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Web誌友会 板/2
4440
:
「訊」
:2014/10/07(火) 07:36:04 ID:???
>>4437
a hopeさん
この件ですが、まったく同感です。「よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しない」ですが、まったくその通りですよね・・・・・・・いや、部下に「オイ」キャバ嬢にホイホイ、嫁に「ハイ」の私が言っても、説得力がナイですが、雅春先生の御言葉ですよね。
・・・・ちなみに「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」という、雅春先生の御言葉も思い出しましたよ。以下ですが、
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=423
ここには趣旨に於いて、同様のことが述べられていると思います。
国を変えようと思ったならば、選挙戦に特化するのではなく、「真理の言葉をキチンと勉強しよう」と。
そして、そんな、真理の言葉を勉強した個人が「多数生まれるようにしよう」と。
・・・・趣旨に於いて雅春先生は、そう、仰っておられますよね。
・・・・まあ、そもそも(笑)。「そもそも」ですが、地域住民に嫌われている運動家なんて、魅力がナイですよね(笑)。「国家のため!」「憲法改正が悲願!」・・・・・・そんなこと言っている愛国者って、地域での嫌われ者が多いのも事実です。「あの人は変わり者」とか「ちゃんと生活しろよ」等のツッコミを浴びている人が、愛国陣営には多々おりますがやはり、それじゃイカンわけですよね。そしてやはり、「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」だと思います。「よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しない」と、私も思います。
拜
4441
:
a hope
:2014/10/07(火) 19:46:20 ID:cEpBaIdo
p86 8行目〜
しょせん感覚的刺激の喜びは永続性のものではないことを知らねばなりません。
「生長の家」の実相哲学の説くとおり、物質は本来ないものでありますから、
ないものから永続する歓びを味わうことはできないのであります。
どんなに肉体的に美しい配偶者を選んでも、その色香は永続するものではありません。
やがてその色香は褪せ、顔は皺み、若い時の美しさは消えてしまうのです。
感覚的容貌の美しさが家庭の歓びであるならば、結局その家庭は永続しないものであるほかはありません。
家庭はそういう永続しないものの上に打ち建てられるべきものではないのです。
永続する「実相」の上にこそ、われわれはわれわれの家庭を打ち建てねばならないのであります。
4442
:
a hope
:2014/10/07(火) 19:49:18 ID:cEpBaIdo
(
>>4441
a hope所感)
よく女優さんなんかで、年齢を重ねてもとても自然な感じで若々しくてかわいらしい方がいらっしゃいます。
でも、おなじ女優さんでも、なんか、顔が不自然な感じに若々しい方もいらっしゃいます。
まあ、どの女優さんにとっても美を保つには、相当な努力をされているのだと思いますが・・・その違いは何なんでしょうか?
正直に言えば、わたしも女性ですから年齢を重ねるにつれてお肌のお手入れも段々と時間がかかるようになってきました(;´∀`)
ですが、顔にしても体にしてもやはり唯心所現の真理の例外ではないと思うのです。
意地悪な人の顔は、なんとなく意地悪そうな顔つきになっていますし、
人の欠点ばかり探して悪口を言っている人は、いつも緊張していて近寄りがたい冷たさが顔にでてしまっています。
これは、生まれ持った顔の特徴ではなくて、後天的に造られた表情だと思うのですが、
この表情が悪いために、本当は美人なのに全然異性にモテなかったり、人生がうまくいかなかったりするのではないかと思います。
いつも相手の実相を観て、優しいまなざしを向けている人には、どんどん人が寄って来るのだと思います。
わたしは、今、楠本加美野先生のことを思い出しました。
御年92歳の加美野先生は実相を観る天才です。
だから、いつも女性にモテモテですよね!
わたしも、たとえおばあちゃんになってもみんなに気軽に声をかけてもらえるようなそんな和顔を目指したいです!
4443
:
a hope
:2014/10/07(火) 19:54:26 ID:cEpBaIdo
>>4440
「 訊け」さま
ご登場お待ちしておりましたm(__)m
今回もまた、的を射た素晴らしいご投稿をしてくださり心から感謝いたします。
雅春先生の「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」ですが、この御文章はとても奥深い内容だと感じています。
わたしも「訊け」さま同様に、雅春先生が政治運動を頑張ってきた信徒の心を気遣いながらも、
やはり宗教に政治を持ち込むとその純粋性が保たれないために信徒数が増えないという事実を認められ、
これからは真理のお勉強に専念して、魂を向上させるという本来の姿に戻りましょう、とおっしゃっているのだと感じました。
みなさま
これからテキストの内容は、どうしたら夫や妻の実相が輝き出て、家庭が光明化されるかという説明に入ります。
これは夫婦間だけにあてはまる真理ではなくて、すべての人に当てはまるとても重要な箇所なのではないかと思います。
わたしは、抜粋、謹写しながら進みますが、みなさまは是非テキストの全文を拝読してくだいね!
4444
:
a hope
:2014/10/08(水) 10:31:04 ID:cEpBaIdo
p87 8行目〜
・・・われらは良人の、妻の、欠点を見ないように、暗い方面を見ないようにしなければならないのであります。
肉体人間は「実相仏」ではないから、時にはつまずくことも、実相が蔽われて悪く見えることもあります。
しかしその悪さを実在であると思わないことです。
その悪さはやがて過ぎ去りゆくべきかりそめの迷いの雲だと思い、光り輝く善そのものの良人または妻の実相を観るように心がけよ。
たちまち、その悪さは消えゆきて本来「神の子」なる良人または妻の実相が出て、家庭は異常に光明化されることになるのであります。
良人または妻の善さはどれだけ深く信じてもよいのです。
信じて信じすぎるということはないのであります。
信ずれば信ずるだけ光を放つのです。
信じていたのに裏切られましたというのは嘘であります。
それは信じようが足らず、信じていても信じていることの言葉または態度での現しようが足らず、
信じていても相手の人格の自由をこちらの型にはめ縛ろうとした場合が多いのであります。
本当に相手の価値を信じていたならば相手をそんなに自分の型にはめようとはしなかったに違いありません。
自分の型にはめようとするのは、やはり、相手それ自身にまかせておいては何か善くないことが起こるに違いないと危惧するからであります。
危惧は信頼の足りなさの表現でありましょう。
本当に信頼していたならば相手を自由に放つ、放たないのは信頼がないからです。
伝書鳩でも信じているからこそ自由に放つのです。
良人を信じているといいながら、妻を信じているといいながら、鳩を放つほどにも良人または妻を自由に放たないならば、
その人の「信ずる」という心もよほどよい加減なものであります。
人の人格は、本来自由を好むものでありますから、自分の自由に縛ろうとするとき、
良人でも妻でも逃げて行くのであります。
4445
:
a hope
:2014/10/08(水) 10:33:36 ID:cEpBaIdo
(
>>4444
a hope所感)
ここに、『人格の自由』という言葉がでてきました。
たとえば、昨日の「訊け」さまとのお話にでてきた「宗教における政治活動」を取り上げて考えてみますと、
ある宗教が一政党を支持した場合、その宗教団体の信徒は、否応なしにその政党を支持しなければ運動が成立しません。
そうなった時に、ここで言われている『人格の自由』が保障されていないということになってしまうのです。
わたし自身が今現在、本流といわれている「学ぶ会さま」や「ときみつる會さま」に入信する気になれない大きな理由がそれです。
それは現教団にもいえることですけれど・・・
4446
:
「訊」
:2014/10/08(水) 16:22:12 ID:???
>>>たとえば、昨日の「訊け」さまとのお話にでてきた「宗教における政治活動」を取り上げて考えてみますと、ある宗教が一政党を支持した場合、その宗教団体の信徒は、否応なしにその政党を支持しなければ運動が成立しません。そうなった時に、ここで言われている『人格の自由』が保障されていないということになってしまうのです。<<<
「いいとこ取りでOK」だと思いますがね。そして、それで「組織を辞めて!」な団体ならば、おさらばすればイイと思います。私はそんな感じですけれどもね・・・・・たとえば私ですが、こんな方々とは一緒に学びたくはナイのです。それは、
「天皇国日本こそ御教えの根本」
と云われた上で、
「これを語らないのは生長の家ではナイ」
など、妄言を吐かれる方々です。(※)そんな方々とは一緒に学びたくはナイですし、そしてたぶん、そんな団体は信条に反するような運動を、させられてしまうでしょう。(可能性として大の意味)ならば、御教えは学びつつも運動は拒否しますね。そして、「辞めろ!」と言われればサクっと、辞めますかね(笑)。
話しがやや飛びますが、有難いことに雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。私なんかは組織がナクても、まったく困りませんけれどもね。・・・・・・・・「谷口雅春」先生の御著書だけでも、かなりの生長を自分に認めることが出来ました。加えて、聖典を読んでも〝それでも成果が出ない時期〟などは、「藤原敏之」先生が私に谷口哲学を補足説明くださいました。それでも押し寄せる自壊作用の波なんですが、その際は「榎本恵吾」先生から、実相は自働展開していくッ!そんなことをこれまた、補足説明賜りまして、さらには「吉田國太郎」先生が、往相精進の境を越えていく生き方をお示しくださいましたね。「服部仁朗」先生などはもっと、徹底した実相直視をお教えくださいましたし、「谷口清超」先生の紹介される体験談の数々は、御教えの効果を保証してくださるものでした。「徳久克己」先生のご講話は、営業車車中でいつも練成会を(大爆笑で)開催してくださり、私の精神状態を常に良化くださいます。「末井勉」先生や「平岡初枝」先生の御著書は、これまた他の御高弟にない聖典の読み方を紹介くださり、信仰生活のいろいろな場面(主に自壊作用)に好解釈を与えてくださいます。
・・・・・長々語りましたがこの様に、雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。事業環境の激化という環境に身を置きながら学んでいると、私なんかは、組織がナクてもまったく困りませんけれどもね。身に沁みて解ります、この、御教えの偉大さは。
拜
<註>
※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。
妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。
4447
:
「訊」
:2014/10/09(木) 09:23:01 ID:???
>>a hopeさん
「家庭の光明化」に関して、素晴らしい御文章を紹介します。さてこの、「家庭の光明化」に関してはたぶん今後、「相手を賛嘆すること」なんて話題が出てくると思うのですがこの件に関し・・・・・榎本恵吾先生が、素晴らしい御文章を寄せてくださっておられるのです。以下は、WEB榎本恵吾記念館からのコピペになりますが一緒に拝読しましょう。ここでは榎本先生が、「善くなるとか悪くなるとか、知ったことじゃない」と仰っておられるのですが、実に深い示唆がされているのです・・・・・・さて、人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか「知ったことじゃない」、その真意とは?
(つづく)
4448
:
「訊」
:2014/10/09(木) 09:24:29 ID:???
>>4447
文つづき
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
◆9.実行によって救われるのではない。救われ済みであるのを喜ぶこと
ある奥さんが言われました。それは「わたしは生長の家にふれさせていただきましたので、子供を毎日、ほめることにしたのです。ところが学校に行きますと、担任の先生は反対に、子供の欠点を徹底的に摘出して、それをたたき直すという方針なんです。これでは却って子供にとっては不幸なのではないでしょうか。どちらかの一つにしてやらないと、却ってほかの子供よりも迷ってしまっているのではないかと思うんですが……」という意味のことでした。その時こちらは、“あなたの子供さんが幸福になられるか、なられないかは関係ないのです。人間が神の子であって、神そのものであって、そのままで完全円満ですばらしいのが真理であるから、ほめたたえているのであって、それは真理だからなのです。真理というものは、子供さんが幸福だとか、不幸だとか、そのように子供さんの都合によって曲げることが出来ないのです。ただただひたすら、「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」ということだけなのです。ただただみ教えをいただいた私たちも、まっしぐらに真理を生きる、ひとすじの道があるのみなのです”と申し上げました。
これと同じことなのですが、また別の人はこう申されました。それは三十歳くらいの練成員の方でした。「今日まで練成を受けさせていただきまして、生長の家のやっていることは将来大いに世界の平和のために役に立つことだ、ということを、よくわからせていただきました。私は今日で帰りますが、どうぞみなさん、しっかりやって下さい。」という意味のことでした。それでこう申し上げたのです。
(つづく)
4449
:
「訊」
:2014/10/09(木) 09:25:16 ID:???
「生長の家の運動は、世界の平和に役立つかどうかということは知ったことではないんですよ。ただただ、人間は神の子であるということが真理であるから、ひたすらその道を説いているのであって、真理というものは、「世界の平和のために」という世界の都合で変えたり、曲げたりするという訳には行かないのです。それが宇宙のためにということでも同じことでありまして、「宇宙の平和のため」というように、宇宙の都合に合わせて真理を変更するということは出来ないのです。ただただ、真理は真理であるのみです。泥棒がやろうが、釈迦、キリストがやろうが、「1+1=2」なのであって、泥棒の場合は、1.5くらいにしておけというわけには行かない。「1+1=2」という数学的法則によって、原爆まで生まれて来るので、原爆は世界の平和に反するから、その真理を変更するという訳にも行かないのであります。
真理はただ真理するという一つの道があるのみなのであります。また、真理というものは人間の力でつくり出すものではありません。それは久遠に久遠に、天地を貫いて生きているのでありますから、「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」とも言うのです。あなたに賛成していただいたから生長の家の真理が存在するのでもなければ、あなたがお認めにならないから生長の家が存在しないのでもないのですね。」と申し上げたのであります。
「釈迦、キリスト、尊師谷口雅春先生と、今日生長の家にふれたばかりの者と、同じ神の子であるということはないでしょう」と言われる方もいられるのですが、「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。それは、人間の修行の度合というものによって、その真理を変更することは出来ないのです。百万年前からの暗でも、いま出来た暗も、光がともれば同時に消えます。それは光の前には暗は消えるのが真理、法則だからであります。暗は実に無いのが真理だからです。それを百万年前からの暗が、いま出来た暗に向って、「おれはこんなに長く暗をやつているんだから、いま出来たばかりの暗と同じ扱いをするのはけしからん」と言って、どんなに頑張ってみても意味をなさないのであります。それは真理によってそうあるのです。これを「七つの燈台の点燈者の神示」では、「疑わずにわが光りを受けよ」と録(しる)されているのであります。
ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。よく講師が「話だけ聴いても駄目だ。実行しなければ駄目だ」と言われることがありますが、これは“実行”という救われるための一つの修行科目があるのではないのです。それは、“この身このまま救われていることを素直に喜ぶということを実行せよ”ということなのです。実行ということによって救われるのではないのです。救われずみであることを喜ぶのです。「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。
4450
:
「訊」
:2014/10/09(木) 09:25:56 ID:???
