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女子高生コンクリ詰め殺人事件
1
:
一美
:2003/07/22(火) 23:46
小6の監禁事件のことで検索していてこの事件のことを知りました。
この事件が本当にあったなんて信じられないです。人間ってここ
まで残酷になれるものなのでしょうか。リーダーの少年は懲役20年
のようですが、早ければ13〜14年で出てくる? 許せないですね。
一生、刑務所の中で過ごしてほしいです。もしかして他の共犯は
もう出てきているのでしょうか?
475
:
ジーク
:2009/02/05(木) 10:31:47
この事件のいきさつは、こちらのサイトで5年ほど前に読んだのだが、また久しぶりに読んでも心が動揺してしまう。
殺されるまでのプロセスが、あまりにもむごい。
娘がいる身として、被害者のお嬢さんとその親御さんの苦しさ、無念さに胸をえぐられるようだ。
確かにこのような犯罪者が、世の中にまぎれて普通に暮らしているのは本当に恐ろしい。
しかし、犯罪者は彼らだけではないということだ。
今現在、私の子供たちは7歳と3歳だ。
自分の子供を含め、この子供たちの世代からも、やはり将来凶悪犯罪者が出て、他人を傷つける可能性はあるわけだ。
こういった事件を教訓にして、子供たちを犯罪者に育てないことがいかに重要であるか、「モンスター・ペアレント」と呼ばれる私たち世代の親は認識しているだろうか。
主犯格や以下の加害者の家庭環境を見ても、いかに彼らが幼少期に親の愛情に飢えていたか。親がしっかりと子供に向き合い、彼らを指導していかなかったかが垣間見れる。
私も離婚しており、夫がいない。
7歳の子供は娘で、下の子供は3歳の男の子だ。
私の行動ひとつで、この事件の「加害者」の家庭と同じ道を歩む可能性が多分にある。
親としての自らの行動と、子供とのかかわりを真に考えさせられ、同じことは絶対に繰り返してはならないと肝に銘じる事件である。
476
:
紫煙狼
:2009/02/06(金) 01:02:15
このスレの他にも、いくつか関連しそうな話ではあるのですが…。
お笑いタレントのスマイリー・キクチ氏のブログに「死ね」等の書き込みをした
17〜45歳の男女18人が名誉毀損容疑で書類送検される見通しとのこと。
同氏は、およそ10年前より「女子高生コンクリート詰め殺人事件に関与した」との
虚偽の噂がネット上で流布された結果、以前から同様の嫌がらせをうけており、
昨年12月には同氏のブログに殺人予告をした20代女性が書類送検されているそうな。
このタレントさんの場合は、まるっきり事実無根ですから、当然、名誉毀損も
脅迫罪も成立しますが、気をつけるべきは、中傷を受けた当人が生存している場合
「例え中傷の内容が事実であったとしても名誉毀損は成立する」ということです。
また、スマイリー・キクチ氏は「家族らに不安な思いをさせると考え」被害届を
出したとのこと。この意味するところは、この手の問題は中傷された当人だけの問題に
とどまらず、その家族・親族などにも多大な被害をもたらすと言うことです。
私にも安っぽい正義感はあります。しかし、犯罪者がのうのうと社会生活を営んで
いることに対する強い怒りがあったとしても、家族や親族にまで被害を与える権限など
誰も持ち合わせていないわけで、このような事が横行するとすれば、それは既に、
「個人的価値観を基に他者を傷つけること」を「正義という大義名分を利用して」
気晴らしのために実行に移す、似非正義でしかありません。 言い方を変えれば
「個人的価値観を基に他者を傷つける」ことと、個人的金銭欲を満たすために他者を
傷つけ奪う」ことに根本的な変わり等ないわけです。それは既に野獣です。
犯罪で幸せになる人など、一人もいやしないわけで、大元を正せば一人、もしくは
複数の犯罪者に全ての責任があるわけですが、我々、第三者は一つの不幸な犯罪を基に
二度と同じ過ちを犯すものが現れぬよう、これ以上傷つく者が現れぬようにするのが
務めであり、決して犯罪者の家族親族にまで被害を拡大させるのが務めではありません。
(再犯事例を考慮しない場合)冤罪が発生し無辜の人物が社会的制裁を加えられ、
真犯人が罪を逃れるよりは、容疑者が上がらず迷宮入りとなる方が被害が少ないように
喩え元凶悪犯罪者の社会生活を甘受するとしても、これ以上傷つく者が増ええぬよう、
法に則らぬ安っぽい正義感は封印しなければなりません。
無論、法の手続きに則った正義感に蓋をする謂れは無いことも付け加えます。
477
:
loveless
:2009/02/08(日) 00:57:47
>>476
こと、コンクリ事件に関しては、加害者の親の監督責任はどうなの?
という話もあるかと思いますが、それはさておき、、、
私は、本件は別の印象を持ちました。
どうもTV等の報道を見ると、ネットの特殊性・危険性ばかりが強調されているような気が。。
(ネットと民放は、収入源が重なるところもあるので敵対的になるのはわかりますが)
ネットと現実は別離しているわけでなく、ネットも現実の一つの形であるという、
当たり前の指摘をしていった方がよいのでは?と思ったりしました。
(ログが残るから、むしろ現実より発信者を捕らえ易い)
TVによって、ネットは危険だから規制してしまおうという風潮に誘導されるのは気に食わないです。
478
:
あいか
:2009/02/08(日) 22:20:26
今回のことで思ったのは、こんなひどいことをする人がたくさんいるということは
判決確定した人や、すでに刑を受けた人の本名は載せるべきではないということ。
HPにいつまでも実名が載っているから、嫌がらせを受けて社会復帰後仕事をやめざるを得なかった人はたくさんいると思う。
このHPも含めてね。イニシャルでいいじゃん。実名を出す意味がないと思う
479
:
竜
:2009/02/09(月) 16:43:21
>>466
人数を残虐性よりも下に見たのだけは絶対に賛同できない。
人の命をそこら辺のモノと同じくらいにしか見てないのか?と言いたくなる。
480
:
紫煙狼
:2009/02/09(月) 20:13:48
>>478
実名報道等の良し悪しや意味合いは他のスレで語るとして、
コトの本質は本名が載っているか否かではなく、そういうことを
する人を、いかに啓蒙するべきか…なのではないでしょうか?
「○○○を使って×××する人がいるから○○○を規制するべき」
という結論は非常に安易安直で、コトの本質から目を背けているだけ
のように感じます。
・報道等の実名情報を用いて嫌がらせをする人が居るから実名報道は規制すべき。
・美少女ゲームに触発されて性犯罪を起こす人が居るから美少女ゲームは規制すべき。
・ネット上の情報を悪用する人が居るからネットは規制すべき。
・ファーストフードで肥満化する人が居るからファーストフードは規制すべき。
・トイレを汚す人が居るからトイレ使用を規制すべき。
私は、どこに線引きをするべきかではなく、使う人間をいかに啓蒙し教育するかが
最も根本的な解決であると思いますがいかがでしょう(笑)
481
:
日本人
:2009/04/13(月) 22:25:53
主犯の男は出所して、現在何処で何をしているのか?
どうせ暴力団に拾われ、そこで名前を変えてまたろくでもないことをしていることだろう。
ああ、そいえば彼奴はこの事件を起こす前から暴力団と関わりがあったんだったな。
生活を防衛するために、このクズの居所を把握したいものだ。
482
:
メシア
:2009/04/20(月) 00:38:46
この事件に加担、関与した魔界人は全て極刑にすべきだ!!
この4人だけではない。
知っていながら、捕まりもせず、加担した者も同罪だ!!
探し出して、捕まって、同じ目に合えばイイ!!
被害者の女性は、発狂しながら毎日を苦痛と恐怖と絶望で生かされ死んでいったのだ。
この事件は忘れてはならない。
この事件に刑期などというものは存在してはならないのだ。
>>481
暴力団がこいつを拾うとはとても思えん。
むしろ暴力団に八つ裂きにされ殺されるのが目に見えるな。
483
:
軍人上がり
:2009/04/21(火) 21:45:34
女の子をさらって、武道に心得あるものが肉体的暴力。
それも集団で。弱い者に対して優越感に浸ってる哀れで不憫な集団。
被害者になってしまったこの女の子は一人で孤独で毎日
残酷で残虐な目にあいながら、、、、
俺は悔しいね!!この女の子が泣きじゃくりながら、
気絶するほどの暴力に、恐怖とありえない拷問に
顔をしかめながら居たのが容易に想像できる!!!
この犯行グループを全員をぶっ殺したい!!加担した者を全て殺したい!!
本当に心の底から、怒りをぶちまけたい!!
こいつら犯行グループ全員、監禁され、絶え間なく続く拷問と暴力に
絶句しながら死んで逝きやがれ!!!!!!
同じ目にあったら泣いて命乞いするんだろうな(笑
被害者ヅラして(ゲラゲラ
被害者の女の子も助けて!と言っていたはずだ。
こいつら犯行グループに微塵も人間としての尊厳を感じない!!!
惨殺されて死ねや。
484
:
神や仏は常に見ている
:2009/05/09(土) 13:36:52
この事件に関わった、犯人たち全ての
今現在の顔写真、住んでいる正確な住所、氏名(および偽名も)、家族の名前
を今も現在進行形で勇気をもってどんどん公表すべきです。
なぜなら我々一般庶民の、国民の、自衛を護るため。
我々は皇族ではない。皇族のように護衛、警護してくれる人はいないのだ
こいつら犯人たちが死刑になるためには、またもや犠牲者が出るのだ。
我々の身の安全と暮らしを護るために、どんどん情報を公開し、
我々は、その情報を共有し地域住民および近隣市町村の住民は一体となって
監視し続けなければならない。
我々には知る必要があるのだ!!!
あとは「因果は巡る小車かな」
これに関わった犯人たち。
逮捕されずにのうのうと生きてやがる犯人たち。
どうぞ、生きながらえながら苦しみ苦しみもがいて死んで逝って下さい。
笑ってあげます(笑)
485
:
紫煙狼
:2009/05/10(日) 02:16:46
なるほど、過去に凶悪な犯罪を犯した者が、現在、知らぬ間に身の回りで生活していたとしたら、
それは不安なことこの上ないでしょうし、犯罪者には再犯という可能性が高いことも考慮すべき
なのでしょう。自衛のために刑期を終え社会復帰している者や、仮釈放中の者の消息を知りたい
というのは、至極単純で一見、もっともらしく聞こえる主張と考えます。
しかし、どんな凶悪犯罪者も…最初の犯罪を犯すまでは元犯罪者ではなく一般市民であったはずです。
単純に自衛の手段として考えるのであれば、元凶悪犯に限らず、全ての一般市民を監視対象と考える
べきではないでしょうか?
これを出発点として考えると、実のところ元凶悪犯罪者の消息を含む情報を一般公開するべきという
ご意見は単純に再犯を防止し、自らが再犯被害者になることを防ぐ手段であるというより、むしろ
法的制裁を終えた元凶悪犯罪者に対し、なおも犯罪者親族もろとも未来永劫末代に至るまで社会的制裁を
加え続け、また、その事実を以って、新たな犯罪者が現れることを防ぐのだ!という大義名分の下、
社会的弱者を作り上げ差別対象とし、苦境に立たせる事が目的であるかのように感じました。
もともと、犯罪を犯す者というのは犯罪を犯すという点に於いて閾値が低いのですから、このような
一線を越えやすい者を社会的苦境に立たせれば、より一層、凶悪な犯罪を再犯させてしまう可能性も
併せて考慮されなければならないのではないでしょうか?
皆さんが今後、凶悪な刑事犯罪を犯す可能性がゼロであったとしても、皆さんの家族が凶悪な犯罪を犯す
可能性はゼロではありません。せめて「犯罪者」と「犯罪者の家族」は区別しなければならないのでは
ないでしょうか?また、相手が獣のごとき凶悪犯罪を犯したものであっても、それが命あるものである限り
苦しみもがきながら死に行くことを願い、それを喜んでしまえる感覚というのは、善良な市民というより
むしろ、犯罪者的な嗜好なのではないでしょうか?
世の中、キレイごとだけでは済まされないのはイヤというほど分かった上で、それでも、犯罪を憎む気持ちと
犯罪者を憎む気持ちには線引き区別をしなければ、人の皮を被った鬼となってしまいます。そのような心の
持ち主を神や仏が常に見ていたとしたら、人間界で裁かれることはなくとも、天の狭き門をくぐることは
非常に難しいのではないでしょうか?(^^)
486
:
無精髭
:2009/05/10(日) 06:39:41
>>481-484
と
>>485
におかれましては、どちらも勇気ある発言だと思います。
一方が無鉄砲で恥知らずなのに対し、他方でそれをたしなめるという
意味合いの相違がありますがw
公衆の面前においてもここでの書き込みと同じことが言えるくらい
清廉潔白で自信たっぷりなご意見でしたら、前者のような勇気も、
事の正否はともかく、本物だと思うのですけど。リアルに聞いたら
こちらが引いてしまうような内容ばかりなので、本音かネタか、
このスレの流れが私にはよく分からなかったのですけど、
よく考えてみたら、投稿者各人の節度と品格の問題でしたね。
品性の劣った私には分からんわけだw
元犯罪者に対するおびえ・憎しみというのが、市民感情として
確実にあることには十分納得できるのですが、だからといって
必要以上に虚勢を張って、実現する見込みのないことをいう必要は
ないように思えますね。それどころか、度が過ぎた怒りや憎しみは、
理由が何であれ、有害ですらあるでしょう。例えば、少し前の
スマイリーさんの件は、自分は正義感をもってやっていたつもりが、
実は社会にとっては害悪でしかなかったという最悪のオチが付きました。
己が感情を基準とするのみで、他に何の正しさの指標をもたない場合は、
欲求をよくよく自制したうえで行動を律しないと、ああいったしっぺ返しを
食らうんだよ、という教訓は果たして今後生かされてくるのでしょうかねえ。
過激な発言というのが、すべてネタ投稿(本心は別のところにある)なら
また話は別なんですが。
487
:
ラ・フェール伯爵
:2009/05/10(日) 23:21:27
少年(当時)A、B、C、Dにとって本事案は初めての犯罪ではない。
強姦や恐喝を繰り返していた。
劣悪な家庭環境に育ったとは言え、決して犯罪の免罪符とはならない。
片方のグループが女子高生を襲い、片方のグループが助けるふりをして
拉致するという、卑劣で姑息な手段を使った。
41日間にわたり陵辱、暴行の限りを尽くしてなぶり殺しにした。
また、100名近くの者が事件に関与していると言われている。
犯行現場となった少年C宅は、ごく普通の住宅街にあるごく普通の
家である。周辺住民も気づかなかったはずは無い。
公判で検察官の冒頭陳述を聞いて気分が悪くなり倒れ込んだA。
自分のしたことに対して、である。
それほど犯行態様の惨さは筆舌に尽くしがたいものがある。
当時、気鋭の編集長をして言わしめた言葉がある。
「野獣に人権は無い」賛否両論あったが、私に異論はない。
事件に関与した者達の多くは30代後半、40歳に差し掛かっている。
ほとんどの者が家庭を持っているであろう。
今さら蒸し返すな、と言われるかもしれない。
しかし、風化させてはならない事件である。
無念の死を遂げた女子高生もあの時、事件に巻き込まれていなければ
或いは子供達に囲まれ、幸せな家庭を築いていたであろうからである。
488
:
メシア
:2009/05/11(月) 00:35:03
わたしがこの事件の実の姿を知ったのは、先月のことである。
そして彼ら犯人達と年齢はそう変わりませんよ。同い年のヤツも居ます。
この事件のことを知らない、知っていても実の姿を知らない人も多い筈です。
初めてこの事件の実態を知るにつれ、(色々なHPで真実の姿を読んでいきますよね)
彼ら犯人達がやっていたことが恐ろしくて恐ろしくて読むのを何度も止めようと思いましたよ。
名古屋アベック殺人事件の方は、いつぐらいでしたか・・・
高校出て就職してから、4,5年経った頃でしょうか(うろ覚えです)
週刊誌で読んで、初めてこんな凄まじい事件があったのかと
寒気を覚えたのを今でも記憶しております。しかも少年グループによる犯行。。。
この時には、非常に傷つき、被害者カップルのことを思うと涙がとまりませんでした。
それと同時にこれほど犯人たちに対して激烈な怒りで数日眠れなかったのを記憶しております。
そして、ついこの間、、、この事件。たまたま何方かわたしのHPの提示版に貼り付けたのでしょう。
事の詳細を初めて知ったわけです。
これほど酷い殺人事件だったとは思いもよりませんでした。
もの凄く傷つきましたよ。ショックでした。涙も溢れてきましたよ。
20年という時間が経って事の詳細を知ったのはつい此間です。先月です!
