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Web誌友会 板/2

1トキ:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。

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693復興G:2013/04/20(土) 07:22:12 ID:AB6RqYXc

>>690 :あさひ様。

ご投稿ありがとうございます。

>>656
>>>※ この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。<と書かれていますが、私もそう思います。 <<

 私も、そう思っております。
 当時の谷口雅春先生の御文章に

 ≪光明の塔部の最上層の室は、「栄光の間」と名付けられ、その下の塔部の室は「祈りの間」である。「栄光の間」は、維摩の居室が「空っぽ」であったと同じく「空」であって何の置き物もない。「空」にして無礙光であるのが神であるからである。栄光の間にて拍手して礼拝すれば、四壁にその拍手の響がこもって天地に感応するような感じがするのである。≫

 とあること。また

 ≪建物はただの物質であるけれども、それは百萬信徒の「まごころ」の結集である。「まごころ」と云うものは肉眼に見えないから、肉眼で見ると、ただの実業のビルディングでもこう云う聖堂でもただの「形」である。けれども「まごころ」が結集してこれだけの建物が建つと云うことは「容易ならぬこと」である。≫

 とあることに、深い感銘を受けました。

 「まごころ」は、「神の心」であると思います。
 聖経『続真理の吟唱』の中の「われら“誠”を生きるための祈り」には、次のようにあります。

       ○

    われら“誠”を生きるための祈り (聖経『続真理の吟唱』161頁より)

 “誠”とは「成る言(ことば)」と書くのである。自己に宿る神の至上命令たる“言(ことば)」”を生きることを“誠を尽くす”というのである。その“言(ことば)」”とは、『ヨハネ伝』福音書には「はじめに言(ことば)」あり、言は神とともにあり、コトバは神なりき。よろずのもの是に由りて成り、成りたるものにひとつとして是に由らで成りたるはなし。これに生命あり」と示されていて、更につづいて「この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る。而して暗黒は之を悟らざりき」と示されているのである。

 ここに「暗黒(くらき)」とあるのは肉体を指していうのである。神の生命が肉体に宿って、肉体に生命を与え給い、見る力、聴く力、知る力、味わう力、創造する力等を与え給うて、肉体を生かして居たまうのである。それなのに、肉体はその内部にある聖なる生命の光に気がつかずして、肉体それみずからの力によって生きているかの如く錯覚していて、内なる光を見ることができないのである。それゆえに“誠”が生活にあらわれないのである。聖書はこれを「暗黒(くらき)」と名づけているのである。しかし肉体が生きているのは、内に輝いている神の生命の光に照らされ導かれ生理作用を営んでいるのである。そしてその光はイエス・キリストだけに宿っているのではない。だから「もろもろの人を照らす真の光ありて、世にきたれり」と聖書は録しているのである。

 「世」とは「世界」のことであるが、「肉体」も一つの世界であるのである。ところが暗黒なる此の物質の世界は、もろもろの人を照らす真の光ありて「世」に来り、その光は「世」に在り、「世」はその光に由りて成りたるに、「世」はこれを知らなかった。それゆえに聖書はこれを歎いて「かれは己の国にきたりしに、己の民は之を受けざり」と書いているのである。

 けれどもこの光を素直に受けて、自分を生かしているのは物質ではない、肉体ではない、自分を生かしている光は神の生命であると悟った者は――という意味で「されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には“神の子”となる権を与え給えり」と『ヨハネ伝』は書いているのである。「名」というのは「はじめに言あり」のコトバであって、万物及び人間生命の由って来る本質又は実相である。自分の生命の本質は“神のいのち”である。其の実相を知ったとき、人は“神の子”たる権を与えられているのである。
<つづく>

696復興G:2013/04/20(土) 07:41:46 ID:AB6RqYXc

>>691 :a hope様。

>>わたしは最近になって、『現象に起きている問題はすべて自分の心の影であるから、相手を責めずまずは自分の心を反省してみよう!』と考えるようになってからのほうが、家庭生活も、仕事も、友人関係もすべてうまくいくようになりましたが…。
でも、これはまだ小懺悔の段階ということなのでしょうか?<<

a hope様は、すばらしい「一切者の自覚」に立たれて、『現象に起きている問題はすべて自分の心の影であるから、相手を責めずまずは自分の心を反省してみよう!』と考えられたから、すべてうまくいくようになられたのでしょうね。
そして、いつまでも自分を責めているのではなく、「感謝」の気持になっておられるので、必ずしも「小懺悔」にとどまっておられない。「感謝」して「喜ぶこと」こそ「大懺悔」だと、私は思います。

「一切者の自覚」、そして「感謝」はすばらしいですね。
私も、そうありたいと思います。

ありがとうございました。

697復興G:2013/04/20(土) 08:41:19 ID:AB6RqYXc

>>696のつづきです。
『幸福を招く365章』の117頁以下に、次のような御文章がありました。

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。

         ○

上記
≪それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。≫

――「お役目ご苦労様です」と、それぞれの立場の方たちに感謝しながら、「自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだ」と自覚して、内なる神のみ声を聴き、使命感のままに行動して行く。

そうありたいと思います。

698復興G:2013/04/20(土) 08:54:59 ID:AB6RqYXc

>>694の続きで、思うことすが・・・

>>御神像が山梨県の「森のオフィス」に移されることに決まったそうですから、御神像のない本部の「光明の塔」を遺してもあまり意味はなくなるので、取り壊されることになるのではないかと思われます。<<

 と書きましたが、御神像は、制作当時の状態に復元した新しいレプリカを造ることも可能でしょう。
 レプリカを造ったとしたら、原宿と山梨と、どちらをレプリカにするか。
 原宿の「光明の塔」から現在の像を外して山梨へ移送するのは、破損のおそれもあり大変なことですから、私は現在のものを原宿に遺し、山梨の方に、新しく復元したレプリカを置くのが適当だと考えます。
 皆さまはどう思われますか。

699復興G:2013/04/20(土) 09:13:16 ID:AB6RqYXc

web誌友会の本題からはずれてしまって、申し訳ありませんが、はずれついでに、>>694の続きでもう少し思ったこと――。

昔の日本女性は、各自で裁縫をして、使命を終え使えなくなった縫い針は、「針供養」をして感謝の祈りを捧げてからお返ししたものです。

仮にもし原宿の本部会館を取り壊さざるをえなくなった場合は――「針供養」どころではない、総裁をはじめとして本部職員、信徒一同、「まごころ」からの感謝を捧げ、盛大な感謝供養祭を行うべきだと思いました。

しかし、そうではなく、「本部会館を(耐震補強をして)創建当時に復原、保存を!」ということが、最もよいことであろうと、私は思います。

700トキ:2013/04/20(土) 09:57:37 ID:DWumjrqI
 おはようございます。

 教区の人間から見ますと、本部というのは滅多に行かない場所です。教区五者の場合は、それでも1年に数回は用事で行きますが、
それ以外の信徒さんから見ると、ほとんど行く機会がありません。中には、一生に一度という人もいると思います。そういう人にとって
直接の影響はすぐにはないのは事実です。

 ただ、遠方の教区の人間でも、生長の家以外の用事で東京に行く事はあります。昔は、そういう場合に気軽に寄って、知り合いの本部員
と食事をしたり、本部の早朝行事に出席したり、という事が可能でした。その意味で、地方の信徒にとっては、ある意味では心のよりどこ
ろ、という場面があった感じます。

 ところが、山梨県北杜市というのは、これは山梨県北杜市の皆様には御詫びしますが、あまり他府県の人は行かない場所です。私個人と
しては何か、地理的にも、精神的にも、本部が信徒さんから離れた場所になったような気がします。

 私も、今回の本部移転の話が出てから調べたのですが、今の本部に設立には多くの方の善意の寄付が集まったようです。今と違って、当時
の日本は貧しく、みんな苦労してお金を拠出したと思います。そういう事情を考えると、今回の本部移転は勿論、決定に至る経過も残念に
思う点はあります。あと、山梨県北杜市の市議会で、出席者が生長の家を激しく批判されていた点も、素直に受け取る必要はあると感じます。

 既に山梨県北杜市に本部の建物が着工され、今年の7月7日に移転するので、今更中止にはできないとは思います。が、何らかの形で、
建物の一部やご神像は残せないのか、と考えてしまいます。例えば、東京第一教区は本部の建物の裏にありました。東京第一教区は東京に
残るのですから、地方から出て来た信徒さんの受け皿になるような建物や体制になって欲しいとは思います。その意味では、ご神像も、
復興G様の言われるように、東京にあって欲しいと願います。

701復興G:2013/04/20(土) 10:11:56 ID:AB6RqYXc

トキ様、ありがとうございました。

>>693のつづき、694を修正して再投稿します。
順序が前後しますが、皆さま、693につづくものとしてご覧ください。
(友人の個人情報を削除したものです)

<われら“誠”を生きるための祈り(聖経『続真理の吟唱』より)のつづき>
 「言は肉体となりて我らの中に宿り給えり」われら即ちすべての人間に言は宿っていて、それが仮に肉体の姿をあらわしているのである。この実相を知っても知らないでも本来人間は“神の子”であるけれども、それを知らない間は“神の子”たる権を行使することはできない、一種の放浪者であり、迷い児であるのである。彼は虚仮不実(こけふじつ)の仮存在であって「誠あることなし」である。
 人が誠実に生きるとは“単に真剣に生きる”ということではなく、人間の本質であるところの実相すなわち“神の子”の自覚に基づいて生きることなのである。われらこの真理を悟り得たるは神の導きにほかならず、神に感謝し奉る。ありがとうございます。
       ○
 原宿の本部会館が建設された頃の日本は、敗戦占領下から独立回復後まもなくで、唯物主義の左翼革命運動に国家が転覆しそうな危機的状況にありました。そのとき、ここで青年大会が開催され、ここから「日の丸行進」が行われたりして、世界平和の礎となるべき日本の国を護る運動の拠点ともなりました。
 前記「本部会館を創建当時に復原、保存を!」という友人のアピールの結びに、
 ≪この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。≫
 とある言葉に、私も魂が震えました。
 上記のアピールが届いてまもなく、4月8日の日本経済新聞夕刊に載った次の記事が目にとまりました。
       ○
  SL「デゴイチ」引き取り先求む
    静岡市、解体中止し公募
 35年にわたって静岡市内で展示された蒸気機関車(SL)D51形の引き取り先を市が探している。老朽化を理由にいったん解体を決めたが、鉄道ファンから反対の声が相次いだため方針を転換し、保存の道を探ることになった。
 このD51形は1938年に製造され、75年まで北海道で運行。引退にあわせて市がJRから借り受け、葵区の駿府城公園にあった児童会館や、城北公園で展示してきた。
 ここ数年はさびや腐食が目立つように。「無人の公園で展示を続けるのは危険」と判断した市とJRが、いったんは解体撤去を決定した。その後、「壊さないで」という電話やメールが30件以上、寄せられた。市は直前に解体工事を中止。4月中にも引き取り先の公募を始める。
   (2013.4.8 日本経済新聞夕刊)
       ○
 ――SL「デゴイチ」だって、上記のように、いったん解体を決めたものでも、「壊さないで」という電話やメールが30件ばかり届いたら、解体工事を中止したのです。
 原宿の本部会館は、生長の家人類光明化運動の記念建築物として遺されるとも聞いていましたが、御神像が山梨県の「森のオフィス」に移されることに決まったそうですから、御神像のない本部の「光明の塔」を遺してもあまり意味はなくなるので、取り壊されることになるのではないかと思われます。それは、取り返しのつかない、残念なことになるのではないでしょうか。
 「天地は過ぎゆかん。されどわが言(ことば)は過ぎゆくことなし」
 とイエスが言われた、「わが言(ことば)」すなわち神の言(ことば)である「まごころ」のあらわれとして歴史的建物を保存することであり、そのために費用がかかるならば、信徒の「まごころ」による献資を募っても、保存活動をしたら――と思いますが、皆さまはどう思われますか。

702復興G:2013/04/20(土) 10:36:24 ID:AB6RqYXc

>>700 :トキ様。

>>山梨県北杜市の市議会で、出席者が生長の家を激しく批判されていた点も、素直に受け取る必要はあると感じます。<<

――そんなことがあったのですか。存じませんでした。
具体的に、ご存じでしたら教えて頂けませんか?

703トキ:2013/04/20(土) 11:01:02 ID:DWumjrqI
>>702

 失礼をしました。北杜市土地利用審議会の間違いでした。御詫びして、訂正させていただきます。
申し訳ありませんでした。

北杜市土地利用審議会では布教活動をしない施設と宣言 (6980)

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1310

http://www.city.hokuto.yamanashi.jp/biz/machi/machi/pdf/20120614.pdf

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自分達のことしか考えていない (7016)
日時:2013年03月10日 (日) 09時20分
名前:童子

 議事録の末尾に、生長の家関係者が退出した後の委員の発言があります




 ・・・私も我慢をしていましたが、一言言わせていただきます。

 今の宗教法人の方々のお話には決定的な欠陥があります。

 あの人たちは宗教家ですが、分っていません。

 よく話し合いをしろ、ということの意味がわかっていません。

 この人たちは自分達のことしか考えていません。

 自分達のことのみで、物事を進めています・・・・。

704トキ:2013/04/20(土) 11:28:39 ID:DWumjrqI
>>703

 追伸すると、総本山の建立のときには、地元の議会が生長の家招致委員会を作った、という話を聞いています。

 審議会の委員の話を拝見すると、生長の家というよりも、宗教法人への警戒心があるみたいです。しかし、それを
考慮に入れても、地元の方々から歓迎されない姿勢は残念だと思います。

・・・・すみません、話がずれてしましました。

705復興G:2013/04/20(土) 13:38:30 ID:AB6RqYXc

>>703>>704 :トキ様。

上記、北杜市土地利用審議会の会議録は、前に私もプリントアウトしてよく読みました。(それはもう捨ててしまったようで、今手許にはありませんが)光明掲示板の「童子」様の投稿文には、少し誤伝達があると思いました。

議事録の末尾に、生長の家関係者が退出した後の委員の発言として、

>>今の宗教法人の方々のお話には決定的な欠陥があります。あの人たちは宗教家ですが、分っていません。よく話し合いをしろ、ということの意味がわかっていません。この人たちは自分達のことしか考えていません。<<

という
「あの人たちは宗教家です[が]、分っていません。」
のところは、会議録原文では
「あの人たちは宗教家です[から]、分っていません。」
となっていました。

で、「宗教家です[から]」というのは何を意味するのだろうかと考えて、その前後を見ますと、他の営利会社などがこの地に進出してきたときにはこういう(経済的?)利益、便宜を地元に与えた。生長の家もそういうことを考慮してほしいが、「宗教家だから」そういうことは分からないだろう、という意味にとれました。

自分たちの物欲的利益がほしいということなので、生長の家関係者がいる前ではあからさまに言えなかったのだろうと、私は思いました。

で、議長は「分かった。そういうことにも努力するから」という意味のことを言って、結局満場一致で承認された、というのが会議録であったと記憶しています。

物事は偏見や誤解をなくして正確に事情を把握することが必要だと思います。

706トキ:2013/04/20(土) 14:16:10 ID:DWumjrqI
>>705

復興G様

 貴重なご指摘、ありがとうございました。この点について、少し個人的な感想を申しあげます。

 例えば、長崎の総本山の団体参拝練成会では、最後に地元の土産物屋さんを集めて
参加者にお土産を買う時間をもうけています。生長の家宇治別格本山では、盂蘭盆供養大祭
のときに、地元の商工会の協力で盆踊りを開催しています。宗教法人はあくまでも地元から
見たら余所者ですから、地元の溶け込もうとしたら、その点の配慮は必要かと思います。

 聞く所では、今回の「森のオフィス」の建設にあたっては、清水建設だけが担当し、
地元の業者は関与していないみたいです。これは、技術的な理由によるものでしょうが、
地元の人達にしたら、東京の宗教法人が、東京のゼネコンだけで大きな建築をするのは、
理屈はともかく感情的に考えて、面白くないだろう、というのは想像できます。

 大きな工事になると、地元に有形無形の迷惑はかけるでしょうから、どこかで地元の
人にも還元する手法をとれば、と思いました。

 ただ、私の書き方は誤解をうむ表現でしたので、その点は反省し、お詫びしたいと思います。
今後ともご指導の程、お願いを申しあげます。

合掌 ありがとうございます

707復興G:2013/04/20(土) 15:17:58 ID:AB6RqYXc

トキ様

ありがとうございます。

「一切の人に、物に、事に行き届くべし」ですね。

ご意見、ありがとうございました。

708トキ:2013/04/20(土) 15:39:15 ID:DWumjrqI
>>707

 はい、その通りですね。今後きをつけます。

709a hope:2013/04/20(土) 15:48:29 ID:6kIbHHgs

みなさま こんにちは

誌友会での話題が原宿本部や森のオフィスのお話のようです。
それは、すでに教団を退会したわたしが積極的に発言するような内容ではないので発言を控えさせていただいています。

ですが、以前goroさまが『山梨に移転後の原宿本部を取り壊さずに、記念館のような形で信徒の交流の場として提供してくださる』、
というような情報をこの掲示板にお知らせくださったことを思い出したのですが、わたしの記憶違いでしょうか?

goroさまは最近書き込みされていないようですが、ご覧になっているようでしたらその件に関する情報をもう一度いただけるとありがたいです。

原宿本部や御神像の行方はたくさんの信徒の方々にとって、関心度はとても高いのではないでしょうか?
それなのに、この時期になっても、本部から信徒の方々に正確な情報が入らないというのは、
世間一般的に考えるととても不思議なことのような気がしますが…。

