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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
172
:
問答迷人
:2003/05/11(日) 11:54
本門の本尊と一尊四士
「本門の三つの法門」として「本門の本尊と戒壇と題目の五字」が法華取要抄に述べられたのが、聖人身延入山直後の文永11年(西暦1274年)5月。そのあと二年二ヶ月後の、建治2年(西暦1276年)7月、報恩抄において「一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。」と述べられています。今、問題の、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」との記述は、文永11年1月、鎌倉幕府が赦免状を発する一ヶ月前、佐渡流罪の終わりのころのものです。
これらを比較すると、「本門の本尊」についての報恩抄の記述「所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。」と、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩」との記述は内容的には軌を一にしていることに気付きます。さらに、該当個所の、観心本尊抄の記述も、「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、」とあり、同じ内容を述べられている事が判ります。
ただ、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩」との表現においては、この文だけでは「本門の本尊」と「四菩薩」なのか、本門の「本尊と四菩薩」なのか、判然とはしていませんが、本尊抄と報恩抄の内容と対比してみると、これは、本門の「本尊と四菩薩」との意味で、ここに於ける「本尊」は、「本門の本尊」の中の仏格に相当している事が判ります。以上、本尊抄、値難事、取要抄、報恩抄の対比から、「本門の本尊」に「一尊四士」の意義が含まれていることが判ります。
さらに、本尊抄において、「正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す。」と述べられ、正像に於ける寺塔を建立と対比させる形で述べられた、奉安形式としての一尊四士を彷彿とさせる記述があります。これらの事から、日興が義として有名な、奉安形式としての一尊四士像は、すでに、日蓮聖人のお考えであった可能性が高いものと思います。
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