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世界の情報ボックス
199
:
匿名
:2005/11/12(土) 12:43:02
不戦の誓いや非暴力を信条とする精神は、それは大変崇高なことです。
個人がそれを貫くことは、そうした信条を持つことから始まり、理性や自制心によって戒め守ることが求められます。
しかしそれが国家の問題になったとき、そうした個人の信念と戒めを貫くだけでは限界があります。
また与同罪という考え方があるからでしょうか、戦争について考え語ることすら忌み嫌い、さらには戦争と向き合う立場の人への偏見さえ持つ傾向があるように見受けられます。
個人レベルの仏道ということであれば、自分はそういう仕事はいやだ、それで事済むかもしれません。
しかし、国家レベルの問題では、そうはいかないのも現実です。
国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を真に訴えたいと思うならば、時に、戦争についてしっかり向き合い、考えなければならないものです。それを避けて、ただ「戦争反対」だけ唱えても、回避することはできません。まさに否応なしに、憲法改正という現実の問題が、確実に突きつけられることは、避けられないのですから。
目を背けている間に、いつしか戦争に駆り出される世の中になってしまいます。そのときになって頭にきたからと、自戒を捨てて為政者の一人や二人に危害を加えたところで、世の中の動きは止められません。それこそ後の政(まつり)というものです。
世界情勢を見ればわかることですが、人間は、そのくらい戦争と背中合わせの中で生きているものです。戦争に巻き込まれたくなければ、まず目前に迫るであろう憲法改正について、今からでもしっかり向き合うことでしょう。そのためには、日ごろ戦争と向き合っている立場にいる人の存在を頭ごなしに否定排除しようとするのではなく、その人が語る実情というものにも耳を傾けてみることに寛容になることも必要です。
そのくらいの危機感を持って世の中を見据えることは、何ら仏道に反することではないはずです。
いつもいつも、戦争のことを考えろというのではありません。ただし、戦争のことを想定して向き合っている立場の人を責めたり、偏見を持って存在否定しないことにも、少し立ち止まってもらいたい。
視点を変えれば、そういう立場の人がいることで、日常的に私たちは戦争のことを考えずに済んでいるわけですから。
憲法改正の国会発議への流れは恐らく止められないとしても、最後の砦である国民投票は、まだまだわかりません。
改憲のための国民投票に「×」の投票行動をきっちり示す人が一人でも多くなればいいのですから。
国民世論の数字に諦めるか、最後まで何かを訴え続けるか。まさに、実生活と信仰のあり方が問われるところといえるのではないでしょうか。
押し付け憲法であれ、世界に唯一、不戦を誓う崇高な精神性の憲法を、間違いなく今は、保持しているわけですから。
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