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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

173愚鈍凡夫:2003/05/11(日) 13:54
「さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」(「三沢抄」)

三沢抄にこのように述べられているものの正体は、

「像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し、出現して、迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽くせり。但、理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字、竝びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず。所詮、円機有って円時無き故也」(「観心本尊抄」)
と仰せのように、像法の世に未だ誰も説いていない、「本門の題目」と「本門の本尊」、
そして、「本門の戒壇」を加えた、三つの秘法だと言うことは、異論がないと思います。

この「本門の本尊」に「一尊四士」の意義が含まれていることは、川蝉さん、問答迷人さんが仰っています。

故に、「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」との「本門の本尊」とは、
「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し」(「観心本尊抄」)

この意義と構図を持つ本尊の総称と言うことではないでしょうか。

確かに、自分が信じていた本尊こそがナンバーワンだと思うのは、無理のないことです。でも、御本尊の意義からもう一度、捉え直す必要があるように思います。
日蓮聖人の置かれていた事情の中から生まれたものが最高のものなのか。それとも、事情が許せば、他の表現方法も考えられていたのか。
こういう見方も必要じゃないでしょうか。


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