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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

78アンタッチャブル:2003/04/15(火) 23:30
日蓮正宗が、法論で顕本法華宗に負けおったくせに、また事実をねじ曲げて喧嘩を売ろうとしてまんがな。
詳細は http//www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/
あんさん方も、少し客観的な物事を考え方を持ちんしゃったら、どうやろか。

79アンタッチャブル:2003/04/15(火) 23:33
あかん。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/ やった。

80求道者5963:2003/04/23(水) 22:02
ご参考になります、、。 本当に「日蓮サマ」の教えは「難儀」でございますナー、、。
 「速やかに、成就する”仏の境涯”の為に、、」という=法華経如来寿量品16」の「肝心のカナメ」はいずこへ行きしなさったのでございましょうか、、??
 「未だに”どういう本尊サマ”に合いたいして、どういう”修行”を貫徹すれば”真の成仏”なるものを体感、体得=体現を可能、、??」なものでしょうか、、、???
 どなたか、お教え下さいませ、、、??

81求道者5963:2003/04/23(水) 22:03
ご参考になります、、。 本当に「日蓮サマ」の教えは「難儀」でございますナー、、。
 「速やかに、成就する”仏の境涯”の為に、、」という=法華経如来寿量品16」の「肝心のカナメ」はいずこへ行きしなさったのでございましょうか、、??
 「未だに”どういう本尊サマ”に合いたいして、どういう”修行”を貫徹すれば”真の成仏”なるものを体感、体得=体現を可能、、??」なものでしょうか、、、???
 どなたか、お教え下さいませ、、、??

82みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/04/24(木) 00:46
>>[buenos1939@ybb.ne.jp]さん。

ハンドルを統一していただけませんか。多重ハンドルは好ましくありません。

83愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 13:02
皆様初めまして。時々この掲示板で勉強させて頂いています。
創価学会不活動家をやっていた愚鈍凡夫です。
本仏とは衆生に仏種を下種する仏のことだと思いますが、この仏種とは、
「若人不信。毀謗此経。則断一切。世間仏種。(若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん)」(「妙法蓮華經譬喩品第三」)
とあることから、法華経のことと理解してます。
この法華経を日蓮聖人は、
「法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり」(「守護国家論」)
と記されています。そして、
「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(「報恩抄」)
とあります。
従って、本尊を「本門の教主釈尊」、行法を「法華経の題目」としたことで、出世の本懐は満たされていると考えていいのではないでしょうか。
もしよければ、どなたか御教示下されば幸いです。

84無明者:2003/04/29(火) 18:04
、、、::、、御同感いたします、、、。。サスガ、、、深い「かなりの教学力と深い洞察の御方かと存じまする、、」 。 御免。

85ガンコ:2003/04/29(火) 18:17

愚鈍凡夫さん、はじめまして。わたくしガンコ(=あほう凡夫)と申します。

あなたは名前に反してなかなかの使い手ですね。わたくし、論旨明解なる文章にあこがれてまして、あなたの文章を好ましく感じました。

さて、内容ですが・・・

>本仏とは衆生に仏種を下種する仏のことだと思います

これは大変わかりやすい。当然、学会員でしたら大聖人を下種の本仏と教わることと思いますが、いまは学会を卒業されたのみならず「日蓮本仏論」をも卒業されちゃったようですね。

>この仏種とは・・・法華経のこと
>法華経は即ち釈迦牟尼仏なり

わたくしなんかは短絡的に人法体一を思い浮かべてしまうんですけど、いまのあなたはどうなんですか?

>出世の本懐は満たされていると考えていいのではないでしょうか。

ヘンな話ですが、わたくしはまたも短絡的に出世の本懐というと仏様の御振舞いを想像してしまうんです。

あなたは謙遜で愚鈍凡夫と仰せなのでしょう。わたくしは正真正銘のあほう凡夫ですから、どうかこちらこそご教示ねがいたく存じます。

86愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 20:21
無明者さん、恥ずかしいです。
ガンコさん、新参者が生意気言って済みません。
先の「守護国家論」の文証は、
「自我得仏来。所経諸劫数。無量百千万。億載阿僧祇。常説法教化。無数億衆生。令入於仏道。爾来無量劫。為度衆生故。方便現涅槃。而実不滅度。常住此説法。(我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数、無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ。爾しより来無量劫なり。衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず。常に此に住して法を説く)」(「法華経如来壽量品第十六」)
此の文証を依文としていると思うのです。
法華経の法味は未だ尽きずという意味と捉えています。
小生、『人法一箇』という仏法用語が最後まで馴染めませんでした(よく、それじゃアインシュタインと相対性理論は而二不二の関係にあるのかと、屁理屈をこねて学会幹部を困らせていました)。
仏法は、釈迦牟尼の悟達した内容を説いたものであるでしょうが、釈迦牟尼自身と一体不二の関係にあるとは思えなかったのです。
正直言って今は、「本門の教主釈尊」が仏像なのか、仏画なのか、それとも十界勧請の曼陀羅を指すのか、分かりません。
出世の本懐の件は、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
とあるものですから、仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
現時点ではこのように思っています。

87ガンコ:2003/04/29(火) 21:17
ご教示ありがとうございます。

わたくしが出世の本懐で想像したことは、ご指摘の御書ともうひとつ、崇峻天皇御書でした。あまりにも有名ですが、「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ」と。

聖人御難事で大聖人御自身が出世の本懐をおおせらる段において、釈尊の例に止まらず天台伝教を加えたまうは仏にあらずといえども仏にじゅんずる者とお考えなのであろう、顕仏未来記の「三国四師」との御表現からもそんな風に考えるわけです。
また、「余は二十七年なり」を強調するためには例示を多く遊ばしたほうが効果的とも思えます。

わたくしが言ってるんじゃ説得力ありませんけどね。

88愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 22:52
ガンコさん。言葉が足りなかったようで済みません。
小生は、「出世の本懐」を、この世で果たさんと決意した使命と捉えています(我見ですが)。
そこで、釈迦牟尼を想う時、
「我本誓願立。欲令一切衆。如我等無異。如我昔所願。今者已満足。(我本誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき。我が昔の所願の如き、今者已に満足しぬ)」(「妙法蓮華經方便品第二」)
この文証の「如我等無異」がいつも思い浮かぶのです。
日蓮聖人も同じ想いであったと思います(天台大師・伝教大師も同じ想いであったと推察します)。
日蓮聖人が「仏の振る舞ひ」ではなく、「人の振る舞ひ」と表現されているのは、このような理由からだと思います。
時機相応の成道の法を説いた人師論師ですから、「聖人御難事」の文証と「崇峻天皇御書」の文証とは、角度を変えて論じたものと思っています。
言葉が足りなくて申し訳ないです。

89ガンコ:2003/04/30(水) 00:24
>言葉が足りなかったようで済みません
>言葉が足りなくて申し訳ないです

いえいえ、とんでもございません。わたくしのほうがよっぽど舌足らずですもの。

90ガンコ:2003/05/02(金) 18:32

愚鈍凡夫さん。

しつこいようですが、今一度ご教示ねがいます。

あなたは報恩抄の御文を引用せられて、出世の本懐は満たされているとおっしゃいました。
・・・すると、年代的には建治二年を本懐成就の年とお考えなのでしょうか?

聖人御難事の仰せからすれば、弘安二年は動かし難いと思うのですが・・・

もし「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を依文とするならば、すでに開目抄・本尊抄等にその意味内容は説示せられています。しかるに「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」と仰せられるのは、大聖人は御本尊の説明を遊ばしたけれども、いまだ(本尊抄御述作の時点では)一閻浮提第一の本尊は顕して居られないということでありましょう。
ゆえに報恩抄においても、御本尊の説明だけ遊ばして、実際には一閻浮提第一に相当する本尊はいまだ顕されて居られない、と思うのです。
よって出世の本懐は、この時点ではいまだ満たされていないのではなでしょうか?

出世の本懐にこだわって申すならば、やはり弘安二年以外にはありえない、という意見です。

91愚鈍凡夫:2003/05/02(金) 21:02
「聖人御難事」の文証を再度引用しますと、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
これは文面から言って、それぞれ「九横の大難」、「南三北七」、「南都六宗」を指していますね。大難に遭ってこそ「出世の本懐」は遂げられるとの御教示と拝します。そして、御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います。
そこで、
>出世の本懐の件は、
>仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
との意味で引用しました(愚鈍ですので説明が下手です。悪しからず)。

「此の時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(「観心本尊抄」『昭和定本』平成三年増補改訂版)
学会版は故意に読替えをしているので、日蓮宗版から引用します。ガンコさんが引用されているのはこの文証ですね。
ガンコさんは、蓮祖は1279(弘安2)年10月12日に「出世の本懐」を遂げられた。といいたいわけですね。例の疑惑の「戒壇之本尊」をもって「出世の本懐」としたいわけですね・・・・・。
「本門の教主釈尊」を本尊としたのですから、「一閻浮提第一の本尊」であることは間違いないのじゃありませんか。
ただ、曼陀羅にこだわりますと、本尊抄述作以降の曼陀羅といいますと、1273(文永10)年7月8日の「佐渡始顕本尊」となりますが、「報恩抄」が1276(建治2)年ですから3年前ですね。
しかし、前にも記しましたが小生には、それが仏像(仏像群?)なのか、仏画なのか、十界勧請の曼陀羅なのかわかりません。よければ御教示下さい。
>小生は、「出世の本懐」を、この世で果たさんと決意した使命と捉えています(我見ですが)。
という考えなので、蓮祖の場合も何れかの時点ではなく、人生という線の中で考えています。

これで答えになっているでしょうか。

92愚鈍凡夫:2003/05/02(金) 21:13
>しかし、前にも記しましたが小生には、それが仏像(仏像群?)なのか、仏画なのか、十界勧請の曼陀羅なのかわかりません。よければ御教示下さい。

とは、「本門の本尊」がという意味です。
悪しからず。

93ガンコ:2003/05/03(土) 19:08

どうもどうも、大変お返事が遅くなりました。

あなたは早打ちでいらっしゃるし、おまけに昭和定本をお使いになられるなんて、もはや、わたくしがお相手じゃ不足かと思いますが、よろしくお付き合い願います。

わかりやすい言い方をすれば、弘安二年は到達点なのか、それとも通過点なのか、ということだと思うのです。
すでに先読みなさっていらっしゃいますが、仰せのとおり、わたくしは大曼荼羅信仰者であり、ことに弘安二年十月十二日の御本尊を本懐中の本懐と教育されてきたのでした。
ですから、当然そこに帰結するような論の運びをするにちがいない、と皆さん見ていらっしゃるだろうことは承知しています。
しかし、そんなに欲張るつもりはないのです。

今わたくしが興味を持っていることは、聖人御難事の「二十七年」が到達点を意味するのか、たんなる通過点なのかということです。
これはそれぞれの言語感覚によってちがって読めてしまうものなのかもしれませんが、わたくしには到達点を仰せられたものと読めます。
もちろん、“たとえおまえが素直にそう読めたとしても、それは洗脳されているからだ”と言いたい方もいらっしゃるにちがいありません。
ただ、逆のことも言えるのではないかと思うのです。
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、・・・」
つまり、素直に読んでしまうと条々事に符合してしまうから、これでは他門流は面白くないでしょうから・・・なんて書いていると喧嘩売ってるように思われそうですが、これがわたくしの正直な考えです。

