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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?

1:2025/10/11(土) 16:41:29 ID:xSAuVLWc0
私はこのサイトの存在は知ってるけど願望実現?系に特化したサイトだと思ってました。

久しぶりになぜかのぞいたら、真理系のスレもあったので、真理探求に興味ある人もいるのでは?と勝手に理解してスレ立ててみました。

この手のサイトのルールに疎いので、見当違いor邪魔だったらスルーしてください。

私も昔、願望実現、潜在意識、などの流れから、
じゃあ真理とはなんなんだ?と悟り系に流れて探求してきた者です。かなり地獄も味わいましたw
一応こんな自己紹介です。
ある程度放置してみて、レスつかなかったら、消えますw

412幸せな名無しさん:2025/11/26(水) 18:17:59 ID:E9Aj3Vrg0
>>406
りょうせいさん、返信ありがとうございました。
わかったようなわかってないような‥汗

子どもの頃よく母に、自分が行動で行った良いこと悪いことは必ず自分にかえってくると教え込まれました。
でも、まず良い悪いみたいな善悪はないんじゃないかと思うようになりました。

悪いと思えるようなことをしてる人はたくさんいます。でもそれでも幸せそうに生きている人もいます。
したら自分が与えた波動(エネルギー)がそのまま自分に返ってくるのか?
心からやりたくて(あり得ませんが)、楽しみながら悪行をはたらいても、エネルギーがワクワクなら返ってくるものもワクワクなのか?

いつもここで引っかかってしまいます(^^;;

413幸せな名無しさん:2025/11/26(水) 20:01:45 ID:f4.yBxtM0
結局の所りょうせいさんのようになるには何をしたらいいんでしょうか

414幸せな名無しさん:2025/11/26(水) 20:53:21 ID:Z4few98g0
>>409
「本当の私は探求などしたこともない」本当はそうなんですけどね。汗
悟りとは本来極めてシンプルなこと。
この感覚は始めからあって、ただ心を全部投げ出して「それ」に委ねて静かにすればいいよなと、
やってみたけど全然だめ。なんでだ!と喚くしかなかった。
結局、探求などしてない「意識としての私」を発見するまでに10数年かかった。
そして見つけたのになぜか失う。しかも、まだまだ先がある。(真理視点では世界が見せるトリックですけど…)
時間に縛られてるのは現象として事実で、夢の中のゲーム、リーラだからと自分を納得させる。
この人生では無理でも、いつかストンと落ちて決着するのは既定路線だからと自分を納得させる。
でも正直言って、もう終わりにして欲しいんですよね。完全無知の状態からやり直しなんか、もう勘弁してほしい。祈るしかない心境です。

415幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 00:14:26 ID:WjNOd.bo0
>>380
有難う御座います、落ち着きました。大きな私に癒される方法として昨日思いついたのが
以前観ていた妖怪ウォッチのアニメにヒントを得て(御存知無かったら御免なさい)
大きな私→コマ母ちゃん 個の私→コマさん のイメージで
大きなお母ちゃん私に、小さなコマさんの私が、ペタッとくっついて幸福感を感じる
そんな感じで癒されておりました。
(これは過日パニック発作の時、大きな私に助けられた時のイメージと少し似ています。)
お母さんみたいな大きな私と、個(子)の私が公園で遊ぶイメージもしてみました。
母私は、子私が、砂遊びをしていてもブランコに乗っていても、ニコニコ笑顔で見守ってくれている。
転んでも、泣いても、怒っても、笑っても、そのまま眠ってしまっても、見守ってる。大きな安心感。
そして、大きな私には輪郭が無いので、世界全体が大きな私かもしれないと思いました。
個の私には体という輪郭が有るので融合出来ないけど、意識だけなら融合出来るような気がしました。
その方法については未だ解っていませんが、ゆっくり実践を続けて行きたいと思います。
などと思っていたら大きな私が個の私を抱きしめに来てくれました。あれ?輪郭が有るような。
イメージだから解りやすいように輪郭を作ってくれているのかも?笑

416幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 01:13:42 ID:3DwlfONU0
>>407
ご回答どうもありがとうございます
「あらゆる二元論を手放せるように導かれている」という観点で世の中の動きを俯瞰してみると、その精巧さに畏怖の念を抱くばかりです
それと同時に「二元論が消えたら俗物的な楽しみが無くなるじゃないか!」とエゴの抵抗もありますが(笑)

417幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 01:25:32 ID:WjNOd.bo0
>>383
初期の本も含めて20冊も読まれたなんて凄いです!
私はブログを読む方がメインで、本は7冊位です。

418幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 14:28:16 ID:DZj0YiJk0
あるのか。二元論を超えた幸せが。
エゴの想像もつかない幸せがあるというのか。

419幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 14:51:23 ID:C2qv1U2Q0
>>412
りょうせいさんではありませんが、気、エネルギーの専門家としての意見を言わせてもらえば
人の本質、生存や幸福、に反する行いは邪気、負のエネルギーを発生させます
巡り巡ってといいますが、悪行を行う人間の気はめちゃくちゃ悪いです
巡ってる訳じゃなく自分で発生させてる、タレントなど多くの支持者がいてもそういう人はいます
そして気というものは必ず消費されるのでどこかで消費され何か結果が起きます
死に逃げした所で消える事はないと思います
どんなにワクワクしようと本人が幸せでも良いと思っていても人に好かれていても無駄です
その判断はその人の魂、本質、ハイヤーセルフ、真我、呼び方は何でもいいですがそういう上位自己が判断します
そしてそれは必ず「その人にもわかるように」なっています

仏教はカルマをとてもシステマチックに解説しています
阿頼耶識(潜在意識)に撒かれた種子(意識、行動)は必ず良いも悪いも芽吹いて実を為す
自分の蒔いた種は自分で刈らねばならないという奴です
この言葉の出典は聖書らしいのですが、仏教もまんま同じ事を言っています
あらゆる行いには結果が発生します
りょうせいさんじゃないので不要なレスだったら申し訳ない

420幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 19:56:58 ID:fXN9tIg20
>>419
ご回答ありがとうございました。
専門家の方から教えていただけるのは大変ありがたいです。

どんなにワクワクしようと本人が幸せでも良いと思っていても人に好かれていても無駄です

↑この部分とてもすっきりしました。
この世に(いるかどうかはわかりませんが)本当の悪行を働いている存在たちがいるとしたら、なぜそれがうまくいくのか、そしてまた続けられるのかが不思議でありました。

また色々教えてください。
ありがとうございました(^^)

421幸せな名無しさん:2025/11/27(木) 23:25:29 ID:.l17reJ.0
414です。カルマの話が続いているので私も加えてください。
スレ主さんの言うとおりで、様々な階層があり単純ではないので、善行悪行における因果応報という点に絞って説明してみます。

まず大前提として、
世界は認識から離れては存在し得ません。認識があって始めて心=世界があると見えます。
次に、この現象世界は、生じ回帰していく定めです。二元を超えたものへの回帰です。
世界と個人を説明する時に、大海と波としてよく例えられます。
波は心の動きです。波は決して定まることなくうねり続けます。どこかに境界があるわけでもありません。
それにも関わらず私達はある特定の範囲で起こる波に自己同一化します。これが個人、エゴ、一人の私という感覚です。
波は生じ消えるを繰り返します。心は静まったり活発に動いたりします。
仮にこの大海の波が全て完全に静まったらどうか?
平安そのものですよね?全ての生命が帰ることを望む、本当の幸福の源が確かにあるのです。
波への自己同一化が解消されればそれが見つかります。

さて、世界創造が起こり源へ回帰していくという有り難く嬉しい定めの下の法則(心の動きの決まり事)があります。
例えば、むしゃくしゃするという理由でウサを晴らすために誰かを殴ったとします。
これでスッキリしたと感じたなら満たされます。この満たされた思いを味わい続けたいと願う。これが欲望の本質です。
同じ満足を味わうには満たされない思いをする必要がある。不足、つまり苦しみです。
殴られる苦しみを得なければ殴ることの快感は得られない。
逆に良いことをして喜んでもらったとします。喜んでもらえたのが嬉しかったら同じことを繰り返します。そこで喜んでもらえない体験がどこかで起こります。
見返りを期待していたなら、失った気持ちがあるということなので、どこかで得する体験をします。
したことが返ってくるというより、心の動きが現象として現れている。
ただし、心の動きは自己完結しなくて、他の誰かの心との相互作用、連鎖反応であって複雑に絡み合っています。
波は何処かへ動いていき、別の波と融合したりぶつかり合ったり、そしてどこからかやって来る。
だから、いつ、どこで、何を体験することになるか本当にわからない。
わからないので個人は体験の一つ一つの理由を注意深く観察する必要に迫られる。それはもう不可能に近い大変な作業になります。
この理由でカルマの法則が当てはまらないと思えることが多い。
ということで、このカルマの法則があるおかげで、ひたすら苦楽を繰り返す訳のわからない一見不条理に見える人生に疑いを持ち、本当の幸福があったことを思い出して、そこに帰ることを願うようになるのです。
ここで別の疑問。何かの拍子に無私の行動が起こった時は?
謎です。笑 
私の個人的な体験としては源から不思議な何か(恩寵)が流れ込んできます。

この話は真理探求に興味のあるひと向けです。苦楽の世界で学び生きることに充実を感じる人もいて、歩んでいる段階が異なります。
しっくりこない人はスルーでお願いします。

422り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:09:52 ID:XcRiBmjM0
>>412
どういたしまして♪

>子どもの頃よく母に、自分が行動で行った良いこと悪いことは必ず自分にかえってくると教え込まれました。
でも、まず良い悪いみたいな善悪はないんじゃないかと思うようになりました。

→ それは素晴らしい教訓ですね。
ただ「良い/悪い」は人間がつけたラベルで、
時代や文化でいくらでも変わります。
だからその基準だけを使い続けると、逆に迷いも生まれます。あなたが感じている 
>「出したエネルギーが返ってくるのでは?」
このほうが本質にずっと近いですよ。
この世界はすべて「循環」でできています。
・出す → 返る
・与える → 戻る
・動く → 巡る

お金も、人間関係も、食物連鎖も、性も、
そして思考や感情すらも循環で動いています。
カルマというのは、その内側の循環がそのまま外側の現実に写って返る仕組みのことです

>悪いことしてても幸せそうな人がいる理由は?

→ 短期ではそう見えることがあります。
ただ、長期スパンでは必ず出したエネルギーは回収されます。

これはたとえば、「地球の自転だけを見るか、公転まで見るか」〜の違いに似ています。
地球は1日で一周するから、短期だけ見れば「ぐるぐる回ってるだけ」に見える。でも実際は、1年かけて太陽の周りをゆっくり回っている。自転だけ見ていると本当の動きがわからない。公転まで視野に入れてはじめて、
「地球ってこういう軌道で生きてるんだ」とわかります。

カルマも同じです。短期(=自転)だけを見ると「悪いことしてるのに、なんか楽しそう」という現象が起きます。
でも、長期の軌道(=公転)まで見ると、
出したエネルギーは必ず本人に戻ってきます。

※ただし、お伝えしたいのは、
「個の私」がカルマを
完全に理解しよう・把握しようとする必要は全くありません。
・半分は「まあ、そういう仕組みもあるかも」
・半分は「気にしなくていい」
このくらいがいちばん自然です。

なぜなら、カルマそのものが恩寵の流れとして、目覚めへ向かわせるために緻密に配置されているルートだから。
むしろ、個の私がカルマを″精巧に理解しようとしないほうが″、プロセスはスムーズに進むことがよくあります。細部を知りすぎるとマインドが介入して、本来の浄化の流れを止めてしまう場合があるからです。それに真理探求する方はカルマを超えていく方向ですから。

>悪行をワクワクしながらやったら、ワクワクが返るのか?

→ 結論はNOです。理由はシンプルで、返ってくるのは「表面の感情」ではなくその行為を支えている「前提のエネルギー」だからです。
どれだけ本人が「楽しんでるつもり」「ワクワクしてるつもり」と言っていても、奥には必ず
・不足
・依存/中毒
・焦り
・空虚感
・恐れ/罪悪感
こうした土台のエネルギーが存在します。
そして反映されるのは、その土台のほうです。
だから、
・表向きは「ワクワク」
・内側は「恐れ」
この状態なら、返ってくるのは「恐れの現実」です。そしてよくいう、「嘘をついてはいけないよ」という教えの理由も実はここにあります。表面をごまかしても、内側(前提)のエネルギーは嘘をつけない。
自分の本音に嘘をつくと、その「嘘の前提」が返ってくる。これは道徳の話ではなく、意識の構造そのものがそうなっているという話なんですね。

423り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:17:57 ID:XcRiBmjM0
>>413
言語としては確かにこういう聞き方になりますが、実際に私が話しているのは「りょうせい個人」のことではありませんよ。
あなたにも私にも共通している 真のあなた(=真のわたし) のほうです。
その前提のうえで、あなたの質問の意図にお答えすると。

>個としての私は何をすればいいのか?

まず、お伝えしたいのは真理探求というのは、深いところのスイッチが入らない限り始まりません。「やりたい」と頭で思っても、
その段階でなければ本当の意味では起きません。

もしあなたが今、マズローでいう 個としての願望・欲望(愛されたい、成功したい、お金がほしい、承認されたいなど)
を優先しているなら、そこに集中が起こるのは自然だしそっちを満たすべき。

なぜかというと、真理探求が深まるのは、
欲望とある程度付き合い味わい切ったあと
→「それでも満たされない」という地点に来たとき。ここから自然に始まるからです。

真理探求が自然に始まる順番
1.個の欲望をちゃんと味わい切る
2.それでも満たされないという事実に出会う
3.そこから自然に本当のことを知りたくなる

これが自然に起きる探求のプロセスです。
真理探求は、「エゴ・私は個人である」を手放していく方向性だから。

ただし、あなたのいまの状態次第では話が変わります。
もしあなたがすでに、
・欲望を満たしてもなんか不思議と虚しい
・本来の自己にどうしようもなく惹かれる
・気づくと真理の方向に意識が向いてしまう
・探求をやめたくてもやめられない
こういう状態なら、探求は静かに始まっています。その場合はこちらも伝えられることがあります。

あなたは、どんな感じでしょうか?

追伸 
ただ、願望実現の人でも、真理に興味があるならOK
願望実現を頑張りつつ、
同時に真理にも惹かれてしまう。
そういう方でも私はウェルカムです。
理由は→私も真理探求の前は、潜在意識の取り組みをやっていたから。

そういう方には、
「いつか真理探求が始まるとき用の種」
を渡す形になることが多いです。

ただし、願望実現だけで、真理に興味ゼロです
と言われると、私は潜在意識・願望実現の達人ではありませんし、深くお役に立てるかは微妙です。

ただし、
・エゴがどこで誤解しているか
・どこに引っかかっているか
・なにと同一化しているか
これくらいなら見えることはあります。

あと、これは掲示板なので、
・あなたの精神的な傾向
・今いる段階や温度感
・背景や状況
こういう本来は重要な情報がちょっとした質問の文章だけだと読み切れません。
(もちろん質問者のプライバシーを守るため、それで構いませんが)
そのため、伝えるにしても、踏み込めるところ・踏み込めないところの境界がどうしても出てきます。そこだけはご了承ください。

424り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:23:21 ID:XcRiBmjM0
>>414
あなたに起きたその祈りは、とても意味深いものですよ。なぜならその種類の祈りは、
偽りの「私」をそのまま差し出す、個としての最終段階の祈りだから。そしてその祈り自体が、
あなたである純粋意識そのものから湧き上がっている。

意識が静まっているとき、
あなたは時間にも、記憶にも、物語にも縛られていません。悟りという言葉は、悟った瞬間に役割を終えます。それは世界の中の、ただの一つの物語のラベルでしかありません。

もし本当に「決着をつけたい」のなら、
ひとつだけ受け入れてください。
「真のあなたが気づけるもの・認識できるもの・知れるものはすべて私ではない」
この事実が、静かに浸透していくでしょう。

もちろん、表面ではまた巻き込まれて
「いや、これは私だ」と握ることも起こります。
それでいいんです。それも現象の動きのひとつですから。

そして大事なのは、どちらを選ぶかではなく、
純粋意識が自然にその動きを起こしていくということ。あなたは行為者ではありませんよね。
「あなたは、在る」です。

純粋意識が私として目覚め始めると必ず、
「じゃああなた本当にそこに留まれるのか?」
という恩寵的レッスンが始まります。
神々からのレッスンといってもいいかもしれない。

レッスンが進むほど、
疑いはあなたである意識に観照され、
消えるのが早くなる。
あるいは、残っていても平和な無関心が深まる。

そしてもうひとつ重要なこと。
あなたが「完全無知からまたやり直しだ!嫌だ、怖い!」と信じる限り、
意識はその信念に沿った風景を見せてきます。
見たいもの・避けたいものこれがこの世界のリアルさを構成しているから。

だから、未来のストーリーは一旦忘れてください。それは全部、夢の中の概念です。
遠い過去も、未知の未来も、想念でできた森です。気づきの光で燃やしましょう。

もし本当に決着をつけたいなら、
個が見る外側の「教え」を一度すべて置いて、
あなたである意識そのものに対してだけ語られた「事実」だけを採用してください。
知りたいことは「私は在る」が教えてくれます。