みなさんのご意見、ご感想をお待ちしています。

710復興G:2013/04/20(土) 17:03:42 ID:AB6RqYXc

>>709 :a hopeさま。

今日はお仕事でお出かけかと思っていました。

>>誌友会での話題が原宿本部や森のオフィスのお話のようです。<<

これは、web誌友会の本題ではありませんね。

本題は、『生命の實相』をテキストとして学び、「一人ひとりの法燈継承」を考えることでしたね。

本題に戻しましょう。

どうぞ、ご意見、ご質問など、何でもどしどし投稿をお願いいたします。

711a hope:2013/04/20(土) 17:28:50 ID:6kIbHHgs
>>710 復興Gさま

今日は、久しぶりにお仕事がお休みの土曜日なのです。
にお天気も悪いので家で子供たちとゆっくり過ごしていました。

原宿本部会館や森のオフィスのお話も、これからの「生長の家」にとってとても大切なお話だと感じています。
本題からはずれているかもしれませんが、お話する価値のある内容だと思います。

復興Gさま、みなさま、どうぞお話を続けてください。
わたしも、思う事があれば発言させていただきます。

712トキ:2013/04/20(土) 19:13:21 ID:DWumjrqI
 先日、たまたま借りた本に、医学博士の堀田忠弘先生の「身体はなんでも知っている」という
のがありました。内容は、従来の西洋医学だけの限界を説明すると同時に、「病気の原因は心
の不調和である」というもので、生長の家の信徒には珍しくない内容でした。ただ、この方の
場合、長年、西洋医学で患者さんの健康を維持しようとしていて、その限界を知ったという話
でした。

 こういう具合に、過去、谷口雅春先生が説かれて来た事が、一般の人の間でも受け入れられる
ようになってきています。逆に言えば、心の法則などは、生長の家以外でも勉強できる時代にな
ってきています。更には、戦後の時代には、愛国心が軽視されてきましたが、その中を谷口雅春先生
は断固、愛国運動を展開されました。現代では、憲法改正が現実の議題にあるまでに世論は変化して
います。

 しかし、谷口雅春先生の唯神実相論は、生長の家でしか勉強できない事であります。
皮肉にも、それが現代の教団で軽視されているのは、寂しい事だと思います。

 とはいえ、嘆いてばかりでは何もすすみません。戦争中、英語の授業が廃止されると、向学心の
ある人は、英語の教師の家へ通って勉強をしたとききます。一人一人の信徒が、生長の家の真理を
勉強するのは、誰も邪魔は出来ませんから、一人一人が真理を勉強する時期だとは思います。

713トキ:2013/04/20(土) 19:47:02 ID:DWumjrqI
 実は、生命の実相の第3巻を読んでいたのですが、p152にこういう事が書いてありました。

 「病気などはなんでもありませんが、病気の治ることなどよりも大切な家庭のなかの和解が
そこに成立した。神の教えいうものは愛の教えの和合の教えであるべきですから、家族の一人が
何教を信じたがために、父子互いに相争うようなことになる教えは、その教えそのものが本来
いかによくても、その教えを信じる人おのおのの理解に片寄りがあるからである、この片寄りが
とれて、本当の神がわかり、自分の生命の本当の相というものが解ってくると、人間はその生命
の実相において一体であるから、ひとりでに和合せねばならなくなる。」

と谷口雅春先生はご指導をされています。これを拝読すると、谷口雅春先生は、宗教を奉じた
ために争いになるのは、間違っている、と言われていると私は解釈をしております。

 それで感じるのですが、私は教団に会員ですが、教団内の雰囲気がたいへん不調和になったと
感じています。しかし、個人としては、そういう不調和な世界とは波長を会わさない事には
どうしたら良いか、思案中であります。


 さらに、読み進めますと、p154には、

A- ある宗教では、宗教を信じたがために家族仲たがいをさせたりすることがありますが、
  生長の家の教えは家族を互いに和合さす働きをするのが尊いことだと拝ませていただいて
  おります。「生命の実相」という合本聖典の書名も実に内容にふさわしい名前でございま
  すねえ。

谷口ー合本の書名は誌友から公募し、応募されたなかから神示に従って定めたものですが、
   あれは北海道の青木応倫氏の命名です。

とあります。聖典の書名でも、信徒の意見を聞かれたぐらいですから、よく信徒の意見を
聞かれたと私は考えています。その聖典をめぐって争いが起こった事は、谷口雅春先生
に本当に申し訳ないと感じます。また、命名者が自分ではない、と正直に言われる
谷口雅春先生の雅量の大きさにも感嘆します。

 どうも、とりとめもない事を書きまして、すみません。

714復興G:2013/04/20(土) 20:57:30 ID:AB6RqYXc

さて、テキストに帰りましょう。

テキスト『生命の實相』第3巻で、2番目に掲載されているのは、「万教帰一の神示」と称されている神示です。
この神示の冒頭に、次のように記されています。

≪ われに姿かたちがあるように云うものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である。われは霊性である、知恵である、愛である、生命である、われは如来である、われは一つにして多である。

 信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず、見えたる神姿は霊覚者の心識の所現にも非ず。そは、われ神通力によって、疑う者の蒙を啓(ひら)かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の神姿を示して、神の客観的存在を実証したに過ぎない。

 されど、本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである「われに神殿は不要である」と。われは神殿がないとて身の入れ場所に困るような神ではない。供え物も要らぬ。わが姿を見んと欲(ねが)うものは『生長の家』を読め。われは言葉である。わが言葉を盛る雑誌こそわが神殿である。この雑誌がひろがるのこそわが神殿の大きくなることである。≫

 と書かれており、『神ひとに語り給ふ』の中のご講義では、

≪「われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである」と、神示にありますが、これは神様とは如何なるものであるかということを示しているのであります。「われ」というのは神様御自身を指されたのであります。時々神の姿を見たと言う方がありますが、本源の神様には姿がないのであります。それを無相と謂(い)います。無相だからどんな相(すがた)もないのかと思うと、無相であるからどんな相でも現ずることが自由であるのであります。だから、神は無相にして無限相であるというのであります。

 現象界の相(すがた)のあるものはそういうように自由に姿を変ずるわけにはゆかんのであります。姿がないからこそ何にもさわりになるものはない、姿が限定されません。姿が限定されませんからどんな姿にも現れられるのであります。≫

と書かれていますから、今原宿の本部会館に鎮座されていて、まもなく山梨の方へ移転することになっている御神像は、「これこそが生長の家大神のお姿」というわけではない。「その一つの現れ」であるということですね。

 ですから、御神像が生長の家の本尊というわけではない。もしそうだったら、偶像崇拝になってしまいます。生長の家の本尊は人間の内に宿る、目には見えない宇宙大生命であるわけです。

 ならば、「御神像」にあまりこだわる必要はないわけですが――やはり一つの象徴として、造られたものはその心を大切に保存したい、ということでしょうね。

715復興G:2013/04/20(土) 21:06:36 ID:AB6RqYXc

「万教帰一の神示」には、つづいて

≪ われにすがた形はない。われは霊の海である。大海原である。すべての宗教(おしえ)流れ来りて吾れに入らん。吾れは完成する者である。われは「七つの燈台」に燈(ひかり)を点ずる者である。古道も、仏教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、すべての教え我に流れ入りて生命を得ん。

 われは大(おおい)なるものなるかな。すべての教えを呑吐(どんと)してこれに生命を与え、すべての相争う教えをその神髄に於いて握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を与え、すべてに栄養を与え、すべてを生かす地下水である。他の如何なる宗教をも誹(そし)らず批(う)たず常に讃頌(たたえごと)と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄めその神髄に燈(ともしび)を点ずる。

 あらゆる宗教がその神髄を礼拝して手をつなぐようにならねば此の現実世界の改造は完成せぬ。精神界が先きで現実界はその影である。元乱れて影完(まっ)たからず、宗教家よ、宗派争いをしている時ではない。
   (昭和六年四月五日神示) ≫

 とあります。そしてそのご講義(『神ひとに語り給ふ』)には

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

〔万教帰一の神示 ご講義〕

・・・・・・現象界のものは時間空間に限定されて形が各々異って独特の姿をしている。ところが、神様は姿かたちがないから無限の姿を持っておられるのである。また姿がないから一定の形の宮や神殿の中におらねばならぬことはないのです。それで「吾れに神殿は不要である」と書かれていて、神様のお宮や神殿みたいなものは宇宙の本体神たる生長の家の神様には要らぬことを示されたのであります。

 既に古くからの誌友の人は御存じの方が多いと思いますが、生長の家の「生」というのは縦に生(の)びるという意味の文字であります。「長」というのは横に「長く」延びる、即ち延長するということで横広がりの世界――「空間」を象徴しているのであります。

 縦につづいているのが「時間」である。時間は縦に心の世界で象徴されるのであります。吾々のいのちを、お父さん、お祖父(じい)さん、曾祖父(ひいじい)さんと縦に遡(さかのぼ)って行く。この遡って行くのは時間的にさかのぼってゆくのですね。吾々の現象的にあらわれている生命の本質は「時間」の持続で出来ています。その時間を象徴するのに、何の某(なにがし)家の系図とか何とかいう場合には、上から下へと縦に線を引いて、「時間」又は「いのち」の持続または継続をあらわすのであります。子孫から先祖に遡るという場合には下から上へと縦の線を引いて示します。こういうように、「時間」という観念は、吾々の心の世界で縦の連想を有(も)っているので、それで縦の線を以って仮りに時間を象徴的に表すのであります。

 さて十字を描きますと、此の縦に生(の)びる線が「時間」にあたるので、これが生長の家の「生」であります。「生」という字は、樹木が無限に生びるという意味が表されているのであります。楠でも杉の木でも老衰することなく無限にのびます。それで時間の無限持続を象徴して十字の縦の線があります。これは時間の無限持続――即ちつづきであります。

 それから「長」の方は空間的ひろがりであります。こうして十字は持続と広袤(こうぼう)――「つづき」と「ひろがり」――「時間」の続きと「空間」的広がりをあらわします。

 この「時間」と「空間」とが十字にまとまって、天球(あま)となり「家」を成します。その「家」即ち宇宙を形成しているのが生長の家であります。ですから、大宇宙全体のことを生長の家と言うのであります。そして「生長の家の神」というのは大宇宙の神という意味であります。別に「生長の家」という一宗一派の本尊の神というような他宗と対立するような神ではないのであります。

 宇宙の中に神様が生れたのではなく、神様の生命そのものの広がりが宇宙であります。

 「吾れは智慧である、生命である、宇宙である」と「新天新地の神示」 中に書かれてありますが、宇宙そのものが神様であるわけです。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 とあります。
 ここは、とても大切なところであると思います。

716復興G:2013/04/20(土) 21:34:11 ID:AB6RqYXc

 現象界のすべてのものは、時間と空間というスクリーン上に映し出された映像(かげ)であって、本来無である。

 地上のすべての宗教というのも、現れたすがたは映像(かげ)であって、無でありますね。

 しかしながら、

「宇宙の中に神様が生れたのではなく、神様の生命そのものの広がりが宇宙であります。」(神示ご講義)

という、時間・空間をも生み出された本源の神は、映像(かげ)ではない。影を映し出している第一原因者であって、現象界の一切の対立を超えている。それを「絶対者」という。

すべての宗教は、この「絶対者」なる神(仏)において本来「一」であるから、「万教帰一」となる。

映像(かげ)にすぎない現象のコトバを比較して共通点を見出し「万教帰一」を見出そうとしても、それは不可能であって、「時間・空間がまだ現れない、その元のところ」すなわち「久遠の今」に立ち、「久遠の今」にこそ「アブラハムの生まれぬ前(さき)より吾はあるなり」と言い、黙示録では「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く」と言った「永遠のキリスト」の命があり、「天上天下唯我独尊」と言った釈尊の命があり、「自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ」(自伝篇)とおっしゃっている谷口雅春先生の御命があり、自分もまたその永遠の生命がわが本体であると知るとき、はじめて「万教帰一」が成り立つのだと思います。

717復興G:2013/04/20(土) 22:59:36 ID:AB6RqYXc

では、皆さま、また明日がありますから、今夜は少し早いですが、私は寝ませて頂くことにします。

おやすみなさい。

718トキ:2013/04/20(土) 23:29:22 ID:DWumjrqI
>.717

復興G様、ご指導、ありがとうございます。皆様、ご投稿をお願いいたします。

719トキ:2013/04/20(土) 23:33:40 ID:DWumjrqI
>>714

復興G様


>.ですから、御神像が生長の家の本尊というわけではない。もしそうだったら、偶像崇拝になってしまいます。生長の家の本尊は人間の内に宿る、目には見えない宇宙大生命であるわけです。
>>ならば、「御神像」にあまりこだわる必要はないわけですが――やはり一つの象徴として、造られたものはその心を大切に保存したい、ということでしょうね。


 どのテープだったか失念をしたのですが、谷口雅春先生が、ご講話のテープで、「実相直視は大切だが、人間の世界で生きる以上、ある程度の人間味というのも大事だ」と
言及され、
 「母親が死んだときに、笑い乍ら、”あれは死んだんじゃないのだ、御月さんが欠けたのと同じだ”(場内、爆笑)と言ったら、おかしいでしょう。」

と言われた事があったと記憶しています。(最近、記憶力が落ちて、もし、間違いだったら、ごめんなさいです。)

 もちろん、ご神像は本尊ではないのですが、人間の気持ちとして、ご神像にこめられた誠意を大事にするのは人間として、当然だと思います。

720復興G:2013/04/21(日) 08:57:16 ID:AB6RqYXc

おはようございます。

>>719 :トキ様
ありがとうございます。

皆さま、ありがとうございます。

私は、只今『[類纂]神の真義とその理解 住吉大神顕斎の意義』(谷口雅春先生著・生長の家本部編)などの資料を丁寧に読み返し、

「生長の家とは」
「生長の家の本尊・主斎神とは」
「七つの燈台の点燈者」とは
「生長の家大神」・「住吉大神」とは
「人間とは」・「自分とは」

といったことについて、簡潔に的確に叙述してみたいと思い、勉強中であります。しばらくお待ち願いたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
合掌

721a hope:2013/04/21(日) 10:26:56 ID:6kIbHHgs
復興Gさま トキさま みなさま

おはようございます。
昨晩、復興Gさまが「万教帰一の神示」とそのご講義(『神ひとに語り給ふ』より)をUPしてくださったので、
それに関して何か投稿しようと思ったのですが、この「万教帰一」は「生長の家」の教えの神髄であって、
とても高度な内容だと感じているので、なかなか、どのようにコメントしていいのか考えあぐねていました。

ところで、『神ひとに語り給ふ』は確か絶版になっている聖典で、購入することはできませんでしたが、
ありがたいことに、光明掲示板でコスモスさまが内容をすべて謹写してくださっています。
それを、伝統さまが『神示』集というスレッドに紹介され、さらにポイントをまとめてくださっています。
お二人のご愛念に心から感謝して、こちらでも紹介させていただきます。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1177  『神示』集

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=416 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 「万教帰一の神示」

わたしは昨晩、こちらを拝読させていただいたり、また、以前のweb誌友会で「七つの燈台の点燈者」と「生長の家大神」「住吉大神」との関係を、
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)さまや復興Gさまや他の投稿者のみなさまが話合われていたのを思い出し、それを探して拝読しなおしたりしていました。
そちらの方は、トーキングステックボードの>>1376あたりから、みなさんのお話が始まっています。
>>1393 >>1398〜 で復興Gさまが、お答えくださっていました。

ちょうど1年前になりますが、その当時、わたしにはそのお話はほとんど理解できませんでしたので、
まったくコメントしていませんが、今拝読しなおすと以前よりずっとよく理解できますし、とてもお勉強になる内容だと感じています。

「生命の實相」には、たくさんの神さまが登場されているので、きちんと「教え」を理解していないと混乱してしまいます。
>>720で、復興Gさまが『簡潔に的確に叙述』してくださるとおっしゃっています。

本当にありがたいです。
復興Gさま、どうぞよろしくお願いいたします。

722トキ:2013/04/21(日) 13:17:16 ID:aGc6KgHM
>>720

 早速のお返事、恐縮しております。暖かいご愛念に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

723復興G:2013/04/21(日) 14:27:51 ID:AB6RqYXc

>>721 :a hope様。

反応が遅くなって、すみません。

>>『神ひとに語り給ふ』は確か絶版になっている聖典で、購入することはできませんでしたが、ありがたいことに、光明掲示板でコスモスさまが内容をすべて謹写してくださっています。<<

それは、ありがたいことですね。
私も全文アップできるように用意はしていましたが、その一部ずつしか掲示はしていませんでした。

>>以前のweb誌友会で「七つの燈台の点燈者」と「生長の家大神」「住吉大神」との関係を、ユタカ(なせば成る我ハ神の子)さまや復興Gさまや他の投稿者のみなさまが話合われていたのを思い出し、・・・<<

ありがとうございます。

私も、その「トーキングスティック板」と、第1回WEB誌友会が開催された当時の「部室板」を読み返してみて、よく書かれているなと、感心しています(笑)。
ユタカ様が、『生命の實相』第1巻巻頭になぜキリスト教の「黙示録」が出てくるのか? またその「七つの燈台の点燈者」は住吉大神であると言われるわけは? といった質問を出され、それにお答えしたものでした。

私は、「光明掲示板」に書かれている中村晃生氏の「マサノブ教批判」シリーズに、「ご神像」のことも出てきましたので、最初から全文をダウンロード、プリントアウトして読み、それに対し同意できるところと反論すべきところを書いてみようとしていました。

そのことにも関連しますので、まずは、前記の<七つの燈台の点燈者 即 住吉大神>ということについての投稿文を、再録させて頂きましょう。

 まず、ユタカ様のご質問です。

          ○

[質問]:『生命の實相』第1巻巻頭に

<我振り反(かえ)りて我に語る声を見んとし、振り反り見れば七つの金の燈台あり。また燈台の間に人の子のごときものありて足まで垂るる衣を着、胸に金の帯を束ね、その頭(かしら)と頭髪(かみのけ)とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は炎の如く、その足は炉にて焼きたる輝ける真鍮のごとく、その声は衆(おお)くの水のごとし。その右の手に七つの星を持ちその口より両刃(もろは)の利(と)き剣(つるぎ)いで、その顔は烈(はげ)しく照る日のごとし。我これを見しとき其の足下に倒れて死にたる者の如くなれり。