>蓮祖の場合も何れかの時点ではなく、人生という線の中で考えています。

おそらくこれが世間一般の妥当な評価方法なのだと思います。たとえばここにベストセラー作家がいるとして、よく聞くセリフですが「私はこれを書くために生まれてきた」なんて言ったりします。しかし作家の正当な評価というのは、おおむね没後に定まるわけです。つまり、研究者が作家の全作品を詳細に検討していってから定まるのです。
つまり、作家本人がいくら作品を自画自賛しても本当の評価は時間が経ってみないとわからないという面があると思います。
であれば、日蓮大聖人の御一代を俯瞰して、出世の本懐は満たされている、と拝する方法もあることでしょう。

>「本門の教主釈尊」を本尊としたのですから、「一閻浮提第一の本尊」であることは間違いないのじゃありませんか。

ええ、そうですね。いわばここが本宗にとってはネックになっているところかと思います。
わたくしにいい考えがあるわけではありませんが、おっしゃるとおりに本門の教主釈尊が一閻浮提第一の本尊だとして、それは建立されたのかどうかです。
大聖人の時代には建立されなかったとすると、おそらく永遠に顕れないでしょう。
つまり、仏像も仏画も不可能であろうと思うのです。
消去法でいけば御文字の御本尊しかありえないのではないか、と考えています。

94愚鈍凡夫:2003/05/03(土) 20:29
ガンコさんどうも。こちらこそ宜しくお願いします。

小生、喧嘩を売るつもりでこのスレッドに書込をしたわけではありません。
「本門の教主釈尊」とは目に見える形にした時、どのようなものなのか、それがわからないから、皆様のお知恵を拝借したくて書込をしたのです。
そして、問われたから小生なりの意見を述べただけで、ガンコさんと問答をしているつもりもありません。

小生は、1279(弘安2)年という年を特別視していません(『熱原の法難』という、信徒に直接大難が降りかかったという意味では特別なのでしょうが)。

「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相傳す。本門寺に懸け奉るべし」(「日興跡條條事」)
まず、この「日興跡條條事」の真偽問題があります。そして、「弘安二年の大御本尊」とは本当に「戒壇之本尊」を指すのかという問題があります。
小生は、「戒壇之本尊」を後世の偽作と信じていますので、上記の疑問点は何れもNOです。
それと、小生が問題にしているのは、物理的に可能不可能の問題ではなく、蓮祖のお考えはどうだったのかと言うことです。

気分を害されたのであれば、お許し下さい。

95ガンコ:2003/05/03(土) 22:29

>気分を害されたのであれば、お許し下さい。

いえいえ、ぜんぜん大丈夫です。どんどん言っちゃってください。

>「日興跡條條事」の真偽問題

これについてはわたくし、まったく存じ上げません。なんでも結構ですから、教えてください。
まだまだ未熟者ですから、知らないことがいっぱいあるのです。

96愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 01:00
「日興跡條條事」偽作問題の本質は、「二箇相承」偽作説と深く関わっています。「二箇相承」が偽作の疑い濃厚である故に、「日興跡條條事」も偽作であるということです。

「日興跡條條事」
http://nakanihon.net/nb/gorekidai.html
上のアドレスからダウンロードできます。

よく考えたら偽作説については、ここの
「(続) 大石寺の歴史」を参照なされてはどうでしょうか。

あと、日蓮宗新聞から
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/paper/1996/9602pr.htm
これも参考になると思います。
いかがでしょうか。

97愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 10:15
ガンコさんへ。
96の続きです。
スレッドタイトルから話のテーマが随分ずれてますよ(小生も人のことは言えませんが)。

日興の著作と真偽論
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_004.html

二箇相承偽書説に就いて
http://www.win.ne.jp/~sid10831/nika.htm

この2つも参考になると思います。

98ガンコ:2003/05/04(日) 11:13

どうもです。

戒壇本尊・二箇相承の問題は大雑把には承知していますが、ご紹介いただいた資料を参考にあらためて学ばせていただきます。

日興跡條條事が確実なものであれば、逆にたどっていけば上の証明になるのではないか? 単純な発想ですけど。
ところが日興跡條條事すら偽書であったならば、もうどうなっちゃうんでしょうね、大石寺なんて、いいところひとつもないじゃないの、まったく。

といったところです。

99川蝉:2003/05/04(日) 12:12
ガンコさん・愚鈍凡夫 さん横から失礼します。

竜口法難から佐渡流罪の前後の時期は、文永九年四月の「富木殿御返事」に
「日蓮臨終一分も疑ひなく、刎頭の時は殊に喜悦あるべく候。大賊に値ふて大毒を宝珠に易ふと思ふべき歟。」(学会版962頁・昭定619頁)
とあるように、いつ命を取られてもおかしくない状態でした。
そこで「三沢抄」に
「而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」(学会版1489頁)
とあるように、存生の中に弟子達に真実の法門を披瀝しておかなければと考えられたのですね。
「此疑は此書の肝心、一期の大事なれば、所所にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし。」(開目抄203頁)

「観心の法門少少を注して太田殿、教信御房等に奉る。此の事は日蓮当身の大事也。之を秘せよ、」(観心本尊抄送状255頁)
とある開目抄と本尊抄を著し、大曼荼羅本尊図顕されて、真の法門を披露されたのです。
「三沢抄」に云うところの真の法門とは、
「此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」
にあることより、「報恩抄」に
「末法のために仏留め置き給ふ。迦葉、阿難等、馬鳴、龍樹等、天台、伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云く、其形貌如何。答へて云く、一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土、月支、一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。」
とある本門の本尊、戒壇、題目であることが分かります。
本尊図顕を出世の本懐とすれば、佐渡流罪中に於いて、本懐を遂げられたことになりますね。
いつ命を取られるか分からない状況に置かれていた宗祖が弘安二年まで本門の本尊(真の本尊)を図顕をしなかった筈などありませんでしょうね。
「聖人御難事」の文は、「如説修行抄」にある
「我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間権理を破す。其間の大難数を知らず。」(504頁)
との文と同じ意趣を書かれたもので、
愚鈍凡夫 さんが91で、「御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います」
と解釈されているとおりと思います。
あるいは、もし本懐の成就について語っている文意とすれば、
弘安元年三月「諸人御返事」に
「 三月十九日の和風並に飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生の間の祈請並に諸願、忽ちに成就せしむるか。将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し。所詮真言、禅宗等の謗法の諸人等を召合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり。」
(昭定1479頁)
とあるように、宗祖は公場対決を「一生の間の祈請並に諸願」としていたと云えます。
天台大師は出家の31年後の585年に、陳の後主に招かれ法門を講じ、宮中太極殿で諸僧の難問に応え、また、伝教大師は得度出家より22年後の802年(延暦21年)に、和気弘世に招ぜられ高雄山において諸宗の高僧に天台三大部を講じ、桓武天皇の信を得ました。
「天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出家の本懐を遂げたまう」とは、両大師の公場対決を指していると解釈できます。
すると「余は二十七年なり」とは、「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
「弘安二年に出世の本懐である板本尊を造った」と云う解釈は恣意的解釈と云う事になりますね。

100愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 13:39
川蝉さん始めまして。
御教示有り難うございます。

お手数ですが、2つほど、確認させてください。
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
との文証の、「仏は四十余年」は『九横の大難』を指すが、「天台大師は三十余年伝教大師は二十余年」は、
>両大師の公場対決を指していると解釈できます。
そして、「余は二十七年なり」は、
>「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
ということで、意味が違うと言うことですか。

それから、
曼陀羅が「本門の本尊」だとすると、それは何れかの曼陀羅を指して、「本門の本尊」とすると言うことですか(例えば戒壇之本尊とか)、それとも御筆の曼陀羅全てを「本門の本尊」とするということですか。
だとすると、
「今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし」(「日眼女造立釈迦仏供養事」)
「されば画像木像の仏の開眼供養は法華経天台宗にかぎるべし、其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間二には五陰世間三には国土世間なり、前の二は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」(「四条金吾釈迦仏供養事」)
これらの文証との整合性はどうなるのでしょうか。
2つのはずが、3つになってしまいました。
御教示下されば幸いです。

101川蝉:2003/05/04(日) 15:08
愚鈍凡夫 さん、早速読んで頂き有り難うございます。

>ということで、意味が違うと言うことですか。

《 愚鈍凡夫 さんが91で、「御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います」と解釈されているとおりと思います。》
とコメントしているように、意味が違っているとコメントしたわけではありません。
正宗のように本懐は何時かについての文証に「聖人値難事」を用いるので、それにそって、「聖人値難事」の文を解釈すればと云う観点から書いたのです。
「仏は四十余年」の意味は、、「釈尊が四十余年の間諸経を説いた後に、出世の本懐である法華経を説いたが、それまでの間、九横の大難にあわれた」との意味であろうと、私は解釈しています。

>それとも御筆の曼陀羅全てを「本門の本尊」とするということです
>か。

そうです。

>これらの文証との整合性はどうなるのでしょうか。

木像形式で、本門の教主釈尊を表したのが一尊四士像と理解していますので、曼荼羅本尊と一尊四士像と矛盾するものでないと理解しています。

102愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 19:05
ガンコさん。
仏法素浪人の小生には、コメントしかねます。
創価や正宗に帰ることはまずないと思いますので。
悪しからず。

川蝉さん有り難うございます。
お話を整理しますと、
釈迦牟尼仏の場合は、「九横の大難」に遭われた年月の意味。天台大師・伝教大師の場合は、「公場対決」を果たしてきた年月の意味。日蓮聖人の場合は、大難に遭ってきた年数を指すが、「まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」
という意味と解釈できると言うことですか。

日蓮聖人御筆の曼陀羅は全て「本門の本尊」であり、
曼陀羅と一尊四士像は表現の仕方の違いであり、共に「本門の本尊」と解釈してもよい。ということでしょうか。
「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」、「四条金吾釈迦仏供養事・1276(建治2)年」を拝しますと、釈迦仏の一体仏だと思うのですが、それでも一尊四士像と解釈すると言うことですか。
再三済みません。愚鈍凡夫です宜しくお願いします。

103ガンコ:2003/05/04(日) 20:07

(し、しまった、眠れる獅子に手を付けてしもうた)

川蝉さんの理路整然たるご所論に敬意を表するものです。

>「弘安二年に出世の本懐である板本尊を造った」と云う解釈は恣意的解釈

ええ、ですから上のほうで申し上げたんですよ、そこまで欲張るつもりはないと。常識的な思考力があれば、聖人御難事が戒壇本尊の証明にはならないことはだれだってわかるものです。
「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。」
ここではっきりしていることは、釈尊・天台・伝教は出世の本懐を遂げた、と大聖人は御考えでいらっしゃることです。では、御自身はどうなのか? このことをわたくしは申し上げているのです。
わかりやすく言えば、「出世の本懐を遂げ給ふ」が「余は二十七年なり」に係るかどうかという読み方の問題です。わたくしには“余は二十七年にして出世の本懐を成就せり”との仰せに読めるのです。
たしかにご引用の如説修行抄の御文は同じおもむきかと思います。ただし、決定的に相違するのは出世の本懐を仰せられるか否かです。むしろ次文の「仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし・・・」に注目し、さらに御難事抄の後文「仏の大難には及ぶか勝れたるか其れは知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし・・・」を拝するならば、天台・伝教をも退ける大聖人の御確信からして、本懐成就の御宣言を遊ばしたとして、なんら不自然はないと思うのです。まさか、“天台・伝教は出世の本懐を遂げたけど、余はまだである” なんて仰せられるとは思えないです。

諸人御返事の後半は「・・・我が弟子等、出家は主上・上皇の師と為り、在家は左右の臣下に列ならん。将又一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚幸甚。」とありました。正直に申し上げますと、わたくしはこの御書をよく存じ上げませんでした。いま拝しますと、まるで広宣流布は未来のことであると密示せられているように思えます。川蝉さんは本懐成就の文意としてお挙げになられたわけですが、すると大聖人は御一代の間に出世の本懐を遂げ給わなかったということでしょうか?

わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこの先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。
いまだ法門に暗いものですから、川蝉さんがいずれの門流に属してらっしゃるか見当がつきませんが、前々よりご活躍のほどを拝見しておりました。

104五月雨:2003/05/04(日) 20:46

横レス失礼します。

>わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこの先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。

ガンコさんに質問させて頂きますけれど、ガンコさんはこの掲示板の過去ログを読まれたことはないのでしょうか。これから先、いろんなご質問をされることもいいと思いますけれど、問答さんと独歩さんその他大勢の方が時間をかけて議論されたことを読まれずにご質問されることは少し残念な思いも致します。
読まれた上でご質問されるともっと奥深いことが判るように思うのですが。
私自身聞きまくった人間ですので、偉そうなことは言えないのはよく自覚しております。でも過去ログをプリントアウトしてかなりの時間をかけて読みました。

ガンコさんが過去ログを読みきった上でのご質問でしたら私の誤解です、すみません。

105川蝉:2003/05/05(月) 10:08
102 : 愚鈍凡夫 さんへ。
「聖人御難事」の文は
「所で本師釈尊は四十余年を経て後八箇年に本懐の法華経を説きたまひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年で各々出世の本懐を宣説していられるが、それまでの間には釈尊は九横の大難あり、天台には南三北七の敵対あり、伝教には南都六宗の反対あり、其の法の為の大難は申し尽くせないほどであったことは、しばしば繰り返せし通りである。今日蓮の法華弘通は二十七年であるが、其の間の大難は各々方が承知していらるる通りである」(ピタカ刊・日蓮聖人遺文全集講義第二十三巻・89頁。日本仏書刊行会の御遺文講義第十一巻・41頁も同じ解釈です)
と云う解釈が、日蓮宗における解釈です。私もその通り受け取っています。

>日蓮聖人の場合は、大難に遭ってきた年数を指すが、「まだ諸宗の高>僧達と公場対決を果たしていない」
>という意味と解釈できると言うことですか。

宗祖が公場対決を望んでいたことは確かなので、宗祖の内意を穿って云えば、「まだ諸宗の高>僧達と公場対決を果たしていない」と云う想いが含まれていると考えても良いでしょうと云うことです。

>日蓮聖人御筆の曼陀羅は全て「本門の本尊」であり、
>曼陀羅と一尊四士像は表現の仕方の違いであり、共に「本門の本尊」>と解釈してもよい。ということでしょうか。

そうです。

>「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」、「四条金吾釈迦仏供養
>事・1276(建治2)年」を拝しますと、釈迦仏の一体仏だと思うのです
>が、それでも一尊四士像と解釈すると言うことですか。

ご指摘のように、両書とも釈迦仏の一体仏でしょうね。
宗祖は一体像の随身仏を本門の教主釈尊と拝しておられた筈です。当然、四条金吾殿も日眼女も宗祖と同じく一体像であっても本門の教主釈尊として拝していたはずですね。
形式上から云えば四士像を脇士として添える必要がありますが、実質上は一尊四士像と同じと云うことになると思います。ですから形式上は不備であっても、両書にある釈迦仏の一体仏は一尊四士像に例して考えて良いと思うのです。
そこで「これらの文証との整合性如何?」に対して「木像形式で、本門の教主釈尊を表したのが一尊四士像と理解していますので、曼荼羅本尊と一尊四士像と矛盾するものでないと理解しています。」とコメントしたのでした。

106愚鈍凡夫:2003/05/05(月) 11:54
川蝉さん、どうもです。
丁寧なお答え、有り難うございます。

随身仏とは、
「御本尊一躰釈迦立像」(「御遺物配分事」)
のことですね(小生、「御遺物配分事」全文を拝したことはありませんが)。

3つの質問に丁寧にお答え頂き、有り難うございました。
教学研鑽の糧にさせて頂きます。
また、質問させて頂くこともあると思いますが、これにこりずに宜しくお願いします。

107川蝉:2003/05/05(月) 12:07
103 :ガンコさんへ。
>わたくしには“余は二十七年にして出世の本懐を成就せり”との
>仰せに読めるのです。

宗祖は佐渡に於いて開目抄・本尊抄を著し、大曼荼羅を図顕し法門を開示したので、佐渡流罪中に、出世の本懐を遂げられたとすべきである。そこで、弘通開始より二十七年後に至って、初めて本懐を遂げたと云うことは言い得ない。
ゆえに、「余は二十七年なり」を「弘通開始より二十七年後の弘安二年に本懐を遂げた」と云うように解釈出来ないこと。
宗祖は本門の法門を開示することが大目的であるとともに、もう一つ公場対決が大きな願いであった。そこで、公場対決をもう一つの本懐と考えた場合、弘通開始より二十七年後の弘安二年の現在でも、公場対決が実現していない。ゆえに、やはり、「余は二十七年なり」を「弘通開始より二十七年後の弘安二年に本懐を遂げた」と云うように解釈出来ないこと。
の二点を述べたのでした。
ゆえに、「出世の本懐を遂げ給ふ」が「余は二十七年なり」に係ると見ないのです。私は愚鈍凡夫 さんへのコメントに紹介した日蓮聖人遺文全集講義第二十三巻のように解釈するのです。

>すると大聖人は御一代の間に出世の本懐を遂げ給わなかったとい
>うことでしょうか?

本門の法門の開示宣説という第一義的本懐は佐渡在島中に遂げられましたが、もう一つの大目的の公場対決は成就しなかったことは事実ですね。

>わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこ
>の先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。

別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。板本尊が唯一絶対の御本尊だから板本尊を信仰の対象としなければ駄目だと云う主張が駄目だと思うわけです。
自分の所属している教団の教義の誤りを指摘されることは、まじめな人ほどつらく苦しい事ですね。徐々に正確に、宗祖の教えを学んで、正しいと思う事を受け入れて行くより仕方ないでしょうね。その結果、所属の教団の教えと異なる思想を持つようになって、教団としっくりいかないように強く感じてきたら、無理なく身の振り方を決めることも出来ると思います。

108ガンコ:2003/05/05(月) 13:45

川蝉さん、どうもです。

わたくし頑迷なものですから、まだまだ得心がいかないのですけど、いろいろ考え方があるんだなあ、ということはわかりました。

しかし、
>別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。

というのは一般的な意見なのでしょうか?
極端な話、どこかの新興宗教団体が模写、あるいはもっといえば教祖が勝手に書いちゃうってのはどうなんでしょうか?
大聖人の曼荼羅のおすがたに似ていればいい?

変な質問でごめんなさいです。

109ガンコ:2003/05/05(月) 14:02

五月雨さん、ご忠告ありがとうございます。

あてずっぽうな数字を言えば、75パーセントくらいは読んでると思うんですが、なにしろ膨大ですから・・・本にしたら何冊ぶんになるでしょうか、ともかくものすごい量ですよね。
だから、読んだとは言えないかもしれません。ただ目を通したという程度のことになると思います。
諸先輩の議論を無駄にしないよう、今一度よく読ませていただきます。

それにしても五月雨さんの仰せを拝見していると、言外に「戒壇の本尊なんて偽作に決まってじゃないの」とおっしゃっているように聞こえます。
気のせいなんでしょうけど。

110川蝉:2003/05/05(月) 15:42
108:ガンコさんへ。

「>別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。というのは一般的な意見なのでしょうか?」
との質問ですが、

宗祖の曼荼羅御本尊に則った形式のものなら、浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人が開眼すれば、信行の対象となるでしょうね。

そこで、日蓮宗では、宗祖の曼荼羅御本尊に則って、先師が書いた曼荼羅でも本尊とし、印刷が発達した近代からは宗祖の曼荼羅を印刷したものを信徒はお祀りしています。現在では宗祖の曼荼羅のレプリカをお祀りしている信徒もます。

板本尊も浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人が開眼すれば、信行の対象となり得ると云うことです。
また、ガンコさんは現在、顕正会の本尊をお祀りしている事と推測します。で、無理に御本尊をかたづけると気に病む事になるでしょうから、ガンコさんが徐々に学習して正しい本尊観を持つようになれば、本仏釈尊は影現してくれると思うので、急いで無理に本尊を変える必要もないだろうと云う考えで「偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。」とコメントしたわけです。

>極端な話、どこかの新興宗教団体が模写、あるいはもっといえば
>教祖が勝手に書いちゃうってのはどうなんでしょうか?
>大聖人の曼荼羅のおすがたに似ていればいい?

宗祖の曼荼羅のレプリカや印刷したものが得られるのですから何も、変な人が書写したものを開眼して祀る必要などないでしょう。ですからこの質問は戯論ですね。
原則的に云えば、浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人に開眼してもらい、拝む人も浅くとも正しく宗祖の教えを信行していることが望ましいと思います。

111ガンコ:2003/05/05(月) 16:38

あ、どうもです。

>ガンコさんは現在、顕正会の本尊をお祀りしている事と推測します

正確な数字はわからないですけど、顕正会員の大半は御本尊をいただいておりません。
“遥拝勤行”と申しまして、冨士大石寺に向かって朝晩勤行しています。

日蓮宗でこのような形態のところはございますか?

それと、愚鈍凡夫さんが木像形式との整合性について質問されていましたけど、わたくしのほうから関連質問をさせていただきます。
木像形式と曼荼羅御本尊の合祀(?)はどのように考えますか? わたくしには屋上屋を架すに思えるんですが、日蓮宗ではこのような奉安形式があるのでしょうか?

113愚鈍凡夫:2003/05/05(月) 20:02
横から割り込み失礼します。

四条金吾宅では御守以外に、大曼荼羅の授与もあったようですから、人本尊(釈迦仏木像)と法本尊(大曼陀羅)の合祀であったんじゃないでしょうか。

114川蝉:2003/05/06(火) 08:58
111:ガンコさんへ。

>日蓮宗でこのような形態のところはございますか?

