもう古い?IPv6を有効にしたままIPv4の優先順位を上げる設定
http://freesoft.tvbok.com/tips/web/ipv6_ipv4.html

2024とはずがたり:2017/01/26(木) 14:39:51
2013-10-05
Windows 8 の デバイス マネージャー
http://0mg.hatenadiary.jp/entry/2013/10/05/190107

Windows 8 の デバイス マネージャー には、Windows XP にはあった「プラグ アンド プレイではないドライバ」の項目がなくなっている。そのため、それらのドライバ一覧を列挙したり、開始・終了を行ったり、スタートアップの種類の変更したりすることが簡単にできなくなっている。

一応、代替の方法はある。列挙については、レジストリ エディター (regedit.exe) の HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Services キー以下を参照することで行える。開始や終了などは、sc.exe を使って、たとえば sc start beep でビープ音サービスを開始したりできる。

まるで、ネットワーク接続の管理を netsh.exe で行うような感じだ。

ただ、この方法はまどろっこしいので、専用のソフトを使っていこう。すなわち、Nirsoft の ServiWin というフリーウェアである。

ServiWin: Windows Services/Drivers Tool (start/stop/restart service)
窓の杜 - 【NEWS】システムにインストールされているドライバーの動作を停止できる「ServiWin」
ServiWin は、以下のツールで表示できるサービスを制御できる。

かつてのデバイス マネージャーの「プラグ アンド プレイではないドライバ」
コントロールパネル>管理ツール>サービス (services.msc)
メニューバーの View に「Drivers」「Services」という 2 つの項目があり、それぞれに対応している。F7, F8 で切り替えることも可能。

というわけで、Drivers 一覧で、「プラグ アンド プレイではないドライバ」を制御できる。

Drivers 一覧には、たとえば、「beep」や NetBIOS 系のドライバがある。また、アンチウイルスやファイアウォール用のドライバだったり、暗号化ソフトの TrueCrypt や、仮想 PC ソフトの VirtualBox のドライバもある。

システムにインストールされているドライバーの動作を停止できる「ServiWin」
http://forest.watch.impress.co.jp/article/2004/06/21/serviwin.html
動作中のドライバーは青で、動作が停止中のドライバーは赤で色分け表示

「ServiWin」v1.10  システムにインストールされているドライバーの情報を一覧表示できるソフト「ServiWin」v1.10が、14日に公開された。Windows 2000/XPに対応するフリーソフトで、現在作者のホームページからダウンロードできる。

 「ServiWin」は、システムにインストールされているドライバーの情報を一覧表示できるソフト。右クリックメニューからドライバーを起動または停止できるのが特長。

 本ソフトを起動すると、ドライバーの名前と説明、動作状態、ファイルのバージョン、制作者名、ファイルパスなど、11項目を横に並べて表示する。動作している状態のドライバーは青で、停止中のドライバーは赤で色分け表示できる。

 ここで、リスト上での右クリックメニューから[Change Status]を選べば、動作中のドライバーを停止させたり、停止中のドライバーを起動させることが可能。たとえば“Beep”ドライバーを停止させれば、BEEP音を鳴らなくすることができる。なお編集部で試用したところ、一部のドライバーは操作できないようだ。

 また、右クリックメニューから[Change Startup Type]を指定すれば、スタートアップ時のドライバーの状態を、自動・要求・無効・ブート・システムから選択できる。さらにローカルPCのほか、管理者権限があればLAN内の他PCのドライバーも表示・制御可能。

 そのほかリストは項目単位でのソートができ、表示順を制作者名順やファイルパス順に変更可能。指定したドライバーの情報をクリップボードへコピーしたり、テキストやHTML文書で保存することもできる。

 また、ツールバー上の[Services]ボタンを押せば、ドライバーの代わりにシステムのサービス一覧を表示することも可能だ。サービスについても、名前と説明、動作状態、ファイルのバージョン、制作者名、ファイルパスなど11項目を表示でき、さらに現在の動作状態やスタートアップ時の状態を変更できる。

【著作権者】Nir Sofer 氏
【対応OS】Windows NT/2000/XP
【ソフト種別】フリーソフト
【バージョン】1.10(04/06/14)

□NirSoft
http://nirsoft.mirrorz.com/

(石川 敬峰)

2025とはずがたり:2017/01/26(木) 14:52:12

シンプルなドライバーとWindows サービスの管理ツール「ServiWin」
起動・再起動・停止も簡単。Google検索機能やレジストリ項目へ直接アクセスする機能も
http://forest.watch.impress.co.jp/docs/review/730093.html
(2015/11/12 05:05)

「ServiWin」v1.66
 「ServiWin」は、シンプルなドライバーおよびWindows サービスの管理ツール。64bit版を含むWindows NT/2000/XP/Server 2003/Vista/Server 2008/7/8/10に対応する寄付歓迎のフリーソフトで、作者のWebサイトからダウンロードできる。

 本ソフトを利用すると、システムにインストールされているドライバーまたはWindows サービスの情報を取得し、一覧表示することが可能。ドライバーの一覧とサービスの一覧は、ツールバー左端のボタンで簡単に切り替えられる。

 本ソフトが取得できるのは、名前・表示名・状態(実行・停止)・スタートアップの種類(自動・手動・無効など)・バージョン・開発会社・製品名・概要・最終書き込み日時といった情報で、依存関係(当該プログラムの実行に必要な他のプログラム)をチェックすることも可能。文字が青色になっている列は実行中、赤色の列は無効化、紫はOSの起動時に実行されたが現在は停止状態であることを示している。

 さらにリストビューのヘッダーをクリックすれば、これらの情報をキーにして並び替えを行うことが可能。列をダブルクリックすれば、プロパティ画面で当該プログラムの情報をまとめてチェックすることができる。そのほかにも、選択した列の情報をクリップボードへコピーしたり、HTML形式のレポートファイルとして出力することが可能。OS標準のツールよりもシンプルで一覧性に富み、扱いやすいのが本ソフトのメリットと言えるだろう。

 また、ツールバーのボタンから簡単に起動・再起動・停止できるのも便利。[Actions]メニューを利用すればより柔軟なコントロールも可能で、スタートアップの種類を変更することもできる。ただし、これらの操作はOSを不安定にすることもあるので、十分注意して取り扱ってほしい。

2026とはずがたり:2017/01/28(土) 07:21:24
液晶と蓄電池が次世代を牽引するのでは無いか?何所が来るのかねぇ。。仕込んでおきたいところだが。

有機ELでサムスン独走、日本勢の運命は?
2017年のiPhone採用後の市場をどう読む?
中根 康夫 :みずほ証券シニアアナリスト 2016年10月08日
http://toyokeizai.net/articles/-/139228?utm_source=goo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=related
週刊東洋経済(ビジネス)

スマートフォン向けを中心に、有機ELの普及が加速する動きを見せている。この傾向は“本物”と見ているがリスクもあるので検証したい。

11インチ以下をメドとする中小型フラットパネルディスプレー(FPD)の生産能力(面積ベース)は、テレビ向けなどに多く使用されているアモルファスシリコンが主流。有機ELのシェアは現時点で約6%にすぎない。そのうちのほとんどを韓国のサムスンディスプレイ(SDC)が占め、主にハイエンドスマホ向けに供給している。

アイフォーンが曲面パネルを採用

ハイエンドスマホ向けディスプレーで有機ELと競合するLTPS液晶に関して?は、日本のジャパンディスプレイ(JDI)をはじめ多くの企業が投資。シェアも10%程度と有機ELを上回る。こちらは米アップルをはじめ、ほぼすべてのスマホブランドが採用している。

有機ELを採用しているスマホブランドはサムスン電子、中国の新興ブランドであるOPPO、Vivoなどが主体で、数量ベースで全体の2割程度である。

だがこの構図は、2017年、アップルがアイフォーンに曲面パネルとなるフレキシブル有機ELを採用するという動きにより、大きく変化しそうだ。

みずほ証券の予想では2016年のアイフォーン向け液晶ディスプレーパネルの供給は、JDIが8700万枚、韓国のLGディスプレイ(LGD)が8500万枚、シャープが5700万枚。一方、有機ELは、2017年に5000万枚、多ければ8000万枚程度の供給が想定され、その全量をSDCが占めそうだ。

SDCは現在、二つの工場でフレキシブル有機ELを生産しているが、さらに第6世代のライン拡張を実施。生産能力を現在の月産1.5万枚から2017年末までに同12万?15万枚に拡張する。

またテレビ用の第7世代液晶ディスプレー工場の一部を閉鎖し、別途、月産6万枚程度の有機EL生産設備を導入すると予想される。これら一連の投資総額は2兆円程度にも及ぶであろう。

このうち、アップル向けには月当たり9万?10万枚の生産能力を割り当てるとみられる。これは5.5インチ換算で年間2.1億?2.3億枚分に相当し、すべてのアイフォーンに有機ELを採用したとしても間に合う計算となる。

日本のパネルメーカーも有機ELに投資

SDCに後れを取らぬよう、LGDも動き始めた。規模こそ小さいものの、2017年、2018年と矢継ぎ早に第6世代の有機ELの生産工場を稼働させる。2工場の合計月産能力は4.5万?6万枚となり、2018年からアイフォーンへ供給を始める可能性が高い。

日本勢ではJDI、シャープが試作ラインに投資しており、中国のパネルメーカーも多くの工場投資を計画している。みずほ証券では、有機ELの生産能力は2018年第3四半期(7?9月)時点で液晶ディスプレーを抜き、2020年末に全体の17%程度、現在の3.4倍程度に膨らむと予想。最大でスマホの約7割を賄える程度の生産能力となる。

2027とはずがたり:2017/01/28(土) 07:21:44
>>2026-2027
もはや不可逆ともみられるスマホの有機EL化。その特徴はどこにあるのか。

有機ELは薄さ、色再現性や動画表示性能のよさなどで強みを持つが、こうした点では液晶ディスプレーも引けを取らない。決定的な違いは形状の可変性であり、将来的に有機ELは折り畳みや折り曲げ、さらには巻くことも技術的には可能である。

とはいえ、折り曲げ可能な有機ELパネルはまだ量産可能な状況ではない。サムスン電子は2017年に折り畳みパネルを搭載した機種の投入を計画しているが、アップルが導入するのは2019年以降となろう。それまでは、いわゆる曲面パネルとなる可能性が高い。

さらに有機ELはコスト、消費電力、精細度などにおいても課題を抱えている。また、単に折り畳む程度であれば、液晶ディスプレーでも超薄型化の技術などを応用すれば対応可能だ。

有機ELが「過渡期」の技術になる可能性

曲面パネルに関しては、アップルとSDCの契約期間は、投資規模などを勘案すると3年程度と考えられる。が、実はアップルも自社でマイクロLEDなど、有機EL代替技術の開発を行っている。SDCが2018年ごろまでに折り曲げ可能なパネルの大量供給体制を確立するメドを立てないと、アップルが契約満了後にほかの技術を採用する可能性も否定できない。

資金潤沢なSDCは、関連投資を自己資金で賄い、アップルの資金を活用しない。それが、アップルの将来の選択肢を増やすことにもなる。

また、有機ELが本格的に普及するには、サムスンとアップル以外の端末メーカーが追随することが大前提となる。それには、SDC以外のパネルメーカーが十分な供給体制を整えることが必要だ。

しかし、技術力と実績でSDCに次ぐLGDは、投資はしているものの慎重な姿勢を崩していない。JDIやシャープは資金面で課題を抱えている。積極投資を行う可能性が高い中国メーカーに関しては、量産出荷の実績がなく、技術力でSDCに大きく水をあけられている。

こうした状況でSDCが先行者利益の独占に走れば、アップルなどの端末メーカーがほかの技術にシフトすることにもなりかねない。ここに、出遅れた日本のパネルメーカーの反攻の芽が潜んでいるかもしれない。

2028とはずがたり:2017/01/29(日) 15:45:10
そろそろタブレット欲しくなってきた。考えたらカーナビにも使えそうだ♪

タブレットでカーナビ?
http://securitysoft.asia/tablet/and-osusume/navi.php

カーナビ用タブレットを選ぶ

 7〜8インチ程度  LTEもしくは3G対応

 この2条件に当てはまる機種をおすすめします。
 また、ダッシュボードの上は暑くなるので、黒色の機種は避けた方が無難です。

カーナビにおすすめのタブレット


ファーウェイ dtab d-02H
 ドコモのLTE対応タブレットです。ドコモ回線の格安SIMに対応しています。
 2万円を切る低価格でありながら、タブレットとして快適に使えるスペックを実現しています。カーナビ専用にするにはもったいないくらいのスペックです。
(8インチ/2.0GHz・8コア/メモリー2GB)

京セラ Qua Tab KYT31
 auモデルのLTEタブレットです。魅力はなんといっても、その安さ! 17000円(執筆時点)というのは驚きです。それでいて、スペックは日常使用には充分過ぎるレベルですから、快適に使えるでしょう。画面が8インチあるので、ナビとしても見やすいです。
 auモデルのため、ドコモ系の格安SIMが使えない点はご注意ください(SIMロック解除すれば使える) mineoなどau系回線のSIMが使えます。 (8インチ/1.5GHz・8コア/メモリー2GB)

ファーウェイ dtab d-01G
 ドコモのLTEタブレットです。なんと、価格は12500円!(執筆時点) 4コア/1.6GHzという日常使用には全く問題ないCPUを搭載しているのに、衝撃的な価格です。ただし、メモリーが1GBなので、たくさんタブを開いてネットサーフィンをしたりすると、フリーズしそうです。が、カーナビでの使用なら特に問題にはならないでしょう。ドコモ系の格安SIMで運用できます。 (8インチ/1.6GHz・4コア/メモリー1GB)

他に必要なものは?

 タブレットを用意するだけでは、カーナビとしては使えません。
 他に用意すべきものは以下の3点です。

 格安SIM
 車載用タブレットスタンド
 シガーソケット充電器

 格安SIMについては、カーナビとしての用途がメインなら200kbps程度の低速回線でも対応できます(参考動画)  DMM mobileのライトプラン(200kbps 月440円 容量制限無し)がおすすめです。文字中心のサイトなら、ネットサーフィンも「出来なくはない」程度のスピードで表示できます。

 充電器については、タブレットはスマホよりも大容量の電流が必要であるため、2A以上に対応したものを選んだ方がいいです。タブレットに付属の純正の充電器を参考に選びましょう。

2029とはずがたり:2017/01/30(月) 12:37:42
アップルよ今こそアメリカなんか脱出してシリアへ還ろう!!!

「移民なしでは存在しない」=トランプ氏政策を批判―米IT業界
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-170129X372.html
01月29日 19:47時事通信

 【シリコンバレー時事】トランプ米大統領が大統領令でイスラム圏からの移民らの入国を停止・制限したことを受け、世界中から優秀な人材を集めて技術革新を生み出してきた米IT企業の間で、新政権の移民政策を批判する声が上がっている。

 CNNテレビによると、アップルのクック最高経営責任者(CEO)は28日、社内文書で「アップルは移民なしでは存在しない」としてトランプ氏の政策を支持しない考えを表明した。

 グーグルも「優秀な人材の渡米に障壁を作り出す可能性がある」(広報担当者)と指摘。大統領に政策見直しを迫る考えを示した。ロイター通信によると、グーグルには大統領令の影響を受ける従業員が100人以上いるという。

 マイクロソフトは「大統領令が従業員に与える影響を懸念しており、法的支援を積極的に行っていく」との声明を出した。

 能力主義のIT業界ではリベラルな気風が強い。フェイスブックのザッカーバーグCEOは「助けを必要としている人々には門戸を開いておくべきだ。それが米国の姿だ」とトランプ氏の対応を批判している。

 ただ、トランプ政権は、IT企業に配慮し、海外からの技術者確保には支障が出ないビザ(査証)制度を検討しているとも報じられている。

難民1万人、世界で雇用へ=トランプ氏を批判―米スタバ
http://news.goo.ne.jp/topstories/business/164/12574b182abaf2de79533317e5df3d39.html
(時事通信) 10:40

 【シリコンバレー時事】米コーヒーチェーン大手スターバックスのハワード・シュルツ会長兼最高経営責任者(CEO)は29日、トランプ米大統領がシリア難民の受け入れ停止などを命じたことを批判した上で、世界75カ国の店舗で今後5年間に1万人の難民を雇用すると発表した。

 シュルツ会長は「アメリカンドリームへの期待が揺らいでいる」と危機感を表明。今回の大統領令の影響を受ける従業員らへの支援にも、全力を挙げる考えを示した。

2030とはずがたり:2017/02/03(金) 15:33:07
サギサイトから、勝手にインストールされたプログラム(?)の削除をしたいのですが ...
プロフィール画像
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1357239533
wh_franciscaさん2011/3/917:20:09
サギサイトから、勝手にインストールされたプログラム(?)の削除をしたいのですが
どこを開いて削除をしたらいいのか分かりません。
初心者でも分かる説明をお願いします。
昨日http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1057167400
にて質問をした者です。(話の流れはこちらを見てください)

一旦は解決したと思ったのですが、また本日の16時くらいから、支払いをしてくださいという
大きなウィンドウが画面左端に出始めて、迷惑しています。

そのサイトがサギサイトという事は分かったのですが
表示されるウィンドウが邪魔なので削除の方法を教えてください。
当方PC初心者なので、どこの何にに入っている何というプログラムを消すといいなど
詳細を頂けると助かります…。

参考画像のものが表示されるウィンドウになります。
よろしくお願いします。

補足
補足します、OSはwindows7です。

ウィンドウ,プログラム,サギサイト,削除,アプリケーション ホスト,画面左端,msconfig.exe
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ベストアンサーに選ばれた回答
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kk3ws_asさん 2011/3/1101:18:30
この手のプログラムはhtaを使っていると思われます。

以前私の友人も同じようなことになっていました(^^;

タスクマネージャーのプロセスの中にmshta.exeがあれば、まず間違いないでしょう。


タスクマネージャーで強制終了させるとウィンドウは消えると思います。

再起動させると再び現れる場合はスタートアップに登録されている可能性が高いです。

スタートメニューの[すべてのプログラム]→[スタートアップ]のなかにそれらしいプログラムがない場合はレジストリのスタートアップに登録されています。


スタートメニューの[ファイル名を指定して実行]でmsconfig.exeを実行して[スタートアップ]を確認してください。

[Microsoft(R) HTML アプリケーション ホスト]という項目があればそれが例のプログラムです。チェックを外してください。


本体を削除したいのであればさっきの項目の[コマンド]の"C:\Windows\system32\mshta.exe "のあとのファイルが本体です。


16時くらいから再び画面が出だしたとのことなので、ひょっとするとタスクスケジュールに登録されているかもしれません。
とりあえず上記の方法を試してみてください(-_-;

2031とはずがたり:2017/02/03(金) 15:33:38
俺もmshta.exeがある。。どうすりゃええんだ???そのまま削除していいんかな?

2032とはずがたり:2017/02/03(金) 15:35:41
ワンクリックウェアを削除する(mshta.exe編)
http://tamajiro.net/windows/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%82%92%E5%89%8A%E9%99%A4%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BC%88mshts-exe%E7%B7%A8%EF%BC%89/
2014年01月29日 [Windows]

2033とはずがたり:2017/02/06(月) 16:57:43
熱かったよなあ,AMDvsIntel。

【連載】
巨人Intelに挑め! - 1GHzを突破せよ
[1] とある男の回顧録
http://news.mynavi.jp/series/amd_k7/001/
吉川明日論
[2015/03/02]

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

…このうちわ受け話シリーズは(続けばの話だが)、あのころ、そしてその後少なくとも15年は確実にコンピューター業界の話題の中心の一つであったと思われる、AMD対Intelのマイクロプロセッサ開発競争、あの血沸き肉躍る時代で私がAMDで経験したこと、背景、などを、今だから話せる秘話なども交えて記してゆこうという試みである。

K7登場

話をいきなりK7の登場から始めたい。というのも、K7は今でも私の業界原体験の中心であり、その時代のこの業界で一番AMDが脚光を浴びたイベントだったからだ。K7とはAMDが第七世代プロセッサとして開発したCPUアーキテクチャのコードネームであり、製品としてはAMD-Athlonとして知られている。K7は1999年の8月正式製品リリース(マイクロアーキテクチャの正式発表は1998年10月)、ということは、その開発は(あるいは基本的なアーキテクチャの原型は)少なくともその5年前には始まっていたはずである。1994年、1995年あたりというと、AMDがリバースエンジニアリング(後程述べる)で開発したAm486プロセッサを出荷中、その間AMDは独自開発のK5で悪戦苦闘、そして1995年の突然のNexGen買収(この辺の事情も後述の予定)、市場では、AMD、NexGen以外にもCyrix、 IDT、 VIAなどの会社がIntel互換プロセッサの開発にしのぎを削っていた時代である。

互換プロセッサ乱立時代

PCがエレクトロニクス業界の中心になり爆発的成長を始めると(この2〜3年のスマホですね)、その中心ハードウェアであるCPU市場には一気にいろいろなプレーヤーが参入してきた。しかしながら、Intel互換プロセッサの盛んだった時期は比較的短かった。というのも、技術的にも加速していくプロセッサ開発に加えて、IntelのIP(知的所有権)を侵さずに完全互換を実現することは至難の業であった。

また、プロセッサのクロックスピードがそのままアプリケーションの実行速度にダイレクトに効いてくる状況だったので、Intelは一気にそのマーケティングを周波数競争に持ち込んだ。その優劣を決めるのが半導体の微細加工技術である(今では12nmなどのレベルに達しているが、その当時は数百nmの世界だった…)。その当時は半導体ファウンドリ―などというコンセプトはなく、それぞれのメーカーが自前のプロセス、設備に投資競争をしていた時代だった。

これがべらぼうにコストがかかる。そういった状況で、多いときには5社を数えたプレーヤーは次々と脱落していった。最初の製品は出るのだが後継製品を開発する資金が続かないからだ。その間独占体制を整えつつあったIntelは80286の次は80386、そしてその後継の80486を開発するなど、矢継ぎ早に性能を向上していった。

その中で、当時AMDには以前からIntelとの協業時代からx86互換プロセッサに従事してきたエンジニアたち、Am386のリバースエンジニアリング(後で説明いたします)をリードしたBen Oliver、スーパースケーラー技術の大家Mike Johnsonらに加え、もとDEC(Digital Equipment Corp.)で業界初の64ビットチップAlphaの開発をリードしたDirk Meyer(後にAMDのCEOとなる)ら錚々たるメンバーが揃っていた。そこに、Fred Weber(NexGenの買収により合流)など、互換チップ開発の戦いに敗れ去ったチップメーカーからのエンジニアたちが続々とAMDに集結していた。皆、Intel打倒に燃える血気盛んな若いエンジニアたちであった。

こうしたエンジニアたちが長年の夢をかなえるべくAMDに集結したのは当然のことであったろう。というのも、AMDは既に8年にわたるIntelとのIPに関する調停、法廷闘争の末に、少なくとも特許問題についてはIntelと和解が成立していた。ということは、特許などの法律問題に縛られることなく、革新的なアイディアでもって、技術的優位性を実現しIntelを打倒することを夢見ていたエンジニアにとって、AMDというのは理想的な開発Platformであり、唯一可能性を秘めた会社であったからである。しかも、創業者でありCEOのJerry SandersはIntelへの対抗心に燃えていた。捲土重来を期すエンジニアたちにとってAMDはまさに「マイクロプロセッサ界の梁山泊」だったのである。

2034とはずがたり:2017/02/06(月) 16:58:11
AMDの野心的なプラン

その時、私は定期的なマーケティングのMeetingのためにカリフォルニアのシリコンバレーの中心にあるAMD本社にいた。 正確な時期はあまり問題ではない、その出張が今でも記憶の中で鮮明なのは、それが私がK7プロジェクトについて初めて知った時期であったからだ。多分、AMDがK7のマイクロアーキテクチャを公表した1998年の一年位前の話だと思う。

私は社内の情報で、AMDのAustinでK6の次世代プロセッサ開発が進められていることを聞いていたので、USに出張の際に当時の私の上司であったMarketing VPのBen Anixterにそれとなく聞いてみた。Benは当時の私の上司であり、AMDの創業時代からJerry SandersとともにAMDを支えてきた大番頭のような人物であった。

「Ben、新プロセッサの開発はうまくいっているかい?あのIntelがよくPentiumIIのバス(バスはもともとPentium Pro用に開発された)をライセンスしたものだね」と聞いたら、Benは「ライセンスはもちろんない」と答える。私が、「そうか、それならまた新たな法廷闘争になるんだね?」と聞いたら、Benは「もう、法律でもめるのには飽き飽きした、その心配はない。今度のプロセッサは独自のバスアーキテクチャだから」とさらりと言っている。

私には、俄かにはその意味が呑み込めず、「独自のバスなんて言っても、マザーボードがないじゃないか」と言うと、またBenが「マザーボードは独自で行く、既に台湾のボードメーカーと話がついている」と言う。そこで私は「Intel互換じゃないわけ?そんなのできるわけがない。新しいインフラをまっさらなところから作るなんて無茶だ!!」と言ったら、Benが最後に「どうしてお前の発想はそう日本的なんだ?! 全く新しい技術で戦わなくて、どうやってIntelを超えるんだ?!AMDはIntelの後追いでいく限り発展はない、これからは独自路線の技術で勝負するんだ。面白いと思わないか?」。

