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根本・珪水なんでもコーナー

1珪水:2005/01/09(日) 23:04
山田さんのひな祭りの位置の質問・気が付きませんでした。調べてみます

2根本敦史:2005/01/10(月) 03:07
珪水様、ありがとうございます。何とも恐れ入るばかりのスレッドです。
又、山田様、ありがとうございます。正に山田様のご指摘のあったとおり、閲覧のみの時間が長かったせいか、投稿をしながらトピックが纏まらずご迷惑をお掛けしているのではと心配しておりました。こと温故知新という観点からすると自分の投稿がスレッドの趣旨から逸脱してきていないか、そう思っておりました。
かたや思うのは、今日のような膨大な情報が渦巻く中にあって、どのような「情報」に目を向け、探し出し、そして抽出し、「インテリ(頭)」に教えていくかという作業が、ひとつの重要な「センス」だと思っております。そうした意味でも、お気に入りの良質な情報がやり取りされる「場」を見つけられたことに感謝せずにいられません。特に、こうした作業で重要となるのが、きっと「人」を観る、読む「センス」ではないでしょうか。衣食住もさることながら、私達が日々接する「人」から受ける影響の大きさは多大なものです。こと、私が「人」を観る際の一つの物差しが「正義」であります。これは桜沢氏がいう「健康」の為の必須条件でもありますし、私も同意し、また、実感します。こうして今があるのも、正月に誓った「正義」がまずあるのであり、そして、この機縁と健康と幸せがあります。
なお、「引用」が多いのは自信のなさの表れです。実生活での経験も浅く、知ってはいながらも自分で実証できずにいる事柄が多いのです。そんな中で、只、「もっと知りたい」「こう感じたが、それは正しいのか」という気持ちが先走るのです。

3近藤:2005/01/10(月) 03:11
確か関東と関西では右左が逆転するのですよね。
関西は京都を中心とした貴族社会、関東は江戸を中心とした武家社会を
反映しているのでしょうか。関西は右がお姫様、関東は右が男雛だったと
思います。この「右と左」についてはいろいろなものについて疑問がつきまといます。
先日どこかの新聞に日本人の研究者がローマ近郊でディオニュソス像を発掘・修復したとか
写真も載っていましたが、ローマ時代の彫像にはめずらしく重心が左にあるとかで
写真を見てもちょっとおかしいというか変な感じがいたしました。
理性や明朗さを象徴するアポロンと対極にあるのが秘儀などで神秘的な世界を象徴する
ディオニュソスと理解しておりますが、面白い話だと思います。
またなぜご飯とお味噌汁をお膳に置くときにごはんが左でお汁物は右でしょうか。
これも地域によって違いがあるのでしょうか。

4根本敦史:2005/01/10(月) 13:46
近藤様、はじめまして。よろしくお願いします。
さて、ご飯とお味噌汁の右左のお話し、とても興味深いです。珪水様が以前、懐石料理のお話しをされていますが、併せて考えていくととても面白いと思います。
とても幼稚なことを書きます。私達の多くが右利きでございまして、箸を右手で、お茶碗を左手で持ち、食事をします。そんな時、ご飯が右にあると、ご飯に左手をもって手をやる時に、とても食べにくいのです。お米を中心とした食生活を送る私達にとって、ご飯が左にあり、汁物が右にあるのはとても合理的であり、かつ、そのお米に対する最大限の敬意の表れなのかとさえ思われてきます。また、そうすることで、お米をはじめとした穀物中心の食事を自然とさせてくれる貴重な習慣なのかもしれません。目の前に大きな油こってりのステーキがあり、それをそえるようにパンやライスがある食文化と何とも大きな違いです。
また、食事の話にそれますが、このご飯とおかずのバランスも重要な要素かと思います。特に、経験の浅い私の場合、おかずを多くとることは、そのバランスの維持の難しさから、若干のリスクを背負うことを意味します。お米、特に、玄米や五穀米などは、それだけで中庸を保つに容易であるということです。しかし、数々のおかずを中心に構成される経験に裏打ちされた優れた懐石料理というものの芸術性に驚かされます。一度、味わってみたいものです。

5珪水:2005/01/10(月) 14:10
近藤さんの書かれた重心のお話ですが人間の重心はどこにあるのでしょう。これは右遷左遷となり重要な問題であるでしょう。キリスト教の十字のきり方も左右があります。日本語の文章は右から左に流れ墨を使い書いていたとしたら左利きのほうが書きやすいでしょう。また英語は左から右に流れ右利きでしょう。右脳と左脳に関係があるのかもしれません。だとすれば日本食は右脳を活性させ潜在意識に左脳があるのでしょうか?これを調べると面白いのでは?私は今の人間のルーツは北半球がルーツと思っています。重心の位置から見て。

6根本敦史:2005/01/10(月) 14:12
また、私達の体の右左についてもとても興味深く考えさせられます。
藤原様と塩谷様の共著書「想念力の驚異」には、正心調息法の手の組み方として「鈴の印」なるものが紹介されており、利き手(右)を垂直に、反対の手(左)は水平になるよう、とあります。塩谷様のお考えでは、「利き手に頂いた分をす対者に頒ち、反対の手にいただいた分を己が頂く。内修外慈の相。」とあります。こうして考えてみると、お茶碗を持つ左手は比較的水平であり、箸を持つ右手は垂直になります。また、お米という貴重な生命、光を、右手に持つ「箸」が、私達の体に「はし」渡しをしてくれているようで、有難いものです。
そして、大仏様、菩薩様の手の配置も、右が垂直、左が水平というのが多いみたいですが。また、心臓も左に寄っています。
何だかお腹がすいてきました。戴きます。そして、ご馳走様。

7珪水:2005/01/10(月) 14:42
自分の重心、本当は自分は右利きなのか左利きなのかによってガラット人生変わります。しめ縄を正月に飾りますが本当に〆めているのか?チェックする方法があります。考えましょう、正解の場合何らかの方法であなただけに教えます

8根本敦史:2005/01/10(月) 14:57
上記「6」は先の「5」を確認せず、同時に投稿してしまいました。
右遷左遷のお話し、大変、興味深いです。ありがとうございます。どうも反時計回り(これは右回り?、左回り?)に自転を行うこの地球の北半球に位置する私達は、なんとなく北極星の方向に目をやりつつ、東から昇る太陽様のエネルギーを丑寅の方向に口を開けてエネルギーを得ているのかと。その場合、右で受けて左に戴くというのが何となく納得させられます。
ついでに言うと、回転運動について、何となくその重要性を感じつつも、未だよく理解していない自分があります。よく観察してみます。
また、先日、京都に住むある先生から「人は立ってバリバリ働くべきだから、それを表す名刺は縦書きが良い」といった旨のご指摘を受けました。もって、最近、手紙を書くことを習慣づけており、それも、墨とまではいきませんが、縦書きで書いておりました。日本語の文章が右から左に流れ、それが左利きの方が書きやすいであろうこ感じておりました。併せて、左利き・左脳文化のことについて思いを馳せたこともありました。私達の大半が右利きとなったのは何時頃からなのでしょうか。ずっとそうだったのでしょうか。それとも何らかの形で封印されたのでしょうか。

9根本敦史:2005/01/10(月) 15:07
またまた重なってしまいました。しかし、本当にありがとうございます。
しめ縄の件、考えてみます。只、しめ縄の云われや意味するところを、持ちうる手段をもって、まず確認させていただきます。それはよろしいでしょうか。そして、「本当に〆ているか」については、自分の頭で考えて見ます。

10根本敦史:2005/01/10(月) 15:47
藤原様、はじめまして。よろしくお願いします。「『学問は光なり』と『賢者のネジ』の表紙にあるロゴの持つ秘力の意味」の投稿、心より楽しみにしておりました。
このスレッドで先に掲げた京都のある先生は、昨年、仕事の関係で知り合ったお方で、初対面にも関わらず大変なご好意を戴きました。同氏は、京都のある社家の家のお方で、また、設計会社を運営する建築家でもあります。初めてお会いしたその翌日、本当に偶然時間が空いていたことから、わざわざホテルにまでお出向かいに来ていただき、「晴明神社」と「上賀茂神社」をご案内戴いたものです。そう言えば、同氏とのこの機縁の始りも、鞄の中に入れていた「賢者の螺旋」の表紙のロゴによりもたらされたものであったこと、今になって有難く思い返されます。
玉井様のお話しがでましたので、少し此処に書かせていただきます。以前、ご紹介いただいた「Zファイル」を私も読みました。大変興味深い世界です。特に私の関心をそそってならないのが、玉井様のたまいらぼ出版のHPに掲載されている氏の写真の後ろに「八尺烏」なる書が掲げられていること、また、同スレッドで「金烏玉兎集」が出てくることなどです。「金烏」は太陽を象徴し「八尺烏」もまた太陽を象徴します。その「八尺烏」の書が玉井さんの後ろに燦然と輝いているのです。また、蛇足かもしれませんが、ここでご紹介いただいた首藤尚丈様の講演会に出席し、同氏とお話しさせていただき機縁もこの場で得ました。とても楽しかったです。
では、益々冴え渡るセンスをもって、多くのシンクロにシティが貴殿の益々のご活躍をご支援するよう、心よりお祈りしています。投稿、楽しみにしています。

11近藤:2005/01/10(月) 17:13
正心調息法にある鈴の印は利き手の親指が上になります。
これとは別に無意識に手を組む(それぞれの指を重ね合わせる)と
私の場合左親指が上にきます。また無意識に足を組むと右足が上にきます。
古代ローマでは右足は正義、左足は邪悪といわれ家に入るときは必ず
右足から入ったそうです。また西洋では左利きのものは忌み嫌われ虐げられた
歴史があるようです。珪水先生の仰る様に西洋では左から右へ書く、右利き向き
ですね。中東諸国は右から左、日本も縦書きではあるが右から左。
しめ縄も人によっては閉めていることになりまた人によっては逆にゆるめていることに
なるのでしょうか。そういえば帯の巻き方向も関西と関東とでは左右違いますね。