御宝前にての信行の外に、信徒さんの中には、題目三唱などして身延山の祖廟を遙拝する人も居かもしれません。

愚鈍凡夫さんの「整合性があるのか?」との質問は、「釈尊像を本尊としている文があるが、大曼荼羅を本尊とすることとはと両立するのか?」と云う意味の質問であったと思います。ガンコさんは「整合性がある」を「合祀してよい」と云う意味に受け取っての質問ですか?。

合祀の必要性はないですね。
一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません。ガンコさんは見たことが有るのですか。

115ガンコ:2003/05/06(火) 11:34

川蝉さん、愚鈍凡夫さん。

>一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません。ガンコさんは見たことが有るのですか

わたくしは生まれて以来、お寺にはほとんど行ったことがないんです。ましてや顕正会員になってからはなおさらです。
ですから、よく存じませんが、テレビだとかでたまに見ると、どこの宗派かわかりませんが、やたらとゴチャゴチャいろんなもの祀ってあったりして、叱られるかもしれませんが、キモチワル〜という印象をもっていたものですから、いままでの議論を踏まえるならば、法義的にも合祀はおかしかろうと思って確認させていただいた次第です。

すると四条ファミリーのぼあいはどうなんでしょうか?
お守り御本尊を何幅かいただいているようですし、釈迦像を二体でしょうか、造立してますし、なんだか変な気がします。
まさか全部一緒くたにしていたとは思えないので、わたくしの考えですが、四条殿はいくつも領地を持っていただろうから、別宅なり離れなりにそれぞれ安置していた、としたほうがすっきりするのですが(わたくしとしては)。
だって、釈迦像と釈迦像の二仏並座じゃおかしいですよね。

116ジャージルーカス:2003/05/06(火) 13:21
ちなみに、僕の近所の日蓮宗(旧池上系)のお寺は、十界曼陀羅の両脇に釈迦多宝、四菩薩を祀ってます。
また、その系統のお寺では一尊四士像の背後に曼陀羅を安置してます。

117愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 18:58
道を歩いていて、いきなり地雷を踏んだような気持ちですが。

「本門の本尊」に関する川蝉さんへの質問は、画像・木像造立について書かれた真蹟遺文が存在するので、画像・木像・曼荼羅の整合性はどうなるのかと思って質問させていただきました。小生が例に出した遺文の共通点は木像造立なので、概ね、川蝉さんが指摘されている通りです。

四条家に関する資料を持っていないので、どのように安置していたのか分かりません。
ガンコさんの説のように、1276(建治2)年の釈迦像と1279(弘安2)年の釈迦像とは当然、安置場所が違うと思います。年数からいって作り替えたとは思えませんので。
大曼陀羅を授与されたのは、確か日眼女が厄よけの御守本尊を授与された1279(弘安2)年ではなかったでしょうか。
よく考えてみれば人本尊と法本尊の合祀は軽率な発言でした済みません。
ただ、Gohonzon Galleriesで富士山久遠常在院本門寺の万年救護本尊レプリカの前に日蓮聖人像(写真の解説では日蓮大聖人像)を安置している写真を見ました(万年救護本尊のページにあります)。

話を戻すと、大曼荼羅を安置したからといって、今まで拝んでいた木像を粗末に扱うわけはないでしょうし・・・・・、
四条家に別荘があったかどうか知りませんが、もし別荘に安置していたとしたら給仕の問題が気になります(使用人も信徒だったとすれば別ですが)。
この辺の問題になると、何処まで行っても仮定の問題になってしまいますね・・・・・。
要は、四条家の方々が御本尊をどう捉えていたかですが。
ただ一つ四条家の方々は、釈尊像も、大曼荼羅も、共に「本門の本尊」と拝していたことは確かなようですね。
やはり、画像・木像・曼荼羅の間に矛盾はないのかも知れません。

ガンコさんが見たものとは違うかも知れませんが、身延山久遠寺の大本堂内陣須弥壇の写真を見たことがあります(端までは写っていませんが)。全体の座配が宝塔曼荼羅と同じですね。
曼荼羅と一塔両尊四士像が共に「本門の本尊」とすれば、確かに矛盾はないですね。

これが文京区駒込長元寺所蔵、日眼女授与の御守本尊です。
http://www.lbis.jp/gohonzon/072.htm

逆に、ガンコさんに問います。
「木絵二像開眼之事・1264(文永元)年」、「観心本尊抄・1273(文永10)年」、「四条金吾釈迦仏供養事・1276(建治2)」、「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」
と、画像・木像に言及している真蹟遺文がありますが、ガンコさんの信奉する「戒壇之本尊」との整合性をどう考えますか。

118愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 19:03
ジャージルーカスさん有り難うございます。

119豊穣:2003/05/06(火) 21:51
一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。
それを無視して考えるから上述のような議論になるのでしょう。
日蓮と日興は違う。日光の考えを日蓮の考えのようにして、議論を展開するのは無理がありますね。
人本尊、法本尊も日蓮が言っているはずないですよ(爆笑)

120豊穣:2003/05/06(火) 21:55
>一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません
嘘でしょう。そんなのざらにありますよ。なんでこんな嘘っぱち書くんですか。

121愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 22:19
豊穣さん心の赴くまま笑ってください。
豊穣さんにとっては初歩的な教学なのかも知れませんが、以下の文証を御教示願えませんでしょうか。

「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり」(「観心本尊抄」)

「末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり(「報恩抄」)

豊穣さんは「本門の本尊」とは、やはり曼陀羅本尊のこととお考えでしょうか。
小生、こういう書込を望んでいました。小生の疑問にお答え下さい。
ここの過去レスについては、紹介された文証などは資料として、時々ですが保存させて頂いています。

123問答迷人:2003/05/07(水) 08:19

横レス失礼します。

>「本門の本尊」とは、やはり曼陀羅本尊のこととお考えでしょうか。

観心本尊抄には、「曼陀羅」という語は一カ所も使われていません。本門の本尊の表現の仕方として、木像と絵像があり、ここで木像とは、一般的な仏像としての釈尊像を指し、絵像とは、曼陀羅を指していると思います。
日蓮聖人は、観心本尊抄を拝する限りでは、どちらも視野に入れて居られたと思います。

125川蝉:2003/05/07(水) 11:54
120 : 豊穣 さんへ。

>嘘でしょう。そんなのざらにありますよ。なんでこんな嘘っぱち
>書くんですか。

別に嘘をつく必要のないし、嘘をついているのではありませんよ。私の見てきたお寺さんの数はたかが知れていますが、一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことが無いのです。

私のコメントに書いおいたように「一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛ける必要性は無い」と言うのが私の立場です。ちなみに、本山池上の一尊四士像や身延山本堂の一塔両尊四士像の背後には曼荼羅が掛かっていません。

若し背後に掛けていても、前中央に一尊四士像や一塔両尊四士像があれば、参拝者は前中央に在る一尊四士像ないし一塔両尊四士像を本尊として拝するだろうから、背後に大曼荼羅を掛けてあっても、特別に差し障りがあると思わないので、かまわないと考えています。で、「背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことが無い」と言う嘘をつく理由など無いのです。
それでも私を「嘘つき」と言いますか?

>一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。

「一尊四士」と言う熟語は御遺文に無いですが、一尊四士の義は教示されていますね。
問答迷人さんが
「日蓮聖人は、観心本尊抄を拝する限りでは、どちらも視野に入れて居られたと思います。」
と言われている通りですね。
「啓蒙19巻73〜74紙」に有るように、本尊抄の「地涌千界出現本門釈尊為脇士」(学会版では254頁)を
「地涌千界(垂迹)が出現して、地涌を本門釈尊の脇士と為す」
と言う意味と理解していますので、ここに一尊四士の義があると認識しています。
また真蹟は無いですが「四菩薩造立抄」に
「本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕候き」(学会版987頁)
と、一尊四士の義があります。
「四菩薩造立抄」は真蹟が無いので真偽について議論があるものの、「日祐目録」の「本尊造立事」がそれに当たると言う見方もあり、中山法華経寺には、鎌倉時代作の一尊四士が在ることなど考慮すれば真蹟扱いしてよいだろうと思います。

126問答迷人:2003/05/07(水) 11:54

123の補足です。

観心本尊抄に「爾りと雖も木画の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す、其の義に於ては天台一家より出でたれども、草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。」とあり、草木の上に色心の因果を置くが故に、木画の像を本尊に恃み奉ることに益がある、との御指南と拝せます。本尊抄では、木像と画(絵)像の本尊の優劣は論じて居られないと拝せます。

127問答迷人:2003/05/07(水) 12:11

豊穣さん 初めまして

119
>一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。

法華行者値難事(文永一一年一月一四日 五三歳)「追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申(の)べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り。天台・伝教は之を宣(の)べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。」

ここに、「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」として、一尊四士の義が明確であると思います。如何お考えになられますでしょうか。

128豊穣:2003/05/07(水) 14:35
あんまり書くと独歩さんに、ぼくが誰か特定されちゃうんで、手短に。
愚鈍凡夫さんが引いた報恩抄は、本門本尊釈尊で、あとは脇士でしょうね。
法華経題目が本当であれば、あとから日蓮は考えを変更したことになりますね。
ご質問はいつの時点をさしているかで違いがあるんじゃないでしょうか。
川蝉さん。ぼくはこんなお寺は何件か見ていますよ。
もう少し歩いてみたらどうでしょうか(笑)
実際に見たから、何でそんな嘘を書くんだろうか?と思うのは当たり前でしょう。
おまけで書かれている解説はlぜんぜん興味ありません(笑)
問答迷人さん。日蓮は終生、随身一体仏でしたよね。
しかし、日興は一尊四士を主張して、それを自分の考えであるといった。それを盗んで、あとから帰伏したの日澄だと言っていますよ。
一尊四士が日興の考えと言ったのは、この日興の言葉に準じて記しました。
これって、日興が嘘を言っているんですか。富士門の常識じゃないでしょうかね。
なお、127で引かれる文で、なんで一尊四士なんですか。そのほかに戒壇と題目五字がついているじゃないですか。
引かれる文章をそのまま像にすれば、背後に文字としての五字(一塔か、首題)、場所としての戒壇も併せ作らなければないのであって、一尊四士とは違うものになりませんか。
川蝉さんが言うような後ろには題目五字がないんだよが、一尊四士ならば、なおさらのことですよね。
だから、ちっとも明確じゃないと思いますよ。
それとも日蓮は四菩薩作って、祀ってたんですか???
ああ、もう書きませんよ。独歩さんにつかまりたくないですから(汗)
ぼくが誰かを追っかけないでくださいね、独歩さん。
見てますよね、見るぐらいはここをネ(爆)
バイバイ!!

