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Japanese Medieval History and Literature

1釈由美子が好き:2007/06/03(日) 21:01:22
快挙♪ 3
 本日の歴史学研究会総会・大会2日目、日本史史料研究会さんのお店、中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』(日本史史料研究会研究叢書1)が、なんと! なんと!!

  41冊!!!

 売れたと云々!!
 すげェ!! としか言いようがない。

 2日で、71冊。
 快進撃である。

261鈴木小太郎:2007/09/22(土) 00:31:18
荒行の様子
釈さんが編集長ブログで書かれていますので、次回は参加してみようかなと思われる奇特な方は参考にしてください。
ちなみに参加7人中、完走したのは釈さんと女子大生1名の合計2人のみで、私は午前1時半に敗退し、缶ビールを飲んで布団で寝てしまいました。
午前5時に起きて会議室(和室)に偵察に行くと、2名が畳の上にうつぶせになって死んだように眠っており、釈さんたちは脱落者男子のいびきがうるさいという理由で別室に移動して修行を続行中でした。
午前11時半に終了したときには釈さんもお疲れ気味で、最後までとことん元気だったのは女子大生1名のみでしたね。
http://blog.goo.ne.jp/shaku-henshucho/

>筆綾丸さん
一部、削除されましたか。
難しかったので、じっくり調べてから、可能ならばレスしようと思っていたのですが。
今週はいきなり荒行で始まり、バタバタと雑用に追われているうちに週末になってしまいました。
『天平冥所図会』もやっと勢田大橋にたどりついたところで、周回遅れもいいところですね。

262鈴木小太郎:2007/09/22(土) 00:37:29
鎌倉遺文研究会第134回例会の御案内
例によって勝手に宣伝です。
------------------------

日時:9月27日(木)18:00〜
場所:早稲田大学文学学術院第2研究棟(39号館)6階第7会議室
報告者:林譲氏
題目:「検討の要ありとされる源頼朝文書について
     −特に相田二郎氏分類の第一筆蹟を事例として−」
[報告者の一言]
「偽文書、検討の要あり、案などの按文のある『平安遺文』『鎌倉遺文』収載の源頼朝文書のなかには、正文と理解すべきものも少なくないように思われる。頼朝文書の筆跡分類に定評のある相田二郎氏「鎌倉時代における武家古文書の筆蹟」の問題点とともに、藤原俊兼の筆跡かとされる第一筆蹟を事例として、正文と理解すべき方法を考える機会としたい。」

http://www.f.waseda.jp/ebisawa/top.html

263筆綾丸:2007/09/22(土) 12:33:40
水と石
小太郎さん
宗教となると、つい、余計なことを書いてしまい、悪い癖だと反省しております。
勢多大橋で若水が出てきますが、あの水の表現方法は卓抜ですね。

千々和至氏の『板碑と石塔の祈り』を読みまして、緑泥片岩の形態もさることながら、
とりわけ円照寺の板碑を興味深く思いました。
有名な臨刃偈が彫られていますが、蓮華に座す胎蔵界大日の梵字と七絶の文言が、あまり
調和してないような感じがしました。密教的な悉曇文字と臨済禅的な対句表現の混在が、
なんか変だ、と。
こういう遺偈を彫った板碑というのは、どのくらいあるものなのでしょうね。

附記
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=30584922
この本と重松明久『覚如』(吉川弘文館人物叢書)を読み比べますと、覚如・存覚の
父子像がまるで正反対なので、驚きました。前者によると、覚如は大変な俗物です。
後者の口絵を見ますと、遺言で善如に譲渡した別当職は二千石なのですね。多いのか
少ないのか。遺言の書は親鸞の書によく似ている、と思いました。
覚如没後2年(1353年)、円寂に画かせた影像に存覚が加えたという賛文のうち、
紫雲聾遮眼。青漢晴断魂。冷灰見遺骨。分布如琢○。
という表現が気になりました(○=王+昆)。

264高遠彩華:2007/09/23(日) 14:56:29
日本中世史研究会例会のご案内
日本中世史研究会例会のご案内をいただいたので、
勝手に宣伝させていただきますです。

♪♪♪♪♪♪♪

日本中世史研究会例会のご案内

日時  2007年9月29日(土)
  午後2時〜5時30分

於中央大学理工学部 6号館 6426教室
 地下鉄丸の内線・南北線 後楽園駅
 都営三田線・大江戸線  春日駅 ほか

※中央大学理工学部(後楽園キャンパス)へのアクセスマップ
 http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/access/access_korakuen_j.html

 島田 次郎氏
  「前近代民衆運動と竹橋事件」

【参考文献】
竹橋事件百周年記念出版編集委員会編『竹橋事件の兵士達』(徳間書店、1979年7月)
沢地久枝『火はわが胸中にあり』(文春文庫、1987年10月)
麻生三郎『飛び起つ竜』(「竹橋近衛暴動記竜の軌跡」第1部、丸善、1976年1月)
 同 『倒された竜』(同、第2部、丸善、1976年5月)
 同 『埋められた竜』(同、第3部、丸善、1976年8月)
我妻栄『日本政治裁判史録 明治前期』(第一法規、1968年11月)
陸軍裁判所『近衛砲隊暴動始末』(三条実美文書資料)

☆お問い合わせは、日本中世史研究会事務局まで。
 関 周一
(e-mail)fwhw6117@mb.infoweb.ne.jp

265御座候:2007/09/24(月) 00:27:11
2007年度・日本古文書学会大会(勝手に宣伝)
会期:2007年10月13日(土)・14日(日)
会場:日本女子大学目白キャンパス 新泉山館第一大会議室
   〒112-8681 東京都文京区目白台2-8-1
開場時間:受付開始 13日(土)午前10時
          14日(日)午前9時

○10月13日(土)
午前11時〜
・開会の辞 日本古文書学会会長 中尾堯氏
・総会
午後1時〜
・シンポジウム開会の挨拶 日本古文書学会会長 中尾堯氏
・開催校代表挨拶 日本女子大学長 後藤祥子氏
・シンポジウム「文化財と古文書学−筆跡論−」(日本女子大学文学部・同大学院文学研究科と共催)
・基調報告「筆跡論への視覚」湯山賢一氏(奈良国立博物館館長)
・報告1「大江広元とその筆跡」林譲氏(東京大学史料編纂所教授)
・報告2「文化財調査における筆跡」池田寿氏(文化庁文化財部美術学芸課主任文化財調査官)
・報告3「太田牛一の真筆論」杉崎友美氏(日本女子大学文学部助教)
・報告4「書札と聖教の筆跡」永村眞氏(日本女子大学文学部教授)
・パネルディスカッション
 (司会:湯山賢一氏 パネラー:林譲・池田寿・杉崎友美・永村眞の各氏)
・総括
・閉会の辞

・懇親会 会場…日本女子大学新泉山館三階
     時間…午後6時より
     会費…6000円(当日受付)

○10月14日(日)午前9時30分より
・研究発表(午前の部・午前9時30分より)
(1)「永観文庫所蔵「東寺長者補任」について−寺院文書の集積と供僧−」宮崎肇氏
(2)「牒と書札様文書−古代文書と中世文書をつなぐもの−」佐藤雄基氏
(3)「『平戸記』所載「高麗国金州防禦使牒」について」近藤剛氏
(4)「『久我家文書』の伝来過程に関する一考察」野村朋弘氏
(5)「鎌倉・建武期の牒に見る「衙」−雑訴決断所牒を中心に−」喜多泰史氏

・研究発表(午後の部・午後1時より)
(6)「室町時代の藤氏長者宣」高山京子氏
(7)「初期室町幕府における「将軍」・「鎌倉殿」の成立過程−将軍・鎌倉殿の分離と直義・義詮の執政−」桃崎有一郎氏
(8)「「大内氏御家人制」の再検討−袖判下文の考察を中心に−」萩原大輔氏
(9)「古河公方の評定・引付衆補任過程をめぐって−足利晴氏の事例を中心に−」和氣俊行氏
(10)「戦国大名武田氏の「精」朱印について」西脇康氏
(11)「戦国・織豊期における両属事例−柳沢氏を中心に−」十河靖晃氏
(12)「町奉行与力伝来史料と南北会」滝口正哉氏

※会場(日本女子大)までの交通
 JR山手線目白駅から 徒歩:約15分 バス:約5分
  【バス停(2)】日本女子大学行きスクールバス(学05)→「日本女子大前」下車(ただし休日運休)
  【バス停(1)(3)】新宿駅西口・椿山荘行き都バス(白61)→「日本女子大前」下車
 東京メトロ有楽町線護国寺駅(4番出口)から 徒歩:約10分



今年は日本史研究会大会と日程が完全にバッティングしております。

266はぎつきみたえ:2007/09/24(月) 19:02:46
頼朝再興の軌跡をたどろうツアー
 『頼朝再興の軌跡をたどろうツアー』と称して、一人で房総半島に行ってきました。
 船で海を渡って房総半島に上陸し、東京湾をぐるっと(電車で)まわって鎌倉に入ろうという計画です。
 真鶴から船は出ていないので、東京湾フェリーで代行。
 その後、上陸地説がある安房勝山の竜島と洲崎、両方いきました。
 房総半島には、はじめて行ったんですけど、海からすぐ山なんですね。
 しかもむくっと起き上がったような傾斜の急な山々ばかりで、がけも多くて。

 竜島は駅から10分くらいですぐでした。
 その後館山市に出て洲崎へ行ったんですが、これから行こうと思っている方、ご注意あれ。
 平日は、洲崎方面には一日2本しかバスがありません!!土・日・祝には1時間に一本になります。平日は動きにくいですよ〜。
 で、洲崎の上陸地の碑は、洲崎神社じゃなくて、2本手前のバス停「矢尻の井戸」にありました。
 上陸した頼朝が、水を求めて矢を突き刺したら水が出たという井戸です。まだ底には水があります。
 その横に碑があったのですが、道路のすぐそばのせいか、砂ぼこりで白くなっていて読みづらい!ひと文字ずつ確かめながら音読してましたら、どこからか現れた近所に住んでるっぽいおっちゃんにすごい不審な目で見張られてしまいました(笑)。

 竜嶋も洲崎も、碑のまわりは夏草ぼうぼうで「ボランティアでいいから草刈りさせてくれないかな〜」と思いました。あと、洲崎の石碑はぜひ水拭きさせていただきたい…。

 その後、電車でぐるっと東京湾沿いにまわったのですが、すっごい時間かかりますね!肩こっちゃいました。海路が断然いいってことがよくわかりましたです。
 途中置石踏んだかなんかで電車が遅れて、鎌倉駅に着いたら20時。時間があれば鎌倉をふらふらするつもりだったのですが、あきらめて駅でゴールってことにして帰宅の途につきました。

 房総半島を歩きつつ、頼朝は、ここに上陸して「とりあえずここまでくれば一安心」と思ったのか、「ここまで来たのはいいけどこれから大丈夫かよ、俺」だったのか。どっちだったのかなあと、そんなことばかりつらつら思っていました。
 お天気も良く楽しかったです。

267釈由美子が好き:2007/09/24(月) 23:59:38
アップ情報♪
 「水風呂蒸発」、訂正・増補いたしますた。

 ひさびさに出て来ましたが、これにて失礼いたしやす。

268筆綾丸:2007/09/25(火) 20:01:35
竹橋の反古
竹橋と言えば、江戸期、勘定奉行所管の文庫があり、太田南畝が、

 五月雨の日もたけ橋の反古しらべ 今日もふる帳あすもふる帳

などと狂歌を詠みながら、文書を整理したところですね。
「竹橋蠧簡」と「竹橋余筆」が記す対象文書群の大半は、幕府の瓦解時、文字通り反古
として処分されたそうですけれども。

http://www.corriere.it/gallerie/2007/09_Settembre/24/sigillo.shtml
乾隆帝の御璽(白翡翠製?)、サザビーズの競売へ、とミラノの新聞にありました。
150〜200万ユーロ相当とのことですが、大皇帝のものとしては、流出経路が気になる
ものの、意外に安いのですね。

昨日、テレビでハトシェプスト女王の番組がありました。
エジプト考古学庁は、CTスキャンとCGを駆使して、一本の臼歯から、女王のミイラを
同定したのですね。以前、新聞で読んだとき、どういう方法を使ったのか、よくわかりま
せんでしたが、納得しました。

269むらじ:2007/09/26(水) 13:12:33
おひさです
どーもいろいろありまして・・・公私共に。ぐったりな気分です。−−;

>はぎつきさん
>ツアー
面白そうですね。こういうの。
現代の交通機関を使っても、大変さが十分伝わる行程だったかも?^^;
私は出不精なので、せいぜいやったのは桶狭間合戦体験ツアーくらいなものかな?

>筆綾丸さん
>同定
ミイラの報道は知っていたのですが・・・見逃しました。
同定といえば、トリノの聖骸布、またぞろ真贋論争が蒸し返しになったらしいですね。
前回の炭素検査はどうも幼稚すぎる・・・とは感じていたのですが。
たしか新刊で原寸大の折込の入った本が出ていたと思いますが、そちらのほうはご関心おありでしょうか?

270筆綾丸:2007/09/26(水) 20:40:04
saint suaire
上卿、近衛府を召す。大将、政人を召す。将監、小庭に候す。雨日、宜陽壇上に候す。
上卿云、印て。将監、唯(おお)と称す。将監少納言主鈴、印を召す。将監、敷政門
より出ず。少納言等、日華門より入り、長楽門橋西に立つ。雨日、廊中に立つ。掃部寮、
案を立つ。軒廊の中間に立つ。少納言、案に就く。主鈴、印を案上に置く。将監、南に
在り。少納言、官符を覧る。省符あらば、案を覧ぜず。上卿、見了りて返し授く。少納言、
官符を持ちて案下に帰る。主鈴、官符を取りて之に捺し畢る。少納言已下、共に印を納む。
掃部、案を撒す。少納言、日華門より退出す。

以上は、内印を捺す時の『西宮記』の記述の由(中村直勝『日本古文書学下 356頁』)。
近衛府の出席は意外です。平安期の少納言の職掌は、現行の法体系では、宮内庁侍従職
のようですが、御璽はともかく、国璽の所管は内閣府(総理府)だと思ってました。
http://www.kunaicho.go.jp/15/d15-02.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%92%BD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%92%BD
国璽は製作時の「大日本国」のままというから、自己矛盾というか、日本国の最高法規
である憲法に抵触するような気もしますが、まあ、いいか。


むらじさん
saint suaire ですね。
ルネサンス前の pigment(染料)で描かれている、というような説を読んだことが
ありますが、聖骸布には興味があります。トリノのカテドラルは、いつか行って
みたいですね。
テレビでは、ハトシェプストの汚名が雪がれて、才媛の菊川玲さんが涙ぐんでいましたが、
彼女、クレオパトラのような顔立ちの人ですね(って、クレオパトラの顔は知りません、
沙翁の戯曲からのイメージです)。

271はぎつきみたえ:2007/09/26(水) 21:34:31
のぶながくん、はい!
>むらじさま

 お久しぶりです。お疲れみたいですね。
 季節の変わり目でもあります。お身体大切にしてください。

>桶狭間

 私、名古屋市内のほうに行ったことがあります。豊明市にも桶狭間の史跡があるんですよね。
 桶狭間の戦いも、昔の「豪雨の中の奇襲」から、ちゃんと準備して行ったんだよん、というものに変わりつつあるようですね。
 と、思いつつネットサーフィンしていたら

http://www.city.toyoake.aichi.jp/pr/cara.html

 ↑豊明市では「のぶながくん」「よしもとくん」というキャラが作られてました。

 私が先日行った千葉の鋸南町でも↓「よりともくん」がいました。町のホームページから

 http://www.town.kyonan.chiba.jp/

 鋸南町イメージキャラクターをクリックしてみてくださいませ。

 3人を比べると、よりともくんが一番かわいいと思います。よしもとくんも捨てがたいですが(笑)。

272釈由美子が好き:2007/09/29(土) 00:18:59
地下活動終了。
 復活したいのですが、すっかり浦島太郎状態でございます。
 ボチボチ出没しますので、よろしゅうに。
 んで、


>はぎつきさん
>「のぶながくん」・「よしもとくん」・「よりともくん」
 この手のマンガチック・アニメチックなキャラクターて、最近、はやりなんすかね?
 たしかに、「よりともくん」が一番かわいいですな。
 隣は政子なんでしょかね?