あなたが前におっしゃっていた外側のグル。
そして、あなた自身である内側のグル。
そこに、どんな想念を投げてもいい。
どれだけ暗黒でも、どれだけドロドロでも。
グル(=主体であるあなた)は
明け渡した想念。それを受け取り、溶かします。

こうして、起きてくる出来事ひとつひとつが
だんだん「直接的な理解」に変わっていきます。

それが本当の祈りであり、
祈る者と祈りの対象が一つに溶ける地点です。

追伸・余談
たしかにあなたも前言ってたように、だいぶ板違いな話のやり取りになってきました。
うーむ。笑

425り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:33:18 ID:XcRiBmjM0
>>415
それは良かったです。
あなたが言うように「大きな私」を想うことを続けていると、やがてそれは努力して行うものではなくなっていきます。

何かのために、一生懸命に、頑張って思い出す。そういう段階を越えて、「ただ、思いたいから思う」「自然にそこへ戻りたいから戻る」
という変容が起きてくるかもしれません。
こういうのは、エゴの辞書には載っていないタイプの動きです。
だからこそ、それは個の私にとっては受け入れ難い。でもどこか懐かしい感覚として起きてくる、かもしれない。

この地点に入ると、
それはもうメソッドではありません。方法でもアプローチでもなく、ただ大きな私の無条件さが小さな私に沁みてくる現象になります。
同じ「実現」でも
・願望の実現=個の私のための動き
・真理の実現=大きな私が小さな私を溶かしていく動き。この違いがハッキリ分かれます。

>大きな私は、転んでも、怒っても、泣いても、疲れて眠ってしまっても、ただニコニコ見守っている。

うん、まさにですね。
その絶対的な安心感そのものが、大きな私の本質です。

そしてあなたが気づいた通り、大きな私には本来、輪郭がありません。世界全体がそれでできているからです。
これは輪郭がないからこそ、どんなものにでも変身できる。輪郭があるように見えるのは、
小さな私が理解しやすいように
大きな私が 仮の姿を取ってくれています。

本当は輪郭などないのに、
個の私に安心を伝えるために輪郭のある姿をとる。その優しさ、あるいはユニークさ、子供のような無邪気さは、大きな私の本質そのものです。
だんだんと、マインドや思考の考察・解釈に頼るよりも「体感・直感・軽さ・平和・静けさ・安心感」これらを通して感じていくことを優先していくと良いでしょう。

「なぜかわからない、うまく説明できないけど、
嬉しい、楽しい、落ち着く、安心」
こういった線でプロセスが深まるといいですね。

あなたの場合、アニメを観て癒される

それがそのまま大きな私との交流になる

まさに、大きな私は、本当にあらゆるところに現れるということですね。

426り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:34:21 ID:XcRiBmjM0
>>418
そうですね。想像もつかない幸せというよりも、エゴという小さな箱に閉じ込められていること自体が苦なんですよ。二元論を超えた「それ」の正体こそ、他でもないあなたのことなんですよ。

427り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:38:54 ID:XcRiBmjM0
>>419
>>420
お二人ともカルマの補足、ありがとうございます。
私だけの表現だと伝わりにくい部分もあると思うので、こうして別の視点から表現・説明してもらえるのは本当に助かります。

あと、私がレス返しないときでも、
挙がっているテーマや関連するテーマでの、
雑談や意見は全然ウェルカムですからね。

私は「質問されたら答える係」みたいなスタンスなので、気が向いた方は気軽に書き込んでくださいね。(返信遅くなることもありますが)
よろしくです。

428り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:43:12 ID:XcRiBmjM0
あ、ミス。上のは
>>419
>>421さん宛てでした。ごめんなさいー

429り改め りょうせい:2025/11/28(金) 02:53:28 ID:ZGcl1I760
>>419さんでしたw
このように何度も打ち間違えるくらいカルマの構造の話はとても複雑だということですね。笑
それではみなさんおやすみなさいzzz

430り改め りょうせい:2025/11/28(金) 07:24:59 ID:XcRiBmjM0
>>416
そうなんです。精巧さ、畏怖の念。
まさにですね。
この世界の構造は本当に奇跡的。
なので、世界に対して祈るにしても、
祈り方の質が自然と変わってくるかもしれませんね。
あと、俗物的な楽しみを我慢する必要は まったくありませんよ。楽しめるなら、むしろ楽しんだ方がいい。我慢すると逆にエゴが暴走してしまいます。もちろん、
「欲望を見境なくやりましょう!」と推奨してるわけじゃないですが。笑
でも、正直なところ、やるときはやることが起こるし、落ちるときは自然と落ちる。
これがほんとうのところです。
なので、無理やり抑えたり戦う必要はありません。起こることは必ず落ち着く場所に落ち着いていきます。
その流れを、恩寵に委ねてしまえば充分ですよ。

431幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 09:53:03 ID:FhZYQpAY0
>>422
返信ありがとうございます。

はぁ〜ほんとに納得です。
複雑な内容をわたしにもわかりやすいようにお答えくださり感謝いたします。

個のわたしがカルマを完全に理解、把握しようとしなくていいんですよね。これまた囚われていたことに気づけて楽になりました。りょうせいさんのおっしゃってくださったように、「まぁ、そんな仕組みもあるか」で気にせずにおります(^^)
嘘の話もとてもわかりやすかったです。

419さん、421さん、カルマについて答えてくださりありがとうございました。
また何かに囚われたら質問させてください笑

432幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 10:16:49 ID:O6AGuUnc0
>>423
質問を書き直しますと、本当の自己に惹かれるが
あえて個の私として現段階でやれることはあるのか?でしょうか
別に欲望を全て満たしたわけではないですが前から真理・非二元系の話にも興味があったではダメですかね
願望実現系の達人の話を聞いても何か真理系に寄ってくんですよね、エゴは本当の自分じゃないみたいな
願望実現欲求も持ちつつ真理系と共通して言われる本当の自分とは一体?となってる私の様な人は多いのではないでしょうか
まぁワンネスとか愛とか制限ない存在とか在るとかいろんな呼び方は聞き及んでますが結局実感ないし起きないし悔しいしどうすりゃいいんだよて感じですかね正直に申し上げると

433幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 12:20:22 ID:Grpy2/6E0
>>411
雑談おっけーありがとうございます!!
ダミアン!それも読んでみようと思います!
そうなんです!意味のない厳しい修行をしたと分かって思わず笑いが込み上げてくる所、1人で孤独を選び(というか全てを自分で捨てているようにも思える)問いへの答えを探し続ける所、愛を知れば全て分かるんじゃないかと恋愛にはしるところ、自分は本当に想ってくれていた仲間をただ真理探求に理解がないというだけで切り捨てたんじゃないかと思って子供のように泣く所、愛を知ったと思ったのに肉親さえも上手く愛せない所、私は本当に愚かな人間だと全て手放す所。
私は決して真理探究が深く進んでいる訳ではないですが(肝心の最後はやっぱ分かんなかったし笑)とても共感する所が沢山ありました!!
この板を見ている時のような気持ちになりました!
それにとにかくつよぽんが素晴らしかったです!あの人面白いですね〜!!

434幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 15:11:19 ID:46wG4EY60
>>420
参考になったのなら何よりです。一つだけ補足させて頂くと
例えば、人の肉体は良いものを食べれば健康に、悪いものを食べれば病気になる
これは、どんなに悪知恵を働かせてもどうにもなりません
カルマとはこのようなもの、これもカルマの一種とも言えます

>本当の悪行を働いている存在たちがいるとしたら、なぜそれがうまくいくのか、そしてまた続けられるのかが不思議でありました。

これも誰も解説する人がいないんで、疑問に持つ方がいたら是非私にやらせてくれ、となってしまうんですがw
気にはプラスマイナス、陰陽があるというのはご存知だと思います。ここに法則にあります
「プラスとマイナスは引き合う」「プラスは生命力、マイナスは反生命力」これもまぁ分かると思います
そして悪人という存在は極マイナス、マイナスの力がとても強いという事になる
普通はそのままだと健康を害したりで死にます、でも、何故かそういう人ほど長生きしたりする
そういう疑問を持っている方は多くいると思います

ここで法則を思い出してください、極マイナスは周囲からどんどんプラスの気を引き寄せる事が出来ます
例えばマフィアのボスが沢山の美女を侍らせている、そんなイメージでしょうか
悪行で成功した人間には本能的にそういう事ができてしまう人間がいます
スピなどの業界ではこれを「エナジーバンパイア」と呼んでいます
そして極マイナスは法則により弱いマイナスの力を受けない、つまり呪いや祟りのようなものを全て無効化します
極マイナスは、極極マイナスのような存在からしかマイナスを受けないのです
そして受け流した強いマイナスの力は周囲や子孫の最も弱く善良な人間に行きます
呪いや祟りが「悪人」に効いた話なんて聞いた事ないですよね?

これは相当なカルマを産むと考えられます
普通の人は気を循環させながら生きていて、悪い気を押し付ける事もあれ良い気を与える事もある
しかしこのケースは一切プラスの気を産まず人から奪うだけ、借金、負債を全て他人に押し付けるようなものです
死に逃げしたとしても死後や来世といったものに持ち越される可能性が高い
信じる、信じない、ではなく転生、前世というのは法則、物理現実の一部としてあるとしか思えない気を調べるとそういったものが出てくる、これが私の見解です
また信用と能力のある方々も、どうにも調べるとそういうものが出てくると言っています

最後に実例を、私のケースです。私は父方の祖父母の顔を知りません
私が生まれる前後に亡くなったの事です、確か癌だったはず
母方の祖父母は私が40の頃はまだ存命でした、私は母方のひいお婆ちゃんの葬式に出た事もはっきり覚えています
そして父方の私世代は私以外全て女性で結婚し籍を変えていますし、私も継ぐ気がなく結婚できるなら姓を変えたいと思っています
つまり私の代で滅びる事が決定しています
私は父方と非常に強い確執、因縁があり、それは毒親という一言では説明しきれないほどです
最低でも一人は父方に強い恨みを持って死んだ親戚がいるらしい事が分かっています

死亡した年齢に40年もの差がある。家系が滅ぶ事が決定している。全て偶然でしょうか?
私は恐らく、この因縁、絡繰りを唯一理解できる人間として生まれています
長くなるので詳細は説明しませんが、見えない力が働いた必然である事は確かです

なぜ憎まれっ子世に憚るのか、この世には神も仏も地獄もないのか、多くの人がそう思っています
この現実世界や気の法則には極めて理不尽な面もあります、しかし、全てに理由があり
一面においては正しくても全体としてみればそうではないのです

435幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 22:57:31 ID:FhZYQpAY0
>>434
またお返事をいただけるなんて、ありがとうございます。嬉しいです。

疑問に持つ方がいたら是非私にやらせてくれ、となってしまうんですがw

↑頼り甲斐があります笑 教えてください!

プラスとマイナスの法則、そのように作用するんですね。教えていただいたことから考えると、マフィアのボス的な人たちが美女を侍らせているという理由は理解出来ました。

そしてカルマはやはり持ち越しされるんですね。。

実例も交えてご回答くださり感謝いたします。
わたしの考えつかないところまで教えていただき大変勉強になりました。

カルマって深すぎるし知れば知るほどやっぱりなんかこわいです。

436幸せな名無しさん:2025/11/28(金) 23:40:31 ID:jgCCpg7M0
>>425
いつも有難う御座います。アニメは個の楽しみという感じで
自然(暖かい日差し・綺麗な落ち葉など)を大きな私からの贈り物の様に感じています。
幼い頃からずっと一緒に居てくれた存在に気付けて、温かい気持ちに包まれています。
「私は私と仲良くなりたい」という思いを抱いて11年、真理の実現が叶いました。

そういえば自己向き合いを始めてから数年は趣味のイラストを殆ど描いていませんでした。
このままでは描けなくなるかも?と思っていると描く流れが起き、心に聞く方法を知り
実践も兼ねてしばらくは楽しく描いていたのですが、何故かどうしても描けなくなってしまい
探求を始める流れが起きました。結局まだ描けてはいません。
もし絵を楽しく描き続ける事が出来ていたら探求の流れには入っていなかったと思います。

絵は「願望の実現=個の私のための動き」に該当し、真理の実現とは両立出来ないみたいです。
真理の実現の方へ進めているのはとても嬉しいですが
自分は(絵に限らず)願望実現の方じゃなかったんだ、と思うと少し寂しい気もします。

ただ、私が本当に幸せを感じられる、私にとって本当に必要な事は
きっと大きな私が叶えてくれるから心配しなくて大丈夫、という安心感も有ります。
(そしてそれは、小さくて地味だけど大切な何か、のような気がします。)

>マインドや思考の考察・解釈に頼るよりも「体感・直感・軽さ・平和・静けさ・安心感」
↑考える事よりも感じる事の方が好きなので楽しく実践していけそうです。
本来、実践とは頑張るものではなく
ラクに楽しみながら自然に出来るものなのかもしれないと思いました。

>優しさ、あるいはユニークさ、子供のような無邪気さは、大きな私の本質そのものです。
↑大きな私に対して「かわいいね」と言ったら「テヘペロ☆」と返ってきました。笑
(古い表現だとは思いますが、そう返ってきたので 笑)

>ただ大きな私の無条件さが小さな私に沁みてくる現象
↑温かいですね、とても心地良いです。そして何だかボーっとしてしまいます。
私は幼い頃からボーっとしがちな子だったのですが、大きな私の恩寵を
気付かないうちにたっぷりと受け取っていたのかもしれないなと思いました。

437幸せな名無しさん:2025/11/29(土) 09:37:44 ID:N3qdyC.Q0
436です 追記
願望は叶うと願望ではなくなるので
個の私が気付かないうちに叶ってしまっている願望も
本当はものすごく沢山有るのではないかと気付きました。

438幸せな名無しさん:2025/11/29(土) 18:24:20 ID:7CznLdjk0
だからカルマなんて把握できるわけがないのでしょうね。
地球上に人間だけでも90億。近しい人に限っても、誰がいつ何を思い何をするか、どんなことをしてくるかわからない。
自分のことさえ未来に何が起こり何を考え何をするかわからない。まして見ず知らずの人のことなどわかるわけがありません。
この世界は把握できない法則・カルマに従って動いている。理解できず不完全にしか見ることの出来ない人間視点に困惑し疑問を持った人は、真理探求に入るのでしょう。

439幸せな名無しさん:2025/11/30(日) 09:42:24 ID:NC6EcvNA0
身に起きたことは己の行為の結果であると認めることは少なく、多くのことの原因を外部に求める。
大部分は偶然にしか見えず、カルマはあるようでいて不完全であり疑わしいと感じる。
つらい事ほど外部の責任だと思いたがるのがエゴである。このために世界が争いに満ちてしまう。
この相対世界では、あらゆることは巡回し流れ展開するスクリーン上のドラマのようなもの。そこに私というエゴが介入し、現実であると錯覚し好ましいことのみを求める。
この愚かさに気付いた者だけに、真の意味での真理探求が始まる。

440り改め りょうせい:2025/11/30(日) 11:59:03 ID:6HBHTTIc0
>>432
※長くなってしまったので二つに分けました。
>あえて個の私として現段階でやれることはあるのか?
>欲望を全て満たしたわけではないですが前から真理・非二元系の話にも興味があったではダメですかね

→全然間違ってないですよ。
ぜひ同時に真理探求にも進んでください。
>「やれることはあるのか?」
これはもちろん熱量を込めて、「YES」です。
前にも少し触れましたが、探求者ってざっくり分けると
・直接知識タイプ
・明け渡しタイプ
・両方・または交互タイプ
この3つに落ち着きます。

これは自分の経験だけじゃなく、歴史上の宗教やスピ系のアプローチを全部並べても、結局この分類になります。軽く例を挙げると、こんな感じです。

1. 直接知識タイプ
「気づき」「観照」「洞察」「問いかけ」「識別」で私じゃないものを落としていくタイプ。

たとえば、
・アドヴァイタの、
「私は誰か?」「何が真で、何が偽か?」のアプローチ。
・仏教(ヴィパッサナー)
感情も体感も全部観察して、無常・無我を見抜く方向。
・禅(臨済宗)
「これは誰か?」系の公案。分別まるごと切る。
問いを使い、二元を超えてくアプローチ。
・スーフィー(知の道)
実在と影、観照者と対象。みたいな哲学的な切り込み。要するにこれらは「理解 → 静寂 → それ以前」に落ちる流れ。

2. 明け渡しタイプ
こちらは「委ねる、祈る、愛、溶ける」のライン。思考を使わない分、スムーズに個の柔らかさ・軽さ・聖なる愛や感情浄化のプロセスが進みます。

・バクティヨーガ
神に捧げる、涙・信頼・抱かれ感・聖なる歓喜。これはエゴの浄化にとても有効。
・浄土宗
ナムアミダブツ=完全委ね。阿弥陀に丸投げ。
これも上記と同じ。
・キリスト教の祈り・黙想
「御心のままに」自我を返す方向性。
これも上記と似てるけど、恩寵・奇跡・静寂の要素も加わる。
・スーフィー(愛の道)
愛で燃える系。「私を燃やしてください」みたいな陶酔。永遠の愛のためなら私は燃えても構わない。といえるような純愛型タイプの道。

