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なぜエスペラントは普及しないのか?

183ベダウリンデ:2008/05/07(水) 08:47:48
初心者の分際で生意気言わしてもらうと、いわゆる今のベテランさんに、
エスペラントの普及を期待しても無理ですね。
彼らは理念に惹かれてエスペラント初めて、理念が好きで続けてきて、そして今ベテランになった。
理念というと何か高尚か感じで、そういうものを掲げてる人は理念の普及に命をかける崇高な人・・・
という連想をしてしまいますが、それは思い違いかもしれないです。
彼らも単に「楽しいから」やってるだけで、「好きな事」=「娯楽」=「理念」なんです。
彼らは、エスペラントを世界に広めたいのに、バカだから、その方法が分析できないのではなく、
はなから、その気がないのです。それでいいのです。我々同様の凡人なんですから。
(理念を掲げてる人って、自分が他人より高級な人間だと思っちゃうみたいですが、そんなことないと思うよ)

彼らに期待するのは、初心者が文法や語彙など質問したら、派閥問わずに親切に答えてほしい、ということだけです。
「よろず」の人はMATに参加はしないけど、作文に関してなら答えますよ、と言ってました。
それで充分です。

私はむしろ今後に期待してます。
いままでの「理念派」とは異なった価値観の人々がどんどんエスペラントに入ってきてほしいと思っています。
松戸さんも、ベテランへの説得を虚しく続けるよりは、初心者やこれから始めようとする人をターゲットにした方が、
より「普及」の実践になるのでは?と思うのですが。

184松戸彩苑:2008/05/10(土) 11:10:47
>>183
> いわゆる今のベテランさんに、エスペラントの普及を期待しても無理ですね。

まぁ、そうなんですよね。

理念が大好きな人というのは、はっきり言っちゃえば「エスペラント」よりも「理念」のほうが
大事なんですよね。
で、「理念が理解できる人間なら、エスペラントも理解できるはずなんだ」くらいに思ってい
たのでしょう。

だから私に「理念を全面に出した宣伝をしても、革新派の人たちの圧倒的多数は、エスペ
ラントに関心をもたないではないか」って指摘されるのが嫌なんだろうと思います。
もちろん、それが嫌なのであれば、革新派の人たちに受け入れられるような宣伝方法を考
えれば良いんですが、それも出来ないので、沈黙するしかないと。

もちろん私も、単なる嫌がらせのために、こんなことを言ってるわけではありません。
「間違った前提をもとにしてエスペラント運動のやりかたを考えても意味が無い」から、しつ
こく言ってるわけです。

世間においては「英語を頂点とした多言語主義」と「翻訳機械・電子辞書の発達・普及」が、
エスペラント運動とは比較にならないほど大規模に、進んでいるわけです。

一方、エスペラントはと言えば、発表されてから100年以上もたっているのに、世間におい
ては古代エジプト語よりも見聞きすることが少ないわけですし、多くの人たちから「昔はあっ
たが、今は無くなった」「今でもやってる人はいるが、すでに失敗しており、普及する見込み
はまったく無い」と思われているわけです。
で実際、エスペラントが流暢に使える人というのは、社会全体からみれば、きわめて少ない
わけです。

こういうきわめて厳しい状況のなかにエスペラントは置かれているわけですから、希望的
観測だらけの甘えた計画を立てることは許されないんですね。
---

私は「娯楽を利用する」ことを主張してきたわけですが、これは要するに、「理性」や「善意」
なんかよりも「楽しいことを求める欲求」のほうがアテになるよ、と言ってるわけですね。

ここの掲示板のどこかに書いてあるのをすでにお読みになったかもしれませんが、私は

  人間というのは「カネになること」「楽しいこと」「人から誉められること」くらいしかやらない。

  もちろん「世のため人のためになること」をやろうという気持ちも無いわけではないが、し
  かし、そういう気持ちをもつ人は環境問題のような「世間一般に認められた活動」をやる
  のであって、エスペラントをやろうとはまず思わない。

と考えておりますので、カネにもならず、人から誉められることもないエスペラントを普及させ
るには「楽しいことを求める欲求」を利用するしかないだろうと考えたわけです。

日本では、ここ10年ばかりのあいだにインド映画のファンが増えたらしいのですが、このな
かからインドの言葉を勉強する人も出てきたそうです。

また、フラダンスやウクレレをやる人たちですと、ハワイ語を勉強する人もけっこういるみた
いですね。

経済的なメリットだけを考えれば「インドやハワイの言葉を勉強しても意味が無い」ってこと
にしかならないと思うんですが、しかし「楽しいことを求める欲求」というのは、そういう味気
なくて民族差別的な発想をあっさりと打破する力をもっているんですね。

それから、日本のアニメやマンガについて知りたくて日本語を勉強する人たちもいるわけで
すが、これもすごいことだと思います。

現在では、シェイクスピアが読みたくて英語を勉強する人は、ほとんどいないでしょう。

また、毛沢東が読みたくて中国語を勉強するとか、マルクスが読みたくてドイツ語を勉強す
るとか、レーニンが読みたくてロシア語を勉強するなんて人も、めったにいないと思います。

つまり、語学学習をさせる力という点で考えますと、日本のアニメやマンガは、シェイクスピア・
毛沢東・マルクス・レーニンよりも偉大なんですね。

185松戸彩苑:2008/05/10(土) 12:05:02
>>184 の続き)

それから私が「娯楽」を重視するのは、次のような理由もあるんですね。

日本のエスペラント界を見ていますと、学生時代にエスペラントを始めたものの、社会人に
なってしばらくすると仕事や家庭のほうが忙しくなってしまって、エスペラントをやめてしまう、
という人がものすごく多いんですね。

で、この人たちの一部分は、定年を迎えると、またエスペラントを再開するんですね。

もちろん再び戻ってきてくれるのは有難いんですけれども、しかし30年だか40年だかのあ
いだエスペラントから完全に縁が切れてしまうというのは困ったことです。

たしかに「忙しいから仕方がない」とは思うんですけれども、しかし仕事や家庭で忙しいとは
言っても、まったく娯楽をやらないかというと、決してそうではないと思うんですよね。

つまり「娯楽をやる時間はあるんだが、エスペラントをやる気にはならない」という事になっ
てるように思われるわけです。

で、どうしてこんな事になるのかというと

(1) 現在のエスペラント運動において行なわれている事はあまりにも小難しすぎて、やる
    気が出ない。

(2) もっと気楽な娯楽に流れてしまう。

(3) 気楽な娯楽じゃないと、気分転換にならない。

って事ではないかと私は推測したわけです。

こういった問題を解決するには、やはり「エスペラントで娯楽をやる」しか方法が無いんじゃ
ないかと私は考えたわけですね。

で、私の理想としては「娯楽でいいから、家族全員でエスペラントをやる」ようになれば良い
と思ってるんですね。

ネット上で、お父さんはスポーツについて議論をし、お母さんは旅行やファッションについて
話し合い、子供も、親の助けをかりて外国の子供とメールのやりとりをする、みたいになれ
ば良いと思うんですけどね。

もちろん、こういうことが普通にできるようにするのはかなり大変で、日常生活に関する語
彙・表現を整備し、なおかつそれらが簡単に学習・検索できるようになってないといけない
んですね。
---

話を戻しますが、私も「理念重視派の人たちを説得するのは、やっぱり無理なのかな?」と
思っているんですが、しかし彼らの理論にも不徹底なところがあるということを多少なりとも
示すことが出来たのではないかと思いますので、まったくムダだったとは思っておりません。

また彼らだって、もともとは大きな理想をいだいていたのだろうと思いますから、ひょっとした
ら(部分的にでも)協力してくれるようにならないかな?とも思っています。

とくに「日常生活に関する語彙・表現」の整備みたいなものは、ベテランじゃないと出来ませ
んからね。

でも、彼らにとっては触れられてほしくないはずの「革新派の人たちの圧倒的多数も、エス
ペラントを理解しない」ということを私は徹底的に論じてしまったわけですから、まぁ無理なの
かなと思います。

ということになりますと、やはり新人さんに期待したほうが良いのかもしれません。

とりあえず今は、新人さんが学習途中で挫折しないようにサポートしていくことを考えるべき
なのかもしれませんね。

(終わり)

186ベダウリンデ:2008/05/12(月) 08:50:14
>ネット上で、お父さんはスポーツについて議論をし、お母さんは旅行やファッションについて
話し合い、

当初は私もそういうのを理想としていたんです。すぐに「ここはそういう世界じゃない」と悟ったんですが。
エスペラントやる人は基本「社会派」が多いんでしょうね。それと言語オタクと若干の芸術家(?)かな???
外国のエスペランチストも同じ感じなのかなーという印象です。
かなり前にレルヌのフォーラム見てて(ご存じあそこはほとんど欧米人しか書きこまないですが)
コミュニスト或いはアナーキストと自称する人が多かったのに驚きました。
もちろんそれ以外の人もいた様ですが、「片寄具合」に驚いてしまった。
ヨーロッパでは共産国はほとんど消滅してる筈なのに、コミュニストって。
またアナーキストって。そんなの歴史上ですでに消えてしまった政治思想だと思ってました。
レルヌでも「アナーキズムってまだあるの?」なんて突っ込みが入ってて
「あるよ」ってどっかのアドレスがリンクされてましたが。(クリックはしなかったんですが)
とにかくびっくりの世界です。

そんな世界に影響されず、「普通の人」が増えてほしいと思うこのごろ。

187ベダウリンデ:2008/05/12(月) 09:58:45
「社会派」とまで言えないけど、他にもよくいそうなのが「おめでたい派」でしたね。
外国人の文で「私はなぜエスペランチストになったか」というのがあって、「なんで?なんで?」と期待を込めて読んだけど、
「世界の平和を望んでいるから」だってさ。
世界の平和がなんでエスペラントに直結するの?
その「おめでたさ」がアナーキストやコミュニスト以上に、私に「ついてけねー」感を湧き立たせるのです。
ガイジンエスペランチストも概してこんな感じだろうから、文通とかもあんまり興味ないのです。

188ベダウリンデ:2008/05/13(火) 08:20:46
いや、よく考えたら「おめでたい派」が一番「普通の人」な気がしました。
何かのきっかけでエスペラントの名を知って、調べてみたら「平和のために作られた国際語で文法も簡単」
だと知ったら、普通に「やってみたい」と思うじゃないですか。
私だって同じでした。もしも「文法は超合理的」「語彙は超平等」な言語があったとしても
「悪の組織が世界制覇を企てる過程でできた言語」だったらやりたくないです。
表向き「平和」だから安心できる。(ただ安易にそれを信じすぎちゃうのはオメデタイな、と、個人的には思う)

ただ、そういう「普通の人」は、せっかく始めても途中でやめてしまう人も多そうな気がする。
「普通の人」が楽しめるネタがもっと沢山あるといいんですが。

189ベダウリンデ:2008/05/13(火) 08:45:18
例の「エスペラント4週間」の内容を具体的に紹介してあるブログを見つけました。
「4週間」は読んだ事ないので、「左翼的」とか言われるけど、実際どんなんだろう?と思ってました。
思った以上にぶっとびでした。
「労働者と学生が通りを行進しています」「警察が彼らを逮捕しました」とか、本当????
逆に面白いというか、今となってはドラマみたいなノリだな、と思うのですが。
その後のお話の展開が気になる。
ドキュメンタリー風に人生を追うのか、獄内での過酷な取り調べだったらほとんどバイオレンスもの?(読みたくない)
マルクスマン、レーニンマン、毛沢東マンが助けに来てくれる、とかいいではないですか。(センターはマルクスマンで)
あ、ザメンホフ氏の出番がないねー。最初三人のマンが言葉が通じなくて困ってて、ザメンホフ少年が通訳機を発明する、とか。

190ベダウリンデ:2008/05/13(火) 08:53:31
変身アイテムのマスクを被ると自然にエスペラント語を発して、意思疎通できる.
それを取るとさえないおっさんに戻る。

191ベダウリンデ:2008/05/13(火) 10:04:41
ザメンホフ少年はマルクスマンの甥っ子当たりの設定で。
三人のマンはふとしたきっかけで知り合い、ザメンホフ少年の発明品でマンに変身できるようになる。
モウタクマンはマイペース、傲慢で扱いづらいが、カンフーの相当な使い手である。
レーニンマンはクールで頭がいいが、スターリンという旧知の友がいて、この男は敵と密通して金をもらうようなワルである。
レーニンマンはその悪友となぜか縁を切る事ができない。その理由は!?
マルクスマンは二人の間で時に振り回され、裏切られながらも、ザメンホフ少年の機智に助けられながら、三人で協力して悪と戦うのであった。

頭のいいエスペランチストの皆様なので、「そんな話はもうあるよ」と言われそうですが。

192松戸彩苑:2008/05/14(水) 04:11:42
>>189
ここをご覧になったんですか?

ttp://www.kanshin.com/keyword/1352917

こういう例文が載っているのは事実なんですが、しかし例文のすべてがこういうものだとい
うわけでもないんですね。

割合から言えば、むしろイデオロギー色のない、ふつうの例文のほうが多いと思うんです
が、とは言っても、ふつうの語学教科書ですと、こういうイデオロギー色の強い例文という
のはまず載ってないわけですから、やはりかなり変わってるって事になるわけです。
その程度のことなんですね。

この本を書いた大島義夫という人は、1920〜30年代にプロレタリア・エスペラント運動とい
うのに参画してるんだそうです。

また、この本が出版されたのは1961年(昭和36年)なんですが、このころは今となっては
信じられないくらい、マルクス主義に対する期待が高かったみたいですね。

1957年にソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げていますが、これを見
て、ソ連がアメリカを凌駕するんじゃないかと本気で思った人がたくさんいたらしいんですね。

また中国では1958年から「大躍進」というのが始まっています。
日本の左派の人たちは当然これを礼賛したわけですが、これは大失敗に終わって、数千
万人の餓死者を出したそうです。
しかし、実態が世界的に知られるようになったのは、もっと後になってからのようですね。

それから日本では、60年安保なんてものもありました。

こういった時代背景のもとで執筆されたということを考えれば、こういう教科書ができるのも
不思議ではないんですが、しかし考えてみれば、マルクス主義なんてものは20年くらい前
に破綻したものなんですよね。
(現在のマルクス主義者たちは「あれは本当のマルクス主義ではなかった」と言って頑張っ
ていますが)
世間の多くの人たち(とくに若い人たち)からは時代錯誤にしか見えないのも無理はありま
せん。

しかし、そうは言っても、この教科書は、そういう点をのぞけば、けっこう優れていると思い
ますけどね。

193ベダウリンデ:2008/05/14(水) 09:09:34
・・・「4週間」が意外と普通だったら逆につまんないですね。
昔の共産主義礼賛も、結局は経済競争でどっちにつくか的な発想だったんですね。
ところで、お話の続きですが「敵」を何にするか、です。
下っ端の大勢いる奴は「グミンドモー」で、正義の味方マルクスマン達は決して殺さず、再教育に送る。
セイジカー大佐、シホンカー中佐などがいて、大ボスは謎の存在である。
大嘘つきの「ウソナーノ」と名乗っているが?エスペランチストの皆様はその正体はもうお分かりですね!?

194ベダウリンデ:2008/05/15(木) 09:28:16
Mi komprenis, kial mi sentis esperantujon stranga.
なぜ自分はエスペラント界が奇妙に感じたか、分かった。
Esperantujo estas kvazaŭ sanatorio por esperantistoj.
エスペラント界ってエスペランチストのサナトリウムみたいなものなんだ。
Mi hontas, ke mi ŝercis kaj mokis al esperantujo.
茶化してしまってお恥ずかしいです。
Mi plu ne mokos...
もう嗤わないです...

