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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

1管理者:2002/03/08(金) 16:52

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/gohonbutu.htm


スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。

古来、日蓮大聖人様が御本仏である、というのは、大石寺、富士門流の根幹教義です。この教義について、幅広く、根源的な議論が展開される事を期待して、このスレッドを立ち上げます。

253みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/20(火) 22:45
いわゆる「立宗宣言」の時に、天台宗から独立した
一宗一派を立てたという意識があったと私は
思わないのですが、そのときに一宗を立てたと
思う根拠は何ですか?

254川蝉:2003/05/21(水) 09:17
253 : みかん(z8VoUpnM)さんへ。

昔から「立宗宣言」とか「開宗会」「立教開宗」等の言葉が使われていますね。
慣例に拠ってコメントの中で「開宗当初」と云う言葉を使いました。
宗祖に「天台宗から独立した一宗一派を立てたという意識があった」との意は書いていません。で、「そのときに一宗を立てたと
思う根拠は何ですか?」と問われても困るわけです。

真蹟無ですが、建治二年三月の「妙密上人女房御消息」に、
「然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず。持戒、破戒にも闕て無戒の僧、有智、無暫にもはづれたる牛羊の如くなる者也。何にしてか申し初めけん。上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を、先立てねごとの様に心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱る也。」(学会版・1239頁)
とありますので、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字を弘通するという意識であったのでしょう。やがて、今で云う所の宗団が形成されて云ったわけですね。

255川蝉:2003/05/21(水) 09:56

追加です。

真蹟無ですが弘安三年十月の「妙一女御返事」に
「日蓮は今時を得たり、豈此所属の本門を弘めざらんや。」

文永十年五月の「顕仏未来記」に
「安州の日蓮は恐らくは三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加へて三国四師と号す」
とあります。
真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。

256ガンコ:2003/05/22(木) 17:12
川蝉さん、みかんさん。
「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば日蓮が不思議とゞめんと思ひて勘へたり。此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して、此の御一門どしうちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し。」(種々御振舞御書)
「謗法の世をば守護神すてて去り、諸天まぼるべからず。かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし。還って大難に値ふべし。金光明経に云はく「善業を修する者は、日々に衰減す」等云々。悪国悪時これなり。具には、立正安国論にかんがへたるがごとし。」(開目抄)
立正安国論に始まり立正安国論に終わると申しますが、大聖人の仰せというものは決して後思案ではありません。
「蒙古のせめも又かくのごとくなるべし。設ひ五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値ふべし。」
「いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてゝ、各々声をつるべて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。」
「若し日蓮法華経の行者ならば忽ちに国にしるしを見せ給へ。若ししからずば今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆が虚誑罪、倶伽利が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと声をあげて申せしかば、忽ちに出来せる自界叛逆難なり。」
これら撰時抄の仰せは事が起こってからの仰せでありますが、決して後知恵の如きものでないことは、次の御文に明らかです。
「外典に云はく、未萌をしるを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみゃうあり。一つには去にし文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏し・・・」
その立正安国論に云はく、
「薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。・・・先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何がせんや。」
まさしく立正安国論の御精神こそ大聖人の御一代を貫く大綱であります。ゆえに聖人御難事においても終始一貫、次の仰せを拝します。
「始めはしるしなきやうなれども、今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓ひむなしくて、無間大城に堕つべしとをそろしく想ふ間、今は各々はげむらむ。・・・日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるゝは総ばちなり。」
かかる大聖人御自ら、
「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、・・・この法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。」
と仰せあそばす。
よって、宗旨御建立の御自覚にあらせられたものと拝してよろしかろうと思いますが、いかがでしょうか?

257川蝉:2003/05/23(金) 13:19

ガンコさんへ。

>よって、宗旨御建立の御自覚にあらせられたものと拝してよろし
>かろうと思いますが、いかがでしょうか?」

ミカンさんは「既存の宗派に対抗して新しく一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したと思われない」旨の意見だと推します。
ミカンさんの見解通りと思うので、
結果的には宗団を形成されたが、宗祖は一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したのではなく、
「真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。」
とコメントしたのです。
しかし、宗祖の開宗意識が気宇広大であっても、一般的と云うか仏教史的に見れば、一宗を創始したと見られるでしょうね。
「真実の法華宗・所属の本門」でなければならないとの確信のもとに弘通を始められたと云うことは、所属の本門をしっかり把握し、さらに法華経・釈尊を軽く見る真言宗、機に合わずとけなす浄土宗とうに対する批判はすでに固まっていたと推すべきですね。
この事を、ガンコさんが「宗旨御建立の御自覚にあらせられたもの」と表現されたのであればその通りと思います。

ただし、引用されている御書の文は「宗旨御建立の御自覚にあらせられたもの」と証するには、すこし不適かなと思いました。

258ガンコ:2003/05/23(金) 18:21

いや〜、まったく、失礼しました。

ちょっと的外れかなあとは思っていたんですけど、やっぱりそうでした。まるで相手の求めていることを理解していない、あほうな自分をさらけ出してしまいました。皆さん、あきれていらっしゃるでしょうね。

259成仏 絶対獲得願望者:2003/05/23(金) 23:14
ガンコ様  HONDA(株)での「重役会議」では「ニワトリを殺すな!」だそうです、。 その心は「ドンナ・ヘボな意見でも」「何かの起爆点(=問題提起=ヒント)になるような事柄」を含蓄する事を示唆して居るようです、。一般には「面前では、年上の方には申し上げにくい点が御座いますが」このホームページでは比較的、御自由に発言可能なこのHPは「近年まれに見る貴重なHP]かと存じます、。早々

260ガンコ:2003/05/24(土) 14:36

いや〜、どうも、ありがとうございますです。

なんとなく勇気付けられました。
さすがは世界のホンダとでも申しましょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

261愚鈍凡夫:2003/05/24(土) 18:35
コケコッコーってかぁ(ケンタッキーの爺さんに言って欲しかった)。

「今久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光月光西方阿弥陀如来の観音勢至乃至十方世界の諸仏の御弟子大日金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩猶教主釈尊の御弟子なり」(「開目抄下」 学会版P214)

「仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり」(「開目抄下」 学会版P215)

以上の開目抄の文証が示すように、既成仏教が教主釈尊を忘れ、蔑ろにし、本尊に迷う姿に憤慨され、仏法の正邪を質す意図を持って立宗宣言されたものと考えています。経典に照らして、三災七難の原因もそこにあると確信されていたことは、「立正安国論」を始めとする幾多の御遺文が示しています。
それでも小生は、加齢と共に法門も成熟していったとの想いに変わりはありません。

1271(文永8)年10月9日の曼陀羅
http://www.lbis.jp/gohonzon/001.htm

1282(弘安5)年6月の曼陀羅
http://www.lbis.jp/gohonzon/123.htm

この2つの曼陀羅を比較してみると、完成度の違いが一目瞭然だと思います。
これは、立宗宣言以降も試行錯誤されていたことを示す一級品の証拠だと思います。

262ガンコ:2003/05/24(土) 20:38
愚鈍凡夫さん

>コケコッコーってかぁ

そ、そんなにからかわないでくださいよう。

初期の御本尊と後期の御本尊を比較されて“試行錯誤”とか“成熟”とおっしゃるわけですが、これについて特に異論を申し上げるつもりはありません。おそらく大半の人が同じように感じることでしょうし、それに対してとってつけたような反論を試みてもますます笑われるだけでしょうから。

わたくしは大聖人を尊崇する立場ゆえに、上のような表現を極力使わないように心掛けているのです。
ですから、釈尊ははじめに華厳経を説いたとされますがこれを試行錯誤と言うか言わないか、これに係ってくると思うのです。つまり衆生の機に応じて法を説くわけですから、段階を踏んでいくのは理の当然であろうと。

また、立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。
そんなことは愚鈍凡夫さんなら百も承知でしょう。つまり、われわれの言葉で言えば、人生経験を積んでいくことが成熟でしょうから、すでにご指摘のごとく況滅度後を身で読まれていったことがまさしく成熟に相当するというのはそのとおりでありましょう。
ようするに着眼点が違うだけで、そんなには意見に違いはないのではないか、と思うのです。もっともわたくしは本仏論の信者ですから、もうその時点でかみ合わないのかもしれませんが。

263みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:32
>>262 ガンコさん
釈迦は華厳経なんか説いてないですよ。

それと「立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。」
日蓮の伝記を読んだことがあるのかと小一時間(ry
ていうか、日蓮の真跡のある御書だけを年代順に読んでみてください。そしたらこんなこと言えないから。
それとも顕正会だから御書なんて持ってないんですか?

264みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:42
>>261 愚鈍凡夫さん
同じ開目鈔の少し前の箇所に「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。」
とありますが、それをどう解釈なさるのでしょうか。天台宗は本尊にまどっていないと日蓮自身が言っているわけですが。

265みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:46
>>256 ガンコさん
「かかる大聖人御自ら、「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、・・・この法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。」と仰せあそばす。」

『聖人御難事』は弘安2年に書かれたものです。数十年後から過去を振り返って書いているわけで、その時点での日蓮自身の自覚を正しく反映しているかどうかわかりません。

たとえば、あなたは30年前に自分がやったことを思い出して、そのときの自分の気持ちや動機を正確に論述することができますか? 現在の観点・立場から粉飾していないと言えるでしょうか?

266みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:53
>>257 川蝉さん
「ミカンさんは「既存の宗派に対抗して新しく一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したと思われない」旨の意見だと推します。」

ちがいます。わたしの意見は、建長五年四月二十八日の段階では、日蓮自身には、天台宗とは違う立場に立ったという意識はなかったかも知れないということです。つまりその段階では日蓮は自分が天台宗の正統派であるという意識しかなかった可能性がある、と考えているのです。

>>254
「慣例に拠って」
同じ宗門の僧侶同士の会話ではありませんので、この掲示板では慣例によって、言語を使用されない方が良いと思いますよ。立場も、教学知識も、通仏教に対する知識もまったく違う人が集まっている場所ですから、銘々が勝手に自分の都合のように誤解するということが頻発しかねません。
厳密に言葉を使用しなければ、誤解しか生まれないと思います。

267愚鈍凡夫:2003/05/25(日) 06:55
264: みかん(z8VoUpnM)さんへ
おはようございます。

「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」(「開目抄下」 学会版P215)
との理由は、後に出てくる次の文証に明かです。

「華厳経乃至諸大乗経大日経等の諸尊の種子皆一念三千なり天台智者大師一人此の法門を得給えり、華厳宗の澄観此の義を盗んで華厳経の心如工画師の文の神とす、真言大日経等には二乗作仏久遠実成一念三千の法門これなし」(同抄 P215)

小生が既成仏教と表現したのは、当然、台密も含めてのことです。
日蓮聖人は、上古天台と中古天台をはっきりと区別していたのではありませんか。

268川蝉:2003/05/25(日) 11:12
266 名前: みかん(z8VoUpnM)さんへ。

「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」(開目抄下・ 学会版215頁)
は、諸宗は寿量品の釈尊が根本の教主であることをわきまえていない。諸宗にくらべ天台では、寿量品の釈尊が根本教主で有ることを把握しているから、本尊に惑えていない、と云う意味ですね。
215頁10行目に、妙楽大師の「寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷へる才能ある畜生」との主張を提示してあることよりわかります。
ここに云う天台宗とは、天台大師・妙楽大師の正系思想を受け継ぐところの天台宗(思想)と云う概念だと思います。

「顕仏未来記」に三国四師と云うことが説かれているように、真実の法華宗を弘通すると云う意識があった事はたしかでしょう。
故に「日蓮は自分が天台宗の正統派であるという意識」はあったと思います。
また
「華厳経、乃至諸大乗経、大日経等の諸尊の種子皆一念三千なり。天台智者大師一人此法門を得給えり。」(開目抄215頁)
とあるように、内鑑的には天台大師も日蓮と同じく一念三千の法門を把握していたと云うお考えもあります。

しかし、「建長五年四月二十八日の段階では天台宗とは違う立場に立ったという意識はなかったかも知れない」かと云うと、

「日蓮が法門は第三の法門也。世間粗夢の如し。一二をば申ども第三をば申さず候。第三の法門は天台、妙楽、伝教も粗之を示せども未だ事了へず。所詮末法の今に譲り与へし也。」(常忍抄・981頁)とも、また、
「但漢土の天台、日本の伝教、此二人計こそ粗分給て候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず。詮する処は天台と伝教とは内には鑒み給といへども、一には時来らず二には機なし三には譲られ給はざる故也。今末法に入ぬ、地踊(涌)出現して弘通有べき事なり。」(治病大小権実違目・996頁)
とあるように、天台大師(天台宗)や伝教大師とが、闡明には説かなかった本門立脚の法門を弘通するのだという明確な自覚があったことでしょう。
255番に
「真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。 」
とコメントしたゆえんです