彼その右の手を我におきて言い給う。「懼(おそ)るな、我は最先(いやさき)なり最後(いやはて)なり活けるものなり。われかつて死にたりしが、視よ世々限りなく生く。また死と陰府(よみ)との鍵をもてり。されば汝が見しことと今あること、後に成らんとする事を録(しる)せ。すなわち汝が見しところの我が右の手のある七つの星と七つの金の燈台との奥義なり。七つの星は七つの教会の使いにして、七つの燈台は七つの教会なり。(黙示録第1章、12節―20節)>

とありますが、生長の家は神道なのに、なぜ聖書が一番先に書かれているのでしょうか? これを質問したいです。

          ○

というご質問でした。

724復興G:2013/04/21(日) 14:46:02 ID:AB6RqYXc

>>723のつづきです。

[回答]
 『生命の實相』第1巻の冒頭に『黙示録』が引用されているのは、生長の家の大神は「七つの燈台の点燈者」すなわち『(ヨハネの)黙示録』に記されいる、永遠のキリストであるからであります。それは、次のページに「『七つの燈台の点燈者』の神示」として「大調和の神示」が掲げられておりますが、その「七つの燈台の点燈者」とは何者であるかを明らかにするため、その前に掲載されているのであります。

 「大調和の神示」に、

 「われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である」

 という言葉がありますが、これは新約聖書「マタイ伝」第5章23節〜26節にある、イエス・キリストの言葉を指しています。すなわち――

●「汝もし供物を祭壇にささぐる時、そこにて兄弟に怨まるる事あるを思い出さば、供物を祭壇の前に遺しおき、先ず往きて、その兄弟と和睦し、然るのち来りて、供物をささげよ。汝を訴うる者とともに途(みち)に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴うる者なんじを審判人(さばきびと)にわたし、遂になんじは獄に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りなく償わずば、其処をいづること能わじ」

 と、イエスは言っているのであります。

 ですから、「大調和の神示」の「われ」とは、嘗てイエス・キリストとしてあらわれ教えを説いた者であるわけです。その「久遠のキリスト」が、生長の家大神であるということであります。

 このことは、『神ひとに語り給う』(神示講義「教」の巻)の中の「新天新地の神示」ご講義(p.39〜98)および「完成(ななつ)の燈台の神示」ご講義(p.232〜242)に書かれております。
(それは、この板の >>662>>663>>664に謹写掲示されています)

黙示録の「われ」というのはヨハネ伝及び黙示録の筆者であり、イエスキリストの弟子の使徒ヨハネのことであります。ところで、ヨハネに現れて黙示(啓示)を授けた永遠のキリストなる七つの燈台の点燈者が、なぜ住吉大神であるのか、ということであります。それは――

現象界のすべてのものは、四次元時空間の中に、相対的に展開されたものであります。四次元時空間と申しますのは、タテ・ヨコ・厚みの三方向のひろがりをもつ場が三次元空間であり、それにもう一つ時間という別次元のひろがりを加えた、生命表現の舞台が四次元時空間であります。ここに表現展開されたものはすべて相対的に現れており、そして、始めがあり終わりがあります。誕生した時・場所があって、死滅する時・場所があります。個別人間には皆誕生日があって、死ぬ時が来ます。

しかし、実は、この現象界は、四次元時空間というスクリーンに映し出された映画のようなものであります。その中に肉体をもってこの世に誕生したわれわれは、その四次元時空間というスクリーンに映し出された映画なる現象という世界で、その映画を見るための、五官という感覚器官を備えておりまして、その映画は仮のすがた、映像(かげ)であるにもかかわらず、影とは思わず、本物だと信じております。したがって生命は時空間の中に誕生しやがて死滅するものだと思っております。

しかし、あにはからんや、実は、映画を映しているスクリーンなる四次元時空間そのものをも創り出したのが、生命なのであります。すなわち生命は時空間の中に誕生したのではなく、時空間というスクリーンを作り肉体という表現身をもその中に現しだした主人公なのであります。それが、現象以前の、現象を超えた真理なのであります。

そのことを「永遠の真理」と申すことにいたしましょう。

この「永遠の真理」を自覚し、自由自在な生命(たましい)の解放を得たのが、釈迦でありキリストであり、天才的な哲人、宗教家、高僧などであったのであります。

また、わが日本人の祖先は、直感的にこの真理を自覚し、それを神話物語の形で伝承してきたのであります。それを、奈良時代天武天皇の命で、語り部の稗田阿礼という天才的な記憶力の持ち主が口述し太安萬侶が書き記して、712年(和銅5年)推古天皇に献上したとされているのが、日本古典の「古事記」であります。
<つづく>

725あさひ:2013/04/21(日) 14:57:16 ID:/3nxKE2Q
復興G様のお考えに賛成いたします。

>「本部会館を(耐震補強をして)創建当時に復原、保存を!」
ということが、最もよいことであろうと、私は思います<。

是非そうなって欲しいです。地方では当時の本部は竜宮城のような存在でした。

    合掌

726復興G:2013/04/21(日) 15:04:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>

さて、「黙示録」でヨハネに現れた「人の子の如き者」すなわち永遠のキリストは、「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。」と言っております。

これは、肉体イエスは33歳で磔にかかって死んだと見えるけれども、生命の本体は時空間を超えて時空間をも創り出したもの、すなわち父なる神と一体なるものでありますから、死んでいないのであります。だから自由自在に復活してヨハネにあらわれ黙示(啓示)を与えることが出来たのであります。それで「死と陰府(よみ)との鍵を有(も)てり」――生死の鍵を握っている者だと言っているのであります。

では、住吉大神とは何者であるかと言いますと、古事記神話の中で、天照大御神様がお生まれになるに先立ち、宇宙浄めの神として、水と塩(霊)とを以て浄め給う龍宮海の神様として現れられた、上筒之男神(うわつつのおのかみ)、中筒之男神(なかつつのおのかみ)、底筒之男神(そこつつのおのかみ)と言われる三柱の神様を一体として総称し、住吉大神(すみのえのおおかみ、俗称すみよしの大神)と申しており、これが生長の家大神であると言われているのであります。

住吉大神は其の後同書に塩椎神(しほつちのかみ)又は塩椎翁(しほつちのおじ、日本書紀・神武天皇の巻)として現れ、天孫(てんそん、天照大神の御孫)ニニギノミコトの御子で皇統を継承される火遠理命(ホオリノミコト)――またの名を彦彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、山幸彦)と申し上げる――が兄君から借りた釣り針を魚に取られて海辺で泣いておられたときに、ミコトを龍宮海にお導きして、失われた釣り針を取りもどし、美しい豊玉姫と結婚なされるようお導きをされております。

神話は、真理の象徴物語であります。

龍宮は海の底にあると言われておりますが、それは創造(ウミ)の根底(ソコ)すなわち、現象世界の一切のものを表現展開して映し出しているスクリーンであるところの時空間をも創造した、創造の根底の本源世界を象徴しています。そこにはあらゆる一切のものが備わっており、喪失ということのない世界でありますから、失われた釣り針も出てきたのは当然なのであります。

この龍宮海にお導きするとき、塩椎(シホツチ)翁、塩椎神すなわち住吉大神は目無堅間(めなしかつま)の小舟に乗せ奉ったとあります。目無堅間とは、時空間の目盛がない、すなわち時空間を超えている、時空間をも創造した根底の本源世界へお導きする船ということを意味しているのであります。

それで、「終戦後の神示」には

「われは七つの燈台に火を点ずる者である。われは白髪の老翁である。白髪とは久遠永劫よりつづく無量寿の象徴である。われは彦火火出見尊が魚(な)釣らす鈎(つりばり)を失い給ひて憂ひ泣きたまふ海辺に来りて、尊(みこと)を龍宮海に導きたる塩椎神(しほつちのかみ)である。塩椎神とは水(し)火(ほ)土(つち)之神の謂(いひ)である。霊は水火土と顕れ、一切のものは水火土から生れたのである。

 われは霊の海、創造の神である。水即ち『おしめり』と、火即ち『ぬくもり』と『土』の働きとがあって万物は生ずるのである。黙示録には『われはアルファなり、オメガなり、生と死との鑰(かぎ)を持てり』と録(しる)されてゐるのがそれである。

 われを単に海の神だと思ふな。龍宮海の神の如くあらはれてゐるのはウミ(生み)の象徴であり、龍宮無限供給の神のシンボルである。われは一切の創造(うみ)の神であるから無にして無尽蔵である。」

とあるのであります。
<つづく>

727復興G:2013/04/21(日) 15:11:18 ID:AB6RqYXc

<つづき>
神話は真理の象徴物語であり、この古事記神話は、黙示録に書かれた白髪の老翁のなる永遠のキリストが、「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。」と言っている真理と同じ真理を、別の形で表現されているものと言えるのでありまして、それ故に谷口雅春先生は、この「『ヨハネ黙示録』にあらわれた老翁のキリストが、住吉大神と一体である」とおっしゃっているのであります。と、私は理解させていただいております。

イエス・キリストが「真理は汝を自由ならしめん。汝は真理を知らざるべからず」と言った「真理」というのも、この真理であります。時空間を超えた永遠生命を自覚し、創造の根底世界即ち生命の実相に立てば、本当の自由自在を得て、限りない歓びをもって使命に邁進する事ができるということであります。

それで谷口雅春先生は「永遠(とわ)に国護り給わん」で

<まことに住吉本宮の「顕斎」とは、眠っていた実相の魂が、その眠りから目醒めて、自己が“神の子”であるということを開顕する、そしてその開顕された実相の誠実さが現実生活にあらわれる「新生」でなければならないのであります。
わたしは日本国民のすべてが住吉本宮の建立を契機としてその誠実を結集して、自己を「神の子」として礼拝し、住吉大神の分身として宇宙浄化の、そしてその浄化の中核体たる日本国浄化のために起ち上がり、単に「主よ、主よ、神よ、神よ」と呼ぶ者たるに留らず、神の御心を行ずる者となって下さることを希(こいねが)わずにはいられないのであります。>

とおっしゃっているのであります。この「眠っていた実相の魂が、その眠りから目醒めて、自己が“神の子”であるということを開顕する」というのは、永遠のキリストと一体なる、龍宮無量寿・無限供給の本源なる住吉大神とわれは一体である――という限りない歓びをもって、宇宙浄化の使命実現に邁進せよということだと思います。先生は、「住吉大神の分身」どころか「住吉大神の全心全霊」として起て、ともおっしゃったのであります。

その使命というのは、「国土安泰、万民泰平を謳歌し、天照大御神の御稜威(みいつ)六合(りくごう=くにのうち)に照り徹りて、神武天皇建国の御理想は実現せられ八紘(八方の荒れた国々)は一宇(いちう=ひとつの家の家族)となり、永久平和の世界連邦の理想達成を期するということであります。
<つづく>

728復興G:2013/04/21(日) 16:15:57 ID:AB6RqYXc

<つづき>

さて、『生命の實相』第1巻巻頭の「黙示録」について、次のような谷口雅春先生のご教示も掲示されていました――

          ○

≪ 『生命の實相』第一巻の開巻冒頭に、“はしがき”よりも、目次よりも、尚、その前の頁に、新約聖書の『黙示録』の第一章にある白髪の翁の姿をもってあらわれた「久遠のキリスト」の姿が描写されているのである。

 「何故、生長の家はキリスト教ではないのに、キリスト教聖書の一節を、『生命の實相』第一巻の“はしがき”よりも目次よりも尚前に引用して提出してあるか」といいますと、白髪は久遠の表象であり、キリスト教に於いては“生長の家の大神”は白髪の久遠神(ユダヤ人のイエスではない)としてあらわれていられるからであります。その白髪のキリストの御姿の描写の中に「その口より両刃の利き剣出で」と示されている。

 これは真と偽とを別ち美と醜とを分別し、善悪を審く、最後の審判の神剣なのである。善悪・美醜を審判する“秩序の智慧”が神であり、その神剣によって悪は切り棄てられ、偽は葬られ、本来無いのに姿をあらわしている病その他一切の醜きものは切り棄てられて地獄の火の坑に投げ入れられ焼きほろぼされて、真なるもの、美なるもの、善なるもののみがそこに住吉の世界が地上天国として姿をあらわすのであります。

 もし、この真と偽とを分ち、真なるもの、善なるもの、美なるもののみを顕わし、これに反するものを切り棄てるハタラキが発動しなければ天地は完成しないのであります。

 この真偽を分ち、美醜を区別し、善悪を審判するはたらきによって、天地は一新するのである。『黙示録』第二十一章にはこの事が明らかにされている。

 『我また新しき天と新しき地を見たり、これ前の天と地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。我また聖なる都、新しきエルサレムの夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神の許をいで、天より降るを見たり・・・見よ、神の幕屋、人と偕(とも)にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在(いま)して、かれらの目の涙をことごとく拭い去り給はん。今よりのち死もなく、悲嘆も、号叫も、苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり・・・斯くて御座に坐し給ふもの言ひたまふ「視よ、われ一切のものを新たにするなり」....』

 これが、“両刃の剣(もろはのつるぎ)”のはたらきであります。“剣(つるぎ)”は“片無”(かたな=刀)ではないのであって、敵を切るために、敵に向う一方にのみ刃がついていないで、自分に向う側にも刃がついていて、真ならざるもの、美ならざるもの、善ならざるものがあれば自分を切るのが、剣のハタラキであります。これが地上に平和をもち来らし、最後の審判によって、新しき天と地とをもち来たす住吉の世界を創造する神剣のはたらきである。

(生長の家誌 昭和53年11月号 谷口雅春先生)≫

          ○

 それで、次のようなご質問もありました。

[質問]
>いっぽうで、眞と偽を分ける(キリスト教)と 悪はない と浄化する住吉大神様と 違うような気がします。<

[回答]
「眞と偽を分ける」というのは「“最後の審判”に就いての神示」に出てくるお言葉でしょうか。

≪『虚妄(にせもの)の汝』は神より出ずるにあらず、神より出でざる汝は実在にあらず、実在に非ざる汝はその真相を暴露して消滅せん。わが臨(きた)れるは『真』と『偽』と、『実在』と『虚妄(こもう)』とを選(よ)り別けて、『偽』と『虚妄』とを永久に非実在(じごく)の中に葬りて封印を施さんがためである。≫
<つづく>

729復興G:2013/04/21(日) 16:17:10 ID:AB6RqYXc

<[回答]のつづき>

ここは、やはりそのご解説(『神ひとに語り給ふ』)で

≪…すなわち超越内在的意味に於ける“キリストの再臨”による“最後の審判”は、本来無いところの「虚妄(まよい)」の無を「無」として判決宣告して、永遠に出て来られない世界に堕獄し、本来人間の実相たる「完全人間」を実在なりと判決宣言して、それを如実にあらわすところの審判でありますから、「吾が宗教(おしえ)は恐怖の宗教にあらず、虚妄を焼かるる者は却って生き、暗黒を焼かるる者は却って光をあらわさん。病は癒され、悩みは消えん」とあるのであります。
「焼かるる者は『汝』にあらずして『虚妄の汝』であるからである。『虚妄の汝』は神より出ずるに非ず、神より出でざる汝は実在にあらず」と示されております通り、「病んだり、悩んだりしている汝」は、真に実在するのではなく、夢の中の人物のようなもので、「本来無い」のであります。
本来無い「悩みの人間」「病める人間」が、「私はこの通り存在します」と、感覚面に訴えて控訴しているのであります。「真理の光」に照らして、「汝らは、神より出でざるが故に、如何に実在の仮面を被るとも実在にあらず」と、最後の最高裁判所的裁決を下すのが、真理の再臨による「最後の審判」なのであります。≫

とありますから、やはり「眞と偽を分ける(キリスト教)と 悪はない と浄化する神様と」は、一つの同じ神様である、ということになりましょう。

          ○

 次のような質問(問題提起)もありました。

 「住吉大神」は第一義の神(創造神)ではなく、第二義の神(応現神)である。ということは「現象に悪を見た神」になるのではないか。
 新羅が攻めてきて、日本が滅びるか、潰れるかというような国家の一大危機に当たっていた当時、神功皇后様は住吉大神に戦勝の祈願をなさった。

 だから、榎本恵吾先生は『弟子像』79頁に

 「住吉大神の前には浄化しなければならない宇宙がすでにあり、観世音菩薩の前には色々な姿にあらわされるべき救いの対象が既にあり、久遠のキリストの前にもやはり、救わるべき死と黄泉(よみ)との間をさまよっている人間があるのである。すでにあるものに対している神はすでに最始源の神であるということは出来ないのである。

 これら応現神として現れられる神はすべて、最始源の神を指し示さんとして、われわれの前に現れ給うのである。そして、最始源の神へと上昇することこそが、その愛(応現神)にお応えする道なのである。それは全宗教の全説法をわがものとする道なのである。」

 と書かれている――と。

 それに対する回答です。

          ○

 『弟子像』79頁前後のご文章ですが、そこで言われていることの中心は、以下の所であると思います。

(谷口雅春先生が)
『神真理を告げ給う』の補章において「あなたが信ずる神は“絶対者”でなければならぬ」として、

<神が宇宙を創造するのに、何らかの材料をもって、例えば素粒子とか、水素原子とか、中性子とかいうものを材料としてそれを組立てて宇宙を創造したというのであれば、宇宙の最初に、神が創造しないところの、神以外の材料又は材質が存在したということになるのである。そして、それは神なる絶対者以外に、何ものか“材料”となるべきものが存在したということになるのであるから、そんな“神”は既に“絶対者”という資格がない――即ち、“創造る者”とその“素材となる物”とが相対する別個のものとなるから、そんな“神”は絶対者でなくて“相対者”だということになるのである。相対者は、“相対するもの”との関係に於いて、それ自身の働きが制約されることになるから全能者ということは出来なくなるのである。>(谷口雅春著『神真理を告げ給う』159〜160頁)

