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なぜエスペラントは普及しないのか?

83Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/21(木) 21:22:49
papagenoさんお久しぶりですね。ブログの更新もありませんしどうしてらっしゃ
るのか心配してました。お元気そうで何よりです。
ところでなぜエスペラントにそんなにこだわられるのですか。エスペランティスト
が翻訳機の開発を妨げているわけではないのですよ。papagenoさんのお考えなら
翻訳機の完成を座して待つか又はみずからその開発に参加されるのがいいので
はないでしょうか。わたしは嫌味や皮肉を申し上げているのではありません。
ほんとに不可解なのです。


84Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/21(木) 21:25:57
>>81
現在の世界はものすごい変化の渦中にあります。この変化がエスペラントを
最終的に葬り去ってしまうのか新たな生命力を付与するのか予測が付きません。

85松戸彩苑:2008/02/22(金) 02:19:48
>>81
そうなんですよね。

つまり私の言いたいのは、たとえて言うならば、エスペラントは「草野球」レベルで良いの
か、それとも「プロ野球」レベルを目指すのか、どっちかにしろという事なんですね。

「草野球レベルで満足なんです」というのであれば、私だってうるさいことは言いません。
それだったら「楽しければ良いんじゃない?」って言いますよ。

しかし困ったことに、エスペラント界には「草野球レベルで楽しんでいれば、そのままプロと
して通用するようになるんだ」みたいに考えてる人がけっこういるみたいなんですね。
で、それに対しては「そんなことは絶対に無いよ」「それは甘すぎるよ」と言いたいわけです。

どう見たって、世間の人たちがエスペラント運動に求めているのは「理念」などではなく「使
用者の数」であるとか「実利性」だったりするんですね。
その証拠に、知識人だろうが、革新派の人たちだろうが、判で押したように「使用者はどの
くらいいるんですか?」とか「どんなことの役に立つんですか?」としか訊いてきません。
また逆に、エスペランティストが理念を説明したら、それを聞いて感激して、ただちにエスペ
ラント運動に加わったなどという話も、寡聞にして知りません。

ですから、学習途中で挫折したり eterna komencanto になってしまう人を減らしたり、日常
生活に関する語彙・表現を整備したりすることが「使用者の数」や「実利性」を高めることに
なり、世間の人たちにとっても(ほんのわずかながら)受け入れやすいものになるわけです
ね。

私ももちろん理念は大事だと思いますが、しかし「使用者の数」や「実利性」を高めることな
く理念を連呼しても(革新派の人たちからさえ)おかしいと思われてしまいますので、やはり
それは控えるべきだと思います。

86松戸彩苑:2008/02/22(金) 02:32:05
>>82
私は「高性能の翻訳機を作るのは永遠に不可能だ」などと断言するつもりはありません。

しかし、現在のコンピューターや翻訳ソフトのレベルを考えますと、現在の技術の延長線上
でそういったものを作るのは、ほとんど不可能ではないかと思うんですね。

スーパーコンピューターと呼ばれているものであっても、それはただ単に「計算が早い」「記
憶容量が莫大である」というだけであって、人間のように「言葉の意味を理解している」わけ
ではないわけです。
ですから、現在の技術ですと「オウムが言葉をしゃべっている」のと同じなんですね。

とは言っても、いつなんどきコンピューターが質的な大進化を遂げるか判ったものではあり
ませんし、また世間においては、エスペラントよりも翻訳機械のほうが前途有望だと思われ
ているということも無視できないとは思っております。

87ベダウリンデ:2008/02/22(金) 10:02:03
>>75のリベラフォリオの記事の話に戻りますが、お許しを。
EU多言語主義担当のレオナルド・オルバンさんという人が、ネットフォーラムでみんなの意見を集めたんだって。
エスペランチストも活発に書き込んだのですが、オルバンさんは、EUでのエスペラント使用を拒絶したんだって。
理由としては、新しい使用分野で専門用語を整備するのは、すごく大変だから。
あれもこれも「無」から作らなきゃならないから大変だろうって。
また個人的には「橋渡し言語」を信じてないんだって。エスペラントだろうが、ラテン語だろうが、英語だろうが。
「橋渡し言語」は社会言語学上、歴史的な自然発生現象だから、法律や政治で決める事じゃないんだって。
(私個人としてはこの部分がカッケーと思いました)

実態はどうかというと、EU公用語は、加盟国の憲法で認められた公用語なら、申請認可すればいいんだって。
(国が無いエスペラントはこの時点でボツ)
で、今23言語が公用語になってるらしいけど、実際は全部を全部に翻訳するのは無理なんだって。
多くのヨーロッパ人が分かる言語が、実際には主に使われてるらしいです。(英語、とは断言されていません)

で、エスペランチストの反論も載ってるのですが、予想通り「用語は整備されてるぞ」というもの。
「こいつ調べてないんじゃないのバーカ」的な、大変親しみやすい反応まで。
EU公用語の条件については「法を変えればすむ」。それはそのとおり。
また「後を考えれば節約では?」と、これもよく言われそう。
でも、「橋渡し言語」を法律や政治で決めて良いものかどうか、という事に関しては、ノーコメントでした。

以上、お勉強のため頑張りました。間違い、不足はご訂正下さい。

また、ここで私が疑問に思うのは、ヨーロッパのエスペランチストはどうやら、
「用語が混乱してて使えない」とは思っていないようだ、ということです。
松戸さんは常日頃、用語の不備を主張していらっしゃいますが、それは、対日本語に限っての話でしょうか?
ヨーロッパは大体同じ文化圏だし、物の呼び名が多少異なる、というのはあるかもしれないですが、
そんなに混乱する事があるのかな、と思いますが、いかがでしょう?

88ベダウリンデ:2008/02/22(金) 20:46:18
フォーラムそのものもリンクされてて読むことができますね。(未読ですが)
あのような公的な場で、エスペランチストがガンガン発言できるというのは、
何だかんだ言ってもヨーロッパは進んでますね。エスペラント健在なり、と世界に示してます。
日本ではあんな風に自己主張できるのか、疑問ですね。みんな大体、自己の世界(個人またはグループの)で満足してるから。

それから、私は今までEUの事なんて関心無かったのですが、
エスペラントやって、月並みですが「世界が広がり」ましたね。
英語でも一生懸命勉強してたら、同じ体験できたんだろうけど、
英語ではできなかった事がエスペラントでできた、というのは、やはり驚きです。

89松戸彩苑:2008/02/23(土) 11:03:38
>>87
> また、ここで私が疑問に思うのは、ヨーロッパのエスペランチストはどうやら、
> 「用語が混乱してて使えない」とは思っていないようだ、ということです。

「エスペラントには専門用語が不足している」と考えてるエスペランティストは、欧米にもい
るはずですよ。
専門用語を一生けんめい作っている人たちがいますし、また「〜用語を作る際の問題」の
ような題目の論文や講演が少なくありませんから、気づいてる人はちゃんと気づいてるん
ですね。

でも、そういう人はやはり、ある特定の分野の専門家にかぎられていて、エスペラント界の
なかでは少数派なんですかね?
---

私は、法律についてはまったくの専門外なので詳しいことは判らないんですが、しかし考え
てみますと、エスペラント界には、まともな「法律用語辞典」が無いはずなんですよね。

もちろん、たしかにPIVやNPIVには法律法語がいろいろと載ってはいますが、しかし、あの
程度では、実務に使うのにはぜんぜん足りないだろうと思いますね。

ネットで調べてみますと Esperanta Jura Asocio という団体があるらしいんですが、この団
体のサイトを見ても、まともに活動してるのかどうか、よく判りません。
(単に、サイトを管理する人がいないだけかもしれませんが)

http://es.geocities.com/ejaaeu/index.htm
---

私はこのように考えてるんですが、それでもエスペランティストたちが平然としていられるの
には理由があります。

それは彼らが、ザメンホフの言った

  「エスペラントは使っているうちに自然に発展する」

  「必要な語彙・表現が無いことに気づいたら、既存の語根を組み合わせれば表現できる」

という考えを、今でも固く信じて、まったく疑わないからなんですね。
こういったことを信じられる人は、語彙・表現の不足・混乱に気づいても「そのうち自然に解
決するさ」と考えることが出来ますから、いたって呑気でいられるわけですね。

で、言うまでもなく私は、このような考えに断固として反対しておりまして、こういった考えが
間違っているということを示すために、この掲示板にいろいろと書いてるわけなんですが、や
はり、カリスマ性の無い人間が頑張っても、なかなか判ってはいただけないようです。

90松戸彩苑:2008/02/23(土) 13:07:38
ということで、多くのエスペランティストたちは「使っているうちに自然に発展する」などとい
うことを本気で信じているから、「EUの公用語として直ちに使える」と思ってるわけですね。

つまり、たとえ不足している語彙・表現が少々あったとしても「使っているうちに自然と発展
する」のだから心配することはない、というわけです。
だから「まずEUで使ってみることが先なんだ」というわけです。

まったくとんでもないことが信じられるものだと私なんかは呆れているんですが、でも、エス
ペラント界では、これがふつうの考え方なんですね。
---

しかし、エスペラントの歴史をひもといてみれば、「テレビ」とか「コンピューター」といったも
のをエスペラントでどう表わすかということで、さんざん揉めているということが判ります。

つまり、複数のエス訳語が提案されてしまって、何年たっても一つに決まらなかったので、
どれか一つにしようと話し合いをしても、全員を納得させるような意見が出なかったという事
が何度もあったんですね。

もちろん最終的には、それなりの結論が出たわけですが、しかし結論が出るまでに、さんざ
ん揉めてるんですね。

こういった歴史を虚心坦懐に見てますと、とても「使っているうちに自然に発展する」などと
いう話が信用できなくなるんですが、しかし私以外のエスペランティストたちは、こういった
歴史を「もう済んだ話だ」とでも思ってまったく顧みないせいなのか、いまだにザメンホフの
説を信じて疑わないわけです。
---

このザメンホフの説を信じていますと、今後も困ったことが起きると、私は思うんですね。

たとえば、EUの公用語として採用されたとします。
で、当然、さまざまな用語を作っていくことになるわけですが、このときに100%すんなりと
用語が決まるとは、私にはとても思えないんですね。

だいたい120年もたつのに、エスペラント界には、まともな「法律用語辞典」が無いみたい
なのですから、急にこしらえたとしても、そううまく行くとは思えません。

で、うまく用語を作ることができない場合には、困ってしまうわけです。
なんせEUの公用語として採用されたのですから、これまでのように「自然に発展しますよ」
などと言って、何年も放ったらかしにしておくというわけには行かないからです。

このようになったとき、下手をすると、かつて「テレビ」や「コンピューター」のエス訳語をめぐ
ってさんざん揉めたとのまったく同じような対立が、用語を作っているエスペランティストたち
の間で生じる危険があるんですね。

私のように「ザメンホフが間違っているんだ」と考えられれば、たとえ意見が異なっていても、
それほど深刻にならないと思うんですが、エスペラント界ではザメンホフの考えは「真理」と
されていてまったく疑問視されていませんから、用語を作っていてうまく行かなかったら、そ
れは必ず「用語を作っている人間」の側に問題がある、というふうに決めつけられてしまうん
ですね。

ですから、仲間どうしであるはずなのに、たった一つのエス訳語をめぐって激しく対立してし
まうという、まったく悲劇的としか言いようのない事態が発生してしまうんですね。

私は、このような事態が発生してほしくないと思っているからこそ、「ザメンホフが間違って
いるんだ」と言ってるんですね。
もちろん、私がこう言ったからといって、エス訳語が簡単に決まるようになるというわけでは
ないのですが、しかし「仲間どうしで激しく対立する」という最悪の事態だけは回避できるの
ではないかと思うんですね。

91松戸彩苑:2008/02/23(土) 17:14:11
エスペラントを仲介言語として使って、児童書の翻訳をするって話がありますね。
http://www.liberafolio.org/2008/eubaratalibro

このくらいの事からやっていって、少しずつ信用をつけていくのが良いですね。

92ベダウリンデ:2008/02/23(土) 17:57:09
>多くのエスペランティストたちは「使っているうちに自然に発展する」などということを本気で信じているから
確かに、この掲示板上でも、「自然に」派が多いように見受けられました。

>つまり、複数のエス訳語が提案されてしまって、何年たっても一つに決まらなかったので、どれか一つにしようと話し合いをしても、全員を納得させるような意見が出なかったという事が何度もあったんですね。
この掲示板でもミニチュア版を見ることができますね。「日常生活に関する語彙・表現」のスレでは、
コンビニの訳語をめぐって、この板の有識者の皆さんが議論をしても、結局まとまりませんでしたね。
日本だけかと思ったら、レルヌ掲示板で欧米の初心者仲間達(みんな実力派ですが)が
database-driven websiteの訳をめぐって喧々諤々してますね。
エスペラント未進出の分野では、まだまだ訳語不足なのかもしれないですね。

テレビ、コンピューターなどは、外来語として、英語をそのまま取り入れちゃえばいいのに、
下手にエスペラントっぽくしようとしたから揉めたんだろうなーと思います。

93松戸彩苑:2008/02/24(日) 10:27:51
理数系の学問や医学というのは、国や文化による違いがありませんし、また用語も国際的
に統一されています。

それから動植物名にしても「学名」というものがありますから、こういったものをエス化するの
は、けっこう簡単なんですね。

ですから、現行のエスペラントの辞書には、一般人は母語でも一生使うことのないような学
術語が、ものすごくたくさん収録されてるわけです。

これを見て、エスペランティストたちは「エスペラントはもう十二分に発展している」と信じて
しまってるんですが、しかし私の考えでは、先にあげた以外の分野(つまり社会科学とか人
文科学など)の術語は、まだまだ出来ていないと思うんですね。

また、術語以外にも「生活に関する物・事」というのもそうです。

こういったものは「自然に発展する」などと考えて放っておくのではなく、意識的に整備して
いかないといけないと私は考えています。

94ベダウリンデ:2008/02/24(日) 10:51:43
「実社会」が存在しない、というのは、言語の発展においては非常に不利なんだろうな、と思います。
特に人工的に作った言語の場合、「国家」が無い、というのは致命的かもしれないです。
ヘブライ語が現代に復活したのは国家があったからでしょう。
法律用語などは国家の義務で真っ先に整備しなければならないだろうし、国民がIT社会に順応できるようになるには、
国民の言語でのコンピューターマニュアルは必要だろうし。
日本のように新語がサーッと社会に広まるのはマスコミのおかげだろうし。
エスペラントにはマスコミも無いし、裁判所もIT産業も無いから、なかなか発展しないのでしょう。

国家無き人工言語が永遠に「草野球」なのは宿命なのではないでしょうか?
みんなは実はそれを知ってて、「プロ野球」になりたい人なんていないのでは?
EUにアピールしてるのも単に「宣伝」のためであって、実際に要求が通るなんて、誰も思ってはいないのでは?

95Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/24(日) 13:05:30
松戸彩苑さんとベダウリンデさんのおっしゃってることが
本質を突いています。ミモフタモナイ話ですが( ̄。 ̄)ホーーォ

96松戸彩苑:2008/02/24(日) 13:32:19
>>94
> 国家無き人工言語が永遠に「草野球」なのは宿命なのではないでしょうか?
> みんなは実はそれを知ってて、「プロ野球」になりたい人なんていないのでは?
> EUにアピールしてるのも単に「宣伝」のためであって、実際に要求が通るなんて、誰も
> 思ってはいないのでは?

