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なぜエスペラントは普及しないのか?
1
:
papageno
:2008/01/04(金) 23:25:54
すでにいろんなスレッドで語られて来たことではありますが、単独のスレッドが無かったので立てさせていただきます。
いろんな視点からのいろんな意見を出して行きましょう。
534
:
ベダウリンデ
:2009/07/25(土) 12:16:43
amikoに関しては、ReVoやPMEGなど、正式見解としては中性なんでしょうが、
使われてる実態としては、果たしてそうなんだろうか、という疑問があります。
amikoが性別不問なら、男子が「amiko の所に泊ったんだ」と彼女に言う場合、
誤解を避けるためにはviramikoと言うのでしょうか。実際そう言ってるのでしょうか?
vir-という言い方は、自分の感覚ではオス○○という感じがします。
みんな本当にそんな言い方使ってるんですか?
amikoが中性であれば尚のこと、-iĉo(-uno)という接尾辞は絶対必要ではないかと。
それが存在しないというのは、amikoは男性である、と実際には多くの人が認識してるからではないか、と。
ReVoでも、amikoの下にamikinoという語が別にある。すると、amikoは男かな、と思いませんか?
その下にはkoramiko とkoramikinoという語が並んで載ってます。
なんで男の恋人を指す単語が存在しないんですか?
男の恋人はvirkoramikoなんですか?
535
:
ベダウリンデ
:2009/07/25(土) 15:38:13
エスペラントは共通文化が無く、従ってコンセンサスも無く、
各自が各自の判断で勝手気ままに語を使用している、というという感は否めません。
viramikojをgugliすると、140件使ってます。
amikinojは34,600件。geamikoj=221,000件。amikoj=799,000件。
女友達の頻度に比べ、男友達は異常に少ないです。
geamikojの使用者は、amiko=男、という前提の人です。かなり存在します。
amikoj使用者には、amiko=男女、と、amiko=男 と両方入ると思いますが、参考までに。
ちなにみ自分の感覚ではhomo、personoは中性なんですが、
世の中にはいるんですね、homino、personinoを使う人が。
そういう人にとっては、homoもpersonoも男なんでしょう。
PMEGでは中性ですよといくら正論を吐いても、世の中一筋縄ではいきません。
536
:
ベダウリンデ
:2009/07/25(土) 18:43:09
PMRG該当項目読みましたが、納得いきません。以下、要約。
エスペラントでは人間名詞(仮称)は基本、中性語根で、
明らかに男(viro,sinjoro,knabo..)と家族関係(patro,frato...)と
高貴な身分(reĝo,princo...)と一部宗教者のみ男性語根。
女性語根はdamo,megero(性悪女),putinoなどなど特殊な語のみ。
男性語根が女性の時は-inoを絶対つける。(virino,patrino)
女性語根が男性の時はvir-を付けるが、実際にはありえない。
中性語根は、男性を明示する場合はvir-、女性を明示する場合は-inoを付けるが、それは義務ではない。
女性の時には常に-inoを付け、男性の時は必要である場合であってもvir-を付けない人がいる。
論理的ではないが現実的である。しかしほんとは中性なんだよ、と。
民族的慣習に従い中性語根を男性語根のように扱うもよし、中性として扱うもよし。
人によって、性を明示する重要性も異なるし。
でもさ、改造しようとすると、却って混乱するんですよね。
言語が差別するんじゃないもん、差別するのは人間だもん。
過激な改造派はいるけど、幸いにもそういう人はエネルギーの無駄遣いだね。
以上、要約終わり。
感想:エスペラント終わってるな、と思った。
だって、みんながamiko=男と勘違いして、それでエスペラント界がトドコーリなく流れてるのは、
そっちの方が自然だからであって、どうしてそれが自然かっていうと、
vir-に対して女性を表す語根が存在しない、-ino に対しする男性接尾辞が存在しない
というのは「醜いアンバランス」だからです。
-o=男女、-ino=女、=男は存在しない、より、
-o=男、-ino=女、の方がエレガントだからです。
537
:
北辰
:2009/07/25(土) 20:07:17
amiko に限らずヨーロッパの多くの言葉で名詞の「性」があり、複雑怪奇な
文法規則をもっています。国際語をめざすエスペラントは、こんな無用なものは
廃止しました。しかしその「性別名詞」になじんだヨーロッパ人は その母語の
癖が出やすい点はあるでしょう。(日本人も同様、心すべきもの)
そういう点も考慮してか、PIV(2002) では amiko の説明を3通り示し、
1.男性と理解する場合、2と3は 性別を問題にしない「友人」です。
「男性と理解する人もいるよ」と注意を促しているのでしょうか。
心得ておけばいいこと、それに迎合する必要はありませんが。
不合理な「名詞の性」を廃止したエスペラントの実用は 日本語のように
「一般的には性別なし、必要なときは示す」方向に行くべきです。
ヨーロッパのあちこちの変なクセは あまり持ち込ませないほうがいいですね。
そのほうが、我々(日本人、アジア人)に わかりやすいエスペラントになります。
恋人? amato, amatino で充分と思うが? 変化つけたければどうでも
やってみたら? だれか外国人と話して困ることありました?
Rakuさんの Reta Vortaro は昔の Plena Vortaro と同じですね。
(amiko は性別なし です) PMEG も同じ。不合理は排除、の方向か。
誤解がありそうなら、どうでも説明すればよし。質問もよし。
> 「amiko の所に泊ったんだ」と彼女に言う場合、
> 誤解を避けるためにはviramiko --------------- ??
日本語の「友達、友人」は性別指示なしだから、こんな問題は日本人の方が
慣れているでしょう。あなたならどう説明していますか?
それをエスペラントで やればいい だけです。
「だれだれ君のところ」とか、「そいつ、どこで知り合った、こんな奴」とか。
viramiko なんて変な言葉を使われたら「ン? さては?」と感じそう。
> 「amiko の所に泊ったんだ」
に 探りを入れるなら
C^u la amiko estas sinjoro de via ag^o?
あたりから始めますか。
538
:
ベダウリンデ
:2009/07/26(日) 06:27:40
エスペラントでの正式見解がどうれあれ、viramikoは滅多に使われないというのは事実なんでしょう。
そもそも、viro->virino、patro->patrinoにしたのが間違いです。
それを見たら、エスペラントの人間名詞は男性が基準で、女性には全て-inoを付ける、と
普通に思いませんか?