「今すべての病人は起つことが出来る」と録(しる)されているのは、実に神の無条件の生かす力が言い現わされているのです。“今”とは、このまま、そのままであって、これから何らかの時間を経ての人間の努力の結果ということではないのです。“今”ということは“既に”ということであります。“すべての病人”とは、生長の家に入っているものも、入っていないものもということであります。山を見ても、川を見ても、草木を見ても、それがどれだけ生長の家を熱心にやっているかどうかということはナンセンスであります。釈迦は「山川草木国土悉皆成佛(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)」と言ったのです。そのように、天地一切のものは生長の家であるというのが「今、すべての病人は起つことが出来るのである」ということであります。
これが生長の家の大宣言であります。普通は、「他の教えを熱心にやる必要はないが、この教えだけは熱心にやる必要がある」ということになってしまうのです。それを生長の家では、天地一切のものはすでにすでに、この教えにふれているものもいないものも神であり、生長の家そのものであります、「ありがとうございます」と拝んでいるのであります。この天地一切拝みの教えが生長の家です。ですから、聖なる無我の輝きがそこにあるのです。「おれが救ってやる」というようなものではないのです。教えもそうなら、ご本もそうなのです。「これを読まなければ救われんぞ」というのではないのです。「この本をお読みにならなくとも、そのままで完全であることを拝ませていただくために、この本があるのです。」と本が無我となっているから、「聖典」と拝まれるのです。『生命の實相』には「物質無し」と書かれておりまして、それは本自身が“私は無いのです”と自我を完全に死に切っているのです。こんな尊い本に私たちは日々ふれているのであります。ですから私たちも、ただただ、ひたすらに拝み、讃嘆していく一すじなのであります。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
4451
:
a hope
:2014/10/09(木) 11:23:18 ID:cEpBaIdo
>>4446
「訊」さま
すばらしいアドバイスをありがとうございます!
<<有難いことに雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。>>
本当ですね。
ありがたくて涙がでそうです。
その後ご紹介の、「藤原敏之」先生「榎本恵吾」先生「吉田國太郎」先生「徳久克己」先生
「末井勉」先生、「平岡初枝」先生などという愛弟子といわれるような先生方の御本からも
わたしたちはいくらでも「生長の家」の教えを学ぶことができるのですから、組織などに所属しなくても全然大丈夫ですね。
ですが、真理を共に学んだり、語ったりする仲間が全くいないというのも寂しいものです。
だから、わたしと同じようにどこの組織にも所属せず独学で学んでいる「訊」さまの存在はわたしにとってとても大きいです。
無理なさらない程度でいいので、これからもweb誌友会にご参加よろしくお願いいたします。
ところで、話題は『天皇国日本』のことに移りますが・・・
「天皇国日本こそ御教えの根本」そして「これを語らないのは生長の家ではナイ」などといわれてしまったら、
わたしも完全にひいてしまいます(;’∀’)
今までわたしもそれなりにお勉強してきたので、日本の天皇制度の素晴らしさは理解しているつもりなんですが、
時代が変わってしまったわけですから、今現在そのことを前面にだして運動してしまうと、
「訊」さまやわたしのような拒絶反応を示す人がほとんどではないかと思われます。
―――――――――
※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。
妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。
――――――――
この「訊」さまのご意見にわたしも賛同させていただきます。
たとえ、天皇信仰が万教帰一の頂点に立つ教えであったとしても、天皇信仰を持つ日本人に対しては説得力があると思いますが、
そうでない人たち(特に外国人や左翼の方がた)には残念ながら全く説得力はないと思うのです。
むしろ、反論されてしまい、それこそ「大調和の教え」に反する「対立」を起してしまうのではないでしょうか?
それに「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。
4452
:
「訊」
:2014/10/09(木) 11:36:17 ID:???
>>>それに「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。<<<
その通りです。根本教義は天皇ではなく、「それは切り口に過ぎず」、実相なんですよね・・・・根本って。
で、「永遠のキリスト」から実相を語ってもいいし、「仏性」から実相を語ってもいい、それが「雅春先生の偉大さ」ですよね。「久遠の今」という切り口もありますし「観世音菩薩」もありますが、天皇国日本って・・・・・・・御著書にもある通り、これは、方便・対機説法に於ける切り口のひとつです。実相を語るに於いて「天皇を外したらイケナイ」とか、言っておられる方あらば、「それは間違い」ってモンですよね。
で、こんな書き方をすると、いやつまり、「天皇とは真理を語る切り口のひとつ」なんて言うと、不敬だ!とか、そんなことを書きたがる方もおられます。もう、こういう光景が残念・・・・・・・・断言しますがその方は、「天皇を解しておられない」ですしまして、雅春先生の愛国書なんて「読んでもおられない」と観ますね。
・・・・・・そんな方々と勉強しても、もはや、「迷いの淵を彷徨うダケ」です(笑)。WEBを通じてトキさんみたいな方と勉強していくのが、精神衛生上は◎だと感じてます。
拝
4453
:
秋だけど春
:2014/10/09(木) 20:33:22 ID:VCnID1c2
>>「天皇国日本こそ御教えの根本」
と云われた上で、
「これを語らないのは生長の家ではナイ」
など、妄言を吐かれる方々です。(※)そんな方々とは一緒に学びたくはナイですし、<<
監督、ものすごーーーく、残念に思います。
監督は、本流と色んな事があって、毛嫌いしている事もあるのでしょうが、監督自身も、相手を神の子さんとして拝む気持ちになれれば、
また、違った面が見えてくるのかとし思いますし、直にあってないからこそ増える不信感みたいのも、あると思いますよ。
4454
:
秋だけど春
:2014/10/09(木) 20:39:39 ID:VCnID1c2
私は神道から生長の家に入ったので。すんなり理解しましたし、当たり前の事を言っていると思っています。
ただ、雅春先生命みたいには、なれません。
私は、御皇室と靖国神社の英霊様が一番だから、です。
監督、葦津珍彦先生の御著書は、読まれましたか?
4455
:
秋だけど春
:2014/10/09(木) 20:46:36 ID:VCnID1c2
>>実相を語るに於いて「天皇を外したらイケナイ」とか、言っておられる方あらば、「それは間違い」ってモンで
すよね<<
完璧に、違います。
日本国の実相顕現は、天皇国日本であることです。
以前に紹介した、信徒用の、よまれていないでしょう?
4456
:
秋だけど春
:2014/10/09(木) 21:56:04 ID:R/XQXrSM
a hopeさんにもお願い致します。
両陛下がおおわしますことで、日本の国民のだれ一人として、救われない者はいないということ。
生長の家にはげまれるのであればなおのこと、聖上に感謝することの意味、ここをもっと、勉強して下さい。
両陛下は、日本の最前線にお立ちになり。日本の外交にも御精力頂いています。
祖国と日本とか、少し 、ご覧になるといいと思います。
御自分たちのためでなく、御皇室の為にお役にたつたちばにあるのが、国民でから。
敗戦の責任も、国民が陛下にお詫び申し上げる立場であると言うことを、
御理解いただきたいと思います。
4457
:
不生の仏心
:2014/10/09(木) 23:56:22 ID:zTvAOV2w
>>4451
>>「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。
●世界の国境抹消運動の、もう一つは、日本より始まっている大日本世界国運動であります。世界各国の国境を消し去って、全世界にひろがる唯一つの大い
なる大日本国を建設しようとする運動であります。これは天照大神の下し給える『豊葦原の瑞穂の國は代々吾が子孫の王たるべき地なり』との御神敕以来、
着々として霊界から其の歩みを進めている運動でありまして、単に資本主義組織に対する反動として、近頃に起こって来たやうな根底の浅いものではない
のであります。だから、この運動には全世界が一国でなければならないと云う、古今を通じて誤らざる真理と、全世界には中心が唯一つだけあるべきだという
天地一切の事物に通ずる真理とが、完備しているのであります。『瑞穂の國』と申しますと・・略・・現実の國、世界全体を云ったものであります。
世界全体は大日本天皇陛下の代代王たるべき地であると云ふことは、天照大御神の御神敕以来定まっていますので、それがまだ実現しないでいるのは
準備時代であるからであります。・・略・・日本の皇位は、天祖の詔勅によって連綿としてつづくべき宇宙意志によって定められていますから、・・略・・
大国主命(世界各国分立主義)はみづから進んで国土を天孫に奉還しない。そこには全人類の幸福のために大日本世界国家を造るべく国境抹消運動として
武力行使が已むを得ず必要になって来るのでありまして満州等へ日本が兵を用いているのもその運動の一端であります。・・略・・
衣の相からでも日本人は世界統一の使命を持っているのであります。・・略・・世界を統一統治する使命を有った民族だと云ふことができるのであります。
●以上の引用は『大生長の家』に就ての神示の後に、第一章「中心(すめろぎ)に帰一する道」として、第二章「生長の家より観たる創世記」、
第三章「生長の家より観たる法華経」の前に聖典に載っていたものです。
今は第十二巻万教帰一篇第四章にちょろっと書かれているのみです。ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。
4458
:
不生の仏心
:2014/10/10(金) 00:39:40 ID:zTvAOV2w
又こんなことも書かれている
新年、目が覚めたら、まず口を漱ぎ顔を浄め、四方を拝し心を悉く浄めてから、天皇陛下を拝み(おろがみ)まつれ。
みたみわれの悦びが沸々と心の中に沸り(たぎり)たつて来るであろう。
真に拝まないと本当のことは分からない・・略・・
何と云っても吾々日本に日本には、天皇陛下がいらせられることは有難い極みである。 「生長の家誌巻頭言」より
『真に拝まないと本当のことは分からない』 『天皇陛下がいらせられることは有難い極みである。』これも対機説法なのかな?
4459
:
「訊」
:2014/10/10(金) 05:57:01 ID:???
>>秋だけど春さま
いやたぶん、当方の真意を誤解されておられます。わたしはなにも、聖上への軽視を以て「=御教え」とか、そんな風に考えているのではナイのです。再度掲載致しますが当方の真意とは以下文でして、
―――――――――
※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。
妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。
――――――――
・・・・・ご確認頂きたいのは「妄言」の意味です。そして、その妄言とは「それだけ!な方々」とお伝えすれば、よいのかもしれません。
さて、妄言とは以下のような事を指すのでありますけれどもたとえば、「天皇国日本以外、実相を語る切り口はナイ!」とか申されて、そして、「天皇以外の切り口から実相を語る者は、生長の家ではナイ!」などと申される方々、その発言内容を指します。さらにそして、上記文中で触れた如く「個人としてそう信じる方」があるのは当方、別に問題とはしておりません。「天皇=御教えの根本」と個人的に思うのは、構わないと思うのですが、問題だと思うのは「天皇以外の切り口を認めない!」種の発言です。これを問題としておりまして、「妄言」と表した次第です。
・・・・ですので、皇室軽視とかの、そんな問題とは別種です。(当方はそう感じておりますが)
拜
4460
:
「訊」
:2014/10/10(金) 09:25:33 ID:???
>>4459
の補足
この、
>>4459
当方主張をまとめれば、
・ 「天皇こそが根本教義だと〝個人的に〟信ずる」・・・・・○(妄言ではない)
・ 「天皇以外の切り口から真理は語れない」・・・・・×(妄言である)
という感じです。たぶんこれで、間違ってはいないと思いますがいかがでしょう。
さて、雅春先生の説かれた御教えとは、「玄関はどうでもイイから早く奥座敷に入りなさい」と云うものでありました。そして、「玄関」とはたとえば、「実相を把握する際の入り口」を意味するのでありまして、これには「永遠のキリスト」であるとか「釈迦牟尼如来」であるとか、あるいは、「久遠の今」であるとか「住吉大神」であるとか、「観世音菩薩」であるとか・・・・・・まあ、ありとあらゆる「玄関」、すなわち、「真理に入っていくにあたっての入り口が用意されている」わけです。これが雅春先生の哲学の「一大特徴」なのでありますが要するに、実相を把握するのが目的(=奥座敷)なのでありますからなにも、「入り口の部分で宗教同士が争うことはナイではないか」なのです。
・・・・・で、「天皇国日本」もその、玄関のひとつです。奥座敷ではナイのです・・・・・ここが、重要だと思います。
・・・・・・ところで「個人的に信ずるのは構わない」の件ですが、たとえば、生長の家に学んだキリスト者が生長の家を、「キリストこそが根本教義」と解する自由があるように、「天皇こそが根本教義」と解する自由は個人には、ありましょう。しかしながら以下も重要なのですが、問題が生ずるとすれば、「玄関と奥座敷の取り違い」です。詳しく述べますが、まあ・・・・
・・・・・・玄関に過ぎない「キリスト」「天皇」を「奥座敷だとカンチガイ」されますと、これは問題だと思います。こんな感じですとたとえば「釈迦牟尼如来から実相を把握しようとしている人たち」が、背教に見えましょう。これは、問題です。個人的に「天皇=根本」と信じるのは構わないにせよ、その、「天皇国日本」という切り口以外にも奥座敷に上がる入り口は多々、用意されているわけでありますから、「天皇に触れていない!天皇に触れずに実相を語るな!」なんて言葉はやはり、おかしいと考えます。まあ、当方主張はザックリと言えば、こんな感じでございまして決して、皇室の軽視ではナイのです。その辺が伝われば幸甚ではありますが・・・
拜
4461
:
a hope
:2014/10/10(金) 09:51:04 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p90 8行目〜
われらすべての人間の実相は「神の子」であり、「仏子」であり、どれほど讃嘆し合っても言い顕すことができない善美の真(まこと)を備えているのであります。
そう思って人間を観よ、良人を観よ、妻を観よ、両親を観よ、子を観よ。
そう努めとき、その善さはしだいにハッキリ見えてくるでありましょう。
相対する人間が変貌し、家庭が変貌し、全世界が変貌し、全世界のすべてがその人の前で光り輝いて見えてくるでありましょう。
なんというそれは愉快なことでありましょう。
悪しきことのいっさいは姿を消して、光り輝く実相のみが見えてくるのであります。
われわれがいっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る心の眼が慣らされてくるときは、
立ち向かう世界が美しく輝く世界に変貌してくるばかりでなく、自分自身が、根本的に変わってくるのであります。
自分が偉(おお)きくなり、寛(ひろ)くなり、裕(ゆたか)になり、悠々(ゆうゆう)となり――自分自身の実相がでてくるのであります。
世界で最大の人物とはどんな人物であるかといってみるならば、いっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る眼を開いた人のことであります。
釈迦は実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであり、キリストも実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであります。
(つづく)
4462
:
a hope
:2014/10/10(金) 09:52:15 ID:cEpBaIdo
(
>>4461
a hope所感)
>>4447
~ 「訊」さま 素晴らしい榎本恵吾先生のご文章を紹介くださりありがとうございます。
そして、
<<榎本先生が、「善くなるとか悪くなるとか、知ったことじゃない」と仰っておられるのですが、実に深い示唆がされているのです・・・・・・さて、人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか「知ったことじゃない」、その真意とは?>>
とのご公案ですが、榎本恵吾先生は 「実相」しか見つめていらっしゃらなかったからそのようなお答えをされたのだとわたしは思いました。
だって、『善くなるとか悪くなるとか』、『人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか』というお話は、すべて現象世界のお話で、
実相世界は「善一元」「光明一元」ですから、現象に見える「悪」や「光明化すべく不都合なこと」は「本来無い」ことですものね!