わたしのようにこの事件のことを明日初めて知る人も居るかもしれない。
明後日、あるいわ半年後、1年後に知る人も居るでしょう。
これがどういうことかわかります?悪事は末代までと云われる所以です。
インターネットに乗っている情報が物理的に存在し続けるまで、
あるいわ何かの折に週刊誌などで、本屋さんで、、、わかるでしょう?
初めて事の本質を知った者がどういう気持ちになるか。
犯人達に対してどういう感情を抱くか。。。
17歳 という言葉がキーワードのなっていた時期もありましたよね。
サカキバラやバスジャック事件、
それから後に、光母子殺害事件や栃木リンチ殺人事件、、
年齢は関係ないですけど宮崎事件、新潟監禁事件、ハイジャックで機長が殺された事件もありました。
いろいろ悲惨な事件がありました。
しかし、そんな中でもこの事件、コンクリート事件のことは
ここまで残虐な事件だったことは、わたしは今の今まで知りませんでした。
わたしは犯人達がとてつもなく憎いです。
ましてや結婚までして子供までもうけてるヤツが居るとは・・・・。
何も知らずに生まれた子供が十字架を背負って行かなくてはならないとは。。
家庭を築くお金があるのなら、どうしてご遺族に仕送りしないのか。
この犯人をオモイッキリぶん殴りたいですね!
普通に幸せになれることなんて先ずないでしょうから。
わたしだって、この犯人の子供に出くわしたら、ウチの子供と遊んでいたら、、、
子供に罪はない。しかし!!・・・・ウチの子供のお友達という感情は沸かないでしょうね。。
吐き気がします。通り魔、テロリスト、とでも言えばいいのでしょうか。
そんなことを平然とやってのけた犯人。
その犯人の子供・・・ わたしは受け入れられない。ムリです。
489
:
無精髭
:2009/05/11(月) 12:26:57
>>487
風化って言葉を誤用なさっているとしか思えないのですが。
私はこういう凶悪犯罪とその犯人に対し復讐感情を吐露して恥じることのない人たちを前にして
いつも困惑するのですが、それは、この事件を語り継いでいく目的のために元少年たちに対する
終わりのない社会的制裁(私的制裁をも含む?)が必要だという理由がわからないからなんです。
なぜなんでしょうか。加害行為について法的・社会的に擁護する余地のない(?)犯罪というのは、
憎しみでしか語り継げない、ということ? この事件(マスコミの失態も含む)の事実関係に
関する記述と被害者に対する同情だけでは、この事件は風化してしまうというのでしょうか。
実はこの事件の犯人たちを執拗に糾弾する人たちの目的は、この事件が人々の記憶から失われて
しまうのを阻止するために語り継ぎたいという公共的なものではなく、犯人たちを糾弾したい
という気持ちがまず始めにあって、その欲求を満足させる手段として事件を語り継がなければ
ならなくなっているといった個人的なものではないでしょうか。この残虐非道な事件を知ったときから
かき乱されてしまった心の平衡をもう一度保つため、といったような。おそらくそういう人たちは
犯人たちが死ぬまでこの事件を攻撃的に語り続けながらも、視野狭窄と論点不備のままそれらに
固執することでしょう。
ところでもしも法的処罰だけでは足りないとする市民たちの復讐によって犯人たちが一人残らず
無惨な最期を遂げるよう仕組まれたとしたら、それまで復讐を原動力としてこの事件を語っていた
人たちは、風化させないために、今度は何を拠り所としてこの事件を語ればいいんでしょうか。
そうやって犯人が死んでしまった場合、復讐はすでに果たされてしまっている以上、他にどんな
語り継ぎ方が残されているのでしょう。死んだ犯人たちの墓を荒らしに行こうとでも? たとえ
元犯罪者に対してであれ、死人に鞭打つようなことは論外でしょう。ならばターゲットを変える?
犯人の親族をも巻き込みますか? 更には犯人の子孫を呪ってゆくとでも? こういう風に感情の
配分を一方のみに集中して事件を語ろうとすれば、強まった感情が向けられた対象が消えてしまった
場合、事件を風化させないために語り続けるという目的に反して沈黙するか、事件とは関係がない
人々を巻き込んで事態を大きくしてしまうほかありません。過去に実在した事件が現在の事態によって
虚飾されてしまった結果が顕在化した例が、スマイリーさんの一件でしょう。であるならばこのように
暴走してしまう復讐の念に支えられた語り継ぎに、どうしてこの事件の風化が防げましょうか。
490
:
無精髭
:2009/05/11(月) 12:48:03
とは言うものの、私はこの事件については、たとえ事実に関する記述とそこから推測される読み手の
ショックを考慮に入れるだけでも、そう簡単に風化しないものだと考えております。が、もし
犯罪者を糾弾しなければ事件の衝撃性は伝わらないから風化してしまうのだという考えにこだわる
のでしたら、上記でも遠回しに触れたので繰り返しになるでしょうけど、いつかは沈黙するのが
道理です。なぜといって、犯罪事件が風化するかどうかは、加害者の存在が存在しているかどうかに
関わるからです。それでも当初の目的を反故にし、つまり禁を破って加害者が死んでしまってからも
糾弾の手を休めようとしないならば、今度は犯罪者を糾弾する人たちのほうが死ぬまで復讐の鬼に
なって生き続けることになってしまうでしょう。語り継ぎを名目として一緒に正当化されてしまう
ような復讐など正しいはずがないのです。
>>488
僭越ながら
>>488-489
は貴殿へのレスにもなっていますので、わざわざ直接申し上げる必要も
ないことですが、この事件の詳細を「ついこのあいだ」お知りになったのでしたら、
いくらこのサイトに書かれてあるような事件の詳細を知ったからといって、
ことの本質までも知ったのだというのは早計なんじゃないでしょうか。
まだ分からないこと、知りたくとも知ることが出来ないことって結構あると思うのですが。
まあ、boroさんのようにネットに事件詳細を書いて下さる方がいらっしゃるから、
新たに他の方が現れて語り継ぐ必要もないわけです。サイト設立の趣旨にもあるように、
boroさんがこの事件を含め数々の犯罪の詳細を語り継いでいらっしゃるのは、
それらを知らない人たちに知ってもらおうという気持ちはあれ、みなさんの復讐心を
煽ろうという目的はないと思うのですけどね。
491
:
紫煙狼
:2009/05/12(火) 03:57:07
多少スレ違いかもしれませんが…。
日本国憲法では思想の自由と言論の自由を保障していますよね?でも、実際は本当に自由と言い切れるのは
思想だけなのでないでしょうか。例えば、私がAさんを憎み「ぶん殴りたい、殺したい」と思うだけなら
誰にも迷惑をかけないことですし、それを言葉に出さない限り誰に知られることもありません。
言葉に出さず行動に移さない限り私は法廷に立たされることも批難されるいわれもありません。
しかし…ちょっとした失言で失脚する行政長が後を絶たないことからもわかるように、文字にする、
言葉にすることで、そこに文責や言論に対する責任が生じます。これは場合によって刑事罰や民事賠償の
対象となることもあり得る訳です。不特定多数の目に触れる掲示板への投稿も、同様に文責を負わなければ
ならないものと皆さんご承知で書き込まれているという認識でかまわないでしょうか?
>>482
や
>>488
におけるメシアさんの投稿は、非常に素直な気持ちを正々堂々と表現されたものと感じ、
私はそこに一定の敬意を払わざるを得ません。しかし、この同じ地球上に
>>483
の「軍人上がり」さんや、
>>484
の「神や仏は常に見ている」さんのように「元凶悪犯罪者の情報を公開せよ」という考えの方が
同時に存在し、
>>487
の「ラ・フェール伯爵」さんのように「野獣に人権はない」とお考えの方もまた
いらっしゃるわけです。
これが全て現実となったとき…一体どのようなことが考えられるでしょう?
メシアさんは
>>488
において「この犯人をオモイッキリぶん殴りたいですね!」と仰いました。もちろん、
実際に元凶悪犯罪者の情報を知りえる状況にあっても、メシアさんは強靭な自制心によって暴行を加えたいと
思う衝動を抑えることのできる人物であると信じますが、全ての一般市民がメシアさんと同じ程度の自制心を
お持ちとお考えでしょうか?私はそうは思いません。スマイリー氏の件からもわかるように、実際に暴行は
加えないまでも、脅迫罪として書類送検されるに充分な行動に出てしまう「見当違いの正義感の持ち主」は
決して少なくありません。そして、メシアさんご自身が仰っているように「子供に罪はない。しかし!!…」と
元凶悪犯の親族であることだけを理由に、謂れのない迫害を受けてしまう人物が現れてしまうのも、私の中では
ほぼ確実ではないかと考えています。
それゆえ、刑事罰を受け終えた者の個人情報は実名を除き極力公開しないことのほうが、さらなる事件被害者を
生み出さないために必要なのではないかと考えます。これは元凶悪犯罪者の人権を擁護するというより、むしろ
元凶悪犯罪者の親族など「事件に直接関与していない者」への人権的配慮として受け止めるて頂きたいと思います。
492
:
紫煙狼
:2009/05/12(火) 03:58:34
>>489
>実はこの事件の犯人たちを執拗に糾弾する人たちの(中略)個人的なものではないでしょうか。
私も同じような印象を持っています。むしろ、私の印象では無精髭さんの受け止め方より辛らつで、
自らの正義感を唯一無二の真理であると奢り「元凶悪犯罪者ならびに親族を糾弾・迫害・差別」する
ことで優越感や満足感を得んとするがために「事件を語り継ぎ風化させないため」という大義名分を
利用しているに過ぎないのではないか…だとすれば、それは自らの内に秘めたる暴力癖や優越意識を
吐露するために被害者感情や犯罪を憎む心を悪用している。それこそ事件関係者全ての者への冒涜で
あるとさえ、私には感じられます。
犯罪は悲劇しか生み出しません。犯罪のおかげで得られる幸せなんてこの世には存在し得ない。
私はそう信じています。被害者や被害者遺族、被害者関係者はもとより、犯罪者や犯罪者親族など関係者も
みな不幸になってしまうのが犯罪です。たとえ、法的な制裁を受け、刑罰・刑期を終え、社会に復帰しても
失った信用を取り戻すなど再出発は決して平坦な道のりではありません。元凶悪犯罪者が現在出所して
社会の一員として街を歩いている、という事実だけを以って「のうのうと」と表現するのは奢りも甚だしい
と、私は思っています。元凶悪犯罪者がどのような生活を送っているか知りもせず、単に自己の想像だけで
「ふてぶてしく世間をせせら笑って生きている元犯罪者像」を作り上げ、匿名性の陰に隠れて悪口雑言を
ぶつけているような浅はかな思考で、どうして事件の全てを理解できましょう。たとえ被害者の恨みを
100%完璧に理解できたとして、その恨みを晴らす権限がなぜ自分にあると考えるのでしょう?
幸いにして事件に巻き込まれることのなかった我々がするべきことは、これ以上の被害者を増やさないことでは
ないでしょうか?