むしろそのほうが「合理的で論理的で例外ない」と思います。
それに「エスペラントは生きてる言語だから、多数派が支持すれば変わっていく」と言われますが、
amiko=男、は、事実上の多数派だと思います。
ならなぜ、そのように変わらないのか。
理由は「エスペラントは女性差別言語である」というソシリを免れるため、でないですか?
そういうのが屁理屈、なんですよ。
男性接尾辞を用意する気持ちがさらさら無いなら、
-o=男性、-ino=女性、にした方が、そのような習慣のないアジア人から見ても、
合理的でエレガントです。
539
:
ベダウリンデ
:2009/07/26(日) 06:37:08
エスペラントが屁理屈ぬかすばかりで変わろうとしないなら、、別派として過激な案を出すけど、
現代の視点で男女の区別は、生物上の区別だけで十分です。すなわち
父になる可能性をもったもの=viro
父となったもの=patro、だけです。
ある人にとっての生物上の父は、いくら性的マイノリティの解放や同性愛、生殖医療技術が進んでも、なれるのは一人だからです。
それに対応して、
母となる可能性をもったもの=femo(案)
母となったもの=matro(案)、を作り、
その他は全部中性とし、必要ならば、男女を示す接辞を用いるようにしたら
誰も誤解せず、合理的です。
540
:
なつ
:2009/07/26(日) 08:59:25
ベダウリンデさんの言うとおり、amikoは中性だというのは男女差別だという指摘を回避したい詭弁だと思います。
しかしpatro男viro男、そしてamikoも男というのが自然であり現実的です。
amikojでいいものをgeamikojとはどういうことなのでしょうかね。
この解決法は3つ。
1つは、男性名詞にinoをつけることによって女性名詞にすることに統一すること。
男女差別をいうのは実際は英米人およびそれに影響を受けた日本人くらいなんじゃないかとも思いますが、
そんなことで批判をする人がいるのであれば「あ、フランス語方式です。フランス語知らないの?」で済みます。
フランス語式といいましょうか。
2つめは、すべて名詞は中性で男性語尾icxo(あるいは他の語尾)、女性名詞inoを徹底させる。アジア式といいましょうか。
3つめは、生物学的に性のあるものは男性語尾と女性語尾しかなく中性名詞は存在しない。
スペイン語式といいましょうか。これは文法体系を維持できなくなるので無理でしょう。
男性名詞を女性名詞化することが男女差別だという先入観をもってしまうと、viro→virinoの問題はどうしても解決できません。
解決不可能な自己矛盾を抱え込むだけなのでこのような詭弁はやめたほうがいいと思います。
解決不可能といいましたが、解決するにはベダウリンデさんのいう
viro男、femo女にするとか、masklo男、femalo女を採用させるとか、viroは使わないようにして、homo人、homicxo男、homino女にする。
で、patro父、matro母に分けるというのはどうなんでしょうか?
patroを中性(親)にするのはいいですが、matroを制定するのは無意味です。
こうなると、frato、filo、avo、onklo、nepo、kuzo、nevoもわけるべしとなります。
frato-sororo、onklo−tanto、nevo−niecoなどのようにインフレがおこります。
家族構成を覚えるのが半分だったものが倍増します。この入門期の労力は無意味です。
やはりpatroを中性にするほうが移行も覚えるのも容易です。
541
:
ベダウリンデ
:2009/07/27(月) 09:30:17
なつさんの1・2案には、両方賛成です。
>男性名詞にinoをつけることによって女性名詞にすることに統一すること。
この事自体は決して男女差別ではない、と思うようになりました。
きっちりきれいに分ける方が、むしろ「平等」です。
逆に、基本的には中性概念とし、場合によって女性のみ区別する、という方がサベツ的です。
日本語もその傾向を持ってます。
医師(男女)と女医、警官(男女)と婦人警官、孫(男女)と孫娘。等々
女性のみを分別する単語はあるのに、それに相当する男性形は存在しない例です。
この点では、amiko(男女)、amikino(女)、viramiko(論理上可能だが実際は使用されない)とする現エスペラントと同じです。
日本語は民族語であるので、日本文化を背景にして発展します。
女性を分別する単語が生じたのは、(特に過去において)日本文化で女性差別が存在した証だと思います。
女医という単語が存在するのは、女性医師は珍しいという、教育的機会の不平等の結果。
(現代はもっと別な理由で区別したがる傾向も?)
戦前には小学校に「女先生」が存在したが、現代では女性教師の方が普通なので、そんな言い方しない。
婦人警官も、体力的な面で男性警官と区別する必要から生じたのでしょう。
孫娘は、昔の家制度のもとで、家督を継ぐ可能性を持つ男孫ではないけれど、でもかわいい、的なニュアンスが感じられます。
自分は聞いたことなかったのですが、広辞苑には「いとこめ」という単語もありました。
男いとこは分家の家督を継ぐ可能性があるが、そうではないいとこ、の意味で必要だったのかも。
エスペラントには文化が存在しない。
なので、-inoつけなくてもいいのに差別的に-inoを付けるのは、あくまでも本人の自己責任である。
というのが、MPEG等、エスペラントの公式見解なんでしょう。
しかし、-ino のみ用意し、それに相当する男性接尾辞を作ろうともしないのは、
「差別を促してる」ようにしか思えません。
というか、どうしたって「差別」の方向に向かうでしょう。あるのは-inoだけなんだから。
民族語では文化が言葉を作りますが、人工語は「用意された語彙」により思考が操作される。
542
:
ベダウリンデ
:2009/07/27(月) 09:53:37
>こうなると、frato、filo、avo、onklo、nepo、kuzo、nevoもわけるべしとなります。
分けなくてもいいんですよ。
日本語で、孫、いとこは、男女分けてません。分けなくても不便ないです。
ベトナム語では、弟妹は、男女の区別なくいうそうです。
http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/vi/gmod/contents_m/explanation/014.html
そう考えると、子、おじおば、おいめい、も絶対に男女で分けなければならない理由もないです。
現エスペラントではfrato、filo、avo、onklo、nepo、kuzo、nevoは男性語根なのですが、
これを中性語根と定義しなおし、必要ならば男女接尾辞で区別すればいいと思います。
onklo kaj onklino と言ってる所を onkluno kaj onklino と言い直すだけです。
543
:
ベダウリンデ
:2009/07/27(月) 15:44:10