―――――――
○「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」
○「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。
○ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。
○「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。
―――――――
恵吾先生のご指導は、上に抜粋したように、心の法則である横の真理をほとんど説かれず「実相独在」に徹していらっしゃいました。
<<世界で最大の人物とはどんな人物であるかといってみるならば、いっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る眼を開いた人のことであります。
釈迦は実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであり、キリストも実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであります。>>
勿論、谷口雅春先生も、釈迦、キリストと同様、実相を観る眼を開いていた偉大な人物だったわけですが、
わたしは最後まで「実相独在」を貫かれた榎本恵吾先生も、またとても偉大な先生だったのではないかと感じています。
4463
:
a hope
:2014/10/10(金) 09:56:06 ID:cEpBaIdo
>>4435
〜 春さま
お久しぶりです。
今回は、web誌友会にご参加くださりとてもうれしいです。
感謝 合掌。
>>4456
では、わたしにご忠告、そしてアドバイスをいただきまして、心より感謝いたします。
天皇制度に関しては、自分が日本人でありながら、まだまだその真理を充分理解していないというのは自覚しています。
ですが、現代の日本で「生長の家の教え」を広めていくためには、まずは、「人間神の子」の真理から始めないと、
信徒の数も頭打ちしてしまうような気がするのです。
理由としては、
>>4459
>>4460
の「訊」さまのご意見にほぼ同じですが、さらに言わしていただけば、
「人格の自由」(選択の自由)が与えられない宗教団体には、カルトのにおいがしてしまうからです。
わたしは「生長の家」は「唯神実相」が基本真理で、その真理において「万教帰一」が成立していると信じているのです。
この根拠は、『神の真義とその理解』の中の一部である「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」の文章です。
以前、復興Gさまが
>>1082
〜謹写してくださっています。
<<ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。
ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、
仏教は斯う云うものであると言って話もする。
またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。
また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』には斯う書いてある、
老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を一つにして説いて、
相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、
一定の生長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、
生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。>>
これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?
ただ、「生長の家」が天皇国日本において生まれた宗教で、創始者の谷口雅春先生も当時は当然のように天皇を信仰をされていたという事実が、
とても重要な意味を持っているのではないか・・・と、わたしはそのあたりまでの理解にしか至っていません。
4464
:
a hope
:2014/10/10(金) 10:00:22 ID:cEpBaIdo
>>4457
〜 仏心さま
またまた、興味深い御文章を紹介くださりありがとうございます。合掌。
今日はこれから仕事なので、夜、ゆっくり拝見し、後日お返事させていただきますね。
4465
:
秋だけど春
:2014/10/10(金) 19:32:48 ID:K05YJkU6
訊け監督,a hope様 こんばんは。
監督の言いたい御真意、了解致しました。
a hope様、天皇国日本に生まれ、先祖&先輩と繋がった時の感動=日本人としての自覚、
これを私は30過ぎで得ました。
その時の感動や、運命の激変は、得難いものでした。
生長の家は、私にとっては、(正しい宗教は、国家鎮護=御皇室の安寧を祈願している)
日本国に対して恩返しが出来ない自分に絶望していた時に出会った
一つの(言い方は不遜ですが)ツールなんですよね。
生長の家が、国家に対して役に立たなくなって、会員数7万を切ったのも、時代の流れだし、
戦中・戦後の混乱期に発達したのも、時代の要請で。もとのような
会員数にはならないし、その必要が無いと思っています。
(各業界に、既に根を張っているから)
4466
:
秋だけど春
:2014/10/10(金) 19:41:38 ID:K05YJkU6
>>これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?<<
神示に、全て書かれていますよ。
4467
:
秋だけど春
:2014/10/10(金) 20:30:11 ID:K05YJkU6
a hope様
私は女性的な人間ではないので、貴女のように、丁寧に相手に接する人は出来ませんが。
今日限られた時間でお話出来る事は、書かせていただきます。
靖国神社と言うのは、何代か失念致しましたがある御代の陛下の為に
戦い、命を落とされた方の御霊を、今後も御皇室を護って頂く趣旨で
ある祠だか神社を立てられた。
その流れが、靖国神社建立の意義で、上野の地は(幕末)血で穢れているから、
九段の(今の)位置が、定められたのだと聞いております。
死してなお、御霊になって、皇居をお守りされているのが、英霊様達です。
a hope様に提示しようとしていた神示のお護り、無くなっていました。
必要でなくなったものは、自然に無くなるんですね、教えられたとおりだなあと、思いました。
いつか、天皇様の事を語り始めたら、涙が出てくる。。。
こんな日本人になっているa hope様を、期待して、御見守りしたいと思っています。
感謝 合掌
4468
:
a hope
:2014/10/11(土) 00:21:51 ID:cEpBaIdo
>>4457
仏心さま
<<●世界の国境抹消運動の、もう一つは、日本より始まっている大日本世界国運動であります。
世界各国の国境を消し去って、全世界にひろがる唯一つの大いなる大日本国を建設しようとする運動であります。>>
わたしは今回初めて『世界の国境抹消運動』という言葉と『大日本世界運動』という言葉を聞きました。
そしてその運動は、「着々として霊界から其の歩みを進めている運動」であり、
さらには「この運動には全世界が一国でなければならないと云う、古今を通じて誤らざる真理と、
全世界には中心が唯一つだけあるべきだという天地一切の事物に通ずる真理とが、完備している」とありますね。
とても興味深いです。
ですがこの件に関しましては、仏心さまが謹写してくださった文章からだけではその本当の文意が読み取れないので、
仏心さまの
<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。 >>
というご質問には、お答えすることはできません。
(つづく)
4469
:
a hope
:2014/10/11(土) 00:24:20 ID:cEpBaIdo
(
>>4468
つづき)
ですが、以前、やはり仏心さま(曳馬野さまでしたっけ?)とお話しているときに、偶然ですが、
「邁進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に、頭注版「生命の實相」第13巻のオリジナル版とも言える文章を見つけました。
その内容でしたら、すべて拝読しましたのでお答えできます。
まずは、以下に「驀進日本の心と力」と頭注版「生命の實相」文章を比較してみた時の、
わたしの感想文を転載させていただきます。
――――――――――――
>>4097
より
これは、たぶん、曳馬野さまがさかんにおっしゃっている、戦前と戦後で聖典の内容が変わっているという、
事例の一つなのではないかと思うのですが・・・
昨晩、聖典引用板にまとめた、「生命の實相」第13巻のp170 後ろから3行目〜の「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」
の文章のオリジナル版とも言える文章を、「驀進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に見つけたのです。
(わたしは、この聖典は以前ある方からPDFファイルの文書としていただき保存してあったのです。 感謝 合掌)
それどころか、今回のテキストである第13巻の今お勉強中の第六章「価値の本質」が、「驀進日本の心と力」の中では、
第1篇「日本精神の倫理」としてほぼ同じ内容で記載されていて驚きました。
まだ、全文をちゃんと確認したわけではないのですが、わたしの持っている「生命の實相」頭注版(昭和38年初版発行)にはない文章が含まれていたり、
表現もところどころ変わっているのです。
わたしが感じたところでは、【頭注版では】愛国を思わせるような表現はすべて違う言葉に換えられていて、
文章も愛国心や天皇に関するものは削除されているようです。
特に、昨晩お勉強していた、「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」【生命の實相13巻p170】のタイトルは、
「驀進日本の心と力」の中では「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」となっているのです。
そして、そこには、日本神国、天皇に関する生長の家の倫理学的見解がかなり詳しく述べられていて、
わたしはその部分は、今日、もう何度か拝読しましたがとても興味深い内容でした。
「生長の家」が天皇信仰であるという根拠にもなるような御文章ですが、
ですが、現在出回っている「生命の實相」には、その御文章が削除されているのはなぜでしょうか?
頭注版「生命の實相」は、谷口雅春先生が直接編集に関わられていたのではないかと思うのですが・・・
―――――――――――
(つづく)
4470
:
a hope
:2014/10/11(土) 00:27:54 ID:cEpBaIdo
(
>>4469
つづき)
その後、志恩さまのご指導で、それが戦後の占領軍政策の言論統制への対象となってやむなく聖典から削除された御文章なのだとわかりました。
ですがその後何年かたって、言論の自由が認められた後も、雅春先生はその時削除された「愛国心や天皇に関する御文章」を聖典に戻されませんでした。
いったいそれは何故なのでしょうか?
