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世界の情報ボックス

128通りすがり2:2005/11/01(火) 13:34:58
> 126

多くの国の軍隊が、徴兵制を取ってません。そんなことも知らないのですか?

> 127
自分の吐いた言葉が投げ返されるだけですよ。それでは、さようなら。

129問答迷人:2005/11/01(火) 14:57:10

通りすがり2さん

いやいや、仰るとおりですね。アメリカも徴兵制は廃止されているんですね、これは知らなかった。有難う御座いました。

『米国の徴兵制は、ベトナム戦争の停戦が合意された1973年1月のパリ和平協定調印後に廃止された。80年にカーター民主党政権は、徴兵制復活に備え、18−25歳の男性について「選抜兵役制度」のリストに登録だけは行うことを義務づけ、現在も続いている。徴兵制復活には連邦議会の承認が必要。』

軍隊=徴兵制というのは、少し短絡的で有るかもしれません。軍隊も持つ事は、徴兵制の可能性が出てくる、と言うが正しい認識であるように思います。

130藤川一郎:2005/11/01(火) 15:21:53
徴兵制はどのような時代に成立したのでしょうか?
実は平等主義と徴兵制は表裏一体なのです。
我が日本国でも、その昔は特権階級である武士のみが兵士でした。それが幕末に長州藩で崩れます。家柄に関わりなく有志を募りました。すなわち奇兵隊の成立です。この日本のほんの一部である長州藩での状況が武家封建社会が崩れる第一歩だったのです。
そして、その長州出身の村医者上がりの兵法学者大村益次郎(村田蔵六)及びその意志を継いだ山県有朋(狂助)により、徴兵制が導入されました。
つまり一部の特権階級、武士階級のみならず、全ての国民に兵を担わせる事により、全ての国民に兵士としての平等に誇りを持たせました。どんな家柄でも軍人勅諭の前では平等であるのです。それが証拠に、日本では譬え乃木将軍の子供であれ、東条首相の子供であれ、戦地に送られ、戦死する可能性があったのです(実際に乃木の男の子供は全員、また東条の長男も戦死しています)。封建時代だったら、徳川の将軍やその子供が自ら最前線に行くことは無かったでしょう。

131藤川一郎:2005/11/01(火) 15:26:33
徴兵制は若者を教育する意味でも役に立つようです。
韓国などは徴兵制がありますが、同じ世代の日本人と比べますと、かなりしっかりしています。数年という期限付でも教育的な観点でも徴兵制の復活はいいのかも知れません

132通りすがり2:2005/11/01(火) 22:59:43
> 129
ドイツなどは法律上は「徴兵制」です。しかし、近年は「良心的兵役拒否」と言うのが認められ、約50%の人が兵役を拒否し認められています。即ち、軍隊を有すること=徴兵制の可能性が出て来る、と言うような方向には無いと言うことです。

133犀角独歩:2005/11/02(水) 14:21:16

問答さん

何かロムの方の誤解を招くといけませんので、経緯を記します。

「軍隊=徴兵制」とは、わたしは言っておりません。これはわたしが「徴兵制’の復活が必須要項になる」と記したことを短絡的に記した通りすがりさん+通りすがり2さんが記したことです。ですから、わたしは、その言い方は短絡だと言ったのです。

ここでわたしが言わんとしたことは、「戦争という他殺の当事者になる」という前提で、議論がなされているのかに力点があります。
「徴兵制はない」という断言は、いまの憲法改正の流れではもっとも危険な短絡でしょう。
戦後、60年、日本は奇跡的な不戦を歴史に刻みました。それは軍隊がなかったからでしょう。
しかし、今後、軍隊ができ、この奇跡が崩れれば、いままでのような調子では行かない。戦争は特権階級にとって最大の浪費産業であり、これ以上に利益率の高い商売はありません。この商売において、より大きな戦争を可能にしていくためには、最終的には、徴兵制、部分的、志願的兵役であれ何にせよ、なさざるを得ない事態を招く、つまり、60年、不戦が当たり前であったことを支えた平和憲法が改正されれば、この60年の常識はもはや、通らないことになります。

最初の箍がいま外れようとしています。この段階で、甘い見通しを持って、事に望めば、かつての歴史を繰り返すことになります。
戦争ビジネスで消費されるものは、常に武器と人民です。

わたしは日本は軍隊を持つ、殺傷を目的とした軍隊に変更するということは、煎じ詰めれば、国民全員は、戦争という名の殺人を指示する選択をする意味になるだろうということがいい対話です。自分は兵役拒否すればよいから、軍隊にも、戦争にも賛成したわけではないとはならない選択が憲法改正ではないのかという視点です。

わたしは、現実の憲法改正、自衛から、攻撃を目的とする軍隊への変更は、参戦を意図したものである限り、その戦禍が拡大すれば、部分的であれ、全面的であれ、兵役、ひいては徴兵制の危険性を「なし」とする希望的観測で漫然としていてはならない。殊に非暴力という精神性を仏道が担うとすれば、なおさらのことではないのかというのが120における投稿の趣旨でした。

なお、その過程において、

> 軍隊も持つ事は、徴兵制の可能性が出てくる

というのは、当然、意識されるべき認識であろうと思います。

134通りすがり2:2005/11/03(木) 00:49:31
犀角さんとは議論になりませんが、他の方との議論が続いていますので継続します。

軍隊を有していても、徴兵制の方向から遠ざかっている世界の認識があるにも拘わらず、「徴兵制’の復活が必須要項になる」と主張するのであれば、繰り返しでなくそれを論証する必要があります。
他国から侵略を受けた場合においても、これから防衛する手段も「殺傷を目的にしている」と言うのは、多くの一般的国民の認識にはないでしょう。また、憲法が改正されても自衛のためにのみ、その戦力を行使すると唱っている以上、攻撃或いは侵略を目的とする軍隊にはなりえません。もし、自衛のための軍隊に限るとしているにも拘わらず、それは攻撃を目的とするものであると主張するのならば、何故そうなるのかその論証をしなければ単なる自己主張の繰り返しになります。

補足までに、私はかって航空自衛隊の幹部として、戦闘機操縦者として勤務していました。現在の自衛隊の幹部は、非常に合理的な判断をし、非常に右翼化を嫌いますし、その傾向があるものは一線から外されます。そして、何よりも専守防衛のためならば命を懸けて国民の安全を保証するために任務を全うしますが、それ以外の任務は例え政権からの圧力があっても防衛庁としては拒否することになるでしょう。何故ならば専守防衛の任務を外れるものは、自衛隊の存在意義を覆すことになりますし、法律上部下も自分自身も守れないからです。勿論、超法規的な判断等は、自己責任として何かあれば当然刑事事件として告訴されるのが現状ですから行いません。ですから、任務を全うする以上必要な法律及びROE(交戦規程)を明確に定めて欲しいと言うのが現場の意識です。
ちなみに、今の現状では、あきらかに日本を爆撃する意図を持った爆撃機が領空侵犯しても、これを撃墜することはできません。もし、パイロット及び指揮官の判断によって、これを撃墜した場合は法律違反の可能性がありますから、当然刑事責任を追及される立場になります。しかも、法制がきちんと整備されていない状態では、これを撃墜することが出来るのは、今当に爆倉を開いて爆弾を投下することが明らかでなければ出来ません。しかも、一般的な「緊急避難」の法律を自己責任において適応すると状態です。勿論、爆弾を投下した後の航空機を撃墜することもできません。刻一刻を争うスピードで進行する現代の戦闘では、とても対応できません。

専門家の立場からすれば、徴兵制はナンセンスです。現在の戦闘は、非常にスペシャリストであることが要求されますから、徴兵して訓練するような余裕はなく、徴兵する間もなくすべての戦力を使い切って戦闘は終了しています。

135通りすがり2:2005/11/03(木) 01:25:12
例えば、警察官の所持する拳銃は「人殺し」のためであるとか、警察官が拳銃を所持していたら「必ず人殺しをする」ことになると言うようなナンセンスな主張が、仏教を学ぶ者から出るとすれば非常に残念なことです。

136犀角独歩:2005/11/03(木) 01:41:36

通りすがりさん+2

論証云々というのであれば、ドイツが徴兵制を布いているが、50%は兵役拒否である、だから、日本は徴兵制にならないなどというのは馬鹿げた議論です。

ドイツがそうだからというのであれば、ドイツ人が風邪を引けば、日本人もくしゃみをするといっているような短絡です。

なお、わたしはいまの話をしているのではなく、将来の話をしています。

だいたい、聞きますが、では、憲法改正後に軍備した軍人は人を殺さないのですか。
戦争は人殺しではないというわけですか。

わたしが残念なのは、あなたがどこの所属なのか知りませんが、日蓮仏法の名の下に戦争を肯定し、戦争を恰も人殺しではないような詭弁を弄することです。このほうがよほど、残念なことです。

137犀角独歩:2005/11/03(木) 02:28:17

元航空自衛隊幹部からすれば、徴兵制はナンセンスですか。
しかし、靖国その他の動向から見て、日本という国家が、この札を捨てたとは絶対に思いません。また、そのように見せかける如何なる詭弁にも乗じません。

この世の中で、殺人という罪の自覚のない殺人ほど深刻なものはありません。
また、スペシャリストで戦争はすぐに終わると言っていますが、20世紀後半から21世紀初頭の戦争は、日本の特攻隊を模範にもするという自爆テロが主流になっています。派手な武器は軍備ばかり戦争ではないでしょう。このテロアタックは、そう易々とは終わりません。

しかし、いずれも、「非暴力」という仏教の規範からすれば、殺人という悪業であることはかわりありません。

あなたは「撃墜」「爆弾を投下」と平然と書きますが、これは殺人です。
ただ、任務と合法化されているから殺人として裁かれないだけです。
殺人に善いも悪いもありません。すべて殺人ですよ。
殺人は、「不殺生」という仏教の規範からすれば、悪です。
そのような悪を留めることを仏教は目的にするのであって、自衛隊という名の軍隊に荷担することに日本の全仏教界は賛同などしていません。
全世界の仏教とは「非暴力」「不殺生」の実現に歩んでいます。

138単己:2005/11/03(木) 06:41:40
ちょっと横レス失礼します。

>>137
>「殺人に善いも悪いもありません。すべて殺人ですよ。
>殺人は、「不殺生」という仏教の規範からすれば、悪です。
>そのような悪を留めることを仏教は目的にするのであって、自衛隊という名の軍隊に荷担することに
>日本の全仏教界は賛同などしていません。


これは、日本人のほとんどが仏教に基づく価値観を持った時、他国から軍事侵攻されて最後の一人まで殺されても、「相手の兵士を殺害する悪」を行わずにされるがままであることを選択すべきということなのでしょうか。
確かに殺人であることに変わりありませんが、一発の爆弾で何百人何千人の一般人が殺されている時に、その爆弾を投下している飛行機を打ち落とすことをしてはいけないのでしょうか。
独歩さんの言われていることは「九条があるから日本は戦争とは無縁」と言ってた左翼文化人の言いぐさのように聞こえてしまうのですが。現状で自分だけ非暴力不殺生では通用しないこともあると思います。失礼な点がありましたらお詫び致します。

139犀角独歩:2005/11/03(木) 10:13:12

単己さん

レス、有り難うございます。

> 「相手の兵士を殺害する悪」を行わずにされるがままであることを選択

この形を選んだのは、インド開国の父・マハトマ・ガンジーでしょう。
では、ヒンドゥー教徒・ガンジーが何故、非暴力の選択をしたのか、その影には日本山妙法寺・藤井日達師の影響があったわけですね。言うまでもなく、日達師は日蓮僧です。

インドの仏教滅亡を意味するヴィクラマシラー寺破壊と殺戮はまた、仏教側の無抵抗にあったとする説もあります。

チベットの中国侵攻にも、そうであったと言います。

仏教に係る知識人でわたしが、ここまで主張するのかと驚かされたのは、東洋大学の西山茂師で、師は「丸腰非武装論」を提唱していました。

> 一発の爆弾で何百人何千人の一般人が殺されている時
> 打ち落とすことをしてはいけないのでしょうか。

まず、わたしが先に申し上げたのは、何ら当然のことのように「撃墜」「爆弾を投下」に何ら罪悪感すら懐かない軍隊麻痺感覚に対して、本人の非仏教的側面を言っているわけです。

わたしの考え、ということに留まらず、仏教的な側面から見れば、如何なる理由であれ、殺人は殺人であるというのが仏教でしょう。殺人をしなければならない、人助けのために殺人をしなければならない、そのような形で人助けをしなければならないという点を考えていくわけでしょう。
人を助けた殺人だから殺人ではなく英雄だとは考えないのが、仏教でしょう。
人を助けるためであったけれど、それでも自分は殺人を犯した,その罪を考えるのが仏教でしょう。そこで懺悔滅罪という課題が生じてくるのだと思います。

また、逆の例はどうでしょうか。「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツが来日し、被爆者に面談したあと、「自分は軍人として命令に従っただけであるから、いまも何も悔いていないし、自分がやったことを誇りに思っている」と言ったようなことを語りました。わたしは、この大馬鹿野郎の発言を聞いたとき、この戦争、軍隊というものが、ここまで人間を狂わせるのかと計り知れない憤りを感じました。しかし、もし再生(生まれ変わり)があり、「生命が永遠」というのであれば、この人間が命令に従って一瞬にして命を奪った何十万の人々、そして、その後60年後を経て味わった数十万の人々の苦しみを万劫に再生しながら生々世々に塗炭の苦しみを経、無間地獄の業火に骨の髄まで永劫に焼き苦しめる罪を負ったということになるわけで、その意味からすれば、この上もなく哀れと言うことになるのでしょうか。この、わたしの憤慨と悲嘆は左翼文化人の一緒ですか。