>>487
風化させてはいけない、そう思わせる事件は山ほどあります。しかし、悲しいかな事件は風化します。
平成生まれの若者の一体何%が「あさま山荘事件」を詳細に渡り知っているでしょう?昭和生まれの私でさえ、
学生運動盛んなころの日本というものを知識としては知っていても、そのような流れになってしまった、
空気というもの、背景というものを肌で感じることはできません。生きてきた時代が違うものですから。
そういう意味では「個別の事件を記録し後世に語り継ぐ」ことは可能でも「風化させない」のは無理なのかも
しれません。従って「悲しい事件を風化させない(繰り返さない)」ために本当に必要とされるのは、
元凶悪犯罪者を糾弾し未来永劫迫害し続けることではなく、後世に「問題解決の方法に犯罪を用いるのは
誤りである」ということを繰り返し教え続けることであり、その教材として過去の個別の事件記録を
正しく活用することなのではないか?私はそう思います。
最後に…酒鬼薔薇スレでも投稿した言い回しですが、酒鬼薔薇君が自らの犯行の真の恐ろしさを実感するのは
鑑別所の中でもなく、社会に出て自らが迫害されたときでもなく、愛する者ができて家庭を持ち、命に代えても
守りたいと思う子供に恵まれたとき、初めて自分のしでかした事の重さを知り、そこからが本当の意味での
悔恨と懺悔の日々になるのだと、私は考えています。
493
:
Ken
:2009/05/13(水) 14:25:35
>>488
わたしは犯人達がとてつもなく憎いです。
ましてや結婚までして子供までもうけてるヤツが居るとは・・・・。
ソースきぼんぬ。まことに勝手ながら伝聞と2ちゃんの書き込みは不可とさせていただきます。
というか、Aは懲役20年で最近まで刑務所にいたはずで、Bこと神作譲は再犯して
まだ刑務所のはず。幸せな家庭を築いている可能性があるのはCとDだが、週刊誌の
記事なんかだと母親と二人でひっそりと暮らしているとか。なんら関わりもないだろうし
頼まれもしたわけでもないのに、20年前経っても「この犯人をオモイッキリぶん殴りたいですね!」
とかボランティアする人が出てくるわけで、常識的に考えて彼らに悲惨な暮らしは
100%約束されていると思われ。神作譲は出所して中国人と結婚したもののその後離婚。
ここいらあたりも彼らが日本で普通に幸せな家族生活を送るのが不可能であることの
傍証になっていると思われますが。
凶悪事件があったからといって、デマを吹聴したり信じちゃいかんですよ。そういう
メンタリティだから「罪もない、なんら関係のない人が命・人権が踏みにじられた」
とかいって、スマイリー・キクチさんみたく罪もない、なんら関係のない人物が
誹謗中傷されて人権が踏みにじられるわけでしょ。悪い冗談でしかない。
というか、興味があるんだったらもう少し事実関係に基づいて何か書かないとかっこ悪い。
494
:
老婆心
:2009/05/14(木) 00:45:07
kenさん、久し振りに書き込みを拝見し、ほっとしました。そして、その着眼
点、情報収集の力量も感じます。確かに、書き込みに共通して、「事実」を
おろそかにしてはいけないことはおっしゃる通りと思います。しかしながら、
本件に限らず、残虐事件といわれる犯人(仮に、最高裁で確定したとしても
誤判のおそれはなくなりませんが)に関し、その後の「人生」がどうであるか
ということは、一般的な関心事になりえますし、実際、どのような「しゃば」
の生活を送れるのだろうか、という点も、「社会的制裁」の点から論評される
こともあるでしょう。しかしながら、この件でも、一連の書き込みを見て
みると、個別具体的な残虐事件の犯人が、「普通に幸せな家族生活」を
を送れているかどうかにかかわらず、被害者の女子高生が、「どんな思い
(絶望)」の中で、最後は虫けらのように扱われ死んでいった、という
「途方もない」状況との比較で、その犯人が、単に「刑法上の罪」や
「少年法上の処遇」を受けただけで、その後は、「生存している」という
ことそれ自体が、「不条理」と思い、何ともやりきれない、という感情を
抱くことを否定することはできないように思えるのですが。
495
:
紫煙狼
:2009/05/14(木) 03:23:12
>>494
Kenさんとお話したいところに横槍入れてすみません。無視していただいても結構です。
前途有望で無辜の一人の少女が見るも涙、語るも涙という惨い殺され方をしました。
実行犯が1人なら、死刑判決に誰も異を唱えないでしょう。
実行犯が2人でも、おそらく死刑判決に誰も異を唱えないでしょう。
では実行犯(責任の度合いが同じ者)が10人なら?20人なら?
一人の少女を惨殺した野獣の命など、10人や20人分、奪ったところで何ら問題はない。
人間が絶滅危惧種でない以上、人間の皮を被った害獣を1000万人駆除したところで、
人類という種にとって、何ら問題はない、むしろ後世のためにそうするべきである。
それはそれで、一面、真理ではあるのでしょうがね…。
私は「ひとつの事件で失われる命の数は犯罪者・被害者を問わず少ないほうがいい」と思い、
「いま将に新たなる被害者が生まれようとしている危機的不可避的状況」でもないのに、
行動の自由を奪われた受刑囚を強制的に駆除し、ひとつの事件による死者の数を増やすという
決着のつけ方に「不条理」やら「やりきれなさ」を感じたりするんですね。
それは、死刑の可否の問題でも、犯罪者の人権の問題でもなく、無論、被害者軽視でもなく、
優れた知能を以って数千年もの時間をかけて現代社会を形成してきた知的生命体をしてなお、
「悪者・邪魔者は排除・殺害されなければならない」という原始的な結論から脱することが
できないものなのかなぁ…という「不条理さ」であり「やりきれなさ」ですよ。
刑事罰を受け、それを終えた者は、犯した罪の全てが許される…そんな事は夢にも思いませんが、
究極的に許す・許さないの権限を持ち得るのは「被害者」のみで、百歩譲って「被害者遺族」や
「被害者の関係者」にも許す・許さないの権限があるものとしても、法治国家日本において
復讐が許されていない以上、被害者などが許さないことと、加害者に危害(迫害)を加えて
かまわないという事は同義ではなく、まして、その恨みを国家ならぬ第三者が代行するなど
分をわきまえぬ慢心以外の何者でもない、と、私は思うのですね。
犯罪者に対し怒りを感じてしまうのは極めて普通のことだし、その怒りを言葉に出してしまうのも、
決して否定できるものではないと思うのですが、その怒りを語るにあたって、被害者を代弁するかの
ような振る舞い、被害感情を代弁するかのように利用して自らのの怒りを正当化し、害獣駆除を
肯定的に、絶対必要なものとして語るのは、実は被害者に対する冒涜ではないでしょうかね。。。
まぁ、私の感じる不条理というのは決して一般的なものではないのは百も承知なので、
老婆心さんが上げた多数派の不条理を少しでも埋めるために、私的復讐とその代行を許すという
法改正も、ひとつの方法なのでしょうが…。
496
:
紫煙狼
:2009/05/14(木) 03:36:25
本件を指してではありませんが…。
喩え事件から相応の時が経ち、被害者遺族や被害者関係者が、犯人に対して
「赦す」という心境に達したとしても、過去の事件の記録を読んで怒りを
覚えた第三者が、頼まれもしないのに恨みの炎を再燃させ、復讐を代行
してくれるんですね。それが人類の持つ正義感というものであるなら、
それが正しい人類のあり方であるなら、いっそ法なんてものはなくして
「許せぬ者を殺害する権利」を全て国民に保障すればいい。
497
:
Ken
:2009/05/14(木) 15:01:51
しばらく書き込んでなかったけどちゃんと読んでましたよ。
もちろん、私はこの事件を知って「不条理」で「何ともやりきれない」感情や
怒りを抱くことを否定したりはしないですよ。むしろ、自然な反応じゃないですかね。
この事件はあまりに凄惨で人は自ずとエモーショナルになるのも当たり前かなと。
私は紫煙狼さんほど心が広くないので、犯人とその家族のわびしい暮らしぶりを
読んでも「ざまあ」としか思わなかったです。ただし、仮に犯人に子どもがいたとしても
それは事件の後であって本当に無関係なんでそこんところはちょっとついていけなかったですけど...
ただまあ、事件の直後だったらこういうネガティブな感情も再発防止だとか警察、
親、社会の役割の見直しだとかのきっかけにはなったかも知れないですけど、
20年経っちゃうとこういうネガティブな感情が何かの役に立つのかどうか疑問ですね。
むしろ、スマイリー・キクチ事件を見る限り害にしかならないような...
私が強調したかったのは怒りに任せてデマを信じたり、無関係な人を傷つけたりするのは
絶対ダメということです。いつかどこかでむかつく事件があったから、ろくに
確かめもせずに無関係な人を傷つけるのって、お前、単に、はけ口がほしかっただけと
ちゃうんか、という感じですね。紫煙狼さんや髭さんがこういう怒りの感情が
本当に事件と関係あるのか、被害者のためなのかどうか疑わしい、というのは
頷けます。
あとまあ、ネットのデタラメ暴くのが私、趣味なんで...
498
:
ラ・フェール伯爵
:2009/05/16(土) 00:48:36
「風化」は額面通りではなく、言葉の「綾」として読んでいただきたい。
数年にわたり繰り返し、これだけの投稿があることを鑑みれば
やはり本件は、人々の心に何らかの影響を及ぼしているのであろう。
私は、この卑劣で残虐極まりない事件をリアルタイムで知っている。
殺害に至る経緯、少年Cの住宅街の写真、公判の様子等、地方紙も
スペースをさいて報道していた。それほど社会を震撼させた事件である。
当時は、亡くなった女子高生の顔写真と名前が週刊誌にも載った。
とてもかわいい、きれいな女子高生であった。
大事な娘を、友達を、教え子を集団でなぶり殺しにされたのである。
ご両親を始めとするご遺族、友人等関係者の方々の心中を察するに
その不条理さが許せないのである。全くの私見であるが。
確かに、彼らは20年も前に裁きを受け、この事案についてはそれぞれ
刑を終えているものと思われる。社会復帰していることだろう。
今さら糾弾でもないだろう。百も承知である。
しかし、加害者達には忘れてほしくはないし、また忘れるべきでもない。
子どもを持った者の中には、自分がどれほどの重罪を犯したのか改めて
思い知った者もいよう。己の犯した罪と真摯に向き合い、これからの
人生をどう生きるか、真面目に考えてもらいたい。
499
:
無精髭
:2009/05/16(土) 01:40:25
>>498
委細了解いたしました。
リンチ・復讐のアジテーターとして槍玉に挙げてしまいましたことには、
今更ながら恣意的であったと反省しております。
私としては、伯爵を自分の主張を展開するきっかけとして利用させていただいた
という自覚があるものですから。
話は変わりますけど、どうやら事件発生直後のマスコミの反応は
いただけないものであったらしいですね。(加害者の親が共産党員うんぬんという話は、
犯罪を取り巻く周囲の環境の特殊性について問題があったのではないかという話であって、
犯罪そのものの本質には関わりがないというのが私の意見なので、どーでもよろしーですが。)
その時点から、この事件に対する言論が、何か事件の本質から
どんどん逸脱していくような徴候を帯び始めたのではないかと思います。
上記については思うところがあるので、時間が有れば投稿してみたいと思いますけど。
この事件に関する言論を批判的に考察したものとして、(私から見れば)面白い論文も見つけましたし。
500
:
無精髭
:2009/05/20(水) 00:41:46
ちなみに前々回のレスでは明言しませんでしたが、ある出来事が事実とは異なって
喧伝されることも「風化」だと私は捉えております。いな、というよりそういう虚飾や
改変を許容して、その影響に対しては目を瞑るような人たちが醸し出す、無責任な
ムードこそその正体かも分かりませんね。どちらにしろ、デマを飛ばしたり信じたりすることで
その影に真実が隠れてしまうこともあるでしょうから。
>>495
実行犯が一人のときには感じなかった死刑に対する抵抗が、実行犯が増えれば
増えるほどじわじわと感じられてくるというのは、不謹慎ですが面白いですね。
(抵抗感が消えるというより犯罪者の命への配慮が生まれるといったほうが適切かも)
改めて考えると不思議です。なんでなんでしょう。
逆に実行犯が一人のとき、対する被害者の数が多くなってくれば、死刑に対する抵抗は
皆無になるどころか野獣は死すべしという考えがますます当為であるかのように
感じられてくるかと。このことは何ら不思議に感じられませんね。犯罪者の命への関心も、
当然ですがもはや配慮といえるものではなくなり、暴力的破壊的な信念へと変貌することでしょう。
>>495
を読んで、もう一つ気になること。
「なんで被害者のことを想って加害者を攻撃するのが、被害者への冒涜になるのか」
みんな、なんでこういう風に突っ込まないのか・・・(汗)。特に、メシアさんとか
伯爵のような立場の人が。
たとえば、犯罪被害に遭って死んでしまった人がこんな遺言を残したとします。
「私が犯罪被害にあって命を落とすことがあれば、私を殺した犯人に対し、
第三者が私や私の近しい者の代わりに復讐をしてくれることを切に願う。」
この場合、第三者が代理的に復讐するのは、被害者への冒涜となるか否か。
この問題に対する私なりの暫定的な解では、「冒涜となりうる」。
理由は、復讐行為そのもののもつ反社会性が被害者に不名誉をもたらすであろうこと
必定だから。目的・手段・主体のうち、目的が悪人を成敗することであろうとも、
主体が被害者本人であろうとも、手段が法で禁じられたものであれば、
それを取るのを諦めて合法的な手段を探したほうがよいでしょう。
被害者のためを思って加害者を攻撃しているのに、、、と思っている人は
それが本当に被害者のためになるのかと自問してみると好いかもしれません。
501
:
無精髭
:2009/05/20(水) 01:08:22
訂正
>たとえば、犯罪被害に遭って死んでしまった人がこんな遺言を残したとします。
変ですね(苦笑)。「〜遺言を残していた」もしくは「犯罪被害に遭った人が死ぬ間際に〜」と書くべきでした。
>>499
で言及しました論文については、実は昨年に書きはしたものの諸般の事情により投稿できなかったもののなかで
紹介されています。相変わらず長い文章なので、いくつかに分けて投稿したいと思います。また暇ができましたら。。。
今日はもう眠いので。。。グゥ
502
:
外科医
:2009/06/20(土) 20:26:48
そいつらが更生する事に意味があるのかどうか?「女子高生コンクリート詰め殺人」も「名古屋アベック殺害」も
どうしようもない奴らだ。お友達にはなりたくないね。
503
:
ufloat
:2009/06/20(土) 21:19:07
>>502
>そいつらが更生する事に意味があるのかどうか?
