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197犀角独歩:2005/11/12(土) 12:16:35

196に関連しますが、綱脇龍妙上人の止むに止まれぬ気持ちと実践、戦前の日蓮主義者・妹尾義郎が改心していった様は、帰結されるべき日蓮信徒、不軽精神尊仰の当然の帰結のように思えます。

「日蓮聖人はいはれた。「法華経の修行の肝心は不軽品に候なり」と。不軽菩薩は今の日蓮信者のやうに「法華最第一」と文句のみかつぎ廻ったのでは断じてなかった。「我れ深く汝を敬ふ」と合掌して一切の人々の真の願心を礼拝したのであった。善なる本願心は万人一ツのはずである。身延山に「深敬病院」といふ癩病患者の収容所がある。谷間に建てられた貧弱な病院だが、身延山では、こゝにこそ活きた法華経が見られる。大本山のある堂々たる大伽藍などはモヌケの殻である。院主は綱脇龍妙上人といふ坊さまだが、自分はこの頃縷々綱脇師のことがしのばれて尊敬の念が禁じ得ないのと同時に、過去の思い上がったじぶんのいはゆる日蓮主義的態度が唾棄したくてたまらぬ。もとより宗教の社会運動は天下国家の大経輪をめざしてのそれであるが、しかしながら「深敬」の聖胎から生まれる大社会運動ではなくては、それこそ「いかなる嘉言も善行も皆はうべの飾」だ。「深敬」の精神が徹底するに正比例して、宗派的高揚心などなくなるはずである。」(妹尾義郎の昭和7年(1932)の日記)

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50187266.html

なぜ、このような形で議論が展開せず、改憲、軍備増強をさも当たり前のように仏教の名の下に語られるのでしょうか。理解に苦しみます。


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