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ザ・KK退会者がもの言うスレット
128
:
100式
:2006/11/06(月) 00:25:29 ID:Naf.nPUc
>>125
初代氏
未整理と言うよりも、整理する気が無いw
ワシが問題を感じるのが、「人々を無神論に導く思想」ってところ。
教団も同じじゃないかね。
そういうものは淘汰されて無くなっていくのが望ましい。
で、有神論なら何でもOKとまでは言いませんよ。
ついでに、
>「科学」を基準に諭さなければならない。
そんな義務は無いと思うが?
KK思想が普及すれば、そんな人たちも減っていくんじゃないの?
>「科学」から諭される立場にもあるということ。
霊界思想の普及が義務。
諭されていてはお話になりません。
129
:
100式
:2006/11/06(月) 00:27:30 ID:Naf.nPUc
>>122
K氏
最近は「歴史が証明する」みたいな言い方だねw
あんまり邪教邪教と言わなくなった。
130
:
100式
:2006/11/06(月) 00:56:50 ID:Naf.nPUc
>>122
要するに、破壊的カルトや現状無視の原理主義者はキモイってことかね。
「宗教に凝る」という表現では熱心な信仰者も含まれると思うがね。
ワシの勘違いだったかね。
で、マザーを良く知らないんだ。
これも勘違いだった。
ってことは
>>123
に不適切なものがあります。御理解のほどを。
霊界は宗教が仕切っている世界だが、
夢では自分の意識の通じる所、つまり、
その仕切られている一部分しか見れない。
だから、夢で確認するのは不可能でしょ。
ってことを言っている。
「宗教は手段」についてはまた後日。
131
:
初代
:2006/11/06(月) 07:23:02 ID:TpNpqkd2
>>128
100式さんへ
>未整理と言うよりも、整理する気が無いw
いさぎよすぎ。(あはは)
>ワシが問題を感じるのが、「人々を無神論に導く思想」ってところ。
理解していないのに「進化論即悪」って反応は止めておいた方がいいよ。
理由を繰り返しますが、「進化論」そのものが多岐に亘っていること、またKKは一部生物進化を認めている(有神論的進化論)の立場ですから。
思想だけを問題にしたいのなら、尚のこと「進化論」の歴史を深く知り且つ「進化思想」だけを抽出できるくらいでなければアカンのとちゃうかな。
>>「科学」を基準に諭さなければならない。
>そんな義務は無いと思うが?
「幸福の科学」は「科学」に重きを置かないということかな。
>KK思想が普及すれば、そんな人たちも減っていくんじゃないの?
科学的であることをもって、普及させていくわけではないんやね。
>>「科学」から諭される立場にもあるということ。
>霊界思想の普及が義務。
特に科学的であろうとはしない…と。
>諭されていてはお話になりません。
科学から反論があった時はどういう態度をとるのかな?
132
:
100式
:2006/11/06(月) 15:18:27 ID:Naf.nPUc
>>130
はRANDY氏宛て
で続きね。
たとえば、諸行無常・諸法無我とかは手段かね?
こういうのは存在について語っていることで、真理そのものだろう。
これは目的か?手段か?
宗教は神の実在をといている。
神とは目的か?手段か?
要するに、宗教思想の中核は、形而上の理念であって、
目的、手段といった表現では不適当じゃないかね。
ということ。
133
:
100式
:2006/11/06(月) 15:38:24 ID:Naf.nPUc
>>127
エートス氏
>意外というより問題外w
問題外つーてもねぇ。
松下幸之助の過去世は紀伊国屋文左衛門だが、その前はルカの福音書を書いたルカだと。
人の転生は奥が深いですねぇ。
学問的に整合性を求めても、まあ、そうはいかない場合も多いんじゃないでしょうか。
まあ、ピカソは梵天界、ダビンチは如来界の上段階、
美術関係だけにとどまらないダビンチの仕事をみれば、
ああそうなんだと納得がいきませんか?
ミケランジェロは仕事のできないやつだと、
ダビンチを馬鹿にしていたと聞きますけどね。
求めていたものが違うんでしょうね。
哲学の話どうもありがとうございます。
ああいう風にまとめていただくとわかりやすいです。
で、KK的A級戦犯は誰かと言いますと、
マルクス、ニーチェ、ダーウィンとなります。
これを学問的に分析するのは、専門家にお任せしますわ。
>雑談に書いた映画評を読まれたらおめでとうございますにはならないでしょうね。w
いえ、ちゃんと見られて感想を持たれた。それで結構です。
あの映画は悟りの映画でもあるので、全部理解できると如来格なんだそうな。
で、その人の心境・悟りに応じて共鳴する部分、感じ方が変わってくるといいます。
共鳴する所が無かった。これも大事な発見でしょう。
134
:
100式
:2006/11/06(月) 15:52:38 ID:Naf.nPUc
>>131
初代さんは素人の範囲を超えている所があるんで、
あえて素人っぽく反応していますw
あなたのおっしゃることもごもっともですけれども、
それは生物学の専門家にお任せすることでありましょう。
また、教団としてどう対応するかも、教団のことで、
ワシら一般信者には関係ないといえば関係ない。
方針としては「人々を無神論に導く考え方が悪い」でよいと思うし、
具体的にどうするのかはやはり教団任せ。
個人としては霊的人生観・世界観を辛抱強く訴えていくだけ。
社会的軋轢を起こさないように、上手にってことで。
135
:
RANDY
:2006/11/07(火) 18:47:14 ID:EjAZzxyo
100式氏
>>130
>「宗教に凝る」という表現では熱心な信仰者も含まれると思うがね。
具体的事例を挙げるのが分かり易いと思うので、とりあえず書いて見ます。
①私は信者時代に、友達をKKの集いに誘った事があります。その時、会員らが声を合わせて正心法語を唱えているのを目の当たりにした友達の感想は、「気持ち悪い」という一言でした。私は後からこの事実を、先輩会員らに告げんだけど、答えは「そりゃそだろ」ということでした。先輩会員らも、普通の人が見たら驚くだろうということは承知していた。
②あとは……同窓会で、話の流れからかつての級友に信仰告白してみたら、「馬鹿じゃねー」と一蹴されたことがありますね。同窓会じゃない、他の場面で、他の友達らに、文庫本の『不動心』とか「面白いよ」と言って見せた事あったけど、まあ似たり寄ったりの反応でしたね。宗教の話は完全拒否という感じ。
③それから私がKKに入会する前の話だけど、ある友達(A)の家に行ったら、豪勢な祭壇みたいのが設えてありました。友達(A)の友達(B)は、「なにこれ、宗教? やばいんじゃない?」と言っていたのが印象に残ってる。
私の個人的考えを言えば、過去に信者経験があるので、上に挙げた一般人ほど宗教に偏見はありませんよ。原理主義については、現実に妥協せずに宗教を突き詰めれば、原理主義に至るのは、いわば必然と思います。
ただね。普通の人たちの宗教に対する思いは、大体、上に挙げたようなもののようですよ。さらに言えば、KKは、こういう偏見が存在する事を認めた上で、それを矯正しようという目標もあったように思います。もしも宗教に対する偏見が存在しないなら、KKが「信仰は美しい」とか改めて言う必要はないわけです。こういうことを言わなきゃならないこと事体が、現実はその反対の考えの人が多いことを示してる。
マザーテレサについて触れると、日本でのマザーの取り上げ方は、信仰者としてよりかは、慈善家、奉仕する人として報道されることが多いのじゃないだろうか。それから一般人から見て、僧侶、牧師、神父、修道女などは、いわば宗教のプロですから、宗教プロが宗教に熱心なのは、当たり前だから、さほど宗教に凝ってるという否定的な見方にはならないでしょうね。
136
:
RANDY
:2006/11/07(火) 18:52:32 ID:EjAZzxyo
100式氏
>>130
>霊界は宗教が仕切っている世界だが、夢では自分の意識の通じる所、つまり、その仕切られている一部分しか見れない。だから、夢で確認するのは不可能でしょ。
霊界は宗教が仕切っているとすれば、霊界の何処を見ても、宗教に行き当たると思いますよ。もし霊界の何処かに宗教が希薄な部分があるなら、それは宗教が仕切ってることにはならないのじゃないだろうか。
あと念のために言っとくと、私が習ったKK霊界観は、上位に行くほど宗教の相違は問題じゃなくなるという感じだったと記憶してる。高級霊には宗教専門霊の割合が高いとか、高級霊は神仏を信じてるとか、そういうのはあったと思うけど、「宗教が仕切ってる」というのはあまり記憶にないですね。
というわけで、ここらで、私なりの夢、宗教、霊界についての妄想をちょっとだけ。
たしか夢と無意識が関連するという説がありますね。これに乗っかって考えると、夢の中で、思想宗教がモロに出てくることって少ないから、思想宗教は心の奥底の潜在意識、無意識とかに属するものじゃなくて、表面意識に属するのかもしれません。
もちろん宗教が関わる夢もあるでしょ。でもそれは宗教が主役じゃなくて、無意識が、その人の表面意識の宗教に合わせた形で表現されてるだけって感じがする。だから夢、宗教、霊界(つまりその人が信じてる世界観ね)、こういったものは本質的なものじゃなくて、あるものが翻訳されたもの、象徴とかだと思う。ホントのことは、その向こう側にあるんじゃないだろか。
>>132
宗教全体をざっと見回してみると、大概は、幸福獲得の方法論を説いてるようですよ。
諸行無常とかも、移ろい行くものに執着するのを止めると幸福になるということでしょ。神と信仰についても、神を信じれば幸福、背を向ければ不幸ということでしょ。KKの場合は、愛、知、反省、発展とか色々教えはあるけれども、それらの目的は、「あの世とこの世を貫く幸福」の獲得でしょ。
もちろん一口に幸福と言っても、その中身はさまざまです。信仰を失うよりも殉教する方が幸福だという人もいるでしょ。商売繁盛、病気平癒が幸福だと言う人もいるでしょ。ただどういう場合にしろ幸福を求めていることには変わりない。大方の人にとっては、幸福こそが目的なんじゃないかな。
137
:
エートス
:2006/11/08(水) 22:25:46 ID:eJrkL8FU
>>133
100式氏
宗教お宅はキモイという話がRANDY氏との間で続いているようですね。
家に豪華な祭壇があったり、声を揃えてお経を唱えたりとかは、まー自分とは関係ない世界なんであまり抵抗はないのですが、あなたのこのコメントははっきり言って気味悪かった。
>いえ、ちゃんと見られて感想を持たれた。それで結構です。
ここまではいいんですよ。で、
>あの映画は悟りの映画でもあるので、全部理解できると如来格なんだそうな。
>で、その人の心境・悟りに応じて共鳴する部分、感じ方が変わってくるといいます。
>共鳴する所が無かった。これも大事な発見でしょう。
商業ベースに乗せた上で「見てください」と言われて見た作品なのに、いつのまにか見た人はそのワールドに巻き込まれて、_逆に自分を問われる_という構造は実に気味が悪いものだよ。心の中に土足で踏み込まれたみたい。
もし映画を見て自分の段階の判定や自分を発見するといったコンセプトで作られた映画だと分かっていたら、多分見に行かなかったでしょう。
例えば友達の個展を見に行って感想を言ったら「あなたの美的感覚に応じて私の作品に共鳴する部分や感じ方が変わってきます。私の作品が気に入らないということも大事な発見です」と言われたみたいでネ、ふざけるんじゃないよ、という気分というか。
138
:
エートス
:2006/11/08(水) 22:27:18 ID:eJrkL8FU
>>136
RANDY氏
>霊界は宗教が仕切っているとすれば、霊界の何処を見ても、宗教に行き当たると思いますよ。もし霊界の何処かに宗教が希薄な部分があるなら、それは宗教が仕切ってることにはならないのじゃないだろうか。
これはわたしも100式氏が何を言いたいのかよく分かりません。
神あるいは霊の親分とかが仕切っている_というならまだ分かるけど、宗教が仕切るという意味がね。
例えば不可知論者は神的な存在を否定はしていませんが、どちらかといえば無宗教イズムになるはずでね。こういうのはどうなるんでしょうネ。
139
:
100式
:2006/11/08(水) 22:49:57 ID:cZw0bjcg
RANDY氏
>>135
普通の人、一般人には
宗教を信じる人、信じない人の両方が含まれるだろう。
まずここを指摘しておきたい。
宗教を信じる人の中に、伝統宗教を信じる人、新興宗教を信じる人、
邪教を信じる人が含まれている。
いいかね。
宗教を信じない人、偏見を持つ人がどういう感じなのかは重々承知している。
しかしな、それを普通の人、一般人の意見だと強弁されては困る。
一般人の意見の一部だよ。
そういう言い方を続けると困るよ。
マジで。
また、KK信者ではないが教団に対して好意的な人々も存在する。
これも認めなイカンよ。
君には想像できないかもしれないが、結構いるんだよ。
で、マザーテレサの話。
どんな人かチョットは調べてみたかい?
唯の慈善家ではないだろう。
KK的には、生涯を「与える愛」に生きた方だ。
あのような愛と行動力がどこから湧いてくるのか。
その源泉は信仰心だよ。
信仰心が篤くて君がキモイと言っている人でも、成長したらあんな風になるんだよ。
幾転生かかるかはわからないけどな。
>>136
たとえば、
死後その人の一生を見せられると言う。
古くは閻魔大王のそばで照魔の鏡に映していたらしいが、
今時はシネコンのような映画館のような施設で上映するらしい。
その上映を自分で見ることで、自分の行き先を自覚できるそうな。
天国に行くか地獄に落ちるか。
こういうことをするのは誰?
こういうことに関わっている人たちは何系統だと思う?
宗教しかないだろう。
霊界の次元構造を造ったのは誰?
表と裏を分けたのは?
霊界を仕切る存在は?