12東 治:2005/01/10(月) 19:16
重心、自分に重心があるなんて全く意識していませんでした。
利きの話が出ておりますが、大概の方は利き手側の側頭部が発達
しています。右利きとすると左脳の支配関係になりますので、左
側の脳が発達する考えられますが、側頭部は右側が膨らみます。
また、利き手と利き目は必ずしも一致しませんが、顔の向きも正中
に向いていません。

身体の方は専門でないので、書けませんが、考えてみます。

13近藤:2005/01/10(月) 21:54
布(タオルや雑巾)を水に濡らして絞る時、どちら側にねじって絞るかを
チェックしてみたら人によって違いそうですね。

14ナニワのダルマ:2005/01/11(火) 01:08
私は字を書くのが右で箸を持つのが左、目が左で耳が右利きです、目と耳は検査で調べてもらいました。こういう人間を支離滅裂型のチグハグ人間と言えばいいのかどうかは別として以前、藤原博士と対談されている真言宗神道派住職の佐藤任氏との記事に男性の急所の部分についての興味深い話がありましたので参考までに。
 http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/gaia02.html
(地球(ガイヤ)の恵みと生命力の根源)

15根本敦史:2005/01/11(火) 02:23
皆様のご投稿、大変参考になります。ありがとうございます。そしてナニワのダルマ様、記事の紹介ありがとうございます。大変面白く、ついつい入浴後、裸のまま読みきりました。「男性の急所の部分」、裸のまま椅子の上に立って確認している自分がおり、何とも不思議な一日を終えようとしています。
一方、珪水様から「ご先祖様の御加護」というお言葉を頂戴し、本日は正月に行けなかった父方の祖父母の家を訪ね、恥ずかしながらこれまで知らずにいた自分の先祖のことを知り、驚きと感動で半ば思考停止状態にあります。
しかしながら、私達がこうして珪水様から頂いた宿題も、何だか自ずと解けてしまいそうな、そんな気がしてきました。こうした皆様の御叡智の結集プロセスに、アカシックレコード、虚空蔵菩薩すら連想させられます。そう言えば、昨年は伊豆大島の行者窟に訪れ、大変感銘を覚えたものです。そして私昨年は、晴明神社にも参っているんですね。
そしてまた、本日は最後に不思議な中年の男性とも出会いました。

16根本敦史:2005/01/11(火) 09:33
日本語の文字の流れ方(右左)について、少し考えさせられます。右から左に流れる日本語は、左手の方が書きやすいであろうとは思うのですが、実際、左手で文字を書くと、一文字一文字を左から右へ「押す」ように書くこととなります。一文字一文字は右に「押す」ように書き、全体的には左に「引く」ように流れます。
右遷左遷、螺旋、重心、利き手、とても難しく、若干、混乱気味です。因みに、上記「急所」ですが、私は明らかに「右」が下で、左巻きのようです。

17珪水:2005/01/11(火) 13:31
東さんの投稿はためになりました。脳みそのことはかなり勉強したつもりになっておりましたがやはり死ぬまで学ばなければいけませんね。また藤原博士がわたしの話を紹介をされてますが若気の至りで借りてきた言葉も多々あります。眉につばをつけて見過ごしてください。私が紹介した文章ではありませんので責任はもてません

18根本敦史:2005/01/11(火) 13:36
先の投稿でたまいらぼ出版の玉井様のことを書かせていただきましたが、個人的に大変関心があり、いつかお会いしたいと考えていたのですが、氏の光寺が神奈川県大和市にあることに下の亀山様のご投稿で気付き、驚きました。実は、家で色々あり、昨年末に某所から同じく神奈川県大和市に家族が引越すことになりました。つい先日も、手伝いに行ってきたところで、今週中には引越しを済ませます。何でもコーナーということで、かなり個人的なことを書いてしまっていますが、こと「引越し」となると、そのタイミングや場所選びにもう少し注意を払いたかったのですが、諸事情があり、昨年末に決断しました。私は今と変わらず都内で一人暮らしを続けるのですが、我が家では昨年色々とあったこともあり、今年一年間を災い無く、心地よく過ごせればと思う次第です。こればかりは、前知識が無く、どう解釈してよいものかと僅かながら不安な気持ちを抱いており、もし皆様が「引越し」などに纏わる知識をお持ちでしたらご教授頂けると幸いです。因みに、南南西(より若干南より)の方向に移ることになります。

19根本敦史:2005/01/11(火) 14:26
話しがあちらこちらに飛ぶようで恐縮ですが、日本語の文字の書き方について、ナニワのダルマ様にご紹介頂いた記事と併せてもう少し考えてみますと、左手で日本語(特に平仮名で顕著)を縦書きに書いてみると、佐藤様がお話しになるように、指を使って渦を描いているような手の動きとなります。「気」持ちを込めて文章や手紙を書くとは正にこのことかと気付かされます。また、その際、言霊のことが気になります。言葉の文字の構成自体が、この「気」の込め方、渦の形成の仕方に繋がっているとなると、それは本当に凄いことだと思うのです。

20東 治:2005/01/11(火) 15:39
身体の物理的な重心位置は、臍下の体中、丹田と呼ばれる辺りではなかろうか
と思いますが、身体はシンメトリーでは無いことから、利き手側に多少ずれて
ると云う事になります。体に全く力が入っていない状態とちがって、立ったり、
歩行をしている時は重心は移動していますので、物理的な重心は動的に考える
ことになります。

形而上では頚椎の五番目辺り、喉の奥のような気のしますね〜。

21根本敦史:2005/01/11(火) 15:55
重心がどこにあるか、参考になります。そして、三次元の体の「利き」と四次元の体(意識、精神、魂??)の「利き」が『鏡像関係』にあるとすると、右手が合理思考(?)の左脳、左手が精神・潜在意識を司る右脳というのが、何となく頷けてきます。

22根本敦史:2005/01/12(水) 08:30
玉井様の「陰陽二相一対の曼陀羅本尊」のご利益について考えながら、朝食をとっていると、先に書いたお茶碗とお箸を左手右手それぞれ水平方向垂直方向に持つ有難いスタイルに只驚かされるばかりである。これも正に陰陽調和の形なのかもしれない。
一方、本来備わる右左、重心については、いっこうに考えが纏まらない。食事の際にお箸を持つのはどうも右が良いようだし、日本語の文字を書く際は左が良い。そうすると、これも陰陽の中庸の法なのかもしれないと思う。考えてみると、食事は体に作用させる行為、文字を書くのは頭(精神)に作用させる行為。だとすると、それぞれの利き手がばらばらなのは、正にこのためなのかとも思う。
しかし、月曜日、ご先祖様の話し聞いて以来の半ば思考停止状態は止まず、また、2日連続で嫌な夢で目が覚め、気持ちが悪い。その気持ち悪さから、引越しのこと、家族のことが心配になってきた。今朝は猫と鼠と母親の夢を見た。

23根本敦史:2005/01/12(水) 12:05
皆様の投稿、大変参考になります。
さて、「しめ縄、本当に〆ているのか」です。しめ縄には、「左綯い」「右綯い」があるようで、一般的には「左綯い」が本来とされているようです。また、「左末右本」、「左本右末」の本末があり、一般的には「左末右本」とされています。
そこでです、「本当に〆ているのか」ということです。私、神々様の知識が乏しいせいか、事例を元に予測、観察するのに時間がかかりそうです。今は何となく、「本末の流れ」と「ファラデーの法則」をもって「力」がどちらに働いているかを考えると分かりそうな気がします。方角も関係してくるのかもしれません。それがしっかり神様をお守りしているか、外からの進入を防いでいるかです。
こう考えていくと、敢えて結界を外すよう仕向けている人達がいるのかもしれないなどと思ったり、明治神宮の神社本庁からの離脱のことに思いを巡らせたり、昔どこかで聞いた「今の出雲は出雲にない」といった旨のお言葉(出雲大社は本末転倒の左綯い)などを思い出したりします。

24根本敦史:2005/01/12(水) 14:03
上記「ファラデーの法則」、頭の中にあったのは、「フレミングの右手の法則」でした。そんな簡単なものじゃないですかね・・・。

25ナニワのダルマ:2005/01/12(水) 17:06
根元さん、早速の返信どうも有難う御座います。
さて14の投稿・紹介記事ですが随分以前に出た文章で、私はその時読んだ記憶で左右の巻き方についての興味深い話が紹介されていたのを知っていたからでリンクして後、再度読み返してみると大雪山さんの事が書かれてあって物事の関連性に少々驚いた次第です。17
で大雪山さんが仰っているように眉唾で見過ごした方がいいと書かれていたことからひょっとすると「賢者のネジ」に「地球の恵みと生命力の根源の(下)が編集されなかった理由と関係するのではと思いが巡りました。気の流れをご専門にされ昨年の投稿記事も一瞬、一瞬の変化が出会いであるとの事から削除されたものと拝察します。ただ例の記事は大雪山さんの話以外の貴重な情報も盛り込まれていることから最近このサイトに訪れた方々には視座を拡大する意味で良かったと思っています。全体の流れを考慮して14の記事を削除して頂いても結構ですよ。今後は記事のコーナーで閲覧可能と言う事で。

26珪水:2005/01/12(水) 18:12
「人生いたるところ青山ありと」この青山とは墓地のことをさしています。東京の青山は墓地です。今でも青山墓地があります。ですから土地を触るときは神主を呼んでお払いをするのです。鉱物を触る時は気をつけましょう。頭がまったくの無神論になっているならば、かなり高度の科学、化学、生化学知識を持ち合わせセンスがあれば触れるでしょう。でない限り興味は持たないほうが良いでしょう。よく水晶の数珠のようなものを見かけます。先日デパートに行くと店員が手首にはめて私と応対しましたが、その店員にあなたは何か悩みでもあるのか?と、また不幸せなのか?と訊ねたら『どうして解るのですか』と言い、実は深い悩みをもっていて、ある神様のところへいったらこれを持つように言われた。と言ってます。私はその店員にそれをはめて何かいいことでもあったのか?と言うと何も変わらずよく肩が凝るようになりましたと。私はこのデパートの正社員であればすぐ外しなさいと、こんなものをつけて不幸をアピールしている店員からものは買いたくないし、また幸せな人はこのようなものに気が向かないものだと・・・・