そりゃ、大ありですよ。これらの事件について、犯人は死刑になればいいとか、
一生閉じ込めておけとか主張する人もいますし、実際それくらいの罪ですが、
実際には死刑になっていないし、ほとんどが出所している。これはどうしようもない。
で、更生しているならともかく、更生してなくて、コンクリ事件のBのような再犯やって、
あなたや私が被害受けたら、冗談にならんでしょう。
社会の安全のために、更生することには意味大ありです。
504
:
アングリー ウーマン
:2009/08/10(月) 10:29:48
被害者の彼女は
失明していた
鼓膜も破け耳も聞こえていなかった
歯は1本もなかった
性器と膣は完全に破壊され、中にはタバコの吸い殻、花火、オロナミンCの瓶が入っていた
なんでこんな奴らが簡単に刑務所や少年院から出てきて、のほほんと普通の暮らししてるのか
私は被害者と同年代、この事件どうしても忘れられない。このニュース聞いた時ものすごく
ショックだった
奴らの近所に住んでいる人達はみんな団結してね、住所とかスレい書き込み続けて
自分たちの自分たちで守ろう
日本の少年法もはよ〜どうにかしないとね 10歳ぐらいになりゃ善悪の判断なんかつくよ
こんな奴らには更生のチャンスなんていらない
さあ皆で、奴ら苦しめよ
次に帰国した時(アメリカ在住)は 湊か神作(刑務所か?)のちんこ切ったるわ
宮野、背高くして待ってろよ(宮野160センチ私170センチ+10センチヒール)
じゅんこさん 助けてあげられなくてごめんね
505
:
芝生
:2009/12/10(木) 11:05:44
2回目の逮捕で、懲役4年をくらった神作君は、そろそろシャバに出てきそうな気がします。
怖すぎます・・・
506
:
トウマ
:2010/02/07(日) 10:59:46
残虐な事件、いたたまれない事件の記録を調べるのが好きで、
そういった本や無限回廊をよく見るけれど。
人間の歴史上起こったどんな悲惨な拷問や死刑に関する本を読むことができても、
この事件についてだけは調べる気持ちにはなれない。
無限回廊のこの事件のページを読むこともはばかられる。
「綾瀬」という地名すら、聞きたくない。絶対に近づきたくもない。
このBBSで、事件について、犯人について、語ることもしたくない。
この事件が「中国で昔行われていた残酷な拷問」といった記録ではなく
身近な日本で、ともすれば自分の身に起こってもおかしくないといった
恐怖感がそのまま嫌悪感に繋がっているからなのか、それはわからない。
というより、その分析すらしたくない。
最悪、
最悪。
507
:
無精髭
:2010/02/07(日) 21:35:43
このスレッドではあまり馴れ合いたくはないのだけれど。
私も上で色々書いてますが、本音を言わせていただくなら、
トウマさんのご意見に全く同意します。
無限回廊の記事も、今ではだいぶ感情を抑えて読むことが
できるようになりましたが、若年のころ、はじめてこの事件
の詳細を知ったときの気持ちは、今も忘れることができません。
そこには、ただ加害者による圧倒的な暴力によって、一人のか弱き
女性が一個の物体に変わり果ててゆく過程が克明に記されていま
した。被害女性が少年たちの暴力に屈すると、彼らはそれを自分
たちの欲望を肯定する印とみて、さらに暴行の度を強めたかの
ようでした。彼女はオモチャにされることなど望んでいたのではなく、
ただ許してくれ、家に帰してくれと請うていたのにもかかわらず。
絶望的なまでのコミュニケーションの断絶。命乞いを服従と誤解
する暴力的昂揚。これらを目の前にして私は、単に第三者として
被害者に同情することを通り越して、自分の心が被害者の恐怖と
絶望に引っ付いたまま離れなくなってしまったことを痛感し、
加害少年たちによるすさまじい暴力を想像して、口が渇き、
舌が痺れ、一切の言葉を失くしたのでした。
http://okwave.jp/qa/q5467134.html
被害女性の体験に自分を重ねることで生まれる、このような心境を
医学用語では二次的外傷性ストレス、共感疲労、代理トラウマなど
と呼ぶらしいです。特に犯罪被害者を支援する人たちが、これで
参ってしまうケースがあるとのこと。
508
:
EE
:2010/04/19(月) 03:18:09
ある境界線を一歩でも越えた瞬間に複数の男達からこん棒等で
殺されるまで殴打される場所がある。
その境界線には壁や柵等は一切なく白い線しか引いていない。
毎年、無自覚で白線を越えた何十人もの幼い子供達が殺されている。
常識や一般論なんてものは通用しない程に世界は残虐なんだと思う。
509
:
無精髭
:2010/04/19(月) 14:19:22
>508
言わんとすることは分かりますけど、この事件は白線のこちら側で起きた事件だと私は思います。
なぜって、加害者グループは事前に犯行の手筈を整えてから獲物を物色しており、帰宅時に通り魔的に
拉致られた被害者に落ち度はまったくなかったのですから。言うなれば、加害者グループの方こそ
白線を越えてこちら側へやってきたのです。
ところで、白線の向こう側が「常識や一般論なんてものは通用しない程に」物騒なら、そこにいる
複数の男たちはなんで互いにこん棒で殴り合わないのでしょうね? いや、まぁ時にはこちら側での
私たちと同じように殴り合ったりすることもあるんでしょうが、もし普段からそんなことばっかり
しているとすれば、いざというときに―――たとえば、格好の獲物が自分たちのテリトリーに迷い
込んだときなど―――皆が協力するなんてことはありえなさそうに思われるのですが。実際、白線の
向こう側がそんな感じであるとした場合、本件の加害者たちが白線の向こう側に住む人間だったとしたら、
仲間割れをするどころか、犯行に及ぶ以前にお互いの利害を一致させ、徒党を組み、協力行動を
するなんてことがそもそもありえなかったはずです。
いや、そうではなくて白線の向こう側では、よそ者に対しては遵守すべき法や行うべき徳は初めから
ないものとされ、したがって原始的欲求への抑制も働かなくなるが、内輪の者に対しては相互の利害を
承認し合う社会契約が成立している、ということなんでしょうか。つまり、彼らは自分たちの欲望を
解放するための無法地帯をこの社会の中に作り出し、そこでありとあらゆる不徳の限りを尽くすのでしょうか。
しかし、無法地帯を意図的に作り出すことが、単純に言って、彼らは彼らなりの常識や一般論で
動いている事実を示すのだとすれば、少なくとも彼らは知性もなければ話も通じない野獣ではない
ということですから、それは同時に(彼らの持つ常識や規律に対する私たちの理解度に応じて)
私たちが彼らとコミュニケートすることは不可能ではないという道理を示してもいるでしょう。
これは要するに、彼らはこちら側の常識や一般論に従うことがなくても、常識や一般論そのものの
意味は私たちと同様にきちんと了解しているということです。
さて、ここまで考えれば、白線を引くことで、こちら側とあちら側というふうな区別を設ける
必要があったのは、自らの欲望を満たすために常識が通用しない社会の外部にいて、隙あらば
幼い子どもたちを撲殺しようと虎視眈々とこちらの様子を窺っている(とされる)男たちの方では
なくて、むしろ常識や一般論を振りかざして反社会的人間を社会外へと追いやることでかろうじて
自分たちの住む社会の秩序を守っている(かも知れない)私たちの方だということに気がつけるでしょう。
白線を必要としているのは善良な市民であるこちら側の人間であり、こん棒を持った悪人から
すれば境界線などむしろ邪魔な存在ではないでしょうか。境界線の存在によって自分が
より人目に立つ存在として位置づけられたまま行動するよりも、初めから境界線など
なかったかのように善良な市民に紛れて行動したほうが(もしくは社会の死角に入って
行動したほうが)、野蛮な欲望を満たすためには都合が良くはありませんか。
白線を引くことでしか無法地帯を作れないということがない以上、悪人には無法地帯を
作る必要はあれど、白線を引く必要などないのです。私たちは白線を引くことで、
反社会的人間の居場所を暴き出し、それを私たちの身体ばかりか思考からも簡単に
遠ざけてしまうわけです。
510
:
Ken
:2010/04/23(金) 14:29:35
最近興味を持った映画に『隣の家の少女』というのがあるのですが。予告編↓
ジャック・ケッチャム原作 映画『隣の家の少女』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=nDLWswUHh1g
映画批評↓
『隣の家の少女』映画版と原作の違いについて
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100322/p1
原作↓
隣の家の少女 (扶桑社ミステリー) (文庫)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/459402534X/
シングル・マザーに預けられた姉妹の話。女とその子どもから虐待を受けて、最後は16歳の姉が地下室に監禁、拷問を受けて殺害されるという救いようのない話。実は、基になった事件がある。
ガートルード・バニシェフスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
何が恐ろしいかって、この家に出入りしていた近所の悪ガキどももこの拷問に加わっているのです。コンクリ殺人事件に通じるものがある。
この事実をどう受け止めたらいいのか私の中でまだ整理できてないのですが、「白線の向こう側」は案外身近にあるのかも。
511
:
さと
:2010/05/15(土) 19:04:38
最近事件の詳細を知って、愕然とした。
なにこいつらって感じ。
何で減刑?むしろ年齢分刑期足せよ。足りないけど。
なぜあんなのを弁護できるのか甚だ疑問。
そしてなぜ死刑じゃない。
死刑宣告してそのまま殺してしまえばいい。
しかも加害者の親は被害者の事を中傷する記事か
何かを書いてる。
こっちも死刑でかまわない。
ってか拷問?同じ責め苦を与えたい。
512
:
犯人に告ぐ
:2010/05/18(火) 20:02:18
あえて感情的に言わしてもらうが、おまえらは虫だ。やくざやくざ言うなら本物のヤクザに会ってみるか?楽に逝けると思うな
513
:
Ken
:2010/05/19(水) 12:08:21
>>511
しかも加害者の親は被害者の事を中傷する記事か何かを書いてる。
「か何か」を書いたというあやふやは伝聞だけで誰かを死刑にしろと公言できるのがすごいですね。
514
:
loveless
:2010/05/19(水) 18:35:40
>>513
事件当初、赤旗は加害者の両親の談話を掲載し続け、
「監禁の認識はなかった」「被害者が望んで家にいた」「被害者はタバコを吸っていた」とか
一方的な記事を書き続けたのは有名な話ですねw
その後、突然、「この事件は日本共産党とはいっさい関係ありません」という一文が掲載され、
日本共産党の歴史からは「無かった」ことになってたりします。。
(たぶん、この事件に関する当時の赤旗の記事を入手するのは不可能でしょう)
515
:
Amelia
:2010/05/20(木) 12:06:15
>>514
事件当初の赤旗は国立国会図書館にて閲覧可能です。
有料にてコピーもできます。
516
:
Ken
:2010/05/20(木) 12:36:33
>>514
それはデマです。
ちょっと検索すると一見していかにも2ちゃんからコピペしました、みたいなあやしげな情報ばっかり。スマイリー菊池事件むべなるかな。「この事件に関する当時の赤旗の記事を入手するのは不可能」って無敵のソースですなあ。(↓ここで読める)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/1054/1050059979/1-8
「加害者の親が被害者の事を中傷する記事」でもないし、「赤旗が加害者の両親の談話を掲載し続けた」わけでもない。「一方的な記事」かどうかは知りませんが、監禁場所を「提供」したCの両親の対応に焦点を当てた記事ではある。なぜこの両親は事件を止めることができなかったのか、というのは誰もがもつ疑問であり、それに対する一つの答えではある。
『その後、突然、「この事件は日本共産党とはいっさい関係ありません」という一文が掲載された』というのもみんながあちこちで書いてますけど、こっちは完全にソースなしですね。今のところ。「想像力」の豊かなアンチ共産党の子が付け加えたというのが私の予測。
517
:
loveless
:2010/05/20(木) 21:33:29
>>516
これがデマなら、誰かwikiペディアを修正しないとダメですね。。
ここに書かれていることは、つい信じ込んでしまう人が多いでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>>515
ありがとうございます。
国立国会図書館の存在を忘れていました。。。機会があれば調べてみようかと思います。
518
:
Ken
:2010/05/23(日) 14:43:44
問題の記述は出典が明記されてないですね。「誹謗中傷する」はPOVなのでこの部分は特に問題ありです。出典がない記述は基本的にデマ扱いすれば間違いは起こらないですね。そうしちゃうと、この記事全体とそれ以外もほとんどの記事がデマになっちゃいますけど...。
事件記事はウィキペディアよりも無限回廊がお勧めです。
519
:
ufloat
:2010/05/23(日) 20:43:22
以前にKenさん、「Wikipedia(英語版)は日本語版よりは信用できる」と
おっしゃっていましたが、英語版だとここからして要出典がつくのですねえ。
This incident has a high level of notoriety in Japan.[citation needed]
無限回廊の記事は確かに優れていますが、殺人以外の事件や戦前の事件などを
調べる際には、Wikipediaのお世話になることもしばしば・・・。注意しなくては。
あとまあ、前にも出てきた「加害者のその後」に関する話ですが、
10年ほど前にニュースステーションで特集をやったとかで投稿コーナーが
あったような・・・と思い出し、Web Archiveから探してみました。
http://web.archive.org/web/20030625061234/www.tv-asahi.co.jp/n-station/yv/bk00.html
「特集に対する反響」であって「特集の内容そのもの」ではないですが、
「E」(無限回廊記事中の「E」と同一人物かは不明)には子どもがいて、
「D」はどうにもこうにも、という内容となっていたようです。
520
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:17:41
>>499
>>501
で本件に言及した面白い論文があるとお書きしましたが、うじうじと投稿を渋っているうちに
いつの間にか当の論文にアクセスできなくなってしまっていたのでこれまで約束が果たせずにいました。
が、ufloatさんの書き込みからWeb Archiveの存在を知り、保存されていた当の論文を探り当てることができました。
http://web.archive.org/web/20020626233006/http://www.hirojo-u.ac.jp/~asano/muimi.htm
以下のレスに書き込みするのは、大部分は一昨年の11月頃から年明けて1月位までの間に少しずつ書き溜めた文章
だったと思いますので(その後もちょこちょこと加筆修正はしていたはず)、ところどころ表記やリンク貼付について
おかしなところや何らかの不具合があるかも知れませんが、ご了承ください。また、以下にコピペさせていただきます
文章は、必ずしも現在の私の考えをそのまま反映したものであるとは限りませんので、その点もご理解いただければと思います。
ちなみに、以下のコピペ文の内容すべてが上掲の論文に関わっているということはございません。
521
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:19:56
