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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
270
:
みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>
:2003/05/26(月) 07:00
>>269
ガンコさん
「後者のばあい、その時期はいつと拝されるのでしょうか?」
日蓮が生涯、自身を天台宗徒だと思っていたとは思いませんが、とりあえず、私の言っていることはしょせん仮説です。いつ自覚が変わったかについては、厳密に遺文を調べないと何とも言えませんが、なにしろ日蓮の遺文はある時期から膨大になりますが、それ以前はほとんど見られませんので、調べるのは困難でしょう。
「仏」という言葉は多義的なので、どういう意味で、ガンコさんが日蓮を仏だと思っているのか、ご自身で明確にされた方が良いですよ。覚った人という意味の「仏」と、久遠実成の報身仏という意味の「仏」ではまったく意味が違います。同じ言葉を使っていますが、指し示しているのは別のできごとです。
「また、立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。」
これはまったく違うと思いますよ。安国論と、佐渡での著作(開目鈔、本尊抄)を読み比べてみられればいいと思いますが、思想的深みはまったく違います。安国論はきわめて浅いです。わたしは安国論を読んで面白いと思ったことはありません。
日蓮の遺文がいつの時点でたくさん書かれているか見てみられると良いですが、佐渡以降、特に身延です。日蓮は佐渡・身延で大きな思想的結実を見せています。また佐渡・身延では時間はありましたから、勉学は続けたでしょう。
安国論が最後の研鑽の機会だというのは、ちがうと思いますが。
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