不戦、非暴力、非武装というのは、このようなことを阻止するために主張です。また、無駄な殺人の抑止力とならなければ、2500年の英智、「不殺生」を潰えることになります。

140犀角独歩[TRACKBACK]:2005/11/03(木) 10:13:52

―139からつづく―

しかし、末法無戒だとうそぶいて、まだ仏教だと平然としていられる名ばかりの仏教徒にとっては、何ら痛痒はないのかも知れませんが、単己さんが提示される二者択一は、仏教成立以来、最大、絶対の戒律である「不殺生戒」と命を守るための殺人という究極の選択を2500年来、仏教徒は考えてきたのだと思います。安直な問題ではありません。

> 「九条があるから日本は戦争とは無縁」

そうではなく、9条があるから、60年の不戦が守られたと言っているわけです。
無縁などとはまったく言っていません。
もし、9条がなければ、領海侵犯その他でも‘日本軍隊’は攻撃をし撃沈することも行ったのではないでしょうか。しかし、9条に基づく、矜持は、そのようなことをしなくても、国が守れるぎりぎりの自衛を歴史に刻んだのではないでしょうか。

ただし、わたしは基本的には自衛隊にも反対です。その反対の理由は憲法と齟齬を来しているからです。自衛隊は軍隊ではないという議論がありますが、軍隊以外の何ものもでありません。たですから、自衛隊を作る段階で憲法は改変されるべきであったという考えです。

いずれにしても、現行の憲法改正は、国家安全というお題目の裏に何があるのか、戦争という巨大利権でゴイムとされる日本人は、彼らが誦するタルムードに欺かれない見極めが必要ではないのかという現実的な提言です。

> 左翼文化人の言いぐさ

そうですか。わたしは別段、左翼ではありません。
憲法9条擁護、戦争反対、武装反対は、創価学会全を除く日本仏教界の採択です。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r745-753

> 自分だけ非暴力不殺生では通用しないこともある

当然ではないですか。
しかし、目指す理想、果たす役割において、非暴力、不殺生から考えるのか、戦争肯定、殺人肯定からはじまるのかの相違です。

戦争において軍人となって人を殺すことは国家の命令であるから罪ではない英雄だと考えるのか、仏教の上から考えるとき罪であるという点から、しかし、それまでそうせざるを得なかった、懺悔滅罪を期するとするのかでは、違いがあります。

> 現状で自分だけ非暴力不殺生では通用しないこともある

もちろん、そうでしょう。しかし、そのようなことが殺人の肯定論になったり、翼賛にならない「制動」をどう考えるか、どう実践できるのかを考え実践するところに今日的な仏教の存在価値があるとわたしは思います。

仕組まれた集団浅慮の乗せられない、仏教徒が仏教徒として、何よりの自戒は「不殺生」であり、しかし、実際に自分が殺される側、殺す側になったとき、その破戒から短絡するのか、いや、この自戒からどのように考え行動できるのか、後者に仏教の精神ありというのが冒頭に上げた例証にあったのだとわたしは考えます。わたしの発想は、左翼的ではなく、仏教的な見地からのものです。

141単己:2005/11/03(木) 16:36:22
独歩さん、丁寧なレスありがとうございました。

>仏教に係る知識人でわたしが、ここまで主張するのかと驚かされたのは、東洋大学の西山茂師で、
>師は「丸腰非武装論」を提唱していました。

先に挙げられたガンジーやヴィクラマシラー寺など、史実を捜せばこのような例は大小たくさんありそうですね。

ある所でガンジーによって目覚めた人達が、イギリス軍の「この境界から入るな」という制止を無視し、銃口が並ぶ境界に向かって歩き始める。境界を越えた一列目の人達が次々と撃ち殺される。そして、次の列の子供から老人が手をつなぎ血に染まったその死体をまたいでまた、倒れていく。そしてまた、静かに前を見ながら次の列の人達が死体をまたいで歩いて来る。その姿を見て、最後にはイギリス兵が逃げ出した、というエピソードを知った時、非暴力というものの凄まじさ、それをやり遂げた名もない人間の崇高さに衝撃を受けました。

やはり、非武装・非暴力を実践する真の仏教徒であればこういう選択をせざるをえないのでしょうか。

>人を助けるためであったけれど、それでも自分は殺人を犯した,その罪を考えるのが仏教でしょう。

これは、仰るとおりですね。よく分かりました。

>そうではなく、9条があるから、60年の不戦が守られたと言っているわけです。
>無縁などとはまったく言っていません。

大変失礼しました。

>憲法9条擁護、戦争反対、武装反対は、創価学会全を除く日本仏教界の採択です。

改めて池田さんの「武力発言」を見ると、確かにこれが宗教者の言うことかと異様に感じます。
私は軍隊は必要であると思っていますから、政治家が同じ事を言っても普通のことを言っているなと、別段気にもとめないでしょうね。
ただ、池田さんの立場から「あんたが言う言葉では無いだろう」という違和感は強く感じます。

>しかし、それまでそうせざるを得なかった、懺悔滅罪を期するとするのかでは、違いがあります。

軍人や警官として多くの人命を救うために殺生をやむを得ずやった、ということは日本国民の代表として我々の安全を守るために殺生をその軍人や警官個人に委託するということになるのでしょうか。そうであれば、仏教的見地からみると英雄として称えることはできず、罪としてとらえることになります。その罪は軍隊のみならず、日本国民一人一人がその罪を背負い、懺悔滅罪するべきなんでしょうね。その軍人個人だけ苦しめばいいというのも不公平な話のように思えます。

>わたしの発想は、左翼的ではなく、仏教的な見地からのものです。

池田さんのように世論に迎合すれば抵抗は少ないから楽でしょうが。仏教的見地からの不戦・非暴力・非武装は相当の覚悟が必要ということですね。

142とんび:2005/11/03(木) 21:54:14
犀角独歩さん、単己さん、横からのレス、すみません。

ここのスレッドから外れると思いますが..殺生について。
顕正会では、他国から攻められるというので自衛隊擁護でした。(自衛隊内に会員が増えたからでしょう)
国立戒壇が他国の侵略から守る、ただ一つの秘術と言っていながら、矛盾していますが。
そして、会長は講義などで、殺人はよくないけど、法治国家として、国家が行う殺人は許される..という
ようなことを言っていたと思います。(死刑制度容認みたいな)

 知識豊富な先輩方にいうこともないですが、仏教では、不殺生について、人間だけではなく、他の生き物
にも及んでいると思います。ここが難しいところです。
 人が生きるていくためには、植物や動物の殺生をしなくてはならない。

 立正安国論あたりに出てきますが、「釈迦以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち
其の施を止む」。
 ここらあたり、仏教とは言いませんが、教典では、殺生を正当化するものがあったのでしょうか。
 かのオウム真理教が、殺人を犯したのも、教典からの引用で殺人を正当化していたのではないか..と
記憶しています。

 たとえば、修行を積んだ位の高いものが、悪人を殺すと、かえってその悪人の悪業が緩和されて、良い
環境に転生するのだ..というような。
 そんなような理屈だったような気がします。

143単己:2005/11/04(金) 07:48:23
とんびさん、初めまして。

>ここらあたり、仏教とは言いませんが、教典では、殺生を正当化するものがあったのでしょうか。

私も何を根拠に言っているのか分かりませんでしたが、調べたら、俗に「理趣経」と言われている真言宗の依経から理屈を盗っていたようです。
ここに、書いてありました。
ttp://homepage3.nifty.com/luna-sy/re06.html

オウムの殺人正当化で思い出したのが、学会の教学副部長だった野崎至亮氏が会合で「ゴキブリは見つけたらすぐ殺してあげた方がいいんですね。ゴキブリに生まれて来る悪業を横死することで軽くしてあげられるんです。こっちも善業を積めるし、両方いいんです」と、「宿業転換」の話の途中、余談でこんなことを言っていたのが印象に残っています。この人の言い方ですと、殺生も積極的に正当化できるものがあるということなんですね。

144犀角独歩:2005/11/04(金) 08:55:25

141 単己さん

> …非暴力…それをやり遂げた名もない人間の崇高さ

そうなんです。
結局、ここの部分に到達せざるを得ないわけです。
わたしは法華経について、種々論攷しながら、無謬神話については抗ってきました。しかし、この経典に描かれる菩薩の特徴が徹底した非暴力、不怒、そして、最後まで相手がいつしか菩薩道をし仏になろうと目覚める人になっていくことを信じた姿であることに、敬意を表します。つまり、法華菩薩信仰は、そのような人格の継承を意味するわけです。典型的な菩薩は、やはり、不軽菩薩ということになるでしょう。

隣国がちょっかいを出した、鉄砲ぶっ放して、やっつけてやれ。国を守る、軍備して攻めてくる奴を殺して何が悪い、そんなことは誰でも考えられる理屈です。たぶん、わたしが仏道を意識しなければ、その結論で済まして是としたでしょう。しかし、自分が法華の家に生まれて、虫一匹の殺生すら咎められて本日に至った精神的継承で、大きく不殺生が自戒として息づいています。

> 非武装・非暴力を実践する真の仏教徒t…選択をせざるをえない

「せざるを得ない」というより、もはや、自然なことになっているのではないでしょうか。

単己さんが記述されたインドの実写映像に類したものをわたしは観ました。
あの人々の表情は、奢るわけでもなく、興奮するわけでもなく、合掌礼をなしたままで足を前に進める人々もありました。そして、倒れます。後陣の人々も、騒ぐわけでもなく、嘆くわけでもなく、何の躊躇いもなく、前に進み出て、また、倒れていきます。
あれほど、静かな、穏やかな、死に臨んだ決意の表情は見たことはありません。あの倒れていった人も、その後陣の人々にも、恨みも怒りも看て取れませんでした。
この実写映像は、ガンジーが凶弾に倒れたあと、インドの独立を式典を映して終わっていました。なぜか、わたしは現代の法華経物語を見ていると自分のなかで認識していました。聖者・ガンジーは、精神となって、いまも人々の心に生きています。

> 池田さん立場…違和感は強く感じます

この違和感は、池田さんと創価・公明が、すくなくともこの時点で、法華経を紡がなかったことを意味するのではないでしょうか。

> 軍人や警官として多くの人命を救うために殺生…日本国民の代表…軍人や警官個人に委託する

わたしは、そう考えます。
自分は殺さなかった。しかし、この国と人命と財産を守るために代わりに殺人を犯した、また、殺された、他人事ではありません。各人の私事です。

ただ、実際の市民を巻き込んだ戦争は、こんなきれい事ではないでしょう。

145犀角独歩:2005/11/04(金) 08:56:51

―144からつづく―

> 日本国民一人一人がその罪を背負い、懺悔滅罪

不思議なことに戦争は、その始まりでは罪責感はなく、しかし、それが終わると懺悔が芽生えます。戦争が終わったあとに、どのような理由であれ、その戦争が正しかったなどという人はいないわけです。つまり、不殺生・非暴力を帯した側の主張は、至るべき結論を先取りしたところから出発している構造があるわけです。

> 仏教的見地からの不戦・非暴力・非武装は相当の覚悟が必要

そのとおりだと思います。前人未踏、人類が未だ到達できない国家レベル、否、全人類レベルのハードルを越える模索です。

しかし、もしこのハードルを越えなければ、やがて、人類は殺し合いの結果、滅んで行くでしょう。カール・セーガンが、もし、宇宙に高度な文明をもった生物がいるとしたら、彼らは必ず、平和的な存在であるはずだ。何故ならば、精神を獲得できない生物は殺戮しあい滅んでしまうからだといった内容を記していました。

非暴力・不殺生からどこまで考えることができるのか、不戦60年の日本の奇跡を放棄してはならない。何故、いとも安直に放棄するような流れができてきたのか。それは、日本がアメリカの無差別殺人で流した国民の血を省みないからです。

わたしの親は東京大空襲のなかを逃げまどい生き残りました。一夜明けた東京の町は瓦礫と山のような遺体、隅田川は遺体で水面も見えないほどだったと言います。わたしの友人の親御さんは長崎に原爆が投下された翌日、救済に入った医師でした。
そのような悲惨な経験が身体感覚として残っている人々は「戦争はもう嫌だ」というところからはじまります。しかし、結局のところ、政治的特権性を有する議員や、官僚、特権軍人は指示ばかり出して、本当に悲惨な人間の死を見ていない。それどころか、戦争は一部特権階級に莫大な富をもたらしてきたわけです。ここで煽動され、実際に一切を失い、そして、殺されていくのは一般の市民でした。実際のこの痛みを知っている人は誰一人、戦争という方法論を選択しません。一様に不戦・非暴力を訴えてきたでしょう。

我々日本人は唯一の被爆国民として、そして、非戦闘員を無差別大量殺戮したわずか60年前のあの経験を忘れ、また、同じ過ちに歩みだそうとしています。しかし、我々日本は不戦60年の奇跡の歴史を刻んだ。この歴史を永劫のものにすることが、先の2度の大戦で殺されていった人々の死を無駄にしない唯一の方法です。