269ガンコ:2003/05/25(日) 12:51
みかんさん

ようやく本腰をお入れになられたようでございます。

釈尊が華厳経を説いたかどうかは知りません。わたくしは大聖人の御認識を申し上げたのです。いわゆる一代五時を採用されていると思うのです。ゆえに歴史上の釈尊がどうであったかは関係ない・・・なんて書くとまた物議をかもすかもしれませんが、ともかくも大聖人を中心に考えているわけです。

よって、次の問題はきわめて重要かと存じます。
>日蓮の伝記を読んだことがあるのかと小一時間(ry
ていうか、日蓮の真跡のある御書だけを年代順に読んでみてください。そしたらこんなこと言えないから。

ようするにわたくしの不勉強をご指摘くだすったのかと存じまする。これはもう、ただひたすら拝読を重ねる以外ありませんが、せっかくですからみかんさんのお考えを一分なりともご披露いただきとうございます。
顕正会は御書をもっていない・・・これは頭の痛い話です。おそらく浅井もそろそろ手を打つことでしょう。わたくしはひそかに入手して勉強させていただいておりますが、まだまだ不勉強のそしりは免かれないところでありましょう。

二十七年前の記憶がどれほど正確か、そして二十七年後において潤色・脚色をまじえずに語ることは可能か、といった問題は大変面白いテーマかと存じます。「大聖人は仏様だから可能なのだ」と言ってしまえば簡単で、それでわたくし達は納得してしまうんですけど、みかんさんは承知しないでしょうね。すでに川蝉さんから、文証として不適とのご指摘をちょうだいしておりますし、当然みかんさんのご指摘も大事な視点かと存じまするゆえ、これらを踏まえて再考させていただきます。

いわゆる立宗時において大聖人は天台宗の正当派を自覚せられていた・・・としますると、では大聖人は生涯天台宗のつもりでおられたか、あるいはどこかで独立を自覚せられたか、ということになるかと思いますが後者のばあい、その時期はいつと拝されるのでしょうか?

270みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/26(月) 07:00
>>269 ガンコさん
「後者のばあい、その時期はいつと拝されるのでしょうか?」

日蓮が生涯、自身を天台宗徒だと思っていたとは思いませんが、とりあえず、私の言っていることはしょせん仮説です。いつ自覚が変わったかについては、厳密に遺文を調べないと何とも言えませんが、なにしろ日蓮の遺文はある時期から膨大になりますが、それ以前はほとんど見られませんので、調べるのは困難でしょう。

「仏」という言葉は多義的なので、どういう意味で、ガンコさんが日蓮を仏だと思っているのか、ご自身で明確にされた方が良いですよ。覚った人という意味の「仏」と、久遠実成の報身仏という意味の「仏」ではまったく意味が違います。同じ言葉を使っていますが、指し示しているのは別のできごとです。

「また、立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。」

これはまったく違うと思いますよ。安国論と、佐渡での著作(開目鈔、本尊抄)を読み比べてみられればいいと思いますが、思想的深みはまったく違います。安国論はきわめて浅いです。わたしは安国論を読んで面白いと思ったことはありません。

日蓮の遺文がいつの時点でたくさん書かれているか見てみられると良いですが、佐渡以降、特に身延です。日蓮は佐渡・身延で大きな思想的結実を見せています。また佐渡・身延では時間はありましたから、勉学は続けたでしょう。

安国論が最後の研鑽の機会だというのは、ちがうと思いますが。

271みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/26(月) 07:29
>>267 愚鈍凡夫さん

「小生が既成仏教と表現したのは、当然、台密も含めてのことです。」

その場合、既成仏教には天台顕教(天台法華宗)は入れないわけですか? そこをどう理解なさっているのでしょうか。
これは私の個人的な関心の対象ですが、日蓮は所詮天台宗の学僧出身であり、日蓮自身も天台顕教に肯定的であったにも関わらず、そこを突き抜けてしまったのは何故か、またどこが天台顕教と日蓮思想・行動を区別するところなのかということには私は興味があります。

「日蓮聖人は、上古天台と中古天台をはっきりと区別していたのではありませんか。 」

していないと思いますよ。上古天台と中古天台をハッキリと区別して、べつの体系として扱うのは現在の仏教学、文献学の立場です。日蓮は最初、当時の天台宗の学僧の一人だったわけです。彼にとって、どの文献が真跡でどの文献が仮託書であるかという区別が付いていたかどうか疑問です。多くの中古天台文献は、最澄、良源、源信に仮託されています。
また、日蓮の遺文(御書)と、中古天台の文献を読み比べてみられるとわかりますが、同じ思想体系、同じ教養の範囲内にいた者が書いていることは明白です。はっきりいってよく似ています。たとえば観心重視など。
違いは、日蓮は毘盧舎那仏・阿弥陀仏を立てないこと。日蓮は一心三観を言わずに一念三千を強調すること、などでしょう。

中古天台=台密ではありません。中古天台は、天台顕教・密教・浄土信仰が一体の者となった体系であり、華厳の影響も強く見えます。

日蓮はそれから、密教・浄土信仰の影響をぬぐい去ろうとし、表面上は成功しますが、実際は影響を免れていません。

272愚鈍凡夫:2003/05/26(月) 17:34
271: みかん(z8VoUpnM)さんへ

天台大師の法門を継承するという意味での天台法華宗(天台顕教)は、一念三千を説くことから、法華経の理念に適うと日蓮聖人は判断していたのではないでしょうか。
そして、釈迦牟尼仏・毘廬舎那仏(盧舎那仏)・阿弥陀仏も法華経の題目によって威光勢力を増すとの考えであったのではなかったでしょうか。

「仏法は時機を本とす法華経大日経天台真言等の八宗九宗一代の大小顕密権実等の諸宗等は上根上智の正像二千年の機のためなり、末法に入りてはいかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず」(「撰時抄」 学会版P274)

しかし、ここでは天台法華宗といえども他宗同様、末法では無益であると述べていますね。
日蓮聖人が天台法華宗から離脱していった理由として、天台教学があまりにも難解なのと、当時の日本人の識字率の低さが原因の1つと考えています(板東武士にして、識字率はかなり低かったと本で読んだ記憶があります)。
いつの時代も最も苦しい目に遭うのは最下層の民衆です。その民衆を苦しみから解放してやりたいという想いは、法然と通ずるものがあったと思います。
そのためには、本尊に対する絶対信(盲信)と唱題行を宣弘するしかなかったのだと思います。そして、教義上は天台教学を踏襲しながら、本尊と行法に於いて独自性を打ち出したのが日蓮仏法ではなかったかと思います。
誰にでも可能な成道の法の探求が、結果的に天台法華宗からの離脱を促したのではないでしょうか。

「日蓮は真言禅宗浄土等の元祖を三虫となづく、又天台宗の慈覚安然慧心等は法華経伝教大師の師子の身の中の三虫なり」(「撰時抄」 学会版P286)
慈覚(円仁)・安然、共に日本天台宗の密教化に功績のある人物ですね。慧心(源信)は慧心流口伝法門の基礎を築いた人物ですね。
この3人を同列に並べて日本天台宗の獅子身中の虫としていることから、
中古天台は、台密を土台として成立していったように思うのです。
慧心流の口伝法門では、
一念三千とは自受用身のことで、その自受用身とは出尊形仏であると定義づけますね。要するに凡夫の姿をした仏と言う意味ですね。
如来蔵思想を背景とした即身成仏の影響をまともに受けているように思います。
日蓮聖人は、台密が大日経を法華経と相対して理同事勝とすることと、凡夫本仏論の源流とも言える中古天台の本覚論に、反発を感じていたのではないでしょうか。

「止観の二に云く弥陀を唱うるは即ち是れ十方の仏を唱うる功徳と等し但専ら弥陀を以て法門の主と為す、要を挙げて之を言わば歩歩声声念念唯阿弥陀仏に在り文」(「一代五時継図」 学会版P673)
とあるように、浄土信仰と言われているのは常行三昧のことですか。
それから華厳の影響とは、唯心法界論(心如工画師)の影響を受けているとのことですか。

確かに密教の影響は強いと思います(御遺文集を検索すると、圧倒的に真言系の語彙の方が念仏系よりも多いです)。
ただ、確かに晩年にいくほど御消息文に「後生善処」的(霊山浄土)な記述が多いように思いますが、阿弥陀仏の極楽浄土とは違うように思います。
阿弥陀如来の威光でなく、本門の釈尊の威光によってというのが日蓮聖人の浄土論ではないでしょうか。

273成仏 獲得希望者:2003/05/26(月) 21:21
みかん様 真跡のみの「御書」が存在とは、? 不勉強でゴメン、、。 真書から我田引水の偽書まで多々存在する、のは「日蓮入門=ちくま新書」で知りましたが、、 それを「真跡を購入するには??」「一体どこで発売」しておるのでしょうか、、?? 近隣の書店では「絶版でしょう??」という「ツレナイ返事」でした、、。 是非読みたく存じます、、。 早々。

274ガンコ:2003/05/26(月) 21:33
みかんさん、どうもです。

立正安国論の冒頭に「或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め」、「三宝世に在」すのにどうして災難ばかりが続くのでしょうか? との客の問いがあります。これをもって、余経も法華経も詮なし、三宝も下種の三宝尊でなければならぬ、ともっていくのははなはだ強引でありましょう。しかし、立正安国論を最後まで読んでいっても、具体的には本尊を何にするか、受戒はどうする、常の修行は何をやればいいのか、まったく明らかにされていないのはどうしたことでありましょうか。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」 ここに「早く」「速やかに」と仰せでありますが鎌倉幕府が早速に帰依してしまったらどうなりましょうか。
すでにこの時点ですべての準備が整っていた・・・と考えることはそれほど不自然ではないと思います。
「具には、立正安国論にかんがえたるがごとし」「例せば立正安国論に委しきが如し」等、安国論に言及された御書はたくさんあります。
また、いわゆる建治の広本をはじめとして大聖人御自身が安国論を御書写になられていますし、御入滅にあたっての最後の御講義がこれまた安国論と言われております。
“あとじあん” “あとぢえ” という言葉を使いましたが、まさしくわたくしのようなあほうはずっと後になってから気が付くことが多いのです。しかも厄介なことには、あたかも初めからわかっていたような気になってしまうのです。もちろん見栄を張ってわかったようなポーズをつくることもありますが、そうではなくて本当にもともと知っていたように錯覚してしまうのです。
しかし、大聖人はそうではないと思います。川蝉さんが再三お引きになっている三沢抄の御文にもそれを拝するところですが、立正安国論そのものに拝することが出来るとわたくしは考えています。先には自他の二難に触れましたが、今回は上に示した如くです。つまり、大聖人は故意に具体的な法門を明かさなかった・・・と思われるのです。

>安国論と、佐渡での著作(開目鈔、本尊抄)を読み比べてみられればいいと思いますが、思想的深みはまったく違います。安国論はきわめて浅いです。

むしろ同時期に著されたとされる守護国家論や唱法華題目抄等を比較されてはいかがでしょう。わたくしには思想的深みなどということは論じられませんが、明らかに立正安国論は他とおもむきを異にするように感じます。原理のみを御示しになり、あえて御法門を御隠しになった・・・。いわば安国論は骨格であり、他の御抄は血肉と拝するべきと思います。まずは骨格を示し、そこに御法門の肉付けをあそばした。なんら順序次第に不都合はありません。

なお、大聖人はいかなる仏であられるか? これはいろいろな意味で危険をともなうので今しばらく猶予をいただきとうございます。(やっぱり避けては通れない?)