その内容を拝読するとわたしはすべてが「真理である」と感じましたが、
同時に「時代の流れともに表現を変えていかなければ相手に通じなくなった『対機説法』だったんだな」とも思いました。
仏心さま、わたしはこの現象界で相手にコトバのよって「真理」を伝える方法は、『対機説法』(方便)以外ないと思うのです。
ですから仏心さまの最初のご質問、
<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?>>
の関しては、どちらも「YES」が答えになります。
そして最後のご質問、
<<時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。>>
これに関しては「変わらない」と漠然と感じていますが、わたしは、まだ、その理由を説明できるまでに真理の理解が進んでいません。
4471
:
a hope
:2014/10/11(土) 10:13:24 ID:cEpBaIdo
>>4470
訂正
わたしはこの現象界で相手にコトバ【の】よって「真理」を伝える方法は、
↓
わたしはこの現象界で相手にコトバ【に】よって「真理」を伝える方法は、
4472
:
a hope
:2014/10/11(土) 10:15:29 ID:cEpBaIdo
>>4465
〜 春さま
お返事をありがとうございます。合掌。
<<いつか、天皇様の事を語り始めたら、涙が出てくる。。。
こんな日本人になっているa hope様を、期待して、御見守りしたいと思っています。>>
わたしも日本人ですから、天皇信仰のことはもっともっとお勉強してその真理に感動して涙できるくらいになりたいと、心から思っています。
春さまが、わたしを見守って下さっていると思うとさらに意欲が湧いてきます。
春さま、また、いつでもお気軽にweb誌友会にご参加くださいね。
4473
:
a hope
:2014/10/11(土) 10:30:05 ID:cEpBaIdo
http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/26057265.html
「大和の国の神示」で検索していると、上のお方のブログがヒットしました。
ですがこの記事は今は閲覧不可になっている、「訊」さまのブログからの転載のようです。
もしかしたら、春さまがわたしにご教示してくださろうとしたのはこの神示だったのかもしれないと感じたので、
以下、転載させていただきお勉強させていただきます。 合掌。
4474
:
a hope
:2014/10/11(土) 10:31:07 ID:cEpBaIdo
大和の國の神示
われ再び大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と 云ふ意味について語らん。天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云 ふ意味の象徴的表現である。日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエス の『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。それが真の大日本世界國(ひかりあまねきせかいのくに)である。大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に 御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。天孫とは肉體のことではない。「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思 つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふ ことはない。あまり自惚れるから間違ふのである。大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまね き」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるか ら、総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平 和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。肉體のことではない。
(昭和二十一年一月六日朝の啓示による)
4475
:
a hope
:2014/10/11(土) 10:39:14 ID:cEpBaIdo
「大和の國の神示」講義
〔われ再び大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と云ふ意味について語らん。〕
神示の冒頭に「われ再び・・・」と言われているのは、生長の家の草創期に天降った「久遠天上理想国実現の神示」(昭和七年五月二十七日)、「実相金剛身の神示」(昭和七年九月二日)、「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)を通して、神は「日本国」と「天皇」の実相を明らかにされたが、大東亜戦争と、それに続く連合国の日本占領によって、日本国民の永続性と久遠性との自覚が破れ、国家大権と天皇大権が一時中断されたなかで再び「天皇」と「日本国」の実相を明らかにしようとされたからであります。
さて、「天津日嗣」の〝天津〟とは、天津神すなわち「実相の神」のことでありますが、本源の神としては天之御中主神様を申し上げ、これが陰陽二つの働きに分れて見れば高御産巣日神(たかみむすびのかみ)様と神産巣日神(かみむすびのかみ)様の二柱の神様のことを申し上げているのであります。つぎに〝日嗣〟(ひつぎ)というのは〝日〟は即ち〝霊〟(ひ)であって「霊的理念」のことであります。従って「天津日嗣」とは、天之御中主神の中心帰一の原理であるところの「中」(みなか)の理念を承け継ぐということであります。つづいて「天孫降臨」と云うことでありますが、〝天孫〟の〝孫〟とは子のつぎの三代目になる孫といった意味ではなく、「天の御心」(理念)の真子(まこ)即ち「真実の子」(真実の具体化)という意味であります。ですから「神示」には、
〔天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云ふ意味の象徴的表現である。〕
と示されているのであります。つづいて「神示」には、
〔日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。〕
と、示されているのであります。これはどういうことであるかと申しますと、天孫が天降ってきて、この世界を治めるということは、何も、肉体の孫がでてきて全世界を治めるということではないのであり、「天の父のみこころ」を受けた真(まこと)の子すなわち、皇孫尊(すめみまのみこと)によって全世界を治める時期が来るということであります。それは「御心の天になるが如く、地にもならせ給え」と祈れとイエス・キリストが言われたそれと同じ意味のことであります。
(つづく)
4476
:
a hope
:2014/10/11(土) 10:40:44 ID:cEpBaIdo
(
>>4475
つづき)
「御心の天に成るが如く、地にもならせ給え」というのは、「神の御心が〝天〟即ち〝実相の世界〟に既に成就し実現しているのであるが、その如く〝地〟即ち〝現象世界〟にも実現し成就せしめ給え」という祈りであります。その「御心の天に成る」世界が大日本世界国であるというのであります。神示には「大日本世界国」と書いて、「ひかりあまねきせかいのくに」とふり仮名がつけられているのでありますが、漢字よりもこのふり仮名の方にもっと深い意味があるわけであります。即ち〝大日本〟とはひかりあまねき国であって、日本列島の如き小日本ではない。〝ひかりあまねきせかいのくに〟これが「大日本世界国」であるのであります。
だから「大日本世界国」になることを、民族意識が昂揚(こうよう)して、日本民族が全世界を統一することだとそのように考えることは間違いなのであります。「大日本世界国」とはふり仮名でかいてある通り、「ひかりあまねきせかいのくに」であって、いわゆる黄色人種である日本民族の国というのは、小日本国である。本当の大日本国とはひかりの国であり、「ひかりあまねき」日本の国こそ大日本国である。それはすなわち「天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来る」ことだということであります。
従って「神示」に示されてあるところの「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に御奉還申すべき時期が來る」という意味は、「天孫」すなわち「天の父のみこころ」が全世界を治める時期が到るということであり、またイエスの『主の祈り』にある「御心の既に成る世界」が地にもならしめられる時が来るということであり、それが真の「大日本世界国」即ち「ひかりあまねきせかいのくに」となるということなのであります。
4477
:
a hope
:2014/10/11(土) 10:42:09 ID:cEpBaIdo
(
>>4476
つづき)
〔大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。〕
と「神示」に明瞭に示されている通りであります。そしてつぎに「天孫」とは「肉体ではない」ことが、はっきりと説かれるのであります。
〔天孫とは肉體のことではない。「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふことはない。あまり自惚れるから間違ふのである。〕
このように「天孫」とは「肉体ではない」ことがあきらかにされて、いよいよ「大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)」の真の意味について神は語られているのであります。
〔大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまねき」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるから、総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。肉體のことではない。〕
かくの如く神示にはしめされているのであって、天之御中主神の御霊を嗣ぎ給うスメラミコトの治しめし給う世界が、これが本当の大和の国であり、それは「肉体のことではない」のであります。
4478
:
a hope
:2014/10/11(土) 10:43:25 ID:cEpBaIdo
(
>>4477
つづき)
さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦(※)が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、自然に日本天皇がその首座に推されるほかはないと信ずるものであります。
「世界の未来は進むだけ進み、その間幾度びも争いは繰り返され、最後に戦さに疲れる時がくる。その時人類は必ず誠の平和を求めて世界的盟主をあげねばならぬ時が来る。この世界盟主なるものは、武力や金の力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた最も古く又尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならぬ。吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」(谷口雅春著書『秘められたる神示』170頁より)
『大和の国日本』29頁より謹写――
4479
:
a hope
:2014/10/11(土) 11:14:28 ID:cEpBaIdo
>>4478
の文章に重複部分があるようですが、
文意は伝わると思いましたので、そのまま転載させていただきました。
4480
:
不生の仏心
:2014/10/11(土) 21:02:24 ID:zTvAOV2w
>>「久遠天上理想国実現の神示」(昭和七年五月二十七日)、「実相金剛身の神示」(昭和七年九月二日)、「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)を通して、神は「日本国」
と「天皇」の実相を明らかにされたが
と云われる三つの神示を普通に読めば私が引用したような戦前の雅春先生の解釈になるものと思います。
「大和の国の神示」が三個の神示と同じに読めますか?
生長の家は、雅春先生は『天皇』をどのようなものと説き、皇位にある『肉体天皇』はどのような方であると説いているのでしょうか?
私には神自身が戦前に云ったことを言い訳しているように聞こえます。
4481
:
a hope
:2014/10/12(日) 17:02:33 ID:cEpBaIdo
(
>>4461
つづき)
生命の實相 第14巻 p91 6行目〜
実相ばかりをみていたら、現象を視る犀利(さいり)な批評眼を盲(めいし)にしてしまい、
本当の現象界に処して善処する実際的知恵を失ってしまいはせぬであろうか。
われわれが世に処してゆく上には裏の暗黒面までも想像してそれに善処する方策を考えておかねばならぬと説く人もあります。
そういう小才のきいた処世人は一時は成功するにしても、しばらくにして人格から光を失ってしまい、
偉さを失ってしまい、多くの人々をリードする人格の力を失ってしまって、大成することはむずかしいのであります。
今どんな知恵者でも、人間の悪い方面、暗い方面ばかりを探し出して得意になっているようなことでは、
自分自身の人格が低卑となり、小さくなり陋(みにく)くなり、ついには自分自身の人格の光が消えてしまうこと、
良人の暗黒面ばかりを見ている細君がヒステリーで倒れてしまうと同じようになるのであります。
われわれはある場合、この世界に、家庭に、良人に、子供に、いろいろの悪が顕れるのを見ることもありましょう。
不完全が顕れているのを見ることもありましょう。
そしてその悪を正しい不完全を正していきたいと欲(おも)うでありましょう。
しかし自分自身が不完全であっては、何物をも何事をも本当に改善することはできないのであります。
環境はただ自身の展開であります。
自分がすべてのものの実相の善さを見る心になってこそ、環境の一切人を、一切事物をよく整えることができるのであります。
誰でも少しく心理学的研究をした人は、悪を征服するのに、悪の存在を認め、それと組み打ち戦うよりも、
「悪」はないとして、ただ「善」のみを心に浮かべてその念の催しのままに行き行為していったとき、
かえって善が実現するものだということを知っているのです。
良人が細君を叱り飛ばして、そのために細君がよくなったという例は稀であります。
良人と妻と、親と子とが、互い互いに彼らに、「悪はない」と信頼し、励まし、喜ばし、鼓舞してゆくようにすれば、
互いの信頼が反響し、増幅し、人格向上の実現的効果は著しくなるのであります。
(第六章、終わり)
4482
:
a hope
:2014/10/12(日) 17:03:42 ID:cEpBaIdo
(
>>4481
a hope所感)
<<しかし自分自身が不完全であっては、何物をも何事をも本当に改善することはできないのであります。
環境はただ自身の展開であります。
自分がすべてのものの実相の善さを見る心になってこそ、環境の一切人を、一切事物をよく整えることができるのであります。>>
これが、唯心所現の真理であって、この真理を体得した人が「一切者の自覚」を持った人物ということになるのだと思いました。
みなさま、 ここで「第六章 恋愛・結婚・夫婦生活の倫理 」が終わりましたので、
次からは「第七章 家庭の宗教生活化」に進みたいと思います。
気軽にご参加くださいね!
4483
:
a hope
:2014/10/12(日) 17:04:54 ID:cEpBaIdo
>>4480
仏心さま
今夜、三つの戦前に天下った神示と終戦直後に天下った神示である大和の国の神示をじっくり読み返してみますね。
4484
:
a hope
:2014/10/12(日) 17:11:50 ID:cEpBaIdo
掲示板をご覧のみなさま
実は、大熊先生も昨日のブログで『生長の家の斎神』に関してとても重要なご教示をしてくださっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151
以下に一部だけ、掲示板用に読みやすくするために改行を詰めて紹介させていただきます。合掌。
―――――――――
谷口雅春先生は、幽斎殿の斎神は、当初「天照大御神」「住吉大御神」「観世音菩薩」と思われていた。。
しかし「御心」を問われているうちに、霊感のある女性から来た手紙での指摘に「神意」を観られるのである。
そして、斎神を決定される。
「天照大御神様」
「塩椎大御神様」
「住吉大御神様」
御三神であると。
その意味は、「天照大御神」様の具現化としての「住吉大御神」様、「塩椎大御神」様であるが、
「塩椎大御神」様は、「御心」の具現であり、「御教え」であり「聖典」の象徴である。
「住吉大御神」は、その「御教え」を行動化(「浄化」澄み良し)する象徴であるのである。
しかして・・
3・11「東日本大震災」では、塩釜神社を祭祀する、宮城県を中心として「津波」の被害を受けたのであった。
聖典を象徴する海の神(産みの神)塩釜(塩椎大神)が、津波(流産児の涙)で・・冒されたのだ。
なんということであろう。
(つづく)
4485
:
a hope
:2014/10/12(日) 17:13:02 ID:cEpBaIdo
(
>>4484
つづき)
昭和60年5月24日。
最終講話で尊師は、私はもうお話しすることはない。
全て本に書いてあるから、読んでいただければいいのです。
とはっきり御遺言されたのでありました。
それを踏まえていうならば、生長の家的な、解釈であれば、
「御教え」である「聖典」の多くをおろそかに(読めなく)することそのものが真理隠蔽となるのであります。
そのことで必然、最初で最後谷口雅春先生が、神の御名で出された大号令。
「神命の書」さえも隠蔽されたのでありました。
(「神命の書」の写真)
幻の「神命の書」がいのちを守る奇蹟の事務所に届いた。。
ご覧になりたい方は事務所にお越しください。
そのことで・・「中絶」止まず、戦後総計、1億5千万人以上の「かわいい赤ちゃん」を無残に殺し続けた飽和点こそ、3・11ではなかったのか。
その深い意味が分かるのは・・谷口雅春先生から御教え(生命の實相・原理原則)と、
個人指導の根本となる、生命の法則(指導原理)(こうしたら、こうなる・・)を伝えられたからである。。
青天の霹靂どこではない。聖典の喪失である。
なんという皮肉。その直前に、教団から「聖典」は失われた。
自ら、社会事業団を「著作権問題」で訴えて、結果(最高裁で敗訴してしまったのだ)。
これからも裁判闘争が続くかもしれませんが、教団の勝訴は、まず、無理でありましょう。それは、失う前に捨ててしまった、その心の形の具現こそが「裁判」での「最高裁」の判決でありましょうから。
私はそのことを、一信徒として深く悲しむものであります。
[ただし例外としては「理念」たる大調和の精神を回復すれば聖典は戻るはず。
その方法・・メルクマール(目安)は、(1)住吉(澄み良し)の理念を回復し、
(2)尊皇の路線(完全平和)を回復し、(3)日の丸君が代を尊崇する精神(みすまる)を回復する事です。
そのことで、必然「聖典」は尊重されて、続々「再刊」「復刊」されるでありましょう。これぞ、塩槌の大神の復活であります。]
創始者谷口雅春先生の奥様であり、私たちの教えの母でもある「谷口輝子先生」は、裁判は生長の家に似合わない。
裁判というものは避けるべきものであると語られていたという事をよく聞きます。さすがであるな、と思ったものでした。
大調和こそ、御教えの根幹であるが、人間関係が「壊れたとき」に、和解ならぬ「裁判」があるわけで、
自ら裁判で訴えて負けるとは、生長の家史においては前代未聞。
当代では今後・・予想がつかないが(4代目以降も)、最低限の「モラル」がある限り、あり得ない事であろうと思う。
もし、このことが「恥ずかしい事」であるのなら、総裁先生おひとりの責任ではない。
私も信徒の末席にある者。信徒も含めた「生長の家」教団全員の全体責任であると思う。
聖典をおろそかにしている点。赤ちゃんを見殺しにし続けている点。
もうひとつ、畏れ多い事であるが、あえて言えば、「鎮護国家」外しは、生長の家出現の理念を根底から覆すものであったことに関して、
私は当時「講師」として宇治別格本山で末席にあったとはいえ、指導をさせていただいていた責任において私の責任を「懺悔」しなくてはならない。
御恩をいただいた多くの上司(谷口雅宣総裁先生)、先輩、同僚を含めて、限りない慈愛を戴き放しであり、
私も、この時期に「録を食んだ者」として・・安易に、批判できる立場にはない。
ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。
もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。
そこには、尊師(生長の家・生長の家大神)が「鎮護国家」のためにこそ、出現されたことの因縁が重ね重ね書かれてあるのだ。
生長の家の「悟り」と「神観」の全貌がそこに明記されているのである。
――――――――――
4486
:
a hope
:2014/10/12(日) 17:15:38 ID:cEpBaIdo
(
>>4484
>>4485
a hope 所感)
<<ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。
もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。>>
とありますが、正直に言えば、わたしは「鎮護国家」外しにほとんど違和感を感じませんでした。
鎮護国家という意味自体が全くわからなかったからです。(今もよくわかりませんが・・・)
大熊先生はその理由として、「神の真義とその理解」を読んでいないからだといわれています。
以前、一部を復興Gさまが謹写してくださったので、今、それも読み返そうかと思っています。
先日、春さまとのやり取りで少し紹介させていただきましたが、
>>1081
〜
>>1090
そして
>>1272
〜
>>1283
で拝読できます。
「生長の家の教え」は本当に深いですね。
でも、だからこそお勉強のし甲斐があるのですね!
4487
:
神の子さん
:2014/10/12(日) 23:37:14 ID:???
a hopeさま
>>(一) の方は榎本恵吾先生のご・主・張・で・は・な・い・のでです。
>>恵吾先生のご主張は、あくまも(二)であり、唯神実相、実相一元に徹し、貫かなければならない、とおっしゃっていますよね。
それなら了解です。よかった。実相独在、大好きです!!これをよくぞ知らせて下さった。雅春先生!って
つくづく思いますものね!これが知らなかったら、生きていけるのか?ですもの!