 そー言えば、閉鎖しちゃった「鎌倉北条氏後援会」(http://www1.plala.or.jp/kamonegi/HOUJYOU.HTML)の「たかときくん」は、あたしゃ、お気に入りだったんですよ。

 ところで、「黒雪賦−梶原景時のテーマ−」(http://jparchives.sakura.ne.jp/column/db/kagetoki_no_theme.html)、お褒めにあずかり、恐悦至極にござりまする。


>筆綾丸さん
 カメにほどがありますが、前にレス戴きました岩手県盛岡市の前九年町なんですが、調べたら、昭和40年(1965)からの町名なんだそーです。
 なんか、行政区名としては、昭和20年(1940)頃から存在したそーですが、いずれにしろ、昭和になってからの地名ですた。
 ネーミングとしては、なかなか良いセンスじゃと思います。

273筆綾丸:2007/09/30(日) 13:19:49
男道の戯れ
釈由美子が好きさん
当時の自治体の親分が、筋金入りの河内源氏嫌いだったのかもしれませんね。

氏家幹人『サムライとヤクザー「男」の来た道』(ちくま新書2007年9月)を読み、
サムライたちの情けない生態がよくわかって、面白かったです。
会津藩の正史『家正実紀』に、「男道の戯れ」という表現があるそうですが、江戸期の
武士を端的に物語っているような気がしました。
南條範夫『大名廃絶録』(文春文庫2007年7月)には、
「いかに幕府の武力が卓絶していたからとて、二百四十件に及ぶ除封削封において、ただ
の一家も、これに対して武力抗争を試みようとしたものがなかった事は、戦国の武士魂全
く消失し去ったものとみるほかない」(28頁)
などとありますが、武士道などにはあまり幻想を抱かないほうがいいようですね。

274釈由美子が好き:2007/09/30(日) 14:34:27
まぼろし。
>筆綾丸さん
 ど〜も、おひさひぶりで。

>筋金入りの河内源氏嫌いだったのかもしれませんね。
 はっはっは。
 前九年の役の時の安部氏の拠点の1つ厨川柵は、厨川町として地名が残ってるみたいですね。
 こっちは、マジに由緒正しい地名ですな。

 ところで、昨日の飲み会で聞いたのですが、キリストの墓があるので有名な青森県の戸来村は、今は村でなくて、新郷村の中の大字になってるそーです。

>氏家幹人『サムライとヤクザー「男」の来た道』(ちくま新書2007年9月)
 氏家氏は、またまたおもしろそうな本を書かれたのですねェ。読まにゃ。

>サムライたちの情けない生態
 江戸時代の武士は、ただのお役人、古代・中世の武士は、極道であります。
 ですんで、

>武士道などにはあまり幻想を抱かないほうがいいようですね。
 おっしゃると〜りなのであります。

275筆綾丸:2007/10/01(月) 21:08:14
津軽南朝秘聞
釈由美子が好きさん
http://www.kotoito.net/log/item/1852
http://www.geocities.jp/kitadewa/namioka.htm
http://www3.starcat.ne.jp/~koten/toupage/tousi52.html
http://homepage2.nifty.com/tagi/galle069.html
昨日は、長尾宇迦『津軽南朝秘聞』(新人物往来社2006年3月)という本を読みました。
津軽半島の根っ子の浪岡御所に、戦国末期まで続いた北畠顕家の末裔の話で、小説として
の面白味はイマイチでしたが、本州最北端の畑に北畠とは・・・帰思方悠哉、という感じ
でした。
帰去来兮、田園将蕪胡不帰、南朝四百八十死、いやいや、南朝なんぞ、とうの昔に滅びて
いるんですよね。

276高遠彩華:2007/10/01(月) 21:14:02
勝手に宣伝。
「史料講読講座のお知らせ」に、
次回(第5回)のお知らせを掲載しています。
そのお知らせの中で、
第1回史料講読講座の様子が(一部ですが)動画で見られるようになりました。
アドレスは↓です。

http://jparchives.sakura.ne.jp/kouza/siryohkohdokukohza.html

史料講読講座はいつもこんな感じで、
懇切丁寧に和気藹々と、マニアックな会話も出たりして開催しております(^_^)。
画像を御覧いただいて興味を持たれた方々、ぜひぜひご参加くださいませ。


>はぎつきさま
>よりともくんなど。
八王子城には「うじてるくん(北条氏照)」という、
パーマンのコピーロボットに似た感じの可愛い顔したキャラクターがいます。
うまい画像が見つからないのでお見せできないのが残念ですが。

他にも、こんなのも。
↓の右上にいる男の子は、「四郎くん(天草四郎)」だそうです。

http://www.shinkin.co.jp/amakusa/

277釈由美子が好き:2007/10/02(火) 10:59:02
南朝後胤(あくまで自称)。
>筆綾丸さん
>いやいや、南朝なんぞ、とうの昔に滅びているんですよね。
 熊沢天皇家は、たしか、まだ存続してるはずだす。
 今上か皇太子が、女帝だとか内親王だとか、噂に聞いた気がします。


>高遠さん
>動画で見られるようになりました。
 宣伝、ありがとござんす。
 それにしても、自分が動いてるの見るて、変な感じだわ。

278はぎつきみたえ:2007/10/02(火) 19:46:19
いろいろ
>釈由美子が好きさま
 レスが遅くてすみません。
 よりともくんの隣にいるのは「みかえりちゃん」で、政子ではありません。浮世絵の見かえり美人のキャラクター化。鋸南町が見返り美人を書いた菱川師宣の出身地なのだそうです。

>高遠彩華さま
 四郎くんかわいい!パラグライダーなんかして、いい余生ですよね(違)。もっと大きく見たいですが、ここ以外には画像がないのでしょうね〜。もったいない。
 天草四郎メモリアルホールなんていうのもあるんですね。名前的に教会か葬儀場かと早とちりしてしまいましたが、正体はこちら↓
 http://www.kamiamakusa-c.kumamoto-sgn.jp/kankou/memorialhall.html

 関係のないお話。
 先日ランチしてましたら、後ろの席でフランス人男女と日本人男性ひとりが話をしておりました。大きな声なんで聞くともなしに聞いていると、日本人男性は自分で事業を起こした人のようで、フランス人男女はその話に聞き入っている様子。
 日本人男性のほうはだんだん話が熱っぽくなっていって、
「…どんどんどんどん複雑になっていくんだけど、つきつめるとシンプルになるんだよ。出来あがったものはシンプルなんだけど、その奥は複雑というか」
 すると、聞いていたフランス人女性が

「日本は禅の国だからね〜」

 何でやねん!とつっこむべきなのか、いっそ座布団一枚あげるべきなのか、悩みました。

 さて。
 鎌倉国宝館でも秋の特別展示が始まるみたいですよ。

 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/index.htm

 秋はあちこちで特別展があってほんとに忙しいですね〜。

279筆綾丸:2007/10/02(火) 21:15:54
尊熟王
釈由美子が好きさん
Friedrich Nietzsche には悪いのですが、Also sprach Zarathustra と同じような
もので、啓示を受けた人は、もうどうにもとまらないですね。アルゾ・シュプラッハ・
クマザワ・・・というような訳で。

「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシア
ではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォル
テールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがある
ような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります」
とは、晩年のニーチェの言ですね。

http://www.7andy.jp/books/detail?isbn=4054034705
セブン・イレブンは、この商品を買った人はこちらも買っていますと、「のだめカンタ
ービレ」を宣伝してますが、のだめと熊沢天皇と、如何なる関係があるのか、奇っ怪
ですね。
同書によりますと、
後亀山天皇ー実仁親王ー尊雅王ー信雅王(熊沢家祖)ー(中略)ー尊憲王ー尊熟王
というジェネアオロジーなんですね。尊熟法皇の花押は尊の字の上半分を崩したものの
ようですが、見慣れぬ「熟」の字はちょっとエキセントリックな感じがしますね。

280高遠彩華:2007/10/02(火) 21:49:44
秋の特別展
>はぎつきさま
>天草四郎メモリアルホール
真っ先に葬儀場を連想しましたが、違いましたね。

>秋の特別展
おお、いいですね!情報ありがとうございますm(_ _)m。

この秋、私的に一番気になるのは、
神奈川県立金沢文庫の特別展「鎌倉北条氏の興亡」です。
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiyokoku.htm

もうひとつは、
横浜市歴史博物館の企画展「鶴見合戦−『太平記』にみる横浜−」。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/index.html

どちらも、北条時行ファンにはたまらない展示ですよね(^_^)v。

281釈由美子が好き:2007/10/03(水) 16:41:18
新刊2冊。
>筆綾丸さん

?氏家幹人氏『サムライとヤクザ―「男」の来た道』(ちくま新書、2007年9月)
?藤巻一保氏『吾輩は天皇なり―熊沢天皇事件―』(学研新書、2007年9月)

 御紹介の ↑ 2冊、今日、買いました。
 まだ、ざっと読んだだけですが、良いですね。

 ?は、近世武士の実態を赤裸々に描きまくってくれてて痛快。
 ?は、熊沢天皇事件に関しては、基本文献になりましょう。

 いや〜〜〜、良か本をご紹介戴き、ありがとうござりますた。


>高遠さん
>神奈川県立金沢文庫の特別展「鎌倉北条氏の興亡」
 今週の土曜日に中前勉(再興中世前期勉強会)の遠足で行きますな♪
 宣伝した方が、良いのかな?

282釈由美子が好き:2007/10/03(水) 21:34:53
♪ 勝手にでもないが、宣伝 ♪
 ♪ 再興中世前期勉強会(中前勉)10月例会 ♪

  神奈川県立金沢文庫「特別展 鎌倉北条氏の興亡」展示見学会

日時:10月6日(土) 14:00〜
場所:神奈川県立金沢文庫
集合場所:金沢文庫ロビー

 http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/riyouannai.htm

[内容]
 北条氏発祥の地である中世守山遺跡群の史跡北条氏邸跡の発掘調査の成果から、北条氏最後の発給文書や伊豆国北条に帰った一族の鎮魂の遺品まで、鎌倉幕府を主導した執権北条氏の200年の歴史を展示いたします。北条氏の故郷伊豆国や武家の都鎌倉とその周辺に残る文化財から、北条氏が鎌倉幕府を主導した時代を探ります。

 http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiyokoku.htm

解説:永井晋氏(神奈川県立金沢文庫主任学芸員)


☆誰でも参加可能なので、ふるってご参加ください♪

※本展示は入館料が通常とは異なり、個人 成人500円、20歳未満・学生300円 (高校生等以下・65歳以上・障害者の方は無料)となりますので、ご注意ください。

283鈴木小太郎:2007/10/04(木) 01:15:31
ニーチェとの対話
自称ニーチェ氏:「私はドイツにいたころはニーチェでした」
筆綾丸氏:「ああ、そうですか」
自称ニーチェ氏:「その前は・・・」
筆綾丸氏:「知っているから結構です」


地下活動をしていたわけではないのですが、詰めて考えたいことがいくつかあって、掲示板への書き込みをサボっていました。
すみませぬ。
ま、鎌遺研例会や釈さんの史料講読講座に参加したほか、長瀞の川くだりや巾着田の曼珠沙華見物など、昭和レトロな休日を送ったりして、けっして陰気な生活だったわけではないのですが。
長瀞は先月の台風9号の影響で雑炊、じゃなかった増水が激しく、2週間ほど川くだりを休んでいたそうですね。
私が乗ったときも、普段なら25分くらいのコースが8分短縮だったそうで、プチスリルが味わえました。
長瀞近辺は板碑の材料である緑泥片岩が露出していて、増水でかなり崩落していましたね。
薄く剥がれるように落ちるので、昔の人はあんまり苦労しなくても、手ごろな大きさ・厚さの材料をいくらでも入手できたのかなと思いました。
http://www.chichibu-railway.co.jp/line/

巾着田(きんちゃくだ)というのは曼珠沙華の群生で有名なところですが、田んぼの畦道に咲いているのかと思ったら、川沿いの林の中で咲いているんですね。
曼珠沙華は墓地の花みたいな怖いイメージもありますが、密生していると非常に華やかで、なかなか良いものでした。
http://www.kinchakuda.com/

>筆綾丸さん
>勢多大橋
亀レス、すみませぬ。
あの独白体に、私は折口信夫の「死者の書」を連想しました。
した した した・・・・ というやつ。

>はぎつきさん
>鋸南
「きょなんマリエンバートで」という古いフランス映画がありましたね。
禅問答のように難解な。

284筆綾丸:2007/10/04(木) 21:02:30
訴訟
小太郎さん
あの映画、むかし、3回くらいみました。偶数と奇数がどうしたの、と確率論のような話を
するシーンが、印象に残っています。フランスらしい思わせぶりな作品でしたね。
江戸期の板碑研究の名残りから、秩父の青石というようですが、緑泥片岩の故地である長瀞
周辺を、関東では、秩父とは言わないですよね。高校で地学部に在籍した人の話では、緑泥
片岩は結晶構造上、綺麗に剥離しやすい、とのことでしたので、板碑製作の費用は大した
ものではなかったろう、と思いました。
ニーチェが啓示を受けたスイスの湖畔は、いつか行ってみたいと思っています。

彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んで
いるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。

