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明主様
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(無題)
話が進むにつれ、段々と埋没して行っちゃうのでもう一度投稿しておきます。
今日、最も書きたいなぁ〜と思っていた事。
【あなたは、今の自分の事が好きですか】
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(無題)
>自分はかなり上位のプレイヤーだと思った(笑)
使う言葉の雰囲気からして、タカシさんは楽しめてると俺も思うよ(笑)
俺はまだ初中級かな〜。まあマイペースで。
他人と比較しなくなったのは、過去比とても好きな部分ですね。
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(無題)
>話が進むにつれ、段々と埋没して行っちゃう
これこそ、次の掲示板では改善したい、と思う点。
返信が有るたびに、上位表示に返り咲くような。
まあちょこちょこ探します。
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琳派
なんでも鑑定団見ていたら、 オーストリアの 画家グスタフ、クリムト( 1862年〜1918年 )妖艶な女性を描くと紹介、 この人の絵が
2006年、 156 億円 で売買されたとありました。 影響を受けたのが琳派と言ってましたので、 琳派といえば尾形光琳ですから 、本当に世界に影響を与えたんですね。
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御面会
これは岡田茂吉全集 付録、解説、 安食卓郎先生が書かれたものからです。
抜粋 、《明主様に初めての御面会》
「昭和19年(1944)5月東京大空襲で家を焼かれた私共は、昭和21年、井の頭線、東松原駅の近くに家を購入し、 山中湖から転居していました。私共は近くの東松原治療所の遠藤先生のご指導を受けておりましたが、私が仙台や山中湖で浄霊活動している姿を見ておられ、 遠藤先生より、「明主様に御面会させてあげる」というお許しが出ました。
当時戦後とはいえ、明主様へのご面会は活動者でなければ許されませんでした。 現在、「聖地参拝を許されて・・」という言葉がありますが、これは御面会を許されるということから始まったのです。
昭和21年の7月でした。場所は箱根、神仙郷の観山荘です 。」(午前11時から正午まで、月に3回教会のグループ別での御面会、今式典が11時から始まるのは御面会の開始時間、その名残でしょうか)(一番)
「小田急線に朝暗いうちに乗って箱根に行きました。その頃は戦後の荒廃で、電車の窓には所々 ガラスがなく板が貼ってあり、風がピューピュー入ってくる、
各駅停車の電車でした。私は当時学生ですから、学生服を着てのご面会でした 。
ご面会場所である観山荘の「上の間」に通されて、初めて明主様にお会いしました。学生でしたので一番後に 着座 しました。集まったのは3、40人です。「大先生のお出ましです」と言われ一斉に平伏します 。衣擦れの音が頭上をよぎります。
着座されるのを待って一斉に頭を上げます。そこで坂井先生が明主様にご挨拶を申し上げ、言葉を交わされる。
他の先生方は黙って頷いている。お話をしているのは坂井先生と明主様だけ。
御神業の話になると私のような初心者には、さっぱり理解できません。
あの頃は御経綸とか、神界の話がほとんどです。こっちはさっぱり分からない。ただ ひたすらじっと明主様が話されているお姿を、穴があくように見ているだけでした。
御面会は2時間位、その間 正座で足は崩せず、棒のようになりましたが耐え抜きました。」
(何かその頃の情景が見えてきます 。初めは神界のお話、経綸のお話をされていたんですね。
安食先生のご子息は、 世界救世教いづのめ教団、鎌倉教会でご奉仕をされていると、鎌倉の人に聞いた覚えがあります。)(一番)
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新興宗教の裏がわかる本、11
さてこの掲示板ももう終わりが近い。 パタッと画面が消えたら それまで、その前に 「新興宗教の裏がわかる本」段勲さん( 政界往来社)の本ですが、 これは 1986年 に出された本、 40年近く前で古いです。この本では色々な宗教団体が書いてあります 。
その中に「神慈秀明会」がありました。 簡単に書いてありますので 紹介します。
「資金のおおらかさでは「神慈秀明会」(小山美秀子会主)=(本部所在地京都)も負けてはいない 。
神慈秀明会は昭和45年、静岡県熱海市にある「世界救世教」から分派した教団である。
昭和45年当時の世界救世教は?中興の維新?と称する新体制の改革を行った年だ 。
改革と言うと聞こえは良いが何のことはない、それまでバラバラに運営されていた全国62の各教会を、本部にひとまとめしようとしたのだ。
早い話、教団本部の権力の金力の集権化であった。
本部のこうした身勝手な改革に、教会によっては裁判にまで訴えて反発した 。当時「世界救世教」の創立者、岡田茂吉の愛弟子で理事職を務めていた小山美秀子女史も、教団の改革に反旗を翻して、独立し「神慈秀明会」という新教団を結成するのだ。
同会の公称 信者数は約6万人、実数はその1/3と言われるが、この小規模教団が一昨年、滋賀県甲賀群の山中に何と150億円を投入して、「教祖殿」を建設したのだ。
活動信者数わずか2万人ぐらいの力で150億円を超える建物が建設されたのである。
実際に滋賀県甲賀郡信楽町の山中に、足を向けてその建築物を見学した物好きな人の話によると、「 富士山のような形をした大屋根を持っていて、その屋根の上でスキーが楽しめるほどの大きな寺院」だと言う。
ここまでです。
これだけの建物が 150億円では出来ないと思います。 もっと大きな金額であると聞いた記憶が、 これが建設されるまでには 、短い期間でしたので、
お救い。 献金、目標を立てて、明主様の 御生誕100年を目指してやっていたと思うんですが、
神慈秀明会は桃ですから百、 もも(100)ですね。
秀明は絶対、約束を守る教団。たから
色々浄化もありました。 そして達成、今の
神慈秀明会が出来た。
下は美術館から見た「教祖殿」
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005665.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005665_3.jpg
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(無題)
>【あなたは、今の自分の事が好きですか】
あえて考えた事はないですが端的に言えば、好きという事になりますかね。
心の中心軸にあるものも10代の頃と、ほぼ同じです。
今までの成長過程で思い起こせば、好きと少しだけ嫌いを繰り返しているような感じだと思います。
もし、この嫌いに思える度合いや期間が長すぎると生きる事自体が苦しくなるのではないかと想像しますね。
>話が進むにつれ、段々と埋没して行っちゃう
これは読み手の想いや捉え方次第ですが、話題が複数あるように感じられる場合、これは仕方がない事ではないでしょうか。
よくよく考えてみれば、ああ、関連性があるかも・・と思えることもありますからね。
個人的には単に時系列で表示される現状の方が、ありのままで自然だと思います。
まあ、それはさておき、FC2の掲示板はどうでしょうね。
選択肢もいくつかあります。
https://bbs.fc2.com
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ご参考に
「したらば 掲示板」
https://rentalbbs.shitaraba.com/
テーマ毎に複数のスレッド(掲示板)が立てられます。
自由に立てらるようにも、管理人だけに制限することも出来るようです。
↓ツリー式掲示板も討論向きかも?
開設するには費用がかかるかもしれません。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security_previous/kiso/k01_bbs.htm
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絵
『三千年の罪』ここまで出来ました。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005668.jpg
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(無題)
minoruさん、どうもありがとう。もう他からの反応は多分ないだろうな、って思っていた
だけに、ちょっと意外でした。あるとすればリーチさんくらいかな、とか(笑)勝手に。
自分自身の事として、そんな意外性すら、他をちゃんと理解しきれてない。っていう事が
良く分ります。自分の勝手な思い込みってホント要らない(笑)
とは言え、勝手で余計な思い込み・予測みたいなもんは常にセットでくっついてたりするん
だけど、だからこそ、常に柔軟であり続けたいと思うなぁ〜。改めてそんな事を思った(笑)
普段、考えた事もない話って、自分にとっては斬新で面白く感じたりするけど、こんな感覚
にしたって、人には無かったりするもんなんだよね。人は自分とは違うからこそ面白い。
今回の、この【あなたは、今の自分の事が好きですか?】は、実際にリアルでやった事を
掲示板でもやってみたくて書いたんですが、リアルでは人によって返答が様々だったので、
そこに面白さを感じたのでした。へ〜、自分とは違うんだなぁ〜。を実感するタイム(笑)
実際に、この質問の次にした質問なんですが。
【じゃあ、今の自分に点数をつけるとしたら100点満点中、何点くらい?】
こっちも行ってみますか?(笑)
この質問の方が、人によって結構細かいバラつきがあって面白かった。
あ。もちろんこのまま全員スルーも想定してますから、完全なる自由参加です!
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最後に
>あなたは、今の自分の事が好きですか
>話が進むにつれ、段々と埋没して行っちゃう
自分を知るということについては自分に興味がないと探求できませんので、始まりは「自分のことが好き」というところからでしたが、同じ好きでも、現在は自分という枠に収まらないと思っています。
そして人生の2/3の辺りで人生全体を俯瞰できましたので、
本年から自分の好きなことをやりたいという想いで仕事も廃業しました。
残りの人生を目標に向かい悔いのない形にもって行けたらという想いだけです。
そしてこれは大勢に支持されれば、一つのテーマに対して多くの人が投稿する機会だっただけに残念に思います。
しかし一つの考え方の掲示板として、役割を果たされたのではないでしょうか。
お世話になりました。
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(無題)
「最後に」と題されたところを何なんですが^^;
>同じ好きでも、現在は自分という枠に収まらないと思っています。
いまいち意味が良く理解出来ず、自分という枠に収まらない。とは?でした。
過去の自分という枠を越えた今の自分の事が、より大好きになっています。
とかなら理解出来るのですが。(「今の自分」についての質問でしたので)
それから、
>一つの考え方の掲示板として、役割を果たされたのではないでしょうか。
ですが、私に対しての労いの意味?なのか、たまには誤字の可能性もあったりするから、
役割を果たせた。という36年生さん御自身の事だったのか、(最後にと題されてたので)
ちょっと判断に迷いました。
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掲示板に期待したもの
人生の内に出会う人、関りのある人に関しても自分の計画上にあるとすれば、自分個人よりもその計画した自分の方が大きいわけです。
自分が顔の一部の鼻だとしたら自分一人では存在し得ないし、耳や目や口との関わりで顔の一部となっているわけですから、
自分だけでは評価しきれないと思います。
ここは秀明の掲示板だと思いますが、他の組織のことを外部目線や大衆目線で非難したり、
その立場になければ出来ない行動を非難されるのは組織の宿命でしょうが、
同じ明主様グループの一人として辛くなります。
組織の立場で言えば、外部からの批判は組織が受けるわけですから、
教主は象徴として責任の及ばないところで毎日楽しく過ごしておられれば組織としても安泰だとすれば、
信者もそれで良ければ何も他人から非難されることは無く、
敢えて教主とはもっと信者のために勉強し、修行をしなければならないなどと思う人は出ていけばよいわけで‥。
一番大事なことは、掲示板なり何なりを通して各教団の状況がよく分かり、それぞれの組織に明主様は働きかけられるわけですから、
もっとお互いの使命を尊重し合えるような掲示板であって欲しかったと思っただけです。
そこから全体像が見えてくれば、明主様をもっと大きく御掲揚出来ると思ったからです。
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世界救世教 2
世界救世教の教規変更で教主を?象徴(しようちよう)?にすることで教団が狂ってしまうんですね。
教主様に迷惑がかかる、色々 問題が起こった時、その時は自分たちが責任を負いますので、教主様は象徴になって下さいとした。
そして教団の一元化で、 世界救世教は、ある人物の手に治められてしまう。
そして後の東方の光教団ができる。 これは ある人物が幅をきかせてきた。
今度はそれに反発する派閥が生まれてくる。 それが世界救世教いづのめ教団ですね。
その真ん中で中村力氏が、 主の光教団( 主の光の経緯は詳しくありません。 ご存知の方は訂正を)を作る。
三つが対立する。 その元を作ったのがK合氏なんですね。
これが明主様が造られた、『メシヤ会館』の中で暴力事件を起こし、警察まで呼ぶ事態に。 ブルドーザーやバリケード、 信者同士の 殴り合い。
(ブルドーザーを運転していたのが、今のいづのめ教団、新理事長と投稿があった。真実はわからない。)
新聞沙汰になってしまう。 箱根は俺達が、熱海は俺達が、 そして俺達はどっちにも入れないから、駐車場でと、各派が本部を作ってしまう。 これが今の世界救世教ですね。
三派が教主を中心に一つになろうと、これまで何回も話し合ってきたが、まとまらず。
今度はその教主が多くの信徒を連れて教団から離脱する。
壊滅ですね。
悪魔はうまいことやりました。
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新興宗教裏がわかる本、12
(世界救世教いづのめ、東方の光教団にも知り合いがいる、 皆さん本当に良い方で 、真摯に信仰されている。 先生も信者を想って一生懸命されているのは、 胸を打たれる。
今 教団危機を迎え、何とかしたいと話し合っておられる お姿を見たことありますが。)(一番)
《次から次へ出る金と権力のトラブル》
「 6億円不正疑惑に端を発した一連の世界救世教の内紛騒動は、教団幹部たちの金銭不正に波及し、さらに岡田教主の?裏 帳簿?まで発展した。 そして今教団内で新たに、ささやかれているのは、19億8000万円という代物だ。
東京銀座の画廊から教団に、
「早く代金を支払って、絵を引き取れ」の連絡が入ったことが事の始まりで 、聞けば中村総長が教団の誰にも相談することなく、19億8千万円もするイタリアの巨匠レオナルド、ダヴィンチの絵を購入したのだと言う。 その時画廊から1億円前後のリベートを取ったとか取らないとかの騒ぎになっているのだ。 世界救世教内紛は背景は万事、カネ、カネのオンパレードである。
この他、紹介しきれなかった、金にまつわる教団幹部達の疑惑が目白押しにあるのだ。
岡田斎教主は 昭和66年(1991)10月6日、京都国際会議場に信者を集めてこんな話をしている。
「ともかくこうして立教五十周年、第二の創業のスタートが切られた訳です。
これからは明主様のご就業は私達の想像を遥かに超えた次元で進められていくでありましょう。
さっきも総長が世界布教だとおっしゃっておりました。救世教の本義は世界布教であります。 世界救世教なのです。」
世界布教もいいけれど、世界救世教に早急に求められているのは、まず教団内の自律、自浄であろう。
繰り返すが現在教団が認証した総長は、松本康嗣(現 いづのめ教団) である。
が 、解任されたはずの中村力?前?総長は相変わらず本部5階の総長室を占拠していて、自称?総長?を名乗っている。
救世教という「地上天国」に二人の総理大臣がいるというややこしさで、しかも最近では新総長松本派が二つに分裂しそうという情報も流れている。
自律自浄と言っても、当分無理な話のようだ。」(完)
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なんか呼びました?