195ベダウリンデ:2008/05/18(日) 13:18:15
Mi fariĝu tolerema kontraŭ esperantistoj.
エスペランチストに優しくなろう。
Estas bone, ke oni montras grandanimon al aliuloj,ĉu ne?
他人に対して寛大になるっていい事だもんね?

196ベダウリンデ:2008/06/04(水) 16:59:21
独白:
色々書き込みしながら自分の考えがまとまる事ってあるんですね。
私は、「よろず」みたいに二言目には「理念」「理念」という人に対して
最初から不信感、恐怖感、生理的な嫌悪感を感じていたみたいです。
なぜかというと、理念とか主義でイメージされる言葉って
「イスラーム原理主義」とか「キリスト教原理主義」とか、なにやら恐ろしい思想。
旧・現の共産国(あるいは戦時の日本も?)では「思想犯」の名目で人が殺された。
「思想犯」というのは、国家の「理念」にそぐわない者を犯罪とみなす事でしょ。
犯罪的な新興宗教の教義も、それに近いものがある。
そういう所の教義ってけっこう複雑と聞いたことがある。
それを理解しないと無能呼ばわりの屈辱を受け、それに耐え、「理解」して洗脳されるとか??
(なので信仰者には高学歴が多かったという・・・)
さすがに「よろず」の人の「理念」は、そんな危険なものじゃないだろう、と楽観してますが。

私は絶対に「理念」で生きる人間にはなりたくないな。
「理念」なんかに染まったら、自分が何するか分からないから。
今まで本能で生きて来て、そこそこ平凡ながら無事な人生を送っている。
一番信頼できるのは、「理念」じゃなくて、自分自身だと思う。

でもさ、自分に自信がなく不安だったら、宗教はじめ、何か「絶対的」なものにすがりたくなる
っていう気持ちも分からなくもない。
「理念」にすがってる人も、そうなのかな、と思う。
私ももし、人生で大きな挫折をしたら、「思想」だの「理念」だのって、言いだすのかな?
今までみたいに、自分で解決できる人でありたいな・・・・

197丹花:2008/06/14(土) 21:00:39
Esperantujo は、人が3人いれば、どこにでもできます。実は私も、フリーのエスぺランチストです。

198だにょ:2008/06/15(日) 22:12:22
エスペラントに対する無理解と反論
http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp04.htm

日本は超大国。今も世界の富の8%程度を支配。経済力だけにあらず。極東最大の軍事国家。日本語話者数もトップ10以内。運用規則に例外が少なくて学習しやすい。科学技術、歴史の深さ、ODA・国連負担金額も巨大。日本は戦争でアメリカや中国に負けたのに、アメリカ自動車産業を壊滅に追い込んだ。中国は気を使ってくれる。「もはや戦後ではない」。なのに日本語は日本語以外の国々に拡散せず。経済力や軍事力が言語の普及状況に影響を与えるとしても、それだけではない?エスペラントはかなり人気があるのに広まらない。何故?

199ame:2008/06/15(日) 22:31:14
>私は絶対に「理念」で生きる人間にはなりたくないな。

これも一種の理念ですね。
極端なものだけ見て判断してはだめですよ。
現にあなたはそういう「理念にすがりたくない」という「理念」にすがって生きている。

200ベダウリンデ:2008/06/16(月) 09:09:09
ま、そうですけどね。
一つ違うのは、「理念」を意識してる人って同類でまとまりたがる。
そして自分「達」は正しいと思ってる(みたいに見える)
「理念を持たないという理念」(なんじゃこりゃ!? やっぱ単なる詭弁じゃん!!!)だと、
常に「個人」なんですよ。
「自分は正しい」と思ってるけど、それはみんな同じ。
人を見る時も「理念が同じだから仲間」「理念が無いからダメ人間」と思うのではなく、
相手についても個人個人で判断しようとする。
同じ個人でも「この人とはここの意見とは一致、あとは違う」というように、
奥深ーく、人が見れるんですよ。

正して言うと「○○主義」とか言葉で定義できるような「理念」を持ってる人にはなりたくない。
「理念なんていらない、という理念」に私はすがってま〜す。(何か?)

201ベダウリンデ:2008/06/16(月) 09:27:40
あ、そうそうameさんへ。
私は「論理」「哲学」は非常に不得意でして、興味すら無いし、
せっかくご教授頂いてもチンプンカンプンだと思いますので
あんまり難しい事書かれたら、無視しちゃうかもしれないです。
アンタウパルドーノンです。

202ame:2008/06/16(月) 17:29:52
>>200
わかります。ベダウリンデさんの体系的な思想及び理念、倫理への懐疑ってのはもっともなものがあって
それはやっぱり、宗教的倫理への固執や盲目的遵奉がテロの動機となったり、悲惨な殺戮の動機となったりするからですよね。
そういった歴史的事実ってのが、人間の記憶の中に刻まれているからこそ、体系だった思想や理念に対するアレルギーがあるんだと思うんですね。
それはそれで、正しいことであると思います。

203ベダウリンデ:2008/06/17(火) 09:41:26
物分かり良すぎるameさんってのも・・・まあいいや、気持ち悪いから自己批判しちゃうけど
私ってきっと自分の知力とか分析力に自信がないんですね。
だから「これが正しい理念だよ、理論だよ」とか言われて、もし洗脳されちゃったら
変な宗教団体にも入っちゃうかもしれない。
それが怖いから、「理念」だ「理論」だ、言う話は避けてるんだと思います。
「理論」と言っても、日常会話レベルの誰でも分かる論理性ならいいけど、
常人の理解を超えた観念とか持ち出したりしてると警戒します。(ameさんの事じゃなくて他の話でね)

204ベダウリンデ:2008/06/17(火) 09:46:23
あ、でもホントに怪しい団体は、テニス同好会とか仲良しクラブを装って
ターゲットに近づくらしいから、おおっぴらに「理念」とか言ってる人は逆に安全かも

205松戸彩苑:2008/06/18(水) 06:27:35
>>204
> ホントに怪しい団体は、テニス同好会とか仲良しクラブを装ってターゲットに近づくらしい

私は「娯楽を利用してエスペラントを広める」ってことを提唱してるわけですが、こんなことを
しても、世間の人たちからは「仲良しクラブを装って近づく怪しい団体」にしか見えないかも
しれませんね。

もう、どう頑張ってもエスペラントを広めることは無理なのかな…。

世間では「イデオロギー色の強いもの」だと思われているし、しかしそれにも関わらず、革新
派の人たちからもほとんど相手にされてないんですから。

206ベダウリンデ:2008/06/18(水) 08:39:28
いやいや、ほんとに「完全なる娯楽」にしてしまえばいいいのです。
少なくとも、完全なる娯楽でやってる人が肩身を狭くしなければいけないような
今の事情を変えてほしいです。松戸さん、頑張って!応援してます。

私なんか、平和運動でエスペラントをやってる偉い人間にお前のような下らない人間が
チャチ入れるな、と、某人物に罵られましたから。
(某人物に言われたこと、恨んじゃいないけど、冷静になって読むとかなり酷い、本音出てるな、と思います)

207ベダウリンデ:2008/06/18(水) 16:48:43
私がなぜ松戸さんを応援するか、馴合いムードになりたいからではありません。
松戸さんは、この掲示板で、どこかに書いていました。
エスペラントを長年使って、そこそこ使える良い言語の割に普及していない、その理由を色々考えてる、と。
私は、松戸さんはエスペラントを良い言語だと思っていて、だから、みんなに普及させたいと思っているんだ、と理解しました。
娯楽を利用してでも「みんな」(=同じ理念じゃない人にも)に普及したい、という所に共感を感じました。
おおげさだけど、「博愛」とか「人間愛」とか感じます。

松戸さんは「よろず」で孤軍奮闘してて、多勢に無勢のように見えますが、
あそこでの松戸さんのコメントは私にはすごくよく理解できます。
大本の「牛の尻」について言及してた時も、私もこの言葉初めて聞いたんですが、
「言わんとしてる事」がすぐに分かりました。
逆に「よろず」メンバーが過剰に反応してたので「これは怪しい」と思いました。

とにかく、私から見ると松戸さんは「非常に有意義」な活動をしておられるのです。
だから「頑張って」なのです。

208ベダウリンデ:2008/06/19(木) 16:28:27
>しかしそれにも関わらず、革新派の人たちからもほとんど相手にされてないんですから。
革新派の人は分かってるんです。「エスペラントは単なる言葉遊び」「国際交流ごっこ」だって。
一応「平和」とか「9条賛成」とか言ってる人に対しては、革新派の人から見たら仲間だから、邪険にはしないと思う。
でも、だからといって「理解されてる」だなんて、勘違いしないほうがいいと思う。
もしかしたら「ホントに真面目に考えてるならもっと他の活動せい!」とか、思われてるかもしれない。
「お遊び重視のお気楽な奴ら」、と、心の中では思われてると思う。

エスペラントなんて「山登り」とかの趣味と一緒。
「山登り」する人は常に頭の中「山」だけで一杯かというと、そんなことない。
政治のことなど、他の事も色々考えてるはず。
かといって、みんな「同じ思想」だなんてのもありえない。
人により色々違う考えがあるのは、当たり前。エスペラントも同じこと。
「趣味」として楽しみながら、その人なりの様々な思想を発展させればいいと思う。

なんでこんな当たり前の事が、エスペラントでは許されないんだろう・・・・

209ベダウリンデ:2008/06/19(木) 18:51:59
某人物は私に言いました。
『大人しく自分の満足する世界に浸ってEを使えば、良かったのに、大胆にもEを真面目に
平和活動に結びつける人にちゃちを入れてきたのは貴方ですよ。』

Iu japana esperantisto insultis min:
"Vi devus senvoĉe uzi esperanton por nur la plezuro,
sed vi aŭdacis plendi al mi, pacmovadanto!"

Alivorte, li diris al mi, ke mi ne parolu pri paco.
言い換えると、私は、平和について語るな、と言われたんですよ。
Kial mi ne havas la rajton paroli pri paco?
なぜ、私には平和について語る権利が無いのだ?
Ĉu nur li kaj liaj kamaradoj ĝin havas ? Nekredeble!
某人物とその仲間たちだけに権利があるのか。 信じられない!

210ベダウリンデ:2008/06/19(木) 19:10:55
Mi kritikis lin kaj li ekkoleregis.
私は某人物を批判した、そしたら、その人物は非常に怒った。
La ĵusa eldiraĵo estas tiama.
先の発言はその時のものです。
Li nenion respondis al mia kritiko sed nur insultadis min kaj eĉ aliajn.
その人物は私の批判には答えずに、罵り続けたのである。

211ame:2008/06/20(金) 07:32:44
>物分かり良すぎるameさんってのも・・・

私は物わかりの悪い、硬直的な人間だと思われているのかな...
私は、私にとっての是を是、非を非というだけで、物わかりが良いとか悪いとかの問題ではありません。

エスペラントが革新派の人から相手にされないのは、おそらくはエスペラントが平和に繋がるという思想に全くのリアリティがないからでしょう。
エスペラントによって言語的な平等が解消される、とエスペランティストは言いますが、そんなものを解消したところでなんになる?というわけです。

現状のままでは、これ以上エスペラントが普及することはきわめて難しいでしょう...。

212ベダウリンデ:2008/06/20(金) 08:30:48
>私は物わかりの悪い、硬直的な人間だと思われているのかな...
いいえ、訂正します。こないだの某件で、私はameさんにかなりしつこく「諭され」ちゃったので
その印象が残ってただけでした。今は、イメージ変わりました。(なんと単純な)

>おそらくはエスペラントが平和に繋がるという思想に全くのリアリティがないからでしょう。
私も全く「同じ意見」です。(同じ思想じゃないけどね)

213ベダウリンデ:2008/06/20(金) 09:17:39
Mi forgesis aldoni gravan aferon.
重要な事、忘れてた。
Mi devas certigi, ke la persono, kiu insultis min, deklaris sin komunisto.
某人物は、コミュニスト自称してた。
Legis mi aliloke iun artikolon, en ĝi troviĝis jena frazo.
他の所で読んだ記事に、こんな文が・・・
"iu komunisto tuj silentigis min."
「あるコミュニストがすぐさま私を黙らせた」
Ĉu komunisto kutime volas fermi buŝojn de ĝenulojn?
コミュニストはいつでも邪魔者の口を封じたがるものなのだろうか?
Espereble ne tamen eble jes.
そうじゃないことを望みたいが、そうかもしれない。
Almenaŭ la persono estas tia homo.
少なくとも、その人物はそういう人間だ。

214ame:2008/06/20(金) 17:06:59
>かなりしつこく「諭され」ちゃったので

この一文から、私に対して良い印象を持っていないということはわかりました。
先日の私の過干渉のせいで気分を害されたようですね。
申し訳ない。

215ame:2008/06/20(金) 17:12:41
>かなりしつこく「諭され」ちゃったので

この一文から、私に対して良い印象を持っていないということはわかりました。
先日の私の過干渉のせいで気分を害されたようですね。
申し訳ない。

216ベダウリンデ:2008/06/20(金) 18:54:02
いえいえ、今は全く気にしてません。どうかもうお気になさらずに・・・
今はむしろ、ameさんと意見が一致して、大変喜んでいるんです。
エスペラントなんて絶対、平和と直に結び付く訳ないですよねー。
それなのに、平和運動でやってる自分は偉い、と勘違いしてる人がいるんですよ。

217ベダウリンデ:2008/06/22(日) 11:10:56
某人物(コミュニストで自称平和活動家)は私に言いました。
『大人しく自分の満足する世界に浸ってEを使えば、良かったのに、大胆にもEを真面目に
平和活動に結びつける人にちゃちを入れてきたのは貴方ですよ。』
言い換えると『黙れ!平和活動家に文句付けるな!』

Iu japana esperantisto,komunisto, memnomita pacmovadanto, insultis min:
"Vi devus senvoĉe uzi esperanton por nur la plezuro,
sed vi aŭdacis plendi al mi, pacmovadanto!"
Alivorte: "Silentu! Ne plendu al pacmovadanto!"