Benは私にウィンクして、言った。

「そのドアを閉めなさい、AMDのBig Planを教えてやるから。」
ほどなくして、私はK7の全容を知ることになったが、それは確かにその当時の私にとっては途方もなくBigなPlanであった…。

K7の革新的アーキテクチャ

Benに野心的なアプローチを聞かされた後、K7でゲームチェンジをもくろむAMDに私はいよいよテンションが上がった。その晩、サニーベールのホテルのバーでいろいろ考えた。「やっぱりここはシリコンバレーなんだな」という興奮がじわーっと感じられたと同時に(シリコンバレーは行くたびにいつもこの感じがあるからやめられないのだ…)、既に10年も働いていていたのにシリコンバレーのスピリットを全く理解していなかった自分にがっかりした感じを覚えている。

そのプランはまさにBigであった。まず、Benが言ったように、Intelプロセッサとの互換路線を断ち切って、全く新しいバスアーキテクチャで勝負する。そのバスというのが、DECがワークステーション、サーバ用に開発した64ビット!!のEV6(恥ずかしながら、それを聞いたとき私はそれがどんなにすごいものかは知らなかった…)。

もともと技術的に疎い、日本のマーケティングの担当として、私の頭に真っ先に浮かんだのがMother Boardの事である。 事を単純に説明すれば、今では、秋葉原のDIYショップに行くとIntel系とAMD系と全く互換性のないボードが棚を別にして売っているけれど、その当時はボードと言えばx86=Intelであった。そこに、K7が割って入ってAMD系の棚を作るという話だ。

マーケティング的に考えれば、それを実現するには2つの方法しかない。多額の予算をマーケティングに投下して力ずくで新ブランドを確立するか、革新的な技術で大きな差別化を図るかである。当時の技術集約型のシリコンバレー企業のAMDの選択は勿論後者であった。以下にK7アーキテクチャの概要を示す。

フロントサイドバス 200MHz:もともとDECがワークステーション用の業界初の64ビットプロセッサAlpha用に開発したEV6が基になっている(競合のPentium IIIの2倍の速さである)

整数演算10段、浮動小数点演算15段という深いパイプライン:これがクロック周波数の飛躍的な向上を可能とする。K7は Athlonとして発表時にいきなり最高クロック650MHzをマーク。

スーパースケーラー:1クロックで9命令同時発行可能、これにより、高いクロックに加えて浮動小数点演算を多く含むゲーム等のヘビーなアプリでも高い実性能を実現。

2035とはずがたり:2017/02/06(月) 16:58:22

対応ソケット:SlotA (AMDのAを示している)、IntelのSlot1との電気的互換性が全くないが、外部形状やスロットのメカニカル部分は共通。

スロット正面に大きなAMDのグリーンのロゴをあしらい、いかにもIntelとは互換性はありませんと言っている。パッケージを開けると、真ん中に将棋の王将よろしくCPUが鎮座し、両側に飛車、角のキャッシュメモリが控える威容であった。(時代劇ファンであれば助さん、角さんを従える黄門様が、「やっておしまいなさい」と言っているような感じである)。

K7アーキテクチャAthlonプロセッサ登場

AMDが満を持して開発したK7はAMD-AthlonとしてAMD設立30周年にあたる1999年の8月9日に正式発表された。発表の半年前、AMDのマーケティング部門はK7の製品ブランド名の決定の最終議論を行っていた。私も、当時世界で第二番目に大きいPC市場である日本のマーケティング代表としていろいろと意見を聞かれた。他にどのような候補があったかはすっかり忘れてしまったが、AthleteのスピードとTriathlonの強靭さを連想させるAthlonというブランドは、その後のAMDを十年以上支え続けることになる優れた製品のブランドとしては成功した例だと思っている。

そのころから、CPUに巨額の資金を投下しブランドマーケティングを展開するというIntelのパワフルな攻勢にAMDも対抗しようとしていた。日本ではやらなかったが、USではTVコマーシャルも流され、Athlonは結構知られたブランドになりつつあった。その当時、カリフォルニアに出張する時にサンフランシスコでの入国手続きの際、お決まりの「何しに来た、どこに勤めている?」という質問に「AMDだ」と答えると、係官がガッツポーズをしながら「Faster than Intel, right ?(Intelより速いんだって?)」と言ってスタンプをポンと押すのを何度か経験して非常に誇らしかったことを覚えている。

AMD vs Intelの"チャレンジデモ"

日本でのプレスへの発表には十分な準備をした。当時、NPRP(New Product Review Program)というのがあり、何十もあったPC関係の雑誌にベンチマークシステムを貸出し、各社が独自に性能比較の記事を用意する。各紙が独自のラボで実際に性能を測るわけだからある程度時間がかかる。それを、週刊、隔週、月間の雑誌各社に貸し出す。各国のPRにあてがわれるシステムには限りがあるから、各紙の発刊時期を考え、うまく回さなければならない。

各紙はその時点で手に入るAMD、Intelの最速のシステムの性能をいろいろなベンチマークソフトで測ってゆく。そのうち各紙がテストした結果が次々と入ってくる。結果は圧倒的にAthlonの優勢であった。そして、プレス発表の当日は100人はいるだろうと思われるホテルのカンファレンスルームで恒例の"チャレンジデモ"というのをやる。

これはK6世代から始めたPRの効果的な手法で、その時の最速プロセッサを使用し、プロセッサ以外はすべて同じ条件(メモリ、ハードディスク、など)でくみ上げたシステムをAMD vs Intelで二つ並べ、プレスの前で実際に"よーいドン"でいろいろなベンチマークをつなげたベンチマークソフトを走らせて先に終わったほうが勝ち、という大変わかりやすいデモである。

当時IntelはAMDの製品をまがい物として正式に認めないという立場をとっていて、Intel側がこれに対抗してくることはなかったのでプレスには非常に受けた。分かりやすく、効果が直に感じられるので、その後はリテールストアでのデモにも使った。

こういったプレスイベントは、技術競争が激化し、AMD、Intelが新製品でしのぎを削るというその後の10年以上の期間で何十回と行ったが、決してAMDがいつも優位にあったわけでは勿論ない。しかし、プレス発表会のひな壇にいて、そのチャレンジデモを横から眺める時にはいつも、"がんばれ、がんばれ、速く行け!! ぶっちぎれ!!"と心の中で考えていて、熾烈な競争の中で勝負する醍醐味をいつも実感していた。AMDの創業者Jerry Sandersが常々言っていたシリコンバレーの企業哲学、"競争のみが革新を生む"という時代を直に感じられる古き良き時代であったと考えると、結局はいつもタフな状況に置かれていたというのが正直な実感ではあるが、同時に私は何とラッキーな経験をしたのだろうかとつくづく思う。

2036とはずがたり:2017/02/06(月) 16:58:36

Athlon 1GHzの壁を破る

私はその時Gateway Japanの社長と会っていた(2000年の初めころだったと思う)。Gateway(当初はGateway2000という名だった)は新興のPCメーカーで、特にパワーユーザーに人気のブランドであった。すでにAthlonの重要カスタマーであり、世界各地で協業をしていた。

その日もいつものように、その時点では最速のAthlon(確か、800か850MHzであったと思う)を使用したデスクトップPCの共同プロモーションの話をした後、握手して帰ろうとした時に、彼は独特のニュージーランドなまりの英語で切り出した、「1GHzの発表会を一緒にやらないか?」。1999年の8月に最速の650MHzで正式発表されたAthlonにより、それまで最速は常にIntelと決まっていた状況が一変した。今やIntelがAMDを追いかける形になっていたのだ。

周波数は今までは考えられなかったペースで上がっていった。まさに、Sandersが予想した通り競争がIntelの技術者たちに闘志を植え付けた。しかし、私は1GHzの話は聞いていたけれども、早くても、2000年のQ2(4-6月期)という認識であった。そこで、「1GHzはまだまだ先だよ」と言ったら、Gateway側は「いや、もっと早い時期だと聞いている。その場合にはGatewayが真っ先にシステムを発表することになっている。本社に確認してほしい」と言う。

その晩、私は本社のVPに電話して、AMDがひそかに1GHzの発表を前倒ししているという事実を知った。1GHzの壁を超えるのは当時としてはジェット旅客機が音速を超えた時くらいのインパクトがあったので、AMDは必ずIntelに先んじて大々的に行うのだと言う。その中でAMDが選んだパートナーがGatewayだったのだ。

Gatewayはパワーユーザーをたくさん抱えているし、Athlonといえども、プロセスのチューニングを行って徐々に周波数を上げている最中なので、1GHzを超えるものはよほどできのいいシリコンを選別してやっととれるくらいであるので、最初は限られた数しか提供できない。それでいて、1GHzの発表は3月中、それも早い時期に行いたいというので大変驚いた。 社内でも限られたものしか知らないという。次の日、件のGateway Japanの社長と再度Meetingしたのは言うまでもない。

時効だから明かす、効果的なPRのために採った策とは

そこで、3月に迫っている発表イベントの計画を、PRマネージャーとともにひそかに進めた。一番恐れたのが、闘志むき出しのIntelに出し抜かれないことである。アーキテクチャの優位性から、AMDが1GHz品を実際にIntelよりも早く生産できるであろうことには自信があった。あとはUSと連携をとりながらどうやって、世界同時に、Intelよりも早い時期に、しかもより効果的に発表するかということに頭をひねった。

そこで、一計を案じ、2つの発表日を1週間ずらしてセットすることにした。当時は、発表会と言うとホテルのカンファレンスルームと相場が決まっていたので、2つの日にちで部屋を抑えた。その間、エンジニアたちはほどなく到着した1GHz Athlonを搭載したシステムを念入りにチェック。発表当日に安定してデモができるかが非常に重要である。

これからの話は、今は時効になっていると思われるので、裏話として聞いてもらいたい(プレスの方、Intelの方申し訳ありませんでした…)。まず、プレスに「AMDから重要な製品発表を3月13日に行います」という案内をだした。そんな案内を出せば、プレスからは「重要な発表っていったいなんですか?」と質問が来る。そこで、言葉を濁しながら、「今は言えません、でもきっとびっくりすると思いますよ、絶対にはずさないで来てください」と答えておく。

すると、鼻の効くプレスの人たちは、「これはAthlonの新製品だろう、ひょとして1GHz?」と考える。その話はいずれIntelのPRにもわかることになる。そのうち、予想した通り、あるプレスから、Intelも発表会を開くらしい、その日付は3月8日である。という情報が入った。そこで、我々は正式発表の日付を3月6日に変更した。プレスの人たちには「突然で申し訳ありません」と電話をかけまくって来てもらった。

AMDとIntelの1GHzの発表が微妙にずれているのはこういった事情があったのである。Gateway Japanも即日製品の販売を受け付け開始の準備をしていたが、それを発表会で正式に言ってしまうのはあまりにもできすぎなので、「システムはどこから出るのか?」と言う質問に、私はわざと「ゲート…」と言いかけ、PR担当の方を見ていかにも「しまった!!」という顔をする、と言う手の込んだ演出まで用意していた。

2037とはずがたり:2017/02/06(月) 16:59:08
>>2033-2037
なぜコードネームを公開するのか

私は元来エンジニアでないので、半導体デバイスの回路設計の現場などは想像も及ばないのだが、…基本的に半導体回路の製造過程は印刷の技術なので、ダイ写真と言うのはシリコン職人の印刷作品ともいえる。…
初期の製品は手作り回路で非常にごちゃごちゃしていたものだが、集積度が急激に増すにつれてCADシステムの発達で、だんだんブロックごとの形が決まってきて、各ブロックが整然と並ぶようになる。またマルチコアになると、同じパターンのCPUコアが2個、4個とはっきり目視できるところが面白い。初期のころの回路写真には、ダイの隅っこに設計チームの名前や、アイコンなどをちゃっかり印刷しているものもあった。

ダイの話をするうえでいつも話題になったのが、CPUコアのコードネームである。最新鋭のCPU製品の開発では、まず基本のCPUコアを設計して、それをもとに派生製品を追加してゆく。

市場投入される前の開発中の製品にはブランド名がないが、まず社内で使用する開発コードが決められて、それをもとに製品ロードマップ(将来リリースを予定している製品の図表)を作成し、ビジネスプランを練ってゆく。

AMDとIntelの開発競争が激化すると、このロードマップはビジネスプランの礎となるだけでなく、お客の期待を獲得するために非常に重要なものとなり、それまでは社内、あるいは特定顧客に個別開示するものであったはずの製品コードネームを積極的に公開するようになっていった。

AMDのネーミングは場当たり的?

これらのコードネームの付け方については各社、設計チーム、責任者などが勝手に決められるので、いろいろなものがあった。初期のコードネームは単なる記号・番号の組み合わせであったが(K5、K6、K7など)、だんだんロードマップが複雑化してくると、もうちょっと覚えやすい、親しみのあるものに変わっていった。Intelのコードネームは、私が覚えている限りではUSのオレゴン付近を流れる川の名前で一貫していた(Klamath、Katmai、Deschutes、Willamettなど)が、AMDの方はあまり一貫性がなく場当たり的なケースが多かった。

例えば、K7コアは最初はK7とK75であったが、その後ThunderbirdとSpitfireが登場した。この二つは製造プロセスが0.25ミクロンから0.18ミクロンへと向上したときのCPUコアであるが、ご存じのようにこれらは第二次大戦中連合軍が主力としていた戦闘機の名前である。表向きには勇ましく、かっこよかったが、主力製造拠点をテキサスのAustinから旧東ドイツのドレスデンに移した時だったので、ドレスデン工場から猛烈な反対が出た。それはあたりまえで、ドレスデンは第二次大戦中の度重なる空襲を受け、市街のほとんどが破壊された歴史を持つからだ。これは本当にいただけない話であった。

しかし、発表してしまったものを引っ込めるわけにはいかず、その後のK7の発展製品は競走馬の種類(Thoroughbred、Palominoなど)に変更された。格好がよく当たり障りのない名前を探した結果か、開発責任者が馬好きだったのだろう。因みに、K7後のK8コアのコードネームはHammerシリーズ(Slegehammer、Clawhammerなど)には「Intelをぶっ潰す」という思いが込められていた。

ひとつ変わり種は、K6-IIIのSharptoothだ。これは当時はやっていた映画のJurassic Parkに登場するティラノサウルスの名前だった。このころAMDのCPUには3Dグラフィックの処理を向上するためのSIMD拡張命令3DNowが搭載され、確かPCゲームのJurassic Parkをテーマにしたタイトルがこれに対応し、Comdex Showでデモを行った覚えがある。

2038とはずがたり:2017/02/06(月) 17:25:46
知らなかった。。AMDとIntelが最初盟友関係だったとわ。

【連載】
巨人Intelに挑め! - 80286からAm486まで
[1] AMDとIntelの確執の起源
http://news.mynavi.jp/series/amd_80286/001/?lead
吉川明日論
[2015/05/11]

さて、第1シリーズで書いたK7 Athlon 1GHzの発表から一気に時代を25年さかのぼる。 と言うことは現在から40年も前の話だ。…ちょっとした歴史的な背景説明をしたほうがわかりやすいと思い、この第2シリーズを書くことにした。

それは、当時毎日のように「SanJose Mercury News(シリコンバレーのコミュニティー紙ともいうべき地方新聞)」のトップニュースを飾ったAMDとIntelの競争の歴史であり、PCの頭脳と言われるCPUの発展の歴史であり、ちょっと大げさかしれないけれど、日々競争に明け暮れ切磋琢磨してきたシリコンバレーの歴史そのものであると思う。

そこには、シリコンバレーのパワーの源であるエンジニアたちの飽くなき熱意があり、ビジネスを突き動かすための経営者たちのいくつもの勇敢な決断があった。そしてなにより、隆盛してゆく産業の得体のしれないパワーがあったし、そこに従事している者たちで共有していた興奮があった。今から思うと、何かわからない熱病にかかっていたような気がする。そんな気持ちを持つのは多分私だけではないだろう。

Intelが4ビットのCPU4004を発表したのは1971年である。4004の誕生についてはいろいろな記事があり、Intelがこのプロセッサを日本の計算機会社のために開発したのだということについてもいろいろな記述がある。その当時汎用CPU、いわゆる同一ハードウェアで幾多の用途に応じたアプリケーションソフトが動くという考え方は存在していなかったし、このプロセッサがさらに発展し、今ではクラウドコンピューティングを支えるサーバーのエンジンになるなどとは40年前に誰が想像しただろうか(そもそもInternetと言う概念がなかった時代である)。

私はAMDに勤務した人間であり、最初にIntelが開発したx86 CPUの起源を語る資格もないし、するつもりもない。 AMDに勤務していた時は、Intelは常に圧倒的な力を持った競合であり(その強大さは時にはため息が出るほどであった…)、追いつき追い越すための大きな目標であった。と同時に、私は常々Intel社に対してはシリコンバレーの中心企業として、また驚異的なコンピューター技術革新を常にリードした業界の推進力として大きな敬意を抱いていた(この私のIntelへの敬意は、その後AMDがK7/8で技術的にIntelを追い抜いた事態が起こった時Intelが独占的地位の乱用という行動をとったことで崩れ去ったのだが…これについては機会があれば後述したい)。

Intelの成功の裏にAMD有り

私がAMDの社員であったことで誇れることは、AMDのCEOであったJerry Sandersが常々言っていた"競争のみが革新を生む"という言葉のように、AMDとIntelが常に競合していたために、両社の技術革新が加速され、結果的には顧客に対し大きな価値を生んだという点である。

前置きが長くなったが、Intelの4004発表後、CPUは8ビットの8080の時代となり、これが16ビットの8088(外部バスは8ビット)、8086と発展していった。 当時、PCと言う概念はなく、IBMがPersonal Computer(いわゆるパソコン)と言う製品を発表し、それが爆発的な発展を遂げるまではAMDもIntelも汎用メモリ、汎用ロジックなどの製品が主体のビジネスであった。

当時のコンピューター産業の中心はメインフレームのIBM、DECとその互換のBUNCH(Burroughs、UNIVAC、NCR、Control Data Corporation、Honeywellの頭文字)、などの米国東海岸の企業が中心であり、シリコンバレーの半導体会社はあくまでもベンチャー系の亜流であった。このようなコンピューター会社は、それぞれが自分のシステムに使用する半導体パーツを自身で製造していた。特にコンピューターの頭脳であるCPU(Central Processing Unit)は自社設計のものを自社のコンピューターに使用するというのが常識であった。要するに今ではスーパーコンピュータにも使われるのが当たり前である汎用CPUなどというものは存在しなかった。

そこに、IBMからIntelへ8088を最新製品に採用したいという話が入った。IBMが8088を採用した製品は、1つはDisplaywriter(いわゆる初期のワードプロセッサ)とIBM PCであった。

最近、その時代のシリコンバレーの話がよく書かれている本に出会った。National SemiconductorのCEOを務めた Charlie Sporck 氏の回顧録「Spinoff」と言う本をである(Saranac Lake Publishing, New York刊)。残念ながら既に絶版らしいし、日本語訳されていないので、今では読まれる機会がほとんどないと思われるが、私としては実に面白い読み物である。

2039とはずがたり:2017/02/06(月) 17:26:06

この本によるとIBMからIntelにこの話が来た時、Intelは大いに期待したことが書かれている。その当時シリコンバレーのベンチャー企業であったIntelと同じく、この話に狂喜したもう1つの企業があった、そしてその企業はIntelとともに、その後のIT業界を牛耳る巨大企業になった。

マイクロソフトである。 この話は、いろいろな本が既に書かれていて、当事者でもない私が語るものは何もない。 ここで私が語りたいのは、このIntel:x86 CPU+マイクロソフトと言う不動の独占ビジネスモデルの構築に、実はAMDが大きく貢献していたという事実である。

IBMはこのPC(いろいろな話を読むとIBM自身も、このPC:Personal Computer:個人で持つコンピューターと言う概念については社内でかなり懐疑的にみられていたらしい…)のメインCPUについては社内で作られているメインフレーム用のCPUは使いようもなく、CPUもソフトも外部から調達するという点で、当時はこの製品はIBMの主流から外れたかなり得体の知れないプロジェクトであったことがうかがえる。

ただし、さすがはIBM。調達部門はCPUは必ず2次ソース(とは註:なんだ,2次ソースって?互換の製品を供給出来る会社みたいだ。)があることと言う条件を付けていた。ソフトについてはハードのおまけくらいにしか考えていなかったのだろう、マイクロソフト1社に任せた(これがその後大きな付けとなって回ってくるなどとは想像もしなかっただろう)。IBMのビジネスにテンションが上がったIntelだが、2次ソースを探さねばならない。そこで、IntelのCEO Robert Noyce(マイクロプロセッサの生みの親と言われる)が真っ先にコンタクトしたのが、National SemiconductorのCharlie Sporckである。

筆者は最近この連載の執筆にあたりCharlie Sporckの手記、「Spin-Off」を読むまでは、IntelはAMDにコンタクトしたのだと思っていたのだが、最初のコンタクトはNationalであったことが判明した。

Charlie Sporckの手記には、"ある時、家族とスキーに行っていたらIntelのRobert Noyceから電話がかかってきた。一緒にIBMに納めるマイクロプロセッサをやらないか? と言う話であったが、そんなもの(マイクロプロセッサ)ビジネスになると思わなかったので即断った。今から思ってみれば、あれは間違いだった。"と言う記述がある。

しかし、Nationalは、その後Chiarlie Sporckの下でアナログ、ディスクリート製品にフォーカスして大きく成長し、最後にはスピンアウトした母体であったFairchildを買収することになった。シリコンバレーの老舗企業たちの生い立ちについては、番外編で書くつもりである。

IBMが新製品PCにIntelのCPU採用を決定する際に、2次ソースを見つけることを条件にし、IntelはNationalのCharlie Sporckにコンタクトしたが断られたことは前述した。

そこで、IntelのNoyceはAMDのJerry Sandersにコンタクトした(Noyce、Spork、Sandersは皆かつてはFairchildで一緒に働いた同僚である)。

AMDは当時CPUとしてはIntelの競合で8ビットの世代では確実に成長しつつあったZilogのZ80(8ビットCPUアーキテクチャの傑作と言われている)を2次ソースメーカーとしてサポートしていたが、IBMのPCの話を聞くと、Sandersはそのビジネス感覚でもって、あっさりとNoyceの協力要請を受け入れた。

かくして、後に源平合戦を繰り広げることになるAMDとIntelは最初は盟友として、もう一つのCPUのアーキテクチャの雄、Motorolaの68000に対抗すべく共同戦線を張ることになる。 そのころのAMDとIntelの"Partner Chip"(パートナーシップのしゃれ)と題した共同広告を見つけたので掲載する。その後の両社が親の敵と言うほどにいがみ合ったことを考えると、信じられない話である。

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AMDとIntelはかつて共同戦線を張っていた (出典:「THE SPIRIT OF ADVANCED MICRO DEVICES」)

PC市場の急速な拡大 - 2次ソースとしてのAMD

このIBM PCへのCPU・OSの採用によって、結局マイクロソフトのOSを使用したPC系はAMDとIntelのx86、片やMotorolaは産業用の埋め込みアプリケーションという風にすみわけが決まってしまった。その後Motorolaの68000はAppleが採用し大流行となるMacintoshのCPUとなったが(今は亡き天才Steve Jobsの最初の傑作Macは1984年1月に発表された)、後にWintelといわれるようになった派手なCPUの世界規模の競争からは締め出されてしまったわけだ。

IBMのPCが次第にその価値を認められ、IBM・PCのクローンが市場に出現し、瞬く間に巨大な市場になってゆく(そういえば、クローンなどという言葉もこのころ初めて聞いたのだと思う…)。そうなるといよいよ2次供給者が重要になってくる。というのも、急速に成長する市場のからの需要にIntelだけでは対応しきれないし、各PCメーカーも一番重要な部品であるCPUを1社から購入するのも不安であるからだ。

2040とはずがたり:2017/02/06(月) 17:26:56
そんな中、1982年の2月にIntelはそれまでの8086をさらに強化した80286を発表する。80286は16ビットのCPUの第2世代という位置づけで、このビジネスでの圧倒的な地位を決定づけた傑作製品である。

そのころまでに、AMDはIntelのCPU製品の2次ソースとして、1976年のクロスライセンス契約(お互いの特許を持ち合う契約‐この契約に書かれていたある条項が後に大きな禍根を残すことになるのだが…)に次いで、1981年にはこの契約を更新し、Intel製品の2次ソース会社としてx86マイクロプロセッサーの本格的な生産を開始する。どういうことかというと、Intelが8086、80286などのプロセッサの技術情報をAMDに開示し、AMDはその情報に基づき製品の製造を行う。そして、AMDはIntelのx86アーキテクチャに競合関係になる製品は開発せずに、Intelと協力しながらこのアーキテクチャを広めていくというものである。

基本アーキテクチャは同一であるが、製品性能の改善に関しては両社は競合することになる。完全に互換性のあるCPUが2社から、しかも常に性能改善がされながら提供されるのであるから、急成長するPC市場においてユーザーとしてのPCメーカー各社にとっては、Intel、AMDを両てんびんにかけながらできるだけ有利な条件で、PCの頭脳であるCPUを確保することが非常に重要な要件となる。