好きても嫌いでもないかな?好きかな?
と考えていましたら
仮に自分と同じ異性が居たとして、そいつと結婚出来るか?と考えると、嫌だ!!!と思ったので嫌いなのかも。
友達ならok。
年のせいか目が疲れるので書き込みや閲覧は控えると思います。
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UFO
さて今、大峠です。大震災、災害 、コロナワクチンの浄化、 経済、食料危機、核戦争?いろんなことが一挙に今からおこってくる。
これは 天国になる前の大浄化です。
この時期に生まれ会わせたというのは意味がある。
それで、これまでのみ教えと、これらの、み教えで UFO 、未確認飛行物体、これは想像もつかないと思うんです。
これは岡田茂吉全集の中にいくつか UFO のお言葉はあるんですが、 宇宙には『地球以外に生物なし』と、 昭和27年6月に御教えでありますが。
故永峰先生の勉強会で、私が先生に質問したのかもしれませんが、 これは地上天国40号、昭和27年9月25日
『教えの光』からです。
ー「空飛ぶ円盤」についてお伺い申し上げさせていただきます。
空飛ぶ円盤が新聞を賑わせてから1年以上になりますが、まだ正体が分からないらしく、本年8月1日、日本人の実見者の話を総合すると、
(イ)水色がかった光の塊が、長い尾を引いて南から北に走り、アッと思った瞬間二つに割れて、消えた。
(ロ)大きさは月齢5日ぐらいで、橙(ダイダイ)色の光だ。
(ハ)突然青光りするような閃光体が現れ、高さは成層圏ではないかと思われるくらいの高度で、目撃された大きさは、レコード盤ぐらいで厚みあり、進行速度は緩やかで、灼熱の発光体から、だんだん赤みを帯びて 、海上の上空に消え去るったと言っております。
この「空飛ぶ円盤」はアメリカ上空に多く出没して、騒がれているとのことでございますが、 新兵器 という説、そんなもの等は考えられないという反説、流星という説、流星ではないという説等々、諸説紛々としております。
この正体について、御垂示のほどお願い申し上げます 。
(御垂示)
『これについては世間で考えるようなものではない。非常に神秘なものであるから、何れ詳しく書いて栄光に乗せるはずである。』
ここまでは岡田茂吉全集に載せてあるんですね 。この後が知りたいんですが、これを永峰先生は教団本部、教学室で見たとおっしゃっていました。
『それが大峠に大きな働きをする』と書いてあったとおっしゃったんです。
それは自然現象ではなく 、宇宙人と言っていいのか、未来人と言っていいのか、そこはわかりませんが、
中に人影のようなものが見えたということを、 存在をおっしゃっていたような記憶があるんですが、ここははっきりと覚えていません。
これは新しい人たちは、このみ教えから何か 扉が開かれるような気がする。
今までのものとは違う何か 、想像を超えたもの。
はっきりとはわかりません。 これを当たり前に信仰している人に言っても、通じないでしょうね。
時期があるのかもしれません。
今これが 解明され、信仰と結びつく、 UFO のみ教えが本当ならば、だんだん時代のピントが合ってきたような気がします。
明日は地上天国祭、神慈秀明会信者は 日の出に祝詞を奏上します。 こちらは5時8分日の出ですから 、遅れないように。
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(無題)
>自分だけでは評価しきれないと思います。
「自分がどう感じているのか」という、自分の意識・感覚をあらためて感じてみる機会、
自分というものの存在を感じきる為だけの時間、というのがあっても良いかな。
「自分の評価」を、他人ではなく自分自身が下すところに意味があると思っての質問でした。
あらためて意識してみる事で、新たに感じる事・意外な気付きなどあったりするもので。
もちろんそんな事だって人により様々な訳ですが、基本、遊び半分・気軽な気持ちでやって
もらえたらイイなって、そんな感覚での質問でした。
また、思いもよらぬ返答から期待という言葉が出て来たので、期待について少し。
期待とは、本来、読んで字のごとくそのまんま、「期を待つ」事の意味ですが、
一般的には意外と「こうなってもらいたい」という「要求」の意味で使われる事が多い様に
思います。もしその場合であったとしても、一方的な要求というのは論外でしょうから、
前提として「お互い合意・意思確認済みのもとで。」という処は肝心な部分かなと思います。
期待という言葉自体に「求める・要求」の意味はなく「期を待つ」という意味がその本質。
だから、期待をする側の人の心構えとして、同時に求められるのは「期を待つ覚悟」。
相手が進化して行く可能性を100%信じて期をじっと待つ心構え。途中段階のまだダメ状態
を結果と捉えちゃう程度の信じ方・待つ覚悟の出来ない期待なら、初めからしない方がマシ。
期待を裏切られた!等という話も時折り聞いたりしますが、そういう被害者意識なども
肝心な自分の心構え・道理・責任など色々疎かにした結果だという事になるかなと思います。
リーチさん、どうもありがとう。
特に呼んだつもりで書いた訳じゃ無かったんですが・・・。
でも、そりゃまぁそうなりますよね!ごめんなさい!^^;
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再び、暴露について
ネット上での発言は、不特定多数の人達の眼に触れる事になるので、暴露に関しては
「特に」慎重になったほうが身の為かと思います。
多くの人達の悪想念を誘発する・煽る先導者の責任は結構重いであろうと
(霊界への悪想念増量のきっかけ作り・先導=主犯格扱い?か?と)想像します。
それに加えて「悪事を暴露された側の人」が、もしも実際は冤罪だった場合、悪に仕立てた
罪は相当ヤバい事になるだろうと思うし、
本当の悪だったパターンで考えてみても、暴露無いまま逃げ切れた場合、現界での清算ゼロで
霊界まで持ち越した方がもちろん重罪確定=本人の為になる。
人間界での人の裁きよりも、霊界での神の裁きの方が圧倒的に正確で厳しいだろうから。
現界で下手に暴露する事で、その人の罪を軽減させつつも尚、自分が罪を背負う覚悟とは。
もちろん、そういう事まで全て承知のうえで、それでもなお、暴露への想いが強いとしたら、
それはもう、一つの立派な役目(魂レベルの使命、その人にしか出来ない事)だと思います!
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佐藤さん
なかなか最後が来ません。
客観についてはこれまでにも何度か取り上げたものの、あまり意見・質問を頂きませんでした。
肉体を通して主観的なことや経験したことを基に判断するようになるが、魂そのもので観ることが出来るようになると、客観的な部分が見えてきます。
これは川合輝明氏からイヤというほど、「本当に分かるのか?本当にそう思えているのか?」と言われ続けてきましたので、その時は感動しました。
10年前にその客観の世界が見えるようになり、昨年より主観と客観の世界の結び、つまり「創造」の段階に入っています(意識しなくても出来ていく世界)。
結んで新しく生まれる自分については「今の自分を超えたもの」になります。
「創造」を人生の最終目標にしているので、「新人たれ=一木一草に至るまですべて上に向かっている」という例えで、
「今日の自分は、昨日の自分よりも大きくなっている」と言う愛情表現で如何でしょうか。
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36年生さん
え〜っと。先ずは、早速「佐藤さん」に変えて下さってどうもありがとうございます^^
で。投稿内容に関してですが、最後の「如何でしょうか」が、どこに掛かっているのか、
何に対しての返答を返せば良いのかな。というのが全文読ませて頂いた率直な感想でして。
5回以上じっくり熟読してみたんですけど。
先ず、私が最初に投げかけた「あなたは今の自分の事が好きですか?」の質問に対して、
これで返答になっていますか?という意味の「如何でしょうか」だとしたなら、
いいえ、私が求めた返答にはなっていません。という回答になります。
「好きですか?」と質問をしたので、私が求めた回答は「はい、好きです」もしくは
「いいえ、嫌いです」あとは「どちらとも言えません」とか「よくわかりません」など。
もう少し細分化すれば「どちらかと言えば限りなく好き寄りに近い嫌いかな」とか
「嫌い寄りの好きかも知れない」などですが、基本、はいorいいえ回答を望んでいます。
それも、返答はどちらでも構わないと思っている中で、もしも答えてくれるのであれば、
それ(はいorいいえ程度のシンプルな回答・基本二択)を望んでいたという意味です。
続きます。
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つづき
それとも、そっちの意味ではなく、
36年生さんの書かれた内容・世界観について私がどう思っているのかを問う意味での
「如何でしょうか」であるとすれば、率直な感想としては、
独特な世界観・表現の仕方だなぁ〜。っていう感じです。
その内容について何か違和感や疑問など感じる感じない以前に、表現されている意味が
よく理解しきれていません。
独特な表現に対して、私も人の事は言えませんが(笑)通訳が欲しいくらいの気持ち。
例えば「魂そのもので観る」という表現ですが、霊視でも出来ればもう少し理解し易い
のかも知れませんが、魂自体が目に見えない・確認出来ないものなので、雰囲気として
「心≒魂」の感じ?なのか「霊体≒魂」?「守護神≒魂」?「明主様≒魂」みたいな事?
36年生さんが、一体何をもって魂と定義される感覚なのか、まるで掴み処の無い感じです。
私で言う処の「感じる」に近い感覚をそう表現されているのかな?みたいなのもありますが。
現時点で、36年生さんの世界観は独特だなぁ。という認識があるくらいで、特に惹かれる
とか求めたいとか、そういう興味・追求的な感覚はありません。それ以前の理解手前です。
「如何でしょうか」が、どっちの意味か判断出来なかったので、私の想定できる範囲内で
両パターン書いてみましたけど、もしもそれ以外の意味だとしたらまた教えて下さい。
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独特な表現(笑)
と言えば、私の、自分の「内側」と「外側」とに分けた表現・考え方。
少し前に東山さんから独特な表現と指摘してもらい、言われてみれば確かに自分でも納得。
周りとは違う自分オリジナルだなぁ〜。と改めて認識する機会を得ました。(ありがとう)
この考え方の元になっているのは実は、節分の豆撒き「鬼は外、福は内」からで
自分の【外側】の「鬼」に向かって「豆を投げつける」三千年の罪穢れ(原罪)。
豆をぶつける際の引退迫る想念「あっちへ行け!」「出てくるな!」「引っ込んでろ!」など、
自分の無意識レベルに内在する、【排他の想念】を消化しないといけないよなぁ〜、と。
原罪の清算を強く意識し始めた頃からのものです。
大本教では確か豆撒きが「鬼は内、福も内」で、全部自分の【内側】だったと思います。
自分の立ち位置を「低く穢れた者」とした時の、自分の【外側】の鬼・国常立・邪神とは、
そいつが居ると自分の思い通り・自分都合が通せない。という自分にとっての不都合な存在。
鬼・邪神・悪は、追い払うのではなく、鬼も福も、正神も邪神も【両神】自分の内に迎える
「歓迎の想念」が本当である。と設定し直しました。
それが「善も悪も」両方とも自分の中に結んで開くの取り組み(内観)とも心地良く合致。
もちろん、私の参考書でもあった日月神示の「悪を抱き参らせる」の取組みとも合致する。
鏡合わせの考え方も、自分の外側の鬼・邪=全て自分自身。鬼は内。邪の原点は自分とする
事と、そもそも魂の字に鬼が存在する事・自分自身の内に魂が在るという事とも繋がり。
と、まぁ大体そんな感じ(笑)なんですが、自分の肌にはとても合っていて快適です。
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主観と客観
客観とは、他人からどう見られているかという他人目線のことではなく、自分を構成している主観と客観のことです。
私は主観とは「自分が欲しいもの、自分がしたいこと」であり、客観とは「自分に必要なもの、自分がすべきこと」と。
つまり主観は顕在であり、客観は潜在の分野だと定義しています。
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絵を見て
昨日はメシヤ様御神影へ 参拝、地上天国祭、帰りに 晴明会館( 教団の美術館)で 宗教画家で世界的と言われている杉本哲郎、1899〜1988の絵を見てきました 。この人の絵は前から見たことあるけど、何か壁画を描くから始まったと聞いて、大きな絵なんですが 、どうしても心には響いてこない。
それは何かわからないんですが、 天岩戸、西王母、聖徳太子が描いてありました。
キリストも、 聖徳太子は救世観音が背景にありました。
あまりにそのまま描いてあったから 、金で ぼかしてはあったんですが、あまりにもそのまま、描いてあったから、どうしても僕の心には入ってこなかった。これは学芸員の人には言えませんでした。
遠慮で。
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36年生さん
「自分が欲しいもの、自分がしたいこと」=主観?で、客観が潜在意識?ですか?