3. 両方タイプ(統合型)

私もこれでしたが、二つを行き来しながら落ちていくタイプ。このパターンは、二つの仕事のかけもちのような負荷と、矛盾による迷いが増える分、日常のことも大切に捉えて包括的に行う必要があります。

・ヴェーダンダ(インド)
意識の階層を総合的に直接体験する。
・ゾクチェン(チベット)
理解+ 明け渡しのハイブリッド。
・ヨーガ全般(インド)
行為を捨てる学び・観照・静寂・献身・マントラ・チャクラ全部入ってる。
・曹洞宗(只管打坐)
ただ坐る=理解と明け渡しの中間。
・現代非二元・ノンデュアリティ
教えは知、体験はバクティという合体型。
ただし、探求初期や、取り入れるタイミングを間違えると虚無(ニヒリズム)や空虚(無意味さ)にも陥りがち。また知的理解で止まってしまう危険さと、エゴの精神的なトラウマが暴走し魔鏡に陥る可能性もあるので、探求の終盤に触れるのがおすすめ。(下に続きます)

441り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:08:46 ID:6HBHTTIc0
>>432
他にも挙げれば沢山あるでしょう。みなさんにも、聞き馴染みがあるものがあるかもしれないし、全くないかもしれない。ただ難しく捉える必要はなく、これらの話を一切全く知らなくても全然構いません。

で、「今の私ができることは?」について。
これはあなたのタイプによって違うんだけど、
ざっくり言うと 今の自分が自然に惹かれる方向が「まずの道」です。無理に選ばなくても、意識が勝手に方向づけしてきます。

私の経験でいうと、「純粋意識(私は在る)にとどまる」をひたすらやってたころは、
瞑想しかないな。と、思ってましたし、

「すべてを意識そのものに明け渡そう」
と、やってたころは、明け渡ししかないな。と、思ってましたし、

「神を全力で想う」をひたすらやってたころは、それしかないな。と、思ってました。
非二元の時は、非二元を吸収していました。アドヴァイタの時はアドヴァイタ・・禅の時は禅・・つまり、時期によって、モードによって、まるで人が変わっていました。笑

しかし、ある時、実際に「それ」が起きたら、
結論→「まったくどれも、なにも関係なかった。これは、ただ起きるか、起きないかだ。ガーーン」となりました。
しかし、同時に何一つ無駄がなかったと明らかになりました。つまり、探求してなかったら、発掘した宇宙一輝く宝石を、宇宙一価値のない石ころだと勘違いして、スルーしてただろうなということです。

そのため、私は、探求者に対して、「絶対このアプローチ、この教え、この哲学、この宗教、この聖者、この賢者、このスピリチュアル、この人だけが素晴らしいからそれをやりましょう」とは言えなくなってしまいました。

あなたが惹かれたもの、起きるアプローチ方法や、気質的にやってしまうこと、
その方向にひとつも無駄はなく、完全に最適。また、上に挙げたジャンルとは全く違うもの。たとえば、趣味や仕事、恋愛や結婚、人間関係などの様々な人生体験。誤解を恐れずいえば、たとえ人前で言えない系のどんなヤバい系の体験でも。また、強烈な悲しみの体験でも。
確実に真理探求に繋がり、確実にプロセスが深まります。
そのため、大枠では「すべては最適に恩寵が運びます」という発言になってしまいます。

>願望実現欲求も持ちつつ真理系と共通して言われる本当の自分とは一体?となってる私の様な人は多いのではないでしょうか

→もちろんです。潜在意識や真理探求のことを全く知らない人でも無意識下ではそのように感じているはずです。本当の自分を知りたいと。
それほど、エゴとの同一化は苦しいからです。

>ワンネスとか愛とか制限ない存在とか在るとかいろんな呼び方は聞き及んでますが結局実感ないし起きないし悔しいしどうすりゃいいんだよて感じです

→私も何十年もそんな状況でしたよ。
それが起きてしまえば、その過程自体は消えてしまう。だけど、ふと蘇るときがあります。
なので、おっしゃってる気持ちは痛いほどわかります。ただ、すでに起き続けているものは、起きない。
なぜならすでに在り続けているから。
その事実が確信的に明らかになるとき、
想像を絶する実感は、起こり得ます。

長くなってしまいましたが、
ちなみにあなたは、アプローチ、メソッド、修練など、なにかやってますか?

442り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:16:26 ID:6HBHTTIc0
>>433
雑談おっけーありがとうございます!!
ダミアン!それも読んでみようと思います!

ぜひぜひ。現代小説と違い、少し読みづらいかもしれないけど、私は印象に残ってます。
霊性的な啓示のある優れた小説や映画、ドラマ、アニメなどは、全体意識を理解するために非常に有効になりますしね。

ちなみに、「デミアン」です。笑

「ダミアン」はオーメンの悪魔の子の名前ね。爆笑

間違えて、「りょうせいさんに勧められてオーメン観ました!なるほど、ダミアンから真理探究に繋がる考察を得ました!」と書いてくれても、面白かったけど。笑 
それはそれで、悪魔をテーマとして話せるしね。(てか、オーメン古すぎて誰も知らないか。笑)

>意味のない厳しい修行をしたと分かって思わず笑いが込み上げてくる所〜

→大丈夫です。その一連の流れは完全に恩寵によって真理探究が深く進んでいますよ。

>1人で孤独を選び〜(というか全てを自分で捨てているようにも思える)

→これなんかは、真理探究が深まると、ケースとして普通に起こり得ます。つまり、余計な人間関係との変化が起きたり、意識それ自体に深まる過程で、不必要なものは物語から消えていくことがあります。もちろん、これは一時的で、探究が完全に終われば、再び自然な営みや日常に溶け込んでいきます。もちろん、ケースによっては様々ですが、なんであれ、気にする個人がもはや成立しなくなります。全体の最適な表現になってしまいます。

>この板を見ている時のような気持ちになりました!
→この板があなたにとって何かしらの励ましとして機能しているなら私も嬉しいです。

つよぽん素晴らしかったんですね。
確かにシッダールタ役に抜粋されてさらに観客を納得させるなんて、かなり役者を選ぶからね。素晴らしい舞台に触れられて良かったですね♪

443り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:21:42 ID:6HBHTTIc0
>>436
>絵は「願望の実現=個の私のための動き」に該当し、真理の実現とは両立出来ないみたいです。
>真理の実現の方へ進めているのはとても嬉しいですが
>自分は(絵に限らず)願望実現の方じゃなかったんだ、と思うと少し寂しい気もします。

→あなたの場合、起きてる流れは、
「願望実現」というよりは
「自己実現・生き方・天職への切望」みたいな方が近いんじゃないかな、と感じます。
だから、そっちの流れにしっかり集中してみるのもありですよ。絵は、あなたにとって
「個の私(エゴ)の心を映し出す鏡」みたいな役割をしているように読めます。
真理探求もそうですが、絵との向き合い方も、
すぐに答えを出そうとせず、時間をかけてゆっくり「根深い想念や、潜在的な傾向」をしっかり見ていくテーマに感じます。

「真理探求があるから、個のやりたいことは諦めなきゃいけない」という話では全くありませんよ。
起きる時は起きるし、起きない時は起きない。
それでもどうしても続けてしまうことは、
その人にとって大事なテーマだから繰り返し浮上してくるのです。

>大きな私の恩寵を気付かないうちにたっぷりと受け取っていたのかもしれないなと思いました。

はい、恩寵は、特別な誰かだけではなく、
世界全体に、もれなく行き渡っているものです。その働きは、浄化や癒しとして現れます。
それが少しずつ、
・「これは私のもの」
・「私の思考」
・「私の気づき」
と同一化して握っているものを、
ゆっくり溶かしていきます。
もしあなたが「大きな私」にもっと委ねたい、信頼を深めたい、と思うなら、
少しずつでいいので、あらゆるものを彼女(大きな私)に捧げていく必要があります。
そのためには、時間をかけて、
決して急がず・焦らず、静寂としての大きな私の声なき声に触れ続けることです。
真相レベルでは、本当に存在しているのは彼女(大きな私)だけですから。

444り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:27:48 ID:6HBHTTIc0
>>434
わかりやすいご説明ありがとうございます。またまた、みなさんの参考にもなるお話ですね。

445り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:29:49 ID:6HBHTTIc0
>>438
まさに、その通りです。
宇宙や世界の構造・法則性を研究したり、
それを体系づけていく専門家の方々の働きというのは、ある意味では 「世界の流れの中で配置された役割」 のようなものだと思っています。その探究が積み重なり、世界全体の理解や進化につながっていくことも確かです。

ただ、個として真理探求の道を進んでいくと、
世界や宇宙の仕組みをどれだけ追いかけても、
ある地点で必ず視点の転換が起こる瞬間があります。
それが、
「これを知りたがっている私とは誰なのか?」
「法則を掴んでコントロールしたがっている私とは何なのか?」
という問いが自然に立ち上がってくる地点です。
このあたりから、探求は外側の仕組みを解明する方向から、それを知ろうとしている主体そのものを見る方向へゆっくりと性質が変わり始めます。そして深まっていくと、次第にこう見えてきます。

「夢の展開は、それ自身の力で進んでいる。
そして夢から目覚めることこそが真理探求だった」
外側へ向いていた関心が、ゆっくりと、しかし確実に 内側へ反転していくそんなプロセスが起こってしまうのです。

446り改め りょうせい:2025/11/30(日) 12:32:17 ID:6HBHTTIc0
>>439
おっしゃる通りです。
ある意味、本当に真理探求の直接的な知識が開き始めるのは、まさにその地点からかもしれません。
エゴが自分の、(ある意味で)愚かさを、
直視し外側の責任にしてきた構造を見抜き、
「これは夢のドラマを本気で信じ込んでいただけだった」と理解する。
そこに至ること自体が恩寵であり、祝福であり、そして厳しい浄化のプロセスに耐え抜いた者だけの気づきです。

447幸せな名無しさん:2025/11/30(日) 23:21:36 ID:FdQYoOu20
最近こちらのスレッドを読むのが楽しいです!りょうせいさん、皆さん、ありがとうございます。
今私は、その時その時の自分(個)に最適なものが用意されているという感覚が強いです。
このような掲示板の書き込みに興味を持ったり、書き込みをしたりすることも。何かしらに後押しされている感覚がずっとあります。
全てが恩寵なのだと少しでも感じられると、エゴで嫌がっていたあれやこれやをも微笑ましく見守る視点が、微かかもしれないが確実にあると感じます。
特に質問があるわけではないのですが、今のこの感覚をこのスレッドに書き留めておきたくなりました。

448幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 06:08:27 ID:0krOS45w0
>>440
詳しくありがとうございます、真理系の勉強にもなりますね
結局これに方法も関係もないんだけど色々ある中からやりたいことやるしかないって感じでしょうかね
やってることと言えば自己観察(思考観察?)とか瞑想の時間を設けるですかね
あとエゴとエゴ以外って何だろうと考えるとか 本当の私とは何かと考えるとか
書いてある中だとアドヴァイタが近そうですね
あとここでりょうせいさん(真の)の文を読んだりやり取りすることにも期待感があるかも

449幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 10:27:22 ID:bP0USNok0
>>424
>レッスンが始まる

ええ、試されます。疑いが強まり全部否定していた時も、頭の片隅では試されてるのかという理解はありました。
なんだかんだで今はかなり楽になっています。ただ他のことで誤魔化した部分もあるのか深層では残ってるようで、夢の中で出てくることがある。
実現させないといけないことかもしれません。これに関しては自分から動く気はさらさらなくて、起きてほしいような起きてほしくないような、起こるんなら起こるんでしょ、というスタンスです。
そうは言っても、真の私はそんなあれこれに縛られてはいない、問題など始めからない。
しかしストンと落ちて定まることはない。で、原因は?となってループにはまる。そこで祈りが起こる。
こんな感じです。

>>440の話、私も統合か交互タイプですね。
最初に直接知識と強いバクティが起こり、しだいにバクティは弱くなっていきました。
でも智慧の道(直接知識)も最後は明け渡し(バクティ、「それ」を想い全託する、祈る)で最終決着する予感がある。
知識も明け渡しも、その他瞑想などどんな修練も「それ」の目前で終わる時は同じことになっている。
ただ静かに在る時は、知識も明け渡しも瞑想も祈りも全部同じです。
同じではあるが、最後は辿ってきた道自体が超えられない壁になる。
ラーマクリシュナはバクティでは決着せず、最後は識別を授からなければならなかった。
一つの道だけではいけないと思いますが、どうなんでしょうか?
最後に道からジャンプして離れる瞬間は語れない領域の恩寵ですかね。

>>438>>439 は両方とも私です。
カルマの話の流れで段階の違う過去の記憶が出てきたようで、書いてしまいました。なんかキャラも少し変わってます。
混乱状態の間に失った知識や気づきが、書くことによって戻ってくるようです。それが良いのか悪いのか、書いた直後は後悔しました。
先ほどの話のように、得た知識気づきの記憶を失うのは祝福なのでしょうか?

p.s.
しかし、もう完全に願望実現の話とは離れてしまいました。
探求の道に入ろうとしている方にはぶっ飛びすぎていて、変な人が訳分からんこと言ってると思うでしょう。
なんか不思議で面白そうくらいに思ってもらえるとありがたい。

450幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 15:01:35 ID:rOulcmJI0
>>443
ありがとうございます。
>「根深い想念や、潜在的な傾向」をしっかり見ていくテーマ
↑そう思います。沢山の観念が貼り付いていて身動きが取れません。
絵と言っても、そんなすごいものを目指しているわけではなく(そもそもすごいものなんて描けない)
ちょっとしたもの、何かそれが描いてあるとホッと和むような、そんな感じの
楽しく気軽に描けて、絵に楽しい気持ちを込められて、見た人が少しだけホッとしたり
和んでくれたりしたら嬉しいなあ、というその程度のものです。ただ肝心の「楽しく描く」が
出来なくて、気持ちも乗らなくて、抜け殻みたいなものしか出来なくて、それが嫌で
今は描くのをストップしている状態です。

大きな私には輪郭がない。愛にも輪郭はない。個の私には輪郭がある。
個の輪郭=エゴのような気がしました。なので輪郭を消して大きな私に触れてみたら
個の私の中に大きな私が入ってくるような感覚になりました。

>>440に書かれていた、2. 明け渡しタイプの中の
>「私を燃やしてください」みたいな陶酔
>純愛型タイプの道
↑これ良いですね〜!強く惹かれます。大きな私くんor大きな私ちゃんに
メロメロになって溶かされたいです。あなたはコーヒー私はミルク、溶けあうふたり
って頭沸いてるじゃないですかー!?コーヒー飲むなら沸かすのはお湯だっ!笑

451幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 15:35:58 ID:dqO9v4aA0
カルマの質問をした者です。

こういう探究を始め、また深めると、知ったわたしが出てきてしまいます。
心のどこかで無意識のうちに他人を見下してしまってるんじゃないかって感じるんです。「そうじゃないよ〜」とか思ってる瞬間に気づいて自己嫌悪というか。。
分離していることに気づいて都度修正していくようにしているのですが、こういう時はどうすればよいでしょうか?

452幸せな名無しさん:2025/12/01(月) 19:32:59 ID:oFQTBAsY0
>>451
あなたの言う探求が心理観察(エゴによるエゴの観察)であれば、エゴが付いて回るのも分離感も当然です。
しかし心理観察は真理探求のための大切な土台になる。
これをやり切ろうとするなら非常にきつく苦しい。私はそうでした。
エゴの世界の苛烈さを味わい尽くした子供時代、20代での苦しい心理観察は、大きな宝となった。
エゴの構造を徹底して見破れば、「私」の正体を突き止める真理探求に入ってから楽に進歩するし、得られる恩寵も大きい。
分離感で苦しむほどやり切ったのなら、真理探求に入る準備が整ったということだと思います。
エゴの中身を調べるのではなく、「私」という感覚は一体何なのかを突き止めることです
私はあなたのような状態から真理探求に入るまでの間は、3年ほど好きなことやって思いっきり楽しみましたね。
それでエネルギーが充電されてから自然と真理探求に入った。まずは真理系の本を読むことと瞑想でしたね。
苦しみながらじゃなく、ワクワクしながらでしたよ。
焦燥感で何をすればと悩まず、ひとまずボケーっとして楽になり、したいことが出てくればなんでもいいと思います。

453幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 00:34:54 ID:Y9lz6.oM0
悟りを得た者は因果やカルマがわかるとか?
実際りょうせいさんは相当な洞察力を持ってそれらを語っているように思えます

>>451
>>分離していることに気づいて都度修正していくようにしているのですが
それでいいんですよ。435の人かな?情報の価値って「恐れ」なんですよ
ニュースで可愛い動物のニュースしか流れなくなったら困るじゃないですかw

454幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 02:04:59 ID:ErSnlWAY0
りょうせいさんに質問です。
どうしても許せないこと、受け入れられないことにはどう向き合えば良いでしょうか。
例えば、親のこと。
こんな親の下で生まれたくなかったと思います。
憎んでいます。何十年も、感じきっても消えません。

455幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 15:51:57 ID:yfC47Eig0
>>452
お返事ありがとうございます。
他者を否定するような声が出てきたら気づいて観察に入る感じです。
自己顕示欲のようなものがまだあるようでそれにいつも足を引っ張られるような気がします。

エゴの中身を調べるのではなく、私という感覚は一体何なのか

とてもいいヒントになりました。
ワクワクしながら。とりあえず力を抜いて楽になろうと思います。ありがとうございます!

456幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 15:55:04 ID:yfC47Eig0
>>453
お返事ありがとうございます。
はい、435です!
ニュースで可愛い動物のニュースばかりが流れることを無意識に希望していたようです笑
はぁ〜。何かを恐れているのかな。。
でも、それでいいんですよと言っていただき嬉しかったです(^^)

457り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:18:20 ID:nQcRHfoo0
>>447
ありがとうございます。お気持ち嬉しいです。

>今私は、その時その時の自分(個)に最適なものが用意されているという感覚が強いです。

→ まさしくその通りですね。

>このような掲示板の書き込みに興味を持ったり、書き込みをしたりすることも。何かしらに後押しされている感覚がずっとあります。

→ はい。それは、あなたの内側で準備が水面下で進んでいたからです。悟り・覚醒・目覚めの方向へ心が開かれていないと、そもそもその「後押しのような気配」は生じません。すでに内部のプロセスが動き始めていた証拠です。

>全てが恩寵なのだと少しでも感じられると、エゴで嫌がっていたあれやこれやをも微笑ましく見守る視点が、微かかもしれないが確実にあると感じます。

→ そうですね。恩寵は、世界やすべての存在を常に世話しています。もちろん、恩寵は人格的な存在ではありません。感謝した分だけ見返りをくれるわけでもなく、反抗したからといって見捨てるようなこともありません。

これはつまり、真のあなたの本質が「完全に無条件である」ということです。
そこには条件づけや損得の概念が最初から存在していません。
この無条件性というものは、条件づけが当たり前の私たち個の視点や世界の一般常識からすると、全員が「まさか!!ありえない!!」と、驚愕するほど異質なものです。笑

そして私たち(エゴ側)が「恩寵という流れが常に働いている」という事実を理解し始めると、それだけでエゴの持つ原初的な罪悪感・恐れ・思い込みが少しずつ溶けていきます。

そのとき、内側では少しずつ次のような変化が起きてきます。
・重さや深刻さがゆるんでいく
・世界や人生への不信が薄まる
・過去のわだかまりが少しずつ癒えていく
・真理探求への誤解や抵抗が弱まる
・また、真理を知ることは破滅の道ではなく、自由への道なのかもしれないと感じ始める

その結果、一見地獄にしか見えなかったものの背景に、ずっと天国の下地が流れていたのだと分かり始めます。もちろんこれらはゆっくりと時間をかけて消化されていきます。

恩寵の存在を知り、それを信頼し、理解が深まっていくにつれ、あなたの内側では、ポジティブ/ネガティブを超えた意味でのあらゆるものとの和解が、ゆっくりと静かに進んでいきます。
>「楽しい!」
→あなたのその感覚。これがなにより大切です。実のところ真理探求者たちは、なぜ探求してるかというと・・
超絶大変なときもあるけど、その何倍も理屈を超えて「楽しい」からなんですよ。笑
魂の喜びというか、深いところで整合性がとれるというか、言葉にできないスッキリ感、聖なる陶酔、不思議なエクスタシーのようなものが水面下で流れるわけです。笑(もちろん、怪しくない安全なやつね)

あなたの中で起きている変化は、とても自然で正しい方向ですよ。ぜひその方向の流れに乗っていってくださいね。

458り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:27:09 ID:nQcRHfoo0
>>448
良かったです。あくまで参考程度で大丈夫ですよ。私も、宗教や哲学を体系的に研究してきたわけではなく、あくまで「自分の探求に役立つもの」だけを拾ってきただけです。

だから、みなさんに「世界の宗教や哲学を全部学びましょう」と言いたいわけではありません。むしろ大事なのは、
・人類史の中で、確かに真理探求者はずっと存在してきた
・実現者たちも実在した
・「探求と実現」は絵空事や妄想ではなく、リアルに起こる出来事である
という事実なんです。

そして、一見真逆に見えるアプローチでも、最終地点ではすべて統合されること。
個の気質によって向き不向きがあって当然で、向いてないことに落ち込む必要はまったくないということ。そして、最終的には、なんであれ、すべてはただ起こります。笑

>結局これに方法も関係もないんだけど色々ある中からやりたいことやるしかないって感じでしょうかね…

→ まず、瞑想ができる方は、瞑想のルートで純粋意識を直接知る流れで全然OKです。
瞑想って、気質的に向いてなければ、そもそも「瞑想しよう」という発想すら人生で起きません。
瞑想のやり方・重視する点・流れの組み立てなどは、掲示板ではさすがに説明しにくいですが、いつかタイミングが揃って、希望される方が多ければ「純粋意識に直接触れる瞑想法」はどこかでお伝えします。それも、また起こるなら起こるでしょう。

それと「瞑想」と一言でいっても、明け渡しと同様に種類がめちゃくちゃ多いんです。
・悟り目的の瞑想(私がやってきたタイプ)
・潜在傾向・カルマの浄化
・感情や心の癒し(ヒーリング系)
・願望実現系(恋愛・富・人間関係修復)
・インナーチャイルド系
・チャクラ開発
・健康・集中力アップ
・ダイエット目的の瞑想。
ほんと幅広い。笑

>あとエゴとエゴ以外って何だろうと考えるとか 本当の私とは何かと考えるとか

→ その思索そのものがとても大事です。
思考や考察は、真理探求では無駄どころか、むしろ必須の土台になります。頭の理解が、いずれ直接理解へ発展していくので。

>書いてある中だとアドヴァイタが近そうですね
→ アドヴァイタは完全なる「ド直球の悟り系」です。そのぶん、思想も深淵で、体系も広大です。最初は「頭での理解」からゆっくり馴染んでいく形になるかとおもいます。
ただ、最初は聞きなれない用語だらけで難解に感じるはずです。笑
特に日本人には馴染みが薄い単語が続きます。
(インド哲学・ヒンドゥー系は、とにかく奥が深いので)
少し触れてみて、吸収するかどうかは、何か響くものがあればで構いません。ハートにどう響くか?そこの感覚的な相性の部分を大切にしてください。
また、仏教から禅が派生したように、アドヴァイタから「非二元」が派生しています。
非二元で混乱した経験がある人ほど、アドヴァイタに触れると、非二元の位置づけや全体図が見えてくるかもしれません。

>あとここでりょうせいさん(真の)の文を読んだりやり取りすることにも期待感があるかも

→ そうだといいなと私も思います。笑
私も何十年も探求しましたが、探求の前半期は「グルやガイドと接触する前の準備期間」だったように思います。
私は独覚(ひとりで完成するタイプ)ではなかったので、グルやガイドの背中押しや伝達や恩寵がなければ、到底無理でした。

感謝や愛、魂としての命の恩人・・
あらゆる言葉を総動員しても足りないほどですが、同時に、全部ひとつの中の運動にすぎないのです。 運動とはいえ、奇跡的な美しい運動ですが。

459り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:29:56 ID:nQcRHfoo0
>>449
(二回にわけます)

神々から試される、と聞くと恐ろしく聞こえるかもしれませんが、
私の言っている「神々」とは、人格を持つ存在ではなく、五つの元素的エネルギー(意識の五つの動き)を象徴的に神々と呼んでいるという意味です。つまり構図としては、五元素の運動・法則(=意識のダイナミクス)そのものをあなたが超えていくという話です。

だからこそ、霊的な実現を見守り、支え、背中を押す神々(エネルギー)恩寵、あるいは歴代の真理実現者たちの加護が大切になるわけです。マントラや祈りはその加護(=恩寵の働き)をスムーズに受け取りやすくします。

>なんだかんだで今はかなり楽になっています。

→ 良かった。
どの段階でも、DNAの螺旋のように、一段登ると必ず「作用と反作用」が起きます。プロセスは常に螺旋状に進みます。昨日理解が深まったのに、今日は疑念モード。これは反動ではありますが、進んだからこそ起きている「祝福の揺り戻し」です。落ち込む必要は本来ありません。あなたのいうように、表面的に落ち込むけど、実相としては大丈夫。YES、まさにそのとおり。

>ただ他のことで誤魔化した部分もあるのか深層では残ってるようで、夢の中で出てくることがある。

→ これは「エゴの同一化の残り滓たちが燃えている」と捉えてください。潜在的傾向が意識のスープで煮込まれ、成仏していくプロセスです。夢の方が、起きている時よりも微細で根深い想念をあらわにするので。

>実現させないといけないことかもしれません。これに関しては自分から動く気はさらさらなくて、起きてほしいような起きてほしくないような、起こるんなら起こるんでしょ、というスタンスです。

→ 今はそのスタンスがベストです。
意識の安定が予定の地点まで進めば、
個の人生テーマに関しての願いはただ自然に満たされるか、あるいは「もうどちらでもいい」という本当の意味で自由な地点に落ち着きます。

>真の私はそんなあれこれに縛られてはいない、問題など始めからない。しかしストンと落ちて定まることはない。で、原因は?となってループにはまる。そこで祈りが起こる。

→ それは時空を超える準備運動です。
時空の縛りが溶け、複数の視点を切り替えられるようになりつつあります。
これは、純粋意識の安定が深まる過程で
サードアイ(象徴としての洞察の中心)が目覚めだす運動でもあるため。そして、
そこからだんだんと、純粋意識 → 全体意識へ自然に流れていきます。

>私も統合か交互タイプですね
→ そうですね。大正解。

>ただ静かに在る時は、知識も明け渡しも瞑想も祈りも全部同じです。

→ YES。愛が極まれば自由になり、自由が極まれば愛になる。最終的にはすべてのアプローチが一つへ収束します。

>最後は辿ってきた道自体が超えられない壁になる。

→ そのとおりです。純粋意識を深める段階までは努力・熱意と比例しますが、
最後の探求者の終わりは時空を超越する領域から、因果を超えて訪れます。

ただし逆説的に、そこまで強烈に探求できている時点で、
・すでに絶対のギリギリの領域から吸引されている
・世界側の加護(恩寵)が働いている
だからこそ、「その熱量を燃やせていることが可能である」とも言えます。
また、だからこそ成熟した果実のように、ある瞬間に、ただ枝から落ちるのです。

460り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:33:06 ID:nQcRHfoo0
>>449
>ラーマクリシュナの件

→( ※これはあくまでも私の個人的な見方です。ご興味ない方は読み飛ばしてください)

ラーマクリシュナがバクティだけで決着しなかった理由の一つは、初期段階で彼は、「二元を残したままカーリーを見たい」という願いがあったためです。
ただしこれは決して彼の欠けではなく、
彼の生まれ持った使命(世界の霊性計画の一部)として起きたことでもあります。

当時のインドではバクティが衰退し、
霊性が唯物論に浸食されていた時代でした。
そのタイミングで彼が現れ、その人生物語そのものが「バクティ復活・またインドの霊的な再建の装置」として働きました。(もちろん、彼だけじゃなく弟子も関わってますが)
彼は、

・文字通り命がけで、寝食も惜しんでカーリー女神を求め続け
・あるタイミングでカーリーが目の前に実際に現れました→ 物語を霊訓的に読み解くなら、この時点で彼のエゴは完全消滅。また、純粋意識・全体意識に安定と見るのが自然です。
・のちに不二一元論の師に出会い、即座に「絶対」へジャンプ
・それだけではなく軽々と多宗教のアプローチから実現を統合

この物語の流れは圧倒的です。
これは普通の探求者の動きではあり得ません。
なので、彼は絶対意識のギリギリの地点から現れた、まるで遊戯(リーラ)的な、「それ」の化身のような存在と見るのが自然でしょう。それもたった150年ほど前のつい最近の話です。笑

つまり、
・バクティ一本で実現は可能
・智慧の道一本でも可能
・混合型も可能
あなたのいう通り、頂点付近では全部同じ性質に撹拌(かくはん)され収束される構造になります。
ラーマクシュナはあえて世界に対して、また未来に対しての霊訓の波としてそのような物語のプロセスを恩寵が起こしたわけです。

>最後に道からジャンプして離れる瞬間は語れない領域の恩寵ですかね。

→ YES。恩寵も純粋意識も非人格ですが、ある種の方向性のようなものを持っています。
しかし、ジャンプ、超越の、その領域は言葉や概念では全く表現できません。一切が成立しない領域です。あなたにジャンプが起きたら、
真理探求に関する全ての動きは自然に完全に消滅していきます。

> >>438>>439 は両方とも私です。
カルマの話の流れで段階の違う過去の記憶が出てきたようで、書いてしまいました。なんかキャラも少し変わってます。

→どうぞどうぞ。
キャラ変オッケーです。笑

>先ほどの話のように、得た知識気づきの記憶を失うのは祝福なのでしょうか?

→ はい。それは「記憶そのもの」ではなく
「私の」というラベルが消える現象です。
必要な記憶は残り、不要なものは透明になり、
誰のものでもない記憶になっていきます。
これは記憶に苦しめられていた私からの解放・祝福です。

>しかし、もう完全に願望実現の話とは離れてしまいました。探求の道に入ろうとしている方にはぶっ飛びすぎていて、変な人が訳分からんこと言ってると思うでしょう。

→ そのとおりです。笑
突然スレが削除されてもまったくおかしくありません。笑
しかし、これらの流れもまた、最適にただ起きています!

461り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:37:41 ID:nQcRHfoo0
>>450
>そう思います。沢山の観念が貼り付いていて身動きが取れません。
→ アニメ鑑賞が癒しの瞑想になっていて、
絵と向き合うことは今は厳しく感じるかもしれないけど、実はとても大切な通り道になっている気がします。

>絵と言っても、そんなすごいものを目指しているわけではなく〜

→ それで十分すぎるほど良いと思いますよ。
あなたの中で自然に起こる描きたいという衝動は、個の私より前にある大きな私から生まれているものです。

それに対して、
・自分を小さく見積もる
・比較してしまう
・自分を卑下する
こういったマインドが出てきたら、一度ぜんぶ大きな私に捧げてみてください。判断しているのは個の私であって、衝動の源はもっと奥にありますから。

そして、ゆっくりでいいので
・行為は起こるものか?
・個の私がコントロールしているのか?
という根本の部分も、少しずつ見ていくと良いですよ。

>ただ肝心の「楽しく描く」が
出来なくて、気持ちも乗らなくて、抜け殻みたいなものしか出来なくて、それが嫌で
今は描くのをストップしている状態です。

→ よく分かります。
真理探求も、創作も、願望実現も、どれも同じで時空という制限の中ではゆっくり進むしかありません。
始める → 続ける → 少し変化
また
始める → 続ける → 少し変化

この地味な繰り返し以外の道はないんですよね。
だからこそ、私たち個は定期的に癒しや、励ましが必要になります。恩寵の流れは常に最適に動くけれど、世界側はのんびりしている。
真の呪いとは、この「のろい」ことである。
と冗談めかして言いたくなるほど!笑
しかし、それでも、ある時、飛躍は起きるのです。

そういえば、あなたの近くに弁財天を祀っている神社やお寺はありませんか?
もしあれば、一度お参りして、絵にまつわる全部を捧げてみてください。悩みも迷いも、正直に全部渡してしまう形で。

>大きな私には輪郭がない。愛にも輪郭はない。個の私には輪郭がある。個の輪郭=エゴのような気がしました。なので輪郭を消して大きな私に触れてみたら個の私の中に大きな私が入ってくるような感覚になりました。

→ その理解、いいですね。輪郭があるからこそ、思考も物語も人生も区別や比較も成り立つ。そして輪郭が少しふわっとする時、大きな私の方が前景に出てきやすくなります。

>純愛型タイプの道
>これ良いですね〜!強く惹かれます。

→ いいですね。大きな私くんは、あなたが悩んでも動けなくても落ち込んでも、何をしても一切変わらずにただそこにいます。表向きは二元に見えても、本質的にはあなたと大きな私くんはひとつ。
千と千尋の、「千尋とハク」のような関係です。

もしあなたが真実の意味での愛に惹かれるなら、
愛は喜びや平和や癒しや明るさだけでなく、
大きな悲しみや寂しさや失敗さえも含んでいることを少しずつ知っていくといいです。
大いなる悲しみは、大いなる慈しみにつながります。だから、あなたに今起きていることに無駄はなく、意味がないものもないんです。

462り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:42:21 ID:nQcRHfoo0
>>451
探究をしていく中で「他人を見下してしまう感じ」が出てくるのは、正直に言うと、ほとんどの探究者に一度は起こる現象なので、まずそこまで自分を責めなくて大丈夫です。

なぜかというと、探究が進むというのは、
エゴの暗雲だらけの空に、少しずつ光が差してくるような流れだからです。
当然、探究者にとっては進歩を望み、退化を恐れるものです。

そして今の世界全体を見れば、
探究して目覚めの方向へ向かう人よりも、
「そっちには向かわないようにしている人」「まったく興味がない人」の方が圧倒的に多いですよね。笑

