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世界の情報ボックス
1
:
管理者
:2002/04/16(火) 07:34
今、世界で起こっている、憂慮すべき事態で、マスコミによっては、詳しく報道されていない事柄がたくさんあります。仏法者として、世界を揺るがすような憂慮すべき事態に対して、目を開いておく必要があると思います。あまり報道されていない事柄で、知っておくべきであると思われる事柄をご存知の方、書き込んでください。
180
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 01:09:40
【179の訂正】
誤)現荘
正)幻想
また、もう一点、付け加えれば、わたしの論調が強すぎると言うのであれば、わたしを貶す論調は強くないというのでしょうか。
わたしは178さんのご発言は公平さを欠いていると思いますが、如何でしょうか。
181
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 01:38:06
たとえば、現行憲法改正から軍隊保持、しかし、兵士に関しては、まったく議論に登ってこない点がおかしいのです。軍隊は、兵士によって構成されるわけですから、この兵士をどのように供給するかという議論があってはじめて成り立つ話です。
ところが、この肝心の部分は、たとえば178さんのように、希望的な一般市民の発言が先行するばかりで当の改憲論者から具体的な話が出ない。この国民にもっとも関係する兵士調達を話題にしないで、うやむやのうちに軍隊を法制化しようという論の進みに信頼性はないとわたしは言っているのです。
最高権力で軍隊を持った政府は、途端に態度を硬化させることは過去のの歴史が物語っています。あまり希望的な観測で甘い議論で、ここで、徴兵制を必須と考える、換言すれば軍隊保持には国民兵士は当然の前提である点をもっと詰めて考える必要があると訴えることがおかしなことであるという善意解釈は、わたしは危険であるといっているのです。
わたしは藤川さんのように、憲法改正から軍隊保持の前提で、国民教育のためにも徴兵制は韓国のようにあってしかるべきよき教育となるというような考えは、軍隊翼賛論者の本音である正直な意見であると思います。
具体的にお尋ねしますが、憲法改正後の軍隊は、では、どのような人々によって構成されるのですか。その点について論じた案件でもけっこうですからご紹介ください。
182
:
匿名
:2005/11/10(木) 01:49:28
>179
繰り返しになりますが、>178に記述したように、
軍隊=徴兵制が必ずしも短絡的な発想だとは思ってはおりません。将来的に視野に入れておく必要はあると考えるわけですから、当然、「ない」とは言いません。
ただし、「必須要項」と定義できるものではないというこです。
揚げ足をとるわけではありませんが、表記について少々神経質に追求したまでです。
183
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 06:34:41
182 匿名さん
> 軍隊=徴兵制
既に133に記したとおり、わたしは「軍隊=徴兵制」とは言っておりません。
この表現は121に通りすがり2なる人物が、わたしの投稿を枉げて短絡的に記したことでした。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1018910046/133
わたしが必須要項ではないかといったのは、国民一人ひとり、国防が関わってくる問題であるということです。
藤川さんとの議論にもありましたが、アメリカの属国から脱却し、占領から、実質的、真の独立国家になっていくためには自前軍隊を持ちたいという国民感情は、理解できます。しかし、現時点で、アメリカを無視した軍隊を持てば、半世紀前の世界危機の再来として、アメリカは「世界の警察」気取りで日本を危険国家としてマークするでしょうし、隣国との緊張を徒に高め、ひいては攻撃の名目を与える結果にもなりかねない。となれば、日本が作れる軍隊はせいぜい、アメリカの言いなり軍隊以上のものは作れない。そして、作られた軍隊が参戦、交戦をするのであれば、相互殺人に至らざるを得ず、自衛隊時代の人道派遣などといったものとはその性質を異にしていくことになります。
そうなってくるとき、その殺人行為は、単己さんとの議論で述べたとおり、国民一人ひとりが代理して担わせた殺人なのであって、その罪を兵士にのみかぶせることとは言えないではないのかというのが一連の議論の展開でした。
日本が軍隊を持てば、日本海の緊張は殊更に高まることになります。
もしここで軍隊配備に100万兵士(これはあくまで仮定的な数で不快意味はありません)がどうしても必要になった。アメリカからそのように課せられた。しかし、日本は徴兵制を布かず、志願兵だけで1万にも集まっていない、ここでイラクは間のようなアメリカの圧力が掛かったとき、日本政府は‘次の選択’を迫られることになるのではないでしょうか。となれば、単に志願兵を募り続けるだけではすまなくなります。
日本が作る軍隊が防衛のための軍隊であるなどという寝言は信じません。
何故ならば、日本に作られる軍隊は以上記したとおり、アメリカの言いなりになるしかない占領された国の軍隊であるからです。
また、以上のような軍隊と戦争の真の目的は、結局のところ、‘消費’にあるのではないでしょうか。この‘商売’は継続するほど、利益は永続化します。
わたしは美辞麗句で飾られた虚飾の軍隊・軍人賛美は信じません。
この‘商売’の永続化のためには、徴兵制は視野に入ってくる危険を申し上げているわけです。
なお、わたしは徴兵制を必須要項として‘定義’はしておりません。
184
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 08:29:52
【183の訂正】
誤)ここでイラクは間のようなアメリカの圧力が掛かったとき
正)ここでアメリカの圧力が掛かったとき
185
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 08:32:02
もう一箇所
誤)不快意味
正)深い意味
186
:
匿名
:2005/11/10(木) 10:45:15
>182
そんなに議論を急いで広げる必要はないです。
まずはご説明から、記述の意図するところは理解いたします。
ただ、やはり120の
>これは‘徴兵制’の復活が必須要項になることをわかって、国民は賛成しているのでしょうか。
という一文に「必須要項」という文言が入っている以上、軍隊=徴兵制ととらても、決して不自然なことではないでしょう。
そうは言ってませんというのは、まあ、なんというか、失礼ながら、ある種の詭弁に聞こえますね。
というのも犀角独歩さん自身が、常日頃、教義論争では、非常に語彙の定義に厳格さを追求されていらっしゃるからで、それは恐らく、ご専門的立場から、不適切な記述を見逃すわけにいかないものと拝察いたします。
しかしそのようなことは、他の分野であっても同じなわけです。専門的な立場の人から見れば、やはり不適切な表記を見逃すわけにはいかないものだと思います。
目くじらを立てていつまでも論争するほどのことではありませんが、しかし、こちらの掲示板における犀角独歩さんのご発言は、たとえ教義外のことであっても、注目度は高く、また影響力も大きいわけですから、やはり一投稿者の発言と見過ごすわけにいはいかないものだったかと思います。
自衛隊及び改憲については、後ほど投稿させて頂きます。
187
:
犀角独歩
:2005/11/10(木) 11:33:44
188 匿名さん
わかりました。
この議論を長引かせる気はわたしのほうもありません。
では、「必須要項」という一文は可能性に訂正させていただきます。
188
:
藤川一郎
:2005/11/10(木) 13:37:06
浅井氏曰く魑魅魍魎の独歩さんへ(冗談です・怒らないでね)!
