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Tohazugatali Economic Review

1■とはずがたり:2003/02/24(月) 18:56
経済(学)スレです。個別ネタは各スレッドでしますが一般スレが無いので立てます。
景気やマクロ動向なども。

1707とはずがたり:2016/08/26(金) 18:16:08
 米欧において事業売却は、「売られた人々」にとっても「再出発」を意味する。資本構成がどうなろうと現場ですべきことは変わらないし、ボスが変わることにも慣れている。買われる前より潤沢な開発資金が使えたり、市場でのステイタスが上がったりするのであれば、従業員も「それでよし」と考える。

 一方、日本人にとって会社や事業部は「藩」であり、事業売却は「御家お取り潰し」である。売られた人々は「敗残者」としてうつむいて生きていかねばならない。だから社長に「売り飛ばすぞ」と脅されれば、社員は縮みあがり、易々と不正に手を染めるのだ。



「コンプライアンス」「ガバナンス」「CS(カスタマー・サティスファクション=顧客満足度)」「CSR(コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティ=企業の社会的責任)」。目新しい舶来の制度をいくら導入しても、人が変わらなければ組織は変わらない。「刷新」を掲げながら、旧態依然の隠蔽を続けた三菱自動車はその典型と言える。


 相次ぐ「創業家の乱」は日本の企業社会が次のステップに進むための通過儀礼とも言える。創業者然として振る舞うサラリーマン社長・会長に、本物の大株主である創業家が待ったをかけたのが「創業家の乱」である。

 官営製鉄所をルーツとする新日鉄住金のような国策企業でない限り、あらゆる企業には創業者がいる。多くの場合、創業社長が株式の大半を保有している。この時点では企業の「経営」と「所有」が一体になっている。

 企業が大きくなっていく過程で設備や人員を増やすために外部から資金を調達する必要が生まれ、株式を上場する。依然として創業者が大株主ではあるが、株を買った投資家も企業の一部を「所有」することになる。

 そして創業者が引退の年齢に達した時、多くの企業ではその子弟が持ち株を相続して大株主になる。日本では創業者の子弟が社長になるケースが多く、ここから「創業家による経営」が始まる。

 会社を「藩」と考える日本のサラリーマンにとって「創業家による経営」は居心地がいい。藩主は能力でなく血筋で決まるものであり、そうと決まっていれば藩主の座を巡って派閥争いをする必要もない。全員が藩主の下で一致団結して末長くお家の興隆に力を尽くせばいい。

 リコール問題で召喚された米議会の公聴会で「わが社の車一台一台に私の名前が付いている」と訴えたトヨタ自動車、豊田章男社長はその典型だろう。創業家が社長適齢期である間、トヨタで働く人々にとっては副社長が「上がり」のポジションであり、一騎当千の強者が藩主の下で結束している。

 しかし章男社長の次の世代までこの状況が続く保証はない。豊田家はすでにトヨタの大株主ベスト10に入っていないからだ。

サラリーマン社長の絶対的権力
 一般に、会社が資本増強するたびに創業家の持ち株比率は下がり、世代が代わるたびに巨額の相続税を支払うために持ち株の売却を迫られる。持ち株比率が一定の割合(例えば重要案件に対する拒否権を持つ3分の1)を下回った段階で、会社は「創業家のもの」から「株主のもの」になる。

 株主は企業価値を高めるため、より優秀な人材に経営を任せたいと考える。従業員数が数万人にもなる大企業の中で、創業家がベストの人材を輩出し続けられる可能性は低く、やがて非創業家のサラリーマン社長が誕生する。

 出光興産やセコムでもこうしたプロセスを経てサラリーマン社長が誕生した。少し時間を遡れば、ソニーでも大賀典雄氏までの「創業世代」から、同社初のサラリーマン社長である出井伸之氏にバトンタッチするところが、組織的には大きな転換点だった。

 「藩主」である創業家に仕えることに慣れてきた日本のサラリーマンは、家臣の中から選ばれた新たなリーダーに簡単には従わない。出井氏は退任後、社長、会長時代を振り返り「創業世代の幻影との戦いだった」と振り返っている。

 欧米では17世紀、東インド会社の時代から「株式会社は株主のもの」である。欧州とアジアを行き来する航海の間、船長には絶対の権限が与えられるが、どの船長をどこに向かわせるかは出資者である株主が決める。船長や船員には働きに応じた報酬が与えられるが、貿易によって得た富は株主が山分けする。

1708とはずがたり:2016/08/26(金) 18:16:33
>>1705-1708
 それは現代の株式会社でも変わらない。日常業務という航海の指揮を執るのはCEO(最高経営責任者)だが、彼は株主の付託を受けた取締役に監視されている。取締役会(ボード)メンバーは社外の人材が大半で、社内の人間は事情を説明するためにCEOとCFO(最高財務責任者)が入っている程度だ。

 CEOの任免権は取締役会が握っている。社外の取締役たちが「この人物では株主の利益にならない」と判断すれば、容赦なく解任される。アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏もこの仕組みによって、一度は会社を追放されている。

 しかし日本はこの仕組みを正しく輸入しなかった。CEOである社長を監視するはずの取締役は社長の部下で占められ、社外取締役を選ぶのも社長である。取締役会メンバーも大半は社内の取締役である。取締役会は社長の考えを部下である取締役に伝える場になった。株主になり代わって社長を監視する立場の取締役は、社長に認められ後継の椅子を争う存在である。

 資本構成で見ると銀行や生命保険会社といった機関投資家や取引先が大株主になった。いわゆる「株の持ち合い」である。銀行による事業会社の株保有は「政策保有」と言われ、融資先を確保するための人質のような役割を果たした。融資先として抑え込むことが目的である。

 こうして株価や配当など本来の株主価値には興味のない「物言わぬ株主」が、主要上場企業の大株主上位を占めるようになった。

 社長を牽制する立場の株主は「持ち合い」によって無力化された。これによって、本来、株主に雇われており、結果が出せなければいつ首を切られても文句を言えないサラリーマン社長は「所有」と「経営」を併せ持つ、創業者に近い、絶対的な権力を手に入れることになった。

 多少の期間、赤字が続いたり、無配当が続いたりしたとしても、それを理由に辞任させられることはない。取締役会のマイノリティーに過ぎない社外取締役が、経営方針に異を唱えたとしても、「ご意見は賜りました」と聞き流せば良い。

 社内の取締役は皆自分の部下であり、誰を引き上げるかは自分の胸先三寸。人事権を握られた取締役は社長に服従する。

 後継者は子飼いの取締役の中から選ばれる。社長が後任者を選ぶ時に優先される条件は、権力を握った時に自分を刺さない人間を選ぶことである。現状に危機感を抱いていたり、改革の意志を持っていたりする人物は自ずと候補から外される。社長交代の記者会見が判で押したように同じ中身になるのはこのためだ。

 前任者の時代に始めた赤字事業を切ることも、前任者が建てた工場を閉めることも、前任者が買収したオンボロ企業を減損処理することもできないまま、いたずらに時間が流れ、すべての問題は先送りされる。

 その繰り返しは長い年月をかけて巨大組織を劣化させ、溜まりに溜まった歪みが一気に噴き出したのが東芝であり、三菱自動車でありシャープである。

組織論を再検討せよ
 会社という組織が最も効率良く動くのは創業者が自ら指揮を執る時期である。日本でも孫正義社長が先頭に立って大型買収を繰り返すソフトバンク、柳井正会長兼社長がグローバル化を進めるファーストリテイリング、永守重信会長兼社長が率いる日本電産などには、サラリーマン社長が率いる大企業にはない「熱狂」があり、社員が自分の潜在能力を十二分に発揮している。こうした勢いのある組織にはコンプライアンスやガバナンスの精緻な仕組みは必要ない。「成長」が七難を隠すからだ。

 問題は創業者なき後の組織である。熱源を失った組織は冷めていき、成長が止まると小人閑居して悪事をなす。つまらぬ派閥争いや己の栄達のために不正を働く者が出てくる。このステージで必要になるのが、米欧で生まれた性悪説に基づく組織論である。お互いを信頼し合う性善説で生きてきた日本人は、まだ性悪説から生まれた「株式会社」に慣れていない。しかし国が豊かになる中で日本人も変質し、信頼できる人ばかりではなくなった。相次ぐ不祥事がそれを証明している。グローバル化で多種多様な価値観を持った人々が組織の中に入ってきたので、「阿吽の呼吸」も成り立たない。

「株式会社」という仕組みに本来備わっていた性悪説の部分を、日本人は株式の持ち合いや疑似創業者のサラリーマン社長で骨抜きにしてきた。だが「なんちゃって株式会社」ではグローバル競争に勝てないことが分かってきた。米欧流の性悪説に帰依するか、それとも世界に通用する新しい「日本的会社組織」を生み出すのか。道は二つに一つである。

おおにし やすゆき 1965年生まれ。1988年早稲田大学法学部卒業後、日本経済新聞社入社。コンピューター、鉄鋼、自動車、商社、電機、ITなどを担当。2016年からフリーに。著書に『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(日経BP社)など。

1709とはずがたり:2016/08/30(火) 14:53:15
興味深い文章だ。
日本の米農家のせいで我々が高い米食わされて貧乏に=沢山働く必要に迫られて,ゐるのは腹立たしいが,皆がブログや原稿料やyoutubeで喰っていける能力を持っている訳では無い所が問題だ。
ゆとりのお陰で水泳選手がメダルラッシュできた可能性http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1149084564/1946-1949でも同じように興味深いけど全員が能力持っているとしても全員が社会的に,市場経済的に,金銭的に高評価得られる能力を持っているわけじゃあないよねって所に行き着く訳だ。

もっと短い労働時間で暮らせるはずなのに… 「邪魔」をしている正体とは
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/07/17210678.html
2014/7/17 11:52

最近、働き方の話で注目をあつめた記事があった。

「グーグル創業者が語る働き方の未来 『もう必死に働かなくて良いんじゃない?』」(キャリコネ、2014年7月11日)
というもので、グーグル創業者のラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏へのロングインタビューを紹介した内容だ。いままで、ベンチャー創業者は「必死に働け」とは言っていたとおもうが、「必死に働かなくて良い」と喋るのは珍しい。

今後ますます機会化が進み、今ある仕事の半分以上が機械にとってかわられる未来について、ラリー・ペイジ氏は、

「我々が幸せになるために必要な資源は、実はかなり少ない。今の1%以下じゃないかと思うくらいだよ。多くの不必要な活動が、忙しさや環境破壊の元凶になっている」
と語っている。

先進国の世の中はすでに豊かだ

もうひとつ、「ザ・ノンフィクション お金がなくても楽しく暮らす方法」は、ニートのphaさんらの暮らしを追ったドキュメンタリー(フジテレビ系、7月13日放送)だ。phaさんは、原稿料や広告料、たまのバイトなどの収入で、和歌山県の山奥に安く物件を手に入れ改造してみんなと暮らしているというものだ。見た目には働いていない。

この手の話には、3つのポイントがあるとおもう。整理したい。

ひとつは、先進国の世の中はすでに豊かだということだ。物質的な豊かさで満ち溢れ、衣食住などの基本的なニーズは満たされている。

食料生産は、大規模農業や機械化などのイノベーションにより、非常にコストが安くなった。衣服もそうだし、テレビや冷蔵庫やパソコンといった基本的な工業製品についても、安価な値段で、手に入るようになった。

コメや、テレビや冷蔵庫を得るためには、実際は大した金額は掛からないはずだ。例えば、日本人が年間に食べるコメの量は約一俵(60キロ)といわれるが、これを仮に関税ゼロでベトナムから買えばわずかに2200円程度である。他にもサムスン製の薄型テレビが3万円台で買える。ニートのphaさんの熊野の家は、月の家賃が5000円だという。

これだけ安いものが手に入るのに、なぜ人々は、いつまでも朝から晩まで働かなくてはいけないのだろうか。私の意見では、人は、すでに十分短い労働時間で暮らせるのに、誰かのレント(特権的利益)のために働かざる得なくなっているということだ。つまり、コメの関税は800%近いが、このために追加の労働をしなくてはいけなくなっているわけだ。

1710とはずがたり:2016/08/30(火) 14:53:30
>>1709-1710
2つめのポイントは、多くの人が、もう必死に働かなくて良いんじゃないということは、「所得水準が低下してもよしとすることだ」と錯覚している。経済が低迷してもよい、むしろ経済が低迷すればするほど、必死に働かなくてすむ世界に近づくと錯覚している。典型的なヒューリスティック・バイアスだ。

所得水準が低下すれば、石油などの輸入材は世界中でほぼ同じ価格だから、より多くの労働をしないと、石油が得られないことになる。これは、「必死に働かなくていい」とは真逆の方向だ。

労働からの開放

3つめのポイントは、労働からの開放だ。

これがまさに、グーグル創業者や、ニートのphaさんがやっていることだ。生産性が高く、短時間にお金を稼げるひとは、食料や白物家電を買うのにさほど働かなくてすむ。

phaさんはブログや原稿料で食べているというが、彼がそれに朝から晩までつきっきりなわけではなく、せいぜい1週間に数時間を使っているだけだろう。

仮に週4時間(月16時間)を使っていて、彼の収入が月8万円だとすると、フルタイム(1日8時間×20日程度、160時間)で働いたら単純計算で月80万円ということになる。

つまり、彼の所得水準は高い。高付加価値な仕事をしているのである。所得水準が高いからこそ、わずかな時間に仕事をするだけで、安くなった生活費をまかなえるだけの収入が手に入ってしまう。しかも、ブログや原稿は好きで書いているのだから、「労働」という感覚はないのかもしれない。

google創業者も、人間は高付加価値な仕事だけをすればよいと言っている。低付加価値な仕事は、機械が代替してくれる。

「仕事がないなら仕事をする必要はない。アートやエンターテイメントを楽しみ、生み出すことがこれからさらに重要になるのではないか」
まとめると、

・レントを排除し、衣食住が安く手に入るようにする
・高付加価値な仕事をし、所得水準を高め、短時間で衣食住を満たすお金が手に入る状況にする
・労働ではなく好きなことで稼ぐ。
働かないでもいい未来のためには、この3点が必要だ。(大石哲之)

大石哲之(おおいし・てつゆき)
作家、コンサルタント。1975年東京生まれ、慶応大学卒業後、アクセンチュアを経てネットベンチャーの創業後、現職。株式会社ティンバーラインパートナーズ代表取締役、日本デジタルマネー協会理事、ほか複数の事業に関わる。作家として「コンサル一年目に学ぶこと」「ノマド化する時代」など、著書多数。ビジネス基礎分野のほか、グローバル化と個人の関係や、デジタルマネーと社会改革などの分野で論説を書いている。ベトナム在住。ブログ「大石哲之のノマド研究所」。ツイッター @tyk97

1711とはずがたり:2016/08/31(水) 16:10:45
高校数学の美しい物語
〜定期試験から数学オリンピックまで800記事〜
対数正規分布の例と平均,分散
http://mathtrain.jp/lognormal
ガウス積分の公式の2通りの証明
http://mathtrain.jp/gauss

バイオインフォマティクス入門
http://bio-info.biz/statistics/distribution_log-normal_distribution.html

アクチュアリー試験数学の研究
http://d.hatena.ne.jp/actuary_math/20081211

1713とはずがたり:2016/09/04(日) 20:52:22
>>1712-1713
 誰も生まれつき医者や弁護士やゴルファーや大工だったわけではない。私たちは仕事上のスキルだけでなく、自分の仕事や職場やさらには組織の価値観や文化も吸収する。だから好みや価値観も仕事を通じて形成されると言えるだろう。社会心理学では、態度は行動に従うという原理がある。医者になって長く働いたら、医者として毎日やらねばならないことが好きになるだろうし、多くの面で医者としての役割をよく果たせるようになる。
(137ページ 第3章 自分らしさ――「本物のリーダー」への過信と誤解)

 「リーダーというものは、ひたすら組織を成功に導くために、また組織で成功するために必要な行動をとらなければならない」と著者は述べます。つまり、地位が上がれば上がるほど、個人的な信条や好みに基づいて行動する自由はなくなります。同時に、自分の仕事から学び適応するプロセスは止まることはありません。「真の自分」にこだわる必要も、就職や昇進を機に変わってしまった人を嘆く必要もないでしょう。それでは、こうした変化も含め、リーダーに納得いかない場合はどうすれば良いでしょうか。

 リーダーがのべつ悪しきふるまいをするようであれば、とりわけ自己利益の追求にかまけるようであれば、部下はどうすべきだろうか。それに、たとえ誠実でよきリーダーであっても退任することがあるし、経済状況が変われば方針を変えざるを得ないこともあり、いつまでも頼りになるわけではない。となれば、どうすべきか。私の答は、こうだ。会社が何十年も前からやってきたこと、アダム・スミスの時代以来経済の基本原則とされていることをやりなさい。それはつまり、自分のことは自分で気をつけ、自分の利益は自分で守ることである。
(256ページ 第7章 自分の身は自分で守れ)

 「自分の努力と勤勉は必ず認められ、評価され、報われると期待している人は、そろそろ自分で自分をだますのをやめなければならない」と著者は警告します。もし、いま互いに助け合う職場環境や部下思いのリーダーに恵まれているのであれば、存分にその貴重な瞬間を謳歌しつつも、「世界は往々にして公正ではない」ことをわきまえる必要があるようです。厳しい言葉にも聞こえますが、新しいサービスや技術が次々と出てくる激動の時代には、会社と共倒れをしないためにも、このことを頭に留めておく必要があるのかもしれません。

 最後に著者は、働く環境やリーダーの行動を変えるために「ときには悪いこともしなければならない、と知る」などの実践的な6つのヒントを示します。現在語られている多くのリーダーシップ論と実際のリーダーの行動のズレを認識し、安易な「リーダーシップ商売」にのせられない知恵が身につく一冊です。

 ◆編集者からのひとこと 堀川みどり
 著者は組織行動論を専門とし、スタンフォード大学ビジネススクールに長く勤める著名教授。『悪いヤツほど出世する』とはそれらしくないタイトルだと思われるかもしれませんが、原題も”Leadership BS (Bullshit)”と、なかなか過激です。フェファー教授のメッセージは、もちろん「悪いヤツになって出世せよ」ということではなく、リーダーは誠実で立派な良識人であるはずだという神話を捨て、「現実を見よ」「自分の身は自分で守れ」ということ。他人や周りの環境任せにするのではなく、自分のキャリアに自分自身で責任を持て、というのは、出世にかかわらずとも、大切な教えであるように思います。
 氏の担当講座はスタンフォードでも大人気とのこと。村井章子さんの、明瞭でテンポ良く読みやすい訳文とともに、お楽しみいただけると嬉しいです。
(雨宮百子)

1714とはずがたり:2016/09/06(火) 20:23:33

安倍政権にスルーされて「不満」を漏らす経済学者たちの自業自得
その前にやることがあるのでは?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49624
ドクターZ

安倍政権に不満を漏らす経済学者たち

一部の経済学者のなかで、安倍政権への「不満」が爆発していると日本経済新聞(8月18日付)が報じて、霞が関で話題になっている。

安倍政権は「一億総活躍国民会議」や「経済財政諮問会議」など、経済政策にかかわる様々な会議を立ち上げており、積極的に経済学者をそのメンバーに登用。

そのなかで、学者たちは政策決定に積極的に関与しようとしているのだが、なかなか政権に意見を聞き入れてもらえず、「有権者の受け狙いで、政策に一貫性がない」と無力感を露にしているというのだ。

いまどうして政権と学者たちの間でこうした「いさかい」が起きているのか。そこには学者たちの「焦り」が見える。

順を追って説明すれば、まず、「政権」とは政治家と各省庁の官僚から成り立っているものである。

政策決定については、経済案件を含むほとんどの政策について官僚が原案を用意、それを政治家が追認するという形で進行してきた。これは安倍政権に限らず、これまでのあらゆる政権で同じようなプロセスを経てきた。

「世論対策」のための「お墨付き」

官僚たちがその政策決定プロセスにおいて最も重視するのは、政策ロジックの高邁さではなく、いかに世論に受け入れてもらって、実行に移せるかどうか。

せっかく作った政策が世論の反発を受けて、「途中で頓挫」となることだけは絶対に避けたい。そこで利用されてきたのが、「学者たち」なのである。

どういうことかといえば、官僚は政策決定の過程で、政策の是非について議論する審議会などを設置。このメンバーに学者を多く登用することで、役所が作った法案に「お墨付き」を与えてもらい、「世論対策」のために使ってきたわけだ。

官僚が密室で政策を作ったのではなく、あくまで優秀な学者たちと一緒に作った政策であるという「言い訳」にもなる。

こうした政権と蜜月関係の学者は、「御用学者」と呼ばれ、前述した通り、彼らの「意見」が政策形成に大きな影響を与えているかというと、そうではない。官僚たちは、彼らの意見には「馬耳東風」で、あくまで「利用」してきたに過ぎないからだ。

「実力本位」でやっていける学者がどれだけいる?

では、なぜいまになって、そんな学者たちの不満が噴出してきているのだろうか。

実は最近の安倍政権は、重要な経済案件に関して、官僚主導の政策形成を廃し、トップダウンで判断を下すようになっている。

きっかけは'14年に実行した5%から8%への消費税増税。この増税決定の過程では、安倍政権は財務省とその御用学者が言う「増税しても景気は悪くならない」という意見を鵜呑みにしてしまい、結果として日本経済を大失速させてしまうという失敗を犯してしまった。

以降、安倍政権は官僚や御用学者を見限り、むしろ海外の高名な経済学者から広く意見を募り、その指摘を政策形成に取り込む形に変更しているわけだ。

つまり、学者たちがいま反発しているのは、自分たちがこれまでのように政策決定プロセスに参加できなくなってきているからである。

しかし、彼らが信用されないのは、役所の意見を代弁しているだけに過ぎないからだ。政権に不満を言うのならば、まずは自ら国民本位の政策を考えたらいい。「実力本位」でやっていける学者が日本にどれだけいるかは疑問だが。

『週刊現代』2016年9月10日号より

1715とはずがたり:2016/09/07(水) 00:16:03
嘗ての植民地に代わってITだのグローバリゼーションだの造ってなんとか成長してきたのが現代経済であろう。
もう成長出来ないという事実誤認が痛いけどマル経という立脚点から仕方が無いか。成長の源泉が見付かるかどうか確かに判らないけど,諦めるよりは頑張った方が健全であろう。勿論降りたい人は降りれる様にするべきだけど。

アベノミクスを聞く
[2]水野和夫埼玉大大学院客員教授 3本の矢は語るに値しない/先進国は成長できない構造にある/マルクスを再評価
http://webronza.asahi.com/business/articles/2013013100001.html
大鹿靖明

 シリーズ「アベノミクスを聞く」、第2回目は、民主党の仙谷由人元政調会長代行の経済政策ブレーンという関係も手伝って、そのマクロ経済分析が買われて民主党政権で内閣府官房審議官を務めたエコノミスト水野和夫さんに聞いた。世界史的な視点や文明論に根ざした経済分析は、近視眼的なエコノミストたちとは一線を画す独自性があることで知られる。(インタビューは1月24日)

――安倍さんの唱えている「3本の矢」のご評価はいかがですか?

 語るに値しないですね。その3つとも繰り返してやってきて成果がなかった政策ではないですか。それをまた持ち出してきてもね。

1992年から積極財政を展開してきましたし、95年からは公定歩合ゼロにし、その後には量的緩和をしました。成長戦略も、これは菅(直人)元首相の言葉ですが、「成長戦略は十数本つくったが全部失敗している」とおっしゃられましたが、その通りでしょう。その3本を一緒にして、どうなるというのですか。

 ――しかし、個々の政策の持つ問題点はあるとはいえ、経済成長はやはり必要なのではないでしょうか。

 うーん、そこが違っていてですね。要するに私は、先進国はもう経済成長できない構造にあると思っているんです。覇権国がオランダ、英国、米国へと移っていくうちは、覇権国が植民地を取り込むことで経済成長ができてきました。英国はインドを取り込み、やがて新大陸・アメリカを発見しました。アメリカもアジアや中南米を支配下においていました。

 そうした構造が崩れたのはベトナム戦争のころで、さらにイランのイスラム革命が追い打ちをかけて、1980年代以降は、それまでの先進国が新興国を取り込んで成長するという構造が成り立たなくなってきた。

 先進国と新興国の力関係が変わり、先進国の企業が新興国に進出して、そこで超過利潤をあげることができなくなった。海外生産によって新興国にどんどん技術移転するようになったし、新興国で上げた利潤は新興国で再投資に回されるようになり、先進国には戻ってこない。日本もこの十数年間のうちにこういう構造に陥ったというのが実態です。

 先進国が、それまでのような成長できなくなったときに起きたのが、グローバリゼーションです。従来の投資と消費と輸出だけでは成長できなくなったので、ルービン財務長官時代の95年ごろから金融のグローバリゼーション化が進んでいきます。いわゆる「実物投資空間」が消滅して「電子・金融空間」で利潤を最大化しようとしたのが、この十数年でした。世界中からマネーをウォール街に集め、投資銀行ビジネスが急成長していきます。これでアメリカは豊かさを維持できたのですが、それがリーマンショックによって破綻した。

 この間のグローバリゼーションの時代というのは、人為的にバブルを発生させているのです。ネットバブル、小泉・竹中改革の構造改革バブル(円安バブル)、それに米国の金融バブル。そういうバブルのときだけ成長しますが、それはバブルに乗っかった成長なので。無理に成長すると、その後のひずみが大きいのですよね。バブルが生成して崩壊するというサイクルを繰り返しています。

――では、いまのアベノミクスの金融緩和は?

 バブルをつくるだけです。

 2002、3年の時のことを思い出してください。為替介入と金融緩和によって1ドル=120円になって、その状態がずっと続くと思ってパナソニックやシャープは「国内回帰だ」と言って巨額投資して工場をつくってしまった。そういう錯覚を経営者にもたらしてはいけない。

 しかも、 ・・・

1716とはずがたり:2016/09/11(日) 19:52:52
昔,ワークショップで報告聞いてなんか一個一寸強い仮定置いてるけど物凄い分析だなぁと思った記憶があるけど結局何所にも載らなかったのかな!?DPしか見付からん。。

A Global Dynamics of Financial Integration under Capital Market Imperfection
Masaya Sakuragawa and Hiroto Takahashi
http://econpapers.repec.org/paper/keidpaper/2009-003.htm

1717とはずがたり:2016/09/21(水) 23:16:33

>ケインズ経済学が中心の日本の経済学者
いや,もう吉川さんぐらいしかいないしww
何言ってんだこいつはw

でも事実は興味深い。ただ好景気のデフレが多いというよりは悪性のインフレの抑制に成功すると景気が長持ちすると云ふのが実体ちゃうかなぁ。

デフレになると、本当に不況が来るのか
「絶対インフレが良い」というのは間違い
http://toyokeizai.net/articles/-/65656
中原 圭介 :経営コンサルタント、経済アナリスト 2015年04月08日

なぜアベノミクスの考え方は間違っているのか。筆者によれば、そもそもインフレにする必要がないのに、無理矢理インフレを目指しているからだ(日本雑誌協会代表撮影)

アベノミクスのインフレ目標政策は、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン教授やジョセフ・スティグリッツ教授やジェフリー・サックス教授ら、アメリカの高名な経済学者には非常に高く評価されています。

そもそもインフレを目指す必要はない

その一方で、ケインズ経済学が中心の日本の経済学者には、あまり評判は良くないようです。

彼らの批判論の最大のポイントは、現在のように名目金利がこれ以上下がりようのない状況では、「貨幣数量説」は効果を発揮しないという点です。「異次元の金融緩和には、人々の期待インフレ率を高めたり、需要を刺激したりする効果はない」というのです。


私もアベノミクスには批判的です。ただし、私の批判のポイントは、一般の経済学者とは少し異なります。

私はそもそも「インフレなど目指す必要はない」と考えています。なぜなら、インフレであるかデフレであるかは、歴史的に見て経済の好不況と関係がないからです。

「そんなやり方ではデフレを克服することはできない」という視点からアベノミクスを批判する人はそれなりにいますが、「別にデフレでかまわない」「むしろデフレの方が、格差が広がらなくてよい」などと言っているのは、きわめて少数派ではないでしょうか。

私がそうした見方をできるのは、大学で経済学ではなく歴史学を学んできたためだろうと思います。

世界経済を歴史的観点から眺めていくと、インフレで不況のときもあれば、デフレで好況のときもあったということがわかります。実際に、ある貴重な研究論文において、デフレ期の9割で経済は成長しており、不況期の7割はデフレではなくインフレであったという、れっきとした事実が証明されているからです。

つまり、経済のデータを恣意的な加工をせずにありのままに概観すると、「デフレと不況の関連性は全くない」「デフレであっても経済が順調なときの方がはるかに多い」ということが判明してしまうのです。アメリカの「主流派経済学」の理論は横に置いておいて、歴史的事実としてそうなっているわけです。

デフレと不況の「意外」な関係

これについては私だけではなく、ミネアポリス連邦準備銀行のアンドリュー・アトキンソン氏とパトリック・J・キホー氏の2人のエコノミストが2004年1月に発表した論文「デフレと不況は実証的に関連するのか?」(とは註→ http://www.nber.org/papers/w10268 )の中でも明らかにされています。

1718とはずがたり:2016/09/21(水) 23:16:51

彼ら2人は過去100年間の世界各国のデータを集め、デフレの時期、インフレの時期、好況の時期、不況の時期の4つの事象に分けてプロットしました。そして「デフレと不況がはっきり関連しているのは、1929年に始まるアメリカの大恐慌の時期だけである」という結論に達しています。

まずは、1929年から1934年までの世界大恐慌時における主要16カ国のインフレ率と実質経済成長率をプロットした図をごらんください。

この図では、世界大恐慌時に16カ国すべてでデフレを経験したものの、そのうち8カ国が「デフレ」と「不況」を同時に経験し、残りの8カ国はデフレだけを経験したことを示しています。そして、16カ国中で成長率がいちばん悪かったのがアメリカでした。
>>1717-1718
前FRB議長であったベン・バーナンキ氏は、大恐慌の研究で知られています。おそらく彼の脳裏にはこのときのアメリカだけを見て、「デフレ=マイナス成長」という相関関係が刷り込まれてしまったのでしょう。

これに対して、アトキンソン氏とキホー氏は、世界大恐慌時に続いて、1820年?2000年の非常に長い期間についても、主要17カ国の5年ごとの平均の実質経済成長率とインフレ率を調査し、別図のようにプロットしました。

大恐慌の時期の5年を除くと、合計595例(17カ国×36期間-恐慌時17例)ということになります。

そのうちデフレの事例は73例。しかしそのとき、同時にマイナス成長でもあった「デフレで不況」という事例は8例しかありませんでした。

むしろ、「デフレだが好況」という事例が65例もあり、デフレの事例全体の89%で経済はプラス成長をしていたのです。

このことだけから見ても、「デフレであると、経済が成長できない」などという考え方は、単なる思い込みにすぎないことがわかるでしょう。

その一方で、インフレの522例のうち、501例がプラス成長となり、マイナス成長だったのは21例(「デフレでないが不況」の部分)しかありませんでした。こちらも全体の96%はプラス成長となっています。デフレ時よりプラス成長の割合は高いですが、インフレであってもマイナス成長の時期は確実に存在することがわかります。

また、全体で不況の事例は29例ありましたが、そのうちインフレであったのが21例の72%、デフレであったのが8例の28%を占めています。要するに、物価上昇率と不況との間には明確な関連性を云々できるほどのつながりはないのです。

主流派によって、画期的な論文は黙殺された

アトキンソン氏とキホー氏は、この論文を次のように結論付けています。

「われわれの提示したデータをみると、デフレと不況のあいだには強い関連性がないことがわかる。歴史を振り返ってみても、不況があるデフレの期間よりも成長があるデフレの期間のほうが多く、デフレがある不況よりもインフレがある不況のほうが多いことがわかる。総じて、デフレと不況とのあいだに関連がないことをデータは示している。

この研究では、デフレと経済成長の未加工データから読み取れる関係性の特徴を示している。未加工のデータとは、金融制度の様式やデフレ予想の程度など、何も手を加えていない生のデータだ。おそらく、デフレと不況の関連性は過度の動機づけをもとに加工されているデータによって歪曲されているのだろう。

この論文で明らかにしたのは、そのようなデータの加工をなくさなければ、データは明らかな関係を示さないということだ。デフレと不況の関連性が強いと主張する人びとにとって、こうしてハードルは上がっている」

しかし、この歴史的な事実を解き明かした論文はその後、クルーグマン氏やバーナンキ氏をはじめとするアメリカ経済学の主流派によって黙殺されてしまい、表に出ることはほとんどありませんでした。洋の東西を問わず、時代の今昔を問わず、学問で権威ある人々にとって都合の悪いデータは存在しなかったことにされる傾向が強いようです。

1719とはずがたり:2016/10/02(日) 02:52:43
カルテル処分企業、取り消し求め地裁に提訴 法改正後初
http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/376/050d7a98ce38ab833c4d99a65b8907db.html
(朝日新聞) 10月01日 09:07

 電子部品の国内販売をめぐってカルテルを結んでいたとして、公正取引委員会から計約47億円の課徴金納付命令を受けたニチコン(京都市)とルビコン(長野県伊那市)が、処分の取り消しを求めて東京地裁に提訴したことがわかった。