129ガンコ:2003/05/07(水) 15:21

大変な質問を受けてしまいました。

しかも「内容が低下している」との感想もよせられていることですし、とてもわたくしの手に負える問題ではございません。といって逃げるわけにもまいりませんし、はなはだ困ったものでございます。
さて、ご質問の主旨は、妙法五字の大曼荼羅と仏像造立の整合性、もっとぶっちゃけて申せば、大曼荼羅信仰の立場の者として仏像造立を認めるのかどうか、ということかと存じます。
本宗においては造像を禁止しておりますが、ではなぜに大聖人は諸御書において造像を仰せられ給ふのか? この積極的説明ということがなされていないから、いつまでも同じ問題を繰り返しているわけでして、ひとえに御宗門の、あるいは各組織の、上層部の責任であろうと思うわけでございます。
人法体一の上から申しましても造像を認めることは、まさしく日蓮本仏論をも瓦解せしめる重大事でありながら、なぜに積極的に取り組まないのか? すでに教義の修正は困難とみて諦めてしまっているのか? あるいはいざという時のために秘策を温存しているのか? わたくしには皆目見当のつかないところでございます。

「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。」(報恩抄)

下種仏法の広大深遠なるスケールを仰せられたもの、とわたくし達は拝するわけですが、であればその下種の御本仏が「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と仰せられるわけだからそうしなければならない、また、諸御書において造像を御認め遊ばすことも御本仏の金言であれば造像を否定することもできない、つまり“御本仏”を逆手にとって反論されても、はなはだ困ったことになるのでございます。

「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。」(三大秘法稟承事)

これも戒壇建立という大事の御指南を門家の遺弟等のために留め置かれたと拝するわけですが、かくも用意周到・懇切丁寧の御本仏様であれば、不必要な御書を遊ばすわけなどなく、造像の御書もまた門家の遺弟等のために留め置かれたと拝さなくてはならない、ということになるのでございます。

ことは本門の本尊にかかわる問題ですから、積極的な意味づけ・理由づけがなされねばならないとするのが当然でありますが、にわか勉強のわたくしには荷が重うございます。よって諸先輩のお出ましを願うものでございます。(なーかなか居ないんだな、これが)

蛇足ですが、大聖人は永久機関のような仕掛けを遊ばしたのではと思うことがあります。いわば“教門の難信難解”のようなあんばいで、なかなか結論が出ないようになっているんじゃないかと。それが「万年の外未来までもながるべし」の仕掛けなのかなあと。

答えになっていなくてごめんなさいです。反論覚悟でもうちょっとマシなのを書いてますので、今しばらく時間をくださいませ。

130問答迷人:2003/05/07(水) 15:50

豊穣さん

>しかし、日興は一尊四士を主張して、それを自分の考えであるといった。

日興が義、と仰った訳ですが、日蓮聖人の義ではない、とまでは仰っておられない。ところが、119では、「一尊四士は日蓮ではなく、日興の考え」と言われたので、日蓮聖人が一尊四士を述べておられる文を引用した訳です。


>なお、127で引かれる文で、なんで一尊四士なんですか。そのほかに戒壇と題目五字がついているじゃないですか。

この文は、いわゆる『三つの秘法』を述べられている文です。今問題にされているのは、本門の本尊ですから、その部分を抜き出せば「本尊と四菩薩」が『三つの秘法』に於ける『本門の本尊』に該当するのは、明らかです。つまり、この文での「本尊」とは、『一尊』。「四菩薩」が『四士』であり、『本門の本尊』は「一尊四士」と仰せになっておられる訳です。

>ああ、もう書きませんよ。独歩さんにつかまりたくないですから(汗)

独歩さんに誰か特定されるとお困りになるご事情がお有りのようで、ご同情申し上げます。独歩さんに喧嘩でも売ったことがお有りなんでしょうか?

131川蝉:2003/05/07(水) 16:20
127 問答迷人 さんへ。

>ここに、「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」
>として、一尊四士の義が明確であると思います。如何お考えにな
>られますでしょうか。

「本門の本尊と四菩薩」については、
本尊抄の
「釈尊の脇士上行等の四菩薩」
「本門寿量品の本尊竝びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せず」との文。
報恩抄の
「本門の教主釈尊を本尊乃至竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし」
との文に例して、四菩薩は上の本尊に付して読むべきで、啓蒙にも「本尊の中に四菩薩あれども惣別竝挙したもう意なるべきか」(啓蒙27の22左)とあるように、「四菩薩を脇士とする本尊」と解釈すべきである。
と一般的に解釈されています。

問答迷人さんの云われるとおり「一尊四士の義が明確である」ですね。

128 : 豊穣 さんが
>引かれる文章をそのまま像にすれば、背後に文字としての五字
>(一塔か、首題)、場所としての戒壇も併せ作らなければないの
>であって、一尊四士とは違うものになりませんか。

とコメントしていますが、
法華行者値難事の、この文では、本尊が一尊四士で、それを奉安する所が戒壇で(もちろん理・事の戒壇の別は有ります)、妙行が南無妙法蓮華経の五字と云う配当になっている文意が理解できないようですね。

132問答迷人:2003/05/07(水) 16:46

ガンコさん 初めまして(でしたでしょうか)

いつも、掲示板に御参加戴き、誠に有り難うございます。

>三大秘法稟承事

この書は、古来偽書の疑いがあり、真偽未決書です。文献にこの書が引用されるのは比較的新しく、鎌倉、室町期の文献には見られないものです。内容的にも色々問題点が多く、この掲示板でも、過去、議論されてきています。御書全集に載せられていると、日蓮聖人の真書だと思いがちですが、真跡の存在しない御書は、批判の眼を以て読まれるべきであろうと思います。一言申し上げました。

133ガンコ:2003/05/07(水) 17:22
これは、どうもです。
三大秘法抄の問題は承知しているつもりですが、文意は読んでのとおりです。つまり、大聖人を本仏と仰ぐのであれば、都合が悪いからといってその御書から目をそむけるわけにはいかない道理を申し上げたかったのでした。とくにわたくしの所属しているところでは、そういう傾向があるものですから、いつまでも通用しないだろうと、自戒をこめたのです。

ちょっと、愚鈍凡夫さん宛てに書いていたのですが、問答名人さんにもご意見をうかがいたいと思います。

「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」(本尊抄)

最近、記号に凝っているんですが、

 一念三千の仏種>有情の成仏>木画二像の本尊
 能生>所生(能説)>仏像仏画(所説)

つまり、大聖人の御文字御本尊は一念三千の仏種であり、いわゆる諸仏能生の根源ということでよろしいのではありませんか。

「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」(本尊抄)
「今は既に末法に入って、在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。而るに今時の学者、時・機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、題目の五字を以って下種と為すべきの由来を知らざるか。」(曾谷入道殿許御書)
「種・熟・脱の法門、法華経の肝心なり。三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり。」(秋元御書)

問答名人さんのご意見を前々より拝見してまして思うことは、必ず絵像ないし画像を曼荼羅に配当するけどなんでやろ? ということでした。わたくしは上に挙げるところの御書よりして、とても木画二像のいずれかにあてはまるものではない、むしろ一念三千の仏種に相当するのではないか? と考えるのです。してみると、

「問うて云はく、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。」(本尊問答抄)

ここで仰せの法華経の題目とは、たんなる法華経の題名ではなく、妙法五字の大曼荼羅を示すものと考えてよろしいのではありませんか。

134愚鈍凡夫:2003/05/07(水) 19:26
問答迷人さん、始めまして。
知らぬ間に、すごい論戦になってますね(種蒔いたんはお前じゃって言われそうですが)。

絹本着色法華経絵曼陀羅図
http://www.hokkeshu.com/kakujiin/toukai/600.htm

ここのページに絵曼陀羅の写真があります。
他に、「蒙古退治旗曼陀羅図」というのがあるのではないでしょうか(本の写真で見ました。イラストかも知れません)。
こういった形は日蓮聖人のお考えにはなかったと思われますか。

川蝉さんに御教示頂く際に引用しました、「四条金吾釈迦仏供養事」の文証が気にかかるのです。話が前後しますが、今は本尊の優劣を問題にしているのではありません。

もし、日蓮聖人に絵曼陀羅(画像)のお考えがなかったとしたら、この文証はどのように理解すべきでしょうか。

「草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり」

可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通りあるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

曼陀羅の件、
「このまんだら(曼陀羅)を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく子ををやのあいするがごとくいをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうごとくとりの木をたのむがごとく一切の仏神等のあつまりまほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」(「妙心尼御前御返事」御書全集 P1477)

昭和定本では2巻に同じ名前で、内容が違う遺文がありますが、御書全集では大石寺に写本があるようです。偽書の可能性はかなり高いのでしょうか。
話を戻すようで済みません。

135問答迷人:2003/05/07(水) 19:51
ガンコさん

三大秘法抄の件、了解です。

>「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」(本尊抄)

「一念三千の仏種に非ざれば」とは、この文の少し手前に「新訳の訳者等漢土に来入するの日、天台の一念三千の法門を見聞して、或は自らの所持の経々に添加し、或は天竺より受持するの由之を称す。」とある通り、後世の訳者が天台の一念三千の法門を盗み入れて訳した様な経典の一念三千ではなく、本来の、法華経の一念三千でなければ、という意味ですね。

日蓮聖人の文字曼陀羅には、法華経の題目たる妙法蓮華経の五字が認められていますから、一念三千の仏種だと言えますね。ですから、それが諸仏能生の根源ということでよろしいと思います。ただ、それがどうかしましたか。記号の意味は全然理解できませんが。

>木画二像のいずれかにあてはまるものではない、むしろ一念三千の仏種に相当するのではないか?

本来、曼陀羅が絵像で有ることは、真言の曼陀羅を見れば判ることですね。尊形を梵字で表す曼陀羅は、顕正居士さんがご紹介下さったとおりで、実際に真言に有るわけです。日蓮聖人は梵字を漢字に置き換えられた点が独創的で有るわけですが、曼陀羅で
有ることにはなにも変わらないと思いますが、如何でしょうか。

136愚鈍凡夫:2003/05/07(水) 20:43
ガンコさん。質問に答えてくれて有り難うございます。

ガンコさんが挙げられている文証は、末法における本尊について言及されている文証ですね。同時にこの本尊の信受によって成道するとの仰せだと思います。
確かに、諸仏成道の根源の法という意味では「一念三千の仏種」ですね。
ただ、「諸仏成道の根源の法」を書写したのが日蓮聖人御筆の本尊だと思うのです。
信受という意味では、木絵二像の本尊も同じように功徳を積むことになるのではないですか。川蝉さんのおかげで少しずつですが、そう思えるようになってきました。
だから、同一理による本尊に格差はなく、結局信受の問題になるということではないですか。

137問答迷人:2003/05/07(水) 21:08

ガンコさん

追加です。今度は僕から質問させていただきます。

>ここで仰せの法華経の題目とは、たんなる法華経の題名ではなく、妙法五字の大曼荼羅を示すものと考えてよろしいのではありませんか。

何を根拠にして、そう考えられるのでしょうか。法華経の題目とは、文字通り、妙法蓮華経の五字以外に考える余地はないと思います。まぁ、百歩譲って、妙法五字の大曼荼羅と解釈したとしても、その大曼陀羅の所詮は、妙法蓮華経の五字に他ならない訳ですから、結局、一緒のことだと思います。

138問答迷人:2003/05/07(水) 21:11

川蝉さん

>法華行者値難事の、この文では、本尊が一尊四士で、それを奉安する所が戒壇で(もちろん理・事の戒壇の別は有ります)、妙行が南無妙法蓮華経の五字と云う配当になっている文意が理解できないようですね。

仰るとおりだと存じます。分かり易くご解説戴き、有り難うございます。今後とも宜しくお願い申しあげます。

139問答迷人:2003/05/07(水) 21:26

愚鈍凡夫さん

初めまして。いつも、書き込み有り難うございます。

>可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通りあるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

聖人は、観心本尊抄において、木画の二像、とは仰っていますが、曼陀羅とは一言も仰っていらっしゃいません。あくまでも、聖人のお考えは、木画の二像であり、その二通りの分類からすれば、木を用いて彫刻するのが木像であり、紙を使って描くのが画像という分類になると思います。やはり、聖人のお考えは、二通りであろうと思います。

なお、妙心尼御前御返事については、日興上人の写本が大石寺に有り内容的にも、問題となるような点が見当たらないと思われますので、ほとんど偽書の可能性はないと考えて差し支えない物と思います。

140川蝉:2003/05/08(木) 12:03
134 愚鈍凡夫 さんへ。

「妙心尼御前御返事」(御書全集 P1477)は
昭和定本では2巻1105頁に掲載されています。
注記に大石寺に興師の写本があるとありますので真蹟同様に扱われています。