徴兵制(国民皆兵制)の前提と言われる「長州藩の奇兵隊(この時点では募兵です)」は、徴兵せずとも希望者が殺到したそうです。これは身分差別の時代に、身分を越えて上級身分になれるという夢からだそうです。つまり元から「兵隊・軍隊・武士」が特権階級だとう前提があった訳です。
なぜなら、日本には世界的に希な武家政権がありました。ヨーロッパの封建君主の時代ですら騎士が自ら政権を握るなどありませんでした。彼らはあくまで国主、国王を護るための精鋭に過ぎません。しかし、日本には元から「民草を護る者=偉い人」という概念があったのです。
武士の発祥は、農民領主の武装化からなのですが、それが後に北面の武士と呼ばれる公式傭兵部隊に発展しました。保元の乱とは公家通しの争いでそれぞれの傭兵が、闘った(武士が利用された)のですが、平治の乱では逆に武士が争いの主体になり、最終的に頼朝が前の右近衛大将(後に征夷大将軍)として政権を樹立させます。
つまり近代では良くある軍事クーデターの歴史が平安末期よりの伝統なのです。
ですから、日本人の血の中にはシビリアンコントロールなどは無く、戦う戦死=特権階級という意識があったのでは無いでしょうか?
つまり現代でも軍隊が暴走したとすれば、武家封建社会の残像が今でも残っていると考えられないしょうか?
189
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 02:00:48
なんだか、魑魅魍魎の4文字が、定着しそうでいやだなと思う今日この頃です(笑)
188に藤川さんがお書きになった点、なるほど、そうだと思いました。
190
:
藤川一郎
:2005/11/11(金) 15:40:55
前に徴兵制度について、教育面から書いたことがありましたが、韓国出身の女優ユンソナさんの談がありましたので、転載しておきます。
『日本人と韓国人の若者が違うところは、韓国人のほうが早く大人になること。例えば明洞と渋谷、両方にいる20代後半の男女を見た時に、明らかに渋谷の日本人の方がイメージが若く、「まだまだ人生遊んでいたい」という感じでちょっとうわついていると思うんです。これはどっちがいいという話じゃないんですけどね。
その違いは韓国には徴兵制があることも関係しているかもしれません。男性は高校を卒業した後、2年間(大学に進学する人は遅らせることができる)軍隊に入りますが、帰ってくると大人っぽくなってくる人が多い。将来のことを真剣に考える機会になるのか、帰ってきて就職した途端、結婚のことをまじめに考える人も多いんです。
うちの弟も2人とも、軍隊から帰ってきたらすごく変わってました。上の弟は軍隊に行く前はちゃらちゃら遊んでいたので、これはよくないな、と思ってたんですが、帰ってきたら一生懸命勉強して、今は会計士になるための最終段階の試験に挑戦してるところです。下の弟は、やりたいことがわからないといっていた子だったのですが、帰ってきたらすごく強くなっていて「俺はもっといろいろ勉強して考えたい」と、勉強することにやる気が出てました。
それに家をはなれることで、両親に対しても感謝の心が出るみたいですね。でも何となく20代後半の日本人を見ていると、「私はまだ大丈夫」という自分への甘えがあるような気がします。』
191
:
匿名
:2005/11/11(金) 17:42:19
>133
>戦後、60年、日本は奇跡的な不戦を歴史に刻みました。それは軍隊がなかったからでしょう。
について。
確かに憲法9条の「戦争放棄」と「陸海空軍その他の戦力不保持」によって回避されてきたことは事実ですが、96条の改正条項というもう一点重要なストッパーがあった点を忘れてはならないと思います。
現憲法の改正条項では、衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成により改正が発議され、さらに国民投票によって過半数の賛成を得て、はじめて改正することが出来るという、かなり高いハードルだったわけです。
現行憲法が、世界に類例をみないほど容易には改憲できない硬性憲法だったが故に、「奇跡的な不戦を歴史に刻む」ことはなかったということになります。
しかし、改憲派の立場からいえば、60年かかってようやくたどりついた悲願の憲法改正ですから、当然、改正となれば、この96条の改正条項も変えられ、今後は改正ハードルは低くなることは必然です。
次の改憲で、戦争放棄が変えられ、国民皆兵制になることはまず有り得ないとしても、しかしこの先、何度かの改憲を経れば、やがて兵役が国民の義務と課せられることも、あながち短絡な話でもない。やはり視野に入れておく必要はあるかと思います。
改憲阻止の最後の砦は、国民投票なわけですが、残念ながら今の国民世論をみても既に半数以上は改憲に傾いているのが現状。
まあ、戦争のない日常が当たり前になっている日本国民の大半は、憲法にはほとんど関心がないですから、その関心のなさが、改憲派の権力者には大変好都合だったということでしょう。今、改憲に危機感を持ったところで、もう時既に遅しという感もあります。
私、個人的には、藤川一郎さんが記述されているように、徴兵制も確かに必要かもしれないと、ふと思ったりもします。
まさに昨今の韓流ブームの底流にはそうした深層心理も働いているでしょう。お隣のお国の男性のほうが、顔付もキリリと引締り、身のこなしから言葉づかいまで、実に逞しく凛々しく見えますからね。ユンソナさんが感じられている通りだと思います。
ただし、日本の憲法では男女平等が明記されていますから、もし徴兵制となれば、女性の兵役も免れないことになるかもしれません。
ところで、藤川一郎さんが>188で書かれている平安末期の軍事クーデターですが、その総仕上げこそ、承久の乱ですが、このとき鎌倉御家人衆の士気を高め奮闘させたのは、頼朝の妻・北条政子です。「尼将軍」の異名をもつ彼女の言葉に、御家人衆は皆涙を流して京へ向かったといいます。
案外、日本の将来の姿がここにあったりするものかもしれません。先の総選挙の刺客騒動など、その前兆ととれなくもないですから。
藤川一郎さんの>188のご意見も併せて
>181
>軍隊は、兵士によって構成されるわけですから、この兵士をどのように供給するかという議論があってはじめて成り立つ話です。