この頃から、x86アーキテクチャがMotorolaの68000などの他のアーキテクチャと競合していた状態が、PCの爆発的な普及により次第に変わってきていた。すなわちx86はPC業界の唯一の標準となり(de-facto standardと言う)、PC各社は標準にのっとったPCを大量生産することとなり、勝敗を分けるのは、どのPCメーカーがより高速なCPUとより容量の大きいメモリ(DRAM)を積んで、より安く提供するかが勝負となる。

もっとも、この時代にはまだPCの形状などで差別化を図れることができたので、Display一体型デスクトップ、白黒DisplayでなくカラーDisplay, ラップトップ(ノートブックではなく)など各社工夫を凝らしたPCが出現した。それでもやはり、重要なのはコンピューターの頭脳と言われるCPUである。当時のWindowsベースのアプリケーションはまだ高速のハードを必要としていたので、CPUが高速であるほど、またメモリ容量が大きければ全体の処理能力は高くなる。CPUが同一アーキテクチャであれば、性能を決定付けるのは動作周波数(クロックスピード)と消費電力である。より高い周波数で、消費電力を抑えたCPUがより高い価値があることになる。

PCが急速に普及し始め、かつては職場でしか目にしなかったコンピューターが個人の持ち物になり始めると、Intelは従来の技術主導のエンジニア集団という会社から、半導体市場には当時まだ存在していなかったブランドマーケティングを持ち込み始めた。高い周波数であるほど価値が高いという大変に解かりやすいメッセージで瞬く間に市場で受け入れられていった。

AMDも負けてはいなかった。Intelの80286が周波数12MHz(ギガヘルツではなくメガヘルツです…)であったところに16MHzを投入、しかもPCの小型化がはかれるプラスティックのパッケージを使用するなどいろいろな改良でIntelを猛追し、次第に市場シェアを広げていった。しかし、この数年前からIntelは既に16ビットの80286の次期製品である32ビットの80386の開発を進めていた。16ビットから32ビットへの進化はPCの性能向上においてメジャーなイベントであった。32ビットコンピューティングはその後PCの世界では20年以上続くことになる。

80386はAMDにはライセンスしない

80286プロセッサ(x86)とマイクロソフトのDOS(まだWindowsではなかった)との組み合わせで、その後Wintel(この表現は後になって主にプレスが使ったのであって、面白いことに筆者はIntelもマイクロソフトもこの言葉を積極的に使っていたのを聞いたことがない…)という無敵のビジネスモデルを打ち立てたIntelは、次期プロセッサ製品80386を開発するにあたってAMDとの関係において社内で密かに決定していたことがあった。要約すれば下記の3つの事項である。

80386はAMDにはライセンスしない。
しかしそのことはAMDにはすぐには伝えない(ぎりぎりまでAMDをIntelアーキテクチャのサポート側につけておく)
80386発表後は80286からの切り替えをできるだけ早く行いAMDを振り切る。

2041とはずがたり:2017/02/06(月) 17:27:51
誤解のないように記しておくが、これらのことをIntelが密かに決めていたと言う事実は筆者が憶測で言っているのではない。AMDはいくら待っても、Intelが80386の二次供給ライセンスの話に乗ってこないので、1982年のライセンス契約に基づいてIntelに対し調停訴訟を提起した。それを見たIntelは、すぐさまAMDに80386のライセンスをしないと宣言した。調停訴訟というのは、ハイテクノロジーの業界ではよく出てくる話で、長期にわたり、しかも金がかかる法廷闘争の代わりに、両社の合意のもとに選出された調停人(ほとんどの場合引退した裁判官、判事など法律のプロが選ばれる)に依頼してスピーディーに解決を図る略式訴訟のようなものである。

しかし、実際にはこの調停はもめにもめて、結果的にはAMDの主張がおおかた認められる形で終了することになる。先に述べたIntelがAMDとの関係において秘密裏に決定していた3つの重要な事項は何万ページにわたる双方の内部文書を精査して、多分5年近くはかかったであろうこの調停訴訟の結論として、調停人元判事のバートン・フェルプス氏がまとめた調停文書で発表したものにはっきり述べられている事実認定である。

その後も、AMDとIntelはいくつかの大掛かりな訴訟合戦を繰り返すが、これについては別の機会を得て記述したいと思う。

PCがITのプラットフォームとして爆発的に成長する中、Intelはそれまでの16ビットの80286プロセッサの次期製品、32ビットの80386の開発を終え、1985年10月に16MHz版の最初の製品を正式にリリースした。

一方のAMDはそのころ80286の16MHz版を市場投入していた。当時のアプリケーションには32ビットのビット幅に対応するものは少なく、性能が高く安価なAMDの80286-16MHzは市場でかなり健闘した。その当時の私が手掛けた広告が残っているので掲載しておく。

http://tohazugatali.web.fc2.com/PC/001l.jpg
80286-16MHzの広告

前述の通り、当初はIntelとAMDはx86アーキテクチャの普及で協業したわけだが、80286の普及によりx86アーキテクチャが業界標準となった時点で、IntelにはもはやAMDは邪魔者でしかなかった。そこでIntelは有名な"286X キャンペーン"を大々的に開始する。新製品80386をライセンスしないことでAMDを32ビット製品から締め出すことに加えて、自らが生んだ既存製品80286を否定することによって、AMDを一緒に葬り去ろうという強烈なものであった。286と書いた上に大きく赤のXを付けて、"これからは32ビットの80386の時代です"と書いてある。後にIntel Insideというキャンペーンに発展したものである。

AMDにあって、Intelとの市場での競争に明け暮れた私にとって、Intelは常に大きな脅威であったが、このキャンペーンを初めて目にしたときには本当に驚いた。自らの市場での優位性を維持するために自らが生んだアーキテクチャを殺しにかかる、まるでギリシャ神話にでも出てくるようなテーマに、Intelという会社の徹底ぶりにショックを受けたのを覚えている。

当時のIntelのCEOであったAndy Groveは後にリーダーシップに関する本を書いたが、そのタイトルは"Only the Paranoid Survive(偏執狂だけが生き残る)"であったことを考えるとうなずける点もある。

独自開発に着手 ? コードネームは「Longhorn」

Intelからの80386のライセンスを断念せざるを得なかったAMDは独自開発の80386互換のプロセッサの開発に着手する。テキサスの開発チームに因んで開発コードネームは"Longhorn"と決まった。リーダーは当時まだ30代のBen Oliver、Oliverを支えるのはAMDプロセッサ設計部隊から選ばれた血気盛んな精鋭チームであった。ただし、いくら能力があっても一つだけユニークな条件が付いていた、"Intel社に勤務する親類縁者がいないこと"。

AMDは80386の互換製品独自開発について"リバースエンジニアリング (Reverse Engineering)"の手法を用いた。クリーンルーム版と別名されるこの手法を辞書で調べると、"Reverse engineeringとは、機械を分解したり、製品の動作を観察したり、ソフトウェアの動作を解析するなどして、製品の構造を分析し、そこから製造方法や動作原理、設計図、ソースコードなどを調査する事である"とある。クリーンルーム版と言う意味は、設計エンジニアたちは設計室に入る時と退出する時に身体検査をされ、何も持ち込まない、何も持ち出さないということを徹底することである。

つまり、普通のものづくりの方法は、まず設計図があり、それに基づいて製品を作っていくのであるが、この場合はまず製品(30386)があり、それがどういう設計で作られたのかの情報なしに、公開された情報だけをもとにその当該製品と同じものを作ることである。AMDが与えられた公開された情報で一番有力なものは2つである。

1. 80386のデータシート、ユーザーマニュアルなどの資料
2. 80386そのもの

2042とはずがたり:2017/02/06(月) 17:28:15
データシート、ユーザーマニュアルは、80386の内部の機能ブロック図、どのピンがらどんな信号が入ればどんな信号を吐き出すのか、といったCPUを使ってPCを開発するハード、ソフトの設計エンジニアたちに必要な基本情報が書いてある公開文書である。

さて、80386そのものであるが、資料によると最終的なAMDの互換製品Am386は27万5千トランジスタであった。と言うことは、Intelの80386も大体同じくらいの数のトランジスタの組み合わせで設計されていたのであろうと思われる。

半導体のリバースエンジニアリングは、経済性を度外視すれば比較的に容易にできる。しかし、チップサイズ(プロセスルールが同じならばトランジスタ数)に制約がある場合には難易度は大きく違う。チップサイズが小さければ小さいほど同じウェハから生産できるチップが多くなるので有利である。しかも、当時のPC市場は、IntelがAMDの80286を殺しにかかり、どんどん386に移行してゆく、その間にもIntelはDXに続きSXと言う廉価版まで出してくるという状況であった。Ben Oliverの設計チームに掛けられた期待、大きなプレッシャーは想像に難くない。彼に与えられたミッションは次の3つだった。

公開された情報のみに基づいてIntel386と全く同じ動作をするCPUを独自設計で開発する。
故に、Intel製品とハードウェア的にも、ソフトウェア的にも完全互換であること(簡単に言えば、PCボードのソケットからIntel386を引き抜き、AMD386を代わりに入れてもすべての周辺機器と一緒に、すべてのソフトウェアが問題なく動くということである)。
市場投入された時点で、先行するIntel386と互角、あるいはそれを凌ぐ性能、経済性を持つこと。
まさにMission Impossibleである。

目にしたのはあまりに異様な光景

Oliverのチームが真っ先に行ったことは80386を買ってきて、何層にも作りこまれたプロセッサチップに刷り込まれたマスクパターンから論理情報を解明するため、チップの拡大写真を解析することであった。私は、当時テキサスに出張した時にデザインチームに近しい人間がいたのでそっと見せてもらった憶えがかすかにある。

体育館のような広い部屋の床いっぱいにチップの拡大写真が敷き詰めてある。その上を何人かのデザインエンジニアたちが下を向いて無言で歩いている。何をやっているのかと聞いたら「彼らは、チップの拡大写真からプロセッサのロジック設計を読み込んでいるんだ」という答えだった。あまりにも異様な光景だったので、本当に自分で見たのかどうか記憶を疑っていたが、最近、この記事を書くにあたってAMDの社史を調べていたらその写真が載っていた。

当時、AMDの設計チームがいたテキサスのAustinでは、「AMDは半導体ビジネスがIntelにやられて左前になったので、半導体から写真ビジネスかなんかに商売替えするらしい」という噂が飛び交っていた。と言うのも、Austin市中の写真館にAMDから訳の分からないパターンが写っている拡大写真の大量注文が何カ月も続いたらしい。当時は写真と言えば完全アナログであったのであるから、どれくらいのものであったかは今では考えられないことである。

確かに、プロセッサのトランジスタ数が100万以下の古き良き時代でのみ可能であったことであり、今のようにトランジスタ数が億単位の時代では考えられないことである。今の時代のCPUの拡大写真を一平面に目視できる状態で表示するとしたら多分東京ドームの何個分という規模になると思う。



Benのリバースエンジニアリングの仕事は奇跡的な結果を生み大成功であったが、CEOとしてのSandersの仕事はこれからだった。何しろ、今までのように固定したデザインを製造部門に回してチューニングをするのとは違い、まだ流したことがないデザインを市場投入時に競争力のある性能で(クロック周波数)、儲けられる形で(ダイサイズ、製造コスト)製造しなければならない。

しかも、市場はIntelがAMDに80386をライセンスせず、AMDは386を独自開発しなければならなかった事をよく知っている、AMDの386がリリースされる時期になっても前述した調停訴訟の結果は出ていない(AMDはシリコンデザインのハードウェアは独自開発したが、プロセッサに格納されたマイクロコードは1976年のクロスライセンス契約でAMDに使用権があるという立場で、そのまま使用していた ― この件については後程機会があったら説明します)。その状態ではたして、市場はAMDの独自開発品を受け入れるだろうか? さらに、Intelは80386の次期製品80486の開発に余念がない。80486が出てくれば、IntelはせっかくBenが開発したAMDの386を殺しにかかる。まさに時間との戦いだった。

BenのLonghornチームが開発を終えてからの製造部門の頑張りについては、私はよく知らない。ただ、日本の営業、Marketing部門の人間として私が憶えているのは、「80286はもう終わりだ、早く386を投入しないと売り上げが立たない、早く386を!!」ということだった。

2043とはずがたり:2017/02/06(月) 17:28:27

果たして、AMDが総力を結集して開発した80386互換プロセッサは、それまでのAMDの製品番号の伝統に従ってAm386として1990年11月に正式リリースされた。Intelの386の発表に遅れること5年であった。

PCメーカーであるカスタマたちは既にIntelの独占状態になっていた386市場にAMDが戻ってきたことを歓迎した。しかし、保守的なカスタマも多かった。"本当に完全互換なのか?"、"ハードは独自だが、Intelのマイクロコードを使っているそうじゃないか、AMDの製品を使ったことによって、Intelが我々を訴えたらAMDは補償してくれるのか?"などなど。

私も、AMDから買いたいのはやまやまだけど、法律問題があって踏み込めないというカスタマにAMD本社から法務部門の人間を呼んで顧客を訪問しまくった。やはり、そのころからIntelの市場独占が始まっていたのであって、Intelはその独占ゆえにますます強大になっていったのは明らかであった。

ある日本のお客に行ったとき、"君、Intel製品に完全互換と言うことは、Intelの386のバグ(不具合)も起こるということだよね、それを保証できるの?Intel製品で起こることはすべて再現してもらえる互換品でないと我々は使えない"と言われて絶句したのを憶えている。市場独占というのはそういうことなのだという実感が身に染みてわいてきたのを今でもはっきり思い出す。その後、AMDはIntel互換と言う考え方を捨てて、ソフトウェア互換という考え方に舵を切ったが、それは当然と言えば当然の帰結であった。

しかし、PC市場は成長に次ぐ成長、新たなPC・AT互換機メーカーが参入し、しのぎを削っていた時代なので、時間とともにAm386は次第に市場に受け入れられ、AMDの屋台骨を支える存在となった。

AMDはAm386の投入によって息を吹き返したが、既に次の製品の独自開発に着手していた。Intel80486互換のAm486である。トランジスタ数が120万と言うことはAm386の4倍以上である。その開発については、営業に忙しかった私にとってはAm386の時ほどドラマチックではなかったので(と言っても、設計エンジニアたちはさぞかし大変だったろうに…)、私自身はよく憶えていないが、1993年の4月にAm486が正式リリースされた。386の時にはIntelから5年遅れだったものを、4年遅れに縮めたわけである。

Am386の販売の際に経験した"本当に互換なのか"というカスタマらの反応にAMDは非常に明確な形で答えた。Am486ではCPUのパッケージにWindowsロゴをあしらったのである。これはAMDが勝手にやるわけではないので、当然Microsoftが承認したわけである。

このころから、AMDの中ではいよいよIntel互換路線を捨てるという方向性がはっきりしてきたのであると思う。それと同時に、Wintelと言われた無敵のビジネスモデルにも変化がでてきたのが読み取れる。MicrosoftにとってはPCがより売れるのがいいのであって、その中に使われるCPUはIntelでもAMDでもどちらでもよいということである。この考えはIntel側も同じであったであろう。

つまり、Intelのハードであればマイクロソフトでも、Linuxでも、そのずっと後にスマートフォンのOSとして市場を席巻するGoogleのAndroidでも何でもいいということである。時代はいよいよ次の段階に入っていった。



元々は小さなベンチャーの集まり

せっかくAMDの話を書く機会を得たので、どうせなら、AMDを育てたシリコンバレーの簡単な歴史、またそれを築き上げたレジェンドたちの話も書いておこうと思う。

この辺の話をすると、私的にはここに出てくる人物たちの名前を聞くだけである種の興奮を覚えるのだが、一般の読者にはなじみがないと思うので背景説明を記しておく。今は大企業となったけれど、当時は小さなベンチャーの集まりだったシリコンバレー企業の系譜である。

それまではサクランボなどの果物の生産地でしかなかったカリフォルニアのサンタクララ周辺が、シリコンバレーと呼ばれる世界中のハイテクの中心地となった起源は、トランジスタの発明で知られるウィリアム ショックレーが開設したショックレー半導体研究所にある(ショックレーはベル研究所でトランジスタを開発した他の2人の科学者とともにノーベル賞を受賞した)。ショックレー半導体研究所は半導体製品を開発しビジネスにする目的で設立されたが、ショックレー自身は優れた科学者であったがビジネスマンではなかったらしい。

2044とはずがたり:2017/02/06(月) 17:28:53
>>2038-2044

そのうち、造反組8人がスピンアウトして作った会社がフェアチャイルド セミコンダクターである。半導体ビジネスの起源と言う意味では、このフェアチャイルドが本格的な起源と言えるかもしれない。かくしてフェアチャイルドはアメリカ全土から当時としては新興ビジネスであった半導体に惹かれる若い優れたエンジニア、マーケッターたちをシリコンバレーに結集させ、成長させる学校のようなものになった。

これらの優れたタレントは、急速に成長する半導体産業で自分自身の夢を実現するべく、次々にフェアチャイルドを出て自身の会社を設立していった。その中でも、Intel、AMD、National、LSI Logicはその後も成長を続け大企業となり、シリコンバレーの老舗として数々の会社を増殖させていった。フェアチャイルドのチャイルド(子供)に掛けてこの4社がフェアチルドレン(子供の複数形)と言われる所以である。

シリコンバレー企業の系譜

半導体業界にはこれらのシリコンバレーの新興企業がのし上がってくる以前から既に確立されていたテキサス州ダラスの雄・Texas Instruments(TI)、アリゾナ州フェニックスのMotorolaなどがあったが、シリコンバレーの企業はカリフォルニアの開放的な企業風土と言う意味ではかなり特殊なものであったと思う。

強烈な個性のぶつかり合いが原動力に

いかにも個性の強い役者たちが揃っていた。私は、AMD入社当時から日米の半導体企業が日米政府レベルの貿易摩擦の話題の中心になった1986年頃から(この件については後程述べる)PRの担当として関わったので、幸い図に示した創業者たち(ショックレーを除いて)に実際会っている(会っているといっても、同じ部屋にいて彼らのやり取りを聞いている立場にあっただけの話だが…)のでこれらの名前を聞くだけで未だにちょっとした興奮を覚えるのである。

あのころのシリコンバレーの名だたる会社のExecutive達がなんと格好良かったことか!!すべてのExecutiveが非常に個性的で、しかも自信に満ちていた。お互いライバル同士であっても共通の目的については非常にオープンに、しかもカジュアルに話し合っていた。私のその時の印象は、その後のこれら伝説的人物の記述の通りである。天才的で親分肌のNoyce、学者のようなMoore(あのMooreの法則で有名な)、製造プロのSporck、イギリス紳士のCorrigan、そして、根っからのセールスマンの伊達男、我ら愛すべき"Jerry" Sanders。

これらの強烈な個性が、あるときには協力し合い、ある時はぶつかり合い、切磋琢磨してシリコンバレーの原動力を生み出していた。私は日本の半導体業界もある程度知っているが、シリコンバレーの会社と決定的に違うのはこの業界内のコミュニケーションのダイナミックさだと思っている。そして、それが両国の半導体業界の競争力に大きく影響したと思う。

シリコンバレーのレストランでは隣のテーブルで、結構知られた人たちが、競合同士なのにビジネスの話を結構オープンに話しているのを見かけたことがよくあるし、技術者同士が素晴らしい半導体回路のアイディアをレストランのナプキンに書き記しているのをみたこともある。ある時、ふらっと立ち寄ったパロアルトのハロウィーン衣装の店で、突然Steve Jobsが娘に衣装を買っているところに出くわした時はさすがに驚いた…

知らない人同士でも、目があえばにこっとしたり、ウインクしたりするあの雰囲気は、実際はしのぎを削り合い、ストレスいっぱいの仕事生活に身を置く人たちであるのに、人生を楽しむ余裕が感じられ、独特のものがある。

2045とはずがたり:2017/02/06(月) 19:27:38
【連載】
巨人Intelに挑め! ? サーバー市場に殴りこみをかけたK8
http://news.mynavi.jp/series/amd_k8/001/?lead&utm_source=MyTimeLine&utm_medium=win8&utm_campaign=win_app
吉川明日論
[2016/06/20]

[1]AMDのCPU開発史と連載を振り返る

さて、昨年3月から始めた私の連載記事は間断なく9カ月も続いたが、年明け以来、しばらく怠けていたらもう初夏になってしまった。編集部から、続きをというありがたいお話をいただいたので書き進めることとする。

…私の連載もちょっと間が空いてしまったので、ここでAMDのCPU開発歴史と連載記事の順序を振り返ってみたい。この連載はK7(Athlon)から始めた、というのもK7が私の24年にわたるAMD社での経験で一番エキサイティングな製品であり、思い出深いイベントであったからだ。K7の話の後はAMDとインテルの確執の起源から始め、80286、386、486、K5、K6と続けたが、今回のシリーズで書くのはK8である。…

ここでAMDの開発したCPUとその概要についておさらいしたい。

http://tohazugatali.web.fc2.com/PC/001l-2.jpg

私のこれまでのAMD回想録は、K7からスタートし、386のリバースエンジニアリングの話に戻り、K5、K6までを綴ったものだ。今回お話したいのはK8である。いよいよ終盤にかかってきた。

上の表のビット幅という欄でお分かりのようにK8は32bitから64bitに進化している。K8の話に入る前に、ここで少しCPUのビット幅について簡単に述べる。

CPUとビット幅

現在のCPU(コンピューター)のすべては2進法によって演算をしていて、1ビットが2進数の一桁を意味している。CPUが演算する時に一時に扱えるデータ、あるいはプログラムのビット数を"ビット幅"、あるいは"データパス幅"と言う。

よくメモリ容量でビットやバイトという言葉が出て混同されるが、ここで言うビット幅とは、どちらかと言うと高速道路の車線数のようなイメージである。車の速度はほぼ一定だとすると、道路の幅が広い(車線数が多い)ほうが一気に流れる交通量が多いのと同じように、ビット幅が広ければ広いほど(8ビット<16ビット<32ビット<64ビット)CPUの処理能力は高くなるといってよい。もっとも、高速道路との比較と違いCPUの場合は動作周波数も上がってゆくので、厳密に言えば個々の車の走る速度も上がっては行くが。

メモリの総容量の話になると、高速道路よりサッカー場のイメージのほうがぴったりくるだろう。サッカー場の座席数をイメージしてみよう。当たり前の話だが、サッカー場では座席数が大きければ大きいほど多くの観客を収容することができる。ただし実際のサッカー場の場合と半導体メモリが違うのは、サッカー場では物理的な座席のサイズは一定なので、座席数を増やそうとすれば、自然とサッカー場全体のサイズが大きくならざるを得ないが、半導体メモリでは、記憶素子数(座席数)が16ギガバイトから64ギガバイトに増えるのに、チップサイズ(サッカー場の大きさ)は変わらない。という事は、全体のサイズが変わらないサッカー場により多くの座席数を詰め込んだ状態である。これを可能とするのが半導体微細加工だ。

さて、CPU(コンピューター)のビット幅であるが、最初に固体半導体素子(1つのシリコンチップ)のCPUとして開発されたのはインテルの4004である。これはビット幅4ビットのCPUである。この4ビットのCPU4004は日本の電子計算機会社の要望で設計された。1970年のことである。それから50年弱の間にCPUは高速化し、小型化し、汎用化され今では我々の身の回りにあるスマートフォン、電子機器、白物家電など電気製品のほとんどすべてに制御用のCPUが使われている。既に4ビットのCPUはほとんどなくなってしまったといってよい。

用途別のCPUのビット幅は次のとおりである。

8ビット・16ビット:一般的な家電製品(エアコン、洗濯機、電子レンジ、それらのリモコンなど)、および、自販機、券売機、工業用の組み込みシステムなど。
32ビット:スマートフォン、セットトップボックス、ゲーム機器、薄型テレビ、デジタルカメラ、ネットワークシステムなど。
64ビット:PC,高性能ゲーム機器、ネットワークサーバ、ワークステーション、高性能ルータ、スーパーコンピューターなどの大量データを高速で処理するものなど。

要するに、高い処理能力を要求されるコンピューターほど幅広のビット数を備えたCPUを要求されると考えてよい。…

2046とはずがたり:2017/02/06(月) 19:28:03

[2] AMD K8誕生の背景とダーク・マイヤーの夢
インテルの独占状態だったデータセンター市場

これまで私が回想録で述べてきたAMDとインテルのCPU開発競争は当時爆発的成長を遂げたデジタルプラットフォームであるパソコン(PC)用のCPU市場の話であった。しかし、PCとインターネットの爆発的成長とともに圧倒的に重要性を増していった市場があった。インターネットを縦横無尽に行き来する大量のデータのトラフィックを一手に引き受けるデータセンターである。

データセンターには何千、何万台ものサーバーボードが設置されており、典型的なサーバーボード一枚には2~4個のCPUが使用されている。その市場を独占していたのがインテルだった。基本的にはパソコン用に開発したアーキテクチャをコアにし、外部インターフェース、メモリサイズなどを大きくアップグレードしたものが市場を牛耳っていたインテルのサーバー用CPU Xeon(ブランド名)である。

前述したと思うが、サーバー用CPUの個数換算での市場サイズはPCの十分の一以下であるが、それに使われるCPUの単価は5~10倍である。それをインテルは独占しているのだからどれだけの利益がそこから稼がれていたかは想像に難くない。当時のサーバー市場の状態は以下のようなものであった:

1.市場全体が高成長であるがキーコンポーネントをインテルが独占
2.故に、いろいろな市場ニーズに反して単一技術、しかも値段が高止まり
3.競争原理がはたらかないので主導権が顧客よりもベンダーに移る
4.顧客は競合の登場を待ち望んでいる

この状態はAMDにとっては、"いつか来た道"、しかも相手がインテルとあっては、参入を画策したのは当然の流れであったろう。しかし当時の市場の状況に新参者が割って入るには大きな参入障壁があった。

1.サーバーの世界はPCと違って企業ビジネス、完全にB-TO-BのITの世界。
2.当時はIT(IT:Information Technology)という言葉はまだ新しく、IS:Information System、情報システム(略して情シス)と呼ばれていて、典型的な大企業の組織では総務部、経理部に属していた。そこにいる人たちは技術者と言うより、総務部でコンピューターにちょっと明るい人。基本的には官僚みたいな保守的な人たちばかり。
3.保守的な人たちなので、コスト、技術革新にはあまり関心がない(今から考えれば信じられない話だが)。完全に減点主義の世界で、問題を起こすことが命取り。当時よく言われたたとえ話は"IBMさえ使っていれば高くてもクビにはならない"、と言うもので、当時はメインフレームからクライアント・サーバーシステムに急速に移行している状態であり、最初のころはインテルCPUのサーバーでさえかなり"先進的"なものであった。
4.AMDのCPUはインテル互換で市場シェアを広げ、独自アーキテクチャのK7 Athlonでインテルからの技術的独立を果たし、コンシューマー市場では確固たる地位を築いたが、企業系システムの関係者の間では(一部の先進的ユーザーグループを除いては)"AMD? なにそれ?"、と言うのが厳しい現実。
5.インテルはクライアント・サーバーの世界でXeonというデフォルトのCPUの地位を築くと、その世界で既に存在した他の競合(IBM、HP、NEC、富士通など)を振り切るためにIA64と呼ばれる、独自のアーキテクチャによる64ビット化を目論んでいた。CPUはItanium(アイタニアム)と言うブランドである。

AMD技術陣のカリスマ ? ダーク・マイヤー

この状況にあって、"これは勝機あり"といよいよ確信したAMD技術陣のカリスマがいた。ダーク・マイヤーである。ダークはもともとDEC(Digital Equipment Corp.)で業界初の真正64ビットCPU"アルファ"プロジェクトを主導したチーフアーキテクトであった。その頃AMDには、インテルとの技術競争に敗れ、捲土重来を期していろいろな会社から集結した技術者がたくさんいたが、ダークはその中でもリーダー的な存在だった(ダークはその後2010年にAMDのCEOとなった)。

ダークが主導したAMDでの最初の製品はK7-Athlonで、これにはEV6などの先進的なバスなどアルファで培ったノウハウが随所に使われていた。私はダークとは仕事上何度も直接話す機会があったが、ダークの技術者としての夢はサーバー用の強力なCPUを開発し、ビジネス的に実現することだったのだろうと常々思う(その分、その後に訪れるモバイル化のトレンドにAMDが大きく遅れる結果にもなったとも思うのだが…)。とにかく、ダークと彼のチームが構想したK8プロジェクトは、素人の私にも"もしこれがあらかじめ宣言した機能、性能でもって、予定通り開発できたなら多分大成功するだろうな"、とはっきり理解できるような明確な差別化とアーキテクチャ上の優位性を備えていた。

2047とはずがたり:2017/02/06(月) 19:28:59

[3] K8開発当時の背景
64ビット市場の独占をも狙うインテルだったが…

K8の基本アーキテクチャとその優位性を述べる前に、AMDが対峙するインテルの状況をもう少し簡単に説明しておいたほうが解かりやすいであろう。

1.PC用CPUの大成功に乗り、インターネットの級数的拡大でさらに加速されたクライアント・サーバーシステム市場のサーバー側のCPUを独占したインテルは、今までのPCハードウェアの世界のチャンピオンだけでなく、IT界全体のチャンピオンになりつつあった。
2.その中で、インテルはサーバーのハードウェアの要件が従来の32ビットコンピューティングから64ビット化する過程で大きな賭けに出た。当時IBMの向こうを張ってサーバー市場でぐんぐん実力をつけるHP(ヒューレット・パッカード)と組み、それまでのサーバーの遺産(レガシー)を断ち切って、全く新しいエコシステム(ハードとソフト)を提示することにより、市場独占を確固なものとするための無敵の64ビットCPU:Itanium(アイタニアム)を開発する。
3.Itaniumの基本アーキテクチャは、従来のインテルの看板だったx86命令セットとは互換性を断ち切り、VLIW(Very Long Instruction Word)の命令セットを定義した。これは提携パートナーとして選んだHPのEPICアーキテクチャを採用したものである。今までのx86の命令セットにはエミュレーションで対応。エミューレーションモードでもハードの性能が高ければ総合性能での低下をカバーできる。
4.この戦略は、インテルの上位サーバーへの本格進出を加速させるために、AMDなどの互換プロセッサの市場参入を一気に振り切り、当時同じ目的(上位サーバーへの進出)をソフトウェアの側面から加速させようとしていたマイクロソフトをけん制する意図もあった。 と言うのも、マイクロソフトは自身の競合であるUNIX陣営と対抗するために、サーバー用のWindows NTをインテル以外のプロセッサ(MIPS、 DECのアルファ、 IBMのPowerなど)に次々と対応させていたからだ。
5.ただし、Itanium独特のCPUアーキテクチャはマイクロプロセッサの設計上、製造上の複雑さを解消する代わりに(そのはずであった…)、ソフトウェア(コンパイラ)の複雑さを要求するものである。

要するに、PCで独占的地位を築いたインテルが上位サーバーへの進出を目的に、同じ目的を持ったサーバー市場の雄であるHPと組んで、本格的な64ビット市場が形成される前から市場独占を狙おうという野心的な戦略であった。これは全くもってインテルらしい思い切りの良さである。

この戦略からは、下記の市場からの反応が容易に想像できる。

1.NEC、日立などのHPのパートナー以外のサーバーベンダー(インテルにとっては顧客)からの反発。当時新興勢力であったDELLなどはその最たる例だろう。
2.上位サーバー市場でソフトウェア面から主導権を握りたいマイクロソフトとの軋轢。このあたりからPC市場で無敵のビジネスモデルと言われたウィンテルに秋風が吹き始めた。
3.インテル、マイクロソフトの覇権に対し独立路線をとろうとするSPARCアーキテクチャを擁するサン・マイクロシステムズ、そしてインテル、マイクロソフトなどの新興勢力のコンピューター市場侵攻を苦々しく思っていた御大IBMらの対抗心の増幅。
4.そして何より、これらのハード、ソフトベンダーたちの勢力争いに翻弄されながら、日進月歩の企業ITを支えるエンドユーザーである企業IT部門の不満。

極端な話に翻訳すると、ある日突然会社に出入りしているサーバーベンダーの営業が現れ、"次の64ビットではインテルが提唱するItaniumというアークテクチャに移行するらしいんですわ。それに移行すると今までの32ビットのソフトとは基本的には互換性がなくなるんですけれど、エミュレーションモードで対応するらしいんで大丈夫だと思いますわ。UNIXの対応はOKですが、マイクロソフトは今サポート開発中ですのでWindowsサーバーのソフトサポートもそのうち何とかなるでしょう…はっきり言って私らにもこの先の方向性はわからんのですわ…でも64ビット移行は市場トレンドなのでできるだけ早い時期にお願いできればと…"、などと話をされたらどうだろうか?そうでなくても、社内ユーザーからは問題発生の度に文句を言われ、上司からも予算を削れとプレッシャーをかけられ続けている。自己中心的な独占ベンダーに翻弄されるITマネージャーの不安→不満→怒りは想像に難くない。

2048とはずがたり:2017/02/06(月) 19:29:21

これらの状況を考えるに、AMDがインテル対抗軸としてPC市場だけでなく、今まさに64ビットに移行しようとしているサーバー市場に打って出るのは必然であったと思われる。x86命令セットを備える高性能CPUのベンダーとしての実力は既にPC市場で実証済みだ。あとはインテルのIA64と差別化したコンセプトをいち早く定義し、それを製品に落とし込み、いかに賢くマーケティングするかにかかっている。しかもそれが実現すれば、インテルが市場独占で荒稼ぎしているサーバー市場に手が届くことになる。AMDの将来を支える確固たる財務体質構築のための重要な足がかりの第一歩である。

嘗てDEC(Digital Equipment)社で業界初の真正64ビットCPU"アルファ"を開発したエンジニア達は続々とダーク・マイヤーのもとに集まった。彼らは週末も関係なく集まり、何度もブレーンストーム会議をやり、どうやったらこの素晴らしい機会をAMDのビジネスとして取り込めるかを昼夜話し合った。

その結果がAMD64アーキテクチャである。

[4] AMD64アーキテクチャとK8のハードウェアの特徴

"インテルをぶっ潰す"という思いを込めて、K8の社内での極秘開発コードネームは"SledgeHammer(スレッジハンマー:大型の鎚の意味)"であった。例によってこの極秘のプロジェクトは、AMDのマイクロプロセッサ設計エンジニアの精鋭部隊が集められ、基本アーキテクチャの構想から約4年の短期間でCPUの設計を終えた。その間、食いぶちのK7 Athlonの改良も進められていたのでエンジニアリングのリソースはカツカツであったが、前述したIntelの64ビットコンピューティング戦略IA64に対し、ダーク・マイヤーに率いられたAMDのチームは明確に差別化された素晴らしい製品を完成させた。その基本アーキテクチャはAMD64と命名された。以下にAMD64の概要を示す。

これまで32ビットであったx86命令を64ビット幅のデータやメモリアドレスに対応できるよう拡張した命令セットを定義。
x86命令セットを引き継ぎつつ64ビットへの拡張を行っているので、64ビットに拡張されたソフトウェアは高速に、32ビットのソフトウェアも従来に劣らぬ速度で実行することができる。
実装するCPUは同一コアでサーバー用のものとPC用のものを用意する。サーバー用CPUはUNIXおよびWindowsに対応、またPC用CPUはマイクロソフトが進めている64ビットWindowsに対応する。
このアーキテクチャが意味することは、野心的製品K7でインテル互換路線を捨てハードウェアでの独自性を打ち立て大成功した後に、ハードウェアでのみならず、ソフトウェアでもインテル互換を捨てるという大きなステップを踏み出すということである。つまり、それまでインテル互換品というイメージが付きまとっていたAMDが、本当の意味での独自のCPU経済圏を打ち立てるという画期的な意味合いがあった。 このアーキテクチャは過去のソフトウェア資産に対する互換性を継承しつつ、8ビット、16ビット、32ビットと順次性能を上げながら進化したそれまでのx86ベースのCPUのアーキテクチャの思想から考えると、至極自然かつシンプルなものである。AMDはこのアーキテクチャを実装したサーバー用CPUをOpteron、PC用CPUをAthlon64の製品ブランドで2003年にリリースした。
AMDはIntelが提唱する64ビットコンピューティングのIA64と対抗するブランドとしてその立場を明確に市場に打ち出せるように、アーキテクチャのブランドAMD64、製品ブランドOpteronとAthlon64のロゴマークを開発しマーケティング活動を開始。いずれも伝統的なAMDのロゴを頭にあしらい、その下に大きく数字の"64"と記した。このデザインは今でも個人的にはよい出来であったと思っている。

それまでのAMDの製品ブランドのロゴマークはどちらかと言うと統一性がなかったが、この時期にはAMDのマーケティングも洗練されてきた。

Opteron(オプテロン)の命名には"最適化(Optimize)"のOptとK7 Athlonの響きを継承する配慮がなされ、Athlon64はK7 Athlonの製品名に64を足した明確なメッセージがこめられた。

Opteronは独自のAMD64基本アーキテクチャに加えて、ハード面でいくつかの革新的な特徴を備えていた。以下にOpteronのハードウェアの特徴を示す。

AMD64命令セットを採用、UNIXとWindowsを32ビット・64ビットモード両方でサポート
3基のHyperTransport(ハイパー・トランスポート)インターフェース(これが超高速!!)
2・4・8ソケットのマルチプロセッサ構成可能なSocket940に対応
メインメモリとしてDDR SDRAM(ECCエラー補正機能サポート)
DDRメモリコントローラ内蔵 (これが高性能の大きな要因!!)
クロックスピード1.4GHzから世代が進むにしたがって3.2GHzまで発展
プロセスルール130nmでスタートし45nmまで進化

2049とはずがたり:2017/02/06(月) 19:29:31
今から思うと、K8の開発は多少の遅延があったにせよAMDとしては異例の早さで、私はその仕様と実際のチップのサンプルを見た時に、"本当にやっちゃったんだ…"という驚きと、高性能CPUの開発に執念を燃やしたカリスマ的リーダー、ダーク・マイヤーと彼のチームの鮮やかな仕事ぶりに心底敬意を表した。これで、長年AMDが夢見たサーバー市場に参入し、インテルを相手にもうひと暴れできるのだという興奮を感じた。同時に、AMDの営業部隊には今まで全然経験がなかったサーバー分野の技術、市場、トレンドについてトレーニングが急ピッチで行われた。

このころAMDは今までの半導体デバイス営業の方法をがらりと変え、サーバーシステムの営業の手法をどんどん取り入れるために、半導体メーカーではなく、Dell、HP、IBMなどといったPC/サーバーメーカーからどんどん人材をリクルートした。

それまでガチガチの半導体ハード営業であった私にとっては、全く新しい分野であり正直言って最初のうちは何をどうやれば良いか解からなかったが、トレーニングを必死にやったのが奏功して、1年経つうちには何とかカスタマーの前でプレゼンができるようになった。実際はOpteronという半導体デバイスの営業であるが、その半分はソフトウェア、システムレベルの話であった。 (私の場合、実はそのほとんどが完全な受け売りであったのであるが、"聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥"と割り切れば何とかできるものだという事を実感した。その時の経験は今でも役立っている。)

その頃サーバー市場はインターネットの普及で級数的に伸びてゆき、競争が激化していた。故に、カスタマーはインテルだけがCPUを独占する状態に大きな不満を抱いている。しかも、こともあろうにインテルが仰々しく発表したIA64のItaniumプロセッサは、その設計上の困難さからか、スケジュールが遅れに遅れている。ようやく最初の製品を2001年にリリースしたが、その性能は惨憺たるもので、Itaniumにコミットしたカスタマーたちは非常に憤慨していた。

これはマイクロソフトとて同じであった。と言うのも、インテル・HPとの付き合いでItanium にWindows NTを移植してはいたが、Itamiumの遅れで普及が進まず、一向に出荷台数が伸びない状況はサーバー市場に足がかりを決めたいマイクロソフトにとっては苦々しいものであった。市場の環境とK8の登場はまさに絶妙なタイミングであった。



[6] Athlon64・Opteron発表
Opteronに自信を見せるAMD - "さあ、早く売ってこい!"

AMDは満を持して(といえば聞こえがいいが、非常に野心的なプロジェクトだったので実際の製品のリリースにはいくらかの遅延があったと覚えているが、詳細は忘れてしまった)、AMD64を実装した最初の製品であるサーバー用のCPU Opteronを発表した。2003年の4月のことである。 戦略的配慮からサーバー用のOpteronを先にリリースし、クライアントPC用の製品Athlon64 を9月に発表した。 戦略的という意味は下記の通りである。

サーバーの世界では64ビットコンピューティングは大きな関心事になっていた。Intelの64ビットのソリューションは市場の受けが良くない状況で、AMD64は十分に差別化が発揮される製品となるのは明らかである。
それに比べて、クライアントPCでの64ビット化はユーザーへの価値の訴求がいまいちで、マイクロソフトもVistaを準備するうえで64ビットコンピューティングを前面に出すべきかどうかについてなかなか明確なメッセージが出せていない。
Intelのサーバー用CPU Xeonと同じように、OpteronとAthlon64は基本のCPUコアを共有しているので先にどちらの製品をリリースするかは製造上の問題は大きくない。

こんな状況で当時AMDのマーケティング部にいた私は、Opteronの市場開拓をするための戦略策定でとんでもなく忙しかった。また、前述したようにクライアントPCの世界しか経験していなかったのでサーバー市場を理解するための勉強も大変だった。しかも日本のサーバー市場は非常に保守的で新しい技術を積極的に取り入れる状況ではない。K6/K7をコンシューマー市場で売るのにあれほど難儀したのに、全く実績がないサーバー市場にAMD製品を拡販するのは大きなチャレンジだと思った。勝機はAMDのOpteronが競合インテルに対してどれだけ差別化された製品で賢くマーケティングするかにかかっている。

本社はOpteronにかなりの自信を持っていた。"これだけの製品を仕上げたのだからさあ早く売ってこい"、という感じで大きなプレッシャーを感じたが、同時に闘志が沸いた。さすがにインテルの64ビットに対し明らかに優位性があり、カスタマーへの浸透は理屈だけで言えば容易なはずであるが、これが実際にはそう簡単に行かないのがビジネスの不思議なところでもあり、面白いところでもある。

2050とはずがたり:2017/02/06(月) 19:33:09

業界がAMDのサポートを表明

次第に業界でのサポーターも増えてきた。マイクロソフトはインテルの64ビットCPUにWindows NTを対応していたが、何しろItanium の出荷の遅れと性能の悪さで市場に普及しないのにイライラしていた。業を煮やしたマイクロソフトは、AMDのOpteronの発表直前に(多分2003年の1月か2月だったと思う)、世界のソフト開発パートナーを集めて行う年間行事Developer Conference(通称デべコン)で突然AMD64のサポートを表明して業界を驚かせた。

マーケティング部の私はその発表が行われることは本社から知らされていたが、他言することはもちろんできない。その発表の直後、当時の業界有力誌の記者で懇意にしていたK氏から(K氏は今でも現役で頑張っていらっしゃる!!)私の携帯に電話がかかってきた。"吉川さん、マイクロソフトがデべコンでAMD64へのサポートを表明しましたよ!!これは大変なことですよ!!"、と興奮した声で現地からのリアルタイム報告である。これには非常に元気が出た。UNIX/LINUX陣営は早々にAMD64へのサポートを表明していたがマイクロソフトのサポートは業界全体へのインパクトは非常に大きい。

もう1つ大きな味方が加わった。HPC業界である。HPCはHigh Performance Computingの略語で、所謂スパコン(スーパー・コンピューター)の業界の人たちである。この分野ではもともとコンピューターの知識が圧倒的に豊富な人たちがやっているので、Opteronの優位性を説明する必要など何もない。それまでに発表されていたAMDの技術情報をいち早く入手していて、日本法人のマーケティングである我々よりも理解している人たちばかりだった。

そこで私は非常に重要な人物と運命的な出会いを経験した。東京工業大学の松岡聡教授である。当時CPUの性能が飛躍的に向上したのにつれて、PCを何百台、何千台とクラスター接合するなど、汎用CPUを利用してスパコンを組み立てる考え方が始まっていた。それまではベクター型の専用CPUをわざわざスパコン用に開発して膨大な費用をかけて組み上げるのが主流であったが、費用の問題と開発期間の問題で大きなチャレンジに直面していた。

松岡教授はOpteronの優位性にいち早く注目していた。シングルコアOpteronの発表後しばらくして、松岡教授率いる東工大チームは、2006年にデュアルコアのOpteronをベースにしたスーパークラスター“TSUBAME 1.0"を構築した。Top500の王座に2002年から2004年まで君臨していたNECのベクター型スパコンの雄、地球シミュレーター(地球上のあらゆる事象をこのスパコンで再現できるという意味でこの名前が付いた)を抜き去り、2006年6月のTop500初登場でいきなり7位にランクされた。この快挙に日本の、いや世界のスパコン業界が仰天し、"MATSUOKA・TSUBAME“はその後のスーパークラスター技術の主導権を握った。 この経緯については別のコラムで先生のお許しをいただいて、特別に話を展開したいと思う。私のAMDでの経験でかなり記憶に残る、また大きな誇りをもってお話しできるイベントであった。

前述のOpteronの発表会にはLinux、Suse、マイクロソフトなど企業系アプリケーションベンダー各社の代表がサポート表明のために登壇してプレゼンを行ってくれたが、ハードベンダーからのサポートはIBMだけであった。IBMはE325というHPC用のサーバーをOpteronで開発して、AMDのOpteron発表とともにサーバー製品をリリースしたが、その用途はHPC(PCサーバークラスター:スパコン)に限るという条件を付けて非常に慎重な態度であった。

いくらOpteronがインテルに対して優位性があるといえども、企業ユーザーはコンシューマー市場と違ってみな慎重だ。新しい技術の取り込みには時間がかかる。ただし、HPCのハイエンド・ユーザーはOpteronの優位性をはっきり認めているので実需要があるわけだから製品を出す、という大変に解かりやすい市場原理を適用したということだ。我々AMDのマーケティング戦略が輪郭を帯びてきた一方で、なかなか短期間には市場浸透は難しいという事を実感した。

2051とはずがたり:2017/02/06(月) 19:34:27

[7-9] 【番外編】AMDでのマーケティングで私が学んだこと

CPUのメーカーAMDのマーケッターとして1986年に入社した当時、私は半導体の技術的知識はおろか、マーケティングの基本的知識も持ち合わせていなかった。今から思えばよく入れたなというのが実感だが、入社後に経験したことがその後の私の成長を可能としてくれたことは幸運であったし、試行錯誤しながら学んだマーケティングというのは、ビジネスにおける感覚的な面を磨く上では非常に重要だと思っている。

初期の半導体のマーケティングは、技術者がデーターシート(製品仕様書)を片手に、手あたり次第主要顧客(相手もエンジニア)をまわる、という単純なものであった。営業は客のニーズを吸い上げるために飲み会に顧客を誘い関係を築き、購買部長を味方につける(抱き込む)、という解かりやすい方式である。

その当時のマーケッターとしての私のメインの仕事は、英文の技術資料、マーケティング用パンフレットなどの日本語化と、広告宣伝、PRなどであった。…

私が入社するまでは本社USで作成した広告のイメージに日本語訳をつけると言うものであった。この広告からスタートした一連の"日本ものシリーズ"は、日本で企画・立案・制作を全てやるという手の込んだものであるが、当時AMDは日本市場に注目していて(私が採用された理由の大きな要因はこれである)、日本独自のマーケティング活動の解かりやすい結果として社内では大変注目を浴びた。

今だから話せるが、実はこの広告の私の狙いはもう1つあった。結果がすぐに出なければ解雇もありうるという外資系で腰を落ち着けて働こうとすれば、まず自分のポジションを確立するのが先決だと思い、広告イメージのアピール先を日本の顧客だけでなく、US本社の連中にも向けていた。この点では大いに効果があった。

前述したAMDのCEOジェリー・サンダースは広告好きで有名だった。要するに目立ちたがり屋で、自分の会社がどう外部に表現されているかについては常に興味を抱いている。これは、広告宣伝部長にとって最悪のケースである。社長の鶴の一声で仕込んだ企画がおじゃんになったり、突然新しいキャンペーンの指令が下ったりといったことが日常茶飯事であった。

ある日私の直属の上司、AMD本社宣伝部長のダン・バーンハートから電話があった。前回の電話の時は次の日の便でロス・アンゼルスに飛び乗り、ジェリーに日本語パンフレットを手渡しに行く羽目になったことがあったので、電話があって"広告の件だが"、と言われた時には少し身構えた。ダンは"ジェリーが今回の日本ものシリーズを大変気に入っている、CMOSの広告を大きなポスター用に何部か作ってすぐ送ってほしい"、という事だった(実際その後本社を出張で訪問した際に、この広告のポスターが本社の事務所の壁に額に飾ってあったのを見た時には本当にうれしかった)。ほっとして電話を置こうとするとダンは続けて、"ところで次のISDNの広告だけれど、ゲラを見たが日本画のテーマが実に面白い、ジェリーは最終稿には色を一切つけないで白黒調で通すようにと言っているが大丈夫だろうね"、と言う。私は"もちろんそのつもりですよ、水墨画ですからね"、と答えた。1000人規模の会社になっていたAMDのCEOがそこまで見てくれているのは大変ありがたく、私のAMD全体でのポジションが認知される点では大成功であったが、同時に"ヘマをしたら危ない"という実感がわいた。

その後も、私と某広告代理店のチームは結構ド派手な広告を連発した。ある広告では"飛び出す絵本"、の技法を使い、右と左で違う色(赤と青)の専用メガネを広告に挿入し、6-8ページにわたる大々的な広告をやり、ある雑誌の年間広告大賞を戴いたこともある。

これらの広告は業界で注目されたが、実際の売り上げにどれだけ貢献したかは測定もしなかったので解からない(今では考えられない話である)が、大変楽しかったのは確かである。古き良き時代の事だとご容赦願いたい。

このような感じで、私のAMDでのマーケッターとしての仕事が始まった。私はもともとマーケティングの基本を勉強したことはないが、本社の人間とのやり取りで実に多くのことを学んだ。

それもそのはずで、シリコンバレーの有名企業となったAMDには現地ではスタンフォード大学、カリフォルニア州立大学などでマーケティングの最先端を勉強した優秀な人たちがこぞって働いていたのだから、申し分ない環境だった。しかも、給料をもらいながら勉強できるのだから最高である。