仏神だよな。
で、その仏神について語るのが宗教。
仏神に一番近いのも宗教。
直属やからね。
宗教が霊界を仕切っているといって何も問題は無いだろう。
で、宗教思想の本質は、この仏神をどう表すか、
これに尽きると思う。
形而上の理念と言うやつだ。
修行論もあるからここら辺のことを手段というのは一向に構わない。
しかし、形而上の理念を形而下に持ってきて手段と言うのは、
普通におかしいよと言っているわけ。
140
:
100式
:2006/11/08(水) 23:13:09 ID:cZw0bjcg
>>137
判定は御自身でなさるものです。
私はやりませんよ。
あと、表面意識が思ったことと、潜在意識が感じたことが、
まったく逆の場合もあるそうです。
御参考まで。
141
:
RANDY
:2006/11/10(金) 19:38:59 ID:LJXGlbd2
エートス氏
>>138
>不可知論者は神的な存在を否定はしていませんが、どちらかといえば無宗教イズムになるはずでね。こういうのはどうなるんでしょうネ。
私の場合、元々オカルト系をすぐ信じる気質があるわけです。だからオカルトを安易に信じ込まないように、無宗教イズムの方にくいくい引いてもらうのは、悪くないんじゃないかと感じてます。
とはいえ、あまりにも無宗教イズムに引かれすぎると、心が干物みたいになった気分になるから、そういう時は懐疑論不可知論を疑うと、無宗教偏向が是正される気がします。
上の話をたとえ話にすると、心の中の天秤の一方にオカルトがあって、そちら側に完全に倒れてたけど、反対側に懐疑論不可知論を置いたことで、天秤がゆうらゆうらと揺れるようになったと言えるかもしれないですね。
あと私は、宗教を二つくらいに分けてみることがあります。
① 宗教教団とその教義、および信者という感じの人工的組織化された宗教。
② ①とは異なり組織は持たない文化習慣情緒とかの宗教。
②の説明をすると、たとえば先日の竜巻の被害者は小さい子供を残して亡くなった方が複数いらしたけれども、こういうのは宗教ドグマと関係なく、痛ましさを感じるし、冥福を祈りたい気持ちになるものでしょ。また、お盆、正月になると、習慣のせいか墓参り、初詣がしたくなるような、しないといけないような気になる。②はこういう感じの宗教。ていうか宗教心かな。
私の場合、不可知論懐疑論でアンチ宗教に偏った時でも、その対象は①みたいな人工的理屈神学ドグマ宗教に限られていて、②のような自然的情緒的宗教に対してはさほどアンチにならないですね。あと①に属する信者であっても、その心情が②みたいであれば、強いて批判する気になれないかな。
見当違いのレス返してるかもしれないけど、とりあえず私の場合こんな感じ。
142
:
RANDY
:2006/11/10(金) 19:47:32 ID:LJXGlbd2
100式 氏
>>139
>マザーテレサの話。
100式氏がKK的解釈するのは、立場上、やむを得ないですね。ただ現実には、KKとマザーテレサは正反対っぽいと思う。
たとえばKKだと、基本的には、信仰、愛は本人の努力によるものでしょ。
でもキリスト教は、基本的には、親鸞のような他力ですよ。あと幾転生については、キリスト教では多分、論外。
それからマザーテレサは、授賞式か何かのスピーチで、ご馳走を前にして、この食べ物でどれくらいの飢えた人々を救えるかとか話したと思います。また建物を寄付された時も、カーペットとかを贅沢として剥いでるのをテレビで見た記憶がある。これらはKK的繁栄の法とは真逆でしょうね。
>信仰心が篤くて君がキモイと言っている人でも、成長したらあんな風になるんだよ。
始めは一ミリの違いでも、万里を進むと、元々の一ミリの誤差がトンでもない違いになるといいます。キリスト教の信仰と、KKの信仰は上に挙げたように相違点があるから、その到達点は大分違うかもしれないです。
>仏神について語るのが宗教。仏神に一番近いのも宗教。直属やからね。宗教が霊界を仕切っているといって何も問題は無いだろう。
なるほど。KKではそういう風に考えるわけですね。それだとやっぱ私は、「多様な価値観」の方がいいな。
神の光が燦燦と降りそそぐ。光は特殊なプリズムのようなものを通過して、宗教(悟性)、科学哲学(理性知性)、芸術(感性)などに別れる。各人は己の得意分野から、神へアプローチする。みたいな感じの世界観ね。
↑これは、KKから離れて大分経つし、KK本もあまり読んでないから、KK真理とは違ってしまってるかもしれないけど、とりあえず「宗教のみが別格」というよりは、「多様なる価値観」の方が好みだね。
あと宗教って、閻魔大王に見られるように。正邪善悪を分かつ作用がありますよね。でも現実には、ものの分類法はそれだけじゃないですよ。美と醜、明と暗、強と弱、硬と柔、優と厳、温と冷とか他にもいろいろある。
だから世の中には、暗い善、汚い善、冷たい正義、良い悪、美しい悪とかいろいろあるんですね。さらには、明るいけど弱々しい善、悪だけど柔らかくて優しいとかもあるかも…。
物事を判断する時は、宗教だけじゃなく、科学哲学芸術とか様々な価値基準を使用して、総合的に判断した方が無難でしょうね。ただこう考える私のような者には、やっぱKK内には居場所は無さそうではある。
143
:
100式
:2006/11/11(土) 00:20:52 ID:7I4SGCXM
>>142
RANDY氏
他力について勘違いしとるな。
普通は救いのことを言う。
イエスを信じることで救われる。
念仏を唱えることで浄土に往生する。
こういう風に言われてるだろ。
イエスを信じる。念仏を唱える。
ここは自力じゃ。人によっては努力を要する。
ヤフーのひょうご氏との対話で感じたことを簡単に言う。
神の愛を信じる。
隣人愛の完成が目的。
自分が救われるかは考えない。神の御心のままに。
この3点だな。3番目が他力。
最初2つは努力が必要だろ。
自力の思想とは、
修行によって悟りを得て涅槃に入る。
つまり、自助努力で天国に帰る思想。
他にも着眼点はあるが、とりあずここがポイント。
で、ひょうご氏が語っていた「隣人愛の完成」
KK的に言えば7次元の許す愛。
マザーの言葉にはこの7次元の愛があふれている。
思想的に共通していると言っていい。
元信者ならこのあたりの話は理解できるはずだが・・・?
>これらはKK的繁栄の法とは真逆でしょうね。
繁栄の法を体現していないからKKの思想とは違う・・・ではない。
愛においては共通しているんだが、愛の与え方において、
松下幸之助や本田総一郎とは違うやり方だったと、こうなる。
宗教家だけでなく、芸術家、政治家、学者、事業家なども、
愛に生きた菩薩として尊敬されるすばらしい思想。
それが幸福の科学。
神人合一型と神人隔絶型。
宗教の類型で前者が仏教、後者がキリスト教。
仏教では修行によって人が神になれる。
キリスト教では神が天使、人間を作り、人は神や天使にはなれない。
大雑把だがこんな感じ。
KKでは修行、転生を重ねることで霊格が上がっていくと説かれている。
ちなみに、誰でも、性根を入れて修行をすれば阿羅漢向になれる。
阿羅漢向の状態を一生続けることができれば阿羅漢果となる。
阿羅漢果の状態で約千年(3転生くらい)成功を続ければ菩薩の仲間入り。
こんな感じ。
仏教においても修行して阿羅漢になれると説かれているな。
言い方は違うが、修行を重ねることで、仏神に近づいていくことができる思想。
この話をしていたんだよ。
で、ジークみたいなやつでもな。
性根を入れて修行に励めば、今世、阿羅漢になれる可能性があるってことだ。
KK思想でも、伝統的仏教思想でもな。
で、何千年か後に、マザーテレサのような立派な菩薩へと成長しているかもしれない。
これはKK思想だけどな。この、可能性についての話をしているわけだ。
もちろん、修行の方向性が曲がっていれば地獄に落ちるし、
霊格も向上しない。すべての人が菩薩になれるわけではない。
しかし、努力を続けることで到達が可能なのだと。
こういう話だよ。
144
:
エートス
:2006/11/11(土) 00:25:15 ID:ckmOT/Lo
>>139
100式氏
>修行論もあるからここら辺のことを手段というのは一向に構わない。
>しかし、形而上の理念を形而下に持ってきて手段と言うのは、
>普通におかしいよと言っているわけ。
理論的に破綻してないか?
この世は仏の想いからできたんでしょ。なんだっけ進歩するための修行の場としてだか。
で、そういうのを方便とかいうんじゃないの、あなた方の文脈じゃ。
「方便」はあなたの表現だと「手段」になっているようだけど、形而下というのは全てが手段化するということになるよ。
その手段を通じて聖と俗の一致を体得するのが宗教の場であって、仏教の場合は八正道の実践なんかがそうなるし、キリスト教なんかだと祈りがそうだろうと思う。
また倫理的な方向に行けば道学的な探求にもなる。
あなたがた信者はKK本内の説明を聞いて知ったような気分になっているし、その知識を教えてくれるのが宗教だと思っているかもしれないが・・・
ようするに形而上の理念はそのままの形で知ることはできないわけですよ、この世が方便ならばね。
わたしが今書いていることが分かりますか?
形而上の理念を形而下に持ってきて、じゃあ手段でなければ何だ?というと目的だよね。
イデオロギーとはまさにそうしたものでしょうが。
共産主義という形而上の理念で作られた世界をわれわれは見てきた。
これが宗教の分野で起こるとカルトなんだろうとわたしは思ってるけどね。
145
:
エートス
:2006/11/11(土) 00:26:39 ID:ckmOT/Lo
>>140
100式氏
>判定は御自身でなさるものです。
>私はやりませんよ。
わたしは自分自身でも判定なんかはしませんよ、というか判定なんかはどうでもいいんですよ。
むしろ自分たちの物差しが真理をはかる正しい基準である、という無条件の思い込み、そしてその無条件に思い込んだ真理を普遍だとして押し付けようとする。
これが気味悪さなんです。
信者さんはあれが真実を描いた映画だと思っているかもしれないけど、少なくともわたしはそうした見方はしていませんからね。
まー、信者さんが映画を判定の基準にして、わたしは菩薩かもしれないわん、とか思うのはどーでもいいんだけどね。
>あと、表面意識が思ったことと、潜在意識が感じたことが、
>まったく逆の場合もあるそうです。御参考まで。
全く逆の場合があるというより、大雑把に言って両者は補完の関係になっている_と言われている訳で、逆の方が多いんじゃないの。
で、あなたがた信者さんがKKの教義だとか言いながら、ネットに書いたりしていることは表面意識の領域に属していますね。
これは言語水準でといってもいいでしょう。ネットに向かってカキコみしているときに、その教義に対しての自分の潜在意識のありようを感知していますか?
していないでしょう。それがあれば、ひかりもののような連中は生まれないはずだし、無条件の思い込み的視点は捨てられるはずなんですがネ。
146
:
エートス
:2006/11/11(土) 00:28:40 ID:ckmOT/Lo
100式氏
あと2件程質問をいいかな。
>まあ、ピカソは梵天界、ダビンチは如来界の上段階、
>美術関係だけにとどまらないダビンチの仕事をみれば、
>ああそうなんだと納得がいきませんか?
>ミケランジェロは仕事のできないやつだと、
>ダビンチを馬鹿にしていたと聞きますけどね。
>求めていたものが違うんでしょうね。
ダビンチについて如来界の出自だと示す業績を挙げてみてください。
で、ダビンチが生涯かけて求めていたものとミケランジェロの求めていたものは何でしょうか。またはどこが違うんでしょうか。
これはマジで知りたい。納得するのはその後ですネ。
>>また、KK信者ではないが教団に対して好意的な人々も存在する。
ふーん。例えばどんな人なんですか?
好意的にもかかわらず入信しないのはなぜでしょうか。
147
:
100式
:2006/11/11(土) 01:08:35 ID:7I4SGCXM
>>143
の続き
>神の光が燦燦と降りそそぐ。光は特殊なプリズムのようなものを通過して、宗教(悟性)、科学哲学(理性知性)、芸術(感性)などに別れる。各人は己の得意分野から、神へアプローチする。みたいな感じの世界観ね。
KK的には6次元がそんな感じだ。
7次元になると宗教色が強くなる。
いろいろな判断基準があるのは当然。
価値観は多様だ。
しかし、地獄行的な価値観は排除すべき。
148
:
100式
:2006/11/11(土) 03:18:14 ID:7I4SGCXM
エートス氏
>>144
仏や神、霊界について語る。それを把握した上で、人の生き方を説く。
宗教って大雑把に言えばこうでしょう。
人々の幸福が目的。
そのための生き方、考え方は手段。
しかし、仏や神、霊界は目的でも手段でもない。
でしょ?
>形而上の理念はそのままの形で知ることはできない
そう、だから救世主とか仏陀が現れて宗教を説く。
我々はその言葉を通じて、その世界を垣間見るだけ。
>>145
丹波哲郎氏は大絶賛されていたらしい。
試写会でみられたそうな。
そんでもって、映画公開の日に告別式だったらしい。
あの映画を本物と思うか、偽者と思うかは自由です。
しかし、我々は、本気で本物としてお勧めしています。
ということです。
表面意識と潜在意識については、
悟りが高くなれば一致してくるそうです。
阿羅漢の悟りが得られると、守護霊と同通します。
すなわち、潜在意識と表面意識が一致してくるということ。
一般レベルの悟りではエートスさんの言うとおり。
ヒカリモノはもちろん論外です。
>>146
>ダビンチについて如来界の出自だと示す業績を挙げてみてください。
多くの分野で業績を残した超天才。
トス神に似てるかもねw
霊言集では霊格が高いのでめったに地上に生まれないとの記述。
>ダビンチが生涯かけて求めていたものとミケランジェロの求めていたものは何でしょうか。またはどこが違うんでしょうか。
霊言集で登場したのはピカソなんで、ミケランジェロ、ダヴィンチに関する記述はほとんど無かったです。
つまり、エートスさんのほうが詳しいのではないかと思います。
好意的な人ですか・・・
実は映画開催中、当日券での入場者がかなりあったんですよ。
これは謎なんです。
誰が、何のために、わざわざ、500円高い、当日券で、
幸福の科学の映画を見るのか!!!
わからないんですよ。
普通の信者なら、前売り券を使います。いっぱい持ってます。
支部から離れ幽霊信者となっている人は、まず映画は見ません。
チケットが足らなくて緊急で使った信者もいますが、明らかに数が多い。
つまり、好意的な一般人ではないか・・・
これ、勝手な推測なんだけど、ありえない話ではないでしょ?
で、最近三帰した友人の話。
今まで5年くらい献本したりしてたんだけども、感触はよくなかった。
それが今回の映画を見た後に三帰しちゃったんですね。
で、映画のおかげといえばそうなんですが、実は本人が真理を求めていたんですよ。
前回の映画のときは求めていなかった。しかし、今回は求めていた。
時期だったようですね。で、背中を押してあげた。
かなり勇気が必要だったようです。
とりあえず、心の支えのようなものができた感じがして、
安心感があるといってますよ。
一般的に入信しない理由は、教えは学びたいが入信する必要を感じないとか、
勇気が無いとか、熱心に勧める人がそばにいなかったとかでしょう。
149
:
RANDY
:2006/11/11(土) 16:47:41 ID:qPvRXtIY
100式氏
>>143
>イエスを信じる。念仏を唱える。
ここは自力じゃ。人によっては努力を要する。
そう。それだと自力ですね。ただし私が学んだ限りにおいては、キリスト教、親鸞の場合は、
・神が、人にイエスを信じさせる。
・仏が、人に念仏させる。
ていう感じですよ。人が自力で信仰し、念仏するのではないみたい。
ついでに言うと、キリスト教のカルヴァン主義とかは、人間が道徳心を持ち、それにより自己の行動を規制できるとするような考え方は、とんでもない傲慢としてるようです。
さらに、ついでに言うと、信仰ってこんな感じの分類できるかも…。
①理屈とかじゃないしに、素直に信仰している状態
②神学によって、自己の信仰に論理的整合性を持たせようとする状態。
③聖典経典等を、客観的科学的実証的に検証し、批判し、神によるのではなく、人によるものだと結論付けてのちも、信仰を保持している状態
クリスチャンには、③の信仰に到達して、「聖書は人が書いたもの」とか結論出しても、なおも信仰を捨てない人もいるようです。
私の場合は、霊言集の事実誤認、OR氏の言の間違い、KKの活動方針などから、OR氏は全知でも神仏でもないと判断した結果、KK信仰は続けられなくなりました。だから③の信仰は経験してません。
だから③の信仰を持つ心はいまいち分からない。ただ想像として、③の信仰は、「信仰を保持するぞ」という自己の思いだけでは如何ともしがたく、神の導きがなければ信仰は保てないんじゃないか、という気はします。
私の見るところ、KK信者の信仰は、①②の段階に留まっているように見えます。果たして将来、KK信者の中に、霊言集は偽物、KK真理は人がこしらえたもの等と判定した上で、③の信仰に達して、エルカンターレ信仰を継続する人は出現するでしょうか。どうでしょうか。
>愛においては共通している
愛においては、松下さん、本田さんと共通していたと言われれば、そうかなという気がしないでもありませんね。ただKKと共通しているといわれると、ちょっと首を傾げたくなります。
>宗教家だけでなく、芸術家、政治家、学者、事業家なども、
愛に生きた菩薩として尊敬されるすばらしい思想。
それが幸福の科学。
『永遠の法』見てて、その部分に違和感を持ちましたよ。後世に名を残したような人々には、それぞれ熱烈ファンがいます。また松下さん、本田さんとかはご遺族もおられるでしょう。
そういう人たちが、『永遠の法』見たら、どう感じるだろう? と思ったりしました。実在人物の霊格認定は、教団内部だけの話にしておいた方がいいかもしれません。
150
:
RANDY
:2006/11/11(土) 16:53:07 ID:qPvRXtIY
100式氏
>>147
>いろいろな判断基準があるのは当然。価値観は多様だ。しかし、地獄行的な価値観は排除すべき。
<地獄的なものはダメ!>というのは簡単だけど、何をもって地獄的かの定義は困難でしょうね。<唯物論=悪>という図式があるとしても、唯物論的な西洋医学の指導霊団は、白色高級霊団でしょ。この唯物論的な医療で、大勢の患者が健康を快復している。
一方、唯物論じゃない心霊治療、宗教の病気治しは、いかさまがほとんど。これじゃどっちが地獄的か、わからないよ。
また無神論についても、必ずしも悪と言えないかもしれない。たとえば昨今は、幼児が殺害されるような事件が頻発したりしてます。
こういう被害者幼児の親が、「神も仏もあるものか!」と泣きたくなるのは当たり前です。これはある意味、愛ゆえの無神論であって、愛が深いほど、犯人および神仏に対する怨恨も深いものでしょ。神仏を呪うのはヤバイけど、呪いたくなるのも仕方ない。
たとえ聖職者であっても、こういう親に対して、以下の説教したら変ですよ。「無神論は悪であり、地獄行きです。神仏はおられます。人生は一冊の問題集です。自分が解決できない問題はありません。今度の事件も、一つの問題です。がんばって乗り越えましょう。この事件は、前世のカルマかもしれませんね」
もし私が天使だったら、「神も仏もあるものか」と泣く親と一緒においおい泣くけど、場違いな説教する聖職者にはちょっと引きますよ。聖職者の説教内容は正しいかもしれないけど、心神喪失状態で嘆いてる親に、そんなことを言うのは何か原則ロボットくんのようで嫌ですね。
宗教的には、唯物論・無神論は地獄と認定されるかもしれないが、健康・情緒の面からすると、必ずしも否定しきれないかもしれないです。
151
:
AHW
:2006/11/12(日) 00:24:15 ID:Y6I0TOUI
ひさびさにこっちもお邪魔。
百式氏
こっちで続いてる議論の内容には面倒なんで立ち入らないが、
古い「ザビビ」の頃も指摘した覚えがあるんだが、
おまえさん、宗教や思想の議論をするのはいいが・・・、
悪いが、そっち方面の教養があまりになさすぎなんだよな。
(まあこれは、百式氏に限ったことではないんだが)
どうも一時が万事、kk本から受け売りの主張しか出来てない。
kk本メガネ以外の視野からも、宗教でも思想でも
ちゃんと正論を学んどく努力くらいしておかんとダメじゃまいか。
宗教のカテゴライズとか見てると、偏ってて痛すぎる。
内輪の論理でわーわーこられても外との法論に到底ならんわな。
とまあ忠告ってわけでもないが、ここ一月くらいの読んでの感想ですた。
152
:
100式
:2006/11/12(日) 23:05:07 ID:KmSoNA7w
>>149
RANDY氏
結局ここに戻ってくるんだなぁ。
信仰は自力か他力か?
