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女子高生コンクリ詰め殺人事件

495紫煙狼:2009/05/14(木) 03:23:12
>>494
Kenさんとお話したいところに横槍入れてすみません。無視していただいても結構です。

前途有望で無辜の一人の少女が見るも涙、語るも涙という惨い殺され方をしました。
実行犯が1人なら、死刑判決に誰も異を唱えないでしょう。
実行犯が2人でも、おそらく死刑判決に誰も異を唱えないでしょう。
では実行犯(責任の度合いが同じ者)が10人なら?20人なら?
一人の少女を惨殺した野獣の命など、10人や20人分、奪ったところで何ら問題はない。
人間が絶滅危惧種でない以上、人間の皮を被った害獣を1000万人駆除したところで、
人類という種にとって、何ら問題はない、むしろ後世のためにそうするべきである。

それはそれで、一面、真理ではあるのでしょうがね…。

私は「ひとつの事件で失われる命の数は犯罪者・被害者を問わず少ないほうがいい」と思い、
「いま将に新たなる被害者が生まれようとしている危機的不可避的状況」でもないのに、
行動の自由を奪われた受刑囚を強制的に駆除し、ひとつの事件による死者の数を増やすという
決着のつけ方に「不条理」やら「やりきれなさ」を感じたりするんですね。
それは、死刑の可否の問題でも、犯罪者の人権の問題でもなく、無論、被害者軽視でもなく、
優れた知能を以って数千年もの時間をかけて現代社会を形成してきた知的生命体をしてなお、
「悪者・邪魔者は排除・殺害されなければならない」という原始的な結論から脱することが
できないものなのかなぁ…という「不条理さ」であり「やりきれなさ」ですよ。

刑事罰を受け、それを終えた者は、犯した罪の全てが許される…そんな事は夢にも思いませんが、
究極的に許す・許さないの権限を持ち得るのは「被害者」のみで、百歩譲って「被害者遺族」や
「被害者の関係者」にも許す・許さないの権限があるものとしても、法治国家日本において
復讐が許されていない以上、被害者などが許さないことと、加害者に危害(迫害)を加えて
かまわないという事は同義ではなく、まして、その恨みを国家ならぬ第三者が代行するなど
分をわきまえぬ慢心以外の何者でもない、と、私は思うのですね。

犯罪者に対し怒りを感じてしまうのは極めて普通のことだし、その怒りを言葉に出してしまうのも、
決して否定できるものではないと思うのですが、その怒りを語るにあたって、被害者を代弁するかの
ような振る舞い、被害感情を代弁するかのように利用して自らのの怒りを正当化し、害獣駆除を
肯定的に、絶対必要なものとして語るのは、実は被害者に対する冒涜ではないでしょうかね。。。

まぁ、私の感じる不条理というのは決して一般的なものではないのは百も承知なので、
老婆心さんが上げた多数派の不条理を少しでも埋めるために、私的復讐とその代行を許すという
法改正も、ひとつの方法なのでしょうが…。


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