>patroを中性(親)にするのはいいですが、matroを制定するのは無意味です。
なつさんと私とでは、「父」の定義の仕方が異なったのだと思います。
親を中性語根とし、父も母も親と定義するのは、その他の家族用語と揃えた定義方法ですね。
私が、兄弟姉妹は「同じ親から生まれた者」として男女別なくfratoでいい、と思ったのと同じ根拠です。
すなわち、家族関係における位置づけ=「社会学的」定義です。
私のは「生物学的」定義です。
viroの延長に位置するpatro、という感じです。
また、動物達には人間のような家族関係用語は必要ないと思われますが、
子動物の世話をするのは主に母動物なので、「母」という語根があってもいいかな、と思ったのです。
すなわち、母=子を出産したもの、という定義です。
父母という語は、男女という生物的用語と家族用語の、ちょうど中間に位置してるので、定義が難しいですね。
ちなみにエスペラントではsinjoro,fraŭlo,knaboは男性語根ですが、
これらも、一般尊称、未婚者、幼児より大きい未成年者、の意で
中性定義できますね。
544
:
なつ
:2009/07/27(月) 20:40:08
ベダウリンデさん
はい。僕は、すべての名詞は中性に徹底させるという考えです。
理由は、入門期の記憶の負担を極力減らすことだからです。
ベトナムではちなみに年下への二人称は弟妹以外でもみなemとなります。
日本では父・母に対する中性親というのはありますし、子もありますが、
祖父・祖母、おじ・おば、おい・めいは中性がありません、また、いとこは、
男も女も同じ(表記除く)です。言語によって面白いですね。
英語ではparent親という中性名詞がありますが、ほかのヨーロッパ言語では、
あるんでしょうか・・・。保守的エスペラントにはありませんね。
そして、ベダウリンデさんの思いも生物学的にpatroとmatroと二つにするという考え。
「親」という表現はないということでしょうかね。
僕は、全て中性で統一すべきだと思いますので、
viroも男ではなく人ということになります。
viricxoで今までのviroということになります。
あるいはvir語幹自体不使用にするという方向でもかまいません。
生物学的な母でもpatrinoでかまいません。
わざわざ、エスペラントにない語幹を新たに作り出し、語幹をますます増やす実益はないに等しいと思うのです。
ほかの語幹と同じくすべて中性に統一し、例外なしがエレガントです。
話は雑談へと入っていきます。エスペラントの例外なしは時として気持ちのいい感じがします。
たしか、IdoではItalioやfamilioは例外的にイターリォ、ファミーリォです。
(真の)理由は「だってそっちのほうが、イタリア語っぽくて、かっこいいじゃん」です。
こういう例外は無意味であり、むやみやたらにつけるべきではないと思うんですよねえ。
「最後から2つめの母音にアクセント。例外なし!」なんてかっこいいんでしょうか。
日本人の多くは気にならないでしょうが、作るとき、アクセントの位置について葛藤があっただろうし、
批判が多かっただろうなあと、いう想像、そしてそれに打ち勝っての例外なし
というのはすごいことだなあなんて思います。
それを思うともとに戻りますが、「生物的性のある名詞はすべて男性名詞、それにinoをつけて女性名詞。例外なし!」
というのはとても分かりやすく、覚えやすく、竹をスパッと割った感じで気持ちがいい。
が、それをいうことは勇気のいることなんだなあと思います。だから、今、混沌としているわけです。
なら、いっそのこと全て中性名詞にしたほうがどんなに楽で分かりやすいことか・・・
545
:
ベダウリンデ
:2009/07/28(火) 09:11:54
全部中性として、男女は平等に接尾辞で分ける、というなつさんの考えに、私も賛成します。
viroを男性の性と考えるからいけなかったのですね。viro=性別不問の人間、と考えればいいのですね。
viroを性としても中性定義すれば、男でも女でもない性的マイノリティとか、或いは、「既存の男女感の枠組みに入りたくない」と自己主張する人々の要望にも
答える事ができそうです。(いやー、ほんとに有意義な議論っていいですねー)
ところで、現エスペラントに関して。
現エスペラントはIDOショックから立ち直れず、そのトラウマで、接尾辞一個すら追加できないんですよ。
だったら現エスペラントの場合は、名詞を全部男性として、生物的に女性であるものには全部-inoを付ける、とした方が
現状に即していて、しかもすぱっとしてますね。
エスペラントは女性差別言語である、という非難されるのが怖いなら
「極東の島国の日本語をごらんなさい。中性と定義する方が差別的なんですよ」と言えばいい。
そして、現エスペラントで女性語根とされてる特殊な語、
それらは全て民族語由来で、文化的伝統で女性しか存在してなかった単語なのですが、
それらも「男性」と定義すれば良い。
従来通りの女性の意味で使いたければ、megerinoなどととすればよい。
そうしたらウーマンリブの方々も「エスペラントは男女差別撤廃の、なんと素晴らしい言語なのでしょう!」
と絶賛すること間違いなしですよ。
546
:
なつ
:2009/07/28(火) 18:53:43
ヨーロッパ人がアジアの言語(極東の言語?)にふれ、あるいは学習するとき、
驚嘆するのが「人」という概念だと聞いたことがあります。
ヨーロッパでは、人類、人物、人格などはあるが、普通の「あの人だれ?」
のような「人」というレベルの男女ひとくくりの概念を目にして、
コロンブスの卵的驚きを得ると。ちなみにヨーロッパ的思考から生まれていばってる
riismoは、その極東人がliと区別できない音を採用するという傲慢さを覗かせてる。
tiuでいいのだ。あるいは、la homo estas・・・で貫き通すとか。
la homoという発想は思いつかないのだろうと思う。
Idoショックから抜け出せないというのは面白い言葉です。
中性が無理ならoは男、inoは女を貫き通す勇気を持つべきです。
外部の人間で男女差別の言語って一体誰が言ってるんでしょうか?
被害妄想じゃないですかね。何度も言いますが、そんなこといいだすと、
フランス語はなりたたなくなりますから。
あるいは、女性語尾はあるが男性語尾が存在しない女性優位の言語ということもできるかもしれない。
とにかく、はっきりしてほしい。ほかのことにおいても・・
それにはやはり、「権威」が必要です。ある語の意味や価値観もその権威が示すことにより明確化する。
EUで採用されない一つの理由が、語の意味においてみな無責任だということです。
ある条約をエスペラントが優先して選択されないのは、細かな議論、語の定義がふわふわだからです。
とこういう疑念に対し、「いや明確だ」という神話がはびこっています。
amikoに女性が入るのか入らないのか結論づけられない連中が、、です。
僕はいうかもしれません。「amikoは中性だと誰が決めたのだ?どの権力が勝手にamikoは男女どちらかだと言ってるのか?