いや、そんなことは絶対にないです。
彼らは本気で信じているはずですよ。


> 「実社会」が存在しない、というのは、言語の発展においては非常に不利なんだろうな、
> と思います。

それはそうだと思いますね。

プロの言語学者がそろいもそろってエスペラントに否定的なのは、現在のエスペラントのよ
うな状態から国際語になった言語が、これまでにまったく存在しないからなんだと思います
ね。

しかし現在ではインターネットもありますから、頑張れば、かなり発展させることができると
思いますよ。

とにかく、「エスペラントはすでに十二分に発展している」とか「不足・混乱している語彙・表
現があったとしても、使っているうちに自然に決まっていく」といった神話を打ち棄てること
が先決だと思いますね。

97KamelioJapana:2008/02/25(月) 07:09:08
松戸様。
>「エスペラントは使っているうちに自然に発展する」
>「必要な語彙・表現が無いことに気づいたら、既存の語根を組み合わせれば表現できる」

ザメンホフの言及ということですが、私も何所かで読んだような気がしますが、
彼のUKでの演説集からでしょうか、それとも他の著作からでしょうか。
記憶が定かでありませんので、もう一度詳しく読み直してみたいと思います。
出処を教えてください。

98ベダウリンデ:2008/02/25(月) 08:38:09
すみません、私も質問なんですが、松戸さんがお忙しそうなら誰か別の人が答えて下さっても良いのですが

>エスペラントの歴史をひもといてみれば、「テレビ」とか「コンピューター」といったも
>のをエスペラントでどう表わすかということで、さんざん揉めているということが判ります。

具体的にどういう揉め事になったのでしょうか? 経緯を詳しく教えて下さい。
松戸さんの90のレスでは『「仲間どうしで激しく対立する」という最悪の事態』とありますが
そんなに酷い事態だったのでしょうか?

それが分かれば、「自然に決まる」派がなぜそういう主張をするのか、
というヒントにもなると思いますので。

(松戸さん質問攻めでかわいそうですが)

99松戸彩苑:2008/02/25(月) 23:25:10
>>97
出典は、ちょっと調べないと判りません。

これは pvz で読んだのだったと思うんですけど、エスペラントの最初期(1887年−1895
年)とか、Theophile Carl と論争したころ(1904年−1905年)とかに、エスペラントについ
ていろいろと言ってるなかで言ってたと思うんですが、ちょっとはっきりしません。

ただし、「国際語思想の本質と将来」のなかに

  人工語の第二の特質は、その完璧性である。言い換えれば、数学的精確さと柔軟さと
  無限の豊富さだ。

  人工語が自然言語より完璧であり、またとうぜん完璧であるはずだということは、次の
  事情を考えれば、誰にでも分かる。

と書いてから、エスペラントの造語力について論じている箇所はあるんですね。
(水野義明(訳編)『国際共通語の思想』55〜58ページ)

でも、これ以外にも言ってたように記憶してるんですが、調べてみないと判りませんね。
ですから、『Lingvaj respondoj』や、先に言及した箇所なんかを調べてみようと思います。
たしかに、うろ憶えの状態で議論をしてはいけませんね。


>>98
よく考えましたら「テレビ」の場合は、複数の語が提案されましたが、そのために特別に揉
めたという話はありませんね。
ということで、これは撤回させていただきます。

しかし「コンピューター」のほうは、これはずいぶん揉めています。

これについて日本語で読めるのは、フランソワ・ロ・ジャコモ(著)『言語の発展』(大村書店 
1992年)の214〜227ページですが、詳しいのは、エスペラントで書かれたバーナード・
ゴールデンの「Terminologia kaoso: komputilo, komputero, komputoro」という論文です。

これは『Centjara Esperanto』(Fonto 1987年)と『Akademiaj Studoj 1988-1990』(Esper-
anto press 1990年)に収録されていますが、後者のものでは167ページのところで割り
付けのミスをしてまして、本来くるべきはずの文章が無くて、その代わりに168ページの文
章があるという問題があります(つまり167ページと168ページの文章がまったく同じになっ
ている)。

それから本当に揉めた事例としては、1932年に出版された、エスペラントで詩作をする人
のための『Parnasa Gvidlibro』という本があるんですが、この本に収められた「詩語」という
のが議論の対象となったことがあります。

その他にも、論争というほどではないんですが、たとえば「tajp-ilo という表現は要らない。
skrib-maŝino で充分だ」といった話を熱心にする人がいたり、あるいは、新しい書籍や辞
書が出版されると雑誌に書評が出ますが、そのなかで新語を批判しているということが、
よくあったりするんですよね。

「コンピューター」の事例は、時間のあるときに簡単に説明してみようと思います。

100松戸彩苑:2008/03/01(土) 09:36:08
>>97 の KamelioJapana さんのご質問なんですが、土日もちょっと用がありまして、調べる
時間がほとんど取れないみたいなんですね。
ということで、ご返事はかなり遅れると思います。

ところで「こういうことをザメンホフが言ったかどうか」ということももちろん大事なんですが、
しかし「現在のエスペラント界において、こういうことが(ザメンホフの説として)絶対視され
ている」ということは事実なんだろうと思うんですね。

で、私は

(1) エスペラントの語彙・表現を整備していく際には
    「現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であれば誰でも知っているような物・事」
    を中心に作っていくべきである。

(2) しかも、それらは「長すぎてはいけない」し、また「耳で聞いた際に、他の単語や表現
    と似すぎていて紛らわしいものであってもいけない」。

(3) そして、(1)(2)を実行していくうえで障害となるものは、たとえザメンホフの言ったこ
    とであっても間違っていると判断すべきである。

という行動指針を立てたわけですが、いろいろと考えてみても、従来のやりかたには問題
が多すぎると思ったんですね。

とは言っても、私はむやみやたらと新語根を導入すべしなどと言うつもりはないんですね。

具体例は「エスペラント改造論」スレにあげてありますので、そちらを見ていただいて理解し
ていただきたいと思います。

101松戸彩苑:2008/03/06(木) 04:12:55
私は >>78-79 で「飛行機や蒸気機関車についても、すなおに認めない知識人がいた」と
いうことを論じましたが、こういったものは最終的には認められたわけです。

そもそも実物があってちゃんと機能してるのですから、受け入れられるのは、まぁ当たり前
なわけです。

しかしエスペラントの場合には「世間にエスペラントを実用する人がたくさんいる」という状態
にならないと、「エスペラントは学習が容易で、なおかつ役に立つ」ということを証明できない
んですね。

現在でもエスペラントを実用する人間はいるんですが、世間からはほとんど見えませんし、
また伝書鳩などと同じで「一部の熱心なマニアがやってるもの」「一般的ではないもの」だと
しか思われてないのです。
だから、革新派の人たちからもほとんど支持されないわけですね。

(余談ながら書いておきますと、伝書鳩・ハム無線・郵趣は世間ではマイナーな趣味だと思
われていますが、これらの愛好者でそれらの団体に入会している人たちが、日本には数万
人はいるんですね)

ということで、エスペラントの有用性を証明してみせるのには「使用者を増やす」という困難
な作業が必要不可欠であり、飛行機や蒸気機関車などの有用性を示すのよりも、何百倍
も何千倍も困難なんですね。

で、私がこれまでに何度も言ってるように、せっかくエスペラントを始めたものの、学習途中
で挫折したり eterna komencanto になってしまうという人があまりにも多いのですから、こ
ういった人たちを減らすような努力が必要不可欠なわけですね。

ですから私は、なかなか筆が進まないのですが「エスペラントの学習法」スレで、そういった
ことについて書いているわけです。
---

それから私は

(1) 「理性」や「善意」といったものに過剰に期待するのはやめるべき。

(2) むしろ「楽しさ」や「面白さ」といったものを、エスペラントの宣伝や学習に利用すべき。

だと考えているわけです。

まずは(1)ですが、今までの宣伝というのは「理性」や「善意」といったものに訴えかけよう
というものだったと思うんですが、これまでさんざん頑張ってきたのにも関わらず、ほとんど
効果が無かったわけです。

そもそも、ビジネスライクにしか考えられない人たちはエスペラントなんかやるはずがありま
せんし、また社会問題などに関心のある人たちは、環境問題とか貧困問題といった「人の
生死」に関係のあるような問題には目を向けるでしょうけれども「国際的な言語差別」といっ
たものは人の生死とは直接的な関係はありませんし、それに何よりもエスペラントに信用が
無いのですから、やはりエスペラントの重要性が判らないんですね。

だいたい「エスペラントの素晴らしさ」とか「潜在的な可能性」とかいったものは、実際にエス
ペラントをやってみないことには絶対に判らないんですね。

ベダウリンデさんのように最近になってエスペラントを始められた方であれば「エスペラント
を実際に勉強してみて、それまではエスペラントの素晴らしさとか潜在的な可能性といった
ものをまったく知らなかったし想像することも出来なかったのだが、そういったものが実感
できるようになった」と痛感しておられることだと思います。

これは言ってみれば「食べ物の味は、食べてみないと判らない」「食べたことのない物の味
は、どんなに頭が良くったって絶対に判らない」ようなものなんですね。
たとえばオーストラリアには「ベジマイト vegemite」っていう食べ物があるんですが、私も食
べたことがないので、どういう味がするのかまったく判らないんですね。
みなさんだって、食べたことがなければ絶対に味は判らないわけです。

ということで「食べ物の味を、実際に食べることなしに、言葉による説明だけで理解させなけ
ればならない」とか「頭が良ければ判るはずなんだ」などとは誰も考えないのですが、しかし
「エスペラントの素晴らしさや潜在的な可能性について、言葉で説明すれば、少なくとも頭の
良い人たちには判ってもらえるはずなんだ」と信じて疑わない人は、エスペラント界にたくさ
んいるわけです。
しかし、どう考えても、それは無理なんですね。

エスペラントというのは「革命的」なものなのですから、その素晴らしさや潜在的な可能性が、
言葉による説明だけで十二分に伝えられないのは当たり前なんですね。
なんで、そんなことが判らないのでしょうか。

102松戸彩苑:2008/03/06(木) 04:13:59
>>101 の続き)

次に(2)の説明をしますが、この「楽しさ」や「面白さ」というものは、一般的には「理性」や
「善意」なんかよりも軽視されていると思うんですけれども、けっしてバカにしてはいけない
と思うんですね。

たとえば、日本のアニメやマンガが好きで日本語を勉強する人というのがいるわけですね。
もちろん、実利的な意味というのも皆無ではないんでしょうけれども、しかしけっして実利だ
けを求めているわけではないし、漢字の多い言語を勉強しようという気にさせるというだけ
でもすごいことだと思うんですね。

また日本には、韓国映画が好きで韓国語を勉強する人というのもいるわけです。

それからスタートレックのファンが、クリンゴン語を憶えるということもあるんですね。

このように見ていきますと、一般的には語学というのは「実利」や「生活上の必要性」のた
めに行なわれるものだと考えられていますが、しかし実際には「楽しさ」や「面白さ」を求め
てなされることもけっこう多いということが判りますね。

ということで、エスペランティストもこのような「楽しさ」や「面白さ」を求める力のすごさという
ものを素直に認めて、これをエスペラント運動のために利用することを考えるべきだと思う
んですね。

こう言えば「エスペラントは世界平和のための言葉なのに …」という反論が出てくることで
しょう。
それはたしかにそうなんですが、しかし「世界平和のためにエスペラントを普及させよう」な
どと言っても、革新派の人たちでさえ耳を傾けようとしないのですから、そんなことを言って
も仕方がないんですね。
私は何度も書いてると思うんですが、「世界平和のためにエスペラントを普及させよう」と言
って世間の人たちがすんなりと認めてくれるのであれば、私だってそう言うんですね。
でも、それは無理だということが判りきっているのですから、私はやらないわけです。

「楽しさ」や「面白さ」を利用して、曲がりなりにもエスペラントが使える人間を増やせば、世
間の人たちも「無くなったと思っていたけど、けっこう役に立つんだな」と思うでしょうし、さら
にレベルの高い活動を目指すこともできるわけですね。

そもそも「娯楽はダメだ」みたいなところがエスペラント界にあるから、新興宗教か、偏狭な
イデオロギーだと思われてしまうってこともあるわけです。

で、このようなことを考えますと、やはり「現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であ
れば誰でも知っているような物や事」を表わす語彙・表現というものの整備も急務となるわ
けですね。
---

このようにしてでもエスペラントが使える人間を増やしていかなければ、エスペラントが世間
から認められる可能性は無いと、私は考えているわけですね。

今のままでは、飛行機や蒸気機関車などとは違って、世間の人たちから永遠にバカにされ
つづけるだけになってしまうと思うんですね。

逆に、エスペラントができる人が1000人に1人の割合でいるということになれば、世間にお
いても目立つようになって、馬鹿げた批判をする人間もいなくなると私は思うのです。

ということで、囲碁・将棋をやるような感覚でエスペラントと付き合うことができるような環境
をつくることが大事だと思いますね。

(終わり)

103ベダウリンデ:2008/03/11(火) 19:58:58
>せっかくエスペラントを始めたものの、学習途中
>で挫折したり eterna komencanto になってしまうという人があまりにも多いのですから、こ
>ういった人たちを減らすような努力が必要不可欠なわけですね。

エスペラントを始めたのに途中で放棄してしまう、というのは、
やってはみたものの、思ったほど面白い事が無かった、というだけかと思います。
eterna komencanto になってしまうという人、というのは、エスペラントまたはエスペラント「運動」を楽しいとは思っているものの、
やはり難しすぎて上手になれないだけだと思います。
私は今は堂々と「初心者」を名乗れますが、2年後3年後には「エテルナコメンツァントです・・トホホ・・」と言わなければならないでしょう。
英語など外国語が不得意だと、やっぱり限界あると思う。みんなにとって平等に簡単だ、というのは嘘だと思う。

問題は「やってはみたものの面白くなかった」のはなぜか、です。
率直に言うと、今のエスペラントには「面白くて楽しい」面はあんまり無い。
国際交流や外国人との交流が好きな人には向いていると思う。
「特定の国だけが好き」な人でなく、「幅広く好き」な人が特に向いていると思う。

ワールドフェスティバルみたいな、国際交流イベントは結構人気なので、日本人は外国好きだと思う。
私もそういうお祭り好きだけど、そこには民族料理の屋台や、雑貨のお店、舞台では歌や演奏、踊りなどがある。
そういうのが楽しいのに、エスペラントには、そういった、おいしい物や目や耳で楽しめるものが何も無い。
エスペラントは、ただひたすら「言語脳」だけを駆使する楽しさなので、
これを楽しいと思える人はすごく限られると思う。

外国人と文通するのは楽しいと思うけど、
一対一のやり取りは、日本語でも見知らぬ人とのやり取りは苦手なので、無理かも。
複数の外国人との交流にしても、「初対面なのに超フレンドリ〜」みたいな雰囲気だったらやだ。
私個人は、エスペラントにはあんまり向いていないと思う。
でも、掲示板とかちょっとしたニュースとか読むのは好きなので、
エスペラントにもそういうのがたまたまあったから、今はそういうのを読むのが面白くてやっている。
エスペラントは文芸が盛んだから、そういうの好きな人はいいかもしれないけど、私は詩とかは嫌い。
自分が面白くても、他の人も面白いとは限らないし、エスペラントの「楽しい」面って少なすぎる。

ほんと、みんな何が楽しくて何十年も続けていられるのか、聞きたいですよ。

104ベダウリンデ:2008/03/12(水) 09:45:02
そうそう、私はやんないけど、好きな人によっては楽しいだろうな、と思える事としては
エスペラントでブログを書く、とか、動画にエスペラント字幕を付けて投稿する、とか。
世界の人に読んでもらえるという、壮大な満足感が得られそう。
色々探せば、その人なりの楽しみは見つけられるかもしれないですね。
(もちろん、文通や交流パーティが好きな人だったら即楽しめそうですね)

それからもう一つ大きいのが「思想」ですね。
「英語が国際語になるのが何としても許せない」とか「言語の平等の実現のため自分も何かしなければ」とか、
何か崇高な目的があって、そのために敢えてエスペラントを選ぶ場合。
私にはそういう「思想的動機」は全く無いのですが、「思想を抱く」というのは、それなりに充実感のある事なんだろうな、と想像します。
日本の全人口の比から考えると、思想が常に頭の中心にある人は少数派だろうけど、エスペラント界では主流派かな? そういう印象。

105なつ:2008/03/18(火) 00:23:05
偶然目にしたんですが、「日韓基本条約」(昭和40)。
この最後に「...日本語、韓国語及び英語により本書二通を作成した。解釈に相違がある場合は、
英語の本文による」と、書いてあります。
この英語の役目をエスペラントができるか、ということなんですよね。
日韓が国交正常するという国家間で極めて重要なものを果たしてエスペラントができるだろうか。
語義にも文法にも揺れがあり、それを解決できるスベを放棄しており、逆にそれを誇りにさえ思っている
能天気なエスペランティストが多い中、とてもじゃない、、荷が重過ぎる。
例えばEU国家間の文書は翻訳できるという建前になっていますが、
そうでしょうかね、一つ間違えば大袈裟に言ったら戦争にでもなるような大事な文書を
本当に責任もってできるのか?甚だ疑わしい。

106胡人:2008/03/18(火) 08:15:00
日韓に関しては、米国がまとめているという証拠にほかなりません。
英語というより米国を背景としているという事ですね。

文法等に関してはUEAから独立した委員会があるのだから、それを基本にすれば良いのでは?
単なるボランティアとしてのE組織には荷が重いでしょうが、一つ間違えば…はちょっと大袈裟ですよ。翻訳と解釈の違いは良くあることでしょう。

EUが英語を公用語にするという事は結局米国の影響を免れなくなるという事もその選択を難しくしている要素の一つだと思われます。
責任ある組織、あるいはそういう状況が必要という事でしょう。

107なつ:2008/03/18(火) 23:30:47
>>106
ええ、仲介者がアメリカというのが前提の条約だから英語も一つの言語にはされているのですが、
そういうのを除いて、いいたいのは、条約の非当事者言語なのにその条文の正文書たりえるのかということです。

大袈裟?どういうレベルのことをお思いなのかな?
ガキの使いでエスペラントを使うというレベルを考えるか?それとも
侃々諤々外交でぎりぎりのところをつめていくものにでも耐えうるものか考えるのか?
私は後者のことをいっている。あなたは前者?