275成仏 獲得希望者888:2003/05/26(月) 21:50
略 かなり「核心に近づきつつあるようです」、「こでは少し冷却期間」も在る程度在ってもよろしい、のでは、、????
 「ジックリと地道に大勢様の御拝聴・ご発言の御参加次第でさらに盛り上がりが御左右されましょうか、?、」。失礼しました、。

276みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/27(火) 01:12
>>273 成仏 獲得希望者さん
 手持ちの御書(遺文集)から、真跡現存、曾存のものを拾い読みしてくださいという意味で、真跡だけあつめた遺文集を買って読んでくださいという意味ではありません。

 できるだけ真跡だけ集めるという方針の遺文集は一応ありますけれども(例外あり)。『平成新修日蓮聖人遺文集』(星雲社)、『日蓮聖人全集』(春秋社)。

277みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/27(火) 14:15
>>272 愚鈍凡夫さん

>天台大師の法門を継承するという意味での天台法華宗(天台顕教)は、一念三千を説くこ
とから、法華経の理念に適うと日蓮聖人は判断していたのではないでしょうか。

この文はちょっと違うと思います。日蓮は天台宗の世界観を受け入れていたので、法華最勝を主張したのだと思います。順序が逆だと思います。また、一念三千と法華経はあまり関係がないと思いますが。


> そのためには、本尊に対する絶対信(盲信)と唱題行を宣弘するしかなかったのだと思います。そして、教義上は天台教学を踏襲しながら、本尊と行法に於いて独自性を打ち出したのが日蓮仏法ではなかったかと思います。
> 誰にでも可能な成道の法の探求が、結果的に天台法華宗からの離脱を促したのではないでしょうか。

絶対信を盲信と言い換えることは不適切だと思いますし、日蓮が盲信を主張したかどうかはわかりませんが、とりあえず保留します。あと日蓮は本尊を信じることではなくて、むしろ法華経を信じることを強く主張しているように思うのですが。それ以外はおおむね同意します。

ひとつ付言するならば、誰にでも可能な成道の法は天台宗、天台本覚思想文献の中ででもいろいろ主張されているんですよね。それが実用的なものかはともかく。


> この3人を同列に並べて日本天台宗の獅子身中の虫としていることから、
> 中古天台は、台密を土台として成立していったように思うのです。

中古天台・天台本覚思想の文献を読まれるとわかると思いますが、天台顕教の世界観を基本としているように思いますが(それと阿弥陀信仰、密教が区別されず連続して描かれている点が日蓮との違い)。日蓮の遺文にとてもよく似ています。似ているのに違うので、興味深いわけですが。

恵心僧都源信が出てくるのは密教との関連ではなくて、浄土教との関係からではないでしょうか。

278みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/27(火) 14:15
> 日蓮聖人は、台密が大日経を法華経と相対して理同事勝とすることと、凡夫本仏論の源流とも言える中古天台の本覚論に、反発を感じていたのではないでしょうか。

松戸氏の本は持っていますが読んでないので凡夫本仏論なるものについては何とも言えません。

日蓮に天台本覚思想の影響は強いと思います。わたしには日蓮も道元も、「ある意味で」天台本覚思想家の一人にしか見えません。(二人ともそれから距離を取っていたことは確かだと思いますが、距離を取っていたり批判したからと言って、影響を免れているわけではない、と思うわけです)

浅井要麟先生以来、日蓮は本覚思想とは違うと考えるのが普通みたいですが、浅井円道先生や田村芳朗先生の仕事の後に生きている我々は、そう簡単に図式的に見てはいられないと思いますが。もっと事情は複雑です。

今日の仏教学者や思想史学者で、天台本覚思想を解説したり批判している人は、天台本覚思想をきわめて単純に図式化している方がいくらかいるように思います。たとえば最近では、佐藤弘夫先生の『偽書の精神史』(講談社)の163頁あたりの、本覚思想の説明は、ずいぶんと乱暴であるように感じます。「本覚思想の特色は、超越者と自己の一体的把握にあった。」(P163)そう単純なものではないだろうと思いますが。超越者という言葉はきわめて不適切だと思います。

そういった本覚思想への学者の説だけ読んで、本覚思想・如来蔵思想についてあれこれ言う一般の仏教に関心がある方がここ10年ほど多いわけですが(松本、袴谷両先生の影響でしょう)、研究書じゃなくて原典を読まないと、それについて何か言うのは危険であろうと思います。


> 慧心流の口伝法門では、
> 一念三千とは自受用身のことで、その自受用身とは出尊形仏であると定義づけますね。要するに凡夫の姿をした仏と言う意味ですね。
> 如来蔵思想を背景とした即身成仏の影響をまともに受けているように思います。

すいません、「慧心流の口伝法門」について何を読めば良いのかお教え頂ければ幸いです。続天台宗全書でしょうか。それとも研究書でしょうか。浅井要麟先生の『日蓮聖人教学の研究』でしょうか。

「一念三千即自受用身、自受用身者出尊形仏」という伝・最澄の文が御義口伝、末法相応抄に引かれているようですが、それが恵心流一般に流布した考えだったかどうか私は存じません。

さて、たとえば、本尊抄の「文の心は、釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」、「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起して、五字の内にこの珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう」といった記述には、天台本覚思想とたいした距離を感じません。

こういった記述は日蓮文献で多く見られますが、それらを見る限り日蓮思想も、如来蔵思想、仏性思想を背景とした即身成仏思想の一種だと思いますが。

日蓮思想と天台本覚思想を分けることがあるとしたら、凡夫即仏を言うか言わないか、行不要を言うか言わないか、だと思われるかも知れませんが、天台本覚文献でも行の必要は一応言いますし、日蓮も己心中の仏は言います。日蓮思想と天台本覚思想の差は、程度の問題かと思います。方向性が180度違うわけではないと思います。むしろ同じ方向を向いているように私には思えます。

279愚鈍凡夫:2003/05/28(水) 00:48
277: みかん(z8VoUpnM)さんへ

確かに法華経には一念三千を連想させる記述は見あたりません。その意味では、天台大師の個人的な悟達と言えるかも知れません。
しかし日蓮聖人は、一念三千が法華経の延長線上にある理念と考えていたのではないでしょうか。

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(「開目抄上」 学会版P189)
「像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し、出現して、迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽くせり」(「観心本尊抄」 昭定P719)
「法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり」(「撰時抄」 学会版P288)

以上の文証からは、法華経から導き出されると言っているように思いますが。

次に「絶対信」ですが、「絶対信」は「本尊に己の人生を依存する」ことが前提になると思うのです。言い換えれば、「絶対帰依」とでも言うのでしょうか。
要するに、身の回りに起こる全てのことが、本尊の仏力・法力によると信じることではないでしょうか。これはもう「盲信」と言っても差し支えないように思いますが。

慧心流口伝法門について、
「自受用報身如來。以顯本爲正意也」(「一帖抄」)
「一念三千即自受用身。自受用身者出尊形佛文以此道理以報身爲正意習也」(「一帖抄」)
「以テ報身ノ自受用ヲ爲スト顯本ノ正意ト相傳スル也」(「二帖抄」)
「一念三千即自受用身行體云。」(「八帖抄」)
これらの文証がまず頭に浮かぶのです(これらが慧心流口伝法門ではないというのならば、勉強しなおします)。

ただ本覚論について、小生のような素人がとやかく言うのは危険かも知れませんが、避けては通れない道だと思います。
個人的に、日蓮聖人が本覚論をそのまま受け入れていたとは思いませんが、結論を出には尚早だと思うので、これからも研鑽を続けていきたいと思っています。

とりあえず、この辺でお休みなさい。

280みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/28(水) 01:57
日蓮自身は一念三千と法華経の関係についてそう考えていたでしょうね。

日蓮の信の対象は、再度申し上げますが本尊ではなくて法華経だと思うのですが。

わたしは口伝法門については知識がないですし、「一帖抄」、「二帖抄」という文献自体知らないので、すいませんが、参考になる本、あるいは論文があれば教えて頂きたいと言っているわけです。
今調べたら、天台宗全書九巻に収められているようですね。あと、富士宗学要集二巻の有師談書聞書で言及されているようですが、いずれも所持していないので、参照できません。

日蓮および大石寺門流と天台本覚法門については次の本が参考になるようです。
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0824820266/
Original Enlightenment and the Transformation of Medieval Japanese Buddhism (Studies in East Asian Buddhism, No. 12.)
by Jacqueline Ilyse Stone
Publisher: University of Hawaii Press; (October 1999)
ISBN: 0824820266

281みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/28(水) 02:11
↑上の本の概略
http://homepage1.nifty.com/seijun/pre-page/11-06/11-06.html
http://homepage1.nifty.com/seijun/pre-page/11-15/11-15.htm

昨日手元に届いたばかりですが、ざっと見たところ、第3部で、大石寺門流にかなり言及しているようです。

282顕正居士:2003/05/28(水) 04:42
みかんさん。

Jacqueline Ilyse Stone さんは "Major Writings of Nichiren Daishonin"の翻訳者です。
アメリカ日蓮正宗(創価学会)のメンバーであったのかはわかりませんが。したがって
歴史上の大石寺のみでなく、今日の大石寺や創価学会について知っている方でしょう。
http://campross.crosswinds.net/bodhisattva/JStone.html

富士宗学要集はNBさんが相伝や教義の巻をほぼ入力しておられます。返点、送仮名
付きの和文の入力が独特なのと、大部ゆえの誤入力がありますが。
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/mokuji.htm

中古天台の文献は
『天台本覚論』(日本思想大系)に基礎的なものの一部がある。あとはこの本の「概説」
に出る書と、『日本天台史』(上杉文秀)に引かれる書で、天台宗全書、続天台宗全書、
大日本仏教全書に在るものをいずれかの研究室の図書室で複写すれば、それが基礎
の文献といえるでしょう。KANDEN師のサイトにも短いものが在ります。
http://www.biwa.ne.jp/~kanden/lib.html

283顕正居士:2003/05/28(水) 06:46
中古天台と鎌倉仏教-修行

修行がないといえば中古天台にも鎌倉仏教にもないし、あるといえばどちらにもある。
みかんさんの着眼に賛成します。唱題や只管打坐を真面目に修行であるといったら
電波であります。即身に仏であることをあらわす象徴的の行に過ぎません。祖師たち
もそう述べます。また若い日に修・証の問題に悩んだというのは道元で、日蓮には
そういうことはありません。日蓮は信仰の対象が一個であるべきだと考えたのであり、
親鸞と同じく一神教と信仰のみ(sola fide)を唱えたのです。また両祖師の信仰のみに
対し阿弥陀仏の絶対的の救済力の前には信仰すら不要としたのが一遍であります。

また中古天台というのはこれらの祖師の以後に本格的に発達し、鎌倉諸宗をながく
支配下においた強力な思想であって、江戸時代に比叡山が四明教学になってから
はじめて日蓮諸派も口伝法門から脱する。道元や日蓮の頃にはすでに中古天台の
初期文献があったが、それは唱題修行をすすめる最澄仮託の修禅寺決や称名念仏
をすすめる慧心仮託の註本覚讃釈で、法然や日蓮の出現の準備をしたものである。

中古天台における行の不要というのは此法住法位世間相常住をモットーとし、修行
とは特殊の宗教的の事柄でない、世間の活動がそのまま悟後の修行であるという
考えである。親鸞宗や日蓮宗も救済に宗教的の修行を不必要とし、信仰のみとする
ことで、社会活動すなわち悟後の修行であるとすることにかわりはない。信仰のみの
考えも社会活動を妨げて人々を宗団の奴隷にするのでなく、宗団から解放する思想
であった。

また日本は王朝時代の末期から戦乱の時代が幾世紀も続くけれども、三国志の時代
のように人口の増加も経済の発達も停止したのではない。反対であって、生産の拡大
によって識字人口が増加し、その上層が武士として台頭し、貴族の権力が崩壊したの
である。ゆえに日蓮はこれらの人々に漢文をふくめた手紙を書いたのである。だから
行の簡易化という説明は誤りである。貴族ほどひまでなかったとはいえるが、かれら
は新興識字階層である、しかし経済活動の基本に殺生がある人々には新しい思想が
必要であったのである。

284みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/28(水) 13:26
顕正居士さん、>>282
情報ありがとうございます。ジャクリーン・ストーン先生はMajor Writings of Nichiren Daishoninの翻訳者の一人でしたか。
いま、Major Writings of Nichiren Daishoninの1巻を見てみましたが、翻訳者についてはなにも書いていないようですね。
ストーン先生がNS(SGI)の信仰者だったかどうかは、御著書の内容からはちょっと計りかねますね。

天台本覚法門の原典および概説書で、入手しやすいのは未だに、岩波書店の『天台本覚論』(日本思想大系9、または再刊は、続・日本仏教の思想2)しかないですね。絶版ですが、古書値が安いですし、入手しやすいと思います。
この本に収められている田村芳朗先生の「天台本覚思想概説」が未だに唯一の一般向けの概説なのですが、田村先生のいつものでんで、図式的に割り切っているきらいがあるように思いますね。
上杉先生の日本天台史は未見なので見てみます。

