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140犀角独歩[TRACKBACK]:2005/11/03(木) 10:13:52

―139からつづく―

しかし、末法無戒だとうそぶいて、まだ仏教だと平然としていられる名ばかりの仏教徒にとっては、何ら痛痒はないのかも知れませんが、単己さんが提示される二者択一は、仏教成立以来、最大、絶対の戒律である「不殺生戒」と命を守るための殺人という究極の選択を2500年来、仏教徒は考えてきたのだと思います。安直な問題ではありません。

> 「九条があるから日本は戦争とは無縁」

そうではなく、9条があるから、60年の不戦が守られたと言っているわけです。
無縁などとはまったく言っていません。
もし、9条がなければ、領海侵犯その他でも‘日本軍隊’は攻撃をし撃沈することも行ったのではないでしょうか。しかし、9条に基づく、矜持は、そのようなことをしなくても、国が守れるぎりぎりの自衛を歴史に刻んだのではないでしょうか。

ただし、わたしは基本的には自衛隊にも反対です。その反対の理由は憲法と齟齬を来しているからです。自衛隊は軍隊ではないという議論がありますが、軍隊以外の何ものもでありません。たですから、自衛隊を作る段階で憲法は改変されるべきであったという考えです。

いずれにしても、現行の憲法改正は、国家安全というお題目の裏に何があるのか、戦争という巨大利権でゴイムとされる日本人は、彼らが誦するタルムードに欺かれない見極めが必要ではないのかという現実的な提言です。

> 左翼文化人の言いぐさ

そうですか。わたしは別段、左翼ではありません。
憲法9条擁護、戦争反対、武装反対は、創価学会全を除く日本仏教界の採択です。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r745-753

> 自分だけ非暴力不殺生では通用しないこともある

当然ではないですか。
しかし、目指す理想、果たす役割において、非暴力、不殺生から考えるのか、戦争肯定、殺人肯定からはじまるのかの相違です。

戦争において軍人となって人を殺すことは国家の命令であるから罪ではない英雄だと考えるのか、仏教の上から考えるとき罪であるという点から、しかし、それまでそうせざるを得なかった、懺悔滅罪を期するとするのかでは、違いがあります。

> 現状で自分だけ非暴力不殺生では通用しないこともある

もちろん、そうでしょう。しかし、そのようなことが殺人の肯定論になったり、翼賛にならない「制動」をどう考えるか、どう実践できるのかを考え実践するところに今日的な仏教の存在価値があるとわたしは思います。

仕組まれた集団浅慮の乗せられない、仏教徒が仏教徒として、何よりの自戒は「不殺生」であり、しかし、実際に自分が殺される側、殺す側になったとき、その破戒から短絡するのか、いや、この自戒からどのように考え行動できるのか、後者に仏教の精神ありというのが冒頭に上げた例証にあったのだとわたしは考えます。わたしの発想は、左翼的ではなく、仏教的な見地からのものです。


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