読み違いで実際、一大事になった、あるいは一つの要因となった可能性もありうるうというのが
日本においてさえあります。あくまでも逸話ですが、
「黙殺」をignoreと翻訳されたのを、原爆投下決定の一要因なった、とか、
(西郷隆盛について)ハヤク(早く)シサツシ(視察し)という電報を手にして、
刺殺しと読み間違えて怒った反政府側が西南戦争を決定させたとか。
解釈の違いで笑い話にならない事態は考えられます。
実際、日韓基本条約の「無効」という文言についていつから無効なのかで
日韓の解釈の相違があるそうです。(それは翻訳ではなくそれ以前のはなしですが)
対華21箇条の要求やリットン調査団報告書がエスペラントでやる責任はもてるのかです。
>>翻訳と解釈の違いは良くあることでしょう。
どういうレベルの話でしょうか
私の言ってるのは「internacioは国際じゃなくてintergentoの意味かハハハ
じゃ済まされない次元の話をしています。
>>文法に関してはUEAから独立した委員会があるのだから、それを基本にすれば良いのでは?
どこに権威をもたせるかの問題ですか?それは否定されていませんか

もっと視野の大きい話なんです
個人のメールレベルを思ってはいませんか?

108松戸彩苑:2008/03/19(水) 05:35:00
エスペラントって、国内レベルの政治のために使われたことも一度も無いんですよね。

そういうものが、いきなり国際政治の舞台で使えるなどと考えるのは、やっぱり無理がある
と思いますね。

109胡人:2008/03/19(水) 07:24:16
国内レベルには必要はあまり感じられません。

先日の日米間の条約、協定に関しても、日本的には玉虫色の翻訳をして、米国側の英文と差異が見られたと思います。
紛争間の調停能力がエスペラントにあるとは全く思いませんし、またそれは言語自体にその要因をもってくるのは違うと思います。それ以前の積み重ねであって、単なる引き金に利用されたというものです。

そういった意味で状況というものが必要と書いたつもりです。
現実にEU議会でそのために活動されている方々が多くおられるのも事実です。
それなりの確信がなくてはその活動を続けておられる訳がないじゃないでしょうか?

110なつ:2008/03/19(水) 18:07:52
>>109
非当事者の中立言語としてエスペラントが正式外交文書、
世界的規模の条約文言などとしてやれるのか、という疑問を言ってるわけです。
実にシンプルな主題なんですけど。

使うという状況に仮に明日なったら即、正式な外交文書に堪えうるほど、
語義や文法に整合性が既に具備されているということなんでしょうか。

>>現実にEU議会でそのために活動されている方々が多くおられるのも
どういう活動なんでしょうかね。
議事録の当たり障りのない翻訳ならできますよ。大きな流れの内容さえあっていれば
細かい差異は関係ありませんから。いい加減な洋画の字幕的でも分かればオーケーということです。
あるいは、翻訳すらせずに、「できるのだ!」とカルト的な活動もできるでしょう。
日本のエスペラント運動自体カルトがかったものが多いですし。

まあ、「できる」いや「できない」となって行きそうで、
水掛け論で終わりそうですね。

111KamelioJapana:2008/03/19(水) 19:14:30
横から失礼します。

>使うという状況に仮に明日なったら即、正式な外交文書に堪えうるほど、
語義や文法に整合性が既に具備されているということなんでしょうか。

松戸さんなんかも普段から言われているようにまだまだ未解決な問題はあるとは思います。
しかし、語義や文法に整合性がないという問題ではありません。あくまで専門用語の不足や
未整理といった様なことです。
E の歴史を見る限りこの種の公式文書は国連関係のものや、また E 界内部においても
近年ではプラハ宣言に代表される、UEAを始めとする各種団体の世界大会毎に出される宣言や
公式文書等でその有用性及び有効性は、粗、証明済みです。
EU議会の公式文書においても E が関わる機会が増えれば増えるほど徐々に不備不完全な
面が改善されて行くものと思われます。勿論そのためには多くのエスペランチストたちの
努力が必要とされるのは云うまでもありません。
しかし、そのことと E が橋渡し言語として耐えうるものかどうかとは無関係です。
E 自体は十分耐え得るポテンシャルを持っているものと私は考えています。

>議事録の当たり障りのない翻訳ならできますよ。大きな流れの内容さえあっていれば
細かい差異は関係ありませんから。

仰る趣旨は、当然 E についての翻訳であると思いますが、貴方の認識は E では当たり
障りのない翻訳しか出来ないだろうということでしょうか。
そうだとしたら全く認識を欠いたものだと云う他はありません。

>いい加減な洋画の字幕的でも分かればオーケーということです。

ついでですが、貴方はいい加減な字幕映画にしか出会ってはいないのでしょうか。
映画の字幕ほど適切に行うには難しい翻訳作業はないのですよ。
それとも E の字幕映画はいい加減だということでしょうか。

>日本のエスペラント運動自体カルトがかったものが多いですし。

貴方の認識も世間一般と変わりませんね。

112松戸彩苑:2008/03/20(木) 04:36:18
>>111
> E 自体は十分耐え得るポテンシャルを持っているものと私は考えています。

もちろん、それはそうですよ。
私だって「必要な語彙・表現を一生けんめい整備すれば、エスペラントはどんなことにでも
使うことのできる言語になりうる」と考えています。

しかし「そのような言語にするには、かなり頑張らないといけない」「今のようなやりかたを
していたのでは、とてもじゃないが間に合わない」とも思ってるんですね。

私は法律には詳しくないので、エスペラントの法律用語がどのていど出来ているのかよく
判らないのですが、日常生活に関する語彙・表現を見ているかぎりでは、今のようなやり
かたではダメだろうなって思うんですね。

たとえば『エスペラント日本語辞典』の skribaĉi の項を見ますと「書きなぐる、落書きする、
あしざまに書く」という訳語が載ってるんですが、しかしよく考えてみますと、この3つの概念
はまったく違うものなんですよね。
つまりエスペラントでは、このまったく異なる3つの概念を、文脈から判断しないといけない
わけです。

NPIVには「落書き」を表わす grafitio という新語根が載ってるんですが、『エスペラント日本
語辞典』の編者には「不必要」だと判断されたのか、載っていません。
私は必要だと思うんですけどね。

また『エスペラント日本語辞典』の aparato の項には radio-aparato という副見出しがあるん
ですが、これには「ラジオ受信機;無線機」という訳語が与えられているんですね。
当然のことながら、これもまったく違うものですね。

ということで、こういった例を見ていきますと「今のままではダメだよな」って思いますし、また
「日常生活に必要な語彙・表現だけがダメで、法律用語はちゃんと出来ているなんてことは、
まずありえないよな」とも思うんですね。

113KamelioJapana:2008/03/20(木) 09:28:57
>>112
松戸さんとはこれまでもイロイロと議論してきましたが、云ってみれば主観的見方の違いでしょうね。

これまでも具体的な例を挙げてこられて「日常生活に関する語彙・表現」の不足・混乱を指摘されて
来られました。
その殆どの事柄には私もなるほどと思います。そのこと自体は、所謂、客観的事実です。

しかし、主観の相違という意味は、我々の「昔の論議」を総括してみますと凡そ以下の2点になると
思われます(今、私の頭で考えられる範囲では):

1.優先順位。
私の見解は松戸さんが指摘してきた一連の問題は E界の進出分野が質量ともに限られているからで、
その解決のためには何よりも運動の発展が第一の課題であって、その逆ではないこと
(松戸さんの見解は語彙等の問題があるため運動が広まらないとい事を強調しておられる)。

2.評価の違い。
こちらの方が主観的というか、一連の問題をプラスに考えるかマイナスに考えるかの見解の相違が
大きいところでしょう。

例えば、

>たとえば『エスペラント日本語辞典』の skribaĉi の項を見ますと「書きなぐる、落書きする、
あしざまに書く」という訳語が載ってるんですが、しかしよく考えてみますと、この3つの概念
はまったく違うものなんですよね。
つまりエスペラントでは、このまったく異なる3つの概念を、文脈から判断しないといけない
わけです。

一つ指摘しておきたいのは、辞典の訳例は概念を整理はいたしますが、それを分けるものでは
決してないのです。分けているように見えても、実はそうではなくて、あくまで一つの言語における
単語の語義範囲が示すものを他言語において該当する幾つかの表現に置き換えたものだけなのです。

特に E の様な人工言語の場合にはハッキリと云える事ですが、諸民族語の伝統的慣用的表現の影響を
強く受けたもの(例、eldoni)以外は単語を構成する形態素が示す意味でのみ、その語義範囲は判断
されるべきものなのです。
skribacxiの意味はskrib-acxiという二つの形態素が絡み合う意味範囲を示しているとしか云えない
訳で上に挙げた日本語の三つの和訳は、いずれの表現もその意味範囲に該当するものであるいうこと
です。
三つ以外にも考えればまだあるでしょう。例えば、「ぞんざいに書く」等々。

諸言語間の語義範囲が全く一致することは日常表現においては稀といっても過言ではありますまい。
それに関してはここに投稿されている皆々様が例を挙げて書いておられる通りですね。
逆の場合も云える事でして、例えば日本語の「お菓子」に当たるものを E で表現するとなると、
sukerajxo, dolcxajxo, kuko, konfitajxo, bombono 等になるわけで、しょっぱい物を含めると
まだまだ違う表現も出てくるでしょう。こう言ったEの表す語が日本語の「お菓子」の概念を
幾つかのものに規定してしまうなんてことはありませんね。
これは当然他の諸民族語についても云えることで、云ってみればお互い様のことです。

前置きが長くなりましたが、要するにこの問題は、私の見解では E にとっては少しも弱点ではないし、
その論理性やその結果として学習面という観点からはむしろ、長所ともいえることだと考えています。
例えば、「文脈から判断しないといけない」ということは欠点なのでしょうか。
日本語の様な同音異義語(ピッチが異なるもの以外にも更に存在する)が多い民族語は文脈から判断
しなければならない場面が多々あるでしょうが、それが生活に不都合をきたしているなどとは
聞いたこともありません。

言語学的に云えば「必要は発明の母」と云うことでしょうか。
現に使用されている語彙の内容で欠陥が生じてきた場合には「生きている(活きている)言語」
である限り必ず是正されていくということです。

E は既に「生きている言語」です。従って、その欠陥を是正していくのも E が「生きて(活きて)
使用される人々の広がり」に規定されるものなのです。

EUで使用される頻度が多くなればなるほど不備等は是正されていくでしょう。
なぜなら、頻度が多くなるということは E 界の質・量の発展を意味しているからです。
尤も、私見ですが、現状ではまだまだ目標にはかなりの努力がいると思いますが。。。
いずれにせよ、私の観点では、E の前途は松戸さんのお考えより遥かに楽観的といえるかも知れません。
所謂、これが主観的相違と私が云いたいところです。

114Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/03/20(木) 11:51:43
話の流れを断ち切ってもうしわけありませんが、胡人さんが>>109
「国内レベルには必要はあまり感じられません。」とおっしゃたのは
どんな意味なのでしょう。他民族多言語国家でも必要ないという意味
でしょうか。だとしましたらザメンホフがエスペラントを作った動機とは
まったく相容れないお考えと思いますがどうなのでしょう。

115松戸彩苑:2008/03/20(木) 19:22:19
>>113
> 特に E の様な人工言語の場合にはハッキリと云える事ですが、諸民族語の伝統的慣用
> 的表現の影響を強く受けたもの(例、eldoni)以外は単語を構成する形態素が示す意味で
> のみ、その語義範囲は判断されるべきものなのです。
> skribacxiの意味はskrib-acxiという二つの形態素が絡み合う意味範囲を示しているとしか
> 云えない訳で上に挙げた日本語の三つの和訳は、いずれの表現もその意味範囲に該当
> するものであるいうことです。
> 三つ以外にも考えればまだあるでしょう。例えば、「ぞんざいに書く」等々。

エスペラントを観察しますと、「単語を構成する形態素が示す意味でのみ、その語義範囲は
判断される」などということには必ずしもなってないんですよね。

たとえば mon-ujo という表現がありますね。
これは理論的には「おカネを入れる、ありとあらゆる種類の容器・袋など」を表わすことにな
るはずなんですが、しかし現実には「財布」の意味でしか使われないわけですね。
「金庫」なんかは kaso、mon-ŝranko、mon-kesto などと言うわけです。

また libr-ejo という表現も、理論上は「本に関係のある、ありとあらゆる場所」を表わして良
いはずなんですが、現実には「本屋」「新刊書店」に限定されてるわけです。
「出版社」は eldonejo、「図書館」は biblioteko、図書館などの「書庫」は libro-tenejo、「古
本屋」は libro-brokantejo などと言うわけですね。

それから『改訂 新撰エス和辞典』の boli の項に bol-ilo という表現が載ってるんですが、
「湯わかし」「ボイラー」という2つの訳語が与えられていたんですね。
もちろん、どちらも「boli に関係のある ilo」なわけですから、どちらも間違いではないんです
が、しかし「湯わかし」と「ボイラー」が区別できないのでは不便です。
ですから Waringhien が編纂した『Grand Dictionnaire Espéranto-Français』においては
「やかん = bol-ilo」「ボイラー = bol-ujo」とされたんですね。
これが旧版のPIVやNPIVにも踏襲されまして、『エスペラント日本語辞典』にも収録されてい
るわけです。

それから「やかん」を表わす表現としては bol-kruĉo というのもあるんですね。
これは『Esperanta Bildvortaro』の 41/73 に載っています。

ということで、意味を限定したうえで使われている表現の実例をお見せしましたが、このよう
に意味を限定しておかないと、精密な意思疎通ができなくなるんですね。
現在の skrib-aĉi というのも、あまりにも多義的ではないかと思います。

116松戸彩苑:2008/03/20(木) 21:02:40
>>113
> 1.優先順位。
> 私の見解は松戸さんが指摘してきた一連の問題は E界の進出分野が質量ともに限られ
> ているからで、その解決のためには何よりも運動の発展が第一の課題であって、その逆
> ではないこと(松戸さんの見解は語彙等の問題があるため運動が広まらないとい事を強
> 調しておられる)。

意見の相違の内容については、まったくその通りですね。

で、私が語彙・表現の問題にこだわるのは、次のような理由があるからです。

(1) 世間の人たちは、「理念」や「理論」を前面に出した宣伝では、絶対に納得しない。
    革新派の人たちでさえも、こういった宣伝によってエスペラントを理解するようにはな
    らない。
    やはり「実際にエスペラントを使って、何かの役に立てている人がたくさんいる」という
    事にならないと、世間の人たちがエスペラントに注目するようにはならないと思います。

    言いかえれば、エスペラントは「実演販売」しないと絶対に信用してもらえないというこ
    とです。

(2) で、現在でも少数ながらエスペラントを何らかの役に立てている人はいるわけですが、
    しかし、たとえばエスペラント版 Wikipedia などの記事を書いているときに、必要な語彙・
    表現が判らない(あるいは、無い)ということがあったりするんですね。

    もちろん、特殊な専門語みたいなものであれば無くても仕方がないかなと思うわけで
    すが、現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であれば誰でも知っているような
    物や事を表わす語彙・表現がはっきりしないということになれば、どう考えたって問題
    なわけですね。

    こういう問題があまりにも多いと、運動が盛り上がるわけがありません。
    ですから、こういったものについてみんなで考えることが必要だと私は思うわけです。
---

「とにかくエスペラントを採用してもらうことが大事なんだ」という考えには、次のような問題
があると思います。

(A) (1)で述べた理由から、そもそも採用してもらえない。

(B) 「問題がある」ということが判っても、すぐに良い解決法が見つかるとは限らない。
    だから、ふだんから問題を見つけて、解決法を考えるようにすべきである。

(C) 「不備があったら直していけば良い」などという言語をEUに採用させようというのは、
    あまりにも乱暴すぎると思います。
    これは要するに「EUを、エスペラントを poluri するための実験台に使おう」ということで
    はないですか。

    こんなことをするのはEUに失礼ですし、また大きなミスをすれば、EUにおけるエスペラ
    ントの信用も台無しになる危険性があります。

    だいたいエスペランティストたちは「エスペラントは民族語にひけをとらないくらいの表
    現力を備えている」などと言ってるわけですから、それがまったく違うということになれ
    ば、ただちに出入り禁止になるでしょう。
---

私の見るところでは、エスペラントというのは「同人レベルの言語」なんですよね。
同人レベルにしては結構すごいと思うんですが、しかし、重大な責任のともなうようなことに
使うのには、はなはだ心もとないと思うんですね。

それで私は、エスペラントがそこそこ役に立つことは百も承知していながら、あえて厳しいこ
とを言っているわけです。

117胡人:2008/03/20(木) 23:03:39
Rakuさま、
> 胡人さんが>>109
> 「国内レベルには必要はあまり感じられません。」とおっしゃたのは
> どんな意味なのでしょう。

日本国内という意味ですが・・・他民族多言語国家の事を指すとは思ってもみませんでした!?

118Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/03/20(木) 23:06:57
「多民族多言語」に訂正します。

119Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/03/20(木) 23:18:17
日本に限定してのお話でしたか。それならわかります。しかし、松戸彩苑さんの
おっしゃってることはそうじゃないように受け取れましたが。

120KamelioJapana:2008/03/22(土) 12:40:19
>>113
ご丁寧な解説ありがとうございます。

monujoの意味範囲はあくまでmono+ujoです。日本語で大雑把に言って「お金入れ」です。
お金の入れ物として日常圧倒的に多く使われるものとして「財布」と云う意味が第一義的な
ものとして定着したにすぎません。日本語でも財布を「札入れ」といういう方をする方が
いるのと同じことです。この場合、敢えて厳密に定義をするための用語を作り出さなくても
十分に事足りますね。また、予てから私が申し上げている通り学習者にとっても負担を軽減
するものでしょう。

逆に初心者が「金庫」という単語が分からなくてもmonujoという語を使っても一向に構い
ません。殆ど文脈で理解されるでしょう。語義が固定してしまった民族語の場合はそうは
いかないですね。「金入れ」といわれると、我々日本人としては仮令前後関係で意味を理解
出来ても、どうも気持ち的には何かすっきりとしない違和感が残りますね。
「札入れ」と来た場合には金庫の意味に取るにはかなり頭を柔軟にしておかないと無理
でしょう。

以下、詳しい説明は省略しますがlibrejo等に関しても同じことが言えます。
総じて、実際の交流場面で混乱をきたすようなことは、私の場合に限っても、殆どありません
でした。

121KamelioJapana:2008/03/22(土) 13:23:32
失礼。
前回、>>113 と書いたのは、>>115 の間違いでした。

>>114
>こういう問題があまりにも多いと、運動が盛り上がるわけがありません。

お書きになっているほど問題はそれ程深刻であるとは思いませんが、百歩譲ってもその事が
E がなかなか普及しない理由ではありません。松戸さんがそう主張されるのは勿論ご自由です。
しかし、これまでのE運動史を良くご研究なさったほうが宜しいかなとも思いますが、E運動を
阻害している理由というものは、圧倒的に政治経済上の力学関係に依存しているからです。

この事は平和の問題に関しても云えることで、いかに軍事関係に占める世界の予算が不合理な問題
を世界中に齎しているにも拘らず、これが「現実だから」ということで理想を遠ざけてしまってい
ます。
このこととE運動の現状には似たようなものといえるでしょうね。

従って、
>こんなことをするのはEUに失礼ですし、また大きなミスをすれば、EUにおけるエスペラントの
信用も台無しになる危険性があります。

このような心配は皆無です。それどころか、Eが試される世界史における歴史的場面では
立派にその役割を果たしてきました。

122松戸彩苑:2008/03/23(日) 03:49:51
>>120
NPIVで mon-ujo、libr-ejo を引いてみますと

  monujo. Poŝsaketo de 〜eroj: (後略)

  librejo. Vendejo de 〜oj: (後略)

って書いてありますから、そういう解釈は難しいような気がしますけどね。


>>121
> E運動を阻害している理由というものは、圧倒的に政治経済上の力学関係に依存してい
> るからです。

それは私もよく判っているつもりです。

とは言っても、せっかくエスペラントを始めても学習途中で挫折してしまったり eterna kom-
encanto になってしまったりする人がたくさんいるわけですが、これはどう考えても国際政
治のせいではないと思いますね。

また世間においても、韓国語やイタリア語を学習する人がけっこう多いなんてことがあります
が、これだって「国際的な政治・経済上の力学関係」とは無関係に「面白そうだから」という
理由で勉強する人が意外といるということなんだと思うんですね。

それから、現在の「国際的な政治・経済上の力学関係」に批判的な人は少なくないわけで
すが、そういう人たちでさえエスペラントをやろうとはしないではないですか。

ということで、エスペラント運動がうまく行かない原因をすべて「国際政治上の力学」だけで
説明するというのには賛成できません。

123松戸彩苑:2008/03/23(日) 10:01:57
私に理解できないのは、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱していることが判って
いるのに、どうしてそれを改善しようとせず、後生大事にとっておこうと考えるのかってこと
なんですね。

そんなことをして、一体どんなメリットがあるんでしょうか?

欧米においても、またエスペラントを政府がバックアップしている中国においても、エスペラ
ント運動がいまひとつパッとしないのは、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱してい
るせいだと私は思うんですけどね。

124松戸彩苑:2008/03/23(日) 10:55:26
余談になりますが、ヘブライ語を話し言葉として復活させることに成功したベン・イェフダとい
う人について書いた

  ロバート・セントジョン(著) 『不屈のユダヤ魂』 (ミルトス 1988年)
  ロバート・セントジョン(著) 『ヘブライ語の父ベン・イェフダー』 (ミルトス 2000年)

という本があるんですが、これはエスペラント運動について考える際にも役に立つんじゃな
いかと私は思うんですね。
なお、1番目の本と2番目の本は、中身はまったく同じで、タイトルだけを変更したもののよ
うです。

ベン・イェフダは1858年にリトアニアで生まれて1922年にパレスチナで亡くなった人です
ので、ザメンホフと同時代人なんですね。

で、ベン・イェフダが「ヘブライ語を、イスラエルが復活した際の公用語にする」と周囲の人た
ちに話したときに、多くの人は「それは無理だ」って言ってたわけなんですが、結局それが
現実のものとなったわけですね。

このように見事に成功したヘブライ語と、世間の人たちからは失敗したと思われているエス
ペラントとの違いはどこにあるのかということを考えてみる必要があると思います。

また、この他にも

  デボラ・オメル(著) 『ベン・イェフダ家に生まれて』 (福武書店 1991年)

という本もあるんですが、これは従来のベン・イェフダの伝記には書かれていなかったエピ
ソードを集めたような本ですので、セントジョンの本を読んでからでないと理解しにくいと思
います。

125松戸彩苑:2008/03/23(日) 13:30:26
民族・国家・宗教といった後ろ盾をもたない言語が生き延びるには、一般人の家庭生活の
なかに定着させるしか方法が無いんですね。

しかし、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱していますと、それが不可能になるわ
けです。

欧米人はエスペラントが使いこなせるようになるのが早いですが、しかし、その割にはエス
ペラント運動が盛り上がっていない。
いや、それどころか、西欧においては落ち目になってさえいるわけです。

こういうのを見ていますと「今のままで良い」などという話は、とうてい信じることができませ
ん。

126KamelioJapana:2008/03/24(月) 18:44:18
>そういう解釈は難しいような気がしますけどね。

Eでは、十分可能です。辞典というものは現実社会において該当単語が最頻に指示しているものを
挙げているのですが、民族言語と違い論理を最重要視するEでは、常にmonujoやibrejoの意味する
範囲は形態素自体の意味が変わらない限り同じです。


>エスペラント運動がうまく行かない原因をすべて「国際政治上の力学」だけで
説明するというのには賛成できません。

「すべて」とは云っておりません。圧倒的主要原因であると申し上げているのです。
eterna komencantoとなる理由は主としてE界を含めたバックアップ体制に問題が
あると思います。実利目的というには程遠い(この状況にEを置いているのが正に
国際政治経済上の力学)学習し続けるためには、効率的でenkuragxigiな教授法や仲間の
支えが必要ですね。
松戸さんが主張する「日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱」を感じられる方が
居られたとしても、その方はもうkomencantoではありませんね。

127KamelioJapana:2008/03/25(火) 07:44:44
>中国においても、エスペラント運動がいまひとつパッとしないのは、日常生活に必要な
語彙・表現が不足・混乱しているせいだと私は思うんですけどね。

私の知る限り、そのようなことは聞いたことがありません。

>私に理解できないのは、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱していることが判って
いるのに、どうしてそれを改善しようとせず、後生大事にとっておこうと考えるのかってこと
なんですね。

松戸さんは組織運動に関わっていないので、分からないと思いますが、改善論議はZamenhofが
第一書を発表して以来、これまでその努力はなされてきましたし、今も続いています。
松戸さんも評論家を卒業してE界にご自分の意見を反映する努力を為される事をお勧めいたします。

>このように見事に成功したヘブライ語と、世間の人たちからは失敗したと思われている
エスペラントとの違いはどこにあるのかということを考えてみる必要があると思います。

御意。良いですね。
松戸さんは如何思われますか。

>欧米人はエスペラントが使いこなせるようになるのが早いですが、しかし、その割にはエス
ペラント運動が盛り上がっていない。
いや、それどころか、西欧においては落ち目になってさえいるわけです。

このことの理由も「語彙の不足・混乱」の所為にお考えなのでしょうか。
欧米人にとっても、我々同様にEがいくら学習が容易であるといっても他の民族語に比べて相対的
にそうであるといえることで、第二言語を習得する難しさは絶対的なものがあるのです。
特に、日本人等の非印欧語族には誤解されていることですが、トルストイの逸話にもあるように
文章を見ただけで凡その意味がつかめることは確かである反面、それを実際に使いこなせるには
それなりの努力と経験が必要であることは云うまでもありません。
逆に、Eの実用における受動的な面と能動的なものとのギャップは我々以上に感じるところがある
といえます。

総じて松戸さんのご意見はE界に深く関わろうとしない多くの言語学者のものと通ずるものがある
と私には思われてならないのです。

128胡人:2008/03/25(火) 12:09:17
正直、私も Kamelioさま とほぼ同じ思いをもっています。

>私に理解できないのは、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱していることが判って
いるのに、どうしてそれを改善しようとせず、後生大事にとっておこうと考えるのかってこと
なんですね。

私達の学習グループでは日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱という感覚はありません。反対に、この様な表現方法の方が興味深いとか、こんな表現方法を何処何処の本で読んだ事があるとか・・・

翻訳をしていて面白いのは、例えば英語教室なら正解は、ほぼ一つなのでしょうが、エスペラントでは、7人いれば7様のエスペラント訳が生まれ、また、ほぼどれも正解という事があります。あとはある面、感覚的に好きな訳とか、ゴツゴツした訳とか、ちょっと大袈裟な訳とか的な違いを各々が楽しむものとなります。
講習の指導者達の中には、勿論これが一番正しいと指導者として明確にされる方々もおられるし、またその様にしなければ指導も難しいと思いますが・・・

Zamenhof の文章が長々として読みにくいので大嫌いという先輩方も多いです。良いエスペラントを読むのなら Edomond Privat だ!或いは誰々がお薦めだ!また Zamenhof はこの様な単語の使用をしているが、これは戴けないダメだ!とか。

国家的組織が、選定すればもちろん松戸さまの感じられる不足・混乱は無くなると思いますが、またエスペラントの面白さも半減しそうです。
TV番組でケンミンクイズが面白いのとエスペラントのこの面白さもある面共通していると思います。

>このように見事に成功したヘブライ語と、世間の人たちからは失敗したと思われている
エスペラントとの違いはどこにあるのかということを考えてみる必要があると思います。

国家の意思が有るか、無いか?と経済的に有利かどうかだと思います。

私は先輩方から、イスラエル建国の時、エスペラントの採用という話もあったが、Zamenhof 自体がその建国によって、自分達と同様の第2のユダヤ民族を生む形になり、憎悪の連鎖のため、活火山の上に住む様なもので、決してパレスチナが安住の地とは言えないと賛成しなかった経緯のゆえ、その選考の枠からはずされたと聞いたことがあります。

島ごとに違う言語を持っていたインドネシアも、戦後、独立戦争後、言語選定委員会を設け政治家専門家が集い、ほとんどそれまで使用されていなかった或る島の言語を様々な考慮のすえ現在の公用語として採用し現在にいたっている事。
またパキスタン等も独立後、二百数十の言語があり英語しか共通言語がなかったため、イスラム聖職者達が現在の公用語を作った事。
その様に、国家が必要として関与した事が、成功した一番の要因だと思います。

129護憲29:2008/03/25(火) 23:36:18
>>128
お前、知っててそんなこと言ってんのか?
ベン・イェフダーは何年にエルサレムに移住したのか?
ザメンホフは何年死んだのか?
イスラエルは何年に建国したのか?
キチガイか?
お前、共産主義に受動的にいいなりになる典型例だな

130松戸彩苑:2008/03/26(水) 03:50:58
1999年に Hejma Vortaro という60ページほどの小冊子がUEAから出版されてるんです
が、ご覧になったことはあるでしょうか。

この本の前書きには、次のように書かれています。

  Tiu ĉi vortareto celas helpi tiujn parolantojn de Esperanto, kiuj uzas la lingvon hejme
  kiel ĉiutagan komunikilon. Ordinaraj vortaroj ja ne ĉiam utilas, kiam oni serĉas nom-
  on por iu enhejma aĵo aŭ ago. Kompreneble oni ofte povas utiligi la riĉan vortfaran
  sistemon de Esperanto por mem krei taŭgajn vortojn, sed estas bone ekscii, kiel aliaj
  familioj Esperant-lingvaj solvis similajn problemojn.

