[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
3374
:
復興G
:2013/12/02(月) 19:36:46 ID:AB6RqYXc
トキ様
志恩様
ありがとうございます。合掌
3375
:
a hope
:2013/12/02(月) 21:36:15 ID:/9IAdiFk
>>3366
復興Gさま
<< 「知」が「信」によって生命を吹き込まれ、更にそれを愛行によって実践するとき真理が生動するものとなるのです。>>
とご教示いただいている愛行を、新たな場で、全生命をかけて実践して行きます。
上の復興Gさまの御決意に心からの拍手を送らせていただきます。
そして、今までとてもレベルの高い魂のこもった丁寧なご指導をしていただいたことに心から感謝します。
わたしは自分ほど、復興Gさまご指導のこのweb誌友会で生長させていただいたものはいないと自負しています。
復興Gさまは、この掲示板を引退されても
<<来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい。>>
と仰っていますから、これからは、わたしもトキさまや志恩さま同様、そちらに期待させていただきたいと思います。
とはいいましても、12月いっぱいはまだこのweb誌友会でご指導いただけるわけですから、今回も精一杯学ばせていただきたいと思います。
復興Gさま どうそよろしくお願いいたします。
感謝 合掌
3376
:
a hope
:2013/12/02(月) 21:38:19 ID:/9IAdiFk
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第20回 web誌友会
期間 12月1日〜12月31日まで
テキスト 「生命の實相」全範囲および、全聖典
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
3377
:
あさひ
:2013/12/02(月) 22:02:53 ID:u9w/1zYY
復興Gさま
色々教えて頂いておりましたが、卒業されると聞き驚いています。
卒業されても、時々同窓会に出てきてください。
どこにおられても 雅春先生の弟子としての先輩、同志ですから。
ありがとうございます。
ますますのご活躍で更に大きくお国のためになられることでしょうね。
合掌
3378
:
ユタカ
:2013/12/03(火) 05:43:55 ID:???
復興G様がいなくなるなんて考えられない!!
もうユタカは生きていられない!!
3379
:
復興G
:2013/12/03(火) 07:46:23 ID:AB6RqYXc
a hope 様
あさひ様
ありがとうございます!
ユタカさま
>>復興G様がいなくなるなんて考えられない!!
もうユタカは生きていられない!! <<
大丈夫ですよ、私はいなくなるわけではありませんよ。
今まで以上に、私はユタカさまともひとつの心で、今まで以上に力強く前進して行きたいと思っていますから。
ありがとうございます!
3380
:
a hope
:2013/12/03(火) 08:34:17 ID:/9IAdiFk
みなさま、第20回web誌友会が開会いたしましたので、開会の祈りをさせていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、
すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
3381
:
a hope
:2013/12/03(火) 08:39:00 ID:/9IAdiFk
つづきまして、聖経 『真理の吟唱』より
「神に世嗣(よつぎ)を完(まっと)うする祈り」を謹写させていただきます。
「神に世嗣を完うする祈り」
わたしは今 〝神の子〝 であることを悟ったのである。
神はわが父であり給い、私たち人間を神の世嗣として地上に顕現せしめ給い、
神の御心を地上に実現するための 〝神の子〝 として地上天国建設の使命を授け給うたのである。
この大使命を自覚するまでの私たちは、いわば 〝漂流(さすらい)の子〝 〝放蕩息子〝 とも譬(たと)うべきものであったのである。
しかし今はもう私は 〝漂流(さすらい)の子〝 でも 〝放蕩息子〝でもないのである。
わたしは今、父の御許に立還(たちかえ)ったのである。
父はわたしが郷里に還ったことを悦びたまうて、父のもち給える一切の善きもの、
美しきもの、悦ばしきもの、楽しきものを与え給い、私を神の世嗣とし給うのである。
神の大いなる清く健やかなる生命の流れが滔々として、今わが内に流れつつあるのである。
それゆえに、私は今、無限に健やかであり、溢るるばかりの生命の豊かな躍動を内に感じ、
地上天国建設のために、
私に割当てられたる仕事にいそしむことができるのである。
私は今、ゆるされて神の世嗣となったのであるから、神の明らかなる智慧は常に神の御蔵あ(みくら)より私に流れ入って、
何時、如何(いか)になすことが、繁栄の道に叶い、健康の道に叶い、人類の福祉の道となり、
地上天国建設に役立つ道であるかを明らかに知ることができるのである。
わたしの努力することは必ず実を結び、わたしの計画することは必ず善き協力者を得て、成就することは明らかなのである。
わたしは今、神の世嗣として、わが内部に神の大生命が還流し、素晴らしい生命の輝きを発揮していることを自覚するのである。
それゆえに私は常に心明るく楽しく愉快で、光明の雰囲気を身辺に放散しているのである。
したがって、私の身辺にきたる人々は、ことごとく明るくなり、楽しくなり、愉快となり、幸福となるのである。
したがって、私は多くの良き協力者を得、共鳴者を得、いよいよ益々繁栄せざるを得ないのである。
わたしは今、自分がまことにも神の世嗣であることを自覚したのである。
今、ここに、私の体に神が満ちていますのである。
永遠の生命、永遠に疲れず、老いず、病まず、働きてやまざる生命、
――これが神の生命であり、私の生命であるのである。
その生命の貴(とうと)さを自覚するとき、わが生命はその高貴さを現実に発揮するのである。
その生命の貴さを自覚して行動するとき、神が現実に、この 〝私〝 を通して顕れ給い、
奇蹟と見ゆるごとき大業をもやすやすと成就することができるのである。
人間が神の世嗣であるということは、人間は自己を通して神の一切の善徳がこの世に実現する機関であるということである。
自覚せよ、自覚せよ。
〝私は 〝神の子〝 であり、神の世嗣であり、神の最高の自己実現であることを。
ありがとうございます。
以上 謹写 終わり
感謝 合掌。
それでは、復興Gさま、トキさま、みなさま、今回もどうそよろしくお願いいたします。
3382
:
復興G
:2013/12/03(火) 09:19:34 ID:AB6RqYXc
a hope さま、ありがとうございます。
「神の世嗣を完うする祈り」 を拝読して、身の引き締まる思いと、悦びに打ち震える思いです。
感謝 合掌
3383
:
トキ
:2013/12/03(火) 20:29:08 ID:1.ZeCdy2
"神 真理を告げ給う”の16pには、以下のご文章があります。
「あなたが『生命の実相」をよむとき、あなたの内にあって眠っていた”わたし”の
分身が、実相を語るコトバの力によって目覚めしめられる。その程度は人によって
異なるのであるけれども、その目覚めの程度にしたがって、或は病気が消えたり、
その人の経営する事業が、実相円満の展開として、繁栄して来るなどの体験があら
われて来る。(後略)」
今回もテキストとして、生命の実相を拝読します。素晴らしい成果が生まれる事
を確信しております。
復興G様、a hope様、よろしくお願いします。皆様のご参加を心からお待ちして
おります。
合掌 ありがとうございます
3384
:
復興G
:2013/12/03(火) 22:16:24 ID:AB6RqYXc
トキ様
皆さま
ありがとうございます。
私は書き込みたいこともたくさんありますが、今ちょっといそがしいので、
土曜日以後に書かせて頂きます。
『生命の實相』 第7巻に関する話題を書きたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
合掌
3385
:
ユタカ
:2013/12/03(火) 22:33:07 ID:???
復興Gさま、これからもずーーーっと一緒にいさせて下さい。
ほんとに、本当に! みんなともこれからもずーーーっと一緒にいて下さい。
今日一日は・・・・
上をむいて歩こう・・・
涙がこぼれないように・・・
泣きながら歩く一人ぼっちの夜・・・
って歌の通りでした。。。
3386
:
復興G
:2013/12/04(水) 09:59:48 ID:AB6RqYXc
ユタカさま
あなたと私は、離れたくても離れることのできない、いつも一体の命ですよ。
「泣きながら歩く一人ぼっちの夜・・・」
なんて、夢ですよ、夢!
夢から覚めて、笑いましょう! ワッハッハ・・・・・・!
ありがとうございます!
3387
:
a hope
:2013/12/04(水) 22:02:36 ID:/9IAdiFk
>>3381
訂正
「神に世嗣を完うする祈り」→「神の世嗣を完うする祈り」
3388
:
a hope
:2013/12/04(水) 22:03:17 ID:/9IAdiFk
>>3385
ユタカさま
お久しぶりです。
最近書き込みが少ないのは、お勉強にお仕事に忙しくされていらっしゃるからだと拝察しています。
復興Gさまはこちらに書き込みをされなくなっても、
<<来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい。>>
おっしゃっていますから、お別れするのとは違うと思いますよ。
だから、わたしはちっとも悲しくないのです。
わたしは、来年からは、復興Gさまからの「新たな場」でたくさん学ばせていただくつもりでいます。
わたしは、ユタカさまともまた一緒にお勉強できるのを楽しみにしていますよ!
3389
:
a hope
:2013/12/04(水) 22:06:06 ID:NQ9J2d7w
みなさま こんばんは。
わたしはもう4年前くらいになりますが、聖典「生命の實相」という素晴らしい聖典に巡り合って教団の信徒になりましたが、
今の教団の教えになじめず体調を壊し、その時に当時の「本流掲示板」で教団の現状知りました。
その後、2年間以上もの間、こちらのトキ掲示板で自分の感じたことを素直に発言させていただいてきました。
わたしが、初めて復興Gさまとお話したのはトーキングスティックボードで、復興Gさまが榎本恵吾先生のお話をされているときだったような気がします。
真理を知りたい一心で、当時、わたしにはとても難しく感じられた復興Gさまの「実相独在」の話について行こうと頑張っていました。
今朝、久しぶりにそこのところを再拝読してみましたが、その内容がすごいので驚いています。
復興Gさまは、とても丁寧に「実相独在」の見解からの「大調和の神示」「人類光明化運動発進の宣言」『因果、昧(くらま)さず』の解釈をしてくださっていました。
わたしは、2年間以上ここでお勉強させていただいて、やっと、その本当の意味が理解できるようになってきたようです。
そして今、その内容の素晴らしさにあらためて感動しています。
昨晩、風笠さまがトーキングスティックボードに久しぶりに登場されていましたが、
当時の風笠さまと復興Gさまの『無門關解釋』第二則「百丈野狐」に関するやり取りなどは、
当時のわたしにはほとんど理解できていなかったようです。
もう一度ゆっくり拝読しなおして、お勉強させていただきます。感謝 合掌。
皆さんもよかったら、ご覧になって下さいね。
本当に、素晴らしい内容ですよ!
トーキングスティックボード>109 〜>185までです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/109n-
3390
:
復興G
:2013/12/05(木) 10:21:11 ID:AB6RqYXc
>>3389
:a hope さま
2年前のトーキングスティックボードまで読み返して下さって、ありがとうございました。
合掌
3391
:
トキ
:2013/12/05(木) 19:44:35 ID:SC0VGwQQ
生命の実相第7巻は分かりやすくて、青年会などではよくテキストに使っていました。
ただ、ある程度、勉強をすると、このテキストは、第1巻から第6巻まで読んで、その
内容を咀嚼しないと、これはこれで捉え方が変わって来るという印象を感じています。
唯神実相論を前提にしないと、単なる啓発書と誤解されるかもしれません。
しかし、逆に、真理を生活に生かす、という目標から考えると、第7巻はその点をよく
とらえた内容かと感じています。この当たり、まだ、勉強中でわからない点が多々ありま
すので、復興G様のご指導をお願いする次第であります。
3392
:
ユタカ
:2013/12/05(木) 23:13:13 ID:R1D4Jmeg
>>ユタカさま
夢ですよ、夢!
夢から覚めて、笑いましょう! ワッハッハ・・・・・・!<<
===============================
ハッ!!
夢か!! 夢だ! 夢だったんだ!!!
汝らの先づ悟らざるべからざる真理は、
『我』の本体がすべて神なることなり、
汝ら億兆の個霊も、
悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。
喩へば此処に一個の物体の周囲に百萬の鏡を按きて
これに相対せしむれば一個もまた百萬をの姿を現ぜん。
斯くの如く汝らの個霊も
甲乙相分れ、丙丁互に相異る相を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
これを汝ら互いに兄弟なりという。
生長の家が分裂しているように見えるのは夢だ!! 夢だ!!夢だった!!