27根本敦史:2005/01/12(水) 21:25
珪水様。ご指導、誠にありがとうございます。お話を伺い、まずは引越しのことが頭を過ぎります。しっかりお払いをしてもらうよう、検討します。
また、鉱物についてです。「思考停止」は少し大袈裟であったかと思います。只、頂いた宿題に頭を悩ませていたのと、やはり、ご先祖様の話を聞き、その有難さで胸がいっぱいだったことによるものなのかと思っています。一方、ご指摘を受けて気が付かされるのは、その鉱石の原石を持っていた先述の京都の先生はそれをちゃんと専用のケースに入れて大切に持っていたことと、そして、そのケースには「S」の字に似た印象的なマークのシールが張ってあったことです。またこの鉱石については、こんなことを考えてはいました。単にそれを戴いたという有難さと、その石によってもたらされた有難い縁というものに感謝の念が溢れる一方、今、私が戴いたこの鉱石の量(大きさ)は、きっと同じだけ全国民に配れるようなものでなく、良い悪いは別として、言ってみると「独占」なのだと。桜沢氏の本の中でこんなことが書いてあったと記憶しています。例えば、1億人の人口のこの国で年間1億個のりんごが採れるなら、年間1つ以上のりんごは食べるべきでないと。なぜならそれは搾取であるからと。少し大袈裟な感じはしますが、桜沢氏が言わんとすることは概ね理解できます。また、それが健康にとってもよいのでしょう。
珪水様が始めの頃に私に言って下さった「科学として学んでいかれることを希望します」というお言葉を常に頭に入れておきます。自分でも認識はしているのですが、時として冷静さに欠ける点があるのと、科学的なアプローチを端折り、それを発する「人」を観て過信してしまうところがあります。危うい限りです。
しかし今は幸せな気持ちでいっぱいです。そして、この思いをもってして、より多くの人とこの幸せを共感し、また響き合いたいと思う次第です。

28天海 暁:2005/01/12(水) 22:37
以前珪水先生のスレッドでどなたかが関東と関西の人の持つテンポが違うというような
投稿をされていたと記憶しております。今回もこのスレッドで雛人形の置き方
しめ縄・帯などの右巻き左巻きが話題に上っておりとても興味深く拝見させております。
私は専門家ではありませんが、これは電気と磁気の関係によるものと考えます。
何故東と西で違うのかまだ理解できません。例えば東西を分ける大きな断層があるとか
また関東関西に限らず地質地形によって磁場が変わってくるということではないでしょうか。
地球の地磁気は長い歴史の中で常に変動していると以前どこかで読んだ記憶があります。
珪水先生がおっしゃっている「今の文明は北半球がルーツ」という言葉も
このことと関係しているのかどうか。1万年前も北極と南極がそれぞれ今と同様
S極N極を指していたかといえばそうでなかったということでしょうか。

29天海 暁:2005/01/12(水) 22:44
訂正いたします。「今の人間は北半球がルーツ」の誤りでした。

30根本敦史:2005/01/12(水) 23:17
すみません、上記26でご投稿下さいました珪水様の「無神論」の意味がよく分かりませんでした。そして、少しばかり気になります。もし、私の23「神々様の知識が乏しい」という言葉を受けてのことであれば、言葉足らずであったと反省致します。
23での私の「神々様の知識が乏しい」というのは、次にあげた「『本末の流れ』と『ファラデーの法則→(フレミングの法則の誤り)』をもって『力』がどちらに働いているかを考えると分かりそうな気がします」という仮説を、数々の神社が祭る神様とそのしめ縄の組み合わせを観察し、併せて、その神様の謂れや性質を研究することで、ある種の神様は場合によっては本当は「〆め」ていないのでは等々の分析をするには至らない、ということでした。(この仮説が見当違いであるか否かは別として)
私は、先に投稿したとおり、しめ縄に「本末」があり、「左綯い・右綯い」があるのであれば、社殿の向いている方向に合わせて、それぞれ各神社にあった「本」と「末」の右左があり、また、流れに併せた「綯い」の右左があって然るべきと思ったのです。しかし、ざっとネットで調べてみると、「一般的な左末右本」などの表現があり、また、「右綯いは2割ほど」などの表現が観られ、ちょっとおかしいのかなと思ったのです。きっと何かの法則に法っているべきなのだと。
また、天海様のご投稿も大変興味深いです。私もしめ縄の巻き方や方向、そして、電気や磁気から「フレミングの法則」なんかを連想したりしてしまったものです。
一方、「神」なるものに思いを馳せると、それはそれでとても興味深いところです。と言いますか、よく分かりませんが、何か有難い気持ちにしてくれます。しかしながら、この掲示板の性質から、今は言及を避けた方がよいのかと判断する次第です。

31珪水:2005/01/13(木) 09:41
18番の返答ではなく一般論として私たちの歩いている大地は至る所青山ですよ、と言うことです。また無心論者に関しては私自身が目に見えない磁気、電気、力、引力、重力、などなどに対し,子供のころより躾の中で冠婚葬祭の儀式を受けていくうちにひょっとしたら見えないものは存在するのか?と頭によぎる事がある。また正月も注連縄を飾り皆様と同じようにお参りしている。私はこういう頭の構造に刷り込まれていますので気を付けなくてはいけないのです。私は自分の頭を極力、物理(物の理)で物事を捉えるよう訓練しています。西洋は日照時間が短く厳しい大地で生活しております、当然太陽神(光)でしょう。太陽に恋焦がれるでしょう

32珪水:2005/01/13(木) 10:10
また亀山さんが目に優しい清涼飲料水を手がけようとしております。これは五行力学から(先人の叡智)目を保護するために現代風にアレンジ(温故知新)したものを亀山さんに提供した。この提供した(情報)ものを亀山さん本人が確認し世に出そうとしている。素晴らしいことと思います(先人の知恵が生きてくる、このことこそ先祖の供養と思います)、私たちの時間は有限です、時は金なりです。良いと思ったらどんどん挑戦すべきこととおもいます。主義主張は違っても今日は資本主義で流れております、良し悪しはあるでしょうが儲けなければだめです

33東 治:2005/01/13(木) 12:35
珪水先生、いつも深遠なるご教授有難う御座います。
ご挨拶もせず書き込んでおり大変失礼いたしました、九州の田舎に居住する東治
といいます、専門職で零細企業を経営しております。

知人がプライドの高い御影石を玄関の敷石にしてしまい、案の定、裁判に負け、
破産してしまいました。特に黒御影で、普通は墓石にすると聞いておりました。
私も、紫水晶を店内に置いておりますが、どうしたものかと悩みます。

これからも宜しくお願い申し上げます。

34根本敦史:2005/01/13(木) 12:58
珪水様。ご丁寧にありがとうございます。「自分の頭を極力、物理(物の理)で物事を捉えるよう訓練」ということ、とても良く分かります。かたや、急ぐ余りについつい人から聞いたことや書かれたことをよく考えずに過信してしまう自分がいることを、知っています。最近こうして投稿するようになり、初めて自分の危うさに気付く次第です。どうしても人から聞いたり本を読んだりすることが多く、自分で発信することがなかったためか、何となく吸収したものを理解した気になり、本当に自分の頭で考え、吸収し、理解できていなかったことに気付かされます。こうして発信を始めるにあたり、はじめて少しは考えるようになれたのか。「急いてはことをし損じる」です。
また、左右の「利き」のことや「重心」のことを考察するにあたっても、如何に「自分の頭(や体)に刷り込まれて」いる癖といいますか、そういったものが多いことに気付かされます。こうした中で、「西洋は日照時間が短く厳しい大地で生活しております、当然太陽神(光)でしょう。太陽に恋焦がれるでしょう」というお言葉の中の「西洋は」という言葉が気になり、「光」というものの「理」とはと思いを馳せます。こうして日本で生活する私が思うに、「(大)和」というものの有難さと、「光」なるものの本質についてです。「光」についても、きっと陰陽、「闇」があってのものなのだと思いを巡らせることができ、それについて考えさせられる次第です。

35珪水:2005/01/13(木) 13:28
差し障りがありそうなので詳しくはかけませんが御影石は酸に強く大理石は酸に弱い、墓石に使うのは酸に強いためと思われます、水晶は酸に強いですね、先祖の墓が大気に侵されボロボロになると気分の良いものとは言えませんね。水晶は電気を起こします(電気過剰になればバランスを崩し肩も凝るでしょう)、コンピュータ、時計などに使われてます、また記憶もします。ですから科学でアプローチをするのか、それともセンスを鍛え、整理整頓をし今の自分にとって必要なのか?必要でないのか?の取捨選択をしなければなりません(人間にはこの五感が備わっているのです)。人それぞれ環境が違えば違うものです、世間の情報に流されることなく、また思い込みをせず、柔軟に生活したいものです。今すべてにおいて順調であればその生活パターンを変える必要はありませんが、そうでなければ先ず身の回りの整理をして変える必要があるかと思われます。

36珪水:2005/01/13(木) 14:19
昨年の新撰組のドラマの中で土方歳三が時代の変化を読み取り刀の時代の終わりを悟ります。いくら剣術を鍛えても鉄砲の弾はまっすぐ飛んできます。現在はその場にいなくとも空から正確に弾が飛んできます。そんな時代です。センスを磨き頭を資本主義の時代に合わせ効率よくこの厳しい生存競争に耐えて行くかというものでしょう。異論はあると思いますが、私はあえて言います、勝ち残って家族を守れと、それが男と言うもの生き方と心得ています。北海道にクラーク博士が当時開拓に来られボーイズビーアンビシャツと言っております少年よ大志を抱けです。これは男はいつまでもヘコタレズ家族を守れと言うことと思います。亀山さん?いいじゃありませんか。ちょっとしたヒントでそれを何とか物にしようとする気合、当たればデカイでしょう、この気合(大志)が大切なのです。私の大志とは先ず家族を何が何でも守る。要するにひもじい思いをさせるな、と言うことです。こういう大志(家族の幸せ)の集合体が国家の大志になるのではと考えております