Mi ne scias detale pri komunisma ideologio.
コミュニズムのイデオロギーって詳しく知らないんですが、
Ĉu ĝi estas malpermeso de privata posedaĵo?
私有財産の禁止?
Eble ne. Vidu Ĉinion.
違うかも。中国をごらんよ。
Ĉu rezigno de milito?
軍事力の放棄?
Nepre ne! Nepre ne! Vidu Ĉinion!
絶対違う!絶対違う! 以下同
Ĉu silentigo de ĝenulo?
邪魔者を黙らせる事?
Probable...jes......Vidu.....Ĉinion......
たぶん、、、そうかも、、、以下同

218ベダウリンデ:2008/06/22(日) 12:19:45
Kio okazos, se oni silentigos ĝenulojn?
もし邪魔者を黙らせたとして、どうなる?
Probable pli da malamo naskiĝos en la mondo,
おそらく、さらなる憎しみが世界に生じるだろう。
kaj paco pli malproksimiĝos.
そして平和はますます遠のく。
Do mi ne ŝatas tiun, kiu silentigas ĝenulon.
だから、私は邪魔者を黙らせる人が嫌いなんです。
Se li intencas t.n. pacmovadi, mi ne deziras tian pacon.
もしその人がいわゆる「平和活動」を企ててるとしても、そんな「平和」は嫌だな。
Tia paco estas malvera.
そんな「平和」は偽物だよ。

219ベダウリンデ:2008/06/22(日) 12:35:22
La persono asertis, ke ideala mondo neniam realiĝos.
その人は「理想社会は決して実現しないであろう」って主張してたよ。
Mi ne ŝatas ankaŭ ĉi tiun aserton.
そういう主張も嫌いだな。
Ĉar ĝi vundos ies senton voli pacon.
だって、平和を望んでる人の気持ちを傷つけるだろうから。
Male ĝojas iu, kiu malamas la mondon.
逆に、世界を憎んでる人が喜んでるよ。

220ベダウリンデ:2008/06/23(月) 15:42:28
松戸彩苑様
「よろず」で頑張っておられる様子ですが、私もだんだん空しくなってしまいました。
松戸さんがあそこで主張してる事は私にはすごくよく理解できます。
私の理解では、「エスペラントの話者を増やそうよ」「そのためには娯楽も大事だよ」
という事だと思いますが、非常にシンプルで分かりやすく、
エスペラントへの愛が感じられ、真摯でピュアな訴えだと思います。

もし、この訴えに共感しない人がいたら、それはもう「馬の耳に念仏」(ごめん、正確には釈迦に説法?でしたかな?)
なので、無視した方がいいと思います。

一方、「よろず」の論者さんは「自覚」とか「理性」とか言いますが、
その言葉の定義自体が、一般人が日常語で使用しているものとはかけ離れすぎているようで、
私には全然理解できません。
自分だけの定義だけに頼って自分の世界が完成されちゃってる人、という感じがします。
これは禁句だけど。。。。。。「キモイ」。。。。。
(こんな感想でごめんね。私、理性もヘッタクレも無いもので、お許しを)

一般人が日常語で使う「理性」って、そりゃ、人によりニュアンスは違うと思うけど、
私的には、「感情」に対してそれを抑えるものが「理性」かな、と思います。
「キモイ」と言いつつ謝るのは、私の最小限の「理性」です。
逆に、切れて、罵り大爆発、というのは「反理性」ですね。

自分の世界ができちゃってる人には、何を言っても無駄だろうな、と思いますね。
(松戸さんのおかげで、世の中色んな人がいるもんだ、って分かりましたよ。)

221ame ◆HREx5v8CFA:2008/06/23(月) 16:40:05
>私には全然理解できません。
>自分だけの定義だけに頼って自分の世界が完成されちゃってる人、という感じがします。
>これは禁句だけど。。。。。。「キモイ」。。。。。
>(こんな感想でごめんね。私、理性もヘッタクレも無いもので、お許しを)

なんか、ベタリウンデさんはどうも、「自分には論理も理性もない」から
何を言っても許される、といった風に考えている節がありますね。

理性がなくても、許されないことは許されないんです。
自分の「論理性と理性のなさ」を盾にとって他人に好き勝手言うことはやめてください。

222ベダウリンデ:2008/06/23(月) 20:02:49
あーそうだねー。まあ、悪いと分かってるから謝りつつ書いたんだけどね。

223ame ◆HREx5v8CFA:2008/06/23(月) 20:51:15
謝りながら書いたからなんだっていうんですかね。
だいたい、本当に悪いと思ってるなら書かないでしょうよ。

むしろわざわざ謝っている分、非常に姑息。
謝るくらいなら書かないで。

224ベダウリンデ:2008/06/23(月) 21:03:58
分かりました。ame さんは非常に正義感あふれる人ですね。
その正義感を、是非、良い方向へ向けて下さいね。

225ame ◆HREx5v8CFA:2008/06/23(月) 21:26:32
正義感があるからこういうこと言ってるんじゃありません。
別に、「キモい」とかくらいはぜんぜん言っても構わないと思ってる。それくらいなら。

ただ、最初から謝るくらいなら書くべきではない。
そう考えているだけです。

226ベダウリンデ:2008/06/26(木) 17:12:59
Probable ĉiuj esperantisto fieras pro sia esperantisteco.
たぶん、全てのエスペランチストは自分がエスペランチストである事を誇りに思ってる。
Do se iu esperantisto diras al alia ;"lau mia kriterio restas ne komprenebla via E-isteco",
だから、もし、誰かが他のエスペランチストに「私の基準ではあなたがエスペランチストであることは不可解なことです。」と言ったら
ĉi tiu eldiraĵo estas la plej granda ofendo por tiel dirita esperantisto.
この発言はそう言われたエスペランチストにとっては最大の侮辱になるのです。

227ベダウリンデ:2008/06/26(木) 17:30:46
Se iu pensas, ke tio estas bona, li ne povas kompreni la homan senton.
もし「べつにいいじゃない」と思うなら、その人は人の気持ちが分からない人です。
Se la dirinto intence ofendis al opoziciulo, li estas la plej malestiminda esperantisto.
もし、発言者が政治的な反対者を意図して侮辱したなら、その人は最低のエスペランチストです。

228ベダウリンデ:2008/06/27(金) 08:32:21
Kio estas la homaj rajtoj?
人権って何だろう?
Mi pensas, tio estas la rajto vivi laŭ libera volo.
私思うに、自由な意思で生きる権利かな。
Kiu ajn rajtas esti esperantisto, ĉu ne?
誰でもエスペランチストになれるんですよね?
Se deziras, iu ajn povas resti esperantisto, ĉu ne?
もし望めば、エスペランチストであり続けていいんですよね?
Mi pensas, tio estas unu el la homaj rajtoj.
これって、人権の一つだと思うんです。
Iu diris al alia esperantisto(opoziciulo);"lau mia kriterio restas ne komprenebla via E-isteco".
ある人は、他のエスペランチスト(政治的反対者)に、「私の基準ではあなたがエスペランチストであることは不可解なことです。」と言いました。
Ĉi tiu eldiraĵo neigas la rajton de la dirito resti esperantisto.
この発言は、言われた人のエスペランチストである権利を否定してる。
Neigas ĝi ankaŭ la homan rajton.
そしてそれは人権をも否定してる事になるのです。

229松戸彩苑:2008/06/28(土) 20:46:54
>>220
たいへん遅くなりましたが、拙文を読んでくださって有難うございます。

230ベダウリンデ:2008/06/29(日) 09:00:34
読んでましたよ。松戸さんの論旨を(故意に?)曲解されて、不当に罵られていた場面もありましたが、
非常に冷静に対応なさっていて、私から見ると説得力がありました。
(私なんか、相手の論理展開が下手で誤解しただけなのに、その報復として人格否定までされちゃった経験がありますので)

ただ、「よろず」メンバーに多くを期待しても無理ですね。
彼らも一般人だし、単なる趣味であるエスペラントに、人生を費やしてはいられないのでしょう。
誰しも好きな分野で頑張ればいいんですよ。(ただし、気に入らない人間を排除するのはNG!)

まあ、私みたいな馬鹿人間からすると、「理念」だ「論理」だ言われると、却って引きますね。
「理性に訴えてもだめ」というのは松戸さんの説でしたっけ?
「理性」って「感情」に対するものだと、私は理解してますが、
人間ってしばし「理性」より「感情」が勝ることがありますね。(例:キレル)
「小難しい事ばっか言ってるから嫌い」とか「感情」で思われたら、
いくら「この理念は正しい」とか主張しても、もう修復できないと思う。
間口を広げて「理念」「理論」でない入口を確保するってのは大事だと思う。
それには、新しい人に期待です。

231ame ◆HREx5v8CFA:2008/06/29(日) 20:16:48
非常にシビアな話ですが、私はもう、エスペラントが普及することはないと思っています。
松戸さんは、「エスペラントで交流する楽しさ」というもので広げようということを仰られましたけども、それはやっぱり英語でもできるわけじゃないですか。
しかも英語の方が話者は遙かに多くて、交流の幅もエスペラントより広いでしょうし、前も言ったように「英語が出来る」という実益は計り知れないのですね。

かかる状況の中で、エスペラントを普及させるにはどうするべきかを考えると、やはり「娯楽」でも「理念」でもない「実益」を考えるべきだと思うんです。
言語を普及させるには、「実益」がないと、「娯楽」も「理念」も役に立たない。「実益」とは結局、「エスペラントが出来ることによって得られる利益」のことですね。
エスペラントの方が確かに英語より習得し易いといえばそうですけども、それは「英語が出来ることによって得られる利益」に吹き飛ばされてしまう。

ではどのようにその実益を確保すればいいのかと。これが容易ではないわけで。
エスペラントを習得することでしか得られない利益の確保が出来れば、という話になりますが、そんな利益は果たしてあるのか(作れるのか)、と。

私は、そんな利益はない、と思うんです。すべて英語でこと足りる、わざわざエスペラントで代替する必要はない。
でも、これからの普及運動を真に考えるなら、「娯楽」でもなく「理念」でもなく、「実益」という地平から切り開いていけば、まだ可能性はゼロではないのではないでしょうか。

232ame ◆HREx5v8CFA:2008/06/29(日) 20:47:39
松戸さんは以前、このようなことを言っておられました。

>一般的には語学というのは「実利」や「生活上の必要性」のた
>に行なわれるものだと考えられていますが、しかし実際には「楽しさ」や「面白さ」を求め
>てなされることもけっこう多いということが判りますね。
>ということで、エスペランティストもこのような「楽しさ」や「面白さ」を求める力のすごさという
>ものを素直に認めて、これをエスペラント運動のために利用することを考えるべきだと思うんですね。

それは確かにそうですが、ではエスペラントが出来ることによって得られる楽しさ、面白さ、は果たしてあるんでしょうか。用意できるのでしょうか。
結局のところ、日本のアニメが好きで日本語を学ぶ人も、韓国の映画が好きで韓国語を学ぶ人も、言語それ自体に興味を抱いているのではなくて
それを習得することによって得られる楽しさ(アニメや映画に直に触れることが出来る楽しさ)を得たいから始めたのであって、これはつまるところ趣味追求のための「実利」の範疇ではないでしょうか。

233ベダウリンデ:2008/06/30(月) 16:00:30
私もそろそろ「前向きな会話」がしたいし、松戸さんと会話して癒されたいので、そろそろ戻って来て下さい。
(不毛な言い争いには、さすがに疲れた)

エスペラントの「楽しさ」と「実益」ですが、これは実際使ってる人の証言が一番ではないでしょうか。
実益面で英語に勝てる訳ないのは分かってるけど、私なんか、結構楽しんでますけど。
私の場合「人的交流」はゼロですが、そんな事してなくても結構楽しいです。
もちろん人的交流が好きな人は、それが一番楽しめると思いますが。

ネットでニュース読むだけでも楽しいです。
今はまだ実力が伴わないけど、日本語読解力と同レベルで一読で読みこなせるようになれば、
外国人のブログとかも読みたいなー、なんて思ってます。
一気読みできれば、ラジオ聞き取りも可能になるんだろうけど、まだまだです。

英語の「イディオム」(ですか?)字面と全く異なる意味を表現する用法は無いと思うので、
その点で、英語より取っつき易いのは実感してます。
でたらめ文書いても許されちゃう面があると思うので、気楽でもあります。
その意味では日本人、生真面目すぎかな?英語と同じように「間違いは許されない」とか思っていそう????
ちゃんと教科書で学ばないと、とか、思っていそう????

234胡人:2008/06/30(月) 21:09:16
エスペラント!ホントに面白いと思います!

ベダウリンデさま、人的交流ゼロでも面白いってのは結構前向きで良いと思います。
でも良い環境があれば(それが難しいのかもしれませんが)生の会話交流はより面白いです(^^)

私の参加しているクラブは、現在、正直、大変面白いです。
アジア系留学生(英検900点以上)と外国語大学教授のお二人が春から増えて、とても学習自体が面白くなっています。
お二人とも、ネット独学でエスペラントを始められ、独学歴半年くらいですが、実際の会話術を獲得するために当クラブを探して参加されるようになりました。加入されてから2、3ヶ月たちましたが、もう翻訳とかはほぼ完璧ですし、会話(耳も口も)もこの頃は大変スムーズに美しく分りやすくなってきたように思われます。

お二人の考え方、また其々の知識の蓄積の披露を互いにエスペラントで会話しながら楽しんでいます。外国語教授はヨーロッパの中世史〜第一次世界大戦の歴史も長年の専門の一つで、その専門的な薀蓄も私には大変面白いです。あっという間の2時間です。

留学生は、仕事では必ず英語が必要なお国柄なので、子供の時から自然に学ばなければならない環境だったし、また、正直、試験で点数を取るのは簡単だし何処が難しいのかわからない的な発言の後、何故エスペラントなのか?という話題になり、彼的には、結局エスペラントが楽しいから、続けているそうです。何かエスペラントのもつ、その言葉自体の自由さ加減が心のリフレッシュに良いと思うとエスペラントで言っていました。

結局エスペラントは、意志の疎通をはかる言語という道具です。使用する人によって様々だという事で、右も左も中立も結局、その人によるわけです。
所詮道具なので、言語自体が歪んでいるとかではなく、問題があるとすれば、それを使用している人々に結果、帰する様に思えます。

だから、どの様な方法においてでも、より多くの様々な人々がエスペラントに参加されればそれがひいてはより良い方向に結び付くと思えます。
その意味で松戸さまが様々な切り口で普及を考えていらっしゃるのだと思います。

ただ松戸さまとの相違点は、用語、単語についての考え方の様です。
難しい事は分りませんが、エスペラントで会話すればするほど、日本語的な言い回しを考えるよりも、今自分は何を人に伝えたいのか、とエスペラントで考える様になってきます。自然、日本語的な言い回しをしない様に会話している今日この頃です。文学の翻訳はまた別の問題でしょうが・・・

235松戸彩苑:2008/07/01(火) 05:41:00
>>231-232
たしかに、きわめて難しいんですよね。
とにもかくにも英語が幅をきかせていますから、多少なりとも英語を身につけざるを得なくな
ってますからね。

しかし考えてみますと、エスペラントには、英語には無い長所もあるんですよね。

(あくまでも日本国内で英語を勉強した場合の話ですが)英語を勉強すれば、それなりに読
めるようにはなりますが、しかし細かいニュアンスまで理解できるようにはなかなかなりませ
んし、話すことなんかですと、まともな英語で言いたいことを自由に表現できるようになるの
は至難の業です。

一方エスペラントですと、語根をしっかり身につけるだけで(もっともこれも、それなりに大変
なんですが)、書いたり話したりというアクティブな言語使用の際にも、自信をもって行なうこ
とが出来るんですね。

これが、英語よりもエスペラントのほうが有利であるという数少ない点なんですよね。

そして私は、このエスペラントの長所を最大限に活かせるのが「エスペラントで雑談をするこ
と」(ネット上での雑談なども含む)だと考えたわけです。
まともな英語で自由自在に雑談をするのはたいへんに難しいと思うんですが、しかしエスペ
ラントでなら(少なくとも理論上は)易しいわけです。

私が「雑談」にこだわるのには次のような理由もあります。

(1) 「文献」について考えてみると、エスペラントの文献はきわめて貧弱であるし、また当
    面はこれを大幅に改善することも見込めない。
    だから、文献を売りにすることは出来ない。

(2) 「自由自在に雑談を行なう能力」というのは、誰にとっても必要になるだろうと予想さ
    れるし、また多くの人にとって楽しいものであるとも思う。

(3) 「自由自在に雑談を行なう能力」というのは、小説を読んだり、エスペラント書きのサ
    イトを作ったり、エスペラントをつかって海外旅行をするといった際にも大いに役立つ
    と考えられる。

こういった事情がありますので「雑談が自由にできる」というのを売りにすれば良いだろうと
考えたわけです。

つまり英語はすでに「文献を読む」とか「必要最小限のことを言ったり書いたりする」ために
必要不可欠になってしまっていて、この状況を簡単にくつがえす方法は無いわけですが、
エスペラントは「自由自在に雑談をする」という方面でその利点を活かしてエスペラント話者
を増やし、そこからさらに他の分野での使用を増やしていく、というゲリラ的な戦術をとるしか
ないんだと私は考えたわけですね。