巷(ちまた)は 大概 ☆心の法則☆ が真理であったりするんですね。斎藤一人とか。
神人合一をめざすヨガや気功教室でさえも ☆物質有り☆。の考え方でしたからね。
話、それて ごめんなさい。 では、
4488
:
a hope
:2014/10/13(月) 18:14:49 ID:cEpBaIdo
>>4487
神の子さん
わかっていただけて、ホッとしました(*^-^*)
唯心所現や業の流転等の「心の法則」(横の真理)は生長の家でも対機説法(方便)として説くと思いますが、
それらは現象世界(霊界も含む)のことなので、「実装独在」の立場から言えば、「本来無い」ことなんですよね!
でも、現象世界があると思ってそれに捉われて苦しんでいる人に、
いきなり「実相独在」や「人間神の子(唯神実相)」の縦の真理を説いてもわからないから、
ふつうは対機説法(方便)として「心の法則」から説いていき、
最後に「そんなことはすべて現象世界のことであって、本当は病なし・迷いなし・罪なしなんですよ」って
「実相独在」「唯神実相」を説くのだと思います。
ですが、榎本恵吾先生は、心の法則はほとんど説かず、「実相独在」「人間神の子」の大乗を貫かれたのだと思います。
だかた、わたしは、恵吾先生はホントにすごい先生だったんだなって思っています。
トキさま、訊けさま 「生長の家」のみなさま わたしの上の説明に間違いがあればどうかご指摘をお願いします。
4489
:
神の子さん
:2014/10/13(月) 22:15:36 ID:pBuxGS.6
a hopeさん レス ありがとぉ。
あなたの言うので合ってると思いますよ。
実相独在は難しいですものね。でも自分が「うわっ幸せ!」って感じるときは実相独在が
ちょっとでも解った時なんですよ。(大した解り具合じゃないですけど)もう既に今、神の子なんですものね。
すごい教えに出会えましたよね。横の真理ぽっちしか知らなかったらどうなってたでしょう。
心なんか自由にならないから、却って苦しんだでしょうねぇ。
色々、とりとめのない事を言って申し訳ありませんでした。
4490
:
a hope
:2014/10/13(月) 23:49:55 ID:cEpBaIdo
>>4489
神の子さん
もしかして、神の子さんはるんるんさまなの?
わたしは、最近「うわっ幸せ」って感じること、すごく多くなってきていますよ。
栗の渋皮煮が上手にできて、主人がおいしそうに食べてくれたときとか・・・
子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきたりしたときとか・・・
ホントに大したことじゃないんですけどね。
家族が幸せそうな時に、わたしも「あー幸せ!」ってよく感じます。
「生長の家の教え」は家庭生活に生きてこそ本物ですよね。
ところで現在のweb誌友会のテキストの内容は「第七章 家庭の宗教生活化」です。
よろしかったら、またいつでもご参加くださいね!
4491
:
a hope
:2014/10/14(火) 20:59:12 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p94 6行目〜
十月十八日の朝のことであった。
ラジオの聖典講義であまりにも有名になられた某僧侶さんの聖典講義に敬意を表して、
唯声だけでもよいと思ってきいてみたが、あとにも先にもそれがわたしのその某僧侶の講義をきいた唯一回でありましたが、
その僧侶のいわれるには「本当の自分というものがこんなに醜く穢れた自分であるということを悟るのが宗教である」
と声を激していわれたのにはわたしは思わずラジオのスイッチを切ってしまったのでありました。
わたしにいわせれば、本当の自分というものは真清浄真無垢である。
それは神と同体、阿弥陀仏と同体であるのであります。
それが一時醜く穢れたる相(すがた)に見えようとも、それは本当の相ではないのである。
それは「非存在(にせもの)の我」の仮の相である――そんな醜い相は、アルように見えているにしても、
それは本当にあるものではない――本当の自分が根本からそんなに醜く穢れたものであるならば、
本物がそんなに下らないものであるならば、われわれは未来永劫救われっこはないのであります。
本当の自分が真清浄真無垢なるものであればこそ、そこにこそわれわれの救いが成立するのであります。
わたしは断言いたしますが、本当の自分は醜く穢れたものであると知ることが宗教ではありません。
どんなに外見が醜く見えようとも本当の自分は『法華経』の言葉を藉(か)りていえば窮子(まずしきこ)ではない、
無限長者の跡継ぎである、言いかえれば、神の子であるということを知らせるのが宗教なのである。
その宗教とはわれらの哲学や学説ではない、「われ神の子」の自覚がただちに生活となり、そのままが家庭となることであります。
(つづく)
4492
:
a hope
:2014/10/14(火) 21:10:04 ID:cEpBaIdo
(
>>4491
a hope所感)
わたしは、朝の家事の時やウォーキングの時など、出来るだけ、
谷口雅春先生や徳久克己先生榎本恵吾先生などの講話を拝聴するようにしています。
忙しく動いたりしていると、その内容なんかはよく把握していない場合もありますが、
それでも聞き流しているだけで不思議と心が落ち着いてきて、探し物が見つかったり、
忘れていたことを思い出したりと不思議にまわりの環境が整ってきます。
真理を体得されている人のお話は、ただ聞き流しているだけでも良い波動が伝わってきて、
自分も良い波動を出せるようになるのではないかと感じています。
<<・・・神の子であるということを知らせるのが宗教なのである。
その宗教とはわれらの哲学や学説ではない、「われ神の子」の自覚がただちに生活となり、
そのままが家庭となることであります。>>
どんなによい宗教(教え)であっても、それを信仰しているという人たちが、
その「聖典」をめぐって裁判をして争っていて、「大調和の教え」なのに和解する努力もせず、
相手の欠点を指摘し合って、批判ばかりしているような状態を見たら、、
いったい誰がその「教え」を心から信頼してくれるというのでしょう。
みなさまは、
『わたしは「生長の家の教え」を信仰しています!素晴らしい教えなんです。』
と誰にでも胸を張って言えますか?
4493
:
トキ
:2014/10/14(火) 21:55:19 ID:ChYKfF4M
>>4492
これは、講師とか幹部という人が自戒すべき点ですね。
谷口雅春先生は、「静思集」で、”先生と言われる事は、危ない事である”
と書かれていますが、先生、先生と言われると、いつか自己を見失う事があ
ります。初心に還る、基本を大事にする事こそ、先生と言われる人に大切な
のですね。
ちなみに、私は”先生”と言われる人ではありませんが、謙虚でないので、
反省をしております。
4494
:
a hope
:2014/10/15(水) 20:35:03 ID:cEpBaIdo
(
>>4491
つづき)
生命の實相 第14巻 p95 7行目〜
自分自身を醜いつまらない人間だと見る人は、また他の人をば醜いつまらない人だと見る人であります。
人は自分のとおりのものを相手に移入して、相手のうちに自分自身の影を発見するのであります。
家庭の中にあって本当の自分はつまらないと思う人があるならば、その人は他の家族に対しても、
本当の貴様は実に醜くつまらないと見る人なのです。
「あんなことをいっていても本当の貴様の腹の中は実に醜く穢(きたな)いものであるぞ」
こんな考えを持ってすべての家族に対するならば、その人の家庭の空気は必ずや窒息するように暗くなってくるのであります。
だから、妻に対してその「本当の彼女」を見るということは、
彼女の腹を割ってみたら出て来るであろうところの醜い穢らしさを見ることではなく、
その神の子なる完全なる実相を見ることなのであります。
良人に対してその「本当の彼」を見るということは、
彼の腹を割ってみたら出て来るであろうところの醜い穢(よご)れた内心を暴露することではない。
たとい、醜い穢れた内心があるように見えてさえも、それは本当の彼ではない仮相であるとして、
その仮相の奥に神の子たる十全の真の良人を見ることであります。
これが真の宗教であり、宗教が家庭に生きることなのであります。
たとい今の現われはどうあろうとも妻は良人の完全なる実相を見、良人は妻の完全なる実相を見、
親は子の完全なる実相を見るところに完全円満幸福なる家庭が出現するのであります。
理論ばかりでは、それが実際生活にどういうふうにあらわれて来るものであるかについて、
明らかな概念が得られないでありましょうから、
ここには、その一、二の実例をあげて説明することに致しましょう。
4495
:
a hope
:2014/10/15(水) 20:39:36 ID:cEpBaIdo
(
>>4494
a hope 所感)
この後、奥様が、酒のみで外泊ばかりする良人の実相を観て、愛し、敬し、信頼することで、
「世の中で一番悪い良人だと思われていた良人が、今では世の中にこんなに善い良人が
他にもう一人あろうものかと思われるほどによい良人になりました」というくらいに良い良人に変身させた実例と、
喧嘩好きで勉強嫌いでおまけに家庭内暴力をふるい家出までしようとしている中学二年生の息子を、
お父さんがその仮相を見ないで、実相の、善良なる神の子なる息子を見るようにしたことで、
息子のご機嫌が直り、家でも中止し、親思いのやさしい息子に変身させたという実例が紹介されています。
わたしは、この二つの実例への雅春先生の指導を拝見していて感じたのですが、
本当に相手の実相を顕現させるためには、いくら神想観をして完全円満な「神の子」イメージを浮かべ祈ってみても、
一方でその相手に対して悪感情をもっているようでは効果はないのではないかと思いました。
p98の2行目に、
<<この奥さまはわたしの忠言に従って、今まで良人の仮相(かりのすがた)を見て軽蔑していた念を捨てられ、
良人の実相を観て、愛し、敬し、信頼することにせられたのです。>>
とあるようにこの奥さまは、まずは『良人への軽蔑の念』つまり良人に対する悪感情を払拭されてから、
良人に対して、心からの愛と尊敬と信頼という良い感情を起こされました。
また、
p100の4行目に
<<学校の先生も、家庭の皆さんも、この子供は始末におえぬ不良少年だと思っているから、
その思っている念がそのお子さんに反映して、本来神の子なる善良なお子さんを悪く見せているのですから、
今日からそのお子さんを始末に終えぬ不良少年だなどと思わぬようにしなさい。>>
とあるように、雅春先生は、周りの人たちの「その子供は不良少年だ」と思い込んでいる悪念(悪感情)がその子に伝わり、
その子を不良少年にしているのだから、その念(悪感情)を変えるようにご指導されています。
本当の意味で「実相を観る」とは、ただ神想観をして相手の完全円満なイメージを脳裏に浮かべるだけではなく、
自分自身の相手に対する悪念(悪感情)を払拭し、愛・尊敬・信頼等の良い感情を起すことなのだと思いました。
そうすると、その良い念(波動)が相手に伝わり、相手も良く変わるのではないかと・・・。
それが、「自分が変われば世界が変わる」という本当に意味なのではないかと・・・。
そう考えてくると、何年も相手の実相を祈っていても相手がよくならないというのは、相手が悪いのではなくて、
自分自身に実相を観る力(自分の感情をコントロールする力)がないからなのではないかと今、漠然と感じています。
つまりは、自分自身の悪感情を払拭し、相手を愛し、尊敬し、信頼する力ということですが・・・。
次にあげられている、三十年間もある一人の女教師を恨み続けていたというB氏の体験談(p102)はとても興味深いです。
4496
:
a hope
:2014/10/15(水) 20:43:02 ID:cEpBaIdo
>>4493
トキさま
<< 谷口雅春先生は、「静思集」で、”先生と言われる事は、危ない事である”と書かれていますが、
先生、先生と言われると、いつか自己を見失う事があります。
初心に還る、基本を大事にする事こそ、先生と言われる人に大切なのですね。>>
本当ですね。
「先生」と呼ばれているから偉いと勘違いしてしまう人は、本当に危険かもしれませんね。
その道のプロであるから「先生」と呼ばれるわけですから、
「先生」と呼ばれるからには、人一倍その道(教義)のお勉強をしていただきたいとわたしもいつも思っています。
ところでわたしはトキさまの素性は未だに知りませんが、とても謙虚で素敵な方だと感じています。
4497
:
a hope
:2014/10/16(木) 11:00:03 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p102 後から5行目〜
B氏はまだ『生長の家』誌友になって間がないのに、一週間もすると怒る心、怨む心、争う心の三悪心が自然に内から消えてしまったと告白された。
この人は今まで宗教的修養を熱心に目指された方であって、三年間に六畳敷の一室に天井までとどくほど修養書を読破されたほどの人であります。
けれども悪人を本来アリと認めて外から心を磨いてゆくいわゆる「修養」では、どうしてもこの三悪心は解けないのであります。
たとえばこの人は小学校時代に唱歌の女教師と些細な感情の行き違いから零点を付けられた。
零点ではお情け及第すらもできないのであるから、そのために少年の運命がどんなに阻まれるかしれない。
B氏自身は、小学校の落第を発表されるころには中学校の選抜試験に及第していてなんら前途の障礙(しょうがい)を受けませんでした。
けれどもなんといっても学校教師ともあろう者が、自分の感情から少年の前途を阻む惧(おそ)れのあるような行為をするとは赦しがたきことである――
こうB氏の恨み心は、爾来(じらい)三十数年間ズーッと続いてきたのでありまして、
いかなる外からの修養もこの恨み心を解消することできないのでした。
B氏は思えらく、この恨みは、相手の女教師が死ななければ消えないのであろうと。
ところが、三年前にこの女教師は死んでしまったけれども、いっかなこの恨み心は消えないのでありました。
そしてB氏はまた謂(おも)えらく、「この怨み心は自分が死ななければ消えないであろう」と。
ところがB氏がわたしの講演を聴き聖典『生命の實相』を読まれるに至って、忽然として、その恨み心が内から消えてしまったのでありました。
この話は、かつて『生長の家』誌にちょっと書いておきましたが、ここには三十年間修養を重ねてこられても消えなかった
かくも深く激しい恨み心がなにゆえかくも容易(たやすく)消えてしまったかを考えてみたいのであります。
それは今までその「恨み心」が消えなかったのは「恨み心」を本来アルとして取り扱ってこられたからであります。
ところが「生長の家」の聖典を読むと「恨み心」は本来無い、ただ本来恨まない心のみが実在であって、
それのみが本来の自分であると知らされたからであります。
恨み心は本来無い心だと知ったために恨み心は消えてしまい、恨まない神の心のみが実在であると知ったために、
恨まない本当の心が顕われて来たのであります。
それは内からの更生であり、みたまによる生まれ更わりであったのです。
外から形で矯(た)め直していったのでは、一つ直っても全体が直らない。
ところが、B氏が内から更生してきて実相が顕れてきますと、恨み心、怒り心、争う心、穢(きたな)がる心、
恐れる心、驕(おご)る心が同時に解消してしまったのであります。
もう一つ実例を挙げるならば・・・ (以下略)
4498
:
a hope
:2014/10/16(木) 11:02:17 ID:cEpBaIdo
(
>>4497
a hope所感)
わたしも以前はとても感情が激しくて、よく言い争いをしたり、相手の意見も聞かずに自分の我を通してしまったりしていました。
ですが、「生命の實相」を拝読して、神想観をするようになってからは、感情がおおきく波立つことがほとんどなくなってきました。
最初の頃は聖典に書いてある真理を意識して、自分の感情を無理にコントロールしようと頑張っていましたが、
今ではほとんど我慢することもなく自分の感情を穏やかに保てるようになってきています。
<<ところがB氏がわたしの講演を聴き聖典『生命の實相』を読まれるに至って、忽然として、その恨み心が内から消えてしまったのでありました。>>
ありがたいことに、今では you-tubeなどでいくらでも谷口雅春先生の講演が聴けますし、
聖典だって、amazonに行けば、中古でいくらでも安く手に入ります。
現代に生きるわたしたちは、真理のお勉強をするという意味では、昔よりもずっと恵まれているのだと思うのです。
ただ、一つ必要なのは「やる気」だけですよね!