285愚鈍凡夫:2003/05/28(水) 18:28
台密・中古天台関係の資料として、顕正居士さんが紹介された「怪しいライブラリー一覧」を利用しています。

独歩さんところの
「中古天台教學より日蓮聖人の教學、ヘの思想的展開(1) 執行海秀」
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_005.html

日蓮宗現代宗教研究所の
「仏教思想史の中の日蓮教学」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho29/s29_111.htm

同じく、日蓮宗現代宗教研究所の
「日蓮本佛論の構造と問題点(一) ―恵心流口伝法門との関係を視点として―」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_133.htm

いずれも参考にしています。

中古天台とは直接関係ないですが、天台宗関係書籍の紹介。
天 台 宗 典 編 纂 所
http://www.biwa.ne.jp/~namu007/

286川蝉:2003/05/29(木) 11:35
日蓮聖人と中古天台

武 覚超氏が「叡山・三井と日蓮門下との交流」において

「伝教大師に本迹二門を高調し、爾前諸経より法華経が勝れているとの所論が見られ、円珍も久遠実成を説く本門と開権顕実をたてる迹門の二門が兼備していることに爾前諸経に比して法華経の独妙独勝たる所以があるとし、また本迹二門に勝劣をたてる考え方も円珍の『法華論記』や安然の『教時諍論』等ころよりみられること。
また題目に万徳万善を具すると云う考えは『観心略要集』に見られ法然の『選択集』も『観心略要集』の名号功徳の所説を受けたものであって、日蓮の五字口唱を正行と主張したのは『観心略要集』や『選択集』の思想的構造をそのまま継承したものである(取意)」と、論証し、

《 日蓮の本門思想については、従来から日蓮の創説であり、独説である点が強調されているようであるが、日蓮の本門思想を迹門と本門、本門と観心、題目五字等の観点から詳しく分析してみると、その思想的要素は、日本天台、ことには中古天台の教学の中に出そろっていたと考えられるであろう。
この点について、上杉文秀博士が『日本天台史』において、「彼(日蓮)は決然此等(日本天台)の長所を悉く網羅採択し、以て法華中心の下に聚積し」たと述べられていることは、誠に当を得た論述であると思われる。》(平楽寺書店刊・本覚思想の源流と展開・400〜414頁)
と論述しています。

勝呂信静師が「教育新潮社刊・日蓮思想の根本問題」において、
「聖人は叡山天台の思想展開のゆきつくべき目的を予見され、その論理的必然性にしたがって自らの行動を律し、時代の風潮を矯正されようとしたのである」(86頁)
と書いています。
これは上杉文秀博士の
「(日本天台)の長所を悉く網羅採択し、以て法華中心の下に聚積し」
と云う見解より、より当を得た視点だと云えましょう。

勝呂信静師の見解は、
《 台密の叡山天台の信仰や儀礼はほとんど密教によるものになっていたが、教義・教判においては天台宗の権威を保つような理論が必要であり、その結果あらわれた思想がいわゆる「理同事勝」である。これは事実上は法華経を大日経より下に見るものである。
そこで、無始無終で万物を包摂する絶対的な仏である大日如来を説く大日経に対する為に、大日経に対応するような超越的優勝性が法華経にあることをあらわすために、本門の仏を説く本門が重視する考えが起こり、本門思想が発達していった。
しかし叡山天台の本門思想は、形式的には法華経本門の体裁を取りながらその内容は真言密教であった。
(「中古天台本覚思想は、台密の大日法身中心の曼荼羅思想に負うところが大であり、これをさらに一元的な世界観・人間観として徹底させていったもの」と浅井円道師が指摘している点でしょうー川蝉注)

本門思想の興起は本来の意義からすれば、伝教大師の遺志を正統に発展させたものとして、真言密教に対する開会としての機能を果たすべきものであったが、果たさなかった。

また恵心以後の中古天台では念仏が盛んになってきたが、それに対応するために、一方に於いて止観・観法を重視しされた。この観心主義は形式的には正統天台の教学を厳守しようと云う態度から出たものである。しかし、実際の行は念仏信仰を採用し容認するようになって行き、一方に於いて教相の法華経(宗教)と観心(宗旨)との分離することにもなっていった。

事の一念三千と云う本門思想や唱題行確立を果たした聖人は、中古天台の教学を批評的に克服されたものと見るべきである(取意)》
等と論述し、
「中古天台と無関係と云う見解や中古天台より脱化したものであると云う見解は皮相的である」(87頁)
と批判しています。

勝呂師が「中古天台の教学を批評的に克服されたものと見るべきである」
と結論していますが、批評的に克服した結果の具体相は、浅井円道師が『平楽寺書店刊・本覚思想の源流と展開的』の305〜306頁において、「日蓮の真正な遺文によって、日蓮思想と中古天台本覚思想との相違点を検討した結果」として、提示している五点と云えましょう。

287豊穣:2003/05/29(木) 21:04
大聖人は仏の経典をもちいて、人師のことばを用いるなっていったわけだね。
だれがどういったっていえば、そんな大聖人のルール違反!
「だれだれは、こういった。あの人はこういった」
なんだか池田センセイのスピーチみたいだねえ。

288成仏境涯 体感希望者77:2003/05/29(木) 22:10
   ワシは知りたい成仏の根本の修行は、?かを、。末法用の経典?=久遠?=本門の教主釈尊?様の流れを継続?・含蓄?の「末法今時の為?と言われる本門?且つ文底?の事?」という「教典?=法華経?」の事?を「体感・感得した??諸々の人師?」の言?は「ルール違反??」と言うことでしょうか、??

289みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/30(金) 02:47
>>287 豊穣さん。
豊穣さんは、大田区の宝浄寺の御所属なんじゃないのという説を聞きましたが、そういうものなんでしょか。

さて、>>286の川蝉さんのレスへのイヤミなんだと思いますが、めんどくさいし言うのもイヤなので説明しませんが、一言だけ。「鎌倉時代の学問の方法と、明治以降の近代仏教学の方法の区別すら付いていないなら発言するな」

なぜそう言われるのかはあまりにもばかばかしいので説明したくもありません。他の人説明してください。んじゃ。

290五月雨:2003/05/30(金) 08:34

日蓮正宗は最高の仏法だと信じ込まされるところから始まって、それが自分自身の選民意識に結びつき自分はエライと思い込む。これが石山系の“大きな勘違い” そこから社会一般常識からの逸脱が始まるように思います。

真面目な議論を積み重ねている掲示板に来て、人を見下すような物言いしか出来ない御仁に何かを説明することなど必要でしょうか。
みかんさんが仰るようにばかばかしいのひと言です。

天台の言を用いた日蓮だいせうにんにまず文句を言えばと言いたい気分です。

291成仏境涯 体感希望者:2003/05/30(金) 19:15
ミカン様、「区別が在った事もしらぬモノども」は「下がれ居れー、」でしょうか、? 五月雨様「石山系の感違い、」には御同感です、。 ただ「、、見下す、?」には??です、、。 豊穣様は「、、池田センセイの偽善・欺瞞性を心底から御理解したからこそ、、文言上での”イマイチ・ムナシイ? 核心への御懸念?を体得・体感”からのご発言?」かと、存じまするが、? ガンコの無疑問者(=
狂信者なら)「決してこのHPをの検索したり、投稿」はしないでしょう、、?? もう少し「包容力?」があってもよろしーかと、、、??

292五月雨:2003/05/30(金) 21:50

>五月雨様「石山系の感違い、」には御同感です、。 ただ「、、見下す、?」には??です、、。 豊穣様は「、、池田センセイの偽善・欺瞞性を心底から御理解したからこそ、、文言上での”イマイチ・ムナシイ? 核心への御懸念?を体得・体感”からのご発言?」かと、存じまするが、? ガンコの無疑問者(=狂信者なら)「決してこのHPをの検索したり、投稿」はしないでしょう、、?? もう少し「包容力?」があってもよろしーかと、、、??

成仏境涯 体感希望者さまの深い読解力の素晴らしさには呆れてものが言えません。
>287 のレスにそんなにふっかぁい意味があるとは凄いですね、そうですか。
まるで石山の文上、文底の法門のごとくですね。
無疑問者の方々はいくらでもこの掲示板に来られて真摯に議論をされていたと思います。(私は無疑問者の方々を狂信者とは思っていません、そこに区別はあると思っています。)
包容力?相手によりけりでしょう。

何事にもものには言いようがあると私は思っています、それが礼儀ではないでしょうか。

buenos1939さんでしたよね、成仏境涯 体感希望者さま、HNをひとつになさいませんか。

293ガンコ:2003/05/31(土) 00:00

あれ? どなたか、わたくしを呼びましたでしょうか?

294成仏境涯 体感希望者:2003/05/31(土) 00:57
ご無礼しました、、。  頑強な(ガンコではなく)方は、「一心=成仏とは?」何かと、??、存じます、?? 皆様の御知恵は、、??その方法は??  未だ不明のようです、、??

295ガンコ:2003/06/01(日) 21:12

御文字御本尊と仏像との整合性について(1)

四条金吾釈迦仏供養事に云はく「草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり。画像これよりおこる」と。

とくに「五色の絵の具」に注目するならば、まるで画像を奨励あそばすようにも拝せるところですが、これは一般仏教の通例をお挙げになられたものと考えます。

「爾りと雖も木画の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す」(本尊抄)
「有情の第一の財は命にはすぎず」(主君耳入此法門免与同罪事)

そもそも、なぜ非情(物質)に過ぎない木画を本尊とすることが可能なのか? 時には木画のために命を張ることだってある。有情の第一の財を非情のために捨てるとはいかなることか? なんとも難しい問題であります。
観心本尊抄における重要なテーマでありましょう。つまるところ、仏教一般の通例として木画を本尊とするけれども「一念三千の仏種」でなければ本尊にはならない、との仰せと拝します。
本宗においてはいわゆる色相荘厳の仏をきらいますが、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」(経王殿御返事)の墨(=単色)と五色とではまるでちがいます。「仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神なり」(本尊問答抄)との仰せは、仏は「釈迦・大日総じて十方の諸仏」であるから五色、法華経は文字であるから単色と考えられます。よって、「五色の絵の具」はあくまで例示にすぎない、と思います。

なお、にわか勉強で恐縮ですが、五という数は仏法の基本概念をあらわすために比較的多用される数字のように思われます。「五色の絵の具」の直前には「五陰世間」、冒頭には「五眼」とありますし、戒法門には「五行・五大・五色・五根・五輪」が図になっています。また、一念三千理事には「五陰とは、新訳には五蘊と云ふなり。陰とは聚集の義なり。一には色陰、五色是なり」等とあります。

木絵二像開眼の事に拝する、三十一相+法華経=三十二相具足純円の仏、ということも同様に考えます。「生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり」と。つまり、木画はほんらい非情なるがゆえであります。ゆえに、 一念三千の仏種>有情(生身の仏)>非情(木画二像) と考えるものであります。

296ガンコ:2003/06/01(日) 21:25

御文字御本尊と仏像との整合性について(2)

最近あまりお見かけしませんが、菊水護国さんは以前こんなようなことをおっしゃっています。
云はく「われわれが信仰している対象は“物体”などではなく、その奥にある“法”である」と。

これは現代受けをねらった解釈ではないかと思っていましたが、よくよく考えると大聖人御自身にこのような御考えがあられたのではないか、と思うようになってまいりました。
日蓮大聖人は宗旨御建立において本門の題目を御唱えあそばされた。当然、大聖人ほどの御方であれば、この時すでに本門の本尊・本門の戒壇の御構想を抱いておられたでありましょう。ではなぜに直ちに説示あそばさなかったのか。もちろん実現は遠い将来(特に戒壇建立は)であったとしても、御説明あそばしても良かったのではないかと考えます時、必ず三沢抄の佐前・佐後が引き合いに出されます。しかし、佐前であるところの唱法華題目抄に御本尊の説明があるのはなぜでしょうか。
「本尊は法華経八巻・一巻・一品、或は題目を書きて本尊と定むべしと、法師品並びに神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書きても造りても法華経の左右に之を立て奉るべし。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。」