その中で、あなたの中には
・「ちゃんと目覚めの方向に進みたい」
・「無明のままではいたくない」
という志がすでにあります。
すると、エゴに眠っている人や、あまりにも無自覚に生きている人を見たとき、反面教師のような形で、
(ああはなりたくないな・・)
という気持ちが自然に立ち上がります。
それが「見下し」のような形で心に出てくることがある、というだけのことです。

相対的なレベルで見れば、たしかに段階の違いは確実にあります。
だから、
・直接本人に「見下し」をぶつけて攻撃すれば当然トラブル。
・心の内側で一瞬そう感じる → 正直、そこまで問題ではない。
という区別で見て大丈夫です。

それと、他人への見下しや嫌悪の感覚の中には、
「過去の自分」への嫌悪や恥ずかしさが含まれている場合も多いです。つまり、その人の中に「昔の自分」を見てしまうから、
余計にモヤっとする、というパターンですね。

その残りかすがまだ心に残っているからこそ、
似たものを外側に見たときに反応してしまう、という側面もあります。

いずれにせよ、最終的に、真のあなたがはっきりしてくると、
・段階やレベル
・他人の未熟さ
・自分の過去の愚かさ

こういったものは全部「一つの大きな運動の中の表面的な物語」にしか見えなくなっていきます。

なので結論としては、
・見下しが起きても「うわ、ダメだ・・」と過剰に責めない
・「ああ、こういう心の動きも今ここでただ起きてるだけなんだな」と眺める
・必要以上にストーリーに乗らない

これで十分です。
もしこれが何年も何十年も続き、
四六時中「見下しと自己嫌悪」に囚われ続けてしまうなら、そのときはもう少し深くテーマとして扱う必要が出てきますが、
今あなたが書いてくれた感じなら自然な通過点として起きている現象の範囲内だと思いますよ。

463り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:52:12 ID:nQcRHfoo0
>>453
横入りすみません。笑
>悟った者が因果やカルマを「理解している」?
→これは、「私や/あなた」という分離構造そのものが薄れていくことで、出来事や流れを全体として見る視点が自然に開けてくる、という方が正確です。

真相としては、個の私(りょうせい)という分離した夢の中のキャラとしての主体が特別な理解を得ているわけではありません。
「本当の私=本当のあなた」という境界のない領域の中で、ただこのやり取りそのものが自然に動いているだけです。

ただ、相対的に見るなら、探求者が「私は在る」「純粋意識」へ安定して深まるほど、
純粋意識と全体意識、さらにそれすら超えた領域の境界には、たしかに叡智と呼べる光のようなものがあります。

個が努力して洞察を得るというよりも、
個が透明になっている瞬間に、その光がただ通り抜ける。そういうニュアンスのほうが本質に近いでしょう。

本来、「それ」を正確に伝えるなら沈黙、
つまり「その立場としてただ在る」ことが最も適切です。しかし沈黙では会話が成立しないので、沈黙のすぐ手前の領域から言葉が自然に生まれてくるわけです。

世界という相対の視点で見れば、
この叡智はたしかに特別で不可思議に見えるでしょう。けれど、私自身の立場からは個の私は完全に気づかれる側にあります。

だから、個の私も、世界も、個のあなたも、
すべては「真のあなた」の中でゆらめくひとつの流れです。
ここに現れている個としての私たちは、
ただ「それ」のさまざまな元素的な運動、エネルギーの働きであり、それの表現にすぎません。

なので、個としてのりょうせいに特別な力があると思わないでください。笑
私が恩寵を扱っているのではなく、
恩寵が個の私を扱い、動かし、この会話すら起こしているだけです。そしてこの恩寵の働きは、あなたにもまったく同じように流れています。

探求が深まるにつれ、この「誰のものでもない叡智」は、個のあなたが成長するという意味ではなく、個が静まった分だけ、また同一化が消えた分だけ、自然に流れ込んでくるようになります。それは「個の私が得るもの」というより、ただ真のあなたの側が前面に現れてくるだけのことです。

必要なときには、必要な分だけ、静かにやってきて、自然に働き始めます。これも真理における、不思議でとても楽しい側面ですね。

464り改め りょうせい:2025/12/02(火) 21:59:16 ID:nQcRHfoo0
>>454
まず最初にはっきり言っておきます。
許せないなら、許せないままでいいんです。
無理に許す必要はどこにもありません。
親や身内のテーマは「個の私の物語」の根源的な層なので、扱いが難しく、深い痛みが出るのは自然です。
意識が身体と名前と同一化して最初に出会う存在が親なので、ここで大きく揺れるのは当然です。

そして大前提として知っておいてほしいことがあります。
「許そうとする」「受け入れようとする」という行為は、個の努力だけでは完全には達成できないということです。

なぜなら、個の私がどれほど努力しても、真のあなたである
・愛そのもの
・自由そのもの
・無条件そのもの
・平和そのもの
・許しそのもの
・豊かさそのもの
・完璧そのもの
といった本質そのものの領域には完全一致できないからです。

もし個が完全に本質と一致してしまえば、その瞬間、個の私はどこにも見つからなくなる。
つまり、心やマインドや精神は、本質そのものにはなりきれない構造を持っています。

だから、あなたが完璧に許せないのは当たり前で、努力不足でも弱さでもありません。
むしろ、「許せないまま」のほうが「動きとしての個」の正しい構造でもあります。

ただし、真理探求が進み、本当の私の側に立場がゆっくり移っていくと、見え方が少しずつ変わってきます。

・許せても許せなくても、どちらも意識の中のひとつの動きだった

・ひどいことをした人もされた人も、真相としては自然発生した記憶の中の動きだった

・加害でも被害でもなく、その状況ではそれ以外が起きようのなかった必然の流れだった

・また、短期的には痛みでも、長期的には個が物語そのものを超える動機になることがある

・真理実現した瞬間、黒だらけのオセロが全部白に変わるように、意味が反転する場合がある

こうした視点は探求が深まるほど自然に開いていくものです。

※ただし、この視点を早取りして現実の傷を雑に扱うのは絶対に避けてください。
(探求者が非常に落ちやすい罠です)

なので結論としては、

・絶対的視点では物語は夢のように存在していない
・相対的視点では、親を許せなくてOK。ただし個の私の心の傷は丁寧に扱い癒す必要がある
この二段構造で向き合うのが最も正しいです。

相対的な側では、
・加害者を反面教師として見る
・「自分はこうはならないようにしよう」と方向性を決める
・同時に行為は自然発生的に起こるというパラドックスを理解していく。これが成熟した探求です。

たとえば親について。
>こんな親の下で生まれたくなかった。憎んでいる。何十年も感じきっても消えない。

こういう場合、まず知っておいてほしいのは、
「感情そのものをどうにかする」というより、もっと深いレベル、身体感覚の微細なエネルギーに硬直や詰まりが起きている、ということです。
だからこそ、これは感情論よりも、
時間をかけて「体感的に」解放されていく必要がある領域なんです。
意識そのもので在る、というのは、
この身体感覚にも気づいている領域のことを指します。
だから個のあなたは、
・許せないままでいい
・癒えていなくていい
・どう扱えばいいかわからないままでいい

この「そのまま」の状態でいる方が、実はずっと早く癒えていきます。
なぜかというと、個がコントロールしようとしないことで、真理側(恩寵)が扱える余地・余白が残るからです。
逆に、個が必死に許そう、感じきろう、解決しようとすると、その余白はすぐに潰れてしまう。

私たちの心の奥には、多くの「傷ついた記憶」や「痛みを抱えた私たち」が地下に住んでいます。
それらを癒せる方法はただ一つ。

個の私が何かするのではなく、
本当の私の立場から気づいてあげること。
その気づきの光(純粋意識)を静かに当て続けること。つまり、本来のあなたとしてただ在ること。

これが超絶シンプルでありながら、
純粋意識であるあなたが、心や想念、物語たちにしてあげられる最も優しい行為です。

そうして少しずつ同一化がほどけ、
それらは浄化され、至福・平和・安心としての本来のあなたへ還っていきます。
深い意味での癒しやヒーリング。これもまた、真理探求者にとって見逃しがちな、とても大切な側面です。

465幸せな名無しさん:2025/12/02(火) 22:14:50 ID:yfC47Eig0
>>462
りょうせいさん、ありがとうございます。

的確かつ解答が優しく丁寧で言葉が出ませんでした。
まず、そこまで責めなくてもよいとのことで大変安心いたしました。わたしの中では自分がよっぽど偉いとでも思ってるのか!と自分が気持ち悪くなる瞬間があり、これさえなくなれば!と思うことがありましたが、四六時中囚われているわけではありません。

わたしも独学と自分の感性でだけで真理探究を続けていますが、やはり限界があり立ち止まることが何度もあります。
前の方の書き込みでグルやガイドの背中押し、と書かれていましたが、どうしたらそういう方の手助けが得れますか?

466幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 11:26:44 ID:7HC/qxrg0
意識としての自分がただあるだけ。
世界としての現実がただ起こっているだけ。

であれば、
自分=世界が腑に落ちない。

467幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 11:32:03 ID:7HC/qxrg0
全く関連性がないじゃないか。
何が起ころうとも意識は傷つかないように。

468幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 12:47:06 ID:HMF.9dYw0
>>464
詳しいお答えありがとうございます。
大変明快で、わかりやすいです。

特に
>>本当の私の立場から気づいてあげること。
その気づきの光(純粋意識)を静かに当て続けること。つまり、本来のあなたとしてただ在ること。

というのが、ミソなのかなと思いました。

私は今、許せないということに加えて、孤独感と無気力にも悩んでいます。
これらも同じように、「孤独を感じているのだな」「何もしたくないんだな」と本当の自分が気づいてあげ続ければ良いのでしょうか。

469幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 14:24:47 ID:F1WUmA6M0
>>463
なるほど、月並みな表現ですが詳細な解説ありがとうございます。

>>465
>>グルやガイドの背中押し
横だけど少しだけ「天は自ら助くる者を助く」です。ガイドは常に自分(あなた)の中にある。
あと潜在意識研究もされているクスリエの丸山修寛先生が「ループ」という簡易なメソッドを開発しているのでお勧めです。この人もここでは全然話題にされないなw

470幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 14:44:31 ID:aozQqEfI0
>>397
ありがとうございます。夢について更にお尋ねしたいのですが
夢は死後の世界や生前の世界と繋がっていますか?故人(家族)が出てきた夢で
白くて何もない広い場所の向こうにその人がいて、私は大声で呼びながら追いかけるが
その人は階段を降りて行ってしまった。私が白い場所の端までたどり着くと
故人の降りて行ったはずの階段がない。故人は下の浜辺を歩いている。私は大声で
私もそっちに行く!と叫んだら、ものすごく恐い顔で睨まれたので
ああ私はそこへ行ってはいけないんだと思い、元来た道を戻った所で目が覚めました。
(ちなみに故人の眠る墓地は海の近くにあります。)

故人の降りた階段があの世へ繋がる道だとしたら、私の前に出現しなかった理由となるし
そちらへ行きたいという思いを故人は恐い顔で睨む事で拒否した。もし満面の笑みだったら
階段無くても飛び降りた可能性はあると思います。そうしたらどうなっていたのか…。
ものすごく疲れていた時期に見た夢だったとは思います。

別の夢で、同じく何もない広大な場所だけど、その場所の床は透明で
地上3階位の高さで下界が見渡せて、それは私達が暮らしているこの世界で
みんな日々の暮らしを楽しそうに頑張っていて、その会話も表情も全部聞こえて見えて
ああ温かいな、そしてそれが見渡せる、上のこの何もない場所(暑くも寒くもなく
空腹もなくトイレも必要なく)でこうしているのも心地良いなと思っていたけど
ふと「あれ私なんでここに居るの?私が居るべきは下界の方じゃない?大変だ!」
おーいおーい助けてくれ、そっちに行かせてー!と叫んで透明な床を叩いても
その場所からは下界は見渡せるけど、下界からこっちの事は見えないんだったわー
やばいまずい、なにか向こうへ戻れる方法はと探したら、排水溝みたいな穴があったので
走って行ったらそこに吸い込まれて、シュルシュルシュル…ポンッ!と下界へ降りて来れて
そこで目が覚めました。
この夢の「下界の様子が全て解るけど、下界からは上は見えない何もない場所」は
何だか実際に存在しているように思えて、もしかしたら
生まれてくる前に居た場所なのではないか?と思ってみたり。排水溝は産道?
2つの夢に共通するのは、こちらとあちらが分かれている事と
こちらに戻って目が覚めた事です。
夢と、この世とあの世の関係、もし有りましたら教えて頂きたいです。

471幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 16:20:07 ID:V7iwTYGg0
>>469
丸山修寛先生!カタカムナのお話会に一度参加したことあります。でもループというメソッドは初めて知ったので、詳細調べてみます。
いつもありがとうございます。

472幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 22:20:52 ID:vl8HuJR60
>>459
有難うございます。
最初「神々」の文字を見た時に瞬発的に人格神を連想しました。
ちょっと考えたのですが、若い頃自然(Nature)に畏敬の念を抱き学んでいた私の在り方は、アニミズム信仰に近かったと思います。
それが癖として定着してるようです。
「レッスン」の意味は、心の様々な階層、要素を直視する出来事が起こり導かれる。
試され失敗したら落とされるわけではない。こういうことですね。
私はこのままで上手くいってるとのことで、良かったです。

>それは時空を超える準備運動です。
これは分かるような分からないようなです。
全体意識が時空を超えるのはなんとなく把握できますが、ループを体験することとの関連は、ピンときませんでした。

>絶対のギリギリの領域から吸引されている
これは感じます。「それ」「絶対意識」から誘われている感覚は初期からありました。とても特別なことだと思っています。
あともう一歩という感覚がずっとあるんですよね。でも個としての一切合切が忘却の彼方へ消え去るその瞬間の遠いこと…。
レッスンの度にエゴが思いっきり抵抗しますから。苦笑

>>460
ラーマクリシュナのプロセスに対する見解、大変興味深く読みました。
彼ほどの大聖者のことを通常の探求プロセスの枠組みで捉えるのは間違いでした。
彼の出現は、霊性衰退の流れの中で起きた逆らえない真理への回帰の必然の流れだったんでしょう。
彼の役割としてバクティの復活だけでなく、他の道の進み方をも示した一面があるわけですか。
それ以外にも様々な教えが彼の人生に詰め込まれてたんですね。見事な見解だと思います。
でもどうしても、一つの道だけでも可能というのが納得できません。
全ての覚者は、表に出して言わないだけでバクティ(ひたすら「それ」を想う)は共通して持ち合わせていたと思うんです。

最後のジャンプの瞬間は、やはり謎としか言えないですよね。

>「私の」というラベルが消える現象です。
記憶を失ったのではなく「私の」が消えたから深くに仕舞われて不要な時は表に出ないだけなんですね。
めっちゃ納得しました。

このスレが削除されないことを願いつつも、深遠な話をしたい気持ちは抑えられませんでした。やっちまったなと思ってます。笑

473幸せな名無しさん:2025/12/03(水) 23:28:14 ID:ojZsCjLo0
現在ナマコ中です。

昨日スーパー銭湯に行きました。
もう、何も掴めない感覚になってきて、欠乏感もそこから抜け出すことも、泡がぶくぶくと湧いては消えていきます。

こちらの書き込みもちゃんと読めないレベルになっていますが、かろうじて読んでみました。

やはり興味はあります。

ナマコのわたしは今後どうなっていくのでしょう??。。。。。

474幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 00:27:38 ID:PJbluI/Y0
りょうせいさん、はじめて書き込みをさせていただきます。

>いつかタイミングが揃って、希望される方が多ければ「純粋意識に直接触れる瞑想法」はどこかでお伝えします。それも、また起こるなら起こるでしょう。

機会がございましたら、是非ともお願いしたいです。
瞑想は苦手だったのですが、数日前から寝る前に30分間くらい、瞑想をするようにしています。
自分なりに真理探究をしてきているのですが、今自分がどのようなところなのかもわからなくて、
もっとどうしていったら良いのかを知りたくて、私も、グルやガイドの背中押し、手助けをいただきたいという思いになってきました。

475幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 10:16:28 ID:da08Yvro0
>>472です。
真理、霊性系の書物には、心を脱ぎ捨てる、エゴが纏ったものを捨てる、忘れ去る、執着を捨てる、なんて表現が頻繁にされます。
誰かと話していても、こういう表現をする人が多い。というか殆んどです。
実際は「私は個である」という錯覚が消え、個が持っていたものへの執着がなくなるだけなんですよね。
あなたが以前に言われた「外部からの知識を忘れ」る必要はこうしたことですね。
「エゴが抵抗する」は錯覚でした。レッスンのときに起こる出来事に抵抗している(主体としてのエゴがある)のではなく、好き嫌いの反応が起こっているのをただ気づいているだけでした。
寝ていて、ウトウトから覚めそうになる時に「あっ!」ストンと気づきました。

ところで
>>473さんは>>450さんでしょうか?
その方へアドバイスする力は全然なく、私の見立てが正しければなんですが、すごく深く貴重、でも本人としてはパニックだよなと思うしかできません。
大きな私(純粋意識のある側面)に安住すると、個として生きている世界を把握するのが困難で「どうしよう、なんかやばい」となる。
もう少し浅く短く私もそんなふうになったことあります。
個人(小さな私)のことが気になりだしたら、小さな私にまた戻るんじゃないかな。
りょうせいさんの視点、どんなアドバイスするのか興味が尽きません。

476幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 12:47:15 ID:cSMiFNn.0
>>475
450ですが473さんとは別人です。現在、個の私は、大きな私LOVE状態で
これは恋かしら!?と実践が楽しくて仕方ありません。笑
大きな私モードと小さな私モードはスイッチ切り替えしている感じです。
常時大きな私モードだと日常生活がまずい気がしまして…。
本当は心地いいので大きいモードのままでいたいです。
絵については 私「なぜ描けないの〜」 心「描かないからじゃない?紙もペンも有るよ」
と、ど正論が返ってきて、エゴの私は地面に埋まりたいから綾部くん穴掘って(独り言)
エゴが隠れたがっている?混乱?していて、りょうせいさんから素晴らしい返信を
頂いているのに、書いて消してばかりでまだレスが出来ていない状態です。(すみません)
ナマコ状態、なってみたいです。ちょっと憧れています。

477幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 17:49:45 ID:Vgi0HtbM0
今日もナマコです(473です)

12月、ほぼなんの予定も入っていないので、年内心置きなくナマコです。これも宇宙の采配でしょうか?

