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Web誌友会 板/2
3469
:
トキ
:2013/12/13(金) 23:07:11 ID:fXLZteoA
いやいや、復興G様の言われる通り、切磋琢磨の丁度よい機会です。本当に、曳馬野様には
感謝、感謝ですよ。最近は、総裁援護をするのは難しくてネットでも援護論はすっかりと
少数派になってしまっていますが、その中で堂々と援護論を書かれるのは偉いです。
しかし、なかなか曳馬野様の言う通りに生活するのは難しいでしょう。
少し話しはずれますが、数年前に愛犬家の資産運用のプロの人が殺害されました。報道によれば、
加害者の依頼先だった被害者が、大事な客である加害者との約束よりも愛犬の用事に出かける事に腹を立てて
「オレと犬とどちらが大事なんだ」と詰め寄ったら、被害者が「犬です」と返答したのが事件の経過
だとありました。勿論、だからと言って殺人などとんでもないのですが、普通の人間にとって、やはり
優先順位は人間なのです。
それを無理に人間以外のものを優先すると、おかしな具合になると思います。
昔、徳川綱吉という将軍様は、動物を可愛がれという僧侶の進言に従い、生類憐れみの令
なるものを出しました。この動機は宗教的に純粋でしたが、天下の国民は全て難儀しました。
理念や理想は大事ですが、現実に生きて居る人間は、やはり生活があります。谷口雅春先生
は「真理は生活の中にあり」と言われました。私も生活と乖離した信仰は息苦しくなるので
嫌いです。
特定の宗教家にしかできない生活ではなく、ごく普通の市民でもできる信仰のあり方が
大事だと思います。人間至上主義は間違いかもしれませんが、人間否定主義のほうがどうも
恐ろしいかと感じてしまいます。生きている人間にとって、優先順位はやはり人間なのです。
それが信仰が進化すると、自然と人間以外のものも同じ存在に感じられます。それは素晴らしい
事です。でも、無理に強制すると、おかしな事になると思っています。
自然を大事にするのを否定するのではないです。が、優先順位は考えるべきだと思います。
うちも軒先に蜂が巣を作っています。でも、刺しませんし、こちらもいじめません。朝起きて
蜂の巣の前を通る時には、挨拶をします。先日、アクビをした時に、手を伸ばしたら、何かと
ぶつかりました。見ると蜂でしたが、別に刺しませんでした。
小さな事ですが、人間から始める事が大事かと思っています。
ということで、私の与太話はこのあたりで終わります。
3470
:
復興G
:2013/12/14(土) 09:44:46 ID:AB6RqYXc
トキ様
面白い “与太話” 、ありがとうございました。
「肉体人間至上主義」 はいけない。
「神の子人間至上主義」 に立ち還ろう、ということで精進したいと思います。
ありがとうございます。
3471
:
ユタカ
:2013/12/14(土) 09:50:26 ID:R1D4Jmeg
罵倒してどうもすみません。
誤解しないよう言いますが、総裁や曳馬野に死んで欲しいと思っていません。
怒りの感情を感謝に変えたいと 修行中のユタカですが、教団破壊の現況に一人一人が立っていかなければいけない状況に、
曳馬野が出てきて、生長の家と似て異なる持論を展開して人を惑わせる危険人物でこの人が総裁と組んで教団を破壊した
人物だと心のどこかで思っているのです。 こういう人が出てきても復興Gさまのようにさらに、天へと上って行く生き方、捕らえ方こそ
菩薩の道を行く人とまた勉強させて頂きました!!!
トキさん、これでどう!???気分よく書いた。
いい湯だな・・ハハン!
3472
:
復興G
:2013/12/14(土) 10:03:46 ID:AB6RqYXc
遅くなりましたが、
>>3463
:神の子さん様
ご声援 ありがとうございます。
>>3464
:rei さま
過分のおほめ、ありがとうございます。
でも、私は まだまだこれから の未熟者ですよ。
だから、希望があります。
悟りきった人間は、もうこの世に必要なくなるんじゃないかしら。
「まだまだこれから」 だからこそ、楽しみがあります。うれしいですね。
ありがとうございます!
3474
:
復興G
:2013/12/14(土) 10:14:22 ID:AB6RqYXc
>>3471
:ユタカさん
>> 怒りの感情を感謝に変えたいと 修行中のユタカです <<
――あなたも、一所懸命修行中なのですね。
希望がもてます。すばらしいです、ありがとうございます!