興味深いのは法華経ないし法華経の題目を本尊とする辺において本尊問答抄と同じでありながら、「釈迦多宝を書いても造っても」との仰せはまるで一塔両尊の造像を示すがごとくに思えます。顕正居士さんのおっしゃるように、なるほどいろいろな表現方法があるんだなあと思います。しかるになぜに大聖人はもっぱら御文字でもって御本尊をあそばしたのであろうか。そして同時に造像を容認あそばす御書が存在する意味は何か。

大聖人のおさとりは“物体”などというものではない、けれどもそれを表現するに当たっては紙と墨を用いられた、つまり妙法を御文字に顕された瞬間に一般仏教の木画とまったく同じ問題が生ずることを、大聖人は御考えになられていたのではないか、と思うのです。
そうであるならば、木画二像開眼の事や観心本尊抄(の前半)で“なぜに木画が本尊となりうるか”を証明することは、そのまま御自身の御文字御本尊の証明になるということだと思います。
そして、いちど証明されおわれば木画は生身の仏と崇められる、いわんや大聖人の顕し給う御本尊は生身の仏の御たましい、ゆえに諸仏能生の根源と申し上げるわけであります。

297ガンコ:2003/06/02(月) 05:41

御文字御本尊と仏像との整合性について(3)

しかしながら、正直に申し上げるところですが、日眼女釈迦仏供養事だけは説明がつかないのです。

内容といい、また年代といい、上記の説明ではまったく納得できないので困りました。
まず、年代はいわずと知れた弘安二年。出世の本懐を遂げんとされる年にこのような御指南があるということは、やはりわたくし達が考えている出世の本懐というのは間違っているのではないか、と思わざるを得ないところです。じぶん達で勝手な理由をこさえて勝手に納得するのは簡単ですが、それでは広宣流布などできっこないでしょう。まじめに信心しているのならば、まじめに考えなければならない問題と思うのであります。

そして内容ですが、冒頭に御守り御本尊について一言だけ触れられ、後は延々と釈迦仏造立についての御指南がつづくのです。御文字御本尊と造像がいっしょの御書に論じられているのがいやらしい、なんて言ったら叱られそうですが、これは、先に少し話題になりましたところの合祀を思わせるところがあって悩ましいかぎりです。合祀が間違いであるとしても、この御書のばあいでは、御守り御本尊は文字どおり身に着けるもの、仏像は仏間に安置するという関係を思わせるところがあって、まったくわたくし達にとっては都合の悪い御書であります。

なにより文面より感じることは、大聖人が日眼女を“ベタホメ”に褒めているという印象をぬぐえないわけです。これはおそらく誰が読んでも同じでありましょう。
こうなると、造像はダメ、とは言い難いなあと思います。

というわけで、御文字御本尊と仏像との整合性についてのわたくしの考えは頓挫してしまいました。

どなたか、助けてください。(いないんだな、これが)

298通りすがり:2003/06/02(月) 17:04
日蓮大聖人が釈迦一体仏を拝んでいたのは歴史的な事実でしょうね。
その意味から、ガンコさんの頓挫は起こるべくして起こったということでしょう。

299豊穣:2003/06/02(月) 19:54
>ガンコさん
助け、ないね(笑)

300愚鈍凡夫:2003/06/02(月) 22:24
ガンコさんへ。

だから、本尊の表現方法の問題ではなくて、「観心本尊抄」、に記される理念と構図を備えた本尊であるかどうかの問題ではないでしょうか。

301愚鈍凡夫:2003/06/03(火) 20:39
ガンコさん、ふと思ったんですけど(思うなボケって言われそうですが)、

「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」(「唱法華題目抄」 学会版P12)1260(文応1)年

との文証を引用されていましたね。
しかし、
「又本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり一品二半よりの外は小乗教邪教未得道教覆相教と名く」(「観心本尊抄」 学会版P249)1273(文永10)年

「華厳経の十方台上の毘盧遮那大日経金剛頂経両界の大日如来は宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり、例せば世の王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり」(「法華取要抄」 学会版P333)1274(文永11)年

とあります。
一品二半、特に寿量品が重要であるとの仰せですが、「唱法華題目抄」では何故「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり」なのでしょうか。
この点、どう思われますか。

302みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/06/04(水) 03:41
>ガンコさん。

ガンコさんの御文章を拝読しましたが、詳しく読んでいないのと、引用されている日蓮遺文にあたっていないので、きちんと理解していません。ですので内容についてはよくわからないので、すいません。
 ただ一つ思ったのは、タイトルと問題設定の意図がずれているのかも知れないなと言うことです。「御文字御本尊と仏像との整合性について」ではなくて、「大石寺の漫荼羅本尊正意・板曼陀羅正意と、日蓮遺文の釈迦仏像肯定との整合性について」というタイトルなら、ガンコさんの問題設定をより正確に言い表しているのではないかと想像しますけれども、そうだとすると、文章の内容がよくわからなくなりますね。どうもきちんと読めていないようです。すいません。
 さて、文字漫荼羅と仏像がなぜ日蓮の中で同居するかについては私なりの考えがありますが、長くなるので省略します。要するに日蓮は時代の子だということと、日蓮は人間だということと、本尊に向かって唱題するのは観法(観心行)であり、本尊は観法の道具だということです。釈迦仏像は観法の対象ではありません。できあがった体系として日蓮を見るのではなくて、人生史に於いて変化していった日蓮を見るのでなければ、誤解するのではないかと思いますが、どうでしょうか。

303ガンコ:2003/06/04(水) 17:40

まず、みかんさんに申し上げます。

> さて、文字漫荼羅と仏像がなぜ日蓮の中で同居するかについては私なりの考えがありますが、長くなるので省略します

そんなことをおっしゃらずに教えてください。
このところの一連の御文章を拝見していて、みかんさんのお考えはおおよそ理解できたような気がしていますが、しかし、大事なことは何も語っていらっしゃらない・・・そんな気もします。
長くなるので省略する、ということは時間をかけて説明するほどの価値はない、と思っていらっしゃるのか、それとも大事な問題だから簡単には説明できないとの意であるのか、そこなんですけど、わたくし達にとってはものすごく重要な問題なのです。
ですから、教えてほしいのです。一朝一夕に書けるものではないでしょうけど、少なくともわたくしの目の黒いうちに発表されることをお願い申し上げます。

>できあがった体系として日蓮を見るのではなくて、人生史に於いて変化していった日蓮を見るのでなければ、誤解するのではないかと思いますが、どうでしょうか

ええ、おっしゃることはわかります。
おそらく冗談でよく言われることかと思うのですが、人間にリセットボタンがあったらいいのになあ、みたいなことを。
わたくしも一度リセットして、白紙の状態から大聖人の御書を拝読して見たい、と思うことはあるのです。そうすれば、まったく違った読み方が出来るかもしれないと。
おっしゃるとおり、できあがった体系で見ているのだろうことは既に承知しているつもりなのです。なにしろ、わたくしは顕正会で十有余年、教育されてきたのですから。
リセットは不可能というのが結論です。
ですから、開き直って今までの延長線で学んでいこうと考えています。
もし、わたくしの書いていることに間違いがあればどんどん指摘してください。そして正義を示してください。リセットは出来なくても上書きされていくだろう、と思いますので。

このことはみかんさんだけでなく、すべての人にお願い申し上げるものであります。

304ガンコ:2003/06/04(水) 17:46

愚鈍凡夫さん

本尊抄の理念と構図を備えた本尊とかなんとか、すぐ難しいことおっしゃるんだから。
理念=末代幼稚の為の本尊ということでしょうか? するとわたくしはどうしても御文字御本尊を思い浮かべてしまうんです。
構図=為体ということでしょうか? そうするとやっぱり大曼荼羅のおすがたを思い浮かべてしまうんです。

堂々巡りのようですが、もし本尊抄の理念と構図に仏像も適うとして、では日眼女抄の一体仏も当てはまるのかというあなた自身の疑問は完全に氷解したのでしょうか?

さて、つぎに法師品と神力品について申し上げます。
じつはわたくし、法華経を読んだことがありません。よって、法師品と神力品に何が説かれているか、つぶさには知りません。
ですが、本尊問答抄の冒頭には、法華経の題目を本尊とする根拠を法師品に求めております。
「薬王、在々処々に若しは説き若しは読み、若しは誦し若しは書き、若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てゝ極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安んずることを須ひず。所以は何。此の中には已に如来の全身有す」
神力品のほうはちょっとわかりづらいですが、
「要を以て之を言はゞ、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」
つまり、如来の全身=如来の一切、と考えて差し支えないならば、唱法華題目抄の次の段には、
「其の上、法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。・・・・・今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて、十方世界の三身円満の諸仏をあつめて、釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に、一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり。故に妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大なり。」
とありますように、すべては南無妙法蓮華経の中に含まれているという意味になりましょう。
詮ずる所、寿量品に建立する所の本尊はいかなるおすがたであられるか、末代幼稚のわれわれには思慮のおよばぬことでありましょうから、御文字で拝する以外に方法はないのだと思います。
法師品神力品を、寿量品の本尊を説明あそばすための傍証と拝するならば、大聖人の御本意はほぼ御文字御本尊で間違いないのではないでしょうか?

305愚鈍凡夫:2003/06/04(水) 19:58
「法師品」は「見宝塔品」の1つ前だから、宝塔はまだ現れていないんですよね。
法師品で連想するのは、五種法師・十種供養、有名な「況滅度後」の一節ですか。
弘法を含めた仏道修行の在り方と、仏への供養。そして、その結果としての成道が説かれていると言えるでしょうか。
「神力品」は地涌千界に滅後の法華経流布の付嘱を与える処ですよね。まだ虚空会の儀式の最中ということですね。
これらのことから、仏道修行と結要付嘱を踏まえた上で、末法に於ける本尊を顕す意義を示唆しているのではないかと思ったからです。要するに、本尊の具体的な姿として述べているようには思えなかったからです(あの文証では四菩薩が説かれていませんから)。
「唱法華題目抄」では、南無妙法蓮華経を本尊としてではなく、唱題行として捉えているのではありませんか。「唱法華題目抄」は1260(文応1)年、「本尊問答抄」は1278(弘安1)年です。この間の18年の歳月を考慮すべきだと思いますが。
釈迦仏の一体仏であろうと、「本門の釈尊」と拝し、法華経をその釈尊の内証として添え、「常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱なうべし」(唱法華題目抄)とすることによって、一尊四士の意義は満たされていると思えるようになりました。以前、「楊子本尊(1285(弘安8)年10月9日)」の写真を紹介しましたが、この曼荼羅は中尊と梵字で構成されていましたね。中尊は法華経の肝心ですから、これも一尊四士の意義は満たしているのではないですか(愛染・不動をどう解釈するかという問題はありますが)。

小生も数十年創価に身を置いてきました。故に、ガンコさんの気持ちは理解できます。
しかし、現在は創価教学を振り払うために、基礎から教学を組み立て直しているところです。

306愚鈍凡夫:2003/06/04(水) 20:36
訂正です。

楊子本尊は1271(文永8)年10月9日図顕です。
悪しからず。

307sunya:2003/06/05(木) 01:31

 > 303 ガンコさん、sunya です。(^^;

> なにしろ、わたくしは顕正会で十有余年、教育されてきたのですから。

 どこの団体・教団に居ても、だいたい同じコトじゃないでしょうか、要は自分自身の問
題だと、わたしは思いますよ。
 もっともそういう意味も含めての、ガンコさんのご発言なのでしょうが。

> リセットは不可能というのが結論です。ですから、開き直って今までの延長線で学ん
でいこうと考えています。

 おっしゃる通りだと、わたしも思います。リセットは不可能だし、他者が無理にそれと
近いことをしようと思えば、それは“逆洗脳”や“脱プログラム”という危険なテクニッ
クの乱用、にもつながりかねません。
 団体や教団の押しつけを押しつけと知って、押しつけではない知見を自ら選び取って
“上書きされていく”ということ、それを自ら受け入れていくこと、そういうしなやかな
自身の態度が大切な事ではないか、わたしはそう思います。

> そして正義を示してください。

 ガンコさんにとって、その“正義”とはどういうコトでしょうか。「正義とはこれこれ
だ」と、他者が示してくれるような“正義”が、果たして<正義>なのでしょうか。それ
では、顕正会の押しつけにその“正義”が取って替わるだけのことになる、そういう可能
性が残りましょう。
 なんて、言わずもがなのコトを申し上げるのは、老いぼれの繰り言でございます。

 すでに、ガンコさんはご自身でしっかりと考えて、「発言」をなさっていらっしゃる。
それゆえ、必ず多くの方々から様々な意見・異見が、提示されることでしょう。
 ただし、「正義とはこれこれだ」という意見には、注意したほうがよろしいかもしれま
せんですね。どうも余計なことばかりで、失礼をいたしました。

308ガンコ:2003/06/05(木) 06:34

sunyaさん、どうもです。

なんだか、よっぽど危なっかしく見えるんでしょうね、わたくしって。
ですけど、元来が頑迷なものですから、なかなか上書きされそうでされないんです。
本年初頭に独歩さんは、諸宗問答抄をお引きになって「非学匠は理につまらず・・・都て理におれざるなり」、これがわたくしなんですって。
そういえば夜中にお見えになってらしたようですね。

309その辺の 求道者:2003/06/16(月) 21:13
ガンコ様は問題提起される御方、、=No1の方でしょうか、、??