>可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通り
>あるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

画像は宗祖在世中に在ったか否かは別として、本尊にしえると考えます。絵で表すか彫刻像で表すか文字で表すかの形式の違いだけですから。

今回の大日蓮展にも鎌倉時代作の静岡妙法華寺の「十界勧請大曼荼羅」や京都本法寺の「宝塔絵曼荼羅」それから南北朝時代の神奈川本興寺の「宝塔絵曼荼羅」、京都法華寺の「絵曼荼羅」が出品されていました。

特に京都法華寺の「絵曼荼羅」には、大覚上人(日像上人の弟子)の署名花押があります。

また京都本法寺の「宝塔絵曼荼羅」は、中山法華経寺の日祐目録(昭定第三巻・2734頁)にある「多宝塔本尊」のことと云われ、宗祖在世の作と伝えられているそうです。

1317年(祖滅35年)の日昭譲状に、「生御影」と記されている「日蓮聖人像」は、曽谷夫妻が説法を聴聞している図ですが、一尊四士の画像が描かれています。

画像表現は古くから在ったことが分かります。

141ガンコ:2003/05/08(木) 17:36

問答名人さん、愚鈍凡夫さん、どうもです。

だいぶ議論が込み入ってきたので、簡略に申し上げます。
まず、大聖人の御文字御本尊が画像に含まれるかどうかですが、ようするにわたくし個人の印象として画像とは思えない、ということです。わたくしの認識が間違っているのであれば改めなければなりませんが、こうした感覚的なものはなかなか変わらないものです。
小学生レベルの思考力で、木画二像といえば、ほとけさまのおすがたを彫ったものを木、ほとけさまのおすがたを描いたものを画、と考えるのです。まして幼稚園レベルになれば、これは絵ですよといっても理解できないわけです。(つまり、じぶんは幼稚園レベルだということです)
いずれにしても、御文字御本尊を拝していて画像であるなどと思ったことは一度もないです。

>木絵二像の本尊も同じように功徳を積むことになる
>同一理による本尊に格差はない

これはべらぼうに難しい問題で、うかつなことを書けばえらいことになると思ってはいますが、記号の意味は御文字御本尊が上位にくる、つまり勝劣があると申し上げたかったわけです。
しかし、問答名人さんに説明の不備をつかれてしまった格好ですね。
本尊問答抄の「法華経の題目を本尊とすべし」が御文字御本尊のことならば、同抄に能生・所生の関係を明示し給うごとく、まさしく大聖人の顕し給う御本尊こそ最上位にくるだろうと考えたのですが、辛口に申せばぜんぜん説明になっていない、まあ手心を加えてもまだまだ説明が足りないといったところでしょうか。

なんと申しますか、希望的観測というか曼荼羅正意願望が、短絡的結論を出してしまったのだと、自省しております。

まあ、正宗信徒にとってはこれでじゅうぶんなんですけど・・・曼荼羅正意を述べるのならばもっと緻密でなければならない、とのご助言と拝しました。

142愚鈍凡夫:2003/05/08(木) 18:50
川蝉さん。いつもながら丁寧な御教示有り難うございます。
日蓮聖人の御本尊の奥行きの深さを感じました。
有り難うございます。

143愚鈍凡夫:2003/05/08(木) 19:37
ガンコさんへ。

お礼なら問答迷人さんに言ってください。小生は意見を述べただけです。


スレッドテーマとは関係ないですが、こういうのがありますよ(ガンコさんには面白くないかもしれませんが)。

第一章 顕正会とは何か
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/1558/page013.html

144落ちこぼれ大作:2003/05/08(木) 20:13
ゴメン:: とても御参考になりまする、、。どなたかお教え頂きたく、、。日蓮さん当時「木の像とは=彫刻でしょうか??」、また「画の像とは”筆”にて紙面に”文字または絵”などを」書することでしょうか、、?? 難儀でしょうが、論戦イヨイヨの肝心カナメかと、存じまするが、、??

145愚鈍の田子作:2003/05/08(木) 21:23
木の彫刻は「少なからずの”ウデと技”が要か、、出来映え次第が”スグ現れる”からです、、。偶像多造時代の先代の後遺症的な、その木像から”一般の方は五字・七字の題目”を体感可能でょうか、、?? その可能な方はカナリの強信者かと、、??」「字ズラの書式なら”初心の者でもアル程度は、五字・七字のお題目を”体感・理解可能でしょうか、、??」。 ガンコさんの「木より書画が大という趣旨」には、一応賛同いたしまする、が、??。

146ガンコ:2003/05/08(木) 23:07

>スレッドテーマとは関係ないですが、こういうのがありますよ(ガンコさんには面白くないかもしれませんが)。

いつも資料の提示ありがとうございます。ここは結構有名だから知ってました。もちろん全文読んでます。古参幹部はみんな注目しているんじゃないですかね。わたくしは直接面識ありませんけど、彼が男子部幹部だったのは覚えています。

147ガンコ:2003/05/08(木) 23:25

落ちこぼれ大作&愚鈍の田子作さん

あなたの文章は個性的ですから、なんだかそれだけで存在感がありますね。

148川蝉:2003/05/09(金) 14:35
問答迷人さん、愚鈍凡夫さん、ガンコさん今日は。
曼荼羅と一尊四士

建治二年七月の「報恩鈔送文」に、
「御本尊図して進せ候。」
とあって、曼荼羅を本尊と呼んでいます。
ちなみに、漢和辞典には「図」は「絵 えがいたもの」と説明しています。
宗祖は曼荼羅について、文字を書いたものと云う意識だけでなかったように思えますね。

文永十二年「新尼御前御返事」(身延曾存)
「但大尼御前の御本尊の御事、おほせつかはされておもひわづらひて候。」とあって、その御本尊を「此五字の大曼荼羅」と呼んでいます。曼荼羅を本尊と呼んでいるわけです。
そして、その曼荼羅を
「寺寺の本尊皆かんがへ尽し、日本国最初の寺元興寺、四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本記と申ふみより始て多の日記にのこりなく註して候へば、其寺寺の御本尊又かくれなし。其中に此本尊はあへてましまさず。」(866)
と説明していますが、
この部分は、
本尊抄の
「正像二千年の間は小乗の釈尊は、迦葉、阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか」
に同じ意ですね。

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給て、世に出現せさせ給ても四十余年、其後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品、属累に事極て候しが、」(867)の部分は、
本尊抄の
「是の如き本尊は、在世五十余年にこれ無し、八年の間にも但だ八品に限る。」(学248・昭定713))
と同様の説明です。
「報恩鈔送文」や「新尼御前御返事」によれば、曼荼羅を本尊と呼んでいたことは確かでしょうね。

本尊抄に
「其の本尊の為体」を「本師・・」と、曼荼羅の構想を述べて「是の如き本尊は在世五十余年に之無し」とある本尊は、本尊抄述作当時にはまだ未顕ですが、宗祖の頭にすでにあった、間もなく図顕する大曼荼羅を指していることが分かります。
この文に続いて
「正像二千年の間は小乗の釈尊は、迦葉、阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか」
と続きますが、この部分の文意は、
「脇士を以て仏格を表す古来の造像上の決まりがあるから、大曼荼羅で表した寿量の仏を仏像で表すとすれば、本化四菩薩を脇士とした仏像として表すべきである」
と解釈出来ると思います。
続いての部分は
「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば、三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由これを申ぶ」(713)
とありますが、
「本門寿量品の本尊即ち大曼荼羅本尊ならびに、四菩薩を脇士として表した本門寿量品の本尊は未だ崇重されていない」と云うようにも解釈して良いだろうと思います。

ただし、この文の「始めて此の仏像出現せしむ可きか」の「仏像とは大曼荼羅本尊の事である」とか「すなわち末法に入って始めて、未曾有の大曼荼羅本尊の形式をもって、今日蓮が、この寿量品の本仏釈尊の仏像を光顕するのである」と解釈する宗学者もいます。

本尊抄の終わり部分に、
「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊を此の国に立つべし。月支、震旦にも未だ此の本尊ましまさず。」
は、「このような時こそ、地涌千界の大菩薩が出現して
四菩薩を脇士として本門寿量品の釈尊である事を表す所の一閻浮提第一の本尊を建立するであろう」
との意味ですね。此処に、一尊四士像本尊を述べている理由は、
続いての文に、
「日本国の上宮、四天王寺を建立せしに、未だ時来らざれば、阿弥陀佗方を以て本尊と為す。聖武天王、東大寺を建立せしも、華厳経の教主なり。未だ法華経の実義を顕はさず。伝教大師は粗ぼ法華経の実義を顕示す。然りと雖も、時未だ来らざるの故に、東方の鵝王を建立して、本門の四菩薩を顕はさず」
と有るように、四天王寺、東大寺等の官寺を挙げているので、公的な法華経弘通の拠点としての寺塔が建立される時には、一尊四士像を本尊とすべきだと云うお考えが有ったからだと思うのです。

149問答迷人:2003/05/09(金) 18:06

川蝉さん 愚鈍凡夫さん、ガンコさん

>宗祖は曼荼羅について、文字を書いたものと云う意識だけでなかったように思えますね。

川蝉さんのご意見に全面的に賛同します。本来、曼陀羅が、絵であることは、論議の余地が無いと思います。例えば、大辞林によれば、曼陀羅とは、「〔仏〕〔梵 maala〕画面に諸仏を描いた図形や象徴的に表した記号を特定の形式で配置し、悟りの世界や仏の教えを示した図絵。四種曼荼羅・金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅など。」とあるとおりです。

日蓮聖人が、「本門の本尊」を文字を用いて紙の上に表され、それを「曼陀羅」と呼ばれたことも確定事項です。この二つのことから、日蓮聖人が文字を用いて表された「妙法曼陀羅」が画像であることは、やはり、議論の余地がないと考えます。ただ、従来の木像や絵像と、文字曼陀羅との勝劣については、議論の余地は有ろうかと思いますが、別の次元の事であろうと思います。

150ガンコ:2003/05/09(金) 19:03

川蝉さん、恐れ入りまする。

わたくしもひとつ書いていたんですが、発表するまえに破折されちゃったみたいです。恥をかかずに済んだとも言えますが、大体こうして書き込んでいること自体、恥を晒しているんでしょうね。
恥かきついでに申し上げますと、わたくしは漢文が読めませんものですから、御書は大石寺版に依っているのが実情です。そうしますとご存知のごとく本尊抄などの重要な部分で読み方に相違がありまして、「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。」 ここがその典型なのでしょうね。
この部分は大事でありますから、じっくり考えてまいりたいと思いますが、少し関わりがあると思われるので以下質問させてください。

「問ふ、正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す。」
「月支・震旦に未だ此の本尊有さず。日本国の上宮、四天王寺を建立すれども未だ時来たらざれば、阿弥陀・他方を以て本尊と為す。聖武天皇、東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕はさず。伝教大師粗法華経の実義を顕示す。然りと雖も時未だ来たらざるの故に、東方の鵞王を建立して本門の四菩薩を顕はさず。」

この両文は御表現ならびに内容に相違がなくはないですが、結論は同じことを仰せられているように思えます。もしそうであるならば、後文の最後の部分「本門の四菩薩を顕はさず」は “本門寿量品の本尊並びに四大菩薩を顕はさず” との意味になろうかと拝します。してみると、なぜに本門寿量品の本尊を省略あそばすのかが疑問に思われるのですが、いかがでしょうか? 