 と語られていること。ここが一番大切なところであると思います。
<つづく>

730復興G:2013/04/21(日) 16:33:50 ID:AB6RqYXc

<[回答]のつづき>

 「住吉大神は第二義の神で、創造神ではない」というのも、ちょっと語弊があります。

 『実相研鑽』第一集p.246以下にも、谷口雅春先生は次のようにおっしゃっています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪“絶対”の中に一切のものがあるわけですから、……宇宙の大神、創造の大神、そのまま、塩椎大神、住吉大神と、いうことになっているわけです。……

 住吉大神は、その現われの面から言えば、応化神ということになって、「第二義の神様」と分類できるのですけれども、第二義というものは、第一義とはなれて、第二義があるんじゃなくって、第一義の中に第二義が包まれていて具体的な救済をのべるためにあらわれて来られるのであって、第一義の神だけで、じっとそれが無相にして、法身で、宇宙に充ち満ちていて、動かないだけでは、何の役にも立たんのでありますから、そこに具体的に救済の手をのべる働きとして人格神としてあらわれられたのが「観世音菩薩であり、キリストであり住吉大神であります。

 ――こういう意味で生長の家の神様の出現ということは、この絶体絶命の瞬刻限に於いて、この時、この日本という場所に於いて、またこの日本人という民族に於いて、現われなければならないという、そういう時と場所と人との三相応に於いて、出現して来たというのが、生長の家の人類光明化運動である。そして住吉大神となり、あるいは塩椎大神として出現せられる場合に、それは「全てを生み出す」「生みの底」(海の底)の大神という働きになっている。

 これを神話は住吉大神を龍宮の大神としているのです。「海の底」とは創造の根底世界のことであります。

 天地創造というのも結局「生み出す」こと、創造である。すなわち塩椎というのは水と火と土という陰陽ムスビの御働きによって一切を生みだすところの御働きを指すわけで、いよいよ第二の天之岩戸開きで天照大御神を現実世界に生み出して、地上に永久平和の世界を打ち建てるために、その産み出しの出口を浄化する働きをなきるのが「住吉大神」で、これは天照大御神御誕生の直前に出現し給うよう『古事記』に書かれているわけです。……

 皆さんはある意味では、すべて住吉大神であるのです。これは聖書の「ヨハネ伝」にあるところの、キリストが言われた言葉の「我ゆきて汝らに来るなり」というのに当るわけであって、すべての人間にはキリスト教的に言えば、内在のキリストが宿っているのである。また内在の「住吉大神」が宿っているのであるといえるわけであります。……

 我れ出でてこの世の中を救わずんば、救う人はないんだ」という、そういう強烈な自覚をもって各自の聖使命を遂行せられんことを希望し、皆さんに、非常に嘱望するわけであります。ありがとうございます。≫

 と。、「第二義の神」は「第一義の神」とは別である、と見るのは あらわれの面を見るからであって、実は、「別のもの」ではない。そのことを、谷口雅春先生はわかりやすく、次のようにご教示くださっています。

<一個の人間にたとえてみれば、谷口が口でしゃべっているとき、口だけがしゃべっているように見えても、口だけの働きではないわけである。第三者から相対的に見て口という部分だけを見たら、口だけがしゃべっているということにも見えるけれども、それは、そういうような面から見るから、そう見えるだけのことであります。

 ……法身即応化神ということになるわけです。そうですけれども、人間はどうも、区別して線を引いて分割したがる。(笑声)そうして、その“絶対”と“現象”とでも、それを区別するために、すじをひいて、別のようにしたがるけれども、“絶対”の中に一切のものがあるわけですから、線は、われわれが現象的に理解するために、仮にひくだけのものであって、(根本は)すじも何もなしに、宇宙の大神、創造の大神、そのまま、塩椎大神、住吉大神と、いうことになっているわけです。>
(『実相研鑽』より)

<つづく>

731トキ:2013/04/21(日) 16:45:30 ID:h3tvbvmA
復興G様

 素晴らしい内容だと思いました。感激しました。少しお返事が遅れますが、また、投稿を
させていただきます。ありがとうございます。

732復興G:2013/04/21(日) 17:19:46 ID:AB6RqYXc

<つづき>

なお、>>729

≪ 「住吉大神」は第一義の神(創造神)ではなく、第二義の神(応現神)である。ということは「現象に悪を見た神」になるのではないか。
 新羅が攻めてきて、日本が滅びるか、潰れるかというような国家の一大危機に当たっていた当時、神功皇后様は住吉大神に戦勝の祈願をなさった。≫

 ――ということに関して補足です――

 神功皇后が三韓征伐のとき住吉大神にお祈りなさった際、塩椎神(しほつちのかみ)から賜った潮干珠(しおひるのたま)と潮満珠(しおみつのたま)を出して祈られる。

 そのとき、海に潮干珠を投じられたら潮が引いて、新羅の軍艦はみな横倒しになってしまった。そこへ潮満珠を投じられたら潮が満ちて、新羅の軍艦はみな水没してしまった、ということになっています。

 この物語の意味を霊感的に解釈された谷口雅春先生のご教示が、

「三韓征伐とは、老病死の三奸(かん)の克服の象徴物語である。住吉大神(すみよしのおおかみ)が龍宮の大神であり、無量寿仏のあらわれである以上、老病死の三奸(かん)を克服せられたことは当然のことでなければならない。」

と、『生命の實相』第37巻 幸福篇上(P.48~P.50)に書かれているのであります。

三韓征伐の三韓とは老病死の三奸で、潮干珠とは、そういう悪はない、敵はないと現象を否定する言葉(魂)であり、潮満珠とは、「善のみ実在」と実相を肯定する言葉(魂)である。

ですから、質問者の

>(住吉大神は)「現象に悪を見た神」になるのではないか<

 というのは、現象に「悪はない」と否定して浄める神、というのが正しいのではないでしょうか。

733a hope:2013/04/21(日) 18:34:39 ID:6kIbHHgs
復興Gさま

<七つの燈台の点燈者 即 住吉大神>ということについての過去の投稿文を
再掲載してくださりありがとうございます。

とても読みやすいです。

ユタカさまや、金木犀さま、志恩さまなんかもご覧になっているでしょうか?
また、掲示板で昔のように真理のお話ができたら、とてもうれしいです。

それに今、本流対策板/5でもみなさんが生長の家の神さまについてのお話をされているみたいですね。

どうぞ、みなさま、こちらのweb誌友会にもご参加くださいね!

734a hope:2013/04/21(日) 18:44:35 ID:6kIbHHgs
>>725あさひさま

復興Gさまの投稿に埋もれてしまいましたが、投稿ありがとうございます

再掲載させていただきますね。


725 :あさひ:2013/04/21(日) 14:57:16 ID:/3nxKE2Q復興G様のお考えに賛成いたします。

>「本部会館を(耐震補強をして)創建当時に復原、保存を!」
ということが、最もよいことであろうと、私は思います<。

是非そうなって欲しいです。地方では当時の本部は竜宮城のような存在でした。

    合掌


原宿本部会館が、今後、復原・保存されて、地方の信徒の方の交流の場となったら、
わたしもとても素晴らしいと思います。
図書室(もちろん生長の家関係の本を中心に集めた)なんかもあったら、どんどん利用させていただきたいです。

みなさま、こちらの話題にもコメントをお待ちしています。

735a hope:2013/04/21(日) 19:01:01 ID:6kIbHHgs

当時のトーキングスティックボードには、訊け管理人さまやうのはなさま、さくらさまはもちろんですが、
ほかにも如月さま、春らんまんさま、山本富士子さま、ももんがさまなんかの名前もあって、本当に懐かしいです。

わたしは、みなさまに本当にいろんなことを教えていただきました。
この掲示板は、他の板にもたくさんの素晴らしい書き込みがあります。

トキさま、みなさま、本当にありがとうございます。

合掌。



感謝の気持ちで

736a hope:2013/04/21(日) 19:03:14 ID:6kIbHHgs
>>735 下の2行は、打ち間違いです。
失礼しました。

737復興G:2013/04/21(日) 21:31:23 ID:AB6RqYXc

あさひ様、トキ様、a hope様。

レス、ありがとうございます。

皆々さま。

今回はテーマが少し難しいと感じられたのでしょうか、ほとんど私の独演会みたいになっていますが、どうぞご遠慮なく何でもお書き込みください。

さて、>>720で私は、

>>只今『[類纂]神の真義とその理解 住吉大神顕斎の意義』(谷口雅春先生著・生長の家本部編)などの資料を丁寧に読み返し、
「生長の家とは」
「生長の家の本尊・主斎神とは」
「七つの燈台の点燈者」とは
「生長の家大神」・「住吉大神」とは
「人間とは」・「自分とは」
といったことについて、簡潔に的確に叙述してみたいと思い、勉強中であります。しばらくお待ち願いたいと思います。よろしくお願い申し上げます。<<

と書いておりました。が、まだできておりませんでした。

それについて、「簡潔に的確に」 書いてみようと思います。

   * * * * * * * * * * * * * * * * *

1. 「生長の家」とは何か。
  それは、自分の「いのち」のことである。
  (榎本恵吾先生にならいました)

2. 「生長の家の本尊・主斎神」とは何か。
  それも、自分の「いのち」である。

  ≪(『叡智の断片』49頁〜より)
    自性円満の自覚
 汝若し能(よ)く念々の馳求(ちぐ)の心を歇得(かつとく)せば便(すなわ)ち祖仏と別(こと)ならず。汝祖仏を識ることを得んと欲するや。汝、面前、聴法底(ちょうほうてい)是なり。(臨済録)

 悟りというものは、一切を外的原因だとして、責任を外に負わしていた者が、一転一切の責任は自己にありと、脚下照顧、自己に反照して、一切万事吾より出でて吾に還ると知ることである。

 外に神を求め、社殿に廟宮に寺院に教会に跪(ひざまず)いて、此処に神仏があり自分を不幸にも幸福にもする力ありと思っていた迷信から一転して、汝の祖師、釈迦仏もキリストも汝の内にあり、功徳の本源は自己の内にありと自覚する事が真の宗教であるのである。

 引用せる臨済録の「馳求(ちぐ)の心」とは外に求める心であって、「外に求めていた心を歇(や)めてしまったら、汝は即ち、今直ぐ仏と同体だ。汝、仏が何処にあるか知りたいと思うか。では教えてやろう。此の眼の前で仏法を聴いている其奴が仏其の者じゃ」と一喝したのである。

 生長の家の根本哲学『生命の實相』の冒頭の「生命の実相の自性円満なることを自覚すれば神の癒す力がはたらいてメタフィジカル・ヒーリングとなります」と書いてある。
 「吾人生命の自性円満」とは即ち仏性なり、神性なり。仏そのものであり、神そのものである。それを自覚せずんばすなわちやむ。
 自覚せば本来の円満性あらわれて神の癒す力が実現するのである。神は外にあらず。内にまします。今・此処、面前に法を聴く者、本書を読む者そのままに仏也。

 他に求むる事をやめよ。他に求むる心は争いの因也。真の人格主義は他に求めず他を奪わず、自己内在の力を礼拝して、一切万事我れより出でて我れに還ると知るのである。かく自分を仏と知りて、初めて他の人々をも仏と知る。仏と仏と相対せる世界此の世界なり。≫

3. 「七つの燈台の点燈者」とは
  それも、自分のことである。

4. 「生長の家大神」・「住吉大神」とは
  それも、自分の「いのち」の中に在すのである。

5. 「人間とは」・「自分とは」
  無である。 無即神である。愛である。光である。一切者である。

738a hope:2013/04/21(日) 21:58:48 ID:6kIbHHgs
>>737復興Gさま

ありがとうございます。
胸がいっぱいになりました。

そうでした、「人間は神の子」、つまり、人間=神 なのでした。

どうして、こんな簡単なことをわたしたちはなかなか自覚できないで、
外にばかり神を求めてしまうのでしょうか・・・?

昔の講師の先生方は、講話の時この「人間神の子」を連呼されていますよね。
だからこそ、信徒にその自覚が生まれて、奇蹟が起きたのではないでしょうか?

「生長の家」だったら、この「人間神の子」を一日何度も言わなければいけませんね。

Gさま、今回も素晴らしいご指導をありがとうございました。

感謝 合掌。

739復興G:2013/04/21(日) 22:11:40 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。

   至上者の自覚の神示

 人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。

 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。

 観点の違う者には解りようがない。人間の偉大な仕事を皆憑霊(ひょうれい)の仕事のように説いて、人間をただ憑霊の傀儡(かいらい)のように教える者があるが邪教である。人間の本性に憑霊の示唆よりも偉大なものがあることを教えるものこそ正しき教である。人間は肉体でもなければ傀儡でもない。人間は霊であり神であり自主である。若し憑霊が『霊』であるが故に、偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来るならば、人間自身も『霊』であるが故に偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来ることも当然でなければならぬ。ただその教や仕事に高下があるのは霊界の霊にも、人間にも、自己内在の無限性の掘りさげ方に差があるからである。

 釈迦は決して 憑霊の傀儡ではない、基督(キリスト)も決して憑霊の傀儡ではない。いずれも自己内在の無限性を掘下げて、終(つい)に仏性に達し、神性に達したから、霊界の諸霊 来って此の二聖に事(つか)えたのである。釈耶の憑霊ばかりを観て釈迦が自覚したところの仏性、イエスが自覚したところの神性を見ない者は憐れである。憑霊が説くほどの教なら人間自身も霊であるから説き得べきであるのに、釈耶の教を釈耶自身の教ではなく憑霊の教であると説くスピリチュアリズムは自己撞着に陥っているのである。

 人間よ、人間自身の尊厳を自覚せよ、これを自覚することは人間自身の尊厳を奪還することである。『生長の家』は人間自身の尊厳を奪還せんがために出現した人生の燈台である。
     (昭和八年三月十六日神示)

740復興G:2013/04/21(日) 22:23:49 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。

>>697の聖典引用文をもう一度貼らせて戴きます。

<『幸福を招く365章』の117頁〜より>

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。

 吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。

         ○

上記
≪それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。≫

 ――「お役目ご苦労様です」と、それぞれの立場の方たちに感謝しながら、「自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだ」と自覚して、内なる神のみ声を聴き、使命感のままに行動して行く。

 そうありたいと思います。

 ありがとうございます。
 合掌

741復興G:2013/04/21(日) 22:32:14 ID:AB6RqYXc

トキ様、a hope様

ありがとうございます。
ご協力、ありがとうございました。

今回は、閲覧して下さっている方はたくさんいらっしゃるかと思いますが、参加者(投稿者)が少ないようなので、そろそろお開きにしませんか。
締めくくりを、お願いできないでしょうか。

合掌 ありがとうございます。

742a hope:2013/04/21(日) 23:34:00 ID:6kIbHHgs
みなさま、終了予定時刻の23:30になりましたので、世界平和の祈りをさせて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。

その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

今回もたくさんの学びをありがとうございました。


感謝 合掌。

743SAKURA:2013/04/21(日) 23:38:23 ID:M9DbeNuI
「復興G様」 へ   「トキ 様」へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

大変、遅くなり、此処に於きましては〜〜〜場違いの人間かもしれません。…が?
どうしてかと申しますと…【現総裁雅宣先生…擁護派】ですし…それに ><
投稿されている「a hope様」の文章中からも、お声がかかっておりません様で…… 落ち込み??
前回も…ロ−マ字【SAKURA】 参加させて頂いておりましたが〜〜これも【大調和…】なのでしょうかと。

さて!
私事で…2〜3日前より…「書籍本…の整頓」です。私にとっては?それなりの書籍本の数々です…。
❤「復興G 様」に於かれましては、相当の数の書籍本をお持ちだとの想いです…。凄い書籍の数かと??
振り返りますと…古い本の整頓をしておりますと、その頃の時代背景…特に≪初版本≫に関しては、私なり
の両親の“思い出”も含めて、過去の情景が、走馬灯のように浮かんでは〜〜消え〜〜浮かび〜〜まして、
この様な感じで、「一冊一冊…の本」を手にしながら、中には煤汚れています“書籍本…”を手にしますと、
何とも知れない想いがこみ上げて来ます。

まだ?少し整頓すべきモノがありますが…「復興G様」からのテキスト…を拝読させて頂きながら、
いつものようにマイペ−スにての投稿を…させて頂きます…。宜しくお願い申しあげます…。
それにしても…… 今回は…「整理整頓」が〜〜〜
                                    再合掌

744a hope:2013/04/21(日) 23:47:30 ID:6kIbHHgs

SAKURAさま、お声かけせず、申し訳ありませんでした。
第1回web誌友会の時のトーキングステックボードにあった名前だけを羅列させていただきました。

今回も、ご参加ありがとうございます。
SAKURAさまのご投稿楽しみに拝見させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

745a hope:2013/04/21(日) 23:59:18 ID:6kIbHHgs
SAKUTAさま、度々、すみません。

>>744ですが、正確には、第2回web誌友会の前夜際に参加されている方々のお名前の羅列でした。

SAKURAさまのお名前が見当たらなかったので、お声かけしませんでした。
投稿者すべての方への呼びかけは不可能ですので、どうかお許しください。

746SAKURA:2013/04/22(月) 01:08:35 ID:M9DbeNuI
「復興G様」へ 「観覧者様」へ  「管理人トキ様」へ  「a hope様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■>「a hope様」から 早速の返事にありがとうございました。( >>744>>745 の投稿…)
“お声…”をかけて頂きました事に、改めまして【感謝!】申し上げます…。ところで、
只今…休憩タイム…なのです。…が?随分〜〜前の事をよくご存知で??スゴ〜〜〜イ!かと?
思いました次第です…。逆に?他の懐かしい「役行様…」とか??「訊け管理人様」の司会とか??
今は昔〜〜〜というものでしょうか? 時の経過を〜〜〜つくづく感じます。

余談ですが…【現総裁雅宣先生…擁護派】として、「毎回…」こちらに参加させて頂いておりました。
…が?
■□きっと〜〜【雲に隠れているのでしょうか……】???
第一回の時も“ズ〜〜〜ッ!”と参加しています。…が???そうです〜〜〜ネ!
「a hope様」の視界には??「ひらがなのさくら様」しか?目に留まらない様ですかと…。
以前も「a hope様」自身から私に対して“スル−!殆ど拝読していない”そのような主旨の…投稿
をなされていらっしゃいましたから〜〜〜? 