異なる姿をしていても全て谷口雅春先生の生長の家だ!
みんな兄弟だった! どこに所属していてもそこが生長の家だった。
外形に捉はるること勿れ。
分かち難く一体なる事を知り、
おのづから愛と賛嘆の心湧き起こらん。
そうか!!!! そうだったんだ〜〜〜〜〜!!!!
復興Gさま、 卒業試験の問題を解答できたような気分です。それか、長い悪夢からの覚醒。??
自分の中で納得できればそれが最高です!!
復興Gさま、ありがとうございます!!!
a hopeさま
どうもありがとうございます。
一緒に復興Gさまと永遠に勉強していきましょうね。
3393
:
復興G
:2013/12/06(金) 09:50:27 ID:AB6RqYXc
ユタカさま!
あなたは素晴らしい!
あなたは、私よりも一歩先を行ってらっしゃる!
私も、あなたに遅れないように、永遠に一緒に勉強していきます!
ありがとうございます!
3394
:
a hope
:2013/12/07(土) 23:19:08 ID:/9IAdiFk
みなさま こんばんは
>>3392
ユタカさまの
<<ハッ!!
夢か!! 夢だ! 夢だったんだ!!!
汝らの先づ悟らざるべからざる真理は、
『我』の本体がすべて神なることなり、
汝ら億兆の個霊も、
悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。
喩へば此処に一個の物体の周囲に百萬の鏡を按きて
これに相対せしむれば一個もまた百萬をの姿を現ぜん。
斯くの如く汝らの個霊も
甲乙相分れ、丙丁互に相異る相を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
これを汝ら互いに兄弟なりという。
生長の家が分裂しているように見えるのは夢だ!! 夢だ!!夢だった!!
異なる姿をしていても全て谷口雅春先生の生長の家だ!
みんな兄弟だった! どこに所属していてもそこが生長の家だった。
外形に捉はるること勿れ。
分かち難く一体なる事を知り、
おのづから愛と賛嘆の心湧き起こらん。
そうか!!!! そうだったんだ〜〜〜〜〜!!!!>>
というお悟りの心境ですが、なんかお釈迦さまの悟りに似ているような気がしましたよ。
以下、謹写させていただきます。
3395
:
a hope
:2013/12/07(土) 23:20:55 ID:/9IAdiFk
「生命の實相」第39巻 佛教篇 P41 8行目〜
…悟ってみれば、天地間のものことごとくが生かし合いならざるものはない、実にありがたい世界だったのであります。
すべてのもの一つ一つに仏の命が現れている、仏の慈悲が現れている、神のいのちが現れている、神の愛が現れていることが悟れるのです。
神の生命(いのち)が現われ、仏のいのちが現われているからこそすべてのものが互いに愛し合い生かし合っているのです。
今まで殺し合いだと思っていた世界は神の、仏の、無限の生命(いのち)、愛、智慧に満たされているところの立派な世界だったのです。
互に憎しみ合い争い合っていると見えた生命(いのち)も、その敵と見えたものは、
自分にとっては自分をみがく砥石であってわれわれの生命(いのち)がだんだん砥石にかけられて、
いっそう立派な霊性が啓(ひら)かれてゆくために仕組まれている仏の慈愛、神の愛の現れだったのです。
天地間、ありとあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、
憎しみ合っているかのごとく見えている者同志さえも生かし合っている世界なのです。
みんな愛し合いの世界なのです。
みんな解け合いの世界なのです。
そういうことが釈迦に解ってきたのであります。
そこで釈迦は、十二月八日の暁(あけ)の明星を見ながら、「「有情非情同時成道、山川草木土悉皆成仏」と悟られたのであります。
すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」」――ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。
山も川も草も木も悉く仏の姿である。
みんな生かし合い、拝みあいの相(すがた)である。
今まで地獄の相(すがた)だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。
これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。
以上 謹写 終わり
感謝 合掌
明日12月8日は、釈迦が悟りを開かれた日なのですね!
3396
:
ユタカ
:2013/12/08(日) 05:35:13 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
ありがとうございます。復興Gさま、これからも違う形かも知れませんが、これからも「生長の家の御教えの御導き」を頂けると分かりましてとても安心出来ました誠に、有難うございます。
私は、復興Gさまとのお勉強が大好きで・・・「ストカー」にでもなりかねないところでした? かも?? (冗談です、ごめんなさい)
復興Gさま、私は復興Gさまの先になど、とても、とても行けません。
今回も、夢ですよ。と復興Gさまに教えて頂いたので眼が覚める事ができました。かといって、a hopeさまが謹写下さいました生命の実相のような
自分を磨く砥石 にかけられて磨かれている自覚もまだまだ希薄です。
ですので、復興Gさま、ユタカはまだまだ勉強しないといけない事が沢山あります、これからも御教えのご指導ご鞭撻の程をよろしくお願い申し上げます。
a hopeさま
心を打つような素晴らしいご謹写を有難うございます。本当に実相世界って素晴らしいですね。
私達が住んでいる本当の世界なのですね。有難うございます。
今、私は何も出来なくてごめんなさい。
3397
:
ユタカ
:2013/12/08(日) 05:47:06 ID:R1D4Jmeg
>>夢ですよ、夢!
夢から覚めて、笑いましょう! ワッハッハ・・・・・・!<<
復興Gさまの言葉って本当に素敵ですね、明るく嬉しくなってしまいます。
そして、実相と現象の区別を常にできる簡単で明るい優しい良い言葉ですね。
3398
:
復興G
:2013/12/08(日) 11:05:43 ID:AB6RqYXc
>>3394
・3395 :a hope さま
ありがとうございます! 今日が、そのお釈迦様成道の日なのですね! 素晴らしい!
おめでとうございます!
「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」 と言いますが、本当は、「九族」 (4代前の先祖から4代後の子孫まで) だけではなく、「有情非情同時成道」 なのですから、
「自分ひとりが浄まったなら、世界は浄まるのである」
(『叡智の断片』 p.127)
「一即多・多即一であり、相即相入であり、皆さんのいのちは、私のうちにあり、私のいのちは皆さんのうちにあり、相即相入していることがわかるのであります。これが華厳の真理であり、生長の家の真理でもあり、法華経にもそれが説かれているのであります。
そのように人間の生命の実相は互に一体でありますから、一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。
……一人出家すれば九族天に生まる ということが書かれておりますが、九族どころじゃない、一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟るのであります。これこそが、実相世界の素晴らしい状態なのであります。もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。」
(『新版 真理』 第7巻 p.16〜17)
とお教え頂いています。迷っている者があると見ていたのは、実は夢だったのですね!
バンザーイ! 夢から覚めて、笑いましょう! ワッハッハ・・・・・・!
ありがとうございます!
>>3396
・3397 :ユタカさま
ユタカさまのような方にストーカーされたら、うれしくて、舞い上がって昇天してしまいますよ(笑)。
バンザーイ! です。
3399
:
a hope
:2013/12/08(日) 12:14:52 ID:/9IAdiFk
>>3398
復興Gさま
昨晩「生命の實相」第39巻 佛教篇を拝読していて、偶然、12月8日が釈迦の悟った日だと知りました。
「えっ? 今日って何日?」って、カレンダーで確認したら、前日の7日でした!
聖典『生命の實相』の拝読を続けていると、そんな偶然(シンクロニシティ現象)が、頻繁に起きるようになってきました。
<< 「一即多・多即一であり、相即相入であり、皆さんのいのちは、私のうちにあり、私のいのちは皆さんのうちにあり、相即相入していることがわかるのであります。これが華厳の真理であり、生長の家の真理でもあり、法華経にもそれが説かれているのであります。
そのように人間の生命の実相は互に一体でありますから、一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。
……一人出家すれば九族天に生まる ということが書かれておりますが、九族どころじゃない、一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟るのであります。これこそが、実相世界の素晴らしい状態なのであります。もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。」
(『新版 真理』 第7巻 p.16〜17)
>>
↑これが「同時成道」なのですね!
また、今朝「光明掲示板」へ行ったら、伝統さまが、「釈迦成道会に因みて (3367)」というスレッドで、釈迦のお悟りについて詳しくお話くださっていました。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=716
なんて真理のお勉強は楽しいんでしょう!!
バンザ―――――イ!!!
3400
:
復興G
:2013/12/08(日) 12:59:32 ID:AB6RqYXc
トキ様 皆さま
>>3384
で (12月3日)
>>私は書き込みたいこともたくさんありますが、今ちょっといそがしいので、土曜日以後に書かせて頂きます。
『生命の實相』 第7巻に関する話題を書きたいと思っています。<<
とお約束していました、その土曜日(7日)を過ぎています。遅くなりましたが、それを、これから書かせて頂きます。
>>3391
でトキ様が
>> 生命の実相第7巻は分かりやすくて、青年会などではよくテキストに使っていました。
ただ、ある程度、勉強をすると、このテキストは、第1巻から第6巻まで読んで、その内容を咀嚼しないと、これはこれで捉え方が変わって来るという印象を感じています。唯神実相論を前提にしないと、単なる啓発書と誤解されるかもしれません。<<
と書いて下さっていました。
『生命の實相』 第7巻 生活篇は、宗教臭くなくて、誰が読んでも生命が鼓舞されるような力強いご文章で書かれており、青年・壮年の新人に愛行贈呈すると必ず喜ばれると言ってよい、素晴らしいご本だと思います。
では、唯神実相論を説かずレベルを落としてあるのかというと、そんなことはないと私は思います。
この巻の最後のところには、次のように記されています。
<< 「生長の家」 の出現とともに、人間は 「新しい生命」 を見いだしつつある。今まで、人間は物質で造られているもの、死すべきもの、有限なるもの、病むべきもの苦しむべきもの、罪人として報いを受けねばならぬもの、かくあるべく運命づけられているものとされていたのである。ところが、「生長の家」 の出現とともに、人間は別の自分―― 「本物の自分」 を発見したのである。
彼は霊で造られているもの、不死なるもの、無限なるもの、病まざるもの、苦しむこと能わざるもの、本来清浄(しょうじょう)にして罪に汚染し難きもの、円満に、幸福に、健康に、豊富に、生きることのほかは何事もできないように運命づけられているものであるところの自分を見いだしたのである。
なんという人類全体の更生であろう。なんという人類全体の福音であろう。「真理はなんじを自由ならしめん」 と聖書にあるように、人類は 「生長の家」 によって、真理を与えられて、自己本然(ほんねん)の生命の円相を奪還したのである。>>
と。
この 「本物の自分」 を生かす道、「自己本然(ほんねん)の生命の円相」 を実生活に現し出す道を、雄渾無比の力強いご文章で書きあらわされたのが、この第7巻 「生活篇」 であると思います。
私自身、青年時代から、この 「生活篇」 によってどんなに大きく影響を受け、育てられたことか、計り知れないものがあります。今日の私の幸福は、この 「生活篇」 によるところがまことに甚大です。
例えば、私が結婚できたのも、「生活篇」 のおかげです。(のちほど、詳細を書かせて頂きましょう。)
小学校から高校までの同期生と何十年ぶりかに会ったとき、かつてはまったく意気地なしで おとなしく非社交的だった私の 変わりように驚嘆されることが多いです。
「人間って、こんなに変われるんだ」
と。
それは、この 「生活篇」 によって育てられたところが極めて大きいのです。それを思うと、感動で涙が出るくらい、ありがたいことです。
――つづきは、また後に。
3401
:
復興G
:2013/12/08(日) 13:45:37 ID:AB6RqYXc
>>3399
:a hope さま
>> 聖典『生命の實相』の拝読を続けていると、そんな偶然(シンクロニシティ現象)が、頻繁に起きるようになってきました。<<
―― 「一即多・多即一であり、相即相入」 で、「同時成道」 なのだから、それが当り前なのでしょうね。
ありがとうございます!