 関係者によると、処分を受けた企業側が公取委自体に不服を申し立てる「審判制度」が2015年に廃止され、裁判所に直接訴えられるよう独占禁止法が改正されて以降、初めてのケースという。

1720とはずがたり:2016/10/10(月) 21:13:49
ノーベル経済学賞に米大学の2教授 ハート、ホルムストローム両氏 「契約理論」を確立
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/sankei-lif1610100034.html
19:24産経新聞

 【ロンドン=岡部伸】スウェーデン王立科学アカデミーは10日、2016年のノーベル経済学賞を、企業が従業員や株主などと契約を結ぶ際の合理的な理論とされる「契約理論」を考案した英国出身のオリバー・ハート・米ハーバード大教授(68)と、フィンランド出身のベント・ホルムストローム・米マサチューセッツ工科大教授(67)に授与すると発表した。

 ハート氏は「契約理論」の基礎を考案。ホルムストローム氏は経営者と株主などが情報を共有していることが重要であることを証明し、その理論は、社会で幅広く応用された。

 アカデミーは、授賞理由について、「『契約理論』は、会社の経営から法律まで契約を結ぶ当事者間で潜在的にわなに陥りがちな多くの分野に影響を与えた」とした上で、「民間市場や公共政策でいかに契約すべきか、新たな考え方を提示した」としている。

 ハート氏は、ロンドン生まれ。英ケンブリッジ大学・キングスカレッジを卒業。プリンストン大学で博士号を取り、現在、ハーバード大学で法学と経済学の教鞭(きょうべん)を執る。

 ホルムストローム氏は、ヘルシンキ生まれ。ヘルシンキ大学を卒業後、スタンフォード大学で博士号を取得。マサチューセッツ工科大で経済学を教えている。

 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金800万クローナ(約9500万円)が贈られる。

1721とはずがたり:2016/10/13(木) 20:27:24
そのうち取って欲しいなぁ。。

ノーベル経済学賞 日本人は米プリンストン大・清滝信宏教授が有力
http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/161002/ecn16100219230006-n1.html?obtp_src=www.iza.ne.jp
2016.10.2 19:23

 ノーベル経済学賞は、近年の傾向通り、個人や企業の「最適化行動(制約下で最も合理的な行動を取ろうとすること)」をベースに経済を分析する米国主流派の流れをくむ経済学者の受賞が有力とみられる。もっとも、最近は分野の細分化が進み、正確な受賞者予想は難しくなっている。

 日本人で最も有力視されるのは、やはり主流派の考え方を基礎に議論を展開している米プリンストン大の清滝信宏教授だ。最近、経済学賞の候補として必ず名前が挙がる“常連”となっている。

1722名無しさん:2016/10/15(土) 17:31:10
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161011/k10010726021000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_071
経団連の政策評価「国民の痛み伴う改革を」
10月11日 20時13分
経団連は、企業が政治献金を行う際の参考になる政党の政策評価を公表し、与党についてはデフレ脱却に向けた経済政策を高く評価する一方、今後は、社会保障制度の改革など、国民の痛みを伴う改革に取り組む必要があると指摘しました。
経団連が11日発表した政党の政策評価によりますと、与党の自民・公明両党については、GDP=国内総生産600兆円を目指す成長戦略や、事業規模で28兆円を超える新たな経済対策など、デフレ脱却に向けた経済政策について、去年と同じく、「高く評価できる」としています。

今後の課題としては、2019年10月に消費税率を確実に引き上げるほか、医療や介護などの社会保障制度改革や、大胆な規制緩和など、国民の痛みを伴う改革に取り組む必要があると指摘しています。

一方、野党の民進党と日本維新の会については、「実績を評価するのは難しい」として、政策の検証だけにとどめています。

経団連は、月内にこの政策評価を会員企業に示し、自主的な政治献金を呼びかける方針です。経団連の榊原会長は記者会見で、「『政策をカネで買う』と言われるが、そういう意識は全くない。経済界への利益誘導的な政策は1つもなく、社会貢献の一環として重要性があるという立場で政治献金を呼びかけている」と述べました。

1723名無しさん:2016/10/15(土) 17:31:52
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161009/k10010723551000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_111
政府 行政改革推進本部 経済統計見直しへ検討開始
10月9日 4時23分
政府の行政改革推進本部は、今の経済統計が経済の実態を捉えきれていないという指摘があることから、有識者による研究会を設置し、経済統計の見直しに向けた具体的な検討を始めました。
政府が景気の動向を調べたり、経済政策などを立案したりする際に土台となる経済統計をめぐっては、個人消費の動向を調べる家計調査が、急速に拡大するインターネット取引が正確に反映されていないなど、経済の実態を捉えきれていないという指摘があります。
こうした状況を踏まえ、政府の行政改革推進本部は、山本行政改革担当大臣の補佐官に起用した大阪学院大学教授の三輪芳朗氏を座長とする有識者の研究会を設置し、経済統計の見直しに向けた具体的な検討を始めました。
研究会では今後1年ほどかけて、経済統計をまとめる際の調査方法や対象に偏りがないか精査するほか、国や地方の行政機関が保有する膨大なデータを経済統計に生かせないか検討を進めることにしています。

1724名無しさん:2016/10/15(土) 19:58:13
無くなりそうな企業も多い。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00000052-zdn_mkt-bus_all
100年後も生き残ると思う日本企業は? 1位は3年連続であの企業
ITmedia ビジネスオンライン 10月7日(金)13時9分配信

 100年後も生き残ると思う日本企業は?――コンサルティング事業などを展開するリスクモンスターの調査によると、1位は3年連続で「トヨタ自動車」(36.4%)だった。

 次いで、2位が「本田技研工業(ホンダ)」(14.2%)、3位が「東日本旅客鉄道(JR東日本)」(13.5%)、4位が「東海旅客鉄道(JR東海)」(12.4%)、5位が「日清食品」(12.3%)、6位が「日産自動車」(11.6%)、7位が「味の素」(11.0%)――と続く。

 業種別にみると、自動車メーカーが3社(トヨタ、ホンダ、日産)、電機メーカーが4社(パナソニック、日立製作所、ソニー、キヤノン)、飲食料品メーカーが6社(日清食品、味の素、キッコーマン、サントリー、キユーピー、明治)と、製造業がトップ20のうち13社を占めた。

 昨年の前回調査と比較すると、上位4社に変化はなく、「日清食品」(20位→5位)、「味の素」(11位→7位)、「キッコーマン」(18位→9位)――などの9社が順位を上げた。一方、「パナソニック」(5位→8位)、「JR西日本」(8位→9位)、「日立製作所」(7位→12位)――などの6社は順位を下げた。

 4月23〜24日にネットを使って調査し、20〜69歳の男女1000人が回答した。

1725とはずがたり:2016/10/16(日) 19:48:35
【寄稿】中国の「眠れる富」を解き放て
http://jp.wsj.com/articles/SB11248959841534934584204582353231082128886
By DIANA CHOYLEVA
2016 年 10 月 5 日 12:53 JST

 中国政府は成長の軸足を投資から消費に移す取り組みを進めている。しかし本当の意味で経済モデルを変えるには、中国はアジアの2つの隣国の過ちから学び、市場の影響力をさらに高めなければならない。

 日本と韓国ではそれぞれの国の経済活動によって生じた総所得のうち、家計が占める割合は米国と比べてはるかに低い。このような違いが生じるのは賃金の割合が低いからではなく、家計が不動産などの有形資産や金融資産から十分な所得を受け取っていないからだ。日韓が個人消費主導の経済に転換できないのはこのせいで、中国も同じ状況に陥っ...

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1726とはずがたり:2016/10/16(日) 23:00:03

「安倍首相のポチ」榊原経団連会長、経済界で総スカン…政府の要求を次々と安請け合い
Business Journal 10月6日(木)6時3分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161006-00010000-bjournal-soci&pos=1

 安倍晋三首相は有識者会議が大好きだ。だから会議がやたら乱立する。今度は、「規制改革推進会議」を衣替えし、「未来投資会議」と「働き方改革実現会議」を新設した。アベノミクスの構造改革は仕切り直しである。

 安倍政権が進めてきた構造改革で実現したのは2つしかない。ひとつは訪日客対策として、中国、インド、ロシアなどのビザの要件を緩和した。その結果、訪日外国人が急増し、インバウンド消費が盛り上がった。もうひとつは電力システムの改革。今年4月に電力の小売りが完全自由化された。

 鳴り物入りでスタートしたアベノミクスだが、実現したのはこの2つだけで、後は先送りのオンパレードである。

 安倍首相はアベノミクスを再起動させ、取り組みが甘いといわれている構造改革に本腰を入れる。政府は9月12日、成長戦略の司令塔となる規制改革推進会議と未来投資会議を相次いで開いた。

 リニューアルした規制改革推進会議は、農業を当面の重要課題とした。前身の規制改革会議が5月の答申で結論を先送りした生乳の流通改革などは、年内に結論を出す。

 未来投資会議は、既存の産業競争力会議と企業に設備投資などを促す官民対話を廃止して一本化した。また、医療・介護で「公的保険外のサービスの組み合わせが必要」と明記した。混合介護などの拡大によって、関連企業や個人の稼ぐ力を高める。

 一方、働き方改革実現会議は初会合を開き、日本型の雇用慣行にメスを入れたい考えだ。だが、労使の利害が鋭く対立した難題ばかりだ。

 構造改革の手詰まり感が強くなるなか、既得権が岩盤のように固い農業、医療、労働の規制改革に踏み込もうとしているわけだが、看板の書き換え(成果ゼロ)で終わるおそれは否定できない。

●「経団連会長は官邸の言いなり」と酷評

 日本経済団体連合会(経団連)会長で東レ取締役最高顧問の榊原定征氏は、新設された未来投資会議と働き方改革実現会議のメンバーに選ばれた。榊原氏は安倍政権の経済や財政の基本方針である「骨太方針」などを議論する経済財政諮問会議のメンバーでもある。

 榊原氏と安倍首相の蜜月は、つとに有名だ。7月18日の時事通信「首相動静」によると、安倍首相は午前6時46分から午後2時14分まで山梨県河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」にいた。「経団連の御手洗冨士夫名誉会長、榊原定征会長、渡文明前審議員会議長とゴルフ」とある。安倍首相が財界人とゴルフをするときは、このメンバーが多い。

 2014年6月に経団連会長に就任した榊原氏が真っ先に行ったことは、安倍政権との関係修復だった。前会長の米倉弘昌氏(元住友化学会長)は12年11月、政権へ復帰目前の自民党総裁・安倍氏が掲げる三本の矢を「無鉄砲」と批判し、急激に関係が悪化した。この“舌禍”が祟り、経済財政諮問会議のメンバーに米倉氏は選ばれなかった。それまで経団連会長は無条件で加わっていたにもかかわらず、除外されたのだ。

1727とはずがたり:2016/10/16(日) 23:00:23
>>1726-1727
 米倉氏は安倍氏が掲げる目玉政策をこき下ろしたため、手ひどいしっぺ返しを食らったかたちだ。政権に復帰した安倍首相は米倉氏を徹底的に無視した。米倉氏が干されたので、経団連の会員たちは頭を抱えた。官邸とのパイプが切れて、経済界の本音を伝えることができなくなったからだ。

 榊原氏は安倍政権との関係修復という任務を担って経団連会長に就いた。法人税率の引き下げや原子力発電所再稼働など、経済界が望む政策を進める安倍政権を全面的に支持。政治献金を5年ぶりに再開させる方針を打ち出した。

「車の両輪」と発言し、政治と密接な関係を築くことで、官邸と経団連は和解。安倍政権は14年9月、榊原氏を経済財政諮問会議のメンバーに起用した。関係強化の見返りとして経団連は法人税減税などの果実を手にした。

 榊原氏が「安倍政権ベッタリ」と批判を浴びたのは、15年11月26日に開かれた政府と経済界の官民対話の場で、安倍首相の要請を受けて賃上げと設備投資の増額と約束したからだ。榊原氏は「賃上げや設備投資を積極的に行うよう会員企業へ提案する」と表明した。

 一方、経済同友会代表幹事で三菱ケミカルホールディングス会長の小林喜光氏は「(賃上げは)各社各様でいい」、日本商工会議所会頭で新日鐵住金相談役名誉会長の三村明夫氏も「設備投資は企業経営者が個別に考えるもの」と発言している。

「賃上げや設備投資に政治は介入すべきではない」というのは経済界の一致した見方だ。政治の要請で賃上げや設備投資をして経営が悪化しても、政治が尻拭いしてくれるわけではないからだ。それなのに、榊原氏は満額回答をした。安請け合いをする榊原氏に「財界トップとしての資質があるのか」と、疑問を持たれたのも無理はない。

 榊原氏は「政権にすり寄りすぎでではないか」との記者の指摘に対し、「今は未曾有の(経済)危機。経済界が無責任に政治を批判することが、本当に国のためになるのか。言葉を慎んでほしい」と色をなして反論したことがある。

 榊原氏は“国士”のつもりなのだろう。だが、官邸の言いなりになっていることで「安倍首相のポチ」(経団連の元首脳)と口さがないことを言う財界人もいる。

 榊原氏に対する批判は、お膝元の経団連内部から火の手が上がることになる。
(文=編集部)

文=編集部

1728とはずがたり:2016/10/20(木) 11:37:01
シャーロッキャンの大学教授
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA+%E7%A0%94%E7%A9%B6+%E5%A4%A7%E5%AD%A6+%E6%95%99%E6%8E%88&oq=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%80%80%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%80%80%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%80%80%E6%95%99%E6%8E%88&aqs=chrome..69i57.10919j0j7&sourceid=chrome&ie=UTF-8

元先物取引監視委員長、インサイダー疑い 証券監視委が告発へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161020-00000081-san-soci
産経新聞 10月20日(木)7時55分配信

 商品先物市場の取引監視委員会委員長を長く務めた元大学教授の男性(81)=横浜市=が、上場企業の幹部から得た未公表の重要情報を基に、この企業の株を大量に買い付けた疑いがあることが19日、証券市場関係者への取材で分かった。証券取引等監視委員会は、金融商品取引法違反(インサイダー取引)の罪で、元教授を検察当局に刑事告発する方針。元教授は先物取引とリスク管理の専門家で、シャーロック・ホームズの研究家としても知られる。

 証券市場関係者によると、元教授は、知人である上場企業の幹部から、M&A(企業の合併・買収)に関する情報を入手し、公表前に、この企業の株を大量に買い付けた疑いが持たれている。株価はM&Aの公表後、急騰しており、元教授は高値で売り抜け、1千万円以上の不正な利益を上げていたとみられる。

 監視委は、横浜地検に刑事告発する方針で、地検は元教授の立件に向け、捜査を進めているもようだ。元教授はインサイダー取引疑惑について、産経新聞の取材に対し、「プライベートなことは一切お答えしない」と話した。

1729とはずがたり:2016/10/20(木) 13:18:42
税務データを用いた分配側GDPの試算
藤原裕行 小川泰尭
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2016/data/wp16j09.pdf

ビジネス
特集 マイナス成長ではない!日銀行員の問題提起
http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2016_0902.html?utm_int=detail_contents_tokushu_002
9月2日 19時45分

国の経済規模を示す「GDP=国内総生産」。最も重要ともいえる経済指標は、内閣府が推計して発表しています。今、このGDPについて書かれた1本のリポートが物議を醸しています。日銀の行員が書いたこのリポートは独自の手法でGDPを試算。内閣府がマイナスとした成長率を+2.4%と、真っ向から対立する結論をはじき出したのです。日本を代表するエコノミスト集団である内閣府と日銀の間でわき起こった“論争”。なぜ今、このリポートが書かれたのでしょうか。(経済部 市原将樹)

日銀行員のリポートが話題に

日銀の行員が個人の名前で書くリポートは「ワーキングペーパー」と呼ばれています。7月20日に公表されたワーキングペーパーは「税務データを用いた分配側GDPの試算」。いかにも難解そうなタイトルのこのリポートが、政府関係者やエコノミストの間で話題になっています。

日銀の調査統計局に所属する2人の行員が、独自の手法でGDPをはじき出した意欲作。特に関心を集めたのが、消費税率が8%に引き上げられた平成26年度のGDPです。本家本元の内閣府が公表した実質成長率は前の年度に比べて-0.9%。

これに対し、日銀の行員が示した試算は+2.4%。消費増税の影響で個人消費が落ち込み、マイナス成長に陥ったという内閣府、ひいては一般的な共通認識に疑問を投げかける内容となっているのです。

なぜ、正反対とも言える結果になったのでしょうか。

GDPは、国内で生み出された付加価値の総額。計算方法は複雑ですが、内閣府はお金がどこに支出されたかという観点から、「家計調査」や「法人企業統計」などさまざまな統計を駆使してGDPをはじき出しています。

これに対し、日銀のリポートはお金がどう分配されたかという観点から、税収の実績を重視して推計しているのが特徴です。たとえば、住民税の税収などから雇用者の報酬を、法人税収などから企業のもうけにあたる営業余剰を推計するといったぐあい。経済学の大原則に照らせば、支出で見ても分配で見ても数値は一致するはずです。

しかし、結果を比べると「日銀の試算」では平成26年度の名目GDPは519兆円。内閣府の公表値の490兆円に比べて29兆円も大きくなっています。

ここまで数値がかけ離れる要因についてリポートでは、「経済統計に活用される経済センサスの対象企業数が175万社である一方、法人税を申告している企業の数は262万社あり、企業の捕捉漏れがあるのではないか」「消費税の引き上げに伴い、各種統計で本来『消費税込み』で回答してもらうところを、企業側が『消費税抜き』で回答してしまったのではないか」と分析。

「各種の統計調査より税務データはカバー範囲が広く高い精度が期待できる」と、みずからの推計に自信を示しています。

独自の数値 打ち出したワケは

日銀のホームページにひっそりと(?)掲載されていたこのリポートが広く知られるようになったきっかけは7月26日。総務省の統計に関する会合で、日銀の幹部がこの試算を紹介したのです。

ほぼ同じ時刻に開かれていた政府の経済財政諮問会議では、日銀の黒田総裁が、ここ数年のGDPと税収の推移について触れ、「税収はよいが、GDPの推計が予想より下がっているというのは少し違和感がある。経済統計の整備・改善として少し検討していただきたい」と要望しました。まるで示し合わせたかのようなこの動きに、政府関係者などはGDP統計に対する日銀の強い疑念を感じとりました。

振り返ると日銀は、去年11月から物価の指標を独自に算出。ことし5月からは、個人消費の動向を示す「消費活動指数」という指数も発表するなど、独自の数値を次々に打ち出してきました。

その背景には、大規模な金融緩和策を続けていても、狙いどおりに物価が上昇しない状況への焦りがあるとの見方もあります。日銀関係者は「GDPの試算はあくまで個人のリポートであり、公式な見解ではない」としたうえで「よい経済政策を作り上げるために、従来使っていない税のデータを使って試算を行った。その結果として出てくる数字の大小へのこだわりはない」と平静を装っています。

1730とはずがたり:2016/10/20(木) 13:18:52
>>1729-1730
静観?対抗?

日銀から突然、持ちかけられた“論争”を内閣府は、どう受け止めているのでしょうか? 私の取材に対し、GDP統計をまとめる担当者は「内閣府の計算は国際的に確立された方法に則っている一方、日銀の試算は極めて強い仮定を置いている部分もある。経済実態を適切に反映しているとは言い難い年もある」と指摘。

「1つの試みではあるが、統計と研究は異なる。あくまで個人のリポートで、ふだん、公の場に示されることはないのに、なぜ今回は持ち出してきたのか」と話していました。

幹部の中には「こちらが振り回されるほどの試算ではない」と不快感を示す人も。内閣府と日銀、日本を代表する経済分析集団の間に、けん制しあうような微妙な空気を感じました。

コップの中で終わらせるな

では民間のエコノミストは、この“論争”をどう見ているのでしょうか。

ニッセイ基礎研究所の斎藤太郎経済調査室長は次のように評価しています。

「平成26年度のGDPは、たしかに内閣府の数値は低すぎるのではないかという印象があった。ただ、日銀の試算にも疑問のある部分があり、正しいかどうかは判断できない」 「GDPはものすごく複雑な統計で、精度が疑問視されているのは事実。日銀のリポート自体は意欲的で意義はある」
たしかに、“日銀の方法”が重視する税収は、数字が明らかになるのは次の年度になってしまうため、そもそも、四半期ごとのGDPを推計することができないという問題点があります。赤字を翌年度以降に繰り越せるなどの税の仕組みから、企業活動を税だけでは捕捉しきれないといった問題もあります。

一方で、さまざまな経済指標が実態を十分に反映していないのではないかという指摘が相次ぎ、見直しの動きが広がっているのも事実です。経済指標は、その時々の国の政策判断の基礎となるもの。政府も日銀も、より効果的な経済政策や金融政策を目指すことに違いはないはずです。

今回、勃発した“論争”をコップの中の争いに終わらせず、より正確なGDPの算出を目指す前向きなきっかけとなることを期待したいと思います。

経済部
市原 将樹 記者
平成13年入局
徳島局、さいたま局、
札幌局を経て
現在、経済部 日銀担当

1731とはずがたり:2016/10/21(金) 13:18:29
経済統計、調査内容が「手抜きだ」と麻生財務相 報道にも「資料うのみにするな」とクギさす
10:57フジサンケイビジネスアイ
http://news.goo.ne.jp/article/businessi/business/mca161021007.html

 麻生太郎財務相は21日の閣議後会見で、精度が低いと指摘される国内総生産(GDP)はじめ政府の経済統計について、「手抜きだろ」と痛烈に批判した。さらに「役所が出した資料をそのままうのみにしているような財研(記者クラブ)の意味がないって。俺みたいな奴が気がつくのはおかしいんじゃないか」と、記者の取材姿勢にも苦言を呈した。

 麻生氏は「GDPの統計の中に、住宅を建てるものはのる(含む)けれども、住宅リフォームが統計にはのらない。ふざけてませんかね」と指摘。さらに「通販がえらい勢いで色んな形で販売に影響与えていることは間違いないと思うけど、それはのっているのか」と、現状の経済統計の問題点を列挙した。

 その上で、「そういうことに関心もない程度の財研なんだよ。それは情けないと思った方がいいよ」と記者たちに説教した。

 政府の経済統計の精度をめぐっては、昨年秋の経済財政諮問会議で麻生氏が問題を提起していた。

1732名無しさん:2016/10/23(日) 07:26:39
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161021/k10010739471000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_010
首相 経済統計見直しへ基本方針作成を指示
10月21日 20時38分
安倍総理大臣は政府の経済財政諮問会議で、GDP=国内総生産などの経済統計について、経済の実態を十分に捉えきれていないという指摘があることも踏まえて、年内をめどに改善に向けた基本方針を取りまとめるよう石原経済再生担当大臣に指示しました。
GDP=国内総生産などの政府の経済統計をめぐっては、ネット通販で販売される商品の動向が十分に反映されていないなど経済の実態を捉えきれていないとして、内閣府や総務省などが個別に研究会をつくり見直しの検討を進めています。

こうした中、21日総理大臣官邸で開かれた経済財政諮問会議では、安倍総理大臣、石原経済再生担当大臣のほか、経済統計の見直しに向けた研究会を立ち上げた山本行政改革担当大臣らが出席し、見直しに向けた議論が行われました。この中で、民間議員は、時代に合わなくなった経済統計の統廃合を進め、時代に即した統計を新設する必要があるなどとして、統計の見直しなどについて助言を行っている総務省の「統計委員会」の権限を強化することなどを提言しました。

これを受けて、安倍総理大臣は、「より正確で使い勝手のよい統計システムを構築することによって統計への信頼を盤石なものにしていくことが重要だ」と述べ、年内をめどに改善に向けた基本方針を取りまとめるよう石原経済再生担当大臣に指示しました。

1733とはずがたり:2016/10/28(金) 16:10:13
完全雇用で潜在成長率0ってのは非常に恐ろしい話しで成長出来ない=豊かになれないって事である。

2016年 10月 28日 12:24 JST 関連トピックス: トップニュース
コラム:日本政治「安定」の謎=河野龍太郎氏
http://jp.reuters.com/article/column-ryutaro-kono-idJPKCN12Q19E?rpc=135&sp=true
河野龍太郎BNPパリバ証券 経済調査本部長

[東京 27日] - アベノミクス開始以降、日本の平均成長率は年率0.8%にとどまる。2015年以降はわずか0.2%だ。一方、物価動向を見ると、エネルギーを除くコア消費者物価指数(CPI)は15年12月に一時、前年比1.3%まで上昇したものの、今年8月には0.4%まで低下している。安倍政権は2%成長、2%インフレを大々的に掲げていたが、いずれも目標に届いていない。

しかし、安倍首相の支持率は高く、今や先進国では稀と言っていいほどの政治的な安定性を確保している。経済のさえないマクロパフォーマンスと高い政治的な安定性のアンバランスは、海外の人にとって大きな謎である。筆者は先日、ニューヨークを訪問したが、それが投資家からの最も多い質問だった。

今回は、改めて日本経済の潮流を振り返る。そうすることで、安倍首相の高い支持率の背景や日銀が2%インフレの達成を急がなくなった理由が見えてくるからだ。

<完全雇用でも賃金上昇が緩慢な理由>

まず最も重要な点は、低い成長率の下でも、日本では労働需給の改善が続いているということである。その理由はかねて述べている通り、日本の潜在成長率そのものが今やゼロ近傍まで低下していることだ。この結果、わずかなプラスの成長であっても、需給ギャップが改善し、労働需給は逼迫(ひっぱく)する。

現在、失業率は3%程度まで低下しているが、筆者の推計では、日本の構造失業率は3%台半ばであり、14年年初には完全雇用に入っていたと考えられる。今の日本では、働く意思と能力があり、仕事内容を選ばなければ、ほとんどの人が職を見つけることが可能だ。安倍首相の支持率が高いのは当然だろう。

安倍首相も7月の参議院選挙で強調していた通り、現在の有効求人倍率は1990年代初頭のバブル期並みの水準まで上昇している。企業経営者にとって今や最大の問題は、需要不足ではなく、人手不足だ。成長率に触れさえしなければ、アベノミクスのおかげで、需給ギャップ改善が続き、実体経済は好調だと主張できる。

しかし、完全雇用に達しているにもかかわらず、なぜ賃金上昇が緩慢なままなのか。それがニューヨーク滞在中、次に多い質問だった。

これに関しては、いくつか理由がある。1つは、人手不足で正社員の採用が困難になっているため、高齢者や主婦など非正規の採用が増えていることだ。日本の公式な賃金統計はいずれも月給ベースであるが、月間の労働時間が短い労働者が増えているため、集計される月給ベースの平均賃金の伸びに下方圧力がかかりやすい。業界統計で時間給を確認すると、労働需給の逼迫を反映し、13年後半からパート・アルバイトの賃金は上昇率が加速している。

このように指摘すると、労働需給が逼迫すれば、良い人材を集めるため、企業側は好条件を労働者に提示せざるを得ず、その結果、非正規労働の比率は低下するのではないかとの疑問を持つ人は少なくないだろう。数年前までは、筆者もそう思っていた。だが実際には、少子高齢化で人手不足が強まると、短時間しか働くことができない人まで駆り出されることになり、マクロ経済全体で見ると、非正規雇用の比率は増えている。

現実に起こったことは以下のようなことである。12―14年に団塊世代が65歳の引退時期に達した。同時に14年初頭には、日本経済は完全雇用に入った。人手不足によって補充の正社員を見つけることが難しいため、企業は団塊世代に職場に残ることを要請した。すでに60歳になった段階で、嘱託に切り替わっていた人が少なくないが、65歳になった段階では本人の希望もあり労働時間は短縮された。

そのことで発生する労働力不足については、主婦などやはり労働時間の短い雇用によって補われた。この結果、近年、労働者数は増えているものの、総労働投入時間はほとんど増えていない。これは、実質国内総生産(GDP)がほとんど増えていないこととも整合的である。

1734とはずがたり:2016/10/28(金) 16:10:27


<金融グローバリゼーションの弊害>

ただ、こうした状況を勘案しても、完全雇用の割には賃金上昇率はやはり緩慢だが、それはグローバルな現象だと言える。日本と同様、米国も完全雇用にあるが、やはり賃金上昇率は鈍い。それゆえ、インフレ率の上昇も遅れており、利上げは進んでいない。資本市場のプレッシャーによって、業績が改善しても、企業経営者が賃上げを渋っており、金融グローバリゼーションの弊害とも言える。

日本の時間当たり実質賃金を分析すると、2000年代以降、交易条件の悪化と労働分配率の低下が実質賃金の上昇を大きく抑えている。前者は原油価格の高騰によってもたらされたが、後者は金融グローバリゼーションによって、資本市場からの強いプレッシャーが日本企業の経営者にも働くようになり、業績が改善しても、以前のようには賃上げが容易ではなくなっているということだろう。多くの人が感じている通り、世知辛い世の中になっているのかもしれない。

ちなみに、ニューヨークを訪問する直前に、ワシントンで国際通貨基金(IMF)・世界銀行年次総会に参加したが、そこで最も興味深かったのは、かつて新自由主義政策の総本山と見なされていたIMFが新自由主義的政策を強く批判するようになっていたことだ。もちろん、自由貿易の堅持は変わらないが、資本の自由化などの新自由主義的な政策は、所得格差を拡大し、社会を不安定化させ、潜在成長率を低下させると批判していた。

また、近年のIMFの対日審査では、儲かった企業に対し賃上げを要請する安倍政権の所得政策について、極めてポジティブな評価を下している。つまり、賃金やインフレが上昇しないのは、構造的な要因が大きく影響しており、金融政策のみで対応しようとすると、金融仲介機能を損なったり、資産バブルをもたらしたり、弊害が大きいということであるが、それが世界的な共通の理解となってきたのである。

<正社員の賃金上昇は限定的>

日本にはもう1つ、完全雇用に達しても賃金上昇を緩慢にさせる労働市場の特性がある。それは、正規・非正規の二重労働構造だ。残念ながら過去四半世紀の間に、日本の労働市場の新たな特質としてすっかり定着してしまった。終身雇用の待遇を受ける正社員は、労働需給が逼迫しても、職の安定性を求めて高い賃上げを必ずしも要求しない。

17年春闘では、円高による業績悪化や原油安によるインフレ低下を受け、ベアは0.1―0.2%にとどまるとみられる。このため、労働需給の逼迫を反映して上昇するのはもっぱら、非正規雇用の賃金や終身雇用制の色彩が薄い中小企業の従業員の賃金ばかりになると予想される。

労働需給が逼迫しているのなら、正社員が共謀し、高い賃上げ率を要求するのが合理的ではないかと海外の人は思うようだ。しかし、終身雇用の待遇を受けるのは、企業特殊的な人的資本を蓄積している人であり、そのノウハウは他の会社では必ずしも通用しない。このため、彼らは職の安定を求め、会社の存続確率が低下するような選択や、業績悪化で株主や銀行など外部のステークホルダーからの雇用リストラのプレッシャーが高まるような選択を望まない。

16年のベアが15年の0.6%から低下して0.3%になったのは、企業側がベアを渋る以前に、原油安によるインフレ率の低下を背景に実質賃金が改善するため、組合が先に遠慮したためだった。こうした様々な構造的要因が存在するため、完全雇用が続いても、日本の賃金上昇率は緩慢なのである。

また、アグレッシブな金融政策をもってしてもその壁を破ることが難しいと判断したからこそ、9月21日に日銀は政策の枠組みを大きく転換した。2%インフレの達成にはまだまだ距離があり、一方で政策ツールも無限に存在するわけではなく、副作用も目立ってきたため、無理をしてまで2%インフレ達成を急ぐ必要はないと総括したのではないか。

この点について、もう少し掘り下げよう。もともと、需給ギャップの改善だけで2%インフレを早期に達成するのは不可能であることは日銀には分かっていたはずである。そこで、黒田日銀総裁が考えたのは、金融市場の期待に働きかけ、円安に誘導し、インフレ期待を高めることだった。為替市場では比較的簡単にバブルが醸成されやすいことが知られていたため、円安バブルの醸成を狙ったのである。そして、当初はうまくいっていたように見えた。

1735とはずがたり:2016/10/28(金) 16:10:42
>>1233-1235
しかし、大幅な円安にもかかわらず輸出数量が全く増えなかったため、国内生産も増えず、円安による輸入物価の上昇を吸収するほど、家計の所得は十分には増えなかった。賃金上昇が緩慢だったため、円安によるインフレ上昇は家計の実質購買力を損ない、多くの人が1ドル120円を超える円安に強い不満を覚えるようになった。

消費増税が行われた14年度だけでなく、15年度も消費が低迷したのは、増税の悪影響が長引いたからではなく、円安による輸入物価の上昇で食品価格などが上昇を続けたためというのが正しい説明だろう。2%インフレを急いでも、良いことはない。

賃上げ主導のインフレ上昇であれば話は別だが、安倍首相ももはや2%インフレの達成にこだわっていない。むしろ、今後も賃金上昇が緩慢であることを前提にするのなら2%インフレ達成は家計の実質購買力を低下させるだけで、支持率の低下につながる恐れがあるため、望んでいないと思われる。このことも日銀が9月にグラジュアリズム(漸進主義)戦略に回帰した政治的な背景だろう。