私(もしくは私たち)が野郎どもを言語で陥れる(後ろ指を差す)上で気をつけなければならないことを考えてみたんですけどね。
その1 「とりあえずどこに住んどるんじゃいっ!?」という気概を以って情報収集に執念を燃やす
その2 「タイマン張れる度胸があるか?」誰かさんみたいに拉致するゾと迫って来られたらたまんないのでいざという時の為に腕っ節には磨きをかけておく
その3 集団に与せず個人の立場から行えば自己責任を追及されちゃうからできるだけ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」をモットーに
後ろ指を差すためには元少年たちの所在が分からなきゃならないわけで、たとえ分かったとしても私みたいなビビリは自分一人で後ろ指差したいとは思わないです。
何されるか分かりませんからね。ですから(妙な言い方ですが)一緒に後ろ指を差してくれるような篤志を募る必要が出てきます。で、同じ志を持った仲間が
たくさんいればいるほど安心して後ろ指がさせるのですが、時と場合によっては後ろ指を差したくないこともあるとしますと、今度はそんな情況でも仲間が差しているなら
差さなきゃいけないという心理機制が働いてしまうことでしょう。言わば、その集団において後ろ指を差す(ある者を排斥する)ことが個々人を結びつける規範として
固定化されるわけです。こういった個人の本音と集団の建前とのズレから往々にして生じる心的葛藤・ジレンマを、各人がよく自覚した上でその身のうちに引き受ける覚悟
というものがあれば万々歳なのですがね。単なる「言葉の暴力」を社会的に容認されるような「批判」にまで調整することが目下の課題でしょう。さすれば後腐れなく
思う存分、大っぴらに言語で元犯罪者たちを攻撃できるというものです。しかし、今申しました手順を経ずに、マジョリティが陰で結託してマイノリティを陥れるならば、
相手がどんな人間であろうと関係なくその行為をすること自体が無責任なのだと(より大きなマイノリティから?)誹られても、その点に関しては文句は付けられないでしょう。
また一方でこれとは別の議論として、下手に刺激しないほうが再犯する確率が低くまるなら、反対に第三者が正義の名の下に犯罪者の心理的圧迫を促すような発言を
繰り返すことは元犯罪者の生活圏にいる住民等の安全を脅かすことにつながりかねないという点で、ちょっと配慮に欠けるのではないかという意見もあってしかるべきかと
思われます。ただ、皆が見て見ぬ振りをして避けようものなら却って図に乗るんじゃないかという可能性も考えられますがねぇ。理想は、再犯しないように・ソレデモッテ
私たちの生活の安全を脅かす心配のなきよう適度に距離をとりながら暮らしてもらうことでしょう。こういった輩に対しては、銘々をあちこちに住まわせたり国が人権保護を
理由にして地域の治安と秩序を守るために必要と思われる情報をわざわざ隠してやったりするんじゃなしに、そろって一箇所の居住区にでも閉じ込めて常時見張っている方が、
元凶悪犯罪者と善良な市民といった対立の構図上、お互いの生活を守る為にはむしろ好都合なのかも知れません。しかし、だからといって何が何でも村八分にすればいいという
地域住民主導の排斥運動じゃ、社会的隔離(排除)という見地から見ても完璧とはいえないのは言うまでもないことです。オウム排斥運動の問題性は言わずもがな、
ごみ処理場の建設・移転問題やそれに類似した原発の問題などと同様、社会にとって文字通り必要悪なものであるにもかかわらず、どの地域も率先して引き受けたがらず
いつまでも義務をなすり合っているなんてようでは、地域コミュニティの倫理性はいまだ「前時代的段階にとどまっている」といわれてしまっても仕方ありません。
元犯罪者たちとどう共存していくのかということは今後も忽せに出来ない大きな問題でしょうね。
一応、こういう議論も挙げておきます。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3462753.html
522
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:20:57
ところで上に挙げた「その3」についてですけど、先日のスマイリーさんの件は、ネットが匿名性という隠れ蓑とはなりえないということが私なりによく分かる事例でした。
ネットにつなぐという行為は、未知の他者とコミュニケーションを結んだり、新たなコミュニティを形成したりするための手段として(その意義が強調されて)、一般に捉えられているようですが※、
ブログ閲覧や掲示板、SNSを利用する場合は、ごくごく個人的な動機から行われるのがほとんどだと思います。だいたいPCや携帯電話などの情報端末は一人で使うわけですし、
もちろんネット上ではリアルな実感を伴った他者に出会えるわけでもありませんので、そういった事情から察しますに、私やここにいる皆さんを含めてネットユーザーは、
現実(ネット外)のコミュニケーションとは何か別のものを(主にネット上の他者に対して)求めているように思われるのです。ですから、実際に集団に溶け込むには、
群集という実体や社会運動などがありますから、そこに紛れ込むことができさえすれば特に問題ないのですけど、ネットで不特定多数のユーザーたちの集まりに溶け込むというように、
ある特定の場所でのみ支配的な考え方や雰囲気へと意識だけを帰属させるには、先述した私的な動機の影響も相俟って、やはりどこかで無理が生ずるというか、他人とのズレを
感じざるをえないということになるのでしょう。つまり何が言いたいのかと申しますと、匿名性を得るためには集団に溶け込む必要があり、さらにその前提として他人からの承認を
絶対条件とするのです。一言に換言しますと、集団帰属によって自動化したコミュニケーションと本質的に無責任(責任回避的)な匿名性はきわめて近親的な関係にあるのです。
とまあ、そんなわけですから、ネットを私憤のはけ口として用いるやり方では匿名性を得ることは出来ないかと。匿名性を得ることとその動機が個人的なものであることは
両立し得ないから、どこかで破綻する―――事態は、匿名であり続けようといった目的に反した結果となる。第一、匿名性を得るために必要であるはずの他者(との関係)が
ネットユーザー個人のレベルでは本当に必要とされているのか、はなはだ疑問である、という次第です。だからと言ってもちろん、当事件はネットが自己主張のためのツールに
成り下がっていることから必然的に起こったのだと申す気などは毛頭ありませんが。
※主に日々の情報収集から単純な好奇心の充足まで、更にはたとえばamazonで買い物することなどを挙げてみれば、私的な関心や欲求を満たすための手段と捉えたほうが、
ネットユーザーからすると、より実感に即しているかもしれません。ですが、こういうものは新聞・雑誌やテレビなどを見ても満たせるわけですし、家から出ずに通販で買い物を
したいのなら先のようなメディアにも広告が付随しているのですから、既にネットの外でそういったものに囲まれている者にとっては、他のものを差し置いてこれを使わなければならない
という理由をネットに見出すことは困難でしょう。他のメディアにはないような利便性がネットにはあるだろう、だからいつまでたっても時代遅れの石頭なんだという文句は
ご勘弁いただくとしても、そういったメディアはネットが普及する前からあったのですし、何もネットにしか見られないような特徴とは言えないと思いますので、むしろ私が
ここで問題にしたいのは、ネットが一般家庭に普及したときに個々人において、旧来のメディアが喚起し提供するものとは異質の、あらたな関心や欲求(欲望といったほうが好いかもしれませんが)が
生じたのだとする、いわばネット上でしか感じられないそれに特有の関心についてです。その一つとしてコミュニケーションへの関心(情報を取り巻く者同士のつながり、メディアと受容者の
縦の関係ではなく、メディアに対する受容者と受容者の横の関係、等)があり、しかも新たな形のそれに対する期待がネット(ウェブ)に向けられたし、今も向けられているのではないかと思うわけです。
523
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:21:20
検挙された人たちの場合、ネットを使ってスマイリーさんにあのようなことをする前にどこかの時点で何かしらの歯止めがかかればよかったのですが(たとえば自分は公共の正義の
ためなんかではなく、自己本位な道徳観のために興奮しているのだと気がついて我に返るとか、「女子コンクリ」に関わる目的のためにネットにつなぐ前に、これからネットで
自分が取ろうとする行動の是非について実際に周囲の人たちと話し合うとか)。。。誰にしろネット上では、その3で冗談口調で申しました条件はとても満たせそうにないですな。
ネットの匿名性の危うさについては、ウィルスやスパイウェアによる情報流出の危険性やプロバイダを経由することで残るIPなどの痕跡、犯罪捜査に協力するためにプロバイダ側が
行う情報提供と(同じことですが)個人情報への警察権力のアクセスなどによって、ネット・ユーザーは匿名であるようで実は匿名でないというようなことを、今回の事件と似たような先例も
通じて以前から見聞きしておりましたし(プロキシサーバーを使う場合も例外ではないとのこと)、ネットに限らず、現代では市民社会が大きな見えない力によって監視されているのは
周知の事実ですから、こういった今更ながらの文脈―――近代都市市民の自由な匿名性への対抗薬として現代の監視技術が存在するみたいないわばネット利用上の物理的制約云々について
申したかったわけではなく、ネットを悪意なく普通に使う場合は利用者の匿名性は十分に保たれるとされているわけですから、そういった既成事実が蔓延(?)している現状に対して、
私たちは常に匿名であることを望みながらも、ネットが個々人にもたらす技術上の恩恵(個々人において他者との同調化と棲み分けとが矛盾なく・モラルに反せず成り立つ)と
個々人のネットにつなぐ目的意識の自己本位性とのズレのために、実は正反対のことをしようとしているのではないか、という疑問を以て一石を投じてみたかったのです。
しかしまあ、何はともあれ、かりそめにもネットの匿名性の陰に隠れたいのであれば、人と仲良くしなければならない、無責任な匿名性とそういった意味での秩序は意外にも
仲が良いのだ、という考え(妄想)を持てたのはこの事件の報道に接しての収穫でした。
524
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:23:19
私は、言語も暴力化するものであると捉える以上は、言語による社会的制裁(ある種のリンチ)にも規制をかけるべきだという動きが世の中に
芽生えてもなんら不思議ではないだろうと思います。それは以下に後述します浅野千恵氏の論考のような考え方に少なからず影響されたからです。
(過去レスへの唐突な言及で恐縮なんですけど)以前、カルマさんがこの事件について、
1)人間という動物の醜さ、おぞましさ。
2)男性社会における弊害。
3)応報感情の肯定(「因果応報」思想)。
この三つを軸に感想を述べておられましたけど、私はずいぶんと過激なことを仰るなぁ、と失礼ですが
半ば呆れておりましたが、このたび下記のような論考を読んで、少しく考えを改める気になりました。
『現代思想』第28巻2号、青土社、2000年2月
(無)意味と暴力 浅野千恵
http://www.hirojo-u.ac.jp/~asano/muimi.htm
カルマさんの発言の中で特に気になったのは、2)の箇所だったのですが、浅野氏によれば「暴力は本源的にポルノグラフィックなものであり、
むしろ、性暴力こそが暴力の本質にあり、暴力を規定している。」とのことですから、まぁ、そこまで踏み込んで規定できるものなら、
カルマさんの推測もあながち飛躍しているとは言えないよな、と思いました。以前はカルマさんの書き込みを読んで下記のような感想を懐き、
さっそく覚え書きを認めたものです。
それと、当事件に絡めての、性犯罪全般への刑罰の軽重に関するご発言には、やや唐突な印象を持ちました。
カルマさん、何か勘違いされていらっしゃいますよね。当事件は、到底性犯罪というカテゴリだけで括れるような
小さな事件ではないです。であればこそ、男尊女卑社会だの、その弊害としての性犯罪の発生だのといった問題に対する
直接的な対処なぞでは、当事件のような集団犯罪のケースを抑止・防止することは望めないという不満が生まれもするのです。
性犯罪(集団強姦等)の要素はもちろんありますが、それだけではありません。虐待、監禁、脅迫・・・等々の要素に注目しても、
それぞれ常軌を逸しているのが分かるでしょう。当事件は、性犯罪でありながら、それを超えております。
つーか、投稿するためにメモったので、文章の体裁がモロに仮想論敵を念頭に置いた対話調なんですが・・・それはそれとして、先に引用しました
浅野氏の文の前後を読んでもらえれば、上での私がまさに当の暴力の言語的戦略に引っかかっていて、自分のスケベ心が満たされるよう、無用に
事件解釈のための既存の文脈を切り売りすることでいかに駄弁を弄しているかってのが、一目瞭然でしょ。我ながら、「おおっ」っと悪寒がするぅ。
暴力やモラルについては滋賀県大津市で起きた少年暴行死事件についての所感と一緒に雑談スレでも触れましたが、そのときの私の思い付きと
よく似た考えが浅野氏の論考の中で一刀両断にされているさまは、逆に爽快でした。
・・・まじめに言いますと、浅野氏の論考は、前半部分(大体1から2まで)は鋭いんですけど(ある程度は私の趣味でひいきしてますけど)、
後半からの論理展開がやや性急かつごり押し気味に感じられます。さまざまな暴力を取り巻くマスコミ・論壇等の言説の分析から始まって、
最終的にあらゆる文化現象が、人間性に秘められた潜在的な暴力的特性の顕現であるみたいな結論に至るわけですが、これに至っては牽強付会
と言って好いのではありませんかね。限られた紙幅の中で途方もない問題を設定してしまったために収拾がつかなくなったのでしょうか。
もしくは無理やり収拾をつけるために、つまり好き放題に散りばめた、個々においては鋭い洞察を一束の論理へと回収するために論旨を
広げすぎたことが祟ったのでしょうか。
525
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:24:07
その論旨を概説しますと、いじめや恋人どうしのけんかといった狭く閉じた関係でしばしば起こる暴力によって、それを目撃しているのにも
かかわらず、その関係の閉鎖性ゆえに手出しも出来ず、傍観せざるをえない立場に立たされてしまう者が―――言葉を変えれば、間接的な
暴力を被ってしまう者が、その当の暴力的な事象について(あるいは、自分がそういった立場に陥ってしまう必然性について)「既存の概念
コードや論理」を用いて理解しようとする、そういった行為さえも暴力なのだと主張する、かなりラディカルでエキサイティングな内容です(笑)。
暴力とは、言語を通してそれと対峙しているものにも無際限に伝播していく。そもそもそれは、観察者が事態と真に向き合うことを本源的な
ところで拒むような支配的イメージ(先入見)がその言語使用に付きまとうからなのだそうですが。一口に言うと、暴力はそれを目撃する者を
必然的に傍観者にしてしまうが、傍観者となった者は(おそらく暴力に対して傍観者であるという関係を一方的に迫られたがゆえに)
目撃している当の暴力を語ろうとする際に、その暴力によって自分の言葉が暴力的なものへと規定されてしまう、そういった必然的な機構が
あるのだということです。つまり、人は暴力によってただの傍観者にさせられてしまった経験を自然と受け入れてしまうと、それを暴力の
正当な理由や必然性に置き換えてしまう傾向がある。・・・非常に難解ですが、中々に興味深い内容です。
ところが、そのように意味と必然性を見出すよう働きかけること、それじたいが暴力の働き、効果であるかもしれない。
だとすれば、暴力の必然性を読み取り、その意味を解釈し、語ることによって、人は必然的に暴力の側に立たされることになる。
私は、暴力が第三者を(暴力的に)傍観者としてしまうことの必然と、傍観者となることを強要された第三者がその暴力体験を幾分正当化して