全く気がつきませんでしたが、たしかに、死者の書を思わせますね。


釈由美子が好きさん
藤巻一保という方を全く知らなかったのですが、質の高い本ですね。
「現天皇不適格確認訴訟」(昭和26年1月5日)のことは、はじめて知りました。
「三代将軍義満時代に於ける皇統簒奪の事実を隠蔽し・・・」(165頁)という訴状は、
今谷明氏の義満王権簒奪計画仮説などより半世紀近くも先行する過激な説ですね。
東京地裁の却下理由をみると、司法の論理は単純な自同律にすぎぬのであって、これ
では弁証法にならぬと思われますが、GHQの統治下だからこそ、こういう訴訟も可能
だったのかもしれませんね。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/miura-kamakura-51-53.htm
? 訴人にして訴訟を提起せんとすれば、訴状(解状とも申状ともいふ)、具書(証拠書類)
 を副へて、幕府若しくは六波羅の問注所に提出す。・  ・・此くの如くすること各々三回、
 これを三問三答の訴陳を番(ツガ)ふといふ。
? 引付は訴陳状に依りて、文書の審理を行ひし後、其理非曲直の明白な?? るものゝ外は、
 召符(召文ともいふ、即ち召喚状なり)を発して、訴論?? 人を召喚す。・・・訴論人の中、
 訴訟に勝ちしものを引付の座に召してこれを給ふ。
? 訴訟人にして若し判決に服せざる時は、再び引付頭に訴へて再審を求むることを得、これ
 を覆勘といふ。若し覆勘を得ざれば、更に越訴奉行に訴へ、又庭中に訴ふることを得べし。

熊沢天皇の筆(177頁)は、南朝風というより北朝風の書体ですね。

285はぎつきみたえ:2007/10/04(木) 21:55:13
無念じゃ
 下で宣伝されてます金沢文庫の展示見学。
 …急用で行けなくなってしまひました。
 解説も聞けるはずだったのに残念無念。

 とりあえず目的のひとつ「北条時行奉行人連署安堵状」は11月7日まであるそうなので、日を改めてひとりで行きまする〜。
 しかしこれ、何で明王院所蔵だったんでしょうかね>高遠さま
 鎌倉に来たときここに本拠地を置いた?いや、それは勝長寿院だったよな…。

286高遠彩華:2007/10/04(木) 23:16:42
北条時行奉行人連署安堵状。
>はぎつきさま
>金沢文庫の展示見学
そうですか、お会いできなくて残念です。
文書は(11月7日までは)逃げませんから、またの機会に行かれれば(文書が)喜ぶでしょう(^_^)。

で、
>北条時行奉行人連署安堵状
私たちの間では有名な文書ですが、ご存じない方も多かろうと思うので、全文あげてみました。

・正慶4年(建武2、1335)8月12日付北条時行奉行人連署安堵状(相模明王院所蔵法華堂文書、『南北朝遺文 関東編』265号)

右大将家法花堂禅衆清弁申相摸国林郷大多和村内田在家事、為寺領之処、有違乱之仁云々、甚無謂、所詮関東静謐之上者、如元可令知行、若於不拘制止輩者、就注申交名、可被処罪科状如件、
????  正慶二二年八月十二日   宏元(花押)
                 貞宗(花押)
                 高泰(花押)

以下、とある方にご教示いただいたことの受け売りです(ありがとうございますm(_ _)m)。
『南北朝遺文 関東編』では、これを明王院所蔵法華堂文書としています。
これはもともと法華堂にあった文書で、いつのころからか明王院の所蔵となったもののようです。
法華堂と明王院は繋がりがありますが、どうして法華堂文書が明王院にあるのかは、いろいろ考えられるようです。
『鎌倉市史 史料編』の解説に、文書の所蔵のことなど詳しく書かれているらしいです(ただ、明王院文書や法華堂文書について書かれているかはわからない、とのこと)。

287はぎつきみたえ:2007/10/05(金) 06:14:44
御礼
>高遠さま

 布教ありがとうございます(笑)。
 私も『鎌倉市史 史料編』確認いたします。

288あまの(夫):2007/10/05(金) 23:39:05
勝手に宣伝
もしかしたら、先を越されてるかもしれませんが・・・

日本仏教綜合研究学会第6回大会日程
    期日 平成19年12月8日(土)9日(日)
    大会会場 : 山形大学小白川キャンパス
    エクスカーション:慈恩寺・若松観音
    懇親会・宿泊:天童温泉 ほほえみの宿滝の湯
   参加費 : 大会・エクスカーション・宿泊・懇親会  20,000円
        大会・エクスカーション・懇談会     14,000円
        大会・エクスカーション         4,000円
        大会               1,000円


12月8日(土)
中条家文書の公開             11:00〜12:00
受付                   12:30〜13:00
富田正弘教授講演
    中世寺院文書の世界        13:00〜14:00
エクスカーション慈恩寺・若松観音見学   14:15〜16:30
宿泊ほほえみの宿滝の湯          17:00
懇親会                  19:00〜21:00


12月9日(日)
受付                    9:30〜10:00
会長の挨拶 松尾剛次(山形大学)     10:00〜10:10
研究報告(報告30分・質疑20分)
? 長岡 龍作(東北大学)        10:10〜11:00
    彼岸・因果・表象
    −仏教美術への開かれたアプローチとして−
? 永井 晋(神奈川県立金沢文庫)    11:10〜12:00
     延慶年間の山門強訴と京都の諸勢力
? 佐藤 弘夫(東北大学)        13:00〜13:50
    板碑を通して見る中世東国の宗教世界
講演(講演50分・質疑10分)
  末木 文美士(東京大学)       14:00〜15:00
     顕密体制論以後の仏教研究
総会                   15:00〜

289相国入道:2007/10/05(金) 23:45:13
企画展のお知らせと講演会のお知らせ
 本日栃木県大田原市に所在する。道の駅那須与一郷内にあります。「那須与一伝承館」が開館いたしました。それに関連しまして「那須与一伝承館」では次のような企画展を開催いたします。

 日時 10月5日(金)〜12月2日(日) 午前9時から午後5時まで(入館は4時半まで)
 那須与一と「那須家資料」の世界
 図録も1000円で発売しています。
 休館日 毎月第2・第4月曜日(ただし祝日が重なった場合は翌日が休館)
 連絡先 大田原市那須与一伝承館 電話0287−20−0220です。

 ここには、那須家が所蔵の資料が寄託されています。それが今回公開されています。中々見られないものばかりです。場所が遠いですが是非いらしてください。

 もう一つ企画展のお知らせがあります。

 「下野北部の城」
 日時 9月22日(土)〜11月25日(日)まで 午前9時から午後5時まで(入館は4時 半まで)
 場所 とびやま歴史体験館(飛山城の跡です)
 休館日は毎週月曜日(ただし、10月8日(月)は開館し10月9日(火)は休館)。
 この企画に関連して講演会も開催。

 日時 10月21日(日)午後1時半から3時まで
 場所 とびやま歴史体験館
 演題 「戦国時代の宇都宮氏と那須氏)
 講師 阿部能久氏(那須与一伝承館学芸員)

 申し込み とびやま歴史体験館 電話またはFAXで
 電話 028−667−9400
 FAX028−667−9401です。
 阿部能久氏は、昨年『戦国期関東公方の研究』を出版された新進気鋭の研究者です。
 以上お知らせいたします。

>鈴木小太郎様
 私は、館林城が4度落城した情けない歴史ではなく、4度も復活し最後は近世城郭になるのですから、何度もよみがえるゾンビの城という見方も出来るような気がするのですが。

290井上渉子:2007/10/06(土) 08:46:25
木簡に書かれた最古の起請文55点出土…滋賀・塩津港遺跡
読売オンライン10月5日付の記事を以下に転載。
「滋賀県西浅井町の琵琶湖北端にある塩津港遺跡(平安時代後期)で、神仏への誓約「起請文(きしょうもん)」を書きつけた12世紀ごろの大型木簡55点が出土したと、県教委が5日、発表した。

起請文として国内最古で、木簡に書かれた例も初めて。琵琶湖の水運に携わった流通業者などが魚や米を盗んでいないなどと誓約、誓いを破れば神罰を受けるという内容で、県教委は「商売を含む日常の営みに、信用や潔白さを重んじた人々の有り様がわかる」としている。

木簡には国内最長のものも含まれ、神社遺構の南約35メートルの堀跡から出土。長さ2・2〜1・3メートル、厚さ1・4〜0・4センチの杉板で、10点はほぼ完全に形が残り、保延3年(1137年)〜永暦元年(1160年)の年号が確認された。

墨書の起請文は冒頭、梵天(ぼんてん)、閻魔(えんま)大王、八幡や賀茂、地元の鎮守神などを列挙。後半に「決して米を盗んでいません」などと誓い、偽りがあった場合に受ける神罰を記した。

木簡の下端にひもでくくりつけたような跡があり、神前での宣誓後は屋外に掲げたり、神社に奉納したりしたらしい。塩津港は古代から、北陸と畿内を湖の舟運で結ぶ物流の拠点として栄えた。

高橋一樹・国立歴史民俗博物館准教授(日本中世史)は「当時は盗みなどのうわさが出るだけで周囲から白眼視された。自分は信用できる人間だと知らせるために起請文を高々と掲示したのだろう」と話している。

現地説明会は7日午後1時。木簡は8日、県立安土城考古博物館で公開。」
(2007年10月5日21時47分??読売新聞)

下にコピー元記事のURLを貼っておきます。

真っ先に888さまを思い出したのですが、こういうのは微妙に守備範囲外でしょうか?

<10:24追記>(3連投はさすがに鬱陶しいので)
産経新聞では千々石到・國學院大學教授が
「当時は、現行犯以外は自白だけが犯人を特定する決め手だったのだろう。一度犯人扱いされたら、潔白を証明するため、起請文を書かされたのではないか。うそならば起請文にあるように体に神罰が加えられたような症状が表れ、そうでなければ潔白と判断する中世の裁判みたいなものといえる」
とのお話を寄せておいでですねv (上の記事をアップしたあとで朝刊を開いて気がつきました)

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20071005i414.htm

291井上渉子:2007/10/06(土) 08:52:07
連投&横レス失礼します
>あまのさま
興味深い情報をありがとうございます!
すごく魅力的ですね。そしてかなりいいお値段;

わがままですが申し込み先も教えていただけるとすごくありがたいです。

追記:事後承諾で恐縮ですが、下記の記事を「歴史系イベント情報」に転記させていただきました。
申し込み先を教えていただいたら追加いたします。

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiannai.htm

292釈由美子が好き:2007/10/06(土) 10:39:41
うわ!
 盛況だな♪


>筆綾丸さん
>「三代将軍義満時代に於ける皇統簒奪の事実を隠蔽し・・・」(165頁)
 後花園天皇が実は足利義満の子供だということなにですが、私の好きな論文である村田正志氏「皇統に関する熊沢一派の俗論を筆誅する」によって、史料の読み間違いによる誤説であることが明らかにされております。
 おもしろいっちゃ、おもしろいんですが。

 そーいえば、『吾輩は天皇なり―熊沢天皇事件―』、熊沢天皇の系譜の真偽に関する論争には、ほとんど言及してませんね。
 私的には、ちょっと残念なんですが、世間の人々の興味は、あんま引かないんでしょかね?

293:2007/10/06(土) 11:00:40
「美作中世地域史研究をひら拓く―美作学への招待―」のご案内(再掲示)
 いつもお世話になっております。既に各所にご案内したところでありますが、下記のとおり「美作中世地域史研究をひら拓く―美作学への招待―」講演会・シンポジウムを開催いたします。大変、ご多用とは存じますが、皆様方にもご出席賜りたく、お願いを申しあげます。なお、資料準備のため、申し込みをお願いしておりますが、資料は余分を準備していますので、当日の飛び入り参加も大歓迎です。会場へは、京都・大阪方面からは、高速バスが早くて便利です(JRよりはるかに安いです)。また、懇親会も開催予定です(ご参加いただけるとうれしいです)。宿泊希望の方は、ホテルも紹介しますので、お申し付けください。どうかよろしくお願い申しあげます。

<以下案内>------------------------------------------------------------------------------

「美作中世地域史研究をひら拓く―美作学への招待―」のご案内
美作大学地域生活科学研究所
美作中世地域史研究グループ
 美作大学では、平成19年度に津山市教育委員会のご支援をいただき、計10回に渡って「美作学講座」を開催いたします。
 それを受けて、美作大学地域生活科学研究所美作中世地域史研究グループでは、「美作中世地域史研究を拓く―美作学への招待―」と題し、講演会・シンポジウムを開催することといたしました。この講演会・シンポジウムは、研究者はもちろんのこと、一般の方に広く開放するもので、どなたでも自由に参加することができます。奮ってご参加ください。

1.開催概要
?日 時:平成19年10月20日(土) 13時30分〜(13時開場)
?場 所:美作大学 本館 31教室
?基調講演<13:30〜15:00>
  題   目:「中世美作の民衆生活−生産・流通・宗教と地域社会−」
  講   師:前原 茂雄氏(福岡市史編集委員会委員/美作大学地域生活科学研究所共同研究者)
?シンポジウム<15:20〜16:30>
 パネリスト:前原 茂雄氏(福岡市史編集委員会委員/美作大学地域生活科学研究所共同研究者)
 パネリスト:苅米 一志氏(就実大学人文科学部准教授)
 パネリスト:辰田 芳雄氏(岡山朝日高等学校教諭)
 司   会:渡邊 大門氏(美作大学地域生活科学研究所客員研究員)
2.参加費:無 料
3.申込方法
  住所、氏名を明記のうえ、申込先へメール、葉書、FAXでお申込みください(資料準備のためですので、当日の飛び入り参加も大歓迎です)。
4.申込先
〒708-8511 岡山県津山市北園町50
美作大学地域生活科学研究所 美作中世地域史研究グループ 渡邊 大門 宛
TEL:0868-22-7310 FAX:0868-23-6936 E-Mail:wdaimon@mimasaka.ac.jp
※電話での連絡は、できるだけご遠慮ください。
主催:美作大学地域生活科学研究所 後援:津山市教育委員会

*********************************
美作大学・美作大学短期大学部
教務課 渡邊 大門(わたなべ だいもん)
〒708-8511 津山市北園町50
TEL:0868-22-7310(23-6936)
E-Mail: wdaimon@mimasaka.ac.jp
URL:http://www.mimasaka.ac.jp/
*********************************

294あまの(夫):2007/10/06(土) 11:22:29
>井上さま
日本仏教綜合研究学会の問い合わせ先は
事務局本部
  〒162-8644 東京都新宿区戸山1-24-1
  早稲田大学文学部 東洋哲学研究室内
  TEL 03-5286-3701

事務局山形支部
  〒990-8560 山形市小白川町1-4-12
  山形大学人文学部 松尾剛次研究室内
  TEL&FAX 023-628-4736
  E-Mail kmatsuo@human.kj.yamagata-u.ac.jp

になりますが、大会については詳細が8日の理事会後に正式に発表されるそうです。
案内が来ましたら、また載せますね。

295千々和:2007/10/06(土) 15:30:45
> 井上さま 皆さま
ご無沙汰しています。
知りませんでした。インターネット版とは記事が違うんですね。びっくりしました。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071005/acd0710051808003-n1.htm
ありがとうございます。

>亜季多さま、猫ひじりさま、筆綾丸さま、鈴木小太郎さま
遅くなりましたが、いろいろとご批評いただき、ありがとうございます。
内容は、北関大捷碑の部分を除けば、本当は5年前には出ていなければいけない本でした。
編集部や、関係の方々には申し訳ないと思っています。
ただ写真は、自分で写したものが大半で、思い出深いものもあります。表紙は、1970年代前半のものですし。また他の方々にご協力いただいた写真は、すばらしい選りすぐりばかりです。
それだけは、少し自信があるといえるのかな。