簡単に言えば「英語とエスペラントで棲み分ける」「ニッチを探して、そこに定着して、徐々に
勢力を拡大していく」ということです。
なんといっても英語とエスペラントではあまりにも力が違いすぎますから、正面からぶつかっ
たのではエスペラントに勝ち目はまったく無いわけです。
ビジネスの世界では「大企業が手を出さないことをやることで、中小企業が生き延びる」と
いうことがあるわけですが、エスペラントもそういうことをしないと絶対に生き残ることは出来
ないと私は考えたんですね。

236松戸彩苑:2008/07/01(火) 05:42:54
>>235 の続き)

ame さんは >>232

> 日本のアニメが好きで日本語を学ぶ人も、韓国の映画が好きで韓国語を学ぶ人も、言語
> それ自体に興味を抱いているのではなくてそれを習得することによって得られる楽しさ(ア
> ニメや映画に直に触れることが出来る楽しさ)を得たいから始めた

と書いておられますが、それはたしかにその通りです。

少なくとも現時点では、エスペラントでないとアクセスできないような魅力的なコンテンツを
エスペラント界が作りだすということは不可能だと私も思います。

(すでに存在している作品にエスペラントの字幕をつけることは可能ですが、それは「エスペ
ラントでないとアクセスできない」ものではないわけです。
そもそも魅力的な作品は、ただちに世界の主要言語に訳されるようになっています)

しかし私は、そういうことが出来なくても「自由自在に雑談ができる」ということさえ可能であ
れば、エスペラントは十二分に魅力的なものたりうると考えているんですね。

考えてみれば判ると思うんですが、たとえば日本人とフランス人が日本のアニメやマンガに
ついて「英語で」論じるということは普通にあるわけです。
要するに英語というのは、アメリカやイギリスなどの文化的コンテンツにまったく魅力を感じ
ていない人たちのあいだでも使われているということなんですが、これを考えますと「自由
自在に雑談ができる」のであれば、エスペラントでも良いってことになるんじゃないかって
思うんですよね。

ということで、私はエスペラントが「自由自在に雑談ができる」言語としてやっていけば、生き
延びることもできるし、話者の数が増える可能性もあるんじゃないかと考えてるわけです。

もちろん、このレベルまでエスペラントに習熟するのは(とくに欧米語を母語としていない人
にとっては)楽ではありません。
しかし考えてみますと、将棋・碁・チェスというのは「頭を使い」なおかつ大部分の人にとって
は「やってもカネにならない」ものなんですが、しかし愛好家はたくさんいるんですよね。
ですから、将棋・碁・チェスをやるような感覚でエスペラントをやる人が増えれば良いんじゃ
ないかなと考えてるんですね。

また、アマチュア無線・切手収集・伝書バトなどを見れば判るように、楽しいものであれば、
マイナーであってもそれなりに愛好者がいるんですよね。
(もっともこれらの趣味は、マイナーとは言っても、日本国内にある当該の団体の会員は数
万人はいるんですが)

とにかく「エスペランティストが、エスペラントを楽しんでいる」というのを世間の人に知っても
らうというのが、最良の宣伝になると思うんですね。
現に「エスペラントを利用して海外旅行をする」なんてことは、世間においてもけっこう好意
的に言及されたりしてるんですね。

ですから「エスペラントをつかって世界中の人たちと楽しく雑談をする」そして「そういう活動
ができるんだということを世間の人に知ってもらう」というのが良いと思うんですね。
---

ということで私は「自由自在に雑談ができる」言語としてやっていくことを考えているんです
が、しかし残念ながら、今のところ「あくまでも理論上の話」「潜在的な可能性」というレベル
にとどまっていると私は見てるんですね。

話題はアニメやマンガでも良いし、スポーツ・園芸・音楽・釣りでも良いし、日常生活に関す
ることでも良いんですが、こういったことをエスペラントで自由自在に話すことができる人と
いうのがあんまり多くないような気がしますし、日本人ですと、結局は英語などの欧米語が
得意な人だったりするんですね。

またそれだけではなく、こういったことを話すのに必要な単語が不足・混乱しているというこ
とさえあると思うんですね。

237松戸彩苑:2008/07/01(火) 05:45:07
>>236 の続き)

ここの「エスペラント改造論」スレを見ていただくと判ると思うんですが、たとえば

(1) 「引き分け」に当たる表現が、辞書によってバラバラ。
    http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/173‐175

(2) 「作詞家」という表現は、辞書によってバラバラ。
    http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/177

みたいなことがあるわけですね。
(ほかにもいろいろあるんですが、くわしくは当該スレをご覧ください。
また、このスレに書いたもの以外にも、この手の問題はたくさんあります。
今後もそういった問題について論じていくつもりです)

もちろん術語以外の表現については、複数あっても、ちゃんと理解されるのであれば良い
のです。

しかし、どうも私の見るところでは、エスペランティストというのはこの手の語彙・表現という
のをなめていて「そのうち自然にできる」と思っているので、まともに出来ないということが
あり、辞書を編纂してみて初めてこの手の語彙・表現が大量に不足・混乱していることに気
づいて慌てるわけですが、なにか載せないと仕方がないので、辞書編纂者が適当に考えて
辞書に載せるということがあるから、この手のエス訳が辞書によってバラバラになってしまう
んだと思うんですね。

で、こういう状態では「自由自在に雑談ができる」言語としてやっていくことは不可能ですし、
また、この手の、母語であれば誰でも知っているような概念を表わす語彙・表現が不足・混
乱しているというのでは、エスペラントの信用を大きく下げるような事態が起こりかねないと
も思いますので、私は「現在の文明社会に住む成人であれば誰でも知っているような語彙・
表現」の整備についてうるさく言っているわけなんですね。
---

ずいぶん長くなりましたが、私はこのように考えているわけです。
しかし私も、これでもかなり楽観的だろうなと思いますね。

今後は「英語を頂点とした多言語主義」が徐々に広まっていき、自国内で生活している庶民
であっても、英語に接したり、あるいは英語が必要になったりする機会は、ますます増えてい
くでしょう。

また、翻訳機械も進歩・普及していくでしょうから、そうなりますと、私の提唱するプランが実
現する可能性もどんどん減っていくわけです。

そういうことがありますから、私は長年エスペラントをやっている人たちに対して「残念だけれ
ども、今のようなやり方をしていたのでは衰退するだけなんだよ」としつこく言ってるわけなん
ですが、私の言い方が悪いのかもしれませんが、どうもベテランほど耳を傾けないみたいなん
ですよね。

ベテランの人たちはどうやら

  たしかに問題はあるかもしれないが、これまでこういう状態で何とかやってこれたんだか
  ら、今後も何とかなるんじゃないか。

  ネガティブなことを言うと、これからエスペラントをやろうとしている人たちにマイナスイメー
  ジを与えることになる。

ということを考えておられるみたいなんですが、これほどナンセンスな話はありません。

そもそも世間の人たちから見れば、エスペラント運動というのは完全に「失敗」しているもの
なんですね。
ですからベテランのエスペランティストが「これまで大丈夫だったから」みたいなことを書いて
るのを世間の人たちが読むと、はげしく違和感を感じるはずなんですね。

むしろ私のように「こういう問題があるから、さんざん頑張ってきたにも関わらず、うまく行か
ないんだ」と論じているほうが、よっぽどマトモに見えるわけです。
「少なくとも現状についてはちゃんと判っているんだな」と思うはずなんですね。

残念ながらベテランの人たちはその程度のことでさえさっぱり判っていないのですから、や
はりエスペラント運動は衰退していくしかないのかなと思いますね。

(終わり)

238松戸彩苑:2008/07/01(火) 05:57:42
>>233
私と話したいことがある場合には、私の意見が訊きたいということを明記したうえで書いて
おいていただけると有難いですね。

この掲示板に書いてあることはけっこう読んでると思うんですが、私に対する呼びかけが
無い場合には、たとえ読んでも私のほうに特にコメントしたいことが無くて、「なるほど」「た
しかにそうだよね」と思うだけということが多いですから。


>>234
あとでコメントさせていただきます。

239ベダウリンデ:2008/07/01(火) 08:30:11
>胡人様

>結局エスペラントは、意志の疎通をはかる言語という道具です。使用する人によって様々だという事で、右も左も中立も結局、その人によるわけです。
>所詮道具なので、言語自体が歪んでいるとかではなく、問題があるとすれば、それを使用している人々に結果、帰する様に思えます。
>だから、どの様な方法においてでも、より多くの様々な人々がエスペラントに参加されればそれがひいてはより良い方向に結び付くと思えます。

全く同感です。エスペラント会に所属している方から、このように言って頂けると、
エスペラント界って結構捨てたもんじゃないな、と見直します。
ちょっと希望が出てきました。dankon!

240ベダウリンデ:2008/07/01(火) 09:04:46
>松戸様
>残念ながらベテランの人たちはその程度のことでさえさっぱり判っていないのですから、や
>はりエスペラント運動は衰退していくしかないのかなと思いますね。

「ベテラン」に頼るのはもう諦めましょうよ。
「よろず」でさんざん説得しても全く聞く耳無しではなかったですか。
Nさんなんて、私がここで「予想」していたことまで持ち出して(理念が好きでやっていて、今の人間関係が楽しい、ということ)いました。
「もうこれ以上は言うな」というメッセージでしょう。
松戸さんは松戸さんなりに、頑張ればいいと思います。

検索して他人のブログを見てると、せっかく意気揚々とエスペラント始めても、だんだんと興味が薄れていってしまった様な人も見受けられます。
そういう人は、明確な政治意識で始めたのではなく、なんとなく「平和」って感じに惹かれて始める感じです。
また、私の想像で失礼かもしれないですが、
今時誰もやっないであろう「エスペラント」なんてできたら自慢かも、みたいな「ネタ」として始める人も結構いるんじゃないか、と思ってます。
そういう人たちはきっと、(私のように)サークル活動は求めてないと思います。
だから、ネット上で気軽にエスペラントを「使える場」があるといいなあ、と思います。
日本語併用で外国人も交えて会話する場とかあったらいいと思います。(ROMしてるだけでも)
(初心者にはエスペラントオンリーのサイトは存在しないに等しいんです、どうせ読めないから)

241ame ◆HREx5v8CFA:2008/07/01(火) 15:53:36
>考えてみれば判ると思うんですが、たとえば日本人とフランス人が日本のアニメやマンガに
>ついて「英語で」論じるということは普通にあるわけです。
>要するに英語というのは、アメリカやイギリスなどの文化的コンテンツにまったく魅力を感じ
>ていない人たちのあいだでも使われているということなんですが、これを考えますと「自由
>自在に雑談ができる」のであれば、エスペラントでも良いってことになるんじゃないかって
思うんですよね。

なるほど。言われて見れば確かに、そこにエスペラントの活路があるかもしれない。
例えば、日本の学者とフランスの学者が共同研究したりするときは、英語を使って意思の疎通をするんですが
そりゃ、フランス人学者のほうが多少なりとも日本人学者より得意だったりするけれども
それでもやっぱり、相応の苦労をして英語を使っています。

そういった場面に、「英語よりも簡単に習得できて公平」というエスペラントの武器を活かせれば...。

242松戸彩苑:2008/07/06(日) 10:09:59
最近は暑くって、まとまった文章を書く気になかなか成れなかったんですが、みなさまはい
かがお過ごしでしょうか。

>>234
エスペラントの会話を楽しんでおられるようで、たいへん結構なことだと思います。
私もエスペラントの「会話」「雑談」を重視・奨励しているわけですが、この意見の正しさが
改めて確認されたように思いました。

ただし

> ただ松戸さまとの相違点は、用語、単語についての考え方の様です。
> 難しい事は分りませんが、エスペラントで会話すればするほど、日本語的な言い回しを考
> えるよりも、今自分は何を人に伝えたいのか、とエスペラントで考える様になってきます。
> 自然、日本語的な言い回しをしない様に会話している今日この頃です。文学の翻訳はま
> た別の問題でしょうが・・・

と書いておられるのを拝見しますと、私の言わんとしているところが伝わっていないのだな
と感じないわけにはいきません。

「エスペラント改造論」スレに私が投稿した文章を読んでいただければ、私の言ってるのは
「日本語的な言い回し」といったレベルの問題ではなく

  現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であれば誰でも知っているような物・事に
  ついて、エスペラントは厳密に表現できるようになっていない。

  エスペラントが発表されてから100年以上も経ってるのにこのような状態なのだから、
  今までのようなやり方ではダメだということであるし、ザメンホフの見通しは甘かったと
  いうことでもある。

と論じているのだということが判るはずなんですけどね。
つまり私は

  どう考えても、文明国の言語であれば必ず備えているであろうような語彙・表現が、エス
  ペラントでは不足・混乱している。

ということを言ってるわけですね。

まぁ確かに、「エスペラント改造論」スレで私があげているような表現というのは、ちょっと会
話をする程度であれば、ほとんど必要が無いようなものかもしれません。
それは以前から認めているんですが、しかしだからといって「今までのように放ったらかしに
しておいても良い」ということにはならないはずです。

私の考えでは「こういった語彙・表現をちゃんと作っておかないことが、エスペラントの潜在
的な可能性をおおはばに削いでいる」「逆に、こういった語彙・表現をちゃんと作れば、エス
ペラントは今まで以上に素晴らしい言語になる」と思うんですね。

(私もそうですが)みなさんはエスペラントを英語に太刀打ちできるようにしようと考えている
わけですから、こういった問題についても真面目に考えていただきたいと思います。

そうしないと、いつまでたっても「それなりに表現できるんだが、ちょっと難しいことになると
精密に表現することが出来ない言葉」だということになってしまいます。
これでは英語に太刀打ちできるわけがありません。

世間の人たちは「それだったらブロークン・イングリッシュとあんまり変わらないし、通用度や
学習環境といったことを考えれば、エスペラントにはメリットが無い」と判断するだろうと思い
ますね。

243松戸彩苑:2008/07/06(日) 10:10:41
>>242 の続き)

また、欧米においてもエスペラント運動は停滞ないしは衰退をしているわけですが、これも
私の指摘するような「日常生活に必要な語彙・表現の不足・混乱」というのが原因の一つに
なってると思うんですね。

そもそも、ほんとうに学習容易で、なんでもちゃんと表現できるようになっているというので
あれば、そういう便利なものが欧米で広まらないわけが無いんですね。
もちろん英語には敵わないでしょうが、しかしエスペラントがほんとうに便利であれば、エス
ペラントの便利さや楽しさというものがエスペランティストの周囲にいる人にも理解されて、
そういう人たちのなかからエスペラントを始める人が出てきて、少しずつではあっても話者
が増えていくというふうになっても良さそうなものです。

しかし現実には、そうなっていないわけで、日本以上にレベルの高い運動をしていたはずの
欧米で、エスペラント運動が停滞・衰退してるんですね。
こういったことを考えますと「日常生活に必要な語彙・表現の不足・混乱」というものがエス
ペラント運動の足を引っぱっているのではないかと疑わざるを得ないんですね。

エスペラントというのはきわめてチグハグな発展のしかたをしてまして、詩にはむやみやたら
と力を入れてきたのですが、日常生活に必要な語彙・表現のほうは「放っとけば自然にでき
る」とでも考えていたのか、それとも社会改革を目指していたので、日常生活に必要な語彙・
表現といった「形而下」の問題には関心が持てなかったのか、理由は判りませんが、とにか
く現在に至るまで放ったらかしにしてたんですよね。

そのせいでエスペラントは、ノーベル文学賞候補を2人(カロチャイ、オールド)も出している
一方で、「3つの角(tri anguloj)」と「複数の三角形(trianguloj)」を口頭で区別することが出
来ないという、きわめてイビツな発展をしてきたわけです。