3476
:
復興G
:2013/12/14(土) 12:43:08 ID:AB6RqYXc
童謡 「ぞうさん」 の作詞者で104歳になった まど・みちお さんが、白寿(99歳)のときの作品に、次のような詩(うた)があります。ちょっと出てきたので、ご紹介します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<まど・みちお作品集(白寿記念)> より
とうさん (「ぞうさん」 のかえうた)
とうさん
とうさん
おはなが ぺちゃんこね
そうよ
かあさんも
ぺちゃんこよ
とうさん
とうさん
だれが すきなの
あのね
かあさんが
すきなのよ
ふたあつ
ふたあつ ふたあつ
なんでしょね
おめめが 一 二
ふたつでしょ
おみみも ほら ね
ふたつでしょ
ふたあつ ふたあつ
まだ あって
おててが 一 二
ふたつでしょ
あんよも ほら ね
ふたつでしょ
まだ まだ いいもの
なんでしょ ね
まあるい あれよ
かあさんの
おっぱい ほら ね
ふたつでしょ
一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで たべたいな
ふじさんの うえで おにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと
一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで わらいたい
せかいじゅうを ふるわせて
わっはは わっはは わっはっは
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
――百歳になっても、幼児の心を持ちつづけている まどさんはすばらしい。
私も、そうありたいです。
<つづく>
3477
:
復興G
:2013/12/14(土) 12:44:16 ID:AB6RqYXc
<つづき>
『生長の家』 創刊号に、次のような詩が載っています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
生長のお家は
日当りが好い、
お庭がひろくて
藤の棚があります。
生長のお家に
ブランコが出来ました
多勢の子供が来て
さわいでよろこびます。
大人も子供も
生長のお家に来る人たちは
みんな一しよに
伸び伸びと生長します。
生長のお家で
私たちは生長の火をとぼします
人類の魂を燃やす火です。
私は自分の火が
大きいか小さいか知りません。
だけど小さな火でも
大きな蝋燭(ローソク)に火を点(つ)けることが出来ます。
私の生長の火よりも
大きな蝋燭も集つて下さい
何百何千の大廈高楼(たいかこうろう)が
小さな燐寸(マッチ)の火でやけるかも知れません。
私はそれを期待してゐるのです
火がつかなければ
何度でも燐寸を擦(す)ります。
燐寸がなくなるまで私は
人間の魂に火をつけて見たいと
思つてゐるのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
――こういう 「生長のお家」 を、復興しましょう。
3478
:
ユタカ
:2013/12/14(土) 20:44:49 ID:R1D4Jmeg
>――こういう 「生長のお家」 を、復興しましょう。
復興Gさま
そういう「生長のお家」を復興しましょう。
素敵ですねーーー。大賛成!!です。 これから明るい希望がもてますね。
復興Gさまにどこかチャーミングな所を感じていたのは上記の童謡の心を大切にしているからなのですね。
うん。。。納得、納得。。。。
復興Gさま、ありがとうございます!
3479
:
ユタカ
:2013/12/14(土) 21:40:11 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
「神の世嗣を完うする祈り」 を有難うございました。おお!素晴らしい!!
タイミング的にピッタリ! 繰り返し噛み締めて読みたいと思います。
何か嬉しくて有難いです。
3480
:
ユタカ
:2013/12/14(土) 21:42:18 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
私のお礼の言葉がタイミング遅くてすみません。今読んできました。
3481
:
トキ
:2013/12/14(土) 22:26:26 ID:RV0mIozw
>>3477
復興G様
すばらしい詩を紹介して下さり、ありがとうございます。
復興G様の前でこんな事を言うのは釈迦に説法ですが、古い先達の方々から
聞いた生長の家は、この詩の通りだったと記憶しています。いつのまにか、
「あれもしてください」「これもしましょう」というものが増えて、最初
の理想が見えなくなったような気がします。
一人一人が、この詩の精神を大事にすることが、必要だと感じます。
実に素晴らしい詩です。感激しました。
3482
:
復興G
:2013/12/16(月) 10:32:27 ID:AB6RqYXc
>>3481
:トキ様
共感して頂いて、ありがとうございます。
昨日は朝から夜まで行事があって、失礼しました。
>>3479
でユタカさまがa hopeさまにお礼を言ってられるのは、
>>3381
の「神の世嗣を完うする祈り」ですね。
私も、この祈りはタイミング的にもぴったりで、うれしく、プリントアウトして、何度も繰り返し念じています。
これは、
>>3128
でユタカさまが言われた 『光のある内に』 の
<< 人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。
全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。みんな自分のうちのある。
ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。
ただ与えることしかないんです。
だから私たちは本来喜びの歌をうたうしかないんですね。
そして喜びの歌を歌えば、どんどん喜ぶべき世界が展開してくるんです。>>
ということとも繋がりますね。
ありがとうございます!