もし、我々が法華経を尊ぶのであれば、我々はいまの法華経を紡がなければなりません。それがどんなに困難で、考えあぐねることが難しい方法であっても、我々はいまの法華経を紡がなければなりません。

146犀角独歩:2005/11/04(金) 09:00:11

とんびさん

法華経に殺戮を肯定させたものは涅槃経です。
ですから、わたしは法華信仰から涅槃経を取り除くことを提唱しているのです。

単己さん

ご紹介の野崎さんの話は、オウム真理教のポアと同じですね。
しかし、オウム信者は虫を殺すことはしませんでした。

147通りすがり2:2005/11/04(金) 09:31:27
偏った考えを持つ人は、仏教より学ぶと言うよりも仏教を利用するようです。

平和を愛し、そして最も戦争を阻止したいのは、専守防衛の自衛隊です。なぜなら、戦争を防ぐために、侵略を阻止するために、相手の攻撃の意図を削ぐために存在するからです。他国に軍があり、他国からの攻撃を受ける、戦争と言う名の下に国民に対して「殺生」が行われようとするならば、身を以て相手の戦力を阻止します。その行為は、相手の国民を「殺生」するためのものではありません。
現実的には、戦争という「殺生」を阻止する手段には、様々な方法があります。そのような意識にある方々を、「人殺し」呼ばわりして偽善を気取る者に仏教を語る資格はありません。そのような者は、殺生を厭わない拳銃を持った強盗から身を守ってくれようとしている人を、後ろから「人殺し」呼ばわりする人であり、航空機をハイジャックして自爆攻撃をしようとするテロリストの行為を阻止しようと立ち向かう人を、後ろから「人殺し」呼ばわりするようなものです。
ちなみに自衛隊と違って、世界的に戦力を行使する先進国の軍隊においても、非戦闘員のみならず戦闘員に対しても「殺生」を目的とした行動は、厳しく軍法会議において処罰されます。

法律でも保証される「正当防衛」とは自らが行うものであり、「緊急避難」とは他に対して行うものです。「殺人」と同列に扱うような幼稚な考えしか持たないような人とは、まともな議論は出来ないでしょう。それでは、さようなら。

148通りすがり2:2005/11/04(金) 09:45:11
偏った考えを持っていない方に、誤解が生じないように補足しておきます。

ちなみに、原始仏教においても釈尊は「殺生」や「殺戮」を諫めていますが、自衛や治安のための兵力の保持を「否定」したことはありません。それが、どのような哲学思想に基づいているのか理解しようとしなければ、仏教から学ぶことは何もありません。自我に執着するだけです。

149犀角独歩:2005/11/04(金) 10:16:09

通りすがりさんの投稿は、実に巧妙な仕組まれた詭弁ですね。

> 偏った考えを持つ人は、仏教より学ぶと言うよりも仏教を利用する

まあ、そのような御自身を卑下することはありません。

あなたは、結局のところ、「仏教」を口にしながら、自分がどのような仏教を信仰しているのかという点はまったく示しませんでした。あなたが言う仏教とは何でしょうか。
また、自分の一方的な意見だけを言い、当初より、侮蔑的な批判だけを目的としています。このような態度が、あなたが語る一切を語っています。

あなたが示すことは仏教が示す規範とは違っています。要は、「あなたの自衛隊」の論法であって、その押しつけに過ぎません。

> 平和を愛し、そして最も戦争を阻止したいのは、専守防衛の自衛隊

なぜ、こんなことを言い切れるのですか。
本当に、平和を望んだのは、先の敗戦で、最愛の人を失い、家を失い、財産を失った戦争被害者です。それよりも戦争で命を失った人に魂が残っていれば、そう考えるでしょう。ところが自衛隊のほうがそう考えていると奢り、断言して省みません。
死んでいった御魂に恥じるところがないのですか。

富士門流信徒の掲示板という仏教の掲示板に来て、自衛隊の宣伝をすることがどんなちぐはぐなことか、それすら気付けない異常さです。

ただし、わたしは自衛隊を批判しようと言うのではありません。自衛隊経験を鼻に掛けて仏教を枉げるあなたの投稿を批判しているのです。

> 「人殺し」呼ばわりして偽善を気取る者に仏教を語る資格はありません

そうですか。では、日蓮その人こそ、仏教を語る資格がないことになります。

「武士に身をまかせたる身…後生こそをそろしく候へ」、武士とは人を殺めることを業とする故に後生は、主君のため、国のために仕えといっても後生善処は望めない、故に勤めて仏道の思いをなし、懺悔滅罪して後生を期せよというのは日蓮が武家信徒になした教訓であったはずです。使命であれば人殺しではないというのであれば、あなたは日蓮に仏教を語る資格が無いというのと同じです。

> …強盗から身を守ってくれようとしている…テロリストの行為を阻止しようと立ち向かう人を、後ろから「人殺し」呼ばわりするようなものです。

これはまったく詭弁です。
わたしはこんなことは、ただ一言も言っていません。
このように決め付けて、自分の意に合わない人間を詐弁によって葬ろうとする態度はまことに卑屈であり、人の善意という精神を殺めるものであると弾劾するほかありません。

150犀角独歩:2005/11/04(金) 10:16:31

―149からつづく―

> 非戦闘員のみならず戦闘員に対しても「殺生」を目的とした行動は、厳しく軍法会議において処罰されます。

そうですか。では、聞きますが、わずか60年前、非戦闘員無差別殺戮を日本各地の大空襲、殊に原爆投下は、あなたは殺生ではなかったというわけですか。また、そのアメリカが軍法会議で処罰されたとでも言うのですか。何を寝言を言っているのか。いい加減にしなさい。「正義」という偽りはとは勝利したものにしかなく、国土を焼き払われ、数十万の人民を殺され、数百万、数千万の民が路頭に迷ったあの戦争を、あなたは殺生ではないというのですか。馬鹿も休み休み言いなさい。

また、いまこの時、イランにおいて、一般市民が一人も殺されていない、また、誤爆その他で殺生された人々の無念の死がなかったとでも言うのですか。さらに劣化ウラン弾の残骸で人々は死に瀕しています。これが殺生ではないというのですか。そのアメリカ軍が処罰された出も言うのですか。理想化された戦争を夢見た空論など無用です。

理想化された、夢想された英雄願望に誣いられた夢を冷めしたらどうですか。

> 「正当防衛」とは自らが行うものであり、「緊急避難」とは他に対して行うものです。
そんなことは説明をしていただく必要はありません。わかりきったことです。
元自衛隊を名乗るあなたは、自分の意見が通らないと守るべき一般市民を、このように侮辱して憚らないわけですか。それがあなたのいう自衛隊ですか。
何ともはや呆れた姿勢です。

> 「殺人」と同列に扱うような幼稚な考え

ならば、シャキャムニ以来2500年に亘る仏教の視点が幼稚であると、あなたは言うわけですか。

自衛隊の攻撃機(自衛機ではなく攻撃機??)乗りというエリート意識から人を侮辱して已まない論法に平和は見えないと言うことです。

平和、防衛は、力弱く武器を持つことを許されない一般市民を守ることに使命があるのでしょう。ところが、あなたの発言は首尾一貫して驕り高ぶって、その一般市民であるわたしは見下げることでしか成り立っていません。そんなあなたがいう平和とは何ですか。自衛、防衛とは何ですか。あなたが自衛、防衛しているのは自分自身に過ぎないでしょう。

あなたのような差別主義は、命を賭して、自分よりも非力で、そして、武器を手にすることも許されない一般市民の必至で守る自衛隊そのものにも泥を塗っています。

> さようなら

やがて、あなたも菩薩道を歩むことが来るでしょう。
菩薩とは敬いの心を元にするのです。その心が持てるようになるまで。
その日まで、では、「さようなら」

151犀角独歩:2005/11/04(金) 10:24:20

> 原始仏教においても釈尊は「殺生」や「殺戮」を諫めていますが、自衛や治安のための兵力の保持を「否定」したことはありません

これはまったく嘘です。
シャキャムニは出家したのであって、国家という家からも出たのです。
国家の決定である軍隊を云々する理由はありません。

自衛隊は兵力・装備は、あたかも軍隊ではないと言った論調自体が詭弁です。

152犀角独歩:2005/11/04(金) 11:34:34

【150の訂正】

誤)イラン
正)イラク

他にも打ち間違いがあります。
ご判読ください。

153藤川一郎:2005/11/04(金) 13:53:33
現行憲法において自衛隊が合憲か違憲か?
日本国憲法を見てみましょう。

「第9条第1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

ここでいう「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」は軍事行動を言っています。しかし「国際紛争を解決する手段としては」と言う限定がついております。
この限定により、防衛戦争は否定されていないとされております。
そこで2項を見てみます。

「第9条第2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

ここで「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」の前提に「前項の目的を達するため」とあります。この前提により1項の「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄するための軍隊」以外は持てると言う解釈もなりたちます。
実は連合国が日本に押しつけたとされるこの条文には「前項の目的を達するため」と言う言葉はありませんでした。それを日本側の憲法改正小委員会委員長は芦田均氏が入れたのです。芦田氏は当時、この通称「芦田修正」についてその意図を明らかにしていない。
しかし、後に回顧談として「将来の再軍備への余地を残した」と語っている事からも、その意図は明らかであろう。

芦田修正
http://www5d.biglobe.ne.jp/~anpoken/sub4.htm

154犀角独歩:2005/11/04(金) 14:59:04

で、藤川さん、自衛隊は合憲ですか、違憲ですか?

155犀角独歩:2005/11/04(金) 23:29:04

149の引文に関連して。

波木井三郎殿御返事 文永十(1273.08・03)[p0745]
波木井三郎殿御返事(波木井第二書)(原文漢文)
文永十年八月。五十二歳作。
外二四ノ三四。遺一五ノ二。縮九八〇。類四七九。

「貴辺は武士の家の仁、昼夜殺生の悪人也。家を捨てずして此所に至つて何なる術を以てか三悪道を脱るべきや、能能私案有る可き歟。法華経の心は「当為即妙不改本意」と申して罪業を捨てずして仏道を成ずる也」

156藤川一郎:2005/11/04(金) 23:39:29
>>154
自衛隊は今のままでも十分合憲です。
しかし、曖昧な条文は混乱を招くので、はっきりと国軍(自衛隊ではない)の条文を載せるべきというのが私見です。

もう1つ。
もし自衛のための軍隊が持てないとなると国家たりえない。
万が一、海外が攻めてきたら、国軍が無ければ国民1人1人で自己責任で自分を護らなければならなくなる。そんな無責任な国家など意味が無い。
国軍は自動車保険と一緒です。誰も自動車事故を起こす気は無い。しかし万が一にでも事故を起こしてしまったときの保障のために自動車保険が必要です。
軍隊も同じで、誰も戦争など起こしたくは無い。海外が攻めてくることも、滅多に無いであろう。でも万が一海外が攻めてきたときの保障のために軍隊が必要です。

これが私が大学時代に唱えた「軍隊保険理論」です。

157通りすがり3:2005/11/05(土) 00:18:28
「法華経の心は「当為即妙不改本意」と申して罪業を捨てずして仏道を成ずる也」

偏った人間には、この意味が解らないようです。馬鹿馬鹿しくて泣けてきます。それでは、再度さようなら。議論するには、非常に気分の悪い掲示板ですね。

158犀角独歩:2005/11/05(土) 00:49:13

今度は通りすがりの3ですか。

あなたは議論何かしたんですか。
「さようなら」と言いながら、未練たらしく何度も書き込んでみっともないですね。
それで、あなたの仏教は何ですか。自衛隊教ですか?