については、自衛軍の立場が憲法上明記されるわけですから、志願する人は予想外に出てくるものかもしれませんし、さらに自ら志願していく女性スペシャリストも、今以上に出てくるでしょうから、そのような懸念は当らないのではないでしょうか。
通りすがり2さんが書かれていたましたが、徴兵制になって一番困惑するのは、恐らく教える側の自衛隊(軍)なのでしょう。中には暴走する兵士も出てくるかもしれませんし。
そう、むしろ恐ろしいのは、日本人の潜在的な戦意の目覚めと、その暴走でしょう。当の日本人は、その自覚がないだけに尚更恐ろしいわけで、寝た子を覚ます改憲にならないことを祈りたいものです。
192
:
01
:2005/11/11(金) 20:11:51
>191
おれはこういう、何食わぬ顔で、したり顔で、日常茶飯事を語るように、人の生き死に語る奴は虫唾が走るね。
徴兵制もよしならば、自分が戦争に行く決意があるわけ?
戦争に行って、目の前に敵がいたら躊躇無く射ち殺すわけ?
で、ここって、仏教の掲示板だよね。それで少しも自分の信仰と矛盾しないのか、あんたは??
193
:
匿名
:2005/11/11(金) 21:41:43
>192
私の信条を書いたわけではありません。世の中の流れと所感を書いたまでです。
反感を承知で書きますが、個人を責めることでしか不戦・非暴力を訴えられないとしたら、それが仏教の限界ということになってしまうでしょう。
194
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 23:06:18
> 個人を責めることでしか不戦・非暴力を訴えられないとしたら、それが仏教の限界
これは違いますでしょう。01さんの限界が直ちに仏教の限界とはなりません。
ただ、このように記しても、191に記すところに異論があるということではありません。
むしろ、よく整理された内容ではあると思います。
195
:
ラキ
:2005/11/12(土) 03:02:15
日米安保でアメリカ軍が駐留しているので、自衛隊(軍)は必要ないと思います。
海上警備は海上保安庁に装備増強で済むわけですし、陸自も災害救助隊にして、非武装の災害救援活動を専門にする部隊にすれば済むと思います。
空の安全は、用心棒代を払ってる米軍に任せても構わないのではないでしょうか?
自衛軍になるなら、国連所属以外は、歴史を繰り返す過ちを犯す危惧があるからです。
信仰者が戦争に参加するかもしれない自衛隊に居る事自体、変と感じております。
アメリカが日本から撤退すれば、自衛軍は必要だと思います。
それでも、国連所属は絶対条件ですが。
196
:
犀角独歩
:2005/11/12(土) 03:25:09
なんだか、徴兵制がよい、自衛軍へ改憲というような話になっていますが、ここは仏教の掲示板なのであって、仏教徒が戦争を肯定するようになれば、もはや、おしまいです。
わたしは仏教徒というのであれば、戦争反対、非暴力、不殺生を貫きたいと考えます。
一般世論がどうだ、多数決でどうだという話ではありません。最後の独りになってもそうしなければならないという話です。
なお、やや誤解があるといけませんので、補完しますが、わたしは今回の改憲で徴兵制の危機があるなどとは一言も記していません。政府のやり方は、ローボール・テクニックといわれる多段階説得法で、少しずつ、なし崩しに複数の約束を取りながら、目的を達成するような心理操作が見え隠れする点を言っているわけです。気が付いたときには、参戦なんて言う愚かな過去を繰り返さないように、国民の賢明な判断をということです。
なお、徴兵制の精神面に与える(大人にするとかしないとか)効果は、あくまで副次的な話であって、戦争肯定論に悪用される可能性があるので、わたしは敢えて賛同しません。
超高齢化社会に突入した日本において、若者の教育においては、たとえば、学生のボランティア参加などを具体的に採り入れていく等、やるべき仮題はいくらでもあります。
西欧社会が、福祉をキリスト教の博愛精神から構築したのであれば、殊、仏教を語る場であれば、慈悲の精神から、そのような構築の可能性を考えるようにありたいと思います。
軍備肯定に論が落ちるとすれば、法滅の惨状はほかにないでしょう。
197
:
犀角独歩
:2005/11/12(土) 12:16:35
196に関連しますが、綱脇龍妙上人の止むに止まれぬ気持ちと実践、戦前の日蓮主義者・妹尾義郎が改心していった様は、帰結されるべき日蓮信徒、不軽精神尊仰の当然の帰結のように思えます。
「日蓮聖人はいはれた。「法華経の修行の肝心は不軽品に候なり」と。不軽菩薩は今の日蓮信者のやうに「法華最第一」と文句のみかつぎ廻ったのでは断じてなかった。「我れ深く汝を敬ふ」と合掌して一切の人々の真の願心を礼拝したのであった。善なる本願心は万人一ツのはずである。身延山に「深敬病院」といふ癩病患者の収容所がある。谷間に建てられた貧弱な病院だが、身延山では、こゝにこそ活きた法華経が見られる。大本山のある堂々たる大伽藍などはモヌケの殻である。院主は綱脇龍妙上人といふ坊さまだが、自分はこの頃縷々綱脇師のことがしのばれて尊敬の念が禁じ得ないのと同時に、過去の思い上がったじぶんのいはゆる日蓮主義的態度が唾棄したくてたまらぬ。もとより宗教の社会運動は天下国家の大経輪をめざしてのそれであるが、しかしながら「深敬」の聖胎から生まれる大社会運動ではなくては、それこそ「いかなる嘉言も善行も皆はうべの飾」だ。「深敬」の精神が徹底するに正比例して、宗派的高揚心などなくなるはずである。」(妹尾義郎の昭和7年(1932)の日記)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50187266.html
なぜ、このような形で議論が展開せず、改憲、軍備増強をさも当たり前のように仏教の名の下に語られるのでしょうか。理解に苦しみます。
198
:
匿名
:2005/11/12(土) 12:42:36
>195
>日米安保でアメリカ軍が駐留しているので、自衛隊(軍)は必要ないと思います。
まさにアメリカの軍事政策によって、日本は不戦を貫こうというわけですね。私も半分は賛同いたします。
