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207犀角独歩:2005/11/13(日) 10:16:35

206さん

あなたは自分に都合の悪いところを巧みにかわしますが、わたしは以上のような点を阿棚に問うている。それに答えず、言葉尻をとらえて云々するというやり方が、あなたの言うことの説得性を欠いています。答えて前に進めるのが筋でしょう。

(1)個人を責めることでしか不戦・非暴力を訴えられないとしたら、それが仏教の限界
(2)全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか
(3)あなたが言う信仰とは何か
(4)「軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。」というあなたの書き込みに対して、「誰がそんなことを言ったのですか」
(5)「軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。」というあなたの問に対して、「誰がそんなことを言ったのですか」

質問に答えず、単に自分の意見だけを押しつけるのであれば、掲示板などに来ず、自分の掲示板ででもやってください。ほかにもありますが、以上5つの質問にあなたは応えていません。お答えください。

> 国家に対する仏教の限界と書いたことは、政教分離の原則から書き示したことではありませんが。まあ、いいですけど。

では、何から記したのでしょうか。

> 本能で持っていることを、否定しないということです。私は否定しません。
> しかし、あなたが、自己否定するというのはおかしいでしょう。

これはまったく論をすり替えて、批判する為に論をすり替えています。
人間が本来、原初的にもっている生物的な衝動は、それを理性によって社会は成り立っているわけです。ですから、その抑制を以て否定と論じたわけです。元あるものをないと否定したわけではありません。

また、これは、あなたが、戦争には賛成か・反対しかない。否定肯定の一択はないと言ったことに対して、不戦、非暴力を仏教者が選択するのは、そのような原初的な殺人衝動・暴力衝動を否定するという抑制に基づいているとのわたしの説明です。
ですから、仮にあなたが、この私の説明に反論するのであれば、上記の如く、論をすり替えるのではなく、仏教徒が殺人暴力衝動を抑制否定することを、‘反対する’ことで論を構えるのが筋でしょう。このような論のすり替えによる回避は誉められた態度とは言えません。


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