37珪水:2005/01/13(木) 14:32
温故知新  アレンジすれば役に立つヒントがたくさんあります。健康になり、バリバリ働き儲けて家族を養え、と言うことです。私の旧時代のソフトでもアレンジすれば間に合います、人間はそんなに変化はしておりませんので

38珪水:2005/01/13(木) 14:55
私は宗教家でも風水師でも易、陰陽師でもありません(生業としておりません)ので、光=太陽です(電球とか、火)。それ以上の深い意味はわかりません。(情緒がなくて嫌われますね)理科の知識以上のものは持ち合わせておりません

39東 治:2005/01/13(木) 15:04
珪水先生、有難う御座います。

昨年より、店の前を掃き、手で水を撒き、昨日は部屋の掃除、整理と配置換え
、また、アイロンも掛け、塩でうがいもしております。

自分のセンスというと仕事に関しても思い当たることがあります、そうすると、
今までしてきた事、学校、セミナー等で勉強してきた事が、本当に皆様の為に
なっていたかと思うと、赤面の至りで御座います。

40根本敦史:2005/01/13(木) 15:20
光と色と形について

珪水様の投稿で「光」という単語がでてきましたので、少し投稿させていただきます。
昼休みリフレッシュルームでビルの8階から外を見回していると、無機質な色空間にある職場とはうって変わり、何とも空の青さに心を打たれます。そんな空の青さに、珪水様がご投稿くださいました「人生いたるところ青山あり」の「青」という色に思いを馳せながら、そもそも「色」とは何かということを考えるわけです。
私たちがこうして世の中を見回すとき、空間にあると見える例えばある特定の対象は、光源(太陽など)からの光をもって、その対象とそれに隣接する他の対象の其々に反射する「光の色」の違いを、この眼をもって認識します(場合によっては「眼」だけではないのかも知れませんが)。こうした「光の色」の違いは、「光」の「波」という性質によるその「波長」や「周波数」の違いと解されます。
こうした中で、私たちが生活する環境は、様々な「波長」「周波数」の「光」の中にあると解され、こうした「光」の整理整頓にさえ、心配りをできると、きっと益々よいのかと思う次第です。珪水様のお言葉にあるように、そこで温故知新、例えば上記「青」は何を意味しているのか、諺などにも「色」に纏わるものも少ないように思います。更には、同じ考えから、形はその形の配置などにより、私たちの体に届く「光」の「波長」「周波数」は大きく変わります。それが、きっと何らかの形で私たちの生活に影響を与えるため、古代古の時代からそうした知識を経験則的に蓄えてできたものが、所謂、風水などというものなのでしょうか。
現代の生活に慣らされた私たちはとても鈍感になっているようです。「右左」や「重心」を考えただけでも現代の生活により作られた妙な「癖」も多いように気付かされます。改めて「温故知新」が有難いものと思えてきます。

41根本敦史:2005/01/14(金) 01:48
先週末は引越しの手伝いで実家に帰っており、普段は見ることの少ないテレビをつけると、NHK大河ドラマでは、「義経」が始ったようです。そして、心に残ったのが、その色使いです。紫や黄色や黄緑の着物を重ねて着ていたり、清盛は何といっても白が印象的でした。住環境も基調となる木や土の色の温もりが暖かい。その着物に入った紋や袖口に縫われた幾何学模様はその美しさとともに、そこには何らかの意味があるように思えてならないのです。
考えさせられるのは、普段、私達が生活する色環境と何とそのトーンが違うのかということです。昼休みに見上げる空の青さには心は打たれましたが、かたや目線を下けると、そこにあるのは白や灰色や黒やくすんだ水色等を基調としたビル群にオフィス機器、そして、その中を物凄いスピードで無秩序な色を纏い駆け抜ける無秩序な車です。今日の食環境について、どうも体を冷やす陰性の質を見ましたが、今日のこの色環境についても私達の体を冷やす同じ陰性を感じずにいられません。また、駆け抜ける無秩序な車の色は、少々、私達の神経を疲れさせるのかもしれません。
元来、私達の体はどのような色環境に長いことあったのでしょうか。四季の織り成す様々な自然の色が如何にこの都会に少ないか。季節には季節の食品があってそれに法ることが得策であるのと同様に、季節には季節の色があってそれに法るのがやはり得策のように思えてなりません。また、この一日だけを考えてみましても、朝には朝の色があり、昼には昼の色があり、夕方には夕方の色があり、夜には夜の色があります。
今日のこの社会にあって、きっとこの色使いの一工夫が、より健康で喜びに溢れた生活を可能にしてくれるのでは思います。そして、こうして生きていることの喜びを、色をもって、もっと自由に生きる喜びを表現できるよう、なりたいものです。

42珪水:2005/01/14(金) 10:24
東さん 御影石の話しですがこれはビックビジネスにつながります、頭を墓石とか裁判に負けたとか?と言う頭を働かせず(一理あるのですが、使用方法を間違うとそう言う事もあり得ますが)あくまでも科学、酸、アルカリでぼって行くと皆が悩んでいることを解消でき、膨大な市場があります。今の人間は温故知新がないからビジネスに結びつかないのです。ホテル・オオクラは大理石、御影石を絶妙なバランスすで使用しております。昔の建築屋はルールをわきまえているのが居たのです。私の記憶ではこのホテルのみでしょう。老舗であって外資の入っていないホテルは?一度利用をし泊まるべきです。日本の香りがするでしょう。最後の日本の顔のホテルでしょう。日本人なら守ってあげるべきです、つくづく日本が薄れていっています。

43藤村尚:2005/01/14(金) 18:54
鉱物の話から、塩についての疑問が頭に浮かびました。
どうしてお清めには塩を使うのでしょうか?
お葬式のあとや、地鎮祭などの御祓いでも塩をまきますね。
温故知新ということで、皆さんのお宅ではこの他に塩を使った躾
が存在しているでしょうか。

44他門:2005/01/15(土) 07:41
今は、葬式の後では、塩を使用しないようです。
ここには、穢れ という考えが下地にありそうです。
仏教には穢れという概念が内容に思え、神教では
穢れを重要視しているのではないでしょうか


45珪水:2005/01/15(土) 18:21
今皆さんがセンスを磨、洗濯の仕方を覚えることにより今の能力の三倍いけます。体調が悪さは、三分の一になります。商売、収入は三倍になります。断言します。誰かが投稿していましたが頭の知識は十分に皆さんは鍛えております、鍛えなければいけないのは感受性・カン(センス)なのです。いくら一流大学を出て頭を鍛えてもなかなか幸せを実感できておりません。このことに早く気が付いた人が幸せを実感するのです

46珪水:2005/01/15(土) 18:54
温故知新のコーナーを作りましたがなかなかその家のルールは出てきません。当然でしょう、その家が存続するため、また日本人が存続するためのソフトウエアーですから。そんな簡単には公開できないでしょう。生活するためには大した役に立ちようでもないパソコンのソフトですら何万もしますから、近所の頭のしっかりしている老人、また親、祖父母は優しい言葉をかけるだけで無償で教えてくれます、利用すべきです。日本もアメリカに追随しており情報を得るためには必ず対価がいる時代です、教えてもらうためにはすべてお金が必要な時代なのです、今のうちに80歳以上の老人とコネクションを持ち知恵をもらえと言うことでしょう

47根本敦史:2005/01/16(日) 00:40
珪水様。毎日貴重なご指導、誠にありがとうございます。
昨年末から「躾」、そして、「温故知新」という一つ重要なテーマをご提示いただき、日々、思いを馳せます。しかし、正にご指摘のとおり、只待っていても訪れず、なさねばならないのだと今更思います。こうした目的を腹に抱きつつも「親、祖父母に優しい言葉をかける」ということ、素晴らしいです。きっと喜んで教えてくれようし、それはとても楽しく、嬉しいことです。何とも有難いお言葉です。
さて、こうして昨年末からご提示戴いた「躾」というテーマですが、いやはや不躾な自分、何かよい本でもないかとネットで検索し、大和古流当主・友常基仁氏なるお方の「大和古流の『躾』と『為来』」という本を買い求め、たった今読み終えたところです。この本ですが、「躾」や「為来」をテーマに本当にサラサラと書かれるのですが、これがなかなか一つ一つが重いのです。例えば一つ、「背筋を伸ばし姿勢を正す」という簡単な言葉をとっても、考えてみると、そががもたらす呼吸や脳への活性化への影響は絶大だと気付かされます。何とも幼稚なことですが、こうしてサラッと言われてきたことも、しっかりと一つ一つ大切にしていきたいと思う次第です。

48根本敦史:2005/01/16(日) 00:54
右左の問題。お箸をもつ手が縦の「陰」で、お茶碗をもつ手が横で「陽」。弥勒菩薩もこれと同じ。右が「陰」で左が「陽」。「陰」は膨張、「陽」は求心。よって、ものごと右から左へと流れる。日本語の文章も左に流す。
不思議なことが多い。地図の「北」はなぜ上にあったか。この場合、太陽は右から左に流れる。また、ミギは2文字の「陰」、ヒダリは3文字の「陽」。「ミ」とは「ギ」とは。「ヒ」とは「ダ」とは「リ」とは何を意味するのか。

49相良武身:2005/01/17(月) 10:44
これが、ルールがどうか、分かりませんが、ひとつ。
私の実家の話です。
嫁に行った娘(86歳)が、久しぶりに実家に帰ってきました。
そのとき、実家のお嫁さん(42歳)(お嫁さんから見れば義理のおばですが)、
「いらっしゃい」と声を掛けたところ、
返ってきた言葉は「いらっしゃいではなく、お帰りなさいでしょう。
私は、確かに嫁に行って62年だけど、ここで生まれて22年育ったのよ。
そう教わってないの」だったそうで
そのまま、仏壇に行き、手を合わせてから用件を話し出した。