自衛隊の面汚しとしか言いようがありません。
仏教とは無関係のナルシストでしょう。

この次の書き込みは再度の次、3度目の「さようなら」になるのでしょうか。それでHNは通りすがりの4ですか(大笑)

なお、気分の悪いのはあなた自身ですよ。

159犀角独歩:2005/11/05(土) 00:57:13

藤川さん、憲法から見れば、わたしは自衛隊が合憲だとは露ほども思わない。
その答は156のあなたの書き込みのなかに尽くされています。

しかし、日本が日本で自分を守るために軍隊を作るのがいけないのか。いけなくないでしょう。しかし、それを敗戦国日本が勝戦国アメリカからごり押しされたのが、いまの憲法でしょう。

あなたが仰る‘保険’も駄目だと言ったのが、この憲法の実態でしょう。

だから、憲法を改正しようじゃないかというのは、わかる。
ところがその改正がアメリカのご都合で、しっぽをふりふり、ワンワン、はい、お手をしながらじゃしようがない。国家防衛を言いながら、アメリカのワンちゃんに成り下がった憲法改正なぞ、糞食らえ。この点では、藤川さんとわたしは同意見ではないでしょうか。

160犀角独歩:2005/11/05(土) 08:42:54

たとえば、いまの自衛隊イラク派遣は「人道支援」とかいうが、実のところ、そんな形しかできないそうやっているのに過ぎない、エネルギーだ何だで威嚇され、親方のおいら(アメリカ)が血流してんのに、属国敗戦国のお前等(日本)が、楽していいのかと言った話。それでも、武器持たせるほど一人前じゃないから、やってる格好だけ付けて、イラクにだけは派遣しろよといったガキ扱い。日本が軍隊を持つも持たないも、アメリカの胸先三寸でやってきたわけです。

自衛隊は軍隊か。軍隊に決まっています。もし、軍隊でないというのであれば、あの服装、また、「隊」のまんまを使っているわけです。藤川さんの言うとおり、いつでも真性軍隊になる予行演習を60年間続けてきたに過ぎない。しかし、軍隊ごっこをやっていても仕様がないわけです。

一番、愚にもつかない話は、自衛隊は災害時に活躍している口上。災害時の救済を言うのであれば、災害救済の専門集団を作ればいいだけの話。それこそ、「攻撃機」何台かの予算でまかなえるでしょう。災害救済をやるのに、軍服を着る必要など全くないわけです。災害支援のためには火器使用の練習も要りません。そんなことより、崩落した建物を安全裏に解体し、怪我人を捜し出し、大型の装置の開発でもしたほうが善い。戦車数台の値段で何台も作れるでしょう。

本当に国を守るというのはどう言うことなのか。それは軍隊を作るしかないという考え方しか選択の余地がないというのは軍隊幻想でしょう。

> もし自衛のための軍隊が持てないとなると国家たりえない。

そうですよ。しかし、そのような憲法を、日本は敗戦という絶対不利の実質占領状態で受け入れざるを得なかった。自由自治は許されているものの、実際のところ、いまだにアメリカの統治下にあるのが現実でしょう。だから、この部分をクリアしない限り、この議論は成り立たないわけです。

> 万が一、海外が攻めてきたら、国軍が無ければ国民1人1人で自己責任で自分を護らなければならなくなる。そんな無責任な国家など意味が無い。

そのとおりです。しかし、それがアメリカが日本に課した現実でした。
このことはしかし、警察にも言えます。
「お前を殺すぞ」と殺人予告をされた。いつ殺されるかわからない。警察に身辺警護を願う。すると、「事件にならないと我々は動けません」と言うのが警察の常套句です。事件が起きたときは怪我をするか・殺されるかといった避けたい事態が起きることを意味します。しかし、それまでは動けないと言う。これでは市民など少しも守ったことにならないわけです。腰に拳銃を下げて、交番を襲われれば発砲するくせに、殺人予告をされようが、見て見ぬ振りをするのが警察です。

161犀角独歩:2005/11/05(土) 08:43:21

―160からつづく―

では、自己防衛をするしかないということになる。ところが、市民は護身のためでも武器を持つことを法律で禁じられているわけです。つまり、丸腰で凶器を持ってやってくる犯罪者に立ち向かえというわけです。そして、いま言ったとおり、警察官は自分たちは武器を持っているのにも関わらず、事件にならない限り動かないというわけです。護身のための武器を取り上げたのは国家であるにもかかわらずです。警察の言っていることは、むざむざ殺されろということです。しかし、この点を警察官に突くと、自分たちも法律に縛られてそうなっているんだというわけです。まあ、そのとおりでしょう。要するに法律自体が市民の緊急時予防のために整備されていないということです。

この市民と警察関係を日本国家に強いているのがアメリカでしょう。
日本国家は、では、アメリカの顔色で腰に拳銃を下げることを少しは許されるように憲法が改正され、実際にそうなったとしましょう。しかし、その‘拳銃’で守られるのは、本当に日本国民なのか?ということです。

> 軍隊も同じで、誰も戦争など起こしたくは無い

これは藤川さんが善良な人であるから、そういうだけでしょう。
この世の中には、戦争を起こしたい連中は、たくさんいます。

> 万が一海外が攻めてきたときの保障のために軍隊が必要です

この論法はなにも間違っていない。
しかし、こういった軍隊は、この主目的だけに留まらないのが、常です。
先に記したとおり、戦争を起こした連中に塩を送らない完全な整備が必ず等閑になる。莫大な利権が生じるわけです。そして、その利権は実際に戦争が起こり、それも適度な戦争、紛争、その他で、国家や世界が壊滅しない程度で、利権に関わる特権階級が決して危険にならない条件を満たし、大量に武器その他が消費され、国家予算から、それらの連中が莫大な利権が得られる程度の‘戦’という状況を常に作り出せれば、この利権は永続的に特権階級を満足させます。所謂、軍需産業とその利権というです。腐りきった本体のでかいヒルがいる。さらに肉を食むここに群がるテカテカ黒光りしたゴキブリのような連中がいる。血を吸われ、肉を喰われているのは国民です。

専守防衛だ云々という‘国民善意’が、この利権の方便に悪用されていないのか、という点が重要なわけです。この点で、歯の浮くような‘建前’を並び立て、国民を守るためだと言いながら、実際の本音は一部特権階級の利権のために、有事を作りだしているのが世界ではないのか、そこで最終的に命を奪われ、財産を搾取されるのは、そのような美名を疑わず信じた善良な、敢えてつければ‘無知な’国民という縮図ではないのかということですよ。

162犀角独歩:2005/11/05(土) 08:43:42

―161からつづく―

こんなことは他の国家経営にも言えるわけです。日本は莫大な借金を背負っている。‘株式会社’日本は大赤字だという。ならば、公務員の徹底したリストラをし、給与を引き下げ、無駄を徹底して廃して、殊に国会議員は黒塗りの大型車なんかに乗らず、電車か自転車にでも乗って、車の乗りたければ、軽にでも乗ればいいわけです。ところが、実際に大赤字を出している連中は、血税を湯水のように使って贅沢三昧をし、不足すれば、増税をして国民を苦しめるばかりで、自分たちの贅沢を止めないわけです。それを是認する連中はその腐敗した贅沢な餌に群がるゴキブリ、ハエだよろしく、その仕組みを守ろうとしている、いつか自分も、いつも自分はというご都合があるから、嘘っぱちの大儀をかざし、国民を騙し蔑むわけです。

以上のような状況下で言われる専守防衛、憲法改正論は説得性を持たないということです。

わたしは日蓮という人は、こんな仕組みを心底憤慨していた人であったと思います。その発露が『立正安国論』でしょう。しかし、以上のような利権構造に入らない一介の僧侶である日蓮が、では、何ができたのか。結局のところ、上一人の正直、善政を訴え、下万民の安寧を訴えた。そこで、日蓮は武器を取ったわけでも何でもなく、立正安国論の頃は、八十万億那由陀の菩薩の同意で法華精神を述べ、いざ身命に及べば、不軽菩薩絶命の精神に立ち、ついには地涌上行の自覚で「正直」を訴えた。孤高の流人生活、身延の隠遁生活に遭って、しかし、その境地を文字漫荼羅に昇華していったのは、その生涯の決算であったのかも知れません。

では、われわれがいま、法華を持ち、日蓮を仰ぐ。何ができるのか。以上のような構造腐敗の前で、専守防衛を言うのであれば、敢えて、非暴力、不戦、不殺生を言おうじゃないかということです。殴るならば殴れ、殺すならば殺せ、しかし、我々は絶対に服従しない、いつか到達する、いや到達しなければならない理想郷には暴力も、戦争もない、殺し合いもない、その理想を体し、訴えようと言うのは、わたしは全仏教界で心ある人々が言う、不殺生、非暴力、不戦だと言うことだと思います。

単に戦争反対を言っているわけではない。
ここに「当為即妙不改本意」の意義もあります。

163藤川一郎:2005/11/05(土) 08:52:34
今回の件に関して、昨日(今朝?)の「朝までなめるんじゃねえ(嘘・朝まで生テレビ)」で討論してましたね。
つい、見入ってしまった。
しかし、憲法改正はいいが、自民の改正案は出鱈目じゃ!

それと自衛隊反対派の共産党員への「攻められたら、桑と鋤で戦うんですね」には笑った。
しかし、田原総一郎が言ってたけど、最近の共産党って自衛隊を一応認めたようですね。共産党も骨が無くなったな!

独歩さんが言う、アメリカ云々は私も同意。もっとも小泉さんはアメリカよりもユダヤ資本と軍産複合体の犬だけどね。いずれにしても売国奴には違いない。

164犀角独歩:2005/11/05(土) 09:54:34

> ユダヤ資本と軍産複合体

ここまで話を広げると、もはや、お家「日本」から世界全般の話になりますね。

いずれにしても、政教一致に目眩ましを食らっているわけですが、それよりもっと冗談じゃないのか軍閥、軍事政権です。このような最悪の政権への逆戻りだけは阻止しなければならない。「守ってやるよ」という甘言を弄して、いざ、実質軍政一致となれば、国民を守るという名目で、国民は軍隊の奴隷とされます。守ってやるが言うことを聞けという口上です。

航空自衛隊だといいながら、自分の言うことを聞かなければ愚人扱いして憚らない特権意識。吐き気がします。しかし、この手の差別主義者もやがて菩薩道を歩み、仏になることを信じろと言うのが法華経制作者が紡いだ菩薩精神です。この精神を仰ぐからこそ、暴言を忍ぶわけですが、しかし、言い返さないという不軽までにはなかなか至れません。

それはともかく、こんな連中が大手を振る政権下には戻したくないという気持ちが、憲法改正、軍隊復活を拒む、60年前の反省からあるわけですよ。

軍閥支配の苦しみという身体感覚を持った国民が少数になってきたら、また、過去の2匹目の泥鰌を狙っているという危惧です。有事という危機意識を煽って、自分たちの権利を掌中に収めようとするのは常套手段でしょう。実際、自衛隊が日本を守っているわけじゃない。守っているのは実質、アメリカでしょう。そして、非参戦、非攻撃という憲法遵守を相手が熟知するからです。しかし、後者の安全弁を外す動きには危惧を抱かざるを得ない。隣国に攻撃の理由を与えることになります。アメリカからの独立は目指す目標です。実際に独自軍隊を持てば、アメリカだって日本を再攻撃する理由を与えることになります。攻撃しないのは交易利益を保護するためでしょう。

だいたい、いまの政府に軍隊など持たせたら、他国に対する軍隊の威圧ではなく、国民に対する威圧ということです。政治家に軍隊を持たせれば、苦しめられるのは国民です。そんなに信用できる政府じゃない。一部特権階級の利益を守るために血税を絞ることしか考えていない連中です。自分たちが議員バッジをつけた特権階級だと思っている連中でしょう。官僚もしかりです。この連中にこれ以上、権力を与えてはいけない。その権力の最たるものは何か。軍隊でしょう。

わたしは60年前の、この構造を日本国民は忘れちゃいかんと思うわけです。隣国にも緊張は高まります。攻撃の「理由」を与えることにもなります。隣国が神経質になっているのもこの点でしょう。

もっとも、ここら辺になると、藤川さんとはまた意見が分かれることになるかも知れません。

165藤川一郎:2005/11/05(土) 13:40:08
護ってやるよ思想(仮にそう呼びましょう)は封建時代の遺物なんですよね。
武家政権の時代がまさにそうでした。それを排除するために徴兵制を施行しました。全ての国民が徴兵により平等に国防を担う。さすれば一部特権階級の「護ってやるよ思想」が排除されるのです。しかし、軍である以上、指揮官が必要になる。それを要請するために士官学校を作った。すると今度は、士官学校出身キャリアが横行するようになり、これが同じ思想を持ち出した。これはある意味武士よりも性質(タチ)が悪い。武士は代々武士であったから良くも悪くも生まれたときから武士的な英才教育(洗脳?)を受けている。
しかし、士官学校には努力で誰でも入れた。ある意味出自も関係ない。そうするといわゆる成り上がり士官が跋扈しだす。
しかも大日本帝国憲法には重大な欠陥があった。これが「統帥権問題」である。戦前の日本の軍隊は天皇の統帥権の下にあって、内閣の下には無い。内閣を無視しても軍の意思が強行できる。何故なら内閣が軍隊をコントロールするシステムが存在しないのであるから。しかし本当に陛下が直接陣頭指揮をする訳にはいかない。ここに陸軍には天皇の名の下に「統帥部」海軍には「軍令部」が出来る。これらの長には士官学校出身のキャリアがついた。またその指揮からも外れる存在が出てくる。近衛師団である。この近衛師団はその名のごとく天皇の身辺を護る者たちであるから、自分らは大元帥(天皇陛下)直属の意識が出てくる。まるで徳川時代の旗本のような存在で「天皇の旗本気取り」である。
実は近衛師団ですら、天皇陛下にお会いする機会などほとんど無いのであるが、まるで見てきたかのような天皇談を語り、自分らを特権階級化していく。本来は陸軍大臣・参謀総長・統帥部長・近衛師団長に上下を付けるべきであるのに、これが平等に派閥化していく。
そして最後には本末転倒して天皇のご意思すら意のままにしようとする。これが宮城事件である。昭和20年8月14日翌日に終戦を迎えんとする日に陸軍及び近衛師団がクーデターを起こす。和平派の森近衛師団長を殺害し、偽に命令書を乱発し、それが発覚するや、宮中に乱入し、侍従長を脅し「終戦の詔勅」の録音板を奪って戦争継続を図った事件である。幸いにして徳川尾張分家の当主でもある徳川義寛侍従の脅しに屈せず、さらに録音板を2枚に分けるという機転で乗り切り、無事終戦を迎えるのであるが、天皇の名の下に結集した軍隊が、最後には天皇すら監禁しようとするという結末を迎えたのが大日本帝国陸軍の最後であった。
独歩さんの言うように軍には暴走の可能性がある。これを制止するシステムを同時に議論すべきなのは言うまでもありません。

