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女子高生コンクリ詰め殺人事件

485紫煙狼:2009/05/10(日) 02:16:46
なるほど、過去に凶悪な犯罪を犯した者が、現在、知らぬ間に身の回りで生活していたとしたら、
それは不安なことこの上ないでしょうし、犯罪者には再犯という可能性が高いことも考慮すべき
なのでしょう。自衛のために刑期を終え社会復帰している者や、仮釈放中の者の消息を知りたい
というのは、至極単純で一見、もっともらしく聞こえる主張と考えます。

しかし、どんな凶悪犯罪者も…最初の犯罪を犯すまでは元犯罪者ではなく一般市民であったはずです。
単純に自衛の手段として考えるのであれば、元凶悪犯に限らず、全ての一般市民を監視対象と考える
べきではないでしょうか?

これを出発点として考えると、実のところ元凶悪犯罪者の消息を含む情報を一般公開するべきという
ご意見は単純に再犯を防止し、自らが再犯被害者になることを防ぐ手段であるというより、むしろ
法的制裁を終えた元凶悪犯罪者に対し、なおも犯罪者親族もろとも未来永劫末代に至るまで社会的制裁を
加え続け、また、その事実を以って、新たな犯罪者が現れることを防ぐのだ!という大義名分の下、
社会的弱者を作り上げ差別対象とし、苦境に立たせる事が目的であるかのように感じました。
もともと、犯罪を犯す者というのは犯罪を犯すという点に於いて閾値が低いのですから、このような
一線を越えやすい者を社会的苦境に立たせれば、より一層、凶悪な犯罪を再犯させてしまう可能性も
併せて考慮されなければならないのではないでしょうか?

皆さんが今後、凶悪な刑事犯罪を犯す可能性がゼロであったとしても、皆さんの家族が凶悪な犯罪を犯す
可能性はゼロではありません。せめて「犯罪者」と「犯罪者の家族」は区別しなければならないのでは
ないでしょうか?また、相手が獣のごとき凶悪犯罪を犯したものであっても、それが命あるものである限り
苦しみもがきながら死に行くことを願い、それを喜んでしまえる感覚というのは、善良な市民というより
むしろ、犯罪者的な嗜好なのではないでしょうか?

世の中、キレイごとだけでは済まされないのはイヤというほど分かった上で、それでも、犯罪を憎む気持ちと
犯罪者を憎む気持ちには線引き区別をしなければ、人の皮を被った鬼となってしまいます。そのような心の
持ち主を神や仏が常に見ていたとしたら、人間界で裁かれることはなくとも、天の狭き門をくぐることは
非常に難しいのではないでしょうか?(^^)


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