そして、これを聞いて感じたことは、珪水さんが書き込まれているように、
80以上でないと、無理ということです。70歳では無理です。

そう思うと、いろいろ残念と感じるこのごろです。

50前田寛:2005/01/17(月) 17:50
香港人の友人がおり最近久しぶりに会う機会がありゆっくり話した際
何気なく風水の話になりました。彼は実に普通に
「いやあ、僕はあまりよくは知らないけど親が非常に”良い目”を持っていてね、
いろいろアドバイスしてくれるんだ。でもこれは”科学”なんだよ。迷信とかじゃないんだ、
もう僕の親父も80歳を過ぎてるけど健在でね。」などと言って、彼が経験した様々な事象
について話してくれた。結果ものすごくためになったことがありました。
またさすがに大陸の人だけあって、常に”敵”に狙われないようにするための仕掛けが
きちんとあるようです。これは日本ではあまり意識されない(一般の人には)ことでは
ないかと思った次第です。
また広東語を聴いていて思ったのは、ものすごくいろんな音があるということ
使っている脳の範囲が広いのでは?とも感じました。頭の回転がものすごく速いです。

51ナニワのダルマ:2005/01/17(月) 18:13
前田さん、はじめまして。香港人の友人が経験したといわれる様々な事象の中で貴殿が興味を持った話のさわりでも聞かせてもらえませんか。貴重なお話をタダで教えてもらうつもりはないので何かそのヒントというか島国・日本列島での日常にも使えるような事を拝聴したく存じます。また常に敵に狙われないようにする仕掛けですが我々が無意識に見過ごしているようなものがあればそのことにも興味があります。中国語が堪能な私の友
人によると広東語は北京語に比べて全体的に柔らかく感じるようです。北京の方の言葉は怒っているみたいでストレスを受けやすいとも言っていました。

52前田寛:2005/01/17(月) 18:51
人生いろんな時期がありますね。私の友人は今では世の中でいう成功者の一人でしょう。
多くの人は豊かになるために”科学”を使いますが、ある程度成功した人にとって今度は
身を守ることも重要な項目になりますよね。
彼が教えてくれたのは、商売繁盛している場は常に脅しや乗っ取りの危険ありますね。
それを防ぐための住居ないしは店舗の形状を創ることとか、建物自体も重要だが特に
商売する場合、玄関の位置と扉の形や材質性質などが重要だとかいうことです。
多くの人が集まる場所というのはそれだけ事故などの危険もあるわけですから
そうしたことが起こらない様にするための仕掛けでしょうか。
彼と話していて思ったのは要するに”人間を知り尽くしている”また”人間の性を客観的に
冷徹に直視している”ということです。
ところで広東語で使われる周波数ってどのくらいの範囲かどなたかご存知ありませんか。
私が感じたのは、日本語に比べて早口であること、トーンが高いということです。

53ナニワのダルマ:2005/01/17(月) 23:42
前田さん、返信有難う御座います。ハードウェアとしての建物の設計や材質を構成している素材に気を配るだけでなくおそらくそれをとりまく全体としての場の調和が自然体で快活な気が流れているのでしょうね。そういえば藤原博士と塩谷博士の共著「想念力の驚異」の中に建築設計思想の紹介として宇宙意識と共振する高尚な幾何学が掲載されていました。

広東語の周波数ですが以下のHPを参考にされてみては如何でしょう。

 
http://www.tomatisjp.com/papers/paper_01.html

 
http://www.tomatisjp.com/method/about.html

 3年程前に私もA.トマティスの訓練を受けたことがあります。

54前田寛:2005/01/18(火) 02:04
ナニワのだるまさん、トマティスの訓練はどの言語で受けられたのでしょうか?
受けられる前と受けた後とご自身の耳がどのように変わられたか、ご自身の認識として
なにか感じていらっしゃいますか?
またダルマさんが仰るように、”全体の場の調和が自然体で快活な気が流れる”
状態を創るということでしょうね。現実を直視する、ということでもあると思います。
何故だかいつも彼のところに人が集まり実に愉しそうです。類は友を呼ぶの世界です。

55ナニワのダルマ:2005/01/18(火) 23:34
シェークスピアのどこかの箇所に「真理は目で見るのではなく耳でみる」という言い回しがあったように記憶しています。耳は単に聞くという作業だけでなく何かこの世の森羅万象を通じてあらゆる意識の次元と関わる神秘的でシンボリックな器官に思えます。別のスレッドで光(生命力)についても幾つか議論がありましたが光学的な世界を司る視覚との関連性を知りたいものです。

 私は米語で訓練を受けました。受ける前と受けた後の変化や認識といえば受け始めた頃は実に多忙で睡眠時間も毎日4時間くらいで疲労のためにかなりストレス状態にあったことは間違いなく耳が少し聞こえにくくなったりしていました。藤井尚治博士の著書「医者とコンピューター」に<目のノイローゼ>として目の疲れについて述べられていて視覚は間脳に直接影響をうける器官であるために心身のストレスを受けやすいともあり私は体験から聴覚も同様であると察します。目はチカチカするは耳は調子が悪くて歩いててもフラフラするような状態で始めたトレーニングにおいて高周波の音を聞きつづけたことが良かったかどうかは結果論に基づくこじつけかもしれませんが大分楽になった感じがしました。実際スタート時の録音した自分の声と終わってからの録音した声が自分で聴いても音声の質が少し変わっているのは確かに実感した次第です。高周波の音はもともと脳を快活にするようであり、ある一定のヘルツを超えた高周波はヒトが胎児の時に母体の中で聞いていた音に近いとの事。

56根本敦史:2005/01/19(水) 12:57
未だ整理つかぬが、左右の問題。
舞台は客席に向かって左側が上手、右側が下手。よって、客席に向かい左から右に流れる。また、舞台の上手は舞台に上る役者が南に面するようで、上手は東で下手は西。ひな祭りの位置や左大臣右大臣についても、高いところに高貴な人を南に面するよう置き、そして、陽の昇る東(左)に位の高いものを置いた慣わしか。これら太陽神崇拝の慣わし。珪水様が「西洋」について日照時間から太陽(光)神崇拝を指摘したが、それと同じである。
一方、その場合の「東洋」は何を見ていたか。これは、どこまで遡り「東洋」とするかにかかるが、老子の世界観は太陽(光)を越えた、それを包む闇、無、空の存在があることに言及し、それが道であった。「本来」という「本」をどこにとるか。近年著しく私たちの生活を変えた西洋文明流入以前というのも一つの考えだが、「カタカムナ」も然り、記紀編算以前の封印された大和に「本」を見出したとき、さらに興味深い考察ができそう。
先にも投稿があったと記憶するが、西洋では力が正義と右手に象徴した。この場合の正義とは何かを考えさせられます。その際、老子の言葉が面白い。
(老子道徳経より引用開始)
偃武第三十一
夫佳兵者不祥之器、物或惡之。故有道者不處。
君子居則貴左、用兵則貴右。
兵者不祥之器、非君子之器、不得已而用之、恬惔爲上。
勝而不美。而美之者、是樂殺人。
夫樂殺人者、則不可以得志於天下矣。
吉事尚左、凶事尚右。偏將軍居左、上將軍居右。
言以喪禮處之。殺人之衆、以悲哀泣之、戰勝以喪禮處之。
(引用終わり)

57根本敦史:2005/01/19(水) 14:01
陰陽、左右の件、先の私の投稿に誤りがあったようなので訂正します。
「陽」は、右、有限、偶数、男性、動的、直線、光、低、求心性。
「陰」は、左、無限、奇数、女性、静的、曲線、闇、高、遠心性。
西洋の太陽神(光)崇拝や「右尊」の概念と違い、東洋の「左尊」の概念には、「右」である有限の「陽」の世界が、「左」である無限の「陰」の世界へと帰依するという思想があるようです。合掌とは陰陽和合、無への帰依でありましょうか。
すると、なるほど珪水様がおっしゃった「右遷左遷」「人間の重心」という言葉が大変面白く考察できるのかもしれません。左重心の左遷とは「右(陽、有限)」から「左(陰、無限)」に流れる帰依者であり、右重心の右遷とは「左(陰、無限)」から「右(陽、有限)」に流す創造者であるのかもしれません。
するとまた、ナニワのダルマさんが先にご紹介くださった対談の中での藤原氏の「イエス・キリストの心臓の位置」の話しが妙に気になります。

58根本敦史:2005/01/19(水) 14:41
そして、菩薩様や大仏様の手の形(右を立て左を横にさせる形)ですが、目に見えないの空間(陰)における「左の陰」と「右の陽」に具現した、目に見える空間(陽)における陰(右)陽(左)の形であるとも見えてきます。これは「陰極まりて陽となり、陽極まりて陰となる」の太陰大極図を連想させられます。

59珪水:2005/01/19(水) 15:30
57  勉強になります。一般には偶数が陰で奇数が陽になっておりますが57では違います。非常に興味があります、なぜなのですか?一般に本に書いてあることはほぼ通用しませんので。(特にこういう世界の本)オリジナルの人は何千年も前に亡くなられており、今の人でこの世界の本を出されている人が本当に理解をされているのか疑問であります。

60根本敦史:2005/01/19(水) 16:03
珪水様。すみません、私も混乱しております。一般的には偶数は陰数で奇数が陽数とします。今の神道の世界でもそのように聞いたことがあります。
57の陰陽対象表は、桜沢如一氏によるものです。ピタゴラスはここを逆に理解したそうです。これも桜沢氏のコメントです。
私ももう少し勉強してみます。

61根本敦史:2005/01/19(水) 16:42
桜沢氏の上記数の解釈を私はこのように解釈しています。
① 陰陽、善悪、正誤の「2」で割り切れる数が「偶数」です。
② 陰陽、善悪、正誤の「2」で割り切れず「1」余す数が「奇数」です。
この場合、①の「偶数」を「陽(有限界)」と表し、②の「奇数」を「陰(無限界)」と表すのも理解できるような気もします。