第二の自分から観て。というものとも違うのかな。。。
同じ欲しいでも、心から欲しているものと煩悩的に欲しがっているだけのものとの二種、
同じしたいでも、心からしたい事と、したい様な気がしてるだけの二種あるかと思います。
それらを全て総合して元々顕在意識としてあるもの。
事に当たって初めて結果から新たな視点(潜在意識?)に気付いて行くものと思いますが、
事に当たった結果から二種のそれがどちらだったのかも判断つく様になり、体験を重ねる
ごとに後者が消えて行く。という私の(心のまま=導きという)感覚とはまた違った感覚で
事に当たる前段階で既に潜在意識を察知できる様になった。みたいな事が仰りたいのか。
相変わらず意味が良く伝わりませんが、もし理解出来る第三者がいたらフォローが欲しい。
36年生さん自身が理解してる事を、伝える相手側も当然理解し得る前提で語られてませんか。
長文になっても構わないので、私を子供と捉えて、もっと具体例になぞらえながら手取り
足取り、低い者に目線を合わせる感じで教えてもらえたら理解出来るのかも知れません。
それ以前に、前投稿は結局どちらの意味だったんですか?正直そっちのほうが気に掛かる。
こっちの回答が是非欲しいです。それこそ心から。
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佐藤さん
客観とは自分を外から見た状態のことでも構わないと思いますが、自分の場合は内側から見た自分と定義しています。
私は美術・芸術の世界を通して教えられたことが多いのです。
以前、美人画展で自分の好きな画家の絵を見ていると、ヨコからジッと私を見つめる視線のあることに気づきました。
私はあまり好きではない画家の書いた美人画(私には不細工にしか見えない)からでした。近づいて見るとなんと浄霊と同じ光が出ているのです。
つまり先ほどまで疼いていた歯の痛みが解消しているのです。
自分の好きな作品では何ともなかったのに、好きでもないこの作品は、自分に必要なものということになるのかと。
自分を知るということで、自分の好きなものの世界を主観、自分に必要なものの世界を客観として、
自分の中でその主観と客観が結ばれるなら「新しい自分」が生まれるのかなと思いながら鑑賞に徹していると、
ある日、「創造」の力となっていることを見せられました。
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続き
私は御教えにしても、自分が出来るようになるまでは説明されても分からなかったと思います。
言いかえれば、分かる時が出来る時なのではないでしょうか。
本年は、世界救世教は華道の「山月流」発足から50周年になります。
私も過去に娘と一緒に習いました。当時言われたのは「花と話をしながら、その花の心を活けてやるのです」という明主様のお言葉に、
「花のような優しい気持ちで活けましょうね」と言われたものです。
ところが教団浄化を経て研修が始まり、このお言葉が出て「花の心を活けていますか」と投げかけられた時に、突然頭をガーンと殴られたような気がしました。
信仰向上と言いながら自分はどこを見ていたのかと。
自分の主観を入れずに、「花の心」を分かり、心をそのまま活けることが出来るかどうかです。
自分が活けた花を見て、癒されたと言われると嬉しいものですし、自分のレベルも理解できます。
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36年生さん
具体例他、色々とありがとうございます。お陰様で、ようやく少し雰囲気が掴めたような
気がします。それらについて思った処はあるんですが、それよりも
先ずは、どうしても昨日の「如何でしょうか」の結果が気になっちゃってて(笑)
結局どっちの意味だったんですか?教えて下さい。宜しくお願いします。
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如何でしょうか
は、他人の得意なこと、その人にしか実感できないことを説明するのに、その都度確認したりする意味合いで使ったとお考え下さい。
私はこのように発表していますが、決して行き当たりばったりで身についたものではなく、
指導を拠りどころにした心の営みがあって、自分の経綸がハッキリ見える中で歩んで来たものです。
ただその指導者である川合輝明氏は、ここでは非難の的として取り上げられているので詳しくは書きませんが、
「悪」に染まってもよければ、氏の著書の「飛躍前進」を求められれば参考にしていただけると思います。
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ありがとうございます!
なるほど、御自身で説明された事について確認するの意味でしたか。
お陰様でやっとスッキリ出来ました、どうもありがとうございます。
一先ず仰っている事の意味・雰囲気を掴めたような気がする程度の段階ではありますが、
いくつか思った内の、とりあえず一つ書いてみたいと思います。
>美人画展で自分の好きな画家の絵を
この「自分の好きな」の「好き」は、36年生さんの主観という事ですよね?
私が質問をした「あなたは今の自分の事が好きですか」の「好き」も、同様の意味で、
36年生さんの主観から観て「今の自分の事が好きですか?」と聞きたかったという事です。
もし可能であれば改めて返答下さい。無理そうならこのままスルーで!
ひょっとしたら。ですけど、今の36年生さんは客観から観る方の比率多め、主観から
観る方の比率少なめ、で生きている感覚ですか?比率的には100:0くらいの勢いすら
感じましたが(自分の主観を入れずに、「花の心」を分かり。の一文からも)
なので、私の質問(主観重視)が気に掛かったという事なのかな。って思いました。
好きとか嫌いとか明言されなかったのも、そういう事であるなら辻褄が合います。
(私のイメージ上だけでの勝手な辻褄という事になるかもですが)
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佐藤さん
随分と登場の機会が増えました。
分からない自分の方に興味はありますね。
しかし、観ているうちに段々と距離が縮まるというか、好きなもの・嫌いなものの位取り・次元が違ってくるのだと思います。
つまり楽しんで花を活けている時は素の自分・主観だと思いますが、お言葉通りにということになればまた違ったように覚えていますが、
今現在は自分の好きに活けるようにしています。その結果が観る人をして「癒される」ということに繋がればそれでいいのかなと思っています。
私の場合は美による救いの世界が分かって来ると、同時に浄霊も想念で出来るようになりました。今から10年前のことです。
だから美の世界と浄霊を車の両輪として、美と浄霊の結びの世界に向かって走り出そうとした時に、結ぶ媒体と出合ったのです。
そして2年後の2014年、「メシヤ降誕仮祝典60周年」を迎え、結ばれた結果として「偶像」を必要としなくなった自分を感得できました。
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36年生さん
>近づいて見るとなんと浄霊と同じ光が出ているのです。
36年生さんには浄霊の光が見えるんですね?
だから魂から観るという事も可能なのかぁ〜と、ぼんやりとですが理解しました。
奇跡や光(霊視・霊感)によって導かれる、という意味に於いてですが、
【主観】での「好きではない方」つまり「どちらかと言えば嫌いな方」から浄霊と同じ光
を見たという部分には、私は明主様の御導き(進むべき道の示し)があったように思います。
「好き」な方からは光が出ておらず、「嫌い」な方から浄霊と同じ光が。という部分と、
「嫌いなもの(=光)」が「気に掛かった」のがきっかけ(入り口)で「近づいて見る」事
で光を体感するに至った。というのが、この体験のポイントだと言えるのかなと思います。
その体験をふまえた「36年生さんなりの理解」の結果として、現在の独特な主観と客観
(36年生さんのオリジナル)が形成されたのだと思いますが、より順調に歩んで行く為に
は、と言うか、明主様の指し示された「進むべき道」は、
36年生さんの「嫌いな方」という「主観による判断」が大切なように思います。
それを少し言いかえた表現で更に語ってみれば、
進むべき道は【主観による好き方向】ではないよ、と。御自身のみならず、私達に対しても
大切な事として、そういう事が伝えたかったんじゃないのかな?と思いました。
まだ書こうと思っている事はありますが、またのちほど^^
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浄霊
好きな人からの浄霊、嫌いな人から浄霊というのは違いがあるか、
これは幼稚園の会話ですね。
何かいも言って申し訳ないが、 現場をあまり知らない人の会話ですね 。私は神慈秀明会で 10年布教してきましたから、 好きとか嫌いとかそういうのは全く関係ない通用しない 世界 ですね。
そんなこと言ってたら、本当に霊層界の低い話だと 、やってる人から見たら 見えてきます。
これを投稿したら反発する人がおられるかもしれませんが、もうこの掲示板も終わるので本音で話します。
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佐藤さん
浄霊も2009年におひかりが要らなくなると、その3年後に「光」を感得できるようになり、同時に「想念」でも出来ることを発見しました。
御教え研鑽と云っても、「明主様のお言葉を自分自身に求めなさい」ということで、
「独自の世界観」かも知れませんが、方向付けをしていただき、御教えを私の個性で受け止めた結果ということになると思います。
私は何時かここでも取り上げましたが
昭和27年箱根美術館開館後の「一度ここ(聖地)に来れば、思い出すだけで霊はこちらに来るからその人は浄まる」というお言葉に、
「自分は本当にそれが実感できているのか」と自分へ問いかけるも、まだよく理解できませんでした。
しかしその2年後の2014年は「メシヤ降誕仮祝典60周年」にあたるも、誰も関心がないようなので一人でお祝いをさせていただきました。
すると本当にそれを実感できるようなことが起きてきました。だから私はそれ以後聖地へは参拝することなく想念で参拝させていただいています。
やはり奉祝というか、次へ進み開けてくるんですね。
そしてそれはさらに昭和28年、美術館別館の完成後の「左進右退の大渦巻が‥」というお言葉に繋がってきます。
『はねのけられるとはどういうことなのか』への答えも私なりの受け止め方であって、私自身は自分の完成に向けて歩んでいるという実感を持っています。
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布教体験が信仰
これは仕方ないのかもしれません。
世界救世教関係、他の教団は、詳しくは知りませんが、
神慈秀明会は特にこれは経験しますね。最近ここ、数年前どこか男子が会社で布教して、クビになりかけたが 、それでもその人は人を助けたいという思いで訴え、
てそれが逆に お救いに広がったと言ってましたね。
これは私も経験があるんです 。この経験がない人は、
分かったようなことを言う。 お前はわかっているのか、
いやこれは分からないけど 、80点ぐらいはいただいてもいいと自負がある。
明主様のみ教えは二つある。 無理をしなさいというのと、無理をしてはいけないというのがある。
世界救世教は無理をしてはいけないを取った。
神慈秀明会は徹底的に無理をして、無理をして、無理をした。
神様を押し付けてはいけないとみ教えがありますが。
神慈秀明会は 限度を超えていた。
だから押し付け見られたが、 それこそ、慢心を超えた慢心だと思います。
それで2万人程の信者が、 一挙に 10倍以上になったんだから、今日教団が発展して、奇跡で救われた人達が増え、感謝が増え、そして広がっていく。
それはその時期があったから 、否定はできない。
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36年生さん
36年生さんの「主観で観た嫌いなほう」から光を体感されたというそれは、本質的に
私の「自ら浄化方向に突っ込む心構え・覚悟」と少し似ている様に思えました。
36年生さんは美術・芸術の世界を通して主観と客観の結びへと進まれたようですが、
私は日常生活から、主に自分の感情を含む心の動き・想念の善悪(主に悪・陰)について
注意深く観察し続けてきた結果として、善と悪とを自分の中に結んで開く事が出来ました。
その結べた感覚で言うと、霊五体五というか、善も悪も等しく大切な存在となったのですが、
それによって、あらゆる相対するものの価値が同等という感覚が根付いて来ています。
よく対義語を出して表現したりするのも、そんなところから来ていると思っていますが、
今回の36年生さんの主観と客観の話では、その割合に偏りがある様に思えたので、
それは本当に真の結びなのだろうか、と思った。という事だけは伝えておこうと思いました。
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世界救世教
何度も書いてますが、 世界救世教いづのめ教団、山本教授が浄霊の科学的検証、また勉強会を開いてますが 、
意味があるのかと、外に向かって、皆が働くところに意味がある。
人を救うための、御浄霊、科学的検証もそれは一部であって、 世界救世教は人を救う、その過程が、わからない。??ボケている 。内向きですね。
どうしても足が重たくなる。 参拝が。
さてこの掲示板も来月いっぱいですか、 終了するのが 、
期日ははっきりとは分からないんですが、 間近であると 思います。
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遠隔浄霊
とうとうこの掲示板も8月1日をもって終了となるということで、
私は2015年1月、「一つの波紋掲示板」に初めて投稿させていただいたが、
「想念での浄霊」が出来る方を呼びかけるも、以来7年間で「自分も出来る、自分はこのようにやっている」という人は現れなかった。
ある浄化者に浄霊を頼まれ、手かざしで浄霊を取り次ぎ、終了間近になると再び浄化してくる。「苦しい」と言われるので想念で急所を探ると、
浄化療法の急所とは違う場所に光が入る、もちろん主訴の部分でもない。
そのまま想念で光を送っていると1分経った頃「楽になりました。有難うございました」とお礼を言われる。
時には2か所同時に光を送るということもあった。
「教団の専従者も10日に1回来られ浄霊で楽になるが、やはり最後に苦しくなるので訴えると、苦しいままで時間が来て帰られるので、
その後とうぶん苦しく、あとで妻に浄霊を頼むという繰り返しです」と言われ、「やはり先生の浄霊は光が強いんでしょうか?」と聞かれるので、
「それは違います」とは言えないので、「急所が違うのかもしれませんね。一度でいいから楽にしてもらえませんかと言ってみたら?」と、
そんなやり取りをしたことがある。
これは私の今後を方向付けるために用意していただけた事案だという確信から、それ以後は手をかざすふりをして想念で取り次ぐようにしている。
ここでもゲラさんが、「お委ねします」の想念で癒されたことを発表されていたが、以後話し合う機会もない状態。
教会時代の先輩に聞くと「以前は遠隔浄霊をやっていた」と聞いた。私も形だけやった覚えがあったが、「効果あったの?」と聞くと、「こっちも実感がないし、相手もフーンで終わり」だって。
このことも私の今後の課題を示すものと思っていたが、昨年から効果のある遠隔浄霊が出来るようになったので、他に遠隔浄霊の事例はありませんか?