ただし、基地を提供しているのですから、間接的に軍事に加担していることになるでしょう。
>195
>海上警備は海上保安庁に装備増強で済むわけですし、陸自も災害救助隊にして、非武装の災害救援活動を専門にする部隊にすれば済むと思います。
表向きは、そのような体裁をとったとしても、潜在的な防衛武装を完全に捨て去ることはできないでしょう。
わかりやすい例を言えば、まっすぐな高速道路が、有事に備えていつでも軍用滑走路に転換できるように建築されているといった話は聞いたことないでしょうか。不戦だから、有事を想定する必要はないというわけにはいかないのが、国家政策です。
ですから、災害活動救援部隊に留めたとしても、同じことで、国家機密として、有事に備えていつでも軍隊に成り代われるよう最低限の武装訓練をさせることになるでしょう。となると、国民はその実態を容易に知り得ることはできません。
国防について聞きたくないので、知らないでいられれば、それに越したことはない、となれば、そういう対処も有りかもしれません。
いずれにしても国家に対して、厭世思想を求めることはできません。敢えていえば、出家から始まった仏教が、国家に対して物申すには、どうしても限界があるのも現実かもしれません。
しかしだからといって、不殺生の誓い、非暴力を捨てろというのではありません。
私は別のスレッドでも使った言葉ですが、あるところで「折り合い」をつけることも、一時的措置として必要なことだと思うのです。理想を求めるあまり、その極論を形として押し付けようとすることのほうがかえって危険な場合もあります。
行き過ぎた否定が、かえって辻褄合わせの改憲を急がせた側面もあるからです。
究極の理想を実現するまでには、それこそ段階的措置として一時的に折り合いをつける、それが自衛隊の存在として、私は認めるところです。
199
:
匿名
:2005/11/12(土) 12:43:02
不戦の誓いや非暴力を信条とする精神は、それは大変崇高なことです。
個人がそれを貫くことは、そうした信条を持つことから始まり、理性や自制心によって戒め守ることが求められます。
しかしそれが国家の問題になったとき、そうした個人の信念と戒めを貫くだけでは限界があります。
また与同罪という考え方があるからでしょうか、戦争について考え語ることすら忌み嫌い、さらには戦争と向き合う立場の人への偏見さえ持つ傾向があるように見受けられます。
個人レベルの仏道ということであれば、自分はそういう仕事はいやだ、それで事済むかもしれません。
しかし、国家レベルの問題では、そうはいかないのも現実です。
国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を真に訴えたいと思うならば、時に、戦争についてしっかり向き合い、考えなければならないものです。それを避けて、ただ「戦争反対」だけ唱えても、回避することはできません。まさに否応なしに、憲法改正という現実の問題が、確実に突きつけられることは、避けられないのですから。
目を背けている間に、いつしか戦争に駆り出される世の中になってしまいます。そのときになって頭にきたからと、自戒を捨てて為政者の一人や二人に危害を加えたところで、世の中の動きは止められません。それこそ後の政(まつり)というものです。
世界情勢を見ればわかることですが、人間は、そのくらい戦争と背中合わせの中で生きているものです。戦争に巻き込まれたくなければ、まず目前に迫るであろう憲法改正について、今からでもしっかり向き合うことでしょう。そのためには、日ごろ戦争と向き合っている立場にいる人の存在を頭ごなしに否定排除しようとするのではなく、その人が語る実情というものにも耳を傾けてみることに寛容になることも必要です。
そのくらいの危機感を持って世の中を見据えることは、何ら仏道に反することではないはずです。
いつもいつも、戦争のことを考えろというのではありません。ただし、戦争のことを想定して向き合っている立場の人を責めたり、偏見を持って存在否定しないことにも、少し立ち止まってもらいたい。
視点を変えれば、そういう立場の人がいることで、日常的に私たちは戦争のことを考えずに済んでいるわけですから。
憲法改正の国会発議への流れは恐らく止められないとしても、最後の砦である国民投票は、まだまだわかりません。
改憲のための国民投票に「×」の投票行動をきっちり示す人が一人でも多くなればいいのですから。
国民世論の数字に諦めるか、最後まで何かを訴え続けるか。まさに、実生活と信仰のあり方が問われるところといえるのではないでしょうか。
押し付け憲法であれ、世界に唯一、不戦を誓う崇高な精神性の憲法を、間違いなく今は、保持しているわけですから。
200
:
犀角独歩
:2005/11/12(土) 13:14:00
匿名さんに一つお尋ねしますが、現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。
仏教集団は宗教法人として正教から分離されていますから、個人レベルに属することになります。しかし、この国民レベルの総体が、不戦・非暴力から考えるのか・参戦暴力から考えるのかという時点で前者を採っているわけでしょう。しかし、これが国家・戦争を考えていないことになるのでしょうか。単に戦争反対と言っているわけではないでしょう。
> 戦争のことを想定して向き合っている立場の人を責めたり、偏見を持って存在否定しない
こんなことを否定している議論の流れは少なくとも、ここにはありません。
戦争に否定的な意見を述べたものに対する侮蔑への抵抗があるのみです。
> 最後まで何かを訴え続けるか。まさに、実生活と信仰のあり方が問われるところといえるのではないでしょうか。…押し付け憲法であれ、世界に唯一、不戦を誓う崇高な精神性の憲法を、間違いなく今は、保持しているわけですから
この意見にはまったく同感です。
しかし、あなたの話で明確ではないのは、では、あなたが言う信仰とは何かということが少しも語られていない点でしょう。この点が明確にせず、語れば単なる評論に過ぎないのではないでしょうか。
201
:
犀角独歩
:2005/11/12(土) 13:14:56
【200の訂正】
誤)正教から分離