それで私は、このような歪みをみんなで直していくべきであると訴えているわけです。
一生けんめい詩を作っている人たちには悪いのですが、どう考えても、詩よりも、日常生活
に必要な語彙・表現のほうが、多くの人たちにとって必要だと考えたからです。
(もちろん、詩は必要ないと言ってるわけではありません)
---

どうもエスペラント界のベテランの方というのは「エスペラント界の常識」と「自分の経験」だけ
で判断するので、「日常生活に必要な語彙・表現の不足・混乱」と言われてもピンとこないみ
たいですね。

しかしそれでは「すでに英語が国際語」「エスペラントなんて失敗したことが歴史的に証明さ
れている」と言ってる世間の人たちと発想がまったく一緒なんですよね。
この人たちも「世間の常識」と「自分の経験」でしか考えられないから、エスペランティストの
言ってることにまったく耳を傾けないんですね。

で、考えていることのレベルが同じであれば、数の多いほうが勝つに決まっています。

これではいけませんので、私があげるような「エスペラント界全体や社会全体における具体
的な事例」と「それについての解釈」といったことにも注目していただきたいと思いますね。

(終わり)

244松戸彩苑:2008/07/06(日) 10:30:00
>>243 の続きを書きます。

私は「エスペラントは文明語としてちゃんと出来ていない」とか「今までのエスペラント運動
のやりかたには問題がある」とか主張していますが、しかしこのような意見をベテランの方
たちが見聞きすると、ひょっとすると

  これまでにエスペラントを介して築いてきた「友情」や「信頼」はニセモノである。

と言われているように感じるのかもしれないですね。
しかし当然のことながら、私はそういうことを言ってるわけではないのです。

ベテランのみなさんがエスペラントを利用して得たものがニセモノであるはずがありません。
ただ、これまでのやりかたを改めれば、もっと運動が大きくなり、楽しいことが増えるのでは
ないだろうかと言っているだけなのです。

長年エスペラントをやってこられた方というのは、あまりにもエスペラントと密着しすぎていて
(というか、エスペラントと精神的に一体化してしまっていて)、エスペラントやエスペラント運
動を少し離れたところから冷静に観察して得られた意見というものを受け入れられなくなっ
ているのではないかと、私は思ったんですが。

245松戸彩苑:2008/07/12(土) 10:36:15
>>240
たいへん遅くなりましたが、私もそうなんだろうなと思いますね。

私としては「日常生活に関する語彙・表現」の整備だけは、政治思想に関係なく出来るの
ではないかと思っていたんですが、それもどうやら無理っぽいですね。

やはり新人さんに期待したほうが良いんでしょうね。

246松戸彩苑:2008/07/13(日) 09:35:42
藤原直哉という経済アナリストの方がいらっしゃるんですが、この方が書いた『国家破綻
Ⅱ』(2004年 あ・うん)という本のなかに、エスペラント運動を進めていくうえでも参考に
なりそうなことが書いてあったので、引用することにします。

なお、引用文中に「思い」という言葉が何度も出てきますが、これは「将来の目標」「ビジョ
ン」といった意味です。

  成功している企業は、みな会社の中で思いがきちんと定義されている企業である。自
  分たちは誰のために、何をすべきなのか。この事業が社会にどのように貢献し、必要と
  されているのか。そういうことをきちんと経営者が思いとして口にし、社員教育を徹底し
  ている企業は、勝ち組に入っている。

  「そうはいっても、そんなことでは飯が食えない。とにかく今日の飯代を稼ぐために働い
  ているんだ」というような会社は、形はあるが、思いがない。そういう会社ほど変化に弱
  いので、ちょっとした状況変化に経営が傾き、危うくなっていくのである。

  みなさんもご存じだと思うが、NHKの『プロジェクトX』という番組がある。毎回さまざまな
  話が出てくるが、共通したテーマはただ一つ。偉大な人が偉大な仕事をするのではなく、
  普通の人が偉大な仕事をする物語なのである。

  本当の企業の力というのは、じつはそこにあるのではないか。どこかのプロ野球チーム
  のように、金にまかせて他球団の四番打者ばかりをそろえても、チームワークが整わな
  ければ優勝することはできない。

  これと同じようなことが、大なり小なり企業でも起こっている。とくに外資系の企業に顕著
  だが、ヘッドハンティングで優秀だと言われる人材を集めてきても業績が上がっていか
  ないのである。

  逆に、普通の人をきちんと教育している企業のほうが業績を伸ばしている。それは先に
  述べたように、思いを共有化しているので変化に強いからである。だから、人材が長続
  きし、その人がまた新しい社員を育てるという好循環をもたらしている。

  じつはアメリカでも、本当に好業績を続けている会社は、スタープレイヤーが集まった会
  社ではなく、普通の人が愚直なやり方で、だが思いを持ってやっている会社なのだ。

  一九九〇年代から、企業改革の方法論として、リストラクチャリングやアメリカ式コーポレ
  ート・ガバナンス、アウトソーシング、情報インフラの導入など、さまざまな理論が日本に
  入ってきたが、本当によい業績を継続的にもたらすための決定打ではなかった。九〇年
  代にアメリカから入ってきた経営手法やITが発達してできた経営手法は、一時的に会社
  を良くすることには貢献したが、一〇年、二〇年といった長期的に安定して業績を向上さ
  せる手法ではなかったのである。

  むしろ、会社経営を場当たり的にしてしまった感が強いように思う。たとえば、コーポレー
  ト・ガバナンスと称して誰にでもわかる経営を目指したために、素人でもわかるような経
  営しかできなくなり、本来専門家でしかわからない独自の投資が行なえないという弊害
  も出てきている。

  一九九〇年代に登場した経営の教科書は間違っていたとまでは言わないが、少なくとも
  中途半端なものであった。しかし、もっと抜本的に企業経営のやり方を変えていかないと、
  うまくいかないということだけははっきりした。

  世界的に見ても、継続的に好業績を続けている企業は、「プロジェクトX」のように、普通
  の人が偉大な仕事をしているところなのである。アメリカに経営品質賞というものがある
  が、その考え方はまさしく「プロジェクトX」そのものである。普通の人が偉大な仕事をする
  仕組みづくりを行っている企業を評価するものなのだ。そのため、普通の人をいかに教育
  して、チームワークを高めていくかということが、企業成功の方程式として改めて見直され
  はじめている。

247松戸彩苑:2008/07/13(日) 09:36:19
>>246 の続き)

  「プロジェクトX」の世界を築き上げるには、気持ちの問題が非常に重要になる。とくに、経
  営者は顧客にもいい顔をし、株主にもいい顔をなどと八方美人的な考えでいると、その場
  限りの経営で終わってしまいがちだ。時間をかけて人を育てていかなければならないとい
  う強い信念を持って経営にあたらなければ、本当にいい仕事をすることはできない。社長
  任期の三年間でうまく業績をあげて、高額な退職金をもらおうという発想の経営者には時
  間をかけた経営も人材の育成もできないし、継続的な業績向上ものぞめない。

  二一世紀に入って、そうしたことがはっきりと見えるようになってきた。企業成功の方程式
  は、もはやアメリカ型の教科書ではない。アメリカ型教科書とは、言ってみればウォール街
  のための教科書。「ウォール街型教科書よ、さようなら」である。これからはウォール街の
  常識とは別のところに、企業成功の方程式が存在する。

  (同書213〜217ページ)

248松戸彩苑:2008/07/27(日) 01:21:18
私は ladio さんから教えていただいた若田恭二(著)『大衆と政治の心理学』を読んでいる
んですが、この本を読んでいて、私は「世間の人たちのメンタリティ」よりもむしろ「エスペラ
ンティストのメンタリティ」のほうが気になったんですね。

私の見るところでは、エスペランティストは

  本来は、政府や国際機関がエスペラントを推進すべきなのである。

  政府や国際機関がエスペラントをやるのが当たり前なのであって、これらの組織の代わ
  りに自分たち(エスペランティスト)だけが現在エスペラントをやっているわけだが、こうい
  う状態は根本的におかしい。

って考えてるんですね。

ですから、政府や国際機関がエスペラントに対して援助をしたりするのは「当たり前」なんだ
っていう意識がどこかにあるんだと思います。

また逆に、ちょっと前にポーランドの国際放送がエスペラントの放送をやめたわけですが、
ああいう事があると、あたかも永遠の愛を誓った恋人に突然捨てられたかのように、本気
で腰を抜かすことができるんですね。

私なんかは、欧米においてエスペラント運動が停滞ないしは衰退してるんだから、エスペラ
ント放送が無くなるのも止むを得ないだろうとしか思わなかったんですが、しかし「本来は、
政府や国際機関がエスペラントを推進すべきなんだ」と信じて疑わない人にとっては、絶対
にあってはならない出来事だったみたいですね。

ということで、エスペランティストの考えている事というのは、世間の人たちの考えとは根本
的に違っているわけです。
このような意識のズレというのを無くしていかない限り、いくら宣伝しても効果が無いし、世
間の人たちから認められることも無いと思いますね。

249松戸彩苑:2008/07/27(日) 11:49:05
最近、私が考えていることを書いてみようと思います。

ピジン・クレオール語というのがありますが、これは19世紀末にフーゴー・シューハルトとい
う言語学者が本格的に研究をはじめるまでは、言語学者は「まともな言語」だとは考えてい
なかったんですね。

正確に言いますと、シューハルトの研究以降も、ピジン・クレオール語をまともな言語だとは
考えない言語学者はたくさんいたわけで、言語学の世界でもピジン・クレオール語をまとも
な言語だと考えるのが普通になったのは20世紀後半になってからのようなんですね。

また、現代ヘブライ語にしても、エリエゼル・ベン・イェフダという人が復興運動をはじめてか
らしばらくの間は「絶対に不可能」だと思われていたわけです。

それから「手話」だって、長い間まともな言語体系だとは思われていませんでした。

ということで、これらは皆「昔はまともな言語だと思われていなかったのだが、現在ではちゃ
んと認められている」というわけなんですが、これらが「まともな言語」だと認められるように
なった理由というのを、もっと考えてみようと思ってるんですね。
---

それから、ヨーロッパには現在でもラテン語を自由自在に使いこなすような人がいますし、
インドには現在でもサンスクリット語に堪能な人がいるわけなんですが、そういう人がいる
からといって「ラテン語やサンスクリット語は生きた言語だ」とは言われないわけです。

もちろん「ラテン語やサンスクリット語は、まともな言語ではない」などと言う人はいないわけ
なんですが、しかし少数ながら流暢に話すことのできる人がいるからといって「生きた言語」
であるとは言われないのはなぜなんだろう?と思ったわけです。

私がこういうことを考えようと思ったのは、言うまでもなく「いまだにエスペラントが認められて
いない」からなんですが、現時点での予想では「その言葉を使って生活している共同体が存
在するか否か」という点で区別されているのではないかと思います。

(終わり)

250松戸彩苑:2008/07/27(日) 12:05:54
>>249 に補足しますが、世間の人たちの間では、エスペラントというのはラテン語みたいな
ものだという印象があるのではないでしょうか。

つまり「生活感が感じられない」「浮世離れしている」「ごく少数の熱心な人たちが、俗人に
は理解できないような小難しいことをしている」といったイメージですね。

まぁ、こういったことについて、もっと考えてみようと思っております。

251Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/07/27(日) 23:18:29
まともと見られるには、政府があって、軍隊があって、
多少国なり、民族なりがないと無理かもしれませんが、
現在のところ、19世紀のパレスティナに移住したユダヤ人のような
需要を持った集団がいないというのが問題ですね。

そういえば、人工言語アルカは掲示板を引っ越しました。
エスペラントも最終的には『ARIA』のような文学作品の調味料という
他の芸術言語と同様の地位に落ち着くかもしれません。
伝統芸能の世界です。
http://www2.atchs.jp/kakis/

252松戸彩苑:2008/07/28(月) 23:48:18
>>251
エスペラントを話す人間が「国」を持つってわけにはいきませんので、「国」なしでエスペラン
トを発展させなければならないんですよね。

そういや昔(20世紀前半に)、ヨーロッパに「エスペラントのみを使う街」を作るっていう構想
があったらしいんですが、結局実現しなかったんですよね。

253Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/07/29(火) 05:21:31
>エスペラントを話す人間が「国」を持つってわけにはいきませんので、
多民族国家の共通語、公用語、国語となることは理論的には可能です。
それはザメンホフの本来の目的の一つでもあったわけです。

254松戸彩苑:2008/07/29(火) 23:26:34
>>253
エスペラントが「多民族国家の共通語、公用語、国語となること」が「ザメンホフの本来の
目的の一つ」だということは私も当然存じ上げておりますし、おそらく Kakis Erl Sax さんも
ご存じだと思います。

しかし、ヘブライ語復興運動もエスペラント運動も1880年代に始まったわけですが、前者
は完全に成功したのに対して、後者はいまだに不本意な状態にあるわけですね。
と言うか、世間の多くの人は「エスペラントはすでに完全に失敗している」と考えてるわけ
です。

このように、ヘブライ語復興運動と比べますと、エスペラント運動のダメさ加減がよく判るん
ですね。

また、パプア・ニューギニアには「トク・ピシン(Tok Pisin)」という英語から派生したクレオー
ル語があるんですが、これが今ではパプア・ニューギニアの公用語の一つになってまして、
国会での討論にも使われているんですね。
(ただし議事録は英語で書かれるそうですが)

言っちゃあ何ですが、もともとトク・ピシンを使っていた人たちの大部分は、近代的な教育な
んてものはほとんど受けていなかったはずなんですね。
そういう人たちが作りあげた言語が、今や一国の公用語となっているわけですが、これに
対して、エスペラントの話者は世間の平均以上の学歴をもっているのにも関わらず、エスペ
ラントのステータスは、トク・ピシンに遠く及ばないわけですね。

で、「これはどうしてなんだろう?」と考えざるを得なくなるわけですが、「やっぱり国とか民
族主義みたいなものが無いとダメなのかな」という話になったわけですね。
私もこれを完全に否定することは出来ません。
やっぱりそういうものが無いとダメなのかなという気もいたします。

ただ一つ言えることは、私はロバート・セントジョン(著)『ヘブライ語の父ベン・イェフダー』と
いう本を持っているんですが、この本を読みますと「ヘブライ語復興運動と比べると、エスペ
ラント運動は真剣さが足りない」ように思えるんですよね。

そこが問題じゃないかと思って、私はこの掲示板でいろいろと言ってるわけなんですが、長
年エスペラント界におられる方たちには、どうもなかなか判っていただけないようですね。

255松戸彩苑:2008/07/29(火) 23:31:22
>>254 に補足しますが、エスペランティストの方たちが頑張っておられることは、私だって
よく判っているんですよ。

それはよく判るんですが、しかし、どうも頑張る方向性が良くないんじゃないかって思うん
ですね。

256松戸彩苑:2008/08/01(金) 03:59:52
1954年以来、世界エスペラント協会(UEA)は、ユネスコと関係を結んでいます。

そういうことがあって、世界エスペラント協会の主催で年に一度開かれる「世界エスペラント
大会(UK)」の際には、ユネスコ事務局長の名前で祝辞が届きますし、日本ユネスコ協会
連盟のサイト内にあるリンク集のなかにも、日本エスペラント学会が入っていたりするわけ
です。
http://www.unesco.jp/contents/link/link2.html

(余談ながら、UKにおけるユネスコからの祝辞は、UEAの機関誌「Esperanto」にしか掲載さ
れませんので、世間の人たちはまったく知らないはずです)

