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なぜエスペラントは普及しないのか?

1papageno:2008/01/04(金) 23:25:54
すでにいろんなスレッドで語られて来たことではありますが、単独のスレッドが無かったので立てさせていただきます。

いろんな視点からのいろんな意見を出して行きましょう。

16松戸彩苑:2008/01/18(金) 04:22:39
たしか半年くらい前だったと思いますが、私はこの掲示板のどこかに「町田健という言語学
者がエスペラントについて論じている」と書いたんですが、最近、部屋の掃除をしているとき
にこの文章をコピーしたものが見つかりましたので、ここに引用することにします。

出典は、町田健(著)『言語学が好きになる本』(1999年 研究社)の172〜177ページで
す。

なお、この文章には脚注がついているんですが、これを忠実に再現することは困難ですの
で、本文のあとに注を付すという形にしておきました。

エスペラントをやっている我々のような者が読むと、あちこちに文句をつけたくなるような文
章なんですが、しかしこれが、東大の大学院を出たプロの言語学者なんですよね。
---

Q24 英語とエスペラントはどっちが国際語にふさわしい?

  エスペラントは本当にやさしい?

エスペラントは、一八八七年にポーランドの眼科医である(注1)ザメンホフが考案した人
工言語です。人工言語に対して、日本語や英語のような「普通の」言語を「自然言語」とい
います。自然言語は、まさに自然に、いつの間にかできあがっていたコトバでして、誰かが
作ったものではありません。一方、人工言語は、エスペラントの場合のように、誰がいつ作
ったかちゃんと分かっているコトバのことをいいます。

人工言語として一番有名なのはエスペラントですが、人間なら誰でも使える人工言語の
発想は(注2)十七世紀からあり、特に十九世紀の終わりから二十世紀の初めにかけて、
たくさんの人工言語が作られています。たとえば、「ボラピュク」「インテルリングア」「イド」
「オクシデンタル」「ノビアル」などで、ほとんどが英語とかラテン語とかの、ヨーロッパの言
語をもとにして作られた言語です。

さてエスペラントは、世界中の誰でもが、同じコトバでコミュニケーションを取り合うことが
できるようにすることを目的として作られた言語ですから、覚えなければならない単語の数
は自然言語よりも少ないですし、語形変化などの文法規則にも例外がないようになってい
ます。

そういう点では、英語や日本語に比べると覚えやすい言語なのでして、それじゃあなんで
エスペラントが世界のどこでも通じる国際語として使われるようになっていないんだろう、
と思う人がいても不思議ではありません。多分、(注3)世界に百万もいるというエスペラン
トの愛好者(「エスペランチスト」と呼ばれます)もそう思っているはずです。

その理由としては、まずエスペラントそのものの性質があります。エスペラントは覚えるの
が簡単だと申し上げましたし、エスペランチストもそう言っているのですが、それはヨーロッ
パ諸語を話す人々にとってであって、日本語とか中国語などを使う非西欧人にとってはそ
うではありません。

エスペラントでは(注4)「人間」は homo、「本」は libro、「パン」は pano、「美しい」は bela、
「持つ」は havas と言うのですが、こういう単語は、イタリア人とかスペイン人なら、大体の
ところの意味の見当はつくでしょう。でも私たち日本人の大多数は、イタリア語もスペイン
語も知らないのですから、pano はパンかなあ、そういえばどっかの本屋の名前が「リブロ
栄」とか言ってたから、libro っていうのは「本屋」っていう意味なのかなあ、みたいな感じ
でぼやっと分かる程度ではないでしょうか。

英語を使う人々だって、やっぱりスペイン語なんかを勉強していないんだったら、意味の見
当がつくのは、havas ぐらいだと思います。エスペラントで覚えるべき単語の数は少ないと
いっても、全部で一万五千もあるのだそうですから、これだったら英単語を覚えるほうが楽
かもしれませんよね。

17松戸彩苑:2008/01/18(金) 04:25:06
>>16 の続き)