それらに断定する権利はあるのか?」と。
反論は誰もできません。みな、無責任なのです。
やはり、統一的に決める権威はある程度ひつようです。
そしておいらは、それは絶対権力ではなく、例えば、5年や10年に一度投票制度を作ればいいと思うのです。
いくつかの議題に対してある各国の代表数人ずつがインターネット投票をするのです。
これなら権威機関は絶対的権力は有してなく、民主主義的な反映プラス統一的になると思うのです。
547
:
ベダウリンデ
:2009/07/29(水) 11:10:11
>語の意味においてみな無責任だということです。
言えてますね。「民衆の言語だから権威は存在しないのだ」とか言って、何も決めようとせず
各自が自分の都合のいいような民族的解釈で語を使用し、
そのくせ「いつかきっと自然と多数派の言い方が決まるのだ」とか言ってる。無責任ですね。
>統一的に決める権威はある程度ひつようです。
エスペラントの「権威」が何かを決める場合、ただの多数決はやめてほしいですね。
多数決だと、影響力等が強い団体が勝ちます。現状ではエスペラント界の強者はヨーロッパ勢なので、
何でもかんでも「ヨーロッパ流」が優先される可能性があります。
「権威」が何かを決める場合、単純さ、例外の無さ(バランス感覚も重要かも)を最優先して、十分に議論して決定してほしいです。
そうすれば、アジア的な「homo」という言い方が評価されるかもしれないし、
男性名詞女性名詞は男女差別だと思いこんでる人々も考えを改めるかもしれません。
或いは、男性接尾辞は必要だ、それ一つ作れば「男女差別問題」は一気に解決すると、気づけば、
IDOショックから立ち直ることもできるでしょう。
「むやみな改造」でなく「議論を尽くした上での改造」をすれば、IDOの二の舞にはならないです。
それから、「変更情報」はインターネット上などで、誰でも無料で参照できるようにする。
ReVoも常に最新情報をアップする。
インターネット使えない人のためには、地域団体を通じて、変更箇所のみ紙で配布する。
PIVが今の「最高権威」なんだろうけど、超高くって、あれでは少数の大金持ちしか買えないですよ。
(エスペラントは金持ち優遇言語か〜!?)
548
:
ベダウリンデ
:2009/07/29(水) 14:03:25
それから、なつさんが多少なりともエスペラントを何とかしたいと思うなら、
NEPO(Nova Esperanta PostulOの略です)路線って考えるといいですよ。
今のエスペランチストが「無責任」なのには理由があるのです。
現エスペラントに少しでも(ザメンホフ以外の人間が)人為的な改造を企てたら最後、
たちどころにIDOのように自滅してしまうだろうと恐れているのです。
自分が何か新しいことを公式に提案したら、それが原因でエスペラントは消滅してしまうかもしれない、
それが怖いんです。
だからみんな「無責任」なのです。これがIDOのトラウマです。
なので私は、多少なりとも現エスペラントに不満を持っている人に、NEPOを提案します。
NEPOは現エスペラントを修正するものではありません。
現エスペラントは今のまま「無責任」状態で放置します。
現エスペラントとは別に、それと平行した形でNEPOは存在します。
もしもNEPOが失敗しても、現エスペラントは生き残ります。
NEPOがIDOの二の舞を踏まず、必要最小限の改造で、より合理的で例外なく、
エスペラントの一種なのでヨーロッパ的言語なのには変わりはないけども、
だけども今よりはアジア人にもとっつきやすい、というものになれば、
現エスペラントからNEPOへと移行する人が増えるかもしれない。
その結果、本家をしのいだら、NEPOが「エスペラント」という名称を名乗ればいいんです。
その地位を継承すればいいんです。
インターネットを通じた改造投票も、現エスペラントに直に反映するのではなく、
まずはNEPOで試用してみる、というのがいいかもしれません。
549
:
なつ
:2009/07/29(水) 20:35:12
エスペラントの改正恐怖症と日本国憲法の改正恐怖症は同じだといえます。
いいことをすることさえはばかられるヘタレ集団です。
日本国憲法の改条文ではなく、新人権の加条文さえ臆病になっているのと同じことがエスでもいえます。
エスペラントはまず金持ちの趣味から抜け出さないと・・・と、ヨーロッパ人のお偉いさんがいつか言ってました。
PIVはザ・左翼団体がヨーロッパ的価値観で彼らの勝手で作ったものですからね。それを金科玉条にするのは良くない。
僕は投票でヨーロッパ的のものが選ばれるのもいいと思います。許容の範囲といいますか。
投票の前々に中国人なんかが、「その価値観はヨーロッパ的だけど、そのヨーロッパ的価値観をアジア人に強制したいのか。
たしか、エスペラントは中性、公平だぞ。ヨーロッパのみの言語にしたいのならどうぞ、見放されてください」と強い口調でいったりしたら、
面白いかも(笑)
数年に一度の改変ならば、議論を尽せていいと思うのです。
その改変がだめなら、数年後に再議決できるわけですし。
1900何年にどこそこで、エスペラントは勝手に変えてはいけないと決まったのだ!
だから、エスペラントはいまだに生きているのだ!
っつう詭弁はそろそろやめてほしいものです。
勝手に先祖が決めたもので将来を束縛しないでほしいものですし、
実際、初期エスペラントと現在のエスペラントは多少違っていますし。
そういう意味で変化(チェンジ)は必要です。
NEPO計画が、より合理的、より例外なく、より非ヨーロッパ的で、より万民に中立・公平で、
そして、入門者により容易で、より記憶に負担のない
言語であるのなら、喜んで手伝いたいと思います。
たとえるなら辞書収録数が今の100分の1で今の同じ内容というのを望みます。
550
:
ベダウリンデ
:2009/07/30(木) 09:54:34
>ヨーロッパのみの言語にしたいのならどうぞ、見放されてください
私、時に思うんですが、エスペラントにおいてアジア人って邪魔者だったんじゃないかって。
ヨーロッパ的価値観に統一されていれば、amiko=男が完全多数派として、何の当たり障りもなく、自然と共通認識になっていただろう、と。
日本人(や同じ言語特性を持つ他のアジア人)が、自分達の習慣でamiko=男女で使いたいと思っていて
それを頑固に貫こうとしてるから(例:JEIの見解)、いつまでたっても統一されないんだと思います。
他の不統一も大体、東西対立が要因ではないですか?