<財界人はなぜ安倍政権を突き上げないのか>

さて、安倍政権は2%成長と2%インフレを達成することで、社会保障制度改革や公的債務の膨張などの長期的問題を解決すると言っていたはずであり、その戦略が瓦解したのは明らかである。もし財界人が本当に長期的視点で考えるのなら、安倍首相を突き上げても不思議ではない。しかし、そのような気配は全くのところ感じられない。実は財界人にとってもまた、現状は極めて心地良い状況なのである。

日本の大企業経営者は、マクロ経済環境が良い場合でも悪い場合でも、業績の全ての結果に対し責任を問われる。それゆえ、循環的な景気のダウンサイド・リスクに対して極めて敏感で、完全雇用であっても、先行きが心配であれば直ちに補正予算を編成する安倍政権は極めて頼りになる。

英国民投票での欧州連合(EU)離脱選択(ブレグジット)後、震源地の英国を含め、先進国の中で追加財政を決定したのは日本だけである。歴代政権の中でも、これほど景気循環にきめ細かな配慮を示す政権は存在しなかった。それゆえ、財界からも安倍政権への支持は簡単には揺るがないのだ。

ここで重要な点は、かなり早い段階で(恐らく15年度中に)安倍政権は、金融政策の限界に気が付き、財政政策に軸足を移していたことである。そのことが、日銀の政策枠組みの二転三転にもつながった。景気刺激のための政策はあくまで追加財政で、金融政策の役割は大幅な円高が訪れた際の回避と政府が追加財政を行う際のファイナンスと割り切っていたのである。

多くの国では、潜在成長率の低下によって分配可能な所得は大きく縮小し、高齢化によって膨らむコストの分担問題は暗礁に乗り上げ、政権の支持率は大きく低下している。それに代わって勢力を伸ばしているのが、達成不可能な政策を国民に約束するポピュリスト政治家である。

米国でのトランプ旋風やブレグジットだけではない。大陸欧州では、政権奪取までは行っていないケースでも、極右勢力が今やアジェンダ・セッターとなっている。

2%成長や2%インフレといった非現実な政策を掲げ、日本も同じ運命をたどるのかと思われたが、少子高齢化による人手不足と事実上の日銀ファイナンスによる追加財政によって需給ギャップは改善が続き、高い支持率の下で政治も極めて安定している。

しかし、追加財政の効果の本質は、将来の所得の前倒しである。つまり、将来世代の所得を先食いする形で、足元の政治的な安定性が確保されているということだ。一方で、潜在成長率はゼロ近傍まで低下し、将来の税収で公的債務を解消することはますます難しくなっている。各国と手段が違うだけで、同根と言うべきだろうか。すぐにではないにせよ、いずれ限界は訪れる。

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。

(編集:麻生祐司)

1737とはずがたり:2016/11/02(水) 10:39:37
ネットでマーシャルのkを検索かけたらマーシャルの嬌声がヒットした。なんなんだ!?(;´Д`)

1738とはずがたり:2016/11/02(水) 17:34:39

「人口減」をイノベーションで好機に変えよ
http://news.yahoo.co.jp/feature/410
11月2日(水)14時44分配信

「人口減少」が日本経済を収縮させるという。人が減れば、生産の担い手=労働者も、消費の担い手も減るからだ。また、人口減という未来予測そのものがすでに現在の経済活動を収縮させており、デフレの一因となっているとの見方もある。だが、ここに来て「人口減」を前向きに捉える論調が出始めた。吉川洋・立正大学教授と経済協力開発機構(OECD)の村上由美子・東京センター所長に、人口減のどこにポジティブなポイントがあるのか、語り合ってもらった。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース編集部)

人口減は大きな問題。しかし経済収縮とイコールではない
去る8月中旬発売された、吉川洋氏の『人口と日本経済』と村上由美子氏の『武器としての人口減社会』。2冊の主張には共通項があった。一つが「人口減は恐れることはない」、もう一つが「イノベーションを起こせ」。人口減少と少子高齢化が日本の重い課題と言われてきたことをひっくり返すような主張。2人がそう考えたきっかけから尋ねた。

吉川洋(よしかわ・ひろし)立正大学経済学部教授。1951年生まれ。東京大学経済学部卒業、エール大学大学院博士課程修了(Ph.D)。ニューヨーク州立大学助教授、大阪大学社会経済研究所助教授、東京大学助教授、東京大学大学院教授を経て現職。専攻はマクロ経済学。『マクロ経済学研究』(1984年)、『日本経済とマクロ経済学』(1992年)、『転換期の日本経済』(1999年)、『デフレーション』(2013年)など、著書多数。(撮影: 塩田亮吾)

──「人口減」を前向きに捉える発想はどのように出てきたのですか。

吉川洋(以下、吉川):いや、誤解なきように言っておくと、人口減少自体は間違いなく問題です。同時に高齢化も進行するため、現役世代の社会保障(年金、社会保険)の負担が大きくなる。かつては現役世代が多く高齢者が少なかったので、年金や医療費は、現役世代4人ほどの支出が1人の高齢者を支えていました。それが、2013年には現役世代と高齢者の比率が2.5対1となり、約3人で1人を支える騎馬戦状態になっています。そして、将来は現役世代1人が高齢者1人分を支出しなくてはいけない肩車状態になる。財政問題でもありますし、自治体の運営など人員不足で大変な問題もあります。
しかし、経済成長という観点で言えば、人口減イコール悲観的かというと、そうではない。

──なぜですか。

吉川:そもそも先進国の経済は、人口が多いから伸びたわけではありません。中国やインドなどの国は昔から人口は多かった。しかし、経済を伸ばしたのは先進国です。それは1人あたりの所得が増え、1人あたりのGDPが伸びたから。それこそが先進国たる所以なんですが、それを可能にしたのはイノベーション(技術革新)なんです。その違いは言っておかないと、と思っていたのです。

吉川氏は長年東京大学で教鞭をとり、森、小泉純一郎政権の頃は経済財政諮問会議の民間議員として貢献。2008年からの社会保障国民会議では座長も務めた。
今回の著書では、「多すぎる」「少なすぎる」の両面で人口問題と格闘してきた経済学の歴史を振り返り、「人口が減るから経済成長は無理という議論は正しくない」と述べている。

村上由美子(むらかみ・ゆみこ)経済協力開発機構(OECD)東京センター所長。上智大学外国語学部卒業、スタンフォード大学大学院国際関係学修士課程修了後、国際連合に就職。バルバドス、カンボジア、ニューヨークなどに赴任。国連での任期終了後、ハーバード大学大学院経営学修士課程入学。MBA取得後、ゴールドマン・サックス証券に入社し、ロンドン、ニューヨーク、東京で勤務。クレディ・スイス証券を経て、2013年より現職。

村上由美子(以下、村上):人口減という問題を抱える日本の潜在力に気づいたきっかけは、OECDの統計データでした。長年私は海外の証券会社などで勤務し、日本に関しては外からの視点で見ていたのです。それが3年前、OECD東京センターに勤務することになって、日本で暮らしつつ、OECDのパリ本部から日々送られてくる膨大なデータに触れることになった。そういう中で、何となく肌で感じていただけのことが統計上でも理解できて、『日本ってかなりおもしろい』と感じ始めたんです。

1739とはずがたり:2016/11/02(水) 17:34:55

──どこがおもしろかったのですか。

村上:たとえば教育です。3年前、OECDが成人(16〜65歳)を対象にしたスキルの調査(PIAAC:国際成人力調査)を行いました。調査は読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力の3分野からなり、日本は数的思考力と読解力の2分野で、男女ともダントツで一番でした。ただ、ITを使った問題解決能力だけは、OECD加盟国35カ国のうち調査を行った24カ国の平均にまで下がってしまう。

日本は人材で「宝の持ち腐れ」

村上:この成人力調査では「成人が持っている能力を日頃の仕事や生活で使っているか」も調べており、日本は「使っていない」人の割合が高いという結果が出ています。要は、宝の持ち腐れです。そうしたデータを見ると、「宝」をうまく使えば、日本の経済は化ける可能性を秘めている。国際的に見て、これほど教育レベルが高くて、しかも、職業訓練も行われているのに、その人材がここまで有効に使われていない国は珍しい。その意味で日本は特殊です。

村上氏は1990年代に米ゴールドマン・サックス証券に就職。2013年からOECD東京センター長を務めている。今回の著書では、経済成長に向けて、日本の社会がその「強み」を活かしきれていない点があることを指摘した。その代表的なものが「中高年層」「女性」という人材の活用だ。
これらの人材を活用すれば、人口減であっても大きな経済成長が起こると村上氏は指摘する。特に「女性」は、仕事への意欲も能力も高いにもかかわらず、賃金や昇進の男女格差があり、30代以降「労働参加率(16-65歳の生産年齢人口で働く意思を表明している人の比率)」が低下していく現状がある。

──経済成長できるという指摘ですが、何か試算がありますか。
村上:たとえば女性がもっと働いた場合の推計です。2030年までに男女間の労働参加率の差が50%解消すると、日本のGDPの年平均成長率は1.5%に増加します。解消しない場合は1.0%です。さらに女性の労働参加率が男性並みになれば、GDP成長率は現状維持の場合の約2倍の年平均1.9%になるという試算があります。1.9%の成長率だと、2030年時点のGDPは年率1.0%で成長した場合より約20%高くなります。

「中高年層」についても、数的思考力など日本人の能力の水準の高さは統計に表れているという。高度な基礎教育に加え、現場で丁寧に職業訓練を行ってきた強みだと村上氏は分析する(撮影: 塩田亮吾)
村上:人口減という危機については、5年ほど前くらいまではあまり話題になっていなかったように思います。日本企業が本当に焦りだしたのは、東日本大震災で建設などで大きな内需が起き、直後の円安で輸出企業も需要も増えた後のこと。つまり、深刻な人手不足が出て、人口減少が実感として分かってきたからだと思うんです。
吉川:日本の企業はとにかく退嬰(たいえい)的(消極的の意)なんですよね。せっかくいい技術をもっていても、実際の製品化で活かされない。たとえば昨今人気のお掃除ロボット。一番売れているのはアメリカの商品ですが、基本技術もアイデアも、昔から日本にもあったんです。けれど、ある会社で経営のほうから批判が飛んだと言います。「これ、仏壇にぶつかってロウソクが倒れて火事になったとき責任がとれるのか」。それで商品化を見送った。あるいは、大人用紙おむつ。経営陣の反応は「お前ら、まじめに仕事しろ」。製品化にOKが出たのは、なんと3度目の提案だったそうです。要するに、技術はあるのに、失敗するリスクを恐れて、進まないのが日本企業なんです。

──リスクをとるという点ですが、個別の企業の違いだけでなく、国としての違いもありませんか。

村上:ありますね。わかりやすいのが、2008年のリーマンショック。あの世界的経済危機当時、アメリカでは倒産企業が激増し、失業率が急増しました。一方、バブル崩壊時の日本では“派遣切り”などの失業者も増えましたが、リーマンショックのときのアメリカほどの倒産はなかった。

表現を変えると、アメリカは突然死を受け入れる。でも、日本はモルヒネを打たせて突然死はさせない。社会的な打撃を与えないようにするのが日本なのです。この慣行の違いは、どちらがいい、悪いと単純な判断はできません。ですが、この厳しい経験を経て、アメリカ経済は復活していった。アメリカ式を全部受け入れるのではなく、ハイブリッドでうまく取り入れていくことが、いまの日本経済への刺激になるように思っています。つまりモルヒネが効いている間に、資本や人材の再配分がしやすくなる手立てを打つという。

1740とはずがたり:2016/11/02(水) 17:35:13
吉川:基本的に賛成です。アメリカ式に根こそぎ入れ替えるというやり方がいいとは思えません。労働市場の活性化という意味ではよくても、人間は生身ですからね。在庫を扱うように乱暴にはできません。

村上:雇用されている社員側も、不採算事業や沈滞している部署などに長くいると「これでいいのかな?」と疑問を感じると思いますし、人は本来、自分のもっている能力をできるかぎり活かしたいという気持ちをもっていると思うんです。だとすると、労働市場の流動化率が高いほうが、働く人にとってもよいのではと思います。

吉川:よく日本は雇用の流動性が低いと批判されます。「終身雇用」とか「年功序列」といった日本的労働慣行のイメージが強いからでしょう。しかし、じつは日本でも高度成長期は流動性は高かったんです。流動化率が低かったのは大卒ホワイトサラリーマンだけ。大学進学率が今ほど高くありませんでしたから、ごく一部の人ということです。それ以外の大多数の人たち、たとえばいまクリーニング店を経営している70歳ぐらいの方など、若い頃に7〜8つぐらい仕事を変えた人は珍しくないはずです。重要なことは高度成長期には、転職しやすい、つまり自分の人生を自分の進みたい方向に選びやすい環境があったということです。

──「1つの企業に長く勤めたい」といった人が最近増えていることを示す各種の意識調査が出ています。安定性ばかりが就職の基準になっているように映ります。

吉川:いまの日本はあまり新しい職に移りたいと思えるようなジョブ・オポチュニティ(就業機会)がないのでしょう。よいジョブ・オポチュニティとは、よい給料、高い生産性、活力ある組織ということでしょう。そのベースになるのが、イノベーションだと思います。

シルバー市場こそイノベーションの宝の山

村上:その通りですね。ただ、先生もご存じの通り、そのイノベーションというのが難しいわけですね。それを育む環境なら改良の余地があると思いますが。

吉川:いきなりイノベーションそのものを起こそうとするより、環境を改良していくのが確実かもしれないですね。

村上:日本企業の多くは、トヨタのカイゼンのように小さい改善で品質向上をしていくのが得意でした。しかし、いま求められているのは、アップルのiPhoneやiTunesのような製品やサービス、既存の分野をすべて取り入れて奪ってしまう「破壊的イノベーション」です。それを生み出す奇抜なアイデアを、企業がどう受け入れ、育むか。

吉川:さきほど挙げたロボット掃除機や成人用紙おむつのようなことが起こる会社では難しいですね。

村上:そうです。予測不可能な状況に適したリーダーには、意外と女性的な要素があるのではないかと思います。前で引っ張るのではなく、羊飼いのように後ろからまとめて、方向を示す人。私のビジネススクールの恩師は最近この新しいリーダーシップを研究していますが、共感するところが多いです。必ずしもリーダーがイノベーションを生むわけではないので、経営者はイノベーションを生む環境を促進する。そういう発想の転換が求められるのではないでしょうか。

吉川:もう1つイノベーションで重要なことは、いまの人口減少と直接的な関係がないことです。

──でも、人口の少ない小さな国では社会の活力も低く、イノベーションが起きにくいようなイメージがあるのですが?

吉川:友人の経済学者やエコノミストからも、私が「イノベーション」を連呼することについて、「人口減だというのに、too rosy(バラ色すぎる)」という反応がありました。2044年に1億人を割り、2060年に8000万人を割り込むという推計は、その減少率で考えるとたしかに重い。現在の人口1億2000万人のうちの4000万人、3分の1が失われるのですから。
しかし、8000万人という絶対数で見ると、現在のドイツより少し少ないけれど、フランスやイギリスよりは多い。いまの独英仏あたりと同じぐらいになるだけの話なんです。

ドイツの人口は約8200万人、フランス、イギリスはともに6500万人前後。その他のOECD加盟国では、オランダ1700万人、スウェーデン988万人、フィンランド549万人など

1741とはずがたり:2016/11/02(水) 17:35:52
>>1738-1741
──絶対数はそうでも、人口構成で高齢者が4割近くに増えることに懸念はありませんか。

吉川:そうじゃないんです。そこにこそ市場があり、イノベーションがあるんです。高齢者が増えることで、ビジネスのモデルは大きく変わります。たとえば、いま物流の世界は宅配が生活の中に大きく占めるようになりました。そうした変化が高齢者対策でどんどん起こる。大きなものでは介護ロボットなどから、食事や小売、日用品などの身近な商品・サービスまで、高齢者向けにいまとはまったく違うものに変わるでしょう。

村上:シルバー経済が“大きく化ける”可能性はたしかにあります。高齢者が増える国は、近隣では韓国、中国、欧州でもドイツやイタリアなどたくさんあり、膨大な市場がある。日本が課題先進国として最初に難題に直面しますが、その分、最初に商品やサービスを切り拓くことが可能なのです。関わる分野は、ソフトウェアやビッグデータのような技術から、自動運転車、医療関係など、山ほどあるでしょう。

リスクをとれる環境整備が重要
──そうしたイノベーションを有効に育むのには何が必要だと思われますか。

吉川:今日言うところのイノベーションに関して、20世紀前半の経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、「アニマル・スピリット(野心的意欲)」が起業家に必要な心理と言っています。『坂の上の雲』じゃないけれど、高い志をもち、上を向いて取り組むこと。イノベーションにはそれがなによりも大事だと思います。今日の村上さんのお話で、日本の伸びしろの大きさに何度も頷きましたが、実際に取り組むにはポジティブに行くしかないですね。

村上:日本は社会のシステムをちょっと工夫すれば、イノベーションがたくさん生まれると思います。特許も含め技術力は高く、教育レベルも総じて高く、お金はじゃぶじゃぶある。あとは良質な人、モノ、カネをどう融合させて、新しい付加価値を生み出すか。だとするなら、「失敗したらまずいのではないか」と考えるのではなく、二度でも三度でも失敗していいから、リスクをとって挑戦できる環境整備や意識づくりをすることかなと思います。

人口が減っても、現在の欧州主要国ほどで恐れることもない。むしろ他国にない高い教育レベルの人材をうまく活かせば、日本の経済にはまだまだ伸びしろがある。そこで重要なのはイノベーション。そのイノベーションはむしろシルバー市場に眠っているはずだ──。
2人の見解を乱暴にまとめると、そういうことになるだろうか。だとするなら、経済成長について、前向きに考えるマインドセットこそが大事ということになりそうだ。
9月30日に発表された「労働経済白書」によると、雇用に関して「出来るだけ1つの企業で長く勤めあげることが望ましい」という人が60.7%。「企業にとらわれず、もっと流動的に働けることが望ましい」という人16.6%をはるかに上回った。
人口減少社会を前に必要なのは、まず私たちの気持ちの持ち方を変えることかもしれない。

森健(もり・けん)
1968年東京都生まれ。ジャーナリスト。2012年、『つなみ――被災地の子どもたちの作文集』で大宅壮一ノンフィクション賞、2015年『小倉昌男 祈りと経営』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『反動世代』、『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』、『勤めないという生き方』、『グーグル・アマゾン化する社会』、『人体改造の世紀』など。

1742とはずがたり:2016/11/07(月) 11:31:29
内部留保=現金と云ふやうな安易な報道は減ってきたね。

<内部留保>増え続け377兆円 賃上げ、投資 迫る政府
毎日新聞社 2016年11月6日 09時49分 (2016年11月6日 14時30分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/economy_g/20161106/Mainichi_20161106k0000e020165000c.html

 企業が蓄えたもうけを示す「内部留保」が増え続けている。財務省の法人企業統計によると、2015年度は377兆8689億円と前年度から約23兆円増加し、4年連続で過去最高を更新した。アベノミクス効果をアピールしたい政府は、来年の春闘もにらんで賃上げなどに回すよう迫っているが、企業側は慎重だ。

 内部留保とは次の通りだ。企業は毎年の決算で、製品やサービスの売上高から、人件費や原材料費、借金の利払い費、法人税などを差し引く。残ったお金が1年間のもうけとなる「最終(当期)利益」だ。ここから株主への配当などを支払い、最後に残ったお金が内部留保として毎年積み上げられる。正式な会計用語ではないが、企業の財産や借金の内容を示す貸借対照表(バランスシート)で「利益剰余金」と記載される金額を指す場合が多い。

 15年度の法人企業統計は約276万社(金融・保険業を除く)の利益剰余金を算出した。内訳は製造業が131兆8841億円、非製造業が245兆9848億円。企業規模を示す資本金別では、10億円以上の約5000社で約182兆円とほぼ半分を占める。

 ◇景気停滞へのいら立ち背景

 積み上がる内部留保に政府は不満を募らせている。石原伸晃経済再生担当相は「経済を成長軌道に乗せるには、内部留保を設備投資や賃金の増加につなげることが重要だが、十分そうなっていない」と主張する。

 背景には景気停滞に対する政府のいら立ちがある。今年4〜6月期の国内総生産(GDP)は、物価変動の影響を除いた実質が前期比0.7%増(年率換算)にとどまった。主因は個人消費と設備投資の低迷だ。

 大企業は今年の春闘で3年連続の賃上げを実現したが、伸び率は鈍化し、4〜6月期の個人消費は0.2%増と低調だった。設備投資は0.1%減に沈んだ。政府は「アベノミクスによる円安効果や法人税減税で企業はもうけを増やしたのに賃上げや投資に回していない」とみている。

 ただ、企業は内部留保をまるごと現金でため込んでいるわけではない。工場建設や海外企業買収などに充てており、内部留保は現金ではなく、工場や株式などに姿を変えた形でも存在する。法人企業統計によると、企業が持つ現金と預金は15年度に約199兆円と内部留保全体の半分強だ。

 内部留保の使い道を正確に把握するのは難しいが、財務省の国際収支統計によると、日本企業が海外企業の買収などに投じた額を示す対外直接投資は15年度に16.8兆円と過去最高に達した。アベノミクスが本格化する前の12年度(9.7兆円)から大幅に増え、もうけを海外への投資に注ぐ姿がうかがえる。

 また、15年度の現金と預金は前年度より約14兆円増えたが、経済界は「企業(全体)の運転資金の1.6カ月分。適正範囲を超えた水準ではない」(経団連の榊原定征会長)と主張している。運転資金とは人件費や原材料費など日々の生産・販売活動を賄うお金。経営環境が急変した場合に備え、いつでも使える現金や預金をある程度手元に置く必要があり、多すぎるわけではないという説明だ。

 だが、政府は納得しておらず、賃上げ圧力を強める方針。安倍晋三首相は「経済界全体に賃上げの動きが広がることを期待する」と述べており、経済界代表も交えた働き方改革実現会議などで迫るとみられる。

 ◇円高に人口減 経済界は慎重

 経済界は大幅な賃上げには消極的だ。最近の円高で企業のもうけが減っているためだ。消費の停滞に関しては「医療など社会保険料の負担増が消費者の節約志向を強めている」とみて、政府に社会保障費の抑制を求めている。また、設備投資については「人口減少が進む日本国内への投資拡大は難しい」との声がある。

 政府内では「内部留保に課税し、企業が賃上げや投資に回さざるをえない仕組みを作るべきだ」(経済官庁幹部)との強硬論もくすぶる。一方、経済界には「政府は民間の経営判断に介入せず、少子化対策の加速や規制緩和の推進など企業が投資しやすくなる環境の整備に徹すべきだ」との意見もあり、せめぎ合いは続きそうだ。【小倉祥徳】

1743とはずがたり:2016/11/09(水) 14:04:19
w

米経済学者のアドバイスがほとんど誤っている理由
http://www.newsweekjapan.jp/obata/2016/10/post-11_1.php
2016年10月02日(日)22時06分

1744とはずがたり:2016/11/13(日) 18:45:53
>TGV(フランスの高速鉄道)にパリの始発駅から乗り込むときも、いつも戸惑う。出発する電車のホームが何番線なのか、発車20分前になるまでわからないからだ。
>路線バスの場合は、さらに最低限のサービスしか施されない。時刻表は、「何時から何時までは、7分間隔」というような大ざっぱなものだ。乗客は、降りたい停留所に着く前に、車内にあるボタンを押して知らせる。電車と同様、次に到着する停留所のアナウンスがない路線も多いので、乗客は降りる場所が近くなったら、通り過ぎる停留所の名前をよく見ておかなくてはならない。
不便やな,フランス。。

>商品に目を向けてみると、「新商品」と銘打ったものが少ないことに気づく。たとえば、パン屋さん。フランスのパン屋さんで、新商品と書かれたパンは見たことがないし、どこのパン屋にいっても、品ぞろえはあまり変わらない。スーパーなどで売っている大量生産のお菓子も、日本に比べると新商品が登場する頻度は少ない。「季節限定」のお菓子も見たことがない。推測するに、定番のパンやお菓子が十分に美味しく、売れ続けるから、次から次へと新しい商品を企画する必要はないということではないだろうか。
つまらなそうとも云えるが,消費をわざわざ喚起されて要らんもん買わされずに済むと云うことか。

「客は二の次」のフランスに日本が学ぶべき事 スーパーが日曜定休でも本当は誰も困らない
http://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/bizskills/toyokeizai-144828.html
06:00東洋経済オンライン

「日本って、すみずみまでサービスが行き届いていて、なんて快適に暮らせる国なんだろう」――。フランスから帰国した日本人同士でおしゃべりすると、よくそんな話題になる。

しかし、そのすばらしいサービスや便利さの背景に何があるかというと、長時間労働が跋扈し、それが女性の育児と仕事の両立を阻む原因となっている。

一方、フランスでは働く人の権利が第一に守られる。働く女性の割合も、日本より7.5ポイントも高い82.7%だ(OECD調べ。2015年)。

たた、それゆえか、フランスでの日常生活は、日本と比べて不便だと感じる場面も多い。

パリの地下鉄ホームに駅員の姿はない
たとえば、パリの地下鉄。日本では当たり前の「間もなく電車が参ります」のアナウンスなどない。発車ベルすら鳴らない。いきなり電車のドアが閉まって動き出すので、乗客は大いに気をつけなくてはならない。そういえば、ホームで駅員の姿を見ることもほとんどない。

さらに、日本の駅のホームには、現在地の駅名が書かれたパネルに前の停車駅と次の停車駅が表示されているが、パリの地下鉄にそんな表示はない。駅のホームの壁にはめ込まれたパネルには、その駅の名前が表示されているだけだ。それだけ見ても、どちらの方面行きの電車のホームかはわからない。天井に近い場所に、終点の駅名を表示した看板が掲げられているので、それを見てどの方面行きかを確認する。

電車に乗り込んでからも、一部の路線を除いて、次の停車駅を知らせるアナウンスはない。乗り過ごさないように、乗客側はつねに気をつけていなくてはならない。当然、「発車間際の乗車はおやめください」とか「傘の忘れ物が多くなっております」などというアナウンスもない。これも、乗客自身で注意するべきだということなのだろう。

TGV(フランスの高速鉄道)にパリの始発駅から乗り込むときも、いつも戸惑う。出発する電車のホームが何番線なのか、発車20分前になるまでわからないからだ。バカンスの時期などは、掲示板に出発ホームが表示された途端、大勢の乗客がスーツケースをゴロゴロとひいてホームに向かう。あいにく予約していた席が先頭車両だった場合、長いホームを歩いて乗り込むのは、どうしても発車ギリギリの時間になってしまう。

路線バスの場合は、さらに最低限のサービスしか施されない。時刻表は、「何時から何時までは、7分間隔」というような大ざっぱなものだ。乗客は、降りたい停留所に着く前に、車内にあるボタンを押して知らせる。電車と同様、次に到着する停留所のアナウンスがない路線も多いので、乗客は降りる場所が近くなったら、通り過ぎる停留所の名前をよく見ておかなくてはならない。

1745とはずがたり:2016/11/13(日) 18:46:07
>>1744-1745
「とにかく客が働く」フランスのスーパー
お店での買い物も、店側は「お客様は神様」とはこれっぽっちも思っていない。スーパーのレジは、レジ係がかごから商品を出してレジを通し、かごにきれいに入れ直すのが一般的な日本と比べたら、驚くほどのサービスの悪さだ。客はベルトコンベアーのように動く台に、購入したい品物をかごから出して置く。すべて出し終わったら、「次の客」と記された仕切りを台に置く。そして、素早くレジに隣接した袋詰めのスペースに移動する。

レジ係は何をしているかというと、ベルトコンベアーを動かして悠々と品物をスキャンし、袋詰めのスペースへ置くだけだ。なお、スーパーや商店のほとんどは日曜日が休みなので、客は計画的に買い物をするよう心がけている。

2016年の夏に訪れた際にも、午前中にブティックで買い物をしようとしたところ、こんなことがあった。10時過ぎに、「開店は10時」と書かれていたとあるブティックに入ろうとしたところ、ドアに鍵がかかっていて開かないのだ。立ち去ろうとすると、後ろで物音がする。

振り返ると、店員が内側からドアのカギを開けているところ。どうやら、開店は10時で違いないのだが、最初の客が来るまでドアは閉めておく習わしのようだった。早く開店させてしまい、申し訳ない気持ちになる。

別のブティックでは、「開店は10時」と書かれた店のショーウインドー越しに、店員が書類を眺めている姿が見えた。そして、ここもドアに鍵がかかっている。客が来ないうちは、店を閉めて事務的な仕事に集中する。ある意味合理的なやり方だ。日本のデパートが時間ぴったりに開店し、店員がお辞儀をして入店する客を迎える光景とは、実に対照的だ。

商品に目を向けてみると、「新商品」と銘打ったものが少ないことに気づく。たとえば、パン屋さん。フランスのパン屋さんで、新商品と書かれたパンは見たことがないし、どこのパン屋にいっても、品ぞろえはあまり変わらない。

スーパーなどで売っている大量生産のお菓子も、日本に比べると新商品が登場する頻度は少ない。「季節限定」のお菓子も見たことがない。この夏にフランスを旅行した際も、10年以上前の最初のフランス滞在の時によく購入していたお菓子とスーパーの棚で再会した。

しかし、その定番のパンやお菓子こそが美味しいのだ。フランス人がよく食べる棒状のパン「バゲット」は、ほんのり塩味がして飽きがこない味だ。それに、パン自体の味が代わり映えしなくても、たくさんの種類があるジャムやはちみつを塗って食べれば、変化はつけられる。そして、同じバゲットでも、店によって、それぞれ個性がある。

推測するに、定番のパンやお菓子が十分に美味しく、売れ続けるから、次から次へと新しい商品を企画する必要はないということではないだろうか。

働くフランス人は、どこか心に余裕がある
サービスを受ける側としては、日本と比べて驚くほど不便に感じるフランス。しかし、暮らしてみると、案外支障はないものだ。そして、その分働く人の負担は軽く、快適に働けるということ。そのせいか、働くフランス人の表情は明るい。同僚同士で冗談を言い合ったり、店の人が客に冗談を言ったりしていて、心のゆとりを感じる。

フランスから帰国して6年が経ち、便利な日本での暮らしをすっかり満喫している私だが、このところ日常生活で心がけていることがある。クリーニング店に服を預けるときや、商店で品物の取り寄せを頼むとき、「お急ぎですか」と尋ねられたら、「いいえ」と答える。スーパーのレジが長くても、イライラしない。自分が少し我慢するだけで、他の人が気持ちよく働けるのなら、それで良いのだ。

日本の行き届いたサービスは、消費者にとって心地よいが、暮らしていくために必ず必要なものだろうか。働きやすい職場を増やすためには、少しくらい不便でも構わない、という姿勢が必要なのだ。

1746とはずがたり:2016/11/20(日) 19:35:24
日商簿記「初級」新設、「4級」は廃止へ
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/bizskills/20161119-567-OYT1T50113.html
11月19日 20:55読売新聞

 日本商工会議所は、主催する日商簿記の「4級」を廃止し、2017年4月から「初級」を新設する。

 新しい級を設けるのは56年ぶりになる。

 初級では、一般の会社員が業務上のお金の出入りを記録するため必要な、基本知識に内容を絞る。一方、4級は個人商店の決算書類の作成が出来るレベルが求められていたが、3級に統合する。

 初級の試験はインターネットを活用し、パソコンで受ける。

 日商簿記の15年の受験者は約58万人で、10年に比べて約14万人減少した。初級の新設には、受験者の裾野を広げる狙いがある。

1747とはずがたり:2016/11/27(日) 19:44:18
ロシアに商機、事業拡大狙う=経済協力が追い風―大手商社
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-161127X978.html
17:21時事通信

 12月の日ロ首脳会談に向け、資源・エネルギー開発や都市整備など8分野で両国の経済協力に向けた協議が進んでいる。ロシアビジネスを長く手掛ける大手商社は、「このような追い風はまたとない」(丸紅)などとして、商機を生かした事業拡大を狙っている。

 サハリン(樺太)で原油や天然ガスを生産する「サハリン2プロジェクト」に1986年から携わる三井物産。事業会社に12.5%出資し、ロシアでの中核事業と位置付ける。現在、筆頭株主のロシア国営天然ガス独占企業ガスプロムなどと、3基目の液化天然ガス(LNG)生産設備の建設を計画する。

 カムチャツカ半島では風力発電で必要な電力を供給する実証実験を行い、国営電力大手ルスギドロへの出資も検討している。三井物産は「産業の多角化などでは、かつてないほど日本企業への期待が大きい」とみている。

 三井物産と共にサハリン2に参加する三菱商事は9月、サハリン産天然ガスからメタノールを生産する工場の設立に向け、事業化調査の覚書を州政府と交わした。メタノールは化学品原料で、クリーンエネルギー源としても注目されている。

 丸紅はナホトカのボストチヌイ港で石炭搬出設備を建設中で、来年にも完成する予定。双日は日本空港ビルデングなどと共同で、ハバロフスク空港のターミナル拡張や運営事業の受注を目指す。ロシアの極東の玄関口である空港への投資で存在感を高め、今後の事業拡大を狙っている。

 日本貿易振興機構(ジェトロ)の梅津哲也・海外地域戦略主幹は「ソ連崩壊後、日ロの交流や投資の盛り上がりは3度ほどあったが、今回は政府も力が入っている。企業もそれを感じており、新たな取り組みへの期待が感じられる」と指摘している。

1748とはずがたり:2016/11/28(月) 14:30:38
The Economics of Growth
Aghion, P and P. Howitt 2009

Ch.8
Directed Technological Change
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1114776863/1249-1250

Acemoglu, D. (1998) "Why Do New Technologies Complement Skill? Directed Tecnological Change and Wage Inequality" QJE, 113, 1055-1090
upsurge of wage inequality since 1980's in several developed counties

彼はcollege-educated workerの供給が相対的に増えてゐるのにも拘わらず,1980年代初頭から1990年代中期にかけて英国や米国と云った国々で大卒者と高卒者の賃金格差がsubstantiallyに上昇してゐると云ふパズルに特に関心を持った。

Autor, Krueger and Katz (1998) "Computing Equality" QJE

この格差の源泉を説明しようとして幾つかの試みが現れた

貿易自由化(標準的なヘクシャーオーリン理論に直接inspireされて可成りstraightforwardであるが,残念ながらevidenceにsupportされない。要するに(in a nutshell)国際化の景気昂揚は相対的にskilled労働が割高な途上国では無く,先進国での需要を高めるが,貿易自由化はその様な大きな労賃への影響を与えていない。また先進国での余りskill集約的で無い財のskill集約的な財に対する価格低下をもたらしそうなものだがそれも観測されていない。)

脱労組化(賃金の不平等化は1970年代中葉には始まってたけど労組の組織率は1980年代迄維持されていた)

そして

技術偏向型技術進歩(SBTC, skill-biased technological change)

である。

一定数の実証研究がSBTCの賃金の不平等への有意な効果を認めてゐる。

Berman, Bound and Griliches (1994)

Murphy and Welch (1992)

Acemoglu (2002) "Technological Change, Inequality, and the Labor Market" J. of Econ. Literature

Acemoglu (2003a) "Pattern of Skill Premia" RES 70, 199-230

Acemoglu (2003b) "Labor and Capital-Augmenting Technologicl Change" JEEA

The Direction of Technical Change
Chad Jones 著 Stanford GSB
http://web.stanford.edu/~chadj/DirectionTechChange.pdf

1749とはずがたり:2016/11/28(月) 15:47:12
Ch.10
Stages of Growth

10.2 From Stagnation to Growth

10.2.2 The Transition to Growth

10.2.2.1 Agriculture and Manufacturing

10.2.3 Commentary

Galor and Weil (2000) "Polulation, Technology and Growth, From the Malthusian Regime to the Demographic Transition" AER 110, 806-828

Mokyr and Voth (2006) "Understanding Growth in Europe, 1700-1870: Theory and Evidence" Dynamics, Economic Growth, and International Trade Conference Papers c011_002
→Journal of Economic Sociology, 2012, vol. 13, issue 5, pages 57-102
https://ideas.repec.org/p/deg/conpap/c011_002.html

Howitt and Mayer-Foulkes (2005) "Endogenous Growth and Cross-Country Income Differences," AER, 90, 829-846.