まるで大聖人にケチを付けているような書きようで申し訳ありません。

151愚鈍凡夫:2003/05/09(金) 19:13
川蝉さん、問答迷人さん、ガンコさん。お世話になってます。
有り難うございます。

「公的な法華経弘通の拠点としての寺塔が建立される時」というのは、「戒壇堂建立の時」との解釈でしょうか。

川蝉さん、問答迷人さんの御教示をまとめますと、
「本門の本尊」を画像で表現するとは、文字通り「絵曼陀羅」の場合と、文字で描かれた「曼陀羅」の場合とがあるとの解釈でいいでしょうか。

152ガンコ:2003/05/09(金) 19:22

問答名人さん、重ね重ねのご教示ありがとうございます。

おっしゃる意味はおおむね理解いたします。
そもそも漢字というものの起こりからして、山とか川とか、対象を記号化したものであるわけですから、絵や画や図といったものと無関係とはいえないわけですね。

ただ、反論というわけではありませんが、大聖人が未曾有の大曼荼羅と仰せられる意味は、知らない人ならなにか巨大なものを想像するかもしれませんが、じっさいはたんなる大小を意味するわけではないのでしょうから、従来の曼荼羅の概念だけでは捉えきれないものがある、そういう可能性もいくぶんかは考慮すべきだろうと思います。

「そんなことは言われなくてもわかっているよ」
「あ、これは、失礼しました」(一人芝居)

153問答迷人:2003/05/09(金) 19:56

ガンコさん

>従来の曼荼羅の概念だけでは捉えきれないものがある、そういう可能性もいくぶんかは考慮すべきだろうと思います。

仰るとおり、日蓮聖人の妙法曼陀羅は、曼陀羅でありながら、その所詮が、「妙法蓮華経の五字」であり、曼陀羅が経巻の意義を持っているところに、その独創性が有ると思っています。ですから、従来の曼陀羅を踏襲しながら、しかも、従来の曼陀羅の概念を超えていると考えています。

154問答迷人:2003/05/09(金) 20:01

愚鈍凡夫さん

>「本門の本尊」を画像で表現するとは、文字通り「絵曼陀羅」の場合と、文字で描かれた「曼陀羅」の場合とがあるとの解釈でいいでしょうか。

僕も、そのように考えています。ただ、日蓮聖人が、果たして絵曼陀羅を視野に入れて考えておられたかというと、そのような絵曼陀羅を聖人が描かれたという記録が見当たりませんので、絵曼陀羅を描くことは、日蓮聖人は考えておられなかったのではなかろうかと思います。

155愚鈍凡夫:2003/05/09(金) 21:16
問答迷人さん了解です。

ガンコさんへ。
小生も、漢文は見ずに済むものなら見たくもないと言うのが本音です。
経典を無理矢理読んでいる時など、「なんじゃこりゃ」という迷読・珍読はしょっちゅうで、
笑い転げています。

156顕正居士:2003/05/10(土) 01:14
仏像、仏画、曼荼羅

曼荼羅とは仏、菩薩、神々の集会(しゅうえ group)の表現を云います。だから。
単の仏像、菩薩像、神像に対するのです。普賢、文殊、観音、彌勒の四菩薩を
伴う釈尊の像を一尊四士と云い、これらは曼荼羅を構成します。上行菩薩等を
伴う釈尊の像も一尊四士であり、曼荼羅を構成します。曼荼羅とは仏画の種類
ではなくて、仏、菩薩、神々の集会のあらゆる表現であると考えるべきです。

要するに単の歌手を表現するのに対して、グループを表現するので、その表現
にはレコード、CDのジャケット写真のほかにフィギュアもあるのと同じことです。

157愚鈍凡夫:2003/05/10(土) 06:03
顕正居士さん始めまして。
小生たちが仏画と称していたのは、例えば涅槃図のようなものを指していっているのではないのですが、
密教などの曼陀羅を見ますと、やはり絵です。
文字で描かれた曼陀羅を、絵曼陀羅に表現することは可能と思われますが・・・・・。

それと顕正居士さんの例え、少しずれてませんか、
実際、コンサートやライブで目の当たりにできる歌手の場合と違って、「本門の本尊」とは本来目に見える存在ではないと思うのですが(ある種の追っかけにとっては、歌手は教祖的存在ですから、そういう意味では宗教的ではありますが)。
「本門の本尊」はサインしてくれません。
何となく、雰囲気は似ているように思えなくもないですが、「ジャケット写真とフィギア」と「曼陀羅と仏像」とは違います。

158問答迷人:2003/05/10(土) 08:32

顕正居士さん

いつもながら、明晰なレス、誠に有り難うございます。

>上行菩薩等を伴う釈尊の像も一尊四士であり、曼荼羅を構成します

なるほど。日蓮聖人が、観心本尊抄でお示しの本尊は、仏、菩薩、神々の集会に他ならず、それ自体、曼陀羅なのだと言う事ですね。日蓮聖人が表された紙幅曼陀羅は、「仏、菩薩、神々の集会」=「曼陀羅」としての本尊を、画像として文字を用いて表されたもの、という事ですね。

159通りすがり:2003/05/10(土) 18:47
>観心本尊抄…仏、菩薩、神々の集会=「曼陀羅」
ではなくて、一念三千を示すために十界の衆生諸尊を集めて記したのが日蓮の曼荼羅ではないでしょうか。
曼荼羅=輪円具足で、この場合、何が具足しているかといえば十界の衆生すべての具足をもって大聖人は曼荼羅の意義を整えているわけでしょう。
ですから、
>上行菩薩等を伴う釈尊の像も一尊四士であり、曼荼羅を構成
というのは違うでしょう。
一尊四士は菩薩を脇士にする仏本尊に違いないでしょうが、これを曼荼羅といえば誤解が生じます。

160通りすがり:2003/05/10(土) 18:57
つまり、大聖人は本門の本尊=久遠釈尊(仏界)を中心に十界を構成して見せたのが日蓮曼荼羅であったのではないでしょうか。
ここでの最近の議論は本尊=曼荼羅に偏り、それぞれの別段の意味を軽率に扱っているように感じます。
御曼荼羅(+御影)でよしとする人々には、本尊と曼荼羅が同じように扱うのはいいでしょうが、仏像を重んじる側からすれば、そんな議論は乱暴に感じます。

161ガンコ:2003/05/10(土) 19:50

いよいよ役者がそろってきた感があります。

顕正居士さんに申し上げます。
通常、曼荼羅正意論の対立軸は御文字御本尊vs仏像にあると思います。あなたは仏像といえども一尊四士(あるいは一塔両尊四士も含むでしょうか)は“集会”なるがゆえに曼荼羅を構成するとの斬新な、いや、より原意的と申しますか、ともかくわたくしの考え及ばぬ見解を示されました。
しかしながら、そうしますると押しなべてどれもこれもが曼荼羅となってしまって、議論がボケてしまうようにも思えます。
すでに今の争点は、大聖人は御文字御本尊のみを本意とするのか、仏像も御本意に含まれるのか、ここが議論の分かれ目になっているように思うのです。(そうですよね、通りすがりさん?)
とうぜん、あなたのことですから、何か斬新なご見解をお持ちのことであろうかと存じます。
よろしくご教示ねがいます。

愚鈍凡夫さんに恐れながら申し上げまする。

比喩というのはなかなかピタリとはいかないものです。
ですから、わたくしはその巧拙とか適不適を考える以前に、その方が何をおっしゃりたいのかを考えます。

「そんなことは言われなくてもわかってるよ」
「あ、これは、失礼しました」(一人漫才)

162問答迷人:2003/05/10(土) 19:54

通りすがりさん

「曼陀羅」の原意が、 「仏、菩薩、神々の集会」であると、顕正居士さんは仰っているわけです。転じて、紙に諸仏、諸尊を集めて記した絵が曼陀羅と呼ばれているわけです。ですから、諸仏、諸尊の木像を集めて、集会として配置すれば、それも又、曼陀羅だという事です。つまり、一尊四士も曼陀羅であるという事になるわけです。曼陀羅=紙に諸仏、諸尊の集会を描いた物、と限定的に捉えると、顕正居士さんの仰っておられることが理解できなくなると思います。如何でしょうか。

163問答迷人:2003/05/10(土) 20:11

ガンコさん

結局、文字曼陀羅、絵曼陀羅、木像曼陀羅。この三種の本尊では、利益に勝劣があるかどうか、と言うことですね。うーん。難しいですね。日蓮聖人の本意が何処にあったかと言うことも含めて、じっくりと考えてみるべきテーマだと思います。

164愚鈍凡夫:2003/05/10(土) 20:40
ガンコさんへ。
小生、顕正居士さんの歌手の譬喩はジョークと受け止めました。だから、ジョークで返さないと失礼に当たると思い、ああいうトンチンカンなコメントになりました。悪しからず。

広辞苑には、次のように記述されています。

まんだら【曼荼羅・曼陀羅】
〔仏〕(梵語 mandala  輪円具足・道場・壇・本質などと訳す) 諸尊の悟りの世界を象徴するものとして、一定の方式に基づいて、諸仏・菩薩および神々を網羅して描いた図。
四種曼荼羅・両界曼荼羅など多くの種類がある。もともと密教のものであるが、浄土曼荼羅や垂迹曼荼羅、日蓮宗の十界曼荼羅のように、他にも転用される。おまんだら。
広辞苑第4版

小生もこのように理解しております。

165問答迷人:2003/05/10(土) 21:53

愚鈍凡夫さん こんにちは

mandalaについては、【つぶやきすれっど2】の556〜580レスで、顕正居士さんがすでに詳しく書き込まれています。もう一度ご覧になってみられては如何でしょうか。

166難儀 寅吉:2003/05/10(土) 22:09
ガンコ様もご指摘の如く「いよいよ主役の方々」がお揃いになったようで、、何よりでございます、、。一庶民と致しましては「コンナ、クソ忙しいのに、暇と金をかけてまで、、何故に”信仰の”歩みに一歩進む」と言う難儀を選択するんでしょうか、、?? 「これは”腐りきり、汚れ、醜いドス黒い欲望に蹂躙される”情けない自分を、何とかしたい、、??」という「前向きな本心がホンノ少しだけ?」でも残存している方々が、居られたからかとぞんじます、、。「成就仏身こそ寿量品のカナメかと、、?」。この「成仏」のための「是非とも必要な事は??」「誹謗正法とは??」「摂受〜折伏=法華折伏破権門理=破邪顕正??」等々は、どのように「成仏と関連」されておるのでしょうか、、??