余談ですが…上記のような理由からも❤「SAKURA…メ−ル便」を、誤解の内容に投稿しております
次第です…。【 「ひらがなのさくら様」とは、別人ですとの…一言メ−ルを〜〜〜投稿!!なのです。 】

■別に気になさらなくても… 随分昔の事を回想しますと?あの頃“イジメ…”られていましたかと。
あくまでも…【擁護派としての…参加】を、時間が許す限りは、投稿形式と、させて頂きます。
今後とも、何卒、宜しくお願い申し上げます…。

                                 再合掌

747誌友会閲覧者:2013/04/22(月) 07:50:26 ID:vgg7df6.
確かに今回だけはSAKURA様が可愛そうに思っていました。
名前を書かれるなら全ての人を書かれるか、それができないなら
せめて前回参加された人を書かれるべきではないかなあと思っていました。
「準備祈願」の長文をいとも簡単に書かれるa hope様がすべての人を書けないわけがないと思うのですが?

748a hope:2013/04/22(月) 09:09:04 ID:6kIbHHgs
>>746SAKURAさま
>>747誌友会閲覧者さま

ご指摘ありがとうございます。
本当ですね、名前の羅列は見落としがあるとよくないと思って、やめようと思っていたのに、
1年前の書き込みを拝見していて、あまりにも懐かしくなってしまって、特定の方のお名前を呼びかけてしまいました。
今後、気を付けたいと思います。

SAKURAさまは、この掲示板に書き込みが少ない時でも、毎日たくさんの書き込みをしてくださり、
この掲示板を盛り上げてくださっています。
わたしは。家庭と仕事に追われていますので、SAKURAさまだけではなくて、
他の投稿者さまの投稿も最近はほとんどゆっくり閲覧する時間はないのですが、
SAKURAさまがいつも元気に書き込みを続けてくださっていることには心から感謝しています。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

749復興G:2013/04/22(月) 09:38:58 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

第13回web誌友会も、ご参加くださった人数は少なかったけれども、やはり意義ある誌友会だったのではないかと感謝申し上げます。

これができたのは、管理人トキ様のおかげであります。ありがとうございました。

そしてまた、a hope様の献身的なお世話がなければできませんでした。
a hope様、本当にありがとうございました。

それから、時間内に書き込んで下さいましたのに、お返事できなかった >>725あさひ様。
ありがとうございます。>>734でa hope様がレスしてくださっていましたが、私も同感です。
きっと、よい結果になると信じています。


SAKURA様。
web誌友会閉会後に書き込みをしてくださったのですね。ありがとうございます。

web誌友会は50時間にわたってオープンになっており、投稿される方が少ないので、たびたび、皆さまに投稿をお呼びかけしていたと思います。
何も、個別に名指しで声がかからないからとて、遠慮することなく積極的に投稿してくださったらよかったと思いますが……どうぞ、あなたも司会者の気持ちになってご投稿ください。できれば、司会者をしていただきたいくらいです。よろしくお願い申し上げます。


まずは、あらためて皆さまに感謝申し上げます。
ありがとうございます。

終わってから思うことを、また後ほど投稿させていただきたいと思います。
合掌

750トキ:2013/04/22(月) 09:41:17 ID:HtiBzlX2
 おはようございます。復興G様、今回も素晴らしいご指導を賜り深く感謝申し上げます。
 また、a hopem様、司会ありがとうございました。

参加者の皆様にも御礼を申しあげます。

 感想などありましたら、閲覧者様も御寄せ下さい。
お願いいたします。

合掌 ありがとうございます

751a hope:2013/04/22(月) 09:58:33 ID:6kIbHHgs

トキさま、復興Gさま、みなさま 
あらためまして、おはようございます。

今回のweb誌友会の内容は、どうだったでしょうか?
前半は、原宿本部会館や森のオフィスに関するものでした。
そして、後半は万教帰一に関する内容でした。

わたしの個人的感想ですが、
谷口雅春先生はたくさんの書物をお書きになって、わたしたち信徒に残してくださっています。
それは、その書物をめぐって信徒同士裁判をしたり、
その「教え」を盾にして言い争いをさせるために残してくださっているのでしょうか?

わたしは、今回、このweb誌友会でお勉強させていただいていて、気づいたことがあります。
谷口雅春先生は、様々な角度から真理を説いてくださっています。
そして、万教帰一にしても、様々な神さまを例にあげられて説明してくださっています。
とても、高度で難し内容で誰もすぐに理解できるものではないと感じています。

ですが、わたしたち信徒が、その谷口雅春先生の〝お悟り〝に少しでも近づいて、
本当の「神の子の自覚」を得て、実相世界の大調和の喜びを感じてほしいというご愛念から、
数えきれないほどのご著書を残してくださっているのではないでしょうか?

わたしは「生命の實相」40巻すべてそろえて、少しづつですがお勉強させていただいています。
それだけで、もう、大安心の気持ちでいます。

だって、『わたしが、「生命の実相」の真理を悟ればいい』のですからね。
それが、谷口雅春先生の一番望んでおられることなのではないかと、感じています。

あくまでも、a hopeが個人的に感じていることですが・・・。


それでは、今日も元気に仕事に行ってきます。
みなさまも、素晴らしい一日をお過ごしくださいね!

752復興G:2013/04/22(月) 11:07:59 ID:AB6RqYXc

 さて、第13回web誌友会をちょっと振り返ってみます。

 心に引っかかっている言葉の一つに、>>724

≪ 「大調和の神示」に、
 「われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である」
 という言葉がありますが、これは新約聖書「マタイ伝」第5章23節〜26節にある、イエス・キリストの言葉を指しています。すなわち――

●「汝もし供物を祭壇にささぐる時、そこにて兄弟に怨まるる事あるを思い出さば、供物を祭壇の前に遺しおき、先ず往きて、その兄弟と和睦し、然るのち来りて、供物をささげよ。汝を訴うる者とともに途(みち)に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴うる者なんじを審判人(さばきびと)にわたし、遂になんじは獄に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りなく償わずば、其処をいづること能わじ」
 と、イエスは言っているのであります。≫

 というところの、イエスの言葉です。

 それから、>>729

≪ …すなわち超越内在的意味に於ける“キリストの再臨”による“最後の審判”は、本来無いところの「虚妄(まよい)」の無を「無」として判決宣告して、永遠に出て来られない世界に堕獄し、本来人間の実相たる「完全人間」を実在なりと判決宣言して、それを如実にあらわすところの審判でありますから、「吾が宗教(おしえ)は恐怖の宗教にあらず、虚妄(まよい)を焼かるる者は却って生き、暗黒(やみ)を焼かるる者は却って光をあらわさん。病は癒され、悩みは消えん」とあるのであります。

「焼かるる者は『汝』にあらずして『虚妄(にせもの)の汝』であるからである。『虚妄の汝』は神より出ずるに非ず、神より出でざる汝は実在にあらず」と示されております通り、「病んだり、悩んだりしている汝」は、真に実在するのではなく、夢の中の人物のようなもので、「本来無い」のであります。

本来無い「悩みの人間」「病める人間」が、「私はこの通り存在します」と、感覚面に訴えて控訴しているのであります。「真理の光」に照らして、「汝らは、神より出でざるが故に、如何に実在の仮面を被るとも実在にあらず」と、最後の最高裁判所的裁決を下すのが、真理の再臨による「最後の審判」なのであります。≫

という「“最後の審判”に就いての神示」ご講義のお言葉(『神ひとに語り給ふ』)です。

 いずれも、「訴うる者」「審判人(さばきびと)」「控訴」「最高裁判所的裁決」というような、「裁判」に関わりある言葉が出てくるので、現在の『生命の實相』出版権をめぐる教団と社会事業団の争い、裁判対決を連想させます。

 「争い」とか「対決」というようなことが出てくるのは、「神の国」にはないことで、どちらか一方が正義(善)、一方が不正義(悪)であるということはなく、いずれも

 「迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。」(声字即実相の神示)

 という過程なのではないかと思われます。そして、

 「まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。」

 と神示にありますから、結局は自壊作用の後に、一層すばらしいことが出てくるしかない、と思われるのであります。

 ですから、>>740の通り、私たちは

 「吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである」(『幸福を招く365章』)

 「安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。」(「堅信歌」)

 ということを信じて、今、われ「七つの燈台の点燈者」なり、「住吉大神の全心全霊」なりとの自覚と信と使命感をもって、明るく愛を行じて行きたいと思います。

753復興G:2013/04/22(月) 11:15:09 ID:AB6RqYXc

上記>>752は、>>750>>751のトキ様・a hope様の投稿を見ないで書き込みました。

トキ様、a hope様、コメントありがとうございます。

合掌

754トキ:2013/04/22(月) 11:34:37 ID:HtiBzlX2
>>751

 それはその通りだと思います。谷口雅春先生は、講演などで遠方に行かれても、休み時間に
せっせと原稿を書かれていたと聞いています。地方の教化部に、意外にも谷口雅春先生の原稿
が残っていますが、それは、そういう経過があるからです。

 しかるに、本部や本流復活派が、聖典をめぐって争うのは、谷口雅春先生を悲しませる事に
なると思います。

 釈迦、キリストの時代と違い、今は、文字という形で、場合によっては音声や映像という形
で、教えは残っています。知識のある人は、知識で、本や雑誌や音声や映像を持っている人は、
法律に触れない範囲でそれらを紹介し、また、学ぶ事が、谷口雅春先生が望まれた事だと思い
ます。

 今回、復興G様が、ご指導をして下さりましたが、こういう形でのご指導を通じて、信徒の
魂の向上の機会があるのを、一人の信徒として、喜んでおります。

 復興G様、心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

755復興G:2013/04/22(月) 12:10:41 ID:AB6RqYXc

>>754 :トキ様
ありがとうございます。

>>谷口雅春先生は、講演などで遠方に行かれても、休み時間にせっせと原稿を書かれていた<<

そのお原稿は、そのまま地方の教化部などに置いて行かれたわけではなく、いったんは日本教文社編集部に届けられ、活字となって神誌などに掲載されてから、本部会館建設や地方の教化部会館建設のために献資した人たちに、お礼として賜ったものであると思います。

いずれにしても、先生はすべての時間も労力も書かれたお原稿も、神からの賜物として、私することなくすべてを捧げ尽くされた、と言えると思います。

私も、己を無にして、献げる生き方をしたいと願い思います。

賀川豊彦さんの、「神の祭り」という文章を思い出しました。

          ○

「聖パウロは言った。 “その身を活ける供物として神に献げよ” と。
五尺の鯉を神に祀ることは最も愉快なことである。
   (注。「五尺の鯉」は、人間を意味する)
 吾々の生活の凡てが神への供物であり、祭であるのだ。
 祭だ、祭だ! 花火が上り、楽隊が聞えるではないか。我々の生涯のあらゆる瞬間が神への祭だ。表に五色の旗が翻らなくとも、魂の奥には、永遠の燻香が立ち昇る。神への燔祭は、我々の赤き血そのものである。

 若き小羊を捕えて神に献げよ。全き小牛と全き小羊を神に献げよ。日本の若者の魂を捕えて神に献げよ。神への奉加は、吾々の生命そのものであらねばならない。吾々の玉串は、生霊そのものであらねばならぬ。完全に我々の全生命を神に祀ろうではないか。我々の肉体、我々の生活、我々の精神、我々の学問、我々の芸術、そして我々の道徳を神への献げ物として八足台に献げようではないか。

 永久の祭だ、永久の歓楽だ! 不滅の花火、無限の祝典、生命の神饌は永劫に尽くべくもない。両国の花火はなくとも、我々の心臓のうちには、不滅の血が花火以上に赤く爆発する。」

          ○

 ありがとうございます。

756SAKURA:2013/04/22(月) 12:18:36 ID:bdiHbvK.

「復興G様」へ 「観覧者様」へ  「管理人トキ様」へ  
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>> 投稿の続きです…。

>>747「誌友会閲覧者」様 >>752 「復興G様」>>751 「a hope 様」皆様方へ

色々な観点での私事…ロ−マ字(大文字)【SAKURA】 の“コトバ”を頂きました事…に対して
感謝申し上げます…。尚…私自身此処では「現総裁雅宣先生…擁護派」として、私なりの捉え方で…
楽しんで投稿させて頂いております。特に>>747からの“コトバ…”対して、感謝申し上げます。
従いまして、中には私の捉え方に反対の意見・思考があっても当然だと…それは個性かと…。
(今回は…私事にて、“過去の引きずった書籍・品物”の整頓にて??−−>ごみ箱??気ばかりが、
焦りとなり投稿させて頂く余裕が、ありませんでしたので…私自身のふたらなさかとも?)

そして「復興G様」からのテキスト指定箇所を頂きます事は、以前気がつかなかった事を、私なりに
解釈する機会を頂き…感謝申し上げます…。

今回の『生命の実相』の冒頭に……
−−−「抜粋投稿」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―
「平和」それは人間が常に求めているものであり、この実現のためには人間は絶大な努力を払って
来ました。
しかし、“人間とは何か”を深く考えずに行動しようとすると、互いに衝突したり、奪いあったり、
傷つけあったりするだけで、そこからはなんの平和も生まれてきません。
…云々…                      『生命の実相』…第3巻
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―−―
この言葉が…最初にインパクトを感じましたかと…個人的に思います。
≪平和≫…言い換えますと…「雅春先生のコトバ」の中に、
>>【心のやすらぎ・生き抜く力】とを与えずにはおかないでしょう。<<
本当に、この【WEB誌友会…】を閲覧して頂いております「観覧者の皆様方々」に…そのような感情を
少しでも抱いて頂けますならば【生長の家−――>成長の家――>魂いの向上】この事が、私どもに、
課せられた≪使命…≫ではないかと…改めて“この言葉”に一つ一つを、胸中に刻み込みました…。
改めて…素晴らしい「生命の実相」…【生命を活かす…活かしきる】この事を痛感させて頂きました。

                                         感謝拝

PS: 時間の合間に…皆様の投稿の内容を閲覧させて頂きながら…第3巻の指摘して頂きました処の感想
を、【SAKURA流?】にて投稿させて頂きます…。(投稿の内容に??反論も個人的にはありますが?)

❤最後に…「生長の家…」の創立者…「谷口雅春先生」は、一番【云いワケ…論】を嫌われましたかと。

757復興G:2013/04/22(月) 13:14:26 ID:AB6RqYXc

>>756 :SAKURA様。

>>   −−−「抜粋投稿」−−−−−−−
「平和」それは人間が常に求めているものであり、この実現のためには人間は絶大な努力を払って来ました。
しかし、“人間とは何か”を深く考えずに行動しようとすると、互いに衝突したり、奪いあったり、傷つけあったりするだけで、そこからはなんの平和も生まれてきません。
…云々…  『生命の実相』…第3巻
   −−−−−−−−−−−−−−―−― <<

上記は、第3巻の「はしがき」の冒頭の御文章を、わかりやすく書き直されたものでしょうか?

上記の通りの御文章は、テキストに見当たらないのですが……

758SAKURA:2013/04/22(月) 14:36:25 ID:gD0Nk1Y6
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756 投稿の続きです…。

>>757 「復興G様」へ
■□【ブックカバ−の裏…】にありますモノで…【冒頭…】という言葉は?撤回させて頂きます…。
ご指摘の…文章は〜〜〜❤そそっかしい【SAKURA…】でした。申し訳ございませんでした…。
この場を借りまして…お詫び申し上げます…。
【 生命の実相の頭注版(昭和37年初版)3巻 】以降には、記載されていますようですが…。
(但し?【 愛蔵版 】には…ありませんし、第三巻の内容も異なりますので、やはり時代の流れも
含めて、多くの人々への【真理…導く】事を、率先された「雅春先生…御心」が伺えますかと思う次第です。)

「雅春先生…のコトバ」は〜〜〜書籍本の隅々にまで“コトバ…=言霊=こころ”私どもの“心…”に
響くものがありますかと…今回「復興G様」が選択して頂きました“テキスト箇所”を拝読しながら
つくづく感じました。 ありがとうございます…。
                                再合掌

759トキ:2013/04/22(月) 16:39:32 ID:HtiBzlX2
>>755

 ご教示、ありがとうございました。確かに、ファックスのない時代に不思議な話だったと
思いましたが、そういう経過があったのですね。親切なご教示に深く感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

760復興G:2013/04/22(月) 17:17:16 ID:AB6RqYXc

>>758 :SAKURA様。

わかりました。
編集者仲間では「カバー袖(そで)」と言っているところですね。そこに書かれているキャッチコピーの文章にありました。

それ(カバー袖のキャッチコピー)は普通、著者が書くものではなく、編集者がつくる文章です。ですから、『生命の實相』のカバー袖の文章も、谷口雅春先生がお書きになったのではなく、編集者が、この場合は先生の「はしがき」の御文章をもとに、やさしく書き直して作った文書だと思います。まあ、よくできた文章ですね。

その後ろの部分には、

≪「人間は生まれながらにして、その一人一人の中に限りない生命力があるのだ」と説く本書こそ、読者に「心の安らぎ」と「生き抜く力」を与えずにはおかないでしょう。≫

と書かれていますね。

それでわかりました。ありがとうございました。

761SAKURA:2013/04/23(火) 00:28:57 ID:5Z7ZB6rE
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758 投稿の続きです…。

>>760 「復興G様」からのお返事…に関しまして
早々のお返事を頂きまして…恐縮です。私の今回“抜粋投稿”しました事に関しましての、ご意見…
教鞭ありがとうございます…。(ブックカバ−の件)

余談ですが…先生の「コトバ…」−−>「生命の実相」に記載されています「コトバ=文字…」は、私に
取りましては、全てが…心の安らぎと…受け止めさせて頂いております。
ですから…今回の【 第三巻テキスト…「7つの燈台の点燈者の神示」 】に関しましては、殊のほか、
「復興G様」からの投稿箇所…を参照させて頂きながら、私なりにもう一度“見つめ直す…”この機会を
頂きました事に、深く〜深く〜感謝申し上げる次第です。ありがとうございます…。

                                   再合掌

762SAKURA:2013/04/23(火) 00:39:24 ID:5Z7ZB6rE
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761 投稿の続きです…。

■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…その① 】からの感想とさせていただきます…。
==========【 生命の実相 3巻 はしがき より 】==================

>>人間はなぜ、平和をもとめながら戦争をするのであろうか。その本当の理由を知る人は少ないので
ある。人類は生命に到る道をもとめながら死への道を選んでいるがごとく見える。それは、人間が自
己の本来清浄の霊的実在なる本質を知らないのと、キリスト教的原罪観または仏教的罪業間で自己処
罰、自己破壊をとげつつあるからである。自己の「霊」なる本質を知らないで、自己を「物」として
観、「肉」であると自覚する人間は、「物」としての自分を持続し、拡大しようと望まずにはいられな
い。しかも「物」は有限であるから、自己を無限に拡大しようとする希望は互いに衝突したり、奪い
合ったりするほかはなくなる。だから、唯物論的人生観にたつ以上は、人間は平和を欲しながら戦争
へと突入し、生命の完全なる伸展を欲しながら、自己破壊をつづけてゆかなければならないのである。<<
                                    (谷口雅春著)
===============================================

■なぜ戦争になるのでしょうか〜〜〜???平和を求めながら〜〜〜???この様になるのですかと。
この頃思うのです。…が? 【人間関係の争い事…】は、二通りあるように見受けます。…が?
それは「お金の執着=経済的利益追求からの正当論…」??もう一つは「本人のプライド…からの正当論」
でしょうか??

