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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
278
:
みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>
:2003/05/27(火) 14:15
> 日蓮聖人は、台密が大日経を法華経と相対して理同事勝とすることと、凡夫本仏論の源流とも言える中古天台の本覚論に、反発を感じていたのではないでしょうか。
松戸氏の本は持っていますが読んでないので凡夫本仏論なるものについては何とも言えません。
日蓮に天台本覚思想の影響は強いと思います。わたしには日蓮も道元も、「ある意味で」天台本覚思想家の一人にしか見えません。(二人ともそれから距離を取っていたことは確かだと思いますが、距離を取っていたり批判したからと言って、影響を免れているわけではない、と思うわけです)
浅井要麟先生以来、日蓮は本覚思想とは違うと考えるのが普通みたいですが、浅井円道先生や田村芳朗先生の仕事の後に生きている我々は、そう簡単に図式的に見てはいられないと思いますが。もっと事情は複雑です。
今日の仏教学者や思想史学者で、天台本覚思想を解説したり批判している人は、天台本覚思想をきわめて単純に図式化している方がいくらかいるように思います。たとえば最近では、佐藤弘夫先生の『偽書の精神史』(講談社)の163頁あたりの、本覚思想の説明は、ずいぶんと乱暴であるように感じます。「本覚思想の特色は、超越者と自己の一体的把握にあった。」(P163)そう単純なものではないだろうと思いますが。超越者という言葉はきわめて不適切だと思います。
そういった本覚思想への学者の説だけ読んで、本覚思想・如来蔵思想についてあれこれ言う一般の仏教に関心がある方がここ10年ほど多いわけですが(松本、袴谷両先生の影響でしょう)、研究書じゃなくて原典を読まないと、それについて何か言うのは危険であろうと思います。
> 慧心流の口伝法門では、
> 一念三千とは自受用身のことで、その自受用身とは出尊形仏であると定義づけますね。要するに凡夫の姿をした仏と言う意味ですね。
> 如来蔵思想を背景とした即身成仏の影響をまともに受けているように思います。
すいません、「慧心流の口伝法門」について何を読めば良いのかお教え頂ければ幸いです。続天台宗全書でしょうか。それとも研究書でしょうか。浅井要麟先生の『日蓮聖人教学の研究』でしょうか。
「一念三千即自受用身、自受用身者出尊形仏」という伝・最澄の文が御義口伝、末法相応抄に引かれているようですが、それが恵心流一般に流布した考えだったかどうか私は存じません。
さて、たとえば、本尊抄の「文の心は、釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」、「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起して、五字の内にこの珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう」といった記述には、天台本覚思想とたいした距離を感じません。
こういった記述は日蓮文献で多く見られますが、それらを見る限り日蓮思想も、如来蔵思想、仏性思想を背景とした即身成仏思想の一種だと思いますが。
日蓮思想と天台本覚思想を分けることがあるとしたら、凡夫即仏を言うか言わないか、行不要を言うか言わないか、だと思われるかも知れませんが、天台本覚文献でも行の必要は一応言いますし、日蓮も己心中の仏は言います。日蓮思想と天台本覚思想の差は、程度の問題かと思います。方向性が180度違うわけではないと思います。むしろ同じ方向を向いているように私には思えます。
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