62珪水:2005/01/19(水) 16:58
57の陰陽は正しいのかもしれません。決め付けないほうがよろしいかと思います。なぜならば今日では陰陽の類は誰も当たらない

63珪水:2005/01/19(水) 17:18
陰陽は私は相対のものと考えております。たとえば女は陰ですが卵子は陽です。男のオチンチンは固くなると陰です、ムズカシイデスネ

64根本敦史:2005/01/19(水) 17:26
珪水様、ご指摘、ありがとうございます。しかし、右左、陰陽、一つとっても大変難しいものです。しかし分かるのは、絶対なるものなどこの世にない。修行・稽古あるのみでしょうか。これからもよろしくお願いします。
(老子道徳経より)
道の道とすべきは常の道に非ず。
名の名とすべくは常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万有の母。
故に常無を以ってその妙を見んと欲し、常有を以ってその徼(きょう)を観んと欲す。
此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。
同じきこれを玄と謂い、玄のまた玄は衆妙の門なり。

65田村剛:2005/01/19(水) 20:13
<オチンチンは固くなると陰です
そうですかねぇ、硬くなろうと、そうでなかろうと、陽でしょう、
女陰、陽物というんですから。
<ムズカシイデスネ
原則をわきまえていればちっともムズカシクありませんよ。

66根本敦史:2005/01/19(水) 22:17
田村様、始めまして。
確かに固くなった男性の例のものはフニャフニャのそれに比べその固さから見ると「陽」の気がしますね。しかし、その膨張性や上昇性は「陰」の相を見ることもできます。
要は陰陽なるもの、常にそれが相対するものがあってのものであり、何か一つのものをもって絶対の「陽」なり「陰」はないとのことでしょうか。
多種多様な要因が複雑に絡むこの現実社会を分析すること、しっかりとその原則をさえ弁えてさえいれば優しいのかもしれません。そしてまた、とても有益なツールとも思います。しかし、その原則さえ未だ把握しきれない私にとって、やはり、決して容易でありません。
これからもよろしくお願いします。

67田村剛:2005/01/20(木) 00:14
<要は陰陽なるもの、常にそれが相対するものがあってのものであり、
何か一つのものをもって絶対の「陽」なり「陰」はないとのことでしょうか<
 そういうことはありません。自然界を見るのに、二分するのが陰陽、八分類する
のが八卦です。もっとも著しい特質を見定めて、陰陽のいずれか、、八卦のどれか
に特定、分類するのがまず、手始めです。易学ではこれを象を取るといい、普通の
言葉、文章を陰陽、八卦、六十四卦に取るー直して見るのは初歩的な訓練です。
この場合ですと、特徴特質、異同を見極めれば、オチンチンを陽(女性にはない)、
固くなるーを五行では金、八卦では乾(けん、いぬいー純陽の卦)とするのは常識
です、あなたの言われるようなどっちでもない、というようなことはありません。
そういう態度では怪我をするだけですよ。
固くなって膨張した陽物から、小水、精液が出ればそれが陰水、
固くなったオチンチンを陰に取るなどというのは、陰陽の原則を知らない珍説です。
今のうちに、基本テキストを選んで、しっかり基礎固めしないと、変な常識に凝り固まり、にっちも
さっちもいかなくなりますよ。今のうちに基本をまなぶべきでしょうね。

68根本敦史:2005/01/20(木) 00:55
田村様。ご指導の程、誠にありがとうございます。
ここ数日、自分の陰陽の基本のなさを自覚し、もって、数年前に読んだ桜沢氏の本を読み返していたとことです。
正にご指摘のとおり、未だ基本がなっていないのです。危うい限りでした。
これまでの私の投稿、恥ずかしい限りです。しかし、これは私の今年の大きなテーマであります。よちよち歩きにも満たないようですが、何とか勉強していきます。今後とも、是非、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申しあげます。

69山本元:2005/01/20(木) 17:57
田村様。私は陰陽に関しては良くわかりませんが自然界を二分ということになると酸とアルカリに分けても良いのでしょうか?酸で固まる物質と融ける物質がありますが酸は陰なのでしょうか、それとも陽なのでしょうか?もしよろしければ教えていただけないでしょうか

70斉藤:2005/01/20(木) 19:09
酸とアルカリでしたらちょっと理解できますのでお聞きしたいのですが、石鹸を作るときにはアルカリ剤の苛性ソーダーを使い油を固め石鹸にしますがこれから考えますとアルカリは陽なのですか、また植物は融けてしまいますがどのように理解をすればよいのでしょうか?

71斉藤:2005/01/21(金) 11:34
私は実験室に居る時間が長いため色々な物質の反応を見れます、例えば水を例に取りますと易の世界では陰というと拡大膨張となっておりますが実験室では陽の収縮凝固の反応が出ます。また陰の反応も出ます。水を陰と定義しますと実験ができません。水は燃えますので。珪水先生がおっしゃる様に相対するものにより変化します。

72斉藤:2005/01/22(土) 10:52
田村先生は易の世界に精通されているようなのでお伺いしたいのですが、水は気体、液体、固体と変化しますが実体は?易の世界の定義はどのようになされているのでしょうか?よろしくお願いいたします。

73珪水:2005/01/22(土) 11:54
私は占術は変化の科学であり、ある断片をとらまえて議論をするのはナンセンスであろうかと思います。どんな意見が出てきても正しいのです(その人の問題)それを「こうである」と決め付けると必ずこういう流れになり止ります。易を発案されたオリジナルの人が居ればこのような質問にも的確に納得できるように答えてくれるかもしれませんが何千年も前に死んで今は居ないのです。私は毎日肉食です、米は秋以来ほぼ食べておりませんし葉物も食べておりません。米のでんぷん質の代わりにジャガイモのでんぷん質をとっております。一般的に日本人は日本食、また自然食という概念が根強く頭にこびりついておりますが私の住居で日本食を食しておりますと寒さに耐えられません、病気になります。頭は常に柔軟にしたいものです

74珪水:2005/01/22(土) 12:43
根本さんお元気ですか?あなたが投稿を休むと気をもみます、私の知る限りこの占術の世界に精通されている方は知りません。斉藤さんの質問は至極当たり前の疑問でありますが、この疑問に納得の行くように、斉藤さんを満足させれるだけの答えを持っている方は私は知りません、せいぜい宗教界の人が誰かの言葉を借りて答えるのは「万物は実体がないのだよ」という答えでしょう。これでは納得できません、私もそうです。陰とか陽はあくまでも符丁であってその人にとって男を陰と分けても、またプラスでもマイナスでも良いのです。一向に差し使い無いのです、自分の基準(物差し)を作ればよいのです。上記に書いたように毎日身体に悪にといわれている肉食です、世間は私に日本食をすすめます。すすめている本人は顔色が悪い、シバレて居るのです、助けてあげようと肉食を進めますが険悪な空気になります、ですから早く自分の心棒を作ればよいと思います、心棒を作れば世間には惑いません、この心棒は私は物理・理科を当てております

75根本敦史:2005/01/23(日) 13:02
珪水様、優しいお声掛けに感謝の念でいっぱいです。すみません、少しサボっておりました。しかし、脱藩道場開催に向けた皆様の活発なご意見をはじめ、毎日、楽しく拝見させてもらっています。そして何よりとても元気です。
改めて整理して書き込もうと思いますが、私も「自分の基準」づくりがまず肝要かと思っています。書物を始め皆様なご意見等々、多く見聞きしますが、やはり最終的にはそれをしかと自分のものにしたいものです。そして何よりも、その物差しが生きる喜びや美しさや楽しさを測るものであると、なお良いと思います。
脱藩道場に向け、特に「人材育成」「教育」が取り上げられていますが、とても素晴らしいことだと思います。できればそこに、下のスレッドの「社会への恩返し」という観点からのアプローチ、そして何よりも、「健康である」ことの重要性、正に「宇宙観・生命観・歴史観・人間観」も併せて考えていければと思っています。これを失って私達は一体どこに向かっているのかと。進む方向も判らず、只、全速力で足踏みしているようなものです。
今日があって、こうして世界を見渡すと社会は一変しましたが、私達人間の本質はそう変わらないのかもしれません。「動態均衡」という言葉をもって表現する方がいますが、こんな中で、バランスよく、日々、この瞬間を感謝の念と喜びをもって創造していきたいものです。そんな時にきっと陰陽の物差し、道教的な思想が役立つのかもしれません。温故知新ですね。

76根本敦史:2005/01/23(日) 20:41
珪水様の「助けてあげようと肉食を進めますが険悪な空気になります」に目から鱗です。そのような光景、目に浮かびます。それは本当に、食に限ったことではありません。
今日の私達の生きるこの時空は、近年の急速な技術の進展で、これまで数千年来、体験してきたそれと大きく変容しました。インターネットでチケットを買い求め、空港まで車で駆けつければ、今度は飛行機が私達を地球の裏側にまで運んでくれます。時間が縮み、空間は膨張しました。生きる世界が私達の身体・精神を急速に陰性化したとも言えるでしょうか。
こうした今日の社会にあって、改めて、私達が今本当に必要としているものは何かと考えさせられます。古きものを只かたちばかり持ち寄ってもダメなのでしょう。物事の道理をみた先人達の知恵の本質を見極め、もって、今日の諸技術・知恵による現代版動態均衡維持哲学が必要なのかも知れません。
善悪でもなく心情的なものでもなく、只、人として「健康」に生を全うする。そんな健全なる肉体に、やはり健全な精神が宿るのでしょう。そして、そんな健全な精神による着想を、この宇宙という時空の中で日々嬉々として具現化していくことが、きっと、この世に在って生きる私達に課せられたお努めなのかも知れません。