10.3 From Captal Accumulation to Innovation

Ha and Howitt (2006) "Accounting for Trens in Productivity and R&D: A Schumpeterian Crititue of Semi-Endogenous Growth Theory" JMCB 39, 733-774.

Ha (2002)

■それにしてもFrom K to Aで
Irmen, A. (2005) "Extensive and intensive growth in a neoclassical framework." JEDC 29:1427-1448,
Matsuyama, K. (1999) "Growing through cycles." ECTA 67:335-347,
Zilibotti, F. (1995) "A Rostovian model of endogenous growth and underdevelopment traps." EER 39:1569-1602,
に言及しないなんて。。今気付いたけどZilibottiはAcemogluとも共著してるんだな。

Shumpeterian Growth以外は無視か?MatsuyamaはRomerモデルで近いが成長ステージではなく循環だからか?

1750とはずがたり:2016/11/28(月) 15:49:46


辺りが有名。と思ってたけど結構色々出てる様だ。。何処から手を着けたら良いか迷うな。
10.4 From Manufacturing to Services

Acemoglu and Guerrieri (2006) "Capital Deepening and Non-Balanced Economic Growth" NBER N0.12475
→JPE
http://economics.mit.edu/files/5673

1751とはずがたり:2016/11/28(月) 15:50:09
>>1749-1751

■Non-Balaned GrowthだとAcemoglu and Guerrieriも引用してるけど

Baumol (1967) "Macroeconomics of Unbalanced Growth: Anatomy of Urban Crisis" AER 57: 415-26

Kogsamut, Rebelo and Xie (2001) "Beyond Balanced Growth" RES 68: 869-82
←2000DP
http://www.kellogg.northwestern.edu/faculty/rebelo/htm/bbg2000-december8.pdf

1752とはずがたり:2016/11/28(月) 15:51:04

10.4 From Manufacturing to Services

Acemoglu and Guerrieri (2006) "Capital Deepening and Non-Balanced Economic Growth" NBER N0.12475
→JPE
http://economics.mit.edu/files/5673

1753とはずがたり:2016/11/28(月) 15:51:09

>>1749-1753

■Non-Balaned GrowthだとAcemoglu and Guerrieriも引用してるけど

Baumol (1967) "Macroeconomics of Unbalanced Growth: Anatomy of Urban Crisis" AER 57: 415-26

Kogsamut, Rebelo and Xie (2001) "Beyond Balanced Growth" RES 68: 869-82
←2000DP
http://www.kellogg.northwestern.edu/faculty/rebelo/htm/bbg2000-december8.pdf

辺りが有名。と思ってたけど結構色々出てる様だ。。何処から手を着けたら良いか迷うな。

1754とはずがたり:2016/11/28(月) 21:19:35
もう、24時間働かない!年中無休、24時間営業を見直す企業続々
http://news.goo.ne.jp/article/dot/bizskills/dot-2016112800213.html
16:15dot.

 これまで以上に厳しい世間の目が、いま「過重労働」に注がれている。ロイヤルホストやマクドナルドなど、企業も営業時間短縮の取り組みを始めた。…

●働く環境をよくする

 実は、外食や小売り、百貨店などで、年中無休や24時間営業を見直す動きは数年前から始まっていた。

 全国に223店舗を構えるロイヤルホストの24時間営業廃止も、段階的に進められてきた。首都圏を中心に多くの店舗で実施していたが、13年には21店舗になり、現在では2店舗のみ。この2店舗も来年1月には24時間営業ではなくなることが決まっている。広報担当者によれば、営業時間の見直しが始まったのは11年ごろのことだ。

「多くのお客さまが食事をされるランチタイムやディナータイムの時間帯に安定したサービスと商品を提供し、従業員の働く環境もよくしていくためです」

 24時間営業だけでなく、早朝や深夜の営業時間短縮も進めていて、その分、来客が多い昼食や夕食の時間帯に従業員の数を増やす方針だという。

「従業員からも、おおむね好意的に受け止められていると考えています」(広報担当者)

 かつては低価格路線と24時間営業店舗の拡大で業績を伸ばしたマクドナルドも、営業時間短縮にかじを切った。

 04年2月にアップルコンピュータ(当時)から転じて社長に就任した原田泳幸氏のもと、06年5月には約200の店舗が24時間営業となり、12年には1857店舗まで拡大した。だが、以後は縮小路線を歩み、16年9月末時点では809店舗。日本マクドナルドPR部の担当者は、方針転換についてこう説明した。

「24時間営業に必要な人材や光熱費にかかる投資を昼の時間帯のサービス強化にあてたほうが、お客さまのご希望に沿うことができるという店舗が多くなってきた結果です」

 05年時点では深夜に働く人を始め、24時間営業へのニーズが多くあったが、東日本大震災によるライフスタイルの変化などもあり、顧客の要望は変わっているという。

●無料のサービスはない

 背景にはもう一つ、外食産業全体の人手不足もある。14年には、ゼンショーHDの牛丼チェーン「すき家」で深夜時間帯に従業員を店舗に1人しか置かない「ワンオペ(ワン・オペレーション)」の常態化が明らかになり、休憩すら取らずに働かなければならない過酷な労働実態が問題になった。

 人手不足が続く中で人員を増やすには、より高い賃金を支払うしかない。すると、売上高がコストに見合わなくなる。こうした課題と深夜客の減少があいまって、営業時間短縮に踏み切る企業が多いのも事実だ。

 外食産業に詳しい宮城大学の堀田宗徳准教授(フードサービス産業論)は、

「私たち消費者の意識改革も必要です。消費者が提供されるサービスを『タダ』『あって当たり前』と思っている限り、過剰サービス、長時間労働はなくなりません」

 と指摘する。深夜営業には人件費や光熱費、管理費などコストがかかっている。そのコストが価格に反映されていることは言うまでもない。

「消費者は、このサービスは無理な労働環境によって生み出されたものかもしれない、という視点を持つべきです。深夜営業がなくなれば、少し不便にはなるかもしれません。でも、新たなサービスとして消費者に還元されるものもきっとある」

 堀田准教授によると、営業時間短縮の代わりにデリバリーサービスを始めたり、郊外の店舗にドライブスルーを増設したりするなど、長時間営業とは違う「付加価値」を持たせる企業も多いという。

1755とはずがたり:2016/11/28(月) 21:19:59
>>1754-1755

●深夜営業に代わる価値

「『ちょい飲み』ができるファストフード店もありますよね。『居酒屋に行くほどじゃないけれど、ちょっとだけ飲みたい』というニーズを満たせるうえ、アルコールを提供することで客単価が上がります。消費者が長時間営業に代わる価値を求めれば、外食産業のスタイルは変わるはずです」(同)

「過労死寸前なのは私だ。」のタイトルで過重労働問題を特集した本誌11月21日号は大きな反響を呼んだ。

 コピーライターの糸井重里さんが働く人に、「ちゃんとメシ食って、ちゃんと風呂に入って、ちゃんと寝てる人には、かなわない、ってことです」と呼びかけたコラムには、Facebookで4万以上の「いいね!」がついた。

 また、宅配便の無料再配達や年中無休の小売店など、過剰とも言えるサービスを当たり前のように利用している消費者も、働く人に過重労働を強いる当事者ではないか、と問題提起した記事「あなたも誰かを追い詰めている」は、デジタル配信されて460万以上のページビューを記録した。

 複数のニュースサイトが「あなたも誰かを追い詰めている」を配信すると、多くのコメントがつき、例えばNewsPicksでは、

「夜8時以降コンビニや24時間営業スーパーには行かない。不便があるなら工夫するしかない。その工夫を提供する側だけに求めるのではなく、消費者も負うべきではないか」

「ヨーロッパなどは日曜日はお店が閉まるし、いつでも時間通り配達なんてない。一見不便だけど、全体を考えると、だからこそ生活に時間的余裕が生まれるように思う」

「百貨店同士が元旦セールの日程を合わせたように、宅配業界の大手企業らが口裏を合わせないと(過剰サービスの解消は)実現しないだろうと思った」

 などの意見が飛び交った。働く人々の問題意識の表れだと理解していいだろう。

 もちろん、消費者がよりよいサービスを求めるのは当然だ、という意見もあったが、企業が24時間営業や年中無休に代表される「過剰品質」を見直すことを「プラス」のこととして受け止める素地は、すでにできつつある。

●企業の「リスク」に変化

 企業の危機管理に詳しい関西大学の亀井克之教授(リスクマネジメント論)も言う。

「企業にとっては、事故や災害などの目に見える損失より、ブランド価値の毀損という目に見えない損失のほうがダメージが大きい。目先の利益のために、ブラックな雇用形態を続ける企業は、将来的に大きなリスクを背負っています」

 一時的に利益が少なくなるという“コスト”を払ってでも、従業員の心身の健康を大切にしたほうが、将来手にできる利益は大きい、と。

 無理な深夜営業を続けたり、従業員に長時間労働を強いたりする企業には人材が集まらず、顧客も離れていく、ということになれば、過重労働は企業の「リスク」になる。

 消費者は少しだけ不便を我慢する。企業は少しだけ損失を覚悟する。この「少しだけ」が、社会を大きく変えていくのだ。(編集部・作田裕史)

1756とはずがたり:2016/11/28(月) 21:22:20
>>1754-1755
不便になる代わりに安くなれば良いけどそうではないよねー。
ロイホのは既定路線で新しくないし,電通はそういう業界だからな。。

フランスみたいな低サービス>>1744-1745が何処迄受け容れられるかだな。
電力不足で日本の地下鉄駅が暗くなった時はなんか欧州っぽくて良いかもねと思ったけど。

1757名無しさん:2016/12/04(日) 22:01:32
意外にも上場してない?非上場を選ぶ超一流の大手企業12社
2016年11月29日更新
https://careerpark.jp/19893

1758とはずがたり:2016/12/06(火) 13:28:15
経済学原理〈第1〉 (1967年) (岩波文庫) 文庫 – 古書, 1967/1/16
ステュアート (著), 中野 正 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%80%88%E7%AC%AC1%E3%80%89-1967%E5%B9%B4-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88/dp/B000JA9A4I


重商主義経済学の代表的著作。
投稿者 泥まみれ 投稿日 2015/3/7
重商主義経済学の泰斗ジェイムズ・ステュアートの主著『経済の原理』の訳書であるが訳者の不慮の死去もあつて岩波文庫では完結してゐない。全7分冊とあるが最初の三分冊しか刊行せられてゐない。全訳が完結してをるのは小林昇監訳の名古屋大学出版会版だけである。東京大学出版会版も完結してゐない。といふより東京大学出版会版は最初から抄訳としてしか企画せられてゐなかつた。さて『経済の原理』はアダム・スミスの『諸国民の富』の約十年前に初版が刊行せられた。『経済の原理』(いまの日本でいへば『経済原論』とならうか)といふ書題を冠せられた人類史上初の著作であつた。著者ジェイムズ・ステュアートは1712年に生まれ1780年に死去した。『諸国民の富』の刊行をみたうへで世を去つたのだ。アダム・スミスは1723年に生まれ1790年に死去してゐるからその生涯も主著の刊行も概ね十年の違ひしかない。要するに完全な同時代人であつた。両名ともイギリスの重商主義時代から産業革命期に至る過渡期を生きた人であつた。だがジェイムズ・ステュアートはスコットランド貴族としてジャコバイトの乱に加担したのはよく知られてゐる。この乱に失敗して大陸ヨーロッパに長い亡命生活を余儀なくせられた。帰国後に著述に専念し重商主義の経済理論の体系化である本書を著すのだがイギリスにて資本主義の勃興を直接目の当たりにできたアダム・スミスと違ひステュアートが捉へたポリティカルエコノミイとは前期的商業資本が支配する同じ時代の大陸ヨーロッパのそれであつた。かうした経済認識とその前提となつた現実的基盤の違いが十年の差では説明できない質的相違となつて両者の主著に反映せられてゐる。ジェイムズ・ステュアートにはアダム・スミスのやうな資本主義への明確な展望はない。この岩波文庫版の訳書はステュアートの主著を初めて手軽に入手できる形で提供した意義を有する。残念ながら実現せられなかつたが全訳として企画せられたのもこの訳書が最初であつた。かうした点も汲んで星五つとしてよからう。だが三分冊が刊行せられたのみで全く放置せられてゐるのは遺憾とするところだ。他の訳者が引き継ぐなり再企画するなりして『経済の原理』全巻を訳出して欲しいものだ。

1759名無しさん:2016/12/07(水) 22:37:16
竹中平蔵が「トリクルダウンはあり得ない」と断言、今までの主張は嘘でした
BUZZAP! 2016年1月4日 19時51分 (2016年1月8日 18時23分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/it_g/20160104/Buzzap_33983.html

1760とはずがたり:2016/12/08(木) 13:28:18
学部時代赤岡の経営学で知ったぞ>エフピコ
エクセレントカンパニーじゃなくてエレガントカンパニー,しか無かった赤岡先生だけど今はどうしてるかな??
20年経っても頑張ってやってるどころか絶好調な訳だから赤岡先生の目の付け所は良かったんだろうけどエクセレントカンパニーでもあった訳だ。株公開してるのかな?買っときゃ良かった。

食品トレー絶好調! 使い捨て製品の高付加価値化の秘密
http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20161207/President_20759.html
プレジデントオンライン 2016年12月7日 09時15分 (2016年12月7日 10時30分 更新)

■食品トレーを初めてカラー化した食品容器メーカー

スーパーマーケットや食料品店などで使われている食品のトレー容器は、中身の商品を痛めずに運ぶには不可欠な存在だが、使用後はすぐに捨てられる。そのため梱包材料や梱包容器を使用する企業にとってこうした商材はコストに過ぎず、少しでも安価に済ませたいという意向が強くなる。だが簡易食品容器の分野で、1962年の創業から一貫して成長を続け躍進している企業がある。(株)エフピコだ。

エフピコは精肉・鮮魚・寿司・総菜といった食品を保護し運搬する簡易食品容器のメーカーで、2016年3月期の売上高は1702億9200万円、経常利益は140億2700万円の企業だ。同社は容器形状を絶えず研究し、内容物の崩れや転倒、汁漏れなどを減らし、さらに中に入れる商品の見栄えが良くなる容器を開発し、取引先企業の売り上げ向上に取り組んできた。

「食品トレーに色がつくとアイテム数が増えて手間も増し、リサイクルするためのリサイクルペレットに加工する際も白のままなら再利用が容易で大量生産できる」というメーカー側の都合で、食品トレーは白色しか選択肢がない時代がかつてあった。

この白色しかない食品トレーを初めてカラー化したのが同社だ。単に安価な商品を大量に販売する時代は終わり、食品のグレードによって販売価格と販売方法が変わることに対応した取り組みだ。安売りで利益が少ない肉には白色トレーを使っても、和牛など値段が張り高品質な商品には食欲をそそり、グレード感を感じるようにディスプレーしたいという小売業の潜在ニーズを、カラートレーによって開拓した。

■使用済みトレーを回収、再利用するリサイクルシステム

もうひとつ同社がいち早く取り組んだのが、環境対策だ。…海外の環境問題は必ず日本にもやってくると考えた同社は、国内で容器リサイクル法が施行される前の1980年代後半から主力商品である食品トレーの回収・リサイクル事業にいち早く着手した。

この事業はエフピコが独自の回収ネットワークを全国に構築し、使用済みのトレーを回収して再利用するという仕組みだ。スーパーマーケットなどの入り口で目にする使用済み容器の回収ボックスは、全国のおよそ8550拠点(2014年10月現在)にエフピコが主導して設置されたものだ。
回収された使用済みトレーを白トレーとカラートレーに分類して洗浄し、その後破砕して溶かして粒状に加工、これが再生用原料になる。通常の原料に再生用原料を加えて再び生産する製品を「エコトレー(再生トレー)」と呼び、同社の主力製品に育っている。

この一連の流れが「トレーtoトレー」と呼ばれる「エフピコ方式のリサイクル」システムだ。
ここで注目されるのは、同社のリサイクル工場では障がいのある人たちを社員として雇用し、就労してもらう取り組みを実践していることだ。東洋経済が毎年発表している『CSR企業総覧(2014年度の障害者雇用率の回答を基にした2016年版)』の障害者雇用率ランキングでエフピコは3年連続で1位を獲得し、障がい者雇用率は14.98%、雇用者数は369人となっている。

エフピコはエコトレーによるリサイクル事業によって原料の3割程度を補っており、原油価格が高騰してもエフピコの利益率を維持できるようになっている。

またエコトレーの採用は、取引先企業にも実はメリットがある。エコトレーは汎用トレーに比べると割高だが、ゴミになる場合に比べて二酸化炭素の削減効果があり、リサイクルへの取り組みを顧客にアピールできるためだ。

1761とはずがたり:2016/12/08(木) 13:28:35
>>1760-1761

■適正価格の容器を使った販促方法を提案
エフピコが扱う容器は大小合わせて約5000種類あり、小売業において容器代は商品売価の2%が1つの目安とされる。この基準を基に、容器代が売価の2%を下回っている商品を使用している取引先には、適正価格の容器を使った効果的な販促方法や、積み重ねができる容器によってスタッフの作業を軽減化する方法などを営業担当者が提案している。
この他にも自社製品を薄く軽量にすることにも取り組み、20年前は5グラムだったものが、現在は3.41グラムにまで軽量化され、店頭では同じスペースでもより多くのトレーを保管・陳列ができるように工夫されている。

…サービスの進化に取り組んだエフピコの事例から、製造業が取り組むべきサービス化へ対応を通じて、全体最適を図って進化していくポイントを4点抽出する。

(1)製品製造に終わらず、取引先へ付加価値向上に向けた提案営業活動

ともすれば製造業はモノの製造だけに終始することが多い。だがエフピコは売価の2%を下回っている容器を使用している取引先には、適正価格の容器を使用した効果的な販促方法や改善策を提案する営業を実践して取引先の収益向上につなげ、自社の存在価値を高めている。製造業が取り組むサービス化の第一歩は、こうした提案営業活動から始まる。

(2)自社の存在価値を高める「リサイクルの循環システム」で、社会インフラを創造
アメリカで起こった環境問題を対岸の火事で済まさず、自社の存在意義を高めるために国内でリサイクル事業にいち早く取り組んだ。また単に再生品を製造する製造業発想に終わらず、小売業と生活者を巻き込んで使用済み容器の回収ボックスを設置して回収するという仕組みを考案し、リサイクル循環システムという社会インフラを創造した。

製造業が取り組むサービス化対応として、恒常的な仕組みを生み出した取り組みは画期的だ。

(3)リサイクルシステムに障害者の雇用創出という要素を加えて社会システムに昇華
使用済みトレーを回収・分別し再生用原料にする同社のリサイクル工場では、障がい者を採用して雇用を創出。リサイクル循環システムに社会貢献事業を組み込んだ。これによりリサイクル循環システムは、社会貢献システムとして昇華した。

(4)取引先のために自社でできる施策を徹底して展開
白トレーしか存在していない時代にエフピコがカラートレーを考え出した背景には、取引先の収益性を向上させる発想が存在していた。自社の需要と収益性を高めるには、まずは取引先の売り上げと収益性を高める視点が何より必要なことを教えてくれている。
進化を続ける企業は、世の中や業界の変化にいち早く着目して行動を起こし、自社の社会的存在意義を高めている。これからの製造業は「サービス化」対応による事業の高度化が不可欠になる。

酒井光雄(さかい・みつお)
1953年生まれ。学習院大学法学部卒業。日本経済新聞社が実施した「経営コンサルタント調査」で、「企業に最も評価されるコンサルタント会社ベスト20」に選ばれたマーケティングのコンサルタント会社、ブレインゲイト代表取締役。

1762とはずがたり:2016/12/08(木) 13:33:03
これこれ♪探せば我が本棚の奥の方から出てくる筈。この後広島県立大学の学長にもなったらしい。いい人生ですな〜。羨ましい。

先生の良い人柄出た授業ではありました。火事起こしたこととか奥さんとの家事分担での諍いの話しとか率直に話して呉れたw

エレガント・カンパニー―人にやさしい企業経営 (有斐閣選書 (499)) 単行本 ? 1993/1
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%BC%E2%80%95%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E4%BC%81%E6%A5%AD%E7%B5%8C%E5%96%B6-%E6%9C%89%E6%96%90%E9%96%A3%E9%81%B8%E6%9B%B8-499-%E8%B5%A4%E5%B2%A1-%E5%8A%9F/dp/4641181888

1763とはずがたり:2016/12/08(木) 13:34:45
なんか揉め事に巻き込まれてたみたいだ(;´Д`)

作成日時 : 2006/09/30 21:47 >>
なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0
<鹿国大不当懲戒事件過去ログNo.7>
http://dreamalong.at.webry.info/200609/article_11.html

 赤岡功氏は、津曲学園大学外部評価委員会委員(2名)の1人で、京都大学大学院経済学研究科教授・経済学博士・京都大学副学長である(もう1人の委員は瀬知山敏・京都大学名誉教授・経済学博士・前副学長)(追記:現在、赤岡功氏は県立広島大学学長、瀬地山敏氏は鹿児島国際大学学長)。
 経済学部の教員選考委員会の審議が進行中の2000年2月8日に「大学外部評価委員会」と「大学問題調査委員会」の設置が理事会で決定された。その直後に鹿国大3教授事件に発展する人事関連の懲戒問題が発生し、4月5日に開催された第1回大学問題調査委員会以降、この2人の外部委員が調査委員会の審議に加わっている。
 2つの委員会は、もともと菱山学長の大学改革を推進するために設置され、人事制度の刷新を主要な課題としていた。2人は菱山学長の元同僚、後輩であり、親しい間柄であった伊東光晴氏または菱山学長に協力を頼まれて委員を引き受けたのであろう。
 ところで、赤岡外部委員は、公募科目の1つである「労使関係論」は企業が労務管理の一環として行う職場内の労使関係管理(労働組合対策)を対象とする科目であると断定し、教員選考委員会が推薦し、教授会が承認した候補者の適格性を否定した。これが理事会の懲戒処分の根拠になった。しかし、労使関係論を人事・労務管理論の学問的1分肢と考える赤岡見解は学問的には誤りであり、全国の経営系学部・学科のカリキュラム体系を無視する暴論である。このような理論は社会政策、労務管理を専門とする赤岡氏の学問からは出てこない。懲戒手続きをすすめるなかで、外部からの問い合わせにそなえて理論武装することを強く提言していた赤岡氏(第1回鹿児島国際大学問題調査委員会議事概要参照)が率先して行った詭弁にすぎない。



1764とはずがたり:2016/12/08(木) 13:40:46
そういえばなんかあったねぇ。。
しかし人事管理論および労使関係の採用人事が宜しくないと云う理由で首にされたのか。
大学側が人事権を行使出来なかった時代のもので教授陣が好き勝手な人を採ろうとして大学側が逆襲に出たが返り討ちにされたと云う経緯?

鹿児島国際大学教授懲戒解雇事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%95%99%E6%8E%88%E6%87%B2%E6%88%92%E8%A7%A3%E9%9B%87%E4%BA%8B%E4%BB%B6

鹿児島国際大学教授懲戒解雇事件(かごしまこくさいだいがくきょうじゅちょうかいかいこじけん)は、鹿児島国際大学(学校法人津曲学園)の3人の教授(八尾信光・田尻利・馬頭忠治)が懲戒解雇され、懲戒解雇された3人の教授が不当処分撤回を求めている事件。

事件経過[編集]
1999年7月 - 鹿児島国際大学経済学部「人事管理論および労使関係論」担当教員(教授または助教授)公募。
2000年
2月22日 - 経済学部教授会は候補者の採用を賛成多数で決定。
3月13日 - 学長は、関係者の事情聴取を行うこともなく教授会の結論を否定し、当該候補者に不採用通知を送付。
3月24日 - 臨時教授会。学部長が「採用人事をめぐる学長所見」を報告し、理事長のもとに「大学問題調査委員会」を設けたいとする学長の意向が紹介された。
8月4日 - 調査委員会による事情聴取(1回目)。
11月25日 - 調査委員会による事情聴取(2回目)。
2001年
10月〜11月 - 「懲戒理由書」が4名の教員の自宅あてに送付。
11月 - 弁明聴聞。
2002年3月29日 - 学校法人津曲学園理事会、処分決定(3名は「懲戒退職」、1名は「減給6ヶ月」)。

2008-03-31
■[miscellany]090鹿児島国際大学3教授解雇事件についての主な裁判経過Add Star
http://d.hatena.ne.jp/akamac/20080331/1206958027

2008年(平成20年)3月29日

平成14年3月29日,鹿児島国際大学を経営する津曲学園理事会は,経済学部の三名の教授を3月31日付で懲戒解雇処分とする決定を行った。主な処分理由は,平成11年度に経済学部が行った教員公募での採用候補者の審査と決定が「不当」であったというもの(乙45号証の2)。経済学部教員選考委員会での選考と教授会での決定に基づいて推薦された採用候補者を当時の学長の判断で不採用とした上,学園理事長の下に調査委員会や懲罰委員会を設け教員選考委員会メンバーと経済学部長を処分した。

なお,理事長の下に設置された二つの委員会は,大学教員の人事(この場合は懲戒処分)に関わる重要な委員会であったにもかかわらず,教授会や大学評議会での審議や承認を経ることもなしに設けられた。また調査委員会の委員長には,選考委員らからの事情聴取もせずに委員会での審査と決定は不当であったと決め付けた学長自身が就き,懲戒処分案の理事会への提案も学長自身が行った。当時の学長は,選考委員会が選定した採用候補者は「科目不適合」であったと喧伝したが,同候補が抜群の研究業績を有する優れた研究者であったことは後に学長側も認めており,その科目適合性については当該分野屈指の代表的学者たちが裁判所に提出した「意見書」で幾重にも証言している(甲44〜48号証)。

1765とはずがたり:2016/12/08(木) 13:45:52

研究最前線からのメッセージ
VOL.12 根井 雅弘 教授(京都大学大学院経済学研究科)
http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/research/forefront/vol12.htm

1962年宮崎県生まれ。1985年、早稲田大学経済学部経済学科卒業。大学ではワルラスの一般均衡理論を研究、18世紀フランスの経済学者フランソワ・ケネーの研究を志す。若い頃ケネー研究家だった菱山泉京都大学名誉教授に憧れて京都大学大学院に入学し、菱山名誉教授と伊東光晴名誉教授のもとで学ぶ。その後、ケインズ、シュンペーターが活躍する現代経済思想史の研究に向かう。1990年、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。2000年、37歳という異例の若さで京都大学大学院経済学研究科教授に就任。マーシャルが築いたケンブリッジ学派を中心としたイギリス経済思想史が専門。

著書に、複数の経済学者の理論、思想と生涯を「主流派」経済学者との対立から描きだした「現代イギリス経済学の群像――正統から異端へ」(岩波書店 1989年)、「マーシャルからケインズへ──経済学における権威と反逆」(名古屋大学出版会 1989年)、「シュンペーター──企業者精神・新結合・創造的破壊とは何か」(講談社 2001年)、「経済学の歴史」(講談社学術文庫 2005年)など多数。とくに「高校生などの若者に経済学の楽しさと難しさを知ってほしい」と執筆したジュニア向けの経済学の新書は、ていねいな解説と平明な文章でわかりやすいと高評価を得ている。

1766とはずがたり:2016/12/08(木) 15:04:43
説得力有るわ〜。腐ってる京大教授陣ども。彼らの功績は真面目に教育しなかった事で優秀な人材が育った事。変に教育熱心だったら変なのが育ってた筈やw

伊東光晴(京大)人脈の「特別な親交関係」
http://www.geocities.jp/poti_daddy/R12.htm

 学園側準備書面(2002/7/31)は、「本件採用人事は申請人らが特別な親交関係にあった近隣国立大学の教授を被申請人大学に招き入れようとした情実人事であったと断定して憚らない」という言葉で結ばれています。しかし、当時の鹿児島経済大学の公募採用システムでは情実人事が入り込む余地はありませんでした。むしろ、「特別な親交関係」や「情実人事」をいうのであれば、学園の最高顧問である伊東光晴氏(事件が発生した後、理事に就任)や菱山泉学長(現理事長)が構想していた京大人脈による人事が、完全公募制がじゃまになって思惑どおりに進まず、あせったあげくに引き起こされたのが今回の事件だったというのが真相ではないでしょうか。

 事件の舞台となった教員選考委員会は、1999年12月17日の第3回委員会のときに「全員一致」でA(仲村政文)氏を採用候補者に決めました。次点は京都大学大学院博士課程在籍中のB氏ともう1人のC氏でした。原口主査は最初B氏を推す気配を見せましたが、馬頭副査がB氏の論文に対して高い評価を与えなかったため、それ以後はとくに推すことはありませんでした。そもそも、選考基準を定める内規によれば、B氏を採用したくても研究年数が不足していて無理だということを主査は熟知していたはずです(原口氏は教授申請を6回していますが、1回目は申請が1年早すぎたために却下されたのです)。その原口氏が、調査委員会の事情聴取では、学長の前でさかんにB氏をほめているのです。科目適合性でも将来性でもB氏が1位だと考えていたと言っています(その主査が、自ら否を投じて委員会を紛糾させたあと、馬頭副査の研究室で「Cさんでどうか」と持ちかけたことを調査委員会で認めているのにはあきれます)。学長もB氏が採用されなかったことを残念がっていて、審査教授会後の3月8日に学長室で「京大大学院からの応募者がいただろう。なぜ彼が採用されなかったんだ。」と学部長に憤懣を述べたそうです。

 菱山学長は第1回の大学問題調査委員会(2000/4/5)で、B、C氏を抑えて仲村氏を1位にした委員会の選考の仕方を問題にしています。「最後に残ったのは2名、京都大学のB氏とA氏です。B氏は菊池さんが推薦なさった方で、この度博士論文が受理されたという話を聞いております。ところが、B氏については、副査が痛烈な批判をしております。(中略)しかし、結局「選考基準を満たさない」と判定したことと副査が痛烈な批判をしたことで、B氏は最終的に落とされたのであります。それで私は、念のために、B氏の論文を読んでみました。なかなか良いものでありました。」こんな調子です。2001年8月4日の第4回調査委員会では、副査に対して、「彼は菊池さんのお弟子さんですね。菊池さんの推薦書は読まれましたか」と聞いています(付記参照)。学長の憤懣の行き着いた先が、「最も適当な応募者が排され、適当でない応募者が採用候補者となった可能性が非常に高い」(「田尻利教授 懲戒理由書」乙24-2号証)という断罪のことばだったのです。

 ところで、上記の調査委員会には、菱山学長の大学改革に協力するために設置されていた外部評価委員会の瀬地山敏京都大学名誉教授(現鹿児島国際大学学長)と赤岡功京都大学教授が同席していましたが、赤岡氏は、話題になっているB氏に関して一切コメントしていません。B氏とは知己の間柄であることを知られたくなかったのでしょうか。菱山氏とおなじく赤岡氏の同僚でもある菊池氏を主査とするある研究プロジェクトにおいて(下の資料参照)、菊池氏のお弟子さんであるB氏とは同じ研究グループのメンバーでした。

1767とはずがたり:2016/12/08(木) 15:04:59
>>1766-1767
 このことは、赤岡氏の外部評価委員という立場を考えれば大きな問題だといわざるをえません。赤岡氏が大学問題調査委員会から業績再評価を依頼された仲村氏は、同僚の弟子であり自身の研究仲間であるB氏をおさえて採用候補者に選ばれた人なのです。菊池氏、B氏、赤岡氏が研究プロジェクトのメンバーとして顔をそろえたのが1999年10月、赤岡氏が委員を引き受けた外部評価委員会の発足が2000年4月です。業績再評価を頼む方もどうかしていますが、「特別な親交関係」にある者として引き受けるべきではありませんでした。

 もう一つ、B氏の推薦書を書いた菊池氏ですが、応募者の指導教授がたまたま学長の元同僚だったというだけではありません。学長(というより伊東光晴氏か?)が依頼して大学院開設準備委員会の委員を引き受けてもらった人なのです。大学院の新設に関与した人がその大学に自分の弟子を就職させようとしたのですね。あるいは、学長(または伊東光晴氏)から菊池氏に推薦依頼があったのでしょうか。どちらにしろ学長がB氏のことをよく知っていたのもうなずけます。
 
 事件の少し前に、社会学部では、学長推薦人事2件が教授会(選考委員会)で否決されています。その失敗につづいて、意中の人を採用できなかった学長の胸中はいかばかりだったでしょう。

 公募では思うような人事ができないことをさとった菱山学長は、その後、「公募方式がすべてではない」、「優秀な人材は公募では採れない」として学長直轄の「人事委員会」制度を、教授会でも評議会でも一切審議することなく学園理事会の決定だけでつくり、2002年度からは縁故採用ができるようになりました。その結果、菱山学長が退任(理事長就任)するまでの3年間に、下の表にあるとおり京都大学大学院出身者が毎年1人ずつ採用されることになったのです(2002年度:助教授1名、2003年度:講師1名、2004年度:講師1名)。

追記:菱山理事長は、本訴証人調べにおいて、元同僚の菊池光造氏から応募者のB氏について「推薦するのでよろしく頼む」と電話で依頼されていた事実を明らかにした。すなわち、「菊池さんが電話で私の所に,推薦したからということを言ってきました」、「優秀な人だからひとつ頼むと」(本人尋問「速記録」(平成16年6月7日第9回口頭弁論)149,157項)。



1768とはずがたり:2016/12/08(木) 15:21:29
なんで有限会社廃止されちゃたんだっけ?で,合同会社のメリットは兎も角デメリットはなんだ?商学・会計学スレ立てようかなあ??