だよな。始まりがこれだったねw
>・神が、人にイエスを信じさせる。
>・仏が、人に念仏させる。
>ていう感じですよ。人が自力で信仰し、念仏するのではないみたい。
これが本当なら世界中キリスト教徒になっとるだろ。
無神論者などいない世界が現出する。
KK的には理解不能。
人間に選択権が無い思想だから。
信仰のない状態から信仰を持つ状態へ、
神の御心を受け入れていない状態から受け入れる状態へ、
こういう心境の変化には、必ず何がしかの選択、決断、発心などがあるはずだ。
自己責任を伴う心境の変化がある。
そこを神のお導きというような表現を使うこともあるが、
選択しているのは自分自身。
>キリスト教のカルヴァン主義とかは、人間が道徳心を持ち、それにより自己の行動を規制できるとするような考え方は、とんでもない傲慢としてるようです。
すべては神の御心のままに、つまり自我を捨て去る。
仏教的な無我に通じる考え方だと思うけどね。
こういう考え方を受け入れる、選択するのも自分自身。
>「聖書は人が書いたもの」とか結論出しても、
そう結論付ける人もいるけどな。
神からのインスピレーションと考える人のほうが多いと違うかな。
KK的には複数の指導霊からのインスピレーションってことで問題なし。
>神の導きがなければ信仰は保てないんじゃないか、という気はします。
これは賛成。
世代を超えて広がり、歴史に残る宗教は本物ってことだろ。
>果たして将来、KK信者の中に、霊言集は偽物、KK真理は人がこしらえたもの等と判定した上で、③の信仰に達して、エルカンターレ信仰を継続する人は出現するでしょうか。どうでしょうか。
どうかな〜。
いつの世も宗教を信じない勢力の批判はあるからな。
そういうのは継続してあると思うよ。
で、KK信仰を持っているということは霊界思想を持っていることなので、
③はありえないと思う。
>ちょっと首を傾げたくなります。
事業で成功することで人々が豊かになる。
こういうのも与える愛だと言っているんだが・・・
それともKKで言う「与える愛」とキリスト教で言う「隣人愛」は違うということ?
>実在人物の霊格認定
経典の中に名前が出ていて、映画には出ていない人があるわけで、
その辺は教団が配慮しているということ。
成功者やお金持ちを嫉妬するような思想もまだまだあると思うので、
こういった形で天使なのだと訴えることは重要だと思う。
>>150
医は仁。
しかし、心を忘れた医療の問題は最近は多いな。
これは無神論的な考え方を取り除いていくことで改善されると思う。
そこは対機説法だよ。
いきなり「これはあなたの人生の問題集」なんて言うやつはおらんワイ。
霊界があること、死者の来世での幸福を祈る。
加害者に対する怒りを和らげて行く方向。
被害者の家族に対するいたわり。これが最初か。
しんどいんだが、じっくりと話していくしかないだろうな。
どんな事情があっても、無神論に導いてはいけない。
153
:
100式
:2006/11/12(日) 23:23:25 ID:KmSoNA7w
>>151
AHW氏
ご忠告ありがとうございます。
わかっちゃいるが一朝一夕には変えられないですよ。
ここも早めに去ろうかと思っていたんだけれども、
去れない・・・
こんなワシでも必要とする人がいるかもしれないとか・・・
どうかな〜
ま、逆伝道なら速攻立ち去りますですよw
154
:
エートス
:2006/11/13(月) 02:43:57 ID:d3ktSUoI
>>141
RANDY氏
>私の場合、元々オカルト系をすぐ信じる気質があるわけです。だからオカルトを安易に信じ込まないように、無宗教イズムの方にくいくい引いてもらうのは、悪くないんじゃないかと感じてます。
霊的な事柄とは無縁なためだろうかなー、わたしはオカルトにはあまり関心は無いですね。
>あと私は、宗教を二つくらいに分けてみることがあります。
>① 宗教教団とその教義、および信者という感じの人工的組織化された宗教。
>② ①とは異なり組織は持たない文化習慣情緒とかの宗教。
実際に分かれてるんじゃないですか。ただ、宗教ではなく宗教性と表現したほうがいいかもしれません。
100式氏が潜在意識とかの話を書いていたけど、前者は顕在意識の宗教性、後者は潜在意識の宗教性、と考えていいと思います。
オカルトに惹かれるのも、心が干からびたように感じるのも,おそらく後者の宗教性にかかわっているんでしょう。
そもそも、宗教は、どこからか湧き上がってくる美しさや怖ろしさや偉大さや深い意味に対する心情_潜在的な宗教性_というバックグラウンドを
例外なく持っていますから、顕在意識の宗教性は「ニ次的なもの」と考えていいと思います。
だから100式氏が「宗教が仕切る」と言われる意味が相変わらず分からないんですよ。2次的なものがどうやって根源的な世界を仕切るんだろう_という疑問を持ちますネ。
155
:
エートス
:2006/11/13(月) 02:46:09 ID:d3ktSUoI
>>142
RANDY氏
>100式氏がKK的解釈するのは、立場上、やむを得ないですね。ただ現実には、KKとマザーテレサは正反対っぽいと思う。
これにはわたしも1票ですネ。
KKの信者の傾向として、波動の悪いところは避けるような_まー本当に波動なんていうのがあればですが_傾向があるんですよね。
Y語るトピでもこの話題が出ていましたが、「大川夫人はレジで憑依状態の悪いところは避けていた」とか、「高級霊体質には波動の悪いところはあわない」とか。
マザーテレサが日常過ごしたところはおそらく悪波動ビシバシのところでしょ。そんなもんお構いなしでもっとも貧しい人々にた仕えたんですよね。
なーんか「与える愛に生きましょう」とか言ってる割にはKKって保身的で、信仰心の強さを言う割にはそれが愛の強さにはつながっていない、という感じかなー。
あそこの信仰心っていったい何につながってるんだろうか。
156
:
エートス
:2006/11/13(月) 03:20:01 ID:d3ktSUoI
>>149
RANDY氏
>さらに、ついでに言うと、信仰ってこんな感じの分類できるかも…。
>①理屈とかじゃないしに、素直に信仰している状態
>②神学によって、自己の信仰に論理的整合性を持たせようとする状態。
>③聖典経典等を、客観的科学的実証的に検証し、批判し、神によるのではなく、人によるものだと結論付けてのちも、信仰を保持している状態
>クリスチャンには、③の信仰に到達して、「聖書は人が書いたもの」とか結論出しても、なおも信仰を捨てない人もいるようです。
では、さらに続けましょう。
かつて私が言及したことがある新約聖書の研究者_荒井献氏_は、この③に当たるでしょうね。
クリスチャンがこうした形で信仰を持ち続けられるのは、イエスの生涯に習って自らも生きようとする姿勢があるからだと思います。
イエスの生涯がたとえ全てノンフィクションでなくても_日本語で表現すれば「生き様」とでもいうのだろうか_そこには人を心底動かす深いリアリティーがあるんでしょう。
>果たして将来、KK信者の中に、霊言集は偽物、KK真理は人がこしらえたもの等と判定した上で、③の信仰に達して、エルカンターレ信仰を継続する人は出現するでしょうか。どうでしょうか。
これはどうでしょうね。
大川氏の生涯の伝説にイエスほどの普遍的な魅力があるかどうかにかかってるんじゃないですか。
157
:
エートス
:2006/11/13(月) 03:30:33 ID:d3ktSUoI
>>153
100式氏
>ま、逆伝道なら速攻立ち去りますですよw
別に逆伝道ではないですよ。逆伝道とは投稿態度のことですから。
>こんなワシでも必要とする人がいるかもしれないとか・・・
お隣第三のアテンドなんかどうですか、ありす嬢といっしょに。
まーそれはさておき、われわれは現在法論的なディベートをしているわけでその内容は態度とは関係ありません。
あくまでも理論的整合性をもって相手を納得させられるかです。
わたしが映画を見た理由も、ここで会員さんと対話する中で話題として出ている以上、できる範囲で情報を集めようと思ったからです。
まー、結果的に突っ込み入れたくなったけどね。w 特に他の意味はありません。
で、早速ですがこれはおかしい。あなたはKKでこのように教わったかもしれないが。
>>152
>>キリスト教のカルヴァン主義とかは、人間が道徳心を持ち、それにより自己の行動を規制できるとするような考え方は、とんでもない傲慢としてるようです。
>すべては神の御心のままに、つまり自我を捨て去る。
>仏教的な無我に通じる考え方だと思うけどね。
カルヴィニズムがヨーロッパ資本主義につながったといわれているのはご存知でしょうね。
資本主義を背景とした「近代ヨーロッパの我の強さ」がその後の世界を大きく変えていきましたね。
倫理的道徳的自己規制を全て神にゆだねましょうという結果、俗は聖から解放されたと見るべきではないでしょうか。
仏教は聖と俗の一致を求める、それとは全くベクトルが反対ですね。
参考文献としてはマックスウェーバーあたりかな。
ちょっと聞いておきましょうかね。ウェーバーはKKではどういった位置付けなんですか?
ダビンチの話はまた明日にでも。
158
:
100式
:2006/11/13(月) 23:01:31 ID:F/nqW7e2
>>157
エートス氏
>カルヴィニズムがヨーロッパ資本主義につながったといわれているのはご存知でしょうね。
その辺の概要は知っていますよ。
>倫理的道徳的自己規制を全て神にゆだねましょうという結果、俗は聖から解放されたと見るべきではないでしょうか。
要するに、当時の宗教的常識が神の御心から離れてしまっていたと、
そういうことだと思いますが?
で、執着を捨てることで自由になると言う仏教思想と似ていると思ったんですけどね。
詳しくは知らないんでスミマセン。
>ウェーバーはKKではどういった位置付けなんですか?
わかりません。
「黄金の法」のカルバンのところで、チラリと名前が出ているだけです。
>お隣第三のアテンドなんかどうですか、ありす嬢といっしょに。
継続して参加できない可能性が高いんですよねぇ。
難しいですねぇ。
159
:
エートス
:2006/11/14(火) 01:23:21 ID:c89VfKb.
>>158
100式氏
ダビンチのことを書こうかと思ったけど時間がないので1つだけレス。
>すべては神の御心のままに、つまり自我を捨て去る。
>仏教的な無我に通じる考え方だと思うけどね。
わたしがカルヴィニズムを執着を捨てると捉える発言にこだわったのはここに「ひかりもの信仰のメンタリティー」を考察する上でのヒントがあると思うからです。
あなたは語るトピにも最近参戦しているからわかると思うけど、ひかりもの連中は大変我が強いでしょ。信仰が篤いといいながら我が強い。
そしてミステリーという名前の方が次のように指摘しています。
>>16193
kuzu_rekisi_mistery氏
>でもって、ひかりものやひかりものにシンパシーを感じ波長同通しているメンバーに共通するのは、自由という概念を言い質に振り回すことです。
当時の宗教的常識とかいうことではなく同じことが再現されているように見えませんか。
人間心理の普遍性>宗教という意味でね。
160
:
RANDY
:2006/11/14(火) 20:01:56 ID:98P5GiUw
100式氏
>>152
>KK的には理解不能。
ていうか、彼らの論理は、日本人には理解困難という意見はあるようです。でもKKが世界伝道するとしたら、彼らの論理の研究は避けて通れないでしょうね。
>KKで言う「与える愛」とキリスト教で言う「隣人愛」
福音書のイエスは、弟子たちの足を洗ってあげて、「あなた方も互いに、足を洗いあいなさい」とか言ってます(ヨハネ福13あたり)。でもOR氏が、KK信者の足を洗ってあげてる状況は、ちょっと想像できないですね。
まあ足を洗うことまではしないにしても、OR氏は、演壇であれこれ説法するだけじゃなくて、小さい座談会に登場したり、信者らの家々を訪ね歩いたり、病人を見舞ったりとか、信者との触れ合いの機会を設けてもいいんじゃないかと思いますね。
別に、イエスみたいに奇蹟は起こさなくてもいいんですよ。ただ信者らと親しく接して、実地で愛を示したらいいのに…と思います。年がら年中それをするのが難しければ、三ヶ月間信者の家を泊まり歩いて、三ヶ月間自宅で瞑想という感じでもいいかもしれない。
上のような案がもうすでに実行されてたら、こちらの勘違いだからごめんね。
161
:
RANDY
:2006/11/14(火) 20:06:36 ID:98P5GiUw
>>160
のつづき
話のついでに良寛和尚のエピソードに、こんなのあります。
【息子の放蕩に困った親が、良寛和尚に説教してくれるようにたのんだ。しかし良寛和尚は、家に来てくれたものの、どういうわけか一言も説教しない。
親はいつ説教してくれるかと待っている。息子はいつ説教されるかと身を硬くしている。けれども何日待ってもその気配さえない。そのうちにとうとう良寛和尚の帰る日が来た。
良寛和尚は帰り際になって、ようやく放蕩息子を呼んだ。けれどもまだ説教はしない。「ワラジの紐を結んでくれろ」と頼んだだけ。
息子は言いつけに従い、土間に下りて、良寛和尚の前に身をかがめた。すると、うなじに何かが当った。手で触ると濡れている。顔を上げると、良寛和尚が泣いていた。涙がぽたりぽたりと落ちている。良寛和尚は結局、説教をしないまま帰った。】
エピソードの細部は記憶違いがあるかもしれないけど、まあ大体こんな感じの話だったと思う。奇蹟は皆無だし、言葉としての教えも無いけど、何か知らないけど感動はある。
そういや奇蹟は無いけど、胸にグッと来るエピソードは、孔子とかにも多くありますね。弟子が死んでしまった時の孔子の様子とか、弟子たちと寛いで話してる様子とか。
らい病を患う弟子を見舞った話は感動ですね。弟子の部屋の下に立って、窓越しに、弟子の手を握るだけの話であって、奇蹟は皆無だけど、グッと来るものはある。らい病は容姿に症状が出るから、そういう見舞い方になったんでしょうね。
OR氏が「与える愛」を体現した人であれば、信者と交わる事で、心温まるエピソードは山ほどできるでしょう。そうすればこれは、口で説いただけの法より、もっと影響力が出るでしょうね。やっぱ背中で教えるとか、生き様とか大事ですよ。
>>156
で、エートス氏がちらっと書いてるみたいにね。
162
:
AHW
:2006/11/16(木) 02:21:49 ID:w9Zo2BFU
>>153
百式氏
いやいや、そうやって受け止めてくれたんなら、ありがと。
忠告じゃなく感想だからさ。後はあまり気にせんどいてくれ。
で、百式氏の場合、逆伝道ってな振る舞いは特に何もない罠。
百式氏がとくに優れたシンパ論客ってわけじゃあないがw
まあ、他が酷すぎるからさ、節制もセンスもおかしくはないだけで
相対的には偏差値が上がるってなもんで。
まあ現状で満足せんで、刻苦勉励で自分を高めてw
よりハイレベルな議論を見せてくれることを期待しようじゃまいか。
>>159
エートス氏
まーあれだろうな。ヴェーバーの業績もよくわかっとらんのだろうな。
たしかヤサ大先生が「6次元だ」と言ってたような記憶が・・・w
kk価値観的にゃ、プロテスタンティズムも、カルヴィンなどもさ、
裏的な革命の流れになるはずなんだがなw
人々を予定調和から開放し、俗の追求に信仰上の意味をはじめて与えた訳だろ。
163
:
100式
:2006/11/16(木) 22:25:53 ID:H4h.bWxo
>>159
エートス氏
ヒカリモノは結局は自我我欲でしょう。
信仰が篤く深くなるほど、神の御手足となって働けることへの喜びであふれてくると言いますが、真逆ですなぁ〜。
自我我欲、すなわち執着。
捨てることはなかなかに難しい。
これも、人間心理における普遍性でございましょう。
私も含めて。
AHW氏
ワシも一応地方の国立大学を卒業している。
なんでお前が卒業できたんだ???ってくらい勉強はしなかったんだがww
>裏的な革命の流れになるはずなんだがなw
KKでも業績の評価は高いよ。
>ハイレベルな議論を見せてくれることを期待
そりゃ他の人に任せたいw
164
:
100式
:2006/11/16(木) 22:45:10 ID:H4h.bWxo
エートス氏
霊体のままでは、この世の荒い波動は堪えるんだそうな。
それで、霊体の上に幽体をかぶり、さらにその上に肉体をかぶる。
まるで宇宙服や潜水服を着ているようなもの。
一般の霊的な覚醒が無い人ならば、悪い波動の中でもわりと耐えられる。
しかし、霊的な覚醒があり、霊道が開けてくるとそうは行かない。
宇宙服を着ていてもヘルメットは脱いだ状態なのだろう。
まあ、大変ってことです。
マザーテレサは霊的な覚醒はなされていなかったと思います。
そういうことでよろしく。
165
:
100式
:2006/11/16(木) 22:54:06 ID:H4h.bWxo
>>160
RANDY氏
さて、自分に選択権があるという考え方。
これは受け入れられないのだろうか?