77蓮谷章二:2005/01/24(月) 21:35
珪水先生は肉食をしていらっしゃるとのことでありますが、
先生は一日何回お食事を取られますか?3回でしょうか?それとも2回?
ところで、最近私はすごくよい男性用衣類の店を見つけました。
店員にもよりますが、今回は初老の紳士がサービスしてくれました。
いろいろアドバイスしてくれるのですが、実に的確なのです。
この人が「ワイシャツは買ったら一回洗わなければいけませんよ、肩が
こりますからね。」などというので、お!と思った次第です。
他にも色について、いろいろ言うわけです。プロの店員が減っている中
こういう人もいるところには居るんだなと少し安心いたしました。

78根本敦史:2005/01/24(月) 21:38
酸とアルカリについて。
桜沢氏の師にあたる方は、ナトリウムとカリウムのバランスで食養を解きました。
桜沢氏を師の理論をより広く捉えられるよう広く発展させ、食養を陰陽をもって解きました。

79根本敦史:2005/01/24(月) 22:45
時を制する者は・・・、とよく言われるが、本当にそのとおりだと思います。
珪水様がご指摘なさいましたが、暫らく投稿が減ったのも、仕事やプライベートで忙しくなり、まとめて時間がとれなかったことによります。
ここ数日、仕事の絶対量が増えたと言え、明らかに時間に追われている自分に気付かされます。
健康で、なおかつ、時にのり、正に「3倍」はいきたいのです。
そんなことを思った時、生活にかかるあらゆるものの整理整頓の重要性に改めて気付かされます。
そしてまた、珪水様が時におっしゃる「気学」なるものに大変引かれています。

80根本敦史:2005/01/24(月) 23:55
蓮谷様、衣類店のお話し、とても面白いです。
蓮谷様のご投稿で、私も個人的にお付き合いのある先生が昔話してくれた床屋のことを思い出しました。
その床屋の主は、昭和天皇のご担当の方だったとも聞きました。私の先生は、そんな床屋の主との会話を楽しみつつ、その主を通じて、昭和天皇にパワーを送っていたなどと興味深いお話しをされていました。
世の中には面白い方が沢山います。こんなお店を集めて本なりHPなりを作ると面白いかもしれませんね。

81田村剛:2005/01/25(火) 00:27
<私は占術は変化の科学であり、ある断片をとらまえて議論をするのはナンセンスで
あろうかと思います。どんな意見が出てきても正しいのです(その人の問題)それを
「こうである」と決め付けると必ずこういう流れになり止ります。
易を発案されたオリジナルの人が居ればこのような質問にも的確に納得できるよう
に答えてくれるかもしれませんが何千年も前に死んで今は居ないのです。<
 貴殿は拝察すると易学の演習をおやりになったことがないようですね。
象を取るの意味がおわかりでないようです。
筮竹を取って卦を立てるように、ある命題を卦になおして見る単なる手法なんです。
ある文言を八卦、六十四卦のいずれかに下卦、上卦とおきなおして、そこから
あちらからこちらから見てゆく易を学ぶ上でのトレーニングなのです。
固くなったおちんちんという文言を、和文英訳のごとく、陰陽、五行、八卦等に
置き換えるだけなんです。こんなのは初歩的な訓練で、2千年前がどうしたとか、
占術界がどうとかのたいそうなことではないです。
おちんちんにちなんで、陽物、陰水と言ったら、水の性質がどうとか言う方が
出てきましたが、そういう話ではないし、誰も答えられないなどと言う性質の
ものでもありません。単なる和文易訳のことです。

82根本敦史:2005/01/25(火) 01:52
田村様、貴重なご投稿をありがとうございます。先にご投稿いただいた「基本テキストを選んでしっかりと基礎固め」、正に私の今の課題であります。
恥ずかしながら、日々の忙しさを理由に「易経」すら数年前に買い求めまま殆ど頁を開かずに放置している自分に半ば呆れます。もし差支えがなければ、その「基本テキスト」の選び方で一つご教授いただけると幸いです。陰陽の2つ分類にして此れですから、未だ敢えて五行、八卦、六十四卦に手を出さずにいる状態です。

83田村剛:2005/01/25(火) 19:57:31
<「易経」すら数年前に買い求めまま殆ど頁を開かずに放置している自分に
半ば呆れます。<
あきれることはありません。目下は、易を必要としていないからほうっている
だけでしょう。何か切実なことができたら、易に聞いてみてみたくなるものです。
 易も囲碁将棋、短歌俳句等と同じくきまりがあります。きまりは文句なく覚える
こと、妙な理屈をこね出すと、易に入るチャンスを逸します。
本はなんぼでもありますが、まず基本を頭に叩き込むこと、回路を自分の中に
作らないことにはいつまでたっても反応しだしませんから。
休日、半日もかければ覚えられるでしょう。
まず基本の理を覚えることです。

84ナニワのダルマ:2005/01/25(火) 20:37:34
横レスで申し訳御座いませんが、#57で根本様が紹介された「陰が奇数、陽が偶数、あるいはその反対」の件ですが私の愚見を申し上げると「陰が奇数、陽が偶数」と感じます。理由は実に単純な事しか言えないのですが一というのは全体を指し、1+1=2といのは実数の世界で位相幾何学の世界では1+1=1だとか。1が2を生み3を生むなら仮定として1は陰数で偶数である陽は陰の特殊なバリエーションの一部と考えたら如何。この世の仕組みが陰陽で成り立っているのなら次の発想はどうでしょう。

 裏と表二人で一人であっても奇数人間と奇数人間を和合しても偶数人間である。偶数人間と偶数人間を和合しても偶数人間であることを知れば奇数地上人と偶数人間と和合して新しき奇数の地上人が生まれる。

上の発想は陰陽に関する書物から思い付いたのですが、私は陰陽の法則というのは対立する2項図式をまず概念として取り上げ次に次元のステップを踏んで平面から立体への相移転が伴う生命論的アプローチだと確信しています。生命論的アプローチといえば「間脳幻想」ですが上記に繋がる箇所を少し引用し、考えてみたいと思います。

 藤井 錬金術では、男は黄金に照り輝く太陽であり、女は銀色に照り映える月ということで、この太陽と月の合一によって、新しい価値を持った生命が誕生するわけです。左脳を太陽脳、右脳を月脳という具合に考えて、その補完関係と共同に基づいた全体性で脳を考えることが、最も大切な視点になると思いますね。

 藤原 陽は陰の特殊な在り方という易の基本概念は、群論的に言えば、一の中には二が含まれているし、処女生殖としての聖母マリアのモデルとして、生物学的にも検証できると思う。

85ナニワのダルマ:2005/01/25(火) 20:41:34
陰陽に関する書物から思い付いたのではなく思い出しの訂正です。

86田村剛:2005/01/26(水) 00:01:27
<私の愚見を申し上げると「陰が奇数、陽が偶数」と感じます。<
楷書があって行書草書が書けるんですから、初学の人に基本テキストを
ひっくり返すような牽制をするのはいかがなものでしょうか。
ちと大人気ないのではないでしょうか。
易に限ったことでもないでしょうが、習うより慣れることが
いちばんなのです。

87根本敦史:2005/02/14(月) 21:20:49
ご無沙汰しました。スマトラ沖の地震の後、自転の速度が速まったなどと云々するのも聞きますが、日々、忙しくてならず、考えさせられます。
さて、少し前の話題になりますが、注連縄について。注連縄を作る際、一本一本の縄を稲から綯った場合、それを右利きの人が綯うのと、左利きの人が綯うのとでは、最終的に注連縄となる際の回転方向が変わってくると聞きました。
また、フーチーなどで顕著ですが、時計回りは、エネルギーを求心させる創造性(陽)を示し、反時計回りはエネルギーを遠心させる破壊性(陰)を示すと考えられます。
こうしてみると、単純に回転方向で、本当に〆ているか否かは分かるのかもしれません。如何なものでしょうか。

88根本敦史:2005/02/15(火) 22:40:25
掃除について。
女優、沢口靖子さん。とてもお綺麗な方ですよね。
彼女が奈良の出身のようで、よく小さい頃からトイレ掃除をさせられていたそうです。
はじめは嫌で仕方なかったそうなのですが、次第に、それをしないと気がすまないように思うようになったそうです。
女性は(いや、女性に限らず)、とにかく一番汚いところを毎日しっかりと掃除をする、これだけでドンドン綺麗になっていくそうです。
お寺に修行に行くとまず掃除から始まります。特に始めは便所掃除。これも柄の付いた束子などでなく雑巾で掃除するそうです。毎朝、雑巾でピカピカに磨き、それを兄弟子に報告に行きます。兄弟子はそれを受け、こうするそうです。汚れたバケツを足で蹴り、綺麗に掃除した便所に倒します。お弟子さんはムッとする訳です。そんな毎日が続きます。あくる日、同じように兄弟子がバケツを蹴ります。お弟子さんはそこで、ニコッと笑みを浮かべます。それでこの便所掃除の卒業です。
面白いものです。

89根本敦史:2005/03/07(月) 15:29:48
情けなくも、年始の誓いは何処其れ、ちょっと忙しくとなると此れです。漸く仕事が落ち着き、仕切り直しです。
さて、センスの磨き方で面白いお話しを頂きました。第六感を鍛える為には、まずは備わる五感を磨くことだそうです。そして、この五感の磨き方ですが、例えば、触覚。手を抓ると痛いですね。その痛み、抓った手を離しても暫くその残像が残ります。しかし、時と共に徐々に薄れる。これを如何に長く持続できるようにするか、それをやります。抓られた手の痛みに集中し、記憶し、持続させる。何時間でも何日でも持続させます。触覚、味覚、聴覚、嗅覚、視覚全て同じです。
そうしてみると、茶道、弓道、柔道、華道、書道、香道なるものの「道」とは何かということを思い知らされます。きっと、茶や弓や柔や華や書や香などを媒介に、今に集中し、五感を鍛え、もって、第六感による「道」なるものを垣間見たのかも知れません。

