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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

286川蝉:2003/05/29(木) 11:35
日蓮聖人と中古天台

武 覚超氏が「叡山・三井と日蓮門下との交流」において

「伝教大師に本迹二門を高調し、爾前諸経より法華経が勝れているとの所論が見られ、円珍も久遠実成を説く本門と開権顕実をたてる迹門の二門が兼備していることに爾前諸経に比して法華経の独妙独勝たる所以があるとし、また本迹二門に勝劣をたてる考え方も円珍の『法華論記』や安然の『教時諍論』等ころよりみられること。
また題目に万徳万善を具すると云う考えは『観心略要集』に見られ法然の『選択集』も『観心略要集』の名号功徳の所説を受けたものであって、日蓮の五字口唱を正行と主張したのは『観心略要集』や『選択集』の思想的構造をそのまま継承したものである(取意)」と、論証し、

《 日蓮の本門思想については、従来から日蓮の創説であり、独説である点が強調されているようであるが、日蓮の本門思想を迹門と本門、本門と観心、題目五字等の観点から詳しく分析してみると、その思想的要素は、日本天台、ことには中古天台の教学の中に出そろっていたと考えられるであろう。
この点について、上杉文秀博士が『日本天台史』において、「彼(日蓮)は決然此等(日本天台)の長所を悉く網羅採択し、以て法華中心の下に聚積し」たと述べられていることは、誠に当を得た論述であると思われる。》(平楽寺書店刊・本覚思想の源流と展開・400〜414頁)
と論述しています。

勝呂信静師が「教育新潮社刊・日蓮思想の根本問題」において、
「聖人は叡山天台の思想展開のゆきつくべき目的を予見され、その論理的必然性にしたがって自らの行動を律し、時代の風潮を矯正されようとしたのである」(86頁)
と書いています。
これは上杉文秀博士の
「(日本天台)の長所を悉く網羅採択し、以て法華中心の下に聚積し」
と云う見解より、より当を得た視点だと云えましょう。

勝呂信静師の見解は、
《 台密の叡山天台の信仰や儀礼はほとんど密教によるものになっていたが、教義・教判においては天台宗の権威を保つような理論が必要であり、その結果あらわれた思想がいわゆる「理同事勝」である。これは事実上は法華経を大日経より下に見るものである。
そこで、無始無終で万物を包摂する絶対的な仏である大日如来を説く大日経に対する為に、大日経に対応するような超越的優勝性が法華経にあることをあらわすために、本門の仏を説く本門が重視する考えが起こり、本門思想が発達していった。
しかし叡山天台の本門思想は、形式的には法華経本門の体裁を取りながらその内容は真言密教であった。
(「中古天台本覚思想は、台密の大日法身中心の曼荼羅思想に負うところが大であり、これをさらに一元的な世界観・人間観として徹底させていったもの」と浅井円道師が指摘している点でしょうー川蝉注)

本門思想の興起は本来の意義からすれば、伝教大師の遺志を正統に発展させたものとして、真言密教に対する開会としての機能を果たすべきものであったが、果たさなかった。

また恵心以後の中古天台では念仏が盛んになってきたが、それに対応するために、一方に於いて止観・観法を重視しされた。この観心主義は形式的には正統天台の教学を厳守しようと云う態度から出たものである。しかし、実際の行は念仏信仰を採用し容認するようになって行き、一方に於いて教相の法華経(宗教)と観心(宗旨)との分離することにもなっていった。

事の一念三千と云う本門思想や唱題行確立を果たした聖人は、中古天台の教学を批評的に克服されたものと見るべきである(取意)》
等と論述し、
「中古天台と無関係と云う見解や中古天台より脱化したものであると云う見解は皮相的である」(87頁)
と批判しています。

勝呂師が「中古天台の教学を批評的に克服されたものと見るべきである」
と結論していますが、批評的に克服した結果の具体相は、浅井円道師が『平楽寺書店刊・本覚思想の源流と展開的』の305〜306頁において、「日蓮の真正な遺文によって、日蓮思想と中古天台本覚思想との相違点を検討した結果」として、提示している五点と云えましょう。


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