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女子高生コンクリ詰め殺人事件
500
:
無精髭
:2009/05/20(水) 00:41:46
ちなみに前々回のレスでは明言しませんでしたが、ある出来事が事実とは異なって
喧伝されることも「風化」だと私は捉えております。いな、というよりそういう虚飾や
改変を許容して、その影響に対しては目を瞑るような人たちが醸し出す、無責任な
ムードこそその正体かも分かりませんね。どちらにしろ、デマを飛ばしたり信じたりすることで
その影に真実が隠れてしまうこともあるでしょうから。
>>495
実行犯が一人のときには感じなかった死刑に対する抵抗が、実行犯が増えれば
増えるほどじわじわと感じられてくるというのは、不謹慎ですが面白いですね。
(抵抗感が消えるというより犯罪者の命への配慮が生まれるといったほうが適切かも)
改めて考えると不思議です。なんでなんでしょう。
逆に実行犯が一人のとき、対する被害者の数が多くなってくれば、死刑に対する抵抗は
皆無になるどころか野獣は死すべしという考えがますます当為であるかのように
感じられてくるかと。このことは何ら不思議に感じられませんね。犯罪者の命への関心も、
当然ですがもはや配慮といえるものではなくなり、暴力的破壊的な信念へと変貌することでしょう。
>>495
を読んで、もう一つ気になること。
「なんで被害者のことを想って加害者を攻撃するのが、被害者への冒涜になるのか」
みんな、なんでこういう風に突っ込まないのか・・・(汗)。特に、メシアさんとか
伯爵のような立場の人が。
たとえば、犯罪被害に遭って死んでしまった人がこんな遺言を残したとします。
「私が犯罪被害にあって命を落とすことがあれば、私を殺した犯人に対し、
第三者が私や私の近しい者の代わりに復讐をしてくれることを切に願う。」
この場合、第三者が代理的に復讐するのは、被害者への冒涜となるか否か。
この問題に対する私なりの暫定的な解では、「冒涜となりうる」。
理由は、復讐行為そのもののもつ反社会性が被害者に不名誉をもたらすであろうこと
必定だから。目的・手段・主体のうち、目的が悪人を成敗することであろうとも、
主体が被害者本人であろうとも、手段が法で禁じられたものであれば、
それを取るのを諦めて合法的な手段を探したほうがよいでしょう。
被害者のためを思って加害者を攻撃しているのに、、、と思っている人は
それが本当に被害者のためになるのかと自問してみると好いかもしれません。
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