ナマコでいることを否定する全ての思考の外にいます。
ナマコでいることが宇宙の愛と調和しています。。。。。

478幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 18:28:29 ID:cSMiFNn.0
>>461
色々アドバイス下さり有難う御座います。自転車で行ける距離に
小さい弁天社のある神社が有りましたので参拝して来ましたが
伝えたい思いが「楽しく描けますように」しか出て来ませんでした。
本当は、本当にこれだけなんだと思います。

>>476でエゴの私は地面に埋まりたいと思った後「埋めるものなんて何もないよ、幻だから」と
キャラクターの音声付きで心が返答して来ました。ところで、この、私に返事をくれる
心(無意識さん・潜在意識さん)=大きな私、だと思っていたのですが、もしかして別物ですか?
大きな私は本来静かなもののようですが、心さんはけっこう饒舌です。

千尋とハク!良いですね〜!解りやすく例えて下さり有難う御座います。

世界側はのんびり動く、何だか解ります。「ししおどし」みたいだなと思ったり。
水が溜まっていく間は全然動かないけど、突然カコン!と動く
止まっているように見えても何かが動き続けているのかもしれないなと思いました。
そういえば過去も、どんどん描ける時期と、あまり描けない時期の繰り返しだった気がしました。

・自分を小さく見積もる・比較してしまう・自分を卑下する
とっても心当たりがあります笑 でも大きな私に渡したらスーッと溶けちゃいそうです。
幻だから。んん、もしかしたら探求さえも幻なのかも…!?えっ、そんな…!?

>大いなる悲しみは、大いなる慈しみにつながります。
↑そう思います。ネガティブに光が当たり癒されると光のシャワーみたいになりました。

自分は明け渡し型だと思うのですが、その中でも日によって
今日は大きな私に抱かれる感じで、今日は小さな私を丸投げで、今日は愛で、みたいに
その時の気分で日替わり定食みたいな実践の楽しみ方をしています。

あと大きな私モードでずっといると、心地良いけどボーっとしてしまって危ないので
(もしかしてこれがナマコ状態?)
エゴを起こして通常の個の私にモード切替しています。
本当はなるべく大きいモードでいた方が良いのでしょうか?

479幸せな名無しさん:2025/12/04(木) 22:02:50 ID:2Q6Vw4SA0
もう本当に無理です
こんなのカルマでもなんでもない
私に押し付けたまま何食わぬ顔で黙らせ続けるクソを殺したいです
虐待による感情の押し殺しが原因だったのに
クソはまともな頭を取り戻して感情に苦しんでる私をバカにし続けます
こんな奴を善人扱いして世界が狂ってたなんて本当に耐えられない

480り改め りょうせい:2025/12/04(木) 22:40:56 ID:FSAW6a120
>>465
それは良かったです。こちらこそ。
まず最初に、質問の核心である「グルやガイドの手助けはどうしたら得られるのか?」に答えます。

結論として、グルやガイドは、あなたの準備が整ったタイミングに合わせて必ず現れます。
そして実は今この瞬間も、形を変えて常に現れています。その前提で続きを話します。

まず、独学はとても大事な準備期間です。
独学や自分の感性だけで探究していく時間は、覚悟が固まり、自分の願望が本当に真理実現なのかが見え、受け取る耳、真理に心を開くことが育つ時期でもあります。
私も独学が長かったからこそ、いざグルに出会った時にちゃんと吸収できました。
独学ゼロだと、せっかくグルが目の前に来ても「よく分からないままスルー」してしまうことは普通にあります。

そして、独学の期間でもグルはすでにいます。
グルとは、人間の姿かどうかに限らず、あなたを「目覚める方向へ押し進める働き」のこと。
本や映画、友人の一言、自然、仕事、人間関係など、あなたを前へ押すものは全部グルです。
大枠では人生そのものが、もう後押ししているということです。

では、人間のグルはどういう存在か?
これはシンプルに螺旋の上昇プロセスを大幅に短縮させてくれる存在です。独学だと、勘違いに気づかないまま数年単位で回り続けることも珍しくありません。

ただし、人間のグルの真の役割や本質は「あなたの内側のグルを目覚めさせ、その場所へ送り届けること」です。
外側のグルはその架け橋役です。
最終的に実現を完成させるのは、内なるグル=本当のあなたです。

外側のグルがしているのは、
あなたが抱えた錯覚や勘違い、根深い催眠との同一化を優しく、また時に厳しく伝えたり指摘して外す手助け役です。

では、いつ出会えるのか?
これがあなたの一番知りたいところだと思います。

その答えは、準備とタイミングが揃った時。
その時は必ず来ます。
逆に準備が整っていなければ、たとえ大聖者があなたの前に現れ、真理伝達されても、吸収できません。準備ができていれば受け取れるし、準備がなければスルーするし、もっと眠っている場合は抵抗・敵視するかもしれない。
そういうことです。

あなたが真の私を少しずつ思い出し、「内なるグルに委ねる」という流れが起これば、外側のグルは自然に現れます。表面上は、人間グルによって質問が解消されたり、エゴの仕組みを観察したり、真偽を照らし合わせたり、沈黙の伝達で深まったり一緒に瞑想や祈りや歌を捧げたりとか。
いろいろ物語的に起こったとしても、実際にはすべて内側のグルがあなたを吸収していくプロセスが外側に映っているだけです。

もちろん、それを理解した上で、人間グルに憧れるならそのままで大丈夫です。それもまた自然なことです。意識は戯れ・触れ合い・共鳴のリーラを愛しますし、真理の話を分かち合うのは純粋に楽しいですからね。

私自身も、出会うまでは本当に長かったです。
あの人も違う、この人も違うの繰り返しで、結局はずっと独学の日々でした。限界だった時、ある聖地で何日も祈りました。
「もう自分の力では無理です。どうかグルを与えてください」と。
そこからしばらくして、突然流れが変わり、探究は一気に進みました。完全な導きでした。
そして超越が起きた瞬間、「私とグル」「悟る私」という物語自体が消え、最後にグルに感謝を伝えました。そういう流れです。

だから結論としては、グルに出会えるかどうかは、準備とタイミングが揃う時に必ず起こる。
そしてその準備期間こそが、今の独学の時間そのものです。
さらに言えば、同時にグルはすでに二十四時間、形を変えて働いています。だから無理に探す必要はありません。必要な時に、必要な形で現れます。やはりその流れも、最適です。

481り改め りょうせい:2025/12/04(木) 22:46:36 ID:FSAW6a120
>>466
自分=世界は、まず、考え方でも思想でもありません。自分=個という催眠が残っているかぎり、どうしても「自分(主体)が世界(対象)を見る」という構造のままになります。
この立場では、自分=世界は絶対に腑に落ちません。

主体と対象という催眠が解けたとき、
ただ、境界のない自分だけがあらわになります。
そしてその自分とは、個の私ではありません。

在るとして、自分=世界を、在るという表現そのものによって示されています。

個ではない自分として、その中に世界が起こっているのであり、その時はじめて、自分=世界が自然な当然の姿として、
その立場であるがゆえに、直接的に理解されるのです。

482り改め りょうせい:2025/12/04(木) 22:51:59 ID:FSAW6a120
>>468
>本来の私としてただ在ること。
というのが、ミソなのかなと思いました。

→はい。まさにそこがミソです。

>孤独感や無気力にも悩んでいます。
これらも「孤独を感じているんだな」「何もしたくないんだな」と、本当の自分が気づいてあげればいいのでしょうか?

→まず、本当のあなたは孤独も無気力も、過去の傷も知りません。
ただ、内側では「軽い動き」「重い動き」が生まれ、それがただ駆け巡っています。
エゴとは、その動きに名前を貼りつけ、「これは私だ」と所有して城を作る仕組みです。
モヤモヤに「孤独」「無気力」という名前がついたのも、その働きです。
良い悪いではなく、この二元の世界は本来こうして成立しています。
(音楽に無数のジャンルがあるように)

ただし、エゴはどこを探しても見つからない蜃気楼のようなものでもあります。
ですから私はあなたに、「孤独や無気力と戦いましょう!光で倒しましょう!」とは言いません。

なぜなら、真のあなたはエゴがどうであれ、
ずっとただ在り、気づき続けているからです。
気づきの仕事は、もう完璧に成されています。

では、「個」としてのあなたは何をすればいいのか?浄化や癒しの時に相対的にできることは、とてもシンプル。

・疲れたらよく休む
・無理せず、心身を労わる
・必要なら周囲の助けを求める
・祈り・マントラ・アファなど、無理のない範囲で委ねる動きを持つ

そして今あなたに起きているのは、確かにきつい浄化です。個が本当の私に向き始めると、奥に沈んでいたものが浮上し、抵抗したり暴れたりすることはよくあります。その苦しさは私もよく知っています。

浄化にできる最善のことは、ただ一つ。
「起こしておく」ことです。

浄化とは、恩寵があなたを風呂場に連れて行き、服を脱がせ、髪や身体をゴシゴシ洗っているようなものです。古いエネルギーの洗礼が必要だからです。

個にできるのは、それに抵抗せず任せておくことだけです。祈りも言葉も、自然に湧くなら起こせばいいし、つらすぎる時はしなくても構いません。

三日で終わる浄化も、エゴがいつまでも抵抗すると三年かかることがあります。
風呂場から逃げようとするほど延長されます。
そうならないよう願っています。

洗い終われば、恩寵はあなたを外に出し、服を着せ、髪を乾かしてくれます。
個のあなたは
「ああ、ひどいことをされていたわけじゃなかったんだ。ただ、信頼して任せればよかったんだ。ありがとう。おやすみ」
と感じ、安心して眠ればいい。

その頃には、「″私の″孤独」「″私の″無気力」はただ一時的に現れた重いバイブレーションのように見え始め、
風・雨・曇り空のように通り過ぎていきます。

心が作り上げていた物語性は自然に抜け、
あれほど大きな問題に見えたものの深刻さは、ゆっくりと静まっていくかもしれません。
それが静まりきった場所こそ、本当のあなたの場です。

483り改め りょうせい:2025/12/04(木) 23:18:56 ID:FSAW6a120
>>470
ありがとうございます。
どちらの夢も、あなたにとって相当インパクトのある内容だったのが伝わってきます。

まず前提として、死後そのものの細かい話は、この掲示板の性質上あまり深くは踏み込めません。
そして、このスレは「真理探求とは何か?」から始まり、「では、どう実現していくのか〜」という方向の流れに入ってきています。さらに、基本的に私は、死後やカルマを気にする必要はない領域として探求者に案内することが多いです。
ただ、ここまで具体的に質問が出ている以上、大枠だけお伝えしますね。

>「下界の様子が全て解るけど、下界からは上は見えない何もない場所」
>これは、何だか実際に存在しているように思えて、もしかしたら生まれてくる前に居た場所なのではないか?

→これはお見事。いい線いってます。

私がよく言う「それ」は、時空を超えた領域です。個の目線から見ると「何もない」としか言いようがないので、そう表現したくなる気持ちはわかります。
でも実際は、もっと深淵です。

あなたの夢には共通して、
・こちらとあちらの境界
・あちら側からこちら側へ戻る動き
が描かれていますね。

では、これを潜在意識の構造に寄せて説明してみます。

起きて体験しているこの物質世界が「顕在意識」よく言われる氷山の一角です。

夢の世界は「潜在意識」や「集合意識の海」
この層では、日常より想念の構造がゆるみ、
微細になり、深層のものが浮き上がりやすくなります。瞑想者が瞑想中に触れるのも、この領域です。
そして、想念が完全に静まった領域が「純粋意識(私は在る)」です。

あなたの夢に出てきた「何もない透明な場所」「下界が見えるが、下界からは見えない場所」は、意識のレイヤー間の境界を象徴(メタファー)しているように読めます。
(排水溝が産道という直感も、比喩として素晴らしい)

そして、ざっくり言ってしまえば、
本当は全部つながっているけど、層(レイヤー)が違うだけです。
この世、あの世、夢、なんであっても、
意識が映し出す映画の、世界観やジャンルの違いのようなものです。
アクション、ロマンス、コメディ、SF、ミュージカル。
ジャンルや質や世界観は違っても、
「映画」は「映画」ですよね。
それと同じで、
真の私からすべてが生み出されている
という一点に立つと、夢とこの世の境界も自然と見えてきます。

484り改め りょうせい:2025/12/04(木) 23:27:37 ID:FSAW6a120
>>472
>自然(Nature)に畏敬の念を抱き学んでいた私の在り方は、アニミズム信仰に近かったと思います。それが癖として定着してるようです。

→恩寵の最適さは、まさにこのように現れます。純粋意識が深まり、広がっていく過程で、あなたのアニミズム的な感性はとても活かされます。動物、植物、石、山、水。あらゆる自然物や現象の根底には純粋意識が宿っていて、「真のあなた」はどこにでも在るからです。

>「レッスン」の意味は、心の様々な階層、要素を直視する出来事が起こり導かれる。試され失敗したら落とされるわけではない。こういうことですね。私はこのままで上手くいってるとのことで、良かったです。

→はい。その理解で正しいです。誤解がほどけて良かった。恩寵の流れは常に最適です。

>それは時空を超える準備運動です。これは分かるような分からないようなです。

→すみません、ここは私の説明不足でした。
「時空を超える」というのはSF的なタイムリープではなく、「時間・距離・場所という概念」の構造が自然とゆるみ、巻き込まれなくなっていくこと、つまり純粋意識が安定することを意味していました。

>絶対のギリギリの領域から吸引されている
これは感じます。「それ」「絶対意識」から誘われている感覚は初期からありました。とても特別なことだと思っています。あともう一歩という感覚がずっとあるんですよね。でも個としての一切合切が忘却の彼方へ消え去るその瞬間の遠いこと…。

→たしかに特別でもあるのですが、同時に理にかなっているとも言えます。
あなたが扉を何度も何度も叩いてきたから、扉の内側からの吸引が強く起きている。
焦りや焦燥、不安、落ち着きがないエネルギーが出てくるなら、それもそのまま純粋意識に捧げていきましょう。

>レッスンの度にエゴが思いっきり抵抗しますから。苦笑

→475で「エゴが抵抗しているのは錯覚だった」と気づいておられたので、ここは何も言うことはありません。笑 そのストンという腑に落ち方、とても良いですね。

>ラーマクリシュナのプロセスに対する見解、大変興味深く読みました。

→あくまで私の見解ですが、そう言ってもらえて嬉しいです。彼のような存在の純粋な探求姿勢は、私たちにとって大きな励ましと栄養になりますね。

>でもどうしても、一つの道だけでも可能というのが納得できません。全ての覚者は、表に出して言わないだけでバクティ(ひたすら「それ」を想う)は共通して持ち合わせていたと思うんです。

→これはこう理解してみてください。
北へまっすぐ進めば、いつの日か南に出る。
南へまっすぐ進めば、いつか北に出る。
智慧の道が深まれば、自然とバクティが現れます。バクティが深まれば、智慧が現れてきます。
三角形の左(智慧)・真ん中(交互)・右(バクティ)のどこから登っても、頂点は同じ。
だから、どの道に惹かれても大丈夫です。

>最後のジャンプの瞬間は、やはり謎としか言えないですよね。

→最後のジャンプは、謎でもあり、そしてこれもまた、実は理にかなっているとも言えます。
意識は「愛」そのものです。
意識は自分自身を愛し、存在し続けたい。
しかし最後のジャンプでは、
意識がその愛ゆえに、純粋意識さえも手放し、「それ」に捧げる。
だから、エゴが純粋意識に捧げる構造と、
純粋意識が「絶対・超越」のそれへ捧げる構造がそっくりになる。
つまり、これは謎のままであると同時に、
全宇宙規模の壮大なラブストーリー(合一ストーリー)でもあるわけです。

>このスレが削除されないことを願いつつも、深遠な話をしたい気持ちは抑えられませんでした。やっちまったなと思ってます。笑

→ですね。笑 しかし、深遠な話をすること自体、個にとっても大きな癒しになるんです。
なぜなら、このテーマはあなたという全存在のすべてを肯定する話だから。
もちろん、理解が深まるにつれてエゴのぶり返しが一時的に起きることもある。
でも、それを差し引いてもこうした話が起こることは本当に素晴らしいです。まさに恩寵。

485り改め りょうせい:2025/12/04(木) 23:32:41 ID:FSAW6a120
>>473
>>477
読んでくれてありがとうございます。
スーパー銭湯いいですねー。

>もう、何も掴めない感覚になってきて、欠乏感もそこから抜け出すことも、泡がぶくぶくと湧いては消えていきます。

→はい、それが意識であるあなたの自然な在り方です。あなたの中であらゆる感覚が、文字通り泡のようにぶくぶくと湧いては消えていきます。

>やはり興味はあります。
→興味がおありならぜひ探求を続けてください。また、あらゆる疑念が消え、確信的に明らかになるまで、それは続くでしょう。

>ナマコのわたしは今後どうなっていくのでしょう??
→あなたの興味が真理実現なら、プロセスは最適に進行していきます。

>12月、ほぼなんの予定も入っていないので、年内心置きなくナマコです。これも宇宙の采配でしょうか?