それから、「板碑製作の費用」は、原石の費用だけではなく、運搬の費用、梵字を書いてもらう費用、彫刻の費用、そして供養の費用等々を計上しておきませんと。
そうなると、きっと結構高いですよね。
これは、如月さんが追求しておられるテーマに関係しますか。

296井上渉子:2007/10/07(日) 10:58:48
>千々和先生
こんにちは。私が浅はかなコメントをしたために; おでましいただきまして恐縮です。

最初に見かけたのが読売ネットの記事で、真っ先に千々和先生や888さまのことを思い出して書き込んだところ、次に見たのが紙媒体の産経新聞だったのです。(購読紙がバレますが…)

紙と木ではちょっと事情が違うのかな…などと考えておりましてお恥ずかしい限りです。お許しください。
888さまにもどうぞよしなにお伝えくださいませ。

297釈由美子が好き:2007/10/07(日) 13:50:49
おれーとか。
>井上さん
>購読紙がバレますが…
 あはは。


>千々和さん
 おひさひぶりでござります♪


>あまの(夫)さん・渡邊さん
 お知らせ、どもです♪


>おのおの方
 下で書きました村田正志氏「皇統に関する熊沢一派の俗論を筆誅する」、前にブログで紹介しましたんで、よかったらご覧になってくださいな。

  http://blog.goo.ne.jp/shaku-henshucho/e/49911adf5e84fa2105f327acbe83dcc0

298kari:2007/10/09(火) 12:37:19
就実大学 史学会 講演会
皆さま、ご無沙汰しております。
講演会のお知らせです。

就実大学 史学会主催 公開講演会

場所:就実大学 T館611教室(〒703−8516 岡山市西川原1−6−1)
日時:平成19年12月1日(土) 14:00〜
講師:西山 克 氏(関西学院大学教授)
演題:「怪異学の誕生 ― 妖怪・怪異・予兆」

入場無料。 詳細は http://www.shujitsu.ac.jp/web/department/cultural/history/kouen0411.html
へアクセスしてください。

299阿哈馬江:2007/10/09(火) 15:40:37
ばんざん
釈さま
皆さま

 長らくご無沙汰いたしております。先日、
釈さまのブログにて、こちらにも出没するようにとの旨を承りましたにもかかわらず、時間がなく、書き込みできないでおりました。
 さて、村田正志氏(まだ御存命ですよね?)の「皇統に関する熊沢一派の俗論を筆誅する」についての話題が出ておりますが、それに対する反駁が、

 吉田長藏『新天皇論』(東京、千代田書院、昭和二十七年(一九五二)七月)

なる本の中にあります。今、手元に現物がありませんので、アイマイなことしか言えませんが、村田論文の表題をモジっております。もっとも、説得力は全然ありませんが。
 なお、本書のカバーには、昭和天皇と香淳皇后のむつまじい写真が使われておりますが、それにツラレて本書を購入した人は、その内容に、唖然とすることでしょう。私は、古本屋で買いましたが、中に、「“熊沢天皇”死ぬ」という新聞記事の切拔が添付されておりました。

 ところで、熊澤寛道氏の養父、熊澤大然の手稿、『熊野宮信雅王御事績及御墳墓取調書』なるものが、早稲田大学中央図書館に所蔵されております。[ヌ2/4623]
 この時点では、まだ「天皇」を自称してはいなかったようです。

 ほかに、山地悠一郎『後南朝再発掘 ──熊沢天皇事件の真実』(東京、叢文社、二〇〇三年四月)というのを所持しておりますが、これはまだ読んでおりません。

http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/ssk.html

300筆綾丸:2007/10/09(火) 20:03:08
蟻地獄
釈由美子が好きさん
第七章「”天皇ごっこ”の行方」において、熊沢天皇は、結局、万世一系という自己言及
性の蟻地獄にずるずる落ちたのだ、という著者のロジックを面白く思いました。「顕密
体制」という言葉を、特異な意味に転用していますが、これはこれで面白い概念ではあり
ますね。
貴種は頼まずとも第三者が「客観的な」系図を作ってくれる、非貴種は第三者を度外視し
て「主観的な」系図を自分で作る・・・とでもいいますか。
Douglas MacArthur(或いはGHQ、或いは米国政府)は、日本統治上、熊沢天皇をほん
とはどうみていたのかな、ということに、いちばん興味を覚えました。

千々和さま
緑泥片岩を花崗岩などと同様として、となれば、石の切り出しに大半の「労働価値」が
発生するだろう、と考えたのですが、もっと慎重な費用分析をしないといけませんね。

阿哈馬江さま
お久しぶりですね。

301筆綾丸:2007/10/09(火) 20:10:13
notte bianca(白い夜・・・)
http://www.komeyasoba.com/ooutijyuku/jyouho.html
明治初期、イザベラ・バード女史が泊まった大内宿に行ってきました。村社高倉神社の
半夏祭には、以仁王の潜行伝説があるらしいのですが、貴種流離譚に過ぎぬのでしょうね。
落魄の貴人に想いを馳せながら、亀のように布団に潜り、佐野眞一『阿片王ー満州の夜と
霧ー』を読む。満州帝国の巨大な資金源であった阿片を題材に、安房里見家の末裔と言わ
れる里見甫の生涯を描いたものである。
http://www.shinchosha.co.jp/book/436903/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%94%AB
曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」の舞台となった里見家ゆかりの千葉県市川市国府台の古戦
場跡近くに、総寧寺という寺がある。その寺の片隅に、数十万人の中国人をアヘンで廃人
にしながら、極東軍事裁判で無罪となり、それから二十年の長い「余生」を送った里見甫
の墓がある(同書428頁)。
あんまり面白いので、思わず読み耽りました。阿片中毒患者を漢語で○者(○=ヤマイダレ+隠)
といい、荼毘に附すと、ピンクに変色した頭骨をみるという。
翌日、会津の飯盛山に行く。
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sub4i.htm
独逸人の碑は、
    EIN DEUTSCHER
??      十
??   DEN JUNGEN RITTERN
      VON AIZU
とあり、十は端が鴨脚の十字架で、テンプル騎士団と同じものである。
伊太利の碑は、ポンペイ出土の赤花崗の円柱で、
   S.P.Q.R.
 NEL SIGNO DEL LITTORIO
??????????ROMA
????MADRE DI CIVITA
??CON LA MILLEWNARIA COLONNA
??TESTIMONE D'ETERNA GRANDEZZA
??TRIBUTA ONORE IMPERITURO
??ALLA MEMORIA DE GLI EROI DI BIACCOTAI
??????ANNO??MCMXXVIII
とある。碑文はあえて訳しませぬが(笑)、冒頭の常套句は、Senatus Populusque
Romanus(ラ)の略、元老院並びにローマ市民、という意味で、末尾は西暦1928年である。
両碑銘には、日独伊三国同盟前夜の影響が色濃く反映されているのだろう。隣の白虎隊
記念館には、東海散士の書がある。
  懐君半夜未成眠
  明月涓々水一天
  妾涙化為江上水
  駕風和両到君辺
もし妾を白虎隊の姉妹と解すれば、この七絶は鎮魂歌となる、水は猪苗代湖を源とする
日橋川か、荒海山から流れ出ずる阿賀川の水か、昼夜を舎かず、ただ流れ去るのみか。
長岡藩士殉節之碑をみる。戦死者の筆頭に、山本帯刀の名がある。もし、帯刀が戦死し
なければ、長岡藩次席家老の家名は絶えず、連合艦隊司令長官山本五十六なる存在は
ありえなかったかもしれぬ、いや、歴史に if など何の意味もない、ただ、あったこと
だけがあったのだろう。ふと、墓碑の背後の畑をみると、野晒しの白けた南瓜が四顆
あって、少年の頭蓋骨のようだった。
銘酒会津中将を買い、八葉寺で、阿弥陀堂や観応の碑や葦名氏に滅ぼされた猪苗代氏の
五輪塔などをみて、旅の終わりとした。

302はぎつきみたえ:2007/10/09(火) 21:43:36
一休さん
今夏日本一暑い町として熊谷とともに名をはせた、岐阜県多治見市にあります虎渓山永保寺に行ってまいりました。
「お前が以前行きたいと言ってたんじゃないか」と、父に言われたのですが、なんで行きたいと言ったのかさっぱり思い出せなくて、
「とりあえず行ってみればわかるだろう」と出かけたのです。

 夢窓疎石の造った庭園があるのですが、これが大変すばらしかったです!ぜひ鎌倉の某寺の庭もこれくらいのスケールで作っていただきたかった。
 一目見たとたん、うわあ、いいなあ、と、立ち止まってしまいましたもの。
 機会がありましたら皆さま、お勧めです!!ちょっと交通が不便ですが、それでも行く甲斐はあります!!ええと、うまく庭園の様子が説明できないというか、見たほうが早い!!

 公式ホームページ↓

 http://www.kokei.or.jp/

 こちらのほうが庭園の様子が良くわかるかしら。

http://www.k-ookubo.jp/haik/eihouji.htm

http://www.h4.dion.ne.jp/~o.emiko/ahozi.htm

http://muso.to/teienn-eihoji.htm

 紅葉の時期には人でいっぱいになるそうですが、今の緑一色の風景も十分素敵。うっとりです。梵音岩と飛瀑泉が特に気に入りました。
 本堂が火事で焼けるまではもっと趣深く美しかった、とは、父談。
 観音堂と開山堂は国宝です。

 それで、庭園を見ていただきますと、真ん中に池があって、橋が架かっているのがわかると思います。
 この橋にですね。

「このはし手すり危険につき通行禁止 虎渓山一休」

 と書かれた木札があったのです。

 皆さま、この橋、渡ります?

「…これってさ、渡っちゃだめなんだよね」
「…でも、「一休」だよ。はしじゃなくて真ん中ならいいっていうあのとんちでは?」
「けど、はっきり通行禁止って書いてあるよ」
「だからそれは…」
 私たちだけでなく、ほかの人たちも一様に迷い、結局橋を渡るのを断念している様子。
 これがほんとに一休さんにひっかけた木札なら、すご〜くすご〜く、無粋なことになる!とは思いながら、結局お寺の人に確認してしまいました。
 御朱印帳を書いてくださった方がにっこり。
「ええ、手すりがぐらぐらで危ないんで、真ん中を渡っていただければ」
 …ああっ、せっかくのしゃれた木札を説明させてごめんなさいっ!!

 許可を得たので安心して橋の真ん中を渡り、写真などとっておりますと、周囲から不審な目が注がれました。あわてて
 「いえ、この橋はね、渡っていいんですよ。お寺の方に確認したんですけど、その木札の意味は…」
 またもや説明という無粋を重ねましたが、不審げなおば様たちの表情がふわあっと柔らかくなりまして、私たちとすれ違いに橋を渡っていかれました。

 というわけで楽しいひと時でした。
 …が、なんで私はここに行きたいと言ったのか、思い出せずじまいでした…。
 夢窓疎石さんでないことは確かなんですが…。ううん。略縁起とかみても、私が飛びつきそうな要素はないんです。
 でも嬉しい、思わぬ出会いでした。

303釈由美子が好き:2007/10/09(火) 22:13:10
祝♪ セドラー復活!
>kariさん
 お知らせ、どもです♪
 それにしても、東アジア恠異学会さんは、元気な学会ですなァ。


>阿哈馬江さん
 お帰りなさいませ。お待ちしておりました。
 そして、早速にセドラー(背取り師)ぶりを発揮して戴き、ありがたき幸せ。

>「“熊沢天皇”死ぬ」という新聞記事の切拔が添付されておりました。
 古本は、この手のオマケが嬉しいですよねェ〜。


>筆綾丸さん
>「顕密体制」
 ホントに特殊な意味で、ちょと違和感はあるのですが、説明としては、わかり易いですよね。
 それにしても、この本、おもしろいです。
 おもしろうて、やがて悲しき・・・ですが。


>はぎつきさん
>「ええ、手すりがぐらぐらで危ないんで、真ん中を渡っていただければ」
 わはは! やっぱ、このばやい、確認せざる得んですわなァ、現代人としては。
 木札もねェ、説明付けるのは、無粋だしねェ。

304阿哈馬江:2007/10/10(水) 16:40:40
wanted
筆綾丸さま

 こちらこそ、お久しぶりでござります。

> 村社高倉神社の半夏祭には、以仁王の潜行伝説があるらしいのですが、

 『日本歴史』の別冊、『伝記の魅力』(昭和61年11月)に所収の、多賀宗隼「自著後日談 −栄西・源頼政・慈円」(一〇六〜一〇九頁)中に、次のような文があります。

 (前略)以下引田氏【引田一郎氏】の御消息の一部を摘記してみたい。
 (中略)
 また、頼政戦死に際しては六人の侍が頼政の首をたずさえて山伏姿で関東に赴き、茨城県古河に到ってこれを埋めた、という。
 また、以仁王(【振仮名】もちひとおう)も奈良街道の棚倉の高倉神社に祭ってあるが、実は宇治で負傷して侍十二人に擁せられて仲綱の領地丹波綾部郡にのがれ、ここでなくなったので、ここに高倉神社としてまつられ天一明神とよばれる。お墓もここにあり、奈良の社と互に本家を称しているという。十二人の侍の子孫は丹波・単語・但馬に広まっている。以上引田宇治の極めて詳細な御手紙のあらすじであるが、なお、書状は詳しく頼政の子孫の動向を伝えている。


釈さま

 あたたかい御言葉、まことに恐縮いたしております。

> 古本は、この手のオマケが嬉しいですよねェ〜。

 そうですね! 古い葉書や、戦前の「省線」の切符が入っていたことがありますが、香淳皇后の妹君の生写真、というのもあります。なお、古本屋さんによりますと、埋没したヘソクリが挟まれていることも時々あるようです。私には経験がありませんが。

 なお、下記の本のカバーの画像がありました(写りは悪いです)。この表紙にピンと来たら、要注意です。ただし、古い本ですので、カバー付きのものはあまり多くないかも知れません。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003714M.jpg

http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/ssk.html

305釈由美子が好き:2007/10/10(水) 17:18:43
ひょーし。
>阿哈馬江さん
 この『新天皇論』の表紙、今だったら肖像権とかが問題になるンじゃないですかねー?
 中身が中身だし。

 昭和は、今から見ると、いろんことが、いい加減つーか、おおらかつーか、のん気な時代だったんですねェ。

306筆綾丸:2007/10/10(水) 21:16:18
法皇庁の朝
阿哈馬江さま
会津で購入した『会津の伝説ー高倉以仁王の会津潜行記ー』(歴史春秋社2007年5月)
という本をみますと。
明治十四年(1881)、古来諸王の地方伝説並びに墳墓調査、という通達が宮内卿から
福島県に出て、奥会津や越後を調査したところ、以仁王の足跡が明らかになったそう
です。越後の小国保の受領は頼政の弟の頼行で、以仁王はここを目指したのだ、とか
いろいろあるようですが、著者は、柳田国男に倣って、木地師の口伝を想定しています。
写真をみまして、私は、尾形イッセーの映画を思い出しました。

釈由美子が好きさん
「法皇庁の朝は早く、まず法蓮華経の読経で明けてゆく。そしてすぐ目の前を通る電車
のゴウ音で、その声は消されがちであるが、巫女(今関夫人)は次第に無我法悦の境地
に入る。やがて、ありがたいお告げが巫女の口から聞かれるのだ。
法蓮華経の読経が止むと、巫女の夫人はうやうやしく日蓮上人のお指示を伝える。熊沢
天皇はかしこまって、一語も聞き漏らすまいと緊張する」(187頁)
・・・ここなど、涙なくしては、読めないですね。

307日本史史料研究会:2007/10/10(水) 22:05:46
日本史史料研究会から研究選書を発行しました。
日本史史料研究会から研究選書1を発行いたしました。執筆者は細川重男さんです。

日本史史料研究会研究選書1 細川重男著『鎌倉北条氏の神話と歴史― 権威と権力 ―』(1500円で頒布いたしております)

目次
序 (7〜13頁)
第一章 右京兆員外大尹   ― 北条得宗家の成立 ―(15〜37頁)
第二章 渋谷新左衛門尉朝重― 御内人と鎌倉期武家の主従制 ―(39〜66頁)
第三章 相模式部大夫殿― 文永九年二月騒動と北条時宗政権 ―(67〜86頁)
第四章 右近衛大将源惟康  ― 得宗専制政治の論理 ―(87〜108頁)
第五章 飯沼大夫判官資宗  ― 「平頼綱政権」の再検討 ―(109〜136頁)
第六章 秋田城介安達時顕  ― 得宗外戚家の権威と権力 ―(137〜165頁)
結(167〜169頁)
あとがき(171〜173頁)
附録[北条氏略系図](174〜175頁)
人名索引

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003717M.jpg

http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/index.html

308釈由美子が好き:2007/10/10(水) 22:58:01
わはははははははは!!!
  ↓ が、私の6月から9月にかけての「地下活動」、そして先月、ブログでチョコッと書いた「デカい1発」の正体でございます。

 専門書(研究書。学術論文集)です!
 でも、研究者でない方でも、鎌倉幕府に興味のある人なら、読んで何言ってるかはわかるように工夫はしました。史料に現代語訳つけたり。

 そして、驚異の定価1500円!!!