このように「ユネスコからも認められている」ということが、エスペランティストにとっては大き
な誇りや自信となってるものと思われます。
---

しかし私は、このような見方に、あえて異議を唱えたい。

たしかにユネスコが、エスペラントに一定の価値を認めていることは間違いありませんが、
しかし冷静に考えてみますと、ユネスコがエスペラント運動のためにしてくれているのは

(1) 1954年以来、世界エスペラント協会と公式な関係を結ぶ。

(2) 世界エスペラント大会に祝辞を送ってくれる。

という事だけではありませんか。

エスペラント界には「政府や国際機関がエスペラント運動を推進すべきなんだ」と考えてい
る人が少なくないと思われますが、ユネスコみずからがエスペラント運動のために積極的
に活動をしたということは一度も無いんですね。

もちろん、ユネスコがエスペラントのために予算を割くというのは困難だと思います。
しかし例えば、ユネスコが発行している雑誌に、エスペラント運動に関する記事を載せたり
するという事であれば、おカネをかけずに出来るはずなのです。
でも、そういうことをしたという話は聞いたことがありません。

私じしんは、ユネスコが発行している雑誌を読んだことはありませんが、しかしもしもユネス
コの雑誌にエスペラントに関する記事が掲載されれば、エスペラントの雑誌がそれを取り上
げないわけが無いんですね。
しかし、そういう記事を読んだことがありませんから、やはりそういうことをしてくれたことは
無いのでしょう。

それにだいたい、ユネスコが本当に大事だと判断すれば、世間に対して、協力や寄付を呼
びかけることだって出来るんですね。
日本ユネスコ協会連盟のサイトを見ますと「世界寺子屋運動」なるものを展開していて、募
金を呼びかけていますが、もしもユネスコが本気でエスペラントが大事だと考えるのであれ
ば、こういうことだって出来るはずなのです。
でも現実には、やってないんですね。
---

このように考えていきますと、結局ユネスコは、エスペラントの意義を部分的には認めている
が、しかし「政府や国際機関がエスペラント運動を推進すべきなんだ」という考えはまったく認
めていないんだと判断するしかないんですね。

1954年以来、UEAはユネスコに対して定期的に、エスペラント運動に関する情報を送り届け
ているはずなんですが、しかしそれにも関わらず、上記のような対応しかしてくれないというの
が、残念ながら事実なんですね。

(終わり)

257松戸彩苑:2008/09/20(土) 15:59:16
エスペラント運動の歴史を勉強すると判るんですが、日本においても欧米においても、19
50〜60年代のエスペラント界には、今では考えられないくらい知識人がたくさんいました。

それで現在でも「エスペラント運動をこの時代のようにしたいものだ」と考えてる人が少な
くないみたいなんですが、しかし私は、この考えには賛成できません。

というのも「1950〜60年代のエスペラント界には知識人がたくさんいた」というのは事実
なんですが、しかしそれにも関わらず、それ以降はエスペラント運動は「落ち目」になったか
らなんですね。
つまり

  知識人がたくさんいたにも関わらず、エスペラント運動は落ち目になった。

という事実がありますから、知識人に過大な期待をかけても仕方が無いと私は思うのです。
また

  1950〜60年代にエスペラント界にいた知識人たちの次の世代の知識人たちは、エス
  ペラントを支持しなくなった。

  つまり、1950〜60年代にエスペラント界にいた知識人たちは、自分たちの後輩たちを
  エスペラント界に引き入れることが出来なかった。

  また言い方を換えれば、エスペラントは知識人層から見放された。

ということもあるわけです。

私はこのように考えますので、知識人に期待をしたり、1950〜60年代のエスペラント界を
羨ましがったりする気にはまったくなれないのです。

むしろこれは「知識人をアテにしてもうまく行かない」ということを実証しているだけなのだと
思うんですね。
---

これまでにも何回か述べたと思うんですが、パプアニューギニアで発達した「トク・ピシン」と
いうクレオール語は、エスペラントとはまったく正反対の条件のもとで発展してるんですね。

トク・ピシンというのは元々は、パプアニューギニアを訪れた英語話者と現地人との接触に
よって生まれた片言の共通語だったわけです。

で、現地人は近代的な教育なんか受けてるわけが無いですし、欧米人のほうだって船乗り
とかですから、高い教育を受けてる人間はそんなに多くはなかったと思います。

しかしそれにも関わらず、トク・ピシンは大いに発達・普及して、現在ではパプアニューギニ
アの公用語の一つとなってるんですね。

このように考えますと、エスペラントとは好対照といって良いわけです。

で、どうして知識人の多かったエスペラントが落ち目になって、逆に、話者のなかに教育を
受けた人間がほとんどいなかったトク・ピシンが発展・普及したのかと考えますと、やはり
「日常生活のなかで使っていたか否か」という点が対称的な結果を生んだんだと思うんで
すね。

ということがありますから、私は「たとえ娯楽でも良いから、エスペラントを日常生活のなか
で使う人を増やすべきなんだ」と言ってるわけですね。

258松戸彩苑:2008/09/20(土) 16:10:17
>>257 の続き)

それから以前から気になっていたのですが、エスペランティストというのはどうも

  高級なことが出来れば、それよりもレベルの低いことは全部できるんだ。

というような考えをもってるみたいに私には見えるんですね。
もっと具体的に言いますと

  文学作品を書く(という高級な)ことが出来るから、日常生活に必要な語彙(などという
  低レベルの語彙)は十二分にそろっているんだ。

といった考え方をしてるってことですね。

こういう考えを持っているから、私が一生けんめいに「日常生活に必要な語彙・表現を整備
しないと、エスペラント運動は落ち目になるばかりですよ」と言っても、ぜんぜん理解できな
いんじゃないかと思うんですね。

しかし、こういう考えというのは明らかに間違ってるわけですね。

たとえて言えば、小学校の1〜5年で習う漢字を憶えずに、6年生で習う漢字だけをぜんぶ
憶えたことをもって「小学校で教える漢字をぜんぶ身につけました」と言ってるようなものな
わけですが、もちろんこんなのは間違ってるわけです。

結局、「高級」だろうが「低級」だろうが、そういうことには関係なく、整備するとか憶えるとか
しないとダメなわけです。

私の見るところでは、エスペラント界には「抽象的」にばかり考えるクセがあって「具体的」に
考えようとはしない人が多いという印象を受けるんですが、これもその一例だと思いますね。

具体的に考えようとしないから、トク・ピシンにも負けてしまうんじゃないかと思います。

(終わり)

259松戸彩苑:2008/09/28(日) 11:37:53
私は今まで「娯楽を利用しよう」とさんざん言ってきたわけですが、たとえ娯楽を利用したエ
スペラント運動を展開したとしても、パチンコや競馬が好きだなどというような人間は、やっ
ぱりエスペラントなんかやらないと思うんですね。

エスペラントで遊ぶにしても、数千もの単語を憶えて使いこなせないといけないわけですか
ら、勉強するのが好きだという人しかエスペラントをやるわけがないのです。
---

エスペラント界に長年いる人であれば、エスペラントを始めたものの数年でやめてしまった
という人を何人も知ってるはずです。

私もそういう人を何人か知っていますが、そういう人たちだって決して頭が悪かったり、い
い加減な人間だったりしたわけではないんですね。
かなり頭も良く、真面目な人たちだったんですが、それにも関わらず挫折してるんですね。

私は、こういう人たちを挫折させないための方法が必要だと思って、「娯楽を利用しよう」と
言ってるわけです。
---

また、町田健という言語学者が『言語学が好きになる本』(1999年 研究社)という本のな
かでエスペラントについて論じていますが( >>16-18 )、このなかに

> 結局エスペラントは、クラシック音楽とか日本舞踊とか俳句のような、一種高尚な趣味の
> 一つといった雰囲気に包まれているんでして、国際語としての実用性を発揮するのは、
> 残念ながら難しい状況にあるといえるでしょう。

と書いてあるんですね。

この文章を書いた町田健という人は、東大の大学院を出たプロの言語学者であり、ソシュ
ールの解説書なんかも書いてる人なんですが、そういうきわめて頭の良い人でさえも、エ
スペラントのことを「一種高尚な趣味の一つといった雰囲気に包まれている」と言ってるん
ですね。

こういう知的な人物から「高尚だ」と思われてしまうようでは、広まるわけがありません。

やはりエスペラントは、もっともっと大衆化しないとダメだと思いますね。

(終わり)

260松戸彩苑:2008/09/28(日) 12:47:15
たとえ遊びであっても、現時点でエスペラントをやろうと考える人というのは、とても貴重な
人材なんですね。

なんせ、日本共産党や、町田健氏のような優秀な言語学者でさえもエスペラントのために
何かしようとは思わないわけですから、これは当然なんですが、しかしこの当たり前のこと
がまったく判っていないエスペランティストが多いんですね。

こういうことが判っていないから、欧米や日本のエスペラント運動は停滞・衰退してるんだ
と思います。

261松戸彩苑:2008/10/11(土) 12:21:15
鈴木孝夫、田中克彦(著)『対論 言語学が輝いていた時代』(2008年 岩波書店)という
本がありますが、この本のなかに「言語学者はエスペラントに好意的ではない」という話が
出てきます。

  【田中】(中略)ところで、エスペラントにいちばん反対するのが言語学者なんです。とい
  うのは、一八六六年のパリ言語学会の規定に、「言語の起源に言及する論文は採用し
  ない」というタブーがありましたが、それと「新しい国際語について議論する論文は載せ
  ない」というのがセットになっているんです。一八六六年頃というのは目白押しに新しい
  ことばの提案がでてきた時代だから、その流行をシャットアウトするために、言語学会
  がそういう規程を設けた。そしてボラピュックができて、エスペラントが発表されたのが
  そのちょっとあと、八七年なんです。言語学者は本質的に新しいことばをつくることに敵
  意を示している。

  それからもう一つ ― これはぼくの分析ですよ ― ヨーロッパの言語学の伝統の中に、
  人間がことばをつくってはいけないというタブーがあるんですよ。イデオロギー的に人間
  がことばをつくるのを許さない。これは強いですよ。ことばは神がつくったものだからとい
  うんですね。

  【鈴木】無意識の抵抗ね。

  【田中】言語学の教育、教科書を通して教師の心情にもそれがあるから、エスペラントを
  ばかにする習慣がずっとあって、ぼくにもそれはあったんです。「ばかにする」という言葉、
  ちょっと適切ではないけれどもね。

  【鈴木】そう。あんまりシンパセティックでない。心情的に何か賛成できないと言うのでし
  ょうが、私には、どうしてもやはり世界共通語は理屈の上から考えてもできないし、また
  あるはずがないというさっき話した考えがある。ただ、現実に共通語が必要な面は認め
  るから、その範囲に限って使用するのは止むを得ない。

  (同書101〜102ページ)

この引用文の最後の部分で、鈴木氏が

  私には、どうしてもやはり世界共通語は理屈の上から考えてもできないし、またあるは
  ずがないというさっき話した考えがある。

と言っておられますが、この「さっき話した考え」というのは、おそらく次の箇所だと思われ
ます。

  【鈴木】私は言語は環境に対応して変化すると言いましたが、言語のすべての面がいま
  の知識のレベルでは、日本語がこうなっているのは日本人が住んでいた環境の結果だ
  とすべてを一対一にきれいに説明できるわけではないけれども、日本の風土とアラビア
  などを比べると、日本は世界でもすごく雨が多いので、家のつくりや衣服、味噌醤油にし
  ても、キノコ類にしても日本の文化というのは大体湿り気を前提としている。女の肌がす
  べすべ餅肌なんていうのも日本の湿りのせいであって、ヨーロッパ人の女の肌がサメ肌
  なのは風土なんですよね。

  それに合わせて日本語の語彙というのは、やはり日本人が住んでいる四季が変化する
  環境に適合するように選別されたというか、そうなっているわけね。アラビア語ではラク
  ダの語彙が何百とあることがよく例に使われるけれども、やはりその場所で生きていく
  ために、その民族が必要とするものに語彙が集中するという形で、結果的に言語の多
  様性がそこにできる。ただし、言語というのは一ぺんできてしまうと、環境が変わっても
  すぐ明日から変えますというふうな一対一の即時変更性がないために、移住したため
  に風土的な裏付けを失うとか、時代遅れになってしまった言語特徴、昔の文化の段階
  で適合したものがまだ残っているということがあったり、また、よその言語の影響を受け
  るとか、簡単にいかないところがある。けれども、人間の言語というのは、人間が違った
  環境に出会っても自分を壊さずあまり変化させずにいられるために、変える必要のある
  中間世界としての文化の一部であるがゆえに、どうしても変わらざるを得ない。

262松戸彩苑:2008/10/11(土) 12:22:41
>>261 の続き)

  そうなってくると、地球環境が均一ではない以上、地球規模に広がった人類の言語が
  どこでも同じ一種類になるはずがない。そして地球環境を均一にしようとすれば、人工
  のエネルギーでもって北極は温める、南洋は冷やすということです。これがまさに現代
  社会がいまグローバリゼーションの名の下にやっていることです。南方の涼しい竹の風
  通しのいい家をコンクリートにして冷房し、北国では石油を使って暖房するというふうな
  エネルギー消費の非常に多い、自然を破壊して人工環境に変える方向へと人間が収
  斂しているわけですね。でも人間が環境を人工化するのはそろそろ限界です。同じよう
  に、世界中の違った環境に適応するために異なった文化をもっている多種多様な人間
  が、一堂に会して同じ言語で会議をするというのも、もともと無理なことなんです。本当
  はするべきではない。

  じゃ国際語は要らないのかというと、世界中を旅行してまわる人が多い今みたいな現状
  では、ホテルとか空港での言語などは単一の言語にしてもかまわない。ただ、一般の日
  常生活とか人々の感情まで世界中の人が単一の言語で喋るべきだとか喋ったらいいな
  というのは、幻想に過ぎないし、あり得ない。つまり、いろいろな人間の住む環境が違う
  以上、この違いに対応するために言語が違うのは当然どころか、必然なんですから。だ
  から人間にとって大事な部分は住む場所が違えば違うのが当たり前だと言っているの
  です。

  (同書94〜96ページ)

ずいぶん難しいことを考えてるものだと感心せずにはいられませんけれども、この引用文を
読んで感じるのは

(1) とりあえず、書いてあることは正しいと思う。
    しかし、だからといってエスペラントを否定する理由にはならないとも思う。

(2) ひょっとすると鈴木氏も「エスペラントというのは民族語を全廃することを目標としてい
    る」というふうな誤解をしているのではなかろうか。(してないかもしれないが)

    「国際共通語」という名称に問題があるのかもしれない。
    民族語における「共通語」というのは、方言にとって代わるべきものだと考えられるこ
    とが多かったから、「国際共通語」は同じことを世界規模で行なうものだろう、などと
    誤解する人がたくさんいても当然なのかもしれない。

    だから我々は、エスペラントを宣伝する際には、必ず「そうではない」と何度も強調す
    べきであろう。

(3) こういうことを考えられる人というのは、たしかに頭が良いのだろうと思うが、しかし、
    その頭の良さというのは、エスペラントを実際にやってみることなしに全否定してしま
    うという、まことに困った態度を生んでいる。

    また、こういう人を理論や理念で説得するのは、きわめて困難であると思われる。

それから鈴木氏は「平等と言うけれども、ヨーロッパ語中心じゃないか」という、よくある疑問
についても言及しておられます。

  【鈴木】ヨーロッパでは、歴史的にフランス語の大変に優位な時代が一九世紀まであって、
  それから英語に移っているのだけれども、英語、またはフランス語だけが威張るのはけし
  からん、というわけで、エスペエラントというヨーロッパ語全体のごったまぜみたいなもの、
  ヨーロッパ語の簡略版みたいなものを普遍言語にしようという考えが出てきたのは無理
  もない。けれども、私が田中さんにエスペラントのことを伺いたいいちばんの理由は、ヨー
  ロッパ以外の全世界の民族言語がエスペラントから閉め出されているのは、「すべての
  人に等距離」という平等理念から言えば、おかしいじゃないか、あまりにヨーロッパ中心
  じゃないか。なぜ日本の学者で、モンゴル語もでき、日本語もできる田中さんが、不満と
  か文句を言われないのかなというのが私の疑問なんです。