→予定や、宇宙の采配を気にするナマコは、まだ真のナマコとは言えませんね。笑

>ナマコでいることを否定する全ての思考の外にいます。
ナマコでいることが宇宙の愛と調和しています

→それでは真理探求ではなく、
強迫観念的に「ナマコ」を目指す探求w
になってしまいます。
そもそも「ナマコ」って誰が言ったんだっけ?
あぁ、過去の私のレスか。笑
マジレスすると、ナマコ問題は気にしなくて大丈夫です!

486り改め りょうせい:2025/12/05(金) 00:43:10 ID:wU9L9Wjs0
>>474
はじめまして。
書き込みありがとうございます。

>「純粋意識に直接触れる瞑想法」
>機会がございましたら、是非ともお願いしたいです。

わかりました。準備はゆっくりですが進んでいます。起こる時には、必ず最適な形で起こります。

>瞑想は苦手だったのですが、数日前から寝る前に30分間くらい、瞑想をするようにしています。

いいですね。寝る前に30分というのは、本当に素晴らしいです。瞑想は「時間より質」と言われますが、30分に入れる時点で資質は十分あります。
ちなみに私の「純粋意識に直接触れる瞑想法」は、姿勢やルールに縛られない、とてもシンプルなものです。

>自分なりに真理探究をしてきているのですが、今自分がどのようなところなのかもわからなくて、もっとどうしていったら良いのかを知りたくて、私も、グルやガイドの背中押し、手助けをいただきたいという思いになってきました。

わかります。多くの探求者が、まさにその地点で一度立ち止まります。
私が最初に探求者に対してお手伝いできるのは、まず、「個の物語の同一化をほどく段階」 です。

もちろん掲示板では深く詳細にはできませんが、イメージとしては教会の「告白」に少し似ています。
ただし、罪を語るという意味ではありません。
ずっと心の奥で握りしめてきたものを、
安全な場所にそっと置いてみる時間です。
そして、なぜそれが起きたのか?の答えを伝えるというより、何が起きていたかを、構造として少しずつ理解し、同一化を解いていきます。
この段階が開き始めると、潜在的なクセがゆるみ、恩寵の働きが浄化プロセスを短縮してくれる。ある種「エゴの抵抗を出し抜いて通り抜ける」ような作用が起こります。

すると、こちらが(あなたが)頑張って掴まなくても、純粋意識のほうが自然と前に出てくるようになります。(掲示板という限界はありますが、すでにここでもそれと似たような流れは起きています)

ここを踏まえないと、瞑想をいざ始め、純粋意識に触れたとしても、すぐにエゴが激しくぶり返し、なかなか安定して進みませんから。

そこから先の流れは、とてもシンプルです

・純粋意識に直接触れる瞑想法
・瞑想と日常の両方で純粋意識が安定していく
・内なるグルが自然と動き始める
・質疑応答を通して理解が深まる
・必要なタイミングで必要な気づきが起こる

つまり、停滞していた物語との同一化がほどけた分だけ、恩寵や内なるグルか働きやすくなるわけです。

あと、ここからは私自身の個人的な話ですが。もし、本格的に私がガイドとして複数の方と向き合うとなると、いまのように「空いた時間に少しだけ」というゆるい形では不可能になります。なぜなら、エゴのぶり返しが起きた瞬間にスムーズにフォローできないと、探求が止まったり新たな混乱に繋がることも可能性としてあるからです。

そのため、対応する相手方の数が増えたら、
私(りょうせい)の生活サイクル、今の仕事、環境、場づくりこういったものを整えたり、必要ならば大きく変える必要があります。

今は、掲示板で最低限の形で言葉を届けながら、ゆっくり、サイト制作準備などをしている段階ですが、のろのろと悠長にしている場合ではなくなってしまいます。笑

というわけで、瞑想伝授に関しては
焦らず、どうか少しだけ待っていてください。
タイミングが揃った時には、自然と流れがつながるでしょうから。

その時には、探求者の段階に合わせた瞑想や、
日常での取り組み方や物語をほどくセッションなどなどこういったものを、もっとスムーズにお渡しできるようになるでしょう(なるといいんですが笑)
掲示板だと、どうしてもラグが出てしまいますからね。もちろん、これらの話は、探求のスイッチが押されていない方に無理に勧めるつもりは一切ありません。

そんな感じです。また、気になることがあれば、お気軽に書いてくださいね。

487り改め りょうせい:2025/12/05(金) 01:11:29 ID:wU9L9Wjs0
>>478
>自転車で行ける距離に
小さい弁天社のある神社が有りましたので参拝して来ましたが
伝えたい思いが「楽しく描けますように」しか出て来ませんでした。
本当は、本当にこれだけなんだと思います。

→お、いいですね。お疲れさまでした。
「楽しく描けますように」
それで十分です。とても良い参拝になったと思いますよ。
それは、やがて「楽しく描こうとしている私」さえ忘れて、ただ描く境地へと自然に流れていくための大切なプロセスです。

>この、私に返事をくれる
心(無意識さん・潜在意識さん)=大きな私、だと思っていたのですが、もしかして別物ですか?大きな私は本来静かなもののようですが、心さんはけっこう饒舌です。

→はい、その気づきは鋭いですよ。
大きな私は「直接性」として、小さな私のほうへ伝達しています。
ただ、それを受け取る小さな私の側で「音声」「キャラ」「言葉」として表現されるんです。
つまり、
・大きな私は静かで、ただ在る
・心が饒舌なのは、小さな私の翻訳
ここに矛盾はまったくありません。

>千尋とハク!良いですね〜!解りやすく例えて下さり有難う御座います。

→良かったらお時間あるとき、
「千と千尋」を真理目線でもういちど観直してみてください。きっと、以前とはまったく違う映画に見えると思います。

>でも大きな私に渡したらスーッと溶れちゃいそうです。幻だから。
>んん、もしかしたら探求さえも幻なのかも…!?えっ、そんな…!?

→YES YES。
ただ焦らず、ゆっくり消化していきましょうね。

個の私たちは、根深い幻を溶かすために、まず「探求という幻」を使います。
だから探求も道具なんです。
仏陀の「イカダのたとえ」がありますよね。
川を渡るためには必要だけど、渡り終えたら背負って歩く必要はない。という話。
探求も同じで、必要な間は使うし、要らなくなったら自然と手放されます。

>今日は大きな私に抱かれる感じで、今日は小さな私を丸投げで、今日は愛で、みたいに
その時の気分で日替わり定食みたいな実践の楽しみ方をしています。

→その楽しみ方がとても大事です。
楽しむことは、恩寵がもっとも働きやすい状態を作ります。
浄化も、ぶり返しも、揺れも、楽しめるならそれだけで探求は大安心の冒険になります。

>あと大きな私モードでずっといると、心地良いけどボーっとしてしまって危ないので
(もしかしてこれがナマコ状態?)
エゴを起こして通常の個の私にモード切替しています。本当はなるべく大きいモードでいた方が良いのでしょうか?

→ナマコはあくまで比喩なので気にしなくて大丈夫。探求者によっても全然違いますし、それに終盤のほうの話なので今は気にしなくていいです。

大きな私モードで心地よいけどボーッとするのは、あなたが「私は在る」を体感的に思い出しているサインです。ただし、外では危ないので
部屋で安全なとき、寝る前、5分だけでも起こるなら、そのまま起こるに任せてあげてください。どちらが良い悪いではなく、
大きいモードと小さいモードを行き来しながら、
自然に統合が進んでいきます。ゆっくりと、そして、楽しむ気持ちをどうぞ大切に。

488り改め りょうせい:2025/12/05(金) 01:15:13 ID:wU9L9Wjs0
>>479
まず、今あなたが書いてくれたことは、
真理探求の話、または、潜在意識的にどうとか、合ってるとか、反している、とか心が未熟だからという話ではなく、それらは一切置いておいて、これはもうただ単に限界まで追い詰められた心の悲鳴です。まずそこを責めないでください。

>もう本当に無理です
>こんなのカルマでもなんでもない
>私に押し付けたまま何食わぬ顔で黙らせ続けるクソを殺したいです

→カルマの話は完全に置いておきましょう。
今必要なのは 構造の理解ではなく、あなたの心が安全に呼吸できる時間です。
ここまでの怒りになるのは、その相手が「あなたの感情を封じ続けた歴史」があるからです。
怒りそのものは異常ではない。
むしろずっと押し殺されていた分、今やっと表に出てきているだけです。

>虐待による感情の押し殺しが原因だったのに
>クソはまともな頭を取り戻して、感情に苦しんでる私をバカにし続けます

→これはあなたが悪いのではなく、
本来向き合われるべきだった感情が、長い年月の後にようやく外に出始めた状態です。
あなたの反応は正しい。
歪んでいるのはあなたではなく、あなたに押しつけてきた外側の構造のほうです。

>こんな奴を善人扱いして世界が狂ってたなんて本当に耐えられない

→これは、世界に対する「正しさの裏切られ感」です。長い間、自分だけが傷を押しつけられ、加害側が平然と生きているように見える。
このアンバランスは誰だって壊れます。

そして次に大切なのはここです。
まず「安全」を確保することが最優先
もし現実的に離れられる手段があるなら、
それを第一に考えてください。
怒りや苦しみの生々しい環境に居続けると、
心がさらに削られてしまいます。

無理に悟り的な話や視点に立つ必要は一切ありません。そんな段階ではないし、そこを目指さなくていい。真理探求や精神世界の言葉で感情を否定してはいけない。
怒りが出るのは正常。
殺意が湧くのも正常。
それは「実際に行動する」という意味ではなく、
心が自分を守ろうとする自然反応です。
それをカルマや、悟ってないから。メソッドを正しく理解してないから。などの理由で押しつぶすと、余計に苦しくなります。
感情は敵ではなく「凍っていた痛みの解凍」です。これは精神的・霊的な観点でも同じで、
怒り=あなたの中で凍っていた痛みが、やっと声を出し始めただけです。

それが悪いわけがない。

いまの段階での私が出せる方向性はただひとつ。
自分の味方の立場に戻ること。
「それ以外はしなくていい」です。
あなたの苦しみは、あなたのせいではありません。

489幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 04:10:37 ID:utv4KIjE0
>>488
ありがとうございます
離れる方向に進めてたのに味方のフリしてた人にも裏切られて
元々私のものではないおかしいものを抱えさせられてたので
感情が出ることが本当の回復なのも理解したうえで
虐待の事実も脳機能の抑え込みの仕組みも全て伝えても
何話そうがクソは増々調子に乗ってトラウマ増やしてくるので、全く解消も回復もできないどころか増幅して悪化の一途で潜在意識を浄化とか味方を引き寄せるとかもできなくて
せめてここでまともな方に丁寧に返答いただけて一息つけました

490幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 07:53:25 ID:GWRCY6QA0
>>485

473です。ナマコというのは、比喩であって目指してはいませんよ^^
ご心配なく。。。

お返事ありがとうございました。。。。。

491り改め りょうせい:2025/12/05(金) 08:18:05 ID:LFgD67lY0
>>489
読ませていただきました。
あなたが今どれほどしんどい状況にいるのか、その重さは文面から十分に伝わってきます。
一息つけたと言っていただけたなら、まずはそれだけでも良かったです。

ただ、あなたの抱えている問題は、
あなたが悪いわけでも、努力不足でも、カルマや潜在意識の問題でもなく、
「一人で抱えるには重すぎるもの」 です。

そして残念ながら、鳥が空を飛び、魚が水を泳ぐように、虐待する人は虐待し、裏切る人は裏切るという動きをしてしまうことがあります。

これは、トラックがこちらへ猛スピードで向かってきている状況に近いです。
必要なのは、止まるよう説得することでも、
潜在意識で何とかしようとすることでもなく、
「まず離れること」
自分の身を守ることです。

そして、こういう時に大切なのは
「完璧な味方を引き寄せよう」とすることではなく、味方の人数を増やすこと。専門的な場のサポートは「逃げ」でも「弱さ」でもありません。
あなたの味方をもう一人増やす選択 です。

ここは掲示板で、しかも真理探求が中心の場所です。また、私が扱える範囲はあくまで
「過去にトラックにぶつかった古傷が時々痛む」というレベルまでです。
今まさにトラックが迫ってきている状況だとしたら、完全に私の手を超えています。
「危ない!逃げて」と叫ぶことくらいです。

そして掲示板という多くの人が読む場所では、
個人の具体的な過去を深く追う形では続けられません。

ただ、真理探求の観点からお伝えできる大切なことがひとつあります。

どんな状況でも「自分の味方の立場に戻り続ける」こと。
自分だけは、何があっても、
自分の味方に戻るという姿勢を、
「深いところで」忘れないこと。

これはあなたの人生を守る上でも、
真理探求という意味でも、そしてあなたの見ている世界の質を変えていく上でも、とても大切な指針になります。

あなたが、毒気のない安全な場所で、きちんと話を受け止めてもらえる方向へ進めること。そして適切な恩寵や、実際的なサポートとつながれることを心から願っています。

492り改め りょうせい:2025/12/05(金) 08:38:46 ID:LFgD67lY0
>>490
今あなたがどんな状態か、どんなプロセスか、
文面からは正確には掴みきれませんが、
もし今は「概念に触れる/理解する」こと自体が難しいほど、意識に煮込まれ、
個のプログラム全体が脱力して力が出ない状態でしたら、まずは回復して、言葉が扱えるようになったタイミングで、また気軽に書いてください。

私から一つだけ言えるのは、
どのプロセスも、その渦中では分からなくて当然で、終わってみて初めて 「あれは最適だった」と見える類のものだということです。

それとひとつだけ補足させてください。
私が以前使った「ナマコ」という比喩は、
あくまで 私自身の、ある特定の段階を説明するための比喩で、現象名でも段階名でもありません。

なので、あなたの現在の状態と、私が当時体験していた状態が、同じナマコという言葉を使っていても一致しているとは限りません。
同じ単語でも、内実が違えばまったく意味が変わってしまうので、そこはどうか誤解のないようにお願いします。

書ける状態になったときに、
あなたが今どんな体験をしているのか、
もう少し具体的に共有していただければ、こちらも適切にお答えできると思います。

493幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 10:58:37 ID:9P/aQ4Mg0
>>480
いつもわかりやすいご返答ありがとうございます。

結論として、グルやガイドは、あなたの準備が整ったタイミングに合わせて必ず現れます。
そして実は今この瞬間も、形を変えて常に現れています。

↑そうでしたそうでした!
今のわたしにとっては、りょうせいさんであり、大好きなラーマクリシュナであり、自然であり、本でした。また気づかせていただきありがとうございます。

準備とタイミングが揃えば必ず起こる。

ほんまにそうやと思います。
夫やこどもを置いてまたインドへ修行旅に出ようとしていました。外に求めすぎですね。笑
再び内に入ります。

去年、ぜーんぶが本当であり夢やったんや!
と気づいて楽になったはずやのに、久しぶりに掲示板を覗いてみたらりょうせいさんがいらっしゃって、なんかまた前の感じになってる自分が出てきていました。
でもその流れも、最適なんですよね(^^)

494り改め りょうせい:2025/12/05(金) 12:49:36 ID:wU9L9Wjs0
>>493
お役に立てて良かったです。
そう捉えると、本当にすべてがガイドに見えてくる瞬間がシンプルに増えますよね。
表面的には同じ変わり映えしない日常だけどその奥に、存在という、静かに広がっている平安や気配に、ふっと気づける機会がどんどん増えていくかもしれませんね。

>そうでしたそうでした!