アジア人さえいなければ、subvencioで、全く問題ないでしょう。
アジア人さえいなければ、語彙の意味の固定化も現在より楽になり、
EUから「定義がふわふわしてる」なんて言われなくてもすむでしょう。
「エスペラントは中立公平な言語であるべきだ」と思ってる善良な西洋人エスペランチストは
アジア人達に影響されて揺らいでいるんだと思います。
良識的に考えたら、アジア的なamikoの方が「男女平等」的だし、
helpmonoの方が、造語駆使という点で、ザメンホフ先生の遺志にかなっていそうだし。
また、中国人がどやせば、(あんまり深く考えてない一般の)西洋人エスペランチスト達までもが考えを改めるか、
といったら、それはどうかな、と思います。
「じゃあ出ていけば?」で終わったりして。
で、出ていくか、と思ったら出て行かなかったりして。
そんなこんなの揉め事が、明らかに予想されるので、
>数年に一度の改変ならば、議論を尽せていいと思うのです。
という案は、それこそ「IDOの二の舞」へと突き進んでいく危険性を秘めてます。
IDOトラウマの残る現エスペラント界では、怖くて絶対踏み込めないでしょう。
551
:
なつ
:2009/07/30(木) 21:16:47
はい、僕は、前提が、ある権威機関が存在し、その機関に沿うのが当たり前という土壌であればよかったのに、という思いです。
例えば、「エスペラント・ザメンホフ財団」というのがあり、その理事は、歴代、ザメンホフの意志を継ぐものと擬制される(各地に傘下団体がある)。
その機関紙(サイト)と辞書が標準エスペラントのお手本とされる。エスペランティストはその標準エスペラントを使うことを当然と思っている。
文法や語彙選定はそこのみが受け持つ。ただし、変えないというのが大原則である。
時代の流れとともに変えざるを得ない状況のとき、その機関が提案を出し、1年後に投票、可決、試用期間、継続使用。
提案例:「国名にするにはujoからioの語尾(Japanio)を提案する。理由、①ujoは一義的に入れ物、容器という意味であり国名にはふさわしくない。②より国際的で親しみやすい語感」
結果:賛成多数により可決。当機関紙で1年間試用し、1年後試用決定予定とする。今後は国名はujoに代わりioを標準とするが、ujoは古形として存続させる。
みたいな。10年に一回くらいかな。
権威は権力とは違い、残念ながら必要だと思います。そしてその権威に沿って標準が決まっていけますから。
でも今は無理ですね。「権威なんてふざけんな」という恐怖症の人たちばかりですから。
僕の言う権威とは、もちろん「権力など力をもって他を支配する」という意味ではなく、みんなに信頼されるお手本の代表みたいなものです。
権力はないし、決定力もありません。国家機関でいう大統領、行政です(提案権など)。我々が立法機関(決定権)です。
NEPOはどうなるんでしょうかね。
552
:
ベダウリンデ
:2009/07/31(金) 09:45:47
今現在、事実上の「権威」なのは、SATのPIVではないでしょうか?
掲示板上のやりとりを見た限り、「PIVではこうなってます」という言い方は
黄門様の印籠のように、決定的な権力を持ってるように、私には響くんですが。
ReVoもPVの古バージョンらしいし、結局「辞書のSAT、辞書はSAT」なのではないですか?
UEAはPIVに相当する辞書は出してないし、どちらかと言うと、
大会等、みんなが会する機会を提供する事務的機関、みたいな印象。
なつさんが「権威さえ存在すればいい」と思うなら、いっそ手っとり早く、
SATに全権委譲してはいかがでしょうか。
基盤は既に整っているので、あと必要なのは「皆の了解」だけです。
選挙も、SATが「必要だな」と思ったら、必要な時点でやればいい。
大体は、様相見て、SATが勝手に決めちゃってもいいんじゃないですか?
要は、不確かな部分を、ガツンと決めてほしいだけなのですから。
10年も間隔があると、どっちにしろ、事後承認的な形になると思いますし。
SATはMLや刊行物などが既にあるらしいから、、内部だけで「試用」する環境も整っているでしょう。
それでOKなら「公布」して、皆それに従う。超スムーズな運営ではないですか?
エスペラントの「定義がふわふわしてる」のは、東西で言語の感覚が違うからだと思います。
EU等で使用してもらうためには「定義の統一」が必要で、そのための「権威」なら、
アジアにおもねることなく、ヨーロッパ人の考えで決めてもらっった方が結論は早いと思います。
その路線でいくなら、私は「SATに全権委譲」を提案します。
NEPOはaziemaな企画案です。
エスペラントをヨーロッパよりからアジアよりに近付けて、さらにそれを決定づけよう、とするものです。
アジアよりなので、EU等に採用される可能性は低くなるでしょうし、
ヨーロッパ人達の支持も得られず、結局自滅も考えられます。
(中韓と仲良くしなきゃならないのが嫌だ、と思う日本人エスペランチストもいるでしょう)
553
:
ベダウリンデ
:2009/07/31(金) 10:05:52
>その理事は、歴代、ザメンホフの意志を継ぐものと擬制される(各地に傘下団体がある)。
なつさんの案でいくと、「各地の傘下団体」の日本支部は、自動的にJEIになることでしょう。
それから、NEPO案に関して、
今までにもそういう動きはあって当然だと思うのですが、無かったのでしょうか?
アジア人エスペランチストは、アジア大会だの日中韓大会だの、結構交流してるようです。
ヨーロッパ人から見ると「なんでアジア人がエスペラントなんかやってるんだろ?」と疑問に思っても
実際既にやってるんだから、ヨーロッパ人から見ても無視する訳いかないんだろうと思う。
それに、リベラフォリオによると、ビヤリストク大会のある交流会場に、投石事件があったんだってね。
ヨーロッパではエスペラントって意外と「嫌われ」てるのかもしれない。
アジアにおいてはむしろ「偏見」は少ないだろういから、生き延びるのはアジアでかもしれないですね。
(日本のエスペランチストはなぜか言語運動に無関係な9条に固執してるから、一部改憲派からネット上でターゲットにされてるけど
一般的には「知名度」そのものが低いから、大会やってて右翼に狙われる、なんてことは実際無いと思う。)
554
:
なつ
:2009/07/31(金) 18:24:42
UEAが権威を初めからもっていたらなにも文句は言ってなかったとおもいます。
しかし、今となっては、「日本大会より歴史が浅いUEAが、でしゃばんじゃねえよ。
SAT?時代遅れの共産主義者がうるせえよ。いいきになんじゃねえよ」という思いしかありません。
権威を持つとなっても、反発するだけです。
JEIのEs日辞典は大変重宝してますが、「だからっていいきになるなよ」という思いもありますから(笑)
続きまして、
ベダウリンデさんのNEPO案ってそんなにアジアよりの案だったんですか!?