合同会社が増えている理由
ZUU Online 2016年11月2日 06時13分 (2016年11月2日 10時40分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/economy_g/20161102/zuuonline_125435.html

Apple Japan、アマゾンジャパン、シスコシステムズ、西友……これらの企業に共通していることがお分かりでしょうか。

それは「合同会社」であるということです。

日本ではこれまで、「会社」と言えば「株式会社」と「有限会社」が主流でした。しかし2006年の会社法改正によって有限会社を新たに設立することができなくなりました。株式会社などに加え、有限会社に替わって合同会社が設立されることが増えてきています。

同法によって新たに「合同会社」という会社類型ができましたが、あまり知名度が高くありません。なぜ、増えているのでしょうか。合同会社の特徴やメリットを説明します。

■合同会社とは?

現在日本で設立できる会社は大きく「株式会社」と「持分会社」に分けられます。後者の持分会社には、合名会社、合資会社、合同会社の3つがあります。

合同会社は株式会社と同じく、社員(出資者)は会社の債務(借金)に対して、「有限責任」を負います。有限責任とは、自分が出資した金額の範囲内で責任を取ることです。会社が倒産した時、自分の出資金以上の責任を取る必要はないということです。

同じ持分会社でも、合名会社の社員や合資会社の無限責任社員は、会社の債務について無制限・無条件で責任を負わなければなりません。

合同会社は、出資者(社員)全員が経営に携わることが前提の持分会社でありながら、有限責任を前提とした株式会社と同じ性格を併せ持つ会社なのです。…

■合同会社の現状は?

歴史の浅い合同会社ですが、設立数は2006年に3,392社、2007年に6,076社と増え、2015年には、2万2,223社が新たに設立されました。この結果、2015年の合同会社数は2006年時と比べて約12倍の4万8,290社となっています(法務省登記 商業・法人『種類別合同会社の登記の件数(平成18年〜27年)』より)。

今まで株式会社だった会社が、合同会社に変更する例も目立っています。例えば2011年には株式会社だった「アップルジャパン」が「Apple Japan合同会社」に変わっています。冒頭に挙げた企業以外にも、オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパン、ユニバーサルミュージックなどの大手外資系企業を中心に、合同会社を選択しています。

1769とはずがたり:2016/12/08(木) 15:21:53
>>1768-1769
■合同会社のメリットは?

合同会社増加の背景には、この会社形態をとることによる多くのメリットがあります。

まず株式会社に比べて、設立時のコストを抑えることができます。会社の設立には、「定款認証」と「設立登記」に費用がかかります。株式会社では、定款認証手数料に5万円、収入印紙4万円(電子定款による認証の場合は0円)、設立登記には「登録免許税(資本金×0.7%)(15万円に満たない場合、申請件数1件につき15万円)」などが必要です。

しかし、合同会社は定款認証が不要で、設立登記は「登録免許税(資本金×0.7%)(6万円に満たない場合、申請件数1件につき6万円)」となります。…

決算報告の義務や役員の任期の制限がなく、株式会社のように決算報告のために官報へ掲載したり(掲載費用6万円)、数年ごとに役員変更登記をしたりすることも不要です。

また、会社の利益を社員で配分する際、社員で決めることができます(定款で定めておく必要があります)。株式会社の場合、株式の数ごとに利益配分が決まりますが、合同会社は出資の比率に関係なく利益配分を決めることができます。

株式会社のように「株主総会」などの意思決定機関がなく、会社の経営方針は社員同士で決めることができるため、社員以外の利害関係に左右されることもありません。

さらに株式会社と同じように「社債」の発行が認められていますから、資金の調達方法も広がります。また、株式会社と同じ「税務(税金の仕組み)」であるため、個人事業主よりも経費として認めてもらえる範囲が広いため、メリットがあるでしょう。。

新たに創設された合同会社は、株式会社のメリットを多く取り入れており、ある意味、理想的といえる会社形態といえそうです。長年「株式会社」という名称に慣れ親しんでいるため、違和感を覚える人も多いでしょうが、有名企業が合同会社に転換していることからもわかるように、今後認知度が上がり、ますます数が増えていくでしょう。(提供:お金のキャンパス)

1770とはずがたり:2016/12/09(金) 18:58:53
>>1603は中国の話し。

『政治は技術にどうかかわってきたか 人間を真に幸せにする「社会の技術」』
森谷正規2004朝日新聞社
を読む。

第4章 海外各国にみる技術と政治
3 車もテレビも壊滅したロシア

ソ連が成立してまず立てた技術・産業政策が1920年にスタートした有名なゴエルロ計画(ソビエト社会主義共和国電化計画)。大電力系統を全土に建設して豊富で低廉な電力を安定的に供給。

電化に必要な発電機,変圧器などは海外から輸入。ドイツや英米が輸出。輸入の為の外貨は農林産物の輸出で賄った。大恐慌後は農産物価格の下落で技術の自立を模索。ナチスの台頭で米ソは接近してアメリカが技術援助。
ソ連が目指したのはボイラーの大型化。米国の援助で成功。

次ぎに手を着けたのが鉄鋼。革命後の混乱で操業可能設備は半分ほど。
「第一次五ヶ年計画」で大量の大型の聖戦設備と製鋼設備の新設を計画した。当初は苦労したが1930年代に大きな成果が現れ始めた。

大きな成果をあげ得たのは豊富な労働力があったこと。軍事力も当初はドイツの,大戦中は英米の技術を導入して戦後忽ち軍事大国化した。

遅れて追い上げた鉄鋼技術も戦後には既に優れた水準にあって溶けた鋼をそのまま鋳造する連続鋳造も1953年に世界に先駆けて開発した。
日本も70年代には連続鋳造や高圧にして効率を上げる高炉光圧操業技術,炉頂の高圧ガスを発電に利用する高炉炉頂圧発電技術等数多くの技術をソ連から導入した。ソ連は73年には鉄鋼生産量で世界一となっている。

併し連続鋳造と並んで戦後鉄鋼技術革新の一つであるLD(純酸素上吹き)転炉(wikiに拠ると製鋼用転炉は製鉄所、特に高炉で鉄鉱石を原料として銑鉄を生産するところから転炉工程によって製鋼を行い、圧延工程などによって最終製品の製造までを同じ敷地内で行う銑鋼一貫製鉄所の設備の一つであるとのことで,LD転炉とは炉の上部から水冷ランスで、高圧(約10Kg/cm2)の純酸素を炉内の溶銑中に吹き込む方式の転炉である。)は導入したものの一向に生産比率(何と何の比率?)は伸びなかった。必要な酸素供給の拡大が出来なかった事,ソ連では機械加工に塑性加工が少なく切削加工が多くて切り屑が多く出るが再利用の為にそれを投入するのが転炉では無く平炉(wikiに拠ると平炉(へいろ、Open Hearth furnace, OH)とは、蓄熱室を有する反射炉の一種の平型炉で、主に鉄の精錬に用いられる。、転炉や電気炉の発展により、現在では東欧などで生産が見られるだけである,とある。平炉と転炉は互いに代替物で,折角連続鋳造を可能にする技術革新発明できたのにそれを活かせる転炉では無く平炉がメインだったと云う事の様だ)だったが,平炉の巨大化は難しく生産効率が悪かった。

圧延では自動車や家電製品に必要な薄くても強度が十分にある薄板の生産に応える努力をせず,薄板とは云え日本の3〜4倍の厚みがあった。

炉頂圧発電も日本ではエネルギーショック以降導入が進んだのに対してソ連では余り進まなかった。
戦後,鉄鋼が技術革新時代に這入って一時期トップを走っていたソ連は改良や普及で遅れをとったと云うかそれをやるインセンティブが無く次第に先進性を失っていった。

化学産業では合成ゴムの技術では優れていた。航空機や装甲車のタイヤにゴムが不可欠だったのに対して天然ゴム資源を持たないソ連は必死で開発して1931年に世界初の合成ゴム工場完成させた。しかしそれを乗用車のタイヤに向けて技術を高度化させる事は無かった。同様に,民生の用途が主であるプラスチックの開発,生産は進まなかった。ポリエチレンの工場は技術導入で建設したものの,需要家が内製する傾向が強くなって化学メーカーが設備の大型化が出来なかった。

とは所感:畢竟,社会主義経済では経済合理性に基づいて技術革新が進められないと云う面に尽きるのである。

1771とはずがたり:2016/12/09(金) 18:59:22
>>1770-1771
<尖端技術>
元々原子力砕氷船「レーニン号」を開発(wikiに拠ると1959年就役)する等技術力は高かった。
一方でその頃の原子力発電は,大型化が急伸してコストが低下した石油火力に全く太刀打ちできず実用化に進めない時期が続いていた。西側諸国はその間原子力プラントの改良向上に全力を上げていて60年代後半から原子力ブームとなったが,ソ連では石油が豊富な事も有り原子力発電には力を入れる必要はなかった。
石油危機(とは註:1973[1次]と1979[2次])後の石油高騰を受け外貨獲得の為に石油を輸出する事になって原子力発電を急速に増やした。その過程で発生したのがチェルノブイリ原発事故(1986年)

高速増殖炉の開発も早くから取組み1970年代には大規模なプロジェクトを実施したがフランス同様成功には至らなかった。(とは調べhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1081280165/4004-4010に拠ると2016.12現在,未だ大きな事故も起こさずに発電している様だ)

また超音速機の開発にもコンコルド同様失敗した。1973年のパリ国際航空ショーでデモ飛行中に墜落した。(とは調べhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1136692559/807-810に拠ると高コストに苦しんだ様だ。)

民間航空機も1960年代迄はアメリカと伍していたが,ジャンボジェット時代になって忽ち離された。

1953年にはIBMのコピーではあるがコンピュータの開発に成功している。真空管からトランジスタになった第二世代迄は追いつけていたもののICからLSI,更に超LSIへの進展には着いていけなかった。
更に決定的であったのは情報統制下のソ連で個人にパソコンの所有は制限されていてパソコン市場が成立しなかったこと。

<民生品>
軍事・宇宙開発に多額の投資がなされ民生品・産業用には資源が廻らなかった。
→結果,ソ連崩壊後輸入品によって国内産業が潰滅的打撃を受ける事になる。

1980年代,ソ連の自動車生産は年産200万台で推移していた。内乗用車が120万台。工場は6箇所にあったがどれも老朽化。最新が1972年に建設された「ソ連邦成立50周年記念ヴォルジスキー自動車公団」の工場。
自動車の性能も悪く,日欧米車と比較して重量は3割程重く,最高速度は3割程遅い。
オートマやパワステは高級車のジルのみであり,ABSはどの車にも搭載されていない。排ガス浄化装置も付いて無くスタイルは野暮ったく故障も多い。2004年現在まともに生産しているのは小型車メーカー1社,外資が這入ってきつつある。

ソ連時代のテレビ生産量は400万台というオーダー。そこそこ大きい数字。
画質は悪くないが大きくて重くて電力消費が大きく時々発火する代物。
輸入が始まると国産品はほぼ潰滅した。
現在のテレビの年間販売量は300〜400万台であるが9割が輸入。1998年の金融危機でルーブルの価値が1/4になった結果,輸入品価格が上昇し国内産が活況を呈している。

冷蔵庫や洗濯機も大量に生産していたが品質は劣り,現在中産階級は輸入品,貧困層が国産品を購入している。

とは感想:更に踏み込めばソ連型社会主義は原理論的or初期的な開発は得意だがそれ以降の商用的に不断の費用低下をして行くのが苦手,と云うかそれへのメカニズムが備わっていない。ロシアになって自由競争社会になったけどその不断に商用技術のコスト低減に取り組んで行く姿勢はどうなったのであろうか?初動や品質といった部分で外資の導入の効果は出ているとも云えるが,天然資源輸出頼みの罠が発生していたと云う側面も強そうである。

1772とはずがたり:2016/12/09(金) 20:55:36
>>1770>>1603

『政治は技術にどうかかわってきたか 人間を真に幸せにする「社会の技術」』
森谷正規2004朝日新聞社
を読む。その2

第4章 海外各国にみる技術と政治
4 右に左に大きく揺れた中国

中国の工業化を共産党政権成立後から見てゐる。
"紅"vs"又紅又専"の揺れ動き

共産主義+自力更生=紅,先進国からの近代技術を取り入れる事もするのが又紅又専

1953年第一次五ヶ年計画開始。ソ連との蜜月時代でありソ連一辺倒で工業化を進めた。
多くのソ連からの技術者を招聘して鉄鋼・自動車・工作機械・トラクター・航空機などの生産設備・プラントを次々と導入して重工業化へ突き進んだ。
1950年代半ば過ぎ(五ヶ年計画始めてからすぐやね。)から自力更生すべしとの主張が徐々に出始めて58年には毛沢東の指導の下で「大躍進」政策が始まった。この頃から中ソ対立も激化(wikiの中ソ対立の項に拠ると1956年のフルシチョフのレーニン批判から。1958のフルシチョフの訪中で中ソ共同艦隊を毛が拒否。1959にはソ連が中国への原爆供与の為の協定を破棄。1960に人民日報などがレーニン主義万歳を発表,中ソ対立が表面化,ソ連は中国から技術者を引き揚げる)し1960年にソ連は在中の1400人の技術者を引き揚げた。その際未完成のプラントを抛棄し図面等一切を持ち帰ったので中国の工業化は忽ち頓挫した。

大躍進政策は「土法高炉」に象徴される破綻した政策で,小規模の高炉や肥料工場や農業機械を全国に造ったがまともに機能せず。1959年から3年続いた天候不順も重なって飢饉も発生。(狂った政策に支配されて殆ど今の北朝鮮やん。。)

その後劉少奇が指導(wikiの劉少奇の項によると1958からの大躍進政策の失敗で1959から国家主席に就任,1962の大会で党の責任を認め毛に自己批判させて政務の一線から退かせた。そして党総書記の鄧小平とともに市場主義を取り入れた経済政策路線を採る)して近代的な生産設備やプラントの導入を図った。それによって徐々に生産は恢復していったがそれでも鉱工業生産は1965年時に漸く1960年のピークに戻った。

また1964年に提起された「三線建設」も産業合理性を損なう事になり経済に打撃を与えた。3線とは戦う第一線,補給をする第二線,徹底抗戦をする第三線で,重工業を内陸の奥地に配置することにした。文革で一時中断したが1969年の中ソ国境紛争を機に1970年に備戦として再開した。

1966年からの文化大革命で再び中国は混乱する(失脚した毛は1966年に文化大革命をぶち上げで復権,劉は失脚して1969年に死去する。鄧も1968年には全役職から追われ翌年に地方に追放となる。)
文革期に技術者はつるし上げを食い,教育も思想教育が重視された。1967年には工業生産は66年に対して十数%も低下している。
大学教育は1966年から1969年迄完全に停止され,その後も学力では無く思想を許にした推薦制度を採り修業年限は大巾に短縮されるなど高等教育は大きな打撃を受け人的資本に与えた損害は甚大であった。(文革は最終的に1976年の毛の死去に伴う四人組の失脚迄続いた)

1978年から改革開放路線が開始される(wikiに拠ると1973年には周恩来の計らいで鄧小平が党中央に復帰し病身の周を輔佐して経済の立て直しに着手,新日鐵からの技術導入等も図る。1976年1月の周の死去で一旦失脚するも同年9月の毛の死去で四人組を失脚に追い込み返り咲く。1978年には華国鋒から党トップの地位を奪い以後改革開放路線を敷く。)
その内容は人民公社の解体,企業の自主権の拡大,経済特区の創設である。

とは所感:改めて毛沢東はクソだなぁと思わざるを得ない。殆ど何も中国の為になる事をやっていない。毛がいなかったら今の改革開放路線は殆ど20年は早まっていただらう。

日本は戦後の経済育成策で徹底的に外資の進出阻止を行った。一方で中国のそれは逆で,尖端技術産業や基幹産業に於いて合弁を推進。中国は競争社会であるが省や市の間でも激烈な競争が発生している。

1773とはずがたり:2016/12/10(土) 08:46:16
物産・伊藤忠・丸紅推しの節操ない俺だが,保険は三井ダイレクト(三井住友傘下になっちゃったみたいだけど),コンビニはファミマ推しで側面支援中。
何も支援してない丸紅から食糧でも買い付けるかねえw
給料上がってるみたいで羨ましい〜。先輩で伊藤忠行った人いたような。

伊藤忠商事社長「万年下位からの下剋上」
http://news.goo.ne.jp/article/president/bizskills/president_20740.html
09:20プレジデントオンライン
PRESIDENT 2016年5月30日号 掲載

自分一人でできることは、限られる。組織が大きくなればなるほど、「人を動かす力」が必要になってくるのだ。しかし、考えも価値観も違うさまざまな人を結集し、組織としてパワーを発揮させるにはどうしたらいいのだろうか。

■経営者自身が闘争心を燃やせば志気は上がる

伊藤忠商事が万年4位だった時代、外からは「元気のない商社だ」と言われていました。

私はずっと繊維畑で大阪にいて仕事をしていましたから、東京本社のことは半分部外者のように見ていました。そのときは非常に官僚的で、上の動向ばかり気にしていて会議も多いし大変だなという印象があった。トップに就任したときは、これを変えていかなければいけないと考えました。

経営者というのは、いかに社員の力を一つの目標に向かって結集させるかが大事です。士気を上げるためには、やはりトップが闘争心を燃やさないといけない。同じ話をしても、燃えているときとそうでないときは情熱の伝わり方が違います。

そこでまず、自分の闘争心を掻き立てるようにしました。リーダーからどれほどのエネルギーが出ているかは、社員から見ればわかります。商社に勤めている大半の社員は闘争心が旺盛な人間ですから、ちょっとしたことで火がつくのです。

こちらの情熱を伝えるためには、高い目標を設定することが一番です。ただし、高すぎる目標はいけません。万年4位からいきなり1位になると言ったら社員はみんな白けてしまいます。私が社長に就任した当時、業界トップの三菱商事は伊藤忠の3倍くらいの利益を出していたのです。

1年先、2年先、せいぜい3年先に、少し無理すれば届くくらいの目標を設定することがポイントです。それが、まずは3位になろうという目標です。自分なりに検証してみたら伊藤忠商事は売上総利益は十分ある。足を引っ張っていたのが経費と特別損失でした。

そこで「か・け・ふ」という言葉をつくって「稼ぐ・削る・防ぐ」を頑張ろうと号令をかけたのです。商社は稼ぐのは比較的うまいのですが、削るには努力して在庫や経費を減らさなければなりません。単に交際費を削るというだけでなく組織も変えてムダがない体制にする。そして毎年300億円くらいあった特別損失も削る。

目標設定し、具体的に問題点やルールを改善したら1年で3位になったわけです。

■結果を出せば、会社も報いる。飴と鞭を使い分け

次にすぐに2強になれるかといったら、なかなか壁が厚い。伊藤忠商事の強みは何かと考えれば生活消費関連です。この分野は三菱商事よりも上回っていたから、これは目標にならない。

そこで「非資源ナンバーワン」という言葉を考えました。非資源だけなら可能性があり、この目標が達成できれば三井物産を抜いて2位になれます。

それが達成できて、いよいよ2強争いに勝つんだと目標を置いたら、思わぬ資源暴落が起きて、トップに躍り出てしまいました。

1回トップを取ったくらいですからまだ慢心するには至りませんが、この地位を盤石のものにしていかなければなりません。会社がダメになるときは、必ず慢心や驕りがあるときです。これからも社員全員で名実ともに1位を堅持していくのだ、という気持ちを強くしていく必要があるでしょう。

1774とはずがたり:2016/12/10(土) 08:46:38
>>1773-1774
こうやって4位から3位、2位、1位へと駆け上がるときに私が社員に対して守ったのが、「一生懸命頑張ったらきちんと報いる」ということです。

住友商事に勝てば、社員の年収も上回るようにする。2強になれば三菱商事と同じくらいの給料にする。そう組合と約束しました。

ただし、うちのほうが社員は少ないから「2倍働け」と言いました。結局、今、三菱商事より社員の平均年齢は1歳若くても、平均年収は上回っています。

言い方は悪いですが、やはり飴と鞭です。飴ばかりではダレてしまっていけません。かといって鞭ばかりでも人は動かない。

実際に給料を上げることで、社員には約束してくれたことは守ってくれるという会社への信頼感が生まれるわけです。信頼が生まれたことによって、会社が一枚岩となって目標達成のために全力で動けるようになりました。

■いい体験をしていない人間ほど、建前論に陥る

組織の中には、建前論ばかり言う上司もいます。精神論で、伊藤忠商事の社員はこうあるべきだと。しかし、言っていることの筋が通らなければ、部下の腹には入ってきません。

たとえば「給料のためだけに会社に来るような人間は伊藤忠商事には必要ない」と、社長の私が言ったとすると、社員はどう思うでしょう。それは負け惜しみにすぎません。やはり、給料はほかより多いほうが、自分の仕事の責任感にもつながるわけです。給料は安いわ、仕事は多いわでは、誰でも屈折してしまいます。夜、酒を飲んで愚痴でも言わんとやっておられません。

格好いいことやキレイごとを言っても、現場からすればそんなことはできない。上は責任があるから下の者につべこべ言うなと命令するわけですが、要は現場の経験が浅いのです。私も建前論ばかり口にする上司とぶつかったとき、「いっぺん自分でやってみいな」と言った覚えがあります。

私は、部下が外国人と交渉に行くときは、予定どおり進まないかもしれないと思っておけ、と言います。ひょっとしたら日本に来てないかもしれない。会議にちょっと遅れてくるかもしれない。なんとか契約にこぎつけたと思ったら、最後にちゃぶ台返ししてくることだって、よくある。これは私がブランドビジネスを担当しているとき、嫌というほど経験しているからわかるんです。経験していない人はこういうことは言えない。だから建前論にならざるをえない。

今でも、私は会社の中にいるより、できるだけ現場を回ります。現場を知らず、会議だけで正しい判断はできません。

人への接し方は商品開発や売り場づくりと同じです。お客さんから見てどういう商品や売り場がいいのかを考え、フィードバックします。同様に、社員の立場から見たらどういうことがモチベーションにつながるかを考え、心に響くことをしていかないと、人は動かないでしょう。

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伊藤忠商事社長 岡藤正広
1949年、大阪府生まれ。74年東京大学経済学部卒業後、伊藤忠商事に入社。一貫して繊維の営業畑を歩み、同社のブランドビジネスを確立。2002年ブランドマーケティング事業部長、04年常務取締役・繊維カンパニープレジデント。09年副社長。10年から現職。
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(Top Communication=構成 宇佐美雅浩=撮影)

1775とはずがたり:2016/12/24(土) 16:56:23
生活実感が1987年以来の改善? 冗談でしょう
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161216-00149749-toyo-bus_all&p=1
東洋経済オンライン 12/16(金) 6:00配信

2016年の世界経済のテーマを総括すると「潜在成長率の低下」「異例の金融緩和」「既存政党への不満」「ポピュリズムの台頭」「財政拡張への期待」・・・などだろう。こうしたテーマに世界経済が振り回される状況が続いているが、日本人にとっては既視感も強い。特に日本の若者は生まれた時からこれらのほとんどを体験し、期待しては裏切られてきた。金融市場はトランプ次期米国大統領の財政拡張による景気拡大への期待を強めている。だが、財政政策によって潜在成長率が上がるわけではないことを日本人はよく知っている。新たな政治の流れに期待をする世界中の若者も、時間が経てば日本の若者のように期待することに疲れてしまうのかもしれない。トランプラリーは「需要の先食い」ならぬ「期待の先食い」をしているように見えてならない。この連載では、筆者は金融市場に属する若手エコノミストとしてやや冷めた若者目線で経済を見ていきたい。

■「ミザリー指数」はなぜ実感に合わなくなったのか

 国民生活の実感を示す指標として広く用いられてきた指標が「ミザリー(悲惨)指数」だ。これがバブル期の1987年以来、実にほぼ30年ぶりの「生活実感の改善」というシグナルを発している。

 この指数は失業率とインフレ率を単純に合計した指数で、いずれも高ければ高いほど家計の生活が苦しくなるという考え方から、この指数が高いほど生活実感が悪化している(悲惨)と解釈される。逆に失業率は低ければ低いほどよいし、インフレ率が低ければ低いほど消費者はたくさんの物を買える。インフレ率に「CPI(消費者物価指数)総合」(総務省)を使って、ミザリー指数を計算すると、9月ではCPI総合が前年同月比マイナス0.5%、完全失業率が3.0%となり合計は2.5%だった。この数字は1987年3月の2.4%以来の低水準だ。

 しかし、「1987年以来の改善」というほど生活実感が改善している人は、それほど多くないだろう。違和感の正体はどこにあるのか。実際のところは、賃金の上昇が鈍いために、物価が下がっても購買力の改善を感じることができないのだろう。失業率の低下は、人手不足問題と円安による一時的な企業業績の改善によってもたらされた結果であるため、先行き不安は根強く賃金上昇まではなかなか期待できない、といったところだろう。

アンケートベースの指標を活用
 失業率とインフレ率というデータが実感と合わなかったり、現在よりも先行きの不安が生活実感を支配していたりする場合、通常用いられる実績値ベースの「ミザリー指数」は実感と合わなくなってしまう。
そこで、実感に合う「実感ミザリー指数」を考えてみた。

■「インフレ実感」は改善せず、「雇用環境」は悪化

 2016年は円高が進んだため、CPIは前年同月比マイナスとなった。しかし、日本銀行が3カ月に一度行っている「生活意識に関するアンケート調査」によると、家計のインフレ率の実感は下がっていない。2016年9月調査における家計のインフレ率の実感は平均値でプラス4.1%と、2010年以降の平均水準であるプラス3.7%を上回ったままである。

 実際のCPIの変化率と家計のインフレ率の実感が合わない理由はさまざまだが、2014年以降の円安によって食料品価格が高騰したことや消費税率の引き上げを受け、家計が足元の物価が高いという認識を持ったままであることは一つの要因だろう。

 「ミザリー指数」をより実感に合うようにするためには、インフレ率の数字をCPI総合(前年同月比)からアンケートベースのインフレ率の実感に変えたほうがよいだろう。

1776とはずがたり:2016/12/24(土) 16:56:38
>>1775-1776
 「ミザリー指数」のもう一つの構成指数である完全失業率についても修正点を考えてみたい。あくまでも「ミザリー指数」は生活実感を反映させる指標だと考えれば、雇用についてもアンケートベースの指標がよいだろう。例えば、内閣府の「消費動向調査」における消費者意識指標のうち、今後半年間の職の安定性や見つけやすさなどの「雇用環境」に関する調査が適当だろう。

 この指標と完全失業率は半年程度のラグをもって連動してきたが(完全失業率が遅行)、2013年から乖離が大きくなっている。完全失業率が低下している一方で、家計はそれほど雇用環境が改善に向かっているとは考えていないようだ。

実感ミザリー指数」はどんな動き?
■「実感ミザリー指数」は高止まり

 実績値を用いた「ミザリー指数」を以下のように変更し、「実感ミザリー指数」を作成した。
(1)CPI総合(前年同月比)を日銀「生活意識に関するアンケート調査」における「現在の物価に対する実感(平均値)」に変更
(2)完全失業率を内閣府「消費動向調査」における消費者意識指標「雇用環境」で代用
そうすると、「ミザリー指数」と比較して「実感ミザリー指数」は高止まりしていることが分かる。

 足元ではインフレ率と完全失業率の実績値が低下し、「ミザリー指数」が低下していることは確かだが、問題は家計がそれを実感できるかどうかである。今回作成した「実感ミザリー指数」が十分に低下するまでは、家計の生活実感は改善されないままの状態が続きそうだ。

末廣 徹

1777とはずがたり:2016/12/31(土) 19:53:56

ニコン、富士重が創業100年=全国で1118社―17年
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-161231X876.html
15:19時事通信

 2017年にニコンや富士重工業、森永乳業が創業100年を迎える。100年前の1917年は、欧州を主戦場とする第1次世界大戦で輸出が増える中、製造業中心に創業が相次いだ。東京商工リサーチの調査によると、同社のデータベースに登録された全国約300万社のうち、1118社が「100年企業」となる。

 ニコンは企業継続の理由について「光利用技術と精密技術を軸とした高い技術力で、多彩な製品やサービスをグローバルに展開してきたため」(広報担当者)と分析する。

 100年間培った技術は強力な武器だが、時代の変化に対応できなければ、先行きは楽観できない。富士重は今年、産業機器から撤退して自動車と航空宇宙に経営資源を集中し、4月には社名も「SUBARU(スバル)」に変える。吉永泰之社長は「スバルというブランドをいかに魅力的にするか。17年はそういう年だ」と決意を示す。

 国内で1年間に設立される企業は10万社を超える。東京商工リサーチは「50年後、100年後も存続している会社が何社あるのか興味深い」(情報本部)と話している。

1778とはずがたり:2017/01/15(日) 19:02:28
ミクロの方が美しいから簡単やろー。

小峰隆夫の私が見てきた日本経済史
2014年11月13日 【番外編】根岸隆先生の叙勲から経済学教育を考える
http://www.jcer.or.jp/column/komine2/index699.html

 「経済学にはマクロ経済学とミクロ経済学という2大分野がある。このうち、ミクロの価格理論の重要性はいかに強調しても強調しすぎることはない。その基礎理論の理解なしには、財政、金融、貿易など応用分野の研究は不可能である。これに対して、マクロ経済学はそれほど難しくなく、その主な内容は理論的なことよりも実際的ないし政策的なことに重点が置かれる」

 これは全くその通りだ。経済企画庁でも、マクロ経済学については、景気分析、経済見通しなどの仕事をやっていれば自然と身につく。しかし、ミクロの価格理論は、それなりにじっくり勉強しないと身につかない。その基礎理論を身につけていない人が、規制緩和、TPP(環太平洋経済連携協定)などの応用分野の議論をしていても、どこか空疎なのだ。しかし、その基礎理論は、学生時代に時間をかけて勉強しておかないと、仕事の片手間に身につけるというわけにはなかなかいかないものだ。その意味からも、私にとっての根岸先生の学恩は実に大きかったのであり、文化勲章のみならず、ノーベル賞をうけていただきたいくらいの気持ちなのである。

(2014年11月13日)