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元専従さんの投稿
この掲示板も 終わる。しかし終わるのが分かるからいい。 以前あった掲示板、凛太郎「ファインライン」は急に終わったし 、その後に出た 「E、ビリーバー」も 続かなかった。
しかしこの掲示板は大きな意味があったですね 。
世界救世教いづのめ教団から離れた、 元専従さんの投稿は驚く事が多かった。 これは内情を知った人が書いているので 、
まだ見てない人もいるかも知れません 。抜粋して 紹介します 。
「 投稿日、2018年6月27日
明主様から直接〇〇の魂の再生であると言われた先達は、数多くいらっしゃいます。
渋井総斎= スサノオノミコト。中島一斎=天若彦(天邪鬼 )。
多賀先生= 伊邪那岐(いざなぎ)尊。本阿弥先生 = 伊邪那美(いざなみ)尊。
内藤ラク=此花咲夜(このはなさくや)姫。小川先生 、石坂先生=八大龍王。数多くの先生達が明主様から、直接お言葉を賜っております。」
(先日 仕事で関わったところに八大龍王を祀る寺が、 大きな大理石の門柱、そこに「八大龍王」と書いてあった、 さすがに龍神の勢いを感じました。
しかし、明主様信仰を支えた 中島一斎、渋井総斎が、 邪神の頭目というんでしょうか、 そういう人達の改心と あります、
分からないものですね。
渋井総斎は 現在の「世界救世教いづのめ教団」です。
中島一斎先生は「世界救世教東方之光教団」です。
神慈秀明会は渋井総斎、当時の「五六七(ミロク)会」で、
新健康協会は中島一斎、「天国会」 ですね。)
(一番)
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遠隔浄霊
はよくやります。時間決めてお互い座って通常通り行います。
地球の裏側でもやります。
効果は同じです。
自分の直近の遠隔浄霊では、信者さんの未信者の娘さんが、顎が痛くてご飯が食べられない、1日食べていないということで、30分遠隔浄霊をおこないました。30分ぐらいしたら、娘さんがお腹が空いたと言い、普通にご飯を食べ出したと連絡が入りました。
他にも色々ありますが、未信者の身内が意識不明の時に、信者さん達が時間を決めて同時に浄霊をして下さいました。信者さん曰く、浄霊の光がなかなか入らなかったが、3 日目で入るようなったと言ってました。毎日していただき、奇跡的に意識をとり戻し、今普通に働いております。
遠隔浄霊する時は、前にその人が座ってるイメージ、または寝ているイメージをして、通常どおりおこないます。
所属の教団では、入信時に遠隔浄霊を教わりますが、所属変わればいろいろなんですね。遠隔浄霊と言うと、御教えにないから駄目だ!言う人が居るかと思います。
ちなみに、お光ありの教団ですが、無しで浄霊してみたところ、やっぱり光が弱いというか出てないというか、駄目でした。
思うに組織の枠に入った場合、組織の方針により、変わってくるのではないかと思います。
自分がお光無しの教団に入っていれば、無しでも光が出たんだろうなと思います。
大和民族の魂の方は無しでも浄霊出来るのだろうなとも思います。
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(無題)
浄霊。
自分の場合、急所に来ると手がビリビリと反応する。ビリビリのままで終わると、相手は症状が変わっていない。ビリビリの途中でそのビリビリがふと弱まる時がある。その時に、どうですか?聞くとたいがい楽になったと言う。遠隔浄霊もビリビリが弱まるまで急所をやります。
自分はビリビリと感じますが、感じ方は人それぞれらしい。
長い時間浄霊すると体調が悪くなる人がいると。長くやって体調悪くなったら、時間置いてもう一度やると良くなると教えてもらいました。
そういう人は、一度の浄霊を長くしないようにと言われました。
36番さんの文章でそれを思い出しました。
目がつかれたのでこの辺で。
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遠隔浄霊
おひかりのあるなしは、 最後はこれは決められないということでしょうね 。ある時期までは厳格に守っている。またその決まりから外れたら弱くなるという時期と、最後は大和民族ということをおっしゃってましたね。リーチさんが、 それなんでしょうね。
最後は想念でしょうか。
私が神慈秀明会で 信者さんがお光を かけ忘れて、 家族に浄霊した時、受けた人は七色の光を見ているんですね 。
そしてそれは後で、お光をかけてなかったのでお詫びされましたが、 また新健康協会でもおひかりなしの 会長が浄霊されている時 、浄化されている人が、反応されてましたね。浄霊をいただいている時と同じ、
明主様がおひかりはもういらないと、み教えがあるとあるので、最後はそうなるのでしょうか。
今教団によって色々あります。
遠隔浄霊はこれも、いづのめ教団で元松本総長の頃、 天国化、メシヤの教えをされてました。
自己浄霊の重要性の確率も元松本総長がされました。
当時はグループで浄化者に遠隔浄霊を皆でしてました。浄化者でその時間になると 光を感じたという人がいました。
私が神慈秀明会で、お光をかけないで 浄霊したことあるんですが、その人は霊動していたので、お光が入っている確認をしました。これは言えませんが。
リーチさんは目に浄化されているんですね 。私も浄化してますので、自己浄霊、毎日頂いています。
気長に根気よくですね。 東方之光の 信者さんは白内障1年かかったと言ってました。
一般は 飛蚊症、緑内障はこれは目玉を取り出し 、手術とラジオで言ってました。
それか薬でそれ以上進まないようにするしかないと言ってました。 我々は
自己浄霊。
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リーチさん
有難うございます。
こういう事実が欲しかったです。
私は東方之光に籍を置いていますが、大祭ご面会時の小坂理事長の集団浄霊をライブ配信で観ていると、浄霊の光を感得できます。
これも遠隔浄霊だと思いますが、リーチさんの遠隔浄霊をはじめこれらの事実は、
おひかりを掛けて、相手のことを念じ手をかざすと、光が届くということの証ですね。
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(無題)
最後は大和民族ということをおっしゃってましたね。リーチさんが、 それなんでしょうね。
いやあ、私は違うと思います。
教団でもお光をかけるのを忘れて浄霊をされても通常どおり光が出る人と、そうでない人が居るんですね。その違いは何なのか?前から思ってまして、その人の霊位なのか?信仰状態なのか?いや大和民族かどうか?なのか、謎です。
リモートで浄霊をやってる人聞いたことあります。
白内障は時間がかかると言われてますよね。
この間、とある方に相談すると、私の場合、原因が別のとこにあると言われました。浄霊をやりつつ、それも実践して良くなりましたら、掲示板で報告させていただきます。
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宇宙人の警告
なおきマンの YouTube 宇宙人からの人類への警告というのを見たんですが、 これは子供の 絵本のような感じでアニメ化されてましたが、
内容が分かりやすく、人類は科学が発達しすぎて、自滅に向かっている 。この中から愛情の多い人が選ばれ救われ、また宇宙に決まりがあって、地球の人間の動きに干渉はできないと言ってましたね。
そして地上天国のような世界があって 、そのもっと上の太陽のようなところに、もっと愛情の強い生命体が存在している。
これはもう、 主神界これは僕は明主様がお答えになったと永峰先生がおっしゃった、 大峠に「未確認飛行物体」が大きな働きをすると言う、ヒントが あるんではないかと想像しますが。
またサイトでウクライナにバイオ 研究所 があり、 ウクライナは曇りを作ることをした、 今回の浄化の影に 、そしてエプスタイン X と 、ぼかして紹介してました、 これは新たなウイルスとネットで、まだよくは分かってない、色々これからあるんでしょうか。
追伸、
大和民族は光が強いとあります、 解釈は色々あると思います。
白内障の原因は 体的には、毒素が眼球に集まって濁すとありますね 。また眼病は目で人を騙したら 、つまり 整形手術がある。人を騙してるんですね、 そこで10年以内に入れたものが溶けて顔が崩れる。マイケルジャクソンがそうでしたね。 弘田三枝子も 、この 人は 古い歌手、
これは霊的ですね。
コツコツ 自己浄霊で 、私も少しずつ改善しているようで 鼻水がたくさん出たら 、違いますね。
東方之光の人は1年かかったと言ってました。
焦らず慌てず。
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あと一ヵ月
来月いっぱいでこの掲示板を終了ですか 皆様思い残したことはございませんでしょうか でも本当に面白かった。
まだあと一か月あるから 思う存分 投稿したい。
3000 年の罪 の絵は 簡単じゃない。 後世に残るものを描きたい。 まだ 迷いがあるなあ。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005706.jpg
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(無題)
遠隔浄霊での病気治しは、私も結構目の当たりにしてきました。全盛期はもう20年以上
前になるでしょうか。患者の写真に浄霊をして効果ありっていうのも何度もありました。
私の母の浄霊がとにかくよく効いてましたね。
情深い人の浄霊のほうが、良く効くような気はしています。
思えば私自身の入信のきっかけも、目の前で母が次々治していくので、その不思議な力を
疑いきれなくなったのがきっかけでした。
半信半疑の、どちらかというと信じる寄りになった頃、まだお光を頂く前でしたが、
試しに寝ている弟に手をかざしてみたら、リーチさんと同じように手にビリビリと。
入信後もそのビリビリは同じで、私も手にビリビリ感じるタイプですが、確か御教えには
手に感じるのは本当ではないというのがあった気がしますけど、
当時、本当ではない、と言われたところで。。。と思った記憶があります(笑)
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(無題)
手に感じるのは本当ではないというのがあった
ほーそんなみ教えがあるんですね?知りませんでした。聞いたこともありませんでした。
ビリビリ、温熱、冷熱、何も感じない??だいだいこのぐらいのタイプがいます。
感じても感じなくても効果は一緒です。と入信時に教わりました。
ほんと教団によっていろいろですね。
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浄化について
天国の反対は地獄。その同じ地獄にも、階層は60段あるそうですから、その層に相応した
痛い・キツい・苦しい・辛い・怖い・さびしい等の感覚もそれぞれ軽重あろうと思いますが、
浄化の界=地獄界である(浄化と地獄はセットになっている)ものかなと。
浄化する層=浄化層(便所)で、汚いものを綺麗にする役割り・存在が地獄。
浄化はあってありがたい、無くてありがたい(どちらもありがたい)ものだとすれば、
地獄はあってありがたく、天国もあってありがたい、と置き換えられるでしょうか。
病んだ状態(地獄)でも、病みがなく健康な状態(天国)でも、どちらでもありがたい?