  (同書5ページ)

つまり、家庭でエスペラントを使っている人たちは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らな
くて普通の辞書では役に立たないということがあるから、この小辞典を作ったんだってこと
ですね。

日本のエスペランティストたちは「欧米のエスペランティストのレベルになれば問題ないん
だ」と本気で信じているようですが、しかし、家庭でエスペラントを使っている欧米のエスペ
ランティストは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らなくて困ってるんですね。

131松戸彩苑:2008/03/26(水) 03:54:16
>>130 に訂正。

困ってる → 困ることがある

132胡人:2008/03/26(水) 07:44:37
護憲29さま。私はキチガイではありませんし共産主義者でもありません。またたぶん地域的には Kamelio さまとは全然異なります。たぶん話した事もないと思います。

時間的に、ずれがある事は当然知っています。詳細に書くと長くなりすぎるため若干短くしすぎて、貴方には理解出来ませんでしたか?残念です。

初めはザメンホフもシオニズム運動をしていましたが、日露戦争〜第一次世界大戦の暗雲がたちこめようとしてきたころ、兄弟の戦争における戦死や自殺、様々な現実の中でシオニズムから離れていった様です。

133やぱーの@管理人:2008/03/26(水) 08:45:21

護憲29 様

言葉使いは少々気をつけましょう。

よろしくお願いします。

                一回目

134胡人:2008/03/26(水) 12:50:36
> 家庭でエスペラントを使っている欧米のエスペランティストは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らなくて困ってるんですね。

その Hejma Vortaro、私も実はもっています(^^) 独学の一助として利用しています、便利で面白いと思って買いました。
需要はあると思いまが、松戸さまの様にはとらえていませんでした。

別になるかもしれませんが、欧州の人にとってもエスペラントは充分難しいようです。エスペラントクラブは数多くあっても上手に話せるエスペランチストは案外すくない様です。結構真剣に勉強しなければモノに出来ない様でス。その面では、案外私達日本人と五十歩二百歩くらいじゃないでしょうか?

長続きしない一番の問題は、活用する場が少ないことに尽きると感じています。経済面でも文化面でも学習面でも、または宗教面でも思想面でも、とにかくどのような面であれ活用する場がなくては、永久初心者で終わってしまうと思います。そういう様々な面を各々が充実させていくことが結局、エスペラントの普及につながると思います。

135KamelioJapana:2008/03/26(水) 19:17:20
>つまり、家庭でエスペラントを使っている人たちは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らな
くて普通の辞書では役に立たないということがあるから、この小辞典を作ったんだってこと
ですね。

そうですね。普通の辞書では検索に不便なこともあるでしょう。家庭でEを使っている状況には、
様々あると思いますが、主にエスペランチスト同士の国際結婚や同じ言語同士の場合であっても
自分たちの子供をdenaskalingvanoにしようと思ってる方たちが該当することでしょう。
謂わば、かなり未来を先取りする実践をしている方たちを如何サポートするかはE界にとっては
大変重要なことです。
そのためにも家庭生活の細かな言葉の用法のモデルを示す必要がありますね。
私たちがガスティーゴする場面とはまた違う内輪の会話なんかもありますから。

もっとも、それぞれの家庭で独自のEの表現を作り使うこともEでは十分出来ますが、
denaska-infanoj同士が集まった時に、用語が統一されていなければやはり不便でしょう。
欧州では主としてE家族を中心に集まる機会(familia renkontigxo)が随分あります。

しかし、
>家庭でエスペラントを使っている欧米のエスペランティストは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らなくて
困ってるんでことがあるんですね。

松戸さんに案じて頂けることは有り難いのですが、このために家庭生活がうまくいかなかったとか、子育てに
支障をきたしている例をご存知なら逆にお聞きしたいです。

どうも松戸さんは如何あってもEが広まらない理由を語彙の問題にしたいがために細かいことに拘り過ぎて
いるように私には思えます。
語彙にまつわる問題は、Eに限らず総ての現存する言語に問題の側面こそ違え、存在しています。
日本語でも用語の世代間のギャップとかカタカナ英語等、考えればいろいろありますね。

necesejo >かわや、トイレ、お手洗い、便所、WCなんてのもありましたね。
これも、用語の混乱でしょうかね。私はそうは思いませんが。
私、俺、僕、おら、わし、わっち、あっし、われ、手前、
これらは言語の内包的特徴にあたります。E にもその弱点含めて言語特有の属性があるものです。

胡人さま。
これまでのご意見を伺うと共通するところが多いです。
お互いの所属する会で素敵な体験を積み重ねていきましょう。
今年はどこかの大会でお会いしたいですね。

136KamelioJapana:2008/03/26(水) 19:21:38
>困ってるんでことがあるんですね。

訂正します。

→困ってることがあるんですね。

失礼しました。

137護憲29:2008/03/27(木) 00:25:10
胡人
分からんな。どう自分のしったかを正当化しているのだ。
Z死亡とイスラエル建国とでは幅があきすぎだ。
なお
ベン・イェフダーはZと同時期にzと違い夫婦でエルサレムに乗り込み
zが無理だと思った共通ヘブライ語普及を努力していった
のちイスラエル建国時そのヘブライ語が公用語とされた。
どこにエスペラントのかかわる余地があるのだ

138胡人:2008/03/27(木) 07:07:20
 ユダヤ民族が、パレスチナは神の約束された地として、当時の列強に対し、Zamenhof が生まれる前から、資金力政治力で長年建国のために努力してきた歴史があります。
 Zamenhof が10代の青年期、初めに原エスペラント語をつくった要因の一つは、ユダヤ人同志の共通言語というものもあったようです。その地域での彼らの言語イーディッシュはドイツユダヤ語とも言われ、ユダヤ人の共通言語が必要というのは当時のユダヤ人知識階級の共通認識だったようです。

 その面で、後に、その原エスペラントをもとに作られ発表された現エスペラントが欧州中心の言語というのは、欧州全体にちらばっているユダヤ人にとってある面当然だと思います。

 後に、Zamenhof がホマラニスモを強く主張していくのも、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教等宗教間の争いを無くさねば、真の平和は来ないとユダヤ人として感じていたのだと思います。でも、その面を強く主張すればするほど、ユダヤ社会からは孤立していき、資金的には恵まれませんでした。

 エスペラントの単語の"gento"というのは、DNAを共有する民という感覚を感じます。普通は民族というと、言語・文化(宗教を含む)の一致でもって一つの民族という概念で、現在も世界各地での分離、独立運動でのその概念での対立ですが、ユダヤ民族は、長年の離散でほぼ宗教上でのみの概念に近いものがありました。その意味でユダヤ民族というよりもユダヤの民という雰囲気の方が当時はふさわしかったのではないでしょうか?当時の欧州には独立をゆるされない、言語の使用も公式には許されない地域民族がまだまだ多くありました。

139KamelioJapana:2008/03/27(木) 07:58:42
胡人さんへ
「護憲29」の様なえたいの知れない無礼な輩を相手にする必要はありませんよ。
時間の無駄です。勝手に吠えさせておいた方がよろしい。
まあ、彼au彼女にたいする精神療法としてカウンセリングをやっているなら話は別ですよ。

私の場合は胡人さんの様に人が善くはないので到底その気にはなれませんが。。。

140松戸彩苑:2008/03/28(金) 03:11:17
>>137
「イスラエルが建国されたとき、ベン・グリオンはイスラエルの公用語としてエスペラントを
採用しようかとも考えたが、結局やめた」という話を、エスペランティストが書いたか話した
かしたもののなかで私も読んだことがあります。

しかし、この話には確たる証拠が無いんですよね。

エスペラント界には、この手の「伝説」がけっこうあるんですが、私は確かな証拠が出てく
るまでは信じないことにしております。

実際これまでにも「スペイン内戦のときに、エスペランティストから成る部隊があった」など
という噂があったのですが、調査によって間違いであることが判明しています。

141護憲29:2008/03/29(土) 02:37:55
>>ユダヤ人の共通言語が必要というのは当時のユダヤ人知識階級の共通認識だったようです。

はあ?何を証拠にそんなことを言ってるのだ?
だれがそういうことを求めるというのか?
だから共産主義の意見を鵜呑みにする受動的な人間だとおれがいってるのだ。
共産主義者のカメリオも論理的に意見が言えないから、無言を続けるしかないのだ

中立的なベン・イェフダーの伝記1冊くらい読めよ。
東欧系、西欧系別れ共通言語不必要だと思っているやつら、
フランス語で充分だと思っている開拓村あるなか
命を賭してバンビちゃんという新聞を発行し続けたのだ。
ザメンホフとは違う。
イスラエル建国時、エスペラントが公用語?
なんで??
全く不必要なんだよ、無視はなはだしい。
既に生きたヘブライ語があるんだよ。


エスペラントがイスラエルの公用語??
そういうのを信じるから共産主義者のいうことを無批判に受動的に信じているおかしなやつだというのだ

142護憲29:2008/03/29(土) 02:46:15
無視 訂正→無知

イスラエルでのエスペラント公用語というのは全くの捏造。完全な捏造。
論理的、あるいは証拠を言うまでもない。
それはヘブライ語というアイデンティティがユダヤ人間で存在するからだ。

エスペラントは歴史的捏造をせず、ヘブライ語を手本にどうすれば成功するか
それを考えることだな。まあカメリオ連中が死ぬまで無理だろうがな

143胡人:2008/03/29(土) 06:01:19
ものの見方は、それぞれですね(^^)V

なかなかお若い方の様ですね。もっと様々な本をお読みなった方が視野がより広くなると思います。

私は様々な立場のイスラエル人達とも実際にいろいろ話した経験があります。

144KamelioJapana:2008/03/29(土) 18:14:48
>>143
Jes, vi pravas.

Ju pli junagxa
li estus
Des pli malsagxa
li restus

Kaj mi opinias ankaux:

Kiu restas malgxentila
Tiu bojas senutila

145松戸彩苑:2008/03/30(日) 10:54:10
>>121 で KamelioJapana さんは

> Eが試される世界史における歴史的場面では立派にその役割を果たしてきました。

と書いておられますが、私はエスペラントが「世界史における歴史的場面」で使われたとい
う話は聞いたことがありません。
具体的には、どんなことを指しているのでしょうか?
---

また >>134 で胡人さんは

> 欧州の人にとってもエスペラントは充分難しいようです。エスペラントクラブは数多くあって
> も上手に話せるエスペランチストは案外すくない様です。結構真剣に勉強しなければモノ
> に出来ない様でス。その面では、案外私達日本人と五十歩二百歩くらいじゃないでしょう
> か?

と書いておられますが、これはエスペランティストがいつも言ってる「エスペラントは学習容
易な言葉だ」という宣伝文句とはまったく違いますよね。
---

で、これらの2つの言葉を組み合わせますと

  エスペラントは欧米の人たちにとっても充分に難しく、上手に話せる人は案外少ないのだ
  が、世界史における歴史的場面では立派にその役割を果たしてきた。

ということになるんですが、なんだかおかしくありませんか?

(もちろん一方は KamelioJapana さんの意見であり、もう一方は胡人さんの書いたものなん
ですが、>>128>>135 を見ますとほぼ同意見のようですので、一緒に論じても差し支え
ないと判断しました)

可能性として考えられるのは「上手に話せる人は案外少ないが、その少数の上手な人たち
がエスペラントで成果を上げてきた」ということですが、そうすると、それは英語などとあんま
り変わらないという事にはなりませんか?
---

ということで、お2人の話をうかがっていますと、どうもいろんな疑問がわいてくるんですね。

エスペラントをまったく知らない世間の人たちが読んだとしても、このように理論的に説明す
ることは出来ないでしょうが、やはり何となくおかしいと感じるのではないでしょうか。

(終わり)

146Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/03/31(月) 12:57:43
Kamelioさん胡人さん、松戸彩苑さんに答えてあげてくださ〜い。

147胡人:2008/03/31(月) 17:09:46
> Eが試される世界史における歴史的場面では立派にその役割を果たしてきました。
と書いておられますが、私はエスペラントが「世界史における歴史的場面」で使われたとい
う話は聞いたことがありません。具体的には、どんなことを指しているのでしょうか?

 すみません、私は詳細はわかりません。ただ、

 新渡戸稲造が国際連合事務局次長の頃、エスペラント語の言語としての能力を実際に体験し国際連合における公用語として採用しようとしたとされたという事、また前のEU議会で、エスペラントの公用語採用は残念ながら否決されましたが、近年になく接戦になり現実に可能性が出てきた事は知っています。そのEU公用語については一部で結構なニュースとして流され、まったくエスペラントをしていない方から、それについて聞かれた体験を今年しました・・・
 その他、現在の国連会議においてエスペラントの採用について、様々な委員会で、代表者の発言があったりもします。それが歴史的というかどうかは・・・

また >>134 で胡人さんは

> 欧州の人にとってもエスペラントは充分難しいようです。エスペラントクラブは数多くあって
> も上手に話せるエスペランチストは案外すくない様です。結構真剣に勉強しなければモノ
> に出来ない様でス。その面では、案外私達日本人と五十歩二百歩くらいじゃないでしょう
> か?

> と書いておられますが、これはエスペランティストがいつも言ってる「エスペラントは学習容易な言葉だ」という宣伝文句とはまったく違いますよね。

 学習は、比較的容易だと思いますが、やはり語学ですから結構真剣にしないとモノにはならないと私は正直思います。ただ、日常会話程度なら案外簡単に出来ると自分の体験からして思います。また学習歴3ヶ月〜半年の何人かの初心者が、海外でのエスペラント大会、セミナー等に実際に参加して、それなりの成果をあげています。

 私達のグループでは、「比較的簡単だけど、所詮言語なので、それなりに集中しなければモノにならない。」といつも入門者にお話しています。ただ、海外のエスペランチストとの交流は、辞書さえもてば、すぐにでも出来ますし、安価な海外旅行もヤル気にさえなれば案外簡単に出来ることも伝えますし、要望があれば手伝います。

 また、前記のポーランド人の事に関していえば、その地から来日したエスペランチスト初心者が、日本で約2週間学習をした後、すっかり先生級のエスペランチストになった事をお伝えします。要は集中して学ぶ事なのかなぁとその時思いました。現地ではエスペラントをサカナに楽しいサークル活動という雰囲気の様でした。

 ノーベル賞受賞経済学者のゼルテン博士は、その経済的側面から、ポーランド、ドイツでの小学生への実験から、エスペラントは英語とくらべて約三分の一〜四分の一の学習時間で習得でき、また、初めにエスペラントをある一定期間学んでから英語を学んだ生徒の成績と、初めから英語を学んだ生徒の英語(エスペラントの学習時間分も英語を学習)の成績を比べるとエスペラントを初めに学んだ生徒の方が成績が総じて上回ったということから、民族語よりも先にエスペラントを学ぶ方が言語そのものに関して掴みやすいと講演しておられました。

148胡人:2008/03/31(月) 19:29:36
訂正
> 国際連合⇒国際連盟

149KamelioJapana:2008/03/31(月) 21:24:21
胡人さんの補足です。

>可能性として考えられるのは「上手に話せる人は案外少ないが、その少数の上手な人たち
がエスペラントで成果を上げてきた」ということですが、そうすると、それは英語などとあんま
り変わらないという事にはなりませんか?