310:2003/06/19(木) 17:12
日蓮本仏論て
大石寺の日寛上人の頃から言われ始めたことなんじゃないかな。
大聖人も日興上人もそんなことは一言もいってないし・・・。

311ガンコ:2003/06/20(金) 13:10

>大聖人も日興上人もそんなことは一言もいってないし・・・。

そうしますと、日蓮大聖人はいかなる御立場でありましょうか?
大聖人御自身はどのように仰せであられるか、日興上人は大聖人をどのように拝しておられたか、もっとも適切と思われる御書・御筆記を教えてください。
また、あなたご自身のお考えも併せてご教示願いとうございます。

312:2003/06/21(土) 18:51
大聖人は宗祖でもなければ末葉でもない
大聖人は釈尊の仏像を拝んでいたんですよ。
日興上人は大聖人に師事していたんです。
他の5老僧もね、、。
私は、
仏−釈尊
宝−五字七字の題目
僧−日蓮
と思っております。

313ガンコ:2003/06/26(木) 12:01

kさんどうも遅くなりました。

あなたのお考えは簡潔でよくわかりました。できれば御書を教えてほしかったです。「一言もいっていない」とおっしゃるからには大聖人・日興上人の御指南を一言漏らさずご存知なのでしょうから。

314藤波太郎:2003/07/12(土) 22:17
重須本門寺の一信者です
大変活発な議論がなされていて、感動しております
かつてどうだったかは知りませんが
現在、重須では釈尊を本仏として拝んでおります
なんといっても、本門戒壇可建霊場
みなさんも、重須へお詣りしてはいかがでしょう
心が洗われますよ

315ガンコ:2003/07/13(日) 13:59
どうもはじめまして、ガンコと申します。わたくし大して教学もないのですけど、このところ恥も外聞もなく出まくっています。

よろしければ、日興跡条々事についてどのようにお考えなのか教えてください。

「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」

この掲示板では大石寺の奉安堂にまします御本尊がはたして「弘安二年の大御本尊」なのかどうかという、正宗信徒にとっては恐ろしい議論がなされてきたわけですが、少なくとも「弘安二年の大御本尊」とは曼荼羅本尊のことだとされているように思います。

であるならば、
>なんといっても、本門戒壇可建霊場

ここには「弘安二年の大御本尊」が安置さるべき道理かと思うのですが、今の重須本門寺ではどのような奉安形式をとっていらっしゃるのでしょうか?

316藤波太郎:2003/07/13(日) 20:35
ガンコ様は、日蓮正宗の教えを信仰されているのですね
私は重須の信者ですから、日蓮宗の教えを信仰しております

「日興跡条々事」についてですが
周知のとおり、日蓮宗の学者による研究では日興上人の作ではないと
断定されています
もちろん、日蓮正宗の学者による反駁もなされていますが
これって、まだ決着ついてないのではないでしょうか

どのようにお考えなのか
と聞かれましたので、一応お答えしますが
やはり文献批判の発言になってしまいますよ 
いわゆる「日目正統」を主張する為の偽作ではないですか、と

重須の本尊は曼荼羅本尊です
何年に図顕された御本尊か、私は覚えておりません
(本門寺の執事長さんに何度も聞いたのに、はずかしい)
「日興跡条々事」が日興上人の真意ならば、重須の本堂に
「弘安二年の大御本尊」を奉安すべきであろうとは思います
でも、文献的考察が決着ついてないのでしたら
とくに「何年」とこだわる必要もないのでは………

また、これは私見ですが
「弘安二年の大御本尊」を奉安しなければ本門戒壇(本門寺)たりえない
のであれば、もし戦争か災害で焼けちゃったらどうするのですか?
これは有り得る話です
本門戒壇って、火に焼けちゃう程度のモロい存在なのですか?
現に、重須は明治末期、火災でほとんどの堂々を失いました
大石寺だって、建築物である以上「不滅」ではないはずです

日興上人にとって、大石寺も重須も、どちらも大切な道場であったはず
そして、長きにわたりともに精進してきた歴史があるのでしょう
いま、必要なのは教団の利害を優先するのではなく、
また、互いの欠点を非難しあうことでもなく、
ともに論議を重ね、正しい道を模索することであろうと思います

317ジャージルーカス:2003/07/14(月) 00:50
藤波太郎さん
私は大石寺檀家のジャージと申します。
なお、法華講には加盟してません。

重須本門寺は正式には「本門寺根源」と名乗るべきであり、現時点で
「本門寺信徒」を名乗るのは、控えるべきであると、本門寺の御住職
から電話で直接確認いたしております。

と言うわけですので、ガンコさん
現在の重須は「本門寺根源」であり「本門寺」では無いのですから、
奉安形式に拘る必要は無いと思います。

>また、これは私見ですが
>「弘安二年の大御本尊」を奉安しなければ本門戒壇(本門寺)
>たりえないのであれば、もし戦争か災害で焼けちゃったらどう
>するのですか?
>これは有り得る話です
>本門戒壇って、火に焼けちゃう程度のモロい存在なのですか?
>現に、重須は明治末期、火災でほとんどの堂々を失いました
>大石寺だって、建築物である以上「不滅」ではないはずです

そんなこと当然です。本宗は物質信仰はいたしておりません。
御戒壇様に流れる法こそ尊いのです。
物質信仰は、創価学会や新参法華講の方たちで、それとて一代法華の
解釈する大石寺信仰に過ぎません。
本来の大石寺信仰で言えば以下のようになります。

問「御戒壇様が火で燃える事はあるのでしょうか。」
答「そんなこと当然である。全ての存在は成住壊空である。御戒壇様だけ
それを免れる道理が無い」
問「もし、御戒壇様が焼けたらどうすれば良いのでしょうか。」
答「時の法主(総貫首)が、再生すれば良い。そのために法主は存在するのだ。」

318ガンコ:2003/07/14(月) 15:00
藤波太郎さん、どうもです。

>「日興跡条々事」についてですが
>周知のとおり、日蓮宗の学者による研究では日興上人の作ではないと
>断定されています
>もちろん、日蓮正宗の学者による反駁もなされていますが
>これって、まだ決着ついてないのではないでしょうか

ああ、どうもすみませんです。こうした基本的なことすらよく知らないものですから、まったくひどいものです。どんどん教えてください。

で、またまた初歩的な質問で恐縮ですが、二箇相承はどうなんでしょうか?
御書の分類でいえば、重須曾存というべき道理かと思うのですが、この掲示板の議論では偽書説が有力とされています。
ま、まさか、あなたはそんなことはおっしゃらないでしょう?


ジャージルーカスさん、

なにげに(総貫首)っていれてますけど、これは日興上人御一人を申し上げるのではなかったですか?

319藤波太郎:2003/07/14(月) 18:16
ジャージルーカス様、ありがとうございます

ジャージルーカス様は、大石寺檀家で、法華講には加盟していらっしゃらない
そうですか
ジャージルーカスさんのご意見は、随分、日蓮宗に近いように感じます
私がモノを知らないだけかもしれませんが、日蓮正宗の信仰にも
いろいろなカタチがあるのですね
もっとも、それは日蓮宗とて同じことですが
日蓮正宗においては、統一見解が確立されているイメージがありました
意外ですが、そこが正宗の懐の深いところでしょう

本門寺の住職とは、貫首猊下のことでしょうか
よく、直接電話で話すことが出来ましたね
私など、とうてい叶うことではありません

320ジャージルーカス:2003/07/14(月) 20:46
>ジャージルーカスさん、
>なにげに(総貫首)っていれてますけど、これは日興上人御一人を申し上げるのではなかったですか?

それは違います。
法主はどのように呼ぶのが正しいかを文献を挙げて示すと、以下のようになります。
「白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」《具騰本種正法実義本迹勝劣正伝(百六箇抄) 弘安三年一月一一日 聖寿 五九歳》

以上に明らかなようにまず日興上人を「総貫首」と拝しますが、さらに「日興が嫡々付法の上人」も「総貫首」と拝するのが正しいのです。

321ガンコ:2003/07/14(月) 21:11

>以上に明らかなようにまず日興上人を「総貫首」と拝しますが、さらに「日興が嫡々付法の上人」も「総貫首」と拝するのが正しいのです。

あっ、こここれは、失礼しました。

322藤波太郎:2003/07/14(月) 21:30
ガンコ様、ありがとうございます

「二箇相承」についてですが、日蓮宗の学者はほぼこれを否定しております
ほぼ、というか全く、といってよいのではないでしょうか
その他「百六箇抄」「本因妙抄」等、富士門流の相伝書はことごとく
疑問視されております

では、重須にとって、日興上人はどのような存在なの?
とよくきかれます

私は重須を代表して発言する立場ではないので、あくまで私見ですが
文献批判に耐えながらも、六老僧中やはり日興上人が付法の上人と
信じているのが現状ではないでしょうか

ある日蓮宗の学者がこのように発言したそうです
「文献批判をともなわない研究は、もはや宗学ではない」
私はこの言葉を謙虚にうけとめ、一応、真偽未決の文献については
第一級の文証としてあげることは、控えるべきだと思います

323ガンコ:2003/07/16(水) 17:35

藤波太郎さん、どうもです。

いや〜、がっかりです。しかし、それがまじめな態度なのでしょうね。

>私はこの言葉を謙虚にうけとめ、一応、真偽未決の文献については
第一級の文証としてあげることは、控えるべきだと思います

こうした風潮というか傾向というか、ともかくそのなかでもっとも遅れをとっているいるのが我が御宗門ということになりそうです。
そしてまた、そのなかでもとりわけ遅れているのが我が顕正会である、ということなのだそうです。

324藤波太郎:2003/07/17(木) 08:52
宗学に限らず、あらゆる学問において「根拠」が重要であることはいうまでもありません
近代とか現代とか、時代の問題ではなく、大聖人も「文証」を大事にされていたでしょう

ただ、大聖人の御書について文献学的考察がなされたのはつい最近のことです
(750年の歴史の中で)
いまのように御書を編年体にならべて拝読することなど不可能であったわけですから
断片的にしか学べなかった先師をいたずらに責めることは出来ません
日蓮大聖人がアメリカ大陸を知らなかったからと言って
世界を知らない狭い人間だと笑うのと同じことです

この時代にいたって、科学の進歩、文明の利器に恵まれた私たちは
かえって情報がありすぎて、戸惑ってしまうのですよね
宗学(もしくは仏教学・日蓮教学)においても日進月歩
ことにコンピューターの出現で飛躍的に研究が進みました
そして、先師の持ち得なかった情報を、手にしてしまった現実があります

真摯に道を求めれば求めるほど、学問を追究すればするほど
苦しまずにはいられない
私はそのように考えています

325藤波太郎:2003/07/17(木) 17:02
もう少し言葉を足します

「文証」「証拠」「根拠」ほぼ同じ意味であると私は思いますが
我々、富士の教えを信ずる者にとって、決定的打撃は
御書と相伝書とが必ずしも一致しないことです
つまり、「文証」「証拠」「根拠」が弱いということです

相伝書にあることが三大部もしくは五大部の教義に一致すれば
なんの問題もありません
しかし、実際には大きなズレがあるように思います
相伝書を中心に据えて教学を構築する時
どうしても御書を否定しなければならなくなるでしょう
日蓮本仏論はその最たる例だと思います
大聖人の御書には、「教主釈尊」よりも「行者日蓮」を上位におく思想は
よみとれますが、本仏であると断定するには富士の相伝書を
「文証」としなければならないのではないでしょうか

あるいは、日蓮正宗と日蓮宗とでは御書の読み下し方が違って
私が勘違いしているだけでしょうか

私は日蓮本仏論という素晴らしい教義を立てた先師に敬意を表します
しかし、もし文献的批判に耐えられぬ日蓮本仏論であるならば
やはり謙虚に反省しなければならないのではないかと思います

326ジャージルーカス:2003/07/17(木) 19:59
藤波太郎さん
「伝に曰わく」で作られているのが日蓮正宗です。
「伝に曰わく」で作られていないのが他の日蓮宗です。
そもそも土俵が違うのですから、文献的批判は意味を持たないのでは無いでしょうか。
柔道で空手を批判するようなものです。
そもそも、大聖人御自身が、自ら御立の法門の教義体型にそれまでの文証を切り文的に引用されております。
また、当時既に偽書と確定されていた文書を無造作に使用されております(聖徳太子の未来記など数え上げたらきりないです)。
大聖人は「自らの法門に有効な文書は偽書・真書問わず使用する」姿勢だった事が伺えます。

神道研究の大家S氏は大聖人を「仏法の仮面をかぶった神道家」と評しましたが、実は大聖人は既に仏教の枠を越えてました事は、御本尊の相妙や各種御妙判を見ても明らかです。大聖人は総合宗教の教祖ですから、自由自在に法門を立て、それまでにあった文章を御自身の法門を立てるために、使用できる部分のみ使用したと考えた方が良いと思います。
もっと言うと「陰陽道・道教・神道・仏法」等の全てを使用した総合宗教を立て、一応それまでの「仏法の流れ」のように装ったとも考えられます。
そして仏法の顔を装った以上、それ以外の部分は相伝に含ませるしか無かったのではないでしょうか。

327??:2003/07/17(木) 20:11
オイ! オイ! 本気かよ、、マジかよ、、。 でも「かなりの核心、、?」かも、、?