はい、笑 まさにこれです。
個の私たちはふと気を抜くと、この偉大なマーヤにコロッと忘れさせられますから。笑
私の言葉も、しつこいくらい同じ内容が何度も何度も繰り返されるのは、ある意味でそのため、自然な起こりなんです。

>夫やこどもを置いてまたインドへ修行旅に出ようとしていました。
>外に求めすぎですね。再び内に入ります。

いや、その探求意欲自体は、とても美しいものです!笑

ただ、それが起こるなら最適に起こるし、起こらないなら起こらない。
どちらにしても、流れは自然と「 内へ」と向かっていきます。あなたの中には、すでにその方向性が芽生えていますね。

>久しぶりに掲示板を覗いたら、また前の感じになってる自分が出てきていました。
>でもその流れも、最適なんですよね(^^)

はい、その流れも最適です。
以前のあなたの重要な気づきの土台は、そのまま静かにちゃんと作用し続けています。
そして、よく「探求の完全な終わり」と呼ばれる表現がありますね?
それは実際には個の私が「そこに到着する」類のものではありません。

PCで例えるなら、
自分でシャットダウンにカーソルを合わせて電源を切る。感じではなく、
ただ普通に淡々と作業をしていたら、
ふと、どこかで電源コードがスッと抜けていた。
まるで、そんな突然の静けさです。

その瞬間、「切った人、切られたPC、作業していた私」
そのすべてが、ひとつの画面に映る夢のようだったと分かります。もちろん、それを理解するのは、当然、個では決してありません。
それは非個人的な叡智そのものなのです。
(これに関してのイメージは、ラーマクリシュナが、探求者としてカーリーを悟る前と、カーリーが現れてからのその後の彼の終わった変貌っぷりを注目して読んでみてください)

だからこそ、本当は、待つ必要も、掴もうとする必要もありません。
あなたが今している、ただ内へ向かうという修練のような、一見単純で地味な動きが、
コードが抜ける 「  」そのものに溶ける準備を、静かに整えています。
これは個のあなた自身も、外からも、まったく分からないほどの、静かな神秘の働きです。
なので、どうぞ、そのまま「内に入る」を続けてあげてくださいね。

何も急ぐ必要はありませんからね。
どの瞬間も、そのまま最適な流れの一部です♪

495幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 13:35:56 ID:9P/aQ4Mg0
>>494
ありがとうございます(^^)

個の私たちはふと気を抜くと、この偉大なマーヤにコロッと忘れさせられますから。笑

↑ほんまにこれで笑
子育てや日々の色んな問題と言われているものの中に入り込んでは、はっ!また!!と気づいて戻るの繰り返しです。
昔、達人さんと言われる方のスレを見させていただいていた時、一度認識の変更をするともう元には戻れないと書いてらして、去年の一瞥体験や大きな気づきがあって笑い転げていたあれは違ったのか、なんで何度も戻ってしまうー?笑なんて思ってたんです。
でもそんなわたしが思考してる範囲内ではわからない、感覚のようなお話ですものね。

りょうせいさん、わたしきっとまた戻って迷ってしまうのでまた質問させてください^^;

たくさんの気づきをありがとうございました。
今夜はラーマクリシュナの本を読み返してみます!

496幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 19:26:05 ID:GWRCY6QA0
考えるな。。。感じろ。。。

by ナマコ

497幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 20:47:43 ID:6qGRW29A0
個⇔世界で、意識がそれを内包しているって感じかな。

では意識から生まれた個や世界を変更することは可能なんでしょうか。それとも全く関連性はないんでしょうか。
現実は無視、などと言いますが。。。

498幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 21:20:18 ID:S/nuoCV60
>>486
お忙しい中、お返事を頂きまして、ありがとうございます。たいへん嬉しく思います。ご丁寧にありがとうございます。

>何が起きていたかを、構造として少しずつ理解し、同一化を解いていきます。

「構造」とは、出来事や嫌いな人に対して、いつも同じような不快な捉え方をしてしまい、その記憶が、度々頭に出てきて、またそのような状況が起こり、その度に、不快な思考や感情でいっぱいになってしまう、ということの繰り返しなのですが、このことが、「心=世界」であり、「構造」ということでしょうか。

そして「個の物語の同一化」とは、この不快な思考や感情にのめりこんでいるものが、自分である、と思ってしまっているところから、観察をしている側に意識にずらすこと、これが「同一化を解く」、ということでしょうか。
不快な思考も雑念も静まって、「純粋意識のほうが自然と前に出てくるようになる」そのようになりたいです。

>タイミングが揃った時には、自然と流れがつながるでしょうから。

承知いたしました。ご無理のないような形で、ゆっくりと進んで整っていかれると良いですね。

こちら、中間あたりのところで、まだまだ読ませていただいていないところが、たくさんありますので、これからじっくりと読ませていただいて、理解を深めていきたいと思っています。
貴重なお話を、いつもありがとうございます。

499幸せな名無しさん:2025/12/05(金) 21:32:58 ID:FqYGaqYI0
ご質問させてください。初めて書き込みさせていただきます。
独学で潜在意識やスピリチュアル的な学びをしてきました。
実家は母が毒親という感じでした。
心理的虐待から自尊心が低くなり、苦しくなった時にガイドから『許し』の大切さを教えられました。
今私の最愛の夫は、学生時代の同級生であり、当時は私は彼に傷つけられた事がありました。成長してから再会し、彼は過去を謝罪して私を必ず幸せにすると約束してくれたので、私も彼を許して結婚し、子供にも恵まれました。
私は彼のことが大好きなので、学生時代の彼はなぜ私を傷つける行動をしたのか?気になって時々昔の話をするのですが、その度彼は激しく苦しみます。
私が過去の話をせずに、今の幸福を噛み締めてくれれば救われた気持ちになる、とも言っていました。
『彼を許す』とは彼との過去も完全に忘れ去って、話にも出さないことなのでしょうか?
私は彼の過去も理解して癒せたら…と考えたのですが、忘れて話に出さないほうが、真理としても『許し』『幸福』に近いのでしょうか?

500幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 01:18:48 ID:FHk044pc0
>>476
別人でしたか。失礼しました。
何かの拍子に大きな私から戻れなくなってしまったのかと思いました。
普通だと恩寵が働いてやばいと思った瞬間に戻るものなんですが、大きな私に惹き込まれすぎたかなと思いました。笑
霊性生活と日常生活のバランスが悪いと、深い領域に入り込んだ時にどちらにも正しく納まらず自力ではどうにもならない状態になることがあるようです。
真理探求の世界では、そんな人を時折見かけます。
まあ、あなたは違うので大丈夫ですね。余計なお世話でした、すみません。

501幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 01:19:31 ID:FHk044pc0
>>484
>あらゆる自然物や現象の根底には純粋意識が宿っていて、「真のあなた」はどこにでも在るからです。
自然の中にいて、普通なら恐怖を覚える状況でも、それを楽しむくらいの余裕を感じることがありました。
敬い信じれば、それ以上のことが返ってくる。腹を立てれば大抵は沈黙してしまい、お仕置きは思い出したように時々あるだけ。
そうやって人知を超えたものを信じるようなっていったと思います。

〜「時空を超える」について〜
子供の時、空間の概念が消えた意識状態になることが度々ありました。今までは、そんなこともあったと気にすることはありませんでした。
今回、時空を超えるテーマが出てきたため、新たな疑問として浮かび上がってきました。
頻繁に起こったことなので、プロセスのどこかで統合されるもののように思えてきました。
これまでに時間の概念が消える体験はありません。
ループの体験が私にとっては未知である時間の概念に関わる出来事であれば、それと合わせて純粋意識への安定に寄与するものなのかと思いました。

>あなたが扉を何度も何度も叩いてきたから〜
あまり自覚がありません。笑
振り返ってみれば、自然に探求していて(探求が起こっていて)やってる感はそんなにありませんでした。
心理分析でエゴの実態を暴く過程はきつかったけど、真理探求はわりと楽しく楽に進んできました。
頑張らない力が抜けたエゴ抜きの真っ直ぐな探求になっていたから、扉のあちらが引っ張ってくる?
純粋意識への安定に向かうあたりからエゴが強く出始めました。おかげでエゴは錯覚であることの一段上の気づきが起こりました。

〜「どの道でも可能か?」について〜
バクティだけの人を見ていると、識別がなく折角与えられた貴重な恩寵をみすみす見逃してたりします。
智慧だけの人(実際にそうなのか確かめようがありませんが)は苦しそうで、正しく歩んでるのかと思えます。
そんなことから、一つだけではいけないのではと思い込んでいたようです。よく考えたら、どのプロセスも一進一退、どこで何が必要かは人それぞれ。
あと、覚醒した人が皆バクティも智慧も必要と説いていたのを間違って解釈してたのかもしれません。
智慧はバクティに行き着くし、バクティも智慧に行き着きます。
一つの道でもOKなのか。ありがとうございました。

最後のジャンプのところでの「愛」の話は、今の私には深遠すぎます。笑
「それ」を想って身近に感じた。「私」という壁があって、それでも充分だった。
あの時は充分だったが今はどうなんだろう、くらいのノリで眺めておきます。笑

あー、新しい気づきや知識が起こっても、古い気づきと知識の記憶はどんどん薄らいでいく。「私の」が消えているのか?

502幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 11:24:06 ID:bL8/62M60
>>487
いつもありがとうございます。
千と千尋、題名自体が既に、私と本当の私みたいですね!主題歌のいつも何度でもを久々に聴いたのですが
大きな自分を想う事、エゴとの別れ、真の自分に還って歩み出す、そんな印象を受けました。

>要らなくなったら自然と手放されます
↑実は正直、絵に対してこれを望んでいる所も有りました。でもやっぱり手放せなかった。
「ただ描く境地へと自然に流れていく」今迄もそうでした。又待ってみようと思います。
逆に動けない時はそれが恩寵で、そのタイミングではないのかも、と思いました。

手放す、でふと思ったのですが、私は整理整頓が苦手で、物が捨てられません。
次の人に渡すと思えば処分出来るので以前は郵送買取をよく利用していました。
物だらけなのは一部屋だけですがグッズ類を段ボールに入れては積み上げて
段ボールトーテンポール状態です。レシートや書類も溜めがちです。部屋の倉庫化。
心に聞くの大嶋さんも片付けの本を出されていましたが、効いた人も多々居るようですが
これに関しては、私には全く効果なしでした。
片付けを始めると強烈な眠気に襲われてしまうのも片付けが進まない理由の1つです。
これはやはり潜在意識に何か詰まりが有るのでしょうか?

大きな私さんと無意識さんはやはり同一だったのですね!教えて下さりありがとうございます。
色々聞いて遊んでみました。
私「大きな私大好き!と言いながらも個の私がツンデレな態度を取ったらどうする?」
心「してたじゃないか」私「んん?自責とか?」心「そうそう」へーそうなんだ。
自責は本当は大きな私大好きなのに気付かず個が個を責め続けているから確かにそうかもしれない。
私「大きな私はトイレの時も傍に居るの?」心「見てないから大丈夫」
えー!?絶妙な返しが来て笑ってしまった。常時傍に居るのを解ったうえで聞いたのに。笑

就寝前よりも起床時に大きな私を感じます。
あぁ眠っている間今まで完全にふたりはひとつ状態だったのに〜!起きるのが悲しいです。笑

私は在る、これはまるで木々や草花や石のようだと思いました。それらは「私は在る」として
堂々とただ存在している。枝を折られても花を摘まれても怒ったりしない。ただ在る。
雨風にも抵抗せず完全に流れに身を任せている。

大きな私モードは安全な時・安全な場所で、にします。
ボーっとして表情が緩んで私自身が危ない人になっちゃう。笑
必ずマスクをするようにしています。大きな私に気付いて以降、日常でも時折、多分変な笑いが出てると思う。笑

予知夢や過去に見た2つの夢への返答もありがとうございました。
産道=圧縮と解放でしょうか?次の段階に行く前に圧縮が起き、解放されて新しい世界が開ける。
植物の種の発芽、花が咲く時、人間の命が生まれる時、そして探求における大きな気付きも。
もしかして万物全ては圧縮と解放の繰り返しなのかも?と思いました。

503幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 12:32:14 ID:fJ9ftVPQ0
「プロセス進行のための停滞」という概念おかげで今までどうにも理解できなかった事が全て腑に落ちました
どうも今、物理的に救われると霊的成長とのバランスが悪くなる?らしい
このスレを見ていなければ気付くのが遅れたか分からなかったかもしれませんね

504幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 15:01:00 ID:bL8/62M60
>>500
>普通だと恩寵が働いてやばいと思った瞬間に戻る
↑そうなのですね!これも恩寵に任せていれば良かったのですね。
何だか不安なので個の私モードを保っておかなくては…と思っていました。

>霊性生活と日常生活のバランス
↑やっぱりバランスが大切なのですね。大きな私に惹かれながらも
時々、探求は幻だからやらなくてもいっか〜♪みたいになります。
恩寵がのめりこみ過ぎないように調整してくれていたのかもしれません。

気にかけて下さって、レス頂けて嬉しかったです。ありがとうございました。

505幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 16:30:37 ID:bL8/62M60
あっ探求をやめるわけではないです、のめり込み過ぎずに楽しく続けます。笑

506幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 18:18:58 ID:Y0rMioGg0
何回かりょうせいさんにコメントをいただいて、そのなかで最大の贈り物は「私は在る」です。

「私を在る」を静かに想う・感じるということが、よく起こるようになりました。

感謝

507幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 19:39:25 ID:HYxrQ/Vw0
>>504
りょうせいさんに正しく導いてもらった方がいいので、500は真に受けなくていいです。
誤解されるとまずいので、もう少しだけ詳しく説明しておきます。
日常の精神生活の不足を補おうとして霊性の世界に逃げる人がいます。
そうなると身動きが取れない状態に追い込まれて、なかには錯乱して手に負えなくなる人もいます。
誰しもこの世界の日常はつらい面があるけど、逃げずにちゃんと向き合ってれば大丈夫なので普通は気にしなくていいことです。
私が言ったバランスはこの意味です。
日常からの逃避になっていないかだけ気をつけて、探求を続けるといいと思います。
まあ、逃げてもいいんだけど満たされたら小さな私にしっかり向き合う。この繰り返しでいいんじゃないですかね。
それから、本当にやばいとなるまで追い込むと実際に傷つくこともあるかもしれません。
不安というのがどのレベルのことか分からないのでなんとも言えないけど、小さな私にとって危険なら避けないとですね。
あと、探求が幻というより探求する個人が幻(錯覚)です。小さな私が幻だったと気づくまで探求は続きます。

508幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 21:51:30 ID:bL8/62M60
>>507
ありがとうございます。実は幼少期から宗教(神道)に触れていて(祖父母の代からの信仰)
おかげは和賀心にあり(神はわが心の中にある。わが心でわが身を救い助けよ)という教えのもので
私はあまり熱心な信者ではないのですが、神様や祈りはずっと身近に感じていました。
潜在意識の事を知り、自責がおさまり、物事のタイミングが良くなったり
小さな幸運がよく起きるようになりました。
逃避というよりは、自ら不足に向かって突っ込んでいく様な事は止めようと思いました。
不安というのは、潜在意識や探求を知らない人からすると、今の私の脳内は
「頭おかしい」状態だと思うので、うっかり日常で変な言動をしなければ良いんだけど…
という感じのものです。
小さな私が幻、これは自己観察や思考停止メソッドを実践していた時に
「思考は私じゃなかった」と気付きましたが、思考のない静寂が退屈過ぎて何度も挫折。
探求は思考が使えるぞワーイ!と遊んでいるような感じです。笑

509幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 22:53:59 ID:bL8/62M60
あっ肝心な部分が抜けている…
大きな私LOVE状態は、ある意味、遊びのような感じで
日常は潜在意識にお任せで物事のタイミングが自然と整っていく感じなので
個の私は以前と比べるとかなりゆる〜い気持ちで生きている感じです。
探求が逃避にならないように気を付けていきたいと思います。ありがとうございました!

510幸せな名無しさん:2025/12/06(土) 23:36:04 ID:bL8/62M60
>>507
何度もごめんなさい、今意味が解りました(遅い!)
例えば、日常で嫌な事が有った時に、大きな私ちゃん抱っこして!みたいに
逃避する事の危険性ですよね。逆にその考えは無かったです、というか
ちょっと想像して怖くなりました。依存というか抜けられなくなりそう…。

大きな私にサポートしてもらって日常生活一緒に頑張るぞ!という感じなので
とりあえずは大丈夫かなと思いましたが、危険性について教えて下さり、有難う御座いました。

511幸せな名無しさん:2025/12/07(日) 00:58:28 ID:1OuukQwI0
>>508>>509>>510
そうでしたか。あなたの状態の詳細はこれまでのレスからでは掴めなくて、別の人の投稿と混同し、どうしたんだろうと思いました。
結局違う人だったので、あなたのことは大丈夫な人だと理解しましたよ。
実際日常に不満はないようだし。
ただ絵のことで悩んでるように見えたので、大きな私に逃避してる印象がありました。
なので、
>大きな私にサポートしてもらって日常生活一緒に頑張るぞ!
それでいいんですよ。エネルギーもらって日常に向き合えるんですから。
依存しすぎるのが危ないとわかったのなら、もう大丈夫!
時々甘えさせてもらって日常も探求も続けて、究極的には「大きな私」は優しく包んでくれる対象ではなくて「本当の私」だったと気づいていく。
私があんまり言うと混乱させてしまうかもしれないので、これくらいにしておきます。
お役にたてて良かったです。


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