3402
:
曳馬野
:2013/12/08(日) 16:46:19 ID:TUEhTkAQ
a hopeさん、復興Gさん、その他本流派の方にお聞きします
** それが丁度12月の8日。
あたかも暁の明星が東の空に輝かしく光を放っていたのです。
(中略)
** 釈迦は尼連禅河で沐浴して、ゆあがりのサッパリした気分で初めて6年振にバラモンの少女から
供養を受けて牛乳のお粥をお喫りになった時にとても美味しかった。
この伝統さん引用文の件です。
雅春先生は後半の少女の供養により悟りを得たと説かれます、しか禅門では一見明星により悟りを得たと云われています。
その一見明星の様子を己の上に体験することを悟りとします。
釈迦の悟りはどちらでしょうか?
** 一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。
……一人出家すれば九族天に生まる ということが書かれておりますが、九族どころじゃない、
一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟るのであります。これこそが、実相世界の素晴らしい状態なのであります。
もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります(復興Gさん引用文)
迷っている者があると見ていたのは、実は夢だったのですね!(復興Gさん)
【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り)
【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)
【 一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。】これは現象界が変化する、ということではないですよね。
雅春先生が悟られても、本流派のお偉い方が悟られているような物言いをされても、雅宣先生は悟りとは関係ない人だと云われて
いるのですから。
【 迷っている者があると見ていたのは、実は夢だったのですね!】と高笑いされても現実は何ら変わっていないですよね。
生長の家の悟りとはどのようなものなのでしょうか?
有情非情同時成道と意識の世界で実相論を振りかざしても、教団を現象悪の権化のように見ることはどういうことなのでしょうか?
観念の世界で実相を捉え喜んで、現実には現象悪と感ずるものに口汚く対応する、これが生長の家の救いなのですか?
こんな救いであるならば、雅宣先生でなくとも私も御免こうむります。
3403
:
復興G
:2013/12/08(日) 19:00:26 ID:AB6RqYXc
>>3402
:曳馬野さん
私は “本流派” ではありません。
<< もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。>>
だから、
>>教団を現象悪の権化のように見る<<
ことはしておりません。
また、
“本流派” を悪現象の権化とも見ません。
>>3392
で ユタカ様が
<< ハッ!!
夢か!! 夢だ! 夢だったんだ!!!
汝らの先づ悟らざるべからざる真理は、
『我』の本体がすべて神なることなり、
汝ら億兆の個霊も、
悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。
喩へば此処に一個の物体の周囲に百萬の鏡を按きて
これに相対せしむれば一個もまた百萬をの姿を現ぜん。
斯くの如く汝らの個霊も
甲乙相分れ、丙丁互に相異る相を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
これを汝ら互いに兄弟なりという。
生長の家が分裂しているように見えるのは夢だ!! 夢だ!!夢だった!!
異なる姿をしていても全て谷口雅春先生の生長の家だ!
みんな兄弟だった! どこに所属していてもそこが生長の家だった。
外形に捉はるること勿れ。
分かち難く一体なる事を知り、
おのづから愛と賛嘆の心湧き起こらん。
そうか!!!! そうだったんだ〜〜〜〜〜!!!!
復興Gさま、 卒業試験の問題を解答できたような気分です。それか、長い悪夢からの覚醒。?? >>
――と書いて下さったように、
また a hope さまが
>>3395
で 「生命の實相」 第39巻 佛教篇 P41〜から謹写引用してくださったように、
<<…悟ってみれば、天地間のものことごとくが生かし合いならざるものはない、実にありがたい世界だったのであります。
すべてのもの一つ一つに仏の命が現れている、仏の慈悲が現れている、神のいのちが現れている、神の愛が現れていることが悟れるのです。
神の生命(いのち)が現われ、仏のいのちが現われているからこそすべてのものが互いに愛し合い生かし合っているのです。
今まで殺し合いだと思っていた世界は神の、仏の、無限の生命(いのち)、愛、智慧に満たされているところの立派な世界だったのです。
互に憎しみ合い争い合っていると見えた生命(いのち)も、その敵と見えたものは、自分にとっては自分をみがく砥石であってわれわれの生命(いのち)がだんだん砥石にかけられて、いっそう立派な霊性が啓(ひら)かれてゆくために仕組まれている仏の慈愛、神の愛の現れだったのです。
天地間、ありとあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎しみ合っているかのごとく見えている者同志さえも生かし合っている世界なのです。
みんな愛し合いの世界なのです。
みんな解け合いの世界なのです。
そういうことが釈迦に解ってきたのであります。
そこで釈迦は、十二月八日の暁(あけ)の明星を見ながら、「「有情非情同時成道、山川草木土悉皆成仏」と悟られたのであります。
すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」」――ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。
山も川も草も木も悉く仏の姿である。
みんな生かし合い、拝みあいの相(すがた)である。
今まで地獄の相(すがた)だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。
これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。>>
――と、そういう世界がすでに実在することのみを、ただひたすら観じております。
ありがとうございます!
3404
:
a hope
:2013/12/08(日) 20:16:50 ID:/9IAdiFk
>>3402
曳馬野さま
<<雅春先生は後半の少女の供養により悟りを得たと説かれます、しか禅門では一見明星により悟りを得たと云われています。その一見明星の様子を己の上に体験することを悟りとします。
釈迦の悟りはどちらでしょうか?>>
とのご質問ですが、わたしは、「禅門の一見明星による悟り」に関しての知識がないのですが、
伝統さまの謹写された雅春先生の御文章をよく拝読すると、どちらもお釈迦さまの悟りだったのではないかと感じます。
以下、光明掲示板より「釈迦成道会に因みて (3367)」部分転載させていただきます。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=716
―――――――――――――
ウルビルワーの林の中で6年間苦行を続けられましたが、結局得るところなく、又山を下りて来られた
のであります。それが所謂「出山(しゅっせん)の釈迦」でありまして、『出山の釈迦像』として彫刻
とか絵などに表現せられているところの、瘠せさらばうたお釈迦さんの姿であります。
山から下りて来られた後、苦行は悟のたねにあらず、斯うお悟りになったのです。
苦しんでみたところが、本当に悟が開けるものではないんだ。
そこで一遍気持を変えようというので、尼連禅河という河に沐浴をされたのであります。
全身を沐浴せられて6年間の垢をお落しになると
綺麗さっぱりとした清々しい気持ちになられたのであります。
それが丁度12月の8日。
あたかも暁の明星が東の空に輝かしく光を放っていたのです。
(中略)
釈迦は尼連禅河で沐浴して、ゆあがりのサッパリした気分で初めて6年振にバラモンの少女から
供養を受けて牛乳のお粥をお喫りになった時にとても美味しかった。
お釈迦さんはその美味しい味はどこから来るか考えられたのであります。
そして是は物質の味ではないということが本当にお分りになったのです。
此の世界は、殺し合いの世界ではなかった、と悟られたのであります。
拝みあっているのだ、というように釈迦の心の中で「観」が転回したのでした。
みんな生かし合いの世界なのである、斯う云うように観る心が変わったのであります。
その時に、万物が本当に生命に満ち輝いて仏の生命そのものの顕現のように思われたのである。
そこでお釈迦さんは「有情非情同時成道、山川国土草木悉皆成仏」と悟られました。
情(こころ)ある者も、情なき草木も山も川も悉く同時に今、仏を成就している。
皆仏のいのちが輝いている、仏の命でないものはない。
だから「みんな一体」の世界である。斯ういう風に悟られたのであります。
――――――――――――――
「悟り」は、「小悟」「大悟」合わせて何回も訪れると言われていますから、どちらの悟りもお釈迦さまのまことの「悟り」だったのではないでしょうか?
それから、その後の曳馬野さまのご質問に関しては、よく理解できないのですが、
たぶん曳馬野さまは、雅宣先生や教団のことに関して質問されているのではないかと思います。
ですが、わたしは以前、
>>3320
で、
<<わたしはこれからはこちらのweb誌友会では、雅宣先生や教団の問題には触れず、真理のお勉強を中心にさせていただきたいと思っています。
曳馬野さま、わたしはこれからは批判的な発言は控えますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。>>
と、発言しています。
ですから、その件に関してはお答えしかねます。
お答えできず、申し訳ありません。
3405
:
復興G
:2013/12/08(日) 20:47:31 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
もう一度言いますが、
私は “本流派” ではありません。
人を、“本流派の方” などと十把ひとからげにしていうことは、やめてください。
人間はみな実相において平等な神の子であるとともに、現象においては一人一人みなちがう個性、ちがう体験、ちがう考え方を持ち、ちがう使命をもった、尊い神の子です。
『光明法語』 <十月一日の法語> には、「異なる者の渾一調和」 と題して次のように書かれています。
<< 異なる個性あるものがその個性を没却せずして互いに協力しつつ完全なる 「一」 となるとき其処に無限の美があらわれるのである。その完全なる美の極致の一つは交響楽である。各々の楽器はその個性を発揮し、その各々の吹奏が巧妙であればあるほど全体の音楽は一層妙なるものとなるのである。
それと同じく、各民族、各人種も、各民族の個性、各人種の個性を発揮しながら渾然たる調和が発揮されるとき、そこに最も美しき文化が建設せられるのである。>>
3406
:
ユタカ
:2013/12/08(日) 21:19:47 ID:R1D4Jmeg
おお、皆様、どの方もどの方も素晴らしい!!
皆様が光輝いているようです。復興Gさま、交響楽団の比喩はさらに判り易くて素晴らしいですね。
実相側に立って全てを観れる素晴らしさ!! 生長の家万歳!!! 日本国万歳!! 天皇陛下万歳!!
復興Gさま、とても感謝しています、ありがとうございます。
3407
:
トキ
:2013/12/08(日) 23:28:38 ID:WeeA/EAo
>>3402
曳馬野 様
ご投稿、ありがとうございます。
以前、私が、「百万運動をしていた人でも、総裁援護をする人がいる」と書いたら、ある人から
たいへんお叱りを受けた記憶があります。しかし、曳馬野様を拝見していると、どうやらあの議論
は私の勝ちだったという事は言えるかもしれません。閑話休題。
さて、復興G様は、登場当初、どちらかと言えば援護派と言われていたし、途中でも「靖国見真会
参加者」様から、きびしく非難されていたのも事実です。復興G様をいわゆる本流復活派というの
は、私個人はかなり違和感を感じる次第であります。
それと、今、教団がたいへんな混迷状態にあるのは、周知の事実です。私は本流復活派を支持する
ものではないですが、しかし、本流復活派が教団を批判する意見には相当根拠があるものが含まれる
のも事実です。この状態で「何もしない」ことが、「悟り」と言えるか、私には理解ができないとこ
ろであります。
私が見る所では、復興G様の言動は、あくまでも真理に指導に留まるものであり、本流復活派を支持
するものは含まれていないと思っています。
さらに、a hope様も、本流復活派とは一線を画して言動をされています。
以上は個人的な意見ですので、その点、ご理解下さい。
では、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
3408
:
曳馬野
:2013/12/09(月) 05:27:09 ID:TUEhTkAQ
【a hopeさん、復興Gさん、その他本流派の方にお聞きします】
私は “本流派” ではありません。
もう一度言いますが、 私は “本流派” ではありません。
人を、“本流派の方” などと十把ひとからげにしていうことは、やめてください。
書きようがまずかったでしょうか、【a hopeさん、復興Gさん、本流派の方にお聞きします】に訂正します
a hopeさんが伝統さんの投稿文を紹介し、そこには生長の家での悟りについて書かれていますが、禅の世界での悟りとは違うものであります。
でありますから釈迦の悟りとは如何なるものかとの質問なんですね。
そして復興Gさんの引用による雅春先生の書きようが、【悟れば】、と条件を付けていること自体が現象についてのように見えるのです。
【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り)
【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)
【 一人が悟ればすべての人が悟るということになっでいるのであります。】
「これは現象界が変化する、ということではないですよね。」の私の感想の理由が
【雅春先生が悟られても、本流派のお偉い方が悟られているような物言いをされても、雅宣先生は悟りとは関係ない人だと云われて
いるのですから。】なんです。ここの【本流派のお偉い方が】は復興Gさんのことではありません。文字どおり本流派の元本部講師の人の
ことです。
分派の人は救いを与える生長の家でなくてはならない、と云い、分派の元本部講師方は救われているから、自分たちと同じように信徒を
しなくてはならないとして、教団を糾弾しています。ですから
【情同時成道と意識の世界で実相論を振りかざしても、教団を現象悪の権化のように見ることはどういうことなのでしょうか?