3483
:
復興G
:2013/12/16(月) 10:41:09 ID:AB6RqYXc
<再掲>
「神の世嗣(よつぎ)を完(まっと)うする祈り」
わたしは今 〝神の子〝 であることを悟ったのである。
神はわが父であり給い、私たち人間を神の世嗣として地上に顕現せしめ給い、
神の御心を地上に実現するための 〝神の子〝 として地上天国建設の使命を授け給うたのである。
この大使命を自覚するまでの私たちは、いわば 〝漂浪(さすらい)の子〝 〝放蕩息子〝 とも譬(たと)うべきものであったのである。
しかし今はもう私は 〝漂浪(さすらい)の子〝 でも 〝放蕩息子〝でもないのである。
わたしは今、父の御許に立還(たちかえ)ったのである。
父はわたしが郷里に還ったことを悦びたまうて、父のもち給える一切の善きもの、
美しきもの、悦ばしきもの、楽しきものを与え給い、私を神の世嗣とし給うのである。
神の大いなる清く健やかなる生命の流れが滔々として、今わが内に流れつつあるのである。
それゆえに、私は今、無限に健やかであり、溢るるばかりの生命の豊かな躍動を内に感じ、
地上天国建設のために、
私に割当てられたる仕事にいそしむことができるのである。
私は今、ゆるされて神の世嗣となったのであるから、神の明らかなる智慧は常に神の御蔵あ(みくら)より私に流れ入って、
何時(いつ)、如何(いか)になすことが、繁栄の道に叶い、健康の道に叶い、人類の福祉の道となり、
地上天国建設に役立つ道であるかを明らかに知ることができるのである。
わたしの努力することは必ず実を結び、わたしの計画することは必ず善き協力者を得て、成就することは明らかなのである。
わたしは今、神の世嗣として、わが内部に神の大生命が還流し、素晴らしい生命の輝きを発揮していることを自覚するのである。
それゆえに私は常に心明るく楽しく愉快で、光明の雰囲気を身辺に放散しているのである。
したがって、私の身辺にきたる人々は、ことごとく明るくなり、楽しくなり、愉快となり、幸福となるのである。
したがって、私は多くの良き協力者を得、共鳴者を得、いよいよ益々繁栄せざるを得ないのである。
わたしは今、自分がまことにも神の世嗣であることを自覚したのである。
今、ここに、私の体に神が満ちていますのである。
永遠の生命、永遠に疲れず、老いず、病まず、働きてやまざる生命、
――これが神の生命であり、私の生命であるのである。
その生命の貴(とうと)さを自覚するとき、わが生命はその高貴さを現実に発揮するのである。
その生命の貴さを自覚して行動するとき、神が現実に、この 〝私〝 を通して顕れ給い、
奇蹟と見ゆるごとき大業をもやすやすと成就することができるのである。
人間が神の世嗣であるということは、人間は自己を通して神の一切の善徳がこの世に実現する機関であるということである。
自覚せよ、自覚せよ。
〝私は 〝神の子〝 であり、神の世嗣であり、神の最高の自己実現であることを。
ありがとうございます。
3484
:
a hope
:2013/12/16(月) 22:34:33 ID:/9IAdiFk
>>3479
>>3480
ユタカさま
>>3482
3483 復興Gさま
わたしが、今月のweb誌友会の開会の祈りとして謹写させていただいた「神の世嗣を完うする祈り」を、
褒めていただきありがとうございます。
わたしは、「生命の實相」から「生長の家の教え」に入りました。
そして、すぐに「生長の家」の信徒になりましたが1年程で退会したので、
ここに書き込みを始めた当初は、信徒必携と言われている「聖光録」や「真理の吟唱」の存在を知りませんでした。
掲示板でお話をさせていただいているうちに、「聖光録」はももんがさまから教えていただき、
「真理の吟唱」はユタカさまに教えていただいたのでした。
掲示板の世界って現実と夢が混然としているような不思議な世界ですが、
そんな世界の中で 「生長の家」の新入生 a hopeはみなさまからたくさん学ばせていただき、
たくさん生長させていただきました。
わたしは今、この掲示板でお知り合いになれた一人一人の方々に心から感謝しています。合掌。
ところで、せっかくの機会ですので、今まで聞いてみたかったことをみなさまに質問させていただきます。
教団信徒であった期間が短いわたしは、実は、生長の家の「愛行」についてよく知らないのです。
「愛行」とは、愛を行ずると書きますから、現在のわたしの生活では「和顔愛語」を心がけ、
常に相手の実相を観るようにしています。
ですが、信徒だったころは「生長の家」の「愛行」というと、普及誌を配ったり講演会へお誘いしたりすることのように思っていたのです。
だから、正直に言えば、「愛行」という言葉にあまりいいイメージをもっていませんでした。
「生長の家」の「愛行」とは本当にはどういうことをすることなのでしょうか?