167顕正居士:2003/05/10(土) 23:17
四種曼荼羅

と云い、諸尊の姿を画にあらわしたのは「大曼荼羅」と呼びます。他に三種あります。
立体曼荼羅、フィギュア曼荼羅は「羯磨曼荼羅」と呼びます。東寺講堂には二十一体
の尊像が構成するカツマ曼荼羅があります。

参考

http://www6.plala.or.jp/housyou/mandara.html

168愚鈍凡夫:2003/05/10(土) 23:18
梵語としての「mandala」とは本来、

「輪円具足」・・・・・十界の衆生の集会
「道場」・・・・・・・・・各衆生が成道を目指す場所
「壇」・・・・・・・・・・・戒壇を指し、勧請された菩薩たちや神々たちが各段に集会する。そういう意味では三次元的広がりも表現している。

との意味を含むものであり、
「mandala」を単に仏、菩薩、神々の座配図と解釈するのは誤り。
ということでしょうか。

169顕正居士:2003/05/11(日) 01:27
愚鈍凡夫さん。

マンダラとは具体には「壇」(段)を云い、立体であり、平面でありません。だから画像
のマンダラはある視点から立体を平面に投射したものです。

しかし立体マンダラは戒壇とか講堂の施設には向く、マンダラの中に入ったような気分
にさせるが、本堂の施設には向かないから両界曼荼羅が普通になったのでしょう。
小さい立体マンダラ、仏塔みたいのもありますが、本堂には向かない印象がします。
立体マンダラは巨大寺院の構造物全体を曼荼羅化するような壮大な計画に最も向く
のかしれない。ボロブドゥールの巨大寺院のように。

参考
http://www.hcn.zaq.ne.jp/cabhg103/borobudur0.htm

三位日順が妙法曼荼羅は戒壇の図面と云ったのは、妙法曼荼羅が略式の本尊で
ある意味ではなく、壮大な計画の意味であった可能性もあります。礼拝芸術は用途
によって優劣があるので、大寺院、本堂、講堂、家庭の仏間、それぞれに違います。

170愚鈍凡夫:2003/05/11(日) 01:40
顕正居士さん。丁寧な御教示有り難うございます。
とても勉強になりました。

紹介された資料の数々、仏法研鑽の資料にさせて頂きます。
有り難うございました。

171川蝉:2003/05/11(日) 09:59
160 : 通りすがり さん今日は。

>大聖人は本門の本尊=久遠釈尊(仏界)を中心に十界を構成して
>見せたのが日蓮曼荼羅であったのではないでしょうか。・・
>御曼荼羅(+御影)でよしとする人々には、本尊と曼荼羅が同じ
>ように扱うのはいいでしょうが、仏像を重んじる側からすれば、
>そんな議論は乱暴に感じます。

観心本尊抄の「今本時の娑婆世界・・」いわゆる四十五字法体段は久遠釈尊の証悟の世界、すなわち釈尊の身土、釈尊の一念三千を述べている箇所と解釈されています。
そして霊山虚空会の世界が、久遠釈尊の証悟の世界、釈尊の身土の具体相であるので、法華経八品説法の虚空会の世界をもって久遠釈尊を表さんと意思表示しているのが「其の本尊の為体・・」と大曼荼羅の構図を語っている所以だと思います。

「其の本尊の為体・・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し」
とあるように、虚空会の諸菩薩、諸天等は、久遠釈尊の弟子として釈尊のの手足となって仏行を行う者に成っていますので、四菩薩に接せられます。
そこで、一尊四士の、中央釈尊に妙法五字や多宝仏、諸仏を接し、諸菩薩等の他の諸尊を四菩薩に接して表したのが一尊四士像本尊と思います。
大曼荼羅も一尊四士像も本尊であると云うことになります。

172問答迷人:2003/05/11(日) 11:54

本門の本尊と一尊四士

「本門の三つの法門」として「本門の本尊と戒壇と題目の五字」が法華取要抄に述べられたのが、聖人身延入山直後の文永11年(西暦1274年)5月。そのあと二年二ヶ月後の、建治2年(西暦1276年)7月、報恩抄において「一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。」と述べられています。今、問題の、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」との記述は、文永11年1月、鎌倉幕府が赦免状を発する一ヶ月前、佐渡流罪の終わりのころのものです。

これらを比較すると、「本門の本尊」についての報恩抄の記述「所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。」と、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩」との記述は内容的には軌を一にしていることに気付きます。さらに、該当個所の、観心本尊抄の記述も、「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、」とあり、同じ内容を述べられている事が判ります。

ただ、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩」との表現においては、この文だけでは「本門の本尊」と「四菩薩」なのか、本門の「本尊と四菩薩」なのか、判然とはしていませんが、本尊抄と報恩抄の内容と対比してみると、これは、本門の「本尊と四菩薩」との意味で、ここに於ける「本尊」は、「本門の本尊」の中の仏格に相当している事が判ります。以上、本尊抄、値難事、取要抄、報恩抄の対比から、「本門の本尊」に「一尊四士」の意義が含まれていることが判ります。

さらに、本尊抄において、「正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す。」と述べられ、正像に於ける寺塔を建立と対比させる形で述べられた、奉安形式としての一尊四士を彷彿とさせる記述があります。これらの事から、日興が義として有名な、奉安形式としての一尊四士像は、すでに、日蓮聖人のお考えであった可能性が高いものと思います。

173愚鈍凡夫:2003/05/11(日) 13:54
「さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」(「三沢抄」)

三沢抄にこのように述べられているものの正体は、

「像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し、出現して、迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽くせり。但、理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字、竝びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず。所詮、円機有って円時無き故也」(「観心本尊抄」)
と仰せのように、像法の世に未だ誰も説いていない、「本門の題目」と「本門の本尊」、
そして、「本門の戒壇」を加えた、三つの秘法だと言うことは、異論がないと思います。

この「本門の本尊」に「一尊四士」の意義が含まれていることは、川蝉さん、問答迷人さんが仰っています。

故に、「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」との「本門の本尊」とは、
「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し」(「観心本尊抄」)

この意義と構図を持つ本尊の総称と言うことではないでしょうか。

確かに、自分が信じていた本尊こそがナンバーワンだと思うのは、無理のないことです。でも、御本尊の意義からもう一度、捉え直す必要があるように思います。
日蓮聖人の置かれていた事情の中から生まれたものが最高のものなのか。それとも、事情が許せば、他の表現方法も考えられていたのか。
こういう見方も必要じゃないでしょうか。

174ガンコ:2003/05/11(日) 18:41
川蝉さん、問答名人さん

質問ばかりで恐縮ですが、まず
>一尊四士の、中央釈尊に妙法五字や多宝仏、諸仏を接し

とは、大曼荼羅信仰者のわたくしには、はなはだ奇怪に見えます。法華取要抄に「・・・この多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」とありますから、仰せのごとく中央釈尊に多宝仏をはじめとして三世十方のあらゆる仏が摂せられるということになりましょう。しかしながら、ここに妙法五字が含まれるのはなにゆえでありましょうか?

>以上、本尊抄、値難事、取要抄、報恩抄の対比から、「本門の本尊」に「一尊四士」の意義が含まれていることが判ります

もはや難しすぎてよくわからないのですが、本尊抄と報恩抄の該当部分を対比しますと、塔中の妙法蓮華経=本門の教主釈尊と読めますがいかがでしょうか?

そうしますと、一尊四士の中央釈尊に妙法五字を接するのではなく、釈尊と妙法は一体である、いわゆる人法体一ということになりはしないでしょうか?

175ガンコ:2003/05/11(日) 18:49

愚鈍凡夫さん

>確かに、自分が信じていた本尊こそがナンバーワンだと思うのは、無理のないことです。

確かにおっしゃるとおりです。
ですから、考えるにあたって、常に自戒しているつもりですが、どうしても自己都合的というか恣意的というか、手前味噌の考えに陥ってしまいがちのところがあります。
どうぞ、遠慮なくどんどん指摘してください。

176川蝉:2003/05/12(月) 11:47
ガンコさんへ。

>中央釈尊に多宝仏をはじめとして三世十方のあらゆる仏が摂せら
>れるということになりましょう。しかしながら、ここに妙法五字
>が含まれるのはなにゆえでありましょうか?

妙法は釈尊の証悟の実質ですし、釈尊の所説です。能証・能説の釈尊に接することが出来ましょう。

>一尊四士の中央釈尊に妙法五字を接するのではなく、釈尊と妙法
>は一体である、いわゆる人法体一ということになりはしないでし
>ょうか?

妙法五字は釈尊の証悟の内容であり教法です。釈尊をその内証・教法で表せば妙法五字といえますね。

>塔中の妙法蓮華経=本門の教主釈尊と読めますがいかがでしょう
>か?

「一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」
観心本尊に「その本尊の為体・・」と霊山虚空会の光景をもって釈尊(の身土・証悟の世界)を表してるのと同じに、「所謂宝塔の内の・・」は、大曼荼羅の構成を略して書き上げていると解釈し、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。それは大曼荼羅で表すのである」との意味に受け取る事が妥当だと思います。
真蹟は有りませんが「報恩抄送状」に
「御本尊図してまいらせ候」(学会版・330頁)
とあるように、報恩抄と大曼荼羅本尊を一緒に送り届けてもいる事からも、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。それは大曼荼羅で表すのである」と解釈するのが妥当だと思うのです。

「宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」
とあるので、釈迦、多宝、(塔)外の諸仏と四菩薩がともに脇士となると解釈する人もおりますが、その場合には、釈迦、多宝は能説仏と能証仏で、釈迦、多宝・諸仏の三仏は、共に妙法の脇士であり、上行等の四菩薩は、三仏の中の能説の教主釈尊の脇士であることになりますね。、

ちなみに、録内啓蒙には、この文の解釈に古来、四種あると、四種の解釈を紹介していますが長くなるので紹介は省きます。

177日蓮大聖人絶対主義:2003/05/12(月) 16:43
あらためてて言う、

私は「日蓮大聖人絶対主義」です。
呼称としては「日蓮大聖人」とお呼びするのが、気持ちの上でシック
リしますが、大事なことは「呼称」ではない。
ご本仏を『日蓮大聖人唯一』とシッカリ認識し、「依法不依人」を徹
底する事です。


1)「日蓮大聖人唯一」
2)「依法不依人」

学会も、宗門も1)2)を希薄にして、日顕法主。池田名誉会長に重
きを置きすぎている。仏法混乱の病根です!

日顕法主、池田名誉会長も日蓮大聖人から見れば、マチガイ多き「人師」です。

各教団は「依法不依人」を忘れていないか、戒めなくてはなりません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」を徹底しなければ謗法教団になる。


日顕法主。池田名誉会長に重きを置くは『謗法』です。

すべてのマチガイはここにあります。
日蓮大聖人の前に立ちはだかる「人師」に導かれ、信者はその口より
翻訳された仏法を聞くことになる。
裁判沙汰の「法主」や「教祖」である。大聖人の仏法が正しく伝わる
のかどうか、疑わしい。
信徒も教学を身につけ「依法不依人」を徹底し、『日蓮大聖人唯一』
を再確認しなくてはなりません。

人師にも依存せず、教学を身につけることは困難ではあるが、猊下、
僧侶とてアノ程度である。ここは孤独を覚悟して、題目を羅針盤と頼
り、大聖人のお心を求めていくしかありません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」と心して、仏意をめてゆくならば
道を間違えることはありません。

すべての教団が余念を捨て『日蓮大聖人唯一』に同意ならば、対立の
中に「接点」ができる。
日蓮を『仏』と仰ぐ教団は帰一の可能性が見いだせる。

『立宗七百五十年』各教団バラバラに行われた慶事は、大聖人の発願
の理想の姿ではない。歴史的事情や、先達の経緯によって分裂、分派
し不本意ながら今日の教団の姿になった。
過去を越えて大聖人の『原点』に戻すのも「日蓮が弟子」の使命では
ないでしょうか。「我が弟子、同心すべし!」仏意と思う。

「狭い心」に囚われるべきではない。


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