観念の世界で実相を捉え喜んで、現実には現象悪と感ずるものに口汚く対応する、これが生長の家の救いなのですか?】
この様な分派の行動が救いを得た人のすることであるならば、これが生長の家の救いなのですか?との質問となりました。
【 迷っている者があると見ていたのは、実は夢だったのですね!】と高笑いされても現実は何ら変わっていないですよね。
生長の家の悟りとはどのようなものなのでしょうか?
これは復興Gさんまたあなたに同調する人への質問であります。
最初に掲げたあなたの抗議には【怒り】があるように感じます。
他人が何か言ったことで感情が揺さぶられるようで何の悟りでしょうか。
師が弟子を印可証明するとは言われますが、正しくは弟子が師を証明しなければならないのです。
己が悟ることにより、やはり師の云っていたことは正しかった、と。
それが連綿としているのが禅の世界です。
生長の家に有りますか?大日本神国観で云われている世界を自分で確認した人がいますか?
私はいないと思っています。であれば真理追求派のあなたは、また分派の元本部講師方は何を信徒に伝えようとしているのでしょうか?
3409
:
復興G
:2013/12/09(月) 06:05:05 ID:AB6RqYXc
曳馬野さんにお尋ねします。
あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか?
3410
:
ユタカ
:2013/12/09(月) 06:53:19 ID:R1D4Jmeg
>>3408
曳馬野殿
曳馬野さんの実相は神の子で素晴らしい!
だけど、現象は宗教の救いの部分で言われれば、お前は「後回しの部分」に属しているな。。。。
特に曳馬野さんの「現実が変わらない」なんて発言には「お気の毒さま」 と言ってあげる、その発言には大宇宙の偉大さの認識が欠乏と言うか、脱落しているから。。。
眼に見えない事を判らないでしょ。曳馬野さん?
ランナーで言うなら、まだ、スタートにも立っていない。 観客席で走っている人を批判しているように見える。
3411
:
復興G
:2013/12/09(月) 07:11:38 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
>> a hopeさんが伝統さんの投稿文を紹介し、そこには生長の家での悟りについて書かれていますが、禅の世界での悟りとは違うものであります。
でありますから釈迦の悟りとは如何なるものかとの質問なんですね。<<
この答えは、a hopeさんが
>>3404
で書かれているように、
>> 「悟り」は、「小悟」 「大悟」 合わせて何回も訪れると言われていますから、どちらの悟りもお釈迦さまのまことの 「悟り」 だったのではないでしょうか? <<
に私も同意します。
もっと言えば、「この時に悟った」 「これが悟りだ」 と一つの現象、一つの形にとらわれてしまうのは本当の悟りでも何でもない。実相は無限であり、無限は現象知で知り尽くすことはできない。「悟り」 とは、「無限」 の自覚でしょうから、それを現象の言葉で表現し尽くすことはできない。また、「悟り」 は時間・空間を超えたものの自覚でありますから、『生命の實相』 第20巻 自伝篇に
<< 『法華経』 の中で、釈迦自身が、
「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫(なゆたこう)である」 と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。>>
<< 自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ。>>
と書かれていることが悟りであり真理であると思います。
曳馬野さん
>>復興Gさんの引用による雅春先生の書きようが、【悟れば】、と条件を付けていること自体が現象についてのように見えるのです。
【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り)
【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)<<
は、その通りであると思います。
悟っても、悟らなくても、【もう既にすべての人類が悟っている】 が実相ですね。それを悟ると、「バンザーイ!」 と叫びたくなる。ただそれだけのことだと思います。
【観念の世界で実相を捉え喜んで、現実には現象悪と感ずるものに口汚く対応する、これが生長の家の救いなのですか?】
――もちろん、それは違います。
ありがとうございます。
3412
:
ユタカ
:2013/12/09(月) 07:20:11 ID:R1D4Jmeg
本部の先生にこう言われるよ、
「曳馬野さんはまだ、復興G様と直接話すより、繰り返し練成会に参加しなさい。」
って指導されるレベルなんだよなぁ。いわゆる唯物論のカタマリ。
あなたの持論には、眼に見える物しか見えない、感じないことばかりで不自由さを感じて窮屈だな〜〜。せま〜〜い!!
「本当の人間は霊だよ、神だよ」って言ったって「霊ってあ〜だこうだ神と仏とは違うだの」と持論をもって人の話をきくつもり無いんだろうが・・・・
じゃ、行ってきまーす。
3413
:
復興G
:2013/12/09(月) 07:25:38 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
>>復興Gさんの引用による雅春先生の書きようが、【悟れば】、と条件を付けていること自体が現象についてのように見えるのです。
【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り)
【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)<<
に対して、「その通りであると思います」と書きましたが、それは、
>> 【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね <<
に対するお答えで、
>> 【ひとりが悟れば】は条件に聞こえますよね、(一見明星による悟り) <<
の、(一見明星による悟り) と書かれている、( ) 内の注との関連はよくわかりません。説明していただけますか?
「一見明星」 をネットで検索してみたら、次のようなのが出てきましたが……
http://www.geocities.jp/kajiwara20288/newpage18.html
http://page.freett.com/kajiwara8/newpage43.html
3419
:
曳馬野
:2013/12/09(月) 18:21:57 ID:TUEhTkAQ
1、少女の供養により生かし合いの世界であると悟った。のか
2、明けの明星を一目見た時に、何を悟ったのか
が問題なのです。
ひとりが悟ればという以上、悟るという事が無ければ人間神の子と云えども観念の遊戯になります。
ですから禅では竹に小石が当たったその音を聞いた瞬間の様子、星の輝きを一目見た瞬間の様子、ここで瞬間と言葉では言いますが、
瞬間という現象時間をどんどん切り取って、前後裁断した、無時間の世界の様子をはっきり自覚した時を見性としているようです。
佛教の教えはこうこうであると、いくら生長の家で云っても、相手の方ではいやそうではない、ということであれば、
法を伝えるということでは万教帰一と云うことは実現できないことになります。ですから禅で説くこと、その悟り、見性、
また悟後の修行を成し遂げて大悟したとは、生長の家で云えばどのようなものであるかを言えるようでなくてはなりません。
ですから生長の家で実相を悟ったと言い切る人がいますかと聞いたのです。
【「悟り」 とは、「無限」 の自覚でしょうから、それを現象の言葉で表現し尽くすことはできない。
また、「悟り」 は時間・空間を超えたものの自覚でありますから】
これが悟りとして、あなたのこの悟りで禅の悟りを得た人を納得させる自信がありますか。
出来なければ万教帰一の宗教界の調和は実現しません。
生長の家の中でさえ分派が出来るのですから、無理だと思っています。
日蓮宗を、学会を折伏できますか。
実相は、でも現実はでは、すべてのものは今を生きている、それを意識で認識と云う作用を通してから生きているのが普通の人間であると、する
禅をわかるには、対称を認識するとはどのようなことなのかをはっきり自覚しなくてはなりません。
見るものとみられるものとの分離の無い状態にならなければいけません。これは生長の家でも説かれています。
そのようになった人にとっての自然とは如何なるものなのでしょうか、これ今の教えになりませんでしょうか。
3420
:
復興G
:2013/12/09(月) 20:59:51 ID:AB6RqYXc
>>3419
:曳馬野さん
3419は誰宛なのか、書いてありませんが、復興G宛であると受けとらせてもらい、レスを書きます。
>> 1、少女の供養により生かし合いの世界であると悟った。のか
2、明けの明星を一目見た時に、何を悟ったのか
が問題なのです。
ひとりが悟ればという以上、悟るという事が無ければ人間神の子と云えども観念の遊戯になります。<<
――それは、根本前提が全くちがいます。
>> 1、少女の供養により生かし合いの世界であると悟った。のか
2、明けの明星を一目見た時に、何を悟ったのか<<
――そんなことを知ることは不可能(お釈迦さんに聞いてみるしかないけれども、そんなことは出来ないのだから)であるし、それがわかったとて何の意味もないことだと私は思います。
【もう既にすべての人類が悟っている】は悟る悟らないには関係しないですよね、(有情非情同時成道)】
(
>>3408
)
それが実相ですね。現象は、ナイ。
<< 時間及び空間というものは本来ない。実相世界は超時空的存在の世界であるからである。時間の観念、空間の観念は物質的存在を心に描くための謂(い)わば “画布(カンバス)” として必要なので “わたし” が人間に与えたところの架空的観念である。>>
(『神 真理を告げ給う』 p.45)
で、時間も空間も架空的観念であり本来無いものでありますから、その時空間上に現れて見える一切のものは当然架空的観念であり本来無いものであります。
ですから、悟る、悟らないは現象であって、無いものである。【もう既にすべての人類が悟っている】 ところの実相には関係ないことですね。
神はその肖像(にすがた)として人間を創造(つく)られた、ということは、悟っても悟らなくても人間は本来皆完全であるということでしょう。そうでなければ、神はつくりそこないをされた、ということになる。
<< 人間の生命の実相は互に一体でありますから、一人が悟ればすべての人が悟るということになっているのであります。
……「一人出家すれば九族天に生まる」 ということが書かれておりますが、九族どころじゃない、一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟るのであります。これこそが、実相世界の素晴らしい状態なのであります。もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。>>
と 『新版 真理』 第7巻 p.16〜17には書かれていて、一見それは 「もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります」 ということと矛盾するようですが、これは最後のお言葉が本命の結論なのだけれども、いきなりそれを言っても、「現象あり」 と思っている多くの人にはわかりにくいから、段階を踏んで、はじめの方では 「一人が悟れば、人類全部みんなの者が悟る」 という言い方をされているのだと思います。
それは、『神 真理を告げ給う』 のp.12〜13に
<< 人間には在来からもっていた先入観念や薫習(くんじゅう)というものがあって、人間を通して真理を説く場合、どうしても、それによって“わたし”の説く真理が歪められ、賦彩(いろづけ)されて、“純粋なる真理“ そのままであることはむつかしい。併し、それはそれでよいのである。
“純粋なる真理” は恰も無色透明の空気みたいなものであって、人間の五官には見えず、聴えず、捉えることが出来ないのである。高い段階の悟りに入った人でない限り、“純粋な真理” よりも多少、賦彩(いろづけ)された真理の方が一般の人々には分り易いからである。>>
とある通り、神の御言葉として、そのように説かれているのだと思います。
その、“純粋な真理” を説くための前段階である
「一人が悟れば] というところにばかり引っかかっているようでは、話にならないと思いますが、いかがですか?
お釈迦さんが悟られて、「有情非情同時成道」 とおっしゃったのですから、もう 「既にすべての人類が悟っている」 というのが本当でしょう。ちがいますか?
3421
:
復興G
:2013/12/09(月) 22:45:30 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
>> 日蓮宗を、学会を折伏できますか。<<
曳馬野さん
生長の家で 「折伏できますか」 なんていう言葉を私ははじめて聞きました。
生長の家でいう 「万教帰一」 というのは、折伏して帰一させようなどというのとちがうのではありませんか。
「『生長の家』家族の祈願および修養」 の第2項に、
「吾らは凡ゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なる事を信じ、他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す」
とあり、聖歌 「生長の家の歌」 は1番が基教讃歌、2番が仏教讃歌、3番が古事記讃歌、4番は万教帰一讃歌となっており、この全歌詞の中に一度も 「生長の家」 という言葉が出てきません。あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって、おのずから 「万教帰一」 が成就するのが生長の家の素晴らしいところであると私は信じていますが・・・・・・。
>> 見るものとみられるものとの分離の無い状態にならなければいけません。<<
すでに、「見るものとみられるものとの分離は無い、一体である」 というのが生長の家の教えなのではありませんか。
『新版 真理』 第7巻の第1章にも、「華厳の相即相入の哲学」 として、「外界と内界とは互いに相即相入――即ち互いに一つのいのちであります」 と、詳しく説かれています。
自然は、外界ではなく、自己そのものです。
自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います。自然と自己は一体で、すでに大調和している、という実相を説くのが生長の家の教えなのではありませんか。
3422
:
神の子さん
:2013/12/09(月) 23:59:08 ID:???