166藤川一郎:2005/11/05(土) 14:10:35
>>164
実は独歩さんと同意の部分もたくさんありましてね、今の政府に軍隊を持たせたら云々については結構同意見でしてね。
私も闇雲に軍制強化を進言している訳では無いのです。
でも今のままではアメリカの植民地から脱し得ない。そのためにもまず国軍を創設する。最初から増強する必要は無い。自衛隊をそのまま呼称変更するだけでも良い。
その後、一歩一歩歩んでいく。
もう1つ私は個人的には大嫌いですが、韓国、中国との融和も必要でありましょう。
私は中韓が日本を敵視する歴史問題以外の理由の1つにアメリカとの関係が脅威になっているようにも感じております。
仮にも他国の軍隊が駐留している国では日本がアメリカのひも付きと考えられても仕方ないでしょう。
そもそもアメリカとは何ぞや?原住民を侵略して作った国家では無いか?そのためにネイティブアメリカンがどれほど迷惑したか!
明治以降だけでもハワイを併合しているでは無いか。ハワイ王朝は日本の天皇家と深いつながりにあったことはあまり知られていませんが。
そしてハワイとは離れてますが、日本はそのうちアメリカの州の1つになると思われても仕方ないでしょう。そうすると順番からすれば日本の次は韓国・中国と狙っていると邪推されても文句言えんでしょう。
中国も侵略国家ですがあくまでも、隣接するところから行きます。しかしアメリカは違います。元々全然関係ないアメリカ大陸に渡ってきて、侵略を始めた国です。現在でも中国人で本気でアメリカが世界平定を企んでいると思っている人がたくさんおります。

167犀角独歩:2005/11/05(土) 18:19:48

藤川さんと同意の点があるとは嬉しいですね。

もっとも、わたしのご承知のとおりの出身です。親戚にはその筋の者もいます。
明治には武士だった親父方の祖先は刀をさすことを禁止され、戦後には庄屋だった母方のご先祖は農地改革で土地をみんな取られやむなく東京へ出てきたわけです。所持していた刀はすべて武器弾薬にしてもらうために、軍に納めもしました。父母共に東京大空襲で家財産の一切を失い、父親は特攻隊に志願しましたが、戦争は負けて終わったわけです。

軍人が戦争に勝たんで、何偉そうにご託並べているんだと言いたいわけです。お陰で、こちとら、先祖伝来の財産は失うは、身分は取り上げられるは踏んだり蹴ったりの100年だったわけです。それでも父は特攻隊に志願もしました。

父は風呂に入って頚を洗わないと、すごい剣幕で怒鳴ったもんです。戦争が終わって民主主義になっているのに、祖父から、また、その祖々父から、親から子に伝えられた、いつでも腹を斬る覚悟と、頚を斬られることを覚悟してろというのが親父の口癖でした。
「時代は代わったんだ。俺は仏道だ」と思いきや、風呂に入ると今でも無意識に後頭部の下の頚を洗ってしまう習慣は抜けません。

わたしには、こんな先祖伝来の血が流れています。昨日今日自衛隊になって飛行機乗ってるからって、偉そうなことを言われる筋合いはありません。

不殺生は自戒です。これを破ると決めたら、自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。金や権力に目を眩まして、民を欺く奴は軍人だろうが、代議士だろうが、命を懸けてでも、鉄槌を食らわす覚悟はあります。自衛防衛だとうそぶいて武器を持っても撃てない連中より、必至の一人のほうがやり遂げられることだってあるわけです。正当防衛だ、任務だから殺人じゃないなんて下らないことは言いません。やるときは殺人だと覚悟を決めてやるでしょう。抜刀とはそういう意味ですよ。

しかし、そのうえで、わたしは非暴力、不戦、不殺生だといっているわけです。
日本は同じ黄色人種の住処を奪って成り立ったアメリカなんて侵略者に尻尾を振っていてはいけない。これは民族の恥でしょう。

ですから、165から166に藤川さんが書いてくださったことには、こちらのほうこそ同意する点は多いのです。

しかし、子どものころから骨身に染みた法華精神は、その制動になっているというわけです。

16801:2005/11/06(日) 20:52:26
ほらほら、独歩さん、ぶっ飛ぶから、みんな引いてるよ。
最近、管理人さんも引いてるね(爆)

169犀角独歩:2005/11/07(月) 09:42:44

> 168

ぶっ飛んで見えますか。
ご忠告は受け止めておくことにします。

170匿名:2005/11/07(月) 12:23:56
>自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。

だから、政治家には護衛が必要であり、自転車、電車といった一般庶民と同じ交通手段というわけにはいかないんでしょう。

171匿名:2005/11/07(月) 13:01:47
でもね、一般の人間だって、常に危機にさらされているよね
なんで政治家だけ特別扱いなわけ?
平等なんでしょう、人間は。

172匿名:2005/11/07(月) 21:05:50
>171

政治家ゆえにさらされている危機とは、政治的(思想的)暗殺であり、一般国民がさらされている危機とは本質的に違うでしょう。
一般国民と、国政を担う政治家を同列に考えようとすること自体、無理があります。
一般国民がさらされている危機とは、まずは天災であり、治山、治水こそ政治の要諦です。次に人災から国民を守るための治安維持でしょう。これらの危機から国民の生命・身体・財産を守るのが政治家の責務であり、当然、その延長に、軍事的防衛問題も避けられません。
それら全てを包括した国家の安全保障こそ、一般国民がさらされている危機に対担う政治家の責任なわけで、そのような立場の政治家が日常的に暗殺されかねないような政治不安を、国民は本当に望むものなのでしょうかね。

173犀角独歩:2005/11/08(火) 00:16:13

> 170、172

当然のことでしょうね、それは。

ただし、わたしが言ったのは、日本が大赤字であれば、政治家、公務員は自粛せよということです。また、後者のことは、日本のように暴動もおろかストライキすら起きないような国家で政治家がやりたい放題をし、もはや、これ以上は国家存亡の危機という事態に至れば、命を捨てる覚悟はあるということです。

それは言葉尻をつなぎ合わせて、わたしの投稿の意図を変えて、恣意的に意図をねじ曲げたうえで、批判を加えると言うこと、また、特定のHNも決めず、投稿するようなやり方はフェアではないと思います。

174匿名:2005/11/08(火) 00:50:59
170、172を投稿した「匿名」です。
「匿名」というHNでは、いけませんでしょうか。

175犀角独歩:2005/11/08(火) 01:08:10

匿名さん、わたしはここで無駄な言い合いや、感情的な貶し合いはしたくないのです。
もし、あなたが、ちゃんと議論をしてくださるのであれば、HNを決めていただけると混乱はないと思います。

たとえば、読めば見当はつきますが、171の方とあなたは別人でしょうが、同一のHNということになります。
やはり、これはややこしいということです。
173にわたしが「>170、172」としたのは170の方と同じ‘名前’となっているから、それしか書きようがなかったからです。
そういうことです。

176匿名:2005/11/08(火) 01:48:13
私の希望としては「匿名」ということで投稿にて、ご容赦願いたく存じます。

177犀角独歩:2005/11/08(火) 09:32:44

> 175

わたしは、了解しました。
有効な議論ができればと存じます。
応答、有り難うございました。

178匿名:2005/11/10(木) 00:52:48
議論というほどの投稿をするつもりではありませんが、意見しておきたいことはいくつかありました。

まず率直な感想ですが、不戦や非暴力の立場を主張されるにしては、あまりに語気が闘争的で、論調もいささか乱暴で、少々極端な思想性の危うさに、ついつい突っ込みを入れたくなりました。
通りすがり2さんが、気分を害されたというのも、わからないではないところです。

論争を蒸し返すわけではありませんが、これは大事な問題ですので、投稿させて頂きます。

>120
>これは‘徴兵制’の復活が必須要項になることをわかって、国民は賛成しているのでしょうか。

という記述について、通りすがり2さんが、論証を求めたわけですが、今読み返してみましても、この点について、明確にお答えになっていらっしゃらないように見受けられます。

ちなみに、私の見解としては、軍隊=徴兵制が必ずしも短絡的な発想だとは思ってはおりません。

>129で問答迷人さんが書かれているように
>軍隊も持つ事は、徴兵制の可能性が出てくる、と言うが正しい認識であるように思います。

と同じ立場で、将来的に視野に入れておく必要はあると考えます。

ただし、目前に迫るであろう憲法改正で、今の三大義務に加えて兵役の義務が加えられることは、まずないでしょう。
よって、>120の「必須要項」という記述については、「短絡である」というご指摘は頷けるところかと思います。
この点は、如何でしょうか。

179犀角独歩:2005/11/10(木) 01:07:57

178のご意見には頷けるところがありますが、では、逆にお尋ねしますが、「ない」と断言することはできるのでしょうか。
徴兵制の可能性はまったくないという断言については、少しも問題はありませんか。
わたしは、いまの戦争翼賛者の夢想には国民軍体現荘があればこそ、靖国ありという点を危ぶんでいます。
このわたしの疑いは単なる杞憂に過ぎませんか?

180犀角独歩:2005/11/10(木) 01:09:40

【179の訂正】

誤)現荘
正)幻想

また、もう一点、付け加えれば、わたしの論調が強すぎると言うのであれば、わたしを貶す論調は強くないというのでしょうか。
わたしは178さんのご発言は公平さを欠いていると思いますが、如何でしょうか。

181犀角独歩:2005/11/10(木) 01:38:06

たとえば、現行憲法改正から軍隊保持、しかし、兵士に関しては、まったく議論に登ってこない点がおかしいのです。軍隊は、兵士によって構成されるわけですから、この兵士をどのように供給するかという議論があってはじめて成り立つ話です。
ところが、この肝心の部分は、たとえば178さんのように、希望的な一般市民の発言が先行するばかりで当の改憲論者から具体的な話が出ない。この国民にもっとも関係する兵士調達を話題にしないで、うやむやのうちに軍隊を法制化しようという論の進みに信頼性はないとわたしは言っているのです。

最高権力で軍隊を持った政府は、途端に態度を硬化させることは過去のの歴史が物語っています。あまり希望的な観測で甘い議論で、ここで、徴兵制を必須と考える、換言すれば軍隊保持には国民兵士は当然の前提である点をもっと詰めて考える必要があると訴えることがおかしなことであるという善意解釈は、わたしは危険であるといっているのです。

わたしは藤川さんのように、憲法改正から軍隊保持の前提で、国民教育のためにも徴兵制は韓国のようにあってしかるべきよき教育となるというような考えは、軍隊翼賛論者の本音である正直な意見であると思います。

具体的にお尋ねしますが、憲法改正後の軍隊は、では、どのような人々によって構成されるのですか。その点について論じた案件でもけっこうですからご紹介ください。

182匿名:2005/11/10(木) 01:49:28
>179

繰り返しになりますが、>178に記述したように、
軍隊=徴兵制が必ずしも短絡的な発想だとは思ってはおりません。将来的に視野に入れておく必要はあると考えるわけですから、当然、「ない」とは言いません。
ただし、「必須要項」と定義できるものではないというこです。
揚げ足をとるわけではありませんが、表記について少々神経質に追求したまでです。

183犀角独歩:2005/11/10(木) 06:34:41

182 匿名さん

> 軍隊=徴兵制

既に133に記したとおり、わたしは「軍隊=徴兵制」とは言っておりません。
この表現は121に通りすがり2なる人物が、わたしの投稿を枉げて短絡的に記したことでした。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1018910046/133

わたしが必須要項ではないかといったのは、国民一人ひとり、国防が関わってくる問題であるということです。

藤川さんとの議論にもありましたが、アメリカの属国から脱却し、占領から、実質的、真の独立国家になっていくためには自前軍隊を持ちたいという国民感情は、理解できます。しかし、現時点で、アメリカを無視した軍隊を持てば、半世紀前の世界危機の再来として、アメリカは「世界の警察」気取りで日本を危険国家としてマークするでしょうし、隣国との緊張を徒に高め、ひいては攻撃の名目を与える結果にもなりかねない。となれば、日本が作れる軍隊はせいぜい、アメリカの言いなり軍隊以上のものは作れない。そして、作られた軍隊が参戦、交戦をするのであれば、相互殺人に至らざるを得ず、自衛隊時代の人道派遣などといったものとはその性質を異にしていくことになります。

そうなってくるとき、その殺人行為は、単己さんとの議論で述べたとおり、国民一人ひとりが代理して担わせた殺人なのであって、その罪を兵士にのみかぶせることとは言えないではないのかというのが一連の議論の展開でした。

日本が軍隊を持てば、日本海の緊張は殊更に高まることになります。
もしここで軍隊配備に100万兵士(これはあくまで仮定的な数で不快意味はありません)がどうしても必要になった。アメリカからそのように課せられた。しかし、日本は徴兵制を布かず、志願兵だけで1万にも集まっていない、ここでイラクは間のようなアメリカの圧力が掛かったとき、日本政府は‘次の選択’を迫られることになるのではないでしょうか。となれば、単に志願兵を募り続けるだけではすまなくなります。

日本が作る軍隊が防衛のための軍隊であるなどという寝言は信じません。
何故ならば、日本に作られる軍隊は以上記したとおり、アメリカの言いなりになるしかない占領された国の軍隊であるからです。