  【田中】必ずそれは出てくる疑問なんです。国際語だなんていったってヨーロッパの言語
  じゃないか、ヨーロッパの言語の変形だと言うんですけれども、そうはいってもアジアの
  共通語が現実問題としていまつくれないでしょう。ぼくはエスペランティストじゃないけれ
  ど、エスペラント語とその運動、支持者のことをなるべく理解してあげようと思っている。

  (同書99ページ)

これについても反論しようと思えば反論できるわけですが、しかし説得するのは、なかなか
大変だということが判りますね。

263松戸彩苑:2008/10/11(土) 12:25:21
>>262 の続き)

ところで最初の引用文中で、田中氏が「言語学者がエスペラントを支持しない理由」につい
て述べておられましたけれども、この本のなかには以下のような記述もあるんですね。

  【田中】そうそう、インテルリングア。ぼくは鈴木さんのイングリックと非常に近いと思って
  いるんだけれども、ただ、イングリックは自然発生的にできる。エスペラントは計画的に
  つくる。だから言語学者がどうしても反感を持ってしまう。ぼくも、歴史的に発展しない言
  語は言語じゃないという考え方を数年前まで持っていたんですよ。(中略)

  一九世紀がつくった言語学のタブーに口を封じられている状態ではよくない。言語学と
  いうのは、いろいろなタブーを置くでしょう。ソシュールのように歴史を考慮してはいけな
  いとか、ブルームフィールドのように意味を考えてはいけないとかいったタブーを置くこと
  によって言語学が成り立っているようなところがある。そのタブーを基準にしてほかの言
  語を判断してはいけないと、ぼくはいま少し悔い改めているんですよ。

  (同書108〜109ページ)

また私の考えでは「言語学者がエスペラントを支持しない理由」として、このほかに、次のよ
うなものがあると思うんですね。

(1) 言語学者というのは「言語を学問的に扱う」という事をきっちりと身につけた人たちで
    ある。
    で、この「言語を学問的に扱う」という事のなかには「実際に使われている、ありのま
    まの言語のありようを、そのまま正確に記述する」といったことが含まれている。
    これは逆に言えば「現実の言葉のありようを無視して、勝手に作ってはいけない」と
    いう事である。

    つまり、言語学というのは、本質的に「作る」という発想が欠けてると思うんですね。
    「整理する」というのはあるんですが、「何にも無いところから作る」ということは絶対
    にやらない学問なんですね。

    こういうことを骨の髄まで身につけた人たちから見ると、シロウトが勝手に作っている
    ようにしか見えないエスペラントみたいなものは、どうしても「安易」「いい加減」に見
    えてしまうのではないでしょうか。

    判りやすく言うと「子供の暗号遊び」みたいなものではないかと思ってしまうということ
    です。

(2) 「エスペラントを日常的に話す社会」というものが存在したことが無い。

    考えてみれば、現代ヘブライ語にしても、トク・ピシンにしても、この言葉を日常的に話
    す社会があったから、数百万人もの母語話者を獲得することが出来たのだが、エスペ
    ラントの場合は、現在にいたるまで、そういうものが存在しない。

    だからエスペラントというのは、現代社会においてラテン語やサンスクリット語などを
    流暢に話せる人たちのようなもの(つまり個人的な趣味)にしか見えないのだろう。

    また、エスペラントには、モノリンガルのネイティブ・スピーカーが存在しない(現在にお
    いても過去においても)ので、他の言語の影響を受けてばかりいて「独立した言語」で
    はないように見える。

(3) 単純に「エスペラントは広まっていない」「成功しているようには見えない」から、関わ
    りをもつ気になれない。
    成功すれば、当然、関わっても良い。

    これまでにも言語学者がエスペラントに言及したことがあったんですが、調べてみると、
    好意的な意見の多くは、エスペラントが盛んだった1920〜30年代か1950〜60年
    代のものなんですね。

    こういう事実を知って、私は「言語学者というのも、ずいぶん現金なものだ」と思いまし
    た。

こういった事があって、言語学者はエスペラントに関わろうとしないのだろうと思いました。

結局、残念なことなんですが、「現在の正統的な言語学を身につけてしまうと、エスペラント
みたいなものを素直に受け入れることが不可能になる」ということがあるみたいですね。

264松戸彩苑:2008/10/11(土) 12:27:11
>>263 の続き)

周知のように、田中氏はエスペラントに好意的な人物ですが、田中氏も、かつてはエスペ
ラントに批判的だったわけです。

『エスペラント発表百周年記念 社会言語学シンポジウム 講演録 言語的多様性の中の
国際語を考える』(1987年)という本があります。
これは、1986年8月5〜7日に行なわれた同名のシンポジウムの講演録なんですが、その
なかに田中氏による次のような発言がありました。

  【田中】今から十年くらい前になりますか、トンキンさんと、「危険な言語」を書いたリンス
  さんと三人で、日本エスペラント学会で対談をしたことがあります。当時、私はエスペラン
  ト運動に対し非常に批判的でしたが、今は少し違っています。私はもう五十を越えた人
  間でありますけれども、年をとってから言葉に対する考え方がどんどん変ってきておりま
  す。それはマルの理論に対してもそうでありますし、印欧語の比較言語学についてもそ
  うであります。十数年前はクレオールとかピジンとか、こういう言語は本当に劣った言語
  だと思っていたのでありますが、それ以後いろいろ生活上の経験も、理論上の経験もし
  たわけです。本を読むことにもよりましたし、何よりも人間経験をたくさんしました。そのこ
  とによって今では、私は、さまざまな国際語が考えられるけれども、エスペラントについて
  言えば語彙は大部分、西洋の起源をもってはおりますけれども、今の段階ではエスペラ
  ントは非常に現実的な、先ほどの講演の中で申しましたように、エスペラントの理論的な
  面よりも経験的に綜合された言語であるという面を、私は強調したいと思っております。
  そこで、どうしても国際的に使える言語として、そして中立性という理想をかなえる言語
  として、かなり批判的な気持があっても、私はエスペラントの運動に水をかけるようなこ
  とはしたくないと思っております。

  (同書21ページ)

「では、どういった理由からエスペラントに好意的になったのか」ということが問題になるわ
けですが、それについては田中克彦(著)『エスペラント ― 異端の言語』(2007年 岩波
書店)に書いてありました。

  私たちは何か外国語を学んでみようと思いたつとき、どんなふうにかはっきりとは言え
  ないが、その外国語が帯びているイメージにひかれている。ではそのイメージは、いっ
  たい何によってつくられるのだろうか。ことばそのものというよりは、そのことばが話され
  ている国、そのことばで登場するファッションだの映画だのによるところが大きい。

  最近も、その映画に登場する俳優さんに夢心地でになってしまったおばさまたち、それ
  も、そのときまでこれといった外国語を本気でやったことのないような人たちまでが、俳
  優さんの話すことばの熱心な学習者になってしまったというできごとがあった。

  そのことを思いあわせてみると、エスペラントには国もなければファッションもない。まし
  てや、エスペラント女優さんもいない。そうすると私たちは、エスペラントのイメージを何
  によってつくるのだろうか。

  おそらくエスペラントを学んだり話したりする人からではなかろうか。たぶんあの人がエ
  スペラントをやっているらしいと聞けば、その人が代表してエスペラントのイメージをつく
  る。そうなると、エスペラントを学ぶ人は、どこか魅力のある人であってほしいし、また、
  学ぶことによってそうなってほしい。

  その点では、本書にたびたび登場していただいた、ブランケさん、クズネツォーフさん、リ
  ンスさんたちは、その著書と同様、御本人もまことに魅力あふれる人たちである。私が
  本気でエスペラントに心ひかれるようになったのは、これらの本の著者、そしてその作
  品のなかに登場する人たちによってである。

  (同書211〜212ページ)

いちばん最後の段落に、ちゃんと書いてありますね。

265松戸彩苑:2008/10/11(土) 12:28:24
>>264 の続き)

また『シンポジウム「いま、国際交流の言語とは?」講演録』(1988年)という、1987年8
月30日に行なわれたシンポジウムの講演録があるんですけれども、このなかに田中氏の

  問題は、言葉は、やさしいから広まるのではない、ということであります。私は前にいつ
  か、エスペラントを広めるにはどうしたらいいかということを講演の場でたずねられたの
  でありますが、これからほかの講演者もでられまして討論をしますけれども、これは最
  後に言うべきことであるかもしれません。しかし、もう1回、いいことは繰り返して言いた
  いと思いますが、エスペラントは、やっている人が魅力的であれば、ほかの人も学ぶと
  いうことです。私は田舎で生まれた人間ですが、子供のときに、親戚のすてきな女医さ
  んが一所懸命ドイツ語やフランス語をやっていたから、私もあのお姉さんがやっている
  ような言葉を勉強してすてきになりたいと思った記憶があります。それと同様に、エスペ
  ラントをやる人はやっぱり魅力的であってほしいのです。

  (同書17〜18ページ)

という発言が載っているんですね。

さらに『対論 言語学が輝いていた時代』のなかにも

  【田中】(中略)いま、函館に、ロシア極東大学の分校ができているんです。そこの教授
  でロシア語の先生なんだけれどもエスペラント語がすごいうまい人がいて、彼と付き合っ
  ているうちに、エスペラントのことをもっと理解してあげようという気持ちになったんです。

  (同書109ページ)

などと書いてあるんですね。

これらの発言・文章を総合しますと

(1) 田中氏は、以前はエスペラントに批判的であった。
    しかし、エスペランティストと付き合うようになって、考えが変わった。

(2) ここで重要なのは、「理論的な知識」によって考えが変わったというよりは、むしろ「エ
    スペラントを使う人との付き合い」によるところが大きかったということである。

(3) そういう個人的な体験があったからこそ「エスペラントをやっている人には魅力的であ
    ってほしい」と何度も言っている。

(4) 以上のことを簡単に言えば、「理論」などよりも、「エスペラントをやっている人の魅力」
    という「理論とは関係のない部分」のほうがよっぽど重要だということである。

(5) 田中氏のような、1970年代から社会言語学の本を書いてきた学者でさえもそうなの
    ですから、世間の人たちなんかは、余計そうなんですね。

ということで、鈴木氏や田中氏などを見ても、やはり「理論や理念でエスペラントを理解させ
るのはムリ」だということが言えると思いますね。

それから「むしろ、エスペラントを遊びとしてやろうと考える人のほうが、よっぽど頼りになりそ
うだ」という私の持論も、こういった考察から導き出されるわけです。

学者より遊ぶ人のほうが頼りになるというのは矛盾しているように見えますが、しかしエスペ
ラントというのは現代の常識をはるかに超えてるものですので、現代の常識にしばられてい
る人間よりも、そうでない人のほうが良いという事なんですね。

(終わり)

266ベダウリンデ:2008/10/14(火) 06:30:19
エスペラントで何が一番嫌いかって、いうと、「運動」っぽいところ。
エスペランチストは普及活動をしなければならない、という暗黙の了解がありそうなところ。
普及活動と言っても、宣伝活動だけでなく
「宣伝よりエスペラントを使うのが先決だ」みたいな感じで、
他人の行動にとやかく口出ししがちな傾向があること。
「趣味」なんだから、みんな勝手に好きにやればいいじゃん、って思う。
他人の行動に口出ししやすい点が「運動」っぽい。
私は意見・感想は書くけど、あれするな、これするな、とかは、書いたつもりはない。

267ベダウリンデ:2008/10/15(水) 06:27:02
「あいさつ・雑談」スレから、Rakuさんに追い出されてしまったので、
続きをこちらに書きます。
「あいさつ」スレで、「自然」に会話が発展してしまった中で、
松戸さんが
>世間には英語一辺倒の風潮がある
    が、これを打破するのにエスペラントが有効であると考えられるから
とおっしゃいました。
これって、エスペラントでは右派左派中道問わず、ほぼ全員の意見だと思います。
でも、私はこれすら気に入らないんです。
英語の支配する現世界=悪
それを打破するエスペラント=善・正義
ゆえにエスペランチストは正義
エスペラントを理解しようとしないもの(もしくはこの社会)は悪、少なくとも、愚か者
こういう発想が嫌なんです。
中には、「共通の言語でなければ真の理解はできない」とか言う人もいます。
「あーこの人、心がきれいだな、エスペラントに惚れこんでいるんだな」というのは分かるけど、
そんな「いい人」でさえ、時に「自分は正義である」という傲慢さを見せるので嫌いです。
まとめると「エスペラントって正義の運動だから嫌い」

268松戸彩苑:2008/10/16(木) 02:52:07
ベダウリンデさんの言わんとしていることが、ようやく判ってきたような気がするんですが、
次のような事でしょうか。

(1) 松戸彩苑は「エスペラントを取り巻く状況は厳しい」と書いているが、これは事実だと
    思う。

    「世間の人たちは、エスペラントの話者の数が増えないかぎり、エスペラントに興味を
    持たない」「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱している」「日本や欧米のエス
    ペラント界は高齢化している」というのは、おそらくその通りだと思う。

(2) 松戸彩苑は、こういった問題を解決するための方法を提案している。
    しかしそれは、エスペランティストに多大な労働や忍従を強いるもののようにしか見え
    ない。

    もちろん、エスペラントの現状は厳しいのだから、エスペラントを広めようとするのなら
    ば、そのくらいの事をしなければならないのかもしれない。
    しかし、ベダウリンデさんは「エスペラントはやりたい」けれども「こういう事のために動
    員されたくはない」と思う。
    また、エスペラントをやってる他の人たちも、そうなのではないか。

(3) 松戸彩苑のやってることは、それなりに理由があるとは言え、結局「他のエスペランテ
    ィストのやってることを批判する」とか「自分の意見を押しつける」という事になってしま
    っているのではないか。

    しかし考えてみると「他人の批判」「自分の意見の押しつけ」というのは、松戸彩苑に
    限った話ではない。
    他のエスペランティストも、世間に対して「英語の批判」や「エスペラントや思想の押し
    つけ」をやっているのではないか。

(4) エスペラント界において「批判」や「押しつけ」が横行するのは「エスペラントを無理に
    普及させようとしている」からだと思う。
    結局、これが元凶だったのである。

    だから、普及させようなどとは考えず、エスペラントの現状をそっくりそのまま受け入れ
    て、ただただ実用するだけにすれば、「他人の批判」や「押しつけ」が無くなって良いと
    思う。

これでだいたい合ってるでしょうか?