復興Gさまの書き込みを拝見して、全く同じ想いを持ちました。
ありがとうございます。
3423
:
神の子さん
:2013/12/10(火) 09:31:39 ID:AB6RqYXc
>>3422
:神の子さん様
同意をいただいて、ありがとうございました。
3424
:
rei
:2013/12/10(火) 10:41:04 ID:ZIftZ1jM
合掌
ありがとうございます
私も復興Gさまの3421の書き込みに深く同意します。
曵馬野さまの言葉は生長の家の信徒とは思えない発言です。
3425
:
神の子さん
:2013/12/10(火) 11:43:53 ID:AB6RqYXc
rei さま
お久しぶりです。
同意の書き込み、ありがとうございます。
3426
:
復興G
:2013/12/10(火) 11:45:39 ID:AB6RqYXc
3425 :神の子さん は、復興Gです。
3427
:
トキ
:2013/12/10(火) 12:06:30 ID:1uDWx5.c
個人的な感想ですが、日蓮宗の人でも、キリスト教の人でも、広く受け入れるのが生長の家だと思います。
仏教やキリスト教をやめて生長の家に入りなさいとは言わない。日蓮よし、キリストよし、神道よしですが、
その信仰をどんどん奥まで極めなさい、という指導だと思います。奥まで極めると、自然に生長の家になる
というのが信仰かと感じます。
余談ですが、宇治の練成などを受けると、僧侶の方や神職の方もお会いします。職員の中ですら、僧侶等
の経歴のある人は何人もおられます。
私個人は、復興G様のご発言に共感します。
3428
:
復興G
:2013/12/10(火) 12:14:48 ID:AB6RqYXc
トキ様、ありがとうございます。
3429
:
志恩
:2013/12/10(火) 12:18:48 ID:.QY5jUA6
曵馬野様は、どうして、そのような生長の家じゃない考え方で、凝り固まってしまわれたのかしら...
お気の毒に思います。
3430
:
rei
:2013/12/10(火) 12:32:44 ID:ZIftZ1jM
トキさま
日蓮宗の人でもキリスト教の人でも、日蓮正宗の人でも受け入れるのは
生長の家の素晴らしい所ですね。
でも曵馬野さまは夫婦ともに熱心な生長の家の信徒であると、
確か以前に書き込まれてありましたよね‥‥?
私の記憶違いだったかな。
3431
:
神の子さん
:2013/12/10(火) 14:42:09 ID:TUEhTkAQ
>>3421
より
あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって、おのずから 「万教帰一」 が成就するのが生長の家の素晴らしいところであると私は信じていますが・・・・・・。
自然は、外界ではなく、自己そのものです。
自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います。自然と自己は一体で、すでに大調和している、
という実相を説くのが生長の家の教えなのではありませんか。
一つ一つ答えたものを書きましたが投稿は止めました。
【あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって】と云われてますが、それは生長の家から他宗を見た真髄なるものであり、禅の云う見性をしていない復興Gさんが
どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。出来るのであればこんな風な質問はしないと思います。
【曳馬野さんにお尋ねします。あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか? 】
学会では御本尊と云われる曼荼羅は、日蓮上人(聖人)の魂を書き記したものであり、日蓮上人(聖人)は久遠元初の本佛である、と云われています。
天照大神は久遠元初の本佛である日蓮上人(聖人)の用と捉えられています。
志恩さんは法華経解釈から雅春先生も学会を批判されていた、だからおかしな雅宣先生を批判する本流派は正しいとの論を展開しています。
あらゆる教えの神髄と云っても生長の家の見方からのもので、それを学会は決して受け入れることはないと思います。
【自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います。】
トキさんは和解念仏和尚さんと云われるようですが、そもそも和解などと云う観念を持つことが可笑しいということになりますね。
【自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います】、と云われるのですから。
迷っている人はいないと云いながら、雅宣先生の主張は迷いの産物であると云われる。
復興Gさんの中に「迷い」と云う観念は有りませんか。私にはあなたのは観念上の実相論であり、実相に生きているとは思えないのです。
自己満足の実相論では決して調和は出てこない、ここ20年の生長の家の現実だと思いますが。
頭注版第一巻4ページの
【われわれがこの世界に「生命」を享けてきた事実から出発するのでありまして事実ほど力強いものはないのであります。】
と云われてることは、現象実相と云う観念の入らない、今の事実ではないですか。
実相は完全、であるが現象は、と云っている限り、現象無しなんて空文句だと思います。
この事実の世界が悲鳴を上げている、その原因を取り除こうとすることが迷いですか。
3432
:
曳馬野
:2013/12/10(火) 14:45:06 ID:TUEhTkAQ
3431は曳馬野です
3433
:
曳馬野
:2013/12/10(火) 17:23:29 ID:TUEhTkAQ
** 日蓮宗の人でもキリスト教の人でも、日蓮正宗の人でも受け入れるのは生長の家の素晴らしい所ですね。
** 日蓮宗の人でも、キリスト教の人でも、広く受け入れるのが生長の家だと思います。
reiさん、トキさん、八ヶ岳教団を受け入れてくださいな
** 曵馬野様は、どうして、そのような生長の家じゃない考え方で、凝り固まってしまわれたのかしら...お気の毒に思います。
志恩さんのように批判三昧になるぐらいなら、生長の家の考え方なんかまっぴらですね
3435
:
トキ
:2013/12/10(火) 19:54:10 ID:1uDWx5.c
>>3433
曳馬野様
いやー、そうきましたか(笑)。うーん、素晴らしい! 本流復活派の皆様、ぜひ、この曳馬野様の声を
お聞き下さい。
ところで、教団と本流復活派の両者の関係について、もっと冷静な議論は必要だとは思います。
教団、というよりも、総裁の言動ですが、総裁ご自身は、生長の家を彼なりに考えていたとは思います。
戦前の生長の家は、もっと自由で家族的でした。平塚らいてふさんが文章を寄稿したり、陸軍主計総監の
辻村楠造閣下が教団幹部としてご活躍されたり、幅も広かったです。個人的な想像としては、彼はもっと市民
的感覚に近い組織や運動にしたかったのでしょう。
結果として彼の試みは失敗する可能性が高くなりましたが、その動機の部分は理解できるのです。
対して、本流復活派は、人生を生長の家に捧げて来た人達です。例えば、学ぶ会の前原先生などは、九州大学
を出て、父親から政治家になって欲しいと言われたのを断って生長の家の職員になっています。それほどの
覚悟で運動に身を投じたのに、教団の扱いは結構冷たいものがあったみたいです。某教区の本部駐在員から
本流復活派の幹部になったU先生など、自分が青年会時代に指導をした会員を上司に持つという酷い扱い
も受けています。
彼らにも批判されるべき点がないとは思いませんが、それはそれで心情は理解できるのです。
今思うと、現在の総裁が副総裁になった頃から、時代の変化が激しくなり、従来の運動では確かに難しい
部分もありました。だから、変革自体は必要だったのでしょう。しかし、その「変革」の内容が時代にそ
ぐわない内容であり、また、信徒からも歓迎されないものだったのも事実です。
これ以上の事は、web誌友会の趣旨から外れるので止めますが、どちらかが正義で他方が悪という関係
ではなくて、どこかにボタンの掛け違いがあったという理解をしています。少し冷静になれば分かる事だ
と思います。みんな、難しい事を考え過ぎるので、かえってややこしくなっているような気がします。
脱線をして、失礼をしました。
3436
:
復興G
:2013/12/10(火) 21:14:06 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
お答え、ありがとうございました。
おつかれさまでした。
さて、これ以上レスしても水掛け論で、噛み合わないでしょうから、やめておこうかとも思いましたが、やはり書いておくことにいたします。
>> 【あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって】と云われてますが、それは生長の家から他宗を見た真髄なるものであり、禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。出来るのであればこんな風な質問はしないと思います。<<
――生長の家には 「他宗」 はないと思います。なぜなら、「生長の家」 というのは一宗一派ではなく、あらゆる宗教宗派の生じた根元のところから出発していて、万教を包容するものであるからです。(お解り頂けるかどうか知りませんが)
だから、谷口雅春先生は 『無門関解釈』 も書かれるし、清超先生は 『正法眼蔵を読む』 を書いておられるわけです。
生長の家には、「立場」 というものはありません。強いて 「ある」 というなら、それは 「久遠の今」 でしょう。宇宙に遍満する、というか時空間を超えた 「家」 です。
「久遠天上理想国実現の神示」 に、
<< 『生長の家』 の因縁を書き置く。『生長の家』 とは人間が付けた名ではない。神がつけさせたのである。『生長の家』 とはタカアマハラのことである。|(タテ)に無限に生(の)びることを 『生』 と言い、―(ヨコ)に無限に長(の)びることを 『長』 と言い、|と―とが十字に交叉した中心を息叉(イヘ=家)と言う、|の生命と―の生命とが交叉した中心が 『家』 である。>>
とあります。|(タテ)は時間をあらわし、―(ヨコ)は空間をあらわし、「生長の家」 は時空間の発する元のところ、大宇宙の根柢にあり、一切を包容するものであるわけです。
時空間に投影された世界 すなわち現象世界には、いろいろな宗教宗派があらわれています。それについて、『神 真理を告げ給う』 には次のように書かれています。
(“わたし” は神)
<< 世の中には偉大なる宗教家もあり、碩学(せきがく)もあり、哲人もあり、既にそれらの偉大なる人たちの思想や信仰に共鳴し、同調し、心酔し、讃仰(さんぎょう)して、彼を聖者の如くあがめて集って来た人たちが集団をつくって運動している団体もある。それらはそれぞれの悟りの段階に於いて、それでよろしい。それらの宗教教祖や碩学や大哲の中に “わたし” は宿って、人々を導くために “わたし” は書いたり、説いたりして来たのである。真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳細胞から生産されて来るものでもなく、実にそれらの人々に宿っている “わたし” がそれを説いているのである。>>
――あらゆる宗教は人間の脳細胞から生産されて来るものでなく、教祖たちに宿っている神(宇宙根源の大生命)が教祖を通して語られていて、宇宙の真理をあらわしている。だから、
「吾らは凡ゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なる事を信じ、他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す」
ということになるわけです。
もっとも、そのあとに続いて、『神 真理を告げ給う』 には、
>>1420
でも引用しましたお言葉があります。
<< 人間には在来からもっていた先入観念や薫習(くんじゅう)というものがあって、人間を通して真理を説く場合、どうしても、それによって“わたし”の説く真理が歪められ、賦彩(いろづけ)されて、“純粋なる真理“ そのままであることはむつかしい。併し、それはそれでよいのである。>>
と。
で、曳馬野さんが、
>> 【あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって】と云われてますが、それは生長の家から他宗を見た真髄なるものであり、禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。出来るのであればこんな風な質問はしないと思います。<<
とおっしゃる、「こんな風な質問」 というのが
【曳馬野さんにお尋ねします。あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか? 】
という質問のことでしょうか。
>> 禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。<<
とおっしゃる、「禅の云う見性をしていない」 というのは、禅寺で修行をして、そちらの権威ある高僧から 「お前は見性したと認める」 という允可を受けていない、という意味なのでしょうね。
<つづきます>
3437
:
復興G
:2013/12/10(火) 21:16:43 ID:AB6RqYXc
>>3436
のつづきです。
私は、禅寺で修行をして、そちらの権威ある高僧から 「お前は見性したと認める」 という允可を受けなければ、禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ない とは思いません。
>>3436
で書いたように、禅の教えも、「神(宇宙根源の大生命)が教祖を通して語られていて、宇宙の真理をあらわしている」 として、尊敬し拝むことができると思います。
>> 【自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います】、と云われるのですから。
迷っている人はいないと云いながら、雅宣先生の主張は迷いの産物であると云われる。
復興Gさんの中に 「迷い」 と云う観念は有りませんか。私にはあなたのは観念上の実相論であり、実相に生きているとは思えないのです。<<
「迷い」 とは何か。
また 『神 真理を告げ給う』 から引用させていただきますが――
<< あなたは仏教の 「煩悩即菩提」 という語をたびたび聴いたこともあるし、読んだこともあるであろう。“迷い” がそのまま “菩提” の道程であるということである。“迷い” という 「菩提とは別なもの」 があるのではないのである。“迷い” と見えているものが、実は “悟り” が動き出し、現象化しつつある道程であるから、“迷い” 本来無しといい得るのである。
あなた達が “迷い” だと思っているものは、実は “わたし” が “神の国” を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのものなのである。>>
とお教え頂いておりますから、「迷い」 という 「悟り」 とは別なものがあるのではない。“悟り” が動き出し、現象化しつつある道程であるのだ。「実相独在」 が真理である、と思いながら、書かせて頂いています。
とりあえず、以上が曳馬野さんの
>>3432
に対するレスポンスです。
3438
:
復興G
:2013/12/11(水) 07:00:10 ID:AB6RqYXc
訂正
>>以上が曳馬野さんの
>>3432
に対するレスポンスです<<
>>以上が曳馬野さんの
>>3431
に対するレスポンスです<<
まだまだ書きたいことが一杯あります(際限なく出てくる感じです)が、
今日は出かけなければならない予定がありますので、あとは明日以後に。
よろしくお願いします。
3439
:
復興G
:2013/12/11(水) 07:47:59 ID:AB6RqYXc
榎本恵吾先生は素晴らしい!