正)政教から分離
202
:
匿名
:2005/11/12(土) 19:21:26
>現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。
ちょっと意味がとれません。
「戦争、軍隊のことを考えていないから、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動しているのだろうと」と、私が捉えているということでしょうか。
>仏教集団は宗教法人として政教から分離されていますから、個人レベルに属することになります。
しかし、この国民レベルの総体が、不戦・非暴力から考えるのか・参戦暴力から考えるのかという時点で前者を採っているわけでしょう。
これも意味がよくとれませんが。
>戦争に否定的な意見を述べたものに対する侮蔑への抵抗があるのみです。
「侮蔑」というのは、どの記述を指しているのかわかりませんが、戦争について、否定か肯定かという二択の質問はおかしいと思います。
賛成か反対の二択でしょう。
人間は誰しも、戦争を引き起こしてしまう本能を持っているものだ、といえば、それは戦争を否定はしてない、やはり肯定しているということになるでしょう。しかし、それが事実ではありませんか。歴史がそれを証明しています。
だけど、戦争には反対する。反対なので、回避するためのことを考える。それが結論です。
では、なぜ人間は戦争を起こしてしまうのか。どうすれば、戦争を回避できるのか。
仏教ではそれをどう説明しているのでしょう。
軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。
軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。
今まさに起きているフランスの暴動がいい例です。こういう暴動が戦争の引き金にもなりかねません。
なぜあのような暴動が起きているのか。人間が戦争を起こしてしまう原因は、このような暴動の原因を知れば、よく見えてくるはずです。
平安末期の軍事クーデーターにしてもそうです。その原因は現代で起きる戦争の原因と大きくは変わらないものであると、私は思っています。
>あなたが言う信仰とは何かということが少しも語られていない点でしょう。
信仰とは何か、それは私に定義できるものではありません。
ただ、少なくとも私が思うには、信仰とは個々の内面の問題でありますから、人それぞれの人生の中で、それぞれの信仰のあり方があるものだと思います。
たとえばボランティア活動も、信仰のひとつの実践のあり方でしょう。教義について研鑚するのもそうでしょう。しかし、それもこれも、まずは自分の置かれている社会状況が平穏であればこそ、心置きなく勤しむことができることです。
徴兵となれば、僧侶といえでも、兵役は免れない。そんな時代が、つい60年前まであったわけですから。ですから不戦のために、憲法について考え論じることも、これもまたひとつの信仰のあり方であると、私は思っています。
憲法は間違いなく、国家の進むべき方向性と、国民生活の姿を左右するものだからです。
203
:
匿名
:2005/11/12(土) 19:24:21
>202
否定か肯定かという二択の質問はおかしいと思います。
質問ではありませんでした。
「否定か肯定かという二択はおかしいと思います。」
に訂正いたします。
204
:
犀角独歩
:2005/11/12(土) 20:06:33
202さん
>「戦争、軍隊のことを考えていないから、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動しているのだろうと」と、私が捉えているということでしょうか。
そうですか、という質問です。
これは、この投稿の文末とも関連します。
>>仏教集団は宗教法人として政教から分離されていますから、個人レベルに属することになります。
しかし、この国民レベルの総体が、不戦・非暴力から考えるのか・参戦暴力から考えるのかという時点で前者を採っているわけでしょう。
> これも意味がよくとれませんが。
軍隊運営は国家に属することであるが、政教分離の原則から宗教法人は民間にかかることである。これが一つ。この宗教法人、殊に仏教界は参戦・暴力を肯定したところではなく、不戦・非暴力から方法を考える。これが一つです。
>「侮蔑」というのは、どの記述を指しているのかわかりません
通りすがり、通りすがり2という二重ハンドル者のわたしに向けた言動をさしています。
> 戦争について、否定か肯定かという二択の質問はおかしいと思います。
賛成か反対の二択でしょう。
戦争について否定・肯定の二択は少しもおかしいと思いません。
不戦とは否定であるからです。
むしろ、、賛成か反対の二択であるというあなたの説明で、何のために否定・肯定を斥けるのか、その点で意味を成しているようには取れません。
> 人間は誰しも、戦争を引き起こしてしまう本能を持っているものだ、といえば、それは戦争を否定はしてない、やはり肯定しているということになる
本能で持っているから否定していないことにならないなどという理屈は成り立たないでしょう。
このような言い方が成り立つのであれば、人は本能的には殺人衝動を持っているから殺人を肯定しているということになります。しかし、実際は理性によって衝動を抑えることが、つまり殺人を「否定」するという択一をしているのではないですか。これは殺人に賛成する・反対するという議論ではなく、明らかに否定です。
> 戦争には反対する。反対なので、回避するためのことを考える。それが結論です。
このような結論は、別段、成り立ちます。
しかし、これは否定・肯定ではなく、賛成・反対二択によったわけではなく、そのどちらからでも導き出させる結論です。これを賛成・反対でしか導き出さないという理屈は成り立ちません。
205
:
犀角独歩
:2005/11/12(土) 20:07:01
―204からつづく―
> では、なぜ人間は戦争を起こしてしまうのか。どうすれば、戦争を回避できるのか。仏教ではそれをどう説明しているのでしょう。
殺生ということでしょう。そのために不殺生に立つことを教えたのが仏教でしょう。