2052とはずがたり:2017/02/06(月) 19:34:45

半導体市場が急速に成長するにしたがって、マーケティングの在り方もどんどん発達していった。それまでのシリコンバレー企業のやり方―経営者の直感で、新しい分野でのポジションの確立を狙って差別化された製品をとにかく早く出して、他社を出し抜く―というやり方はだんだん通用しなくなっていった。初期の半導体ビジネスではマーケティングは"本当の技術が解からない人たちの胡散臭い仕事"と言うイメージがつきまとっていたが、技術主導のやり方に限界が生じマーケティングの重要性が増していった。そこにいち早く目をつけた企業がインテルである。

インテルが1990年代に始めた"インテル・インサイド"マーケティング・キャンペーンは今でもMBAのクラスでは度々取り上げられるケース・スタディーで、近代ハイテク・マーケティングの草分けである。私はAMDで働いてはいたが、実はインテルと争うためにインテルのマーケティングから多くを学んでいたのだ。

インテルの"インテルインサイド"キャンペーンの起源については諸説あるが、最近私が読んだ"インテル"と言う本(書評を書いたのでご興味がある方はこちらをご参照)によると、このキャンペーンを主導したのは当時のマーケティングVPのデニス・カーターで、その草案を社内で検討した際にほとんどの幹部が反対したが最終的には当時CEOのアンディー・グローブが鶴の一声で決済したのだという。

カーターはインテルインサイドの構想にたどり着く前に"286レッドX キャンペーン"、というのを成功させていた(このキャンペーンについては私の連載の386の章>>2041で詳しく述べている)。要するに、AMDが286の改良阪でインテルの市場シェアを取り始めた時に、市場をインテルの新製品386に出来るだけ早く移行させようと286に赤いバッテンをつけて386に強引に移行させるという大胆なキャンペーンである。

パソコンの頭脳であるCPUの集積度が増して、メモリ以外のほとんどの半導体要素がCPUに取り込まれていく過程でインテルはもはやCPUの会社ではなく、PC(パソコン)そのものを売る会社に意識が変わっていった。CPUはPCに搭載されて初めてエンドユーザーに使われる。市場がどんどん成長するPCにとって一番重要な部品のCPUの市場を独占するのであれば、PCを造るメーカーはどこでもいいわけだ。要するにインテルの直接の顧客であるPCメーカーはインテルにとってはディストリビューター(流通)であるという考え方である。大変大胆で不遜な考え方であるが同時に的を射ている。

独占した市場で更に成長したければ、重要なのは“市場そのものを大きくする"、また“自分の売りたいマージンの高い製品を市場に受け入れさせる"ことであろう。これはマーケティング的に考えれば至極当然な結論である。もちろん、インテル=PCというイメージを定着させることによってAMDなどの競合を寄せ付けないというのが主目的であったことは言うまでもない。インテルは1990年代にこのキャンペーンに5億ドル以上(500億円以上)使ったという。インテルのテレビコマーシャルはPCのエンドユーザーに、普段は目にすることのないCPUという半導体製品がPCの頭脳としてPCのマザーボードの真ん中に鎮座していることを認知させることから始まった(CPUを見るためには、ねじを外してPCの箱を開ける必要がある)。

今でもはっきり覚えているが、このテレビコマーシャルを初めて見た時には何を訴求したいのか全く分からなかった。いきなり観客の視点がパソコンのフロッピーディスク(こんな言葉も今は死語である)の入り口からPCの中に入りCPUの上まで来て、"パソコンの頭脳インテルのCPU"と言って終わる30秒のクリップを見た時に"なんじゃこりゃ?"、としか反応できなかったのを覚えている。当時の私にとってはあまりにも斬新な考え方だったので、インテルの意図が全く分からなかった。インテルはこのキャンペーンで自らがパソコン市場のサプライチェーンの頂点に立つ独占企業としてのポジションをはっきり市場に示したのである。この含意について私がその全貌を知るのにはしばらく時間がかかったが、その後インテルの市場独占戦略は独禁法に絡むAMD対インテルの法廷闘争に発展し、その収束まで見届けた今の私にはよく理解できる。

驚くべき効果

最初に私が当惑したのは、インテルインサイド・キャンペーンの費用対効果である。

当時パソコンの宣伝は大変に多かったが、その中で私が強烈に覚えているのはアップルのMACの“Think Different"キャンペーンだ。そのキャンペーンが盛んだった頃、ちょうど私は出張でサンフランシスコにいて町のいたるところでこの素晴らしいキャンペーンのポスターを見てため息が出るほど感銘したのを覚えている。アップルマーケティングのブレインであるシリコンバレー・マーケティングのレジェンド、レジス・マッケンナの発案によるその後の歴史に残る傑作キャンペーンである。このキャンペーンの広告の要素はたったの3つである。

2053とはずがたり:2017/02/06(月) 19:35:00

1.Think Different というメッセージ
2.アップルのロゴマーク
3.独自な考え、斬新なアイディアでもって新しい世界を切り開いた歴史上の人々の写真:スティーブ・ジョブズ、ジョン・レノン、アルベルト・アインシュタイン、マハトマ・ガンジー、キング牧師、パブロ・ピカソ、などなど…

これが白黒の写真の中にシンプルに配置されていてともかくかっこいい。MACパソコン本体製品の写真は全く登場しない。"アップルのMACを使う人たちは、こういう独特の価値観を持ったひとたちなのです、あなたは?"、という消費者の自意識をくすぐる強烈なブランドメッセージでだれもがいきなりパンチを食らったような感じがしたに違いない。この広告はパソコン市場で激突するWindowsとアップルという構造で、“1つ上のランクのMACパソコンを1つ上のランクのあなたに"という非常に解かりやすいメッセージだし、そのセンスの良さで大きな広告効果を上げたことは容易に想像できる。インターネットを手繰ればたくさんイメージが出てくるが、著作権の都合上掲載できないのが残念である。インターネット上にはパロディー版も出ているので当時いかに注目されたかがわかるであろう。ため息の出るような広告なので是非チェックすることをお勧めする。

さて、インテルインサイド・キャンペーンであるが、こちらはいささか事情が込み入っている。インテルのCPU製品はPCに組み込まれて初めてエンドユーザーに届けられる。一般消費者が普段目にしない部品について一般ユーザーにブランドの意識を喚起することができるのだろうか?

マーケティング的に言えば、"Ingredients Marketing(素材マーケティング)"という分野は昔からあって、主にB to Bの場合が多いが、消費財でも成功例がある。例えばスタミナドリンクなどの宣伝で"XXXX何百ミリグラム配合!!"と連呼されるといかにもXXXXという配合されている物質が効果のあるありがたみのあるものに思えてくる。そもそも消費者はXXXXなどと言う物質がどういうものかを調べたり、意識しないだろうが、"なんちゃらというのが何百ミリグラム入っているんだったらビンビンに効くのであろう"、と思うし、その上位製品の“何千ミリグラム配合"の製品はさぞかし効果満点なのであろうという期待にもつながる。

インテルインサイド・キャンペーンはこの手法を高度な電子機器であるPCに持ち込み、莫大な資金を投じて世界的に展開した点で半導体業界では唯一無二の成功例である。キャンペーンCMの最後には“インテル入ってる、タンタンタンタン"、という印象に残る(私的には大変耳障りな)チャイムのような音(英語ではJingleと言う)で終わるところも広告効果に大きく貢献したと思う。AMDではキャンペーンの効果を確かめるために、Focus Group(一般の人に何人か集まってもらい、目的を伝えずに答えてもらうマーケット・リサーチの手法)をやった。手順は以下の通りである。

1.無作為に選ばれた一般の人に集まってもらう(いくらかの謝礼を渡す)。リサーチの目的は説明しない。ただこれからCMを見せますのでその後の質問に答えてくださいとだけ言う。
2.インテルインサイドを採用した複数のPCメーカーのPCのテレビ広告を見せる。
3.簡単な質問をする A) 何の宣伝かわかりましたか? B) 宣伝を見た後覚えているブランドを挙げてください
このリサーチでは驚くべき結果が得られた。複数のPCメーカーが流すCMを流すのであるから、NEC,富士通、ソニー、IBMと言ったPCブランドが連呼されるCMを聞かされているにもかかわらず、被験者の大多数が。

1.パソコンの広告ですね
2.インテル…かな〜
と答えたのだ。この結果は我々に大きな衝撃を与えた。広告主がパソコンメーカーであるにもかかわらず、各CMに最後に挿入される“インテル入ってる、タンタンタンタン"と言うエンディングが共通の認識になっていたという事である。インテルの目的は見事に達成されたという事だ。

私は、無敵の半導体技術リーダーとしてのインテルに加えて、巨額な資金を惜しみなく使ってこのキャンペーンを押し進める強力なマーケターとしてのインテルを意識した。

前述したように、初期の半導体のビジネスのやり方は技術者がデーターシート(製品仕様書)を片手に手あたり次第主要顧客(相手もエンジニア)をまわる、という単純なものであった。それまで我々がCPUを売りに行く対象はあくまでもCPUを買う直接の顧客(パソコンメーカー)であった。しかし、インテルのマーケティングがそれを変えた。

2054とはずがたり:2017/02/06(月) 19:35:19

お客のお客(エンドユーザー)に自社製品の価値を分からせるという点で今までのマーケティングとは大きく違っていた。"市場をセグメント化し、各セグメント毎に一番有効なメッセージを定義し、そのセグメントでのメッセージ発信に一番有効なメディアを使い、効率よくターゲットにリーチする"、などと言うMBAのコースでは定番の基本的なマーチャンダイズの考え方は現在のマーケッターにとっては常識だが、当時の半導体業界のマーケティングは黎明期でいろいろな試みが行われていた。その中で非常に独自で、突出して大規模なマーケティング・キャンペーン"インテルインサイド"は我々にとってはまさに仕事をしながら進化するマーケティングを同時に勉強する格好の機会となった。ただし、インテルインサイドは主にコンシューマー・ユーザー(個人ユーザー)を対象としたキャンペーンだった。当時、我々AMDが新しい商材として抱えていたのはOpteronというサーバー用のCPUである

Opteronが目指した市場は私が今までに全く経験したことがないIT(Information Technology)の市場であった。CPU・PCの市場を概観すると、その中身は個人相手のコンシューマー市場、大企業のIT部門が一手に購入決定をするエンタープライズ市場、企業であるが個別の案件のサイズが小さい中小企業市場、政府・官公庁などのパブリック市場、HPCなどの研究開発機関のR&D市場など、いろいろに分かれていてそれぞれが購入決定についての独自の要件を持っている。

前述したとおり、当時のAMDではいつの間にかトラディショナルな半導体営業、マーケッターは少数派となり、Dell、HP、IBM、SUNといったPC/サーバーのメーカーからリクルートされた人たちがどんどん入社してきた。これらの人たちは半導体については素人だがサーバーの市場原理をよく理解していた。 AMDが直接のお客のそのまたお客に直接売り込むのであれば、お客から経験豊富な営業、マーケッターを引き抜いてしまえというわけだ。私はトラディショナルな半導体屋であったが、これらの人たちのお蔭で何とかサーバーの市場原理を理解することができた。

営業はその業界での経験、人脈が決定的要素だが、マーケティングではそれほど関係なく原理的にはほとんど全ての市場でその手法は通用する。成功する手法の要件は、

1.明確な差別化、付加価値のメッセージ(これは多分に商品の出来にかかっている)。
2.製品自体のスペックもさることながら、製品が提供する総合的な価値が重要。
3.対象となるメッセージの受け手(Audience)の定義と、それらの人々のプロファイルの理解。
4.マーケティングにかけられる予算の確定とそれらを効率よく行うプログラムの策定。

それまで未知のサーバー市場を相手にマーケティングを開始する私は不安で一杯だったが、同時に何とかなるだろうという直感があった。その第一の根拠はOpteronという製品の出来の良さだった。インテルの競合製品に対し非常に明瞭な、かつ事実に裏付けられた優位性があったからだ。そこから導き出されるマーケーティング・メッセージは次の通りである。

1.32ビット・64ビットソフトウェアに同一ハードウェア(CPU)で高速に対応可能。
2.将来的なアップグレードが周波数向上とCPUコアの多重化(デュアルコア)で対応。
3.インテルのIA64よりも安価なプラットフォームの提供。

これだけいいことずくめだったら売れないはずがないと直感したわけだ。また、サーバー市場はコンシューマー市場と比較してAudienceのサイズははるかに小さく、彼らの技術的理解度は非常に高い、という事は大量の資金を投じた一般コンシューマー相手のインテルインサイドのような大規模マーケティングでなくとも、うまい方法さえ考えれば効率よく効果的な活動が可能であると思った。

2055とはずがたり:2017/02/06(月) 19:36:05
一番強力なのはOpteronを使った成功例を集めてそれをいかにも最新のトレンドであるかのように宣伝することだ。いわゆる、有名人が登場し"私も使ってます"というCMのあの手法である。もっとも、BtoBの世界であるのだから有名タレントを使う必要はない。サーバー業界で先進的だと認知されているパートナーと組んで、そのパートナーのブランドを借りてAMD/Opteronのブランドを宣伝するのだ。英語ではPiggy Back(人の背中に乗っかるという意味)Marketingというクラシックな手法である。そんな状況でパーフェクトなパートナーが名乗りを上げた。サン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems)である。SUNはその名が示す通り(SUN:Stanford University Network)シリコンバレーのど真ん中にキャンパスを抱えるスタンフォード大学(この大学のキャンパスは本当に美しい)出身のスコット・マクニーリーと伝説のエンジニア、アンディー・ベクトルシャイムが1982年に創立したワークステーション、サーバーのベンチャー企業である。

2010年にオラクルに買収されてしまったのでSUNという会社は今では存在しないが、創立からの20年は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。インターネットが登場するあたりから早くからサーバー・ネットワークに目をつけ、独自開発の高性能CPU SPARCとUNIXベースの独自OS Solarisを武器にUNIXベースのサーバー市場では独り勝ちの一大勢力となった。しかし、市場全体が急成長するにしたがって次第にインテルCPU+WindowsサーバーOSの組み合わせのいわゆるPCサーバーにビジネスをじわじわと侵食されていった。結局サーバー市場の急成長を支えていたのはボリュームの大きい汎用低価格帯の市場であって、独自開発のプラットフォームで成長したSUNのコスト構造はそれについていけなかった。

事実、SUNはこの市場を防衛するためにCobaltというインテルCPUを使ったサーバーの会社を買収しインテルCPUの客になっていた。しかし、独自路線で時代の寵児となったスコット・マクニーリーにとってWintelの軍門に下るのは本意でなかったのは明らかだ。そこにインテルの宿敵AMDがOpteronという高性能CPUで市場参入したのだから、AMDとSUNが手を組むのは当然の成り行きだった。SUNはOpteronをベースにしたサーバーを完成させると猛烈な勢いで拡販を開始した。AMDにとってはパーフェクトなパートナーである所以だ。

この素晴らしい商材を得て、私の日本市場でのOpteronのマーケティング活動は大変にエキサイティングな経験であった。第一世代のシングルコアOpteronではなかったが、デュアルコアOpteron(CPUコアが二つ集積されている)になってOpteronの優位性が頂点に達する頃に、とんでもないエンドユーザーが現れた。東京工業大学の松岡聡教授率いるスーパーコンピューターのチームだ。松岡教授のチームのスーパークラスターTSUBAMEは2006年6月の世界のスーパーコンピューターのオリンピックと言われるTop500初登場でいきなり7位にランクされた(この辺の事情については裏話も含めて別記事を掲載予定)。

この事実はOpteronに大きなブランド価値を与えた。それ以来、Opteronはスパコンの市場では完全に市民権を獲得し、世界中でOpteronを使ったクラスターマシンが登場した。我々マーケティングの使命はこの成功を梃に他のサーバーメーカーと組んで他の大手エンドユーザーを取り込むことであった。

【番外編】Athlon64とコンシューマー市場のマーケティング
Opteronの発表の半年後、AMDは2003年9月にK8コア実装のPC用CPU Athlon64を発表した。その前にマイクロソフトがWindows XPを発表し、今までの32ビットに加えて64ビットのアプリケーションのサポートを開始していたので、AMDは64ビットWindowsをサポートするPC用のCPUとしてはインテルに先んじて一般PCユーザー向けのコンシューマー市場に参入したことになる。

Athlon64はその前に大ヒットしたK7コアのAthlonのアップグレードとしてのポジショニングで、マイクロソフトの64ビット戦略ともぴったりと一致したので大いに盛り上がると思ったのだが、実際はそう簡単にはいかなかった。一番の理由は、64ビットコンピューティングがPCの個人ユーザーに提供できる付加価値が明確でなかったことだあろう。サーバーユーザーにとってはネット上で級数的に増大する膨大なデータを処理するのに64ビットは必須であったが、個人PCユーザーレベルでは必要な性能を既存の32ビットコンピューターで実現可能なので64ビットの恩恵をはっきり感じることができない。当たり前といえば当たり前の話である。

我々はマイクロソフトとも協力して、音楽、動画編集、ゲーム、生産性などの切り口でどうやって64ビットの優位性を訴求しようかと頭をひねったが、なかなかうまくいかない。

2056とはずがたり:2017/02/06(月) 19:40:20

どのような製品であっても、個人ユーズのコンシューマー市場というのは大変にマーケティングが難しい市場だ。ユーザープロファイルが多岐にわたっているのと、流通チャネルが複雑である。

1.…(コンシューマーに対して)何に訴えれば響くのかはやってみないとわからないところがある。
2.流通チャネルは主にリテイラー(家電量販店)であるが、量販店との付き合いは、家電業界が長年作り上げたものでなかなか複雑であるし、プロモーション用の資金も必要である。
3.素人目には、テレビの広告を大々的にやってしま…うことができれば手っ取り早いが、CPUを訴求するメッセージの複雑さ、コストの高さで費用対効果が非常に悪いことは我々のリサーチの結果でわかっているのでやらない。
4.当時のコンシューマー市場は圧倒的に家電量販店を通るものが多く、家電量販店も全盛期を迎えていて、いろいろなブランドが全国主要都市に軒並み店舗を構えている状態であった。

これらの店に訪問して"AMDのCPU Athlon64を使ったXXXXパソコンを拡販してください"、と言って回るのだが、"64ビット?メモリのこと?"(もともとコンシューマーは記憶容量の数字のメモリサイズは頭に入っているが、コンピューター処理のビット幅の64ビットなどと言われてもピンとこない、量販店の店員にわからせるのも至難の業である)。

そこで我々は、仮説を立てた。例えば個人ユーザーで新しいPCを買おうとしている女性がいたとしよう。その女性はあまりパソコンのことが分からない。…多分その女性はパソコンをよく知っている友達(あるいはボーイフレンドの友達)にどれがいいか聞くであろう。ということはパワーユーザーにマーケティングをフォーカスし、Athlon64の優位性をすり込めばいいのではないか。というものである。これも近代マーケティングのイロハである"Early Adopter(新しいものをまず試してみる技術に明るい、こだわりのある人たち)"への訴求である。

…もともとPC DYI(自作派)の人たちは、AMDがK7をインテルに対抗して出した時に一番ホットに迎えてくれた人たちなのでAMDとの相性もいい。ということで、私のPCチャネル・マーケティング部隊はPCパーツショップに積極的にイベント攻勢をかけた。このキャンペーンは盛り上がり一応の成功をみたが、このセグメントでの成功が一般ユーザーのパソコン選びに大きく影響したかは疑問である。自作派のユーザーと女性個人ユーザーの間に相関性が取れなかったのかもしれない。(とは註:これだなw)

PCチャネルで見落としてはいけないのがテレビ直販チャネルである。同じ機種を一挙に何千台も売ってしまうので、一押しモデルに入ってしまえばあとは組み合わされる製品とトータルのパッケージの値段が訴求ポイントとなる。"これだけの製品をみんなまとめて今回限りXX円でご提供"、というあれである。その場合でも、売っている商品にどれだけ付加価値があるのかという簡単な説明は非常に重要なファクターである。

こんなことがあった。ある日私は佐世保に本社を置く全国テレビショッピング大手(とは註:たかただ!)のスタジオにいた。そのスタジオでは、その日のテレビ販売プログラムをずらりと並んでいる個別スタジオで収録し、集録した分からどんどんとテレビに流す。そこに、かの有名な某T社長がすらりとしたスーツ姿で現れた。これから売るパソコンに使われているCPUについて、長所を聞きたいのだという。私は、Athlon64の優位性をずらずらと述べたプレゼンを手に懸命に説明した。

T社長は私の説明を一通り聞いた後、"吉川さん、ということはこのCPUは非常に頭がいいということですね?頭がいいといえばアインシュタインですね、このCPUにはアインシュタインの頭脳が何人分くらい入っているんですかねえ?"、と非常に真剣な顔で聞くので、思わず、"そうですね、100人以上は確実にいると思います"、と答えてしまった。全く根拠のない言い方であるが、それを否定する根拠もない、などと考えていると、T氏は"ありがとうございます"と言っていそいそとスタジオに入って行ってしまった。収録をするためだ。

ホテルに戻ると…テレビをつけて何度も繰り返されるT社長の放映を観た。確かに言っている。"このパソコンには大変賢いAthlon64 CPUというコンピューターの頭脳が使われています、アインシュタイン100人分の超頭のいいパソコンなのです、それにデジタルビデオカメラ、プリンターをつけて特別価格XX円…"、私はあっけにとられて観ていたが、同時にそのスピードとユーザー目線にピタッと合わせたコンシューマー・マーケティングの神髄を観た気がした。大変に思い出深い強烈な経験であった。

Athlon64にはその後は廉価版のSempron、モバイルパソコン用のTurionなどの派生製品が出てどんどんとパソコンメーカーに組み込まれて売れていったが、正直言って64ビットコンピューティングが訴求できたかというとかなり疑問である。…

2057とはずがたり:2017/02/06(月) 19:41:13
[11] 背筋を凍らせたプロジェクトYamhill

乾坤一擲のAMD Opteron

AMDに24年間勤めていていつも疑問に思っていたことは、"この会社にはバックアッププランと言うものはないのだろうか?"、という事であった。昨今では株主に対する企業価値のアピールの重要な項目のうちに"当社はサステーナブルな成長を目指します"、と言うものがある。"サステーナブル=維持可能な"、というのは簡単に言ってしまえば、"成長し続ける自信があるのでしょうね?それなら今の戦略がダメだったらどういうプランで生き残るのかちゃんと説明してください"、という株主の質問に答えるものである。

一般的に企業のサステナビリティは、キャッシュフロー、保有現金、債務、運転資金、果敢な投資の継続などというそれぞれが背反する項目の適正なバランス、市場の変化に柔軟に対応するための組織の構築、などで説明されるようであるが、当時のAMDのCEOジェリー・サンダースの答えは呆気にとられるようなシンプルなものであった。

1.AMDは将来の成長を担保するために赤字の時でも売り上げの25%を研究開発に投資します。
2.今の戦略は間違っていません、故にバックアッププランなどはありません。目標に向かって驀進するのみです。

こんなことをあけっぴろげに言っていたサンダースの度量には凄いものがあるが、古き良き時代のシリコンバレーの新興企業は皆そうだったのであろう。事実、バックアッププランなどを用意する余裕などなかったのが現実である。こんなかっこいい啖呵をきっていたサンダースであるが、実際には赤字続きの時には寅さん映画に出てくるタコ社長よろしく常に金策に走り回っていた(AMDはジャンクボンドの王様と言われていた時期もある)。

そして、シリーズのK5の話で述べたように戦略的プランに重大な欠陥が見つかった時(とは註:吉川氏のコラムは投下し損ねてるみたいだが>>269参照)にはすかさず次のプランの策定に自ら乗り出さなければならない。こんなことを思い出していたら、私のAMDのTシャツコレクションの中に面白いスローガンを見つけた。背中に大きく"There is no plan B !!"と書いてある。プランBというのはバックアッププランという意味だ。

その意味では、AMDが満を持してリリースしたすべてのインテル対抗製品には実際にバックアッププランは存在せず、常に一発勝負にかけていたのだ。K8コアで全く経験のなかったサーバー市場に打って出たOpteronもAMDにとってはまさに乾坤一擲の製品だったのだ。

インテルのバックアッププラン

AMDがOpteronでサーバー市場に攻め込んでいたころ、インテルの64ビットコンピューター戦略IA64とそのメインCPU製品Itaniumは明らかに大きな問題を抱えていた。

1.既存の32ビット・x86のアーキテクチャとの互換性を断ち切って無敵の高性能64ビットコンピューティングを標榜したインテルのIA64であるが、肝心のメインCPUの仕上がりがよくなく、延期に次ぐ延期の繰り返し。IA64はインテルとHPの独占志向が見え見えで、なかなか他のサーバーメーカーへの普及が進まない。
2.UNIX/LinuxがデフォルトOSである高性能サーバー市場の中に割って入ろうとしていたマイクロソフトは、インテルのIA64が一向に市場拡大できないことで苛立ってきていた。

AMDがOpteronを発表して、SUNが強力にOpteronベースのサーバーを拡販していた頃であったと思うが、私はAMD社内である噂を聞いた。その噂とは"インテルがどこか秘密の研究所でAMD64そっくりのCPUを開発していて、その開発コードネームはYamhill(ヤムヒル)という"、ということだった。調べてみると、Yamhillというのはインテルの工場があるオレゴンあたりを流れる川の名前であった。インテルはCPUの開発コードネームを川の名前にするのが伝統である(ItaniumのコードネームはMerced)のでこの噂はいよいよ現実味を帯びてきた。