 一万五千円じゃありませんよ!! 千五百円!!! せんごひゃくえん!!!!!

 内容は、賛否両論出ることと思いますが、とりあえず、破壊力には自信があります!

 だから、買ってね♪♪♪


  http://jparchives.sakura.ne.jp/system/shinwatorekishi.html

309釈由美子が好き:2007/10/10(水) 23:36:15
アップ情報♪
 連続カキコになっちゃいますが、アップ情報でござる。

 今日発売のわしの新著の書評、もう載せましたよん♪

「本、出ました。書評、出ました」
 という素早さ! この機動力が、ネットのスゴイとこ。

 そして、金石文を6つもアップしました。
 すごかろ?

 お楽しみくだせ。


  http://jparchives.sakura.ne.jp/column/db/shosekishinwatorekishi.html
  http://jparchives.sakura.ne.jp/document/medieval/medieval_kinsekibun.html

310高遠彩華:2007/10/12(金) 01:28:29
勝手に宣伝。
編集長ブログにもありますように、
日本史史料研究会は、10月13日・14日に
 ・日本古文書学会大会(会場・東京、日本女子大学目白キャンパス)
 ・日本史研究会大会(会場・京都、立命館大学)
において、書籍展示販売に参加します。
書籍のラインナップは、
 ・細川重男氏著『鎌倉北条氏の神話と歴史−権威と権力−』(日本史史料研究会研究選書1。1500円)
 ・中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』(日本史史料研究会研究叢書1。1500円)
です。
日本史研究会大会では著者自らが売り子さんをされるそうなので、
ぜひ皆様おいでくださいませ。

311高遠彩華:2007/10/12(金) 02:08:54
更新情報
連続投稿、失礼いたします。

「コミュニティ」のコーナーに、ブログ「ナマズ貞顕のひとりごと」を追加しました。
金沢北条氏を中心に語るブログです。
皆様、よろしくお願いいたします。

http://blog.goo.ne.jp/kanesawahojoh/

312釈由美子が好き:2007/10/12(金) 02:22:32
新ブログ、開店♪
  ↓ で、高遠さんがカキコしてくだすったように、謎のブログが開店しますた。
 お楽しみに!


>筆綾丸さん
>涙なくしては、
 先祖や父(義父ですが)の妄念に生涯呪縛された熊沢天皇。
 後醍醐の呪縛により、ジャングルの奥地で、ず〜〜〜〜〜とガンバリ続けた南朝の人々と重なるような気がします。


 んじゃ、あたしゃ、今日の夜、京都に向かいまする。

313鈴木小太郎:2007/10/13(土) 01:25:37
土日
私は日本女子大で開催される日本古文書学会大会にて日本史史料研究会の書籍を販売しております。
来場予定の方々、よろしくお願いいたします。

>千々和先生
ご無沙汰しております。

>表紙は、1970年代前半のもの
私は2001年に真仏報恩板碑のある墓地を訪問しましたが、表紙の写真と比べると、だいぶ雰囲気が変わっていました。
検索してみたら、リンク先に墓地周辺の風景写真と真仏報恩板碑の写真がありましたが、板碑の後方の樹木は殆ど伐採されてしまったようですね。
http://haku02.hp.infoseek.co.jp/musashi/magome.html

>阿哈馬江さん
お久しぶりです。

>筆綾丸さん
>里見甫
女優の長山藍子氏は満州生まれで、父親は里見甫(はじめ)が創設した満州国通信社の記者だったそうですね。
私は週刊誌か何かでそれを見たのを契機に満州国通信社(国通)に少しく興味を抱いて、国会図書館で『阿片王』の参考文献にも載っている『国通十年史』(1942)を見つけて読んでみたところ、里見甫なる人物の文章が緻密で格調高い名文なので、一体何者なんだろうと思ったことがあります。
そのため、一昨年に『阿片王』が出版されたときはずいぶん期待して購入し、戦前の里見甫の活動については、ふむふむ、なるほど、と読めたのですが、戦後については全然追及がなされず、周辺人物のアラさがしばかりしているような印象を受けて、少しがっかりした覚えがあります。
改めて読み直してみたら、最初の妻の相馬ウメ、「男装の麗人」梅村淳、その養母の梅村うたに関する部分も、それぞれ時代を鮮明に映し出していて面白いですね。
結局、著者が戦後の里見甫について殆ど追及できなかったのは、里見が「児玉くん」や「笹川くん」などと異なり、大陸人脈を利用することを拒否して地味に生きたからなんでしょうね。
アヘン売買は確かに感心できることではありませんが、アヘン戦争以来、中国には既に暴力組織を伴った強大なアヘン販売網が形成されていて、日本人はとても直接の販売には関与できず、里見も中国側の元締めへの入り口部分を管理しただけで、しかも一切私財を蓄積しなかった訳ですから、「阿片王」のタイトルは少々的外れのような感じもします。
また、里見甫の名文に比べると、佐野眞一氏の文章は無駄な修飾語が多く、「経済の発展と反比例して亢進した日本人の精神の劣化」(あとがき)の一例となっているようにも思います。
例えば、
-------------------
梅村は里見と組んでアヘン密売の仕事に関わり、戦後は女優の卵、女医、名もなき女、そして世間知らずの女薬剤師と渡り歩いて、レズ三昧の生涯と閉じた。モラリストならきっと、畜生道に堕ちた女と、唾を吐きかけることだろう。
梅村のふるまいと欲望の深さは、いまさら、人倫に悖ると批判するのもおこがましいような怪物ぶりである。梅村は満州や「魔都」上海で里見と過ごした官能と蠱惑の日々が忘れられず、それを戦後までひきずって虚飾と放埓、淫奔と漁色の人生を送ったのだろうか。
私はあらためて里見という男の、周囲の磁場を狂わさずにおかない底知れぬ魔力に立ちすくむ思いだった。(p.71)
-------------------
などとありますが、ま、梅村淳さんも戦後は東京タワーに餃子の店頭販売の小さな店を出したり、鎌倉大町の本妙寺近くでささやかな天プラ屋を経営したりして地味に暮らしていた訳ですから、週刊誌連載中ならともかく、事実関係が一応確定して書籍にする段階では、そこまで下品にののしることもないんじゃないの、という感じがしますね。
佐野眞一氏自身、ちょっと頓珍漢なモラリストの面があって、それが里見への評価にも影響しているのかなと思います。

「阿片王」
http://www.shinchosha.co.jp/book/436903/

長山藍子
http://www.gekidanforyou.com/danin/aiko.htm

314筆綾丸:2007/10/13(土) 17:35:44
板東俘虜収容所
http://inoues.net/club/aidu_yamaga.html
碑は、
  山鹿素行先生誕生地
  大正十五年春元帥伯爵東郷平八郎書(花押)
とあって、裏面の発起人の一人に、若松市長松江豊寿の名があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E8%B1%8A%E5%AF%BF
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?isbn_cd=4167567032
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE
『二つの山河』をみると、松江は、1904年9月〜1907年10月まで、韓国駐剳軍司令官
長谷川陸軍大将の副官としてソウルに駐在したとあり、すると、滅びゆく李王朝の
末期に立ち会ったことになり、かなり複雑な思いだったのかもしれませんね。板東
俘虜収容所における、ベートーベン「第九」本邦初演が有名ですが、翌年、独逸兵の
墓の除幕式では、ローエングリンが演奏されたとあり(同書69頁)、私には、こちら
のほうに興味を惹かれました。会津落城、李王朝の滅亡、そして、Lohengrin・・・。
松江家は、仙台伊達家の家臣である茂庭氏の裔で、茂庭氏の祖は斉藤別当実盛で、鎌倉
時代初期、伊達郡茂庭村に土着して鬼庭姓を称した、と同書にありました。

小太郎さん
著者の「反道徳」感は、語るにおちたといいますか、著者自身に、フロイト的な意味で、
相当根強い komplexがあるんじゃないか、と感じさせるところが面白いですね。
梅村女史の lesbian について、たかがレズくらいで、そんなに目くじらたててどうす
んだ、と私も奇異な感じを受けました。
端唄のお師匠さんとの戦後の結婚生活は豊潤だったと思われますが、このあたりの記述
が物足りないですね。里見の隠者のような生活を、児玉くんや笹川くんや岸くんのよう
な懲りない面々と比べますと、西洋中近世のキアロスクーロをみるようで面白く思い
ました。
戦後日本の経済復興は満州帝国がモデルであった、とする著者の壮大な仮説は、この本
だけでは、よくわからないですね。

315山竜:2007/10/13(土) 23:41:22
買いましたよ〜
今日の日本古文書学会大会で、さっそく釈さんの新著を買ってきました。
専門書でこの定価はたしかにスゴイ!これから内容を読むのが楽しみです。

316釈由美子が好き:2007/10/15(月) 00:41:48
ありがと〜
>山竜さん
 ありがとござんす♪

>専門書でこの定価はたしかにスゴイ!
 だっしょ? ひっひっひ。

>内容を読むのが楽しみです。
 おもしろいはずだす。よろしゅう。

317鈴木小太郎:2007/10/15(月) 00:43:24
二日間
書籍売り場にいましたが、販売する側から書籍購入者を眺めるのは初めての経験で、なかなか面白かったです。

>山竜さん
ありがとうございます。

>筆綾丸さん
>著者の壮大な仮説
まあ、単なる勘違いでしょうね。
満州国の経済のモデルは明らかにソ連の五カ年計画であって、著者の仮説によれば「戦後日本の経済復興はソ連がモデルであった」ことになってしまいますからね。
開発独裁=高度成長ではないですからね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%88%E7%94%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88

佐野眞一氏の書かれることは細部は面白いけれど、全体像がトンチンカンですね。
例えば、アヘン取引の規模にしても、
---------------
「里見とペルシャ産アヘンの関係については、戦後の東京国際軍事裁判で、里見自身が驚くほど正直に証言している。その詳細は後に譲るが、里見はそのなかで、宏済善堂がペルシャ産アヘンで儲けた利益は約二千万ドルにものぼったこと、宏済善堂の手取りマージンはアヘン取引額の八パーセントだったことを明かしている。
宏済善堂がペルシャアヘンであげた二千万ドルという金額は、当時の為替レートで換算し、現在の貨幣価値に直すと、三十兆円近くにのぼる」(p.167)
「里見の証言でもう一つ注目すべきなのは、蒙古産アヘンの取り扱い量の多さである。その量はペルシャ産アヘンの実に二千五百倍に達している。これは、第二次世界大戦の勃発でヨーロッパに火の手があがり、ペルシャ産アヘンの輸入が思うようにいかなくなったことを意味している。
この大量のアヘン取り扱い量から見ても、日中戦争は二十世紀の「アヘン戦争」だったことがよくわかる。」(p.263)
---------------
とありますが、30兆円というのは大変な金額で、現在のトヨタの時価総額が約24兆円であることと比較しても、ちょっとありえない数字です。
そして、蒙古産はペルシャ産の2500倍の量があったというのだから、品質が同じだとして、2500×30兆円の利益ですか。
余りにバカバカしい数字であって、明らかに計算ミスがありますね。

318井上渉子:2007/10/15(月) 12:23:51
購入しました
日本古文書学会の会場で購入しました>釈由美子が好きさんの新著

「いつでも買えるから今回はいいや〜」と呑気に構えていたところ売り子をしていた小太郎さんに
「買ってってよ」と言われて購入した小心者です(笑)。

これから拝読したいと思います。

319釈由美子が好き:2007/10/15(月) 15:32:01
押し売り。
>井上さん
>購入しました
 ありがとごじゃいます♪

>小太郎さんに「買ってってよ」と言われて購入した小心者です
 押し売りですな。

 わしも京都で押し売りしました。
 かな〜り年下の知人が来たので、
「5冊買え」
 と言ったところ、
「5冊は〜」
 と言うので、
「じゃあ、1冊でよい」
 と言ったら、
「はい」
 と買ってくれました。
 悪徳商法の典型であります。

320筆綾丸:2007/10/15(月) 20:04:19
sollen と sein
小太郎さん
http://www.mof.go.jp/seifuan19/yosan004.pdf
財務省のHPによれば、平成19年度の一般会計予算(政府案)が約83兆円で、租税収入は
約53兆円ですから、30兆円(しかも8%のマージン!)などという数字は、絶対に有り得な
いでしょうね。
「当時の為替レートで換算し、現在の貨幣価値に直すと」とあるだけで、どういう数式に
基づくのか、まったく示しておらず、詰めが甘いですね。



http://www.bk1.jp/product/02927325
本郷和人氏の新著、さきほど読了しました。
主辞が賓辞を規定するのではなく、賓辞が主辞を規定するのだ、というニーチェの
『善悪の彼岸』にある言葉を思い出しました。
従来の歴史学は、sollen が sein を規定してきたが、sein が sollen を規定し
なければならぬ、と著者は宣言する。東国国家論は sollen であり、権門体制論は
sollen であり、顕密体制論は sollen であって、これら一群の sollen は sein
により一度解体しなければならぬ、歴史(記述)は須く sein からはじめねばならぬ。
「二つの王権論」を、seinとして提起し、諸兄の批判を待つ。・・・・・・
また、惣村とリゾームのアナロジーが非常に新鮮で、rhizome を「一味」と訳すこと
も可能なのですね。
http://sapporo.cool.ne.jp/btron/muon/_t7ECEYf.htm
些末なことで恐縮ですが、古文書の集合の概念図(84頁)は、下方に、「鎌倉→室町
奉書から直状へ」とあるので、左右を逆にして、時間の流れを左から右にするほうが、
私などには、わかりやすいです。
二次元平面上を左(奥)から右(袖)に時間が流れるという表記方法は、印欧語族の
エクリチュールにすぎないのでしょうけれども。

