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世界の情報ボックス
145
:
犀角独歩
:2005/11/04(金) 08:56:51
―144からつづく―
> 日本国民一人一人がその罪を背負い、懺悔滅罪
不思議なことに戦争は、その始まりでは罪責感はなく、しかし、それが終わると懺悔が芽生えます。戦争が終わったあとに、どのような理由であれ、その戦争が正しかったなどという人はいないわけです。つまり、不殺生・非暴力を帯した側の主張は、至るべき結論を先取りしたところから出発している構造があるわけです。
> 仏教的見地からの不戦・非暴力・非武装は相当の覚悟が必要
そのとおりだと思います。前人未踏、人類が未だ到達できない国家レベル、否、全人類レベルのハードルを越える模索です。
しかし、もしこのハードルを越えなければ、やがて、人類は殺し合いの結果、滅んで行くでしょう。カール・セーガンが、もし、宇宙に高度な文明をもった生物がいるとしたら、彼らは必ず、平和的な存在であるはずだ。何故ならば、精神を獲得できない生物は殺戮しあい滅んでしまうからだといった内容を記していました。
非暴力・不殺生からどこまで考えることができるのか、不戦60年の日本の奇跡を放棄してはならない。何故、いとも安直に放棄するような流れができてきたのか。それは、日本がアメリカの無差別殺人で流した国民の血を省みないからです。
わたしの親は東京大空襲のなかを逃げまどい生き残りました。一夜明けた東京の町は瓦礫と山のような遺体、隅田川は遺体で水面も見えないほどだったと言います。わたしの友人の親御さんは長崎に原爆が投下された翌日、救済に入った医師でした。
そのような悲惨な経験が身体感覚として残っている人々は「戦争はもう嫌だ」というところからはじまります。しかし、結局のところ、政治的特権性を有する議員や、官僚、特権軍人は指示ばかり出して、本当に悲惨な人間の死を見ていない。それどころか、戦争は一部特権階級に莫大な富をもたらしてきたわけです。ここで煽動され、実際に一切を失い、そして、殺されていくのは一般の市民でした。実際のこの痛みを知っている人は誰一人、戦争という方法論を選択しません。一様に不戦・非暴力を訴えてきたでしょう。
我々日本人は唯一の被爆国民として、そして、非戦闘員を無差別大量殺戮したわずか60年前のあの経験を忘れ、また、同じ過ちに歩みだそうとしています。しかし、我々日本は不戦60年の奇跡の歴史を刻んだ。この歴史を永劫のものにすることが、先の2度の大戦で殺されていった人々の死を無駄にしない唯一の方法です。
もし、我々が法華経を尊ぶのであれば、我々はいまの法華経を紡がなければなりません。それがどんなに困難で、考えあぐねることが難しい方法であっても、我々はいまの法華経を紡がなければなりません。
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