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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

301愚鈍凡夫:2003/06/03(火) 20:39
ガンコさん、ふと思ったんですけど(思うなボケって言われそうですが)、

「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」(「唱法華題目抄」 学会版P12)1260(文応1)年

との文証を引用されていましたね。
しかし、
「又本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり一品二半よりの外は小乗教邪教未得道教覆相教と名く」(「観心本尊抄」 学会版P249)1273(文永10)年

「華厳経の十方台上の毘盧遮那大日経金剛頂経両界の大日如来は宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり、例せば世の王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり」(「法華取要抄」 学会版P333)1274(文永11)年

とあります。
一品二半、特に寿量品が重要であるとの仰せですが、「唱法華題目抄」では何故「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり」なのでしょうか。
この点、どう思われますか。


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