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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

283顕正居士:2003/05/28(水) 06:46
中古天台と鎌倉仏教-修行

修行がないといえば中古天台にも鎌倉仏教にもないし、あるといえばどちらにもある。
みかんさんの着眼に賛成します。唱題や只管打坐を真面目に修行であるといったら
電波であります。即身に仏であることをあらわす象徴的の行に過ぎません。祖師たち
もそう述べます。また若い日に修・証の問題に悩んだというのは道元で、日蓮には
そういうことはありません。日蓮は信仰の対象が一個であるべきだと考えたのであり、
親鸞と同じく一神教と信仰のみ(sola fide)を唱えたのです。また両祖師の信仰のみに
対し阿弥陀仏の絶対的の救済力の前には信仰すら不要としたのが一遍であります。

また中古天台というのはこれらの祖師の以後に本格的に発達し、鎌倉諸宗をながく
支配下においた強力な思想であって、江戸時代に比叡山が四明教学になってから
はじめて日蓮諸派も口伝法門から脱する。道元や日蓮の頃にはすでに中古天台の
初期文献があったが、それは唱題修行をすすめる最澄仮託の修禅寺決や称名念仏
をすすめる慧心仮託の註本覚讃釈で、法然や日蓮の出現の準備をしたものである。

中古天台における行の不要というのは此法住法位世間相常住をモットーとし、修行
とは特殊の宗教的の事柄でない、世間の活動がそのまま悟後の修行であるという
考えである。親鸞宗や日蓮宗も救済に宗教的の修行を不必要とし、信仰のみとする
ことで、社会活動すなわち悟後の修行であるとすることにかわりはない。信仰のみの
考えも社会活動を妨げて人々を宗団の奴隷にするのでなく、宗団から解放する思想
であった。

また日本は王朝時代の末期から戦乱の時代が幾世紀も続くけれども、三国志の時代
のように人口の増加も経済の発達も停止したのではない。反対であって、生産の拡大
によって識字人口が増加し、その上層が武士として台頭し、貴族の権力が崩壊したの
である。ゆえに日蓮はこれらの人々に漢文をふくめた手紙を書いたのである。だから
行の簡易化という説明は誤りである。貴族ほどひまでなかったとはいえるが、かれら
は新興識字階層である、しかし経済活動の基本に殺生がある人々には新しい思想が
必要であったのである。


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