復興Gさま、トキさま、ユタカさま、曳馬野さま、あさひさま、reiさま、
(最近このweb誌友会板に書き込みされている方々の名前をあげさせていただきました)
そして、その他のみなさまにもぜひ、うかがいたいです。
みなさまは、どのような「愛行」をされていますか?
「生長の家」の「愛行」について教えていただけるとうれしいです。
3485
:
rei
:2013/12/17(火) 08:19:46 ID:ZIftZ1jM
おはようございます
a hopeさま
小さな私の名前も載せていただいたのでお答えします
愛行とは私も最初はあなたのように考えていた時期もありましたが
だんだんと発展して来て
自分以外の他(本当は自分自身なんだろうけれども)に対して
どんな小さなことでもいいから深切を与えることだと思って行動する様に努めています
具体的には
自分の利益を度外視して相手の為に尽くすことだと思っています
それが時には
祈りであり、電話であり、悩みを聞いてあげることであり、一緒の時間を過ごすことであり
本をあげたり、誌友会にお誘いしたり、真理はこうだよとそれとなくお伝えしたり
時には
人知れず見えない所で動いたり、自分の体験を語ってあげたり、写経をあげたり
そして時には
あなたは一人で歩けるよと云って黙って去るとか‥‥
どうすることが「愛」なのか必死で考えています
一人一人の顔が違う様に愛行も相手にあわせて千差万別
匿名で真理をお伝えくださる復興G様などは本当に素晴らしい愛行をなさっておられ
と尊敬させて頂いております。
またこの掲示板を開設して皆様に「場」を提供されおられるトキ様も
御自分の利益など考えておられないと思います。
素晴らしい愛行だと思います。
それは、お二人共、目に見えない大勢の生長の家の信徒へ向けてのの「愛」を発信されているのだと
私は思っています。
愛行に関しては、私は「信仰の活人剣」をバイブルにしています。
3486
:
復興G
:2013/12/17(火) 15:09:19 ID:AB6RqYXc
>>3484
:a hope さま。
生長の家で 「愛行」 と言えば、「神誌」 と言われた『生長の家』 の月刊誌をたくさんとって人々に配ること、とほとんど同義語に使われていた時代もありました。それは、振り返って見ますと――
『生長の家』 創刊号の目次ページの裏に、
「吾れを伸ばすものは、
絶えず與へてゐると云ふ感じ、
紹えず人から喜ばれてゐると云ふ感じ、
與へる歓びは自己擴大の感じ、
自己の愛が次第に擴がる感じ、
この感じのうちに生命は伸びて行く。」
とあり、その前、表紙の裏面には
<< 『生長の家』 は讀み捨てにするやうな雑誌ではありません。どんなに此れが好い雑誌であるかは讀んで御覧になれば判ります。
讀みガラを捨てないで常に座右に置いて下さい。そして心に暗い影がさして來たら本誌のどの一頁でも宜しいから、開いてお讀み下さい。あなたの心がそれはそれは輕くなります。暗い人生観が明るい人生観にかはります。
これを病人に贈れば實に好い慰めともなり見舞ひともなります。私の書いたものは唯讀むだけでも元氣が出て病氣が輕減することが度々あるさうです。
愛息や愛弟妹に讀ませて頂けば、在來の消極的教育とはちがつた溌刺たる積極的精神が培はれます。
『生長の家』 は一つの家庭に是非一冊はなくてならない雑誌です。日本國中の家庭が此の雑誌をとつて呉れれば日本國中の家庭が榮えます。争ひの絶えなかつた家庭が平和の家となり、悲しみの家が喜びの家となり、病人の絶えなかつた家庭が健康の家となり、何事も不如意であつた家が 『生長の家』 となります。
私は日本國中の家庭を樂しい 『生長の家』 とするために全精力と全資金とを此の事業に献げます。
日本を愛する人々よ、知人に此の雑誌を紹介して下さい。屹度その知人がお喜びになります。此の人なら讀んで喜んで呉れさうなと思はれる知人があつたら其の人の住所氏名を發行所まで御知らせ下さい。幾部でも見本誌をお送りします。(生長の家發送部より)>>