4499
:
秋だけど春
:2014/10/16(木) 21:08:07 ID:JqsAztRk
けちをつけるようで、ごめんなさい。
>>ありがたいことに、今では you-tubeなどでいくらでも谷口雅春先生の講演が聴けますし、
聖典だって、amazonに行けば、中古でいくらでも安く手に入ります。<<
この感覚が、私には心地よく感じません。
例えば、 私の靖国の友人などは、なるべく靖国神社やその周囲のお店にお金を使うようにしています。
また、自分も、中古の本は買った事がありません。
聖典をたくさん買った人が、「生長の家にはたくさんお金をかけた」と聞いた時も、呆れました。
滅私奉公の精神が無くなったから、現象の事に恵まれていると錯覚するのは、間違いではないでしょうか。
4500
:
秋だけど春
:2014/10/16(木) 21:27:02 ID:JqsAztRk
>>現代に生きるわたしたちは、真理のお勉強をするという意味では、昔よりもずっと恵まれているの
だと思うのです<<
ここが、一番引っかかったんですよ。
今、一番、混乱している時と認識していますし、本当に本来の生長の家の御教え屋
天皇国日本がわからずじまいで、単に聖典読んでますだけで、現象的には恵まれている?
い感覚は、 まだまだ、、 おわかりではないのかなあと、拝察いたします。
求途の精神が強ければ、千円も一万円も、一緒なんですから。
そこ、大事ですよ。
死ぬ気で来た人たちを 立ち直らせてきた実績は、事実だから。
ま、hopeさんかんじの白鳩がええ買ったから、教団も壊滅するんでしょうけどね。
4501
:
秋だけど春
:2014/10/16(木) 21:31:53 ID:JqsAztRk
訂正
生長の家の御教え屋⇒生長の御教えや
求途の精神が強ければ⇒求道の精神が強ければ
です
4502
:
秋だけど春
:2014/10/16(木) 21:38:11 ID:JqsAztRk
ま、hopeさんかんじの白鳩がええ買ったから
⇒、hopeさんみたいな感じの白鳩が多かったから
に、訂正させていただきます
4503
:
秋だけど春
:2014/10/16(木) 21:49:28 ID:JqsAztRk
もしhopeさんが、本当に生長の家の本髄を学ぶなら、
伊勢の練成
お薦めします。
聖典だけでのアホホープでおわらないよう、祈願しています。
4504
:
トキ
:2014/10/16(木) 21:58:47 ID:Wk.49lBI
>>4497
おそらく、これは、元海軍主計大佐だったN先生の事かと思います。
生命の実相にも登場する人ですが、谷口雅春先生が匿名にされているので、私もイニシャル
にしました。
余談ですが、海軍の場合、いわゆる軍事を担当する人とは別に、主計や軍医の場合は、
別のワクで採用され、官位も「主計大佐」「軍医大佐]などと称しました。
私も家の近所に海軍大佐だった人が住んでおられました。その頃、老人を詐欺する人
が横行しており、私が話しかけても無愛想な態度でしたが、あるとき、その人から
「君は何か信仰をもっているのかね?」
と質問をされ、
「生長の家をしております。」
と返事を申しあげたら、
「そうか。それなら、信頼できるな。」
と返答をされ、その後は打ち解けた態度を取って下さった事がありました。
後日、理由を尋ねると、その方の友人に生長の家の人がおられ、その人
がとても尊敬できる人間なので、生長の家の人は信頼できると判断したみ
たいです。
閑話休題。
4505
:
a hope
:2014/10/16(木) 23:58:57 ID:cEpBaIdo
>>4499
春さま
わたしの発言で、春さまがご気分を害されたのであれば、心からお詫びをいたします。
わたしが生長の家の教えを学びたいと思ったきっかけは頭注版「生命の實相」を拝読して魂を震わせたからで、
今現在は、40巻読破もしましたが、そこには、天皇信仰のことも愛国心のこともほとんど書かれていなかったのです。
だから、神道から生長の家の教えに入られたという春さまとは「生長の家の教え」に対する認識が
大きくかけ離れてしまっているのかもしれません。
天皇国日本に関しても、後々もっとお勉強するつもりでいますが、
今現在、このweb誌友会では、頭注版「生命の實相」をテキストにお勉強を進めていますので、
ご理解いただけるとありがたいです。
春さま、いつも、こんな「アホ」なわたしの事をお祈りしてくださってありがとうございます。
わたしも春さまのご活躍とお幸せを心からお祈りさせていただきます。 合掌。
4506
:
a hope
:2014/10/17(金) 00:24:47 ID:cEpBaIdo
>>4504
トキさま
わたしの「生長の家」に対する第一印象も「信頼できる宗教」でした。
それは、聖典「生命の實相」の内容が本当に素晴らしく、正に自分の求めていた真理だったからです。
特に生長の家の「万教帰一」の真理には感動しました。
どんな宗教を信仰している人でも、左翼の人でも右翼の人でも、たとえ肉食大好きな外国人であっても、
あたたかく受け入れてくれるような懐の深さに魅せられて大きな希望を持って入信したのです。
ですが、わたしのその希望は1年も経たないうちに破れました。
今は、ここで聖典のお勉強をさせていただけるので本当に幸せです。
掲示板を運営・管理してくださっているトキさまにはいつも心から感謝しています。 合掌。
4507
:
「訊」
:2014/10/17(金) 08:58:13 ID:???
>>a hopeさま
ところでちょっと、誌友会テーマから逸れてもよいですか。今朝、目覚めた際に〝天籟の音〟が私に、忽然と聴こえたものですから・・・・・その、天下った声のテーマは、「不足感」です。以下、ご紹介致します。
今朝、目覚めた際に突如、
「不足感=充足なのだ!」
なる声が、私の脳内に轟いて参りました。
・・・・声の主はいつも、夢の中で練成会を開催くださる「藤原敏之」先生でありまして、その先生が「不足感=充足なのだ!」と、私へお伝えくださったのです。トキさん曰く、藤原先生は御生前、「わしゃ、死んでからも練成会を開催するよ」と仰っておられたとのことですが、余談ですので話を戻してこの、藤原先生の御言葉に戻りますがいや、この、「不足感=充足感なのだ!」の御言葉が、なんとも心地よく感じられたのですよねえ・・・非常に嬉しく思えたのです。
「不足=充足」だったのです。充足しているからこそ、(五官の意識上では)「不足感が表出する」ものだったのです。事業経営者として、常に悩まされるこの「不足感」ですが、実はこれ、「悩むべき対象ではなかったのだ」と。
・・・・不足感が表出してくる位に、我々は、「神から与えられていたのだ」と。
だから不足感ですが、「表出してくるたびに、喜ばなければナランのだ!」と。
・・・それが今朝の、藤原敏之先生〝脳内〟練成会ご講話の趣旨、でございました。いやホント、最近うっかりしておりましたが、重要なことを失念していたと思いましたね。
この、「不足感=充足なのだ!」ですが、本当に「その通り」、その通りに各種聖典に書かれてあります。雅春先生曰く、「既に与えられているからこそ、欲しくなるのである」と。さらにこれを解釈するならば、「『欲しい欲しい』と思えるものは、神が既に与え給うておられナイ限り、そんな心情は起こり得ナイ」と。いやつまり、藤原先生言われるが如く、「不足感=充足なのだ!」なのでありましたね。「充足しているからこそ、その『不足感』は、湧き上がってくるのだよ」と。
そんな声が今朝、聴こえたわけです。と、なると我々はもっと、湧き上がる「不足感」ですが、「色々な言葉で礼拝せねばならん」のでしょうね。湧き上がる不足感ですが、礼拝するには先ず、「既に頂き済みだからだ!」が良いのかもしれません。あるいは、「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」でも、良いのかも(※)。さらには、「過去の借金(積んだ悪業)を払い終えた相だ」と解放感を味わってもよいですし、榎本先生ならば「自動展開する実相が今、発現中なのだよ」と讃嘆されるのかもしれませんね。「ニセモノが破砕された相(=自壊作用)が不足感の正体だ。ニセモノが破砕されたからこそ、今回の不足感は、意識上に上がってきたのだ」でも良いでしょうし、「求めていたのではなく、『求めしめられていた』のだ」(吉田國太郎先生)もよいでしょう。まあ、いずれにせよ、今、此処にある「不足感」 ―― ここに〝あるかのような相〟で現れた不調和 ―― ですが、「神力発現の証としてある」のでありましょう。不足があるのではなく、唯、あるのは「充足のみ」なのでありましょう。
そう云えばその後、榎本先生の声で、「訊けクン!不足感は実相を『包んでくださっておられる』のだよ!」とそんな、言葉も耳にしました。「天孫降臨は『雲と共に』行われたのだよ!」と榎本先生ですが、ここで云う「雲」とは、「迷いの象徴」ですよね。迷いの象徴である「雲に乗って」天下ってこられたのが、日本の神でしたよね。「だから『罪=光』なのだよ!」と。・・・・・・・「今までは迷いの雲が実相を『覆っていた』と、覆っているから『実相がなかなか出てこない』と、そんな説明をしてきたけれども、『罪も光』だったんだよ!」と、榎本先生。「天孫降臨は(迷いの象徴である)雲を利用して、行われたんだよ!」と。「だから、迷いも光だし、罪も光!不足感も光だし、光だけの一元世界なんだよ!」と・・・・・そんな声で榎本先生がご解説、してくださいましたね。
いやー、今朝の脳内練成会ですが、なかなか良かったですね。「不足感=充足なのだ!」です。「不足感すらも光!」なのであり、そうなると我々・・・・・・もう、喜ぶ以外に何もすることがナイですよね。だって、「アルから」ですもんね。「既に頂戴しているから、不足感が起こる」わけであり、不足感が起こって来ないようでは、過去の業も破砕されないわけですからその信仰生活、「順調とは言えないことになります」からね。以上、今朝の〝天籟の音〟の内容でございました。
拜
4508
:
「訊」
:2014/10/17(金) 08:58:57 ID:???
<
>>4507
註>
※ 「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」
聖典にナイ教えですんで、解説します。これはあの、徳久先生のご講話テープで聴いた内容なのですけれども、先生曰く「祈っているにもかかわらず不調和なことが起こる際は喜びなさい」と。理由は、「迷っている祖先が『自己処罰』をしているんだ」と。「迷っている祖先が子孫(我々)の現状を見て、『ああ、申し訳ない。私が不甲斐ないばかりに子孫が苦労している』と、嘆いている姿がその、不調和な状態の正体だ」と。「それだけ祖先から愛されている皆さんなのだから、喜びなさい」と。で、さらに、それで終わんないのが、徳久親分です・・・・
・・・さて、その祖先ですが親分曰く、「迷いが晴れて守護神化する」と。「迷いが晴れて守護神化した際に、過去の業が音を立てて崩れるため、(祈っているにもかかわらず子孫には)不調和なことが起こる」と。
・・・・・長い説明になりますが、まあ、つまり。つまり、不調和なことが起こった際は、「ああ今!ご先祖さまの迷いが晴れて、守護神と化してくださったのか!」と喜べって意味です。
4509
:
rei
:2014/10/17(金) 13:49:55 ID:TZgHMI6s
合掌
ありがとうございます。
私も少し発言させてください。
a hope様が頑張っておられるので、のぞいてみました。
「訊け」さまのそれは素晴らしい悟りですね。
私は最近、「仙頭泰」氏の文章を見つけて読んでいます。
66項目あるので順次ですが、とても良いです。
どのような方か詳しくわかる方がおられたら教えていただけませんか?
誌友会と関係ない話でごめんなさいね。
4510
:
トキ
:2014/10/17(金) 18:26:11 ID:EP0hJGxs
仙頭泰先生は、古い幹部の方です。確か、本部の青年会の役職もされていました。
終戦後に練成を受けられた方で、昭和の後半に活躍された方です。徳久先生の指導を受け
られた人のはずです。たくさんの後進を育てた方ともきいています。
最後はハワイ教化総長をされていたと記憶しております。その後、突然、本部を
御辞めになられました。その時に聞いた噂が、大川隆法氏の「谷口雅春霊言集」が
出た時に、「幸福の科学」の関係者が「谷口雅春霊言集」の関係の講演会をハワイ
の教化部で行いたいと依頼し、事情を知らない仙頭先生がそれを許可したので、
後で問題になり、責任をとる形で辞めた、というものでした。ただ、前後の事情を
考えると、私はその噂には疑問は感じております。
その後は、本流復活派の幹部として活躍をされ、特に「学ぶ会」で活躍されたみ
たいです。私は直接の面識はなく、以上の話も伝聞に過ぎないので、その点はご理解
下さい。
4511
:
末端信徒のトキへ
:2014/10/17(金) 21:48:29 ID:???
