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世界の情報ボックス
202
:
匿名
:2005/11/12(土) 19:21:26
>現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。
ちょっと意味がとれません。
「戦争、軍隊のことを考えていないから、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動しているのだろうと」と、私が捉えているということでしょうか。
>仏教集団は宗教法人として政教から分離されていますから、個人レベルに属することになります。
しかし、この国民レベルの総体が、不戦・非暴力から考えるのか・参戦暴力から考えるのかという時点で前者を採っているわけでしょう。
これも意味がよくとれませんが。
>戦争に否定的な意見を述べたものに対する侮蔑への抵抗があるのみです。
「侮蔑」というのは、どの記述を指しているのかわかりませんが、戦争について、否定か肯定かという二択の質問はおかしいと思います。
賛成か反対の二択でしょう。
人間は誰しも、戦争を引き起こしてしまう本能を持っているものだ、といえば、それは戦争を否定はしてない、やはり肯定しているということになるでしょう。しかし、それが事実ではありませんか。歴史がそれを証明しています。
だけど、戦争には反対する。反対なので、回避するためのことを考える。それが結論です。
では、なぜ人間は戦争を起こしてしまうのか。どうすれば、戦争を回避できるのか。
仏教ではそれをどう説明しているのでしょう。
軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。
軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。
今まさに起きているフランスの暴動がいい例です。こういう暴動が戦争の引き金にもなりかねません。
なぜあのような暴動が起きているのか。人間が戦争を起こしてしまう原因は、このような暴動の原因を知れば、よく見えてくるはずです。
平安末期の軍事クーデーターにしてもそうです。その原因は現代で起きる戦争の原因と大きくは変わらないものであると、私は思っています。
>あなたが言う信仰とは何かということが少しも語られていない点でしょう。
信仰とは何か、それは私に定義できるものではありません。
ただ、少なくとも私が思うには、信仰とは個々の内面の問題でありますから、人それぞれの人生の中で、それぞれの信仰のあり方があるものだと思います。
たとえばボランティア活動も、信仰のひとつの実践のあり方でしょう。教義について研鑚するのもそうでしょう。しかし、それもこれも、まずは自分の置かれている社会状況が平穏であればこそ、心置きなく勤しむことができることです。
徴兵となれば、僧侶といえでも、兵役は免れない。そんな時代が、つい60年前まであったわけですから。ですから不戦のために、憲法について考え論じることも、これもまたひとつの信仰のあり方であると、私は思っています。
憲法は間違いなく、国家の進むべき方向性と、国民生活の姿を左右するものだからです。
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