語らざるをえないこと―――あるいは、傍観者がその暴力体験を論じてしまうと、言語使用においていわばミイラ取りがミイラになってしまう
ように暴力的にならざるをえない、と論及された二つの必然性がどうも頭の中でうまく接合しません。もう一つ。傍観者に対して意味や論理を
付与するといった、暴力による思考・言語活動への介入についての説明をもうちょっと詳しく書いてもらえるとよかったです。あと繰り返しますが、
先に引用しました「性暴力」云々のくだりは、誰からの影響なのかどういった文脈を下書きにしているのか、はっきりとは分かりませんが、
やはり
>>469
と同じく牽強付会の嫌いがあります。結論が変な方向に捻じ曲がっているような気がするのです。結局そんなことが言いたかったのかよ。
自分のフェミニズムを説きたかっただけかい、と言いたくなりますが、まあ、浅野氏の論考でも言及されている『女子高生コンクリート詰め殺人事件
―彼女のくやしさがわかりますか?』について、amazonのレビューをみると、
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4784501789/ref=cm_cr_dp_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
弱者の立場に立ってそれとは関係性の薄い自説を振り回す論法というものが相対化されていて、もはや時代的に無効となりつつあるのが見て取れますね。
そういった意味では、少し酷な言い方かもしれませんが、このスレッドに書き込まれたコメントのいくつかにも該当することではないかと。
526
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:24:43
ですが、もっと大事なことは、浅野氏が説くところの暴力とはなべて性暴力的であるという主張も含め、あらゆる言語事象のうちに暴力的徴候を
見出してしまう浅野氏のこの論考自体が、すでに氏自身が考察対象とする、言語による暴力の影響を免れていないのではないかということです。
にもかかわらず浅野氏は、暴力という事象を言語化しようとする意思のなかに必然的に生じてしまうとされる新しい暴力についての、最初の発見者
としての特権を無反省に行使しているように思われるのです。それは浅野氏の論考が、まだ誰の先入見にも捉えられていない、元のままの、言語化
以前の、言わば初発の暴力というものを認識した者でなければ説けないような性質の理論だからです。自身の理論で批判されているのが概念や論理
形式のようなある言語的対象そのものである場合、その批判対象に自身の理論も含めなければ、更には批判対象である他者の言説の水準に自身の
論法を照らし合わせなければ、一言でいうとフェアではありませんので、同じ言語であるにもかかわらず、自分の言葉を他人の言葉から原理的に
区別して別格に扱ってしまうということとなり、結果的に自説の特権性は高まるでしょうが、普遍性や妥当性はその点でマイナスとなるでしょう。
結局のところ、棚上げにされた前者で後者を規定してしまうならば、そのような一方的な言説における普遍性などはなはだ怪しいものであると
いわざるを得ません。すくなくとも、暴力を批判する浅野氏の論考もあらたな暴力を生んでいると主張することが、なお言語によって可能だと
思われることに対して、浅野氏は反論しなければならないでしょう。※
※たとえば、フェミニズム♯によってその言説・運動の最終的な目標として据えられたもの(最終的とまでは言えないかもしれないが、一例を
挙げるなら、社会での女性の地位向上などに帰結する法整備や具体的な政策)が成就すると必然的に男性の権威が失墜するのであれば、翻って
男性の暴力に対する女性の報復が成功したという見方ができるでしょうし、そこから新たに男性に対する暴力が生まれたのではないかと類推する
ことも出来るかと思われます。あるいは次のような疑問も生ずるでしょう。それは、暴力の本質が性暴力なら、いうまでもなく女性による暴力も
現実にあるのだから、その場合の(男性的でない)性暴力とははたして何なのか、女性の場合においてもわざわざポルノなり性暴力なりと
言わなければならない必要はどこにあるのか、などといったことですが、浅野氏の論考のようなものを読んでこう問い返すことは、自然なことだと
思うのです。しかしそれよりも大事だと思われるのは、言語の本質に暴力性を見出したとして、それを語るのも同じ言語である以上は、
その批判的言説も、言語の本質であるとされる暴力性を免れることはけっして出来ないはずだということです。くどいようですが。
♯フェミニズムが総て上記に該当する(言い尽くされる)ものだとは言いませんし、事実色々と流派や学説・論者間の違いはあるだろうと思います。
ちなみに蛇足ですが、女性による男性蔑視のようなものに対して己を振り返ってみることによる戒めと反発から、男性学が生まれる土壌も整ったみたいで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E6%80%A7%E5%AD%A6
現代思想で「暴力」を積極的に考察(研究)対象としたのは、まあ色々とおりますが、代表的なのはルネ・ジラールとか、日本では故・今村仁司氏
などですか。今村氏は、boroさんが昨年の8月にウィークリーブックで紹介してくれた『暴力と人間存在』(筑摩書房)でも著者の一人として
名を連ねていますけども、とりあえずそれはおいといて、浅野氏の論法のバックボーンには、フェミニズムやジェンダー論やエンパワーメント論
などの他に、何やらポスト構造主義の影がチラチラしているような・・・。今村氏らによる先行研究から浅野氏らフェミニストへの直接的影響に
関しては知識がないので何とも言えませんが、少なくとも認識の根本的な転回を迫る現代思想の文脈については、明らかにその洗礼を受けて
おりましょう。また、現代思想によって捉え返された<暴力>の概念が氏の念頭にあることも覚えておいて良いでしょう。でないと、先にあげた
論考など意味不明の念仏としか思えないでしょうから。
527
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:25:33
ちなみに補足として付け加えさせていただきますと、先に挙げましたカルマさんの発言の軸の一つである 1)については、見方によっては人間は
理性的に人を殺すこともあるという(それ以前に「理性」という言葉の世間一般での使われ方に対して違和感がありますが)ありきたりな切り口から、
そもそも理性と殺人は相関関係にないこと、もしくは一見理性的に見えない殺人行為にも実は理性が働くかも知れないこと―――理性が殺人行為の
原因となっているということではなくて、殺人という一連の過程において理性はもっぱら功利的な状況判断力としてしか働かないこと(つまり最終的な
決断は意志が行うわけですから、殺人行為の原因は理性よりも意志の方がふさわしい)、このいずれかが推察されます。この二つは一見矛盾する
ようですが、カルマさん曰く「理性のコントロール」を失することが殺人等の野獣的所業・背徳・利己的な行為の原因となるという説への、反措定
として挙げられたもので、それぞれ同じ一つの考えの異なった側面というに過ぎません。理性の働きは専ら既存の道徳観によって解釈(曲解?)
された鬼畜的所業とかいった行いの原因にはなりえないほど、より現実に即した実際的な問題を処理するためにある(でなければ、いかなる場合
において人は理性の実在を己のうちに認めることが出来るでしょうか)というふうに捉え返される点で、この二つに相違はないわけです。そこで
「(犯罪だけに限り)理性のコントロールについて云々するのって意味があるんでしょうか」的な質問をぶつけた後、以下に貼付した動物実験などの
ソースなどを援用して更なる反証を試みようと考えましたが、いたずらに煩雑になるだけだろうと思いましたので、止めました。
話を端折りますと、人間は動物でありながらも、他の動物を家畜やペットとして飼い馴らすことによって、逆に動物を超えた存在として自らを
規定します。どう反省を試みたところで、人間的な生の方法の基盤としてあるこの「支配―従属」の関係に肯定的な判断を下さざるをえないことが、
その事情を自ずと物語るのです。またある局面に即した理由の一つに数えられるものとして、例えば人間は社会生活を営む以上、動物としての自覚
よりも人間であることの自覚の方が強いからというのもあるでしょう。いな、言い換えますと、そんな自覚以前に人間がこうして感じている「意識」
そのものが動物には存在しないのだ(「意識」があるとしても全くの別物)という議論も学問の世界では大真面目になされているようですし。
主にこういう問題を扱う学問って、動物行動学とか、或いは行動主義心理学(特に動物心理学)辺りなのかしら。いや、間違えた。「大真面目に」
と言いましたが、それは動物の意識の問題を人間の意識という一般的な事例から分離させて扱うというほどの意味でしたので、科学的な手法から
「意識」一般を解明することに、人間と動物といった違いはないのかも知れません。そこでの議論というのは結局、動物を専門に扱う学問と哲学者や
思想家のような門外漢―――一般的に言って、しろうとの考え方との相違から生まれるかのごとき、擬似問題に過ぎないのかも知れませんね。
まっ、動物についての考察には、カルマさんの「動物という外延の一つにヒトという種がある」あるいは
「人間という概念は動物性をも内包として含む」みたいな主張とは別の、一風変わった趣向のものもあります。
http://amr-i-t.com/magician-of-posthuman/spell08.html
(これを含む論考の目次です。大学生さんのサイトですが、暇があれば読んでみると好いかも。
http://amr-i-t.com/magician-of-posthuman/index.html
)
で、上のリンクを更に辿ると、
http://jinen.exblog.jp/3685750
http://www.hirokiazuma.com/prof/books/dobutsu.html
というように、またまた東浩紀氏が出てくるわけです。
528
:
無精髭
:2010/05/31(月) 01:26:58
で、これが動物実験についての色々。↓グロ画像注意。
ttp://www.coara.or.jp/~wadasho/doubutu.html
ttp://www.all-creatures.org/ha/jikken/experiment.html
ttp://www.arcj.info/(
http://www.nomoreanimaltests.com
)
ttp://www.ava-net.net/
ttp://www.aspot.info/sat/cosme01.html
(こういったショッキングな(先入主を植え付けるという意味で分かりやすい)情報を提示した狙いこそ、
浅野氏の論考で槍玉に挙げられている当のものなのですが、あえて挙げます)
書籍についてはこれがおススメみたいですね。。。
http://poochnavi.com/books/asin/4000268651/
動物の権利
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9
動物権利論へのちょっとした批判
http://semi.natura-humana.net/1999/rf1999/ss/animal.htm
こういった事例を比較対象とするのは極端なんですが、たとえば先に挙げた滋賀県大津市で起きた少年リンチや時津風部屋の力士暴行死事件など、
第三者から見て、悪く言えば一過性の出来事を「女子高生コンクリ詰め殺人」のような超有名事件と同列に扱う代わりに(?)、個々の事件から
際立った特徴のみを取り上げて特別視するようなことを避ける傾向が私にはありますが。浅野氏は暴力の本質は性暴力と言い切るくらいだから、
きっと時津風部屋のケースにもポルノグラフィックなものを嗅ぎ付けるんでしょうねぇ。まあ確かに、お相撲さんの裸は見方によっては
エロティックですし、ひょっとすると相撲についても文化的なセクシュアリティを覆すような前衛性を有すると言えないことはないかも知れないですな。
不覚にも笑ってしまった。。。
http://mentai.2ch.net/sociology/kako/949/949080992.html
529
:
ufloat
:2010/05/31(月) 07:14:00
私が以前から気になって仕方がないのは、ここで犯人に「殺す」だの何だの
実に穏やかでないことを言っている人たちは、一体何を目的にしているのか、
一体何がやりたくてそれをしているのか、ということですね。
記事を読んで「犯人め、殺してやりたい」と口走る気持ちならまだ分かりますが、
それを明文化して誰でも読める場に投稿してどうしようというのか。
この事件への怒り、憎しみ、やりきれなさに関しては、私も皆様方と同じですから
あえて書くことはしませんが、「このような事件は許せない。だからこそ、
このような事件を起こさない、減らしていくのは私たちの宿題なのだ」と
結論すれば少しは社会の役にも立とうというものを、
こんなところで「犯人殺す」とわめくことが一体何の役に立つのか。
もし犯人を殺す気もないのにそういうことを言って気晴らしをしているのなら、
うがった見方をすれば、そういう人はこの事件をストレス解消の道具に使っている、
ともいえるわけですが、言ってみれば井戸端で人の陰口をたたくのと同じ次元の行為
ですから、どうやっても「社会のため」とか「被害者のため」にはなりません。
他方、もしそういう人が、法の裁きを受けることを覚悟で本当に犯人を殺したならば、
これはもう「ご立派」の一言。というわけで、私はそういう人に対して
「自分が「嫌い」とか「生きている価値がない」とか思うという理由で
他人を殺害し、社会の秩序を乱した野獣」として厳罰を望みます。
大体、社会でこんなことが許されたらどうなるかは、スマイリーキクチ事件が
物語っているわけです。まさに百害あって一利なし。
また、スマイリーキクチ氏が「家族に不安な思いをさせると考えた」と述べていることからも
家族が被害を受ける可能性は濃厚ですし、私が
>>519
で挙げたリンクの中にも
「犯人Eは子どもまで持ってのうのうとしていて許せない」という意見がありますが、
犯人はともかく子どもなどの家族には何の責任もないですから、子どもなどの家族をも
巻き込むような行動というのは、すなわち「無実の人を攻撃する」行為に他なりません。
犯人を攻撃するのはまだ理解するにしても、「気に入らない」という理由で罪のない人に
迷惑をかけるのが、果たして「正義」なのでしょうか。
私もこの事件には猛烈な憤りを覚えますし、被害者の無念も察するに余りありますから、
それを口にする人の気持ちも分からないではありません。
「この事件は許しがたい」「犯人は許せない」というところには全面的に同意します。
しかし、否、だからこそ、「うさ晴らしにこの事件を持ち出すのは誤り(冒涜)だ」と言いたい。
「犯人を殺すぞ」と高らかに宣言することで、アナタの溜飲は下がるかもしれないけど、
それってそもそも被害者や社会のためになるの?
むしろ、本事件や被害者を自分のフラストレーションを解消する道具にしているだけではないの?
そういう疑問が生じて仕方がありません。
530
:
loveless
:2010/05/31(月) 23:13:31
>>529
その疑問に対する解決策の一つが、死刑存置の理由の一つにありますなー^^)
531
:
無精髭
:2010/06/01(火) 00:33:17
>530
死刑には復讐の連鎖を断ち切る効果があるとか言われていますからね。
でもでも、親まで死刑にしろとか軽率なことを言っちゃう表六玉もいるので、
少年法が適用されずに加害者全員が死刑になっていたとしても、関係者に対する
攻撃は現在と同じように続けられたんじゃないですかね。何よりもユーさんは
無実の人に危害が加えられるおそれがあることを一番憂慮されているわけで、
加害者の死は根本的な解決にはならない気がします。
ところで、加害者(Bだったかな?)の親が被害者の墓をオンドリャーと
壊したとかなんとかいった情報もデマなんでしょうか?