とあります。そして、「『生長の家』出現の精神とその事業」 と題する冒頭の言には、
<<自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。…(中略)…自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照さずにはおかないだらう。此の火は天上から天降つた生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を點ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上つた。見よ! 自分の身體が燃え盡すまで、蝋燭のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。>>
と、述べられています。
そうして、谷口雅春先生ご自身が会社勤めをしながら身銭を切って 『生長の家』 誌一千部をつくり、最初は知人などに無料贈呈送付することから、生長の家の運動は始まった。そこで、この先生のお言葉に呼応して起ち上がった生長の家信徒たちは、「愛行」 と言えばこの 「神誌」 の購読者をふやすこと、さらにはこれを自分がお金を出してたくさんとって人々に配ること、とほとんど同義語に使われて、誌友拡大にひたすら邁進していた時代があったわけです。
「誌友拡大」 こそが日本を救い人類を救うことになるんだ、この運動は神が始められた神様の運動なのだ、私たちは神に選ばれた霊の選士なのだ――そう固く信じてこの運動に熱中するあまり、ややもすれば行き過ぎや無理が生じたこともあったと、いま振り返ってみれば、思われます。
それで、a hope さまが
>>正直に言えば、「愛行」という言葉にあまりいいイメージをもっていませんでした<<
とおっしゃっているのは、「愛行」 は本来、自発的に行うものであり、よろこびの行であったはずだのに、強制される苦行のような状況もあらわれていたのかなあと思います。
<つづきます>
3487
:
復興G
:2013/12/17(火) 15:40:59 ID:AB6RqYXc
<つづきです>
谷口雅春先生特別御講話 「菩薩、何を為すべきか」 と題されたカセットテープ(世界聖典普及協会製作頒布)があります。「實相研鑽会」(地方講師・光明実践委員の相互研鑽会) での御結語を収録したものです。
その第1話は 「伝道とは愛の実践」、
第2話は 「上求菩提と下化衆生」
という題で、実に素晴らしい御講話だと思います。その要点を、これから録音を聴き直して筆記し、お伝えしたいと思います。時間がかかりますので、しばらくお待ち下さい。
3488
:
ユタカ
:2013/12/17(火) 17:58:18 ID:R1D4Jmeg
「生長の家」の「愛行」とは本当にはどういうことをすることなのでしょうか?
a hopeさま
今から復興Gさまがお答えくださいますが、ユタカは?と聞かれたので。。。
ここのみんなは笑うでしょうが・・ユタカの思う「生長の家の愛行」は
今おかれた場で、生命の実相でこれいいなと学んだ事を「実践」することかな。
実践しようと心がけながら、「七転び八起き」でも前進することかな〜。
職場で学校で、いつも「神様に護られているから大丈夫。」って四六時中言っています。
そして「神様っているの?」などと話が進んだら、谷口雅春先生の御本を差し上げています。
先日は、倒産した会社の社長に「光のある内に」のここで勉強した「あなたの中にすべてがある」と言うところの文章のコピーとともに沢山励まして、雅春先生の御本を差し上げました。
次は、クリスマスに「青年の書」をあの人とこの人にプレゼントする予定です。
以上がユタカさんなりの愛行です。みんなは具体的にどんな愛行をしているんだろうな?