噂はさらに続く。"インテル社内では数々のプロジェクトが並行して動いている。64ビットコンピューティングについては社内で意見が分かれていた。32ビットx86との互換性を取りながら64ビットの拡張命令を実装する方式(これがAMDがとった方法である)を主張するグループと、ハード・ソフトの過去資産への互換性を断ち切り全く新しいアーキテクチャでぶっちぎりのソリューションを打ち立てようとするIA64を主張するグループである。両者が激論をした結果、後者で行くというトップの決定が下って今まで開発予算がつけられてきたが、度重なる遅延、AMD Opteronの登場、マイクロソフトからの圧力でとうとう幹部連中も方向転換を迫られている。x86の拡張命令で64ビットをサポートしようとした開発グループは、それまで人数も絞られ残されたエンジニアで細々と開発を継続してきていたが、ここに来てまたお座敷がかかったと…"。

2058とはずがたり:2017/02/06(月) 19:41:26
386から486に移行させる時もそうだったように、K7でAMDがシェアを取った時もそうだったように、見栄もメンツも捨ててしゃにむにインテルが一直線に走り始めるとどんなことが起こるか、長年の経験でそれをよく知っていた私は背筋に寒いものを感じた。インテルは本気なのだ…インテルはOpteronを排除しなければならない敵と認識した。インテルは必ずやってくる、それはもはや時間の問題だ。

しかしAMDもただじっと待っているだけではない。AMD各部門のするべきことは明らかだった。開発部隊は次の製品をどんどんロードマップ通りに完成させ、製造部隊は増加する需要にしっかり答え、我々営業・マーケティングはインテルが追い付いてくるまでにどれだけお客を取り込み、市場での地位を確固としたものにするかだ。私は、背後から荒々しい息をしながら必死に追いかけてくるすごい形相の猛獣をイメージした。

Yamhillの噂は正しかった。しばらくすると鼻の利くメディアがそういったプロジェクトがあることを嗅ぎ付けてインテルのプレス発表会などで質問するのだが、インテルの幹部はこれをなかなか認めない。インテルのジレンマは下記の通りだった。

1.x86の64ビット拡張を実装するということは、AMD64を認めることになる。CPUの王者のメンツがつぶれる。Opteronが市場でさらに地位を固めるとインテルがAMD互換機を出すことになる。
2.これを認めると、それでなくても市場浸透が遅れているIA64を殺すことになる。それでは今までの巨額の投資を回収できない。株主にはどう説明する?
3.マイクロソフトはもうすでに業を煮やしてAMD64を64ビットOSに採用してどんどん圧力をかけてくる。Opteronは市場受けがいいのでカスタマはどんどん増えている。そこに後発で参入するということはOpteronよりも安い値付けをしなければならない。利益率が下がる。
4.バックアップの開発は細々と継続していたとはいえ、まだ開発中の製品を量産までもっていくのには時間がかかる。しかもマイクロソフトが採用したAMD64との互換を取らなければならない。
2004年の1月、インテルの当時のCEOポール・オッテリー二はついにインテルがx86の64ビット拡張を行うことを公にした。株主相手のインタビューなので執拗に食い下がる質問者をのらりくらりと避けていたが嘘を言うわけにはいかない。2003年4月のAMD Opteronの発表に遅れること9カ月だ。ここでYamhillプロジェクトの存在を認めるということは、開発はかなり進んでいて製品発表ももうすぐだということであろう。いよいよインテルの猛追が始まった。

[12] 付け焼き刃だったインテルのEM64T

それでもインテルに対し優位性を保ったAMDのK8アーキテクチャ

インテルが秘密裏に開発を継続していたYamhillプロジェクトはいよいよ正式なものとなり、AMDのOpteronに1年遅れる形で2004年にEM64Tというx86の64ビット拡張命令を実装するアーキテクチャが発表された。細部は多少違うものの、インテルのEM64Tは蓋を開けてみればAMD64と同じもので、結果的にはインテルがAMDをコピーする形になった。その大きな要因となったのがマイクロソフトのAMDサポートへの決定であることは前述したとおりである。AMDにサーバー市場への参入を許すというビジネス上のリスクを低減するために、インテルはメンツを捨てて一気にx86の64ビット化へと舵を切った。

しかしAMDのK8アーキテクチャはAMD64というソフトウェアのアーキテクチャでの優位性に加えてハードウェアでの優位性も備えていた。AMDのK8アーキテクチャはK7の基本アーキテクチャをかなりの部分で踏襲していたが、大きく違ったのはメモリーコントローラーを内蔵したことだ。

従来のK7アーキテクチャでは集積度や歩留まりの問題などから、CPUが主メモリにアクセスする時のプロトコルを管理するメモリーコントローラー機能はチップセット側に持たせていた。これはインテルのアーキテクチャでも同じことである。ところがAMDのK8ではこの機能をCPUチップの上に集積するものとなっている。これにより従来ではCPUからメモリにアクセスする場合、"CPU→チップセット→メモリ→チップセット→CPU"という経路を取っていたのに対し、"CPU→メモリ→CPU"と劇的に短縮することができる。そのため、CPUのメモリ読み込み要求からデータ受け取りまでの遅延を大きく短縮することができるようになり、結果的にCPUを使ったシステム全体のスループット(とは註:処理能力)が大幅に改善される。これは大量のデータを高速に処理するサーバーのアプリケーションにおいては大きな優位性となったわけだ。

K8は、かつてDEC(Digital Equipment Corp.) で当時最先端だったAlphaアーキテクチャのチーフアーキテクトであったダーク・マイヤーがAMDに移籍するまで長年温めてきたサーバー用のCPUの要件をできるだけ満たすものとして開発されただけあって、インテルがにわか仕込みのEM64Tで追い付くのはそう簡単ではなかった。

2059とはずがたり:2017/02/06(月) 19:42:40
インテルの悩み

一方インテルはそのCPUハードアーキクチャの主眼をひたすら周波数の向上に置いていた。インテルのマーケティング手法は386/486世代あたりからCPUの価値を周波数の向上に置き換えて市場をリードする"周波数マーケティング"を確立していった。これは技術的な詳細がわからない一般ユーザーに対しては大変効果的なマーケティングである。何しろメッセージが単純である。"100MHzより120MHz、120MHzより133MHzの方が性能がはるかに上です"というのは大変にわかりやすいメッセージで、これが"386より486が性能が上です、486よりPentium(586)の方が性能が上です"、というメッセージに被らせて世代交代を図ってきたのであるから、その頃のインテルにとっては金科玉条のテーゼであり、技術部門もこれに沿ってCPUアーキテクチャの開発を行ってきた。

しかしAMDのK7の登場で、インテルだけでCPUのマーケティングを主導することが難しくなってきた状況が現出した。それでもインテルはひたすら周波数の向上にこだわった。そこで登場したのがNetburst(ネットバースト)アーキテクチャである。インテルは従来のPentium IIIからPentium 4への移行に際してネットバーストというアーキテクチャを導入して周波数の飛躍的な向上を目指した。単純に言ってしまうとパイプライン(とは註:処理要素を直列に連結する仕組みの事の様だ)を深くして周波数を上げやすくする構造である。因みにPentium IIIの最後の製品のパイプラインは12段であるのに対し、ネットバースト・アーキテクチャを実装した初代Pentium 4(開発コードネーム:Willamette)は20段に、後期のPentium 4であるPrescottになるとパイプラインは31段にも達した。

これを製品での周波数向上にしっかり反映させたのは業界他社を寄せ付けないインテルの優れたプロセス技術である。インテルは180nmプロセスで周波数1GHzであったものが、130nmでは3.4GHzまでに達するほどの優秀なプロセス技術を誇っていた。これが可能となったのは周波数を上げるための方策としてのパイプライン・アーキテクチャを極めるCPUデザインチームと、半導体技術の根幹であるプロセスエンジニアが1つになって、ひたすらトランジスタの周波数向上に邁進したからである。しかし、ここに物理の法則が立ちはだかった。リーク電流による消費電力の上昇である。インテルは一時ネットバースト・アーキテクチャで10GHzまでを視野に入れているという発表を行いそのロードマップを公表した。しかし実際にはPentium 4の後期製品であるTejasでは2.8Ghzを達成したが、消費電力は120Wを超えることとなり、パソコン基板の熱設計上、非常に困難な結果を招いた。

これに対して、プロセス技術では常にインテルの一世代後を追いかけていたAMDは、インテルがBulkシリコンを使用するのに対し、SOI(Silicon On Insulator)ウェハを増産ラインに導入するという大きな賭けに出た。Bulkシリコンを使って微細加工をひたすら追求する(これには巨額な開発投資が伴う)インテルに対抗するために、AMDはMOSFET構造の下側に絶縁膜を形成するSOIと言われる特殊なシリコンウェハを使用した。SOIウェハは値段が高い上に、大量製品の基板材料としてはかなりデリケートなものであるが、"リーク電流を抑えながら動作周波数を上げる"、という点では効果がある。AMDは初期の130nmの製品ではかなり苦労したが、90nmへの移行のころには次第に量産ラインにうまく乗るようになっていた。

サーバーの現場では性能向上もさることながら、消費電力の低減も大きな課題となってきていたので、AMDはOpteronのマーケティング・メッセージを性能一本から、電力当たりの性能に切り替えていった。インテルはここに来てネットバースト・アーキテクチャで周波数の向上をひたすら図るという基本姿勢を見直す必要に迫られた。結局、インテルは2004年発表のTejasコアのPentium 4の発表をもってネットバースト・アーキテクチャの終息を決定した。これに続くアーキテクチャが現在まで継承されているCore(コア)アーキテクチャである。

[13] デュアルコアで花開いたK8アーキテクチャ

デュアルコアAthlon64X2登場

朝出社したら、コンシューマー・チャネル・マーケティング部のМ君が眠そうな目をこすりながら、しかしかなり興奮気味に話しかけてきた。本社から到着した新製品のサンプルの性能評価を頼んでいたのだ。多分昨晩は性能試験ラボの中で徹夜だったに違いない。日本AMDでは新製品のサンプルが到着すると、いろいろな性能評価を行いその結果をもってマーケティングの計画を練るのだ。性能評価にはもちろんインテルの競合製品との性能比較も含まれている。М君によれば、"デュアルコア、ぶっちぎりで速いっす!!。どのベンチマークでやってもインテルに完全に勝ちます!!"、ということだ。М君が今回テストしていたのはK8シリーズで初めてのデュアルコア製品であった。 後にAthlon64X2として発表されたものである。

2060とはずがたり:2017/02/06(月) 19:42:57
K8の基本設計は初めからマルチコアが念頭に置かれていた。今ではスマートフォンのCPUでさえデュアルコア(CPUコアが2つ同じチップに集積されている)になっているが、2000年の中期ではかなり先進的なものであった。

デュアルコアになると総トランジスタ数は単純に2倍になるが、チップのサイズが2倍にならないのはプロセス技術が130nmから90nmに進化したからである。このチップをAMDはコンシューマーPC用のAthlon64X2とデュアルコアOpteronのブランドで真正マルチコアチップとして大いにプロモーションした。

一方、インテルは対抗策としてPentium 4コアをMCP(Multi-Chip-Package)に封止したPentium Dをぶつけてきたが、この製品は1つのチップにCPUを2個集積するのではなく、2個の独立したCPUチップを基板の上で接続しただけのものだったので、CPU同士、あるいはCPUからキャッシュメモリにアクセスする場合にいったんCPUチップの外に出なければならないことになるのでそれだけアクセス速度のペナルティーが生じる。結果的に総合性能ではAthlon64X2の敵ではなかった。AMDの攻勢に対しインテルが苦肉の策を繰り出してきたわけである。

Athlon64X2の性能は非常に高かったので、特に秋葉原の自作派ユーザーには圧倒的な人気があった。我々はこのCPUをマルチタスキングに最適なCPUと位置づけ、ゲーム、グラフィック処理、MP3音楽編集などCPU負荷の大きいアプリケーションソフトのベンダーと組んでプロモーションを行った。…

自作派の人たちには、Athlon64X2の生産過程で不良品になったチップを当時のドイツ・ドレスデンにある主力工場からわざわざ日本に送ってもらい、それをアクリル材に封止した携帯ストラップを作成して、リテール販売の時にチップにおまけとしてつけた。これは非常に評判がよく、後になってこのストラップがネットオークションで結構いい値段で売れられているのを見た時はさすがに驚いた。

AMDにとってまさに乾坤一擲のK8アーキテクチャはその持てるポテンシャルを目いっぱいに花さかせ、AMDの業績に大きく貢献し、株価もみるみる上がって会社中がその成功に驚喜していた。

確かに王者インテルのK8への対応は完全に後手に回っていたし、やることすべてが裏目に出ていた。しかし私はその中にあって心の奥では常に一抹の不安を感じていた。インテルは必ず逆襲に来る。その時は満を持して開発した非常に革新的な新しいアーキテクチャで、一部の隙もないほどの攻勢をかけてくるに違いない。これは長年インテルを相手に戦ってきた私の確信であった。 私の予感は2008年にインテルが発表したコアアーキテクチャで現実のものとなった。

[14] インテルの逆襲

2003年のOpteronの発表以来、2006年のデュアルコア製品の発表くらいまでの3年間はK8アーキテクチャはまさに無敵であった。K8アーキテクチャはAMDのPC市場での復権と、サーバー市場への参入を可能とした点においてまさに画期的な出来事であった。しかしマイクロプロセッサの王者インテルを相手とする技術競争はそんなに甘いものではなかった。K8の快進撃にインテルの最新アーキテクチャ"Core(コア)マイクロアーキテクチャ"が立ちはだかった(インテルの正式発表は2006年の第一四半期)。それまでの深いパイプライン構造と業界随一のプロセス技術(微細加工技術)を強力に組み合わせ、ひたすら動作周波数を上げていって他を圧倒するというネットバースト・アーキテクチャの限界を悟ったインテルは、数年前からイスラエルのデザインチームに全く新しいアーキテクチャの開発を急がせていた。その結果がコア・アーキテクチャである。

以下にコア・アーキテクチャの概要を示す。

・基本設計の一番の目的を、クロック周波数自体の向上から一クロック毎の性能向上に転換。
・コンピューターとしての性能を追求しながら、消費電力の低減も追及。
・当初から複数のCPUコアを実装することを念頭に基本アーキテクチャを最適化。
・最先端微細加工技術により可能となる比較的大きい内蔵キャッシュ(6MB)を搭載、そのキャッシュをL2キャッシュとして二つのCPUコアがシェアする効率の良いキャッシュ設計。
・消費電力を少しでも抑えるためにプロセッサコアの回路ごとのパワー・マネジメントの導入。

このようなアーキテクチャを見ると、インテルは明らかにK8を研究し、それを凌ぐCPUの設計を目指していたことがわかる。この設計チームが本国アメリカではなく、本拠地がイスラエルのデザインセンターであったことも興味深い。

2061とはずがたり:2017/02/06(月) 19:43:17
インテルはコア・アーキテクチャを採用した製品を3種類リリースした、モバイル用のMerom、デスクトップ用のConroe、そしてサーバー用のWoodcrestである。通常AMDもインテルも新製品のリリースの6か月くらい前から社内で性能試験をした結果などを踏まえ、自社製品の優位性をまとめたプレゼンをお客に配り始める。もちろんNDAベースであるが、こういった情報はいろいろなチャネルから漏れてくるのが常識だ。

我々も情報を集めてOpteron、AthlonX2とインテルの新製品との性能比較に注目した。すると、どうも今回のコア・アーキテクチャはかなり出来がいいことがわかってきた。Opteronのデュアルコアの登場で、前述したスパコンへの採用などでも証明されたように、向かうところ敵なしだったK8にも強力なライバルが出現したことが明らかになった。正式な製品のリリースは6か月先とはいえ、こうした情報をすでに入手している顧客側の反応が次第に変わってきたのが感じられた。"AMDのK8ベースの将来製品はインテルのコアに本当に対抗できるのか?"、という質問をほとんどの顧客から受けるようになった。

そこで、できるだけ広く集めた情報、客の反応などを本社と共有し我々の危惧を伝えるのだが、本社は、"コア・アーキテクチャ恐れるに足らず"、の強気の姿勢を一向に変えない。この本社の態度に業を煮やした同僚は私に、"本社はOpteronの成功に酔っているのではないのか? 我々の警鐘に全く耳を貸さないというのはどういうことだ?"、と憤慨している。こういった状況は本社のマーケティングと各国の営業では日常茶飯事だ。

つまり、本社のマーケティングは"この製品はこれだけの優位性があるのだから営業がしっかりしていれば高い値段で必ず売れるはずだ"、と言い、現場を預かっている営業は、"この製品は競合に比較して優位性がないので値段を下げないと売れない"という違う立場どうしの議論だ。私の30余年にわたる営業、マーケティングの経験でこうした会話が何千回と繰り返されたことか。営業対マーケティングの議論は典型的に下記の状況のどれかで行われる。

1.営業も製品もしっかりしているので放っておいても売れる - この場合、議論は起こらず、ひたすら売りまくるだけである。
2.製品は優秀なのだが営業がだらしないので客から足元を見られている - この議論は本当に営業がしっかりしていない場合は正論だが、製品力が落ちてきている場合は果てしない議論となる。
3.営業はしっかりしているのだが、製品の競合に対する優位性が左程ない、あるいは劣っているので値段を下げでもしなければ売れない - 2. の変形だが、製品力がないのを本社が認めない場合にこの議論が起こる。本社が市場を理解しないで言っているのであれば営業の説明力が足りないのである。本社が市場を理解したうえで言っているのであれば、営業は殆どなす術がなく、営業成績でやはり責められる。

Opteronが登場したころは明らかに1. の状況であった。しかし、コア・アーキテクチャの登場を前にして状況が1. から3. へとシフトしていくのを肌で感じ取った私は、ある日、本社から来日していたマーケティングの人間を連れ出してホテルのバーで一杯やることにした。そこで私は、"本当のところはどうなんだ?"、と聞くと彼は、"コア・アーキテクチャの優秀性は本社が一番よく知っている。製品テストの結果もOpteronの強力なライバルになることを示している。しかし、我々には現在Opteronの延長でコア・アーキテクチャの進撃を封じるものはない。デュアル・コア(2コア)の次に控えるクアッド・コア(4コア)の製品が出てくるまで何とか踏ん張るしかないのだ"、という答えだった。

そのころAMD本社では初の4コア製品(コードネームBarcelona)の設計が粛々と進められていた。

…バルセロナは前回話したデュアルコアOpteronの後継機種クアッド・コア(4コア)Opteronの開発コードネームであったというだけだ。私も含めて、当時このプロジェクトに関わっていたAMDの人間には、バルセロナロはそのマンチックな響きとは相反して苦い思い出を想起させるかもしれない。

2062とはずがたり:2017/02/06(月) 19:43:52
技術の高度さが裏目に

K8コアベースのOpteronでサーバー市場に打って出たAMDは、デュアルコア(2コア)までは非常に順調に製品投入が行われ、さすがの王者インテルも前述のコア・アーキテクチャベースデュアルコアWoodcrestの投入まではAMDに押されっぱなしの状態であった。2003年のOpteron登場から少なくとも3-4年はAMDのサーバー市場、ハイエンドPC市場への進撃が続いた。AMD始まって以来、競合インテルへの技術的優位性を印象付けた素晴らしい時期であったに違いない。インテルがWoodcrestで逆襲を試みる中でも、この3-4年で築いたAMDのサーバー市場での優位性はしばらく続いたのである。とりわけ番外編で紹介した東京工業大学(東工大)のスパコンプロジェクトTSUBAMEは業界に大きなインパクトを与え、その後の他の大学のスパコンプロジェクトでAMD CPUの採用が真剣に検討され、遂には東京大学(東大)、筑波大学(筑波大)、京都大学(京大)、の3大学のスパコンにAMD Opteronが使われることとなった(我々はこれらの大学の頭文字をとってT2Kプロジェクトと呼んでいた)。東工大のTSUBAMEと大きく異なる点はメインのCPUにデュアル(2コア)ではなく クアッド・コア(4コア)のOpteron(コードネーム、バルセロナ)を採用したことだ。

デュアルコアの時もそうであったように、4コアのバルセロナは非常に野心的なプロジェクトであった。45nm/SOIの最先端プロセスで、4/8 Wayのハイエンドサーバー向けに、単一シリコンチップに4つのCPUコアを集積するという高度な技術であり、文字通りインテルの猛追を一気に振り切るポテンシャルがあった。そこで、大学スパコンの中心的存在であった東大、筑波大、京大 -T2Kは早々にバルセロナの採用を決定し、実際に大規模スパコンの構築プロジェクトを立ち上げた。T2Kのプロジェクトはそれぞれが東工大のTSUBAMEと同等、あるいはそれ以上の規模だったため、3大学のトータルの規模は非常に大きく、日本市場を預かる我々だけでなくAMD全社から注目された。しかし、バルセロナはその技術の高度さ故、最終的に出荷されるまで以下のような遅延が発生した。

1.2007年3月、AMDはバルセロナは同年8月から出荷開始と発表。
2.2007年8月、AMDはバルセロナは9月から出荷開始と訂正、少量出荷が9月から開始。
3.2007年11月、AMDはB2(B1シリコンの改訂版)にバグが発見されたという理由でバルセロナの出荷を停止。
4.2008年4月、AMDはB3(B2シリコンの改訂版)にてバルセロナの出荷再開。
この時のバグの内容について詳しくは覚えていないが、(ごく稀なケースではあるが)システムがロックアップを起こすというかなり厄介な問題で、当初はBIOSの変更などで回避しようとしたが、何しろ使われるシステムがハイエンドの高性能システムであるから、シリコンのスピン(半導体業界で増産用のシリコンのマスクに手を加えることをスピンという、一回やるごとに最低でも3-4か月の遅延が生じる)を今一度やることになりバルセロナは最終出荷までに3版のマスクが作られたわけだ。

バルセロナを待っていた世界中のお客さんは非常に困った。特に、T2Kは国家予算に裏付けられた公共プロジェクトであるから遅延は許されない。本社デザインチームも必死に頑張ったのだが、B3が出てくるまでの我々前線営業は相当なプレッシャーにさらされた。

バルセロナの遅延が大きな問題となった2007年の営業会議では、世界から集まった500人の営業を前に、当時COOのマリオ・リヴァスがステージに突然バスケットボール選手のユニフォームで現れ(マリオはプロバスケットボールの大ファン)、“ビジネスはチームワークだ!!"と叫びながら、本物のバスケットボールを営業の聴衆に次々と投げ入れ、営業が投げ返すのをしっかり受け止めるというパフォーマンスを披露して、開発、製造、マーケティング、営業の全社的結束を訴えた。

すったもんだの挙句、度重なる遅延ののちバルセロナはやっと出荷され、東大、筑波大、京大のスパコンは稼働したのだが、当時のお客様には大変な心労をかけたし、私を含めAMDの担当者にはバルセロナと聞くとこの苦い思い出が付きまとう。

バルセロナの遅延で競合インテルに挽回の機会を与えてしまったことは、その後のAMDのサーバー戦略への大きなインパクトとなったのは言うまでもない。


2063とはずがたり:2017/02/06(月) 19:44:03
[19] 日米半導体摩擦の時代

世界の半導体市場を日本勢が席巻

アメリカの大統領選挙は大方の予想に反して共和党(?)のトランプ氏が勝利した。トランプ氏は保護貿易政策の擁護者である。我々はこれから自由貿易の推進者=アメリカという図式が大きく転換して行く過程を身をもって体験することになるだろう。そこでこの閑話を書くことにした。

さかのぼること30年、アメリカの大統領は共和党のレーガン氏、日本側は中曽根総理のロン・ヤスの時代だ。私がAMDに入社した1986年頃の世界の半導体市場は現在のものとはかなり様相が違っていた。その後も業界の動きは加速的に継続され、今ではファンドリーの台頭とファブレス企業の躍進、買収・合併などにより、各半導体ブランドの世界ランキングは一様には比較できなくなってしまった。グローバル化が加速した現在の半導体市場では、そもそもその企業の国籍を問うこと自体があまり意味のないことになってしまった感があるが、本稿の資料として、1987年と2013年の世界ランキングを表にまとめてみた(ほぼ私のAMDでの勤務と重なる期間)。ここでは敢えて、販売されている半導体製品ブランドでの市場ランキングをまとめてみた(ブランドでのランキングであるのでTSMC、GFなどのファンドリーで生産されたものはこのうちのブランドに含まれている)。なぜトップ10ではなく12なのかというのはご覧の通り明らかなように、12位まで入れないと我が愛するAMDが出てこないからである。

___  1987年    2013年
ランク メーカー 国籍 メーカー 国籍
1 NEC 日本 インテル 米国
2 東芝 日本 サムスン 韓国
3 日立 日本 クアルコム 米国
4 モトローラ 米国 マイクロン 米国
5 TI 米国 ハイニックス 韓国
6 富士通 日本 東芝 日本
7 フィリップス オランダ TI 米国
8 NS 米国 ブロードコム 米国
9 三菱 日本 STマイクロ 仏伊
10 インテル 米国 ルネサス 日本
11 松下 日本 インフィニオン ドイツ
12 AMD 米国 AMD 米国
様々な統計資料を見て筆者が作成

