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世界の情報ボックス

139犀角独歩:2005/11/03(木) 10:13:12

単己さん

レス、有り難うございます。

> 「相手の兵士を殺害する悪」を行わずにされるがままであることを選択

この形を選んだのは、インド開国の父・マハトマ・ガンジーでしょう。
では、ヒンドゥー教徒・ガンジーが何故、非暴力の選択をしたのか、その影には日本山妙法寺・藤井日達師の影響があったわけですね。言うまでもなく、日達師は日蓮僧です。

インドの仏教滅亡を意味するヴィクラマシラー寺破壊と殺戮はまた、仏教側の無抵抗にあったとする説もあります。

チベットの中国侵攻にも、そうであったと言います。

仏教に係る知識人でわたしが、ここまで主張するのかと驚かされたのは、東洋大学の西山茂師で、師は「丸腰非武装論」を提唱していました。

> 一発の爆弾で何百人何千人の一般人が殺されている時
> 打ち落とすことをしてはいけないのでしょうか。

まず、わたしが先に申し上げたのは、何ら当然のことのように「撃墜」「爆弾を投下」に何ら罪悪感すら懐かない軍隊麻痺感覚に対して、本人の非仏教的側面を言っているわけです。

わたしの考え、ということに留まらず、仏教的な側面から見れば、如何なる理由であれ、殺人は殺人であるというのが仏教でしょう。殺人をしなければならない、人助けのために殺人をしなければならない、そのような形で人助けをしなければならないという点を考えていくわけでしょう。
人を助けた殺人だから殺人ではなく英雄だとは考えないのが、仏教でしょう。
人を助けるためであったけれど、それでも自分は殺人を犯した,その罪を考えるのが仏教でしょう。そこで懺悔滅罪という課題が生じてくるのだと思います。

また、逆の例はどうでしょうか。「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツが来日し、被爆者に面談したあと、「自分は軍人として命令に従っただけであるから、いまも何も悔いていないし、自分がやったことを誇りに思っている」と言ったようなことを語りました。わたしは、この大馬鹿野郎の発言を聞いたとき、この戦争、軍隊というものが、ここまで人間を狂わせるのかと計り知れない憤りを感じました。しかし、もし再生(生まれ変わり)があり、「生命が永遠」というのであれば、この人間が命令に従って一瞬にして命を奪った何十万の人々、そして、その後60年後を経て味わった数十万の人々の苦しみを万劫に再生しながら生々世々に塗炭の苦しみを経、無間地獄の業火に骨の髄まで永劫に焼き苦しめる罪を負ったということになるわけで、その意味からすれば、この上もなく哀れと言うことになるのでしょうか。この、わたしの憤慨と悲嘆は左翼文化人の一緒ですか。

不戦、非暴力、非武装というのは、このようなことを阻止するために主張です。また、無駄な殺人の抑止力とならなければ、2500年の英智、「不殺生」を潰えることになります。


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