269松戸彩苑:2008/10/18(土) 07:56:43
>>268 で「ベダウリンデさんの言わんとしていること」を予想して書いたんですが、もう1つ
の可能性もあるんですよね。

つまり(1)は同じですが、(2)以降は

(2) つまり「どんなに頑張っても、エスペラントは広まらない」ということだと思う。

    松戸彩苑は、エスペラントを広めるための方法を提案しているが、エスペランティスト
    に多大な労働や忍従を強いるもののようにしか見えないし、これだけ頑張ったとして
    もエスペラントが広まるとはとても思えない。

(3) だから、むりに普及させようなどとは考えず、エスペラントの現状をそっくりそのまま受
    け入れて、趣味として実用していけば良いのではないか。

というものです。
---

もちろんこれだって合ってるという保証は無いんですが、でもいちおうこのくらいにして、まず
最初に >>266 にある

> エスペランチストは普及活動をしなければならない、という暗黙の了解がありそうなところ。

という点について考えていきましょうか。

1905年に第1回世界エスペラント大会がフランスのブローニュ・スュル・メールという田舎町
で開催されたんですが、このときに「エスペラント運動の本質に関する宣言」、通称「ブローニ
ュ宣言」というのが採択されました。

この5か条から成る宣言の邦訳は、水野義明(編訳)『国際共通語の思想』(1997年 新泉
社)などで読むことが出来るんですが、これの第1条は次のようになっています。

  一、エスペラント運動とは、中立的人間言語を全世界に普及させる運動である。この言語
  は、諸民族の内的生活に干渉せず、現存の民族言語の排除を目的とすることも決してな
  く、民族を異にする人びとに相互理解を可能にし、さまざまの民族が言語をめぐって紛争
  が絶えない国ぐにで公共機関のための仲介言語となることができ、すべての民族にひと
  しく興味ある作品を発表できる言語である。これとはべつの思想や希望をエスペラント運
  動に付け足すエスペランチストがいても、それはまったく個人的な問題であって、エスペラ
  ント運動は責任を負わない。

  (同書192ページ)

これを読めば判るように「エスペラント運動とは、中立的人間言語を全世界に普及させる運
動」なんですね。

とは言っても、私の解釈では「エスペラントを使いはするが、しかし普及活動は一切しない」
という人がいても、べつに構わないとは思うんですね。
つまり、そういう個人がいるのは構わないけれども、しかしエスペラント界全体に「普及活動
をやめる」よう提案するってわけには行かないだろうと思います。

270松戸彩苑:2008/10/18(土) 08:08:36
いま思いついたんですが、ひょっとするとベダウリンデさんは >>268 の(1)でさえ関心が
無いのかもしれませんね。

つまり、世間においては伝書鳩・切手収集といった趣味があって、一部の人たちからは「マ
イナーな趣味だな」などと思われたりしています。

しかしおそらく、やってる当人たちは「楽しいんだから、マイナーだろうとどうでも良いじゃん」
と考えてるんだろうと思うんですね。

ベダウリンデさんは、これと同じようなことをお考えになってるのかもしれませんね。

(いちおう言っときますと、私は伝書鳩・切手収集を軽蔑してはおりません)

271松戸彩苑:2008/10/18(土) 09:28:07
ベダウリンデさんは

  なんでエスペラントは、他の言葉とは違って、判りにくい思想だとか理論だとかがくっ付
  いてくるんだろう?

とお考えなのだろうと思いますが、エスペラントの場合「社会運動」として始まって、これまで
続いてきたという歴史があるんですね。

もちろん、>>269 の「ブローニュ宣言」の第1条を見れば判るように、エスペラントの普及活
動以外の思想や希望は「個人的」なものであって、エスペラント界全体には関係が無いっ
てことになってますが、しかし現実には、エスペラント運動全体の性格というものに決定的
な影響を及ぼしてきました。

ですから「理屈ぬきで、ただ単にエスペラントを使うだけでも良いじゃないか」ということを言
うのにも理屈がいる、みたいな困った雰囲気が、まだ多少は残ってるように思いますね。

272松戸彩苑:2008/10/18(土) 10:46:29
それからベダウリンデさんは
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1158175917/558
において

> 英語は所詮民族語だから、「不得意です、できません」で逃げられるし(就職等で不利に
> はなると思いますが)

と書いておられますが、今後30年もすると状況は大きく変わるだろうと思いますよ。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1163065578/190-191
に西江雅之という方の書いた「英語はできて当たり前」という文章を引用しておきました。

この人は有名なポリグロットであり、けっして英語一辺倒の人ではないんですが、しかしそ
ういう人であっても、現状を冷静に観察して、このような発言をしてるんですね。

押しつけがましい人というのはエスペラント界の外にもたくさんいますから、英語ができない
人間に対する圧力というのは、どんどん強くなっていくと思いますね。

もちろん、高性能の翻訳機械が普及すれば話は別でしょうが、しかし、そういうものが近い
将来において実用化されるという保証はありませんので、やはり「英語ができないんじゃダ
メ」というふうになる可能性がきわめて高いということになるでしょう。

273松戸彩苑:2008/10/18(土) 11:49:40
ザメンホフは「中立的な言語と、中立的な宗教的基盤があれば、戦争や民族間対立を無く
すことが出来るのではないか」と考えたわけなんですが、これをそのまま受け入れる人は、
エスペラント界にもほとんど居ないと思います。

しかし、ザメンホフの提案した「解決策」はダメだとしても、戦争や民族間対立を無くす(ある
いは減らす)という「ザメンホフの立てた問い」についてはきわめて重要だと考える人がエス
ペラント界にはたくさんいまして、そういう人たちがこれまで頑張ってきたというわけなんで
すね。

で、私の場合は、戦争や民族間対立を無くす(あるいは減らす)ということはもちろん重要だ
と思うんですが、これについては「人間の本性」について考察することが必要不可欠だと考
えてまして、これまでそういったことを考えてきました。

これは言い換えれば「エスペラントのような国際共通語と、これまでに唱えられてきたような
思想だけでは、戦争や民族間対立を無くす(あるいは減らす)ことは不可能である」と考えて
るってことなんですね。

「それでは松戸彩苑は、エスペラントにどんな役割を期待しているのか」という疑問がわいて
くるだろうと思いますが、私が期待しているのは

  世界は、英語を頂点とした多言語主義にむかって進んでいるが、このようなヒエラルキー
  に多少なりとも風穴を開ける。

ということなんですね。

たとえば津田幸男という先生が1991年に出版した『英語支配の構造』なんかを読んでいた
だけると判るんですが、世界中で流されている国際ニュースというのは、英語のものが中心
になってるんですね。
ですから、アメリカ・イギリスなどの英語国にとって都合のいい解釈がなされた報道が世界
中に流されてしまうという状況があって、報道がひどく偏ったものになっているという問題が
あるというわけです。

こういう問題を多少なりとも正すということに、エスペラントが役に立てば良いなと思っている
わけです。

日本の場合、ネットが普及する以前ですと、テレビや新聞が流す報道に対して批判ができる
のは週刊誌くらいのものだったわけですが、ネットが普及してからは、ネット上の掲示板やブ
ログなどで個人が自由に批判できるようになったわけです。

これと同じように、大マスコミの世界は英語中心のままであっても、世界各地にいる個人が
ネットをつうじてエスペラントであれこれと情報交換ができるようになれば、英語中心のマス
コミ情報に多少は批判ができるようになると思うんですね。

(断わるまでもなく、こういうことに関心のない人にムリやり押しつけるようなことは絶対にし
ません)

もちろんこういったことは、すでにネット上で始まってはいるんですが、しかし「日常生活に必
要な語彙・表現の整備」であるとか「学習途中で挫折したり eterna komencanto になったり
してしまう人を減らす」といったことも必要だと思うんですね。

274ベダウリンデ:2008/10/19(日) 09:07:42
>1) 松戸彩苑は「エスペラントを取り巻く状況は厳しい」と書いているが、これは事実だと
>    思う。
普及が前提条件ならば、おそらくその通りだと思います。

>(2) 松戸彩苑は、こういった問題を解決するための方法を提案している。
>    しかしそれは、エスペランティストに多大な労働や忍従を強いるもののようにしか見え
>    ない。
松戸さんは、「語彙の不備を発見する」ことを楽しんでいると思います。
それは、忍従といった苦痛とは異なると思っています。
「語彙の不備を発見することを趣味とする」人が、他にも、もっといていいと思うのですが、
どうやら、いないようですね。

>(3) 松戸彩苑のやってることは、それなりに理由があるとは言え、結局「他のエスペランテ
>    ィストのやってることを批判する」とか「自分の意見を押しつける」という事になってしま
>    っているのではないか。

松戸さんが「押し付け」ようと思ってるなら押し付けです。
でも、他の人が「そんなことやっても、エスペラントの普及には貢献しない」と、
松戸さんの行動を否定するようならば、それも押し付けです。
お互いに「押し付け」合ってるように、私には見えます。

>だから、普及させようなどとは考えず、エスペラントの現状をそっくりそのまま受け入れ
>    て、ただただ実用するだけにすれば、「他人の批判」や「押しつけ」が無くなって良いと
> 思う。

そう思ってます。「押し付け」がまかり通ってるから、不快なんです。

>(3) だから、むりに普及させようなどとは考えず、エスペラントの現状をそっくりそのまま受
>    け入れて、趣味として実用していけば良いのではないか。

「押し付け」の発生する原因は、無理に普及させようとしてるから、だと思っています。
普及という多義名分のためには、全員一致団結して、最も効率的な行動を行うべきだ、となるからです。

また、それとは別に、普及が目的だと、
「普及する人偉い人、させない人ダメな人」という図式も出来上がります。
押し付けや忍従以上に、私にとっては、こういう「ランク付け」が嫌いです。

でも、エスペラントが、もともと「運動」であった、という事実からすると、
「普及」は逃れられない宿命かもしれませんね。
少なくとも私は、「運動」で「言語」はやりたくないです。

275丹花:2008/10/19(日) 17:34:59
私も賛成です。説権箱の上に、人が乗るくらい実用は大変だと、先生はたとえて言われました。でも使えばいいのだと思います。

276丹花:2008/10/19(日) 17:39:35
石けん箱、固形シャンプーの上でなければ、いみがつうじない。

277丹花:2008/10/19(日) 17:41:35
石けん箱、固形シャンプーの上でなければ、いみがつうじない。

278ベダウリンデ:2008/10/20(月) 08:56:12
>世界は、英語を頂点とした多言語主義にむかって進んでいるが、このようなヒエラルキー
>  に多少なりとも風穴を開ける。

たとえ「英語が頂点」でも、最近は「多言語主義」が見直されているので、
私はそれでいいと思っています。

日本人は日本語で何不自由なく生活できて幸せです。
願わくば、世界の全ての人々が、それぞれが自分の母語で、
何の不自由なく生活できるように、社会全体が発展してほしいと思っています。

日本にも言語面で不自由してる人はいる、という意見があると思いますが、
行政などが指導して、できるだけ多言語対応するようにすれば、それでいいと思います。

多言語対応は、必要に応じて自然発生もしてますね。
(大きな?)駅の構内案内には中韓語併記が当たり前だし、
レジの前には「両替できません」の表示が、ロシア語やアラビア語でさえ書かれています。
どうしても伝えなければならない事は、民族語で対応しないと、実際問題として困ると思う。

エスペラントは相手もエスペラントができないと、全く何ら、意味を持たない。
世界中の人がエスペラントを使いこなす、というのは無理でしょう。
(丹花さんの先生も、実用は大変だ、とおっしゃっています)
同様に、世界中の人が英語を使うようになる、というのも、ありえないと思います。
多言語対応こそ、これからの世界、もっともっと必要になると思います。

エスペラントはお遊び言語として楽しく発展していくべきだったけど、
生みの親ザメンホフが余計な事言ったばっかりに(思想が重要だ、と)
ただの「運動」として、日陰で細々生きながらえる運命になってしまいました。

279ベダウリンデ:2008/10/21(火) 09:14:38
全ての運動=日陰の存在、とは限りませんね。
社会に役立ちそうな、或いは、現に役立っている「運動」はいくらでもあるでしょう。
エスペラントは「運動」を標榜する割には、社会への貢献度は低いですね。
実態は限りなく「遊び」なのに、「運動」を名乗る。

エスペラントは何のための「運動」なのか、非常に理解しがたいです。
英語は悪だからエスペラントで打破しよう、と言われても、
英語という言語そのものが悪である、とは思えない。
英語圏国家の政治が悪い、という政治見解だったら理解できるし、
多言語主義「運動」も、言語運動として非常に良い方向性だと思う。
それに比べエスペラント運動は、全くもって「意味」が分かりません。

また、一部のエスペランチストですが、言語運動ですらない、政治運動としてエスペラントをする人もいます。
9条を広めるためにエスペラントを使用する、などです。
でも、本気で9条を広めたいなら、ターゲットとする国の民族語でアピールしなきゃダメでしょう。
「どうしても伝えなければならない事は民族語で」ですよ。
政治運動としても、エスペラントは非常に中途半端です。

まあ、エスペラントで政治運動をしたい、という人は、
単に、エスペラントというお遊びにハクをつけたいだけなんだろうな、と思ってます。
き真面目な人は、お遊びにも大義名分が無いと、安心して遊べない、ってこともありますからね。
むしろ大義名分をつけてでも「遊ぶ」って大切ですから、それはそれでいいのかな?

280ベダウリンデ:2008/10/22(水) 09:35:53
よく考えたら、「多言語主義」も「理念」なんですよね。
今まで私は「理念は嫌い」とか言ってたけど、「多言語主義の理念」には大賛成です。
細かい中身や問題点までは分からないけど、名前を聞いただけで「賛成!」と思える。

逆に「エスペラントの理念」については、そこここの掲示板を含め、私は多数読んできました。
しかし、全く「納得」することはできませんでした。
屁理屈・ゴタクのオンパレードで、自分の思い込みを他者に押し付け、エスペラントの意義を理解しない者に対しては「理性が無い」とか、馬鹿扱いで終り。
「エスペラントの理念」を読んでも、常に不快感しか残らなかったので、
「ああ、私って理念が嫌いなんだ」と思ってしまった。
でも、違った。「理念」が嫌いなのではなくて、「エスペラントの理念」なるものが嫌いだったのです。

ただ、遊びとしては、そこそこ面白いんだろうな、と想像はつきます。
エスペラントは「理念」を売りにするのではなく、
「遊び」としてアピールすれば、一般受けも向上すると思いますよ。
「遊び」だから、興味のない人はやらなくて結構。
でも、やらないからといって「理性が無い」だのは言われない。
そんなエスペラントになったらいいね。

281ベダウリンデ:2008/10/23(木) 08:33:46
多言語主義は現在のEUの方針でもあるようで、私は「良い傾向だ」と思っています。
しかし、エスペラントの普及を目指す人から見ると、これは逆に「脅威」のようです。
このままでは、ますますエスペラントの出番が無くなってしまう!ということなのでしょう。
それに対抗するため言われる事が、「翻訳にかかる膨大なコストをエスペラントの採用で削減したらどうか」という案です。

私は、お金は必要な所にはかけるべきだ、と思います。
多言語主義は、民族の言語の保護、という世界的福祉の目的にかなっています。
そんな大切な事なのだから、お金は惜しまず使っていいと思います。
ケチらせて浮いたお金で何したいんですか?軍事費の拡張ですか?(これは単なるイヤミですが)

それにエスペランチストはもともと金儲けには執着しない性格の人々だと思います。
金儲け第一主義なら、今頃エスペラントなんかで遊んでいないでしょうから。
それなのに、エスペラント普及の話になると、突如「金」の話をする。
その当たり、エスペラトを普及させるためだったら、理屈は何でもありなんだなー、という気がしますね。

282ベダウリンデ:2008/10/24(金) 08:27:55
今、「エスペラント文専用スレ」で繰り広げられてる丹花さんとRakuさんの会話がいいですね。
意外と、他の掲示板含めて、こんな雰囲気は初めて、画期的な事ではないですか?
良いと思える理由。まず第一に、一行文で私でも読める内容の文章なので、親しみが持てます。
他の掲示板などでは、エスペラント文のみ(書いたの日本人)の長文も目にしたことがありますが、
あんまりスゴすぎてもね、ついていけないんですよ。(無理してでも読みたいほどでもないし〜)
(こう言っては失礼ですが)英語習いたての中学生が嬉しくて書いてる感じ。
「エスペラントの楽しさ」がそのまま伝わってくる感じ。
これは「なんでも掲示板」の快挙では?


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