「英語と変わりないという事」どういう意味かが良く分かりませんが。。。

世界中で英語を学んだ人の数(しかも殆どの人は3年から6年間の義務教育として)とEを学んだ人
の数(しかも多くの人がその存在すらも知らず、そして学習者のかなりの人は独学で)を比べて
みてください。恐らく4桁くらいの違いになるのではないかな。

そのギャップにも関わらず英語と同じくらいの時間と労力(しかも、英語の様に親切丁寧な教材に
恵まれている訳でもなく)でEを学習した人の言語力の到達度を比較して考えてみてください。
尤も数理統計的な資料が手許に無いので想像でしかないのですが、少なくとも自分自身に照らし
合わせる(英語学習に費やした時間)とEの圧倒的優位性に十分確信が持てる結果を引き出せます。

そして、学習人口が他の有力な民族言語に比べて圧倒的に少ないにも拘らず、近年、UKと並んで
毎年開催される新渡戸シンポジュームや最近の欧州における様々な言語に関する会議や研究・討論
またはそれらの発表会等では、共に使用される民族語と並んで、殆ど引けを取らない同時通訳者や
翻訳者を擁しています。

150松戸彩苑:2008/04/03(木) 04:57:47
みなさん、書き込みありがとうございます。

しかし、どうも話がかみ合わないなと思って、いろいろと考えてて気がついたんですが、「エ
スペラント運動は今のままで良い」と考えておられる方というのは、英語とエスペラントを単
純比較して、使いやすさという点では英語よりもマシだから問題ない、みたいな発想をして
るんですね。

私の場合はまったく違います。
私の考えでは、エスペラントというのは最初っから合理的に作られているんだから、英語よ
りも使いやすいのは「当たり前」なんですね。
ですから、そんなところで満足してたのでは仕方がないと思うんですね。
(話者の数も、4ケタくらいは違うわけですしね)

私の場合はむしろ、学習容易であるはずなのに、現実には学習途中でやめてしまう人や
eterna komencanto になってしまう人があまりにも多いというのは根本的におかしいではな
いかと思ってるんですね。
私の問題意識はそういうところにあります。

もちろん、学習者の100%がエスペラントに習熟するなどということは実現できないでしょう
が、しかし少なくとも学習者の半数が本人の好きなことにエスペラントを役立てられるように
ならなければ「成功」とは言えないと思ってるんですね。

エスペラントは英語とは違って希望者だけが勉強するわけですし、また私の見るかぎりでは、
世間の平均よりも学歴も高いと思います。
そういう人たちが学習しているのにも関わらず、挫折する人や eterna komencanto が多い
というのは大問題なのであって、「英語よりマシだから…」などと言って済ましていられるも
のではないと思うのです。

みなさんの意見をうかがっていますと、学習途中で挫折した人や eterna komencanto のこ
とをすっかり忘れて「うまく行ってるんだ」と主張しているようにしか見えないので、それには
断固として反対しなければならないと思ったわけです。
---

で、私が >>145 みたいなことを書いたのには理由があります。

私の見るところでは、どうもエスペランティストは、問題だらけの現在のエスペラント運動の
ありかたを正当化するために「その場しのぎの言いわけ」みたいなものをたくさん作りだして
るようにしか見えないんですね。

これらの「言いわけ」というのは、ある特定の問題を説明するのには成功しているように見
えるんですが、しかしそういったものをつなぎ合わせますと、やっぱりツジツマが合わない
んですね。

この手の「言いわけ」めいた理論というのは

(1) 現在のエスペラント運動の問題を隠蔽し、真の問題解決の妨げになる。

(2) エスペラントをやってない人たちに「うさん臭さ」を感じさせる。

というものであって、百害あって一利なしだと思うのです。

まぁ厳密にいえば、この手の理論には「エスペランティストの精神衛生に良い」という一利
だけは確実にあるんですが、しかし、こんな理屈はエスペラント運動について真剣に考え
るうえで邪魔にしかなりませんから、ちょうど「アヘン」みたいなものなんですね。

151松戸彩苑:2008/04/03(木) 04:58:45
>>150 の続き)

私は思うんですが、エスペラント界に長くいますと「学習容易なはずなのに、学習途中で挫
折する人や eterna komencanto がたくさんいる」とか「理念を前面に押し出して宣伝してい
るのに、革新派の人たちでさえエスペラントを一顧だにしない」といったことに慣れてしまっ
て(というか鈍感になって)、疑問に思わなくなってしまうみたいなんですね。

しかし言うまでもなく、これは決定的にまずいんですね。
これでは、世間の人たちと話がかみ合うわけがありません。
一生けんめい話せば話すほど、世間の人たちから「ものすごい洗脳を受けてしまってるんじ
ゃないか」などと思われてしまったりするんですね。

私はこういったことを徹底的に考えていますから、この手の誤解を受けたことはありません。
(もっとも、よほど親しい人にしかエスペラントの話はしないんですが)

ということで「エスペラント界の常識」みたいなものを無批判に受け入れてしまえば考える必
要が無くなってとっても楽なのは事実なんですが、しかしそれは袋小路なんだと思いますね。

(終わり)

152松戸彩苑:2008/04/03(木) 05:32:28
それから「エスペラントを身につけられない人がいるのは、学習する時間が取れないから
だ」って意見がありますね。

まぁ、それは確かにあるでしょうが、しかしエスペラントが学校で広く教えられるようになる
のは、エスペラントの有用性が広く世間に認められてからの事になりますので、当分の間
はそういうふうにはならないわけです。

ですから、このハンディマッチを学習容易性でカバーできなければダメなんですね。
私が「好きなことをやるべきだ」「娯楽を利用すべきだ」と言っているのは、こういったことを
考えているからです。

153胡人:2008/04/03(木) 08:59:18
> ですから、このハンディマッチを学習容易性でカバーできなければダメなんですね。
私が「好きなことをやるべきだ」「娯楽を利用すべきだ」と言っているのは、こういったことを
考えているからです。

松戸さまの上のご意見に、私もほぼ同感です。
ただ、自身の経験上、日常会話の単語等の不足と混乱に原因があるとは思っていないということです。

ただ世界で一番外国語を学ばないのは米国人と言われるように、欧州、日本等、先進国と言われてきた国々は、外国語を学ぶことによる、楽しみも含めた個人的利益があまりなく、情報も含めてほとんど、その母国語で謳歌する事ができる環境を、現在は持っていると思うのです。

自然、まだまだ情報を含めてその環境に無い国々が多い、東欧、アジア、南米、アフリカで、エスペラントの普及活動が元気なのだと思います。

日本等先進国と言われて来た国々では、そのため、一般メディアにのりにくい情報(アングラ情報的な、少数意見的な)が、得意分野としてエスペラント活用の道を保持でき得るとも、私は思うのです。だから一部その使用者の中には、アングラ言語としてのエスペラントに期待している方も存在するようです。

私はそれが良いとは思っていません!だから、昨年RO誌上での、一部偏った様に思える特集に対して怒りを持ったのです。
エスペラントを使用しての思想信条の表明、宗教活動は自由ですし、良いことでもありますが、公の立場としてのエスペラントを失くしてしまっては、その道具としての特性が失われる危険があると思うのです。

あくまで、あらゆる方面に対して間口を広く開けておかねば、エスペラントを使用する希望がもてないと思うわけです。
それ故、現在は様々な問題があろうと、EUでの公用語化に期待し応援するのです。それがひいてはエスペラント自身の特性をより拡大して、あらゆる面において好循環に結び付くと思うからです。

154松戸彩苑:2008/04/05(土) 12:08:20
>>153
> 現在は様々な問題があろうと、EUでの公用語化に期待し応援するのです。

エスペラントをやっていない知り合いに対して「エスペラントをEUの公用語に採用してもら
うべく運動をしてるんですよ」って言ってみて、相手がどういう反応をするか見てみると良い
と思います。

「ああ、それは良いアイディアですね」と言ってくれれば良いんですが、たぶん、そうは言わ
ないと思います。

要するに、世間の人たちは、そういうことが実現するとは思っていないから、革新派の人た
ちでさえエスペラントを支持してくれないのです。
そしてエスペランティストは、そういうことを信じているから、エスペラントをやってるというわ
けです。

世間の人たちから見れば、古代エジプト語よりも見聞きすることが少ないエスペラントを、ど
うして国際共通語にできると信じていられるのかまったく判らないでしょうし、それゆえに、
ものすごい洗脳を受けてるんじゃないかと思ったりするわけですが、理由はものすごく単純
なんですね。

私の場合は、今の状態では、エスペランティストたちが働きかけたくらいではEUに採用され
たりはしないと思っています。
ですから、娯楽などを使ってでも、多少なりともエスペラントが使える人間を増やすというこ
とを提案しているわけです。
---

>>149
> そして、学習人口が他の有力な民族言語に比べて圧倒的に少ないにも拘らず、近年、
> UKと並んで毎年開催される新渡戸シンポジュームや最近の欧州における様々な言語に
> 関する会議や研究・討論またはそれらの発表会等では、共に使用される民族語と並ん
> で、殆ど引けを取らない同時通訳者や翻訳者を擁しています。

たしかに、これはすごいことだと思います。
しかし、だからといって「語彙・表現の問題は無い」ということにはならないと思うんですね。

考えてみればエスペラント界というのは「言語問題に関心のある人間の集まり」なんですね。
そういう人間が集まっているところだから、言語問題を語るのに必要な語彙・表現もそろっ
てるわけです。
また、言語問題を語るのに必要な語彙・表現というのは「術語」のたぐいであって、国際的
に整備されてるものですから、エスペラント化するのもそれほど困難ではなかったんだろう
と思いますね。

しかし、たとえばスポーツ用語なんかを見てみますと、かなりあやしくなるわけです。
私は以前「引き分け」に相当するエスペラント訳語がまちまちだということを論じたことがあ
りますが(↓)

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/173-175

こういうのを見ていますと、やっぱりエスペランティストというのはスポーツに関心のない人
が多いんだろうなぁって思いますね。

それでもこのくらいならまだマシなんですが、エスペラントでは「鈍行列車」にあたる表現が
どうもはっきりしていないというのは、やはり問題だと思うんですね。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/107-109

21世紀に入ってるのに、いまだに「鈍行列車」にあたる表現がはっきりしないなんてのは、
一体どこの発展途上国の言葉なんだ!って感じがしますね。

だいたいエスペラント界では、エスペラントを使った海外旅行が奨励されてるわけですから、
「鈍行列車」という表現だって必要不可欠だと思うんですね。

断わっておきますと、「引き分け」とか「鈍行列車」に相当するエス訳語を1つに絞るべきだ
と言ってるわけではないんですね。
術語の場合は1つに決める必要があるでしょうが、それ以外の概念については複数あって
も構わないんですね。

しかし複数あっても良いんですが、どの表現であっても「間違いなく通じる」というふうになっ
てないとまずいだろうと考えるわけです。
で、どうみても現在はそうなってないようなので、それはまずいだろうと言ってるわけです。

155胡人:2008/04/06(日) 07:49:11
 松戸さまとはやはり平行線の様ですね(^^)

> エスペラントをやっていない知り合いに対して「エスペラントをEUの公用語に採用してもらうべく運動をしてるんですよ」って言ってみて・・・

 「もしかしたら、エスペラントはEUの公用語になるかもしれないんですよ。」と最近、国際交流のフェスティヴァル等で、私は訪問される方々に言っています。自分が運動しているわけではないので、おこがましくて運動しているとはいえませんから(^^)

 それを聞いた方々の反応は良いです。正直一番感心を引くフレーズです。
 わが地方ではジャイカとか、各国国際友好団体とかも、エスペラントは認知していますし好意的に感じてくれています。時々は、他の国際友好団体とも共同で、海外からのお客様を歓迎する集い等の行事を開きますし、グループの幾人かはその様な団体に所属もしています。その様な方々は少なくとも夢物語とは受取っていません。

 以前、書いた様に、それを聞いていた人から、最近のEUでの公用語問題についてのニュースを聞いたのです。エスペラントを全然していない方からです。

> 鈍行列車

 それ自体大変日本文化に溢れた表現に思われます。そのまま文学的に表現するためには、各々のセンスの問題になりますね。日本人向けにはその表現は必要でしょうが、海外への翻訳的にはどの様に表現するかはなかなか難しい問題です。日本人同士には別に翻訳する必要もありませんが・・・
 しかし一般的に海外もしくは世界中の方々と同時に話し合う際には、その様な表現は必要自体ないと思います。日本語的に言うと、普通列車、各駅停車列車とすれば表現すれば良いわけですよね?国によっては全ての列車がその様な列車という事もあります。そのため急行列車、特急列車という表現があるのだと思います。

156松戸彩苑:2008/04/06(日) 11:37:05
>>155
> それを聞いた方々の反応は良いです。正直一番感心を引くフレーズです。

それは意外ですね。

エスペラントがかなりのていど認められているから、そういう反応が返ってくるのでしょうが、
一体どのような活動をされているのか興味がありますね。

そういうエスペラントに理解のある団体の活動にエスペラントを役立てることが出来れば、
エスペラントの有用性を確実に認めてもらえるんですよね。

たとえば、UEAやJEIはユネスコと関係があるわけですが、エスペラントを使ってユネスコの
活動に協力することが出来れば、ユネスコ内部にエスペラントを支持する人が増えると思う
んですね。

しかし実際には、エスペランティストも、本業のあいまにエスペラントの活動をやるというの
で手一杯で、そこまで手が回らないというのが実態なんでしょうね。
---

いちおう言っておきますが(すでに何度も書いたと思うんですが)、私だって、現在のエスペ
ラントでも、かなりのていど役に立つということは知っています。
エスペラントの書籍・雑誌なども読んでおりますし、エスペラントによる講演なども聞いたこと
があります。

しかし、エスペラントの行く末をまじめに考えるというのであれば、現状に満足しきってしまう
のではなく、あえて厳しく考えないといけないと思うんですね。

私がエスペラント界を見ていて呆れるのは、エスペラント界に長くいる人ほど楽天的である
(ようにしか見えない)ということなんですね。
どんな団体であっても、上のほうの人間というのは、自分たちの活動に問題がないか厳しく
チェックしているものだと思うんですが、エスペラント界はそうじゃないんですね。

欧米においてエスペラント運動が落ち目になってるというのに、どうしてこうも緊張感が無い
のか不思議でならないんですが、そういうのを見てますと、これまでうまく行かなかったのも
当然だよなって思いますし、また今のままでは今後もうまく行くことは無いだろうとも思うん
ですね。

たとえば、今から20年前の1988年にも「われわれの運動は間違っていない」「もう少しで
世間に認められるんだ」みたいなことを言ってたんだろうと思いますが、20年たった現在で
も、あいかわらず世間に認められていませんし、欧米においては運動が衰退しているわけ
です。

で、今までやってきたことを今からさらに20年やったとしても、2028年には欧米の運動が
さらに衰退してるだろうと予想されますし、英語を頂点とした多言語主義の進展や、翻訳機
械の進歩・普及によって、アジア・アフリカの運動も停滞あるいは落ち込む可能性があるわ
けなんですね。

まぁ、実際にはこうはならないかもしれませんが、しかしこの程度のことは十二分に予想で
きるわけです。
しかし、エスペラント運動の先頭に立っている人たちの意見を聞いていますと、これまでの
失敗から目をそむけて、希望的観測ばかりを語ってるようにしか見えないんですね。

これではうまく行くはずがないと思いましたので、ここの提示板で、あえて厳しいことを言っ
てるわけです。

(終わり)

157松戸彩苑:2008/04/06(日) 13:42:20
そういえば『Cxu Esperanto postvivos la jaron 2045?』という本を書かれた Tazio Carle-
varo という方がいますが、Wikipedia によりますと、エスペラントをやめてしまったそうです。

http://eo.wikipedia.org/wiki/Tazio_Carlevaro には

  Jam delonge li kabeis, (後略)

と書いてありますし、また

  Li estis tre aktiva esperantisto (後略)

というように、本人はまだご存命なのに過去形(estis)で書いてあります。

このように、40年ものあいだエスペラントのために働いてきた優秀なエスペランティストで
さえも、『Cxu Esperanto postvivos la jaron 2045?』のような本を残して、エスペラントをやめ
てるんですね。

こういうのを見ても、やはりエスペラント運動が危機をむかえているということを痛感せずに
はいられません。

エスペラントの行く末について考えられるような人は、エスペラントの未来に絶望して、やめ
てしまうんですかね?
で、そういうことが考えられない人ばかりが残ってるのですかね?