web誌友会参考文献板 >190
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/190
3440
:
復興G
:2013/12/11(水) 08:15:04 ID:AB6RqYXc
聖経 『甘露の法雨』 に
創造の神は
五感を超越している、
六感も超越している、
聖
至上
無限……
(中略)
神は人間の光源(ひかりのみなもと)にして
人間は神より出でたる光なり。
光の無き光源はなく、
光源の無き光はなし。
光と光源とは一体なるが如く
人間と神とは一体なり。
とあり、真の人間は至上なるものである、というのが生長の家の説く根本真理であると思います。
「人間至上主義は間違い」 というのは、生長の家の教えではないと私は思います。
「人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』 が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。」
という 「至上者の自覚の神示」 もあります。
出かけますが、ちょっとだけ書かせて頂きました。
3442
:
復興G
:2013/12/11(水) 21:50:55 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
復興G、ただいま帰ってまいりました。
>>3440
までの私の投稿に対して、ご高評を戴ければ幸せに存じます。よろしくお願いいたします。
3443
:
曳馬野
:2013/12/12(木) 05:27:14 ID:TUEhTkAQ
復興Gさんへ
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823257
これは禅門法語集続のなかの、正眼國師によるとされている『心経抄』です。
般若心経の説いていることの解釈です。 「煩悩即菩提」についての意味も説かれています。
雅春先生のものとは大分違います。また引用された『神真理を告げ給う』の神の言葉とも大分違います。
私は掲示板に出てきたとき、うのはなさんとの話で一日の生活の時間割を書いています。本当に時間の無い生活をしています。
ここへの書き込みは睡眠を減らし食事しながらの時もあります。
ですので、時間の取れる時で結構ですので、よく読まれての感想を頂いてからの話にしたいと思います。
3444
:
復興G
:2013/12/12(木) 11:30:12 ID:AB6RqYXc
>>3443
:曳馬野さん
「体よく逃げましたね」 という感じがします。
>>3409
の質問を、もう一度提出したいです。
>> 曳馬野さんにお尋ねします。
あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか? <<
ということです。
私は、「人類最後の究極の教えである」 と谷口雅春先生がおっしゃっている生長の家の教えこそ、最高であると信じていますから、もっと、谷口雅春先生のご著書を読むことの方を優先します。
教えて頂いたウェブページは開いてみましたが、古い本をスキャナーで読み取っただけの、よごれの多い画像ですから、判読するのも容易ではありません。
教えて頂いた、「禅門法語集続のなかの、正眼國師によるとされている 『心経抄』」 というのも、時間ができたら読んでみたいとは思いますが、私も今生での残り時間は限られていますから、今 『心経抄』 を読むことを最優先にしなければならぬとは思いません。
私は、禅の高僧の書かれたものとしては、日置黙仙著 『錬膽術』 というのを読んだことがあり、今も持っています。大正4年(1915年)発行の古い本です。父の蔵書の中にあったもので、高校生時代に、何となく惹かれてちょっと読み、大学に入ってからまた読んで、膽(きも)に銘じたものです。その 「緒言」 に、こんなことが書かれています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
梅花一枝薫を説く
花の薫(かをり)とは何ういふものぢやと聞かるれば、綻びかけた梅の花を一枝折つて、サアこれを嗅いで見よと、鼻の先に突き付けてやる外はない。突き付けられた梅の花を嗅いで見れば、成る程斯ういふものかと直ぐに合點が行く。さうせぬことには、薫とは斯ういふものぢや、あゝいふものぢやと幾ら口先で説いて聴かせても、迚(とて)も呑み込めない。如何なる名画家も、百花の爛漫たる色合を描くことは出來ようが、其の薫を寫すことは出來ぬ。
盲人の象騨
膽力といふものも、言葉や筆先で説き明すことは全く不可能ぢや。それぢやというて、花の薫を説くやうに、實物を突き付けることは尚ほ更不可能。止むを得ず言葉や筆で説く外はないが、其の説く所却つて皮相の歎に流れて世人を過まらすことになりはせぬか。
昔、数多の盲人が集まつて大象を捕へた。其の或る者は象の足を攫(つか)み、或る者は尾を攫み、或る渚は鼻を攫んだ。是等盲人打寄つて象を評するに、足を攫んだ者は曰く、象は大足なり。尾を攫んだ者は曰く、象は大尾なり。鼻を攫んだ者は曰く、象は大鼻なりと。其の領解せるものは各々違つて居つたといふ喩話(たとへばなし)がある。
膽力とは何(ど)ういふものか、其の要素、其の作用は説くことが出來ても、其の眞髄を説き明すことが出來ぬ。故に其の要素、其の作用の一端を攫んで、我れは膽力を得たりと得々たるに至つては、是れ草を折つて天を量(はか)るの類、畢竟盲人の象を評すると撰ぶ所はない。衲(わし)は、世人が衲の説く所を讀んで、斯ういふ間違ひをせねばよいがと心配ぢや。
(復興G の感想――この「膽力」 というのは、「悟り」 と置き換えてもほぼ間違いないのではないかと思います)
<つづく>
3445
:
復興G
:2013/12/12(木) 11:30:53 ID:AB6RqYXc
<つづき>
とんぼ返りの諷示
普化(ふけ)和尚といふ支那の高徳の和尚が、大勢の弟子を集めて法話をして居ると、弟子の人々が、佛の御姿は何(ど)ういふもので御座りませうと尋ね出した。普化和尚は即座に大衆の面前で、とんぼ返りをして見せて、佛の姿は斯ういふものぢや、解つたかといふと、大衆は唖然として一言も發するものはなかつた。又、龍牙(りゅうげ)和尚といふ高僧も、是れと同じく、大衆より佛の御姿を見せて下さいと迫(せが)まれて、両膚を脱いで半身をむき出して、佛の姿は斯ういふものぢやと示したことがある。衲(わし)が此処に説く所、畢竟普化和尚のとんぼ返りぢや、龍牙和尚の両膚脱ぎぢや。何うぢや、分るかナ。
拈華微笑の徹底
昔、釋尊が霊鷲山(りゃうじゅせん)で説法をせられた時に、八萬四千の聴衆が詰めかけて居る。如何なる有り難い御説法があるかと固唾を呑んで耳を傾けて居ると、釈尊は傍(かたはら)に咲いて居る金波羅華を採つて、一拈りされた。是れで大法は説き終られたので、八萬四千の聴衆は唯唖然として居る。
此の時、神通第一と呼ばれたる摩訶迦葉が、唯独り豁然と徹底して破顔微笑したといふのぢやから、ニッコと笑つた。これを見て取られた釋尊は、我れに正法眼藏涅槃妙心、實相無相の法門あり、摩訶迦葉に附嘱すといはれて、吉祥草座を下られた。
之は禅家の拈華微笑といふ有名な話ぢやが、此の消息が分るかナ。此の消息が呑み込めねば錬膽の眞髄に徹底することは出來ないぞ。有限の言葉や文字でいくら説いても、深遠微妙な錬膽の眞髄を説き盡すことは出來ぬから、言葉や文字の奥に徹底する破顔微笑の用意がなくてはならぬ。若い男と女の恋仲でも、目と目との間に無限の深い消息が通じ合ふぢやないか。口先で語合うただけの恋仲には限りがあるが、同と目の物語は甚深微妙、其の味ひは限りがない。須らく言葉や文字に超脱する覚悟を以て衲(わし)の話を讀んで貰ひたい。
叩門の瓦、指月の指
「門を叩くの瓦子、月を指すの指」といふ言葉がある。夜更けて人の家を訪ふ。門前に行つて押しても突いても戸は開かぬ。握り拳で叩いた位でも寝込んで仕舞うて居るから中々目を醒して開けて呉れぬ。とうとう瓦を取つてドンドンと叩いて見たら、直ぐに起きて門を開けて呉れた。門を開けて中に入れば、最う瓦には用事はない。それを何時までも持つて居るには及ばぬから、疾くに棄てて仕舞ふが宜い。是れが門を叩くの瓦子といふのぢや。
また、アア彼方(あちら)に好い月が出ましたといふと、何(ど)れ、何処へというて探す。アレ彼方にというただけでは埒があかぬ。そこで、ソレ其方へと指で指して教ゆれば、直ぐにあれ綺麗だと分る。既に月の有処が分つて見れば、もう指には用事はない。サッサと指を取つて仕舞ふといふのが指月の指ぢや。
そこで此の書物は恰度門を叩くの瓦子、指月の指ぢや。錬膽の眞髄が分ったら、最う此の書物には用事はないぞ。
鶏唱ふ家林の曉
『五更(ごこう)鶏(とり)唱ふ家林(かりん)の曉』で、五更の夜半でも、鶏が歌うた以上は最(も)う朝ぢゃ。暗い、寂しいと悔むに及ばぬ。最う昼の内ぢや。錬膽の眞髄に徹底するは容易ぢやないが、併し、膽力とはハテさういふものかといふ呑込み出来れば、最う家林の曉ぢや、何もいふことはない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、復興Gの感想ですが、禅の神髄、「悟り」 は以上の日置黙仙師の緒言にあるように、不立文字、以心伝心と言われます。曳馬野さんが読めとおっしゃる 『心経抄』 にしても、やはり 「門を叩くの瓦子、指月の指、家林の曉」 であろうと思います。現象の言葉で、「これが悟りじゃ」 「これでなければならぬ」 と決めつけたら、もうそれは悟りでもなんでもない、執着にすぎないのではないかと私は思っています。
いかがでしょうか。
3446
:
復興G
:2013/12/12(木) 12:30:10 ID:AB6RqYXc
>>3444
で私は
>> 「人類最後の究極の教えである」 と谷口雅春先生がおっしゃっている生長の家の教え<<
と書きましたが、正確には次の通りでした。
(『神ひとに語り給ふ』 p.162〜p.163より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
生長の家は、これは人類最後の最高の教へをするところでありますから、ここに集つていらつしやる人達は、霊魂の高い素晴しい人ばかりなのであります。ですから聖使命菩薩として本尊の前に、その誠魂をお祀りしてゐるわけであります。即ち皆さんは、既にその魂が菩薩たる階級の人で、人を救ふ使命をもつてゐられる方が集つて來てをられるわけであります。
救ふといつても色々あつて、病気が治るのも救ひでありますし、貧乏で困つてゐるのを金が儲かるやうにしてあげるのも救ひだし、社会の下積みになつてゐる人が世に出られるやうに導いてあげるのも救ひですけれども、そんな事は一時的救ひであります。
病気が治つたにしてもとどのつまりは人間はやがては死ぬでしょう。貧乏が治って財産を積んでをつても冥途へ行く時にはその財産を棄てて往かんならんでせう。だから、そんな救ひは永久の救ひではない。
本當の救ひといふものは、「人間は神の子である。老朽せざるを人間といふ。病まざるを人間といふ。死せざるを人間といふ。眞清浄眞無垢なるところの神のいのちそのものが人間だ」 といふことを自覚させて永遠に朽ちざる生命の自覚を與へる宗教が一番素晴しい宗教であり、この最も高い救ひを與へるのが生長の家であるのであります。
さういふ眞理がこの神示(「本來生、不滅の神示」)には示されてゐるのであります。すなはち、
「本來生、不滅、本來清浄眞無垢なる人間の實相を知つたとき汝らは歓びに満されて手の舞ひ足の踏む所を知らないであらう」 と示されてゐる所以であります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
以上であります。
3447
:
神の子さん
:2013/12/12(木) 13:57:08 ID:gpBcRldI
復興G様,
お見事!です。 沢山の拍手を送らせていただきます。
総裁先生がここを読んでくださる事を祈ります。生長の家万歳!