321釈由美子が好き:2007/10/16(火) 08:49:51
売り子の心。
>小太郎さん
>書籍売り場にいましたが、
 ありがとごじゃいますた♪

>販売する側から書籍購入者を眺める
 確かに、おもしろいですな。
 手にとって見てくれてる時、心の中で、
「買って! 買って〜〜〜!」
 と叫び、買ってくれると、
「やった〜〜〜♪」
 置いて去って行かれると、
「だあ〜〜〜」
 となります。


>筆綾丸さん
 まあ、いろんな人がいますから、いろんな本がありますわい。

322筆綾丸:2007/10/16(火) 20:39:47
沈める「惣村」
釈由美子が好きさん
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20071016/CK2007101602056519.html
最近の科学は、こんなことまで解るのですね。ドビュッシーの「沈める寺」を連想しま
した。
新聞によっては、マグニチュード6.5以上とあって、地震の規模がかなり違いますが、
マグニチュード6.5以上なら、京都も、「正中の変」の余燼が吹っ飛ぶくらいの被害が
あったかもしれませんね。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0709/28/news121.html
NHKのニュースで知ったのですが、親鸞のカフェが出来たのですね。
いつか行ってみたいな。

323釈由美子が好き:2007/10/17(水) 17:23:12
>氏家幹人氏『サムライとヤクザ―「男」の来た道』(ちくま新書、2007年9月)
>筆綾丸さん
 前にご紹介戴いた ↑ これ、おもしろいですわ!
 とっくに読了してたのですが、京都に行商に行ってたりしたため、ご報告が遅れますた。

 江戸時代の武士のダメダメぶり、特に幕末のヒドさは、想像を絶しますな。
 これに対し、カブキ者やヤクザたちのアウトローぶりは、別の意味で驚きます。

 そして、氏家氏得意の切腹話もグロさ爆発で、素晴らしい。

 デタラメなアウトローぶりは、古代・中世の武士と近世のカブキ者やヤクザに共通すると思いましたが、カブキ者やヤクザは根っこが無い感じで、古代・中世の武士に比べると退廃的・刹那的だと思いました。
 古代・中世の武士も、デタラメで残虐ですが、なンつーか、根明な感じがします。
 このへん、突き詰めて考えてみたいと思います。


>おのおの方
 読んで損はしませんぜ。

324はぎつきみたえ:2007/10/17(水) 20:55:48
親鸞のカフェ
>筆綾丸様

 親鸞のカフェなんてものがあるんですね!情報ありがとうございます。
 営業は12月末までなんて、急いでスケジュール調整しなきゃ!!
 面白そうです。話のタネに行ってみたい。

325鈴木小太郎:2007/10/17(水) 22:11:41
電卓男
>筆綾丸さん
計算してみました。

「宏済善堂がペルシャアヘンであげた二千万ドルという金額は、当時の為替レートで換算し、現在の貨幣価値に直すと、三十兆円近くにのぼる」の部分ですが、ペルシャ産アヘンの輸入は昭和13年(1938)ごろの話なので、当時は1円=0.3ドル程度。
とすると、2000万ドルは約6666万円。
日銀の企業物価戦前基準指数を用いて、『阿片王』が出版された平成17年(2005)と昭和13年(1938)の物価水準を比較すると、
665/1.327=501.13
即ち、約500倍と考えればよい、と。
とすると、昭和13年当時の2000万ドル=6666万円は、平成17年には334億となり、佐野氏の言う30兆円とは3桁違ってきます。

また、「里見の証言でもう一つ注目すべきなのは、蒙古産アヘンの取り扱い量の多さである。その量はペルシャ産アヘンの実に二千五百倍に達している」との部分は、その前、262ページの「私の売った阿片の量は全体でいくらであつたかは正確には記憶致してゐませんが、大体ペルシヤ阿片四千函、蒙古阿片一千万両程であつたと思ひます」を受けているのですが、里見証言では明らかに「函」「両」を使い分けているのに、佐野氏は単位が同じだとして、10,000,000/4,000=2,500倍と計算してますね。
しかし、260ページに「ペルシアの阿片は一六〇ポンドの箱、即ち1920両づつの箱に入れられて来ました」とあることからも明らかなように、四千函とは1920両の箱が4000個ということですね。
蒙古阿片一千万両は1920で割ると5208箱となり、ペルシヤ阿片4000、蒙古阿片5280という割合は、当時の諸事情を考えると、まあ妥当かな、と。
アヘンの価格は時期によって相当変動が激しく、ペルシャアヘンは高く売れる時期に輸入したらしいのですが、ま、それも考慮せず、蒙古アヘン5208箱がペルシャアヘンと同じ割合で利益を出したとすると、平成17年の物価に換算すれば、
334×5208/4000=435億。
ペルシャと蒙古の合計で、平成17年の物価で考えて利益は769億、と。
ま、当たらずといえども遠からず、という感じはしますね。

江口圭一氏の『日中アヘン戦争』(岩波新書、1988)に、割ときちんと数字があげられていたような気がするのですが、手元にないため確認できません。
それにしても佐野眞一氏の注意力と計算能力はひどすぎますね。

参考
東京大学、伊藤隆敏氏「円の歴史PPP」
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~tito/course2006/JS/InternationalFinance/if_9.pdf
日銀「教えて!にちぎん」
http://www.boj.or.jp/oshiete/history/11100021.htm


>井上さん
サンキュです。

>釈さん
本をやたら乱暴に扱って買わずに去って行く人を見ると、一瞬、微かな殺意を覚えました。

326釈由美子が好き:2007/10/18(木) 00:09:27
アップ情報♪
 「目録」に「北条時輔関係史料目録」をアップしますた♪

 力作です。是非、ご活用くだされ。


>はぎつきさん
>「カフェ・ド・シンラン」
 渋い看板ですな。


>小太郎さん
>本をやたら乱暴に扱って買わずに去って行く人
 便所や校舎裏に拉致して、鉄槌を下し、常識や礼儀と言うモノを身体に叩き込ンでやるべきですな。

327筆綾丸:2007/10/18(木) 20:38:35
コム・サ・デ 浄土
小太郎さん
http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/weapon-price-sai-axx.htm
電卓の計算結果、とてもよくわかりました。
この値段表によれば、阿片の利益で、ステルス戦闘機ラプターなら3機買えることに
なりますが、妥当な数字でしょうね。エアバス社の旅客機A380なら2機ですか。
阿片の利益の何割が東條英機に流れたのか、何の根拠もありませぬが、ロッキード事件
などを考えますと、約1%の5億円くらいかな、と思いました。
基礎的な数にこれほどの錯乱があると、アルカロイド系の幻覚のように、佐野氏の描く
「満州帝国」は妄想の産物にすぎぬのではないか、などと思われてきますね。

はぎつきみたえさま
万障繰合せの上、私も行く予定です。
料理は洋風の「六角形の夢」と和風の「歎異懐石」、食前酒として美作国の芋焼酎
「アンチ顕密」、食中酒として隠岐国のロゼ「言葉」、食後酒として天国のリキュール
「コムサデ浄土」、デザートは戦国風抹茶のシャーベット「○如」、協賛は緑青蓮院
・・・などと仄聞しています。

釈由美子が好きさん
氏家氏の著書は面白いものが色々ありますが、「男の来た道」は絶品ですよね。一口に
武士と言っても、中世と近世と、これほど相違すると、鎌倉期の武者が聞いたら、そんな
やつらと一緒にするんじゃねえ、と激怒するでしょうね。よくもまあこんな駄目な連中
ばかりで江戸の公方様は続いたな、と思いましたが、穀潰しの士を除いて、「農工商」
がシッカリしていたからなのでしょうね。

328中世初心者:2007/10/18(木) 23:35:05
真慈悲寺展
東京都日野市の「日野市立 新選組のふるさと歴史館」は普段、新選組関係の展示をしてますが、今は中世の日野市にあった寺院「真慈悲寺」の展示をしてます。
特別展示「幻の真慈悲寺を追う」
平成19年9月23日(祝) 〜12月16日(日)
詳細 日野市立郷土資料館
http://www.city.hino.tokyo.jp/museum/
真慈悲寺は平安末期に創建され、源頼朝の支援を受けて源氏御願寺になった寺で、吾妻鏡に二ヶ所、名前は見えるものの長い間、所在不明だった幻の寺です。
吾妻鏡によると頼朝が行った後白河法皇の四十九日には3人の僧が招かれています。
展示には、吾妻鏡やたくさんの中世瓦、そこで出土した経筒などが展示されています。
日野市では、プロジェクトを造り、多数の市民ボランティアが謎に取り組んでいて展示の説明もボランティアが日替わりで担当してます。
あのあたりは、武蔵国府に近い上に鎌倉と武蔵を結ぶ要路際なので、そんな寺があったのでしょうね。
中世ファンなら見て置いて損は無いと思いますので紹介します。

329釈由美子が好き:2007/10/19(金) 08:27:51
異種。
>中世初心者さん
 いらっしゃいませ♪
 お知らせ、ありがとうございます。
 今後とも、よろしくお願い申し上げます。


>筆綾丸さん
>武士と言っても、中世と近世と、これほど相違すると、
 そーなんですよ。同じ呼び方されてますし、確かに繋がってはいるんですが、全然別のイキモノですよね。

330はぎつきみたえ:2007/10/19(金) 20:33:34
達者でな!
 東京ガスのガス・パッ・チョのCM、織田信長(最終回)編に泣かされております。

>筆綾丸さま
>料理は洋風の「六角形の夢」と和風の「歎異懐石」、食前酒として美作国の芋焼酎
「アンチ顕密」、食中酒として隠岐国のロゼ「言葉」、食後酒として天国のリキュール
「コムサデ浄土」、デザートは戦国風抹茶のシャーベット「○如」、協賛は緑青蓮院

 もうちょっとで信じるとこでしたよ(笑)!!
 イタリアンなのですね。↓

 http://www.sotokoto.net/lohasbar/menu.html

331釈由美子が好き:2007/10/19(金) 20:45:55
俺も。
>はぎつきさん
>織田信長(最終回)編に泣かされております。
 俺も泣いた。
 あれは、良いね。

 「論」とか言いながら、その実「論」でもナンでも無い、一見ご立派で実は中身の無いタワ言(思いつき・妄想のたぐい)を書き散らしたムダな紙のタバより、あの数十秒の方が、よっぽど素晴らしい。

332鈴木小太郎:2007/10/20(土) 01:21:02
電卓男2
>筆綾丸さん
江口圭一『日中アヘン戦争』(岩波新書、1988)を入手して、いくつか確認できたことがあるので、数字を修正しておきます。
里見が華中で販売したペルシャアヘンを輸入したのは三井物産であって、東京裁判に検察側書証として提出された「三井物産株式会社によるペルシャアヘン輸入」によると、1938年から1940年にかけて、都合6回の輸入量合計は4400箱、70万4000ポンド(316.8トン、880万両)だそうですね(同書p.104)。
4400箱というのは里見の記憶4000箱と近く、里見証言の信頼性を裏付ける書証です。
江口氏は「1939〜40年の為替レートは1ドル約4円なので」、ペルシャアヘンによる利益約2000万ドルは約8000万円としています。
8000万円だとすると、現在価値は500倍して400億円となりますね。
それと、里見証言で「ペルシアの阿片は一六〇ポンドの箱、即ち1920両づつの箱に入れられて来ました」は里見の勘違いらしくて、アヘン一箱は「160ポンド、72キログラム、2000両」だそうです。(p.99)
とすると、蒙古阿片一千万両は2000で割って5000箱。
ペルシャアヘン4000箱に対し、蒙古アヘン5000箱であって、「ペルシャ産アヘンの実に二千五百倍」ではなく、1.25倍ですね。

>ステルス戦闘機ラプターなら3機
なるほど。
江口氏は「この当時の8000万円は翔鶴・瑞鶴級(2万5675トン・84機搭載)の航空母艦一隻の建造費にほぼ相当する」としてますね。
戦艦大和でも建造費は1億3780万円だそうで、佐野氏の計算並みに潤沢な予算があったら、アメリカに勝てたかも。
兵器以外だと、エンパイア・ステート・ビル(1931年竣工)の建設費は2470万ドル、ゴールデンゲイト・ブリッジ(1937年竣工)の建設費が2700万ドルだそうで、2000万ドルではちょっと足りませんね。

『阿片王』を最初に読んだときは、何だか変なことを書いているなとは思ったのですが、まさか佐野氏が3桁の計算ミスを2回続けてやっているとは想像できませんでした。


>中世初心者さん
いらっしゃいませ。
シンポジウム「幻の真慈悲寺を追う」は12月16日(日)ですね。
詳細が分かったら、またお知らせください。

333鈴木小太郎:2007/10/20(土) 06:39:28
雨が上がって
爽やかな秋晴れの今日は日本史アーカイブズ主催第5回「史料講読講座」当日です。
アポなしでもオッケーですので、是非お越しください。
なお、会場がいつもと違い、江戸川区立小岩アーバンプラザとなっておりますので、ご注意願います。

http://jparchives.sakura.ne.jp/kouza/siryohkohdokukohza.html

史料購読講座掲示板
http://jparchives.sakura.ne.jp/bbs/yybbs/yybbs.cgi

334井上渉子:2007/10/21(日) 08:07:40
勝手に宣伝ふたたび
葛飾区郷土と天文の博物館
http://www.city.katsushika.lg.jp/museum/
にて本日より開催の特別展
『関東戦乱〜戦国を駆け抜けた葛西城〜』を見学してきました。
http://www.city.katsushika.lg.jp/museum/ev-tenji.html

戦国時代に山内上杉氏の、後に後北条氏の支配下に置かれた葛西城について、35年にわたる発掘調査と文献資料からその歴史上の存在意義を探るという展示です。

文献と出土資料がバランスよく、しかも豊富に紹介されていて見応えたっぷりでした。
長くなるので感想は自分のブログで紹介させていただくとして一つだけ圧巻だったものを紹介すると、堀から発見されたという女性の人骨がよかったです。(ってヘンな言い方だな)
頭蓋骨のみ(下顎は失われている)の状態で、後頭部には刃物と思われる損傷があることから斬首されて捨てられたのではないか、と考えられているんだとか。

年代は35+−10歳くらいと考えられていて、顎の発達や残った歯の磨耗の程度から比較的身分の高い女性と推測されていて、今回問題の骨と一緒に復顔像も展示されていました。
非常に生々しいですが、ともすればとっつきにくくなりがちな史料を一般にアピールする方法としておもしろい取組みだと思いました。

図録も展示資料の写真や佐藤博信氏、木下聡氏、黒田基樹氏、長塚孝氏、戸谷穂高氏、坂上和弘氏などこの時代の研究者の論考が寄せられていて普通の図録以上のボリュームになってますし、
・中世前期編
・中世後期編
・本土寺過去帳編
からなる葛西地域史料集中世編のCD−ROMもついていて、研究の上でも資料として重宝すること間違いなしです。

中世後期、特に関東で戦国というとどうしても今ひとつ馴染みが薄いですが、足を運んで絶対に損はない展示です。
どうしても行けない人はせめて図録だけでも。

最後に、今回入り口ののぼりや立て看板を始め展示の随所や図録の表紙・裏表紙に出没しているキャラクター「梅千代王丸くん」略して梅ちゃん(正式名不明)の絵を描かせてもらいました。お運びの際はこちらもよろしく。
↑だからヨイショしてるわけじゃなくて本当におもしろい展示ですから!

