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なぜエスペラントは普及しないのか?

273松戸彩苑:2008/10/18(土) 11:49:40
ザメンホフは「中立的な言語と、中立的な宗教的基盤があれば、戦争や民族間対立を無く
すことが出来るのではないか」と考えたわけなんですが、これをそのまま受け入れる人は、
エスペラント界にもほとんど居ないと思います。

しかし、ザメンホフの提案した「解決策」はダメだとしても、戦争や民族間対立を無くす(ある
いは減らす)という「ザメンホフの立てた問い」についてはきわめて重要だと考える人がエス
ペラント界にはたくさんいまして、そういう人たちがこれまで頑張ってきたというわけなんで
すね。

で、私の場合は、戦争や民族間対立を無くす(あるいは減らす)ということはもちろん重要だ
と思うんですが、これについては「人間の本性」について考察することが必要不可欠だと考
えてまして、これまでそういったことを考えてきました。

これは言い換えれば「エスペラントのような国際共通語と、これまでに唱えられてきたような
思想だけでは、戦争や民族間対立を無くす(あるいは減らす)ことは不可能である」と考えて
るってことなんですね。

「それでは松戸彩苑は、エスペラントにどんな役割を期待しているのか」という疑問がわいて
くるだろうと思いますが、私が期待しているのは

  世界は、英語を頂点とした多言語主義にむかって進んでいるが、このようなヒエラルキー
  に多少なりとも風穴を開ける。

ということなんですね。

たとえば津田幸男という先生が1991年に出版した『英語支配の構造』なんかを読んでいた
だけると判るんですが、世界中で流されている国際ニュースというのは、英語のものが中心
になってるんですね。
ですから、アメリカ・イギリスなどの英語国にとって都合のいい解釈がなされた報道が世界
中に流されてしまうという状況があって、報道がひどく偏ったものになっているという問題が
あるというわけです。

こういう問題を多少なりとも正すということに、エスペラントが役に立てば良いなと思っている
わけです。

日本の場合、ネットが普及する以前ですと、テレビや新聞が流す報道に対して批判ができる
のは週刊誌くらいのものだったわけですが、ネットが普及してからは、ネット上の掲示板やブ
ログなどで個人が自由に批判できるようになったわけです。

これと同じように、大マスコミの世界は英語中心のままであっても、世界各地にいる個人が
ネットをつうじてエスペラントであれこれと情報交換ができるようになれば、英語中心のマス
コミ情報に多少は批判ができるようになると思うんですね。

(断わるまでもなく、こういうことに関心のない人にムリやり押しつけるようなことは絶対にし
ません)

もちろんこういったことは、すでにネット上で始まってはいるんですが、しかし「日常生活に必
要な語彙・表現の整備」であるとか「学習途中で挫折したり eterna komencanto になったり
してしまう人を減らす」といったことも必要だと思うんですね。


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