3448
:
復興G
:2013/12/12(木) 16:00:59 ID:AB6RqYXc
>>3447
:神の子さん様
沢山の拍手を、ありがとうございます。
>>3446
で引用させていただきました
<< 病気が治つたにしてもとどのつまりは人間はやがては死ぬでせう。貧乏が治つて財産を積んでをつても冥途へ行く時にはその財産を棄てて往かんならんでせう。だから、そんな救ひは永久の救ひではない。>>
ということは、地球環境問題についても同じことであると思います。
「自然環境がよくなったにしてもとどのつまりは地球も寿命が来たら死滅するでしょう。だから、そんな救ひは永久の救ひではない。」
ということではないでしょうか。
<< 本當の救ひといふものは、「人間は神の子である。老朽せざるを人間といふ。病まざるを人間といふ。死せざるを人間といふ。眞清浄眞無垢なるところの神のいのちそのものが人間だ」 といふことを自覚させて永遠に朽ちざる生命の自覚を與へる宗教が一番素晴しい宗教であり、この最も高い救ひを與へるのが生長の家であるのであります。>>
――これは、自然環境について言えば、
「本当の救いというものは、≪人間は神の子である。常に自然と一体であり、万物と大調和の関係にあるのものを人間という。争わないものを人間という。真清浄真無垢なるところの神のいのちそのものが人間だ≫ ということを自覚させて、永遠に環境の主人公で大調和している生命の自覚を与える宗教が一番素晴しい宗教であり、この最も高い救いを与えるのが生長の家である」
ということでしょう。
それで、真の人間は至上なるものである、というのが生長の家の説く根本真理であると思います。
だから、再度言いますが、「人間至上主義は間違い」 というのは、生長の家の教えではないと私は思います。
「人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』 が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。」
という 「至上者の自覚の神示」 もあります。
「人即ち神であり至上なるものであるから、その自覚をひろめて、本来の ≪自然とも大調和≫ のすがたを現して行こう」
ということでなければ、真理からはずれているから、神の子の魂が共鳴せず、したがって、運動方針に
「“新しい文明” の構築は、神・自然・人間の大調和から」
というようなスローガンを掲げても、そのようなエネルギーなど湧いて来ず、教勢は下降の一途を辿るのみ、ということになっていると思います。
今こそ、生長の家の原点といいますか、根源源泉に立ち還らねばならぬ。その時であると思います。
私は、「人間は神の子である、至上者である」 という根本真理を、全心全霊をもって伝えて行くつもりです。
3449
:
復興G
:2013/12/12(木) 16:37:21 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
上記は、間違ってますでしょうか。
3450
:
トキ
:2013/12/12(木) 18:39:43 ID:2d5zi/No
曳馬野様がご多忙の中、ご投稿下さった事には深く感謝申し上げます。
その上で個人的な感想を申しあげます。
個人的な体験ですが、生長の家の行事には僧侶の方や仏教の熱心な信仰者の方がよく参加されます。
生長の家の掲示板だからこんな事を書くのではないのですが、そういう方々が、異口同音に言われるのが、
「今まで、仏教系の大学でお経の勉強をしたが、全く分からなかった。谷口雅春先生の解釈を拝読して、
初めてその真意が分かった!」
と断言されていました。これは誇張でも何でもないです。古い仏教の解釈も大事ですが、現代の人が読んで
分からないものは、高嶺の花に終わってしまうと思います。その意味で、私は、谷口雅春先生の説かれた
教えを学びたいと思います。復興G様の言われる通りかと感じます。
3451
:
復興G
:2013/12/12(木) 21:32:08 ID:AB6RqYXc
>>3450
:トキさま
貴重な体験のご投稿、ありがとうございました。
3453
:
神の子さん
:2013/12/12(木) 22:10:23 ID:TUEhTkAQ
復興Gさん他拍手喝采の方へ
●「体よく逃げましたね」 という感じがします。
○やっと地が出て人間らしくていいです
● 曳馬野さんにお尋ねします。
あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか?
○疑問は有ります。禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています。それについて生長の家では【大日本神国観】で
説かれている実在について証明した弟子はいないと私は思っています。これが証明されなければ、その人にとっては単に信じていると云うだけで、
真実存在しているとは主張できない、つまり天皇信仰の正しさを主張出ないことになり、カルト的主張とみなされ生長の家存在に?マークが付きは
しませんか。
●私は、「人類最後の究極の教えである」 と谷口雅春先生がおっしゃっている生長の家の教えこそ、最高であると信じています
○ここなんですね、信じていると、説くところに至る、との違いがあるのです。
教えは神なるものが説いたものか否か、私は知らない。「絶対無」を説いている点では究極でありますが、その絶対無に至る方法に於いてはっきりしない、
あなたが60年にわたり神想観をしても、絶対無に至っていないことからも、簡単なことではないでしょう。
盤珪禅師は或る侍が「剣の達人があなたに切りかかれば避けることは出来ないでしょう」と云ったのに対して、打ってみなさいと云い、侍が一瞬躊躇
したとき、我既に打ったと云いました。坊さんが侍の剣には負けないと云ったのです。
それについて雅春先生は、昭和18年の生長の家誌5月号で、平法無敵流の極意について、「それは理論として面白いし、武道以外の日常生活では
自他一体が常勝の道であることが体得せられますが、剣を以て立会う武道では、どういう姿で現れてくるか想像が付かなかったのでありますが…」
と書かれ、その時点では武道での自他一体の行動はとれていないことを表明されています。これは「私もこの教えで修行中です。」と云われていたことを
裏付けていると思います。ですから「実相の大地に降り立ったのである」と云われた心境が如何ほどのものであるかは判りません。
青年会全国大会で神想観の実習の際に、先生の座られた時にマイクの高さの調節を青年局員がしたところ、「僕がするからいい」と声を荒げた時が
ありました。黙って自分の好みで再調整するのが普通でしょう、然るに相手の行動に声を荒げられたのです。
また雅宣先生が皆さんの云うような人であるとするならば、そのような人しか育てられなかった清超先生は師と呼ぶに値しないと云わなくてはなりません、
そしてそのような清超先生と云う弟子しか育てられなかった雅春先生は師と呼ぶに値しないと云わざるを得ません。つづく
3454
:
神の子さん
:2013/12/12(木) 22:19:32 ID:TUEhTkAQ
つづき
● 教えて頂いたウェブページは開いてみましたが、古い本をスキャナーで読み取っただけの、よごれの多い画像ですから、
判読するのも容易ではありません。
○これはJPEG表示と云うところをクリックすれば綺麗に観られます
● 梅花一枝薫を説く
花の薫(かをり)とは何ういふものぢやと聞かるれば、綻びかけた梅の花を一枝折つて、サアこれを嗅いで見よと、鼻の先に突き付けてやる
外はない。突き付けられた梅の花を嗅いで見れば、成る程斯ういふものかと直ぐに合點が行く。さうせぬことには、薫とは斯ういふものぢや、
あゝいふものぢやと幾ら口先で説いて聴かせても、迚(とて)も呑み込めない。
○その通りですね
生長の家とは何と問われれば、今の教団、本流派を見よ、斯ういふものぢや、あゝいふものぢやと幾ら口先で説いて聴かせても、
迚(とて)も呑み込めない。
復興Gさんはどんな人と問われれば、『「体よく逃げましたね」 という感じがします。』を読めばよい
● 盲人の象騨
昔、数多の盲人が集まつて大象を捕へた。其の或る者は象の足を攫(つか)み、或る者は尾を攫み、或る渚は鼻を攫んだ。是等盲人打寄つて象を
評するに、足を攫んだ者は曰く、象は大足なり。尾を攫んだ者は曰く、象は大尾なり。鼻を攫んだ者は曰く、象は大鼻なりと。
其の領解せるものは各々違つて居つたといふ喩話(たとへばなし)がある。
膽力とは何(ど)ういふものか、其の要素、其の作用は説くことが出來ても、其の眞髄を説き明すことが出來ぬ。故に其の要素、其の作用の
一端を攫んで、我れは膽力を得たりと得々たるに至つては、是れ草を折つて天を量(はか)るの類、畢竟盲人の象を評すると撰ぶ所はない。
衲(わし)は、世人が衲の説く所を讀んで、斯ういふ間違ひをせねばよいがと心配ぢや。
○一切のつかみを放ってもなお久遠の昔からの存在を教える禅に有って、一分のつかみを心配する、老婆親切過ぎかな、
生長の家の著書を読むもまたこの轍を踏まぬこと祈るは切なりですね。
何度も言いますが大日本神国観の世界を見たと云う人以外は盲人象を撫ぜるでありますから。つづく
3455
:
神の子さん
:2013/12/12(木) 22:25:33 ID:TUEhTkAQ
つづき
● とんぼ返りの諷示
普化(ふけ)和尚といふ支那の高徳の和尚が、大勢の弟子を集めて法話をして居ると、弟子の人々が、佛の御姿は何(ど)ういふもので御座りませうと
尋ね出した。普化和尚は即座に大衆の面前で、とんぼ返りをして見せて、佛の姿は斯ういふものぢや、解つたかといふと、大衆は唖然として一言も
發するものはなかつた。又、龍牙(りゅうげ)和尚といふ高僧も、是れと同じく、大衆より佛の御姿を見せて下さいと迫(せが)まれて、両膚を脱いで
半身をむき出して、佛の姿は斯ういふものぢやと示したことがある。衲(わし)が此処に説く所、畢竟普化和尚のとんぼ返りぢや、
龍牙和尚の両膚脱ぎぢや。何うぢや、分るかナ。
○雲門は糞掻き箆と言い、趙州和尚は庭前の柏樹と言いましたね
●拈華微笑の徹底
○雅春先生の無門関解釈では日本国体天皇の実相を説くものと云われている。
対して井上義衍老師の無門関では全く違う提唱がなされています。
● 叩門の瓦、指月の指
そこで此の書物は恰度門を叩くの瓦子、指月の指ぢや。錬膽の眞髄が分ったら、最う此の書物には用事はないぞ。
○『生命の実相』40巻その他真理の著書もまた叩門の瓦、指月の指、それを立脚点として本流派は立つ
● 鶏唱ふ家林の曉
○ 見性のまじかには何らかの気付きがある、そして悟後の修行これが大変、徹底した人は古人と云えど僅かです。
神想観して眼路の限り光明遍照となっても目を開けば、悪口雑言の人ばかり、何処に救われがあるのでしょうか。
●「心経抄」にしても、やはり 「門を叩くの瓦子、指月の指、家林の曉」 であろうと思います。現象の言葉で、
「これが悟りじゃ」 「これでなければならぬ」 と決めつけたら、もうそれは悟りでもなんでもない、執着にすぎないのではないかと私は思っています。
○その通りてすね、でその指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか、とあなたを含めお聞きしているだけです。
つづく
3456
:
曳馬野
:2013/12/12(木) 22:42:31 ID:TUEhTkAQ
上の三つは曳馬野です
でトキさん、
「古い仏教の解釈も大事ですが、現代の人が読んで分からないものは、高嶺の花に終わってしまうと思います。
その意味で、私は、谷口雅春先生の説かれた教えを学びたいと思います。」
それはごずいにですが
盤珪禅師は耳で聞いてわかるように説き、弟子にも筆記はすべからずと戒めました。記憶の膨らむことを配慮しての事です。
無学文盲の者から、町人、侍、藩主、天台の座主、禅のトップクラスまで五万余の弟子の礼をとった者がいたということです。
書き物を散々読んで妄想たくましくする、そして救いは無い、救われたと勘違いする。どちらてもいいです
3457
:
曳馬野
:2013/12/13(金) 00:02:15 ID:TUEhTkAQ
つづき
●「自然環境がよくなったにしてもとどのつまりは地球も寿命が来たら死滅するでしょう。だから、そんな救ひは永久の救ひではない。」
ということではないでしょうか。
○そりゃそうだ、と云いたいところなんですがね、じゃあ地上天国実現なんて看板下げてくれないかな、地球も単に縁起の産物ですからね
● それで、真の人間は至上なるものである、というのが生長の家の説く根本真理であると思います。
だから、再度言いますが、「人間至上主義は間違い」 というのは、生長の家の教えではないと私は思います。
「人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』 が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を
知らさんが為である。」という 「至上者の自覚の神示」 もあります。
○人間に教えを説くから真の人間は至上なるものである、との書きかたになりますが、その真の人間とは天地一切のものと別のもののように
聞こえますね
●「人即ち神であり至上なるものであるから、その自覚をひろめて、本来の ≪自然とも大調和≫ のすがたを現して行こう」
ということでなければ、真理からはずれているから、神の子の魂が共鳴せず、
○生長の家を何十年もしながら人間同士でさえ自他一体なことが分かららず、真理から外れている魂であるから、自然を破壊し己の欲望の
道具にする、現象は縁起の産物であると知り、今の一瞬一度の出会いであるから今を最も大事に生きる、欲望があってはねー
有情非常同時成道の捉え方に生長の家と禅では全く捉え方が違うようではあります。
3458
:
ユタカ
:2013/12/13(金) 05:04:32 ID:R1D4Jmeg
>>じゃあ地上天国実現なんて看板下げてくれないかな
お前、何者?