私は、出来る事なら地獄など勘弁して欲しいです。ただ、避ける事が出来ないのが浄化だし
その地獄が神の恩恵である事も知ってますから、ならばいっその事、どうせ浄まりたいと
望んでいる訳だし、どんな浄化(地獄)でも自分から突っ込んで行くぞ位の覚悟で居ようと。
そんな風に腹を括ったせいでしょうか。浄化の最中は、その景色をじっくり感じて味わう
事に、わりと徹せる様になりました。数々体験通し実感してきた自分なりのポイントは、
後先あれこれ考えるの取り越し・過ぎ越し苦労は問題の解消を長引かせ、後先関係なしで
今の自分の心にだけ感じているもの(特に負の感情)を充分に感じきれた時に浮上する。
今の自分の心に集中。感じきる。間違いなくその辺が浮上(転機・転換)のカギになってる。
そういう意味からも、どんな事にでも腹を括る【覚悟】が大事。だという事を書いてます。
人との会話でモヤるなども、一つの浄化だと思っています。自分が何を感じているのか。
それを充分感じきれた時に必ず開く。私の世界にはそれを展開して行ってます(現在進行形)
一言で言ったら「地獄のすゝめ」(笑)みたいな事になるでしょうか。
リーチさん
記憶はあくまでも記憶なので曖昧なものです^^;
安易に信じてもらっても困るから
むしろ、そんな御教えは無かった事にしておいて下さい(笑)
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宗教と日本医術
手に感じる‥‥放射能感という表現だったと思います。
本当ではないと云うのはご経綸ですから、その時期はいけないということだったのでしょうね。
浄霊も手をかなり強く振りながら、光が届くように後ろから団扇で別の人があおいだ時代もあったようです。
東方之光も組織としての経綸があったので、私も手が熱くなったものですが、
これからの統一したやり方をやっていく上で、力の個人差は認められるも、
個人の個性をなるべく抑え、統一したやり方で世に出して行こうという営みのなかで、
私自身、手が熱くなるということも自然になくなりました。
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元専従さんの投稿
世界救世教の暗部を目の当たりにして、 正常化委員会が出来たり、内部告発、有志の会、色々やってましたが、みんな排除されましたね 。
そこで、もうこれ以上はやってられんと、世界救世教を辞めたと書いていらっしゃいました。
こういう内部の事は 表に出ない。もうこの掲示板もう終わります。 知らない人もいると思うので、
これは私も驚きました。
元専従さんのこ投稿です。
2018年7月9日
「元信者様(世界救世教離れた人 に対して 返事)
私も明主様の教団を割ることに、加担した一人でございます 。そのことに関しては、まったく弁解の余地もありません。 あなた様のような棄教された方々を作ったことに対しては、お詫びの言葉もございません 。
昭和50年代の教団の華やかだった時代の裏で、どのようなことが行われていたのか、それは明主様の目指された教団の在り方とは、全く違うものでございました。
川合氏(現 東方之光)は、渡邉氏(現いづのめ)の権力闘争の中で、多くの先達を追放し、 エイテン様(投稿者)に書き込みしたように、教主も蔑(ないがし)ろにした組織でございました 。
その件に多くの信者様を巻き込み、明主様の教団を割ったことに対しては、重ね弁解するつもりはございませんが、明主様の目指された教団の内容と違う以上、今後も崩壊の道を辿ると考えております。
(後略)」
( こういうものの上に 建物が建ってる、今の世界救世教、教団浄化で、教主が多く信者を連れて離脱する。 教団崩壊の危機をむかえてます。
一般信者は知らない。表しか見てないから 、そして、どうして四代教主は 教団から離れて、あんなことをしたんでしょうか( 新興キリスト教、牧師と密会して、キリスト教に明主信仰を向かわせる)と、純粋に訊ねている。 いよいよ 崩壊ですね。
ここに原因がある。)
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四代教主
しかし明主様の孫である四代教主がキリスト教に、明主様教団を持っていくのが 、理解できませんでしたが 、
これが川合氏達が当時 イギリス に四代教主を留学させる。 宗教の勉強のため、そしてその時に世界統一教会に入信をしたと書いてありましたね。
また後で詳しく 投稿しますが 、その中で 世界統一教会は韓国発祥で 、色々 物品販売、 集団結婚や また問題を起こしたところ、ここに入信し統一原理のキリスト教を学ぶんですね。
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(無題)
浄霊も手をかなり強く振りながら、光が届くように後ろから団扇で別の人があおいだ時代もあったようです。
面白いですね??そんな事もあったんですね??驚きです。
統一したやり方で世に出して行こうという営みのなかで、私自身、手が熱くなるということも自然になくなりました。
そうなんですね。前にも投稿しましたが、教団トップの方針、やり方によって、結果も変わってくるのだろうな、とも思うのです。
たとえば、遠隔浄霊が駄目だとした教団の場合、それを実行しても効果なかったり、お光ありじゃあないと駄目とした教団の場合、無しでそれを実行しても効果なかったり、昔、組織を通して光が送られると聞いたことがあり、つまり教団との霊線の繋がりが影響するのではないか?と思ったりもします。
ただし、トップよりも魂が向上したり、同じような感じになったり、霊位が上になったり同じようになったならば、その法則も無効になると思っています。
トップよりも魂レベル霊位が低ければ、その教団の方針どおりの結果になるのだろうなと自分なりに思ってます。
私の場合、目の浄化は、エネルギー(そうねん)による浄化と教えてもらいました。どんなそうねんかと聞きましたら…??恥ずかしながら思い当たるふしがありありでして(^-^;????また良くなりましたら報告します。
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報道
これは昔、私がいづのめの教学部長にお聞きしたのは、 浄霊をしながら祝詞をあげて、そして?痛みよ去れ?と言って息を吹きかけたと仰っしやってました。変遷があるんですね。
今朝 サンデーモーニングで 、解説の青木さんが、 日本が経済の悪いのは、アベノミクスの時、金融緩和で札をばらまいた、国が国債を大量に買った。
今度は払い戻す時、金利を上げた分 払わなければいけない、国は金がない。金利を上げられない。それで低金利のままで、外国と日本との金利差で、 金利の高いドルを買って、円を売る 、円安で日本は物価がどんどん上がる、 景気が悪いから、給料が上がらない。
なるほどと思いました。
原発事故 裁判、国は責任ないと判決が出た、またスリランカの女性が衰弱死。 入管施設の幹部、嫌疑なしで不起訴と、
ひどい扱いをしていたと、ビデオで一部流されましたね 。これが日本人かと思いました。
劣化してますね。
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元専従さんの投稿3
これは元専従さんの投稿から続編、
(教団から離れた人に対しての 返事)( 教団崩壊後)
「 その上で教団の枠を超えて明主様と、み教え浄霊を求める信者によって、再生されると私は考えております 。
あなたは何を言うかと、思われるかもしれませんが、当時教団(いづのめ)が公開している 、み教えは「天国の礎」とわずかな御垂示録だけでございました 。
現在ではみ教え90%近くをネットでも知ることが出来るようになっております。
岡田茂吉思想の原点である、み教えを実生活に対する Q & A である講話録、浄霊の施術急所に対する医学論文、教団を介在させなくても、元信者様自身で明主様を求めることが出来る、世の中になっております。
信仰をしろと言っているのではございません。常識を極限まで昇華された岡田茂吉の思想に、今一度触れてみることは出来ないでしょうか。
勝手なことを書いておりますのは、重々承知しておりますが、どうか今一度お考え下されないでしょうか。
私は今現在は教団を離れて、個人として浄霊に取り組んでおります。許しを請うのは筋違いであるのは承知しておりますが、せめてもの私の償(つぐな)いでございます。」
(元専従さんの償い投稿 を教団でやってほしかった。
そして 再出発する。
中村元総長が重病で 帰幽時に、川合氏が見舞いに。
その時、中村氏が 私はもうすぐあの世に行く、あなたは真実を公表して欲しいと 頼んだ。
しかし川合氏はその後、一切語らなかった。
拠点の式典で いづのめ理事長が今回の浄化で信者に、ご迷惑をかけました。だけでした。 どうしてここに至ったか語られなかった。)
(一番)
-
(無題)
昔、私が尊敬していた教会の先生から「霊化」という言葉を聞きました。
それは、浄化よりも更に上の段階?というか、もっと軽く済むものがあるというものでした。
これを御教えで確認した記憶はありませんが、内容としては
「浄化」は体的な流動・排泄などの経過・時間を伴うが、「霊化」はそれよりももっと
瞬間的で、無から有の逆、有が無になる的な、瞬時に消え去る・気化するような表現でした。
それを聞いた当時の感想は、ふ〜ん、そんな事もあるのか。程度でしたが、思えば明主様の
御赦しの元「痛み去れ!」の言霊による浄霊なども、それに当たるのかなとは思います。
今の自分は、そういう魔法的?な瞬時に症状を取り除くやり方ではないのですが、その人の
心の状態を本人自身が自覚をし、否定部分が肯定に転換・ひっくり返る事(こっちが主)で
結果として(ついでに)痛みなどの症状が一瞬にして去る(こっちが従)
という体験を地道に積み重ねています。
-
(無題)
前にも一度だけ実例を書いた事がありますが、やる事は会話のみ。その人が元々持っている
その人自身の答えを引き出す作業。作業と書くとなんか事務的ですが(笑)要はサポート。
その相手の方は読書が趣味な方で、私の話にも良く耳を傾けていましたが、その人本来の心
を取り戻した(会話は確か2・30分?程度だったような記憶です)いわば自然体に還れた感じ
余計な力が抜けた感じに雰囲気が(目の輝きも増し顔色も良く)変化した処で会話も終了。
後日、手術の予定日まで決まっていた原因不明の目まい・耳鳴りの症状が、あれからすっかり
治っちゃたのでキャンセルしました。お陰様で助かりました。という感謝の意を頂けました。
心の立て替え立て直しのほうを主とし、結果として(ついでに)症状にも変化が現れる。
ただ、その症状の変化スピードの瞬間さには見ているこっちが驚くほどで(笑)
でもそれはまた驚くほど心の変化と身体の変化が見事にちゃんと一致していて。
まさに顕幽一致とはこの事か。というような感じのやり方(自分オリジナル)です。
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(無題)
私のこのやり方を、皆さんにも推そうという気持ちなど更々無いのですが
(自分オリジナルなので)
ちょうどリーチさんが書かれてました、それぞれの価値観(信じているもの)
にあったやり方で、皆で力を合わせ、組んで歩んで行けたらイイよねぇ〜ってのは思います。
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非偶像化
「霊化」とか、「浄かよりもさらに上の段階」などは初めて聞きました。
同じように求めておられる方がおられれば、是非お聞かせいただきたいと思います。
私の場合は「想念での浄霊」をもっと極めたいということから、結果的に入り口となった教えは、「活字の浄霊」でした。
薬などの外から補うものに頼らなくても、人には「自然良能力」がありますね。
また「浄霊は外からで御神書読むと、アッと目覚める。だから中心から曇りが取れていく」(御垂示録2号)であるように
つまり内側の力を引き出すことが大事だと思っています。
浄霊も手をかざさなければ、社会にも相手にも認識されないと思いますので、それぞれの教団のやり方を尊重しこそすれ批判ではありませんし、
各自の道を極めて戴きたいと思います。
ただ私の場合は、浄霊のような外からの力ではなく、可能な限り想念などの内からの力による世界を展開出来るようになりたいと思います。
美術品でも現物は無くても、思い出すだけで光を戴けるようになるので、想念と共に非偶像化への道も見えてくるのではと思っています。
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霊化
私がいづのめ教団で浄霊を学び始めた頃 、霊化というのは 一般信者の御婦人から聞きましたね。
体の毒素が浄霊で、溶けて下に流れて大小便で出る 。そして、今度はその下の毒素は、つま先から霊化して出ると言ってましたね。霊がつま先から揮発(きはつ)すると言ってましたね。 表現は正確ではありませんが 、これは元専従さんも投稿されてました。
同じ世界救世教でも、霊化は東方の光では使わないんですね 。面白い。
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(無題)
「霊化」についての御教えは今まで見たことがありませんでした。
時期的には何時ごろ出されたものでしょうか。
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(無題)
これはいつ頃からは 詳しくは知りません。ご存知の方があったら投稿されたらと思います、元専従さんの投稿にもありますから、 どこかある。とにかく資料が多いので 出てきたら書きます。
いづのめの信者は当たり前に、霊化と言ってましたね。
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(無題)
明主様御垂示 「睡気と欠伸・涙」 (昭和23年12月29日)
https://web.archive.org/web/20181105112125/http://www.geocities.jp/shumeic2/haisetu.html
信者の質問
「眠くなると欠伸が出、涙が出ますのはいかなる訳でございましょうか。」
明主様御垂示
「欠伸は悪い霊、浄化作用の一種、霊的浄化作用である。
涙が出るのは霊の汚い所が欠伸になって出る、すると肉体の毒が出る、つまり欠伸が出ただけの涙が出る訳である。
ゲップが出るのも今のと同一の意である。
それだけずつ浄まっている訳である。」
(転載終了)
おそらく、元専従さんの書き込みにあった霊化に関わる内容とは、この霊的浄化作用ついてだったように記憶しています。
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浄霊力の差
そうだったですか 、足うらから浄霊をするというのもあると 聞いていて、これをまた 元専従さんが詳しく投稿されてましたから、その辺り霊化、それらしきことは書いてなかったですかね。
話はかわり、浄霊力を、「お光話録」17号(昭和25年2月28日)にお書きでありますが、
ここにあるのが、 毒素の硬軟の場合と、溶解する時の時速 、他で、明主様は、
( 浄霊で毒素が溶ける時の速さについて、 硬(かた)さもありますか?)