それ以降の絶対他力の考え方は、KK内にもあるので問題はないと思われます。
KKの教団としての姿勢が
「法を説くは師にあり、広めるは弟子にあり」
なんでね。
もう一つ。
最大の与える愛は法を説かれることなんで。
ここも理解されたし。
もちろん、信者との交流もされていますけどね。
あまり機会は多くないですが。
166
:
JBL
:2006/11/17(金) 17:09:24 ID:nYPfHSiY
「理論派シンパ」は、まだ絶滅してなかったんだな(藁)
>最大の与える愛は法を説かれることなんで。
ここも理解されたし。
ってことは、今とは比較にならないほど大量の宗教書を発刊し、しょっちゅう
講演・セミナーをやってた頃の大川総裁は、今よりも「与える愛」を大量に
実践してたってことですな。
彼の現状にはいろんな見方があるのだろうが、とりあえず「愛を与える量」が
初期に比べて激減したのは間違いありません。
>もちろん、信者との交流もされていますけどね。
あまり機会は多くないですが。
少なすぎるでしょうが(藁)
働き盛りだってのに、毎日、大悟館でいったい何をやってんだか・・・。
167
:
JBL
:2006/11/17(金) 17:41:10 ID:nYPfHSiY
>>124
>カントの理論が十分理解できない人たちが、理性的判断不能な不可知領域を、
無いと判断したことが大きいと聞きましたよ。
で、無神論的な流れができてしまったと。
で、ニーチェあたりに続くんじゃないかと、そのように思っていますが、
スミマセンが詳しくないんで。
ニーチェの哲学の中には、真理=普遍性も含まれているんだと思うのですが、
結局、人々を無神論に導いてしまったと、その罪が極めて大きいのだと、
そういうことなんでしょう。
①カントの真意はともかく、結果としてカント哲学から無神論の流れができた
②ニーチェの思想には真理・普遍性も含まれているのだが、結局、無神論へと導いた
この①②を比較してみると、結論として
③カントもニーチェも、その真意はともかく、結果として無神論に人々を導いた
ということになるのだが、それなら「カントとニーチェは同罪」ということになります。
おそらく、カントの真意は「神ならぬ人間、認識力には限りがある。我々人間に
神を知ることはできない」というような、宗教的な謙虚さにあったのでしょう。
しかし、哲学史の流れから言えば、カントはヒューム(KK的には六次元、懐疑論
の魂)の哲学に強い衝撃を受け、欧州伝統の形而上学に、経験論的な懐疑論を大幅に
取り込み、どちらかといえば懐疑論的な哲学体系を作った人です。アリストテレスや
聖トマス以来の「神の存在証明」を根こそぎ斬り捨てた。「王様どころか、神様の
首を切ってしまった」と言われる所以です。カトリックの禁書目録にも載りました。
しかし、KK史観においてカントは「八次元でも上段階の大如来クラス」という
ことになっています。これと比べたら、「地獄の底にいる」ニーチェが、なんだか
可哀想になってきます。
20世紀の大哲学者・ハイデッガーは、ニーチェに傾倒しました。大著「ニーチェ」
は、ハイデッガー後半の代表作のひとつです(もちろん、大先輩格のニーチェと
思想的に格闘しているのだが)。
ニーチェは地獄の底。カントとハイデッガーは八次元の如来。ヒュームは六次元・・・。
その根拠はいかに。KK的な世界観からすれば、みんな束にして「無神論者」
とひと括りにしたところで、当たらずとも遠からずです(藁)
168
:
JBL
:2006/11/17(金) 18:09:44 ID:nYPfHSiY
>霊体のままでは、この世の荒い波動は堪えるんだそうな。
それで、霊体の上に幽体をかぶり、さらにその上に肉体をかぶる。
まるで宇宙服や潜水服を着ているようなもの。
一般の霊的な覚醒が無い人ならば、悪い波動の中でもわりと耐えられる。
しかし、霊的な覚醒があり、霊道が開けてくるとそうは行かない。
昨年の大川総裁の著書「神秘の法」によると、大川総裁は「心の中で思った
だけで、地獄の悪霊と意識が同通する」という、「波長同通の法則」について
語っています。
初期の教義において、「波長同通の法則」とは、そういうことではなかった。
「高級霊は高級霊同士、低級霊は低級霊同士でしかテレパシーが通じない」と
いう、現在とはほぼ正反対の内容でした。
大川総裁が自室でR・シュトラウスの「ツァラトゥストラ」を聞きつつ、心に
ニーチェを思ったところ、なんと地獄の底からニーチェが登場したという(藁)
小説を読んでも悪霊が出てくるし、生きている悪人のことを考えても生霊が
飛んでくる。「神秘の法」の記述が正しいのなら、大悟館はまさに「悪霊の
巣窟」と言えます。
なぜ、そうなるのか。この理由は、大川総裁の霊能力により、地獄霊とたやすく
意識が同通してしまい、意識が同通すると、大悟館の自室にいきなり地獄霊が
出現するということだ。
ここで「ちょっと待てよ」と言いたくなります。
信者から集めた何十億もの資金を投じて、東京の最高級住宅地・港区白金台に
ギリシャ神殿風の超豪邸を設けたのは、「強力な結界をつくって悪霊から総裁
を守るため」ではなかったか。
「神秘の法」にあるように、地獄霊が総裁と「波長同通」してウジャウジャ
自室に現れるなら、いったい何の「結界」なんだか。
169
:
現役信者
:2006/11/17(金) 19:05:39 ID:pvXPR4/w
絶滅危惧種のJBLよ。
あまり調子に乗るなよ。
170
:
RANDY
:2006/11/17(金) 19:56:57 ID:KiVUAETM
100式氏
>>164
>マザーテレサは霊的な覚醒はなされていなかったと思います。
それはどうだろう?
マザーテレサは、若くして修道院に入り、「貧しき人々に尽くしなさい」との神の声を聞いて、スラムに行きその通りにしたわけです。これは、かなり霊的な生き方じゃないかな。
「マザーテレサ 神の声」とかで、検索すると、沢山出てきます。
あまり霊的な生き方をしていない巷の霊能力者を見れば、必ずしも〈霊的=霊能力発揮〉てわけでもないでしょ。
171
:
RANDY
:2006/11/17(金) 20:05:19 ID:KiVUAETM
100式氏
>>165
>自分に選択権があるという考え方。これは受け入れられないのだろうか?
そういう考え方が有り得るのは承知してますよ。ただそれに首肯するには、絶対神・絶対普遍の真理とかを否定しなくちゃならない気はします。
例えば、唯一絶対の神を想定すれば、人に選択権があるのは変ですよね。「被造物にすぎない人が、神(絶対者)を選択する」というのは有り得ないでしょ。これだと人が絶対の位置に立ってる。やっぱ「神(絶対者)が、人を選択する」のが通常のかたち。
また仮に、因果律を絶対普遍の真理としたら、人は因果律の外に出られないわけで、自由はないですよ。人は自由に選択しているつもりでも、何を選択するかは因果律によって定められてることになるから。
結局のところ、絶対神・絶対普遍の真理と、人の自由の両立は難しいんじゃないかな。もっとも宗教だと、この辺の問題はジャンプするみたいですね。絶対神のキリスト教だと、「神は将来を予定している。しかし人は自由である」というスゴイ結論になってるようだし、因果律の仏教では、「悟りで因果律から脱出」かな。
もしかしたら、この手の問題は、宗教を信じなくちゃ解消できないかもしれませんね。
>もちろん、信者との交流もされていますけどね。
これは興味深いですね。師弟の交わりについて、何かいい話があったらいつでも教えてくださいね。
ここで話は急に変わって、KKって、仏性を説くから、人と神仏とを連続的な存在としていますね。人と神仏とはつながっているから、唯一絶対の神は認めていない感じ。
またKKの教えって、大概は、原則と例外があり、絶対普遍の鉄則ではないですね。
それでいて「無神論はダメ!」とする。
KK信者の人たちは、この辺のことについて、特に疑問は感じないものなのかな。
172
:
RANDY
:2006/11/17(金) 20:10:35 ID:KiVUAETM
JBL氏。はじめまして。
初代さんのところの書込み、KKだけでなく、高橋信次関連まで遡ってるので、興味深く拝見してます。
173
:
AHW
:2006/11/18(土) 00:03:26 ID:sgFd8TIQ
>>166-168
ぉ) JBL氏だ!!
ようこそ、第二の退会者スレへ。
簡略ですが、歓迎の意。
現在、ミニ法論スレと化してますが、議論のレベルが上がりそうでwktkです。
JBL氏のことをあまり知らないロムもいるだろうと思われなんで、
気が向いたらでいいんですが、超簡単な履歴紹介などお願いします。
>>169
げねき氏 乙
で、いきなりのその放言ぶりはイエローカード対象!!
ここは2ちゃんじゃないお。
まあ今回は見逃すけど、スレ趣旨くらいは確認してからのカキコよろです。
このスレは第一義に、退会者の諸氏が主導するスレだしね。
その他の方々のカキコも禁止はしてないが、お邪魔の挨拶から入るなりして
ある程度節度あるやり取りをお願いしたいす。
174
:
100式
:2006/11/18(土) 21:57:58 ID:9DwAQJis
>>170
RANDY氏
>マザーテレサは、若くして修道院に入り、「貧しき人々に尽くしなさい」との神の声を聞いて、スラムに行きその通りにしたわけです。これは、かなり霊的な生き方じゃないかな。
知ってますよ。霊的な生き方、つまり霊的価値観に基づいた生き方。
ここで言った霊的覚醒とは、霊道が開くといった意味で、
要するに霊能者ってことです。彼女はそうではなかったと思われます。
>必ずしも〈霊的=霊能力発揮〉てわけでもないでしょ。
そうです。霊能力と悟りは比例しないです。
>>171
因果と選択って言えば、マトリックスでのネオとフランス人の対峙を思い出す。
ネオは選択だと言い、フランス人は因果だと言う。
あの奇妙な空気はたまらないよねww
でも結局は因果と選択は切り離せないと思う。
自分で作った因に対して果は現れるわけで、
因の部分に自己の選択があるはず。
しかし、果を選択できないのは当然。
絶対の神を受け入れるかどうかも自己の選択だ。
神を忘れ煩悩に生きるのもまた自由じゃないか。
しかし、神を受け入れ、神の御手足となって働く決意をしたなら、
もう選択の余地はないね。
>師弟の交わりについて、何かいい話があったらいつでも教えてくださいね。
ここでの紹介は無理だな〜。リアルで信者に聞いてくだされ。
>唯一絶対の神は認めていない感じ。
いえ、それを主・エル・カンターレと呼んでおるのです。
つながってはいるが、遥かに遠い存在という認識。
>またKKの教えって、大概は、原則と例外があり、絶対普遍の鉄則ではないですね。
例外ってどんなこと?
ワシ的には普遍の法則なんだが?
だから特に疑問は感じないよ。
175
:
100式
:2006/11/18(土) 23:27:04 ID:9DwAQJis
>>166
JBL氏
「理論派シンパ」つーのはワシのことかな(爆)
直接対話するのは初めてですかね。
ま、よろしくおねがいします。
>「愛を与える量」が初期に比べて激減したのは間違いありません。
回数は半分になっても、一回の参加人数が10倍ならトータルでは5倍増。
これで良くね?まあ、目に見えぬ愛の量を、こういう単純な計算で測ろうというのも馬鹿馬鹿しい。
>>167
>その根拠はいかに
ワシ的には黄金の法にそういう記述があったで十分なんだがw
哲学もまた真理追究の道。
宗教とは違う方向性だが、神の本質に迫ろうとしていることに変わりはない。
ニーチェは神の本質から離れてしまった。
その他の方はそうではなかった。
これで良い?
詳しい理由付けは任せます。ワシ教養が希薄なんでww
>>168
>「高級霊は高級霊同士、低級霊は低級霊同士でしかテレパシーが通じない」
いや、上から下には通じるが、下から上には通じないってことだ。
だから、先生が地獄に意識を向けるとそこに通じる。
>現在とはほぼ正反対の内容でした。
同じ内容でよい。
>「強力な結界をつくって悪霊から総裁を守るため」
そう、だから先生が意識を向けない限り完璧な結界となる。
勝手な訪問者はお断りってことだ。
176
:
ありす
:2006/11/19(日) 10:35:17 ID:BmoCLOtw
>勝手な訪問者はお断りってことだ。
だから、遊びにいっても迷子になるんだぁ〜♪(^^;)
177
:
RANDY
:2006/11/19(日) 12:13:55 ID:u7ZqirOg
100式氏
>>174
>自分で作った因に対して果は現れるわけで、
因の部分に自己の選択があるはず。
因果って、普通は、連続してますよね。だから因っていうのは、かつての選択による結果でもあるんじゃないでしょうか。
因(かつての因の結果)→果(将来の因)ていう感じかな。
>しかし、果を選択できないのは当然。
上のように、〈因=かつての因の結果〉とすると、果は選択できないならば、因も選択できないかもしれませんよ。
>ここでの紹介は無理だな〜。リアルで信者に聞いてくだされ。
では、そうしましょう。そういえばネット上で質問した時、他の信者もそんなこと言ってましたよ。
当方としては、大川さんが座談会みたいのに出席した際に、玄関で他人の靴を揃えていたとか、上座を年配の人に譲ろうとしたとか、お茶をこぼす失敗した人を優しくかばったとか、その程度の話でも嬉しいんですけどね。「話せない」というのなら、仕方ないですね。
>いえ、それを主・エル・カンターレと呼んでおるのです。
つながってはいるが、遥かに遠い存在という認識。
主・エル・カンターレが遙か遠くの存在でも、人とつながっているのであれば、それは絶対神とはちょっと違うかもしれませんね。
絶対神とエルカンターレ、エルカンターレと人、人と絶対神などの関係、
それと〈法則=神〉という教えとか、いろいろ整理した上で、「無神論はダメ!」としないと、世界伝道の際には、ごちゃごちゃなりそうな気はします。
私的には、KKのいう無神論は、絶対神うんぬんではなく、上、カミなど人を超えた存在を認めないこととか、そんな意味だろうと察するけど、外国人はそうは考えないかもしれないですから。
>例外ってどんなこと?
ワシ的には普遍の法則なんだが?