僕は、文法は9割以上手をつけないという考えだったんですが、
文法をかなり変更させるということになるますよ。
基本語根はエスペラントであとは総とっかえになりかねませんよ。
まあ、かなり興味深いですけど。
いままで、そこまでの改造案はアジア人からは無かったと思います。
アジア人はエスペラントはヨーロッパのものという暗黙の共通認識がありますから。
555
:
なつ
:2009/07/31(金) 18:50:44
ベダウリンデさんが思い描くNEPO案について、仮にヨーロッパ的からアジア的に移行した言語
とするならば、16条の文法は・・・・・
①冠詞 ない
②名詞 語尾o。変化なし。つまり主格・対格または単数・複数形の区別なし。複数を表したいときは副詞で表す。
③形容詞 語尾a。変化なし。比較級、最上級は副詞で表す。
④数詞 変化なし。以下略。
⑤人称代名詞 変化なし。男女、単複、物人区別しない。普通名詞と全く同じ扱いをする。
⑥動詞 語尾i。活用なし。無活用。時その他を表したいときは副詞で補う。
⑦副詞 語尾e。
⑧以下 略
備考 疑問詞が文頭に来る必要はない。
基本的にこういうことっていうことでしょうか?
556
:
ベダウリンデ
:2009/08/01(土) 09:20:26
>UEAが権威を初めからもっていたらなにも文句は言ってなかったとおもいます。
なつさんは、「権威を選んでる」のですね。
現状では、全権委任してもいいと思えるような、完璧な権威候補が存在しない、と。
ならば、新しいのを作るか、諦めて現状の無権威状態を認めるかの、どちらかですね。
新たな権威を最初から作るのは、現実問題として非常に難しいでしょう。
NEPO案は、アジアより、というより、「今よりは」アジア人にも分かりやすい、という程度です。
エスペラントは基本的にヨーロッパの言語ですから、そこは尊重します。
改造は最小限とし、絶対的基本方針は「例外なし」で、実際の主な取り組みは「ヨーロッパ語彙の削減」です。
基本的な語根は保持し、造語せずにヨーロッパ語をそのままエスペラント化した語彙のみ削減します。(どっかのマニュフェストみたいですね)
最初は理論面の構築を行わねばならないので、実際の個々の語根がどうこうとかいう話はずっと先になります。
10年20年の長いスパンが必要でしょう。そこが難点ですね。「そんなの無理〜」みたいな。
現エスペラントには直接反映しません。あくまで「別派」です。
出来上がれば、いきなりダーンと完成形を公開し、その後は改造不可、とします。
時代に即した新語は無理なく導入できるように、あらかじめ設計しておきます。
なつさんの①〜⑧は、私は考えてませんでしたが、
その後の検討により「必要最小限の変更」として妥当と判断されたならば
それもありかもしれませんね。
557
:
なつ
:2009/08/01(土) 11:22:18
>>NEPOはaziemaな企画案です。
>>エスペラントをヨーロッパよりからアジアよりに近付けて、
>>さらにそれを決定づけよう、とするものです。
>>アジアよりなので、EU等に採用される可能性は低くなるでしょうし、
>>ヨーロッパ人達の支持も得られず、結局自滅も考えられます。
といわれたので、エスペラントが西より、NEPOが東よりなのかと、思いました。
今まで、今よりも非ヨーロッパ色を排除していくと思っていたので「おや」と思ったのです。
しかし、
>>556
で
>>「今よりは」アジア人にもわかりやすい
など、言われたので、僕の当初思っていた考えと同じだと分かりました。
となると、ヨーロッパ的から、より中立的、より世界的になって、
ヨーロッパ語の言葉遊びより上を目指すヨーロッパ人には受け入れられるのではないでしょうか?
558
:
なつ
:2009/08/01(土) 12:52:48
訂正 「非ヨーロッパ色」→「ヨーロッパ色」
559
:
ベダウリンデ
:2009/08/03(月) 11:16:21
>ヨーロッパ的から、より中立的、より世界的になって、
そうです。そういう言語だったら良かったのに、と思います。
>ヨーロッパ語の言葉遊びより上を目指すヨーロッパ人には受け入れられるのではないでしょうか?
そんなヨーロッパ人、いるかもしれないけど、いても少数派の言語エリートではないですか?
一般の凡人ヨーロッパ人エスペランチストは、自分達にとって当たり前の感覚として何も疑わずに
ヨーロッパ的感覚でエスペラントを使っているんだと思います。
何も疑わずに、それが「世界標準」だと思って。
アジア人が他の感覚を持っているなどとは、露ほども思わずに。
(エスペラントはヨーロッパ語の一変種なので、それが可能なのですが)
MPEGではamiko=中性ですよ。ではなぜ、誰もviramikoを使わないのか。
ヨーロッパ人の当たり前の感覚が、「正当なルール」を無視して標準感覚になってるからでは?