『 そんな固いものではなく、種々の原因があるから、一つや二つの原因ではない。薬の性質、その人の浄化力の強弱、環境職業にもよる』
『またその人の想念によっても大いに違うし、
溶解速度(おひかり)は特にその人の想念と、浄霊者の先生の力にも、』
『言霊によっても違う。』
『 受ける時の感激にもよるし、相手の誠にもよる。』
誠の想念でお光の強さが違うとおっしゃってますね。 受ける人も、誠がある人は強いお光を頂くとありますね。
誠の想念ですね。
誠のある人は、誠のある言霊が出るから、
誠ですね。 自分の事を後にして、相手の事を先にするのが誠とありますね。
後は力を抜く。
みのるさんは元いづのめ所属ですか、
霊化は知りませんか?
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(無題)
>浄霊も手をかざさなければ、社会にも相手にも認識されない
認識してもらう必要性というのは、何の為にですか。
私個人的には、少し前にも書きましたが、救世教なら救世教、キリスト教ならキリスト教
「ある宗教」一色で、この世を染めようとは思っていません。
多くの人の事を想える人(幸せな人)が増えれば良いだけなので、その人の宗教宗派は
何であってもそこは全く関係ないです。
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(無題)
夕べも書いたように「霊化」の話を推すつもりも全くありませんので、くれぐれもそこは
誤解の無いよう改めてお願いしたいと思います。(御教えにも多分無い?と思うし)
「中心の力」という話がありましたが、私と観ているところは同じ、という印象があります。
伊都能売にしても、キリストにしても、経緯結んだ十字(メシヤ教さんで言えば〇)の中心
にチョン(神)が宿ると思います。ポイントが中心というのは私も全く同じです。
感想として、若干の違いと言えば、私は「中心」を「中の心」と解いていますが、そこを
「中の力」とされている部分と、「光を頂く」のと「光りを放つ」のと、の違いさ位かな。
光に関しては以前にも「惑星(惑う星)」と「恒星(更生)」になぞらえて書いたと思います。
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それから
私自身の事として、一応これも改めて書いておきますが、
私は、誰か(又は教団など)自分の外側を批判をする事で自分の正しさを誇るような想い
や、どちらが合っているとか間違っているだとか、そういう競り合い・張り合いなどする
つもりは微塵もないのは勿論のこと、
特に大切だと思っているのは「人それぞれの心(想念)」でしかないので、それぞれが
【何が自分の肌には合っているのか】という自分の感覚を感じて見極めていく事が、最も
重要だと考えてます。(煮詰める話もそうですが、現象を通じて想い定まるのが重要の意)
要するに、外側を無理に変えようとしたり、期待要求の心などは既に多く消化済みなので、
心から祈るのは、【各々に合った心地よい方向】で進むのが最善だという想い一択です!
そんな訳ですので、残り時間も少ないですけど、どうぞよろしく^^
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浄霊
たかしさんも倫太郎のやっていたファインラインによく投稿されてましたね。 この掲示板もあとひと月ちょっとで終了ですので、
あなたのお考えもよくわかります。人のために何かしたいと思われているのは 素晴らしいですね。
話は変わって霊化ですが 、これは東方の光の人は 知らないということでしょうかね 。
いづのめの人は知っているので 、これは「天国会」と「三五六会」の昔から浄霊のやり方も多少違うのかもしれませんね。
今でも確か違いますよね。新健康協会は「天国会」ですから、 同じ世界救世教の いづのめとはまた、浄霊の仕方が違いますね。
京都の世界メシヤ教会 の浄霊、また私は受けたことありますが、違ってましたね 。
神慈秀明会は特に違います。 眉間 と脳天 だけですから。
これで大きな奇跡が 今でも 起こっている。これは誠が強いということですね。
小山会主の人を助けたいという思いですね。
それが下に伝わった。
私は現役ですから よくわかります。
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手かざし
>浄霊も手をかざさなければ、社会にも相手にも認識されない
認識してもらう必要性というのは、何の為にですか。
浄霊して下さいと言われても、まだ手かざし以外は市民権が無いようです。
手をかざす浄霊の方が、自治体なども予算をつけやすいと思います。
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(無題)
>みのるさんは元いづのめ所属ですか、
>霊化は知りませんか?
霊化という言葉自体は聞いた事がありませんでしたね。
ですが、御浄霊を頂いた時にあくびやゲップが出るという事は、少しづつ霊的に浄めて頂いているのだと聞いた事はあります。
まあ、浄霊は霊界での作用ですし、霊の曇りである不純水素を直に焼尽する訳ですから納得がいきますね。
佐藤さんの「霊化」に関わる書き込みとも相通じるように思われます。
ある意味、現象界より霊界の方が主従の関係において上位にあるとも考えられますしね。
例えば、薬等を服用した場合、その薬毒が体に入ってから霊に曇りを生じさせる。
その過程が霊化という事なのではないかなと個人的には捉えています。
元専従さんは霊化毒素、もしくは霊化した毒素と表現していたようにも。
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今
霊化毒素でしたか。
最後は毒素は霊化して 体から出ていく、これも不思議ですね。
体から汗が出るとき、湯気が出ますね。そこにアンモニアの匂いがします。 アンモニアは尿毒ですから、 これのもっと細かいものかもしれませんね。
話し変ります。
掲示板も終わる。これは後の人が見ると思うんです( コピーしたものを)、 今日記のように 書いてますが、
立ち止まって考えて動く、ほとんど今、動かないと言う か、考える、思うということが生活になってますね。
今まではじっとしていたら、落ち込んで、
動かなくなって、流れから外れていく、
不安で、 周りに迷惑をかけた、今は 逆に その流れに合わせるように動いてます。
教団に入って教団の流れ、明主様のみ教えに合わせる、だんだんピントが合ってきました 。
そして今は それを、どういうことかと、 毎日考える、 これが意外と心地いい。
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霊化
今新健康協会から帰ってきたんですが 、奉仕者から聞いたら、霊化は知らないと言ってました。
しかし古い会員は講話集にあると言ってました。
詳しくは覚えていないが、確かにあると言ってました。 大雑把に説明してましたが、
体的な曇りが 、霊的に変化して 、云々と。
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(無題)
>浄霊して下さいと言われても、まだ手かざし以外は市民権が無い
>手をかざす浄霊の方が、自治体なども予算をつけやすい
あぁ、なるほど、教団が手かざし(という形)を必要としている。という意味でしたか、
36年生さん御自身が必要とされている話?と勝手に勘違いしちゃってて謎でした^^;
どうもありがとうございました。
>たかしさんも倫太郎のやっていたファインラインに
「たかしさん」と、そう呼んでもらえると親近感がグッと増しますね。
なんかちょっと嬉しかった^^
心地良さそうな投稿の内容(雰囲気)も、私にとっても心地良かったです。
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絵
たかしさん、それは良かった。
さて、
絵は雑で、汚くて、 想像で描いてるイメージが、印象が悪い。乗る気がなくて、もやめようかと思ったんですが、
しかし初心で、あの 聖徳太子の ドラマ 映像の写真、そのままを描いたらいいというのが、あったんで、これを そのまま使おうと 、今 写真をコピーしたの 貼り合わせてイメージを作ってます。
後で NHK から文句つけられたらと、色々よぎるんですが 、神様にお願いします。
どうかバレませんように。
上のが自分でアレンジして想像して描いたんですが、どうしても気に入らんので 、下の写真、このまま絵にしようかと思っているんです。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005734.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005734_2.jpg
-
(無題)
自分の興味のある分野って、どんな些細な事でも自分で納得が行くまで追求したくなる
もんですよねぇ、妥協を許さないというのか。
そういう部分については充分共感できるんですけどね。
絵については相変わらず暗いなぁ〜ってのが率直な感想だけど(笑)
>文句つけられたらと、色々よぎる
>どうかバレませんように。
神様はそのお願いを叶えてくれそうですかね?
私なら、自分自身の不安要素は神任せにしないで、例えば法律的な部分とか、自分では良く
判らない分野については、それが得意な人に頼りますね。自分で出来る精一杯のところまで
やった上で、後の結果はどうなろうとも神任せ。ってのが良いように思ってますので。
話は少し変わります。ちょっと前に「救い」について、何をもって真の救いだと思いますか。
の問いかけをしましたが、意外にも反応は少なく、そこに興味のある人がもっと集えたら
イイなぁと思っての問いだったんですが、残念を感じる(一先ずの)結果となりました。
未来の明るい光(希望の光)を見い出す事は、生きて行くうえで大切な部分に思いますが
浄霊一本なら浄霊で、それこそが真の救いだ。と明言できる人が現れるでも無かったので、
皆さんの中でも、そこまでの定まりをもって浄霊に邁進してる訳ではないのかな。と、
そんな風に勝手な理解をしてますが、魂レベル?では薄々、完全なる自信をイマイチ持ち
きれない処があるというのが、多分ですけど実際の処なのではないでしょうか。
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(無題)
希望の光(智慧)は闇を照らすという意味からも、智慧証覚の話で少し語ってはみたものの、
とにかく盛り上がりに欠けるので、流石にちょっと諦めも入りかけてます(笑)
このまま掲示板が終わっても、私自身は今後やって行く事は変わらないので、それはそれで
良いのですが、もしも可能なもんなら、せっかくの縁だし、繋がりを持ちつつ共に組みつつ
進んで行きたい。現実的にも結びを。というのが率直な想いですが、皆さんはどうですか?
教団が出来てない現実的な結びを、個人で先に実現出来てこそ、見本として示せる
又は何か上層に意見するにしても、その言葉が説得力を増すもんだと思うんですけどねぇ。
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(無題)
>もしも可能なもんなら、せっかくの縁だし、繋がりを持ちつつ共に組みつつ
進んで行きたい。現実的にも結びを。
この掲示板が終わるだけの話で、別の掲示板に移行すれば良いだけだと思っています。
参加するかどうかもそれぞれが決めればよいだけだし。
僕も是非継続したい、と思っていて色々探したりしていました。
>問いかけをしましたが、意外にも反応は少なく
問いかけがすぐ投稿に埋もれてしまうのは改善したい。
掲示板の移行というせっかくの機会なので、投稿の表示について多少変更したものを、2週間くらいお試しで皆さんに試してもらって、
試用意見を参考に更に変更するか、という手順を考えています。
数日中にちゃんと決めて『一つの波紋 その3(仮)』を作成し、試用できるようにしたいと思っています。
よろしく〜。
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(無題)
>数日中にちゃんと決めて『一つの波紋 その3(仮)』を作成し、試用できるようにしたいと思っています。
白ぽっちさん、ありがとうございます。
明言していただいたので、スッキリしました。
おそらく、一つの波紋常連さんの中で最晩年の前管理人氏を知る人は、白ぽっちさんでしょう。
これは私個人の勝手な想像ですが、氏は掲示板をバトンタッチするためにメシヤ教と関わりを持ったのではないかとも考えられます。
もちろん、氏としても無意識のうちに、だったとは思いますが、私もその経緯に若干関わっているので、そう思えるのだけなのかもしれませんが。
前管理人氏のお父さまは「結び」というニュアンスそのままの十郎というお名前を明主様から頂戴していて、氏自身もそのニュアンスを彷彿させる光太郎というお名前でしたからね。
大いに必然性を感じます。
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絵
ほぼこれで決定です。 すいません個人的で、 これも記録で残したいから。
天若彦が、 クニトコタチ を殺めた瞬間ですね。ここから夜の世界が始まるんですね。
あとはこれを 顔彩で 水彩画で書くんですね 。本来の日本側は、 油がんさい絵具、に皮まぜてで 使うと聞いてますが、それでやったらメリハリがついて、つぶつぶが出て と YouTube で言ってましたが。
これはその1ランク下の顔彩ですから、そ
こまでメリハリはないそうですが、これはこれでまた味があると思います。 これは色鉛筆を使ってますが後は テレビで映像を選んだのを印刷コピーを貼り付けてますそれでまたそこを少しアレンジしてますが 昔の人はモデルを使ったのでリアルですが
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005740.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005740_2.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005740_3.jpg
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文明の転換期
「花による天国化運動」半世紀の歴史です。
https://www.youtube.com/watch?v=U8Jv432ooz0
※最後に、山月庵での明主様のご様子が動画で紹介されています。
今朝も庭のアジサイを活けました。「狙いをつけておいて、スッと切ってスッと挿す」。
この時期アジサイなどは水揚げが悪いので、水道の蛇口に逆さにして水を当てて活けています。スピードが命。
「花と話をして、花の心を活けてやる」 50年経ち、どれだけこの心が活け花に表現することが出来ているだろうか。
http://
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一つの波紋3
とりあえず作成しました。
一つの波紋3
https://hitotsunohamon3.bbs.fc2.com/
2週間くらい?試用していただいて、改善点など感想をお願いしたいと思います。
スマホで見た場合、
画面上部に『PC』
もしくは『smartphone版で表示』
と出ます。それぞれクリックして表示を切り替えられます。
画像を閲覧・投稿したい場合は『PC』をクリックしてパソコン版表示にしてください。
文字だけで良い場合はsmartphone版を利用してください。
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(無題)
>「花と話をして、花の心を活けてやる」
同じ花は花でも、炒り豆に咲く花には興味があったりする^^;んだけど、
自分は、華道(生け花?)には全然興味ないし、触ってみた事すら無い。でも、
『花の声に耳を傾け、花の心の声を聴き、それ通りに活けてやる』っていう意味ですよね?
