したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

女子高生コンクリ詰め殺人事件

522無精髭:2010/05/31(月) 01:20:57
ところで上に挙げた「その3」についてですけど、先日のスマイリーさんの件は、ネットが匿名性という隠れ蓑とはなりえないということが私なりによく分かる事例でした。
ネットにつなぐという行為は、未知の他者とコミュニケーションを結んだり、新たなコミュニティを形成したりするための手段として(その意義が強調されて)、一般に捉えられているようですが※、
ブログ閲覧や掲示板、SNSを利用する場合は、ごくごく個人的な動機から行われるのがほとんどだと思います。だいたいPCや携帯電話などの情報端末は一人で使うわけですし、
もちろんネット上ではリアルな実感を伴った他者に出会えるわけでもありませんので、そういった事情から察しますに、私やここにいる皆さんを含めてネットユーザーは、
現実(ネット外)のコミュニケーションとは何か別のものを(主にネット上の他者に対して)求めているように思われるのです。ですから、実際に集団に溶け込むには、
群集という実体や社会運動などがありますから、そこに紛れ込むことができさえすれば特に問題ないのですけど、ネットで不特定多数のユーザーたちの集まりに溶け込むというように、
ある特定の場所でのみ支配的な考え方や雰囲気へと意識だけを帰属させるには、先述した私的な動機の影響も相俟って、やはりどこかで無理が生ずるというか、他人とのズレを
感じざるをえないということになるのでしょう。つまり何が言いたいのかと申しますと、匿名性を得るためには集団に溶け込む必要があり、さらにその前提として他人からの承認を
絶対条件とするのです。一言に換言しますと、集団帰属によって自動化したコミュニケーションと本質的に無責任(責任回避的)な匿名性はきわめて近親的な関係にあるのです。
とまあ、そんなわけですから、ネットを私憤のはけ口として用いるやり方では匿名性を得ることは出来ないかと。匿名性を得ることとその動機が個人的なものであることは
両立し得ないから、どこかで破綻する―――事態は、匿名であり続けようといった目的に反した結果となる。第一、匿名性を得るために必要であるはずの他者(との関係)が
ネットユーザー個人のレベルでは本当に必要とされているのか、はなはだ疑問である、という次第です。だからと言ってもちろん、当事件はネットが自己主張のためのツールに
成り下がっていることから必然的に起こったのだと申す気などは毛頭ありませんが。

※主に日々の情報収集から単純な好奇心の充足まで、更にはたとえばamazonで買い物することなどを挙げてみれば、私的な関心や欲求を満たすための手段と捉えたほうが、
ネットユーザーからすると、より実感に即しているかもしれません。ですが、こういうものは新聞・雑誌やテレビなどを見ても満たせるわけですし、家から出ずに通販で買い物を
したいのなら先のようなメディアにも広告が付随しているのですから、既にネットの外でそういったものに囲まれている者にとっては、他のものを差し置いてこれを使わなければならない
という理由をネットに見出すことは困難でしょう。他のメディアにはないような利便性がネットにはあるだろう、だからいつまでたっても時代遅れの石頭なんだという文句は
ご勘弁いただくとしても、そういったメディアはネットが普及する前からあったのですし、何もネットにしか見られないような特徴とは言えないと思いますので、むしろ私が
ここで問題にしたいのは、ネットが一般家庭に普及したときに個々人において、旧来のメディアが喚起し提供するものとは異質の、あらたな関心や欲求(欲望といったほうが好いかもしれませんが)が
生じたのだとする、いわばネット上でしか感じられないそれに特有の関心についてです。その一つとしてコミュニケーションへの関心(情報を取り巻く者同士のつながり、メディアと受容者の
縦の関係ではなく、メディアに対する受容者と受容者の横の関係、等)があり、しかも新たな形のそれに対する期待がネット(ウェブ)に向けられたし、今も向けられているのではないかと思うわけです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板