しかしながら、あなたはなぜ、このような質問を投げかけるのでしょうか。
あなたは仏教徒ですか。それとも、単なる改憲、自衛軍の必要性を訴えるためにここに投稿しているのですか。
もし仏教徒であれば、この質問はむしろ自分自身に向けられるものではないでしょうか。
あなたにとって戦争は賛成か・反対しかないということですが、仏教徒にとって、戦争を含む殺戮はシャキャムニの教えである不殺生に違反することです。ですから、ここから考え出します。つまりは暴力の否定、戦争の否定です。
> 軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。
誰がそんなことを言ったのですか。
> 軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。
繰り返しましょう。誰がいったい、そんなことを言ったのですか。
> 人間が戦争を起こしてしまう原因は、このような暴動の原因を知れば、よく見えてくるはずです。
> 平安末期の軍事クーデーターにしてもそうです。その原因は現代で起きる戦争の原因と大きくは変わらないものであると、私は思っています。
では、それをここに説明してください。
> 信仰とは何か、それは私に定義できるものではありません。
なぜでしょうか。もし、あなたに信仰があれば、自分の信仰を定義できるのは自分以外、誰のいるのでしょうか。そのあなたの信仰を問うているのです。
> ですから不戦のために、憲法について考え論じることも、これもまたひとつの信仰のあり方であると、私は思っています。
> 憲法は間違いなく、国家の進むべき方向性と、国民生活の姿を左右するものだからです。
わたしも同意見ですが、どなたか、ここでこのような考えに異論を述べた人がいるのでしょうか。また、日本仏教界でこれに異見を唱える人がいるのでしょうか。冒頭にあなたが「意味がとれない」といったことに関連しますが、あなたは、わたしを含む仏教徒が「軍隊があるから戦争がおきる」「軍隊がなければ戦争が起こらない」と短絡していると決め付け、あたかも、憲法のことをなんらかんがえていないと即断することによって論を運んでいます。故にわたしの記していることの意味がとれないのでしょう。
ここは仏教の掲示板ですから、その仏教が、この世の中において、どのような役割を果たせるか。また、仏教を信仰する人が実践として何ができるのかを必死で考えようとしています。完全な答えが定まっているわけではありません。方向性も落着していないでしょう。しかし、仏教が2500年間、果たして来た「不殺生」という役割を放棄しない、そのことだけは定まっています。そこから、同考え、実践するのか、その現在進行形の議論です。
206
:
匿名
:2005/11/13(日) 02:07:30
>軍隊運営は国家に属することであるが、政教分離の原則から宗教法人は民間にかかることである。これが一つ。
「政教分離の原則から」と書かれていますが、これは何か「政教分離」について認識違いされているように思いますね。
国家に対する仏教の限界と書いたことは、政教分離の原則から書き示したことではありませんが。まあ、いいですけど。
>本能で持っているから否定していないことにならないなどという理屈は成り立たないでしょう。
本能で持っていることを、否定しないということです。私は否定しません。
しかし、あなたが、自己否定するというのはおかしいでしょう。
>167
>命を賭けて、自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。
と明言しているのですから。
それでも、本能で持っているということから完全否定するというのであれば、話は平行線です。やめましょう。
なぜ人間は戦争を起こしてしまうのかという問いかけも、私にとっては、納得する答えにはなっていませんし。
207
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 10:16:35
206さん
あなたは自分に都合の悪いところを巧みにかわしますが、わたしは以上のような点を阿棚に問うている。それに答えず、言葉尻をとらえて云々するというやり方が、あなたの言うことの説得性を欠いています。答えて前に進めるのが筋でしょう。
(1)個人を責めることでしか不戦・非暴力を訴えられないとしたら、それが仏教の限界
(2)全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか
(3)あなたが言う信仰とは何か
(4)「軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。」というあなたの書き込みに対して、「誰がそんなことを言ったのですか」
(5)「軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。」というあなたの問に対して、「誰がそんなことを言ったのですか」
質問に答えず、単に自分の意見だけを押しつけるのであれば、掲示板などに来ず、自分の掲示板ででもやってください。ほかにもありますが、以上5つの質問にあなたは応えていません。お答えください。
> 国家に対する仏教の限界と書いたことは、政教分離の原則から書き示したことではありませんが。まあ、いいですけど。
では、何から記したのでしょうか。
> 本能で持っていることを、否定しないということです。私は否定しません。
> しかし、あなたが、自己否定するというのはおかしいでしょう。
これはまったく論をすり替えて、批判する為に論をすり替えています。
人間が本来、原初的にもっている生物的な衝動は、それを理性によって社会は成り立っているわけです。ですから、その抑制を以て否定と論じたわけです。元あるものをないと否定したわけではありません。
また、これは、あなたが、戦争には賛成か・反対しかない。否定肯定の一択はないと言ったことに対して、不戦、非暴力を仏教者が選択するのは、そのような原初的な殺人衝動・暴力衝動を否定するという抑制に基づいているとのわたしの説明です。