                             つづく

763SAKURA:2013/04/23(火) 00:41:23 ID:5Z7ZB6rE
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762 投稿の続きです…。

■【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…その2 】  
どちらも、結局は【我の強さ…】からなのです〜〜〜ョネ???
「戦争…」は、やはりこのような二通り理由からの中身で…互いに衝突、奪いあう、傷つけあう…etc
のようにも見えます。…が!!

私が、今!振り返りますと、やはり「若い時の執着心…」からも生じる事がありますかと。当時の「聴力
喪失」となる前の頃ですが、当時の「亡き父」は、ある事から【タタキ男の腰の高さ…】には、辟易して
いましたのです。ところが、当時の私は【人類はみな兄弟と…】云った感じでいますから、どんな人間でも
必ずや、いいところがあるので、まずは“信じる事…から全てが始まる!!”このような考え方でした。
「亡き父」は、娘がそのような考えでいますので、ある時の事です。その「タタキ男…」が【免許停止…】
になり、私の処にどうにかならないのか??この様な事を言いだしたので……実は「亡き父」は、当時の
「警察署長さん」と親しい間柄ですから“何とかはからい!!”をと当時、私は【免許停止…】になる前に、
「何か対処できないかしら〜〜〜ン??」と「亡き父」に相談しますと、当時の「亡き父」は気持ちよく、
警察にはからいに行ってくれました。そして、当時の親しい署長さんも、気持ち良く動いてくれました。
(まだ若いし、前途があるし、将来性を考えて〜〜〜との事から、気持ちが動いたのでしょうかと。)
…が?その後の【連絡…】では、【NG…発生】でした。実は〜〜〜【本人の記録】は、余りにも〜〜〜
スピ−ド違反の内容が〜〜〜??他にも〜〜〜??という事で、“はからい事…”が出来なかったのです。

それでも、その頃の私は【決め付ける…大人のやり方に反抗心…】が募りだしましたので〜〜〜それからは、
〜〜〜【我の戦い…】になり、気がつきますと■【頭部を瞬時に叩かれ…聴力喪失】今では、このような
姿・形なのです。…が?【ネガティブな感情の激突…破壊行為…へと…!!】

【戦争…】も同じ事で、これが正しい行動でしょう!−――>この【正当論…】が???ある人にとり、
“ねじ曲がった現象展開…”になっていくのでしょう〜〜〜ネ!!
❤【 初めにコトバがあり 】と云いますように、私の「過去のおさらい…」も始めに「亡き父」の言葉を
素直に聞き入れなかった事からでしょうか???【我…の張り合い?での代賞と云いますか??】
こうして考えていきますと【個人の思考の問題】ですから、やはり思いますには【戦争…】という前に
【生命とは〜〜〜?の論理観…】が、一番大事だと思えます。…が??

❤では〜〜〜次の「文章投稿…」の感想に入っていきま〜〜〜す。         

つづく

764SAKURA:2013/04/23(火) 00:51:00 ID:5Z7ZB6rE
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>763 投稿の続きです…。

■□ 此処で初めて閲覧されます…「観覧者」の皆様に対しまして…“一言”お断りをと。

【 >>763 投稿文章中…ですが? 】
〜〜〜【我の戦い…】になり、気がつきますと■【頭部を瞬時に叩かれ…聴力喪失】今では、このような
姿・形なのです。…が?【ネガティブな感情の激突…破壊行為…へと…!!】
此処で【頭部を叩いたのは】当然の事ですが『タタキ男…』ですので…御了承下さいませ…。

                                     再合掌

765復興G:2013/04/23(火) 09:25:12 ID:AB6RqYXc

SAKURA様。

今回(第13回)web誌友会テキストは、『生命の實相』第3巻の「はしがき」から本文3頁まで としてありましたので、私も「はしがき」のご文章は謹写しておりました。
しかし、「神示」の方がインパクトが強いと思って、それを優先させていました。
しかしながら、「はしがき」にも基本的な大切なことが書かれていますから、それをSAKURAさまが取り上げて下さったことは、よかったと思います。

まだつづきがありそうですので、拝読させて頂きます。

ありがとうございます。

766復興G:2013/04/23(火) 09:55:16 ID:AB6RqYXc

SAKURA様。
[部室 板/4 ]の648で、「訊け」管理人様が、安東巌先生のご講話というのを紹介されています。
それを文章化されているところに、次のようにありました。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

[安東巌先生ご講話 「生きる喜びとは」]

九年も教化部長をやっておりますと、「救われる人」がスグに判ります。生長の家を長がーくやってるのに、救われない人がいる。これはいったい、どういう事か?

さて、どんな人が救われるのか? 先ずは「赦すことの出来る人」です。そして、「感謝する人」も、救われます。「徳を積む人」も救われます。

 ・・・・谷口雅春先生のお話しで、こんなのがあるでしょ? 農夫が「ずっと祈ってたけど、収穫がなかった」と。アタリマエですよ。だってタネを蒔いていないのですから・・・・愛のタネを蒔いていないと、現実には収穫はないのです。練成会何回来ても、救われん人は救われん。だって「徳積み」をしていないんだもん。・・・

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――ちょっと、ご参考になるところがあるかと思いましたので、紹介させていただきました。。
 ありがとうございます。

767トキ:2013/04/23(火) 10:07:39 ID:CGS7Lc8c
 昨晩、寝る前に祈っていて、ふと思いついた事がありました。

 谷口雅春先生が生長の家を始められるに当たっては、ご自宅がドロボウの被害に遭われて、それが契機
で生長の家を始められた、という事を書かれていました。ドロボウにあうのは災難ですが、それを転じて、
全世界に光明の灯がかかげられたのです。

 ところで。

 今、私は、この掲示板の管理人をして、多くの方からご指導を賜っていますが、もし、谷口雅宣先生が
忠実に谷口雅春先生の教えをそのままに説かれ、聖典の裁判が起こらなかったら、こういう管理人をする
事もなければ、そもそもインターネットで生長の家関係の掲示板を見る事もなかったと思います。

 さらには、復興G様から貴重なご指導を賜る事もなければ、多くの投稿者様と知り合う事もなかったと
思います。もっと言えば、谷口雅春先生の教えを根本から学び直す、という発想もわかなかったと感じま
す。

 もし、教団と本流復活派の争いがなければ、私は、教区のヒラ会員として、おとなしく生活をしてい
たと思います。これは、他の方にも該当するかもしれません。

 すると、一連の騒動とうのは、確かに「災難」ではありますが、しかし、多くの信徒さんにとっては、
何かの啓示であるような気がします。

 これは、以前、復興G様がご指導をされていた事ですが、谷口雅春先生がご立教前のドロボウのエピソード
と結びついたので、書かせていただきます。

合掌 ありがとうございます

768SAKURA:2013/04/23(火) 13:33:10 ID:8n7fei8U
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>763 >>764 の 投稿の続きです…。

■765>>766 の「復興G様」からの…お返事感謝申し上げます…。
更に、多々なる大先輩の諸先生方の「体験・・・」も踏まえての?投稿内容を閲覧させて頂きました。
ありがとうございます…。「安東先生…」…云々…

これに関しましたは、個人的には?『真理…永久不変』の部分と…現在私の身の回りでの〜〜〜><
『 想定外…現象=顕現事項 』に対しまして〜〜〜どの様に【心を持って行く…心の法則】を、
思案中なのです。 当に【暗中模索…】で〜〜〜す。><

■「復興G様」は、私の推定憶測?相当な書籍数々を所有されていらっしゃいますモノと…改めて思います。

実は?私事ですが…「書籍を購入する際…」に関しまして「雅春先生」もおっしゃつていましたが…そして、
学生時代の恩師も同じ事を私どもに指導して頂いておりましたのが…【はしりがき…】この部分に…
その「書籍を購入する…」その時の内容の大まかな事が解るので、これを参考に…そして書籍の結末の処を、
参考にして、購入したらいい?恩師の言葉で「ハズレがない??」この様な事を……
厚かましく〜〜〜続き投稿をさせて頂きます事!〜〜〜それに関しての“コトバ”を頂き…恐縮です…。
ありがとうございます。…

本当に、今!個人的に「 過去のおさらい 」を、しておりますと、「雅春先生」の本だけで…複雑化した
現代社会では、今後、判断できない事も、多々出てくるものではないかと思うのですが、後になり、私の
つたない“続き投稿内容”から、引用していくうちに!!【人間関係…】の時に、感情的=頭に来ますと?
それは既に❤〜【負けの人生…】と思うのです〜〜〜ョネ!!〜〜と、今!あらためて思う次第なのです。
但し、現状の私は「ヤカン頭〜〜〜なりやすい??」ので…修行中で〜〜〜す><

【戦争……争い】も、結局は、始め「コトバのぶつかりあい……」ですから、いずれにしましても、双方とも
…共倒れ…になる事の様に感じます。では??この現状事を少しでも“避けるには〜〜〜どうしたら〜〜〜?”
今!私に出来る事は、投稿者の皆様も同様に、この少ない時間帯に、出来るだけ、多くの観覧者様方々に、
私なりの「真理…私の捉えた真理」を、ライティングで伝えたいと思いますから〜〜〜!

今!!出来ますところの❤〜【愛…】……
この種まきは〜〜〜此処“パソコンの伝道での”種まき論”でしょうか〜〜〜?
本当に「パソコンのキ−ボ−ドにて文章を打つ事…!」は【愛…】がなくてはできません〜〜〜かと。
従いまして、お忙しい中に「復興G様…」からのテキスト投稿…感謝申し上げます。ありがとうございます。
■永久不変の【真理…伝える事】が、今や、「雅春先生…の御心」に叶うモノと…【使命感…】
この頃では思えます。時間を割いてのお返事…改めて感謝申し上げます。そして、閲覧して頂いております
「観覧者の皆様」にも…時間を割いて頂いております事…この共有性に感謝の念を抱かずにはおられません。

本当に、時間管理が、十分出来ていない私ですから?難しいのが現状です。“反省…いいワケ【SAKURA】”

きっと「神様…」が、何か?答えを、「或る時間・空間…」にて下さるものと“信じて!行じる!”…
今では?これも、私の【愛 行 …】一つなのでしょうかと。??

                                      再合掌

PS: >>767 「管理人 トキ様」の「フト??お話…」
拝読させて頂きまして…私も感じました事がありますので、後程、投稿させて頂きたく…思いました…。

769うのはな:2013/04/23(火) 15:29:29 ID:1XyvUc4.
669 名前:訊けファン 投稿日: 2013/04/23(火) 15:27:11 ID:???
せっかく訊け様がアップしてくださった音声ファイルが奥に行ってしまいます。

クレームは別板へどうぞ。

○【第二弾】安東巖先生ご講話【音声】
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65727511.html


 安東巖先生、「第二弾」です。音声のご講話です。今回のご講話も、非常に良いです。そして、日常生活を反省させて頂けます。どうぞ、ダウンロードされてお聴きください。



770復興G:2013/04/23(火) 15:55:42 ID:AB6RqYXc

>>767 :トキ様。

 まったく、おっしゃるとおり、もし谷口雅宣先生が愛深く忠実に谷口雅春先生の教えをそのままに説かれ、聖典の裁判が起こらなかったら、私もトキ様や掲示板の皆々さまと出会うこともなく、こんなに真剣に御教えを学ぶこともなかったでしょう。

 谷口雅春先生は、ドロボウに感謝し「今、起て!」の声を聞いて、起ち上がられた。おかげで、私たちは『生命の實相』の御教えにより救われたわけですね。

 “地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要る”ので、ドロボウにも、役割があった。

 とすれば、本部も、“本流”(別派)も、お互いを敵視せず、それぞれの役割を認めて感謝し和解し合えば、地上天国実現が早まるのでしょう。

 相手を“悪”と見て争いを続けていても、

 「まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。」

 と神示にありますから、結局は自壊作用の後に、一層すばらしいことが出てくるわけでしょう。しかし、烈しい自壊作用なしに天国が実現するよう、

 「汝を訴うる者とともに途(みち)に在るうちに、早く和解せよ。」(「マタイ伝」第5章23節〜26節)

 とイエスが言われているように、和解するのが道でありましょう。さもなければ、

 「恐らくは、訴うる者なんじを審判人(さばきびと)にわたし、遂になんじは獄に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りなく償わずば、其処をいづること能わじ」

 と言われているわけですから。

 「獄に入れられん」というのは、文字通りの監獄ではなくても、「罪の価は死なり」と言われている、その「死」とは、神性を隠蔽していることが「包み=ツミ」で、生命の死であり、自縄自縛で自由を失うことになっているのだ、というご教示があったと思います。

 いずれにしても、私たちは

 「既に天国の饗宴に招かれている」

 「吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである」

 というお教えを信じて、祈りと愛を実践してまいりましょう。

 ありがとうございます。

771rei:2013/04/23(火) 17:56:59 ID:bo95azFI
復興Gさま

今回もご指導ありがとうございました。

767と770に同意致します。

今回の誌友会に何度も発言しようと思いながら、
神示の素晴らしさに圧倒されて、つまりレベルが高すぎて、
そうなのだ、そうなのだと思うばかりで、私の意見など差し挟めない
差し挟むべきでないと思っていて、時間が過ぎてしまいました。

今回の誌友会こそが、760と770の答えに繋がってると思いました。

先回の「くそ」さまの様な人がいらっしゃると、気づきも多い様に思います。
心臓がドキドキしますけれど。

トキさま
いつもありがとうございます。
ahopeさま
いつもお役ありがとうございます。

合掌

772トキ:2013/04/23(火) 19:17:42 ID:CGS7Lc8c
>>770

復興G様

 懇切なご指導に深く感謝申し上げます。

 先ほども、先達が訪問をされ、私に、「今の総裁の指導方針を見ると、組織の私物化が目立ち
納得ができない。」という話をされていました。

 ただ、谷口雅宣先生が副総裁になられる前から、組織の官僚化、形骸化は始まっていたという
印象を個人的には持っています。谷口雅春先生から指導を受けた先生が高齢になられ、亡くなられ
たり、引退をされ、代わりに、谷口雅春先生のお顔を見た事のない人達が幹部や講師になられました。
 そうすると、やはり、教化部の中の雰囲気も少し変わって来たみたいです。

 「一白鳩会員」が、「白鳩会などを見ていると、何かサークルか町内会のような感覚で生長の家の
行事に来る人が目立って来た」と話していました。真偽の程は知りませんが、青年会や相愛会を見ても
緊張感がなくなったのは確かだと思います。逆に、何か、運動偏重の傾向が見えるような気がします。

 これは、あくまでも個人的な印象ですが、組織内での官僚化や形骸化は、現在の総裁が指導をされる
ようになって以来、むしろ加速していると思います。

 先ほど、4月28日の全国幹部研鑽会の資料を見ていたら、テキストが「光明法語」と
「大自然讃歌」と「おいしいノーミート 四季の恵み弁当」でした。「幹部」を対象にした
行事のテキストに弁当の本を使うのは、おかしいと思います。私の周囲の友人にもそう発言をする人
がいます。しかし、その声が通らないのも事実です。閑話休題。

 が、仮に、谷口雅宣先生以外の方が総裁になっていたとしても、こういう官僚化や形骸化はやはり
程度の差はあれ、進んでいたと感じるのです。むしろ、谷口雅宣先生の指導の内容が、多くの方に
納得のいかないものであったため、従来の組織教学に疑問を感じた人達が、純粋な谷口雅春先生の教え
に戻ろう、という結論に達したと感じます。

 かって、釈尊は、入滅にあたり、「自分は全ての教えを説き終わった。自分の教えには秘密はない」と
言い、入滅の前に、周囲の弟子達に、疑問や質問はないか? と尋ねて、弟子が納得をした事を確認されて
から入滅されたときいたことがあります。が、釈尊の教えは文字ではなく、弟子の記憶という形で遺された
ため、後世、正確な教えが伝わらかったようです。

 幸い、谷口雅春先生の教えは文字や、場合によっては音声や画像で遺されています。その教えは、万人
が学ぶ事が可能です。教団にいる人も、本流復活派の人も、先ずは、谷口雅春先生の教えを学ぶ事から
始めるべきだと思います。それが、谷口雅春先生が望まれた事だと信じております。