そうでないことを期待したいものですが。

158松戸彩苑:2008/04/06(日) 17:05:01
このほかにも Internacia Televido 程度のものが(経済的な理由から)維持できない、とい
ったこともあるわけです。
これも、エスペラント運動というものが、エスペランティストの想像している以上に弱体化し
ている証拠の一つだと、私は思いますね。

それから、最近UEAのサイトを見ましたら「UEAの会員数で、日本が1位になった」ってこと
が書いてあるんですね。

http://www.uea.org/dokumentoj/komunikoj/gk.php?no=284

この、エスペラントというものが世間ではほとんど知られていない日本が「世界一」だという
んですが、ずいぶんと心細い世界一だと思いますね。

もちろん、日本よりも人口が少ないのにUEA会員はけっこういる(つまり、人口比に直すと
日本よりも会員数が多い)という国も無いわけではないんですが、それでも計算してみま
すと、日本の10倍もいるってわけではないんですね。

こういったことを考えていきますと、とてもじゃありませんが楽観的にはなれないんですね。
どうして「今までのやり方で大丈夫」だと思えるのか、不思議でなりません。

159ベダウリンデ:2008/04/06(日) 17:23:08
思うんですが、今現在エスペラントの会に入って、楽しく活動してる人は、
それだけで満足なはずだから、問題意識なんて出てこないのが、むしろ当然だと思います。
新人なんて入っても入らなくてもいい、自分が死ぬまでこの楽しい会が存続していてくれれば、それで本望。
そう思っていても、全く普通のことで、責められません。

私はネットでしかエスペラントの事を知らないですが、語彙や文法の不安定さは、多くの人が感じている風です。
でも、必ず「そのうちいつか決まるさ」で終わります。
今が楽しければ、文句を付ける必要なんて全く無いですから、それでいいのです。

逆に私は会に入らないで単独でやっているので、非常に不安です。
一つは、語彙の曖昧さです。巷の記事では、辞書すら間違っているとの事で、
初学者は何を信頼したらいいか、不安です。
辞書の記述を信じてきたのに、ある時それが間違いだと分かったら、ショックのあまり投げ出してしまうかも。

もう一つは、メディア的楽しみが少なすぎて、いつか飽きてしまうのではないか、ということも不安です。
民族語なら、映画やドラマを見たり、歌を集めたり、会に入らなくたって学習の励みになる事が沢山ある。
海外旅行だって、民族語をやれば、一人で行ける。
エスペラントは、その国のエスペランチストに付き添ってもらう、というのが前提。
一人や気心の知れた仲間で、見ず知らずの国で自分達で試行錯誤しながら行動する、という楽しい体験は
エスペラントだけやっていたのでは得られない。ツアーガイドの下での安心旅行しかできない。

160松戸彩苑:2008/04/06(日) 18:31:48
>>159
> 巷の記事では、辞書すら間違っているとの事で

「辞書すら間違っている」なんていう「巷の記事」が、そんなにありますかね?
私の書いたもの以外には、そんなに無いと思うんですが。

>>156 でも書いたように、現在のエスペラントでもかなりの表現力を持ってはいるんですよ。
私が書いているのは、それを認めたうえでの話です。
私が指摘している問題というのも、エスペラント全体から見れば、ごく一部に過ぎないわけ
ですね。

ですから私は、すでに上達している人にはよくよく考えていただきたいと思っている一方で、
初心者はあまり心配する必要はないと思ってるんですが、実際には、それとは正反対のこ
とになってしまってるみたいなので、本当に困ってるんですよね。

161胡人:2008/04/06(日) 23:11:46
> 最近UEAのサイトを見ましたら「UEAの会員数で、日本が1位になった」ってこと
が書いてあるんですね。

世界大会が日本で開催された関係で1位になったのだと推測します。世界大会への参加費はUEAの会員獲得の手段として会員価格が安く設定されているからです。今年だけの事と思います。

162松戸彩苑:2008/04/08(火) 03:51:30
>>161
たしかにそうでしたね。
この部分(>>158 の後半)は撤回させていただきます。

163松戸彩苑:2008/04/08(火) 04:08:48
D・クリスタル(著)『消滅する言語』(中公新書1774 中央公論新社 2004年)という本
のなかに、エスペラントに言及した箇所がありますので、これを引用してみようと思います。

  言語の数が減ることは、人類にとっての利益であって悲劇ではないという、広く支持さ
  れている ― だが、誤った ― 信仰がある。いく通りかの考え方がこれを支えている。
  そのひとつは、聖書のバベル神話をはじめとするいくつかの神話に見られる伝統的な
  考え方である。世界の言語の多様化は人類に科された罰であり、その逆のことが起こ
  れば、もとの全き姿を回復することができるというものだ。この見方によれば、理想的な
  世界ではただ一つの言語のみが存在し、それが相互理解と啓発と平和を保障すること
  になる。世界の言語の数が減るということは、つまりこの目標に近づくのを可能にする
  ことであり、したがって望ましいこととされる。

  この見方には二つの大きな問題がある。第一に、単一の言語を話すことが相互理解や
  平和、新たな国際協調と結束を保障するという発想はあまりにも短絡的にすぎる。これ
  に反する例はあまりにも多く、枚挙にいとまがない。わかりやすい例を挙げよう。世界の
  主な単一言語国家はすべて内戦を経験しており、二〇世紀最後の数十年に戦争が起
  こった地域を見れば、その多くが主に単一言語の国々 ― ベトナム、カンボジア、ルワ
  ンダ、ブルンジ(とくに後の二つは、多言語使用状況がないということでアフリカでは例
  外的である)― であるという驚くべき事実がある。つまり、どの言語にせよ、単一の言
  語を皆が話せば平和になるというのは、まったくの神話にすぎない。英語、エスペラン
  ト語、あるいはほかのどの言語が最終的に世界共通語となったとしても、野心や敵意を
  生む我欲を排除できるとは考えにくい ― 想像上単一の言語のみを使用していたとされ
  るバベルの塔以前の時代においても状況は同じであったろう。

  (同書40〜41ページ)

また、D・クリスタル(著)『地球語としての英語』(みすず書房 1999年)のなかにも、ほぼ
同趣旨のことが書いてあります。

  地球言語の出現がもたらすであろうプラスは大きい。でもそれがもたらしかねない危険
  性について指摘している論者もいる。地球言語は自己満足的で他言語に対し否定的な
  考え方をもつ、単一言語のエリート集団の誕生を助長しうる。そのような地球言語を押
  さえている人々 ― とくにそれが母語である場合 ― はそのことばで考え仕事をしてい
  くことが容易なままに、自らの利益をはかるべく策動し、そうでない人々を犠牲にし、言
  語の袖に隠れては富者と貧者との乖離を固定化しようと努めるだろう。地球言語の存
  在は、母語以外のことばを習得することに怠惰で、その機会を減らすことに熱心な人々
  を生みだすだろう。地球言語の存在は、少数言語の消滅を促進し、究極的な脅威であ
  る、それ以外のいっさいの言語を無用の長物たらしめよう。「他者と話し合うには一つの
  言語で足りるので」という論議も聞かれる。「だから世界言語がひとたびその地位に就く
  や、他の言語は死に絶えるだけ」というわけである。この事態と結びつくのは、言語的
  弱肉強食という何ともいただけない死である。つまり自分のことばの勝利を、他者の敗
  北と引きかえに祝う、という状況が到来しうる危険性である。

164松戸彩苑:2008/04/08(火) 04:09:47
>>163 の続き)

  これらの危険性に正面から向い合い、それが広く存在していることに気がつくのは重要
  である。英語を母語とする人々の中で、言語面での進化論的な見方の信奉者は決して
  払底してはいない。世の中は適者生存なので、もし英語が適者であるとするなら、それ
  でもいいではないかとか、英語が今日占める世界的地位を「幸運な偶然」と呼ぶような
  人々がこれである。言語学習をはなから時間の浪費と決めつける向きも少なくない。ま
  た世界がたった一つの言語で成り立つのはよいことだとする見方に何ら奇異なものを
  感じようとしない人々はもっと多い。これらの中には、このような世界は統一と平和のそ
  れであり、すべての誤解は洗い去られる、とする人々も含まれる。現にエスペラント〔ポ
  ーランドの眼科医ザメンホフは、一八八七年ロシア語で「エスペラント博士による国際
  的言語」を発表。その筆名が彼の創案した国際語の名称となる。〕のような、普遍的な
  人工言語を支持する運動にあっては、これは広く信奉された見方である。また、単一
  言語論者の中には、このような世界こそ、人間がバベルの塔を経験する以前の、純一
  無垢の時代への好ましい回帰であるとする向きもある。

  この種の懸念があまりにも思弁的にすぎ、確たる証拠に欠ける以上、それの軽減ない
  しは除去のために何か打つ手があるかどうかを見極めるのは難しい。が、さいごの点だ
  けは容易に退けることができる。ある地域社会が単一の共通言語を使うといって直ち
  に社会の調和や相互の理解を保証するとは限らぬ、という点がこれで、アメリカの南北
  戦争やスペイン内戦、ベトナム戦争や、ユーゴスラビア、現在の北アイルランドなど実
  例にはこと欠かない。逆に、地域社会の中に複数の言語が存在するからといって対立
  抗争が必ず招来されるわけではなく、現にフィンランド、シンガポール、スイスなどに見
  られるように、複数言語の平和共存の成功例もいくつか実在する。

  (同書22〜24ページ)

これを読みますと、どうやらクリスタル氏は「エスペラント運動というのは、民族語を全廃す
ることを目標としているもの」だと思ってるみたいなんですね。

また、そのような誤解が生じるのは「バベルの塔」の話をするからではないかという予感も
してくるわけですね。
今はどうなのか知りませんが、かつて欧米においてエスペラントの話をする際に「バベルの
塔」の話を持ちだすことがあったみたいなんですが、これが世間の人たちに「民族語を全
廃して、エスペラントのみを使うようにする」と主張していると誤解される原因になってるの
ではないかと思います。
ということで、「バベルの塔」の話は誤解をまねく比喩なので、使わないほうが良さそうだと
いうことになりそうです。
(もっとも日本では、聖書になじみが無いせいか、エスペラントを宣伝する際に「バベルの
塔」の話を持ちだすことはほとんど無いんですが)

それから、エスペランティストたちは「世界平和のためにエスペラントを」と主張してきました
が、クリスタル氏は「言葉が統一されれば平和になるというわけではない」と批判している
わけです。
ですから、これまで「世界平和のためにエスペラントを」と主張してきた人たちは、これに対
して何らかの反論をすべきだと思いますね。

私の場合は「理念や理論を前面に出した宣伝は効果が無いのでやめよう」と主張しており
ますので、反論する義務はないわけです。

165松戸彩苑:2008/04/08(火) 04:13:29
>>164 の続き)

黒田龍之助(著)『にぎやかな外国語の世界』(白水社 2007年)という本のなかにも、エ
スペラントについて論じた文章がありましたので、これも見てみましょう。

    国際共通語という夢

  「エスペラント」というのを、聞いたことがありますか。

  エスペラントはポーランドの眼科医であるザメンホフという人が1887年に発表した人工
  言語です。人工言語というと、なんだかコンピュータみたいな気がしますが、そうではな
  く、人間の言語と同じ発想で創られた、国際共通語なのです。ちなみにエスペラントとい
  うのは、「希望する人」という意味だそうです。

  国際共通語を目指して作られた人工言語は、エスペラントだけではありません。他にも
  ヴォラピュクとかイドなど、いろいろとあるのですが、その中でもいちばん成功している、
  つまり、普及しているのがエスペラントです。

  エスペラントのような人工言語の利点は、誰にとっても平等であることだといわれていま
  す。人工言語が母語という人はいないわけですから、誰もが勉強してこれを使うという
  条件は同じだからです。たとえば英語が国際共通語として使われるようになると、英語
  を母語とする人がどうしても有利になってしまいますが、そういう不公平がありません。

  みんなに平等なエスペラントは、国際的な場面でのコミュニケーションに役立つことを目
  指しています。そのため、エスペラントの普及活動が世界中でおこなわれています。

  またエスペラントは、みんなが覚えやすいようにやさしく創られています。文法の基本規
  則はたった16で、しかも例外が一切ありません。文字もラテン文字だし、勉強するのが
  とても楽だといわれています。

  でも、わたし個人としては、残念ながらエスペラントにあまり興味が持てません。

  まず、やさしいといわれていますが、あまりそういう気がしないのです。語彙はヨーロッパ
  の諸言語が基本です。たとえば数字「1、2、3」はエスペラントで「ウヌ、ドゥ、トゥリ」とい
  い、スペイン語やイタリア語によく似ています。他の語彙もそうで、英語やフランス語など
  をすでに知っている人にはいいかもしれませんが、そうでなければ覚える手間は同じで
  はないでしょうか。それに、これはわたしが素直でないからかも知れませんが、例外が
  ない文法なんて、なんだかつまらないのです。

  みんなに平等という発想は立派です。でも国際共通語1つだけでみんながコミュニケー
  ションできる世の中は、果たして幸せなんでしょうか。少なくとも、にぎやかな外国語の
  世界を目指すわたしにとっては、英語だろうとエスペラントだろうと、たった1つの言語の
  世界はやっぱりつまらないのです。

  エスペラントの普及を目指している人は、立派な目的をもってやっているので、それを否
  定するつもりはありません。世の中にはいろいろな考え方がありますからね。つまらない
  というのは、あくまでわたしの個人的な意見です。

  (同書156〜157ページ)

黒田氏というのは、大学でロシア語を勉強して通訳になった方であり、またロシア語以外
にも数多くの言語を勉強している方なんですね。
それで、ロシア語やその他のスラブ諸語に関する教科書を出す一方で、「マイナーな言語
をもっと楽しく勉強しようよ」といった趣旨の本も何冊か出しておられるんですね。
そういう人がエスペラントに関心が持てないというのは、ちょっと残念ですね。

また、黒田氏のような人でさえも「エスペラントはヨーロッパ語」という程度の認識だという
ことも判りますね。
まぁ、エスペラントの使いやすさというのは、部外者の方にはなかなか判っていただけない
ものだと思うんですが、たとえば forgesi と ema をくっつけて forgesema(忘れっぽい)が
でき、これに iĝi をつけると forgesemiĝi (忘れっぽくなる)が出来る、みたいなことを説明
すれば、少しは判っていただけるのかもしれませんね。
つまり「たしかに単語はヨーロッパ語に由来しているんだが、しかし、それを自由に使って
文章を書いたり、造語をしたりすることが出来るので、欧米語を母語としない人たちにとっ
ても、民族語を使うのよりもずっと楽なんだ」ということを具体的な例をあげて説明するとい
うことですね。

166松戸彩苑:2008/04/08(火) 04:28:42
>>165 の続き)

また、この文章から「たとえ目的が立派だったとしても、支持してもらえるとは限らない」とい
うことも理解することが出来ますね。
---

こういった文章を読んでいますと、どうやら言語学のプロたちが理想としているのは「多言
語主義」であり、そしてエスペラントというのは、この「多言語主義」に反するものだと考え
られてるみたいなんですね。

かんたんに言ってしまえば、エスペランティストは

  小言語を滅亡に導いているのは、英語(やフランス語・ロシア語・中国語・スペイン語と
  いった大民族語)であって、エスペラントが広まれば、こういった小言語を守ることが出
  来るんだ。

と考えてるわけですが、世間の言語学者たちは

  エスペラントが広まれば、英語に代わって小言語を滅ぼすことになるんじゃないか?

って考えてるみたいなんですね。
それでエスペラントは注目されないというわけです。

私の場合は、たとえエスペラントが広まったとしても、(まことに残念ながら)話者の少ない
言語はやっぱり廃れていくんじゃないかと思いますね。
交通や通信といったものが発達すれば、当然「大言語のほうが便利だよね」ということにな
ってきますし、また学習の機会も増えるわけですからね。
ですから、小言語を守る最良の方法は、交通や通信といったものを全廃することだと思うん
ですけど、そんなことをするはずがありませんしね。
---

それからこの他にも、エスペラント運動が誤解される理由があると思うんですね。

それは「理念や理論を論じて勧誘する」という運動のスタイルが、イデオロギーや新興宗教
の勧誘のしかたとそっくりだということです。

それで「あぁ、思想と言葉を一つに統一して、それ以外の思想や言葉を全廃すれば、世界
が平和になるっていう話なんだな」と思ってしまう人が出てくるんだと思いますね。

ですから私は、娯楽を利用することを主張しているわけです。
これならば、イデオロギーや新興宗教と間違えられることはないと思います。

ということで、あんまりまとまりのない論じ方になってしまいましたが、これで終わりとさせて
いただきます。
みなさんも、エスペラントを支持していない人たちのエスペラント観というものを研究すると
宜しいかと思います。

(終わり)

167なつ:2008/04/12(土) 22:47:30
>>166
最後の数行は真理だと思いますね。
すぐ、左翼か否かで終始しますからね。
最大の辞書PIVが自他ともに認める左翼団体から出ていますし。
日本最大のエス-日、日-エス辞書は他称左翼団体から出ています。
平和憲法論議も正直一般庶民にはどうでもいい。
HELが左翼団体かどうか、そのメルマガの学習担当者が左翼かどうかなんて
一般庶民にはどうでもいいんですよ。
エスペラントに娯楽が入ればそういうのはすべて駆逐するでしょう。
スポーツネタもない、お笑いもない。
映画もない。数年前JEIに映像的なものはないかときいたら、南京大虐殺を涙ながらプロパガンダする
中国人エスペランティストのDVDしかありませんでしたね(500円也)。
ペ・ヨンジュン氏(の映画、ドラマ)が好きで韓国語を学んだ人は日本で多いはず。それはエスペラントではまずありません。
下ネタも実はかなり重要ですね。世界一のベストセラー、聖書でも下ネタはでますからね

168なつ:2008/04/12(土) 23:17:13
追記。先日、アニメでエスペラントの歌詞の歌が出ましたが、
あれだけでも、過去十年の普及運動を認知の面で完全に凌駕しているんですよね。

169ベダウリンデ:2008/04/14(月) 16:11:11
>アニメでエスペラントの歌詞の歌が出ましたが、
「ルーミス・エテルネ」って遅ればせながら私も聞いてみました。
素敵な歌ですね。あれを聞いて興味を持った人は、エスペラントって何て素敵な
夢の国の言葉みたいって思うでしょうね。(でも実態見たらドロドロ?)
しかし過去十年で全く変わったのはインターネットの普及ですね。
あの歌聴いた人はネットで素早くエスペラントの事調べたみたいだし、
私が追ってアニメの歌を聴ける、なんてのもネットのおかげなんですよね。
これからのエスペラント界は望む望まないとは別に、どんどん変わっていくかもしれないですね。

170Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/04/14(月) 19:29:14
支援up。確かにこれの洗脳力は過去10年を超えるかも。

Lumis Eterne http://jp.youtube.com/watch?v=uggnwtmxCI0

Vesperrug^o, fluas en ondetoj.
G^i estas kiel la kanto, bela kanto de felic^o.
C^u vi rimarkis birdojn, portanta afableco?
Super la maro flugas, ili flugas kun amo.
Orang^a c^ielo emocias mian spiriton.
Stelo de l'espero, stelo lumis eterne,
Lumis eterne.