532
:
ufloat
:2010/06/01(火) 01:54:18
>>531
確かに、犯人が死ぬことにより、犯人に向かっていたはずの感情がやり場をなくし、
家族に向けられたりしたら、たちが悪いことこの上ないですね。
さらに、その「家族」が(スマイリーキクチ事件のように)実は赤の他人であった日には。
さて、どう書こうか迷っている間に、無精髭さんが代弁をしてくださったので、
死刑制度では私の疑問を氷解させることはできない理由を私から述べる必要も
なくなってしまいましたが。
もう1つ付け加えておくならば、私が
>>519
で挙げたリンク先でも非難を浴びている
「強姦には加担しても殺人には加担していない主犯格以外の者」に関しては、
少年法を考慮に入れないとしても、現行法では死刑にすることはできませんね。
「見て見ぬフリをしたやつらも同罪だ」という人もいますが、こちらも同様。
それから、日野OL不倫放火殺人事件の「師匠」のように、刑法違反をしたわけではないのに
一部の人々からたたかれる(さすがにここでは「殺す」という書き込みまではないようですが、
面接に来たら就職差別をすると公言する人は存在)ケースもあるわけで、
そういう意味でも勇ましいことを言っている人たちに対して私が抱く疑問、
言い換えるなら「そういう人たちの思想やモラル」にかかわる疑問を、
死刑制度によって氷解させることはできそうにありません。
533
:
Ken
:2010/06/02(水) 15:30:53
>>528
あんまり関係ないですけど、こういうので槍玉にあがるのって1950年代とか60年代とかいつも古い時代の話であって、今ではさすがにこんな無茶な実験はしてないです。
というかこの時代は人間に対してもかなり無茶な実験してます。開頭手術中に麻酔をとって電極で脳を刺激して何を感じたか報告させるとか、梅毒に感染させるとか、アトミック・ソルジャーとか、同意なしの断種手術とか。今の感覚だととてもじゃないけど考えられない。
一方で動物実験反対派は一部で過激化していて、テロリスト並みの狡猾な手口を使う人たちもいます。
534
:
Ken
:2010/06/02(水) 15:51:55
>>519
ここのニュースステーションの放送を文字に起こしたのがある。正確性についてはなんら保証できませんが。
ニュースステーション 2000/11/28
「女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者とその親のその後」
http://2ch-library.com/news/concrete/text/news-station.html
Eというのは殺害に加わわらなかったおかげで比較的軽い罰で済んだ人ですね。社会復帰が絶望的なDと比べると順調に社会に順応しているのがわかります。少年法がうまく機能しているケースなのじゃないかな。自発的にグループを離れるくらいですから4人と比べて悪質ではなかっただけかもしれませんが。
放送を観た人たちによる感想ですけど、放送自体にネガティブに反応している人(放送すべきでなかったというコメント群)が多いのが気になりますね。こんな事件は忘れ去られるか、はじめから知らないほうがいいと考えているのですかね。一方で、この放送によってこの事件のことをはじめて知ったという人たちも多いのにね。Eのその後の人生と被害にあった女の子の人生を対比させて不条理を感じるのはよく分かるのですが、Eには幸せになる権利など一切ないなどと言い切るのはどうなんでしょうかね。中には、Eにも遺族の思いを分からせるためだけにEの子供が被害者と同じ目に遭えばいいなどと暴言を吐く人もいて信じられない思いなのですが。本当にこの事件のことを憎んでいるのかな。
Ufloatさんの問題意識は私にもありますね。20年前の事件に対して直截的な怒りをぶつける人というのはなんだか別の問題を抱えてそうですよね。死刑にならない限り我々は犯罪者と何らかの折り合いをつけて共に生きていかなければならないわけで、その際断固とした拒絶は(要するにDのようなケースは)双方にとって不幸でしかないと思いますね。
535
:
Ken
:2010/06/02(水) 16:01:42
>>516
に補足
事件発覚直後に共産党は事件が共産党と関係がないというコメントを赤旗に表明してますね。週刊新潮の記事↓
http://2ch-library.com/news/concrete/source/shincho/1989.04.20-028.jpg
時系列的には「事件は共産党と関係ない」というコメントの後に共産党員であったCの両親に関する一連の特集記事が赤旗に載ったということですね。
536
:
loveless
:2010/06/03(木) 21:44:56
>>531
,532
うーん、ちょっと違うかなw
復讐する権利については、遺族が対象なので、第三者には関係のない話ですねw
ここに書き込んでいる方たちは、おそらく第三者であり、本気で行動に移そうと考えている人はいないでしょう。
(いるかもしれないけど。。)
それでも一言言いたくなるのは、この犯罪に対する罰に「納得していない」から。
私は、法律というのは、なにより納得性が必要だと思っており、刑法の最高刑として死刑があるのも
それが理由の一つと考えています。
537
:
無精髭
:2010/06/03(木) 22:22:57
>536
私も>531を書きながら思っていたことですけど、仮に加害者全員が死刑になっていたとすれば、
第三者の義憤(?)とやらも、現実と比較して勢いが落ちていたかも知れないというのはあり得そうですね。
だから、逆に現実では加害者たちが誰一人として死刑になっていないという不満があまりに強いために、
事件(殺人)とは無関係な人間まで死刑にしろという者が出てくるのだ、つまり、本来加害者に向けられる
べき義憤が、人を殺した者は死を以って償うべきという正義が貫徹されなかったことから行き場を失くして、
新たな攻撃対象を求めてさまよっているのだともいえるわけで。正義が果たされなかったために矛先を
狂わされた義憤は、おそらく今度は加害者が死なずに済んだという社会の不正を糾弾することをも自らのうちに
取り込みつつ激しさを増すということでしょうか。死刑忌避という社会の不正とちょうど釣り合いを保つために、
加害者の家族や友人というミニマムな社会、共産党という反社会的組織が新たな問題対象として(必要以上に!)
クローズアップされるのかも知れませんね。
538
:
美浦
:2010/06/07(月) 00:54:55
性犯罪防止人形の決定版
久々の女体画像。金で買える商品
これなら内部突入気分が出そう。
抱いて結合すれば、性欲消滅、性犯罪も消滅。
法的規制、処罰、性欲抑制剤などと並ぶ性犯罪防止美女人形
薬剤と異なり、体調に及ぼす副作用もないような感じ。
性犯罪の犠牲者皆無で女性は安心しておシャレを楽しめます。
刑務所費用も、法適用の裁判費や、捜査費も不要。
国家経費の節減。
より良い社会を陰で支えるアート美女
http://mihokasumi.h.fc2.com/
539
:
あ
:2010/06/15(火) 04:10:16
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org965176.jpg
よし!この事件の主犯の目隠し無しの写真を見つけた!
削除される前に保存しよう!
540
:
Ken
:2010/06/16(水) 13:52:46
その写真が主犯格のものだという保証はどこに?
541
:
あ
:2010/06/17(木) 00:19:46
>>540
http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/josikouseikankin.htm
これと比較すればわかる
542
:
Ken
:2010/06/24(木) 15:28:58
そのリンク先の写真が主犯格の写真だという保証は?
543
:
あ
:2010/06/29(火) 04:46:29
>>542
これは実際にマスコミが報道した写真です
544
:
無精髭
:2010/06/29(火) 23:30:48
>>543
被害者の写真については仰るとおりでしょうが、加害者の写真については初耳でしたね。
545
:
焼肉
:2010/07/01(木) 02:49:53
>>529
まさにその通りですね。まだこのスレはまともですが。
他の掲示板やミクシーのようなコミュ二ティサイトでは死ねとか拷問方法しか書かれてなかったりで
モラルを疑うような書き込みばかりで嫌気が差します。
あとフラストレーション解消以外に、Eの子供や結婚についての反応見てると嫉妬の思いの方が強いように思われます。
「前科者の方が自分よりもまともな生活送ってるのが許せない」と。
まあある意味では正論なんでしょうが。
>>534
確かにEは殺害に関わってないんですよね。ほとんどの人は加わってると勘違いしてるようですが。
スマイリーにしてもそうですが、もし万が一彼が関わってたとしても逮捕もされなかった人間を殺人犯として叩いてるわけですから事実誤認にも程があるでしょうね。
スマイリー事件があっても、未だにソースの出所が不明なことを本気で信じてたりする書き込み(住所やら改名情報など)も見られますし、今後もまた何か起きてしまうかもしれません。
こういうことを遺族の方はどう思ってるんでしょうか。
546
:
Ken
:2010/07/02(金) 13:55:56
そっとしておいてほしいという遺族が多いのと違いますかね。怒りに任せてあることないこと書く人たちに対しては、自分たちの怒りを代弁してくれてありがとう、などと遺族が思うことはなさそうに思います。あくまでも想像ですが。
547
:
ufloat
:2010/07/02(金) 21:55:17
>>545
>こういうことを遺族の方はどう思ってるんでしょうか。
もし私が何らかの事件の遺族であったら、たぶん「やめてほしい」と考えますね。
要は、自分にとって大切な人を殺害された事件を議題に持ち出され、
犯人の悪口大会(正論で非を唱えるならまだしも、犯人を殺すだの拷問するだの、
本当に「悪口」としか言いようがない大会)が開催されているようなものですから。
私が遺族であれば、おそらく冒涜された感じしか受けないでしょう。
ただ、世の中にはそれを喜ぶ遺族、悲しむ遺族、放っておいてと望む遺族、
何の感情もわいてこない遺族など、様々な考えの人がいるはずなので、
ポジティブな感情を持つ人が絶対いないとは言い切れませんが。
しかし、犯人が腹立たしいからといって無思慮にデマを触れ回ったり、
おせっかいにも憎き「犯人」に何らかの攻撃を仕掛け、犯人やその家族に
ダメージや恐怖を与えたものの、実はその「犯人」は無実の一般市民でした、
なんてオチが待っていたりしたら、まず間違いなく遺族は喜ばないはずです。
スマイリーキクチ問題を例に取れば、被害者の親御さんなどの被害者遺族が
(Kenさんの言い方を借りれば)「結果的に犯人ではなかったが、スマイリーキクチ氏を
攻撃してくれてありがとう」などと攻撃者に言うとは到底思えません。
ついでに、誰かが犯人を攻撃したことで、その子どもなどの家族が
何らかの被害を受けたり、多大な恐怖を抱いたとして、やはり遺族が
「犯人の子どもをいたぶってくれてありがとう」と言うとは思えません。
結局、スマイリーキクチ問題を含むこれまでの騒ぎが、遺族の方にとって
役に立っている可能性は限りなく低いのではないかと。
548
:
紫煙狼
:2010/07/02(金) 23:41:06
遺族のことを考えているなら「犯罪被害者と遺族の会」などに援助を申し出るでしょう。
犯罪者に対する悪口雑言を恥ずかしげもなく投稿している人々に、そういう真摯な方が
いるなどとは、夢にも思えません。遺族の役に立つ気もないでしょう。
結局は「犯罪者に人権はない」から始まり「日頃の鬱憤晴らし」を「社会正義」という
概念にすり替え「自分の安っぽい正義感」を満たす自己満足のための言動でしかありえ
ないのではないでしょうか?「法秩序を乱した者」への正当かつ適切な制裁は「法秩序
を思い知らせて従わせる」ことであって「法秩序に基づかない私的制裁を加える」こと
ではありえません。
被害者や遺族は「自分の鬱憤晴らしを正当化するための大義名分」でしかない。それが
ネットで見かける「犯罪者を晒し者にしよう論」だったり「犯罪者を惨殺しよう論」の
本質だと、つまりは「その者」を「虐げ」ても後ろめたく感じないで済む「いけにえ」
を欲しているのだと、私は感じます。
被害者や遺族が加害者を憎むのは仕方のないことです。ある意味、それが当然の権利で
あるとさえ言って構わないと思います。しかし、被害者でも遺族でもない我々が憎む
ことを許される対象は「罪」であって「人」ではありませんから「人」に対する制裁を
裁判で下されたところの刑期を終えて尚望み、あまつさえスマイリーキクチ事件のよう
に「自分が罪に問われることはないとタカを括って実行してしまう大ばか者」が現れる
と言うのは非常に情けないことです。
そして…そういう輩は自分のそういう「薄汚い、狡猾で卑怯な一面」を全く自覚して
いない、むしろ「社会正義の代弁者である」と勘違いをしているところが、なんとも
厄介なところだと、つくづく考えさせられます。
549
:
無精髭
:2010/07/03(土) 12:50:00
加害者が行き当たりばったりに標的を選んだ事件というのは、もしかしたら自分・あるいは親しい人が
巻き込まれたかも知れないという想像を否応なく掻き立てるんでしょうね。だから、実際の被害者や遺族
のことなんかそっちのけにして、自分・あるいは親しい人が被害者になった場合を考えの中心に据えて
加害者やその行為を評価してしまわざるをえない。結局社会正義のためなんてのは全部嘘っぱちで、
実際は自分や親しい人の保身のことしか考えちゃいないわけです。
本来、無実な人を巻き込んでまでして壮大な嘘なんかつかずに「あんなことをする輩が自分と同じ国にいる
のが不安で仕方がない」と不安を共有するもの同士でただ確認し合っていればいいだけの話です。しかし、
受刑者や既に娑婆に出ている者をネット上で攻撃することが彼らに対する再犯防止や類似犯罪の抑止に繋がる
などという屁理屈・幻想がどうやら一部の人間の間でまかり通っているようですから、それを覆すような
現実(たとえば自分たちのしていることが与える社会への影響等)に個々人が向き合おうとしない限り、
最初は控えめだったやり取りもいつしか過激なものへとエスカレートしてしまうのは避けられないのかも知れませんね。
ところで前にも書いたように、この事件の詳細を知って二次的外傷性ストレスとかに陥っちゃうのは別に
珍しくないと思いますが、そういう状態そのものはもちろん異常なわけですから、自分がそういう
異常な状態に陥ったことを理由に加害者を攻撃しようとするのももちろん異常なわけですよ。
550
:
Ken
:2010/07/09(金) 11:45:46
>>543
具体的になんというマスコミのいつの記事?
551
:
匿名
:2010/07/09(金) 11:50:04
無差別殺人などは社会が望んだ結果だと思います。
これからどんどん増えていく状況になると思います。
552
:
ゼロ
:2010/07/09(金) 21:02:09
>>551
無差別殺人などは社会が望んだ結果・・・・・・?