1779とはずがたり:2017/02/01(水) 15:51:24
別に矛盾しないやろ。国境税掛けて為替が上がったとしたらそれ以上に円を上げさせれば良くてそれがアメリカファーストですやん。

2017年 02月 1日 14:26 JST
「国境課税ドル高招く」、トランプ氏に矛盾 経済破滅も=浜田参与
http://jp.reuters.com/article/hamada-usbordertax-idJPKBN15G3BK

[東京 1日 ロイター] - 安倍晋三首相のブレーンで内閣官房参与を務める浜田宏一・米イエール大名誉教授は1日、日本経済研究センター主催の討論会で、トランプ米大統領が主張する「国境税」について、経済学上はドル高を招くことが証明されていると述べ、輸入制限のための国境税のような措置と円安批判の並立は、理論上矛盾していると指摘した。

浜田氏は「トランプ大統領がそうした主張を押し付けてくるなら、日本経済もそして世界経済も破滅する。そうしたことを踏まえて、(政府は)きちんと交渉してほしい」と述べた。

また同じ討論会に出席した米プリンストン大のクリストファー・シムズ教授は、トランプ米大統領の政策に関連し、選挙期間中にインフラ投資や法人減税などの財政支出拡大を主張してきたとしても「トランプ政権に財政赤字拡大のレッテルを張るのは間違い」と指摘した。

その理由として、税制に関する共和党の主張が一貫して財政赤字は削減すべきとの立場であるとした上で「減税するにしても他の財政削減とセットでというのが共和党の立場。また今は雇用が好調で、すでにインフレが始まっている可能性もある。いったんインフレ圧力が強まると抑えることの方が大変だ」との考えを示した。

(中川泉 編集:内田慎一)

1780とはずがたり:2017/02/01(水) 16:02:44
俺が言いたい事を非常に良く整理されて俺の知らない事で補強迄して書いてくれてる。龍太郎様素敵だ(;*´Д`)

>結局のところ、貿易問題の本質は、国内の所得分配の問題なのだ。なお、多くの実証分析によれば、高いスキルを持った労働者がメリットを得て、低いスキルしか持たない労働者がデメリットを被っているのは、貿易の影響ではなく、技術変化の影響の方が大きい、とされている。
この辺が結局のコアの課題である。グローバリズムとセットで再配分政策によって(少なくとも可能な国内の)二極化の緩和を図って行く必要があるのにそれを穢く悪だと煽る言説が強く流布してしまう傾向にある。

2017年 02月 1日 12:08 JST
コラム:米国を蝕む「縁故資本主義」=河野龍太郎氏
http://jp.reuters.com/article/column-ryutaro-kono-idJPKBN15G34V?sp=true
河野龍太郎BNPパリバ証券 経済調査本部長
[東京 1日] - 懸念した通り、トランプ新大統領は1月20日の就任演説でも、保護主義的なスタンスを修正しなかった。なんと「保護こそが素晴らしい繁栄と強さにつながる」と自由貿易を否定し、今後は「米国製品を買い、米国人を雇う」という2つを基本ルールにするという。

残念ながら、こうした政策は主に2つの経路で、米国の潜在成長率を抑制し、米国人を貧しくする。

まず、米国人が割高な商品の購入を迫られるようになる。2つ目は、あまり認識されていないが、為政者の方針に擦り寄る既存企業にばかり恩恵が施され、イノベーションの可能性を秘めた新規参入者の出現が抑制される。

トランプ新大統領はプロ(親)ビジネスであって、成長を促すはずと考えている人もいるが、それはプロビジネス政策が保護主義や縁故主義の穏当な表現であることに気が付いていないだけである。良かれと思って選択されるプロビジネス政策は、多くの場合、反・成長戦略となる。これが今回のテーマである。

<200年経っても理解されない比較優位の法則>

まず、平均レベルで見て、世界最高水準の豊かな生活が米国で可能なのは、生産性の高さもさることながら、通商面において、多くの財・サービスの関税を低く抑え、多様で安価な商品が供給されているからだ。

メキシコや中国に国境税を課すのは明確な世界貿易機関(WTO)違反であり、現実には実施されないと考えるが、もし実施されれば、今ほど自由貿易が進み、完成品、中間投入財を問わず、さまざまなものが海外から輸入されている中で、小売業者は消費者にコストを全ては転嫁できず、相当なダメージを被る。

国境税が課せられないとしても、米政権からプレッシャーを受けるグローバル企業は、効率が悪くても、米国内での生産を少しでも増やそうと努力するだろうから、最適なサプライチェーン構造からかい離し、結局、割高な商品の供給が増えるだけとなる。ツケを払うのは、所得の限られる普通の人々だ。

「経済学および課税の原理」において、リカードが比較優位の法則を掲げ、重商主義は誤りであり、自由貿易を行うことで、各国の経済厚生が向上すると主張したのは、ちょうど今から200年前の1817年のことだ。自由貿易の利益を最も享受する国の1つである米国の新大統領が自由貿易を否定するとは何とも残念な話である。

ちなみに、比較優位の法則を机上の空論と見なす人が多いのは、リカードのモデルの中で、メリットを受ける集団とダメージを被る集団のことが記述されていないことも大きく影響している。産業間で移動可能な生産要素だけでなく、産業間で移動がなかなか生じない生産要素についても、リカードはモデルに組み込むべきだったのかもしれない(メリットを受ける資本家グループに属していたリカードはそのことが分かっていて、あえてモデルに取り込まなかった可能性がある)。

つまり人々が関心を持つのは、比較優位財の生産に投入される生産要素を持つ人がメリットを受け、比較劣位財の生産に投入される生産要素を持つ人がデメリットを被るという点であり、トランプ現象や英国の欧州連合(EU)離脱問題に即して言えば、自由貿易でメリットを受けていたのは高いスキルを持つ労働者であり、デメリットを被っていたのは低いスキルしか持たない労働者ということだ。

1781とはずがたり:2017/02/01(水) 16:03:00

低いスキルしか持たない労働者がデメリットを被るのは、確かに貿易がきっかけではあるが、問題は、その失われた実質所得は海外に流れるのではなく、高いスキルを持つ労働者に流れることである。

もちろん、それが分かっていても、国内で勝者と敗者を明確にするのは社会的な分断を生むため、得策ではないという判断が政治的に働くのかもしれない。それゆえ、歴史的に、いずこでも国民が貧しくなったのは、外国人や外国企業が恩恵を受けているからだという主張がなされてきた(トランプ大統領の主張も同じだ)。

しかし、問題が国内の分配ということであれば、望まれる政策は明らかで、自由貿易の下で付加価値の生産を拡大した後、貿易によってメリットを受けた人からデメリットを受けた人に所得移転を行うということになる。閉鎖経済、あるいは関税を選択するより、一国全体の経済厚生を確実に改善することができる。

結局のところ、貿易問題の本質は、国内の所得分配の問題なのだ。なお、多くの実証分析によれば、高いスキルを持った労働者がメリットを得て、低いスキルしか持たない労働者がデメリットを被っているのは、貿易の影響ではなく、技術変化の影響の方が大きい、とされている。

実際、高スキル労働の多い先進国でも、低スキル労働の多い新興国でも、高スキル労働者がメリットを得ている。貿易が原因なら、新興国では低スキル労働者がより大きなメリットを受けるはずだ。我々はグローバリゼーションの結果というが、貿易の影響以上に、世界的に進む技術変化が高スキル労働者に有利なパターンになっていることの影響が大きい。歴史的には技術革新に否定的な左派ポピュリスト政治家も台頭したことはあるが、近年ではそれは観測されないし、トランプ大統領も問題視していない。

<法の支配が不可欠な理由>

さて、2つ目の論点であるイノベーションへの影響に移ろう。リカードが比較優位の法則を唱えた1817年頃は、英国を皮切りに、高い成長が西欧でスタートした時期である。英国の高い成長は、ベルギーやフランス、ドイツ、米国に波及していった。それは、大戦期の例外を除くと、1970年代初頭までの150年以上に及ぶ長い高成長の時代となったが、高成長が始まった理由の1つは、19世紀初頭に、法の支配の下で自由主義や個人主義が確立し、人々の創意工夫が促されるようになり、さまざまなビジネス分野で草の根イノベーションが広がったことだった。

自由な経済活動において、法の支配が不可欠であるのは、人々に予測可能なルールが提示されるためであり、いちいち為政者の顔色をうかがわなくても、ルールを守ってさえいれば、試行錯誤でビジネスを進め利益を追求できるからである。それがイノベーションの原動力となる。

しかし今や、社会のルールに沿った経済活動を行っているにもかかわらず、米国で生産を増やす企業には恩恵が施され、米国外での生産活動の拡大には罰則が下されるという、全く合理性を持たない政策を新政権は進めようとしている。

為政者の意向に沿った行動を取る企業経営者が称賛されるという風潮がこのまま強まれば一体、どうなるか。従来、どの企業でもエース級の人材は、イノベーション推進に投入されていたはずだが、新たな介入主義的、集産主義的環境においては、政権との近さが企業の浮沈に大きく影響してくる。エース級の人材は、政治担当ということになる。

つまり、重要な経営資源は、イノベーションではなく、レントシーキング(ロビーイング)に割り当てられる。もともと、規制業種でイノベーションが起こりづらいのも、そして腐敗が起こりやすく、時としてそれが企業の存続を危うくすることがあるのも、経営資源がレントシーキングに割かれるためだ。規制業種以外でもそうしたことになれば、産業の行く末は危うい。

また、一部の企業にだけ恩恵を施すのは、あまり認識されていないが、イノベーションの可能性を秘める新規参入者の足を大きく引っ張ることになる。どこの国でもそうだが、少なからぬ人が、プロビジネス政策を成長戦略と誤認している。もちろん、アンチビジネスよりはましだが、既存の企業をサポートするということは、新規参入のハードルを引き上げることに他ならず、成長の源泉であるイノベーションを阻害する。

必要なのは既存企業に恩恵を与えるプロビジネス政策ではなく、新規参入を促すプロマーケット政策なのである。プロビジネス政策は単に縁故主義、保護主義の穏当な表現にすぎず、成長戦略ではなく、反・成長戦略だ。クローニーキャピタリズム(縁故資本主義)が米国の成長トレンドを蝕むことになりはしないか。

1782とはずがたり:2017/02/01(水) 16:03:31
>>1780-1782
<完全雇用にある日本には円高が望ましい>

トランプノミクスがプロビジネスであることを好感し、米国の株価は上昇を続けている。しかし、その原動力は、消費者と新規参入者の利益や経済成長の可能性を犠牲に、特定の企業、産業に施した恩恵にすぎない。株式市場は、単にレントシーキングにおける勝者を探しているにすぎない。

もちろん、新大統領の力技で議会を説得し、財政は期待した以上に膨らむのかもしれない。しかし、それとて公債発行を原資に、将来の所得を先食いするだけであるから、結局、自らの未来の可能性の先食いにすぎない。トランプノミクスの賞味期限は1年半、持って2年というのが、大統領選挙直後の筆者の認識だったが、政権がスタートした現在も、その評価を変える必要性はなさそうである。

今のところ想定した動きと異なっているのは、日本に対しても保護主義的な政策が検討され、それがドル円相場に影響していることだ。標的にされると思っていなかった日本の自動車業界がやり玉に挙げられ、著しくはないものの円高圧力も見られる。対日通商政策に関し、不確実性が広がると、リスクプレミアムが増し、その結果、円高圧力が生じて、日本の株価の上値も多少だが抑えられた。

とはいえ、米経済は完全雇用にあり、賃金上昇率の加速が始まる中で、トランプ政権が大規模財政に踏み切り、一方で 米連邦準備理事会(FRB)の継続利上げが予想されるため、基本的には今後もドル高傾向が続くと筆者は考えている。日本サイドを見ても、日銀が長期金利をゼロ%程度に誘導するため、米国の金利上昇圧力が強まれば、金利差拡大につながり、そのことも円安圧力をもたらす。

規範的な視点に立てば、米国と同様、完全雇用にある日本にとっては、通貨が減価するより、通貨が増価することの方が望ましい。円安で日本の総需要が刺激されても、供給制約で、経済全体のパイはそれほど大きくはならない。この場合、望ましいのは、通貨高で輸入増加を促し、より高い消費水準を可能とすることである。それが経済厚生を高めるための正しい選択だ。

確かに、円安が進めば、輸出セクターには恩恵が及ぶが、それは、完全雇用にある中で、家計部門あるいは輸入部門の所得を輸出部門に無理に移転させているだけである。また、円安で輸出が増えるとしても、本来、非製造業部門に向かうべき雇用が、製造業に奪い取られることで可能となる。日本の政策当局が取っていることは、意図は異なるとしても、結果的にリカードが批判した重商主義政策とあまり変わらない。

完全雇用にあるだけでなく、現在の実質実効円レートは相当に低い水準にあるため、これが多少修正され円高が進めば、一国全体で経済厚生はむしろ改善する。大幅な円高でなければ、ダメージは大きいとは言えない。

実質実効円レートが相当に低い水準にあるにもかかわらず、長期金利をゼロ%程度に抑え、円安に誘導しているように見えるから、米国の競争相手がホワイトハウスに働きかけ、本来、批判されるべき点の少ないはずの日本の自動車セクターがやり玉に挙げられているのかもしれない。今後、通商交渉の中で、米国政府が日本の金融政策を問題視し始めることはないだろうか。米国の自動車業界にとって、軽四輪問題より、円安問題で攻める方が、得られるメリットは大きいように思われる。

リスクプレミアムが高じる際、巨額の公的債務を抱える日本では、円安が進まないことに、むしろ感謝すべきかもしれない。現在は、日銀の極端な金融緩和で長期金利が相当に低く抑えられているから、利払い費は抑制され、公的債務のさらなる膨張も抑えられている。もし、リスクプレミアムの上昇で円高ではなく、円安が進み始めると、極めて厄介な状況に陥る。

円安によるインフレ上昇を避けようと金利を引き上げれば、利払い費が膨らみ、公的債務が一段と膨らみ、さらにリスクプレミアムが高まるという悪循環に陥る。一方で、金利を低いままに据え置けば、実質金利の低下で、円安とインフレ加速が進む。リスクプレミアムの上昇が円高につながっている間に、財政健全化に着手しなければ、本当に手の付けられない状況に陥る。

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

(編集:麻生祐司)

1783とはずがたり:2017/02/01(水) 16:38:28
面白い記事を書く窪田氏(例えばhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1038805069/3794-3796等はなかなか読み応え有り)だが,今回のも陰謀論臭さが致命的な胡散臭さを醸し出しているのを除けば(←w)興味深い記事だ♪

先ず俺もその「日本病」なるものの存在には気付いててネットの日本すげえと云う記事を読む度に胸糞悪くなるんだけど,「日本」病と着けちゃう事で日本だけ特別ってスタンスは無駄にポジティブか自虐的かの方向性の違いだけで同じ過ちを犯してるおそれを感じなくも無い。

例えば欧州なんかにも本音ベースで黄色人種への偏見とかあってその背景にヨーロッパ人すげえと云う気質があって,結局本質的には同じだって前提から行かなければならないと思う。

更に,日本の敗戦に於いて指導層が昭和天皇を筆頭として責任を取らなかったのは厳然たる事実で有り,俺が子供の頃迄明治の元勲や神話上の聖徳太子がお札の肖像画のラインナップを見れば,戦後の日本が誇りある列強として振る舞って来ており中韓に反省してないと云われるのも(当時から日本が中韓に施しを贖罪の意味を込めてしてきたかどうかは別として)已むを得ない話しなのかもと思う。まあトランプが外国のせいにしている国内労働者の窮乏だけど結局国内の分配問題のせいhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1046080617/1780-1782ってのと同じく豊かさの中の貧困という国内問題を海外に責任転嫁してるだけなのである。

それを踏まえた上で,現代の日本の低効率を純粋に現象として捉えて対策を考えた方が生産的ではなかろうか?

日本の資本主義が異様に生産性低いのは日本国民の神経質さの発露かと思われるが(定時刻性や非欠品性等サービスの)品質が高すぎて其処にコスト掛けすぎてゐるせいが大きいのでは無いかと思う。それを考慮に入れた上で尚生産性が低いのかどうか知りたい。尚低いなら何かやるといいだろう。其処を考慮に入れれば大差ないのであれば生産性を向上させたらその代償に色んな遅延や欠品や停電に苛々する事になってしまうであらう。

2016年12月13日 08時00分 更新
スピン経済の歩き方:
だから日本経済の生産性は「めっちゃ低い」
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1612/13/news031.html

日本の1人の当たりのGDPが低い。「生産性が低い。もっと高めよう」といった話をすると、「日本人はチームプレーが得意なので1人当たりのGDPなど意味がない」といった反論も。なぜ科学的根拠のない意見が飛んでくるのか。その背景には、戦前からある「戦争学」が影響していて……。
[窪田順生,ITmedia]



日本経済の成長を阻害している「日本病」

『新・所得倍増論』(著・デービッド・アトキンソン/東洋経済新報社)

 新著『新・所得倍増論』(東洋経済新報社)で、(小西美術工藝社社長のデービッド・)アトキンソン氏は30年におよぶアナリスト人生の集大成として、豊富なデータをもとに日本経済が長く停滞している原因を分析し、「GDP1.5倍」「平均年収2倍」を実現できる道を示している。

 そこで注目すべきは、日本経済の成長を阻害している、「日本病」について考察をされている点だ。
 それは一言で言ってしまうと、客観的な事実に目を向けることなく、自分たちに都合のいい「願望」のような評価に引きずられてしまうという「病」である。

 例えば、近ごろよく「生産性」の話になるのでご存じの方も多いが、日本の1人当たりGDPは世界で27位と、先進国の中で最も低い生産性となっている。しかも、アトキンソン氏によると、労働者ベースでみるとスペインやイタリアよりも低く、米国50州で最も生産性の低いミシシッピ州にわずかに勝る程度だという。

 だが、このように客観的なデータを提示されても日本人の多くはこの現実を受け入れようとしない。受け入れないどころか、「そもそも日本人はチームプレーが得意なので1人当たりのGDPなど意味がない」とか「日本人には生産性などという指標でははかれない力がある」という科学的根拠のない反論をしてくることの方が圧倒的に多い。

1784とはずがたり:2017/02/01(水) 16:38:45
 なぜか。アトキンソン氏は我々日本人の頭の中に刷り込まれている「世界第2位の経済大国」が深く関係しているのではないかと考察している。

 『世界ランキングが高いということは、日本人の潜在能力がいかんなく発揮されていると思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。1人あたりのデータを見ずに、世界ランキングが高いということだけを見て、日本の実績は諸外国より上だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。これは、恐ろしい勘違いです。1億人の人口大国・日本の世界ランキングが高いのは当たり前のことです』(P64 第1章 日本はほとんど潜在能力を発揮できていない)

 要するに、日本の生産性がここまで低いのは、「焼け野原から世界第2位の経済大国まで成長した日本をその辺の国と一緒にするんじゃないよ」という「勘違い」が社会全体にまん延しているからだというのだ。

 これは非常にハラオチした。

 日本人は「全体」と「個」の話をゴチャマゼにしてしまうことが多い。例えば、日本代表選手が金メダルをとると、実況は「見たか、日本の底力」みたいなことを平気で言う。その選手個人が成し遂げた偉業であるにもかかわらず、なぜか日本人全員がスゴいみたいな「勘違い」をするのだ。最近よくテレビ番組で見かける「日本の××は世界一」というのにも同じ問題が散見される。

支離滅裂な論理展開が当たり前に

 「世界第2位の経済大国」というのはGDPという「経済の大きさ」の指標である。GDPは人口×生産性なので、中国経済が台頭してくる以前、先進国の中で米国の次に人口の多い日本が、2位というポジションについたのは当然といえば当然の結果である。しかし、「日本のGDPが世界第2位にまでなったのはなぜ?」という問いかけをされても、「人口が爆発的に増えたからでしょ」と答える人は少ない。「世界一の技術力があったから」とか「日本人は世界一の勤勉だから」とか答える方が圧倒的に多いのではないだろうか。

 確かに、日本には技術力の高い企業がある。しかし、そうではない企業もそれ以上に多く存在している。日本人労働者は真面目だというが、怠け者だって少なくない。そういう「個」の事情が、「全体」に対する評価に引きずられる形ですべて帳消しにされる。つまり、ひと握りの日本人・日本企業が優れているという話が、「世界第2位の経済大国」というフィルターを通すと、いつの間にやら「日本全体が優れている」という話にすり替わってしまっているのだ。

 では、いったいなぜ日本ではこういう支離滅裂な論理展開が当たり前になってしまったのか。

 アトキンソン氏は、戦前の「戦争学」の影響ではないかと考えている。 

 『経済の大きさ、GDPランキングを重視するのは、完全に軍事や国防の視点です。(中略)近代の日本もそうでした。とにかく欧米の軍事力に追いつき、それを追い抜かすことが最大の目的でした。このような戦争学における「追いつき追い越せ」という思考が、戦後もそのまま「経済」という血の流れない戦争に適応され、現在にいたるまで思想の主流となっている可能性は否めません』(P79、第2章「追いつき追い越せ幻想」にとらわれてしまった日本経済)

 これはまったく同感である。

 電通の女性社員が自殺した事件を受けて、この連載でもパワハラ・加重労働というものが、実は日本の大企業の多くが、戦前のシステムや思想をそのまま引き継いでいることに端を発している問題だと指摘をしたが、実は経済だけではなく、日本社会全体が「戦後レジーム」どころではなく、「戦時レジーム」から脱却できていないのだ(関連記事)。

 そのようなことを書くと、「そうだ! だから安保法制で自由に戦争ができる国にしたんだ!」といきり立つ方もおられるが、残念ながら今回はそういう軍靴の音が聞こえる的なお話ではない。

 日本が戦争に敗れて、マッカーサー率いるGHQがやって来たのを境にガラッと日本社会が変わったと思っている人も多いかもしれないが、実はそうではない。

 『戦時体制は、実は半分しか解体されなかった。軍隊は即、武装解除されたが、行政機構は一部の組織改変、幹部の公職追放はあったものの、ほぼ戦前のまま残った。(中略)官僚機構は戦前の「富国強兵」から「強兵」を外して「富国」の経済戦争に国民を動員し続けたといえる』(毎日新聞 1997年4月26日)

1785とはずがたり:2017/02/01(水) 16:39:07
>>1783-1785
戦時中に発明された「下に責任とリスクを押し付けるシステム」

 これは役所だけの話ではなく、政治も経済も同様だ。吉田茂や鳩山一郎など戦中の指導者層がそのまま戦後もリーダーになれたように、基本的な「プレイヤー」はほぼ変わっていない。メンツが変わらないのだから、システムや思想が変わっていくわけがない。

 なぜIT全盛のこの時代に、人間が朝から晩まで馬車馬のように働かされ、組織に絶対服従の姿勢を見せなくてはいけないのかというと、日本企業文化に骨の髄まで「戦争」が染み付いているからだ。「戦争」と同様に「経済の大きさ」がなにをおいても優先されるので、「1人あたり」の働き方や生産性は軽んじられる。むしろ、それらの犠牲の上に「経済の大きさ」が成り立つという思考に、企業や業界全体に毒されてしまっているのだ。

 アトキンソン氏は『新・所得倍増論』の中で、日本が成長を取り戻すには、政府が経営者に「時価総額向上」のためにあらゆるプレッシャーをかけていくべきだと提言しているが、これも戦時体制を引きずっている日本社会にとっては、非常に有効な手段だと思う。

 電通の女性社員自殺問題、ユニクロの「ブラック職場」問題、そして近年多い不正会計など日本企業の不祥事をご覧になっていただくと、ある共通点が浮かび上がる。

 それは、いわゆる「日本型資本主義」というものが、「下」に責任とリスクを押し付け、「上」が延命をはかっていくシステムになっていることだ。

 例えば、マンションの杭打ち問題など分かりやすい。杭打ち不正は「下」である旭化成子会社が責任をとらされ、「上」である発注元の三井不動産はまるで被害者のような顔をしていた。下請け業者の人たちはクビになったりしたが、三井不動産の経営者が責任をとって辞めました、なんて話は一切聞かない。

 なぜこういうことになってしまうのかというと、実はこれも戦時体制の影響だ。

「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別できる

 ご存じのように、先の大戦ではすさまじい数の日本兵が亡くなっており、その数は100万人をゆうに超える。しかし、その無謀とも言える作戦を立案し、指揮していた指導者層は、一定期間の公職追放や、「戦犯」のそしりを受けた以外、先ほども述べたように戦後の日本社会でしれっと新しい人生を謳歌している。

 こういう戦時中の指導者層がつくりだした「日本型資本主義」はバブル崩壊を経て、「失われた20年」で完全に敗北をした。しかし、1億人以上という人口と、過去の遺産でなんとなくまだそれが露呈しない状態が続いているだけなのだ。

 日本が先進国の中で唯一、経済成長をしていないのがその証左である。

 アトキンソン氏の提言どおり、「上」にプレッシャーをかけて、時価総額向上を達成できない経営者をどんどんクビを刎(は)ねていけば、日本型資本主義という病におかされた経営者がどんどん駆逐される。社員や下請けという「下」に責任を押し付けて延命をはかるようなブラック経営者も当然あぶりだされていく。つまり、戦時中の「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別することになるので、「1人当たり」の生産性もあがっていくのだ。

 日本の生産性が先進国で最下位ということを前向きに考えれば、日本は先進国というポジションでありながらまだまだ成長ができる余地があるということだ。

 マスコミには「日本はスゴい」「日本は世界一」という自画自賛的な論調が溢れているが、実は最も必要なのは、「日本はまだ先進国になりきれていない」という「謙虚さ」を説くことではないのか。

窪田順生氏のプロフィール:
 テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで100件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。
 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。

1786杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2017/02/03(金) 17:52:40
取り敢えず、英文を。追い追い和訳します(爆

Interview with Nobel Prize Laureate Chris Sims
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/nhknewsline/inconversation/interviewwwithnobelprizelaureatechrissims/

A Nobel Prize-winning economist is back in the spotlight. Christopher Sims is challenging a widely accepted claim. It was the speech he made at the Jackson Hole meeting last summer where central bankers from around the world gathered which caught attention. He argued that in times of low or negative interest rates, monetary easing alone may not be enough to spur inflation. And his theory is inspiring policymakers around the world, especially here in Japan.

NHK World's Reiko Sakurai sat down with Sims during his visit to Tokyo to talk about his theory, and the implications for Abenomics.

Sakurai: It's been a year since the Bank of Japan has introduced a negative interest policy, but it's far from hitting the 2% inflation target. What do you think went wrong?

Sims: I was very optimistic about Abenomics at the beginning, but then when consumption tax increase was implemented in the midst of this, I realized there really was no coordination of fiscal and monetary policy.
And the public realized it too that there was going to be contractionary fiscal policy working against the expansionary monetary policy. And I think that’s why it's had little effect until recently. So in order for it to have a truly expansionary effect, the fiscal policy has to also be aimed at getting inflation back up to the target level. It's easy to understand that when interest rates are negative, the government is pulling money out of banks, and out of to the extent they're negative for individuals on deposits, they are pulling away from individuals and banks. Taking money out of the economy, that's contractionary. Low interest rates are expansionary if the money that's pulled out of the economy, by the low interest rates, is put back in the reduced government surpluses, or increased government deficits.

Sakurai: Prime Minster Abe did postpone the second consumption tax hike to 2019. Do you not think that would be enough?

Sims: It would be better if instead of setting a new date, it’d been made clear that the increase in consumption tax was contingent on getting inflation back up to the target level. That could mean earlier or later increase in the consumption tax. If people see the tying of the consumption tax to inflation as a government commitment to generating inflation, and to being willing to postpone tax increases until they see the inflation, the inflation might actually pick up quite quickly, in which case 2019 might even seem too late.
But more likely -I think- is that by the time we get to the end of 2018, that even if inflation is coming back up, that may not really be solidly over the target, and then people will begin to see that contraction is looming on the horizon, and that might undo the whole policy.

Sakurai: Had not Prime Minister Abe hiked consumption tax as he did first, do you think Abenomics had worked better?

Sims: I think it probably would’ve worked better. Yes. Of course he had this sequence of planned consumption tax increases, and that was at least forward thinking about the budget deficit. I think it is important to build people’s confidence, to have them understand that you have thought through how the adjustments are going to occur in the future. So if you’re going to start targeting inflation with your fiscal policy, you still need to provide credible projections of how a combination of inflation and fiscal stringency is going to lead to being able to manage the debt, and at least keep it from growing faster. So, I'm not against planning possible future tax increases, I'm against doing it in a way that suggest that the future tax increases have nothing to do with inflation.

1787杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2017/02/03(金) 17:54:48
>>1786
Sakurai: Do you think the BOJ should change the inflation target?

Sims: Well there’s some discussion about whether a higher inflation target would be better. That argument is that if unexpected developments can more easily push you back to the zero lower bound, or deflation, if you have been targeting 2% than if you’ve been targeting 4%.I think there’s something to that argument. There is 4% inflation starts to get to be a level at which people have to worry about it and think about it. And I think there’s lots of benefits to keeping inflation so low that people just don’t pay any attention to it. So, I think that’s a difficult argument, whether a higher inflation target or the current one is better. Now there’re other people who say “We can’t make the 2% our target, so let’s have our target as 1%”. Move the goalposts. And I think that’s actually a big mistake. Because you’ve shown you couldn’t hit your target, why should people believe that this new target is anymore something that you can attain and maintain than the old target was. I think that once you’ve set a target, you should meet it. And that probably with going to a 4% target, now as people have seen that you can't hit a 2% target, why should they believe that you’d be able to hit a 4% target even if you try?

Sakurai: Many worry about Japan becoming the second Greece with a debt-to-GDP ratio of over 200%.Can Japan afford to postpone a consumption tax hike, and increase fiscal spending?

Sims: One big difference between Greece and Japan, and the reason Japan can still have zero-interest rates, whereas Greece pays high interest rates, is that Japan’s debt is almost entirely Yen-denominated debt. The government can print Yen. So a government that can print the money it promises to deliver in its debt, never needs to default. It can always pay what it’s promised to pay, because it’s only promising to pay paper. Greece has Euro debt and Greece cannot print Euros. So Greece, if it can’t make the promised payments, has no choice but to default in some form or other, and they’ve already defaulted, they’re going to default again, they 're going to revalue the debt. So I think the short answer is Japan is actually very different from Greece, even though the ratio of debt-to-GDP is not so different.

Sakurai: Some have pointed out that your ideas are similar to Helicopter Money. What’s the difference?

Sims: Helicopter Money there’s actually several kinds of proposals for it. The name comes from a proposal of Milton Friedman that if you wanted to stimulate inflation you could have the central bank hire a bunch of helicopters and sprinkle money over the countryside. But modern central banks cannot do this. Modern central banks, they’re ordinarily constrained to do open market operations. They buy government debt and sell it trying to control interest rates. They’re not allowed to give gifts of money to people. That’s a fiscal transfer. And in most rich countries, maybe all of them, the central bank is legally bound not to do that. So the proposals that are called Helicopter Money are all proposals that actually do a fiscal expansion, and try to make it appear as much as possible like a monetary policy action.

1788杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2017/02/03(金) 17:57:06
>>1786-1787
Sims: So they often involve something like the government issuing a lot of debt, and the central bank committing to buy all the debt. The commitment has to involve a promise not to sell the debt. Otherwise it doesn’t look like Helicopter Money. So these schemes, all could work, but I actually don’t like them. Because to make them work, you have to make people understand that they actually involve a fiscal commitment. And calling it Helicopter Money makes it sound like it’s not fiscal. I’d rather that the policy was implemented and explained as a certain kind of fiscal expansion, an unbacked fiscal expansion, and without claiming that it’s something the central bank does by itself. So I think Helicopter Money proposals are well-intentioned attempts to make it feasible to get a fiscal expansion of the type I’ve advocated. But I think they don’t really make it more likely that the policy will be successfully implemented. I think it would be better just to say we need a fiscal expansion, and also this helps to keep clear that this is an unusual period in which we require help from the fiscal authorities for the central bank to fulfill its mission.

Sakurai: Some people see that inflation is one kind of tax on households, and that there is not much difference between an inflation and tax on a household perspective it’s the same thing. Would you agree, and is the difference just on the impact on inflation?

Sims: It’s true inflation is a tax, and it’s just not like other taxes, because it falls more heavily on people who have assets and no loans denominated in Yen. So when I make this proposal I’m not suggesting that financing the debt with inflation is painless. It’s painful and it’ll be more For some people, it will be more painful than financing it by taxes. The reason we want to do this, is not to substitute inflation for taxes and paying the debt. It’s rather because we think that the economy does not function very well when inflation is near zero. Shifting from a tax that keeps inflation at zero, a pure consumption tax, to one -an inflation tax- that may be able to raise a similar amount of revenue, it has an advantage to the function of the economy as a whole. It’s not going to make the true burden of the debt any smaller. The true burden of the debt is the amount of debt out there that can be paid for by taxes explicitly, or can be paid implicitly by inflation, and both of those forms of payments are costly to people. But, if you make the inflation rate go up, we think that the economy may start to function better, and they may actually help to pay off the debt. If you can get growth to get back on a more rapid path, it of course raises the tax base, and makes it much easier to avoid expansion of the debt. What’s needed is an understanding on the part of the public, and the commitment by the government not to increase future taxes or cut future expenditures so long as you’re staying below the targeted inflation rate. And that does not require any major increase in the deficit. It might work quicker if there were an increase in the deficit. There’s some reason to think increased spending in ways that increased employment might increase inflationary pressure. But the fundamental issue is to be sure that this is not seen as just another ineffectual expansion of the deficit.