また、以上のような軍隊と戦争の真の目的は、結局のところ、‘消費’にあるのではないでしょうか。この‘商売’は継続するほど、利益は永続化します。

わたしは美辞麗句で飾られた虚飾の軍隊・軍人賛美は信じません。
この‘商売’の永続化のためには、徴兵制は視野に入ってくる危険を申し上げているわけです。

なお、わたしは徴兵制を必須要項として‘定義’はしておりません。

184犀角独歩:2005/11/10(木) 08:29:52

【183の訂正】

誤)ここでイラクは間のようなアメリカの圧力が掛かったとき
正)ここでアメリカの圧力が掛かったとき

185犀角独歩:2005/11/10(木) 08:32:02

もう一箇所

誤)不快意味
正)深い意味

186匿名:2005/11/10(木) 10:45:15
>182

そんなに議論を急いで広げる必要はないです。
まずはご説明から、記述の意図するところは理解いたします。

ただ、やはり120の

>これは‘徴兵制’の復活が必須要項になることをわかって、国民は賛成しているのでしょうか。

という一文に「必須要項」という文言が入っている以上、軍隊=徴兵制ととらても、決して不自然なことではないでしょう。
そうは言ってませんというのは、まあ、なんというか、失礼ながら、ある種の詭弁に聞こえますね。

というのも犀角独歩さん自身が、常日頃、教義論争では、非常に語彙の定義に厳格さを追求されていらっしゃるからで、それは恐らく、ご専門的立場から、不適切な記述を見逃すわけにいかないものと拝察いたします。
しかしそのようなことは、他の分野であっても同じなわけです。専門的な立場の人から見れば、やはり不適切な表記を見逃すわけにはいかないものだと思います。

目くじらを立てていつまでも論争するほどのことではありませんが、しかし、こちらの掲示板における犀角独歩さんのご発言は、たとえ教義外のことであっても、注目度は高く、また影響力も大きいわけですから、やはり一投稿者の発言と見過ごすわけにいはいかないものだったかと思います。

自衛隊及び改憲については、後ほど投稿させて頂きます。

187犀角独歩:2005/11/10(木) 11:33:44

188 匿名さん

わかりました。
この議論を長引かせる気はわたしのほうもありません。
では、「必須要項」という一文は可能性に訂正させていただきます。

188藤川一郎:2005/11/10(木) 13:37:06
浅井氏曰く魑魅魍魎の独歩さんへ(冗談です・怒らないでね)!

徴兵制(国民皆兵制)の前提と言われる「長州藩の奇兵隊(この時点では募兵です)」は、徴兵せずとも希望者が殺到したそうです。これは身分差別の時代に、身分を越えて上級身分になれるという夢からだそうです。つまり元から「兵隊・軍隊・武士」が特権階級だとう前提があった訳です。
なぜなら、日本には世界的に希な武家政権がありました。ヨーロッパの封建君主の時代ですら騎士が自ら政権を握るなどありませんでした。彼らはあくまで国主、国王を護るための精鋭に過ぎません。しかし、日本には元から「民草を護る者=偉い人」という概念があったのです。
武士の発祥は、農民領主の武装化からなのですが、それが後に北面の武士と呼ばれる公式傭兵部隊に発展しました。保元の乱とは公家通しの争いでそれぞれの傭兵が、闘った(武士が利用された)のですが、平治の乱では逆に武士が争いの主体になり、最終的に頼朝が前の右近衛大将(後に征夷大将軍)として政権を樹立させます。
つまり近代では良くある軍事クーデターの歴史が平安末期よりの伝統なのです。
ですから、日本人の血の中にはシビリアンコントロールなどは無く、戦う戦死=特権階級という意識があったのでは無いでしょうか?
つまり現代でも軍隊が暴走したとすれば、武家封建社会の残像が今でも残っていると考えられないしょうか?

189犀角独歩:2005/11/11(金) 02:00:48

なんだか、魑魅魍魎の4文字が、定着しそうでいやだなと思う今日この頃です(笑)

188に藤川さんがお書きになった点、なるほど、そうだと思いました。

190藤川一郎:2005/11/11(金) 15:40:55
前に徴兵制度について、教育面から書いたことがありましたが、韓国出身の女優ユンソナさんの談がありましたので、転載しておきます。

『日本人と韓国人の若者が違うところは、韓国人のほうが早く大人になること。例えば明洞と渋谷、両方にいる20代後半の男女を見た時に、明らかに渋谷の日本人の方がイメージが若く、「まだまだ人生遊んでいたい」という感じでちょっとうわついていると思うんです。これはどっちがいいという話じゃないんですけどね。
その違いは韓国には徴兵制があることも関係しているかもしれません。男性は高校を卒業した後、2年間(大学に進学する人は遅らせることができる)軍隊に入りますが、帰ってくると大人っぽくなってくる人が多い。将来のことを真剣に考える機会になるのか、帰ってきて就職した途端、結婚のことをまじめに考える人も多いんです。
うちの弟も2人とも、軍隊から帰ってきたらすごく変わってました。上の弟は軍隊に行く前はちゃらちゃら遊んでいたので、これはよくないな、と思ってたんですが、帰ってきたら一生懸命勉強して、今は会計士になるための最終段階の試験に挑戦してるところです。下の弟は、やりたいことがわからないといっていた子だったのですが、帰ってきたらすごく強くなっていて「俺はもっといろいろ勉強して考えたい」と、勉強することにやる気が出てました。
それに家をはなれることで、両親に対しても感謝の心が出るみたいですね。でも何となく20代後半の日本人を見ていると、「私はまだ大丈夫」という自分への甘えがあるような気がします。』

191匿名:2005/11/11(金) 17:42:19
>133
>戦後、60年、日本は奇跡的な不戦を歴史に刻みました。それは軍隊がなかったからでしょう。

について。

確かに憲法9条の「戦争放棄」と「陸海空軍その他の戦力不保持」によって回避されてきたことは事実ですが、96条の改正条項というもう一点重要なストッパーがあった点を忘れてはならないと思います。

現憲法の改正条項では、衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成により改正が発議され、さらに国民投票によって過半数の賛成を得て、はじめて改正することが出来るという、かなり高いハードルだったわけです。
現行憲法が、世界に類例をみないほど容易には改憲できない硬性憲法だったが故に、「奇跡的な不戦を歴史に刻む」ことはなかったということになります。
しかし、改憲派の立場からいえば、60年かかってようやくたどりついた悲願の憲法改正ですから、当然、改正となれば、この96条の改正条項も変えられ、今後は改正ハードルは低くなることは必然です。
次の改憲で、戦争放棄が変えられ、国民皆兵制になることはまず有り得ないとしても、しかしこの先、何度かの改憲を経れば、やがて兵役が国民の義務と課せられることも、あながち短絡な話でもない。やはり視野に入れておく必要はあるかと思います。

改憲阻止の最後の砦は、国民投票なわけですが、残念ながら今の国民世論をみても既に半数以上は改憲に傾いているのが現状。
まあ、戦争のない日常が当たり前になっている日本国民の大半は、憲法にはほとんど関心がないですから、その関心のなさが、改憲派の権力者には大変好都合だったということでしょう。今、改憲に危機感を持ったところで、もう時既に遅しという感もあります。

私、個人的には、藤川一郎さんが記述されているように、徴兵制も確かに必要かもしれないと、ふと思ったりもします。
まさに昨今の韓流ブームの底流にはそうした深層心理も働いているでしょう。お隣のお国の男性のほうが、顔付もキリリと引締り、身のこなしから言葉づかいまで、実に逞しく凛々しく見えますからね。ユンソナさんが感じられている通りだと思います。
ただし、日本の憲法では男女平等が明記されていますから、もし徴兵制となれば、女性の兵役も免れないことになるかもしれません。

ところで、藤川一郎さんが>188で書かれている平安末期の軍事クーデターですが、その総仕上げこそ、承久の乱ですが、このとき鎌倉御家人衆の士気を高め奮闘させたのは、頼朝の妻・北条政子です。「尼将軍」の異名をもつ彼女の言葉に、御家人衆は皆涙を流して京へ向かったといいます。
案外、日本の将来の姿がここにあったりするものかもしれません。先の総選挙の刺客騒動など、その前兆ととれなくもないですから。

藤川一郎さんの>188のご意見も併せて

>181
>軍隊は、兵士によって構成されるわけですから、この兵士をどのように供給するかという議論があってはじめて成り立つ話です。

については、自衛軍の立場が憲法上明記されるわけですから、志願する人は予想外に出てくるものかもしれませんし、さらに自ら志願していく女性スペシャリストも、今以上に出てくるでしょうから、そのような懸念は当らないのではないでしょうか。
通りすがり2さんが書かれていたましたが、徴兵制になって一番困惑するのは、恐らく教える側の自衛隊(軍)なのでしょう。中には暴走する兵士も出てくるかもしれませんし。
そう、むしろ恐ろしいのは、日本人の潜在的な戦意の目覚めと、その暴走でしょう。当の日本人は、その自覚がないだけに尚更恐ろしいわけで、寝た子を覚ます改憲にならないことを祈りたいものです。

19201:2005/11/11(金) 20:11:51
>191
おれはこういう、何食わぬ顔で、したり顔で、日常茶飯事を語るように、人の生き死に語る奴は虫唾が走るね。
徴兵制もよしならば、自分が戦争に行く決意があるわけ?
戦争に行って、目の前に敵がいたら躊躇無く射ち殺すわけ?
で、ここって、仏教の掲示板だよね。それで少しも自分の信仰と矛盾しないのか、あんたは??

193匿名:2005/11/11(金) 21:41:43
>192

私の信条を書いたわけではありません。世の中の流れと所感を書いたまでです。
反感を承知で書きますが、個人を責めることでしか不戦・非暴力を訴えられないとしたら、それが仏教の限界ということになってしまうでしょう。

194犀角独歩:2005/11/11(金) 23:06:18

> 個人を責めることでしか不戦・非暴力を訴えられないとしたら、それが仏教の限界

これは違いますでしょう。01さんの限界が直ちに仏教の限界とはなりません。
ただ、このように記しても、191に記すところに異論があるということではありません。
むしろ、よく整理された内容ではあると思います。

195ラキ:2005/11/12(土) 03:02:15
日米安保でアメリカ軍が駐留しているので、自衛隊(軍)は必要ないと思います。
海上警備は海上保安庁に装備増強で済むわけですし、陸自も災害救助隊にして、非武装の災害救援活動を専門にする部隊にすれば済むと思います。
空の安全は、用心棒代を払ってる米軍に任せても構わないのではないでしょうか?
自衛軍になるなら、国連所属以外は、歴史を繰り返す過ちを犯す危惧があるからです。
信仰者が戦争に参加するかもしれない自衛隊に居る事自体、変と感じております。
アメリカが日本から撤退すれば、自衛軍は必要だと思います。
それでも、国連所属は絶対条件ですが。

196犀角独歩:2005/11/12(土) 03:25:09

なんだか、徴兵制がよい、自衛軍へ改憲というような話になっていますが、ここは仏教の掲示板なのであって、仏教徒が戦争を肯定するようになれば、もはや、おしまいです。
わたしは仏教徒というのであれば、戦争反対、非暴力、不殺生を貫きたいと考えます。

一般世論がどうだ、多数決でどうだという話ではありません。最後の独りになってもそうしなければならないという話です。

なお、やや誤解があるといけませんので、補完しますが、わたしは今回の改憲で徴兵制の危機があるなどとは一言も記していません。政府のやり方は、ローボール・テクニックといわれる多段階説得法で、少しずつ、なし崩しに複数の約束を取りながら、目的を達成するような心理操作が見え隠れする点を言っているわけです。気が付いたときには、参戦なんて言う愚かな過去を繰り返さないように、国民の賢明な判断をということです。

なお、徴兵制の精神面に与える(大人にするとかしないとか)効果は、あくまで副次的な話であって、戦争肯定論に悪用される可能性があるので、わたしは敢えて賛同しません。

超高齢化社会に突入した日本において、若者の教育においては、たとえば、学生のボランティア参加などを具体的に採り入れていく等、やるべき仮題はいくらでもあります。

西欧社会が、福祉をキリスト教の博愛精神から構築したのであれば、殊、仏教を語る場であれば、慈悲の精神から、そのような構築の可能性を考えるようにありたいと思います。
軍備肯定に論が落ちるとすれば、法滅の惨状はほかにないでしょう。

197犀角独歩:2005/11/12(土) 12:16:35

196に関連しますが、綱脇龍妙上人の止むに止まれぬ気持ちと実践、戦前の日蓮主義者・妹尾義郎が改心していった様は、帰結されるべき日蓮信徒、不軽精神尊仰の当然の帰結のように思えます。

「日蓮聖人はいはれた。「法華経の修行の肝心は不軽品に候なり」と。不軽菩薩は今の日蓮信者のやうに「法華最第一」と文句のみかつぎ廻ったのでは断じてなかった。「我れ深く汝を敬ふ」と合掌して一切の人々の真の願心を礼拝したのであった。善なる本願心は万人一ツのはずである。身延山に「深敬病院」といふ癩病患者の収容所がある。谷間に建てられた貧弱な病院だが、身延山では、こゝにこそ活きた法華経が見られる。大本山のある堂々たる大伽藍などはモヌケの殻である。院主は綱脇龍妙上人といふ坊さまだが、自分はこの頃縷々綱脇師のことがしのばれて尊敬の念が禁じ得ないのと同時に、過去の思い上がったじぶんのいはゆる日蓮主義的態度が唾棄したくてたまらぬ。もとより宗教の社会運動は天下国家の大経輪をめざしてのそれであるが、しかしながら「深敬」の聖胎から生まれる大社会運動ではなくては、それこそ「いかなる嘉言も善行も皆はうべの飾」だ。「深敬」の精神が徹底するに正比例して、宗派的高揚心などなくなるはずである。」(妹尾義郎の昭和7年(1932)の日記)