この表からはいろいろなことが見て取れる。

2064とはずがたり:2017/02/06(月) 19:44:21
>>2045-2063
1.ここ15年くらいは、新聞記事では必ず"世界最大の半導体メーカー・インテル"、という枕詞が使われているが、私がAMDに入社した1986年当時インテルもAMDも中型規模のメーカーであった。
2.1987年で世界ランキングの金、銀、銅を占めるのはすべて日本勢である。オランダのフィリップス以外は日本か米国で占められていたのが、2013年になるとサムスン、ハイニックスなどの韓国勢の躍進が目立つ。かつて世界市場を席巻した日本勢は大きく後退している。
3.企業買収・合併が進んだおかげでブランド自体が新しいものに変わっている。よく日本の銀行の名前を"XXはXXとXXが一緒になったあれですよ"、などと説明しないと分からなくなるのと非常に似ている。

今年(2016年)のランキングは来年2-3月に発表されるが、また大きく変わっていることは確かだ。

日米半導体摩擦勃発、政府間の貿易問題に発展

今では考えられないことだが、半導体は日米貿易の大きな課題となっていた。もともと米国発祥のビジネスである半導体(このあたりの経緯については過去の私の記事「シリコンバレー企業の系譜」を参照されたい)はその後のコンピューター機器の発達、電子機器のコンシューマー化の波に乗り、市場が飛躍的に成長しアメリカの貿易品目の中で重要度をどんどん上げていった。また、半導体製品は軍用機器のキーパーツであったので、その主導権をどこが握るかというのは国家安全保障上大きな問題でもある。上のランキングでもわかるように1986年当時はアメリカベースのメーカーは日本勢にどんどん押されて、その首位の座を奪われてしまった。これには大きく分けて次の要因があったと私は思っている。

日本の半導体メーカーの優秀なエンジニアがメモリ製品を中心に微細加工と高品質を極め、アメリカ勢を上回る製造技術を確立した。アメリカ勢は日本メーカーの技術力を見くびっていた。
日本の半導体メーカーはその世界戦略として、コスト以下の価格でDRAM、EPROM製品を販売することにより(ダンピング)世界市場を掌握しようとした。
日本の半導体メーカーはNEC、富士通、日立、三菱、東芝などの垂直統合型の総合電機メーカーの半導体部門であり、半導体を使うコンピューター、周辺機器、テレコム製品、CDプレーヤー、ブラウン管テレビ、VTRなどエンド製品の市場も抑えていたので安定した成長を享受できた。結果、米国半導体製品の日本市場での市場シェアは他国と比べて著しく低い5%レベルで低迷した。


半導体の世界市場その後

その後の半導体市場は皆様がご存知の通り、未だにローラー・コースター状態である。結局日米半導体摩擦問題は1992年に米国系のシェアが20%に達し収束した。その最大の原因は、かつてコンシューマー電子機器市場で世界市場を席巻していた日本製品が世界市場での競争力をなくしたからである。急速なデジタル化に伴い、パソコンなどが登場し、世界標準に乗り遅れた日本勢が製品に使われる半導体の主導権を米国、韓国勢に明け渡した結果であろう。 今後の電子立国日本の再起を期待するものである。

2065とはずがたり:2017/02/10(金) 12:41:11
http://192.168.2.1/
admin
admin
SSID:b-mobile4G WiFi3 ******
IMEI:下8桁

2066とはずがたり:2017/02/10(金) 14:10:41
購入♪使い方が解らん(;´Д`)

ASUS ZenPad 8.0
https://www.asus.com/jp/Tablets/ASUS_ZenPad_80_Z380KL/

OS
AndroidTM 5.0
表示機能
8型 、LEDバックライト 1,280×800ドット(WXGA)
IPS液晶
ゴリラガラス使用
アンチフィンガー プリント加工
フルラミネーションディスプレイ
対応CPU
QualcommR Snapdragon? 410
対応メモリ
2GB
グラフィックス機能
Adreno 306
ストレージ機能
eMCP:16GB
ASUS WebStorageサービス:5GB(永久無料版)
Googleドライブ:100GB (2年間無料版)
対応Wi-Fi規格
2G :
EDGE/GSM :
850/900/1800/1900
3G :WCDMA :
800(6)/900(8)/1700(9)/2100(1)
4G:
LTE:
800(18)/800(19)/850(26)/900(8)/1800(3)/1700(9)/2100(1)/2600(41)
無線機能
IEEE 802.11b/g/n
Bluetooth V4.1
カメラ機能
200 万画素Webカメラ(前面)
800 万画素Webカメラ(背面)
インターフェース
USBポート: microUSB×1、USB(pogoピン)×1
SIMカードスロット: microSIMスロット×1
カードリーダー: microSDXCメモリーカード、microSDHCメモリーカード、microSDメモリーカード
オーディオ: マイクロホン/ヘッドホン・コンボジャック×1
搭載センサー
GPS(GLONASSサポート)、加速度センサ、光センサ、電子コンパス、磁気センサ、近接センサ
本体カラー
ブラック,ホワイト,シルバー
サイズ
209 ×123 ×8.5 mm
質量
350 g
その他
ASUS ZenPad 8.0 (Z380KL)の製品仕様の詳細はこちら(PDF)をご確認下さい。

2067とはずがたり:2017/02/10(金) 20:20:04
Zenはデザリングも出来るみたいだしSIMもmicroSIMだしb-mobileの通信機として使えないかな!?

2068とはずがたり:2017/02/10(金) 20:29:35
電波のアンテナは立った!!接続は試してないけど。

後はmicroSDXCカードだな〜。

2069とはずがたり:2017/02/10(金) 20:33:20

今のところ最大は200GBかな?
https://www.amazon.co.jp/MicroSDXC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89-SanDisk-Premium-Class10-SDXC%E5%A4%89%E6%8F%9B%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%97%E3%82%BF%E4%BB%98/dp/B00V62XBQQ/ref=sr_1_14?ie=UTF8&amp;qid=1486726336&amp;sr=8-14&amp;keywords=microsdxc+%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89

2070とはずがたり:2017/02/10(金) 20:39:20
神戸から生駒迄下道をナビ使ってきたけど結構電池食うな。。

2071とはずがたり:2017/02/11(土) 22:50:30
ただsimカード入れただけではダメでAPN設定をする必要があるのか!?

SUS ZenPad8.0(Z380KL)の開封の儀と使った感想&レビュー、SIMカードの入れ方
http://tel03.com/tablet/zenpad8-z380kl01/
2015/10/31 2016/5/9

最初からかなり多くのAPN設定がされています。

該当のAPN設定があっても古くなっている場合もあるので内容を確認することをおすすめします。また絶対に使わないと思うAPN設定は削除した方が動作が安定するので不要なものは削除してくださいね。

2072とはずがたり:2017/02/11(土) 23:06:11
ASUS ZenPad 8.0 【Z380KL】 ネットワーク設定手順
https://support.mineo.jp/manual/network_setup/zenpad8_0.html

で,我がb-mobile WiFi3は対応してないのかな??→b-mobile 4Gだったんでbmobile.ne.jp/bmobile@4g/bmobile/PAPまたはCHAPで行けた!!!!!

APN設定一覧
http://www.bmobile.ne.jp/devices/apn_setting.html

2073とはずがたり:2017/02/11(土) 23:19:15
あとはデザリングなんだけどb-mobileの方で対応してないのか?
タブレットから4G経由でネットは接続出来るけどデザリングが出来ない

2074とはずがたり:2017/02/11(土) 23:19:40
これはauの画面だが
https://www.au.com/support/faq/view.k1482028532/

2075とはずがたり:2017/02/11(土) 23:26:11
おお,YOGAからは行けた!!
となると問題はガラホの方にありか??

2076とはずがたり:2017/02/11(土) 23:26:56
なんか鈍そうだが・・・。

2077とは:2017/02/11(土) 23:29:14
行けた!!

2078とはずがたり:2017/02/11(土) 23:36:21
WiFIと4Gの切り替えがもっとスムーズに行ければ良いのにぃ

2079とはずがたり:2017/02/12(日) 14:05:49
■2chMateを使いこなそう 外部板登録編
https://www43.atwiki.jp/android2chbrowser/pages/44.html
代表的な登録可能板
ウェブページ 登録板 2chMateで「URLを指定して開く」際のURL
したらば掲示板 したらば掲示板全般が登録できるようです http://jbbs.shitaraba.net/カテゴリ/番地/

2080とはずがたり:2017/02/12(日) 14:11:52
いけた!

2081とはずがたり:2017/02/12(日) 14:20:24
めちゃくちゃ使いにくいわ

2082とはずがたり:2017/02/14(火) 18:51:38
“よくあるファイル命名ルール”でデータ消失の危機?
http://www.excite.co.jp/News/it_biz/20170214/Itmedia_enterprise_20170214056.html
ITmedia エンタープライズ 2017年2月14日 13時00分 (2017年2月14日 13時55分 更新)

GitLab.comが誤って本番データを失ったことをTwitterで報告

 「他山の石、以て玉を攻むべし」――。誰かの失敗も、自分の糧にすることができます。先日起きた事件は、さまざまな教訓を与えてくれました。

 2017年1月31日、プログラムのソースコードを管理するサービス「GitLab.com」で、管理作業中に誤って本番データベースを削除してしまうトラブルが発生しました。

 サービスの根幹部分が消えてしまい、複数のバックアップを取っていたはずが、そのほとんどが復旧には使えず、たまたま取っていたデータのおかげで、丸2日後に復旧できたというのです。

 この大きなトラブルはGitLabの優秀なエンジニアにより、その復旧作業が逐一「ネットで生中継」され、世界からはサービス停止の苦言よりも「頑張れ」という声が飛び交っていたようです。その詳細は、Publickeyなどでも記事になっていますので、エンジニアや情報システム部の方はぜひ参考にしてください。

●“安易なファイル命名ルール”が致命傷に?

 この事件で私が一番気になったのは、「バックアップが取られていたのに使えなかった」ことでも、「生中継が行われた」ことでもありません。トラブルの経過報告も詳細なリポートも素晴らしいと思います。バックアップの重要性は言わずもがなです。

 エンジニアじゃなくても、情報システム部の人じゃなくても、この事件が「他山の石」となりそうなポイントは、「命名規則」です。今回のリポートには、下記のような一文があり、これはまさに、本トラブルが致命的になった瞬間です。

4. 2017/01/31 23:00-ish

1. YP thinks that perhaps pg_basebackup is being super pedantic about there being an empty data directory, decides to remove the directory. After a second or two he notices he ran it on db1.cluster.gitlab.com, instead of db2.cluster.gitlab.com

(GitLab.com Database Incidentより引用)

 GitLabのエンジニア、YP氏はバックアップ環境「db2.cluster.gitlab.com」だと思って削除作業をしたところ、実際は「db1.cluster.gitlab.com」、つまり本番環境に対して削除作業をしてしまっていたのです。

 気になるのはその名前。「1」「2」しか違いません。エンジニアの作業的に、これが本トラブルの原因であるとは思いませんが、私たちは、ドキュメントやスプレッドシートに対してこういう名称を付けがちで、それがトラブルの原因になることが多いような気がします。

 Office文書を作成してなにかの作業を行っていたとき、ちょっとしたバックアップのつもりでファイル名の頭に「新」と付けたり「最新」と付けたり、末尾に「2」「3」「4」……と連番を付けたり。そしてその作業を引き継いだ人が、本当は最新ではない「最新」ファイルに対して作業をしてしまって……という話はよくあります。

 それを考えると、遠隔操作をする可能性があるもの、例えばグループで管理するファイル群などは、連番を使わないなどの「命名規約」をあらかじめ作っておくことがトラブル防止の1つのアイデアなのかもしれません。もちろん、新、最新、真、最終……といった修飾語も。

 振り返ってみると、大学時代や新入社員のころに知り合ったシステム管理者はみな、サーバを連番ではなく、惑星の名前などで統一していたのを思い出します。きっと夜空が大好きか、それともセーラー戦士なのか……。

 こういった名称規則をあらかじめ作っておくことは、トラブル防止に役立つだけでなく、ちょっとした気分転換になるかもしれませんね。ちなみに計算機の命名規約についてはRFC 1178でも触れていますので、迷ったときはこちらをどうぞ。

2086とはずがたり:2017/02/21(火) 21:36:45
九十九機だけどReal Player這入ってなかった。今更ながら入れた。

2088とはずがたり:2017/02/22(水) 22:57:06
東芝半導体、アップルが出資に関心
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170222-00010000-newswitch-ind
ニュースイッチ 2/22(水) 8:46配信

 東芝が、分社して設立する半導体メモリー新会社への出資に米アップルが関心を示していることが明かになった。メモリー新会社への出資には、協業関係にある米ウエスタンデジタル(WD)や、同業の米マイクロン・テクノロジーのほか、米マイクロソフトが意欲を示している。実現すれば、メモリー業界の日米連合で、首位の韓国サムスン電子に対抗する構図となる。

 アップルなど米企業は「DRAMでサムスンが支配的地位を築いたことを快く思っていない」(業界関係者)。そのため東芝のメモリー新会社への出資は、DRAM業界と同じことがNANDメモリーで起きないようにする「防衛の意味合いもある」(同)という。

 現時点で東芝は新会社株式の3分の1超を保有し、8000億円規模の資金を調達する一方で経営の主導権を確保したい考え。売却する株式も複数社に割り当て、各社の経営への関与を抑えたい意向だ。取引銀行にはメモリー新会社株の完全売却を求める声もあり、両者の協議は難航するとみられる。

 出資企業にとって新会社の経営に深く関与できず、この点では魅力は低い。一方、売却比率の引き上げで「ガバナンスに不安を抱える東芝の影響力が弱くなる点はプラス」(金融筋)。また「純投資であっても“うま味”が増した」(同)ことから意欲的な企業が増えている。

東芝、3月中に半導体事業の再入札実施へ
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170222-00000000-jnn-bus_all
TBS系(JNN) 2/22(水) 0:18配信

 深刻な経営難に陥っている東芝。稼ぎ頭の半導体事業の売却に向け、来月中に再入札開始です。

 東芝は、半導体事業の売却割合を過半数以上に引き上げるため、3月中に改めて入札を実施する方針を固めたことが、JNNの取材でわかりました。

 いったんは売却割合を20%未満に抑える方針のもとで入札を行い、10社余りが参加していましたが、債務超過を解消し、財務状況を改善させるには、巨額の売却益が必要と判断。改めて入札を行い、1兆円以上の資金を調達したい考えです。(21日23:41)
最終更新:2/22(水) 13:07TBS News i

東芝、半導体売却で1兆円以上調達へ 主導権手放す可能性も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170221-00000501-san-bus_all
産経新聞 2/21(火) 8:27配信

 経営再建中の東芝が、分社する半導体事業の株式売却を通じて1兆円以上の資金を調達する方向で調整していることが20日、分かった。債務超過状態にある財務状況を抜本的に改善するためで、新会社の株式の売却は過半になるのが確実な情勢となった。売却条件に従業員の雇用維持や国内での生産・開発の維持を求める。売却時期は平成29年度中を想定する。24日にも再入札の手続きを開始する。

 1兆円以上の資金を調達すると、新会社の経営の主導権を手放す可能性も出てくる。それでも、「東芝の信用不安を払拭するのが優先で、やむを得ない」(幹部)とし、できるだけ多くの資金を調達し経営危機を乗り切る方針だ。

 分社する半導体の主力製品「フラッシュメモリー」の新会社の価値は1兆5千億円規模と試算されており、1兆円以上を資金調達するには3分の2以上の株式を売却する計算になる。

 買い手には当初、生産で協業する米ハードディスク大手ウエスタン・デジタルや米半導体大手マイクロン・テクノロジー、複数の欧米系ファンドなどが名乗りを上げていた。東芝は再入札に向けて、当初の入札で参加を見送った企業などにも声をかける。米アップルやマイクロソフトなどが関心を示しているとの見方もあり、東芝幹部は「有力な顧客が意欲を示している」としている。

 また、雇用や生産の維持を条件に求めることで、外資系企業やファンドが経営権を握っても、大幅な合理化が行われるのを抑えたい考えだ。

2089とはずがたり:2017/02/23(木) 15:33:55
後は致命的なエラッタが後から発見されない事を祈るのみだな。。

2017年02月23日 11時44分00秒
Intelの半額以下で同等以上の性能のAMD「Ryzen 7」が正式に発表される
http://gigazine.net/news/20170223-amd-ryzen-7-release/

AMDが次世代CPU「Ryzen 7」シリーズの発表会をサンフランシスコで行い、スペックや価格、発売日を発表しました。

Ryzenはコアを拡張するのではなくゼロから設計され、開発に4年という年月がかけられた次世代CPUシリーズ。

次世代マイクロアーキテクチャ「Zen」の開発時に「Instruction-per-Clock(IPC:1クロックあたりに実行可能な命令数)」を従来のAMDのCPUから「40%」も上げる目標を設定したとのこと。スー氏によれば、この目標に対して懐疑的な意見があったそうです。しかし、Ryzenでは何と目標よりも高い「52%」を実現しました。

発表会では8コア16スレッドのRyzen 7の3モデルが発表されました。最初に披露されたのは、メインストリームとなる「Ryzen 7 1700X」

「Ryzen 7 1700X」はベース周波数が3.4GHzで、ブースト周波数が3.8GHz、TDP(熱設計消費電力)が95W。

続いてフラッグシップモデルの「Ryzen 7 1800X」。ベース周波数は3.6GHzですが……

ブースト周波数は驚異の4.0GHzとなっています。

最後は8コア/16スレッドにもかかわらずTDPが65Wの「Ryzen 7 1700」で、ベース周波数は3.0GHzでブースト周波数は3.7GHz。Intelのメインストリーム向けトップモデルの「Core i7 7700K」よりパフォーマンスは46%も上回っています。

AMDが次世代CPU「Ryzen 7」ファミリを3月2日から発売
〜最上位のRyzen 7 1800Xで59,800円
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kaigai/1045797.html
後藤 弘茂 (Hiroshige Goto)2017年2月23日 01:27

 AMDは、次世代CPU「Ryzen 7」シリーズを3月2日に発売する。同社は、米サンフランシスコで開催した発表会で、Ryzenの製品概要を明らかにした。最もハイパフォーマンスな「Ryzen 7 1800X」は8コア16スレッドで、ベース3.6GHz、ブースト4GHzで価格は米499ドル、日本は59,800円、TDP(Thermal Design Power:熱設計消費電力)は95W。IntelのCore i7 6900K(8コア16スレッド、3.2GHz/3.7GHz、140W)に対抗できる高性能のCPUを、半額程度で投入する。

西川善司の3DGE:AMDの新世代CPU「Ryzen 7」は北米時間3月2日発売決定。8コア16スレッドの最上位モデル「Ryzen 7 1800X」は499ドルに
http://www.4gamer.net/games/300/G030061/20170222155/

西川善司の3DGE:AMDの次世代CPU,製品名は「Ryzen」に決定! 性能向上を支える5つの要素も明らかに
ライター:西川善司
http://www.4gamer.net/games/300/G030061/20161212106/
 2016年12月14日6:00,AMDは,「Zen」マイクロアーキテクチャに基づく次世代CPUで,開発コードネーム「Summit Ridge」(サミットリッジ)として予告されてきたデスクトップPC向けプロセッサの製品名が「Ryzen」(ライゼン)になることを発表した。

2090とはずがたり:2017/02/23(木) 16:40:17
Ryzenでゴリゴリうごく奴欲しいと思ってる傍から節操ないけどこっちもいい!(・∀・)
デュアルモニタに対応して欲しいなあ。無理かw
でも5V2Aと10Wで動くのはなかなか魅力的だ♪

http://sp.chip1stop.com/raspberry-pi3-modelb/?utm_source=google&amp;utm_medium=cpc&amp;utm_campaign=JP_GDN_%E8%A3%BD%E5%93%81_JP_GDN_RasPi3_RSP-deli300x250.gif622877179&amp;gclid=CN2x-7HYpdICFdUDKgodjwQMEg
型番名:Raspberry Pi3 ModelB
メーカ:Raspberry PiR
分類:シングルボードコンピュータ
販売価格:4,500円 最安値に挑戦中!

2091とはずがたり:2017/02/24(金) 02:29:01

なんで警察官志望の心理学専攻の女の子が富士通に熱意を持って入社希望になったんかが書いてないから画竜点睛を欠くなあ。

文系出身「子育てママSE」が活躍! 富士通の女性が働きやすい環境づくり
http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20170223/E1485930967787.html
エキサイト 2017年2月23日 15時00分 (2017年2月24日 01時46分 更新)

クラウド、AI、ビッグデータ、IoT、セキュリティ、サイバーフィジカルシステム、インダストリー4.0……ICT業界に求められるソリューションが多様化する中で、「shaping tomorrow with you」をブランドプロミスとして掲げ、ICTの力を通じてお客様・社会の豊かな未来創造に貢献したいという想いを持つ富士通にかけられている社会的期待は大きい。その期待に応えるべく、進化の歩みを止めない富士通には、「個人の挑戦」を絶えず後押しする企業風土がありました。

■「挑戦したいと考える人にはチャンスがある」を地でいく企業

就職活動中、さまざまな企業説明会などで「挑戦したい人にはチャンスがある」というようなフレーズを耳にすることがあると思います。それを地でいくような企業が富士通だと、入社10年目の私は実感しています。

私は、今でこそSEとしてキャリアを積んでいますが実は、もともと警察官志望の心理学専攻の学生でした。バリバリの文系です(笑)。当時、富士通という会社名は知っていても、パソコンや携帯電話を作っているだろう、ぐらいの浅い認識でした。しかし富士通の本質は当時からインテグレーションサービス。文系出身で、なおかつ本当の会社の姿を知らない私が採用されたのは、ただただ私の熱意を評価してくれたからだと思っています。「入社までに勉強してきます!」と熱く伝え、実際に勉強を重ねました。そして、入社してからもそれは変わりません。

振り返ってみて、文系出身の私でもSEとして仕事ができるようになったのは手厚い研修があったからです。当時は入社してすぐに5ヶ月間の研修がありました。最初の3ヶ月は社会人として基礎力をあげ、次の2ヶ月は営業とSEに分かれて勉強しました。そのため配属後はスムーズに業務に入っていくことができました。

配属後も「ものづくり研修」として1年間、プロジェクトの現場でプログラムを開発する機会がありました。「システムの品質を見極めるためには、システムを作らないとわからない」という会社の考えから、配属されてすぐにシステムの一部を作ることに携わることができたのです。

その後、システム開発を経て、利用者のマニュアル作成などを手がけ、入社4年目でプロジェクトのサブリーダーを任されるまでになりました。女性が少ない職場で、決して女性優位ではありませんでしたが、きちんと取り組み続ければ男女関係なく評価されるというのは当時から変わりません。

■文系出身だからこそお客さまの「わからない」がわかる

SEと聞くと、どうしても理系とか、男性というイメージが強いかもしれません。しかし、クライアントのニーズと開発者へのリクエストをつなぐパイプ役として、ときに板挟みの中で、女性が力を発揮しやすい調整能力が求められるのを感じています。
また「Quality(品質)」「Cost(費用)」「Delivery(納期)」の3つ、「QCD」が富士通に求められる要素です。それぞれをバランスよく保つための感覚も、女性ならではの力を発揮しやすい部分だと思っています。

SEは、とかくパソコンの前に座ってシステム開発するイメージが持たれがちですが、それだけではありません。実際に私が文系的なセンスが活かせたと思うのは、プロジェクトのサブリーダーとしてお客様への報告用文書の作成や実際に報告を行っていた時かと感じています。特に富士通のSEはパソコンに向かって開発するだけではなく、お客様から要望をヒアリングしたり、開発者と課題解決に向けた協議をしたりと、人と関わる仕事が大変多いです。システムがいくら技術的に優れていても、使う人がきちんと理解できなければ、いい製品とはいえない。理系出身でもともとSEとしての素地がある人には、「何がわからないのかわからない」ことがあるかもしれませんが、私にはお客さまの「わからない」部分がわかります。そこは文系出身の強み(笑)

2092とはずがたり:2017/02/24(金) 02:29:21
>>2091-2092
私が担当している官公庁のシステムのエンドユーザーは公務員であり、いうなれば、その先にいる国民のみなさんです。老若男女含めて「富士通はいい製品を作っている」と思っていただくために、文系出身だったり、女性だったり、ともするとネガティブに取られかねない要素が強みに変わります。

■産休取得に好意的な雰囲気

私が入社した時、配属職場の女性の割合は5%程度でした。しかし、一番近い女性の先輩が育休中で、当時から結婚、出産、育児がキャリアの障壁になるような風土はありませんでした。もちろん、数が少ないので、誰もが産休や育休を深く理解しているという感じではありませんでしたが、決して産休や育休が取りにくい雰囲気はありませんでした。

私は、プロジェクトのサブリーダーを任されたあと、その経験を踏まえて、既存システムの保守運用業務を担うようになりました。保守運用は、トラブルがあったときにシステムが止まらないように、また止まってしまったときにはすぐに復旧できるように、事前にトラブルになるようなタネがないかを探し出すなど、緊張感が必要とされる業務でした。26歳から28歳になる頃までの数年は、振り返ってみるとハードな働き方をしていたかもしれません。その後、28歳で結婚をし、29歳で出産をしました。

妊娠したことを報告したとき、産休取得に好意的な雰囲気だったのを今でも昨日のことのように覚えています。そのくせ、私は実のところ、育休後の復職は決めていなかったのです(笑)。何せ、出産は人生初。産後、どのようになるのかが全くわからなかったので、自分の人生マップはニュートラルな白紙でした。実際に出産してみたら、子どもが可愛くて愛おしくて、子どもといる時間の幸せをしみじみと感じたのです。しかし一方で、富士通に入れたのだからココで仕事を辞めたらもったいないという思いも持っていました。そこで、一度は復職してみようと思ったのです。

■仕事と育児の両輪で「孤育て」にならない


保育園がすぐに決まらなかったので、結果的に育休&産休を含めて2年2ヶ月、現場から離れていましたが、その間、上司が月1ペースで連絡をくれ、先輩ママ社員はママ友として子どもを交えて遊んでくれました。グループ会社のママを対象にした育休社員向けの研修も用意されていたので、休んでいる間も会社と常につながっている感じがしました。

今は9時から16時の時短で働いていますが、仕事を辞めなくて、富士通を辞めなくて良かった、と心から思っています。もしも専業主婦になっていたら、子どもがいくら可愛いとはいえ、きっと「孤育て」でストレスが溜まっていたと思うから。富士通の社員として、というより前に、一人の人間として、仕事と育児の両輪を持っているのは、いいことだと感じています。仕事上で感じたストレスは子どもとの時間で自然と癒されるし、子どもとの時間で生まれたイライラは、富士通の企業人として仕事をする時間を確保することで癒されていく。そんな風に感じています。

富士通では、育休後は元の部署に戻ることが基本的な考え方であり、それも復職しやすかった理由の一つです。気心が知れた仲間がいる、信頼を築いてきたお客さまがいる。イチからではなく、いい意味で慣れた環境が用意されているというのは、大きな安心感につながりました。

■大きな組織だからこそ、チャレンジできる

今、私は「ママSE」として技術力を磨いていきたいと思う一方で、SE経験を踏まえて教育支援をしたり、育休産休を経て復職した経験から復職支援をしたり、一歩ずつキャリアアップしてきた自身の経験を元にキャリア支援をしたり、SEの現場がわかっているからこそ、それを他部署とつなぐコミュニケーション支援をしたり、新たな分野にもチャレンジしてみたいと思うようになりました。富士通という大きな企業だからこそ、「SEしかできない」のではなく、様々なことにチャレンジしていくことができると感じています。

結婚、出産、育児……とライフステージが変わり、その影響を受けやすい女性でも、挑戦したいと思っている人ならば富士通の中にさまざまなチャンスがあります。

取材協力:富士通
女性が輝く企業TOPページへ

2093とはずがたり:2017/02/28(火) 00:09:10
FLVやmp4動画を無劣化で別形式に変換できるフリーソフト: HugFlash
http://freesoft.tvbok.com/freesoft/encode/flv-mp4-convert.html


FLVをMP3に変換
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daikan0630さん2011/5/1417:50:35
FLVをMP3に変換
FLVの動画ファイルをMP3に変換できて、音質が劣化しないフリーソフトを探しているんですけど、何かいいものありますかね?