ですから、仮にあなたが、この私の説明に反論するのであれば、上記の如く、論をすり替えるのではなく、仏教徒が殺人暴力衝動を抑制否定することを、‘反対する’ことで論を構えるのが筋でしょう。このような論のすり替えによる回避は誉められた態度とは言えません。
208
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 10:16:57
―207からつづく―
>> 命を賭けて、自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。
>と明言しているのですから。
これまた、論理のすり替えでしょう。上記とも関連しますが、もしわたしが仏教・法華経の精神に依らなければ元来、以上のような暴力的方法論も辞さない覚悟はある。しかし、それを抑制(否定)しているのは仏教だと脈絡です。それにも拘わらず、このような切り文して脈絡を変えて、記された意味と違えて使用するのは、あなたの誤読、もしくは苦しい言い逃れのための方法であり、誠実な態度とは言えません。
> それでも、本能で持っているということから完全否定するというのであれば、話は平行線です。やめましょう。
おことわりしておきますが、わたしが、あなたに議論を仕掛けたわけではありません。
あなたが「匿名」ということで、わたしに話しかけたのです。話しかけられた以上、わたしはその議論に徹底して応じますが、しかし、好んでやっているわけではありません。以上のようなすり替え、質問に応えず、わたしの記したことを曲解することで難癖を付け続けられるのは、不快なことで、やめるというのであれば、それはご自由です。
> なぜ人間は戦争を起こしてしまうのかという問いかけも、私にとっては、納得する答えにはなっていませんし。
これまた、あなたはすり替えています。
これはあなたが問われたことでしょう。すなわち、202に
> 人間が戦争を起こしてしまう原因は、このような暴動の原因を知れば、よく見えてくるはずです。
> 平安末期の軍事クーデーターにしてもそうです。その原因は現代で起きる戦争の原因と大きくは変わらないものであると、私は思っています。
と「私(匿名)は思っています」と記したことでしょう。それを恰もこちらが言ったことで、それを答えていないようにすり替えるのは、おかしな話です。
上記5問に加えませんでしたが、わたしは、この点についても、205に「それをここに説明してください」と問うています。しかし、あなたは、答えていない。答えないどころか、自分の発言、その自分の発言に向けられた質問を恰も、わたしにしたもののようにすり替え、答になっていないというとは呆れ果てた態度と言うほかありません。
さらに再々、問いますが、あなたはどのような宗教心情に基づいて、ここに記しているのでしょうか。あなたが記してきたようなことは、あなたが193に「私の信条を書いたわけではありません。世の中の流れと所感を書いたまで」というとおり、記された内容は世間一般で言われるところと大同小異で、今さら、得々と語られることではなく、誰しもこの程度のことはわかったうえで議論に臨んでいるでしょう。しかしながら、あなたが「所感」という部分において、その所感を述べる前提になるあなたの立場は何かという問にはあなたは答えていない。また、人の記すことを上記のように敢えてねじ曲げて反論するなど、実に不誠実な態度であるとわたしは抗議しなければなりません。
あなたが首尾一貫して記したことは、為にする問であり、その目的は議論にはなく、わたしに難癖を付けることにあったのでしょう。やめるというのであれば、このような悪意の応答はこちらのほうこそ、時間の無駄です。以上の点は、あなたが答えられなかったということにほかなりません。以上をもって、終わりといたします。
209
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 10:17:50
【207の訂正】
誤)阿棚に問うている
正)あなたに問うている
210
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 10:25:19
藤川さん、ちょっと、質問させてください。
今後、万が一、憲法が改正となり、自衛軍へと転換される。これは実質的な軍備増強を意味することになると思うのですが、初期の段階で、これに掛かる軍備費用というのはどれぐらいの規模となると予想されますか。また、それを補う財源はやはり、国民増税のほか考えられないと思いますが、これはいったい、どれほどの規模となると予想されますか。
211
:
匿名
:2005/11/13(日) 10:46:35
>207〜>208
私は、このスレッドの
「今、世界で起こっている、憂慮すべき事態で、マスコミによっては、詳しく報道されていない事柄がたくさんあります。仏法者として、世界を揺るがすような憂慮すべき事態に対して、目を開いておく必要があると思います。あまり報道されていない事柄で、知っておくべきであると思われる事柄をご存知の方、書き込んでください。 」
という趣旨にそって、投稿させて頂いているまでです。
その投稿内容に対するご意見はご批判は、いくらでも書き連ねてもらっても構いませんが、そのひとつひとつにご返信を返すことは、時間的にできません。
質問があるというなら、端的に、ひとつずつにしてください。
それと私の読解力が足りないのかもしれませんが、意味不明な文章には、答えられません。
まず、何についてお答えすればいいのでしょう。
212
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 11:12:35
> 211
質問が云々以前に、あなたの曲解についての弁明はないわけですか。
また、意味不明な文章とは、何を指すのでしょうか。
213
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 11:22:29
なお、当スレの冒頭の管理人さんが記される趣旨は、日本における改憲論であるとか、自衛隊肯定論の類を指すのではなく、世界の報道に載り切らないテロアタック、自然災害、また、イラクにおける劣化ウラン弾被害等々、世界で起きていて、日本では情報の届きづらい事柄をアップして欲しいという趣旨を指すのでしょう。