90ヒロイエ:2005/03/07(月) 23:20:46
茶々を入れるようになりますが、
弓、柔について道とつくのは明治以降ではないでしょうか。
それまでは、  術  だったと思います。
また、茶、香については、 闘 がつきます。
書、花については勉強不足ですが、
一概に言い切れないのではないでしょうか。
ただ、茶、香、書、鼻については  言われるとおり
覚  という言葉が大きなポイントと思います。
訓練を通じた第六感、インテリジェンスの重要性は
必要です。

年をとると、悪くなる一方です。

91根本敦史:2005/03/08(火) 13:03:16
ご指摘、ありがとうございます。茶道、弓道、柔道、華道、書道、香道、これらの本質、由来を知らず、ただ思いつきで書いたものです。ただ、これらの「行」や「遊び」を通じて、意図せずとも、今への集中力を高め、そして、五感を磨いていたことは確かなんでしょうか。道を行き、極めたところに目に見えない何かがある。それが第六感を持ってのみ感じられるのかも知れません。この意味で言うと、「術」でもきっとそうなのでしょう。弓術、柔術を極め、その奥義に達する、そこにある「何か」です。全ての道、行は「何か」に通じる。オイゲンヘリゲル「日本の弓道」で登場する師のことを思い出しました。また、合気道の植芝盛平氏も何か面白い世界を見ていたようです。また、「術」とは何でしょう。「行」の中に、「ジュツ(ホに点)」がある。キク科の多年草である「おけら」を意味し、それは厄除け草とされ、白いヒゲのような頭花の姿は仙人の髭を髣髴させます。

92中津沢重利:2005/03/08(火) 22:57:59
根本さんは何か、修行(五感ー六感)をしておられるのですか。
差し支えなければ
ご披露されてはいかがでしょう。

93根本敦史:2005/03/09(水) 12:51:49
中津沢様、こんにちは。私は、皆様にご披露できるような特別な修行はしておりません。ですので、上記の私の投稿が少し恥ずかしいです。しっかりとした根拠もなく只そう想うという思いつきを書いたものですので。しかし、近く機会があれば、触れてみたいと思っている世界ではあります。一方、数年お付き合いのある方から腹を鍛えることをしばしば言われます。腹式呼吸です。そしてまた、今への集中力です。食事をしていても入浴していても通勤していても、気が付くと頭では仕事のことを考え、そこにある味や薫りや空気を浸りながらも無視している、そんなことがないように、けじめをつけて、仕事のときは仕事、食事のときは食事、通勤の時には街の風景や風、空の色に気を配ります。ありきたりのことですが・・・。しかし大切なことですね。幸せは今この瞬間からの吸収力を高めることでドンドン増していくような気がします。またその有り難さをもって始めて社会への恩返しです。そして少し時間があるときは、瞑想に似たことをします。気持ちがいいです。部屋の中、特に入浴中が多いですが、呼吸を整え、回りの景色(家具の配置や細かいところのあらゆる形状、色等)を記憶し、眼を閉じ、その景色に感謝の念を込めて浸りきります。私の体もあらゆる物体もきっと究極にミクロの世界(量子物理学?)では同じ光子だったり光の波であるかもしれません。それを意識しつつ、あらゆる物体のその波に自分の想念の波を併せてみます。時にはちょっとした遊び心でその波を弄ってみたり。また、少し位であれば頂いてもいいだろうと、一つ二つ光子(もし、そんなものがあるのであれば)を頂いてみたりなど。元気球です。変ですね。しかし面白いのが、そんなことをする時に周辺に埃や汚れがあると物凄く気になります。埃や汚れの波が嫌なのです。今、私たちはこの時間と空間にあり、3次元の世界に生きますが、五感では感じ得ない別の次元が同時に存在しているのならば、例えば、こうした思いは明らかにしっかりとした形状をなしているのかもしれません。その意味で、一念三千、因果応報等いいますが、その通りかもしれませんと。しかし、なかなか上手くいきません。仕事が忙しいとできなかったり、少しゆとりが出ると仕事への集中力が欠けてきたりと。すみません、くだらないこと長くなりました。

94根本敦史:2005/03/31(木) 22:45:42
花粉症と昆布茶のあたりから、自分の体をもって色々と実験、観察を試みています。昆布茶、アルカリ。電解質というヒントから、少し考えさせられます。症状は今はだいぶ良いのです。コントロールの術を知った気がします。どうもダメなのは、外から室内に入った時の温度差(場合によっては気圧差も?)にあるよう感じます。頭を坊主にしましたので、頭から首の辺りを摩りながら確かめるのです。また、歯磨きが大切な気がします。磨くとすっきりします。これも口内の酸・アルカリでしょうか。実際のところ、色々といっぺんに進めすぎてわかりません。杉茶も飲みました。結局は松の皮と毎朝のお茶が良かった気がしていますが。コーヒーに甘いものを食すとダメですね、一時的に。松竹梅、なぜ松で竹で梅かです。中でも松が一番。これ、ひとつの生活の知恵かも知れません。松の実を食していると仙人になるのでしょうか。そういわれると、種は究極の全体食です。こちらも大変乱文で申し訳ございません。

95珪水:2005/04/01(金) 22:08:35
根本さんの元気そうで何よりです、私も坊主に近い頭です。髪の毛によい整髪料がないためです。私の師匠たちは「五行力学」「占術」を学ぶためには「量子力学」が先と、学ばされた為に占術の話になると微妙にかみ合わなくなるように思います。量子力学と五行力学、占術交えての話は面白いのでは?と思います

96根本敦史:2005/04/02(土) 16:49:54
色即是空 空即是色 ですね。量子力学、面白いです。日々勉強です。ずっと先行く人がいっぱいいます。なかなか追いつきません。現実、社会生活もあります。欲もあります。もっともっといい仕事をしたいです。天地自然のお力を借り、もっともっと元気、勢いが欲しいですね。日々、感謝です。珪水様、お久しぶりでございます。最近思います。何事も整理整頓が大切ですね。これができないと何事も難しいもの気付かされます。

97真木為明:2005/04/28(木) 20:42:41
最近知人に方角にうるさい人がおりまして
仕事柄旅の多い私にいろいろ「助言」してくれるのですが
今までは半信半疑でした。ただ思い返すと今までに一度だけ、
旅行の前後で身心共に明らかに調子が悪くなったことがありました。
気分や体調が悪くなると、結果仕事にも影響を与えるので
全ての調子が狂うことになり、そこから元に戻るまでに相当の
エネルギーと時間を要します。
確かに地球の磁場の関係で起こりうるであろうとは想像しています。
この世の偉い方々は、しばし保養に行ったり他国を訪問しますが、
体調を整え長寿を全うし高邁な人生(国家?)の目的を達成するために
行う帝王学の一片ならば、大衆にはおよそ目に付かない秘術のひとつかも
しれません。

98根本敦史:2005/05/02(月) 15:41:08
以前珪水様の投稿で掃除の仕方、雑巾がけのお話しがありました。空気と水です。最近、実家の引越しに伴い、空き家になっていた家がありました。1月以降、不動産屋にお願いし、借り手を捜していたのですが、4月に入っても決まりません。正直、4月までが勝負だと思っていたので大変心配してました。4月中頃、荷物を取りに空き家となっている家に寄ったのですが、その際、色々考えた末、玄関、そして、バルコニーをきれいに掃き、また、素手で水を打ちました。30分以上、念入りにやりました。するとどうでしょう。その後、1週間もせず、近くの歯医者をしている一家が借りたいとのこと、借り手が見つかったのです。不思議なものです。思いを通す術でしょうか。その威力に只驚かされます。

99珪水:2005/05/04(水) 11:28:57
昨年から掃除(整理整頓)の話をしてきました 実践された方はいろんなことに気が付かれたことと思います、また少なくとも整理整頓をされた後は気持ちがよいと感じたことと思います、継続してください。一般に言われている風水が整うのです、開運の早道でしょう(急がば回れです)空間の整理整頓ができましたなら自分の頭の整理整頓をしましょう(極力占術の類は科学で考えましょうと何度も書いてきました(異論の方も居りますが?)術では昼は陽で夜は陰ということになっておりますが陰陽で考えますと私の頭は整理できないために昼は紫外線夜は赤外線(国立天文台より)と整理をします。料理の話ですが紫外線は肉を焦がし赤外線は中まで火がとうり野菜はこの逆になります。ですから自分の生活が昼型なのかそれとも夜型なのか?によって当然食べるものは違います。地の気の強いところは赤外線の強いところであり天の気紫外線を求めるようになります

100珪水:2005/05/04(水) 12:07:00
よく質問されることがあります、一年の四季は分かりますが自分の人生の四季についてです。「これを教えてくれ」とよく言われますが私には方程式が分からないため出せませんが自分で分かる方法があります、整理整頓を継続しているうちに観察力が鋭くなります、そうして今まで気にもかけなかったことに疑問が出ます、この疑問の中に自分の人生の四季折々がありこれを読み解くことができるようになります。冬であればじっとし新規ごとに手をつけず春であればいくらどん底にあっても行動すれば必ず花が咲き実をつけます。私の体験では大きな四季は三度あるように思われます。三回勝負できるのです

101根本敦史:2005/05/04(水) 13:52:57
珪水様。ありがとうございます。大変参考になります。さて、空間の整理整頓ですが、気を配って色々やっていると、家具の置き方というか、部屋のインテリアに気を使うようになります。できる限り、掃除のしやすいものがよいです。また、できる限り多くの消耗品を減らし、少なくとも大切な道具でシンプルにしたいものです。また、その道具はできれば箱にしまいたいです。世の中、不要な消耗品が多すぎます。品がなく、愛着もわかず、整理整頓ができてくると、きっと不要なものと分かってきます。世の中の多くの人がしっかりと整理整頓ができると、必然的に不要な消耗品はこの世から姿を消すでしょう。そうした文化を、もう一度、ちゃんと創っていきたいものです。そして、一年の四季、その「タマシビ」を宿す文化、それもこの国からなくなりつつありますね。温故知新、このあたりに大変貴重な情報が埋もれています。面白いです。


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