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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
305
:
愚鈍凡夫
:2003/06/04(水) 19:58
「法師品」は「見宝塔品」の1つ前だから、宝塔はまだ現れていないんですよね。
法師品で連想するのは、五種法師・十種供養、有名な「況滅度後」の一節ですか。
弘法を含めた仏道修行の在り方と、仏への供養。そして、その結果としての成道が説かれていると言えるでしょうか。
「神力品」は地涌千界に滅後の法華経流布の付嘱を与える処ですよね。まだ虚空会の儀式の最中ということですね。
これらのことから、仏道修行と結要付嘱を踏まえた上で、末法に於ける本尊を顕す意義を示唆しているのではないかと思ったからです。要するに、本尊の具体的な姿として述べているようには思えなかったからです(あの文証では四菩薩が説かれていませんから)。
「唱法華題目抄」では、南無妙法蓮華経を本尊としてではなく、唱題行として捉えているのではありませんか。「唱法華題目抄」は1260(文応1)年、「本尊問答抄」は1278(弘安1)年です。この間の18年の歳月を考慮すべきだと思いますが。
釈迦仏の一体仏であろうと、「本門の釈尊」と拝し、法華経をその釈尊の内証として添え、「常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱なうべし」(唱法華題目抄)とすることによって、一尊四士の意義は満たされていると思えるようになりました。以前、「楊子本尊(1285(弘安8)年10月9日)」の写真を紹介しましたが、この曼荼羅は中尊と梵字で構成されていましたね。中尊は法華経の肝心ですから、これも一尊四士の意義は満たしているのではないですか(愛染・不動をどう解釈するかという問題はありますが)。
小生も数十年創価に身を置いてきました。故に、ガンコさんの気持ちは理解できます。
しかし、現在は創価教学を振り払うために、基礎から教学を組み立て直しているところです。
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