詳しく分かりやすくお願いします。
「匿名」じゃなく、名前書かなきゃ。
553
:
Ken
:2010/07/10(土) 14:22:14
この事件は「無差別殺人」なんですかね...。まあ、「無差別殺人」と呼べなくもないかも。
554
:
あ
:2010/07/13(火) 03:17:55
>>550
反応が遅れましたが1989年の報道で週刊文春が顔写真を載せた
555
:
hg
:2010/07/13(火) 03:19:40
犯人は皆殺されるべき
556
:
無精髭
:2010/07/13(火) 23:17:21
>>554
当初「あ」さんのことを2chで加害者叩きしている人たちの中の一人かと思っていたのですけど、どうやら
事件報道について事情をよく把握せずに出典不明な他人の書き込みを信じてしまう人だったようですねえ。
以下、ウィキペディア「週刊文春」から。
>1989年に東京都足立区で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件で逮捕された少年4人の実名と顔写真を少年法に反して掲載した。編集長の花田紀凱と部下の勝谷誠彦の判断で、花田は「人殺しの面を見たいだろというのではなく問題提起のため」としたが、大きな波紋を招いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%87%E6%98%A5
出典が明記されていないというw 全くもって好い加減な記事。こんなの信用するに足りんぜ。
続いて以下、質問サイトから。
monemu>彼女に対するバッシング報道は、ごく一部といっていいです。その証拠に、週刊文春では「鬼畜犯人」として、当時としては異例の、未成年犯人グループの顔写真入り実名報道をしています。目線は入っていましたが。/ネットで流れてる犯人の名前と写真は、文春のものです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/875493.html
この人の場合、上の記事の執筆・編集に携わったウィキペディアンと同様のミスを犯しているか、もしくは
「あ」さんのように裏を取ろうという努力を怠って根拠薄弱な情報に踊らされてしまっているかのどちらかですね。
以上のような情報はいずれも出典が明記されていないのでその分余計に検証が困難なものになっています。
そういう記事についてはのちに出典が明記され、さらには資料の具体的内容を転載または資料そのものを
画像化したものが提示されたり、文責(執筆者にある場合、その氏名)が明示されたりした場合、やっと
検証とその中断は容易になります。
たとえば、本件の加害者をネットで叩くことに年季が入っている人なら誰でも知っていると思われるソースが
あります。以下参照。
http://2ch-library.com/news/concrete/source/shukan.html
「FRIDAY 2007年8月24・31日号」の画像に注目。まぁ、これでとりあえず、HP「クソガキ」に貼って
ある写真が加害者たちを写したものであるという信憑性は高まったわけです(完全に証明されたとまでは言い
ません。一応まだ疑える要素がいくつかありそうなので)。ちなみに再犯したBについては週刊文春も顔写真
を載せていたようですね(「週刊文春 2004年7月15日号」参照)。
さて、問題は事件発覚当時の報道においても加害者の写真が公表されていたかどうかですよね。しかし残念な
ことに、「あ」さんの主張とは裏腹に1989年の週刊文春に犯人たちの顔写真が載ったという事実は上のリンク先
のソースからは確認できませんでした。確認できたのは、週刊文春が犯人たちの実名を公表したということだけです
(「週刊文春 1989年4月20日号」参照)。それ以降も週刊文春が本件について顔写真つきの特集を組んだという
事実があればぜひ教えていただきたいのですが。ただ、1990年8月2日号の段階では犯人たちの名前が仮名に戻って
います。これは少年法に基づいて犯人たちのプライバシーに配慮したためと見るべきでしょうから、それ以後
(Bが出所して再犯を犯すまでの間)に写真を載せたとは考えにくいでしょう。
ちなみに、上に挙げたリンク先の情報よりも面白いものがあります。まぁ、これも本件の報道について
多少なりとも興味を持ってネットであれこれ調べたことがある人なら誰でも知っていそうな論文ですけどね。
以下、文教大学情報学部紀要「情報研究」第33号(2005年7月)および第34号(2006年1月)から。
「元少年」殺人犯の再犯と実名報道
女子高生コンクリート詰め殺害事件の準主犯格少年をめぐるマス・メディアの報道
谷原圭亮、小嶋聡、中島寛、水野剛也
前編
http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Inf/if33/if3311.pdf
後編
http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Inf/if34/if3408.pdf
この論文は事件発覚当時の週刊文春のことにも触れていますけど、週刊文春が犯人たちの顔写真を掲載した
とは書いていませんね。その代わりといっては何ですが、論文によると
>たとえば、『フライデー』(1989年4 月21日号)や『週刊女性』( 4 月25日号・5 月16日号)は、目の部分にモザイクを入れた少年らの顔写真を掲載している。
とのことですので、もしかしたらどこかのおっちょこちょいさんが週刊文春と他誌の報道をごっちゃにして
記憶しちゃったのをそのままネットで吹聴しちゃったのかも知れませんね。で、それを真に受けた人も
少なからず出てきてしまったというわけ。
557
:
無精髭
:2010/07/14(水) 08:34:12
この事件が無差別犯罪か否かについてはlovelessさんの
>>67
が参考になるかと。誰かを拉致監禁した上で
強姦するという目的を持った加害者グループが、老若男女を問わずどんな人間でもターゲットにすることが
できたとすれば、本件において無差別に市民を襲ったといえるかも知れませんね。しかし、実際のところ
加害者グループはバイセクシャルでも多様な性的嗜好の持ち主でもおそらくなかったでしょうから、自分たち
の欲望を満たすために対象を選り好みした可能性は高いかと。ただ、「自分たち好みの女性であれば
誰でも良かった」という考えは共有していたかも知れませんから、ひょっとしたらこういった意味では
無差別的な犯行なり動機といえなくもないかも。まぁ、冗談はこれくらいにしておくとしまして、、、
殺人それ自体を差し当たっての目標として殺人が行われた場合を一般には「無差別殺人」と言うんじゃない
でしょうかね。犯人にとっては要は誰でもいいから人を殺せればいいわけですから、「殺害対象を選ばない」
イコール「殺害対象を無作為に抽出」ということになるかと。ただ、いざ人を殺そうという段になっても
なお殺す相手を選ばないというのは至難の業、というか本件の加害者グループの印象とは逆に非常にストイック
ないしマゾヒスティックな感じを受けますが。自分よりも明らかに臂力に優るような相手や、集団で行動
している中の一人なども当然殺害対象に含まれるわけで、そういうのを標的に犯行計画を実行しようと
いうのですから。返り討ちにあうことを恐れないような命知らずか、もしくはまったく考えもしない
ような向こう見ずでなければ純粋な「無差別殺人」なんて無理でしょう。ですから、他人を無差別に殺害する
ためには、事前に他人間における力の差を解消するような凶器を用意し、かつ犯行時に他人から反撃を
受けないような安全な位置に自分を置くといった犯行計画を立てる必要があります。具体的には、
銃火器、爆弾、毒物、乗り物による犯行で人々の不意を突いて大量に殺害する等々。
前置きが長くなりましたけど、じゃあ本件の場合はどうかというと、、、加害少年たちが被害者を拉致
監禁した経緯なり動機を改めて振り返れば分かるように、加害少年たちは殺人それ自体が目的で数々の
凶行に及んだわけではなかったので(むしろ数々の凶行を隠滅するために被害者を殺したのではないで
しょうか)、上記のような「無差別殺人」には該当しません。
558
:
無精髭
:2010/07/14(水) 08:34:38
遺族が「自分たちのことをほっといてくれ」と思いつつ、世人に加害者とその関係者を攻撃してもらいたいと
願うということはあり得るかも知れません。この二つは両立し得ますから。真偽のほどは不明ですが、過去には
>>41
>>44
の方や
>>46
の方(
>>35
の方もか?)のような被害者遺族・関係者を名乗る方々がそれぞれ過激な
ことを書き込んでいらっしゃったことですし。まぁしかし、遺族が加害者やその親族ならびにその他の関係者に対する
制裁を望んでいるのが事実だとしても、法秩序を乱すことになるなら当然その意に沿うべきではないでしょう。
まぁしかし、今は「遺族は第三者による制裁を望んでいない」ということを前提に話を進めてみます。
過去ログにも散見されるようにこの事件を語り継げば人々の防犯意識が高まるかもしれないということですが、
注意すべきはそうすることがやり方次第では遺族の意思に反するかもしれないということです。私としては、
遺族の意思を尊重するなら(遺族を傷つけるリスクに注目するなら)特にこの事件を語り継ぐようなことはせず、
もし風化してしまうのだとしても自然の成り行きに任せておくのが一番の良策だという気がしますがねぇ。
あと、この事件を風化させないことが加害者たちの再犯や別の者による同様の犯罪を未然に防ぐことにつながる
というのはたぶん一概に正しいとは言えないのではないでしょうか。この事件の詳細を知ったところで親が子ども
の非行を予防するための具体的な指針は得られないと思いますし、この事件がその残虐性によって人々の記憶に
残り、被害者に対する同情と加害者に対する憎しみによって風化されないのだとしても、そのような事件の伝わり様
を犯罪者予備軍の者たちが屁でもないと感じる可能性はあるでしょう。また、そのような事件の伝わり様に影響
された結果、犯罪を防ぐという目的を失念して「事件を風化させてはならない」という名目のリンチに加わる
ような者が出てくる可能性もあるかと。
つまり、この事件の詳細を無反省にただ語り継いでいくだけでは逆に人々の憎しみをいたずらに煽ることになり、
しまいには被害者のため・世の中のためとばかりに目が眩んで事件とは無関係な人を攻撃する輩が出てくるのは、
現在の状況を見ても明らかなわけです。この事件を語り継ぐにしても何のためにそうするのか、そしてそうする
ことでどんな公益が生まれるのかといった質問にはっきりと答えられないとしたら、その人にこの事件を語り継ぐ
資格はないでしょう。
仮にこの事件を語り継ぐことが防犯のために役立つということが事実だとしてもこの事件の事実関係をただ伝えて
いくだけでは逆効果を生む可能性があるので、この事件に対する解釈の可能性を狭めてでも、第三者としてこの
事件を考える上での心構えや市民として守るべきモラルについての説明を付け加える必要があるかと。
防犯に限って言えば言うまでもなく、この事件を忘れないようにするにはどうしたらよいかということは問題の
本質ではまったくないです。この事件が起きた原因を探ってそこから教訓を導き出すべきであり、この事件の
後始末をすることなどに大した効果は期待できないでしょう。
559
:
ufloat
:2010/07/14(水) 21:01:31
私がデマを振りまくような人に対して言いたいことは、
無精髭さんの
>>489-490
にほぼ集約されていますね。
自分にとって都合の悪い情報を消し去る世論操作方法の1つに、
その情報に関するデマを大量に振りまく、というものがあります。
こうすることで、情報は大混乱をきたし、各情報の信頼性も低下し、
やがては真実が隠され、風化してしまいます。
木を隠すなら森の中、というやつです。
つまり、ろくに調べもせずに、あるいは確信犯的に不確かな情報やデマを
振りまく人というのは、「社会のため」とか「事件を風化させない」ことを
錦の御旗としているようでいて、実際には上述のような情報操作を
無意識のうちに行い、真実が風化するのに加担してしまっているのです。
事件の真実をデマでもって覆い隠そうとしているのです。
後世の社会に対して、デマで塗り固めた「真実」を残そうとしているのです。
社会に対してデマを振りまき、風化の片棒を担いでおきながら、
よくもまあ「社会のため」とか「風化させないため」といった主張を
平然と行える人もいるものだと、つくづく感心してしまいます。
566
:
無精髭
:2010/07/16(金) 21:12:50
(消されちゃいましたけど…)
>>560
いやあ、いくらなんでもそれはデマとして広まらないですよ。
そういうのに引っかかるのは事件についてよく調べず、大した考えもなしに
加害者叩きに加わっているにわかの人だけでしょう。2chで長年に亘って
加害者批判を繰り広げている人たちがみんなそういう人だとはとても思えません。
>>561
犯人全員が死刑になるべきだと主張するだけならともかく、
現在の犯人たちの個人情報を晒そうとするのはなぜでしょう。
この二つには何か関連性でもあるのですかね?
>>562
目の部分がコラでないという保証は?
567
:
pinky
:2010/07/18(日) 18:42:38
被害者(八潮南高校 3年<当時> 古田順子さん)の
目線なしの顔写真が載ってました。
http://210.230.1.139/?cmd=read&page=%BB%F6%B7%EF%A4%F2%B8%AB%A4%CB%A4%E6%A4%AF%2F%B0%BD%C0%A5%BD%F7%BB%D2%B9%E2%C0%B8%A5%B3%A5%F3%A5%AF%A5%EA%BB%A6%BF%CD%BB%F6%B7%EF
568
:
無精髭
:2010/07/18(日) 21:15:49
>>567
「注意:掲載画像はイメージでつ」という記述が見えるんですが…。
569
:
Ken
:2010/07/19(月) 13:27:08
被害者の本名・顔写真は当時の週刊誌に出てましたから、図書館まで出かける手間を厭わなければ確認するのは簡単なことですね。
前科者の個人情報を公表することは名誉毀損に問われる可能性がありますが、故人に関しては内容が真実である限り名誉毀損に問われることはないです。とはいってもマスコミは普通第一報ないし裁判以降は被害者の本名を報じないのが慣例になっていますが。
570
:
紫煙狼
:2010/07/19(月) 17:44:16
名誉毀損に問われる可能性に関してはKenさんの言うとおりですが、
事件から相当の時間が経過した今に至って、被害者の肖像を広く知らしめる
目的が理解できません。
事件が未解決の場合に事件を早期解決させるため、広く情報を収集することを
意図して被害者の肖像を公開するのであれば理解できますが、それ以外の目的
で公開するのは被害者感情からしても内心穏やかならざるものでしょう。
加害者の肖像にしても、被害者の肖像にしても、真偽のほど如何を問わず、
自分の管理する(自分が責任を持つ)ところ以外で公開すべきものではないし、
他者により公開されているものに関しても、自分で責任を持たない場所からの
リンクは厳に慎むべきです。
571
:
こいつは悪い奴
:2011/04/10(日) 01:53:02
4月9日23時50分頃名古屋駅バスのりば側を背にビックカメラ正面、右に曲がった道沿いのところでスーツをきて白い紙袋をもった、顔型たてに長い、不細工、色黒、肌にはりない、たるんでる、身長高い、痩せ型、見た目35〜45ぐらいのげす男に痴漢、ナンパにあいました
こいつは馴れ馴れしい図々しい厚かましい卑しい、こいつは独占欲や自己中わがまま欲望の固まりで人にふらふら言ってたけど
こいつがふらふらしてました
こいつは女の事を束縛干渉、後をつけ、でこわい兄さんでてこない?とかそれが心配だとか言って、足がきれいだから触らしてとか、言って断ると無理矢理抱きつきお尻とか触ってきました
こいつはその後、女にちくられないからか心配そうにみて逃げました
常習犯のような気がします
こいつは
こいつなれてる感じだったし
他にもこいつ事件をおこしてそう
こいつは計画的犯行
こいつは悪い奴です
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