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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

297ガンコ:2003/06/02(月) 05:41

御文字御本尊と仏像との整合性について(3)

しかしながら、正直に申し上げるところですが、日眼女釈迦仏供養事だけは説明がつかないのです。

内容といい、また年代といい、上記の説明ではまったく納得できないので困りました。
まず、年代はいわずと知れた弘安二年。出世の本懐を遂げんとされる年にこのような御指南があるということは、やはりわたくし達が考えている出世の本懐というのは間違っているのではないか、と思わざるを得ないところです。じぶん達で勝手な理由をこさえて勝手に納得するのは簡単ですが、それでは広宣流布などできっこないでしょう。まじめに信心しているのならば、まじめに考えなければならない問題と思うのであります。

そして内容ですが、冒頭に御守り御本尊について一言だけ触れられ、後は延々と釈迦仏造立についての御指南がつづくのです。御文字御本尊と造像がいっしょの御書に論じられているのがいやらしい、なんて言ったら叱られそうですが、これは、先に少し話題になりましたところの合祀を思わせるところがあって悩ましいかぎりです。合祀が間違いであるとしても、この御書のばあいでは、御守り御本尊は文字どおり身に着けるもの、仏像は仏間に安置するという関係を思わせるところがあって、まったくわたくし達にとっては都合の悪い御書であります。

なにより文面より感じることは、大聖人が日眼女を“ベタホメ”に褒めているという印象をぬぐえないわけです。これはおそらく誰が読んでも同じでありましょう。
こうなると、造像はダメ、とは言い難いなあと思います。

というわけで、御文字御本尊と仏像との整合性についてのわたくしの考えは頓挫してしまいました。

どなたか、助けてください。(いないんだな、これが)


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