それはエスペラントが「生きてる言語」の証明でもありますが、
だったらルールを変更すればいいんですよね。
でも、多々の要因(*1)でルール変更ができない。それが今のエスペラントです。
(*1)例として、イドトラウマ、言語エリートであるヨーロッパ人エスペラントリーダー達のアジア人へのおもねり
アジア人にも責任がありますね。
だって、アジア的感覚でamiko=男女で使いたいならば、男友達を表現したい時はviramikoって使えばいいんですよ。
でもヨーロッパ人がそんな言い方しないから使わない。使ったら「変」に思われるから。
それでもってamikinoは安心して普通に使う。
このように、無意識に「ヨーロッパの価値観」に順応させられるのが、
アジア人にとってのエスペラントです。
そうじゃなくて、もっとバシッと、決まりをはっきりさせて、
アジア人にも違和感ないようなエスペラントがあったらなーっと思ってます。
560
:
ベダウリンデ
:2009/08/03(月) 11:34:19
エスペラントを多少やると、日本語の感覚と全然違うな、と気づかされます。
エスペラントの感覚=ヨーロッパの感覚なんだと思います。
英語なら「英語だから英米人の感覚に合わせるか」と思えるし、
「へー、英米人ってそういう感覚なんだ、ふーん」と他人事として思えます。
エスペラントは「これが正当中立な国際語」=「正当な第2の母語」にしなくちゃいけない、
と思うと、すごい違和感を感じて、苦痛で屈辱的でもあるんです。
例えば、日本語を使う私の感覚では、「自分」は混とんとした宇宙で、「他者」は「自分」と異なる存在。
エスペラントでは「自己」も「他者」も同じものとして見てる。あたかも自分は「幽体離脱」して「自己」も「他者」も見てる感じ。
例えば「着る」と「着せる」。
エスペラントでは「着る」=「自分に着せる」。「他人に着せる」のと、全く同じ行動だと思って、幽体離脱した自分が眺めてる。
他には感情語についても、気になる点があるので、まとまったらまた。
561
:
鮒
:2009/08/03(月) 21:32:44
むしろエスペラントはラテン語のクレオールとして純化してほしいとか言ったらいけませんか?
562
:
なつ
:2009/08/03(月) 23:17:48
ベダウリンデさん。
そうですね、僕も、屈辱感を持ちましたね。
ヨーロッパへの屈服感といいますか。
それなのに、日本人のエスペランティストたちは
中立公正だと大宣伝をしている。
ザメンホフが思ったとされる逸話を用いて言語差別のないものだと大宣伝する。
そんなのはヨーロッパへの服従の考えでしかないと、すぐ学べば気づくものなのだが、
どういうことで、大宣伝しているのか。一種の霊感商法だ。
ヨーロッパの統一的価値観=差別がない、とほんとに思って、中立公正だなんて言ってるとしたらクレージーだし。
そう思うと、アホらしいって思う。
いっそのこと英語でいいじゃないか、と飛躍して思ってしまうこともある。
エスペラントを学ぶ人はジレンマが常につきまとうと思う。
エスペラントは、中立公正なのか?エスペラントの現代における意義とはなんなのか?と。
まあ、何も考えず9条!と叫んでる人たちもいるが。
563
:
なつ
:2009/08/03(月) 23:54:05
鮒さん。
ラテン語のクレオールに純化するというのは、どういうことですか?
①語彙選定をラテン語のみからにする。②活用等文法をラテン語に近づける。
ということでしょうか。
比較的容易だろうと思いますよ。
しかし、無活用ラテン語(Latino sine flexione)がありますよ。
名詞、形容詞、動詞は語尾が数種類ありますが、
動詞の時制、複数形、および冠詞はありません。
さらにいうと、発音が、gxとjxなし、hxなし、vなし、cとcxなし
ですからかなり簡単です。
これが、鮒さんのおっしゃるラテン語のクレオールと言えるものだと思います。
ただし、これは、まさに中立公正に反するものですよね。
特にイタリア人(あるいはスペイン人等)にかなり有利ですし。
そこで出るのがインターリングワです。
仏、伊、西(葡)、英、独、露、(+羅)の6ヶ国語の共通的語彙を語彙にする言語です。
最大公約数という訳ですがスラブ系1、ゲルマン系2に対してラテン系が占めますので、無活用ラテン語に似てきます。
が、より現代語の公約数的なものが網羅されていますので、かなりこちらのほうが覚えやすいです。
またエスペラントもインテルリングワと同じくらいラテン系から採用されていますのでエスペラントとインテルリングワはとても似ています。
ただしエスペラントの語彙選定は恣意的なので、より不公平感があります。
564
:
ベダウリンデ
:2009/08/04(火) 08:48:25
鮒さんが、エスペラントをラテン語のクレオールにしたい、と思うのは自由ですよね。
誰も妨げる権利を持ちません。「中立公正」じゃなくたって全然OKですよ。
それを実現させる方法としては
①(なつさんご紹介の)無活用ラテン語やインテルリングワ等、同じ方向性を実現してる言語が既にあるので、それに合流する。
②現エスペラント界に対して改造を要求する。
③NEPO(Nova Esperanta PosteulO)のように、新たな別派として構想する。
どれでもいいんじゃないですか?
565
:
ベダウリンデ
:2009/08/04(火) 09:16:05
NEPOは、アジア人がエスペラントやってみて「分かりづらい」「不自然だ」と思うところを
なるべく「変更最小限」の形で、なるべく「例外を作らない」形で、実現したいな、と思う案です。
現エスペラントに対して改造は要求しません。別派、亜流、方言、です。
ただし、実現にあたっては、長大な道のりが予想されます。
辞書の洗い出しもしなくてはならないし、他の民族語や人工語を参考にするための勉強も必要だし、
私個人としては「絶対そこまでできない」と思うのですが、将来のための第一歩として、企画提案してます。
今現在は、「エスペラントのどこがアジア人に分かりにくいか」という点を
エスペラントを叩いて叩いて叩きまくり、洗い出している段階です。
エスペラントの悪い点を暴き、改造しようとしてるように見受けられるかもしれませんが、
目的は全く異なります。
566
:
ベダウリンデ
:2009/08/04(火) 09:57:34
エスペラントの分かりづらい点の例:感情語に関して
例えば「怒り」という感情は、『何らかの不満・不平に対する感情的な反応である。』(ウィキペディア)
それは『血圧や心拍数の上昇を伴う』(Vikipedio)人類共通の現象であると思われる。
その感情を、日本語では「おこる」「いかる」「いきどおる」などと言うが、それらはほとんど同義で、
その感情が起きた原因によって、言葉を選ぶのではない。
「義憤」という単語はあるが、文字どおり「正しい怒り」という意味で、
その単語の中に「いきどおり」という語を含んだ熟語(造語)でいる。
エスペラントで「怒る」はkoleriだが、「義憤」にはindigniという全く別の単語が存在する。
つまり、konvinkiとpersvadiが「説得の方法」で独立した単語になってるように、