華道も極めればちゃんと「人の道」に繋がってるんだなぁ〜、って思った。
武道とかスポーツ、あらゆる競技、他にも色々と重なる部分があると思ってるけど、
本当にありとあらゆるものがそこ(人の道)に繋がってるよなぁ〜。
「世界に一つだけの花」は、人の個性を花になぞらえた歌だけど、花と同じく人の個性も、
それを活かすも殺すも、活ける・触れる人次第なんだろうなって思う。
あ。料理なんかもそうですよね、(ほとんどやらないが。笑)素材の味を活かすも殺すも
全て料理人の腕次第。料理も「超一流シェフ」は「素材の心の声」を聴くのかな、やっぱり。
入信前の自分は、結構なクズ人間だったので花を見て綺麗だと思った事が一度もなかった。
自分の心に「綺麗さ」のカケラも無かったという何よりの証だったなと実感。(鏡合わせ)
今はちゃんと花を見て感動できる(心洗われる感覚)にまで成長できてます(笑)
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(無題)
一つの波紋3、早速見てみました。
さすが、やっぱりやる事が早いよねぇ〜。
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(無題)
>やっぱりやる事が早いよねぇ〜。
本当は6月15日に合わせたかったんだけど、遅れた(苦笑)
タカシさんは良く質問してくれるから、波紋3では是非新規タイトルで質問を作成して欲しいですね♪
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(無題)
生まれて初めて綺麗だと感じる事が出来た、その時見た花は、桜よりも少し前の時期に咲く
確か「木蓮」という花でした。白い花で。
今、確認の為に画像検索してみたら「ハクモクレン」という種類らしいです。
初体験だったので殊更印象深く、今でも咲くのを楽しみにしている花のうちの一つですが、
その時歩きながらふと、チラッと一瞬だけその木蓮を見上げ、そのまま素通りしながら
「あ〜。ずいぶん綺麗に咲いてんなぁ〜」と薄っすら思った「その自分」にふと気づいて
驚きのあまり立ち止まり。ん?!!! 今、綺麗に咲いてると思ったよなぁ?!綺麗???
うん、確かにそう思ったぞ?!マジかっ?!ありえねぇ。。。みたいな(笑)
その時の心の動きまでをも鮮明に覚えている程、自分にとっては超衝撃的な出来事でした。
自分が今まで住んでいた世界とは全く別の世界に居る事実(心が変わっていただけですが)
を、現象を通じて初めて確認する事が出来た瞬間でした。
多分、みなさんにとっては、花が綺麗に見える事なんて極普通の事だと思いますが、
当時の私(木蓮に気付く以前の私)は、どんなに一面埋まった花畑を眺めてみても、周りの
人々が口々に「綺麗だ〜」と感動している中。独り心の中では
「ったく。見え透いた様な嘘ついてんじゃね〜よ。もっとちゃんと良く見てみろ。
どっからどう見たって、ただ花が多く咲いてるだけじゃねぇか」
そう思っていたのが実際の処なんです。今思えばホントつまらない最悪な男だった(笑)
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絵4
始めは背景は 紺碧の青に、三日月で、そしてそこに薄暗い影が雲が少しあって 、後は一切描かないと思ってました 。
そのが、綺麗に見えるからですね。また下の背景、土、土一つの色で、影は付けないと思ったんですが、写真で撮ってみたら 、カレンダーの貼り合わせだから紙上のシワができている。
それが写っていて、かえって背景が影が 不気味な神秘的な 味が出て、緊張感がある。
このように書けとおっしゃってのかなと思いました。そして国常立尊の足元に雑草を一部描いたんですが、
これを二本の松にしたら、松の枝を切ったやつを差し込んだのにしたら、門松になるんですね。
あーこれだなと思いました。
国常立尊はこれ 殺害された後 、埋められた 。そこに門松が墓標 と備えてあるのだから、 このようにしなさいと なったのかな。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005747.jpg
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原点は心(中心)
今朝書いた花の話からも、
全く同じ世界に住み、全く同じ景色を同時に見ていたとしても、人それぞれに観えている
景色・住んでいる世界は、全くの別物だという事がよく分かるかと思います。
当時の自分の周りには、綺麗でも何でもない花を見て、綺麗だと「平気で嘘をつく輩」が
ゴロゴロしてた訳ですけど(笑)その平気で嘘をつく輩とは自分自身の事だった訳です。
独身当時はまだ若気の至りという事もあり、女性との交際も一時は「やまたのおろち」ばり
に「八又」とかの時期もあったくらいで。まさに人間の皮をかぶった獣(けだもの)でした。
こういう体験があるからこそ鏡合わせがより身近で現実的なものになっているんだろうと
思いますが、実際に、語ればきりがないほど「外側の悪=自分自身」を数々消化しながら
進んで来ました。一歩進む(消化・昇華する)ごとに目の前から悪(幻)が消えて行き、
その「消化」の文字通り、消えた数だけ、より快適な・悪減少の世界にシフトして行く。
【周りの景色を観れば、その景色がそのまま即、今の自分の立ち位置に相応してる。】
本質の対義語が現象であるという事は以前にも書いたと思いますが、
現象に注意深くある事で、本質(自分自身)を知る事が可能だという鏡合わせの話でした。
悪が観えている間は改心の余地(伸びしろ)あり。悪憎む想念の消化はかなり重要です!
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神慈秀明会信者の使命
岡田茂吉インターフェースという資料 が出てきました。これは神慈秀明会信者が 2001年、20年前、作った サイト。中で秀明は救世教を邪神扱いして、もう、そういうのは止めて、 明主様教団 は 一つにならなければ、とやっているんですね。
「(抜粋)、超奇跡がもたらした恐怖信仰、信仰の目的とは奇跡を見ることではなく、幸福を作ること。
(み教え 紹介)
神慈秀明会では明主様のおっしゃる奇跡が忘れ去られ、 超奇跡ばっかり頻発(ひんぱつ)していました 。
このため信者は浄化者に浄霊を取り次いでも、その相手は 超奇跡を頂き、癒(いや)されるかどうか、 さっぱり分からないのです 。
また、いざ自分が浄化者の立場に立ったとき、浄霊で浄化者を越えられるかどうか、自分でもさっぱり分からないことが、恐怖に結びついてしまいます 。
超奇跡は起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。
私は明主様から見たら十分に、ご用意してこなかった かもしれないから、このまま裁かれて、死んでしまうかも、私の周りにも死んでしまった人がいっぱいる。
怖いと、
だいたい入信して間もない人や、長年活動してこなかった人が、 超奇跡で救われ、世話人、助教師などは亡くなる人が多い事実から、地位の高い人ほど、 恐怖信仰があります。
ある支部長先生も、浄化で腕が上がらなくなった時、「私は腕が一生上がらなくなってしまうかもしれない。怖い!怖い!」と恐怖におののいていたそうです。 浄化は結構なはずなのに、 旧体制のころです。
今は治っているんじゃないかと思います。」
(言わんとすることは理解できます。
見識ある秀明信者が秀明に疑問を持ち離れ、遠くから批評した。
また多く、良いサイトを作ってます。
この掲示板の白ポっチさんもそうですし、 (この人がいるから掲示板が継続できた。)
私も、 高天原 誠さん、 岡田茂吉インターフェースを作った人も、
確か稔さんは会ったとと書いてなかったですかね。また、凛太郎、
通勤カレッジもそうですね。
沢山私も、高天原さん、岡田茂吉インターフェースを見て、学びました。 リセット 0 もそうですね。
秀明会から 、みんな出ている。神慈秀明会はやはり、なんか使命があると思いますね。)(一番)
-
日本の 低迷
国産初の MRJ でしたか、三菱がジェット機、作ってましたね。旅客機を、また戦闘機も、本当にこれはできないでしょうね。
ボーイング社、 ロックフェラー、ロスチャイルドが握ってるから、させないでしょね。
三菱のジェット旅客機が 全然進まない。 また日本の周りに、たくさん 燃料資源が眠っていると、以前話題になりましたが、あれも進まない、掘ると能率が悪いと、あれができたらアメリカの燃料が輸出できない。
また 日本の企業、世界の順位がどんどん低迷、国際競争力今、日本はタイにも負
けてますよね。 34位でしたか、
はっきりとした数字は忘れました 、全て政治も裏でロックフェラーたちが握ってるから、動かしているから。
日本がどんどん沈んでいく。これは深い意味があるんでしょうね。
-
(無題)
>これは深い意味があるんでしょうね。
もちろん深い意味だとか深い神の意図とか、私もあるだろうと思います。
ただ大事だと思うのは、その現象を見て「意味付けをするのも自分」なら、神の意図を
「こうだと仮定するのも全部自分自身がやっている」という「自分の意識・思考の自覚」と
外側の現象を見る時の視点についても、
出来ていない部分・負けている部分などの「負」の部分にばかり目が行くのか。それとも
出来ている部分・既にある、足りている部分に目が行くのか。など、
人によって、その意識・思考のパターンも様々だと思います。
また、「負」のほうにばかり気が行く場合、
出来ない部分を、つい自分のせいではなく外側の何かがこうだから。と
「外側のせい」にしてしまったり(=責任転嫁・自分の責任についての無自覚)
何かと【被害者意識】を持ち易くなる傾向はあると思います。
被害に遭う為には「被害に遭う資格が要る」と思います。偶然被害には遭う事はできない。
-
態度
今秀明から野菜を取ってきたんですが、 その前に参拝をさせていただきます 。ちょうど2時で礼拝があってたので、
本当は入ってはいけない、 自分は15年以上ニュートラル、御神前横、畳廊下で??気づかず 立って待っていたら、お御簾が上がっている時は、入ってはいけない、 明主様がお出ましになっていると厳しく注意、 あーそうだ。 立ったままだとご無礼になる。座りなさいと言われたんです。??私
足が浄化しているので
いや ここまでは他所ではない、 なんか厳しく、 釘を刺されるようで
普通は気づかない。 今までは二階に 張り紙がはって、 三階は 礼拝中だからと書いてある、今回は何もなかったので 、気がつかず 入ったら そうなった 。
普通の人は怒るかもしれませんね 。 態度ですね。
穏やかに宗教の場だから と思いますが、
我をもっている人は神慈秀明会に通用しない。 敷居が高い。
だから? 超?奇跡が起こる。
まっすぐなんですね。人間を見てないから、
だから誤解もされる。
資格者も昔一緒に御用した女性、 周りが見えてない。神様のことしか見てない 、 ツンケンとした態度、
本来なら今畜生と思う、 しかしこれが神慈秀明会 、厳(いず)の御霊の教団、 ここが分かるので 、私は感謝で受け止めさせていただきます。
そうでないと、大喧嘩して止めていたと思います。
神慈秀明会は秀明の 、他にない 素晴らしさがある。
-
「いづのめ誌」 明主様を想う、から
「私の実家が明主様にご縁をいただいたのは、昭和19年のことでした。2番目の姉の子供が風邪をひいたとき深川の市場の青果物店のご主人 、(渡辺勝市相談役の弟)が治療(浄霊)( 当時は宗教活動が認められなかったため、渋井式指圧浄化療法の名のもとに、活動していた)をしてくださった。( 中略) 私は1月23日身の回りのものを 携えて、宝山荘へご奉仕に上がりました 。
まもなく、明主様のご面会に上がる渋井先生のお供を、させていただきました。 私はご面会の次の部屋に控えていたのですが、初めて明主様のお姿を拝することが出来ました。
場所は熱海の東山莊です。お目にかかる前は一宗の教祖なんだから、白い着物に、髭をはやし、髪を長くしていらっしゃるのかなと思っていました。
明主様は普通の着流しで、総絞りの兵児帯(へこおび)をちょこんと横に結んで、足早に出てこられました。
そのお姿は微塵(みじん)の俗っぽさもなく、粋(いき)なダンディで言うに言われぬ魅力を感じました。
ご面会の時間は30分ほどでした。私は明主様のお姿を一目配しただけで、このお方が教祖様なら一緒について行こうと思いました。
明主様の御印象は私のそれまでの不信心を一変させるほど強烈だったのです。
(中略)
渋井先生が軽い脳梗塞のような浄化を頂いた時 。
明主様が特別に浄霊して下さり、私はお側で明主様のお姿を何度も拝する機会がありました。 真剣に浄霊される明主様のお姿から、慈愛の御心が にじみ出て、それが私の全身に、直接伝わってくるように感じられ感動しました。