生長の家の信徒じゃないだろ!! 何しに生長の家で総裁に近づいたんだ??
たんまり貰った?
気持ち悪くてこれ以上読みたくない。 曳馬野の書く事。
おえ〜〜〜〜〜!!ゲロゲロ〜〜〜〜!!
3459
:
ユタカ
:2013/12/13(金) 05:09:22 ID:R1D4Jmeg
>○人間に教えを説くから真の人間は至上なるものである、との書きかたになりますが、その真の人間とは天地一切のものと別のもののように
>聞こえますね
お前と総裁だけだ!そんな風に聞いているのは! ボケ!
いい加減にしろ!
3460
:
ユタカ
:2013/12/13(金) 05:26:05 ID:R1D4Jmeg
光明大掲示板より引用
>>神癒への原理NEW (3579)
日時:2013年12月13日 (金) 05時05分
名前:伝統
このスレッドでは、「神の癒し」に関する情報を紹介してまいります。
以下は、神癒を続出させた藤原敏之先生の著「すべてを癒やす道」の
はしがきからの要点の紹介です。
(1)生長の家の御教えが唯心実相論に徹した生命の実相哲学であり、
一切を完成する最後のみ教えであることに、常に驚異と感動を覚えるものであります。
(2)尊師谷口雅春先生のお説き下さる真理は
”現象なし、肉体なし、実相のみ実在”の教えであります。
このことを信じて人様にお伝えしますと、真理が絶対であり、み教えが真実(ほんもの)で
ありますから、いかなる難病奇病の方々も、たちどころに神癒をお受けなり、
盲人も唖(おし)もいざりでさえも起ち上がり、ことごとく解決するのであります。
(3)真の救いは
①宗教の救いは、自分の力や財力で処理できない事件や難問題を、
神様の協力(助け)をいただいて解決し、処理するというようなものでありません。
②神のお造りになったままの実相世界(ほんとうのせかい)に悪や不完全なものは
何一つ存在しないという、真理に目覚めることによって、
もともとありもしない現象の悪や不完全を否定し去り、
打ち消すことによって解決するのであります。
それ以外に本当に人間が救われる道はないのであります。
③悪しきもの好ましからざるものはことごとく否定し、
神のお造りになったままの完全さのみを肯定する。
この肯定は現象の否定によって生まれるのであります。
現象否定の極致が”信”であり、”救い”であります。
現象の悪も認めながら、神を信じているというのは、相対の信であって、
信じたつもりでも”信”でないから本当の救いとはならないのであります。
ここのところが最も肝腎であり、真実の救いと、
現象を処理するための方便的救いとは別れ道となるのであります。
④暗はもともと存在しないから、光をもってくればたちどころに消える如く、
現象の悪、すなわち嘘のものを無くする方法は、
本物(実相)を持ってくる以外にないのであります。
(4)私達は幸いにも谷口雅春先生によって、
廻り道しないでも、真理に到達出来る最高の近道をお示しいただいております。
”我れ神の子”の自覚に徹し、ただ感謝し、ただ喜ぶだけで救いを成就できる
という天国、極楽への最短距離の教えをいただいたのでありますから、
素直に受けるだけでよろしいのであります。
現象世界以外理解できない曳馬野さんへ
実相世界が全く判らない独自の世界からの意見が気持ち悪いけど面白い。
藤原先生も熱心な仏教徒から生長の家になって大勢の人に奇跡を表した
総裁の話で奇跡は出ないし、災害ばかりに合いますよ! 波長がそこに合っているのでしょうね。。。
3461
:
復興G
:2013/12/13(金) 05:42:02 ID:AB6RqYXc
いやー、曳馬野さん
ありがとうございました。
「切磋琢磨」 っていうのは、こういうことだったんですね。ありがたいことです。
あわてないで、じっくり行きましょう。
まず、
>>3453
で
>>● 曳馬野さんにお尋ねします。
あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか?
○疑問は有ります。禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています。それについて生長の家では【大日本神国観】で説かれている実在について証明した弟子はいないと私は思っています。<<
――禅の世界で、「証明」 というのは具体的にどういうことですか? 教えて下さい。
数学における 「証明」 とは全然違うものであろうとは想像できます。字義から言えば 「あかし して あきらかにする」 ですね。
生長の家では、体験談というのが証(あかし)でしょうか。
>>生長の家では【大日本神国観】で説かれている実在について証明した弟子はいないと私は思っています。<<
――については、私は、ある友人が、病いで危篤状態になった時、中心帰一の実相世界のありさまをはっきりと見た、というのを聞いたことはあります。しかし、そんなものは幻想だろう、と言われてしまえばそれまでです。やはり、なるほどと人を納得させる証しにはなっていないでしょう。
>>禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています<<
>>その指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか<< (<<3455)
と言われる禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。
3462
:
復興G
:2013/12/13(金) 07:40:36 ID:AB6RqYXc
いやー、曳馬野さん
まあ、
>> 禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。<<
というのは、いつでもいいです。
すでに大調和している、完全円満な世界しかない。
みんな神の子の兄弟姉妹だ。
雅宣総裁も、“本流派” の人たちも、みんな本当は大調和して素晴らしく仲の良い神の子兄弟姉妹だった!
うれしい! 私は、ただ歌って踊っているだけでよいのだった!
バンザーイ!
すべては自心の展開である。
教団派と本流派が争っていると見える状態が出現していたのは、私の心の展開であった。
それを、総裁が悪い、本流派が口汚く教団と総裁をののしるのは間違っている、嫌だと、他に責任を負わして、自分一人悟りすましていたのは、たいへんな間違いだった。みんな私の心の展開であった。
それは、頭では分かっていたのだけれど、今一歩、紙一重のところで、まだ他の責任にしていたところがあった。だから、曳馬野さんがそこを突いてこられたのだ。それで、私は目覚めさせていただいたのだ。ありがとうございます!
私は今、真理そのものの本当の自覚から自分を蔽っていた紙一重の、迷いの雲が晴れた感じがしました。
>> 「人間は神の子である、至上者である」 という根本真理を、全心全霊をもって伝えて行くつもりです <<
と、
>>3488
で言っていましたが、「全心全霊」 になっていませんでした。今、その覆いがとれて 「全心全霊」 に、さらに一歩近づくことができました。これからますます本物が顕れてきます。なんとありがたいことでしょう! バンザーイ!
曳馬野さんのおかげです。ありがとうございます。
バンザーイ!
3463
:
神の子さん
:2013/12/13(金) 08:06:50 ID:???
フレー フレー
3464
:
rei
:2013/12/13(金) 08:30:19 ID:ZIftZ1jM
合掌おはようございます。
復興Gさまってなんと素晴らしい方なのでしょうか。
素直で謙虚で
生長の家実相哲学に精通しておられて
誠実です。
こんな言葉をかけてもいいのかしらと思われる程の
立派な方ですね。
本当にありがとうございます。
いつもとても感謝しております。
3465
:
神の子さん
:2013/12/13(金) 09:15:03 ID:S24xM2hI
>>3459
>お前と総裁だけだ!
>そんな風に聞いているのは! ボケ!
>いい加減にしろ!
-----------------------
こういう言い方こそ生長の家人として恥ずかしくないですか?
み教えより人間の最低限の基本を学んで下さい。
3466
:
トキ
:2013/12/13(金) 09:43:08 ID:8hY2dlTw
ユタカ様、いつもご投稿ありがとうございます。
曳馬野様へ異論がある場合は、罵倒ではなくて、
冷静な反論をお願いします。
他の方々にも感謝と敬意を込めてコメントをのちほどさせていただきます。
いつも素晴らしいご投稿、ありがとうございます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
3467
:
ユタカ
:2013/12/13(金) 22:28:12 ID:/B6zFSOc
>>こういう言い方こそ生長の家人として恥ずかしくないですか?
み教えより人間の最低限の基本を学んで下さい。
この言葉をそっくり総裁に持って行け〜〜〜〜〜〜。
トキさん、罵倒しか出来ません!!!!
3469
:
トキ
:2013/12/13(金) 23:07:11 ID:fXLZteoA
いやいや、復興G様の言われる通り、切磋琢磨の丁度よい機会です。本当に、曳馬野様には
感謝、感謝ですよ。最近は、総裁援護をするのは難しくてネットでも援護論はすっかりと
少数派になってしまっていますが、その中で堂々と援護論を書かれるのは偉いです。
しかし、なかなか曳馬野様の言う通りに生活するのは難しいでしょう。
少し話しはずれますが、数年前に愛犬家の資産運用のプロの人が殺害されました。報道によれば、
加害者の依頼先だった被害者が、大事な客である加害者との約束よりも愛犬の用事に出かける事に腹を立てて
「オレと犬とどちらが大事なんだ」と詰め寄ったら、被害者が「犬です」と返答したのが事件の経過
だとありました。勿論、だからと言って殺人などとんでもないのですが、普通の人間にとって、やはり
優先順位は人間なのです。
それを無理に人間以外のものを優先すると、おかしな具合になると思います。
昔、徳川綱吉という将軍様は、動物を可愛がれという僧侶の進言に従い、生類憐れみの令
なるものを出しました。この動機は宗教的に純粋でしたが、天下の国民は全て難儀しました。
理念や理想は大事ですが、現実に生きて居る人間は、やはり生活があります。谷口雅春先生
は「真理は生活の中にあり」と言われました。私も生活と乖離した信仰は息苦しくなるので
嫌いです。
特定の宗教家にしかできない生活ではなく、ごく普通の市民でもできる信仰のあり方が
大事だと思います。人間至上主義は間違いかもしれませんが、人間否定主義のほうがどうも
恐ろしいかと感じてしまいます。生きている人間にとって、優先順位はやはり人間なのです。
それが信仰が進化すると、自然と人間以外のものも同じ存在に感じられます。それは素晴らしい
事です。でも、無理に強制すると、おかしな事になると思っています。
自然を大事にするのを否定するのではないです。が、優先順位は考えるべきだと思います。
うちも軒先に蜂が巣を作っています。でも、刺しませんし、こちらもいじめません。朝起きて
蜂の巣の前を通る時には、挨拶をします。先日、アクビをした時に、手を伸ばしたら、何かと
ぶつかりました。見ると蜂でしたが、別に刺しませんでした。
小さな事ですが、人間から始める事が大事かと思っています。
ということで、私の与太話はこのあたりで終わります。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板