伝聞だったら 書くべきではないな
4512
:
秋だけど春
:2014/10/17(金) 22:58:19 ID:rh1dGMz2
なんか、伝わってないなあという感じがして、もどかしいです。
横の真理は十分お分かりになっていて、家庭も光明かしているにも関わらず、
縦の真理が、今一つおわかりではないのかなあ。。。と。
人間神の子
で、
日本国実相のことを神示に照らせば、
赤子であることの意味も当然わかることなんだと思うんだけどな。。。。
人間が神の子であるってことは、なにも生長の家に聞かずとも、
古くからの日本人なら、当然の感覚なんですよ。
で、
生長の家の凄いとこは、この古来からの教えを、理論立てて、なおかつ、
市井の人に分かりやすく書いた事なんですよ。
キリストや釈迦は、家庭生活を維持できなかったけど、出家しなくても一般人が
真理を生きるのは、こんなにたやすいことですよ、と、
そこに、雅春先生が釈迦やキリストを超えたとか、天才的宗教家と言われる所以です。
昨日自分が言いたかったのは、日本国実相顕現、人類光明か運動から外れて、
単に真理をお安くお勉強しているわ〜の感覚、これにプチっときただけで、
言い過ぎでしたので、ごめんなさい。
人が幸せになりたいのは、そりゃわかる。
幸せってなに?
人のお役になること、やること、があることだよねって、
言いたかったんです。
4513
:
秋だけど春
:2014/10/17(金) 23:11:30 ID:rh1dGMz2
仙頭泰先生は、去年だったか一昨年、一度講義受けました。
素敵な先生でしたね。
古き佳き生長の家を、信奉している感じでした。
4514
:
a hope
:2014/10/17(金) 23:13:32 ID:cEpBaIdo
>>4507
>>4508
「訊」さま
素晴らしい〝天籟の音〟藤原先生の「不足感=充足なのだ!」と、
榎本先生の「訊けクン!不足感は実相を『包んでくださっておられる』のだよ!」
のお話を聞かせてくださり、ありがとうございます。
今朝、わたしは子どもの一人のことでちょっと心配事があったのですが、
この「訊」さまのお話を拝読していると、自分の心がどんどん軽くなっていき、不安が吹っ飛んでしまいました。
子どもたちにこうあってもらいたい、とか、主人にもう少しこうして欲しいなどと考えてしまうのは、
すべて、わたし自身が相手に対して不足感を感じているからなのですが、
でも、そんなわたしの感じている不足感も、実は、子どもたちや、主人の完全円満さを知っているからこそ感じているからなのだ!
と「訊」さまの文章を拝読していて気づきました。
また、徳久先生の「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」という言葉も心強かったです。
ほんとですね。
霊界のご先祖様が、自分の子孫を不幸にしたいと思っているはずがないのですから、
ご先祖様の祟りなんてものがあるわけがないですよね。
どんな状態のときであっても、わたしたちはご先祖さまに愛されているんだ、だから、喜んでいいんですね。
そうわかったら、うれしくてうれしくて、自然に「ご先祖さまありがとうございます。」と合掌していました。
それにしても、そのような〝天籟の音〟を夢の中の練成会で聴くことができる「訊」けさまがうらやましいです。
わたしも、もっともっと「生長の家」の先生方の講演をきいて、聖典を拝読して、
夢の中で練成を受けられるようになりたいと思いました。
4515
:
神の子さん
:2014/10/17(金) 23:14:40 ID:cEpBaIdo
>>4509
reiさま
お久しぶりです。
web誌友会ご参加、ありがとうございます。
わたしも以前、仙頭先生の御文章を拝読して感動した記憶があります。
reiさまのおっしゃる、仙頭泰先生の66項目の御文章というのは、
学ぶ会さまのHP「光の進軍」の中にある御文章ですね。
トキさまも御経歴については教えてくださっていますが、先生の名前で検索すると、↓が出てきました。
http://mixi.jp/view_event.pl?comm_id=2449281&id=76880587
http://hikarinoshingun.giri.jp/04-kataru-kai/0407seimeikenkyu-kai/seimei-kenkyukai-yotei.htm
実相塾(谷口雅春門下生の集い)という学ぶ会のお勉強会で今でもご講話をされているようですね。
テキストの内容とは関係なくてもいいので、これからもご気軽にweb誌友会にご参加くださいね!
4516
:
a hope
:2014/10/17(金) 23:18:42 ID:cEpBaIdo
>>4515
は a hopeです。
4517
:
秋だけど春
:2014/10/17(金) 23:28:36 ID:rh1dGMz2
a hopeさま
貴女の優しさ、素直さ、女性としての婦徳には感服致している春から、つらつらと
言いたい事だけ書かせていただいている状況で、心苦しいのですが、また続けますが。。。
縦の真理、
これ、本当に貴女の中で繋がっていますか?
国家とか天皇様と切り離された現状の日本人と、なんも変わらない印象を受けてしまうのです。
私が辞める前の白鳩さん達と、実際は違いがない、
鎮護国家を外した事の意味が理解できていない事が、答えです。
a hopeさま
日本中の寺も、御皇室の安寧を祈っているのです。
キリスト協会は知りませんけど。
私は、自分の息子を戦地に送る時の母親の気持は、どんなだったろうかと思った時、
一瞬でしたが、動けなくなりました。
靖国神社と縁が出来て、懇意にして下さる職員さんから送って頂いた書籍を、
泣きながら、ほぼ一週間、ほとんど寝ずに読みました。
御礼の御手紙を書こうとした時、
この手紙は、神様に通じていると思った瞬間、おいそれとは書けなくなりました。
(後日、直接御礼しました)
縦の糸、これが、運命を激変させますよ。
私が実証者ですから。
天皇国日本の実相顕現の為に生長の家は出現したのだと、繰り返し言いますね。
4518
:
a hope
:2014/10/17(金) 23:45:12 ID:cEpBaIdo
>>4512
春さま
そうなのです。
わたしは、まだまだ全然わかってないのです。
春さまの「人間神の子」のご説明も、頭では理解できるのですが、
それが、感動して涙するような天皇信仰にはまだつながらないのです。
<<昨日自分が言いたかったのは、日本国実相顕現、人類光明か運動から外れて、
単に真理をお安くお勉強しているわ〜の感覚、これにプチっときただけで、
言い過ぎでしたので、ごめんなさい。>>
イエイエ、そのように感じられてしまうのは、わたしがまだまだな証拠ですので、
春さまに、時々〝喝〝 をいれていただけるとますます励みになります。
ご意見をいただけるのは本当にありがたいので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。 合掌。
4519
:
秋だけど春
:2014/10/17(金) 23:59:46 ID:rh1dGMz2
監督の「不足感すらも光!」 いいね!
先日、靖国でおみくじを取ったら、第一番の大吉だったんです。
"光に満たされている"と書かれていました。
今、どんどん又状況が変わっていって(過去に経験済みだから、頭では理解している)
:現象的なことなど、もう、これ以上の上昇など望んでいないのに、また、そういう話が来るんですね。。
神は愛也
愛を以て全てのことにあたりたいと思います。
4520
:
「訊」
:2014/10/18(土) 09:26:59 ID:???
>>reiさん
>>a hopeさん
>>秋だけど春さん
感想をありがとうございます。いろいろ返信を書いたのですが、もう少し考えてから投稿致します。まずは取り急ぎ、感謝の念などを表明。
拜
4521
:
rei
:2014/10/18(土) 21:00:52 ID:TZgHMI6s
トキさま
春さま
ありがとうございました。
いつも埋もれ気味の私の投稿を読んで下さりありがとうございます。
4522
:
神の子さん
:2014/10/18(土) 23:11:23 ID:wvsp.ncs
清超先生の御本に『無駄なものは一つもない』というものがある。
榎本講師の様にごてごてした解説などいらない。
すべてに光を見なければ言えない言葉でしょう。
4523
:
a hope
:2014/10/19(日) 08:39:52 ID:cEpBaIdo
>>4522
神の子さん
web誌友会ご参加ありがとうございます。
わたしは、生長の家の教えに触れたのが、雅宣先生が総裁になられてからですので、
清超先生の時代やその前の雅春先生の時代の生長の家の運動の様子等は実際にはほとんど知りません。
今、聖典引用板に雅春先生と清超先生の共著である「菩薩は何を為すべきか」を少しずつですが謹写しています。
その内容を拝読していると、時代の流れとともに「生長の家」の運動方針もその時代にあわせて変えていく必要性を、
雅春先生が『人類光明化運動指針の解義 』の中のご解説で説明くださっているように感じています。
そして、清超先生は法灯継承者としてその雅春先生のご意志を一身に受けて、
その時代に合わせた運動をされようとしたのではないかと拝察しています。
わたしは、聖歌集にある清超先生の魂に響く歌の数々が大好きです。
わたしも 清超先生は全てのものに、光を見ていらしたのではないかと感じています。
4524
:
秋だけど春
:2014/10/21(火) 19:44:32 ID:rh1dGMz2
>>時代の流れとともに「生長の家」の運動方針もその時代にあわせて変えていく必要性<<
ここでしょうね。
分裂の原因が。
時代は変わっても、説かれている真理は、変わりませんし、
生長の家の運動は日本国実相顕現のためであり、人類光明か運動なんですよ。
その根本二つを(一つ目は、二代目が変えた)、現総裁が批判にさらされることになったのは、
当然のことです。
あの方、生長家の真理は、説いてませんから。
縦ですよ、縦。
実相からすれば、無駄なものは何もないから、彼らの(と言うか、信徒全体の波長が)
戦後民主主義で甘やかされて、感謝が無くなった頃から、
教団派没落したし、
侵略戦争を教団の見解とした処から、完全に売国奴になった、し
地上における教団の意味は無くなったと見るのが妥当です。
本流は、教団を戻したいとか、救いたいとか、そういう念が強いから、余計に
揉めるんだと思います。
全く別の路線です、バイバイ、なら、今後もこじれないでしょうし、
八ヶ岳など2,3年持ちません。
そこで、和解でしょうし、そうなるべく、この掲示板も意味があるのではないでしょうか。
私は、監督や貴女のような方には、復興G閣下のような、本来の御教えの指導者が必要不可欠と考えています。
各信徒や勉強したい人たちが、得手勝手な理解をしないように、地方講師もその為に存在していると思っています。
うのはなさんが、境界型人格障害かと思われる程の粘着を監督にするのも、この、勝手な理解に対しての怒りなのではないかと、
感じています。
貴女は、これからの希望ですから、ごゆるりと学ばれれば十分では?と思っております。
頑張って下さいませ。
感謝 合掌
4525
:
a hope
:2014/10/21(火) 22:24:15 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」p106 8行目〜
そこで、宗教的生活とは互いの見せかけの仮相の奥に、円満完全なる実相があることを直観的に透見(とうけん)し、
その円満完全なる実相を信じ、礼し、敬し、尊重し、讃嘆し、それを如実に言葉に表し態度にあらわして生活することであります。
かくのごとくするときには、周囲の人々、家庭の人々、相手の人々ことごとく善良なる人々となって顕れてくるのみならず、
自分自身の実相が顕われて自分自身が善良となり、その心性が大きくなり、豊かになり、美しくなり、癇癪が起らなくなり、
よりいっそう洗練された心ばえとなるのである。
およそこの世の中で最も高貴なる魂とは、接する人ごとにその相手の実相の美しさを観、いかにその外見が醜かろうとも、
その実相を敬し礼しうること、かの常不軽菩薩のごとくなければならないのであります。
これに反して逢う人ごとの魂の実相を観ず、外面の、見せかけの醜悪なる部分のみを強調して、
自分自身に失望し自分自身を軽蔑し、同時にすべての他の人々も自分自身と同様に醜いのが本当だなどと、
暗黒方面のみを探し出して、いやに皮肉にひがんでしまう人はよほど浅薄(シャロー)な魂の持ち主であります。・・・
4526
:
a hope
:2014/10/21(火) 22:28:10 ID:cEpBaIdo
(
>>4525
a hope所感)
ここに、『高貴なる魂』と『浅薄(シャロー)な魂』という言葉がでてきていてわたしは少し驚いています。
なぜなら、「実相を礼拝せよ」と言っている一方で、人間の魂に優劣をつけて表現しているからです。
<<およそこの世の中で最も高貴なる魂とは、・・・>>
とあるところの『この世の中』とは、明らかに現象界、もしくは霊界のことを指していていると思うのですが、
これらは、「本来無い世界」の事ですから、ここのところは読者に判り易いように方便的に説明しているのだと感じました。
わたし自身は、「人間の魂に優劣などない」と信じています。
○『高貴なる魂』・・・接する人ごとにその相手の実相の美しさを観、いかにその外見が醜かろうとも、
その実相を敬し礼しうること
●『浅薄(シャロー)な魂』・・・逢う人ごとの魂の実相を観ず、外面の、見せかけの醜悪なる部分のみを強調して、
自分自身に失望し自分自身を軽蔑し、同時にすべての他の人々も自分自身と同様に醜いのが本当だなどと、
暗黒方面のみを探し出して、いやに皮肉にひがんでしまう
と説明されていますが、わたしは仕事で何度か職場を転勤しているのですが、
どちらのタイプの上司や同僚と一緒に仕事をするかで、その職場の雰囲気がガラッと変わるのを経験しています。
一方の職場は和気あいあいと助け合っていますから、明るい雰囲気で満たされ仕事の能率も上がります。
(ありがたいことに今の職場はこちらです!)