ちなみにWindows7 です

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閲覧数:26,630 回答数:6 お礼:250枚 違反報告
ベストアンサーに選ばれた回答
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yaakonnbannwaさん 編集あり2011/5/1418:40:38
『HugFlash』で、MP3を抽出
http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se326509.html
http://www.paw.hi-ho.ne.jp/milbesos/apldl.shtml
画像や音声、そしてビデオファイルを抽出

Hugflashを起動し、SOUND以外のチェックを全て外した後、
目的の動画ファイルをHugflashのウィンドウにドラッグ&ドロップすれば、
すぐにmp3ファイルが作成されます
変換でなく、抽出なので、劣化がありません。

ただし
Windows7の動作確認はしていません。

2094とはずがたり:2017/03/07(火) 13:46:51
クソだなAndroid..
>そこで気になるのがスクリーンショットの保存先変更。
>これについてですが結論から言うと変更できません。

Androidスマホのスクリーンショット保存先はどこ?変更できる?
http://android-fans.com/screenshot-basyo-972
2015/4/3

どうも、やまうーです^^

今回はスクリーンショットに関する記事です。
前の記事でスクリーンショットの撮り方を紹介しました。

Androidスマホのスクリーンショットのやり方
Androidスマホのスクリーンショットのやり方
どうも、やまうーです^^みなさんはスクリーンショットをご存知ですか? スクリーンショットとはスマホに表示されている...
ファビコンandroid-fans.comはてブ数
?

撮り方は分かったけど、どこに保存されたのかわからない。
っていう人もいるかと思います。
結構スクリーンショットは利用していても保存先まではわからないですよね。

私もこのブログを始めて、スクリーンショットを撮る機会が増えました。
スマホで撮ったスクリーンショットをパソコンに移したいけど・・・
スクリーンショットの保存先どこだよ^^;みたいなことに。

というわけで、スクリーンショットの保存先を紹介します。

スクリーンショットの保存先

Androidスマホで撮ったスクリーンショットの保存先は以下です。
Pictures→Screenshotsの中です。

パソコンで見るとこんなかんじ。
(画像略)

スクリーンショットの保存先を変更したい!

そこで気になるのがスクリーンショットの保存先変更。
これについてですが結論から言うと変更できません。
Androidのシステム的に変更できないようになっています。

最初からSDカードに保存するなんてことは出来ないようです。
残念!!
できたら便利なんですけどねぇ。

Googleさん開発お願いします!

2095とはずがたり:2017/03/08(水) 14:35:30
2017.3.8 09:14
【トランプ政権】
中国企業に罰金1360億円 イランや北朝鮮に通信機器を違法に輸出 「国益守る」とロス商務長官
http://www.sankei.com/economy/news/170308/ecn1703080005-n1.html

 【ワシントン=小雲規生】米商務省は7日、中国の通信機器大手、中興通訊(ZTE)がイランと北朝鮮に通信機器を違法に輸出したことを認め、合計11億9千万ドル(約1360億円)の罰金を支払うことに合意したと発表した。安全保障や高度産業技術の輸出規制に基づく罰金額では過去最大規模だとしている。

 商務省によると、ZTEは2010年1月から16年4月にかけて、安全保障上の理由からイランへの輸出が禁止されているルーターなどの通信機器をイラン企業に売却。北朝鮮に対しても違法と知りながら、283回にわたって通信機器を輸出した。

 商務省は問題が発覚した12年からZTEの米国法人などへの捜査を開始。ZTEは違反を認めていなかったが、商務省は16年3月に米国企業に対してZTEとの取引に際しては特別な認可を取得するよう義務づけ、ZTEに圧力をかけていた。商務省は今回の合意を受けて、認可取得の義務化を取り下げる。ロス商務長官は「商務省の権限を使って米国の国益を精力的に守っていく」としている。

ZTEは米国で格安スマートフォンを展開しており、アップル、サムスン電子、LG電子に次ぐ、約11%のシェアがある。ロイター通信によると、ZTEの製品で使われる部品の25〜30%は米国製で、商務省との対立が経営上の不安要素となっていた。

2096とはずがたり:2017/03/09(木) 17:40:39

コンピューター → LaTeX → 文書作成 → 箇条書き
http://www.akita-nct.jp/yamamoto/comp/latex/make_doc/item/item.php

2097とはずがたり:2017/03/09(木) 18:58:11
ルノー日産三菱自みたいに鴻海シャープ東芝になるかな!?

<東芝>「主力工場存続」が条件 半導体入札
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/business/mainichi-20170309k0000m020165000c.html
01:28毎日新聞

<東芝>「主力工場存続」が条件 半導体入札
東芝本社=東京都港区芝浦で2017年1月20日、本社ヘリから
(毎日新聞)
 経営再建中の東芝が、半導体事業売却のため月内に実施する入札の全容が8日判明した。国内の雇用維持を念頭に、主力の四日市工場(三重県四日市市)を買収後も活用することを入札参加の条件とし、中国などへの技術流出を防ぐため、買収資金の出し手を明示することも求めている。

 東芝が入札参加企業向けに作成した資料を、毎日新聞が入手した。資料によると、東芝は売却先選定の基本方針を「四日市工場などを活用し、成長と競争力強化を追求するためのパートナーを選ぶ」と明記。入札参加企業に対し、生産・研究開発拠点の立地と、現在の従業員の雇用についての計画を示すよう求めた。また、買収資金の出し手の明示に加え、転売の計画を明らかにすることも要求。東芝の半導体技術については中国などへの流出を懸念する声が強く、買収後の転売に一定の制約を課した形だ。

 また、資料は2017年度から3年間で半導体事業に1・2兆円の投資を行う計画も提示。売上高が16?21年度にかけて約2倍の1兆8059億円に拡大するとし、企業価値の高さをアピールした。

 1次入札を29日に締め切り、5月中旬の売却先企業選定を目指す。東芝は米原発事業の巨額損失で17年3月末に債務超過に陥る見込みで、1年以内に解消しなければ東京証券取引所の上場が廃止される。このため、遅くとも18年3月末までに買収手続きを終えることも求めている。【坂井隆之】

2098とはずがたり:2017/03/12(日) 13:27:10
レノボと統合しても、富士通のパソコン工場が国内で生き残れる理由
http://news.goo.ne.jp/article/newswitch/business/newswitch-8257
03月11日 08:00ニュースイッチ

 島根富士通(島根県出雲市、宇佐美隆一社長)は、IoT(モノのインターネット)技術を活用し、パソコンの生産革新に取り組んでいる。2016年度から、作業映像の分析や修理工程の見える化を始めた。同社の工場は混流生産や顧客ごとのカスタマイズ対応といった生産技術で先進的な手法を採用しており、多くの見学者が参考にしようと訪れる。今後、IoTや自動化を推進し、さらに進化させる。

 「1000回に1回、あるいは5000回に1回起きる不具合の要因を突き止めたい」と、品質保証部の高橋正志部長は話す。16年度上期から、組み立て工程の作業映像と試験記録(ログ)を相関分析する仕組みを導入した。

 不具合との関係が予想される工程を監視カメラで撮影し、大量のデータを分析することで、要因を見つける。ごくまれな不具合の要因は、人が生産ラインを観察するだけでは発見しにくいためだ。

 要因を見つけ、費用対効果を考慮して対策や不具合防止技術を導入するほか、製品の技術開発にも反映させる。

 また米インテルと協業し、不具合を修理している製品が工場内のどこにあるか迅速に把握できるようにした。修理中の製品のうち、出発時刻の早いトラックに載せる製品を優先的に修理して、定刻運行に間に合わせる。出荷の遅延を少なくすることで、輸送コストを従来に比べて30%削減できたという。

 ロボットによる組み立ての自動化も少しずつ広げている。最初はネジ締めやゴム足の貼り付け作業が中心だったが、力覚センサーをロボットに搭載して板金組み付けや基板のはめ込みもできるようになった。

 「基板をスライドさせて、カチッとはめ込むのは、従来のロボットでは難しかった」(高橋部長)という。新製品ごとにロボットのプログラムを書き換えなければならないため、費用対効果を精査して自動化の範囲を拡大する。

 他にも多様な生産革新に取り組んでいる。例えば組み立てラインでは、タブレット端末とノートパソコンを交互に流して作業している。組み立て時間の違う製品も交互に流せば、コンベヤーの速度を一定にできるからだ。

製品ごとにまとめて流すと、コンベヤー速度の切り替えに時間が必要になり、余計に時間がかかってしまう。「多品種少量生産への対応だけでなく、生産効率化にもつながる」(同)としており“攻めの混流生産”と位置付けて積極的に進める考えだ。

 一方で、富士通は中国レノボとパソコン部門の統合を協議中で、生産拠点の先行きも注目されている。パソコン事業会社の富士通クライアントコンピューティング(川崎市中原区)の齋藤邦彰社長は「匠(たくみ)の技がお客さまに受け入れられれば続けたい」と生産拠点の意義を強調し、存続を求める。

 島根富士通は世界の競争で勝ち残り、先進的な工場として機能し続けるため、今後も匠の技に磨きをかける。
(文=梶原洵子)


【ファシリテーターのコメント】
明 豊
 パソコンなど日本で消費するデジタル機器は国内で生産する方がキャッシュフローの回転率が高い。日本の人的資源は限られてくるが、生産性を上げる余地は果てしなくある。ポイントは『流れ改善』。世界企業でもインバウンドのSCMができていないところも多い。工場の中の加工時間はごくわずかで、消費者が使ってくれるまでのサイクルで無駄をいかに減らしていくかだ。これからモノの売り方によって製造手法も大きく変わる。スマホは大量頒布が前提で需要に応じて作る製品ではない。
 日本のモノづくりが進化するキーワードは機能集約だろう。うまくいっているところは本社に頼らず、工場自らが営業し設計受注して仕事をとっている。製造現場に製品・設備などの設計人員が同居し、技術営業も一緒だったりする。自社にどういう力があるかも理解して意思決定できるのが機能集約の利点。なので事業部長級は最前線に置くべきだろう。
 賃金の安い工場が強い工場ではない。弱い海外工場にすべてを移管し、国内を閉鎖するのは愚の骨頂。

2099とはずがたり:2017/03/12(日) 13:27:58
2017年01月09日
「レノボとパソコン合弁、交渉大詰め」(富士通社長)
田中達也社長インタビュー「相乗効果が高まるような事業体を検討している」
http://newswitch.jp/p/7472

 ―トップ就任から2年間にわたる事業構造改革の成果をどう見ていますか。
 「主力のテクノロジーソリューション事業にフォーカスして戦う体制へとビジネスモデルを変革してきた。半導体からスーパーコンピューターまで、すべてを扱う垂直統合型ではグローバル競争で限界があると判断したためだ。パソコン事業の分社などで一つの形は見えてきたが、収益性などを考えると、まだまだ2合目か、3合目あたりだ」

 ―パソコン事業は中国のレノボグループとの合弁が取り沙汰され、交渉は大詰めですね。2016年度内に決着できますか。
 「そういうスケジュール感で進めている。レノボとは互いの強みを認め合うことで、相乗効果が高まるような事業体を検討している。『できるだけ早く』と思うが、規制当局との手続きなどを踏まえると、(年度内に合意しても)実行できる時期は17年度中になるかもしれない」

 ―ニフティが手がける個人向けインターネット接続サービス(ISP)の売却交渉は。
 「ニフティを完全子会社化して社内に取り込んだ時点で、ISPは他社と協業する方向性で検討を進めている。交渉は相手先の都合もあり、具体的には言えないが、16年度内にめどをつけたい」

 ―17年度には「営業利益率5%以上」が射程に入ってきました。
 「ユビキタス事業の再編以外に、主力のシステム構築(SI)3社を統合したり、デジタルサービス部門を立ち上げたりと、いろいろ手を打ってきた。17年度は15、16年度の改革の結果としての収益も期待できる。収益面では目標とするゾーンに入ってきたが、5%はあくまで通過点。それを超えて成長するため、17年度は人工知能(AI)やセキュリティーに力を入れる」

 ―具体的には。
 「セキュリティーは司令塔を作り、全社横断で進める体制を築いた。セキュリティーの社内認定資格の取得者を19年度までに現行の1500人から1万人に拡充する。AIは18年度までに中核人材を現行の700人から1500人に倍増する」

 ―AIでどう強みを発揮するのですか。
 「AI研究は長い歴史があり、ようやく機が熟してきたといった感がある。AIについてはいろいろな見方があるが、個別の技術として存在するのではなく、我々の製品の中に自動的に埋まっていくイメージでとらえている。AIには得手不得手がある。社内実践でそこを見極めながら、地に足のついた形で進めていく。使いやすいAIが当社の強みだ」
日刊工業新聞2017年1月9日

この記事のファシリテーター
2年間にわたる事業構造改革により、17年度は営業利益率5%以上が見えてきた。ただ田中社長は「まだ通過点でしかない」と語る。目指すは営業利益率10%以上の“グローバルプレーヤー”だ。それを実現するための戦いはこれからが本番。17年度は海外経験豊かな田中社長の腕の見せどころだ。
(日刊工業新聞第一産業部・斎藤実)

2100とはずがたり:2017/03/13(月) 16:50:31
2015年04月26日
ASUS WebStorageはクラウドストレージの選択肢になり得るか
http://asus.blog.jp/archives/1025555937.html

ASUS WebStorageとは、文字通りASUSが運営するクラウドストレージサービスです。
マルチデバイスに対応し、PCやスマートフォン、タブレットなど、どんなデバイスからでもアクセスができます。

ASUS WebStorageはメールアドレスとパスワードの登録によって利用可能となります。
無料で5GB使え、各デバイスからアクセスが行えます。

上のスクリーンショットはMeMO Pad 8 AST21にプリインストールされていたAndroid版です。
スッキリとしたデザインでわかりにくさはありません。

特徴がないサービス

ざっと見てきましたが、至って普通のクラウドストレージサービスです。
ASUSが運営していますが、だからといって何か違うところがあるというわけでもなく、無料で利用できる容量も5GBと控えめです。

AndroidであればGoogle Driveがあります。こちらなら無料で100GB使えるものも多く、ASUS製品でもそれを売りにしている場合があります。
クラウドストレージサービスの運営元としてASUSが信頼できるのかという疑問もつきまといますし、無理にこのサービスを使うことは無いでしょう。
プリインストールされている場合も多いですが、不要ならアンイストールしてもいいと思います。

2101とはずがたり:2017/03/13(月) 18:30:09
SAMSUNのモニタF2380。
HDMI接続するとずれる様だ。。
今迄DVIとVGAでデュアルで運用してきたけど新しいパソにはHDMIが付いてるから早速変えてみたらズレた。
パソが悪いのかモニタが悪いのかは不明。。

2102とはずがたり:2017/03/14(火) 19:07:14
hp機と三菱(RDT222WM)を先ずはDSubで繋ぐも巧く行かないのでHDMIで繋いでみる。
やっぱり巧く行かないが一寸薄めに接続すると行けた。そんな接続シビアなのか??しかもDSubは直ぐ外れちゃうからしっかり取り付けたかったのに。。

2103とはずがたり:2017/03/14(火) 19:23:25

d 2016/03/14 19:00| b その他| orefolder
Android 6.0 MarshmallowでSDカードを内部ストレージとして使う方法と注意点
http://www.orefolder.net/blog/2016/03/android6-marshmallow-internal-storage/

Android 6.0 Marshmallowから、SDカードを本体の内部ストレージとして利用することが可能になりました。この機能によって、元々の内部ストレージが少ない端末でも、SDカードにより拡張し、多くのアプリを入れることができるようになります。

ただ、この機能、場合によっては今はまだ使わないほうがいいかもしれません。

内部ストレージにするときの注意点

SDカードを内部ストレージとして扱うときには、そこで一度SDカードをフォーマット(初期化)する必要があります。これによりSDカード内部の画像やその他のデータ・ファイルは消えてしまうので、必要なものはバックアップしておきましょう。

逆に内部ストレージとして使っていたSD内部ストレージとしてカードを外部ストレージ化するときも同じようにフォーマットされます。

SDカードを内部ストレージ化することの最も大きなメリットだと思いますが、各種アプリをSDカードをカードにインストールできます。これで元々のストレージが小さかった端末でも容量の大きなアプリをインストールできます。

SDカードが外部ストレージの状態でも一部の対応アプリはSDカードに移すことができましたが、内部にもある程度はデータが残り、総容量としては増えることになっていました。内部ストレージ化すれば全てがSDカードにカードに保存されます。

また、デフォルトでSDカードにインストールされるようになりますが、後から内部ストレージに変更することもできます。内部ストレージ化する前にインストールしていたアプリもSD内部ストレージ化カードに移動できますが、プリインストールのアプリなどはやはり移動できません。

2104とはずがたり:2017/03/14(火) 19:27:36
ZenFone3:SDカード → 内部ストレージ化の罠
2016-10-10 12:50:32
http://ameblo.jp/meirook/entry-12208258548.html

ZenFone3というのはAndroid6.0以降なので外部SDカードを内部ストレージ化をすることによってアプリや、そのアプリのデータを内部ストレージ化させたSDカードに保存?移動?できることはご存知だと思う

2ちゃんねるなんかでも出来たというコメントなどあったので俺も「これは間違いない!」と思った

でもZenFone3を購入してSDカードを内部ストレージ化させてとあるアプリを移動させてみると?

ん?

は?

なめとんか?!という結果でした 苦笑



これでお分かりだと思うがアプリ本体しか移動はされない
肝心のシステム域のデータは移動されないという事になる

その大容量のデータがSDカードに保存、移動できないんではあんまり需要が感じられない

よって他のブログにも書かれてるような ↓
「SDカードを内部ストレージ化すればいっぱいアプリを入れられる」

ZenFone3ではそのようにはいかないという結論になる?

多分、端末の内蔵ストレージがいっぱいになればTHE ENDですわ 苦笑



2105とはずがたり:2017/03/14(火) 20:08:22
タブレットだけどその他(アプリのファイル?)だけて半分ほど取っている。
SDカードもSSDの大容量が当たり前になってるんだからもっと潤沢に容量欲しい所やね。。今時16GB>>2066て(;´Д`)
しかもファイルマネージャーには11GBって出てる。

2106とはずがたり:2017/03/14(火) 21:07:17
SDカードスロットは内部ストレージ用と外部用と二つ付けて欲しいね。昔のパソのフロッピー用のAドライブとBドライブばりにw

2107とはずがたり:2017/03/15(水) 22:28:13
分社化される東芝メモリ、筆頭株主になるのはどこか
http://news.goo.ne.jp/article/jbpress/business/jbpress-49296.html?page=1
03月02日 07:00JBpress

 東芝がNANDフラッシュメモリ事業(以下NAND)を分社化する。その社名は、「東芝メモリ株式会社」(以下、東芝メモリ)となった。

 東芝では、2016年末に原子力事業で巨額損失が出ることが発覚し、その損失額は7125億円に膨れ上がった。その結果、2016年4?12月期は4999億円の赤字となり、12月末時点で1912億円の債務超過になっていることが明らかになった。

 この危機的状況を打開するために、東芝メモリを分社化し、新株を売却して、その売却益で債務超過を回避しようとしている。当初、新株の売却は2?3割の予定だったが、2月14日の記者会見で東芝の綱川智社長は、「マジョリティ譲渡を含む外部資本導入を検討している」と発言した。つまり、東芝メモリを手放すこともあり得るということである。

 その場合、東芝メモリの筆頭株主となって経営権を握るのは、果たしてどこになるのだろうか? 巷では10社ほどの候補が挙がっている。本稿では、買収に名乗りを上げている7つの企業について、国籍、事業内容、東芝との関係、資金の有無などを明らかにし、なぜ、東芝メモリを買いたいのか、その実現性はどのくらいあるか、について分析を試みる(表1)。

[1] 米ウェスタン・デジタル(WD)
 ウェスタン・デジタル(WD)は、ハードディスクドライブ(HDD)やソリッドステートドライブ(SSD)などストレージ装置をビジネスにしている。その傘下のサンディスクは、2000年以降、四日市工場で、東芝とNANDの共同開発・製造を行っている。このような経緯から、WDおよびサンディスクは、東芝と付き合いが深く、親和性も高い。したがって、東芝メモリの買収にはその筆頭候補に名前があがるのも自然な流れだ。

 しかし、2つ問題がある。まず、独占禁止法について。2016年の企業別NAND売上高シェアでは、サンディスク(つまりWD)が16%、東芝が19%だった(図1)。これらを合計すると、34%となり、トップシェアのサムスン電子(33%)を上回る。これが独占禁止法に抵触するかどうかについて公正取引委員会による審査を受けなければならない。これは時間がかかる上、買収が却下されるかもしれない。

 第2は、買収資金の問題。東芝は東芝メモリの資産価値を約2兆円と評価しているが、WDがその買収資金をポンと出せるかという点だ。不可能ではないかもしれないが、そう簡単ではないように思う。

 以上から、WDは東芝メモリ買収の筆頭候補であり、これまでの経緯から言えばWDが買収するのは自然流れであるが、実際に買収できるかどうかについては疑問がある。

[2] 米マイクロン・テクノロジ
 2002年、東芝がDRAMから撤退する際、その事業を買収したのが、マイクロンである。しかし、その後、東芝との交流はない。そのマイクロンは現在、DRAMとともに、NANDをインテルと共同開発し、製造している。

 マイクロンによる東芝メモリ買収の問題点は、基本的にWDの場合と同じである。まず、マイクロンは単独で14%、インテルと合計で24%のNANDシェアを有している。もし、マイクロンが東芝メモリを買収した場合、マイクロン+インテル+東芝メモリの合計で43%のトップシェアを占めることになる。これは、独占禁止法に引っ掛かる可能性が高い。

 また、2兆円の東芝メモリ買収資金については、マイクロンは、はなはだ心もとない。インテルがバックアップしてくれるなら可能かもしれないが、マイクロン単独では、2兆円は準備できないだろう。

 マイクロンは、2012年に経営破綻したDRAM専業のエルピーダを買収した。当初、米国人が日本人をコントロールできるかと疑問視されたが、結果から言うと、旧エルピーダ広島工場は、うまく経営されている。マイクロンの米国人経営者たちは、日本人とうまく協業する実績を積んだと言える。

 私は、東芝メモリが生き延びるためには、外国人経営者が必要だと思っている。その候補として、旧エルピーダとうまくやっているマイクロンは、理想的のようにも思う。しかし、独占禁止法に抵触する上に、買収資金が手薄であり、筆頭株主にはなれないのではないか。


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