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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

274ガンコ:2003/05/26(月) 21:33
みかんさん、どうもです。

立正安国論の冒頭に「或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め」、「三宝世に在」すのにどうして災難ばかりが続くのでしょうか? との客の問いがあります。これをもって、余経も法華経も詮なし、三宝も下種の三宝尊でなければならぬ、ともっていくのははなはだ強引でありましょう。しかし、立正安国論を最後まで読んでいっても、具体的には本尊を何にするか、受戒はどうする、常の修行は何をやればいいのか、まったく明らかにされていないのはどうしたことでありましょうか。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」 ここに「早く」「速やかに」と仰せでありますが鎌倉幕府が早速に帰依してしまったらどうなりましょうか。
すでにこの時点ですべての準備が整っていた・・・と考えることはそれほど不自然ではないと思います。
「具には、立正安国論にかんがえたるがごとし」「例せば立正安国論に委しきが如し」等、安国論に言及された御書はたくさんあります。
また、いわゆる建治の広本をはじめとして大聖人御自身が安国論を御書写になられていますし、御入滅にあたっての最後の御講義がこれまた安国論と言われております。
“あとじあん” “あとぢえ” という言葉を使いましたが、まさしくわたくしのようなあほうはずっと後になってから気が付くことが多いのです。しかも厄介なことには、あたかも初めからわかっていたような気になってしまうのです。もちろん見栄を張ってわかったようなポーズをつくることもありますが、そうではなくて本当にもともと知っていたように錯覚してしまうのです。
しかし、大聖人はそうではないと思います。川蝉さんが再三お引きになっている三沢抄の御文にもそれを拝するところですが、立正安国論そのものに拝することが出来るとわたくしは考えています。先には自他の二難に触れましたが、今回は上に示した如くです。つまり、大聖人は故意に具体的な法門を明かさなかった・・・と思われるのです。

>安国論と、佐渡での著作(開目鈔、本尊抄)を読み比べてみられればいいと思いますが、思想的深みはまったく違います。安国論はきわめて浅いです。

むしろ同時期に著されたとされる守護国家論や唱法華題目抄等を比較されてはいかがでしょう。わたくしには思想的深みなどということは論じられませんが、明らかに立正安国論は他とおもむきを異にするように感じます。原理のみを御示しになり、あえて御法門を御隠しになった・・・。いわば安国論は骨格であり、他の御抄は血肉と拝するべきと思います。まずは骨格を示し、そこに御法門の肉付けをあそばした。なんら順序次第に不都合はありません。

なお、大聖人はいかなる仏であられるか? これはいろいろな意味で危険をともなうので今しばらく猶予をいただきとうございます。(やっぱり避けては通れない?)


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