合掌 ありがとうございます

773復興G:2013/04/23(火) 20:13:49 ID:AB6RqYXc

>>771 :rei様

ご感想を、ありがとうございました。
「大調和」を信じ祈りつつ、明るく励ませていただきましょう。

774復興G:2013/04/23(火) 21:44:19 ID:AB6RqYXc

>>772 :トキ様

ありがとうございます。

谷口雅春先生の教えは、「谷口雅春の教えではない。“真理の啓示者”は“實相世界”にある“神”のみなのである。」とおっしゃっています。
『實相と現象』のはしがき(これが先生の絶筆と思われ、ここに最期のご署名がされている)に、次のように記されています。

          ○

    はしがき (『實相と現象』)

 (前略)
 『生命の實相』が五十数年前に刊行されたとき、聖書型の黒革の表紙には、私の名は無かった。その後も形態は種々の変遷があったが、表紙や函の背文字には、「生長の家聖典」とのみ記して、著者名は出さなかった。表紙の平とか扉には、いつの頃からか名が出るようになったが、携帯版の前まで、背文字は一貫して「生長の家聖典」であった。神が私をパイプとして書かしめた聖なる典籍との畏れ慎しみであった。

 『神真理を告げ給う』の冒頭には、次の如くに述べられている。

 「“わたし”は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いて来た。君たちのうちには熱心に真理を求めて色々の書物を読み、色々の学者の説を読み、それに基いて思索をし、既に人生の意義を知ることが出来た人もある。しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は、自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、悟ったつもりで實際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではないのだという絶望感で、“聖なる求め”を放棄している人もある。そのような人たちに“私”は、今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念によって、今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」

 更に次の節には、

 「……それらの宗教教祖や碩学や大哲の中に“わたし”は宿って、人々を導くために“わたし”は書いたり、説いたりして来たのである。真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳細胞から生産されて来るものでもなく、實にそれらの人々に宿っている“わたし”がそれを説いているのである……。」

 「しかし“本当の教祖”というべき“真理の啓示者”は“實相世界”にある“神”のみなのである。イエス・キリストも『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。實相世界に生長の家の本部はある”といっているのである。」

 この“わたし”は勿論、言うまでもなく神である。

 このような文章――神の言に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些かの梅いることなくお応えし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。

 本著作集も第四巻となり、いよいよ佳境に入った感がある。生命の實相哲学の骨格を成す唯神實相論の霊々妙々の極意を、極めて平明に、話し言葉を以て表現してある。先の海外巡錫の時よりも若い時代の著述が多いが、もとより谷口の脳髄知、谷口の力価で構えて説いたものではない。いずれもその折々に最も相応しい神々の指導助言の賜である。万般の奇瑞が続出するのも、故なしとしない。

 諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
    昭和六十年五月二十八日
          著者
           谷口雅春
              識す

          ○

 この先生のお言葉をかみしめて、命がけの学びをしたいと思います。

775復興G:2013/04/23(火) 21:54:26 ID:AB6RqYXc

誤字訂正し、お詫び申し上げます。

梅い → 悔い
力価 → 力𠈓(りきりょう)

776元本部職員D:2013/04/23(火) 22:35:55 ID:???
>>『實相と現象』のはしがき(これが先生の絶筆と思われ、ここに最期のご署名がされている)に、次のように記されています。

突然お邪魔します。遠くからいつも尊敬の思いでご高説を拝しています。本部職員後輩のDです。

さて、引用して下さった貴重な聖典『實相と現象』でありますが・・・
何故に重版保留の事実上の絶版扱いになっているのでしょうか。
先生は、このことに対してどのようにお考えですか。

わたしは、この一冊そして雅春先生の絶筆とも思われるこのメッセージを
消してしまうようなことだけでも、大変な罪(神性隠蔽)であると考えます。


>>
 諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
    昭和六十年五月二十八日
          著者
           谷口雅春
              識す

777SAKURA:2013/04/23(火) 23:11:27 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768 投稿の続きです…。

■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき よりその③ 】==============
>>わたしは最近、アメリカの精神身体医学の大家カ−ル・メニンジャ−博士の『おのれに背くもの』
を日本教文社発行の翻訳で読んだが、これは人間に自己破壊の矛盾的な欲望を自殺本能とし、慢性病
を一種の慢性自殺としてその精神過程を分析している大変興味ある書物である。そしてその自己破壊
的本能を陶冶することによって病気の治ることを実例を挙げて説明しているのである。メニンジャ−
は「不運を嘆く一群」の人たちについても、その不運の大部分が不測の外部的禍いでくるのではなく
して、自己が他人に自分を虐待するようにし向けておいて、その反動として自分が逆境におかれてそ
の苦しみに耐えしのぶことに、一種のマゾヒスチックな快感を味あうものであることを指摘している
のである。<<               (一部抜粋)
==============================================

そうです〜〜〜ョネ!私も以前はある面「障害者として…」この“コトバ…”を、パ−トナ−は、よく
使っておりました。…が?当の私は〜〜〜【 心の葛藤 】〜〜〜><

当時は、一見「障害者…」に、みられたくな〜〜〜いの想いがあり、オスマシにしておりましら、
“パ−トナ−”は、私の繊細なる気持ち(?)とは裏腹に、必ず!オ−プンにしますので、気がつきますと、
私自身も、ノセラレ族と申しますか?ある面では、本当にオ−プン的になりました。

これも「潜在意識…」に、「障害者として…」の負い目があり、時には“武器に使う手段…”も必要かと?この
ように、おもいます。そうです〜〜〜ネ!【ケ−ス・バイ・ケ−ス…】でしょうか?
「障害者…」として“オ−プン!”にしますと、以前の日本社会は、正直申しますと“閉鎖的…”でしたが、
東京に住みだしてから、ある事を目撃するにいたり『人権の差別化…』を目のあたりにしてからは、
これは、【正々堂々…としないといけない事!!】を、イヤ〜〜〜と云うほど垣間見る事となり、また、私も
体験をする事となりました。
                                  つづく

778SAKURA:2013/04/23(火) 23:16:28 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777 投稿の続きです…。

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。「マイペ−ス」

【 生命の実相 3巻 はしがき よりその③ 】>>777 の続き投稿です…。

■『生長の家…』では、客観的に申しますと〜〜〜表面上は「障害者…」に対して、好意的な状態・態度に
見えるように思います。…が?相手が「障害者…」での、男女関係に関しては、殊のほか?反対される方が
多いように思いました。(過去の体験…から)当時の「役職の方々」は、必ず「障害者…」との結婚問題はと?
「苦労をします…。」この様ないい方でしたかと。??それに「肩書優先…」でしたかと。??更には、一方的な
事情での判断でしたかと。??これには【ショック…】でした〜〜が??当時の私は、心の傷として、かなりの
負い目をもちました。その事も、一つは“キッカケ”となりまして、その後【創価学会に入会】となったのです。
尚!現状でも〜〜〜この様な傾向が『生長の家…全体像』として残っているかも?知れません。

しばらくしまして「学会の方…」が❤【障害者でもデザイナ−になれる〜ワョ!】と言って「励ましのコトバ!」
更に〜〜「聴覚障害の団体…」があるから、そこの“クラブ…”に出入りしてみたらと…アドバイスをいただき、
『国立の文化ホ−ル…』に、はじめて出向きました。そこには、当時「聴覚障害者の方」が、かなりいまして、
正直“ビックリ…”です。生まれつきの「聴覚障害者…」で、その年に『早稲田大学に合格』したのでしょう。
その子は、記憶では“大田区…在住の男性”でしたが〜〜〜?その後!やはり、周囲の学会員の方が、負い目を
持たせる事よりも、世間に対等に前に〜前に〜進む事を…見守って行く!その様な周囲の光景が、今でも
印象的ですかと…。

或る時は、“パ−トナ−と、二人とも独身”ですから、周囲の方々の“はからい”で「お見合い…」のような感じ
での紹介をして頂き、この様にして頂きました事を、今では、懐かしく、今にして思いますが【感謝…】かと。

今の『生長の家…お家騒動』は、当時の私に対しての“コトバ…の使い方?投げ方?”は〜今では【分派…】に、
いかれた職員の皆様方でも、正直な話ですが❤『やさしさの欠如……』がどうしても伺えます。
■【 何故?如何して?会員が減少したのか〜〜〜】を、改めて振り返る時、そこには「過去の障害者の見方…」
への【差別化…】此の事も原因の一つの様に思いました。それに【同和問題】も、差別化しされた傾向が、
此処昨今の投稿内容から感じました。…が?果たして〜〜〜如何なものでしょうかと???

振り返りますと、この当時の私は、確かに【 不運を嘆く一群 】を嘆き悲しむ“私…自身”でした。…が?
それと、同じように【分派の皆様の中には〜〜〜被害者意識!!があるかと。これでは、まるで〜まるで〜
「悲劇の主人公…」にも見受られてしまいます。】……ある面は、理解も出来ますが〜【中傷が先行しますと!】


■最終的には【過去の私と似ている!!】
この様に、世間一般では、見られてるのですかと。!!そして今回【 悲劇の主人公を演じている様に〜〜〜
それは「罪と罰」…で】しょうか??そう!その様に思われますのでは?更に、考えますと…逆の観点から?
【 不 運 を 嘆 く 集 団 に 見 え る の で す か と 。】
折角❤「雅春先生…回帰」此の事を『スロ−ガン…』になされています【分派…皆様方々】も、
「不運を嘆く一群…信仰団体」なのですかしら〜〜〜ン???この様に、見られているのでは??
そう!!あまりにも【中 傷 が 先 行 さ れ る 方】此の行為は、結局!!
自分自身で、自分自身の【人格…が無】になる事と、そして【傷をつける…】ようなモノです〜〜〜ョネ!
                                          
                        つづく

779復興G:2013/04/24(水) 10:22:03 ID:AB6RqYXc

>>776 :元本部職員D様。

ご投稿、ありがとうございます。

『實相と現象』(谷口雅春著作集第4巻)が、「重版保留の事実上の絶版扱い」になっていたのでしたか。

それは、一個人の罪(神性隠蔽)だけではなく、すべての信徒、ひいてはすべての人類の神性開発を妨げる重大な罪(神性隠蔽)になると思いますね。

>>わたしは、この一冊そして雅春先生の絶筆とも思われるこのメッセージを消してしまうようなことだけでも、大変な罪(神性隠蔽)であると考えます。<<

同感です。これは、ぜひとも復刊を強くお願いしてまいりたいと思います。

『神ひとに語り給ふ』や『古事記と現代の預言』なども、同じです。

ご投稿、ありがとうございました。

780SAKURA:2013/04/24(水) 22:29:42 ID:BEUD3XFA
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778 投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき よりその④ 】==============
戦争も、闘争も、人類のあらゆる不幸、災禍、病気、貧苦等もこの種の人間の自己破壊願望のマゾ
ヒスチックな傾向からくるものであること、そしてその自己破壊願望の完全な修正が行われない限
りは、人間は、生命に到る道を欲しながら、死の世界に突入せざるをえないことが精神病理学者の
方から指摘せられはじめたのは興味あることである。わたしの『生命の実相』全集を読む人たちが、
おのずから病気が癒え、戦場においてさえも傷つかず、あらゆる人生の不幸を克服しえつつあるのは、
それを読むことによって、人間が本来物質的存在にあらざるところの『完全霊』なる自覚を得、“アダ
ムの原罪的“な人類共通の罪悪感が消滅して自己処罰の必要がなくなり、人間の自己破壊のゆがめ
る願望が根本的に修正せられるからである。          (谷口雅春著)
==============================================

■>>戦争も、闘争も、人類のあらゆる不幸、災禍、病気、貧苦等もこの種の人間の自己破壊願望のマゾ
ヒスチックな傾向からくるものであること…云々…<<

【分派…の皆様方達…】の今までの投稿内容を閲覧させて頂きながら、正直、ある面では「被害者意識…」が
強くどうしても見えるのです。…が?? 例えばなのですが〜〜〜><
※このように私は総裁にされたとか…?
※日本教文社の本の中には重版があり、これがなくなると「雅春先生の生存された頃の書籍」が失われて
しまうとか??この責任は〜〜〜??

全ての『行為…』が、【現総裁雅宣先生…】に原因があると言いたげな“投稿内容…”ではないのでしょうか?
全て〜〜〜なす事全て〜〜〜❤「現総裁雅宣先生…責任転嫁」にお見受けします。…が?

此処で!【 現総裁雅宣先生…責任転嫁 】別の方面からの捉え方です。…が?例えば〜〜〜
此処最近、【森のオフィス…云々】に関しての討論投稿が〜〜〜話題性としてクローズ・アップでしたかと。
私の記憶の中では「現原宿の建物――>森のオフィス」これに関し、亡くなられました
「2代目清超先生…」でも、「本部会館での催事」の中で、おっしゃつていらっしゃいました“コトバ…”が、
❤『 建物は修善しないといけませんし、当然!もつのです〜〜ョネ 』このように述べられまして、更に、
『理事会が〜〜〜』という事を、公の場にておっしゃいました記憶があります。という事は【分派側…】に、
いかれました方々の中は、当時の『理事会…』の関与された方もいらっしゃいますのでは?ないのでしょうか?
そうしますと「雅春先生…建立された建築物」への想いは、理解できますモノもありますが〜〜〜
その頃でも【修復工事…一度もなされた形跡が〜〜〜見受けられません。】それでは、【多々なる条件でも
耐久年数がもつものも〜〜〜今ではもたないのでは??】このように考えます。

                           つづく

781SAKURA:2013/04/24(水) 22:32:14 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780 投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

【 生命の実相 3巻 はしがき よりその④ 】>>780 続き投稿です…。
 
■そして、「観覧者の皆様」もご存知のように、此処昨今では〜〜〜??『地殻変動…地震発生』が多々です!
此の事も踏まえますと、いつ!【大自然災害…】が起こるとも?そうしますと、その時の【人命の保障…】を
考えた上での、行動かと?個人的にはお見受けしております。…が?そして「現原宿本部の立て直し…」
一部はそのまま?のような事を、お聞きしておりますが?当然「耐震性…」も考慮では〜?ないのでしょうか。
【分派の方々…】が、仮にその様な事態が発生した場合、責任もって【人命の保障…】を、逆に、なさいます
のでしょうか?正直な話「疑問…?」です〜〜〜ョネ!

【 別板 「まじめな話」の板 】では、「菅原理事…」様の事を、記載されていました。…が?

当時!萩窪時代の頃でしょうか??その姿を、本部会館にて、せわしく歩いていらっしゃいました姿を、
お見受けした事があります。その頃でしょうか?確か「青年会長…」から「本部…」へ…その後!確か〜〜
「アメリカ…」に行かれたとか?風の便りで、訊きました。…が?正直!その当たりの事は、詳しくは存じません。
…が?そして「長崎総本山の総務」をなさっていらっしゃいましたかと?その後、再び「本部…」へ〜〜?

■【青年会…会長】という経歴からの現役職…「理事…」の立場に!!

さて!個人的には?多々なるこの「青年会からの〜〜〜」此の捉え方は、多々あるかと思います。…が?
中には【分派…】の方に行かれた方の中には、同じように【元青年会…役職!】の方もいらっしゃるものと
推測致しております…。…が?此処は、個人の捉え方でしょうか〜〜〜!

■【中 心 帰 一 !】を、どこに?誰に?対してもつかによりまして【分岐点…】となったのでは?
つまり「現原宿…雅宣先生側」そして「分派側…雅春先生への回帰論…」これにて、当然ながら、御本人達の
「肩書…」が変わってきたのが、現状ではないのでしょうか?
ですから、その判断にて、現状の立場がある分けですから?それを【中傷…】する事は“オカシイ?”と、
思うのです…。その当時の【判断…これはあくまでも自分自身での決断での“行動”…】となりますから…?

相手を中傷する事は、世間一般から見ましても“オカシイ”ものとおもわれますかと。果たして〜〜〜><
批難する事は〜〜〜?世間でも通用しないモノと思います。【自己責任…】なのでは〜〜〜?