夕日が沈み 流れるさざ波
それはまるで無垢な幸せの歌のよう
鳥たちは優しさを運ぶ遣い
海を越え飛ぶよ 愛を風に乗せ
心ふるえる黄昏の空に
永遠(とわ)に輝く希望の星よ
ルーミス エテルネ


アルカ系もついでに
ランティスの子守唄 http://jp.youtube.com/watch?v=ey11xMd99GI
アルミヴァの覚え歌 http://jp.youtube.com/watch?v=AUS7uUZ5RPQ

字幕だけですが最新作
【鏡音リン】ココロ【アルカ字幕】修正版 http://jp.youtube.com/watch?v=lKCPkAYaxg8

171なつ:2008/04/14(月) 22:29:37
>>170
いいですねえ、とてもいい。
エスペラントはその言われている人口に比べてYoutubeに少なすぎる。

で、これ、どなたが歌っているんですか?
ついでに、帝国華撃団もお願いします(ご自身ですか?)。

172Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/04/15(火) 11:29:09
帝国華撃団と幻字の歌はセレン=アルバザード氏(バツイチ)です。
ランティスの子守唄とアルミヴァの覚え歌は、エスタ=アルバザード氏(元妻)です。
鏡音リンとハンマーソングとスマブラは字幕のみです。

エスペラントは少なくともYoutubeに関してはEsperantoで検索すれば海外系の動画はたくさんあります。
ただ、ニコニコ動画へはこのLumis Eterne以外の投稿はなく、進出が遅れている様子です。
つまり、海外ではいまだ動画をupする若者が多少いても、日本には若いユーザーは余りいないということでしょう。

負けず嫌いなので、アルカ訳も作ってみました。

後期制アルカ(2005/12/19〜)訳
dovpar en et ment, tiseev en et ekx.
夕日 が関 也 沈, 小波 が関 也 流.
沈む夕日、流れる小波

tu et yun miks, miks lant e nol.
是 也 如 歌, 歌 美 之 幸
是は歌の如し、幸なる美しき歌

ti atap-a kuto se, al pioan onen nol?
汝 目印とした 鳥 ら, に 運者 をの 幸?
汝は鳥らを目印にしたか、幸せの運び手として?

rak aka kern-i, laso kern-i ok tial.
超 海 飛ぶ, あの人ら 飛ぶ 伴 愛.
海を越え飛ぶ、彼らは愛と共に飛ぶ

jan lisik nand-i seles e an.
空 柑 感情的にす 魂 之 我
橙色の空が我が魂を感情的にす

ifa e lana, ifa en at flip rax teom,
星 之 希望, 星 が関 けり 輝 副詞 永遠,
希望の星、 永遠に輝いた希望の星

en at flip rax teom.
が関 けり 輝 副詞 永遠
永遠に輝いた。

173Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/04/15(火) 11:37:35
ちなみに最近のアルカは国際補助語指向の学習効率のいい言語から、
話しやすく聞きやすい民族語指向に方向性転換して結構大変なことに。
目茶苦茶、女言葉が発展したり、n対語を廃止して雅な語形にしたり、
フランス語っぽいエリジオン・アンシュマンの概念が導入されるとか・・・。

2008年4月10日改訂版新生アルカ訳(女言葉)
cuuf l'et mend, liseev l'ekx.
tu et yun xilem, xilem lant e nil.
tyu atapat kuto se, a pioan e nat?
rak tier kern, lain kern ok tiia.
jan lisik nand seles nono.
liifa e lax, liifa l'at flip rax teom.
l'at flip rax teom.

174ベダウリンデ:2008/05/01(木) 11:11:29
>松戸様
ここ数日「よろず」に出張してベテランさんに説得を試みていらっしゃる様ですが、全く平行線のご様子ですね。
申し訳ないですが、やっぱりなーという感じです。
あちらの方のご意見を私なりにまとめると、「普及」より今のサークル活動が楽しい、という感じみたいですね。
もちろん「個人的見解」と注意書きがありましたが、想像するに、今のベテランさんは大体同じような価値観なんじゃないか、と思います。
他の人達は必ずしも「普及」が目的ではないので、「普及」を第一に考える松戸様とは、根本的に意見が一致しないのだと思います。

ベテランは松戸さんの意見を聞かないのに、初心者の方が却って影響される、と危惧されていっらしゃる様でしたが、
御心配には及びません。なぜなら、私はエスペラントのダメな所も知った上で納得してやりたいからです。
何も知らされず「楽しいよ〜」「簡単だよ〜」「これをやると世界が平和になるんだよ〜」とか言われて、
それを信じてエスペラントやるなんて、まっぴらです。
もしエスペラントの全てがそんな調子だったら、私はエスペラントやめてます。
(よく、初心者にはそこまで話す必要はない、とかいう意見があるけど、ばかにするな、といいたいですよ)

ですから、そうではない意見を言える松戸さんの存在って、意外と有意義ではないか、と思っているのです。
あちらのベテランさんには「全否定」されてる感がありますが、気を落とさないで下さい、と言いたいですね。
これからも、「語彙の不備な点」をどんどん問題提起して頂きたいです。
初心者は「あーそういうとこ、まだ未定なのか、もし使う時があったら気をつけよう」と思います。
むしろ初心者やこれから始めようという人をターゲットにアピールしてみたらどうでしょうね?

175松戸彩苑:2008/05/04(日) 07:43:50
>>174
暖かい励ましのお言葉をかけてくださって、ありがとうございます。

よろず相談室のほうに「好きな事をやるのは良いんですが、でも分析は必要だと思います」
という文章を載せてみたんですが、どうでしょうかね?

http://6607.teacup.com/helesp/bbs/665

176ベダウリンデ:2008/05/05(月) 14:51:30
松戸さんも、「よろず」の管理人さんも、英語ヒエラルキーに風穴を開ける、という目的でエスペラントをやっている、
という点では一致していましたね。(「全否定」は訂正します)
私からすれば、ご両者とも、極めて明確に社会変革の意図を持っている、と言えます。
(私にとっては、世界が英語中心に回っていようと、関係ないです。変革の意図なんてさらさらありません)

社会変革の意図は同じなのに、松戸さんは「分析を」と言い、「よろず」の管理人さんは、今のまま各自で好きな事をやればよい、と。
この点では、私は「よろず」派。誰だって、嫌な事、気のむかない事は強制されたくないですよ。
いくら高尚な理念があっても、所詮「道楽」なんですよね。
戦時中、戦争に反対して、違法扱いされて殺されちゃった人はいた。
しかし、信ずる事のためならば死さえ厭わない、という人はエスペラントにはいないでしょう。
MATの活動には、「著作権法違反になるのが怖くて」参加を躊躇した様子だし。
その程度の道楽なんです。「高尚な理念」でエスペラントやるのも、言語オタクが面白半分でやるのも、同レベルです。
私も同じです。私は言語オタクじゃないけど、エスペラントが面白いからやってます。
みんな道楽なんだから、これをすべきだとか、他人には言えないですよ。

177ベダウリンデ:2008/05/05(月) 15:02:07
「普及」を第一優先し、そのためには「娯楽を」いう松戸さんのご意見と
MATの活動の方向性はぴったり合っています。
オタクアニメが好きなら参加すればいいけど、もしオタクアニメに関心が無かったら、参加する義務はないでしょう。
誰だって、興味関心が無い事を強制されるのは、嫌だと思う。

178松戸彩苑:2008/05/06(火) 01:49:30
> 社会変革の意図は同じなのに、松戸さんは「分析を」と言い、「よろず」の管理人さんは、
> 今のまま各自で好きな事をやればよい、と。
> この点では、私は「よろず」派。誰だって、嫌な事、気のむかない事は強制されたくない
> ですよ。

どうやら、私の言わんとしていることが正しく伝わっていないようですね。
私は

(1) エスペラント界はこれまでさんざん頑張ってきたのに、エスペラントは世間の人たちに
    受け入れられていない。
    それはどうしてなのか本気で考える必要があるし、これは長年エスペラントをやってい
    る人にとっての義務であるとも思う。

(2) しかしそれと同時に、エスペランティストは「自分に向いたやり方」でエスペラントを宣
    伝して良いとも思う。

    私が「娯楽」擁護をしたのは、現在のエスペラント界ではこういったものを差別する傾
    向がまだ残っているんじゃないかと思ったからであり、べつにエスペランティスト全員
    に押しつけるためではない。

ってことを言いたかっただけなんですよね。
実際、私だって「漫画」「アニメ」などを利用することを理論的には推奨しておきながら、一方
では、だにょさんの提案に協力しなかったわけですから。

しかし、ベダウリンデさんがそう思われたのであれば、やはり私の書き方に問題があるので
しょう。

179松戸彩苑:2008/05/06(火) 08:27:07
>>178 の続き)

とは言っても、エスペラント運動の歴史や現状を調べていきますと、どうしても「理念や理論
を前面に出した宣伝では、世間の人たちや自分の家族や知人にさえも、なかなか理解して
もらえない」という結論が出てくることも事実なんですね。

たとえば、私は以前ここの掲示板に書いたんですが

(1) エスペラント運動がマスコミに取り上げられることはきわめて少ないが、しかしよく考え
    てみると「国際交流」とか「市民運動」といったものはマスコミが好んで取り上げるネタ
    のはずである。
    しかし、それにも関わらずエスペラントが取り上げてもらえないのはなぜなのか。

(2) 私の考えでは、「エスペラント運動は単なる国際交流を目指したものではなく、特殊な
    思想である」とマスコミ関係者に思われている。
    マスコミにおいては「特定の思想に偏らない」ということを指針にしていることが多いの
    で、エスペラント運動はこれに抵触してしまう。
    それで、マスコミが取り上げることが少なくなってしまう。

    またこのほかにも「エスペラントは落ち目である」とマスコミ関係者に思われているとい
    う事もあるだろう。
    革新派のメディアに取り上げられないのは、こちらの理由のほうが大きいと思われる。

(3) こういった理由があるので、オタクの人たちのイベントはしばしばマスコミに取り上げら
    れるのに、エスペラントは取り上げられない、という事になっていると私は推測する。
    だから、エスペラント界ももっと軽めの活動をしたほうが、マスコミに取り上げられる可
    能性が高くなるのではないかと私は思う。

という事があるんですね。

私は、世間というのは「かなり軽薄」なものだと思っています。
ですから、正面から「世界平和」だの「世界の言語問題」などと言っても、話を聞いてくれない
んですね。
軽薄な人たちには軽薄なやり方でエスペラントを広めるしかないだろうと私は考えているん
ですが、理念や理論でエスペラントを広めようとしている人たちは「世間は軽薄である」という
ことが判っておられないようなので、この点を強調しようと思ったんですね。

でも、だからといって、私は「理念や理論に関する活動をぜんぶやめろ」などと言う気はまっ
たくありません。
「世間は、理念や理論に関心を持たないことが多いし、またしばしば誤解をしたりする」という
事実を把握したうえで、そういった活動をすれば良いんだと思っています。

180ベダウリンデ:2008/05/06(火) 10:06:20
>理念や理論でエスペラントを広めようとしている人たちは「世間は軽薄である」という
ことが判っておられないようなので、この点を強調しようと思ったんですね。

理念重視の人は、「軽薄な人」にエスペラントをやってもらいたくないんですよ。
例え、そういう人が入ってきても、読まされる本がつまんない本だったりして、
必然的にやめさせるようになっているんですよ。
そして「やっぱり理念がない人はダメだね〜」と陰口たたいて喜んでるんですよ。
(これは、この掲示板の過去の書き込みから、私が推測しました)

かといって、明確な意図で、「軽薄な人」を排除しようとしてる訳ではないでしょう。
積極的に彼らの好みに合わせることをしないだけです。
合わないからやめちゃうのは自然な流れ、でもそれで構わないさ、というだけでしょう。
自分に無理して他人の好みに迎合してまで、そこまでしてエスペラントを広めようという気になれない、というだけでしょう。

「よろず」の人たちは参加しないまでもMATの活動に理解は示していました。
自分の会に「軽薄な人」が入って来ても定着するか分からないけど、
他の団体が勝手にやるなら、構わないですよ、という構図でしょう。

ベテランはエスペラントを全ての人に広めたいと思っている、という前提が、
そもそも現実と違うと思う。

181松戸彩苑:2008/05/06(火) 10:18:40
>>180
> 理念重視の人は、「軽薄な人」にエスペラントをやってもらいたくないんですよ。

まぁ、それはそうなんでしょう。

でも私の言いたいのは

(1) 革新派の人たちでさえも、大部分の人たちは、理念や理論ではエスペラントをやる気
    にならない。

(2) こういう人たちでさえも、理念や理論よりも「エスペラントで海外旅行をした」といった
    ことのほうに注目する。

といった事なんですね。

でもまぁ、こういったことは不愉快な事実なので、絶対に認めたくないんでしょう。
だから、こういったことをウヤムヤにしたままで運動をしてるんだろうと思うんですね。

で、今みたいな運動をしていても、ほんの僅かながら、自分たちと同じような価値観をもっ
た人間がエスペラント界に入ってきますから、そういう人たちと友達になれるということで
十二分に満足してるんでしょうね。

でも、こんな事をしていたのでは、エスペラントは絶対に広まるわけがありませんね。

182松戸彩苑:2008/05/06(火) 11:31:30
それから私が言ってるのは

  エスペラントのように、真に革命的で、奥の深いものが、そう簡単に理解できるわけが
  ない。

ということですね。

理念や理論を前面に出して宣伝している人たちは、こういったことも判っていないと思うん
ですね。
で実際、革新派の人たちや、自分の家族や知人でさえも理解してくれないわけじゃないで
すか。

ですから、「エスペラントで娯楽を楽しむ」といったことで良いからエスペラントに興味をもっ
てもらって勉強してもらうようにすれば、ついてこれる人も多いんじゃないかって思うわけ
です。

で、自分で実際にエスペラントを勉強して、多少なりともエスペラントが使えるようになれば、
エスペラントの素晴らしさとか潜在的な可能性だとかも徐々に判ってくると思うんですね。

どうも私の見るところでは、理念重視の人には「戦略」というのがまったく無いんですね。
「目的が正しければ、それを訴えるだけで(少なくとも頭のいい人や革新的な人たちは)判
ってくれるんだ」みたいな考え方をしているように思えます。

要するに「ひどくせっかち」で「世間の人たちの知的レベルを過大評価している」んだと思う
んですけど、エスペラントのように革命的なものの場合には、革新的な人たちや知識人で
さえも理解できないんですね。

ですから「遠回り」のように見えるかもしれませんが、目標は何でも良いからエスペラントを
勉強してもらうような工夫が必要なんだと私は考えています。


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