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なぜエスペラントは普及しないのか?
264
:
松戸彩苑
:2008/10/11(土) 12:27:11
(
>>263
の続き)
周知のように、田中氏はエスペラントに好意的な人物ですが、田中氏も、かつてはエスペ
ラントに批判的だったわけです。
『エスペラント発表百周年記念 社会言語学シンポジウム 講演録 言語的多様性の中の
国際語を考える』(1987年)という本があります。
これは、1986年8月5〜7日に行なわれた同名のシンポジウムの講演録なんですが、その
なかに田中氏による次のような発言がありました。
【田中】今から十年くらい前になりますか、トンキンさんと、「危険な言語」を書いたリンス
さんと三人で、日本エスペラント学会で対談をしたことがあります。当時、私はエスペラン
ト運動に対し非常に批判的でしたが、今は少し違っています。私はもう五十を越えた人
間でありますけれども、年をとってから言葉に対する考え方がどんどん変ってきておりま
す。それはマルの理論に対してもそうでありますし、印欧語の比較言語学についてもそ
うであります。十数年前はクレオールとかピジンとか、こういう言語は本当に劣った言語
だと思っていたのでありますが、それ以後いろいろ生活上の経験も、理論上の経験もし
たわけです。本を読むことにもよりましたし、何よりも人間経験をたくさんしました。そのこ
とによって今では、私は、さまざまな国際語が考えられるけれども、エスペラントについて
言えば語彙は大部分、西洋の起源をもってはおりますけれども、今の段階ではエスペラ
ントは非常に現実的な、先ほどの講演の中で申しましたように、エスペラントの理論的な
面よりも経験的に綜合された言語であるという面を、私は強調したいと思っております。
そこで、どうしても国際的に使える言語として、そして中立性という理想をかなえる言語
として、かなり批判的な気持があっても、私はエスペラントの運動に水をかけるようなこ
とはしたくないと思っております。
(同書21ページ)
「では、どういった理由からエスペラントに好意的になったのか」ということが問題になるわ
けですが、それについては田中克彦(著)『エスペラント ― 異端の言語』(2007年 岩波
書店)に書いてありました。
私たちは何か外国語を学んでみようと思いたつとき、どんなふうにかはっきりとは言え
ないが、その外国語が帯びているイメージにひかれている。ではそのイメージは、いっ
たい何によってつくられるのだろうか。ことばそのものというよりは、そのことばが話され
ている国、そのことばで登場するファッションだの映画だのによるところが大きい。
最近も、その映画に登場する俳優さんに夢心地でになってしまったおばさまたち、それ
も、そのときまでこれといった外国語を本気でやったことのないような人たちまでが、俳
優さんの話すことばの熱心な学習者になってしまったというできごとがあった。
そのことを思いあわせてみると、エスペラントには国もなければファッションもない。まし
てや、エスペラント女優さんもいない。そうすると私たちは、エスペラントのイメージを何
によってつくるのだろうか。
おそらくエスペラントを学んだり話したりする人からではなかろうか。たぶんあの人がエ
スペラントをやっているらしいと聞けば、その人が代表してエスペラントのイメージをつく
る。そうなると、エスペラントを学ぶ人は、どこか魅力のある人であってほしいし、また、
学ぶことによってそうなってほしい。
その点では、本書にたびたび登場していただいた、ブランケさん、クズネツォーフさん、リ
ンスさんたちは、その著書と同様、御本人もまことに魅力あふれる人たちである。私が
本気でエスペラントに心ひかれるようになったのは、これらの本の著者、そしてその作
品のなかに登場する人たちによってである。
(同書211〜212ページ)
いちばん最後の段落に、ちゃんと書いてありますね。
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