1789杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2017/02/03(金) 17:57:56
>>1786-1788
Sakurai: Would a right combination of fiscal and monetary policy be able to solve the problem of secular stagnation?

Sims: I don’t know what I think about secular stagnation. There is a regularity that whenever the economy slows down for any length of the time, some economists start talking about secular stagnation. So this period in history is no different in that respect from many others. That doesn’t mean it’s impossible that we really do have secular stagnation, as I’m sure you know Robert Gordon has argued that there’s something qualitatively different about the recent technical innovations that makes them less productive than what we were seeing in the 30s, 40s and 50s of the twentieth century. I’m not sure I believe that. I think it’s true that a lot of the productive uses of new digital and electronic technology are still being discovered, and it could well be that we could again get growth rates much faster than we have now. I think monetary and fiscal policy has been bad, in most of the rich countries. And that there’s plenty of room for finding out if we’re actually in a technological secular stagnation or not. And the way to find out is get inflation back up to target, and see, does that produce a big growth bonus, or not? I’m not sure that we really do have a permanent secular stagnation problem beyond what’s resulted from inadequate monetary and fiscal policy.

Sakurai: May I ask you about your assessment on Donald Trump’s economic policies?

Sims: I find it very difficult to do that because it’s not at all clear what those policies are yet. Some of the executive orders he’s been signing are temporary or not clearly something that will stand up in court. In his campaign he talked about infrastructure spending, making sure social security and Medicare don’t get changed or reduced. Reducing taxes. This all sounds very expansionary. But he never actually said that it was his policy to run large deficits. And the republicans, who now have the majority in the Congress, have for the last 8 years been extremely reluctant to allow any deficit spending. It’s not clear whether they're really ready to simply turn around and start being happy to make deficit spending because the president has changed. It may well happen, that’s true, but it’s not clear yet. There are people in Congress who have been talking about making deep slashes in other parts of the budget, in order to finance infrastructure spending. And if that turns out to be the dominant policy position, from the point of view of fiscal and monetary contraction, it could be that the Trump initiatives are contractionary rather than expansionary. Wall Street now seems to have the view that Trump’s policies will be expansionary, or are likely to be expansionary. But I think there’s a significant chance that they will turn out to be the opposite.

Sakurai: Well, thank you so much for your time today.

Sims: Thank you. I’ve enjoyed it.

1790とはずがたり:2017/02/06(月) 01:53:11
そんな不況じゃないやろとはこの20年俺が思い続けてきた事である。俺の大学生時代と比べてクルマこそあんま乗り回したりサークルで遊び呆けたりはしてない様だけど代わりにスマホいじってバイト楽しんでみんな豊かに見える。
京阪神も東京も生駒も,街だって活気ある様に見える。地方が悲惨な事になってるらしいと云ふ印象はあるんだけれど掛川ぐらいなら中心商店街が寂れてるのは高くて不便で品揃えの悪くて自民党支持で威張ってる中心商店街店主自身が悪いのであってあんなものの救済にカネ出す行政の方が悪い。
困ってるのは一旦非正規労働になった方々とブラックな飲食業勤務の方々(と豊かながら困ってるのは保育園不足の自治体のお母さん方)で此処さへなんとかすれば社会の雰囲気可成り改善するのではないか?

丸川知雄
中国経済事情
日本も新常態(ニューノーマル)を認識すべきだ
http://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2017/02/post-23.php
2017年02月02日(木)17時00分

<中国ではGDP成長率が下がっていくのはそれが「新常態」だから仕方がない、と政府は言っている。日本では政治家も国民も、日本経済の実力を過大評価しているため、過去20年以上にわたってずっと不況だったと認識され、絶え間ない景気刺激が求められてきた。日本経済の「新常態」を正しく認識しなければ、いずれ破綻を招く>

1月下旬に発表された2016年の中国のGDP成長率は6.7%で、2015年の6.9%より少し下がった。ただ、最近の中国のGDP成長率はゆるやかに下がってくることが何やら既定路線のようになっているようで、まじめに付き合うのがだんだんバカバカしくなってきた。

昨年12月に私が行った鉄鋼企業でのインタビュー、および工業生産統計などからみて、中国の景気は緩やかに低下というより、むしろ2015年の落ち込みから回復してきたと私は見ている。2015年の中国鉄鋼業は業界全体が赤字に陥るほどの苦境にあった。不動産価格も2015年が底で、その後深センなどではむしろ急上昇している。2015年10月6日の本コラムで論じたように2015年は5%台かそれ以下ぐらいに経済が落ち込み、2016年には回復してきたと見たほうが万事つじつまが合う。

国家のもっとも基本的な統計であるGDP成長率が信用できないというのは残念なことであるが、統計の粉飾の効用をあえて述べれば、それは粉飾された数字がちょうど中国政府のいう「新常態(ニューノーマル)」の範囲に収まっているために、財政支出の拡大による大型景気対策を求める声を抑えることができる点にある。2008年のリーマンショック後に展開された大型景気対策が過剰な債務、過剰な生産能力といった一連の問題をもたらしたのだから、再びその道に戻ることはなんとしても避けたい。

終盤になってようやく気づいた「バブル経済」
このように、高い成長率に慣れてしまった人々の意識を変えるうえで、もはや我が国にはかつてのような高い成長率は望めないのだ、我が国は「新常態」に入ったのだ、と説得することは重要だ。日本でも日本経済の「新常態」を認識して国民の意識を変えていく努力がなされていれば国の借金がこんなにまで膨らまなかったのではないかと思う。

一国民としてのざっくりした印象を言えば、日本国民は過去25年ぐらいずっと「景気が悪い」と認識していた。そもそも、「バブル期」と認識されている1980年代後半だって、バブルの発端とされている1986年には「円高不況」が盛んに言われていたし、世論調査で「景気が良くなってきた」と感じる人が「景気が悪くなってきた」と感じる人の割合を上回ったのはバブルの最後の2年間(1989〜90年)だけだった(木庭雄一「時事世論調査からみた景気動向指数」『中央調査報』No.564)。

バブル崩壊後、日本経済は「失われた10年」とか「失われた20年」と言われる長い不況に入ったとされる。だが、それはそれ以前の高い成長率に慣れた目からみるからそう見えるのであって、一国の経済が10年や20年もの間ずっと不況ということは本来あり得ない。それは不況という言葉の使い方を間違えているのである。

日本経済の実力を過大評価しているから財政赤字が慢性化
実際のところは、リーマンショックの大波をかぶった2009年は大不況だったものの、それ以外には好況の年もけっこうあった。図の点線は内閣府が計算した日本経済の潜在成長率を示している。潜在成長率とは、わかりやすく言えばその時々の日本経済の「実力」を意味しており、実際のGDP成長率が潜在成長率を上回っていれば好況、下回っていれば不況といえる。するとバブル崩壊後も1995〜96年、2000年、2003〜2007年は好況だったことになる。

1791とはずがたり:2017/02/06(月) 01:53:25
>>1790-1791
2003〜2007年の好況期は「戦後最長の景気拡大期」(内閣府の研究会の判定では2002年2月から2008年2月まで73か月間景気拡大が持続したとされた)とされた。だが、この時は「戦後最長の景気拡大期」だったと言われて「えっ、好況だったの?」と驚いた人も多かったのではないだろうか。それ以前の成長率の残像が強くて、1%台のGDP成長率が好況だとは誰も思わなかったのである。その時にもし成長率1%以下が日本の「新常態」だという認識があれば、景気に対する見方は違ったはずである。

日本の国民も政治家もバブル崩壊以後の日本経済は本来の実力を発揮できない不況状態にあると認識してきた結果、赤字財政による景気刺激が絶え間なく求められることになった。結局、日本では1993年以降ずっと財政赤字が続いている。ケインズ政策の常道から言えば好況期には財政黒字にして景気過熱を抑えなければならないはずだが、「戦後最長の景気拡大期」であった2002〜2007年の期間も赤字財政による景気刺激が続けられてきた。財政収支を均衡させようと消費税を引き上げようとすると「こんなに不景気なのに消費税を引き上げるとは何事か!」と国民の怒りを買って、先送りされてしまう。2020年には財政収支をバランスさせるという政府の目標も実現が遠のいてしまった。

実は国民が実感できるバロメーターのなかに、実際のGDP成長率が潜在失業率を上回っているか下回っているかを敏感に反映するものがある。それは有効求人倍率である。図をよく見てみると、GDP成長率が潜在失業率を上回っている年は有効求人倍率が前年に比べて上昇し、下回っている年は下降している。好況が続くと、有効求人倍率がどんどん上がっていく。バブル期の最後には有効求人倍率が1.4倍、すなわち1人の求職者に対して1.4件の求人があった。好況の実感がなかったという「戦後最長の景気拡大期」にも有効求人倍率が上昇し続けており、好況だったことが確かめられる。

その有効求人倍率が2010年からずっと上昇を続けている。2016年12月には1.43倍と、バブル期の最後を上回る水準にまで来ている。これを見ると現在はバブル末期並みの景気過熱ということになる。

好況なのにマクロ政策は「景気超悪い」モード
内閣府の今年1月の月例経済報告における見立ては「景気は、一部に改善の遅れもみられるが、緩やかな回復基調が続いている」ということで一応好況だと認識している。ただ、その割には日本政府と日銀の政策は相変わらず「景気超悪い」モードのままである。「異次元金融緩和」をやってもシナリオ通り物価が上昇しないので、今度は財政出動すべきだと論じる人もいる。だが、現に対GDP比で約5%もの赤字財政をやっているのに、これ以上の赤字が必要だという理屈は理解できない。

好況が続いているのに、まるで大不況であるかのような政策が続けられているのはやはり日本経済の「新常態」が正しく認識されていないからだと思う。実は内閣府は2012年第2四半期以降の潜在成長率を年0.8%としているのだが、図には書き入れなかった。なぜなら、有効求人倍率の急上昇ぶりからして潜在失業率はもっと低いはずだからだ。たぶん0%かそれ以下だろう。

有効求人倍率がバブルの最終盤並みに上昇しても政府・日銀のアクセル踏みっぱなしの景気刺激策が転換される兆候はない。今後何が起きるのだろうか。有効求人倍率がさらに上がればやがて賃金が上昇するだろう。特にパートやアルバイトの賃金が上がるはずである。企業のコストが増えるため、企業はコストの上昇分を回収しようと製品やサービスの価格を引き上げる。ついに日銀が待望していた物価上昇が起きる。しかし、黒田総裁が就任して以来日銀が取り組んできた物価水準を操作しようという試みが失敗してきたことを考えると、いざインフレが起きたときにそれを適切な水準に制御できるかが不安である。ハイパーインフレに突き進まないよう、そろそろアクセルを緩め始めたほうがいいのではないだろうか。

丸川知雄
1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991〜93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数

1792とはずがたり:2017/02/15(水) 06:36:18
2017年2月11日 紙面から
この国のかたち 3人の論者に聞く
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/hiroba/list/CK2017021102000006.html

 きょうは、建国記念の日。二十世紀終盤、司馬遼太郎は著書『この国のかたち』で「日本、そして日本人とは何か」を問い続けた。二十一世紀の今、三人の論者に歌い、語ってもらった。

◆緩やかな連帯を築け ラッパー ダースレイダーさん

ダースレイダーさん

 父の仕事で幼いころはパリとロンドンに住んでいました。昨年、アムステルダムとベルリンに行き、欧州と日本の違いを感じてきました。「公私」の優先順位で言えば、「私」が先なのが欧州。日本の場合は「お上」が決めたことに従って皆が生活していくという感じです。

 加えて、日本には、もともとコミュニティーというか、向こう三軒両隣というのがあった。それを無理やり西洋化しようとした結果、隣に誰が住んでいるか分からず、例えばごみ収集のルールが守られなくなりました。分断された。弱い個がひたすら並んでいるだけの集合体で、社会とすら言えない。

 日本が日本であることは、不戦を誓った憲法九条を持っていること。それを外交上利用すれば、独自の存在感が出せる。現状は逆。唯一の被爆国なのに、核拡散の防止で日本は出遅れています。九条が最大の“武器”のはずなのに、それをなくすのが「お上」の方針なんですね。

 政権は「成長戦略」を掲げています。でも、今の日本はどう頑張っても、少子化は決定し、人口減は避けられず、高齢者は増えていく。成長ではなく「成熟」が求められていると思います。それが社会を豊かにする。

 ラップで国家観を歌うことは今は少ないです。言葉を使った文化ですから、今後は広めていこうかな。米国でのラップの成り立ちは、少数派が自分たちの状況をアピールするため。日本では、音楽に政治を持ち込むなという雰囲気がありますね。

 「若者がお年寄りに席を譲らない」といわれますが、お年寄りが知り合いなら譲りますよ。身近な人から関係をつくり直しませんか。今は会員制交流サイト(SNS)もあります。緩い連帯があれば、逃げ場もできますよ。…
 (聞き手・小野木昌弘)

 <ダースレイダー> 1977年、パリ生まれ。本名・和田礼。東京大中退。在学中にラップに目覚め、98年に活動開始。2010年に脳梗塞で倒れ、合併症で左目を失明したが、1カ月で復帰。父は元朝日新聞欧州総局長の和田俊。

◆平等に貧しくなろう 社会学者・東京大名誉教授 上野千鶴子さん

 日本は今、転機だと思います。最大の要因は人口構造の変化です。安倍(晋三)さんは人口一億人規模の維持、希望出生率一・八の実現を言いますが、社会学的にみるとあらゆるエビデンス(証拠)がそれは不可能と告げています。

 人口を維持する方法は二つあります。一つは自然増で、もう一つは社会増。自然増はもう見込めません。泣いてもわめいても子どもは増えません。人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。

 日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。

客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

1793とはずがたり:2017/02/15(水) 06:36:36
>>1791-1972
 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。

 だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。ただ、上り坂より下り坂は難しい。どう犠牲者を出さずに軟着陸するか。日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。

 日本の希望はNPOなどの「協」セクターにあると思っています。NPOはさまざまな分野で問題解決の事業モデルをつくってきました。私は「制度を動かすのは人」が持論ですが、人材が育ってきています。

 「国のかたち」を問う憲法改正論議についても、私はあまり心配していない。国会前のデモを通じて立憲主義の理解が広がりました。日本の市民社会はそれだけの厚みを持ってきています。

 (聞き手・大森雅弥)

 <うえの・ちづこ> 1948年、富山県生まれ。認定NPO法人「ウィメンズ アクション ネットワーク」理事長。『ケアの社会学』『おひとりさまの老後』など著書多数。近著は『時局発言!』(WAVE出版)。

◆変化を拒んではだめ 小西美術工藝社社長 デービッド・アトキンソンさん

 日本は経済が強い、高い技術力の国だとみんな思っていますね。たしかにGDPは米国、中国に次いで世界三位です。ただ先進国におけるこの順位は、勤勉さや技術力ではなく、ほぼ人口に比例しています。日本が人口大国であることを示しているにすぎません。一人当たりの生産性で並べ直すと一九九〇年は十位でしたが、二〇一五年は二十七位。昨年は三十位にまで下がりました。労働人口ベースではスペインやイタリアより低いのです。これほど生産性の低い国になってしまったという認識は、あまり浸透していないのではないでしょうか。

 私は現在、国宝や文化財の修復を行う会社で経営に携わっていますが、長くアナリストとして日本経済を見てきました。日本人の現状認識は、甘いように感じます。そもそも今の社会は、人口が永遠に増える前提でつくられています。企業体系、年金、福祉、家族制度など、ほとんど全部です。人口が激減する時代に合う形に変えないと、今後の発展は難しいでしょう。

 一方で、生産性が低いということは、伸びしろがたくさんあるということです。労働者は総じて高い技術を持ち、とても勤勉なのに、それを経営者が生かし切れていない。私からみると宝の持ち腐れで、いくらでも改善できるポイントがあります。女性がもっと同一労働をするようになるかどうかも鍵でしょうね。女性は補助的な仕事でいい、という意識を社会全体で変える必要があると思います。

 日本の企業を見て感じるのは、独り善がりな「好き勝手経営」が多いということです。市場と対話せず、自分たちが作りたいものしか作らない。観光は、非常に成長が見込める分野ですが「おもてなし」で、外国人客を誘致するといいながら、客の視点で多様なサービスを設計していなかったのです。鉄道の券売機でクレジットカードが使えなかったり、インターネットでレストランの予約もできなかったり。銀行の窓口はなぜ今も、午後三時までなのでしょうか。

 改善点を指摘すると「これが日本のやり方だ」と反発されることが多いです。でもそれほど長い伝統のはずはありません。国の形は、時代に合わせて変わってきました。仏教が伝わり、天皇制が発達し、武士が台頭し…。時代を経てたまたま今の形がある。変化を拒む理由はありません。

 (聞き手・中村陽子)

 <デービッド・アトキンソン> 1965年、英国生まれ。オックスフォード大で「日本学」を専攻。元ゴールドマン・サックス金融調査室長。裏千家で茶名「宗真」拝受。『新・観光立国論』で山本七平賞。他に『新・所得倍増論』など。

 <建国記念の日> 古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日は紀元前660年1月1日(旧暦)とあり、これを1873(明治6)年に新暦に換算し2月11日が「紀元節」と定められた。第2次大戦後の1948(昭和23)年に占領軍の意向で廃止されたが、66(昭和41)年に「建国記念の日」として国民の祝日になった。

1794とはずがたり:2017/02/15(水) 06:41:33
>>1972-1973
保守の山本一郎が左翼の上野千鶴子に最大限の賛辞を贈ってるぞw
幾ら炎上しようとも本質は突いてゐる訳で,左翼ながら経済成長を頑張って志向する必要はあると思ってゐる俺としてはどう主張すればいいのか。決定打はないけど無限小の小さな改善を積み上げていくしかないと思ってはゐるのだれど。

「平等に貧しくなろう」上野千鶴子女史の記事炎上から何を学び考えるべきか
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20170214-00067708/
山本一郎 | 個人投資家・作家
2/14(火) 20:15

山本一郎です。私自身は保守主義者ですので、ある種フェミニズムの第一人者として長らく君臨しておられる上野千鶴子女史の中日新聞での論説を見て「現状認識としてはほとんど変わりませんね」という同意、首肯しかできませんでした。

この国のかたち 3人の論者に聞く(中日新聞 17/2/11)

もちろん、上野女史の「平等に貧しくなろう」以外にも、ここに挙げられたラッパーのダースレイダーさん、デービッド・アトキンソンさんも識見として優れたものであって、中日新聞もたいしたものだなあと思いながら読んでおりましたが。

これに対して、ネットではおおいに上野批判が盛り上がり、また望月優大さんもブログで「こういう自助の勧めが結論になってしまう」と指摘して、難民の受け入れが難しく経済成長もできないからほどほどに生きるという選択を提示した上野女史の処方箋の乏しさに意見をしています。

問題は、まさに望月さんの指摘する「今より良い社会の在り方を構想」しようにも、これといったアイディアが無いのではないかという点です。もちろん、個別の論点として、移民を受け入られる社会風土を日本が備えられれば日本の将来が明るくなる「はずだ」とか、働き方改革を進めてブラック企業を減らせば暮らし向きは良くなる「だろう」といった議論はあります。「社会民主政党が存在せず国家の再分配機能を強化することが難しい」として、では大きな政府を志向すれば日本社会はいまよりも良い社会の在り方に向かっていくのかという議論は、あまり為されていないように思います。

少子高齢化が進むことが確定していて、経済全体のパイが減少する前提はどうしても外せません。それでも経済効率を引き上げて生産性を高め、少なくとも経済成長を頑張って志向する必要はあります。将来の世代にツケを回さずにいまいる社会で暮らすすべての日本人に良いと感じられる社会を提示できる余力は残っていないのではないかと感じます。

突き詰めれば、再分配機能を強化すると一口に言っても、財源がない、これから高齢者が増えて社会に富を生まない人たちが年金をもらう、介護や医療を受ける、これらはすべて税金であり、財源は必要です。そういう貧困に陥る家庭や高齢者を救うために再分派機能を強化するには増税がどうしても必要になるのですが、そのような議論は果たしていまの日本で可能でしょうか。

国のかたちを考えるにあたって、理想を掲げるのはとても大事なことです。私は「持続可能な日本社会であってほしい」と考えたとき、移民を受け入れられさえすれば日本社会は持続可能なのか、「祖母力」を生かして共働きでバリバリやれば次の世代に繋がるのか、国債乱発して日本銀行に引き受けさせてこれはどのくらい持つのか、といったこともきちんと考えないとなかなか「今より良い社会」には辿り着かない気がします。

上野女史のメッセージの一つである、平等に貧しくというのは語弊もかなりあるとは思いますが、一方でもう右肩上がりの日本社会などしばらく来ないという撤退戦というか敗戦を受け入れられる思想が求められている、と受け止めます。もはや、将来の成長を期待して低負担高福祉を制度的に維持することができなくなっている状態で、おそらくは発想するべきは「今より良い社会」よりも「どう悪くなる部分を受け入れるか」「少しでも良い部分を遺して次の世代に引き継げるか」にシフトしているとさえ感じます。

まあ、受け入れがたいんだけど、上野女史のいう「平等に貧しくなろう」もしょうがないのかなあ、と。心情として、衰退を受け入れたくないというのはよく理解しつつも。

1795とはずがたり:2017/02/17(金) 08:01:59
旧中央…山一証券や足利銀行、ヤオハン

旧中央青山…05年「カネボウの粉飾決算事件」・06年ライブドアマーケティング

PwCあらた

2017.02.16
連載 連載
鷲尾香一「“鷲”の目で斬る」
東芝と運命共同体、PwCあらた監査法人の「黒歴史」…安々と決算発表を許せない事情
http://biz-journal.jp/2017/02/post_18049.html
文=鷲尾香一/ジャーナリスト

 2月14日、東芝は同日に予定していた2017年3月期第3四半期(16年4-12月)連結決算発表を、3月14日まで1カ月間を延長すると発表した。当初は2月14日正午に発表を行うはずだったが、正午を過ぎても東芝の決算短信は公表されず、その理由も明らかにされていなかった。
 東芝が発表延期を正式に公表したのは、同日午後2時30分。この発表をきっかけに、それまでも下落基調をたどっていた株式市場は“東芝ショック”を受けて下げ足を速め、日経平均株価は前日比220円以上も下落して取引を終えた。
 東芝は発表を延期した理由について、現在問題となっている米原発子会社ウェスチングハウス(WH)によるCB&Iストーン&ウェブスター(S&W)買収に伴う取得価格配分手続きの過程において内部統制の不備を示唆する内部通報があり、監査委員会がその内容について事実関係の調査を行った結果、さらなる調査が必要となったため、監査法人のレビューができなくなったと説明している。
 7000億円を超えるとみられる損失を発生させた問題だけに、細心の注意を払ってすべての事実関係を明らかにした上でなければ、東芝は決算の公表に踏み切るべきでない。これまで隠蔽された事実をはっきりと開示する義務がある。その点では、決算発表を延期しても事実解明を進めるのは、至極当然のことだ。
 東芝の監査法人は、世界的な監査法人であるプライスウォーターハウスクーパース(PwC)のメンバーファームである「PwCあらた監査法人」。東芝は15年に粉飾決算が発覚し、16年3月期を最後に監査法人を新日本監査法人からPwCあらたに変更した。新日本では、東芝の事件の責任を取って当時の英(はなぶさ)公一理事長が引責辞任をしている。それだけに、トヨタ自動車やソニーなど日本の代表的な大手企業の監査を行っているPwCあらたの、東芝に関する監査の責任は重い。

PwCあらた、誕生の経緯

 実はPwCあらたも“脛に傷”を持っている。あらたの前身は旧中央青山監査法人で、これは2000年に旧中央監査法人と旧青山監査法人が合併して発足した。この合併の契機になったのが、旧中央が担当していた、山一証券や足利銀行、ヤオハンといったバブル当時の損失を粉飾決算していた企業の監査だった。旧中央は単独での経営が難しくなり、旧青山との合併に追い込まれた。

 その旧中央青山も、05年に「カネボウの粉飾決算事件」を引き起こす。当時のカネボウ担当の公認会計士が、同社に対して粉飾を指南していた。さらに、翌06年には当時のライブドアマーケティングの粉飾決算時に監査を担当。度重なる問題を受け、金融庁は旧中央青山に対して2カ月の監査業務停止処分を出した。
 このとき、旧中央青山はPwCのメンバーファームだったが、旧中央青山の監査業務停止処分を契機に、そのPwCが旧中央青山の監査先企業の受入先として設立したのが、現在のPwCあらたなのだ。つまり、PwCあらたは粉飾決算事件の後始末のようなかたちで誕生した監査法人だ。

 16年に“火中の栗を拾う”かたちで東芝の監査を引き受けたPwCあらたにとって、絶対に監査上の問題が発生することは許されない。それだけにPwCあらたは慎重に監査を行っていくことだろう。果たして、1カ月の延長で東芝は決算発表ができるのだろうか。
(文=鷲尾香一/ジャーナリスト)

1796とはずがたり:2017/02/27(月) 12:33:38

すげえ人がゐる(ゐた)なあ・・ご冥福をお祈りします。

>奈良商業高等学校を卒業する直前の1952年に、大学の学位学業を持たずに公認会計士一次試験に合格する。その後、同志社短期大学商学部夜間部に学び、1953年に第二次試験に合格する。3年間の実務実習の期間に立命館大学に学び、1956年法学士の学位を得る。同じくこの年21歳で公認会計士の資格要件をすべて満たす。現在でも公認会計士取得の最年少記録を保持する。

>会計を専門分野として様々な組織や機関で活躍をしてきた。アメリカ会計学会(AAA)のメンバーとなった1963年以降、同学会の数多くの委員会や役職を歴任した。その中には会長職(1982-83)、副会長職(1974-75)が含まれる。また、企業やNPO法人のコンサルタントを務める。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%B0%BB%E9%9B%84%E5%A3%AB
井尻雄士

井尻 雄士(いじり ゆうじ、Yuji Ijiri、1935年2月24日 -2017年1月18日 )は、アメリカ・日本の会計学者。カーネギーメロン大学のUniversity Professor。元アメリカ会計学会(The American Accounting Association)会長。
経歴[編集]
1935年 神戸市に生まれる
1956年 立命館大学法学部卒業、公認会計士取得
1963年 カーネギーメロン大学よりPh.D.を得る
1963年 - 1965年 スタンフォード大学助教授
1965年 - 1967年 スタンフォード大学準教授
1967年 カーネギーメロン大学教授に就任する
1982年 - 1983年 アメリカ会計学会会長
1987年 カーネギーメロン大学の University Professorに任命される
2012年 カーネギーメロン大学を退職

井尻竹次郎とヒロの長男として1935年2月24日に神戸市で生れる。幼少の頃より計算に興味を持ち、6歳よりそろばん塾に通う。高校1年になったとき、ベーカリーを営む父より経理を任される。その仕事に興味を持ち公認会計士への道に進む。奈良商業高等学校を卒業する直前の1952年に、大学の学位学業を持たずに公認会計士一次試験に合格する。その後、同志社短期大学商学部夜間部に学び、1953年に第二次試験に合格する。3年間の実務実習の期間に立命館大学に学び、1956年法学士の学位を得る。同じくこの年21歳で公認会計士の資格要件をすべて満たす。現在でも公認会計士取得の最年少記録を保持する。
大学卒業後、最初は東京の個人会計事務所に、その後プライス・ウォーターハウスで3カ年間の監査実務を実践する。1959年にプライス・ウォーターハウスを離れ、米国ミネソタ大学大学院に学び、1960年に修士号を得る。その後、カーネギーメロン大学に学び1963年に博士号を得る。
スタンフォード大学の教員として1963年から67年まで、助教授(63-65)、準教授(65-67)を務める。1967年に正教授としてカーネギーメロン大学に戻る。1975年に、Robert M. Trueblood Professor of Accounting and Economicsの称号を得る。1987年には、Robert M. Trueblood University Professor of Accounting and Economics に推挙任命される。University Professorship は大学が教員に与える最高位の栄誉である。
会計を専門分野として様々な組織や機関で活躍をしてきた。アメリカ会計学会(AAA)のメンバーとなった1963年以降、同学会の数多くの委員会や役職を歴任した。その中には会長職(1982-83)、副会長職(1974-75)が含まれる。また、企業やNPO法人のコンサルタントを務める。
専門誌への投稿は優に200編を超えている。また、数多くの研究論文や著書を執筆し、その中にはノーベル経済学賞のハーバート・アレクサンダー・サイモン教授との共著(1977)など以下の著書が含まれる。

1797とはずがたり:2017/02/28(火) 23:56:34
>>1972-1973>>1974
先ず左翼理論が金持ちのインテリの玩具であると率直に認める事から出発する必要があると思う。その上でそれを乗り越える必要があるのではないか。上野女史が変えられなかった無力感と影響を与え続けてきた満足感のない交ぜとなった老境の達観した虚静恬淡の境地を味わうのが左翼インテリの楽しみ方なのではないか。左翼は所詮既に死んだ理論なのである。
それとともに現状を変革し社会的な困窮者の救済を図るべく現在の生きた論理に依拠して頭を動かさねばならない。北田氏もちゃんと大竹先生の論文を引用して現代の流儀で行こうとしてらっしゃる様である。

維民の受け容れに関して云えば,嘗ての列強が卑怯にも自分らのやってきた植民地帝國の謝罪をしない形で植民地諸国へ贖罪している側面が強いので,必ずしも移民受入が世界的なグローバルスタンダードの義務と認定するのはナイーブだと思うが,それでもアラブ世界を滅茶苦茶にした訳でも無い日本が石油でお世話になっている面も含めて,また建前的に世界市民主義に立脚した俺の理想論からも受け容れるのは悪くないとは思われる。

>上野氏は新自由主義者である。
自由主義ではなく現状追認の保守主義者だらうね。けど自由主義に関しては,経済的自由主義は成長を生むから尊いのであって,成長の為には知的財産保護とそれに伴う独占が必要で,詰まり完全競争の自由主義からは外れてしまう。上野女史の成長不要の現状追認の保守主義はそういう意味で"自由主義"(実は言葉の根源的な意味として!)なのかも知れない。

2017.02.21 Tue
脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである――上野千鶴子氏の「移民論」と日本特殊性論の左派的転用
http://synodos.jp/politics/19136
北田暁大 / 社会学

…ここ数年、しばしば見かける上野氏の、おそらくは無自覚の「新自由主義」的な議論に危うさを感じ、学恩を受けた一人として、その議論の問題について対談やSNSなどさまざまな場で、同時代の社会学者として疑問を投げかけてきた。それは、上野氏を思想的な文化遺産として捉えること、過去の偉人として批判を回避することほど、上野氏に対して失礼なことはないという信念にもとづいてのことであった。

その多くは私の非力ゆえにかわされてしまい、上野節の健在ぶりを証左することになっていたのだが、今回の「移民論」は、完全に一線を越えたものであり、影響力のある社会学者・フェミニストの発言として、とうてい看過しがたいものであった。…

日本の左派の一部に根強い人気のある「脱成長」「清貧の思想」がいかに残酷であり、またトランプ的一国主義・排外主義と裏表のナショナリズムを随伴してしまっているか、そのことを私の知るかつての「あの」上野千鶴子氏、そして上野氏の読者に向けて問題提起をしておきたいと思う。

「内なるトランプ」を精算しえないかぎり、そして優し気な言葉に包まれた敗北主義を精算しない限り、左派・リベラルの論理は――ノブレス・オブリージュすら欠いた――裕福なインテリの玩具にしかなりえない。日本と言う場に、本当にジェンダー公正で、多文化主義を実装した社会民主主義を創り出そうと言うのであれば、上野氏の所論は絶対に越えねばならない壁である。この壁の前でたじろいで目や耳を塞いでいる余裕はわたしたちの社会にはない。この「手紙」をもって私が問いかけたいことは、そういうことだ。…

次のような多文化社会に対するペシミスティックな見解を述べた部分である。これは意見といえば意見なのだが、さまざまな水準での事実誤認と社会科学的に問題のある信念とが入り乱れており、私は現代日本の「脱成長左派」の純粋型をここにみた気がしている。

日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。
移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。
客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。
主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。

1798とはずがたり:2017/02/28(火) 23:56:58

上野氏の経済に対する捉え方、少子化についての捉え方、そして歴史認識については、以前より深い疑念を持っており、…本件もある意味で、そうした上野氏の思想の延長上にあるのだなと、半分は理解――共感ではなく――できてしまえる。だが、それにしても完全に一線を越えたように思う。

この発言において最大の問題は「移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか」という、選択肢の提示部分が前提としてしまっている認識である。この部分は二つの読み方を許容する。

ひとつは、「移民が入ると治安が悪くなる」という前提を上野氏が採っている可能性。…それはさすがに上野氏に酷というもので、「社会的不公正と抑圧」という言葉が入り込んでいることから、「移民が入ると、移民自身が不公正な状態に置かれる」「移民が入ると、移民に対する抑圧が起こり、反対派などによる暴力などの治安問題が起こりかねない」というあたりが真意であると考えるのが妥当であろう。