唯!「辛口メッセージ?」になりましょうが?果たして、【奉 職 者 と し て の 認 識 度】は?
つまり【信者…ヘの“救済への想い”…】何処までのモノなのかは?これからの御本人の【愛行…行】に
なりますモノと思います。
❤ 一般信者は〜〜〜今!冷静な目で〜〜〜見守っている!このような“心…”を抱きながら?でしょうか?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1345969739/774【別板 「まじめな話」の板から】

【菅原理事…云々…】此の中傷 “コトバ” に関してですが〜〜〜当たり前の行動を…なさったのでは?
その様に思いますが?「本部…」からの任命に“ハイ!”をなさったその後の〜〜〜本人が今!の役職かと


                                         再合掌

782トキ:2013/04/25(木) 09:55:29 ID:76BRBSAc
 今朝の朝日新聞の朝刊を読んでいたら、米国のネット教育家のインタビューが掲載されていました。
もともと投資関係の仕事をしていた人が知人から子供に勉強を教えて欲しいと頼まれ、その依頼が増えた
ので、授業をネット上で公開したら反応が高く、ついにそれを専業にするようになった、というものです。

 このインタビューを読むと、ネット上での授業が、学校の教育を立派に補完するものであることが
わかります。ある面では、学校での授業よりも優れた面があります。例えば、ネット上の勉強は自分の
ペースで勉強ができ、また、同種の複数のコンテンツがある場合は、自分にあった授業を選択できるの
です。この人の場合、素人の視点で教えるので、解りやすいといいます。

 これと同じ事は信仰にも該当するのではないでしょうか。従来のような誌友会や練成会なども必要
ですが、ネット上では従来の組織ではできない事がたくさんあります。例えば、全く生長の家を知らない
人に、生長の家の講演会に誘うのは、誘われるほうにも、誘うほうにも抵抗があります。しかし、ネット
上の講話の動画を見る事をすすめるのは、それほどハードルは高くありません。

 ただ、ネット上での「講義」は、すぐれてコンテンツの内容を問われると思います。が、幸い、徳久先生
や松田先生など、先達の講義が動画として遺されています。これらは、一般の人にも親しまれるものです。

 また、誌友会などでの指導は、講師の質により効果が左右されます。忙しい中参加しても、絵手紙や環境
の話で参加者が怒りだした、という話は実際にあります。この点、我田に水をひくたとえだが、このweb誌友会
では、復興G様という優れた講師のご指導を直接受けられるので、当たり外れがない、と言えるでしょう。
 ご多忙の中、丁寧なご指導をして下さる復興G様には心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

 生長の家でも、かって、楠本加美野先生のサイトがたいへんな人気でした。ある日突然廃止になって
しまいましたが、これは実にもったいない事をしたと思います。

 ネットという空間で何ができるか、をもっと議論できれば、と期待をしております。

合掌 ありがとうございます

783SAKURA:2013/04/25(木) 22:38:10 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781 投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき よりその⑤ 】==============

本書は新修版『生命の実相』全集第二巻にあたり、「完全霊」としての自覚を得た人間が、いかに爆
弾雨下の戦場においても傷つかないかを、その実戦下の状態を描写したる場面を収録したと同時に、
さらに病気が、潜伏せる自己破壊願望によって起こるものであるから、(特にこの事は物質的医療が
てこずっている慢性病にいちじるしい)それにたいして薬剤を用いることをその事が自己破壊願望の発
露として、自己の肉体的にも経済的にも苦しめつつあることを指摘したのである、だから薬剤はおお
むね『一つの病気を征服することによって、他の病気を造る』ことになる事実を明らかにし、真に無
病、健全、そして、あらゆる闘争から超越した生活を送ろうとするならば、人生観を転換して、人類
の原罪観を払拭し、真に自在無礙なる生命の実相に目ざめなければならぬことを力説せる部分を収録し
て、一冊としたのである。戦場において傷つかない心境は、もって日常生活においても傷つかない心境
であるはずである。時局あわただしきに際して本書によって読者が八面玲瑯、無礙自在に傷つかない
心境であるはずである。時局あわただしきに際して本書によって読者が八面玲瑯、無礙自在に傷つか
ずに病まざる信念が獲得せられれば幸いである。            著者識す (谷口雅春著)
==============================================

■この様に、今の私に課せられた現状の“環境”は、本当に【精神向上の戦い場】でもあるのかも知れません。
今の私は、此処[「FUK… 」は生れ故郷なのです。…が?本当に【心の葛藤…】の日々ですかと。

さて!【国際化…】になり、今までの日本人の常識をくつがえすような?想定外の“アクシデント…発生”の
状況に直面することが、多々あります。エ〜〜〜ッ!考えられな〜〜〜イ!いつも「心の叫び…」かと。しかも
アジア圏の一員としての「日本国…」でありますから!特にここ「FUK…」は、アジア圏各国の交流場としての
“窓口…”との位置づけでしょうか?その様になりますのは、当然かもしれませんが〜〜〜

此処昨今では「地球温暖化…」によります【 異変… 】での、生態系圏に多々なる変化が生じていますのは、
誰しもご存知かと思います。以前は「鳥インフルエンザ…」人間には、害がない!という定説論でしたが><
現在では【人間感染が確認されまして…しかも、此処昨今の“ニュ−スの情報…”は、多々でしょうか??】

■ 中国 鳥インフルエンザ 「日本上陸」政府警戒 往来活発 GW迫る
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20130422095.html        (ダニによる媒介でもある…云々… )

どうしても「体力…」つまり「免疫力…」は、従来!日本人の場合は「衛生面…」に気をつけておりますから、
体質的には〜〜〜若干「弱い!言い換えますと〜〜〜温室育ち?」になりますでしょうかと。従いまして、
海外からの今までにないウイルス菌ですと「日本人…」が“バタバタ死ぬ…”その様な状況に陥るのではとの
一抹の不安がよぎります…。更には、考えられない「病気…」を併発してしまうのでは?
或る病院の先生は、その【医者の使命感…】から、一心に患者さんを診察しておられましたが、或る時、肺炎?
カゼ?…病気をうつされましたのでしょうか〜〜〜?帰らぬ人となりました。また或る先生は〜〜〜家族とは、
現在、一緒に住む事をなさらずにての【医者の使命感……?】から、別居生活中のようです。…が?

          つづく

784SAKURA:2013/04/25(木) 22:40:59 ID:BEUD3XFA
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>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781>>783 投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

【 生命の実相 3巻 はしがき よりその⑤ 】>>783 の投稿の続きです…。

■>>「完全霊」としての自覚を得た人間が、いかに爆弾雨下の戦場においても傷つかないか…云々…<<
上記から「雅春先生」の【人間は肉体にあらず…!霊的人間…!】との自覚当然かとは思います。…が?
ある面では、対応策としての予防は必要ではないのでしょうかとも〜〜〜 >< 
此処は?柔軟性の【SAKURA…】なのです。

❤〜「雅春先生…」の言葉通りに〜〜〜
【“心…”で自己破壊願望を悲劇の主人公にならずに、神ともに立ち向かう精神……そのように“心…”を
訓練していく内に八面玲瑯、無礙自在に傷つかずに病まざる信念…つまり“心…”が獲得せられれば幸いである。】

【この“心…”ができる!!】今現在の私は、不動の心=信念の獲得に“焦点”を、しぼる事だと思います。
このように【分派…皆様方】も、今!置かれています立場は、こちら「現原宿教団…」に対しての【中傷論…】の
前に〜〜〜つまり【こころを振り向けるよりも…折角「雅春先生…回帰」というスロ−ガンを掲げて…】いらっ
しゃいますから、その“想い=想念”を、まずは「神…」に向けていかれた方が〜〜〜と思います。…が??

【新しい〜〜〜信者〜〜〜悩める人々を救済〜〜〜】これこそが「雅春先生の御心」の叶うかと思います。
現状の「行動…」は、果たして【別なる〜〜〜目的かと?】一般的には思われますのでは?

■こころの安らぎと〜〜〜生き抜く力は〜〜〜「生長の家…真理パワ−」より始まるかと…。

                                         再合掌

786SAKURA:2013/04/26(金) 21:37:51 ID:BEUD3XFA
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>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781>>783>>784投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻  】===========================
>>一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。
ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命
とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。<<
                          (一部抜粋)
================================================

■【 生命の流れ…? 】に沿った場合、例えば?「川の流れ…・」は一定の流れになるでしょうか〜〜〜?

全体の流れが【天…】から流れてきます。その“流れ…”とは〜〜〜
そうなのです〜〜〜ョネ!「神様からのテレパシ−…」なのです〜〜〜ョネ?当然ながら、
一人一人へ…各自へ…公平に…!平等に…!流れてくる“テレパシ−”を、私どもは、神様から与えられて
いますのに〜〜〜><「不調和な心…つまり感情」を抱きますと、折角の素晴らし〜〜〜イ!
「神様からの伝言メッセージ」が、私どもの心に入ってこないのです〜〜〜ョネ???そうなのです。

【 テ レ パ シ − が 遮 断 さ れ て し ま う の で す。 】
それでは?私達が、何か〜〜〜『大きな壁』つまり『背水の陣…』を引いた時はどうなるのでしょうか??
そのような状態が起きました時、はじめて私どもは『神様との連絡パイプ』を、必死に探す〜〜〜><
神様ヘ伝える〜〜〜><それは【祈り…】のほかには、ないです〜〜〜ョネ!

❤〜【祈り…】で、全てが叶うのでしょうか〜〜〜?との問いかけ論には?そうでもないのです〜〜〜ョネ!
その時の「心の捉え方?持ち方?により、大きな寛容な心境」は、キット!「神様の御心…」に叶いますのでは
…その時が、初めて【祈り…】叶うという事なのでしょうか〜〜〜とも??

では?そのような気持になるには【感 謝 か ら 始 ま る !】のですョネ????そのような“心境”
になりますと、おのずから【調和の精神…】が働きますから、自然と流れもいい方向にいくことになるのでは?
と思います。…が??
【SAKURA…】も、今!今!生かされているのだ〜〜〜ワ!今…「過去のおさらい…」から、見落としていた
事柄に多々の気づきが〜〜〜此処で初めて【感謝…】が、ますますとできる【SAKURAパワー】…増大かと。

只今より【宇 宙 全 体 の 循 環 動 き 出 す 原 動 力】従いまして〜〜〜
此処で“スゥイツチ・オン”かと????
                            つづく

787SAKURA:2013/04/27(土) 20:55:45 ID:BEUD3XFA
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781>>783>>784>>786 投稿の続きです…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 その① 】===========================
>>われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで
動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折
れるかもしれないのである。<<                    (一部抜粋)
==================================================

■【 感謝のない心… 】で、行動しますと〜〜〜?いろんな事に“摩擦…”が生じてきますから、それは、
まるで〜〜〜まるで〜〜〜時計の針を反対に“ネジ…”を巻いていくような感じでしょうか〜〜〜??そう!!
ど〜〜ん!ど〜〜ん!と深みに〜〜〜底のない世界に落ちていくような感じでしょうかしら〜〜〜ン?

例えばですが〜〜〜【高速自動車の方向を、反対方向に走行して向かいます〜><」と、観覧者の皆様も分か
られますように…❤〜【絶対絶命…!!!これは、もう事故!】で〜〜〜すョネ!このように〜〜〜
“現象的…”にみましても、確実に【事 故…】につながっていくようなモノですから〜〜〜♫
【心の調和が出来ない場合…】は、確実に!ですかと。しかも“形…”として悲惨な事に〜〜〜><このように
一例として申しました【高速道路…反対走行!の場合】と同じように【トラブルメーカー】になるのも、当たり
前です〜〜〜ョネ!!

■■【調和のない心?出来ない心は〜〜〜?それは『我の心…』から〜〜〜】になるのではと、思うのです。
今!私も置かれていますところの「環境…」にも、もう少し〜〜〜だけ!!
❤〜【 心のエッセンス… 少しだけ? 】入れて行こうと思います。…が?

余談ですが〜〜〜フト!【別板…】にての「管理人 トキ様」の“コトバ…”〜〜〜(下記URL…)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1359705116/153 「管理人 トキ様」のコトバ…
>>…云々…ながい文章をたくさん投稿しても、かえって読み手には理解はできません。要点は何か。
それが大事です。<< (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

これって??どうしても“気になります表現”でしょうか〜〜〜?
今後は?かなり【小分けにしての…皆様の投稿に従う事…】に致すべき なのでしょう?かしら〜〜〜ン!
◆◆「管理人…トキ様」に取りまして…その代表者『うのはな様流〜〜最高!』という事なのでしょう。
少々「ショック!」を受けましたが??【具体論のない事が〜お気に入りの管理人様…本音】と判断ですかと。

❤それにしても私自身は「遠縁の親戚のコピ−ライタ―」…“長い文…”・“短い文…”も上手いし〜〜〜?
お手本にして行きたいと…【キャッチ・コピ−】!!!奥様が〜〜〜“コマ−シャル…”に?

今後とも「観覧者…様方々」を対象に【現総裁雅宣先生…擁護派】としての投稿をさせていただく次第です。
…が?尚!「観覧者の皆様…」お忙しい時間の中…少しでも閲覧して頂きますと幸いに思います。
                              つづく

788SAKURA:2013/04/28(日) 20:33:29 ID:BEUD3XFA
「復興G様」へ 「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。 
>>743>>746>>756>>758>>761>>762>>768>>777>>778>>780>>781>>783>>784>>786>>787
の投稿続きです…。

■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…
今!!ようやく『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 その② 】===========================
>>しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけ
るのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で
生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいは
ない。これが「生長の家」の生活である。<<   (一部抜粋)
==================================================

■【川のながれ〜♫〜】のような心境で、「神様…」にお任せする…。❤〜「吾…父なる神よ…」
これこそが、【生長の家…生き方】なのではないでしょうか〜〜〜!
そうです〜〜〜ョネ!【 調 和 】する事は“へつらう”とか?ではなく、「神様…」にお任せして、そこに
何か起ころうとも?如何なる事態になろうとも?…屹度〜〜〜「神様…」が、いい方向に導き給う…!!
必ず!益々と一層すばらしい方向にしようとしてくださるといった…【心境…になる事】でしようかと。???

そうです〜〜〜ョネ!この世は、十人十色??ですモノ?色々な考えが在りますから?そう「個性…」
ある面では、それもまたよろしいかな?実に、面白いのでしうかと。??

今!改めまして〜〜〜多々なる“苦難…”が、押し寄せて来ましても、必ず!すべてを「神へ全托…」
つまり、神の御心に振り向ける事が〜〜〜❤【 生長の家…御教え 】に思えます〜〜〜。

                                     再合掌

789a hope:2013/04/28(日) 20:48:29 ID:dHQNZBQc
SAKURAさまのご投稿の途中で申し訳ありませんが、発言させていただきます。

<< ながい文章をたくさん投稿しても、かえって読み手には理解はできません。
要点は何か。それが大事です。
 また、私を含めて全ての投稿者様には、自分では問題がないと思っている投稿が、
誰かを傷つける場合もある、という意識を持って欲しいという事です。投稿の前には
十分に吟味すると共に、他の閲覧者様から、問題点を指摘された場合は、
謙虚に受け止める姿勢も持って欲しいと願います。
 よろしくご理解を下さい。>>

SAKURAさまが貼り付けてくださったこのトキさまのこの投稿文を拝見して、
あらためまして、自分は今回の誌友会で、「特定の方の名前だけを呼びかける」ということをしてしまい、
SAKURAさまを大変傷つけてしまったこと、また他の閲覧者さま方にも大変不愉快な思いをさせてしまったことを
心より反省しています。
そして、わたしのその至らなさをご指摘くださったSAKURAさまと、>>747誌友会閲覧者さまには心から感謝しています。
今後そのようなことをしないように気をつけていきたいと思っています。


さて、そのように至らないわたしですが、このweb誌友会の運営のお手伝いをさせていただいている立場から
SAKURAさまにお願いしたいことがあります。

SAKURAさまはとても個人的なご理由で、今回のweb誌友会当日はご参加されませんでした。
ですが、後夜祭になって、テキストの内容ではありますが今回のweb誌友会の指導者である
復興Gさまがweb誌友会期間中まったく触れられていない「はしがき」についてのご感想をたくさん述べられています。

一方、復興Gさまは、毎回、お忙しい中、このweb誌友会のためにたくさんの資料をご用意されて、
心こめて謹写してくださり、web誌友期間中は、時間を空けてご指導をしてくださっています。
当然ながら、3日間もの間web誌友会に集中してくださっているわけですから、
その後は、色々しなければならないお仕事も山積していらっしゃるのではないかとわたしは拝察しています。

そこでSAKURAさまにお願いしたいのですが、SAKURAさまに本当に
「web誌友会当日に参加できなくて申し訳なかった」という気持ちが少しでもおありでしたら、
復興Gさまのお忙しいお立場を考えて、投稿内容はできるだけ端的にまとめて下さいませんか?
また、できれば復興Gさまの今回のご指導内容に沿って質問したり感想を述べたりしてくださいませんか?

わたし個人としては指導者の方にそのような配慮をすることは、
web誌友会に参加する最低限のマナーなのではないかと感じていますが・・・。

SAKURAさま、このわたしの投稿を読まれて、ご気分を害されたら大変申し訳ありません。

ですが、もしSAKURAさまが今後もこのような形でご投稿をつづけられるのであれば、
わたしはSAKURAさまがご司会のweb誌友会をされることを提案させていただきます。

SAKURAさま、みなさま、いかがでしょうか?

791トキ:2013/04/28(日) 21:38:02 ID:ka8gZUjc
>>787

SAKURAさま

 ご投稿、ありがとうございました。

 あの文章を書いた段階で、SAKURAさまのことは全然、念頭にありませんでした。
 もし、SAKURAさまがご気分を害されたら、お詫びします。

 長い文章でも、全体の流れで必要性があるものは、全然、問題がないと思って
います。

 今後とも、SAKURAさまのご投稿を楽しみにしております。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

792SAKURA:2013/04/28(日) 22:35:36 ID:BEUD3XFA
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>791 「トキ様…」からの“お返事…”ありがとうございました。

【別板…】での「うのはな様…」との対話の中にあります“コトバ…”が??どの様に〜〜〜解釈しまし
たらいいのでしょうかと?随分悩みましたのです…。

■私も、此処では【長〜〜〜イ!文章…投稿組】ですから、正直【ドッキ!ドッキリ!❤】へ…

私も、変に、かん違いしてしまいました事を、深くお詫び申し上げます…。???
いろいろな方の思考があり「文章力???」と〜〜〜いった感じでしょうか??私も、
学生時代に戻りましての「過去のおさらい…」に、なりますでしょうか??【タイム・スリップ…】
この頃では、文章の感想を投稿する際には、前以上に“一つ!一つ!読み落とさない〜〜〜”ようにと、
そうしますと、意外な発見なのです。これが、今では、本当に面白いのかと思うのです〜〜〜ョネ!!

■過去の分からなかった事が、今では簡単に“理解…”が出来まして、これを、どのように〜〜〜
少しでも〜〜〜出来るだけ多くの人に〜〜〜伝えるかが!!この事が嬉し〜〜〜い!ところなのです。
従いまして……まだ!まだ!「トキ様…」のように【真理…探究】には、及びません。
此処では〜〜〜「ライティング…にての真理の勉強…文章表現」をどの様にしたら〜〜〜いいのかと?
その事を、考えながら〜〜〜楽しく!楽しく!〜〜〜投稿させて頂いております…。深く感謝申し上げます。

❤〜本当に「そそかっし〜〜〜イ!『SAKURA』 でした。…ごめんなさい!!
そして“励ましの言葉…”ありがとうございます…。  【感謝…】

                                     再合掌

PS:では「女子会…」にて「麺…おうどん?」のお店を投稿させて頂きます…。
此処は?四国に近いという立地条件からでしょうか〜〜〜麺類が好きな方〜〜〜多いようですかと。
順次…投稿を〜〜〜♫


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