たとえば
原則・悟りに応じた認識力。
例外・信仰によって次元の壁を破る。
また
原則・波長同通の法則、一念三千
例外・総裁(超高級霊波動)が、悪霊(低級波動)から攻撃、干渉される。あと結界で一念三千を防御すること。
178
:
100式
:2006/11/19(日) 22:14:36 ID:MJ0vGnvE
>>177
RANDY氏
>果は選択できないならば、因も選択できないかもしれませんよ
いや、想念も因。だから選択権は必ず自分にある。
>大川さんが座談会みたいのに出席した際に、玄関で他人の靴を揃えていたとか、上座を年配の人に譲ろうとしたとか、お茶をこぼす失敗した人を優しくかばったとか、その程度の話でも嬉しいんですけどね。
もはや、そんなことは有り得ないよ。
先生が御本尊なんだからね。
意味わかりますか?
神に何を期待するんかい!ってな話でもある。
ただ、先生の慈悲、優しさを示すエピソードは結構あるんだが、
すべて内輪の話なんでね。ここでは話せんのよ。
>主・エル・カンターレが遙か遠くの存在でも、人とつながっているのであれば、それは絶対神とはちょっと違うかもしれませんね。
違うと捉える人が多い気はする。神人隔絶やからね。
>世界伝道の際には、ごちゃごちゃなりそうな気はします。
心配してくれているの?
その辺は賢い人がやっているんで、ワシは心配していない。
そうそう、この春だったと思うけど、ロンドンで講演やったらしい。
「カルマとは何か」って題目でね。
100人以上集まってたんじゃないかな〜。
で、20人くらいその場で三帰したんだってさ。
そこそこイケルみたいだよ。
イスラム圏のほうが厳しそうだけどね〜。
>原則・悟りに応じた認識力。
>例外・信仰によって次元の壁を破る。
祈願とかもそうだよね。
主への祈りとかもね。
原則論だけでは通じないはずなんだが、信仰心によってそこが開ける。
認識=悟りが上がってくると、自他一体の悟りとか宇宙即我の悟りとかね。
そういうのがある。
要するに、現状、分かれているんだけど、実は深い所でつながっている。
そこを見つけるのが信仰心であり悟りなんだろうな。
>また
>原則・波長同通の法則、一念三千
>例外・総裁(超高級霊波動)が、悪霊(低級波動)から攻撃、干渉される。あと結界で一念三千を防御すること。
地上においてはさまざまな念波の干渉がありうる。
それが地上の物質世界。霊天上界なら不可能ですな。
これ原則・例外というよりも、基本・応用な話だと思うけどね。
179
:
100式
:2006/11/19(日) 22:17:15 ID:MJ0vGnvE
>>176
ありすさん
あなた
大悟館に
遊びに行ったんすか???
ヒョエ〜〜〜
180
:
エートス_アテンド★
:2006/11/19(日) 23:04:38 ID:dZvAQwrs
>>167
JBL氏
はじめまして、エートスです。ここのアテンドをしています。
わたしの記憶に誤りが無ければあなたは確か退会した方ですよね。どうぞよろしくお願いします。
>その根拠はいかに。KK的な世界観からすれば、みんな束にして「無神論者」とひと括りにしたところで、当たらずとも遠からずです(藁)
その通りですネ。フロイトも然り。ウェーバーもある情報源によれば6次元なんだそうですが然りですね。宗教は心の作用としていますからね。
「神は死んだ」というわかりやすい言葉ゆえにニーチェが全ての無神論の罪を負わされたような気さえしますね。
ところで無神論と唯物論はどちらがKK的には罪が重いんでしょうか_?
一絡げでダメというだけで、このあたりの整理は_進化論も同様なんですが_信者さんにはできていないようなので、差し支えなければ氏のお考えを伺ってみたい。
181
:
エートス_アテンド★
:2006/11/19(日) 23:05:59 ID:dZvAQwrs
>>169
現役信者氏
>絶滅危惧種のJBLよ。
>あまり調子に乗るなよ。
こうした配慮を欠く発言はやはり以後謹んでいただきたいですね。
182
:
エートス
:2006/11/19(日) 23:07:24 ID:dZvAQwrs
>>164-174
100式氏
>霊体のままでは、この世の荒い波動は堪えるんだそうな。
>それで、霊体の上に幽体をかぶり、さらにその上に肉体をかぶる。まるで宇宙服や潜水服を着ているようなもの。
>一般の霊的な覚醒が無い人ならば、悪い波動の中でもわりと耐えられる。しかし、霊的な覚醒があり、霊道が開けてくるとそうは行かない。
>マザーテレサは霊的な覚醒はなされていなかったと思います。
>そういうことでよろしく。
>ここで言った霊的覚醒とは、霊道が開くといった意味で、要するに霊能者ってことです。彼女はそうではなかったと思われます。
神の啓示を受けるということはKK的には霊道が開いていないと無理なんじゃないの?違う?
それから、「霊体のまま」と「霊道が開く」というのが同じ意味なのかどうかはわからないけど、道っていうからには一部が通じるだけなんでしょ?
地上にいるのに霊体とかがむき出しになるわけではないんでしょ?
もし、むき出しになるんじゃあどうしようもないけど、道だけなら波長同通というのが守られていれば、下から上にはいかないわけだから、悪波動ビシバシでも関係ないんじゃないの?_とか思うんだけども。
183
:
100式
:2006/11/21(火) 19:14:20 ID:OjVb0656
>>182
エートス氏
>神の啓示を受けるということはKK的には霊道が開いていないと無理なんじゃないの?違う?
普通はそうなんだけども、高級霊の為す事なら何でも有りなんで、
霊道が開いていなくても可能です。一時的な体験ってことで。
>それから、「霊体のまま」と「霊道が開く」というのが同じ意味なのかどうかはわからないけど、道っていうからには一部が通じるだけなんでしょ?
地上にいるのに霊体とかがむき出しになるわけではないんでしょ?
これは心の窓が開くとかの表現もあります。
窓が開いているので泥棒が勝手に入ってくる・・・みたいなこともあるそうです。
つまり、受けたくない念も受けてしまうと、そういうことらしい。
>もし、むき出しになるんじゃあどうしようもないけど、道だけなら波長同通というのが守られていれば、下から上にはいかないわけだから、悪波動ビシバシでも関係ないんじゃないの?_とか思うんだけども。
部分的に開通でいいと思います。
宇宙服のヘルメットだけ脱ぐ、とか、戸締りはしているが、窓だけは全開とか、
そんな感じらしい。
地上に生きている以上、近所の波動は受けてしまうし、
自分に向けられた念も受けてしまう。
霊道が開かなければ感じないとこが、開くと感じてしまう。
ちなみに、霊道が開いた人には悪魔が簡単に入ることができるそうです。
そうなった場合、7次元クラスの悟りでは対処が難しいということです。
ルシファーは元々如来ですからね〜。
格下相手ならば簡単ってことなんでしょう。
6大神通力の中に漏尽というのがありますが、
これは、この世において霊道が開きながらも、社会性を保ち続けるみたいな、
非常に高度な悟りなのだそうです。
こんなところで御理解いただけますでしょうか?
184
:
RANDY
:2006/11/22(水) 18:16:14 ID:To3IRAtQ
100式氏
>>178
>原則・例外というよりも、基本・応用な話だと思うけどね。
基本・応用って、普通は、衝突しないんじゃないかな。
基本の延長線上に、応用がある感じ。
それに比して、原則・例外は、衝突しそうな感じ。
KKの教えは、どっちかっていうと、後者でしょ。
私が最初に習ったころの波長同通の話は、「あの世では、異なる波動を持つ霊人同士では、お互いの存在を認知せず、お互いの体が交差したとしても、お互いの体を突き抜けても気付かない」とか、そんな感じだったと思います。だから波長が合う相手としか、意思疎通できないことになってた。ある程度、幅を持たせても、自分のレベルの上下レベルとしか話せないんじゃなかったかな。霊格差が、次元を飛び越すほど開いてる相手と直接話すのは有り得ん。これが原則。
で、例外はこんなのかな。三次元だと、様々な段階の人が三次元的方法(口から出る言葉、文字など)で意思疎通できる。たとえば誰でもKK本を読むことで、あの世では知ることの出来ない高次元の法を知ることが出来る。高次元の法を体得すれば、自分の波動をより精妙にできる。
この他に、他力的迷信っぽい話もあった。……KK本・KKテープに、一定時間触れれば、光の強さで、憑依霊が落ちる。……大川氏の講演に行くと、後ろに倒れる人がいる。理由は光の圧力で憑依霊が逃げ出す時、肉体も引っ張られるから。……布団の四隅にKK本を置くと結界になり、金縛りにならない。……KK本を本棚に並べて光の壁をつくるとよい。
ホントは波長同通からすれば、KK本から光が出ているとしても、本人が荒い波動を出していれば、意味ない気がするけど、上のような話はありましたね。……ただそれでも波長同通は生きていた。四正道のマンガだったかな、守護霊が、地獄に堕ちた主人公を救おうとするが、波長が異なるために、手を握る事さえできないとか、そういう描写があったかと思う。だからこの頃はまだ、波長同通は有効だったんだろうと思う。
けどフライデー以後になると、「高級霊が地獄に下りて、地獄に堕ちてる先祖に説法して救済します」という先祖供養祭が始まった。これって明らかに波長同通に抵触してますよね。……先日の『永遠の法』では、天使が地獄霊と対話して救済してる場面があったし、それに感動する信者さんは多いようだから、KKは今もこの路線なんでしょうね。
なんか傍から見てると、原則と例外が逆転して、例外が一般化してしまってるように見えなくもなかったりして。
>心配してくれているの?
今のKKは、エルカンターレ信仰だと思うけど、かつての宇宙を神の体にたとえたり、真理が神であるとする教えは有効なんでしょうかね。もしそうなら、〈宇宙=神〉〈普遍の法則=神〉と説きつつも、「無神論はダメ!」とした場合、欧米の敬虔なクリスチャンがどういう反応を示すかは、若干の興味があります。
185
:
RANDY
:2006/11/22(水) 18:21:40 ID:To3IRAtQ
184のつづき。
>>178
>先生の慈悲、優しさを示すエピソードは結構あるんだが、
すべて内輪の話なんでね。ここでは話せんのよ。
私も、その類の話は聞いたことがあるかもしれない。ただ全部、霊能力絡みの話でしたね。もし霊能力絡みならば、確かに内輪の話にしておいた方が無難でしょう。
私はいつも「?」と思うのは、大川氏に比べて、高橋信次氏には、意外に良いエピソードがあるんですよ。病気の人のために山に行き薬草を採ってきてあげたとか、講演会場の玄関の靴を揃えた、便所掃除したとかね。高橋シンパの話だから、本当かどうかは分からないけど…。
それにしても裏側(愛情欠如・霊能信仰)の高橋氏には、霊能とは関係ない人情味あるエピソードがあり、表のトップには霊能関連の話ばかりというのは「?」ですね。……悪い噂は、大川氏、高橋氏双方にあります。けどちょっといい話を収集すると、高橋氏が少しリードしてる感じですね。
>もはや、そんなことは有り得ないよ。
先生が御本尊なんだからね。
だからこそ、一般信者、一般民衆と交わった方が良いと思うんですよ。人々を救うために降臨したけど、民衆とは交わらないっていうのは、「?」ですね。……ふと思ったけど、支部での結婚式で、大川氏は祝電とかしてるのかな。既に実行されてたら失礼。
>いや、想念も因。
いや、想念は果かもしれません。普通、生まれた時(霊的にも肉体的にも)は、思考なんて皆無でしょ。経験を積む事で、思考材料が集積されて、想念が発生するんじゃないかな。……それに普通は、想念は言葉を用いるから、言葉を習得(経験)するまでは本能みたいなものはあっても、想念と呼べるレベルの思考は発生しない気はしますね。こう考えると経験が因で、想念が果になりますね。……でもね。ぶっちゃけた話、創造神が存在するならば、創造神のみが因であって、他はみんな果になりそうではあります。
>選択権は必ず自分にある。
先に100式氏が言ってたように「人には信仰の種がある」と仮定するならば、人が信仰を選択したとしても、それは信仰の種を植え込んだ創造者のプログラムに過ぎないという見方を否定しきれないかも_です。……言われる前に言っとくと、恐らくは、100式氏は、こういう見方に嫌悪感ありありでしょう。……でも人の核には「仏性」「良心」とか一定の方向を目指す何かが、元々備わっているという思想は、福音になり得るけど、その逆に上のように自由意志の否定につながる面もあるんじゃないだろか。この手の問題は、ホント厄介です。
186
:
RANDY
:2006/11/22(水) 18:26:17 ID:To3IRAtQ
100式氏
>>183
やっぱ私が習った霊道、憑依の原理とかとは多少違いますね。私が習ったのはこんな感じですよ。
〈霊道〉
人の心には、表面意識と潜在意識がある。この二つの境界に想念帯がある。想念帯には、その人の思いが記録されている。想念帯は、煩悩によって曇り、この曇りによって、表面意識と潜在意識は分断される。……しかし反省によって、間違った思いを修正するならば、想念帯の曇りを晴らすことができる。過ちを心から詫びる時に流す涙によって、想念帯の曇りは洗い流される。
想念帯の曇りを取り除くと、表面意識と潜在意識とが通ずる。つまり霊道が開き、守護霊との対話、過去世の想起などが可能になる。けれどもその反面、心が間違った方に向くと、地獄界に通じ、地獄霊が入ってくる。霊道が開いている人は、常人以上に、心の針の向きに注意する必要がある。……注として、心が清いが霊能のない人、心が清いとは思えないが霊能がある人など、人様々だから、霊能=悟りとは言えない。
〈憑依〉
心の曇りを取り除いて、心が滑らかでつるつるだと、悪霊が取り付こうとしても、捕まる所がない。他者から悪想念を送られても、反射する。反射された悪想念は、そのまま悪想念を送った本人に返る。……逆に言えば、心が悪想念でザラザラだと、そこにロープとかを引っ掛けて、地獄霊たちが這い上がってくる。他者の悪想念も、撥ね返せない。
〈GLAとKK〉
高橋氏は、弟子に光をあてて、霊道を開かせたりした。そういう弟子らは自力で反省し、想念帯の曇りを払い、霊道を開いたわけではなかった。だから高橋氏の急逝後は、反省行に不慣れなために、心の針を上手くコントロールできずにあんなことになった。こういう事例からKKは、原則、霊道現象はしない。
>地上に生きている以上、近所の波動は受けてしまうし、
>自分に向けられた念も受けてしまう。
>霊道が開いた人には悪魔が簡単に入ることができるそうです。
>そうなった場合、7次元クラスの悟りでは対処が難しいということです。
Yを見ていて、「KK信仰が強まるほど、他者に対する疑は強まるのかなあ…」なんて思ったりしてました。でもこれみて、何か妙に納得してしまった。こういうのを信じたら、他者を警戒するのも仕方ないかも。
ほんとはね。「神様は、みんなの幸福を願ってる。みんなを守ってくれてる」と信じ切れてれば、悪魔だの、他者の悪念だのちっとも気にならないと思いますよ。それに七次元って菩薩でしょ。一人の菩薩がいたら、その背後には、無数の菩薩、如来が応援してるわけでしょ。神様もついてるはず。
また五次元レベルの人であっても、これは同じ。その背後には無数の菩薩、如来、神様らが応援してるはず。神に対する信頼があれば、悪魔も、ルシフェルもどうってことないでしょ。……と、いう気はする。
187
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/11/22(水) 21:48:08 ID:yFTryi3w
>>186
霊道をひらくについてですが、修験道・密教系の業とか他の存在がちょっと無理に開くのと本人浄化によって自然にほひらける場合があるということね。
前者は幽体を強制的こじあけ、
後者は反省、瞑想でエーテル脳に分化がおこって安全装置がはずれるちゅうやつですね。(=R・シュタイナー:いかにして超感覚的認識をかくとくするか)
これらは潜在意識から顕在意識への直接的な知覚情報と流出がおこる。つうこと。霊体から脳・肉体への生理学に関わる話。
憑依は霊道をひらく、開かないに関係なくおこっているちゅうことやんね。
188
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/11/22(水) 21:49:45 ID:yFTryi3w
>>187
訂正っす。
霊道をひらくについてですが、修験道・密教系の行とか他の霊存在がちょっと無理に開くのと本人浄化によって自然にひらける場合があるということね。
189
:
100式
:2006/11/25(土) 23:29:48 ID:28SyXdoA
RANDY氏
>>184
>霊格差が、次元を飛び越すほど開いてる相手と直接話すのは有り得ん。これが原則。
上から下へはコンタクトできるが反対は無理。高級霊は低次元に合わせられる。これも原則。
>例外はこんなのかな。三次元だと、様々な段階の人が三次元的方法(口から出る言葉、文字など)で意思疎通できる。たとえば誰でもKK本を読むことで、あの世では知ることの出来ない高次元の法を知ることが出来る。高次元の法を体得すれば、自分の波動をより精妙にできる。
要するに霊的に進化していくってことやね。
高次元のものに触発されるわけや。
それが三次元の存在する意味でもある。
この世が応用編そのものと考えてよい、と思う。
>だからこの頃はまだ、波長同通は有効だったんだろうと思う。
今でも波長同通は有効。支部や精舎においても、
本人の心境が悪ければ、地獄に通じると言われている。
もちろん、支部や精舎は結界が強力なので、悪霊は入って来れない。
書籍などで簡易的に結界を作ることができるということ。
>明らかに波長同通に抵触してますよね
いません。
前にも言いましたが、高級霊は下の次元に合わせることができるからです。
地獄で血を流していたり、怪我をしているような天使も描かれていましたが、
地獄に行って救済をするということは、相手の次元に合わせるわけで、
悪霊側の攻撃的な念を受けて霊体が傷つくのです。
ちなみに、地獄霊を救済するためには、何らかの縁というかきっかけが必要です。
子孫の供養はそれにあたるわけです。
>宇宙を神の体にたとえたり、真理が神であるとする教えは有効なんでしょうかね。
エル・カンターレ=真理・法則ですから有効です。
仏教でも仏陀は法身とかいいますよね。考え方は同じ。
ただ、そういう高次元存在が人間に宿るのかどうか、
ここら辺の反応がどうかとは思いますね。
普通は信じないんじゃないかと思いますけどね。
合理的に考える欧米人の方が伝道はしやすい気はしますね。
イスラム圏が難しそうです。
>>185
>だからこそ、一般信者、一般民衆と交わった方が良いと思うんですよ。
そういうのは人気取りのパフォーマンスでしかないな。
仏陀は法を説く。
これが最大の慈悲だと悟らねばならぬ。
>想念は果かもしれません
それはカルマとか魂の傾向性と説明されているな。
カルマを単純に運命論と捉えるか?