ですが、もう一方の職場は陰険な陰口や悪口、そして足の引っ張り合いなどが絶えなかったので、
体調を壊す職員も多く、仕事の能率も上がりませんでした。
特に、上に立つ立場の人間(上司、教師等)の影響力は大きいと感じています。
4527
:
a hope
:2014/10/21(火) 22:52:01 ID:cEpBaIdo
>>4524
春さま
<<時代は変わっても、説かれている真理は、変わりませんし、
生長の家の運動は日本国実相顕現のためであり、人類光明か運動なんですよ。>>
上の春さまのご説明は、わたしも十分理解しているのですが・・・
どうやら、春さまのおっしゃる「縦の真理」とわたしの理解している「縦の真理」に隔たりがあるようです。
<<貴女は、これからの希望ですから、ごゆるりと学ばれれば十分では?と思っております。
頑張って下さいませ。>>
わたしは昔からやや協調性に欠けていたので、独学で勉強するタイプでした。
ですからこれからも、聖典をテキストにyou-tubuのご講話を聴きながら、
自分のペースで、納得いくまで「生長の家の教え」を勉強していくつもりです。
春さまのわたしへのありがたい励ましのお言葉に、心より感謝いたします。合掌
4528
:
シャンソン
:2014/10/21(火) 23:07:43 ID:MVhE5szo
>>4527
合掌 ありがとうございます。
上記のa hope様の補足になればと思い、リンクさせていただきます。
もし、見当違いならお許し下さい。
再拝
http://www.el-aura.com/201210038/
4529
:
a hope
:2014/10/22(水) 00:01:08 ID:cEpBaIdo
>>4528
シャンソン(うのはな)さま
素晴らしいスピリチュアリズムのお話をご紹介くださりありがとうございます。合掌。
わたしが心の中で漠然と感じていた「魂に優劣などない」ということに関して、
とてもわかりやすく書かれている文章だと思いました。
<<なぜバラバラな段階の魂が集う必要があるのでしょうか?
それは学びの為です。
全員が優しい魂だけだったなら、誰もが傷つける事もなければ、誰もが傷つけられる事はありません。
誰かに傷つけられることがなければ、許すことができません。
全員が意地悪な魂だけだったなら、誰も許すことができません。
誰も許すことができなければ、誰も愛や感謝を学ぶことができません。
なので私たちは、色々な成長段階の魂と共に生きて学ぶのです。>>
たしか、生長の家の教えでも人生は「魂の学校」であるとか「魂を磨く砥石」であるとか説かれていると思います。
「許すこと」「愛すること」「感謝すること」これらの事をを学ぶためにわたしたちはこの人生を生きているのですね。
そして、
<<全ての魂に優劣がないことを知ったなら、誰かと比べる事も、誰かを羨む事も、差別することも、もう誰の事をも裁く事は出来ません。
しかし、私たちには出来る事があります。
後続の魂を教え導く事が、先を行く魂に出来る事です。
教え導くことは、押しつける事ではありません。
自らの生き方を見せ、自らが善き方法を実践すること、これが一番の教えと導きの方法です。>>
人間は一人残らず「神の子」で、本来ひとつなんですから、「自分が変われば、周りも変わる」」ということですね!
それにしても、うのはなさまって、ほんとに不思議なお方ですね。
それでは、うのはなさま、みなさま
おやすみなさい。 いい夢見てくださいね!
4530
:
a hope
:2014/10/22(水) 23:11:40 ID:brQxC10.
「生命の實相」p108
現実の悪はどう改善するか
しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。
「悪」そのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、
わたしがしばしば質問を受けることであります。
しかしわれわれは「悪」には執着しないでも「悪」を改めしめることは可能であるのであります。
それが「悪」であるとわれわれが知るのは、そこに「善」がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのです――これは実に大切なる真理であります。
「悪」は無でありますから、「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、
さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。
どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。
なぜなら人間の実相は神の子であり無限に善さを備えているからであります。
(つづく)
4531
:
a hope
:2014/10/22(水) 23:12:38 ID:cEpBaIdo
(
>>4530
a hope所感)
<<しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。
「悪」そのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、
わたしがしばしば質問を受けることであります。>>
これは、ほとんどの人が感じる疑問なのではないでしょうか?
ですが聖典には『「悪」ありと見て現象処理せよ』との答えはどこにもありません。
謹写を続けます。
4532
:
神の子さん
:2014/10/22(水) 23:53:36 ID:eZjWifCU
それが「悪」であるとわれわれが知るのは、そこに「善」がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのです――これは実に大切なる真理であります。
「悪」は無でありますから、「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、・・・・・
この真理によって雅宣総裁を見るとき、
ですが聖典には『「悪」ありと見て現象処理せよ』との答えはどこにもありません。・・・・で終わりでは話が進みません
a hopeさんは今の総裁、教団はおかしいと云いますが、どのような行動をするのがよいのでしょうか?
4533
:
a hope
:2014/10/23(木) 10:24:36 ID:cEpBaIdo
(
>>4530
つづき)
およそ相手を良くするには自分を良くすることが第一であります。
自分がよくならないのに相手をよくなしうるということは困難であります。
そしておよそ自身を良くするための方法は、自分の心の中に光明の精神波動を照り輝かすことであります。
自分の心の中に光明の精神波動が波立っているときその人は善き人であり、
自分の心の中に光明の精神波動が波立っていないとき、暗黒の思念が押しかぶさっているとき、
その人は悪しき人なのであります。
人の欠点を見るとき、その欠点に自分の心が捉われ、それをとやかく言挙(ことあ)げするとき
自分の心の中には暗黒の思念が波打たずにはいられないでしょう。
「暗黒の思念」は決して相手を良化することはできないのです。
(略)
相手を良化しようと思うならば、まず自分の心の中から「暗黒の思念」を除去(とりさ)らなければならない。
まず自分自身を、「光明思念」でみたさなければならない――換言すれば相手の悪を見るような心になってはならないのです。
結局相手の悪を見ないで実相を見る心にならなければならないのであります。
ここにこそ自分自身が光明化し、さればまた相手が光明化してくる可能性があるのであります。
われらが何人に対してでも相手の実相を見るようにするとき、われらは相手と調和するようになってくるのであります。
実相においてはわれらは本来自他一体であるからである。
4534
:
a hope
:2014/10/23(木) 10:34:50 ID:cEpBaIdo
(
>>4533
a hope所感と
>>4532
神の子さんへのお返事)
聖典の真理に照らし合わせて考えれば、「悪」と見える相手の心を変えるためには、
批判し続けたり、裁判で戦ったりするのは逆効果だと思われます。
ですが、雅宣先生は「生長の家総裁」という責任あるお立場で、本来は自らが光明波動を照り輝かし、
信徒を光明思想に導いていくべき使命をもったお方なのに、
実際には、その光明波動を発するには欠かせない聖典「生命の實相」とその真理をないがしろにし、
独自の教義と運動を展開されているように見えてしまうのです。
ですから、わたしは雅宣先生の実相(本来の御人格)は素晴らしいと信じていますが、
その教義や運動方針については、本来の「生長の家」の教えや運動からみれば『虚説』なのではないか思っています。
(わたし個人の見解です)
<<a hopeさんは今の総裁、教団はおかしいと云いますが、どのような行動をするのがよいのでしょうか?>>
とのご質問ですが、わたしは雅宣先生や教団の教義や運動方針はおかしいとは思っていますが、
雅宣先生ご自身を「悪」だとは思っていません。
むしろ、信徒を目覚めさせてくださる大切な使命をもたれた大観世音菩薩さまだと思っています。
ですから、雅宣先生の虚説(教義や運動方針)には決して和解はしませんが、
その大観世音菩薩さまとして信徒の前に立たれている雅宣先生の実相のお姿には心から感謝しています。
4535
:
神の子さん
:2014/10/23(木) 19:41:58 ID:ZWlCT05o
a hopeさんの御主人が無理を云ったり真理に反することを云ってばかりいたとしました時、「あなたの言うことは真理に反していますので
云う事をハイと聞くことはできません、あなたが無理を云ったり真理にはずれた事を云うのは、私の真理の理解を深めようという観世音菩薩様の
働きであると思い、あなたの実相には感謝いたしますが、云う事に拝と従うことはできません。
と云っているように聞こえるのですが、聞き間違いですか。
よく言いますよね、「ご主人が無理ばかり言うというご婦人に、そんな無理を云うようなご主人はいないのですよ、あなたが御主人に素直に
ハイと云えた時には、素晴らしいご主人であったと解りますよと、そして家に帰りハイと云えた時素晴らしい旦那さんがそこにいることが
分かった、」ということが。
非真理の教団と共に歩むより、自分で生命の実相を読んでいる方がよいと云う事は、非真理の旦那とは一緒に住めない、そんなことより一人で
生きていく方がよいと云っているように聞こえます。
4536
:
a hope
:2014/10/23(木) 22:45:32 ID:cEpBaIdo
>>4535
神の子さん
わたしの主人は、「生長の家の総裁」ではないのです。
だから、「生長の家総裁」である雅宣先生とは比較にならないと思うのですが・・・。
たとえばわたしの主人が「人間は罪深い生き物である」というような「虚説」を信じていたとしても、
その主人の「思想や考え方」には共感(和解)はできませんが、主人のことを嫌いになって別れるということはありません。
ですがもし、主人に、「人間は罪深い生き物だから、お前もそのことを信じなさい」と命令されたら、
「そんなことを信じなければいけないのであれば、離婚させていただきます。」と離婚をお願いすると思います。
わたしが、現教団を退会したのもまったく同じ理由です。
4537
:
a hopeさん
:2014/10/23(木) 23:08:31 ID:Og4p/UYQ
そうしますと教団に残っている普通の人たちは真理とは何か分からない人ということですね。
虚説を強要されていることも解らず、退会もしないのですから。
4538
:
「訊」
:2014/10/24(金) 08:16:34 ID:???
>> a hopeさん
うーん。以下の件に関してなのですが、コメントします。
>>>その教義や運動方針については、本来の「生長の家」の教えや運動からみれば『虚説』なのではないか思っています。<<<
との事ですが、「虚説」ってのは言い過ぎの様な気がします。説明しますが、現総裁の問題は「優先順位の付けマチガイ」だとは思えても、虚説とまでは思えません。虚説と云うのは「雅春先生御教えの真逆の線の内容or完全否定となる」はずですが、雅宣総裁の説にはその種のものは、ありません(※1)。傍証としては『生長の家ってどんな教え』などの御著書がありますけれども、内容面ですがいずれも、雅春先生を完全否定するものは一切ありませんでした。故に、雅宣総裁ですが、御主張内容を「虚説」というのは言い過ぎだと思います。
総裁の問題は優先順位の付けマチガイ、だとは思えますが「虚説とまでは思えナイ私」です。(※2)
拜
<註>
※1 雅宣総裁の説にはその種のものは、ありません。
本流側は「天皇を語らない=御教えの否定」と云った認識の様子ですが、これは暴論です。実相を語る際に「天皇から語らナイ」からとて、それだけで「雅春先生の完全否定」とはならぬのです。環境問題から実相を語る切り口だって、万教帰一の生長の家では「アリ」のはず。ですから、真理を語る際の〝入り口〟は問題とはならぬのです。
問題を検証するならば〝奥座敷〟の方です。雅宣総裁が実相を語ってイナイのであればそれこそ、雅春先生の否定となるでしょう。しかし、未だかつてどなた様もこの点に関し、つまり、「環境問題は実相を語っているか」の点への検証が、見られないのです・・・・・本流派はココを、検証されるべきです。間違っても「天皇を語らない」という理由だけで総裁を、「御教えの完全否定者」等、発言されないことが肝要(さもなくばこれ、御教えを解してイナイのは「いったいどっちなのか」になろうもの)
※2 総裁説を「虚説とまでは思えナイ私」です。
・・・・こんな事を書くと破邪サンから、こう書かれます。曰く、「総裁の狡猾さに騙されている人がいる!」「読解力の問題なのか!?」「枝葉末節に捉われて、全体像を見てイナイ!」と・・・・・・・・・しかし(笑)。
しかし私が具体論を求めますと、彼らは逃げていかれます。「具体的にどの(雅宣総裁)御記述箇所が『御教えの完全否定』なのですか?」と再三問うたこの3年間ですが、いまだかつて一度たりともその様なもの・・・・・出てきません。話が具体的になればなるほど現総裁ですが、少なくとも「虚説と言われるような言動はみられナイ」ってことに、なるんじゃないかと。
4539
:
a hope
:2014/10/24(金) 13:42:46 ID:cEpBaIdo
>>4537
神の子さん
>>4538
「訊」さま
貴重なご意見に心から感謝いたします。 合掌。
ですが、私の「虚説」に関する見解は、自分なりにレポートまでまとめてありますし、
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4056
どうして雅春先生のご教義が「虚説」であると思えるのかも以前ユタカさまが紹介してくださった「生長の家ってどんな教え」をもとに説明済みです。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4340
ですが、これはあくまでもわたしの見解であって、誰でも同じ解釈をするとは考えられません。
ですから、わたしの「虚説」に対する見解は上の虚説についてのレポートに書いてある通りで、
「訊」さまが、
<<虚説と云うのは「雅春先生御教えの真逆の線の内容or完全否定となる」はずですが、>>
とおっしゃるようなものではありません。
雅宣先生は、雅春先生のみ教えの真逆を説いたり、完全否定されているのではなくて、
実相世界の存在を肯定されながら、現象世界やその世界での罪や悪も認められてしまっている、
つまり、生長の家で「虚説」とされている、「実相現象二元論」を説かれているとわたしは解釈しています。
雅春先生も「横の真理」として現象界や霊界の「心の法則」を説かれていますから、一見、現象も認められているようにも見えますが、
ですが、それはすべて、「現象あり」を信じて迷っている人々の魂を、「唯神實相」に目覚めさせ、
救済するための方便として説かれていると思うのです。
「甘露の法雨」なども、二元論的に展開していますが、実相世界の実在以外はすべて、
「なし」「なし」「なし」「あらず」「あらず」と完全否定しています。
また、雅春先生の起こされた現象問題に対応する運動にしてもすべては、「人類の魂の救済」することが最終目的になっていると思うのです。
ですがわたしには、雅宣先生の環境保護運動は「人類の魂の救済」が目的なようにはどうしても見えません。
(つづく)
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