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50187266.html

なぜ、このような形で議論が展開せず、改憲、軍備増強をさも当たり前のように仏教の名の下に語られるのでしょうか。理解に苦しみます。

198匿名:2005/11/12(土) 12:42:36
>195
>日米安保でアメリカ軍が駐留しているので、自衛隊(軍)は必要ないと思います。

まさにアメリカの軍事政策によって、日本は不戦を貫こうというわけですね。私も半分は賛同いたします。
ただし、基地を提供しているのですから、間接的に軍事に加担していることになるでしょう。

>195
>海上警備は海上保安庁に装備増強で済むわけですし、陸自も災害救助隊にして、非武装の災害救援活動を専門にする部隊にすれば済むと思います。

表向きは、そのような体裁をとったとしても、潜在的な防衛武装を完全に捨て去ることはできないでしょう。
わかりやすい例を言えば、まっすぐな高速道路が、有事に備えていつでも軍用滑走路に転換できるように建築されているといった話は聞いたことないでしょうか。不戦だから、有事を想定する必要はないというわけにはいかないのが、国家政策です。
ですから、災害活動救援部隊に留めたとしても、同じことで、国家機密として、有事に備えていつでも軍隊に成り代われるよう最低限の武装訓練をさせることになるでしょう。となると、国民はその実態を容易に知り得ることはできません。
国防について聞きたくないので、知らないでいられれば、それに越したことはない、となれば、そういう対処も有りかもしれません。

いずれにしても国家に対して、厭世思想を求めることはできません。敢えていえば、出家から始まった仏教が、国家に対して物申すには、どうしても限界があるのも現実かもしれません。
しかしだからといって、不殺生の誓い、非暴力を捨てろというのではありません。
私は別のスレッドでも使った言葉ですが、あるところで「折り合い」をつけることも、一時的措置として必要なことだと思うのです。理想を求めるあまり、その極論を形として押し付けようとすることのほうがかえって危険な場合もあります。
行き過ぎた否定が、かえって辻褄合わせの改憲を急がせた側面もあるからです。
究極の理想を実現するまでには、それこそ段階的措置として一時的に折り合いをつける、それが自衛隊の存在として、私は認めるところです。

199匿名:2005/11/12(土) 12:43:02
不戦の誓いや非暴力を信条とする精神は、それは大変崇高なことです。
個人がそれを貫くことは、そうした信条を持つことから始まり、理性や自制心によって戒め守ることが求められます。
しかしそれが国家の問題になったとき、そうした個人の信念と戒めを貫くだけでは限界があります。

また与同罪という考え方があるからでしょうか、戦争について考え語ることすら忌み嫌い、さらには戦争と向き合う立場の人への偏見さえ持つ傾向があるように見受けられます。
個人レベルの仏道ということであれば、自分はそういう仕事はいやだ、それで事済むかもしれません。
しかし、国家レベルの問題では、そうはいかないのも現実です。
国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を真に訴えたいと思うならば、時に、戦争についてしっかり向き合い、考えなければならないものです。それを避けて、ただ「戦争反対」だけ唱えても、回避することはできません。まさに否応なしに、憲法改正という現実の問題が、確実に突きつけられることは、避けられないのですから。
目を背けている間に、いつしか戦争に駆り出される世の中になってしまいます。そのときになって頭にきたからと、自戒を捨てて為政者の一人や二人に危害を加えたところで、世の中の動きは止められません。それこそ後の政(まつり)というものです。

世界情勢を見ればわかることですが、人間は、そのくらい戦争と背中合わせの中で生きているものです。戦争に巻き込まれたくなければ、まず目前に迫るであろう憲法改正について、今からでもしっかり向き合うことでしょう。そのためには、日ごろ戦争と向き合っている立場にいる人の存在を頭ごなしに否定排除しようとするのではなく、その人が語る実情というものにも耳を傾けてみることに寛容になることも必要です。
そのくらいの危機感を持って世の中を見据えることは、何ら仏道に反することではないはずです。
いつもいつも、戦争のことを考えろというのではありません。ただし、戦争のことを想定して向き合っている立場の人を責めたり、偏見を持って存在否定しないことにも、少し立ち止まってもらいたい。
視点を変えれば、そういう立場の人がいることで、日常的に私たちは戦争のことを考えずに済んでいるわけですから。

憲法改正の国会発議への流れは恐らく止められないとしても、最後の砦である国民投票は、まだまだわかりません。
改憲のための国民投票に「×」の投票行動をきっちり示す人が一人でも多くなればいいのですから。
国民世論の数字に諦めるか、最後まで何かを訴え続けるか。まさに、実生活と信仰のあり方が問われるところといえるのではないでしょうか。

押し付け憲法であれ、世界に唯一、不戦を誓う崇高な精神性の憲法を、間違いなく今は、保持しているわけですから。

200犀角独歩:2005/11/12(土) 13:14:00

匿名さんに一つお尋ねしますが、現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。

仏教集団は宗教法人として正教から分離されていますから、個人レベルに属することになります。しかし、この国民レベルの総体が、不戦・非暴力から考えるのか・参戦暴力から考えるのかという時点で前者を採っているわけでしょう。しかし、これが国家・戦争を考えていないことになるのでしょうか。単に戦争反対と言っているわけではないでしょう。

> 戦争のことを想定して向き合っている立場の人を責めたり、偏見を持って存在否定しない

こんなことを否定している議論の流れは少なくとも、ここにはありません。

戦争に否定的な意見を述べたものに対する侮蔑への抵抗があるのみです。

> 最後まで何かを訴え続けるか。まさに、実生活と信仰のあり方が問われるところといえるのではないでしょうか。…押し付け憲法であれ、世界に唯一、不戦を誓う崇高な精神性の憲法を、間違いなく今は、保持しているわけですから

この意見にはまったく同感です。

しかし、あなたの話で明確ではないのは、では、あなたが言う信仰とは何かということが少しも語られていない点でしょう。この点が明確にせず、語れば単なる評論に過ぎないのではないでしょうか。

201犀角独歩:2005/11/12(土) 13:14:56

【200の訂正】

誤)正教から分離
正)政教から分離

202匿名:2005/11/12(土) 19:21:26
>現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。

ちょっと意味がとれません。
「戦争、軍隊のことを考えていないから、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動しているのだろうと」と、私が捉えているということでしょうか。


>仏教集団は宗教法人として政教から分離されていますから、個人レベルに属することになります。
しかし、この国民レベルの総体が、不戦・非暴力から考えるのか・参戦暴力から考えるのかという時点で前者を採っているわけでしょう。

これも意味がよくとれませんが。


>戦争に否定的な意見を述べたものに対する侮蔑への抵抗があるのみです。

「侮蔑」というのは、どの記述を指しているのかわかりませんが、戦争について、否定か肯定かという二択の質問はおかしいと思います。
賛成か反対の二択でしょう。

人間は誰しも、戦争を引き起こしてしまう本能を持っているものだ、といえば、それは戦争を否定はしてない、やはり肯定しているということになるでしょう。しかし、それが事実ではありませんか。歴史がそれを証明しています。
だけど、戦争には反対する。反対なので、回避するためのことを考える。それが結論です。

では、なぜ人間は戦争を起こしてしまうのか。どうすれば、戦争を回避できるのか。
仏教ではそれをどう説明しているのでしょう。

軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。
軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。
今まさに起きているフランスの暴動がいい例です。こういう暴動が戦争の引き金にもなりかねません。
なぜあのような暴動が起きているのか。人間が戦争を起こしてしまう原因は、このような暴動の原因を知れば、よく見えてくるはずです。
平安末期の軍事クーデーターにしてもそうです。その原因は現代で起きる戦争の原因と大きくは変わらないものであると、私は思っています。


>あなたが言う信仰とは何かということが少しも語られていない点でしょう。

信仰とは何か、それは私に定義できるものではありません。
ただ、少なくとも私が思うには、信仰とは個々の内面の問題でありますから、人それぞれの人生の中で、それぞれの信仰のあり方があるものだと思います。
たとえばボランティア活動も、信仰のひとつの実践のあり方でしょう。教義について研鑚するのもそうでしょう。しかし、それもこれも、まずは自分の置かれている社会状況が平穏であればこそ、心置きなく勤しむことができることです。
徴兵となれば、僧侶といえでも、兵役は免れない。そんな時代が、つい60年前まであったわけですから。ですから不戦のために、憲法について考え論じることも、これもまたひとつの信仰のあり方であると、私は思っています。
憲法は間違いなく、国家の進むべき方向性と、国民生活の姿を左右するものだからです。

203匿名:2005/11/12(土) 19:24:21
>202
否定か肯定かという二択の質問はおかしいと思います。

質問ではありませんでした。

「否定か肯定かという二択はおかしいと思います。」
に訂正いたします。

204犀角独歩:2005/11/12(土) 20:06:33

202さん

>「戦争、軍隊のことを考えていないから、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動しているのだろうと」と、私が捉えているということでしょうか。

そうですか、という質問です。
これは、この投稿の文末とも関連します。

>>仏教集団は宗教法人として政教から分離されていますから、個人レベルに属することになります。
しかし、この国民レベルの総体が、不戦・非暴力から考えるのか・参戦暴力から考えるのかという時点で前者を採っているわけでしょう。

> これも意味がよくとれませんが。

軍隊運営は国家に属することであるが、政教分離の原則から宗教法人は民間にかかることである。これが一つ。この宗教法人、殊に仏教界は参戦・暴力を肯定したところではなく、不戦・非暴力から方法を考える。これが一つです。

>「侮蔑」というのは、どの記述を指しているのかわかりません

通りすがり、通りすがり2という二重ハンドル者のわたしに向けた言動をさしています。

> 戦争について、否定か肯定かという二択の質問はおかしいと思います。
賛成か反対の二択でしょう。

戦争について否定・肯定の二択は少しもおかしいと思いません。
不戦とは否定であるからです。

むしろ、、賛成か反対の二択であるというあなたの説明で、何のために否定・肯定を斥けるのか、その点で意味を成しているようには取れません。

> 人間は誰しも、戦争を引き起こしてしまう本能を持っているものだ、といえば、それは戦争を否定はしてない、やはり肯定しているということになる

本能で持っているから否定していないことにならないなどという理屈は成り立たないでしょう。
このような言い方が成り立つのであれば、人は本能的には殺人衝動を持っているから殺人を肯定しているということになります。しかし、実際は理性によって衝動を抑えることが、つまり殺人を「否定」するという択一をしているのではないですか。これは殺人に賛成する・反対するという議論ではなく、明らかに否定です。

> 戦争には反対する。反対なので、回避するためのことを考える。それが結論です。

このような結論は、別段、成り立ちます。
しかし、これは否定・肯定ではなく、賛成・反対二択によったわけではなく、そのどちらからでも導き出させる結論です。これを賛成・反対でしか導き出さないという理屈は成り立ちません。

205犀角独歩:2005/11/12(土) 20:07:01

―204からつづく―


> では、なぜ人間は戦争を起こしてしまうのか。どうすれば、戦争を回避できるのか。仏教ではそれをどう説明しているのでしょう。

殺生ということでしょう。そのために不殺生に立つことを教えたのが仏教でしょう。

しかしながら、あなたはなぜ、このような質問を投げかけるのでしょうか。
あなたは仏教徒ですか。それとも、単なる改憲、自衛軍の必要性を訴えるためにここに投稿しているのですか。

もし仏教徒であれば、この質問はむしろ自分自身に向けられるものではないでしょうか。

あなたにとって戦争は賛成か・反対しかないということですが、仏教徒にとって、戦争を含む殺戮はシャキャムニの教えである不殺生に違反することです。ですから、ここから考え出します。つまりは暴力の否定、戦争の否定です。

> 軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。

誰がそんなことを言ったのですか。

> 軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。

繰り返しましょう。誰がいったい、そんなことを言ったのですか。

> 人間が戦争を起こしてしまう原因は、このような暴動の原因を知れば、よく見えてくるはずです。
> 平安末期の軍事クーデーターにしてもそうです。その原因は現代で起きる戦争の原因と大きくは変わらないものであると、私は思っています。

では、それをここに説明してください。

> 信仰とは何か、それは私に定義できるものではありません。

なぜでしょうか。もし、あなたに信仰があれば、自分の信仰を定義できるのは自分以外、誰のいるのでしょうか。そのあなたの信仰を問うているのです。

> ですから不戦のために、憲法について考え論じることも、これもまたひとつの信仰のあり方であると、私は思っています。
> 憲法は間違いなく、国家の進むべき方向性と、国民生活の姿を左右するものだからです。

わたしも同意見ですが、どなたか、ここでこのような考えに異論を述べた人がいるのでしょうか。また、日本仏教界でこれに異見を唱える人がいるのでしょうか。冒頭にあなたが「意味がとれない」といったことに関連しますが、あなたは、わたしを含む仏教徒が「軍隊があるから戦争がおきる」「軍隊がなければ戦争が起こらない」と短絡していると決め付け、あたかも、憲法のことをなんらかんがえていないと即断することによって論を運んでいます。故にわたしの記していることの意味がとれないのでしょう。