KKでは魂の傾向性としている。
考え方の傾向性が固まってしまうのも致し方ないが、
そこを転換できるか否かが問われるんじゃないかな。
自力での変更は可能なんだよ。
これは大事な観点だと思う。
>信仰の種を植え込んだ創造者のプログラム
仏性を別の言い方で言ったらこうなるんじゃないかな〜
SFちっくでな。
でもそれは自由意志の否定にはならない。
そっちもプログラムされている。
神は神を信じない自由すら保障されているわけだ。
どっちを選択するかは本人の自由。
>>186
おおむねそんな感じでOKでしょう。
想念帯の曇りが取れて守護霊(潜在意識)と通じる状態が阿羅漢といわれています。
もちろん、阿羅漢以下の悟りで霊道が開いている人もいれば、
それ以上の悟りを得ていても霊道が開かないというか、
守護指導霊との間の限定された霊道みたいな状態、
こんな感じの人もあると思います。
>Yを見ていて、「KK信仰が強まるほど、他者に対する疑は強まるのかなあ…」なんて思ったりしてました。
ローエン君は無視してくれ。
繰り返すが、信仰が深まるほど寛容になる。
アレは霊道が開くと辛いんだよという説明。
190
:
JBL
:2006/11/26(日) 19:42:43 ID:L.G1gDT6
>>175
>「愛を与える量」が初期に比べて激減したのは間違いありません。
>回数は半分になっても、一回の参加人数が10倍ならトータルでは5倍増。
>これで良くね?まあ、目に見えぬ愛の量を、こういう単純な計算で測ろうというのも馬鹿馬鹿しい。
確かに、「与える愛」は目に見えません。でも「法を説くという行為」は目に
見えます。「最大の与える愛とは、法を説くことである」ということを前提に
すれば、「法を説くという行為は」「与える愛」という目に見えない理念の、
目に見える写像です。ですから、「法を説くという行為の頻度・時間・意欲
・・・etc」をもって、「与える愛の量」を類推できるのです。
初期KKにおいて、大川総裁の生講演に接するのは容易でした。セミナーの
講師もやってた。著書は続々と発刊されていた。「信者が増えて手が回らなく
なった」と信者はいうのだが、噴飯モノだ。東京ドームや幕張メッセを満員に
してた絶頂期より、聴衆が増えているというのか??
1人と対話するのも、法を説く行為です。仏典を見れば、悩める人が釈尊の
もとを訪れ、釈尊との対話に随喜の涙を流した、悟りの眼が開かれた、といった
話がたくさん出てきます。それが後世に語り継がれ、釈尊に心酔する人々が
増えていく。
ところで、かつてはテレビや雑誌にも登場してた大川総裁だけど、もうカルト
信者でない一般人に呼びかけるのは、完全にあきらめたか??
191
:
JBL
:2006/11/26(日) 19:54:08 ID:L.G1gDT6
>ワシ的には黄金の法にそういう記述があったで十分なんだがw
>哲学もまた真理追究の道。
>宗教とは違う方向性だが、神の本質に迫ろうとしていることに変わりはない。
>ニーチェは神の本質から離れてしまった。
>その他の方はそうではなかった。
「黄金の法」によると、ニーチェは「神は死んだという言葉が霊人たちの嘲笑
のマトになり、地獄の底に落ちました」とある。これを額面どおりに受け取れば、
「神は死んだ」という暴言が命取りになったと見るのが妥当です。
「暴言を吐いて社長の逆鱗に触れ、クビになったサラリーマン」というイメージが
ぴったり。
ハイデッガー(KKでは如来)は、若い頃からニーチェに深く傾倒していたことが
知られています。大著「ニーチェ」(講義録)は、ハイデッガー後期の代表作である
だけでなく、哲学史に残る傑作とされている。哲学史に造詣が深かったハイデッガー
にとって、ニーチェは西洋哲学の革命家であり、現代思想はすべてここから始まる。
偉大なる先哲を熱く語る、その情熱がすばらしい。「哲学書を一冊だけ読むのなら、
これを読め」という人までいるほど。
聞くところによると、カトリック教会はカントを異端として禁書目録に載せたのだが、
自他ともに認めるカント哲学の後継者・ショーペンハウアーについては、「無神論者
は論外」という理由で禁書にすらしてくれなかったとか。そのショーペンハウアーの
後継者がニーチェ。ニーチェを愛読して育ったのがハイデッガーやウィトゲンシュタイン。
「天国や地獄はまちがいなくあります。主エルカンターレである、この私が保証
します」なんてのは、彼らにかかれば「これは、命題の真偽を問うようなものでは
ない。無意味な命題である」の一言で却下されるのは間違いない。
KKが誰かを持ち上げたり地獄に落としたりするのは勝手だが、彼ら同士は
みんな仲間です。お互いに尊敬しあっている先輩・後輩だ。「神は死んだ」と
言われて激怒したKKの神様は、「王様は裸だ」と言われるまで気づかなかった
裸の王様と一緒(藁)。
192
:
JBL
:2006/11/26(日) 20:00:21 ID:L.G1gDT6
>いや、だから下には通じるが、下から上には通じないってことだ。
>だから、先生が地獄に意識を向けるとそこに通じる。
>そう、だから先生が意識を向けない限り完璧な結界となる。
>勝手な訪問者はお断りってことだ。
これについては、「神秘の法」第1章を読み直してもらうしかないのだが、
そういうニュアンスじゃなかったですよ。
有名なところでは、「出版社の社長が苦悩のあまり、生霊になって飛んできて
大悟館に居座った。迷惑なので早く帰ってほしいなあと思ってた」という記述
があり、「だったら、なんで救ってやらないんだ」という失笑を買いました。
上で漏れが引き合いに出している「地獄の底からニーチェが出てきた」の話でも、
大川総裁は「ニーチェと通信しよう」と思って地獄の底に意識を向けたわけでは
ありません。「ツァラトゥストラ」の音楽を聴いていたら、勝手に意識が同通
して、いきなり大悟館に出現したのです。
大川総裁がテレビを見ても、大川夫人が小説を読んでも、そこには凶悪犯罪者
その他が必ず出てくる。そうすると、その連中が死霊・生霊になって飛んでくる
のだからたまりません。
ですから、100式氏が言うような「完璧な結界」を作るためには、鉄筋コンク
リート造りの堅固な建物に住んだくらいじゃダメで、外部からの情報を遮断しな
ければならない(藁)
193
:
ありす
:2006/11/26(日) 20:06:22 ID:omm0q/8k
テレビはテレビのスポンサーがもうからないから
OKしないでしょ?(笑)
雑誌に、ちゃんと登場されているよ。読んでないの?
本屋さんは、リバティーやあゆは?を販売してくださっているよ。
ちゃんと一般人によびかけているのに気が付いてないの?(@@)
東京ですんでいたら生の主に出会えるのにね。
つい最近なんて、某支部にお忍びにこられ、一般の方々と
お話されたって東京の法友から聞いたよ。
「敷居の低い団体になったんだ」って一般さんに教えてもらったって聞いたよ。
194
:
JBL
:2006/11/26(日) 20:09:58 ID:L.G1gDT6
>>191
訂正
ウィトゲンシュタインが愛読してたのは、ニーチェではなくショーペンハウアー
の「意志と表象の世界」でした(どーでもいいか、こんな訂正)。
それはともかく、
>>180
>ところで無神論と唯物論はどちらがKK的には罪が重いんでしょうか_?
>一絡げでダメというだけで、このあたりの整理は_進化論も同様なんですが_信者さんにはできていないようなので、差し支えなければ氏のお考えを伺ってみたい。
そもそも、KKの教義体系では「無神論」も「唯物論」もアイマイな概念で、
はっきりした区別があるとは思えません。大半の日本人の宗教観は大なり
小なり「漠然とした汎神論」といったところで、これについてはKKもご多分
に漏れないというところです。「神は在るか無いか」を問い詰めるような
精神風土が、そもそも存在しない。
マルクスは「唯物論」をトガメられて地獄に落ちたが、レーニンは落ちて
いません。要は「無神論・唯物論でも別にいいのだが、暴言を吐いたら
アウト」ってなところか。
195
:
JBL
:2006/11/26(日) 20:18:18 ID:L.G1gDT6
>JBL氏のことをあまり知らないロムもいるだろうと思われなんで、
>気が向いたらでいいんですが、超簡単な履歴紹介などお願いします。
一応、退会者です。
もっとも、会員暦よりアンチ暦の方が遥かに長いけど・・・。
ネットKK界で「理論派アンチ」といえば代表格は初代管理人氏ですが、
当方もその一員に数えられてます。
3〜4年前から、2chKKスレで「夏に大量カキコし、冬にはいなくなる」
というパターンを繰り返してます。2ch以外で書いたのは「初代さんの
部屋」です。
>>183
>部分的に開通でいいと思います。
>宇宙服のヘルメットだけ脱ぐ、とか、戸締りはしているが、窓だけは全開とか、
>そんな感じらしい。
それは「部分的な開通」とは言えないな(藁)
宇宙服を着て宇宙遊泳している人が、ヘルメットを脱いだら即死です。
この場合、胴体を密閉している意味は、ほとんどありません。
196
:
ありす
:2006/11/26(日) 20:19:45 ID:omm0q/8k
救っても救っても
本人が反省して悟らなければ同じことのくりかえしだから
主は、「・・・早く帰ってほしいなあ・・・」
と思って待っててくださっているんじゃないのかな?
蚊に刺されたときでも、蚊がすい終わるまでまって
蚊が逃げてったら「あ、蚊に刺されたかゆいな。」って
かゆかゆされていたって話を聞いたよ。
算数の問題で
親が答えを教えて宿題終わらせても
試験で子供が通んないのといっしょかも?
解き方をマスターしないと上に上がれないのよね。
私も自分の問題を解けれないでいらいら波動で〜す♪
197
:
ありす
:2006/11/26(日) 20:25:50 ID:omm0q/8k
JBLさんはじめまして〜♪
第三BBSで遊んでいるありすです。
一応信者です。不真面目信者です。
この前まで「脱会しちゃる〜」と叫んでいた異端児信者です。
第三BBSの管理人さんがお留守なので
ここで遊ばせていただいてます♪
知らないことが多いので又いろいろ教えてくださいませ♪
198
:
JBL
:2006/11/26(日) 20:28:19 ID:L.G1gDT6
>>193
>雑誌に、ちゃんと登場されているよ。読んでないの?
>本屋さんは、リバティーやあゆは?を販売してくださっているよ。
>ちゃんと一般人によびかけているのに気が付いてないの?(@@)
・・・たしかに、そうですな(藁)
リバティーやアユハには登場されています。
199
:
JBL
:2006/11/26(日) 20:45:08 ID:L.G1gDT6
>救っても救っても
>本人が反省して悟らなければ同じことのくりかえしだから
>主は、「・・・早く帰ってほしいなあ・・・」
>と思って待っててくださっているんじゃないのかな?
それは、本人がナットクするまで何回でも救うべきなんじゃないのかなあ。
大川総裁も大好きな諸葛孔明の逸話「孟獲を七たび捕らえて、七たび放つ」
の話と一緒です。
まあ、価値観の問題もあるでしょうが・・・・・。
200
:
RANDY
:2006/11/26(日) 22:12:40 ID:9PJ.S0yo
100式氏
>>189
丁寧なレス、有難う。
>上から下へはコンタクトできるが反対は無理。
これはつまり、低次元存在でも、高級霊からのメッセージを受けられるということですね。とすれば、やっぱ私が習った波長同通とは違いますね。
私が習ったのは、高級霊からのインスピレーションは、同レベルの存在じゃないと、受信できないことになってましたから。
>高級霊は低次元に合わせられる。
字面だけ見てると何となく、「へえ〜」と納得しそうになるけど、具体例を想像すると変な感じがしますよ。たとえばKK信者からしたら、邪教波動、低俗波動は低次元になるわけでしょ。KK信者がこれら低次元に合わせる様子は想像し難いです。
>地獄に行って救済をするということは、相手の次元に合わせるわけで、
悪霊側の攻撃的な念を受けて霊体が傷つくのです。
「相手の次元に合わせる」って具体的に、どういうことなんでしょう。
『永遠の法』の対決場面では、全然、悪役の次元に合わせてる感じはなかったでしょ。むしろ両者は正反対の思想を持ってた。それなのにお互いを認識し、対決してた。よく分からないですね。
それはそうと、この話題って、もしかしたら法論スレの方と重なる気もしますが、どうでしょ。
>そういうのは人気取りのパフォーマンスでしかないな。
そういう解釈をされると、どうにも仕方ないですね。
201
:
RANDY
:2006/11/26(日) 22:31:59 ID:9PJ.S0yo
ありす 氏
>>193
>つい最近なんて、某支部にお忍びにこられ、一般の方々と
お話されたって東京の法友から聞いたよ。
教えてくれてありがと。
どのくらいの頻度かは分からないけど、直接会話をすることは可能なんですね。
>>196
>蚊に刺されたときでも、蚊がすい終わるまでまって
蚊が逃げてったら「あ、蚊に刺されたかゆいな。」って
かゆかゆされていたって話を聞いたよ。
この話は面白い。私だったら、蚊に刺されたのに気付いたら、手の平で潰しはしないけど、息でふうふうはしますね。それでもダメなら、指でピン!と飛ばす。
202
:
主管理の黒田
◆ZKLVh/2jGY
:2006/11/27(月) 00:13:41 ID:ZUzrFxJY
>>200
>それはそうと、この話題って、もしかしたら法論スレの方と重なる気もしますが、どうでしょ。
波長同通、憑依、次元と映画「永遠の法」 のキーワード で 法論スレに合流してください。
203
:
主管理人の黒田★
:2006/11/27(月) 00:22:58 ID:ZUzrFxJY
>>202
ハンドル 訂正印 ぽちっとな!
204
:
IAOO.KK
◆ZKLVh/2jGY
:2006/11/27(月) 00:36:51 ID:ZUzrFxJY
>>47
初代 さん ようこそ。 挨拶してませんでした! (T_T)
>>166
JBL さん ようこそいらっしゃいませ。
第四BBS投稿者 黒電気石の黒田です。
理論派アンチ の論説を存分に展開されてくださいませ。
205
:
AHW
:2006/11/28(火) 00:50:36 ID:rr7BVY.I
.