(中略 )当時は食料事情が悪く、小豆(あずき)がいっぱい入ったご飯を1日に2食、昼抜きでしたので、忙しく働いている奉仕者は皆ものすごくスリムでした。
(中略 )渋井先生は私たち奉仕者には、み教えの難しい話はされませんでしたが、明主様のお話をガリ版刷りにして説明してくださいました 。
特に「霊界が夜から昼に変わる、何れ世界の大浄化時代が来る。滅びる人々が続出する。浄霊を徹底することによって、浄化に耐えうる心身にならなければいけない。だから信者は浄霊のお取次ぎで、ますます忙しくなる」と強調されていました。
昭和24年 3月17日私は沢田秀雄と結婚式を挙げました。当日私どもは熱海の清水町別院 へ渋井先生に連れられ午後1時、明主様にご挨拶申し上げることになっておりましたが、準備に手間取り、 理髪師が入念にしてくださったので、約束の時間に?1分遅れ?てしまいました。
取次の方が奥に入っていった後、時間を守らなかったことを大変ご立腹になって『もう会わん』ということを、おっしゃっているご様子でした。
しかしまもなく応接間でおめ通りがかない、私どもはきついお叱りを覚悟していたのですが、入ってこられた明主様は『おめでとう。今日からは両輪だね。』と温かくおっしゃってくださったのです。
私どもはぼーっとするほど嬉しくて、思わず涙ぐみ、 ?今日からふたりで御用だね?という優しい明主様の御心ありがたく噛み締めました。
今も耳に残っている明主様のお言葉がもう一つあります 。二女の三弥子様のご結婚のご披露の、お手伝いにあがりました折り、 花嫁のお召し物は大変 質素だったように記憶しておりますが、 明主様は『 本当はもっと立派なお嫁入りの支度をしてあげたいんだよ。やろうと思えばできるんだけれども、今は神様の方でいくらお金があっても、足りないくらいだから、できないんだよ。』とおっしゃっているのを耳にしました。
そのお言葉には父親としての限りない優しさと、教祖としての御神業にかける、固い決意がにじみ出ていました。」
(世界救世教参事、沢田美紀子さん)
時間にとても厳しいというのが書いてありますね。 床屋が念入りにしてくれた、その心に絆(ほだ)されて遅れてしまった。
『会わん』とおっしゃっていた。しかし沢田さんの 誠の心が 伝わったのか 、それが一転しますね。 本当に心から反省しているのが 伝わってきます。
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天若彦の尊
天若彦
3000年前、まず 素戔嗚尊(出雲族)が、 朝鮮から来て が天照天皇(大和)を殺め日本を占領 。
そして 素戔嗚尊は中東へ。
素戔嗚尊に天照天皇が殺められた。それを大和の民衆は 反乱を起こすんでしょうか。
素戔嗚尊は日本を離れる。
その後、 国常立尊が統治権を取り戻した。
素戔嗚尊の留守で出雲族( 朝鮮)の勢力が弱っていた。 その隙を狙い 、今度は天若彦 (天孫 )が 中国からせめて来る 。そして 手段として、 その時、大和の王である
国常立尊の娘を誘惑し、 国常立尊をおびき寄せ 殺め、夜の世界が始まる。
その頃、国常立尊がとても厳しかった 民衆たちは、やりきれんと、天若彦の蛮行を手伝う。これが「3000年の罪」。
これはアマテラス天皇は 国常立尊でもあると、
解釈できる記述もありますね。 とにかく大和民族であったということでしょうか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005754.jpg
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経綸の整理
自然を観れば明らかに、草木の背丈や種類も様々で、皆バラバラで違っていて当たり前の、
不平等の平等が真理ながらも、これまで善悪無差別(平等)の救いは薬師如来の薬について
も神仏に願う望みが人間都合に寄り添ってもらえる形で経綸は展開されて来たと思います。
大本の獅子吼を発端として艮の金神・国常立(メシヤ)の経綸は始まりましたが、いきなり
神都合の教えで説かれても、解る人がほぼ居ない状態だったからこそ、
観世音菩薩にまで位を下げた大衆向けの救いを明主様は展開されたのだと思います。
入り口をもっと広げるという形で。
明主様の原点は大本ですが【その大本のやり方では大衆は救えない】との想いから、
観音の救い(浄霊)を展開されたと思います。それこそ善悪無差別に救える「奇跡」という、
広く一般大衆に寄り添える(人間都合・小乗目線に合わせながらの伊都能売式の)やり方で。
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続き
いよいよ時期至り(仮祝典)、その善悪無差別(人間都合・平等)の救いから
【180度の転換期】を迎え、
善悪区別(神都合・不平等)の救い・国常立(メシヤ)の経綸へとひっくり返る。
審判期だけに神も厳しくなる故まごつかぬ様に・腹帯を締めろなどと。ただ、
ひっくり返る。と言っても、元々の神都合・大本の獅子吼通りの本流に戻すというだけの事。
大乗目線(神都合)で観れば、全体的に奇跡が減って来ている流れに合点が行くものの、
小乗目線(人間都合)のままで居る人達にとっては、昔の様な奇跡の再来を願うのでしょう。
今後更に、立て別け(心の立て替え立て直し)の経綸は進んで行くと思われるので、
【どれほど浄霊しても「心が神都合に合って行かなければ」救われない】つまり
【真釣り】の想念、【心】の重要性が、もっともっと、より顕著になってくるだろうと
思っています。
「信仰の合理性と再浄化」だったかな?にも、そんな内容が説かれていた様な?記憶ですが、
浄霊がダメだという意味ではなく、今後の急所は益々浄化者の【心次第】になって行くの意。
今更改めて今後の急所と言うよりも、そこは元々ず〜っと急所であり続けていたハズですが。
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最後
今でも奇跡が起こる(らしい)秀明のそれ等は、もちろん平等の救いに当たると思いますが、
まだ「未信者を入口に案内する猶予」も若干残されつつの経綸の展開なのかなと思います。
未信者に浄霊が効き易い(奇跡多い)のも、まだ何も知らない者には、先ずは「無条件」で。
神の実在を認識出来ない段階から、先ずは神(と言うよりも奇跡)を見せて、認識の転換。
神の実在を実感にまで導くのが「浄霊の目的」と思います。(神を見せる宗教)
でも、もうそう遠くない未来には、その入り口さえも閉じて来るのでは、と思ってますが。
何しろ、明治時代の大昔から優に百年以上も【警鐘】は鳴らされ続けている訳ですからねぇ。
いざとなってから臍を嚙んでも。的な?そんな者に神は構っておれんから。みたいなのも
どこかにあったと思います。獅子吼が心に響くか否かは結構な別れ道かも?と思います。
【出口は大本にあり】ですが、もちろん今の大本に入信すれば救われるの意ではありません。
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秀明会
前も書きましたが 神慈秀明会は厳しい御霊の教団 、厳(いづ)と瑞(みづ)で観音様になると、
厳は国常立尊ですね。 瑞は トヨクモノミコト、奥様ですね 。
神慈秀明会は 厳の教団、ですから国常立尊の絵が集まってくるんでしょうかね。
御神体に観音様が立っているのを見る人が多いんですが、しかし基本的には エンマ大王の教団ですね。
これから閻魔様がお働きになれる。
昨日は昔のいづのめ誌 を見ていたんですが、松本総長の頃は、みんな本当に布教もされてましたね。
奇跡も起こってたし、 入信者 がありましたね。 それが 渡辺総長になって 、また元の世界救世教になりました。
そして今日の姿ですから、 こういう運命を辿るようになっているんでしょうね。
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メシヤの教え
明主様がメシヤ様として過ごされた、およそ二ヶ月間ほど?でしたか、「竹の間」で
過ごされたという話を(その期間厳しかったという話も)随分前に聞いた記憶がありますが、
その期間の「メシヤの教え」のみを抜粋した御教え集が、もし在ればじっくり触れてみたいな、
期間が期間だけに、他の膨大な御教えに比して圧倒的に少ないでしょうね。
9:1?いや、ひょっとすると9,9:0,1くらい?もしくはそれ以下?じゃないのかな。
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いづのめの布教
メシヤの教え これは本当に閻魔大王ですよね。
そこは 他の方におまかせして、私は「いづのめ誌、37 号、1997年」から、
《布教現場最前線》 私は神慈秀明会の布教を知っているので、世界救世教いづのめ教団の布教、当時は 真剣にやってました。
よく目にしていたから、比較したいと思いました。
抜粋 、(近江教会、前川さん)
「 信仰のマンネリ化を脱出」 丸山布教所では2年前から「人を救える人を目指して」をスローガンに、「幸せの会」という勉強会を行っている。
そこでは信仰向上のために、常に立ち返らなければならない、信仰の基本の学びを重視している。
入所参拝の後、相互浄霊(秀明で言う浄霊交換) その後、信徒の入信動機と御守護の「報告」。
そして、教会長が『幸福への道』(宣教部発行教修用内部資料)2ページずつ噛み砕いて説明、その後、学びを深めるために座談会を行う。
中略、 私は 毎朝新聞配達をしていますので、それと一緒に『光明』新聞を配っていますと、声を弾ませる。
「健康の秘訣は早起きと、規則正しい生活、そして神様のお役に立つことですよ」と、元気いっぱいに答える。
「私はポストに配布はできるんですが、手渡し配布はどおも苦手で」と言葉に詰まる新井さん(30歳)
手渡し配布を苦手とする人は多いのか、「私も手渡し配布は、なかなかね」と苦笑する人が何人かいた。
すかさず「でもこの前、初めて手渡し配布ができた のよね」と前川さんが、新井さんに助け舟を出す。
すると、うつむき加減だった新井さんが話し始めた。
布教所では 「幸せ会」や感謝祭などの行事が行われた後、気にかかる人、救いたい人と思う人に手渡しして下さいと、参加者に一部の『光明』新聞が配られる。
新井さんは外出の時にいつも鞄(かばん)の中に入れ、機会があれば実践しようと思っていた。 しかし宗教に対する偏見を持たれ、白い目で見られるのではないかと危惧し、ずっと手渡しができなかった。
そんな時、同じ職場で家庭の問題を抱えている人がいることを知った。希望をなくし、暗く落ち込むその人を見るたびに心がひどく傷んだ。なんとか救われてほしいという思いに駆られ、勇気を奮い起こし、「時間があったら読んでください」と『光明』新聞を渡すことができた。
?配布?のための?配布?ではなく、真に人を愛する 思いにこそ、勇気と御光が頂けるという大きな学びを頂いた。そして新井さんは何れ、浄霊のお取次ぎが許され、救われるよう毎日祈願を続けている。」
そしてメシヤの学び、天国化、自己浄霊、おし出してましたね。
松本総長の頃ですね。この時が教団が輝いていました 。
永峰先生が 奇跡の体験をよくされてました 。
そして秀明の布教は 見習うべき点が多いとおっしゃってました。
ここでは 新聞配布で 苦慮しているとありますが 、秀明はここはもう浄霊なんですね。 配布は二の次、三の次で、また新聞はポスト配布は絶対にしません。手渡しが基本ですから、神慈秀明会は 、ここは徹底してます。
しかもタダで手渡しはしません。 お玉串をいただきます。必ず それは100円から1000円ぐらい。
私は頂いてましたね。 神様を高く掲げていた。 玉ぐしをいただくことで相手にお光が届く、 タダでお渡ししたら曇りを受ける。まで考えていたのか、
ここが秀明の発展の所でしょうね。
あとはほぼ同じです。 新健康協会、天聖真美会、真光も ポストに入れてます。
しかも神慈秀明会は、浄霊する時、相手が『明主様ありがとうございます』と3回感謝の言葉をお唱えして浄霊をしますから 、これも神様を高く掲げる行い。
これが出来ない人は、やってませんでした。 しかも1日何名浄霊と決めるんですね 。出来るまでやる。神様との約束は絶対守るというのが、神慈秀明会ですね。
ハードルが高かった。だから奇跡も?超?奇跡ですね。
下の写真は平本伸一先生 岡田茂吉全集を編纂されたお方のお母さんとご自分の体験を書かれた 非常に貴重なものだと思いましたので漫画にさせて頂いています。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005760.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005760_2.jpg
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