  あなたもエスペランチストになれるか

それから、エスペラントには定冠詞の la があって、名詞が「定」であるという性質を表すの
ですが、「英語の冠詞の使い方に決まりなんてあるの?」の項目でお話ししましたように、
日本人にとっては、名詞の指すモノがどういう性質をもっている場合に定冠詞を使えばい
いのかということは、なかなか理解するのが難しいのです。エスペラントには不定冠詞の
ほうはないんだそうですが、(注5)それにしても冠詞があるということは、日本人(それに
中国人や韓国人など冠詞のない言語を使っている人々)にとっては厄介な問題だと思い
ます。

この他、仮定法があったり、関係代名詞があって用法はむしろ英語より複雑だったりと、
私たちが英文法で頭を悩ませるアイテムは、エスペラントにもきっちりそろっています。ま
た逆に、エスペラントには、日本語の「〜ている」や「〜ていた」のような意味を表す(注6)
進行形がありません。ですから、「いま雨が降っている」と言う代わりに「いま雨が降る」と
言ったり、「私が帰宅したとき、家族はテレビを見ていた」ではなく「私が帰宅したとき、家
族はテレビを見た」のように言うエスペラントは、私たち日本人にとってはどこか不正確な
ような気がするかもしれません。

こういうわけですから、ヨーロッパ諸語、特にイタリア語、スペイン語、フランス語などのロ
マンス系諸語を使っている人々でなければ、エスペラントを覚えるのが、英語に比べて特
に簡単だということはないのではないかと思います。

もちろん、日本人をはじめとするアジア系の人間でも、英語とかフランス語あるいはイタリ
ア語などがよくできる人であれば、文法規則に例外がないだけに、エスペラントは大変や
さしい言語に見えるでしょう。

(注7)しかし単語をそれなりの数だけ覚えて、文法規則もちゃんと理解したからといって、
外国語が自由自在にあやつれるようになるわけではないことは、私たち日本人には身にし
みて分かっていることです。ですからエスペラントだって、基本をマスターしたあとは、会話
の訓練をしたり、小説などの文章をできるだけたくさん読んだり、自分でもきちんとした作
文をしたりと、いろいろと努力をしなければ、結局はうまくなることはできないわけです。

  エスペラントと英語

だったら英語と同じじゃないかと思われるでしょう。そうです。私たちの母語ではない以上、
エスペラントも英語も一緒です。もちろん、英語のほうが、覚えるべき単語はエスペラント
よりは多いですし、文法規則にも例外がたくさんありますから、最初に勉強するときには、
英語のほうがエスペラントよりも大変だということは確かでしょう。

しかし、一度基本を覚えたあとに、一層うまくなるためにしなければならない努力は、英語
もエスペラントも別に変わるところはありません。日本のような国だったら、駅前に英会話
学校はいくらでもありますし、本であれ雑誌であれ新聞であれ、英語で書かれたものを手
に入れるのに不自由はしません。ですから英語の力をみがくための環境は、エスペラント
よりははるかに充実しているわけで、(注8)気力さえあれば(気力を出すのが問題ではあ
るのですが)いくらでも上達する可能性は与えられてます。

さらに、今の日本の社会では、英語が上手であることによるメリットには大変大きなものが
あります。大学入試、就職、昇進など、いろいろな機会に、英語の能力が望ましい目標を
達成することの手助けをしてくれます。一方、エスペラントの達人だからといって、一流の
会社の人事担当者に有能だという印象を与えるのは難しいでしょう。

お見合いの席でだって、「美佐子さんは英会話が達者でいらっしゃいますのよ」と言うと、
ああ美佐子さんは知的な女性なんだろうなと、一応は思います。一方、「美佐子さんはエ
スペラントが達者でいらっしゃいますのよ」と言ったって、「ええっ? そんなエスニック料
理あったっけ」と思う人がいるだけかもしれません。たとえエスペラントのことを知っていて
も(もちろん知っていてほしいですが)、(注9)それだけで美佐子さんを高く評価する相手
は、そうそうはいないのではないでしょうか。

18松戸彩苑:2008/01/18(金) 04:27:02
>>17 の続き)