>>189
百式氏 つっこみ
>合理的に考える欧米人の方が伝道はしやすい気はしますね。
>イスラム圏が難しそうです。
これはやや他の宗教について無知がなせる発言のように思われ。
合理性を重視する欧米人気質は、論理矛盾なりダブルスタンダードなりを激しく嫌うもの。
信仰でも同じ。それを潰すために中世神学が発達せざるを得なかった。
キリスト教のほうがエルカン信仰を持ってくのは難しいと思う。
プロテスタントなんかにはもう絶対にアウト。妥協の余地がない。
むしろイスラム教のほうが、ユダヤやキリスト教より柔軟で寛容だよ。
あとからきたものとして、神の流れの継承者だと主張してるわけでね。
宗教教理の構造としては、イスラムとkkはかなり似ている。
イスラムとぶつかるとしたら、偶像崇拝肯定や、教祖=創造主あたりだが
これはユダヤ、キリスト教も同じくで、よりぶつかるだろう。
もっともアラーやエホバを地球の問題児にしておとしめてる時点で
欧米人には、はなから無理っぽいけどなw
206
:
エートス
:2006/11/28(火) 23:17:15 ID:EsmoupVU
>>194
JBL氏
質問にレスいただいてどうもありがとうデス。
>そもそも、KKの教義体系では「無神論」も「唯物論」もアイマイな概念で、はっきりした区別があるとは思えません。
もともと東洋的な風土にはそうした追究はあまり見られませんからね。
しかし、KKではきっちり誰それは地獄にいる、などと明言しているわけで、そこをはっきりさせているにもかかわらず、教義体系の中でこうした概念定義が曖昧なままでは、世界規模での大方の納得は得られないでしょうね。
>要は「無神論・唯物論でも別にいいのだが、暴言を吐いたら「アウト」ってなところか。
これはわたしも前に書いたんですが、分かりやすいことを言った人が地獄にいると思えてしまう。
例えば「神は死んだ」「宗教は麻薬」などですよね。
JBL氏の論考で、大川氏が取り上げる霊人に時代的地域的な偏りが多いという指摘があったように思いますが、そんなところと共通しているのかどうか・・・。
>「黄金の法」によると、ニーチェは「神は死んだという言葉が霊人たちの嘲笑のマトになり、地獄の底に落ちました」とある。
これ(黄金の法)はわたしも読みました。ここで不愉快になった記憶があります。で、先日映画を見てまたまた不愉快になった。
で、映画がまったく面白くなかった_と正直に書いたら現役信者氏に、わざとKKを貶めていると言われて、またまた不愉快に。w
まーそれはともかく「嘲笑」って、あざ笑うことでしょ。
ここで「霊人」とあるのはそれ相当の位置にいる霊格のことなんだろうけど、そういった大いなる霊達なら哀れに感じた悲しむこそすれ、あざ笑うというのはないでしょーに・・・と思いましたね。
でね、映画ではなにしろ主人公のように高めの霊格の持ち主は人をあざ笑うようなことはありえないってな具合に描かれていてね・・・いったいどうなってるの??という感じでした。
207
:
100式
:2006/11/29(水) 22:26:05 ID:xHCWxFjI
JBL氏
>>190
総裁先生が、直接説かれること、
これのみに注目してどうするんやねん。
先生の説かれた法を、組織的に学び広めていく。
こういうシステムを作られたこともまた、大いなる愛ですがな。
>「信者が増えて手が回らなくなった」と信者はいうのだが、噴飯モノだ。
>東京ドームや幕張メッセを満員にしてた絶頂期より、聴衆が増えているというのか??
最近のパターンは、先生の御法話(ビデオ)を講師(支部長)が解説するというもの。
聴衆?はトータルでは増えてますよ。
講師が解説されることで、効率よく学習できるようになってます。
>一般人に呼びかけるのは、完全にあきらめたか??
弟子に任されているんですよ。
>>191
>「神は死んだ」という暴言が命取りになったと見るのが妥当です。
この暴言は本心からのものだったんじゃないの。
しっかりとそういう思想を持っていたわけで、
出来心でとか、チョット酔って言ってみたとか、言葉のあやとかじゃあない。
だから、
>「暴言を吐いて社長の逆鱗に触れ、クビになったサラリーマン」というイメージが
ぴったり。
じゃないよ。
仏陀、救世主を客観的に認定する基準はない。
本人がそう言ったからと、そういう自己申告しかないんですよ。
>彼らにかかれば「これは、命題の真偽を問うようなものではない。無意味な命題である」の一言で却下されるのは間違いない。
イエス様は「我はそれなり」と言われたし、
釈尊も自分が仏陀だと言われた。
それしかないんですよ。
さて、釈尊やイエス様の言葉も却下されるんですかね。
>彼ら同士はみんな仲間です。お互いに尊敬しあっている先輩・後輩だ。
そりゃそうでしょうが、天国地獄を分ける基準は知らなかったってことでしょう。
>「神は死んだ」と言われて激怒したKKの神様は、
天上界では誰も激怒してませんが・・・
>「王様は裸だ」と言われるまで気づかなかった裸の王様と一緒(藁)。
何が一緒なんだか?
208
:
100式
:2006/11/29(水) 22:53:43 ID:xHCWxFjI
続き
>>192
>有名なところでは、「出版社の社長が苦悩のあまり、生霊になって飛んできて大悟館に・・・
こりゃ大悟館じゃなくて別荘。よく読め。
>「ツァラトゥストラ」の音楽を聴いていたら、勝手に意識が同通して、いきなり大悟館に出現したのです。
これも大悟館とは限らないな〜。
まあ、意識を向けていると通じてくるわけで、
こういうところでも波長同通の法則が生きているわけ。
だから、自己の意識の管理が大切なのよ。
霊能力とは無縁の一般人はずいぶん楽なんよ。
神秘の法22ページから23ページあたりに結界のことが書いてある。
普通は見えないとのこと。
>外部からの情報を遮断しなければならない(藁)
六大神通力の中の漏尽やね。
悟りが高くなると自己管理でカタがつく。
意識を天上界に向けたときに邪魔されないための結界でOKじゃないか。
>>195
>宇宙服を着て宇宙遊泳している人が、ヘルメットを脱いだら即死です。
宇宙遊泳している時とは言ってないが・・・
・通信機を通じてしか話ができない。
・完璧な空調。
・視界は狭い。
ここら辺がポイント。
地上でもいいじゃん。
209
:
100式
:2006/11/29(水) 22:59:06 ID:xHCWxFjI
>>200
RANDY氏
法論スレで続きを投稿します。
210
:
100式
:2006/11/29(水) 23:10:27 ID:xHCWxFjI
>>200
>>人気取りのパフォーマンス
JBL氏との対話でも強調しているが、
法を説く、広めることが最重要なんでね。
211
:
100式
:2006/11/30(木) 00:15:57 ID:JI37mcF.
>>205
AHW氏
今の所、海外の信者が最も多い国はブラジルなんだってさ。
急に増えるとフォローできないんで、三帰を制限しているとか聞いた。
後はスリランカとかネパール。
ここは仏陀の転生が信じられているそうだ。
KKで言っているそのまんまらしいね。
>>178
でも書いたが、ロンドンなんかでも受け入れられているようで、
この辺で、合理的に教義を理解しているんかいな〜
と感じたってこと。
でも、直感的な信仰で、合理的じゃないかもな。
詳しいことは知りません(爆)
212
:
RANDY
:2006/12/01(金) 21:59:36 ID:N3FqP6BA
100式
>>210
>法を説く、広めることが最重要なんでね
法を説くって、演壇で口で言うだけじゃなく、実践、行為で法を説くってあるでしょう。オヤジの背中を見て育つとか…。
釈迦は死の間際で、腹が苦しくても、人と会い、説法し、帰依させている。イエスの場合も、磔にされてるのに、「主よ、彼らは何も知らないのです」とか言ったという説があるでしょ。
まあ上の事例は、極端な事例なんだけれども、KKは朱子よりも、王陽明を上位にしてたと思うし、総裁は口ばかりでなく、KKの教えを自ら体現して見せて欲しいですよ。教えは口だけで説くもんじゃなくて、行為でも説かないと説得力が乏しくなってしまう。
私が伝道したときに相手から批判された言葉で印象に残ってるのが、「大川氏は、本で勉強した事をただ書いてるだけ。本人は本当には分かってない」というもの。多分、一般の大人は、ことばだけじゃ信用しないよ。少なくとも行為が伴わないとね。
213
:
RANDY
:2006/12/01(金) 22:03:33 ID:N3FqP6BA
〈方便は、選択の自由を奪う?〉
100式 氏
>>189
>神は神を信じない自由すら保障されているわけだ。
どっちを選択するかは本人の自由。
KKでは方便はOKでしょ。方便ってのは、相手をある方向に誘導するものですよね。これって、本人の選択の自由を奪うんじゃなかろうか。
本人の選択の自由を尊重するならば、まずは本当のこと、正しい情報を提供し、決断は本人に任せるものでしょ。ある方向を選択するように、情報操作したら、これは選択の自由を侵害してるよ。
方便については、絶対ダメ! とまではいえないけど、まあ出来うる限りは使用しないに越した事はない、とは思う。
〈自分の過失は反省でおしまい? 責任はどうなる?〉
100式氏はYの「会員と語るトピ」では、フライデー事件関連について「総裁は反省している」という見方ですよね。No.17136とかでも書いてる。とすると、総裁の責任についてはどう考えてるんでしょ。
フライデー事件でも、大伝道でも、KK組織およびKK会員がしたことは、社会的な問題になったし、その責任は、代表たる総裁の肩に乗っかってくるでしょ。総裁が反省しているということは、自己の落ち度を認め、この責任を自覚したということでしょ。とすると次は、反省の後は、責任問題になってくる。
KKの四正道的な反省では、「反省したら想念帯が黄金に輝きます」だから反省したらそれで終了かもしれない。でも社会的責任については反省だけじゃ終わらないでしょうね。どうしたら総裁は、この責任を果たした事になるんだろう。
214
:
RANDY
:2006/12/01(金) 22:07:41 ID:N3FqP6BA
100式氏
>会員と語るトピ No.17116
〈フライデー事件の内と外の使い分けは、やっぱショックだったよ〉
当時は、やっぱショックだったよ。その頃は、まだ若かったから、素直に、先輩会員のおじさんらを尊敬してたわけです。そういうおじさん連中から、内と外との使い分けを指示されると、苦痛でしたよ。KK本部とかからは、マスコミ対応マニュアル(外部にはこう答えとけ)みたいのが来るしね。
短期的には、「これをしないとKKが潰されちゃう。KKを守らなくちゃ」とか考える事で、「裏表の使い分けは嫌だなあ」というような不快感を誤魔化せないこともないけど、やっぱり心の中の変な感じは中々とれないね。それに以前のように、先輩会員のおじさんらを尊敬できなくなった。言っちゃ悪いけど、なんかおじさんらから透明感が感じられなくなったよ。
当時は、KK正会員になる人は、みんな立派な人たちだと思ってたからね。正会員らが二枚舌使っても普通にしているのを見ると、がっくりきた。もしかしたらKKを信仰してるほどに、このガックリは酷くなるのかもね。
とはいえ、今はそれほど厳しく他者を見ないよ。キリスト教的人間観にも共感する所があるから、人が嘘をつくのは、奨励はしないけど、しゃーない気はします。
ただそれでも、やっぱり宗教家・信者には、あまり謀とかして欲しくないですね。できるだけ純でいて欲しい。宗教家・信者であっても、人には違いないから、自己保存に引っ張られて、嘘をついちゃうのは仕方ないかもしれないけど、せめて後ろめたい気持ちは感じていて欲しいとは思いますね。平気の嘘、嘘の正当化とかは、抵抗感がある。
215
:
RANDY
:2006/12/01(金) 22:12:08 ID:N3FqP6BA
〈愛・知・反省・発展より、愛・美・反省・発展はどうでしょう?〉
知が欠けてても、純だと美がある。知的障害者とかが、泣いてる人の頭を撫でてあげながら、「かわいそう、かわいそう」というのを見ると、知は不足気味かもしれないけど、美は十分にある。
けれども知があっても、不純だと美がない。〈生かす愛〉とかは、自分は相手が進むべき道を知っているのであり、相手をそっちへ誘導する権限があるという感じがしないでもない。これって濁り、傲慢とかが感じられないこともない。
愛は、知よりは、純粋さ、透明度とか美的基準で判定した方が、その判定に狂いがでないんじゃなかろうか。
本当は、知も高度であれば、透明感があると思うけど、人の中には、知によって嘘、方便を正当化する傾向があるように見えるから、それの歯止めとして、かつて四正道を実践してみた感想として、愛、美、反省、発展方式の新四正道を提案してみる。
216
:
エートス
:2006/12/02(土) 00:24:41 ID:6azg0meM
>>207
100式氏
>仏陀、救世主を客観的に認定する基準はない。
>本人がそう言ったからと、そういう自己申告しかないんですよ。
これ文脈上の繋がりがよく分からなかったんだけど、ニーチェのことですね、多分。
で、それは置くとして、認定する必要はないと思うけど客観的に判断することはできるんじゃないでしょうか、
彼らの業績として。でなければこの世は救世主だらけになってしまう。
例えばイエスですが自分で救世主とは言っていませんが、しかし十分に救世主と認めうる行いがあったわけで、
大川氏があれだけ多くの霊言を世に問うたのも、霊的なものへの存在証明として客観的に受け入れられることを望んでのことでしょ。
わたしは「科学」とは特定の価値観に裏打ちされていると考えますから_というか特定の価値観に裏付けられないものは無いと考えるので
実証の方法論もそれを反映していると考えます。
だから、同じく特定の価値観に裏打ちされている宗教がそれなりの方法論を持つことは可能だと思うわけで、救世主と言ったから救世主というの受け入れられないですね。
> イエス様は「我はそれなり」と言われたし、
> 釈尊も自分が仏陀だと言われた。
> それしかないんですよ。
> さて、釈尊やイエス様の言葉も却下されるんですかね。
聖書のイエスの言葉を全て真正とみなすことはできません。
また、仏陀は悟った人という意味で救世主とは関係ありませんしね。
ですから却下ですね。
なぜ人々が彼らをキリストであり仏陀であるとみなすかというと、それはキリスト的あるいは仏陀的態度の創造者だったからなんですよ。
そうした態度は決してダブルスタンダードではないはずですよね。
>そりゃそうでしょうが、天国地獄を分ける基準は知らなかったってことでしょう。
天国地獄を分ける基準を知ってどうするのって感じだと思うよ。
前にも書いたが、真理の探究者は、基準なんていうセコイこと考えて自分の信条を曲げるようなことはしないですよ。
>天上界では誰も激怒してませんが・・・
激怒したんじゃなくてあざ笑ったんでしょ。
217
:
JBL
:2006/12/04(月) 06:55:46 ID:poN2oUPg
>>206
>「黄金の法」によると、ニーチェは「神は死んだという言葉が霊人たちの嘲笑のマトになり、地獄の底に落ちました」とある。
>まーそれはともかく「嘲笑」って、あざ笑うことでしょ。
ここで「霊人」とあるのはそれ相当の位置にいる霊格のことなんだろうけど、そういった大いなる霊達なら哀れに感じた悲しむこそすれ、あざ笑うというのはないでしょーに・・・と思いましたね。
まったくだ。
異端審問の法廷で、嘲笑を浴びつつ、火あぶりの刑になる(実際、地獄
の底では永遠の業火に焼かれます)。まさに、暗黒の中世、宗教裁判
そのものだ。
KK的には、ニーチェは生まれる前は菩薩界にいたとのこと。菩薩界の霊
たちにとって、ニーチェの短い人生など、一瞬にすぎません。つまり、
つい昨日まで菩薩界で仲良く暮らしてた仲間だ。それが火あぶりの刑に
なるってのに、よくもまあ、藁えるもんだよなあ(藁)
KKの「菩薩界」ってのは、地上の人間の想像を絶するほど冷酷非情な
ところです。
>>207
>総裁先生が、直接説かれること、
これのみに注目してどうするんやねん。
先生の説かれた法を、組織的に学び広めていく。
こういうシステムを作られたこともまた、大いなる愛ですがな。
>講師が解説されることで、効率よく学習できるようになってます。
>弟子に任されているんですよ。
これだと、「初期には大川総裁が自分で法を説いていたが、教団の組織
が整ってきたので、今は講師に任せて、自身は一線を退いている」
ということになります。
でも、それはおかしい。初期の「大伝道」時代だって、今みたいな組織
はすでにありました。弟子たちの伝道は、極めて熾烈。社会問題を引き
起こしていた。
つまり、初期においては「大川総裁の説法+弟子の伝道」だったのが、
今は大川総裁の説法が欠落して、「弟子の伝道」オンリーになったっ
てこと。一方が取って代わったわけではなく、単に片方が消えただけ
です。
218
:
JBL
:2006/12/04(月) 07:06:38 ID:poN2oUPg
>>208
>こりゃ大悟館じゃなくて別荘。よく読め。
いかにもKK信者らしい反論ですな。
確かに、大悟館と別荘を取り違えた、当方の記憶違いかも知れません。でも、本質が変わらないじゃないの。
「信者から集めた莫大なカネで、高級住宅地に建てた豪邸」が、「信者
から集めた莫大なカネで、高級リゾート地に建てた別荘」に変わるだけだ(藁)
>外部からの情報を遮断しなければならない(藁)
>六大神通力の中の漏尽やね。
悟りが高くなると自己管理でカタがつく。
意識を天上界に向けたときに邪魔されないための結界でOKじゃないか。
言いたいことは分かりますが、当方が言う「外部からの情報を遮断」と
いうのは、そういう意味ではありません。
テレビとか新聞とか、そういった一般メディアのことです。
なぜそのように言えるかといえば、「神秘の法」第1章によると、大川総裁
がテレビを見ても、大川夫人が小説を読んでも、すぐに地獄霊と意識が
同通してしまうとある。
だったら、結界を完全なものにするには、外部からの情報を遮断するしかないね・・・・
>宇宙服を着て宇宙遊泳している人が、ヘルメットを脱いだら即死です。
>宇宙遊泳している時とは言ってないが・・・
>地上でもいいじゃん。
「結界」だの、外部との遮断だのの話をしているときに、「宇宙服」の例えを
持ち出してくれば、宇宙空間で密閉された人間を想定するのが当たり前です。
「地上で宇宙服を着てる人間」??
