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根本・珪水なんでもコーナー
84
:
ナニワのダルマ
:2005/01/25(火) 20:37:34
横レスで申し訳御座いませんが、#57で根本様が紹介された「陰が奇数、陽が偶数、あるいはその反対」の件ですが私の愚見を申し上げると「陰が奇数、陽が偶数」と感じます。理由は実に単純な事しか言えないのですが一というのは全体を指し、1+1=2といのは実数の世界で位相幾何学の世界では1+1=1だとか。1が2を生み3を生むなら仮定として1は陰数で偶数である陽は陰の特殊なバリエーションの一部と考えたら如何。この世の仕組みが陰陽で成り立っているのなら次の発想はどうでしょう。
裏と表二人で一人であっても奇数人間と奇数人間を和合しても偶数人間である。偶数人間と偶数人間を和合しても偶数人間であることを知れば奇数地上人と偶数人間と和合して新しき奇数の地上人が生まれる。
上の発想は陰陽に関する書物から思い付いたのですが、私は陰陽の法則というのは対立する2項図式をまず概念として取り上げ次に次元のステップを踏んで平面から立体への相移転が伴う生命論的アプローチだと確信しています。生命論的アプローチといえば「間脳幻想」ですが上記に繋がる箇所を少し引用し、考えてみたいと思います。
藤井 錬金術では、男は黄金に照り輝く太陽であり、女は銀色に照り映える月ということで、この太陽と月の合一によって、新しい価値を持った生命が誕生するわけです。左脳を太陽脳、右脳を月脳という具合に考えて、その補完関係と共同に基づいた全体性で脳を考えることが、最も大切な視点になると思いますね。
藤原 陽は陰の特殊な在り方という易の基本概念は、群論的に言えば、一の中には二が含まれているし、処女生殖としての聖母マリアのモデルとして、生物学的にも検証できると思う。
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