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003744M.jpg

http://wataruko.ameblo.jp/

335NAO4@吟遊詩人:2007/10/21(日) 08:10:44
鶴見合戦
昨日、「第5回 史料講読講座」に参加するため、1日空けてあったのですが、自分の自由時間ってそうそう取れないので、横浜市歴史博物館「企画展 鶴見合戦」に立ち寄って見てまいりました。
最寄り駅の「センター北」は、市営地下鉄で、新横浜の先というイメージでいたのですが、横浜駅からは30分程かかり、終点の「あざみ野」に近いですね。東京西部からは、田園都市線を利用されたほうが便利でしょうね。横浜市歴史博物館は、駅から近いのですが、出口を間違えると表示が無いので、戸惑います。

企画展は、「鶴見合戦」にテーマを絞っているので、面白いのですが、展示物はレプリカも多いので、そのつもりで行かれた方が良いと思います。結局40分程しか見学に時間をかけられなかったのですが、1時間半〜2時間は時間をかけたかったです。昨日10月20日は企画展初日でしたが、空いていて、気持ちよく見られました。企画展会場の規模は、それほど大きくありません。図録は1000円で格安でした。

336筆綾丸:2007/10/21(日) 19:28:57
鳩杖とプッチーニ
はぎつきみたえさま
世界には色々な料理があるのに、なぜイタリア料理なのか、よくわかりませぬが、
ローマ法皇が協賛者の一人なのかもしれませんね。
BGMは、プッチーニの『トスカ』の名アリア「歌に生き、愛に生き」かもしれません。

Nell'ora del dolore perche
Perche,Signore
Perche me ne rimuneri cosi?
苦悩の時、主よ、あなたは、なぜ、なぜ、なぜ、かくも酷いことをなさるの?

・・・神は残酷ですが、阿弥陀様は優しいようですね。


小太郎さん
ご丁寧にありがとうございます。実態がよくわかってきました。
今日は、佐野眞一氏の新刊『枢密院議長の日記』(講談社現代新書2007年10月20日)
を、めげずに読んでみました。
倉富勇三郎(1853〜1948)という人の、途方もない日記の一部を扱ったものです。
倉富は久留米藩有馬家の家臣で、先祖は竜造寺氏とのことですが、一種の畸人ですね。
著者は相変わらず、宮中のゴシップに深い関心があるようで、どうもなあ、とは思い
ましたが、これはこれで面白く読みました。
365頁に、倉富勇三郎に下賜された「鳩杖」の写真が掲載されていますが、ほんとに
鳩の形をしていて、ちょっと笑えます。
私は「鳩杖」の起源を知らないのですが、後鳥羽が熱中した鳩の馳走(飼育?)と
何か関係があるのかな、と思いました。

337釈由美子が好き:2007/10/22(月) 13:02:05
アヘンの値段。
>アヘン研究家の小太郎さん
  ↑ 、計算間違いするにしても、3ケタは、ヒド過ぎまさね。検算しなかったンすかねェ〜?


>井上さん
>梅千代王丸くん
 あら、かわいい♪ 良かったですね。
 赤い鎧甲には、なんか由来があるのですかい?


>NAO4@吟遊詩人さん
>「第5回 史料講読講座」に参加
 ありがとうございますた♪

>「企画展 鶴見合戦」
 わしらも来月行く予定でござい。


>筆綾丸さん
>鳩杖
 検索してみたら、なんか、知ってる人のページ ↓ が出て来ました。わはは。

  http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/yano-kenichi-hatonotue.htm

338筆綾丸:2007/10/22(月) 20:50:27
冥途の土産
http://www.city.hino.lg.jp/index.cfm/6,33061,c,html/33061/20070501-05.pdf
調べてみますと、阿片の利益の総額は、真慈悲寺があった日野市(人口約180,000人)の
平成19年度一般会計に相当するのですね。

釈由美子が好きさん
「鳩杖」を最初に下賜したのは後鳥羽院なんですね。鳩の「馳走」と何か関係があり
そうですね。
俊成が最初ですか。『明月記』に、たしか、末期の俊成が、雪が食べたいと云い、
定家が取り寄せた氷室の雪を食べて、死ぬべく覚ゆ、と言いながら死んだ、という
記述があったと思いますが、後鳥羽から鳩杖を下賜されたのは、この死の少し前
ですね。鳩杖が冥途の土産(飛脚の杖?)になった感があります。

昭和16年現在の井原頼明『皇室事典』は、倉富勇三郎の肩書きが空白ですが、
『枢密院議長の日記』の口絵をみますと、

      従二位勲一等倉富勇三郎
   依勲功特授男爵
  嘉仁
    裕仁 (天皇御璽)
    大正十五年十月二十八日
     宮内大臣従二位勲一等一木喜徳郎

とありますので、「男爵」が落ちていますね。なお、上記は昭和天皇が摂政時代の
もので、連名の珍しいものですね。

339井上渉子:2007/10/22(月) 21:41:53
>釈由美子が好きさま
>赤い鎧甲
秘密です(笑)。

12月の1日・2日にはシンポジウムもあるそうなので、こちらもよろしくです。

http://wataruko.ameblo.jp/

340:2007/10/23(火) 15:34:50
第3回 赤松氏研究会のご案内
※いつもすみません。よろしかったら、お越しください。

第3回 赤松氏研究会のご案内

1.開催概要
(1)日  時:平成19年12月1日(土) 13:00 開場
(2)基調講演?
  時  間:13:30〜14:30
  講  師:森  俊弘氏(真庭市教育委員会職員)
  タイトル:国人領主草苅氏に関する通史的言説をめぐって−主にその家伝の伝承と変容、定着から−
   ※14:30〜14:40 休憩
基調講演?
  時  間:14:40〜15:40
  講  師:渡邊 大門氏(美作大学地域生活科学研究所客員研究員)
タイトル:戦国期赤松氏の領国構造
   ※15:40〜16:00 休憩

(3)シンポジウム:テーマ「赤松氏研究と美作国人」
   時  間:16:00〜17:00
   パネラー:森  俊弘氏(真庭市教育委員会職員)
        渡邊 大門氏(美作大学地域生活科学研究所客員研究員)
        1名交渉中
   司  会:交渉中

2.場所:美作大学 本館3階 30教室
  岡山県津山市北園町50(JR津山線「津山駅」下車)。お車でお越しの際は、正面玄関の駐車場をご利用ください。なお、京都・大阪方面からは、高速バスが安くて便利です。

3.参加費:無料

4.申込方法
  資料準備の都合がありますので、住所、氏名、所属と下記の内容を明記のうえ、できるだけ申込先にメールで送信してください(当日の飛び入り参加も歓迎します)。なお、メールの使えない方は、上記まで葉書でお申し込みください。

5.申込先
〒708-8511 岡山県津山市北園町50 赤松氏研究会(美作大学内)
渡邊 大門宛(wdaimon@hotmail.com) ※電話でのご連絡は、できるだけご遠慮願います。

主催:赤松氏研究会/共催:美作大学・美作大学短期大学部/後援:津山市教育委員会

☆第3回赤松氏研究会は、福武教育文化振興財団の助成金により開催されます。

341井上渉子:2007/10/23(火) 17:36:25
>渡邊大門さま
管理人さんを差し置いてのレス失礼します。

「第3回赤松氏研究会」のお知らせ「歴史系イベント情報」に転載させていただきました。
何かありましたらお知らせください。

342釈由美子が好き:2007/10/23(火) 23:37:35
爵位の授与。
>筆綾丸さん
 摂政宮のお仕事が具体的にわかって、ひじょーに興味深いっす。


>渡邊さん
 いつも、お知らせ、ありがとうございます♪


>井上さん
>秘密です(笑)。
 あらま。そーなの?

343あまの(夫):2007/10/24(水) 10:33:40
個人的なこと
>釈由美子が好きさま&高遠彩華さま
昨日精神的に落ち込んで、一日寝て過ごしたのですが、何と!細川氏の新刊を高遠さんと売り歩くという夢を見てしまいました。
「10冊でいいんで置かせてください」と何度も頭を下げるあまの(夫)に、テキパキと伝票を切る高遠さん。
いい経験をさせてもらったな〜と、起きてから思いました。
セールスって大変だな〜と。
正夢にならないことを祈る限りです。

344kari:2007/10/24(水) 19:38:24
こんなの載せていいですか。
「『実隆公記』を読む会」のご案内

 就実大学 吉備地方文化研究所 古代・中世史研究会の定例勉強会として、「『実隆公記』を読む会」を始めることといたしました。
 「実隆公記」は戦国期に記された公家の日記で、政治・経済・文化的に重要な情報を含んでいます。
 つきましては、下記のとおり会のご案内をいたしますので、ご参加の程お願いいたします。
 なお、資料準備の関係上、参加希望の方は、あらかじめ担当者(下記連絡先)までご連絡いただけると幸いです。

          記

日 時:2007年12月15日(土) 14:00〜
場 所:就実大学 附属図書館3階 スタディルーム (岡山市西川原1−6−1)

※図書館を初めてご利用される方は、2階の入り口で閲覧手続きまたは利用証の発行手続きを行ってください。ゲート前で、中の職員に呼びかけてくだされば結構です。身分証が必要となります。

その他:(1)今後の運営方法等は、当日確認したいと思います。
    (2)終了後、懇親会を予定しています。

http://www.shujitsu.ac.jp/web/department/cultural/kibi/index.html

*岡山では、かなり珍しい企画になると思います。

345高遠彩華:2007/10/24(水) 20:13:29
正夢かも。
>あまの(夫)さま
お体、ご自愛くださいませ。

>新刊を売り歩く
私が「テキパキと伝票を切る」はないと思いますが、正夢かも…。
万が一冬コミに当選したら、一緒に売り子さんやってくださいね(^_^)v。

>kariさま
横レス失礼いたします。

>『実隆公記』を読む会
距離が近かったらお邪魔したかったのですが、残念です(>_<)。
きっと他にも参加したいと思う方は多いと思いますので、
「歴史系イベント情報」にも転載させていただきました。

346NAO4@吟遊詩人:2007/10/26(金) 06:24:25
金沢文庫行ってまいりました。
●金沢文庫
この時期になると、溜まった休暇の消化が必要になってきます。そこで、昨日は会社を休んで、金沢文庫の「鎌倉北条氏の興亡」見てまいりました。ただ、伊豆守山の北条氏邸の発掘調査結果を特に期待していったので、展示物はさほど多くなく、少々期待外れでした。売店に釈様の新著あるかなあと思って、注意してみたのですが、「非売品」の棚に1冊だけありました。どういう意味なのですかね。
あとは、「川崎市市民ミュージアム」に行けば、3館回ったことになります。
↓の写真ですが、称名寺で見つけた実時の銅像です。春に行った時はなかったと思いますので、最近作ったのでしょうか。

●日野市立 新撰組ふるさと歴史館
時間があまってしまったので、日野まで足を伸ばして、「幻の真慈悲寺を追う」を見ようとしたのですが、駅から歩いたのが運のつきで、道に迷ってしまい、最終入館時間に間に合いませんでした。バスのほうがお勧めです。また、挑戦しようと思います。日野の街は、近世の雰囲気が残っていて、街も面白そうですね。

>はぎつきみたえさま
>ガスパッチョの信長
亀レスですが、本当面白いですね。TVでも見ましたが、インターネットでも公開しているので、何度も見てしまいました。

●NHK その時歴史が動いた 「石見銀山・毛利一族の戦い」
たまたま見てしまったのですが、ゲストに中世史家の方が出ていましたね。HNKのこの人選で良かったのかなと疑問に思いましたが、それほど重要な発言は求められていませんから、(暴走しなければ)誰でも良いのかなあとも。でも、できれば、石見銀山に関係した方をお呼びしたほうが良かったかも。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003756.jpg

347釈由美子が好き:2007/10/26(金) 19:15:00
ちょいと、ヘタばっていた釈です。
>はぎつきさん
 うどん屋の話なんですが、お時間のある時に、是非書いてくださいませ。

  ↑ みなさん、お楽しみに。


>あまの(夫)さん
 おひさっす♪

>精神的に落ち込んで、一日寝て過ごしたの
 どんぞ、おだいじに。

>細川氏の新刊を高遠さんと売り歩く
 夢の中で働かせてしまい、誠にもって申し訳ありません。
 ありがとうござります。

>正夢にならないことを祈る限りです。
 はっはっは。
 正夢になったりして。あ〜、恐い、恐い。


>kariさん
>いいですか。
 いいですよ。・・・・・なんつって。

 冗談抜きで、良か企画ですね。
 アーカイブズでも、こんな感じで、1つの史料を読むゼミみたいのできないかしら?


>高遠さん
 守護又代官(共同管理人代行)みたいな役目をさせてしまい、すいませぬ。
 ありがとござんす。

 あと、転載、どもです。


>NAO4@吟遊詩人さん
>展示物はさほど多くなく、
 文書が、おもしろいの、たくさん出てるんですよ。
 ただ、どこの博物館で展示やっても、文書は人気無いみたいですね。
 ま、読めたり、背景がわかったりしないと、どこが、おもしろいか? わからんですからな。
 彫刻とか絵なら、ビジュアルで楽しめますから、やっぱ人気高いみたいす。

>どういう意味なのですかね。
 えと、近いうち、お知らせしまつ。

348筆綾丸:2007/10/26(金) 20:19:58
松平大膳大夫
NAO4@吟遊詩人さま
http://www.roppongihills.com/jp/feature/018/i8cj8i0000016byq.html
松平大膳大夫(毛利)三十六万石の上屋敷が六本木ヒルズになったことを考えますと、
森の銀と丘の株は時の流れを超えて密通してるな、という感がしますね。銀と株の
月下氷人は、政所別当の大江広元(1148〜1225)でしょうか。
現在のユネスコ事務局長は松浦晃一郎(山口県出身)で、世界遺産登録決定時の首相
は岸信介の孫で、政治的に見え見えの露骨なものであり、石見銀山なる世界遺産は
政治ゲームの産物のようですね。
政治的な「歴史」が好きなNHKの、自分が政治的な組織であるということの自己
射影なのかもしれませんね。
問題のテレビは見ませんでしたが、長州閥のしぶとさといいますか、松平大膳大夫の
旧家臣(?)は、なんと主君思いなのだろう、と感心しました(笑)。

349はぎつきみたえ:2007/10/26(金) 21:26:46
それではうどん屋物語をば。
 …というわけで、みなさま、頼朝とうどん屋の伝説をご存知でしょうか。
 私も釈由美子が好きさまに「そのようなたいそう面白い伝説がある」と教えていただきまして、
 ここ一ヶ月ほどそれを描いたものを探していたのですが、つい2日ほど前にようやく見つけました。
 うどん屋さんのどういう伝説かといいますと…。

 それは昔の物語。
 石橋山で大敗した頼朝は、真鶴から船で房総半島に渡りました。
 ようやく到着したものの、お腹がぺこぺこ。
 するとそこへ仁兵衛といううどん屋が現れまして、頼朝一行にうどんをふるまったのでした。
 頼朝は喜んで、彼に笹りんどうの紋を与えたので、仁兵衛は家名を“笹屋"と改めました。
 さらに、仁兵衛の活躍は続きます。
 なんと彼は、敵に胡椒を投げつけて見事撃退するという大殊勲を立てるのであります!