つまり、日本では英語を勉強するための「動機」をもたらすものがたくさんあるのに、エス
ペラントを学習させる動機を与えるものはあんまりないのです。これは日本だけでなく、ど
の国でもそうだろうと思います。巨大な経済力と高い文化をもつアメリカを背景とする英語
と、主としてヨーロッパと東アジア(日本、中国、韓国)に百万人程度しか使用者がいない
エスペラントでは、学習の魅力ということについては、勝負になりません。

結局エスペラントは、クラシック音楽とか日本舞踊とか俳句のような、一種高尚な趣味の
一つといった雰囲気に包まれているんでして、(注10)国際語としての実用性を発揮する
のは、残念ながら難しい状況にあるといえるでしょう。

ですから、現実的に考えると、英語が国際語として普及するのは致し方ないと考えるしか
ありません。しかも幸いなことに、英語というのはエスペラントに似て、動詞の活用とか名
詞の形の変化とかが比較的単純ですから、最初に学習する外国語としてはとっつきやす
い性質をもっています。そして世界の多くの国で英語が第一外国語としてすでに学習され
ているのですから、このまま英語が国際語としての道を歩み続けることになるでしょう。

  英語が国際語でいいのか

しかし、日本人である私は悔しい! なぜならば、英語が国際語としてのゆるぎない地位
を確立してしまったら、英語を母語とする国の人々は、世界的レベルのコミュニケーション
で圧倒的に優位に立つからです。日本語が国際語になればいいのですが、フランスでさ
えあれだけフランス語の普及に努力しているのに、結局は英語に押されっぱなしという事
実を考えると、(注11)日本政府はフランス政府ほどの努力もしていないのですから、日
本語が国際語になれる可能性は薄いと思います。

交渉とか議論とかを英語でする際に、相手が英語を母語とする人間だと、どうしてもそれ
だけで気後れしてしまいますよね。相手は全然たいした内容のことを言っていないのに、
それに対するまともな反論もできない自分がなさけなくなることさえあります。ところが、相
手も英語を母語とする人間じゃないと、どうせお互い下手なんだからという安心感があって
か、けっこう堂々と英語が話せたりします。

というわけで、世界の人々がすべて対等にコミュニケーションをするためには、誰かの母
語ではない言語を国際語として用いるのが絶対に望ましいのです。そしてそのような国際
語としていま通用する可能性があるのは、多分エスペラントだけだと思います。

しかし先ほども申し上げたように、エスペラントは国際語になれそうにないのです。この二
律背反をどう解決するか、うーん、コトバだけの問題ではないだけに、私にも名案はありま
せん。


(注1) L.L.Zamenhof(一八五九−一九一七)

(注2) ベーコンとかライプニッツのような哲学者もこういう人工言語を考えたということです。
もちろん、失敗したわけですが。

(注3) このことは、「日本エスペラント学会」のホームページにそう書いてありました。

(注4) 「人間」「本」「パン」は、イタリア語で uomo、libro、pane、スペイン語で hombre、libro、
pan です。エスペラントとよく似ていますよね。

(注5) ま、冠詞の使い方を間違えたって、通じることは通じるんでしょうが。

(注6) もっとも、進行形のない言語は世界にいくらでもあります。ドイツ語とかロシア語が
そうです。

(注7) 英語学の大家といわれる学者でも、「話すのはなかなか大変でねえ(もちろん英語
のことです)」と言っているのを聞いたことがあります。

(注8) 外国語は、基本を覚えたあとの上達が、最初よりはぐっと遅くなるので、中級以降
の努力が苦しいですね。

(注9) エスペラントが上手であることは、日本では、英語も同様に上手だということを意味
する場合が多いのですが。

(注10) でも、エスペラントを知っていると、世界中のエスペランチストの家に泊めてくれる
ので、旅行が楽だと、ある日本のエスペランチストが言っていました。

(注11) 最近では日本語教師の海外への派遣なんかも行われるようになりましたが、フラ
ンスはそんなことずっと前からやっています。


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