328藤波太郎:2003/07/18(金) 11:26
ジャージルーカス様

なるほど、と思わず納得してしまいました
そちらの土俵が少しみえたような気がします
柔道と空手、たしかに名勝負はあまり聞いたことがありません
k1とプロレスも、しかりですね
ルールが違うのですから、仕方ありません

「仏教日蓮宗」か「日蓮教仏教派」か
そんな議論が日蓮宗でもなされます
ジャージルーカスさんのおっしゃることから察するに
日蓮正宗は「日蓮教」とみてとれます

我々のルールは、大聖人の御書にほかなりません
それも、三大部・五大部といわれる真蹟とみて間違いない御書

日蓮正宗のルールは御書よりも相伝書を主とする立場
法華文上よりも文底を取るように、大聖人の御書においても
文上よりも文底を取るということでしょうか
そして、その文底を伝える相伝書について真偽さえ問わないのでしょうか

日蓮宗の歴史を見る時、身延も池上も、京都の諸山においても、そして重須でも
さまざまな教義を掲げた時代がありました
現代とて、未来から見れば大きな誤解を掲げているのかもしれません
しかし、つねに客観的批判に耐えながら、道を模索していくよりほかないと
私は思います

石山とて「教学史」が存在するでしょう
相伝書は「教学史」の中で編まれた文献であると私は解釈しております
最近、相伝の真偽についてそちらで熱心に議論されていますね

私は、議論している人の気持ちが、痛いほどわかります

329無徳:2003/07/18(金) 12:33
藤波太郎さん始めまして:

藤波さんからみてインド応誕の御釈迦さんの直説とは何でしょう?
いわゆる原始仏教と言われる経典群が釈迦の直説に近いとされていま
すが、何しろ御釈迦さん自身は文蹟を残していないとされていますか
ら、真偽の程は確かとは言えない様に思われますが如何なものでしょ
うか?

イギリスがインドを植民地化するに当たって、仏教を徹底的に研究す
べしとしてヨーロッパ的な文献学的手法を用いたとされています。
現在の日本における仏教学がロンドン仏教といわれる由縁でありまし
ょう。

>私は日蓮本仏論という素晴らしい教義を立てた先師に敬意を表します
>しかし、もし文献的批判に耐えられぬ日蓮本仏論であるならば
>やはり謙虚に反省しなければならないのではないかと思います。

とのことですが、藤波さんは日蓮御坊ご自身が本仏であると明言し、
それが文蹟として明確でなければ日蓮本仏論は成立しないということ
でしょうか?

330ガンコ:2003/07/18(金) 12:45

>大聖人の御書には、「教主釈尊」よりも「行者日蓮」を上位におく思想は
>よみとれますが、本仏であると断定するには富士の相伝書を
>「文証」としなければならないのではないでしょうか

本仏であることを強調しなければ、あんがいに日蓮宗も正宗もさしたる違いはないということでしょうか?
わたくしの乏しい知識で恐縮ですが、
「教主釈尊より大事なる行者」(下山御消息)
「月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。」(諌暁八幡抄)
ぱっと思い浮かぶのはこんなところですが、他にどのような御書をご存知か教えてください。

もし「教主釈尊」よりも「行者日蓮」を上と見るならば、もう大して違いはないように思えます。
そうすると、唯授一人の血脈相承が問題となりましょうか?
これは困った。

331藤波太郎:2003/07/18(金) 13:09
無徳様

あえてインド応誕のお釈迦様とされていますが、私は釈尊を本仏として
仰いでおりますので、釈尊の直説は法華経と断言します
これは、正宗の論理では通用しないかもしれませんが
私の正直な見解を申し上げれば、このようにしかお答えできません
原始仏教は方便の権教とみております

また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
考えております

332藤波太郎:2003/07/18(金) 13:19
ガンコ様

私もじつは同じようなことを考えていました
日蓮本仏論、そして唯受一人の血脈相承をのぞけば、案外
正宗と日蓮宗との教義上のへだたりはないのかも知れませんね
「教主釈尊」より「行者日蓮」を上位におくのは
私も『下山御消息』と『諌暁八幡抄』を指して、そう申しました
ただ、他にもあったと思います、いや、ありましたよね

「教主」より「行者」を上位におくのは、どちらがすぐれているという
問題ではなく、末法という時代においては「行者」が化導を担うという
意味ですね
経法においては、釈尊は「法華経」、大聖人は「題目」
これも、末法なるが故に、「題目」でなければならないわけです

これは、日蓮宗においても常識です
そしてこれは、相伝書を用いずとも御書から充分まなべることです

333無徳:2003/07/18(金) 19:57
藤波さん今晩は:

>私は釈尊を本仏として仰いでおりますので、釈尊の直説は法華経と断言
>します。

とのことですが、この釈尊とはいかなる存在でしょうか?

>原始仏教は方便の権教とみております。

このご意見との兼ね合いからすると、インド応誕のお釈迦さんの事の様に
思われますがそれで宜しいのでしょうか?

334愚鈍凡夫:2003/07/18(金) 20:56
横から割り込み失礼します。
ガンコさん引用の
「たとひ鉄囲山を日本国に引回し須弥山を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも法華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に・たりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ」(「下山御消息」 学会版P363)

「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(「諫暁八幡抄」 学会版P586)
以外で有名な文証は、

「日蓮無くば釈迦多宝十方の諸仏の未来記は当に大妄語なるべきなり」(「真言諸宗違目」 学会版P140)
「当世法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(「開目抄上」 学会版P203)
「智人南無妙法蓮華経と唱えば愚人の此れに随はんこと影と身と声と響とのごとくならん、日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、これをもつてすいせよ漢土月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず」(「撰時抄」 学会版P284)
「時を論ずれば末法の初め一定なり、然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん」(「顕仏未来記」 学会版P507)
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり」(「聖人御難事」 学会版P1190)
といったところでしょうか。

「又日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を持ざらん者をば御用いあるべからず」(「一谷入道御書」 P1330)
とありますから、

>また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
>そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
>考えております
との、藤波太郎さんの仰せの通りだと思います。

335無徳:2003/07/19(土) 00:28
愚鈍凡夫さん今晩は:

>>また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
>>そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
>>考えております
>との、藤波太郎さんの仰せの通りだと思います。

との事ですが、私は人本尊開顕の書とも言われる『開目抄』と『種種御振舞御書』
を、何度も何度も読むたびに日蓮御坊を末法(現在)における御本仏であると確信
せざるを得ないのです。

今もこのレスを書く前に3度『開目抄』を拝読させていただきました。

<今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈
せられ、刀杖等を加へらるる者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。
「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲」と。又云く「白衣の与に法を説て世に恭敬
せらるること六通の羅漢の如し」。
此等の経文は、今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば、世尊は又大妄語の人。
「常在大衆中 乃至向国王大臣 婆羅門居士等」、今の世の僧等、日蓮を讒奏して流
罪せずば此の経文むなし。
又云く「数数見擯出」等云云、日蓮法華経のゆへに度度ながされずば、数数の二字
いかんがせん。
此の二字は天台・伝教もいまだよみ給はず。況や余人をや。末法の始のしるし、恐怖
悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。>

さらにあまりにも有名な

<詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。
身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼の婆羅門の責を堪へざるゆへ。久遠大通の
者の三五の塵をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ、法華経をすつる
は地獄の業なるべし。

大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせ
よ。父母の頚を刎ん、念仏申さずば。なんどの種種の大難出来すとも、智者に我義
やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。

我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかい
し願、やぶるべからず>

そして解釈に異説ありますが、

<日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり>

これらの御文は只事ではないと感じます。

336愚鈍凡夫:2003/07/19(土) 01:39
無徳さんどうも。レス有り難うございます。

蓮祖が世間から悪口罵詈され、諸難に遭った原因は、
「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をば焼きはらいて彼等が頚を由比ヶ浜にて切らずば、日本国必ず滅ぶべしと申し候了ぬ」(「撰時抄」 学会版P287)
と、ことあるごとに宣布したことが直接の原因だと思います。
当時、人格者と謳われた人物たちを由比ヶ浜にて斬首せよと言うのですから、当然と言えば当然でしょう。
蓮祖も十分そのことは予想していたことだと思います。
幕府の注目を引き、その理由を糾させ、公場にてこれらの高僧たちと相見えることを望んでのことだったと思います。
「立正安国論」の冒頭に記述されているような、地獄絵さながらの様相に接するにつけ、仏法の正邪を糾すことが一切衆生の眼目を開く近道であると確信されたのでしょう。
福祉活動より優先すると判断されたのだと思います。
人の命の重さや、人権に対する認識が現代とは随分違いますね。

釈迦牟尼の本意は「法華経」にある。従って、「法華経」を信じなければならない。
そして、「寿量品の教主釈尊」こそ末法相応の本尊であるというのが蓮祖の主張ではなかったですか。

「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」(「開目抄下」 P232)
との文証は、釈迦牟尼と同じ想い、同じ決意で法華経流布を誓われた決意の現れと拝します。

とりあえず、おやすみなさい。

337藤波太郎:2003/07/19(土) 08:36
無徳様

私が申しますところの「本仏釈尊」とは、もちろんインド応現のお釈迦様の
ことです
大聖人の御書を拝する時「釈尊」と「釈迦」と分けられていますね
無徳様は、このことから
「いかなる存在」
とお尋ねであると思います

大聖人は、一応「釈尊」「釈迦」等、表現を分けられていますが
これは三世益物の図式を考える上で、あえてそう表現されたのだと
思われます
インド応現のお釈迦様は「迹仏」です
しかし、その「迹仏」たるお釈迦様はじつは「本仏」であるというのが真意であります
ここは娑婆世界です
娑婆に応現され法華経を説かれるのは「釈迦仏」のみでしょう
これが西方世界であるのなら「阿弥陀仏」が法華経を説くのです
ですから、西方世界においては本仏が「阿弥陀」であると解釈されるのでしょう

もちろんこれはこちらの解釈です
正宗からみれば何を言うかとお怒りをかうかもしれません
しかし、これが、こちらの解釈です
信仰の対象、教学の論理がずいぶん違うのですね
「おもしろい」
と言っては不謹慎かもしれませんが、いろいろな解釈があるものです

338無徳:2003/07/19(土) 16:05
愚鈍凡夫さんそして藤波太郎さん今日は:

皆さんは日蓮御坊が

<日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。 仏の
御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。>

とされた御本尊を“信”じてお題目を唱えられておられるのではないのでしょうか?
インド応誕のお釈迦さんや法華経の寿量品に説かれる久遠の本仏、つまり“釈尊”
とはどの様なお方をイメージなされますでしょう。

私にはインド応誕のお釈迦さんや法華経に説かれる釈尊では、具体的にも具象的に
もイメージが湧かないのです。南無妙法蓮華経たる御本尊に“信”を置き題目を唱
えるには、日蓮御坊の残された文言区々を思い出し、自分が描いた御坊のイメージ
を思い抱きながら題目を唱えています。

私が日蓮御坊を“本仏”と仰ぐ由縁も一重にそこにあるといって過言ではありません。

339愚鈍凡夫:2003/07/19(土) 16:54
>>338: 無徳さんへ

小生が「寿量品の教主釈尊」を末法相応の本尊といっているのは、蓮祖の真蹟遺文にそうあるからです。日蓮門下を名乗るのであれば、まず蓮祖がどういわれているかが重要なのではありませんか。

「正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」(「観心本尊抄」 昭定P712)
「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(「報恩抄」 学会版P328)
「仏滅後二千二百二十余年今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず、当時果報を論ずれば恐らくは伝教天台にも超え竜樹天親にも勝れたるか、文理無くんば大慢豈之に過んや」(「土木殿御返事」 学会版P963)

蓮祖が「寿量品の教主釈尊(本門の教主釈尊)」を本尊とすべしと言っている以上、日蓮門下としてそれに従うは道理だと思いますが・・・・・。
それに、曼荼羅本尊を「寿量品の教主釈尊」の内証と捉え、唱題するのに別に不都合はありませんよ。

引用されている文証の「経王殿御返事」は、古写本さえ存在しないのではないですか。

340日蓮:2003/07/19(土) 22:31
余は仏ではない!