 この物語はちゃんと屏風に描かれて現在まで伝わっているのでした。
 その名も「笹屋の屏風」(そのまんま)。
 興味のある方は、こちらが詳しいですよ。
       ↓
 http://www.city.ichikawa.chiba.jp/net/kyouiku/rekisi/rekihaku/ronbun/koizumi/koizumi93.htm

 残念ながらいまはうどん屋「笹屋」は残っていないのですが、
       ↓
 http://gyotoku-z.la.coocan.jp/mati-kaiyuten2000-02.htm#2

 笹屋の屏風は市川市歴史博物館にあるそうです。でも、常設展示じゃないかも。
 仁兵衛の活躍だけなら、『歴史読本』昭和58年新春号(通巻361号)に、笹屋屏風の仁兵衛胡椒で活躍場面が載っています。

 胡椒なんて、高級品だったのではないかと思うのですが、惜しげもなくまくあたりが仁兵衛の忠義を感じさせますね〜。
 うどんやなら小麦粉でもいいのに、とか、効き目的には七味のほうが効くんじゃないか、と個人的には思うのですが(笑)、
 でも、どう転んだらこんな伝説が生まれるんでしょうかね〜。しかも屏風に書いてまで!って、面白いですね〜。

 私のへたくそな説明では面白さが十分伝わらない気がするので、紹介したHP、ぜひご覧になってみてください。

>NAO4@吟遊詩人さま

 信長のCM、切ないですよね。ネットでも見られるとは知りませんでした。
 東京ガスじゃない地方のみなさま、ご覧になってみてくださいまし。

>称名寺で見つけた実時の銅像
 先日金沢文庫に行ったときには気づきませんでした。
 なんだか妙に現代人ぽいですね。

350NAO4@吟遊詩人:2007/10/27(土) 07:03:56
うどん とか
「うどん」といえば、先日、史料講読講座の前に、小岩の立ち食いうどん屋で、昼食を取っているところを、法眼殿に目撃されてしまい、恥ずかしい思いをしましたが。でも、好きなんですよね。立ち食いうどんが。

>はぎつきみたえさま
>頼朝とうどん屋

近世の話なのでしょうが、なかなかこの話、面白い要素を含んでいますね。
正倉院御物にあるとのことで、胡椒の日本伝来は、奈良時代。
頼朝の時代にあってもおかしくない。

何で、うどんに胡椒が使われているかというと、唐辛子の伝来前には薬味として使われていたようで、これもおかしくない。

さて、唐辛子はというと、南米原産なので、新大陸発見前に日本に伝来しているはずも無く、頼朝の時代には無かったということになりますでしょうか。
ちょっと行徳行って見たくなりました。史料講読講座で小岩に行くついでに行って見ましょうか。

>称名寺で見つけた実時の銅像
>なんだか妙に現代人ぽいですね。
わたしも、そう思いました。
それなら、大河「北条時宗」の池畑慎之介さんに似ているかと思ってしまったのですが、そうでもなく・・・


>筆綾丸さま
>長州閥のしぶとさ
そういうことなのですか。

何で銀山ごときを世界遺産にするのか疑問に思っていたのですが、世界的な大鉱山だったと説明されると、それなりに納得しておりました。ヒッタイトの鉄採掘遺跡(そんなの無いみたいですが)とか、殷の銅山(これも見つかっているのかどうか知りません。)の方がよほど重要だと正直思っておりました。

>釈編集長さま
>文書が、おもしろいの、たくさん出てるんですよ。
>ただ、どこの博物館で展示やっても、文書は人気無いみたいですね。
>ま、読めたり、背景がわかったりしないと、どこが、おもしろいか? わからんですからな。
なるほど、そうですか。まだまだ、勉強不足ですね。

金沢文庫、平日で空いているのをいい事に、いいおやじの小生が端末操作のクイズ(初級者編と上級者編がある)で遊んだりしておりました。永井先生監修の「補助解説冊子」も笑えました。(受付で言わないとくれませんでしたので、お子様用なのでしょうね。)

351高遠彩華:2007/10/27(土) 11:10:09
金沢文庫のともしびショップに
実は、関係各位の御助力をいただいて(ありがとうございます)、金沢文庫のともしびショップ(売店)に、『鎌倉北条氏の神話と歴史ー権威と権力ー』を置かせていただいております。売価は1500円です。
金沢文庫においでの際に、御覧になってくださいませ。

ちなみに、行かれた方はご存知かと思いますが、ともしびショップには図録や『金沢文庫研究』、専門書や概説書の他にも絵はがきや双六、手作りグッズなどもありますし、食事もできるしでオススメです(^-^)。


>NAO4@吟遊詩人さま
>一冊だけ非売品で
↑の交渉の過程で、見本に置かせていただいたものなのです。

352亜季多幸孝:2007/10/27(土) 11:58:01
小岩の立ち食いうどんといえば
>NAO4@吟遊詩人さん
先月も件のうどん屋で昼食取られてませんでしたか?(笑)

353釈由美子が好き:2007/10/27(土) 13:06:48
うどん屋屏風。
>はぎつきさん
>「笹屋の屏風」
 早速のご紹介,ありがとうござります♪
 スゴい調査能力ですな。

>『歴史読本』昭和58年新春号(通巻361号)
 私の見たのは,↑ のグラビアなはずだす。

 んで,前にお話しましたよーに,私の記憶によりますと,そば屋でして,戦う鎧武者に混じって,前掛け姿のそば屋が鎧武者の顔面めがけて,そば粉をブッつけているというナンだかもースゴいシーンがあったことになっておりました。

 実際は,うどん屋で,バラ撒いたのはコショウだったンですなァ。
 記憶とは,いい加減なモノであります。

 それにしても,合戦に参加するうどん屋,武器はコショウ・・・・・う〜〜〜ん。素晴らしい♪


>筆綾丸さん
>松平大膳大夫(毛利)三十六万石の上屋敷が六本木ヒルズになった
 とっきのな・が・れに,身をま・かせ〜〜〜〜♪


>NAO4@吟遊詩人さん
>ちょっと行徳行って見たくなりました。
 行徳は,ホントにタダのフツーの町っすよ。
 「笹屋の屏風」が見れるなら,市川市歴史博物館に行ってみたいすねェ。

>永井先生監修の「補助解説冊子」
 カエルのヤツですか? あれ,おもしろいすよね。


>亜季多さん
 なんで,そんなに,みんな,立ち喰いうどん屋をのぞいてるの?

354釈由美子が好き:2007/10/27(土) 13:14:33
ともしびショップ♪
>おのおの方
 高遠さんが ↓ にカキコしてくださいますたよーに,多くの方々のご尽力によりまして,

  神奈川県立金沢文庫の売店「ともしびショップ」さん

 に,拙著『鎌倉北条氏の神話と歴史ー権威と権力ー』を置かせて戴くことになりました。

 だから,行かれた方は,買ってください(← なりふりかまわぬ販売姿勢)。

 ちなみに,前著『鎌倉政権得宗専制論』も1冊だけ置いてあります(ここ数年,タナ晒し)。
 こっちは,とりあえず値段を見て,驚いてください。
 奇特な方は,買ってください。


>高遠さん
 ありがとー♪

355あまの(夫):2007/10/27(土) 18:37:52
再度宣伝
日本仏教綜合研究学会第6回大会日程
    期日 平成19年12月8日(土)9日(日)
    大会会場 : 山形大学小白川キャンパス
    エクスカーション:慈恩寺・若松観音
    懇親会・宿泊:天童温泉 ほほえみの宿滝の湯
   参加費 : 大会・エクスカーション・宿泊・懇親会  20,000円
        大会・エクスカーション・懇談会     14,000円
        大会・エクスカーション         4,000円
        大会               1,000円


12月8日(土)
中条家文書の公開             11:00〜12:00
受付                   12:30〜13:00
富田正弘教授講演
    中世寺院文書の世界        13:00〜14:00
エクスカーション慈恩寺・若松観音見学   14:15〜16:30
宿泊ほほえみの宿滝の湯          17:00
懇親会                  19:00〜21:00


12月9日(日)
受付                    9:30〜10:00
会長の挨拶 松尾剛次(山形大学)     10:00〜10:10
研究報告(報告30分・質疑20分)
? 長岡 龍作(東北大学)        10:10〜11:00
    彼岸・因果・表象
    −仏教美術への開かれたアプローチとして−
? 永井 晋(神奈川県立金沢文庫)    11:10〜12:00
     延慶年間の山門強訴と京都の諸勢力
? 佐藤 弘夫(東北大学)        13:00〜13:50
    板碑を通して見る中世東国の宗教世界
講演(講演50分・質疑10分)
  末木 文美士(東京大学)       14:00〜15:00
     顕密体制論以後の仏教研究
総会                   15:00〜

>井上さま
 家にもやっと案内状が届きました。
 ご興味がおありでしたら、メールフォームがありますので、そちらでお問い合わせ下さい。

 http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~kmatsuo/nichibutsu/top.html

356はぎつきみたえ:2007/10/27(土) 19:54:38
照れ照れ
>釈由美子が好きさま

 お褒めに預かり、光栄の至りでございます!嬉しい!照れ照れ。
 ごくたま〜には、こんな風にお役に立てることもあるかと…。

>NAO4@吟遊詩人さま
>何で、うどんに胡椒が使われているかというと、唐辛子の伝来前には薬味として

 知りませんでした。
 唐辛子は伝来前ということで、七味は不可能だったのですね。
 うどん粉と胡椒なら、そりゃあ胡椒のほうが攻撃力が高そうです(笑)。
 …でも、頼朝の時代のうどんって、まだ麺状じゃなかったような気も…。
「こんとん」とかいうお菓子に近いものであった記憶があるのですが、それでも胡椒かけたのかしら?

 もし笹屋うどん店が残っていたら、例えばこちらで希望者を募って「頼朝を助けたうどん屋のうどんを食べようツアー」とかできたのにな〜と思います。残念。

 私、関東地方はそば文化圏だと思っていたので、(こちらに出てきたときに蕎麦屋の多さに仰天したものです)蕎麦屋じゃなくてうどん屋だった、というのも大変意外でした。

357筆綾丸:2007/10/27(土) 20:30:04
暫定リスト
NAO4@吟遊詩人さま
佐渡金山、武田氏の黒川金山、佐竹氏の阿仁銅山、土肥金山、足尾銅山、人形峠の
ウラン鉱床、由緒正しい糸魚川の翡翠・・・いくらでもあるのですよね。
京都御所、桂離宮、修学院離宮、旧江戸城・・・が世界遺産にならないことが、日本
の面白いところですね。微妙な問題になりますが、世界遺産などというグローバル・
スタンダードに対して超然としていなければならん、ということなのでしょうね。

釈由美子が好きさん
仰る通りですね。

はぎつきみたえさま
面白い話題ですねえ。

358むらじ:2007/10/27(土) 22:43:04
いろいろ と
しばらく覗いていないでいたら、面白いお話ばかりが目白押しですね。

>はぎつきみたえ様
>うどん伝説
いやぁ、面白かったです。^^
こうゆう話があるから、ここはやっぱりイイですね。
>すごい調査力
面目躍如と申し上げておきます。
あわせてNAO4@吟遊詩人様の考証力にも感服です♪

>高遠様
すごい!すごい!すごすぎる!
金沢文庫のショップは、いいですよねぇ。
といっても、二度しかいったことがないのですが。
女性職員の方々の接客がとても爽やかで、もう何年も行っていないのにとても印象に残っています。

>釈さん
>とっきのな・が・れに,身をま・かせ〜〜〜〜♪
うっかりMDかけちゃったじゃないですか(笑)。

359NAO4@吟遊詩人:2007/10/27(土) 22:50:19
目撃者は2人だったようです。
>亜季多幸孝さま
研究報告はいかがでしたか? 発表前の緊迫した?お時間に、コメントいただき、ありがとうございます。法眼殿にうどんを食べているところを目撃されてしまったのは、先月のことで、同じシーンをお2人に見られてしまったのでしょうね。因みに、件の立ち食い蕎麦屋は、第3回と第4回の史料講読講座前に利用させていただきました。第1回のときは、サンロード商店街をもう少し、区民館に接近した立ち食い蕎麦屋に入ったのですが、醤油が濃すぎて、その後敬遠しています。

>はぎつきみたえさま
そうですね。鎌倉時代は麺ではないでしょうね。
ちなみに、唐辛子の朝鮮伝来は、日本からというのが定説になっているそうで、「倭辛子」と呼ばれていたそうです。NHKで放送された韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」で解説していたように記憶しています。

>釈さま
>カエルのヤツですか? あれ,おもしろいすよね。
そうです。

特に両手を腰に当て、胸を張って、「えっへん とくい とくい」と言っている「北条氏」カエルと、鬚を生やした「後醍醐天皇」カエルが面白いです。

よくよく見て見ると、北条カエルたちの中で、貞顕カエルの着物だけが柄がついております。これって、隠されたメッセージなのですかね。

>筆綾丸さま
>世界遺産などというグローバル・スタンダードに対して超然としていなければならん、ということなのでしょうね。
そうですね。世界史的な価値と日本史的な価値は違うのでしょうね。

>むらじさま
こんばんは。ご無沙汰です。「考証」というか、遊んでおります。スイマセン

360釈由美子が好き:2007/10/28(日) 09:22:13
カエルなど。
>あまの(夫)さん
>日本仏教綜合研究学会第6回大会
 お知らせ、どもです♪


>はぎつきさん
 ひさびさの大笑いネタ、マジ、ありがとござんした。

>こんな風に
 そー言えば、鶴岡の大銀杏の時も、盛り上がりましたなァ。


>筆綾丸さん
>世界遺産
 鎌倉の町が、丸ごと世界遺産になる運動やってますよね。

  http://www.elec.shonan-it.ac.jp/kamakura/


>むらじさん
>すごい!すごい!すごすぎる!
 ホンマですわ。ありがたいことであります。

>うっかりMDかけちゃったじゃないですか(笑)。
 わはは。んじゃ、もういっちょ、懐かしいのを。

 ゲ・タを・鳴らァしィて♪ ヤツが来る〜〜〜〜♪


>NAO4@吟遊詩人さん
>貞顕カエル
 新ブログ「ナマズ貞顕のひとりごと」(http://blog.goo.ne.jp/kanesawahojoh/)の10月12日「変幻自在」で、自分でも言うてますが、最近、金沢貞顕は変身が特異なよーで。




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