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PC関連スレ
2033
:
とはずがたり
:2017/02/06(月) 16:57:43
熱かったよなあ,AMDvsIntel。
【連載】
巨人Intelに挑め! - 1GHzを突破せよ
[1] とある男の回顧録
http://news.mynavi.jp/series/amd_k7/001/
吉川明日論
[2015/03/02]
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
…このうちわ受け話シリーズは(続けばの話だが)、あのころ、そしてその後少なくとも15年は確実にコンピューター業界の話題の中心の一つであったと思われる、AMD対Intelのマイクロプロセッサ開発競争、あの血沸き肉躍る時代で私がAMDで経験したこと、背景、などを、今だから話せる秘話なども交えて記してゆこうという試みである。
K7登場
話をいきなりK7の登場から始めたい。というのも、K7は今でも私の業界原体験の中心であり、その時代のこの業界で一番AMDが脚光を浴びたイベントだったからだ。K7とはAMDが第七世代プロセッサとして開発したCPUアーキテクチャのコードネームであり、製品としてはAMD-Athlonとして知られている。K7は1999年の8月正式製品リリース(マイクロアーキテクチャの正式発表は1998年10月)、ということは、その開発は(あるいは基本的なアーキテクチャの原型は)少なくともその5年前には始まっていたはずである。1994年、1995年あたりというと、AMDがリバースエンジニアリング(後程述べる)で開発したAm486プロセッサを出荷中、その間AMDは独自開発のK5で悪戦苦闘、そして1995年の突然のNexGen買収(この辺の事情も後述の予定)、市場では、AMD、NexGen以外にもCyrix、 IDT、 VIAなどの会社がIntel互換プロセッサの開発にしのぎを削っていた時代である。
互換プロセッサ乱立時代
PCがエレクトロニクス業界の中心になり爆発的成長を始めると(この2〜3年のスマホですね)、その中心ハードウェアであるCPU市場には一気にいろいろなプレーヤーが参入してきた。しかしながら、Intel互換プロセッサの盛んだった時期は比較的短かった。というのも、技術的にも加速していくプロセッサ開発に加えて、IntelのIP(知的所有権)を侵さずに完全互換を実現することは至難の業であった。
また、プロセッサのクロックスピードがそのままアプリケーションの実行速度にダイレクトに効いてくる状況だったので、Intelは一気にそのマーケティングを周波数競争に持ち込んだ。その優劣を決めるのが半導体の微細加工技術である(今では12nmなどのレベルに達しているが、その当時は数百nmの世界だった…)。その当時は半導体ファウンドリ―などというコンセプトはなく、それぞれのメーカーが自前のプロセス、設備に投資競争をしていた時代だった。
これがべらぼうにコストがかかる。そういった状況で、多いときには5社を数えたプレーヤーは次々と脱落していった。最初の製品は出るのだが後継製品を開発する資金が続かないからだ。その間独占体制を整えつつあったIntelは80286の次は80386、そしてその後継の80486を開発するなど、矢継ぎ早に性能を向上していった。
その中で、当時AMDには以前からIntelとの協業時代からx86互換プロセッサに従事してきたエンジニアたち、Am386のリバースエンジニアリング(後で説明いたします)をリードしたBen Oliver、スーパースケーラー技術の大家Mike Johnsonらに加え、もとDEC(Digital Equipment Corp.)で業界初の64ビットチップAlphaの開発をリードしたDirk Meyer(後にAMDのCEOとなる)ら錚々たるメンバーが揃っていた。そこに、Fred Weber(NexGenの買収により合流)など、互換チップ開発の戦いに敗れ去ったチップメーカーからのエンジニアたちが続々とAMDに集結していた。皆、Intel打倒に燃える血気盛んな若いエンジニアたちであった。
こうしたエンジニアたちが長年の夢をかなえるべくAMDに集結したのは当然のことであったろう。というのも、AMDは既に8年にわたるIntelとのIPに関する調停、法廷闘争の末に、少なくとも特許問題についてはIntelと和解が成立していた。ということは、特許などの法律問題に縛られることなく、革新的なアイディアでもって、技術的優位性を実現しIntelを打倒することを夢見ていたエンジニアにとって、AMDというのは理想的な開発Platformであり、唯一可能性を秘めた会社であったからである。しかも、創業者でありCEOのJerry SandersはIntelへの対抗心に燃えていた。捲土重来を期すエンジニアたちにとってAMDはまさに「マイクロプロセッサ界の梁山泊」だったのである。
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