214
:
匿名
:2005/11/13(日) 12:25:18
>212
>匿名さんに一つお尋ねしますが、現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。
ここからして、何をお尋ねになっているのか、私には読解できないのです。
>213
このスレッドに、憲法改正及び自衛隊が合憲か違憲かについて、最初に問題を投げかけられたのは犀角独歩さんでありまして、その流れから私なりの見解を投稿させていただいいる経緯であります。
広く開かれた掲示板ですから、意図せぬ意見も出るでしょう。
しかしこれ以上、そういう内容に触れて書かれるのは、望ましくないというのであれば、私はこれで留めます。ただしその場合は、ご質問にはお答えできかねますので、ご了承ください。
215
:
管理者
:2005/11/13(日) 13:05:03
このスレッドの趣旨についてですが、趣旨説明における『世界』という言葉は、『日本』に相対する形での『世界』の意味で使っています。
ただ、自衛隊に関わる問題は、自衛隊イラク派遣が現在も続いています。ですから、自衛隊の動向については、国内問題ではありますが、世界的な広がりを持つ内容であり、当スレッドに馴染む課題であると思います。
又、憲法改正論議は、その中心課題が自衛隊、自衛軍の是非なのですから、今後の世界の平和に大きく影響する可能性を孕んだ課題です。当然、当スレッドで議論されるべき課題であると管理者は考えています。
216
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 13:05:28
> 214
また、言葉をはぐらかすわけですか。
あなたは、自分の誤読から生じた無礼に関しては、何ら恥じることも詫びることもないわけですか。また、
>> 匿名さんに一つお尋ねしますが、現在、全仏教界が、不戦、憲法擁護、非暴力を採択して心身行動するさまは、あなたからすると、戦争、軍隊のことを考えていないからだということでしょうか。
> ここからして、何をお尋ねになっているのか、私には読解できないのです。
というのは、あなたの、
> 国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を真に訴えたいと思うならば、時に、戦争についてしっかり向き合い、考えなければならないものです。それを避けて、ただ「戦争反対」だけ唱えても、回避することはできません。まさに否応なしに、憲法改正という現実の問題が、確実に突きつけられることは、避けられないのですから。
という言葉を受けたものです。
全仏教界は、国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を訴えているわけですから、それに対して、あなたは批判するのかと問うているわけです。
さらに、あなたは
> 目を背けている間に、いつしか戦争に駆り出される世の中になってしまいます。そのときになって頭にきたからと、自戒を捨てて為政者の一人や二人に危害を加えたところで、世の中の動きは止められません。それこそ後の政(まつり)というものです
と、仮にわたしの言葉を曲解して、的外れの批判を加えています。
この点は既に記したとおり、実に無礼な牽強付会による的外れな批判です。
故に弁明謝罪があってしかるべきと言っているのです。
>>「今、世界で起こっている、憂慮すべき事態で、マスコミによっては、詳しく報道されていない事柄がたくさんあります。仏法者として、世界を揺るがすような憂慮すべき事態に対して、目を開いておく必要があると思います。あまり報道されていない事柄で、知っておくべきであると思われる事柄をご存知の方、書き込んでください。 」
> という趣旨にそって、投稿
していると言いますが、以上の文章のどこが、「詳しく報道されていない事柄」「世界を揺るがすような憂慮すべき事態」「あまり報道されていない事柄」に当たるというのですか。単なるわたしの発言を故意に枉げた見当はずれの批判に過ぎないではないですか。
また、わたしは別段、あなたに質問をしているというより、理として通らざる事、また、曲解してわたしが言っていないことをさもわたしが言ったかのように言われない批判を加えていることに抗議をしているに過ぎません。これは質問と言うより弁明を求めているのです。つまりは、
>
> ご質問にはお答えできかねます
と、とらえる以外なく、誤読、もしくは故意の牽強付会からの言われない批判に対し、何ら詫びることも恥じることもなく言うのであれば、もはや、議論など成り立ちようもありません。何ら期待するところもありません。
217
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 13:11:48
> 215
了解しました。
227
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:16:32
218レス〜226レスを、新たに立てた「戦争を考える」スレッドに移転しました。よろしくお願いいたします。
228
:
犀角独歩
:2005/11/14(月) 09:05:16
匿名さん、人の抗議を無視して平然としているのが、あなたのやり方ですか。
また、都合の悪いことは無視して、自分の言いたいことだけを書き連ねるというのは実に卑怯なやり方であると批判しておきます。
229
:
犀角独歩
:2005/12/01(木) 22:44:33
ただいま、沙門行明師からメールを頂戴しました。
*** 転載はじめ ***
今パキスタンの地震被害現場にいます。冬がやってきて被災者はテント生活、または
テントもない生活をしています。今年の冬をどう過ごせるのかが、一番の問題で、後
にインフラ整備になるでしょう。
今後も支援していきます。
*** 転載おわり ***
日本を出発されるとき、「インドから入ろうと思うけれど、袈裟を着けていくのは、それなりの覚悟がいります」と仰っていたのを思い出します。
無事、到着されていたのだと、ほっとしました。
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