koleriとindigniは、「怒りの理由」で別単語になっている。
大かたの日本人は、よっぽどでない限り、「義憤」なんて言葉は使わない。
「義」だろうが「私」だろうが、「怒ってる」という自分の気持ちには変わりはないから、普通「怒る」「憤る」で代用し、
代用しても、怒りの原因が誤解されることはない。
また、エスペラントではofendiĝi=侮辱を感じて怒る、という単語がある。
これも「怒りの理由」で別単語になっている。
これに相当する日本語単語は、一語では思い当たらない。
日本語で「侮辱された」と言う場合、自分の怒りの感情よりも、相手の行為の不当性を公的に訴えてる感じが強まる。
他に、「怒りの理由」とは関係無いが、furiozi=狂ったように怒る、という全く別の単語もある。
色々な「怒り方」はあって当然だが、なぜそれを「造語」で行わないのか。なぜ、別単語なのか、
日本人の私の感覚では、納得いかない点です。
日本語では「怒る」という感情は、理由では分けない。
その精神的背景を考えると、「自分という混とんとした宇宙」があって、怒りの起因になってるのは「外部」であり、
それは自分とは異なる世界、という感覚があるのかなと思う。
そして「外部」よりは「自分の内部」が大事である、という世界感があるのかな、と思いました。
日本語で「怒り」を表現するとき、「むっ」「かちん」「かっ」など、擬態語的表現で表すこともよくある。
これは怒りを、「理由」でなく、「感覚」的表現で表してると思う。
「腹が立つ」「頭に来る」なども、理屈ではない身体の感覚での表現だと思う。
「自分」は混とんとした宇宙で理屈で説明できない。だから「混とんが感じ取った」内部感覚でしか表現できないんだと思う。
日本語には主語が無い。時にそれは「非論理的」と非難される。
でも、主語が無いのは、「自分」は混とんであり、「他者」もまた自分の外にある混とんだ、という意識の表れなんだと思う。
エスペラントとか、その元になってるヨーロッパ語みたいに、
自分を怒らせてるのは何かという事を、幽体離脱の自分が常に冷静に判断してるような語とは、精神構造そのものが全く異なるように思う。
そしてそういうエスペラントを「公式共通語」とする事は、「そういう感覚は非論理的だからこっちに直しなさい」と言われるのと同じな感じがするので、
非常につらいものがあるのです。
なのでNEPOでは、koleriは、人類共通の「怒り」という内部感覚として定義し、
「その要因」は造語としてくっるける、としたらどうか、と思っている。
仮に他の民族で、ヨーロッパ人と異なる理由で怒る民族がいて、
その要因をはっきり言いたければ、それも造語で対等に作る事ができる。
他の民族語を知らなくても、想像力を働かせ、こういう時は**-koleriっていう言い方があるといいね、という感じで作れる。
567
:
鮒
:2009/08/05(水) 15:39:28
なぜ「アジア人」に限定するのかわかりませんね。
アフリカ・アメリカ・オセアニアの言語文化は無視ですか?
それに「アジア」と言ってもインド・イラン・アルメニア等
「インド・ヨーロッパ語」の系列の言語が優越してる国も多いですよね。
568
:
鮒
:2009/08/05(水) 16:03:56
最大の問題としてアラビア語圏は「アジア」に入るのでしょうか?
アラビア語では名詞のみならず動詞にも性の区別がありますが。
569
:
ベダウリンデ
:2009/08/05(水) 18:33:02
>なぜ「アジア人」に限定するのかわかりませんね。
理由は、NEPOは今のところ日本人である私個人での構想だからです。
本当ならば「日本人にも分かりやすい」と書きたいところでした。
それなのに「アジア人」にしたのは、中韓は漢字文化圏だし、似てる所も多々あるだろう、
という私の思い込みです。
今後は「日本人にも分かりやすい」に変えようと思います。(「も」に注目! 日本人に、ではありません)
私は「日本人にも分かりやすいエスペラント」を目指していますが、それは
「日本語の特徴をエスペラントに盛り込みたい」というのとは異なります。
日本語とエスペラント語の違いを検証することにより、
より普遍的な言語構造とは何か、を考えています。
「分かりやすさ」=「自分の言語に似てる」という事ではないです。
「ルールがはっきりしてて誤解される要因が少ない」のが「分かりやすい」だと思います。
vir/ino問題など、アンバランスゆえに誤解を生みやすい箇所が、現エスペラントにはありますが、
そこを修正すると、誤解も減り、「分かりやすく」なります。
「男女平等」にするのは、「その方がアジア的だから」ではありません。
そのような検討の結果、アフリカ・アメリカ・オセアニアの諸民族にとっても
今のエスペラント語よりは、分かりやすいものになったら幸いです。
そのためには、人類共通の感覚とは何かを常に意識し、
抽象的・普遍的に考える、というコンセプトを、NEPOには持たせようと思っています。
566の最後の部分は読んでいただけましたか? 「ここ」押さないと読めないので再掲します。
NEPOでは、koleriは、人類共通の「怒り」という内部感覚として定義し、
「その要因」は造語としてくっるける、としたらどうか、と思っている。
仮に他の民族で、ヨーロッパ人と異なる理由で怒る民族がいて、
その要因をはっきり言いたければ、それも造語で対等に作る事ができる。
他の民族語を知らなくても、想像力を働かせ、こういう時は**-koleriっていう言い方があるといいね、という感じで作れる。
570
:
なつ
:2009/08/05(水) 19:45:51
鮒さんの意見はどうなのかな?
エスペラントがより、ラテン語という一言語に偏って近づくことが希望なんですかね?
ベダウリンデさん。
漢字圏+シナタイ語族つまり日本語、中国、韓国・朝鮮、ベトナム、タイ
というくくりでなんとなく考えていました。大東亜共栄圏といいましょうか(笑)
NEPOのスレッドをそろそろ作ってもらえないですか?
僕も、いろいろ案を出させていただこうと思います。
人工言語、クレオール言語、その他の言語を趣味でかなり見ていたことがあります。
NEPOのようなものをずっと僕も抱き続けていました。
NEPO構想は、少なくとも今までのどの人工言語よりも、すぐれています。
571
:
なつ
:2009/08/05(水) 19:48:32
補足。
東亜ひとくくりで考えてたといってもあくまでも
エスペラントが基礎、土台としてあるのが前提という話です。
572
:
ベダウリンデ
:2009/08/06(木) 08:59:07
>570
なつさんありがとう。
今までの経緯をまとめて、新スレ立てたいと思いますので
まとまるまで少々お待ち下さい。
573
:
ベダウリンデ
:2009/08/07(金) 10:32:34
新スレ作りました。
新エスペラントNEPO構想*アイデア募集中
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1249603204/
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