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世界の情報ボックス
162
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 08:43:42
―161からつづく―
こんなことは他の国家経営にも言えるわけです。日本は莫大な借金を背負っている。‘株式会社’日本は大赤字だという。ならば、公務員の徹底したリストラをし、給与を引き下げ、無駄を徹底して廃して、殊に国会議員は黒塗りの大型車なんかに乗らず、電車か自転車にでも乗って、車の乗りたければ、軽にでも乗ればいいわけです。ところが、実際に大赤字を出している連中は、血税を湯水のように使って贅沢三昧をし、不足すれば、増税をして国民を苦しめるばかりで、自分たちの贅沢を止めないわけです。それを是認する連中はその腐敗した贅沢な餌に群がるゴキブリ、ハエだよろしく、その仕組みを守ろうとしている、いつか自分も、いつも自分はというご都合があるから、嘘っぱちの大儀をかざし、国民を騙し蔑むわけです。
以上のような状況下で言われる専守防衛、憲法改正論は説得性を持たないということです。
わたしは日蓮という人は、こんな仕組みを心底憤慨していた人であったと思います。その発露が『立正安国論』でしょう。しかし、以上のような利権構造に入らない一介の僧侶である日蓮が、では、何ができたのか。結局のところ、上一人の正直、善政を訴え、下万民の安寧を訴えた。そこで、日蓮は武器を取ったわけでも何でもなく、立正安国論の頃は、八十万億那由陀の菩薩の同意で法華精神を述べ、いざ身命に及べば、不軽菩薩絶命の精神に立ち、ついには地涌上行の自覚で「正直」を訴えた。孤高の流人生活、身延の隠遁生活に遭って、しかし、その境地を文字漫荼羅に昇華していったのは、その生涯の決算であったのかも知れません。
では、われわれがいま、法華を持ち、日蓮を仰ぐ。何ができるのか。以上のような構造腐敗の前で、専守防衛を言うのであれば、敢えて、非暴力、不戦、不殺生を言おうじゃないかということです。殴るならば殴れ、殺すならば殺せ、しかし、我々は絶対に服従しない、いつか到達する、いや到達しなければならない理想郷には暴力も、戦争もない、殺し合いもない、その理想を体し、訴えようと言うのは、わたしは全仏教界で心ある人々が言う、不殺生、非暴力、不戦だと言うことだと思います。
単に戦争反対を言っているわけではない。
ここに「当為即妙不改本意」の意義もあります。
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