ここは仏教の掲示板ですから、その仏教が、この世の中において、どのような役割を果たせるか。また、仏教を信仰する人が実践として何ができるのかを必死で考えようとしています。完全な答えが定まっているわけではありません。方向性も落着していないでしょう。しかし、仏教が2500年間、果たして来た「不殺生」という役割を放棄しない、そのことだけは定まっています。そこから、同考え、実践するのか、その現在進行形の議論です。

206匿名:2005/11/13(日) 02:07:30

>軍隊運営は国家に属することであるが、政教分離の原則から宗教法人は民間にかかることである。これが一つ。

「政教分離の原則から」と書かれていますが、これは何か「政教分離」について認識違いされているように思いますね。
国家に対する仏教の限界と書いたことは、政教分離の原則から書き示したことではありませんが。まあ、いいですけど。

>本能で持っているから否定していないことにならないなどという理屈は成り立たないでしょう。

本能で持っていることを、否定しないということです。私は否定しません。
しかし、あなたが、自己否定するというのはおかしいでしょう。

>167
>命を賭けて、自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。

と明言しているのですから。
それでも、本能で持っているということから完全否定するというのであれば、話は平行線です。やめましょう。
なぜ人間は戦争を起こしてしまうのかという問いかけも、私にとっては、納得する答えにはなっていませんし。

207犀角独歩:2005/11/13(日) 10:16:35

206さん

あなたは自分に都合の悪いところを巧みにかわしますが、わたしは以上のような点を阿棚に問うている。それに答えず、言葉尻をとらえて云々するというやり方が、あなたの言うことの説得性を欠いています。答えて前に進めるのが筋でしょう。

(1)個人を責めることでしか不戦・非暴力を訴えられないとしたら、それが仏教の限界
(2)全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか
(3)あなたが言う信仰とは何か
(4)「軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。」というあなたの書き込みに対して、「誰がそんなことを言ったのですか」
(5)「軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。」というあなたの問に対して、「誰がそんなことを言ったのですか」

質問に答えず、単に自分の意見だけを押しつけるのであれば、掲示板などに来ず、自分の掲示板ででもやってください。ほかにもありますが、以上5つの質問にあなたは応えていません。お答えください。

> 国家に対する仏教の限界と書いたことは、政教分離の原則から書き示したことではありませんが。まあ、いいですけど。

では、何から記したのでしょうか。

> 本能で持っていることを、否定しないということです。私は否定しません。
> しかし、あなたが、自己否定するというのはおかしいでしょう。

これはまったく論をすり替えて、批判する為に論をすり替えています。
人間が本来、原初的にもっている生物的な衝動は、それを理性によって社会は成り立っているわけです。ですから、その抑制を以て否定と論じたわけです。元あるものをないと否定したわけではありません。

また、これは、あなたが、戦争には賛成か・反対しかない。否定肯定の一択はないと言ったことに対して、不戦、非暴力を仏教者が選択するのは、そのような原初的な殺人衝動・暴力衝動を否定するという抑制に基づいているとのわたしの説明です。
ですから、仮にあなたが、この私の説明に反論するのであれば、上記の如く、論をすり替えるのではなく、仏教徒が殺人暴力衝動を抑制否定することを、‘反対する’ことで論を構えるのが筋でしょう。このような論のすり替えによる回避は誉められた態度とは言えません。

208犀角独歩:2005/11/13(日) 10:16:57

―207からつづく―

>> 命を賭けて、自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。
>と明言しているのですから。

これまた、論理のすり替えでしょう。上記とも関連しますが、もしわたしが仏教・法華経の精神に依らなければ元来、以上のような暴力的方法論も辞さない覚悟はある。しかし、それを抑制(否定)しているのは仏教だと脈絡です。それにも拘わらず、このような切り文して脈絡を変えて、記された意味と違えて使用するのは、あなたの誤読、もしくは苦しい言い逃れのための方法であり、誠実な態度とは言えません。

> それでも、本能で持っているということから完全否定するというのであれば、話は平行線です。やめましょう。

おことわりしておきますが、わたしが、あなたに議論を仕掛けたわけではありません。
あなたが「匿名」ということで、わたしに話しかけたのです。話しかけられた以上、わたしはその議論に徹底して応じますが、しかし、好んでやっているわけではありません。以上のようなすり替え、質問に応えず、わたしの記したことを曲解することで難癖を付け続けられるのは、不快なことで、やめるというのであれば、それはご自由です。

> なぜ人間は戦争を起こしてしまうのかという問いかけも、私にとっては、納得する答えにはなっていませんし。

これまた、あなたはすり替えています。
これはあなたが問われたことでしょう。すなわち、202に

> 人間が戦争を起こしてしまう原因は、このような暴動の原因を知れば、よく見えてくるはずです。
> 平安末期の軍事クーデーターにしてもそうです。その原因は現代で起きる戦争の原因と大きくは変わらないものであると、私は思っています。

と「私(匿名)は思っています」と記したことでしょう。それを恰もこちらが言ったことで、それを答えていないようにすり替えるのは、おかしな話です。
上記5問に加えませんでしたが、わたしは、この点についても、205に「それをここに説明してください」と問うています。しかし、あなたは、答えていない。答えないどころか、自分の発言、その自分の発言に向けられた質問を恰も、わたしにしたもののようにすり替え、答になっていないというとは呆れ果てた態度と言うほかありません。

さらに再々、問いますが、あなたはどのような宗教心情に基づいて、ここに記しているのでしょうか。あなたが記してきたようなことは、あなたが193に「私の信条を書いたわけではありません。世の中の流れと所感を書いたまで」というとおり、記された内容は世間一般で言われるところと大同小異で、今さら、得々と語られることではなく、誰しもこの程度のことはわかったうえで議論に臨んでいるでしょう。しかしながら、あなたが「所感」という部分において、その所感を述べる前提になるあなたの立場は何かという問にはあなたは答えていない。また、人の記すことを上記のように敢えてねじ曲げて反論するなど、実に不誠実な態度であるとわたしは抗議しなければなりません。

あなたが首尾一貫して記したことは、為にする問であり、その目的は議論にはなく、わたしに難癖を付けることにあったのでしょう。やめるというのであれば、このような悪意の応答はこちらのほうこそ、時間の無駄です。以上の点は、あなたが答えられなかったということにほかなりません。以上をもって、終わりといたします。

209犀角独歩:2005/11/13(日) 10:17:50

【207の訂正】

誤)阿棚に問うている
正)あなたに問うている

210犀角独歩:2005/11/13(日) 10:25:19

藤川さん、ちょっと、質問させてください。

今後、万が一、憲法が改正となり、自衛軍へと転換される。これは実質的な軍備増強を意味することになると思うのですが、初期の段階で、これに掛かる軍備費用というのはどれぐらいの規模となると予想されますか。また、それを補う財源はやはり、国民増税のほか考えられないと思いますが、これはいったい、どれほどの規模となると予想されますか。

211匿名:2005/11/13(日) 10:46:35
>207〜>208

私は、このスレッドの

「今、世界で起こっている、憂慮すべき事態で、マスコミによっては、詳しく報道されていない事柄がたくさんあります。仏法者として、世界を揺るがすような憂慮すべき事態に対して、目を開いておく必要があると思います。あまり報道されていない事柄で、知っておくべきであると思われる事柄をご存知の方、書き込んでください。 」

という趣旨にそって、投稿させて頂いているまでです。
その投稿内容に対するご意見はご批判は、いくらでも書き連ねてもらっても構いませんが、そのひとつひとつにご返信を返すことは、時間的にできません。
質問があるというなら、端的に、ひとつずつにしてください。
それと私の読解力が足りないのかもしれませんが、意味不明な文章には、答えられません。

まず、何についてお答えすればいいのでしょう。

212犀角独歩:2005/11/13(日) 11:12:35

> 211

質問が云々以前に、あなたの曲解についての弁明はないわけですか。
また、意味不明な文章とは、何を指すのでしょうか。

213犀角独歩:2005/11/13(日) 11:22:29

なお、当スレの冒頭の管理人さんが記される趣旨は、日本における改憲論であるとか、自衛隊肯定論の類を指すのではなく、世界の報道に載り切らないテロアタック、自然災害、また、イラクにおける劣化ウラン弾被害等々、世界で起きていて、日本では情報の届きづらい事柄をアップして欲しいという趣旨を指すのでしょう。

214匿名:2005/11/13(日) 12:25:18
>212

>匿名さんに一つお尋ねしますが、現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。

ここからして、何をお尋ねになっているのか、私には読解できないのです。

>213

このスレッドに、憲法改正及び自衛隊が合憲か違憲かについて、最初に問題を投げかけられたのは犀角独歩さんでありまして、その流れから私なりの見解を投稿させていただいいる経緯であります。
広く開かれた掲示板ですから、意図せぬ意見も出るでしょう。
しかしこれ以上、そういう内容に触れて書かれるのは、望ましくないというのであれば、私はこれで留めます。ただしその場合は、ご質問にはお答えできかねますので、ご了承ください。

215管理者:2005/11/13(日) 13:05:03

このスレッドの趣旨についてですが、趣旨説明における『世界』という言葉は、『日本』に相対する形での『世界』の意味で使っています。

ただ、自衛隊に関わる問題は、自衛隊イラク派遣が現在も続いています。ですから、自衛隊の動向については、国内問題ではありますが、世界的な広がりを持つ内容であり、当スレッドに馴染む課題であると思います。

又、憲法改正論議は、その中心課題が自衛隊、自衛軍の是非なのですから、今後の世界の平和に大きく影響する可能性を孕んだ課題です。当然、当スレッドで議論されるべき課題であると管理者は考えています。

216犀角独歩:2005/11/13(日) 13:05:28

> 214

また、言葉をはぐらかすわけですか。
あなたは、自分の誤読から生じた無礼に関しては、何ら恥じることも詫びることもないわけですか。また、

>> 匿名さんに一つお尋ねしますが、現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。
> ここからして、何をお尋ねになっているのか、私には読解できないのです。

というのは、あなたの、

> 国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を真に訴えたいと思うならば、時に、戦争についてしっかり向き合い、考えなければならないものです。それを避けて、ただ「戦争反対」だけ唱えても、回避することはできません。まさに否応なしに、憲法改正という現実の問題が、確実に突きつけられることは、避けられないのですから。

という言葉を受けたものです。
全仏教界は、国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を訴えているわけですから、それに対して、あなたは批判するのかと問うているわけです。

さらに、あなたは

> 目を背けている間に、いつしか戦争に駆り出される世の中になってしまいます。そのときになって頭にきたからと、自戒を捨てて為政者の一人や二人に危害を加えたところで、世の中の動きは止められません。それこそ後の政(まつり)というものです

と、仮にわたしの言葉を曲解して、的外れの批判を加えています。
この点は既に記したとおり、実に無礼な牽強付会による的外れな批判です。
故に弁明謝罪があってしかるべきと言っているのです。

>>「今、世界で起こっている、憂慮すべき事態で、マスコミによっては、詳しく報道されていない事柄がたくさんあります。仏法者として、世界を揺るがすような憂慮すべき事態に対して、目を開いておく必要があると思います。あまり報道されていない事柄で、知っておくべきであると思われる事柄をご存知の方、書き込んでください。 」
> という趣旨にそって、投稿

していると言いますが、以上の文章のどこが、「詳しく報道されていない事柄」「世界を揺るがすような憂慮すべき事態」「あまり報道されていない事柄」に当たるというのですか。単なるわたしの発言を故意に枉げた見当はずれの批判に過ぎないではないですか。

また、わたしは別段、あなたに質問をしているというより、理として通らざる事、また、曲解してわたしが言っていないことをさもわたしが言ったかのように言われない批判を加えていることに抗議をしているに過ぎません。これは質問と言うより弁明を求めているのです。つまりは、

>
> ご質問にはお答えできかねます

と、とらえる以外なく、誤読、もしくは故意の牽強付会からの言われない批判に対し、何ら詫びることも恥じることもなく言うのであれば、もはや、議論など成り立ちようもありません。何ら期待するところもありません。

217犀角独歩:2005/11/13(日) 13:11:48

> 215

了解しました。

227管理者:2005/11/14(月) 06:16:32

218レス〜226レスを、新たに立てた「戦争を考える」スレッドに移転しました。よろしくお願いいたします。

228犀角独歩:2005/11/14(月) 09:05:16

匿名さん、人の抗議を無視して平然としているのが、あなたのやり方ですか。

また、都合の悪いことは無視して、自分の言いたいことだけを書き連ねるというのは実に卑怯なやり方であると批判しておきます。

229犀角独歩:2005/12/01(木) 22:44:33

ただいま、沙門行明師からメールを頂戴しました。

*** 転載はじめ ***

今パキスタンの地震被害現場にいます。冬がやってきて被災者はテント生活、または
テントもない生活をしています。今年の冬をどう過ごせるのかが、一番の問題で、後
にインフラ整備になるでしょう。
今後も支援していきます。

*** 転載おわり ***

日本を出発されるとき、「インドから入ろうと思うけれど、袈裟を着けていくのは、それなりの覚悟がいります」と仰っていたのを思い出します。
無事、到着されていたのだと、ほっとしました。


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