しかしそんな善意の解釈を施してもなにも救われない。この発言が有意味であるためには、「移民が不公正な状態に置かれて、犯罪に手を染める」という被抑圧者犯罪説か、「反対派による抑圧という暴力が多発する」という抑圧者犯罪説のいずれかが妥当でなくてはならないからだ。

ここで上野氏が言っているのは法的に認められた形で入国した移民のことである。そうした移民が流入することにより犯罪率が上がる、あるいは反対派による犯罪が増える、と言うのは、移民消極派、トランピアンと同じ社会認識であるが、実際にはより丁寧な議論が必要だ。

というのも、移民や外国人労働者の移住の増加と犯罪率との関係について考える際には、まず経済的移民というのが、実際的には近隣地域への移住に限定されているという地域限定性が強い…ということ、また必ずしも「途上国→先進国」移動が多いわけではなく「途上国→途上国」移動が多いという移動パスの多彩さなどもあることを踏まえ、ケース間の比較が難しく、容易に結論を得られるような論点ではない(林玲子「国際人口移動の現代的展望」人口問題研究70-3,2014年)ことを踏まえなくてはならないからだ。

また、後者の「反対派による犯罪」にいたっては迎える側が対応すべきことであり、その受け入れ態勢の問題点を改善する議論をするのであればともかく、安直に「犯罪率の増加」という論点に絡めるべきことではない。日本には在日本朝鮮・韓国人へのヘイトスピーチを行うひとたちが驚くべき数存在するが、例えばそうしたひとたちが増えるからといって、在日朝鮮韓国人に日本から出ていったほうがいい、などとアドバイスするのは、「のりこえネット」の代表である上野氏であればまず考えないだろう。変えるべきは受入れの環境であり、「批判派が暴れる可能性があるから」という理由づけは、本末転倒も甚だしい。この立場を上野氏が採るものではないと考える。

というわけで前者の「合法移民の犯罪率」に戻ろう。日本の人口に占める外国人比率は90年代以降漸増傾向にあるが、外国人の刑法犯検挙人数比は2%前後を維持しており、平成27年度の『来日外国人犯罪の検挙状況』にも、「総検挙件数・人員は、前年比でいずれも減少。約10年前のピーク時と比べて大幅に減少したが、最近5年間は横ばい状態」とある。ここにいう来日外国人とは定着居住者(永住権を持つ者等)を除いた数字であることにも注意を促したい。

「警察庁の「犯罪統計」(各年版)によれば、外国人の「刑法犯検挙人員/外国人人口」比率は、日本全体の比率よりもわずかであるが恒常的に高い。しかし、このことは必ずしも「外国人だから」罪を犯しやすいことを意味するわけではない。例えば、外国人の内、不法滞在者の同比率は正規滞在者のそれを上回り続けているが、これが示唆しているのは、正常な所得稼得手段を持たないことが、犯罪の誘因を強めている」(児玉卓「移民レポート 1日本の移民問題を考える」大和総研2014年11月17日リサーチ)というのが妥当な見方であろう。

常識的に考えて、合法的な形で日本に滞在している外国人の犯罪率の高さを主張するには、データの扱い、解釈を含めて、社会科学者として相当な勇気が必要であるはずだ。また、現状の技能実習制度や入国管理の矛盾を見れば、まずは移民手続きの「適正化」こそが主張されるべきで、一足飛びに「治安悪化が懸念されるから大量移民には否定的」と主張するのは本末転倒だ。

1799とはずがたり:2017/02/28(火) 23:57:32
よく知られるように、「外国生まれの人口比」に関しては、日本はOECD先進国のなかでは実質的に最低の数値、1%ほどにとどまる。独米英仏のように10%を超える状況にはなっておらず、治安の悪化を心配するような段階にすら到達していない。被抑圧者犯罪説を心配するより先に、すべきことがあるだろう。

日本では単一民族神話が信憑されているから、移民を受け入れる寛容性を期待できない、というのが上野氏の考えなのだろうが、それが被抑圧者犯罪説を伴うのか、抑圧者犯罪説を伴うのかが不分明である。前者であれば、統計上の数字の見方、解釈に大きな問題があるし、後者であれば、多文化主義への努力すらしていないこの国に対してずいぶんと「優しい」考え方といえる。

上野氏は「客観的に無理」「主観的にはツケがおおすぎる」と断言する。…だいたいこの主観と客観の区別の意味が分からない。いずれも上野氏の正当化されていない信念を語ったものにすぎない。「私は残念に思うけれども、現状をみていると、多文化主義に日本は耐えられそうにないから無理」と言うのであれば、「私は残念に思うけれども、現状をみていると、日本の家父長制は強固だから変えるのは無理」という理屈も通ってしまう。リアリズムを装ったただの生活保守主義である。上野氏はそれで満足なのだろうか。

「経済」という変数
こうした上野氏の混乱は、実は、この記事全体に流れている上野氏の「脱成長論」と深く関係していると私は考えている。上野氏はこう言う。「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合うべきです」。

これは上野氏のみならず内田樹氏や小熊英二氏など、有力な左派論客に共有されている脱成長・成熟社会論である。脱成長とは言うけれど、要するに「清貧の思想」である。中野孝次『清貧の思想』が、清貧など想定もしていないバブル期に、貧しさなどと無縁な人びとに読まれたように、脱成長論もまた、豊かなインテリの玩具となっている。

そもそも犯罪率というのは、ある程度の経済規模を持つ地域においては――エビデンスを重視すると言う上野氏であれば知らないはずがないと思うが――経済指標と関連がみられることは、社会科学の知見が差し出してきた通りである。

例えば大竹文雄らの研究においては、「犯罪の発生率が、犯罪の機会費用と密接な関係をもつ労働市場の状況や所得状況、警察などの犯罪抑止力と整合的な関係にある」と指摘されている(大竹文雄・小原美紀「失業率と犯罪発生率の関係:時系列および都道府県別パネル分析」『犯罪社会学研究』35)。どういうことかと言うと、犯罪の発生率というのは、失業率が高かったり、格差が激しかったりする状況において増加する傾向にあるということ、要するに「経済の悪さ」は「治安の悪さ」と関連を持つということだ。

これは日本でも米国でも観察されることである。…このことは、時系列的(景気の変動、失業率の変化)にも、共時的にも(経済的に沈滞している地域/豊かな地域)同様の傾向が確かめられている。すなわち、生活苦などの状況に置かれた人たちが窃盗などの犯罪にかかわってしまう、というきわめてシンプルな話である。

経済環境がひとを犯罪へと駆り立てる――。このことは、来日本外国人による犯罪率の僅かながらの高さを説明する。反移民国家・日本では、「技能実習」の名のもとに事実上単純労働者を外国人に委ねる――しかし移民とならないように帰国を義務付ける――「移民政策」が採られている。その多くは、「労働者」ではない「実習生」として、労働者の権利が相当に限定された単純労働に従事しており、収入も処遇もよい状況にはない。他の経路で日本に滞在している途上国の外国人、さらには非合法に入国している外国人に至っては、さらに状況は悪い。総じて構造的に劣悪な経済状況、就労上に置かれているひとが多く、そのことが犯罪率が高い傾向の要因となっていると考えられる。

つまり、「外国人の犯罪」と呼ばれる事柄のほとんどは日本国籍者にも適用される「経済的要因」によって説明されうるわけだ(社会学者に対しては、「経済的な変数を統制せよ」といったほうがわかりやすいかもしれない)。とすれば、犯罪率にかんして外国人と日本国籍者を分別して考えることにそれほどの意味はない。それは「外国人問題」でも「移民問題」でもなく、「経済問題」なのだ。

1800とはずがたり:2017/02/28(火) 23:57:49
上野氏が一貫してみようとしないのが、この「経済と社会秩序」という古典的問題である。経済的な安定性がないところでも秩序が保たれると本気で考えているのだろうか。それとも「日本人は非常時でも整列する」などというあの「日本人素晴らしい」論に与するのであろうか。敗戦後の日本、『教育勅語』で教育を受けた人びとがどれほどの凶悪犯罪に手を染めていたか、どれだけ犯罪率が高かったか、戦争特需以降の景気回復で治安がどれほど劇的に改善されていったか、社会学者であれば誰しも知るところである。日本人は特殊な道徳意識を持つ人びとではない。経済状況が悪化すれば、外国人滞在者、移民の存在に関係なく、犯罪率は高まる。上野氏は日本特殊性論を打ち出したいのであろうか。

さらにいえば、90年代以降、移民増加によって経済成長を維持した国では、犯罪率の低下すらみられる。典型的なのはスペインであるが、ようするに、労働力不足→移民増加→経済成長→犯罪率低下という循環が生み出されているわけで、ここには魔法も何もない。ごくごく単純な社会の傾向性が存在するだけだ(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1170a.html)。「外国人滞在者が増加すると犯罪率が高まる」と言うのは端的に、日本という国が外国人の労働に関してきわめて厳しいハードルを作っていて、そのハードルを越えられない入国者が法により守られることのない就労環境に置かれるからであり、さらに合法的な入国でも「実習生」制度のような形で労働者としての権利を制限しているからにほかならない。

一方「外国人滞在者・労働者が増えると犯罪率が低下する」というスペインのような傾向は、たまたまスペインにやってくる移民が道徳的に正しい人たちだからというのではなく、経済環境がよくなるとスペイン人も移民もともに犯罪率が低下する、というだけのことである。

上野氏は識者として公のメディアで発言しているのだから、この点については私以上に専門知識を持っているはずだ。にもかかわらず「移民」は無理であると言う。なぜか。

ひとつには、経済という人間の社会的営みに対する上野氏の認識の無頓着さと、それを支えるナショナリズムが考えられる。つまり「経済などというのは、成長がなくても、そんなにひどくはならないだろう」という、日本経済の底力に強い信頼を置いている可能性がある。たしかに二次大戦後、移民をほぼ政策的に受け入れることなく経済成長を達成したのは日本ぐらいである。しかしそれが、人口ボーナスや特需などいかに「偶然的」な要因によって達成されたかは上野氏もご存知のはずだ。日本人の勤勉なエートスが経済成長を達成した、などと言うのは絵空事である。

いまひとつには、「経済が悪くなっても日本人は清く正しく生きるだろう」という漠然とした日本人の秩序志向への信頼が考えられる。現に日本はデフレの時期に「排外主義」の顕在化を許してしまった。経済だけが原因とはいわないが、まだ一億人の人口規模を持ち、団塊ジュニアが生産年齢にあるこの時期のデフレですら「我慢できない」人びとが、人口が半減し老人比が重くのしかかる状況での生活・経済環境に充足することができるとでも考えているのだろうか。

上野氏は「平等に、緩やかに貧しくなればいい」と言う。なぜ日本だけがそんなことが可能だと考えるのか。上野氏をはじめとする脱成長派に聞きたいのはそのことである。上野氏は「社会民主主義」という言葉を使っているが、どこに「成長」を目指さない社会主義思想が存在していたというのか。「権利・自由の欺瞞には踊らされずにみなの豊かさを求めていく」というのが社会主義の基本理念であろう。いつから社会民主主義は「清貧の思想」になってしまったのか。

総じてこれらの問いへの答えが得られない現状では、ひとつ考えられる有力な仮説は、「脱成長派は『日本経済』や『日本人のエートス』の力強さ、秀逸さを固く信じている」ということだ。これは伝統的な日本特殊性論にほかならない。単一民族神話を解体したいのなら、そんな日本特殊性論もちゃんと一緒に清算すべきである。「脱アイデンティティ」などと言っている暇があったら、ご自身の強固なナショナル・アイデンティティを「脱構築」すべきである。あるいは自分はそうしたナショナリズムから自由であると考えているのかもしれないが、犯罪率と移民問題を結びつけた時点で何にご自分が踏み込んでしまったのかを自問していただきたい。

1801とはずがたり:2017/02/28(火) 23:58:33
「逃げるが勝ち」の倫理と新自由主義の精神

世代間再配分についても気になるところだ。「みんな平等に貧しく」と簡単にいうが、平等というのはいうまでもなくきわめて難しい概念なので、まずは不平等状況をリセットする状況想定が必要となる。となればもちろん、デフレによってその職業キャリアを毀損された出生コーホート、ロストジェネレーションへの再配分、しかも、高度経済成長のもとで利益を受けた世代からの再配分、財と機会の移転が必要になる。…

ロスジェネの出産ボーナスもそろそろ期待できない時期に差し掛かっている。「産めよ増やせよ」などというつもりは毛頭ない。そうではなく、世代的な不利益を被ってきた人びと――現在の若者と団塊ジュニアの狭間でわりをくった世代――への社会的な再配分を考えなくてはならないということだ。そうした世代間不平等の解消に向けてどのような方策を上野氏が考えているのか、これがあきらかにならないと「平等に貧しく」などという言葉に同意することはできない。

これまたいうまでもなく、団塊世代にしても、独居老人世帯や貧困世帯、人的関係資本から疎外された人びとなど、「これ以上むしりとられたら死ぬしかない」というひとは山のようにいるのであって、日本は豊かな社会ではまったくない。GDP比の貯蓄率はOECD諸国のなかでもイタリアとともに低い水準にあり、団塊世代の貯蓄率はたしかに国内的にみれば相対的に高いといえなくもない――貯蓄・資産形成期が長いのだから当たり前――が、それは正規分布のような形をとっておらず、所得と同様に「持っている人が持っている」というだけだ。

団塊世代の貯蓄は、貯蓄なしをあわせて1000万未満が47.3%、年金などをあわせて「そこそこ豊かな」老後を過ごしうると考えられる3000万以上の貯蓄のある人は13.1%にすぎない(内閣府『平成25年版 高齢社会白書』より)。年金を含めた年間所得300万以下の世帯は過半数を超える。独居老人比は2010年には女性高齢者で2割を超え、団塊世代女性の相対的貧困率も2割に達している。現在の生産年齢世代は、ストックの形成も難しく、放置しておけばその水準すら達成できないのだ。

世代間再配分を果たそうにも多くの団塊世代にはそれが難しい。貯蓄額・資産の大きい人びとの資産が、社会的な再配分に向かっていない状況は、上野氏自身が属する「団塊」世代内での断絶を示している。「逃げ切れる団塊」などほんの一握りの人たちであり、そうしたなかで「おひとりさま」などと提唱するのは、社会政策としては絵空事に近く、再配分をなにも考えていないことの証左である。

夫と離婚して慰謝料と年金で「健康で文化的な生活」をある程度期待できるひとなど、ほとんどいない。「1%vs99%」でいえば、団塊世代女性の多くは99%の側にいる。男性から女性への再配分にしても、ほとんどの男性高齢者にその余力はなく、どれだけかれらから「回収」しようとも、寿命の差を考えれば世代内再配分に大きな期待をすべきではない。「おひとりさま」は、そういうジェンダー論的にも残酷な思想である。いまさら「再配分を考えて平等に貧しく」などといわれても、鼻白むというもので、まずは「おひとりさま」の撤回から始めるべきだろう。

というか、そんなことは疑似問題なのだ。「人間お金だけじゃない」という人生訓は美しくはあるのだろうが、それは社会政策次元で社会学者がいうべきことではない。企業の内部留保を問題化するのなら、なぜ留保が解けないのかを考えるのが政策であり、それはそのままご自身と同世代の富裕層の貯蓄や資産にもあてはまる。しかし先記のように、そこから搾り取ったところで、老人の死亡率が「自然増加」するだけで、経済成長がなければ生産年齢世代が得るものは大した額ではない。最悪のシナリオである。その再配分を支える体力が今の日本経済にあると本気で考えているのか。

経済というのは、社会のすべてではない。権利は大切である。善さも正しさも大切である。しかし正しさが善さによって支えられていることもまた、自然権論者ならぬ社会学者であれば考えなくてはならない。制度の公正性と経済的合理性を分けて考えること自体、社会学者の不遜というものではないか。

1802とはずがたり:2017/02/28(火) 23:58:45
「清く貧しく」というのは「勝ち組」の余暇、娯楽にすぎない。高層マンションの生活に退屈した小金持ちの道楽だ。

上野氏や内田氏がそんな趣味にかまけているあいだに、すべきことは山のようにある。おそろしいまでに徹底された移民・難民制限、その人権意識が著しく疑われる入管の対応、メディアに垂れ流される外国人=犯罪者論と日本礼賛、エビデンス無視のご都合主義的な歴史認識、改憲への行程の整備……。そして、上野氏がいうような経済に対する残酷なまでの無関心・楽観視――それはたいがい本人の意図と反して、本人が懸命に批判されている「新自由主義」と一致する――は、「日本の底力」なるものへの倒錯した哀愁の現われにほかならない。

おそらく日本が移民政策を進めたら、多くの人たちが東アジアからやってくるとでも思っているのだろう。しかし、東アジア地域は途上国(タイ、ベトナム等)も含め、あと数年のうちに「少子化」のモードに入る。日本人が考えている以上に日本の経済は弱体化していて、賃金の上でもけっして優越的な位置にはない。頭を下げても来てくれない、その可能性を考えたことはあるだろうか。

上野氏であればこの10年の間に、東京大学からどれだけ多くの韓国人留学生がいなくなってしまったのか、知らないはずはない。中国からの移入者もいまがピークと考えていい。その頃になって焦って移民受け入れに転じても、誰もこんな国にはきたくないだろうし、上野氏のいうように衰退していくなら、その「利益」もなにもないだろう(現在でも、だ)。上野氏はあまりに日本社会を信頼しすぎているのではないか。その懸念は以前から持ってはいたが、今回の記事ではっきりと確信した。脱成長論とは反多文化主義であり生活保守であり、マジョリティの道楽である、と。

自分は違う、と上野氏は言うだろう。しかし、論理的にみれば、完全にそうした流れに掉さしているとしか思えない。娯楽のために踏みつぶされる人びとの複数性をもった声に耳をふさぐような思想を、フェミニズムが許すはずもない――私はそう信じている。

「まじめに正義と配分の話をしよう」

こうした、上野氏のまごうことなきナショナリズム(括弧すら必要ない)は、おそらくはご自身が忌避するであろうトランプ大統領の社会政策、そして生活保守を馴致する新自由主義とほとんど差はない。上野氏の信念体系では、「フェミニズム」「反差別」「反新自由主義」はセットとなって存在しているのだろうが、私はそのセットが学者として踏まえるべき合理性・道理性を兼ね備えているとはいえないと考える。

上野氏は新自由主義者である。

私は新自由主義という概念は、社会学的には使い物にならない概念、万能すぎて何の反証可能性もない、雑に過ぎる概念であると思っているが、とにもかくにも「小さな国家(緊縮財政)/個人主義的な競争主義/流動性の上昇/貧富の格差の肯定」という要件が新自由主義なるものであるするなら、上野氏は間違いなく新自由主義者である。

上野氏は、淡々と滅びていけば日本が自働的にスウェーデンのような福祉国家になると考えているようだが、そんなわけがない。経済規模が異なるので単純比較はできないが、先にも触れたように、スウェーデン経済は90年代半ば以降の財政再建が、為替減価や生産性向上と相まって、経済成長と結びつき一定の定常性を維持しえている国である。

まさかここで「やっぱりスウェーデンぐらいまで人口・経済規模を小さくすればいいじゃないか」というのなら、もう社会について語るのを止めた方がいい(環境条件が変わった状況での因果遡行は社会科学的にいえば「無理」である)。あのおそろしく税金の高い国家において、日本や韓国以上の成長率を維持できているということは、どういうことか、少し考えてみればわかるだろう。

スウェーデンは当然のことながら金利政策と人的投資を基本軸とした経済・社会政策をここ20年間の間にしたたかに採っており、為替レートの減価(自国貨幣の価値下落)で輸出の好調が財政均衡と連接する「構造」を創り出してきた。設備投資・イノベーションの活性化を測り、法人税率は90年代以降引き下げ続けられ、現在では日本よりもはるかに低い税率となっている(湯本健治・佐藤吉宗『スウェーデン・パラドックス』日本経済新聞出版社、2010年)。

1803とはずがたり:2017/02/28(火) 23:59:01

こうした構造に大きく寄与したのは、女性の労働力活用と、未来の労働力への投資、そこからえられる輸出産業を支える充実した人的資本である。将来の労働力の質、イノベーションを果たしうる人材を高める投資を制度的に行っているわけだ「なんで「[子どもを]私が預かるわ」、「親同士で預け合いしよう」という話にならないのか」「目の前にある待ったなしのニーズをお互いにサポートして解決しようと考えずに、なんでも制度とサービスに行くんですね」(「シニシズムを越えて」『atプラス』26号)といった上野氏の社会化への恐るべき冷淡さとは無縁である。

むろんそれはバラ色の歴史ではない。スウェーデンが優生学的な事実上の断種政策を70年代にいたるまで行っていたことは、「人」を投資としてみることの裏面であり、いいことづくめの話ではない。

とはいえ、日本や韓国のように、経済規模が大きいにもかかわらず、教育投資に関して世帯支出に頼りっきりで、かつ、英語通用圏でもない(し賃金も低い)ので人材も集まりようのない国が、どうやって生き延びていくかを考えるとき、将来の労働力への投資や、理に適った統合教育――統合教育というのは「お国柄」に染め上げるということではない――は有効な手立てとなる。少子化問題は、むろん産む/産まないの自由は産む人にあるわけだが、現下の日本は、まずは出産・育児にかんする社会化があまりに不十分で、女性の負担をあてにしているため、「産みたいけれど、産めない」人が多数いるという状況だ。これは「産めよ増やせよ」という話ではなく、端的に「産んでも仕事を続けられる/られない」という労働・就労形態をめぐるジェンダー非対称性の問題である。

そうした将来の労働力としての子どもの養育に対して、どれだけ社会の側が投資するか、ということが問題なのであり、これを私的セクターに投げ出している状況が問題なのである。上野氏は私との対談(前掲「シニシズムを越えて」)で、育児の社会化について否定的な発言をしているが、これはまさに育児・教育を「私化」する新自由主義の発想にほかならない。育児・教育の社会化、適正に管理された移民政策(十分な共生教育)、多文化主義の担保は、中長期的にみた場合、子どもを持たないひと、持てないひとにとっても十分にペイする投資であって――短期的には積極的な財政にもとづくデフレからの脱出が至上命題である――その投資が恒常的に存在して初めて、北欧型の定常社会が機能するのだ(そもそも北欧型の福祉国家体制が100年近くの歴史のなかで醸成されてきたことを忘れてはならない)。不況時に財政出動することや金融政策にコミットするのは、ごく当たり前の当然のケインジアン的発想であって、なにも安倍首相の占有物ではない。

経済は言ってみれば「下りエスカレーターを駆け上る」ようなシステムであり、上野氏が夢想している「脱成長成熟」の社会も健全な投資への動機づけと成長が不可欠である(なにかというと「かつてのような高度経済成長はありえない」というが、そんなことはどんな反緊縮派も知っている)。女性労働力や将来の労働力への人的投資、現状の多文化的状況の認識と改善、多文化主義に基づく人的資本の流動化への投資に向けて経済成長を図るというのであればともかく、経済成長そのものを否定してみせるというのは、端的にジェンダー公正の問題と多文化主義の問題を、「一国経済主義」の枠内で否定することを含意する。「経済」の問題と「多文化主義」の問題を分けて考えられる、という発想自体が、「正しさ」の水準においても「善さ」の水準においても、能天気としか言いようのない「日本経済・日本人への硬い信頼」に支えられていることを見逃すわけにはいかない。

長くなったが、要約すれば簡単な話だ。小学生の椅子取りゲームのような幼稚な社会観――トランプのそれとまったく同じ――をちゃんと捨て去り、「真面目に正義・公正と善の話をしよう」ということである。

内なるトランプを見据えよ

と書いたところで、特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク・貧困対策プロジェクトからの公開質問状への回答が、上野氏のブログに載せられた。…

1804とはずがたり:2017/02/28(火) 23:59:18

…これは本当に絶望的な問題だ。「ジェンダーやセクシュアリティと移民の問題が同じにできないのは、前者が選択できないのに対して、後者は政治的に選択可能だからです(難民の問題は別です)。したがって、『公開質問状』にあった『この発言を、上野氏のご専門であるジェンダー問題におきかえると、「日本は女性差別的な国。日本人はフェミニズムには耐えられないでしょう。日本に女性はいない方がいいです」となります』は、まったく当たらない類推となります」と上野氏はいう。「選択可能」ということがいかに「自由」「責任」ということと微妙な関係を持つのか、上野氏を含むフェミニストたちは延々と繊細な議論を積み重ねてきたはずだ。それがここでは完全に等閑視され、蔑ろにされ、侮辱されている。

この点をさらに掘り下げよう。第一に、なぜ、いかなる基準で、「選択できる/できない」という区分で外国移住者・居住者差別問題とジェンダー非対称性の問題とを分断しうるのか。どれほど多くの在日本朝鮮・韓国人のひとたちが「選択して」日本に生まれ育ったというのか。「選択なのだから、文句を言うなら出ていけ」はヘイトスピーチの常套文句である。「選択である」という認識が「自己責任」とむすびつけられ、異議申し立ての権利を簒奪してきた歴史、現在進行中の歴史をみて、なぜこれほどまでに残酷なことがいえるのか。また、親が不法滞在し、日本で生まれ育った子どもたちが、親とともに生きる権利、さらには「選択したわけでもなく」生まれ育った日本の地で生きていく権利をも奪われかねないきわめてクリティカルな状況にあることは、いくら専門外とはいえ上野氏もご存知だろう。


上野氏は、これほどまでに残酷な――リアリズムではなく、端的に不見識にもとづく――社会構想を示しながら、市民社会の広がりに期待を持っているという。多文化の現実を受けとめられない人たちに抗して、多文化の事実を見据え、多文化主義の実装を目指すことこそが、「国民」ならぬ市民なるものの責務なのではないか。上野氏のいう市民が国民でしかなかったことを、悲しいことだが、あらためて強く思い知らされた「回答」であった。

* * *

私は少子化問題というのは、将来の労働力確保の問題というよりは、基本的に女性に著しい不平等をしいている「家事/ケア労働」をどう社会的に公正化するのか、という問題だと認識している。「出産意志はあるが、産めない/育てられない」という層が多い一方、産む/産まないは当然当人の意志によるものだ。そこを強制して、お国のために子ども増やせ型のお馬鹿なお話に付き合うつもりはない。安倍内閣の掲げる現状の数値目標もナンセンスだ。しかし、「産みたいひとがいるのに産めない――これが仕事を続けたいのに続けられないと強く関連しているわけだ――状況の改善」は多くの女性たちが差し出している、正当なニーズである。それが結果的に長期的な出生数上昇につながったらそれはそれでよいではないか。

そうした対応は「産まない人/産めない人」への不当な負担であるとは考えない。育児・教育・福祉の社会化、人的資本への社会的投資で恩恵を被るのは「産む/育てる」ひとたちだけではないのだから。未来のまっとうな社会への投資だと思っている。

労働力の確保はもはや手遅れ気味ではあるが――現状、米仏独と異なり、日本に来る金銭的・社会的メリットがもはやなさすぎるので、そこのあたりのちゃんとした待遇・権利保障・教育システム、多様な職種・生き方が併存可能な形を整え――移民や外国人労働者に三顧の礼できていただくしかない。勘違いしてもらって困るのは、移民受け入れ策に切り替えても、日本が外国人労働者/あるいは移民になる意志のあるひとにとって、もはや魅力がさほどないぐらいに「堕ちた社会」になっているということだ。「アジアのひとたちのあこがれの地」などと夢想するのは不遜なうぬぼれというものである。

それでもまだ来たいと言ってくれているひとたちがいる。来てくれているひとたちがいる。そして、なにより実際に来ているひとたちがいる。その人たちが安心して生きていける環境・法整備を「最低限度先進国として当然のレベル」にまで持っていく――日本はとうていその水準に達していない――のは、かろうじて先進国たりえている国の責務であろう。その責務を果たしてから「無理」と言っていただきたい。

1805とはずがたり:2017/02/28(火) 23:59:45
>>1797-1805
上野氏が言う通り「福祉国家にはつねに潜在的に境界の管理が伴」う。しかしそれは当然のことながら、日本国籍を持つ親から生まれた者のみが経世済民の対象となるということを意味しない。なぜこうも限定的に、日本に生まれ日本人として育った人びとのみを社会の成員と考えようとするのか。上野氏のいう市民社会は、いつのまに狭義の国民国家に従順なものに成り下がってしまったのか。日本の戦後民主主義・市民社会論自体がいかに「ネイションモデル」に塗り固められていたかは、すでに多くの指摘がされてきたが、上野氏もその「市民派」の流れに掉さすということなのだろう。

「人口規模1億人を維持しようと思えば1.3千万人の社会増」が必要となり、人口の1〜3割が移民となる状態に日本人は耐えられない、というのが上野氏の診断であるが、なぜそうも「日本人」に優しいのか理解できない。人口に占める外国出生者の比率は、スイス28.3%、豪27.6%、カナダ20%、北欧、英独仏蘭も10%を超える。1.1%の日本が多文化状況に懸念を持つなどとんでもない話である(OECD International Migration Outlook 2015にもとづくhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1170a.html参照)。準備をしてから心配をしろ、というスタート地点百歩前の状態である。

人口の一割が移民になったとして、その移民の統合教育や異文化教育、権利保障をこそ考えるのが社会科学者の役割であって、日本特殊性論を振りかざし、「寝た子を起こすな」式のレトリックでもって日本社会を甘やかすのであれば、そんな社会は「社会」の名に値しない。そこには「社会など存在しない」。

…治安云々を言うのであれば、貧困や経済的な困窮と犯罪との関連のほうがよっぽど深刻に懸念されるべきだ。敗戦直後、日本の治安が良かったなんてどのデータをみたらいえるのか、「昭和30年代」がどれだけ貧しく犯罪の多い社会であったのか、お忘れになったのか。これだけ排外主義が許容され、多文化の事実にもかかわらず、最低限の多文化主義にすら「PC疲れ」と不平を言うような人たちが少なからず存在する現在、経世済民のコントロールがつかなくなったらどうなるか、考えただけでもぞっとする。

一見やさしさを装った「脱成長」の仮面の下には、根拠なき大衆蔑視と、世界社会における日本の退潮を直視できない団塊インテリの日本信仰、多文化主義への不見識と意志の欠如、選択できる/できないという線引きを前提とした――在日外国人をめぐる問題系とジェンダー問題とを分断する――無邪気な自己責任論、それらを包含した、多様性をみない平板な「社会理論」が根を張っている。それは「一国主義」で生きていけるというトランプの無根拠な信念と、語り方を変えただけで、まったく同型である。

脱成長派は、優し気な仮面を被ったトランプ主義者にほかならない――悲しいことではあるが、いまはそう考えるしかない。

安易に社会に絶望できるのは、現在進行形で紡ぎだされているマイノリティの声の複数性に耳を塞ぎ、無根拠に「日本社会の底力」なるものを信憑することのできるマジョリティの特権である。この特権を特権であると認め、自分の言葉が踏みつぶした複数の――日常的・恒常的に生み出されている――「絶望」の声に耳を傾け、自らの思想的・実践的な「襟」をただすこと。脱成長左派に求められているのは、そういう基本的な――むろん難しいことではあるが――ことである。

そうしたスタート地点に立ち戻らずに「連帯」を言うこと、構想することはできない。シニシズムも絶望も、「認知的不協和」を解消するという点では機能的に等価なマジョリティの選択肢である。そのマジョリティに与えられた「選択」肢がいかなる理由の体系、構造に支えられ、どのような効果、機能をもたらしてしまっているのか、その問いを直視するところからしか「連帯」は生み出されないだろう。逆にいうと、その連帯なくして現在の世界社会をサバイブすることはできないということでもある。はたして私たち――日本という地政学的環境で生活にかかわっているすべての人びと――に「絶望」している余裕など残されているのだろうか。

知のネットワーク ? S Y N O D O S ?

1806とはずがたり:2017/03/01(水) 00:01:30
東大の教授さんか。

北田暁大
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%94%B0%E6%9A%81%E5%A4%A7
北田 暁大
(きただ あきひろ)

北田 暁大(きただ あきひろ、1971年12月28日 - )は、日本の社会学者。東京大学大学院情報学環教授。専門は理論社会学、メディア史。東京大学博士(社会情報学)。

経歴[編集]
神奈川県生まれ。聖光学院高等学校、東京大学文学部社会学科卒業、東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究専攻社会情報学専門分野博士課程単位取得退学。東京大学社会情報研究所助手、筑波大学社会科学系講師、東京大学社会情報研究所助教授、准教授を経て、2015年から現職。 広告などを対象として日本のメディアの現在を分析している。2002年の著書『広告都市・東京――その誕生と死』では、社会システム理論家のニクラス・ルーマンのコミュニケーションの理論を土台として、「つながりの社会性/秩序の社会性」という対比を行った。
主張[編集]
宮台真司の初期における啓蒙活動を評価しており、ロマン主義からの離脱を煽るべきだと考えている[1]。
選択的夫婦別姓制度導入を支持する。
空間的な街を形成しないヴァーチャルなエスニック・タウンが登場している。移住者は故郷を求めるのではなく、自己と故郷をつなぐ中継点を求めて街に集まるようになった。かつてアウラを求めて渋谷にいた日本の若者も、今では街を情報アーカイヴと見なしている。都市が空間的舞台から情報アーカイヴの機能へ移行している背景には情報技術の発展があげられ、アウラを失ったみえない多文化都市が形成されつつある[2]。


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