それだと、「外部との結界」じゃなくて、「無用の長物」(っていうか、
はっきり言って邪魔なだけ)の例えになっちゃうんだが、それでいいのかな??
219
:
JBL
:2006/12/04(月) 07:17:44 ID:poN2oUPg
20世紀の大哲学者ハイデッガー(黄金の法によると、八次元如来界)は、後期の代表作「ニーチェ」において、次のように述べています。
「ニーチェの根本経験は、われわれの歴史の根本事実への深まりゆく洞察である。その事実は彼にとってニヒリズムである。ニーチェは彼の思索者的
現存在のこの根本経験を、くりかえし情熱的に名言した。盲目の人人々・・・物事を見ることのできない、とりわけ見ようともしない人々・・・
にとっては、彼の言葉はとかく節度のない狂騒のようにひびく。けれども(中略)彼の言葉はほとんど柔和ともいうべきものである。
『神は死せり』という言葉は、無神論者の定理ではなく、西洋の歴史の出来事の根本経験を表す定式なのである」
ハイデッガー著「ニーチェ」細谷貞雄ほか訳
220
:
JBL
:2006/12/04(月) 07:23:24 ID:poN2oUPg
ハイデッガーは、「神は死せり」というニーチェの言葉を、「西洋の歴史の根本事実への深まりゆく洞察」と評しています。
さらに、ニーチェの言葉を過激だといって非難する人々のことを「盲目の人々・・・物事を見ることのできない、とりわけ見ようともしない人々」
と明言しています。
この言葉を、善川・大川親子に贈りたい(藁)
18世紀のカントは、「神の存在証明」をバッサバッサと斬り捨てました。
19世紀のニーチェは、「神は死せり」と大仰に宣言する必要があった。
でも、20世紀のハイデッガーには、もはやそんな必要はありませんでした・・・・ってこと。
「ニーチェは地獄の底に落ちますた。ハイデッガーは八次元如来界に帰りますた」
という、「黄金の法」のご託宣があまりにも虚しく響きます。
221
:
100式
:2006/12/04(月) 21:50:09 ID:eO/61dkk
RANDY氏
>>212
ワシの言っているのはね。たとえば、
プロ野球選手なら、プレーをこそ評価しなくてはいけない。
ってなこと。
KKは法を広めることを最重要としているんでね。
>実践、行為で法を説くってあるでしょう。オヤジの背中を見て育つとか…。
>KKの教えを自ら体現して見せて欲しいですよ。教えは口だけで説くもんじゃなくて、行為でも説かないと説得力が乏しくなってしまう。
こりゃ勘違いかと思うよ。
先生の説かれた法を実践した人が幸福になること。
ここが重要やね。
先生の行為に目を向けても何も得られない。
ひたすら法を説かれているからね。
強いて言えば、教団が成長を続け、世界宗教へと発展することかな。
教団が発展することのみをもってその証明とすればいい。
>一般の大人は、ことばだけじゃ信用しないよ。少なくとも行為が伴わないとね。
繰り返すが、それは教祖に求めるものじゃないよ。
>>213
>〈方便は、選択の自由を奪う?〉
いやいや、この世もまた方便なわけで、
神はいろいろな方便を駆使されているわけだ。
これは重要だと思う。
つまり、自由を奪うんじゃなくて、選択肢を与えている、
こう思うね。
>フライデー事件でも、大伝道でも、KK組織およびKK会員がしたことは、社会的な問題になったし、
確かに問題はあったな。この問題点をどう考えるかだね。
つまり、悪いことをしたと、ひたすら反省せねばならんのか、
それとも、何かを為そうとしたことの反動、もしくは代償ではないかと。
この何かの部分がきちんと評価できるかどうかじゃね。
>でも社会的責任については反省だけじゃ終わらないでしょうね。どうしたら総裁は、この責任を果たした事になるんだろう。
辞めて責任を取るとかいうような無責任なことはされないでしょう。
KKを世界宗教にすることで責任を全うされるでしょう。
そう考えています。
>>214
当時信者ではなかったんで、全部聞いた話ですけど、
あなたの気持ちは良く解りますよ。
しかし、教団の存亡に関わる重大事だったわけでね。
教団としても必死だったんですよ。
そんな中で泥をかぶって頑張った先達をね、
私は尊敬していますよ。
>>215
新鮮な着眼点。
神の本質は真・善・美と、こういわれることもある。
弟橘姫の霊言なんかテーマは「澄み切りなさい」だけだったとか・・・
美しい竜宮界の姫君の言葉らしいですな。
現文明では、知性理性が強いようで、
美のような感性的なものは、
万人向けとはなりにくい気はします。
222
:
100式
:2006/12/04(月) 22:37:36 ID:eO/61dkk
>>216
エートス氏
>これ文脈上の繋がりがよく分からなかったんだけど、
JBL氏のところで
>「天国や地獄はまちがいなくあります。主エルカンターレである、この私が保証
>します」なんてのは、彼らにかかれば「これは、命題の真偽を問うようなものでは
>ない。無意味な命題である」の一言で却下されるのは間違いない。
に答えたもので、救世主が救世主であることは自己申告しかなく客観視できるものではない。
周りの人も主観で判断するしかない。ってな意味。ニーチェのことではないです。
>彼らの業績として。
歴史的評価ってやつでしょう。偽者は歴史に残らない。
>十分に救世主と認めうる行いがあったわけで、
イエス様、処刑されましたね。
当時、客観的には救世主と認められなかったと判断していいと思います。
>救世主と言ったから救世主というの受け入れられないですね。
>ですから却下ですね。
主観的に判断するしかないでしょ。
客観視しようとすると却下になりそうですね。私も。
>それはキリスト的あるいは仏陀的態度の創造者だったからなんですよ。
そうでしょう。でも、当時のリアルタイムでは必ず認められるとは限らない。
>天国地獄を分ける基準を知ってどうするのって感じだと思うよ。
要するに幸福・不幸の基準でしょ。
これ、哲学が説くことじゃないの?
哲学は考えなくていいの?
>前にも書いたが、真理の探究者は、基準なんていうセコイこと考えて自分の信条を曲げるようなことはしないですよ。
そりゃそうでしょう。天使は自分のことは考えない。
だから、一生懸命真理探究に励む。
自分の死後の行き先を考えるのはちと霊格が低い方々かもしれませんな。
でも自分の信条が曲がってたらその代償は大きかったってことで。
>激怒したんじゃなくてあざ笑ったんでしょ。
JBL氏が激怒と言ってましたんで。
私も、高級霊があざ笑うことないと思いますけどね。
どうなんでしょうね。
照魔シアターみたいな施設で、多くの霊人に見られた時のことだと思いますけど・・・
笑った人は高級霊ではなかった、やや霊格の低い親戚友人知人だったとかね。
いろいろ考えられますが・・・
223
:
100式
:2006/12/05(火) 23:05:21 ID:fNt/GIy2
JBL氏
>>217
>
>>207
>>総裁先生が、直接説かれること、
>これのみに注目してどうするんやねん。
>先生の説かれた法を、組織的に学び広めていく。
>こういうシステムを作られたこともまた、大いなる愛ですがな。
>>講師が解説されることで、効率よく学習できるようになってます。
>>弟子に任されているんですよ。
???
「最近のパターンは、先生の御法話(ビデオ)を講師(支部長)が解説するというもの。」
この部分はわざと引用しなかったのかな?
この御法話(ビデオ)とは支部・拠点での御法話拝聴会、もしくは精舎での御法話研修を指す。
最新の御法話のことだよ。
>一方が取って代わったわけではなく、単に片方が消えただけです。
だからこれは違うんだな。
最新と書かなかったから勘違いしたのならスマン。
>>218
>言いたいことは分かりますが、
ならそれでOK。
>当方が言う「外部からの情報を遮断」
その必要はない。
自己管理で片がつく問題。
>結界を完全なものにするには、外部からの情報を遮断するしかないね・・・・
先生が意識を向けられる場合は通じるが、その逆はお断り。
外部からの勝手なアクセス禁止なんだよ。
>宇宙空間で密閉された人間を想定するのが当たり前です。
そう?スマンね。
>「地上で宇宙服を着てる人間」??
>それだと、「外部との結界」じゃなくて、「無用の長物」(っていうか、
>はっきり言って邪魔なだけ)の例えになっちゃうんだが、それでいいのかな??
どうぞ御自由に。
ポイントは示してある。
>>219
要するに「20世紀の大哲学者ハイデッガー」も勘違いしてたんだろ?
ニーチェのように、地獄行きにならなくて良かったな。
224
:
エートス
:2006/12/06(水) 00:24:00 ID:xPpMvlbw
>>221
100式
>先生の行為に目を向けても何も得られない。
>ひたすら法を説かれているからね。
大川氏は預言者ではなくて救世主なんでしょ。だったらその行為に目を向けるのは当然ですよ。
神の受肉が起きているわけだからね。
>>一般の大人は、ことばだけじゃ信用しないよ。少なくとも行為が伴わないとね。
>繰り返すが、それは教祖に求めるものじゃないよ。
繰り返すけど教祖ならそれでいいんですよ、行動と預言に乖離があっても。もともと別物なんだから。
しかし救世主_神と言い換えましょうか_なんでしょ、大川氏は。
例えばキリスト教徒ならキリストに倣うこと、キリスト的な態度で生きることを理想とするわけで、
受肉して人として生きたキリストの行為だからこそ、わたしという様々な影を抱える人間においても可能であるわけでしょ。
仏陀においても同様です。ただし神かどうかはなんともいえないので受肉に関しては保留しておきます。
で、漏れ聞こえる大川氏の行動ですが、一番はっきりしている例でいうと、袈裟衣氏が報告してくれた講談社に関する公式見解では「反省の必要なし」
これがエルカンターレ的な態度なわけでしょ。良し悪しの判断はしませんが、これを倣おうとする人がはたしてどのくらいいるかが歴史的な評価ですよ。
225
:
エートス
:2006/12/06(水) 00:25:31 ID:xPpMvlbw
>>222
100式氏
>救世主が救世主であることは自己申告しかなく客観視できるものではない。
>周りの人も主観で判断するしかない。ってな意味。ニーチェのことではないです。
わかりました。一応了解ということで。
>イエス様、処刑されましたね。
>当時、客観的には救世主と認められなかったと判断していいと思います。
>そうでしょう。でも、当時のリアルタイムでは必ず認められるとは限らない。
そのとおりです。だからあなたも以下のように書いたわけでしょ。
>歴史的評価ってやつでしょう。偽者は歴史に残らない。
それから基準の話だけど
>要するに幸福・不幸の基準でしょ。
>これ、哲学が説くことじゃないの?
>哲学は考えなくていいの?
違いますよ。哲学は基準をつくる学問ではありません。そもそも幸不幸に基準を設けることは不可能です。
同じ環境を幸福だと思う人もいる一方で不幸だと感じる人もいるからね。
まー、幸不幸に基準を設けようという客観的な企ては、救世主への信仰が主観的であることとは相容れないでしょうね。
226
:
エートス
:2006/12/06(水) 00:32:54 ID:xPpMvlbw
>>223
100式氏
>要するに「20世紀の大哲学者ハイデッガー」も勘違いしてたんだろ?
>ニーチェのように、地獄行きにならなくて良かったな。
あのね、ニーチェの「神は死んだ」の続きは「なぜなら我々が神を殺したからだ」という文句なんだけど、これはなぜ我々か考えてほしい。
ニーチェが我々というのは近代的な理性の傲慢な確信を言うのであって、その確信とは理性で普遍的真理を手に入れることができるという自我の傲慢さのことです。
だからわたしは以前ヘーゲルがA級戦犯じゃないのといったわけ。
JBL氏が引用してくれた以下の言葉にはそうした意味があるんです。これにはあなたも異存はないでしょ。
>ハイデッガーは、「神は死せり」というニーチェの言葉を、「西洋の歴史の根本事実への深まりゆく洞察」と評しています。
自我意識がここまで傲慢になったのはプロテスタンティズム_特にカルヴィニズム_の禁欲という自我の統制があったというのがウェーバーの分析ですね。
しかし、人間というものが実は心の底に多くの影を抱えていると気が付いた時に、そして理性ではそれらに太刀打ちできないと悟ったとき、そうした存在を許してくれる神は殺されてしまっていたということですよ。
227
:
RANDY
:2006/12/07(木) 20:57:04 ID:Go9dtmlc
>>221
100式 氏
>KKは法を広めることを最重要としているんでね。
一般人のKK本の感想として、
「当たり前のことばかり書いてる」という意見は結構あったと思う。それは確かにその通りなんですよ。たとえば四正道とか、こんな感じでしょ。
①思い遣りは大切です。
②学ぶ事は良い事です。
③自分の過ちは素直に詫びましょう。
④進歩向上しましょう。
誰の目にも、特に目新しい事はないでしょ。法はすでに広まってると思う。
>先生の説かれた法を実践した人が幸福になること。
ここが重要やね。
説かれた法と、実践の間には、中々深い谷があると思う。私は、「KK本は当たり前の事ばかり書いてる」と言う一般人には、「当たり前の事を、当たり前にするのが難しいんだ」ってこたえたりしてた。
誰だって、親切、勤勉、内省、向上とか、良い事だと知ってる。ただ怠け心とかで、「ま、いいか」と実践を疎かにしがち。けれども仲間がいれば、「あいつ頑張ってるな。おれも頑張ろう」と刺激を受けて、実践に打ち込めたりするわけです。「実践は実践を呼ぶ」って感じかな。
そういや、こういうのって街中でも時々、見かける。体の不自由な人が困ってるのを、周囲の人は気付いてるけど、声を掛けられないでいる。…と、誰か一人が「どうしました?」と声を掛ける。するとそれを機会に、数人が集まってきて「何かお手伝いできる事ありませんか」といい始めたりする。誰かが最初のドミノをツンと倒すのが必要なのかもね。KKの場合、それは大川氏の役割のように思えるわけです。
>先生の行為に目を向けても何も得られない。
上にも書いたけど、すでに「いかに生きるべきか」という指針は、大川氏が説くまでもなく、何千年も前から説かれまくってる。そして大半の人々は、頭ではそれをわかってる。ただ実践出来ない。
だから指導者的立場の人とか、有名人とかが、最初のドミノをツン、ツン倒してくれればいいのになあ…と思う。普通の通行人が、小さな親切をしただけで、一定の感化力があるわけです。リーダー的存在の人がそれをしたら、結構な社会的果実が実りそうではある。何より、最初にドミノを倒した当人が、一番愉快だろう。
>繰り返すが、それは教祖に求めるものじゃないよ。
私は退会者なわけです。退会ってことは、ぶっちゃけた表現では、見限るってことです。だからKKに関しては期待よりは、諦観寄りかもしれない。
ただですね。私はかつては、KKで学んだし、世話になったわけです。だから「ここがおかしい」「こうした方が良い」と思うことは、暖簾に腕押し糠に釘だとしても、言うだけは言っとことって感じです。まあそういうことです。
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