341ガンコ:2003/07/20(日) 03:03
あ、だめだめ、そんなふざけちゃ。いろいろ質問されちゃいますよ、観心本尊抄の読み下し方とか。だいじょうぶですか?

342藤波太郎:2003/07/20(日) 11:57
無徳様 愚鈍凡夫様

無徳様と愚鈍凡夫様とでは随分見解が違うようですね
もちろん私とも違いますが

質問したいのですが
石山では
「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(報恩抄)
の「釈尊」を「日蓮大聖人」であると解釈すると聞いたことがあります

愚鈍凡夫様のご意見を拝するに、これに該当しないようですが
いまの石山ではどのように解釈しているのでしょう

できれば教えて下さい

343愚鈍凡夫:2003/07/20(日) 13:53
>>342: 藤波太郎さんへ

小生は元創価学会員で、現在何処の教団にも所属していません。
昔、創価学会で習ったのは、
久遠元初に教主釈尊(本因妙の教主釈尊)に下種を受けたのにもかかわらず、不信謗法の故に成道できなかった衆生(本已有善)を化導するために出現したのが久遠実成の教主釈尊(本果妙の教主釈尊)です。
この本已有善の衆生は、正像二千年で全て成道し、久遠実成の教主釈尊の役目は終わります。末法に入ると衆生の機根が久遠元初と同じ本未有善になります。
この本未有善の衆生は釈迦仏とは無縁の衆生で、釈迦仏法では成道できないとします。
そこで、これらの衆生に下種するために久遠元初の教主釈尊が出現します。
この末法に出現する下種仏こそ日蓮大聖人であるとするのです。
こういうふうに習いました。

344インド放浪体験者:2003/07/20(日) 18:09
300番代以降は、皆様方の御論戦とても御参考になります。 さて視点を一寸かえましょうか、? 皆様方「仏教の古里であるかの地、一度くらいはインド訪問をお薦め」します。小生は20代〜50代に都合五度ほど現地インドを訪ねましたが、どうも「仏教でこそ済度されるべきカースト最下層の方々」が、未だに「バラモン教の流れを引くヒンズー教の厚く強靱?な壁?になす術も無く」苦悩のドンゾコに低迷する在り様を可視可能です。そこには「後五百歳未法の民を思った釈尊の魂は?」。「そこには、本未有善の方の済度など、片鱗すらも感知不可?」の絶望的な大衆があふれ「仏教無力?」=「衆生救済?」、などを体感して来た一人です、、。 しかし「今後、展望の開花の希望だけは持続」したいものです。

345藤波太郎:2003/07/21(月) 08:50
愚鈍凡夫様

ご教示ありがとうございます
もう少し、お聞きしたいのですが
ええと、とりあえず2点にします

1点目
「久遠元初」とは、いわゆる法華経説法よりさかのぼる五百億塵点劫のポイント
すなわち一時点を指すのでしょうか?それとも、五百億塵点劫より過去の時間を指すのでしょうか?

2点目
「久遠元初」の教主は、下種をもっぱらとするのですね。
いわゆる「種」「熟」「脱」の「種」を担う仏であるということ。
そこで、わからないのは、末法において「種」を担うのは「上行菩薩」
ではないのですか?
仏が再度この世に応現してしまうのですか?

以上2点、日蓮宗の一信者として疑問に感じてしまいました
私の無知に加え
宗旨もちがえば、解釈も違います
愚問かも知れませんが、是非教えて下さい

346ガンコ:2003/07/21(月) 10:48
愚鈍凡夫さん
>引用されている文証の「経王殿御返事」は、古写本さえ存在しないのではないですか。

わたくし、この御書が偽書だったら、イヤだなあ、と思っています。この御書が偽書だったら、もう、それだけで信仰の値打ちがなくなってしまうくらいに感じてしまいます。とりわけ大曼荼羅信仰者にとっては重要な御書であろうと思うのです。
愚鈍さんは偽書と断定されているわけではありませんが、どうなんでしょう、お考えをご披露ください。

重要な教義上の争点において、はなはだアヤシゲな御文を引用して、それでこと足れりとするものがいれば、それはまったくお話にならないことでありましょう。しかし、御真蹟ないし古写本がなくとも特に疑義のない御書においては、さしたる問題はないのではなかろうかと思うのです。わたくしは愚鈍凡夫さんほどには御書に精通していないので、可能であれば御書全編にわたって講義を賜わりたい、そして一々の御書の真偽を解説いただきたい、と贅沢な、わがままな、むちゃな、甘ったれた・・・考えを懐いております。
それは無理なおねがいでありましょうから、日々の議論のなかで、折にふれてご解説いただけたら、とってもうれしく思います。

好きな御書っていうのがたくさんあるのですが、
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即仏身なり。」(本因妙抄)
こ、これが偽書だなんて、そんなバカな・・・。もう、これだけで信心やる気なくなっちゃうくらい、だ〜い好きな御書なんですけども、はなはだ弱ったものです。


あと、藤波太郎さんにご質問があります。
「三世益物」とはどういった意味なのでしょうか? 簡単にご説明ねがえませんか。(簡単にしか理解できない頭なので)

347ガンコ:2003/07/21(月) 14:49
「先日のまぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。其の御本尊は正法・像法二時には習へる人だにもなし。ましてかき顕はし奉る事たえたり。」
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」

経王殿御返事は能説・所説の関係において、じつに明瞭な御指南と拝するものであります。
すなわち、釈尊=法華経  日蓮=南無妙法蓮華経 ですが、もちろんイコールで結ぶかどうかに異論があるかもしれません。とりあえず、記号の問題はおきます。

「正法・像法には此の法門をひろめず、余経を失はじがためなり。今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。」

いわゆる末法適時の御法門とは何か、この上野殿御返事においても明瞭であります。すなわち、
能説の教主=南無妙法蓮華経の法華経の行者たる日蓮大聖人
所説の法門=妙法五字の大曼荼羅

なんで所説の法門が曼荼羅なのかという問題はとりあえずおきます。ここで確認していただきたいのは、これらの御文は観心本尊抄のつぎの仰せに相当することであります。
「本門は序正流通倶に末法の始めを以て詮と為す。在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」

在世の本門と末法の初めは一同に純円と仰せであるから勝劣を言うのは間違いなのかもしれません。ただし、彼は脱、此は種、彼は一品二半、此は但題目の五字との仰せは、所説の法門の異なることをもって能説の教主のちがいを仰せあそばしたものと考えられます。

しかし、寿量品の「常住此説法」を考え合わす時、能説の教主はあくまで釈尊一人であって、大聖人を能説の教主と言うのはどうか、大聖人はあくまで「仏の御使い」である、との説も有力であって悩ましいかぎりであります。

348旅の者:2003/07/21(月) 15:47
藤波太郎様、ガンコ様
インド放浪体験者様のレスはとても大切なレスですよ!
中近東、アジア、の悲惨さを知らずして仏教を語るとは、非常に残念な方々ですな!
以前から皆さんの意見を率直に拝見させていただいておりましたが、
所詮、日本人は井の中の蛙ですな!
100ドル位を持って働きながら中近東、アジアを旅してみたらいかがですかな?

349愚鈍凡夫:2003/07/21(月) 16:23
>>345: 藤波太郎さんへ

現在、小生は「日蓮本仏論者」ではないので考えが違うのですが、思考パターンを創価学会員当時に戻して考えてみたいと思います。
「日蓮本仏論者」の方々に間違いを指摘し、補足して頂ければと思います。

>「久遠元初」とは、いわゆる法華経説法よりさかのぼる五百億塵点劫のポイントすなわち一時点を指すのでしょうか?それとも、五百億塵点劫より過去の時間を指すのでしょうか?

「久遠元初」とは、「久遠実成」の当初(そのかみ)、即ち久遠実成以前を指しています。
一応、時間に約して論ずれば、生命の始まり(宇宙の始まり)の時を言うようです。違う言い方をすれば、久遠実成の教主釈尊の本因の時と言えるでしょうか。
而して、創価学会での解釈は、
「御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり」(「御義口伝下」 学会版P759)
との文証を引用して、無始無終の生命本来の姿を「久遠元初」というと結論づけています。

>「久遠元初」の教主は、下種をもっぱらとするのですね。
>いわゆる「種」「熟」「脱」の「種」を担う仏であるということ。
>そこで、わからないのは、末法において「種」を担うのは「上行菩薩」
>ではないのですか?
>仏が再度この世に応現してしまうのですか?

ええとこ突きはりまんなぁ(ワシが言いたいわ)。
気持ちを取り直して、

此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(「三大秘法禀承事」 学会版P1023)
「法華経の会座に登場する上行菩薩は、「久遠元初の教主釈尊」の垂迹であると解釈します。
法華経の会座では、上行菩薩として登場し、末法では日蓮という凡夫の姿で現れる。
而して、その本地は「久遠元初の教主釈尊」であるというのが創価学会の解釈です。

350愚鈍凡夫:2003/07/21(月) 16:56
>>346: ガンコさんへ。

小生は、御書に精通などしていませんよ。
昔は、御書全集(学会版)を通読する度にボールペンの赤い線の数が増えていったものですが、最近はインターネットの発達で、御書全集もダウンロードできる時代になりましたので、学会版、正宗版、日蓮宗版と三種類をパソコンに入れて、双方読み比べなどをしながら研鑚しています。

「経王殿御返事(報四條氏書)」に関する資料はまったく持っていません。しかし、パソコンの御書のデータベースを検索すると、古写本すら存在しないようです。経王のみならず、月満に宛てられた手紙も偽書と扱われていますね。
創価学会時代感銘を受けた一節を含む遺文が、調べていくうちに悉く偽書であると分かった時のショックは大きかったです。
見方を変えれば、確かにガンコさんが仰る通り法門上不都合がなければ偽書扱いの遺文でも引用しても良いのかも知れませんが、個人的にやはり抵抗があります。
それは、果たしてこの遺文は蓮祖の考えを本当に反映しているのだろうかという疑問が湧いてくるからです。

351ガンコ:2003/07/21(月) 17:17

>経王のみならず、月満に宛てられた手紙も偽書と扱われていますね。

扱われているというのは、日蓮宗において、ですか?

352藤波太郎:2003/07/21(月) 17:30
旅の者様

ご指摘ありがとうございます
おっしゃる通りかもしれません

私は、インド放浪体験者様の言葉から
日本山妙法寺僧伽のことを想いました
団扇大請一本で、世界各国を歩く人々

本門の本尊
本門の戒壇
本門の題目

あの人たち(日本山妙法寺僧伽)は、すべて団扇太鼓一本で、お題目を唱え
すべての答えを出していると思えてなりません
そして、多くの人が救われていることです

私はたしかに「井の中の蛙」です
なんびとをも救いえぬ自己をただ恥じるばかりです

ただ、いたずらに戯論を重ねているのではないことはご理解下さい
旅に出る勇気もない無力な者が、それでも信仰の道を探して
自己内の矛盾を言語化しているのです

イラク戦争の時、「人間の盾」として戦地にとどまった日本人がいました
私は、あの人たちのことを想うと、何も言葉を発することが出来なくなります


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