s
3489
:
復興G
:2013/12/17(火) 20:50:00 ID:AB6RqYXc
>>3486
のつづきです。
谷口雅春先生特別御講話 「菩薩、何を為すべきか」 と題されたカセットテープ(「實相研鑽会」 での御結語を収録したもの。世界聖典普及協会製作)の第1話 「伝道とは愛の実践」 を再生筆写させていただきます。「愛行」 とは何かについて、たいへん深いお話がありますので、ここに、連続して謹掲させていただきます。
(この實相研鑽会は、昭和54年頃に行われたものと思われ、『實相研鑽』 の本には収録されていません)
最初に、先生はテキスト 『信仰の活人剣』 68ページから 「仏の使命」 というところを朗読されます。以下のご文章です。(≪ ≫ の中はテキストのご文章)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
≪ 仏の使命 (『生命の實相』 第39巻より)
仏のなすべきことは何であるかというと、説法ということであります。
そう言うとおかしく聞こえますけれども、「すべてのもの言によってつくらる、言葉は神なり」 というキリスト教的立場からしましてもそうなのであります。≫
つまり、神様がコトバを出されるということは、一切の天地のものをお創造(つく)りになるということになるんですね。
≪仏教でも釈迦は 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』 の説法を終わると、「如来(にょらい)の応(まさ)に作(な)すべき所の者は皆已(すで)に之(これ)を作(な)せり」 と言われました。≫
仏の使命というものは、説法をするということである。
成仏(じょうぶつ)するというのも、「成仏」 の 「成(じょう)」 は 「なる」 (成る=鳴る) である。
仏の実相が鳴りひびくときに、本当に 「成仏した」 ということになるわけですね。
あるいは 『法華経』 の中に、
「大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)は十劫(こう)の間道場に坐っておられたけれども成仏しなかった」
と書いてあるけれども、それは説法をしなかったからですね。成り(鳴り)ひびかなかったからです。鳴りひびくということが大切であるわけです。
華厳経には、毘盧遮那(ビルシャナ)如来が衆海(しゅうかい=もろもろの世界海)の中で、「正法(しょうぼう)を演説し給う」 と書いてある。
「正法」 とは正しい真理の法(コトバ)です。真理のコトバを説法するのが、如来の、盧舎那(ルシャナ)仏の愛行であったわけです。
僕も、毎日神想観をして――神想観というのは、これ、説法でありますよ。心の中で説法をする。
「われ今、五官の世界を去って実相の世界に入る。
ああ、美(うる)わしきかな、此の世界よ。
神の無限の智慧に満たされてあるかな。
神の無限の愛に満たされてあるかな。
神の無限の生命に満たされてあるかな。
神の無限の供給に満たされてあるかな。
神の無限の調和に満たされてあるかな。
神の無限の喜びに満たされてあるかな。
………」
――これはですね、まことに正法を説法している。
実際に実在しているところの真理を、コトバに表現して、それを伝えるんですね。
その説法が、アフリカのガーナ国まで行くわけですよ。本当ですよ。(拍手)
<つづく>
3490
:
復興G
:2013/12/17(火) 22:52:02 ID:AB6RqYXc
<
>>3489
のつづき>
この真理の説法――本当の愛行というものは、雑誌をね、配るだけじゃないんですね。
雑誌を配るのでもね、幹部の人からこうして割り当てられたから、めんどうくさいけれども、なんとかして配らんならんなと思って、つぶやきながら、つらい、つらいと思いながら郵便箱へ放り込んだりしておったらですね、それは伝道にはならんですね。
本当に、雑誌を配るんだったら、「愛」 行と言われている、「愛」 を持たないといかん。つらいなあ、なんて思ったらいかんので、自分の、この雑誌一冊が、これを受けとる人が、本当に真理をさとって救われますように、実相が顕われますように。自分は天の使いとして、こうして真理のコトバを配らしていただいているんだ。ああ、ありがたい。「どうぞ、この真理の言葉を受けとってください」 という愛念があって配らなければですね、ただ単につらい行である、責任だけ果たさんならん、なんていうのでは、本当に真理の説法にならないというわけなんですね。
この 『信仰の活人剣』 の中に、さっきちょっと開いたら、
「願なき行は魔である」
という言葉が書いてありましたがね。
「願」 というのは、如来の本願、四十八願というのがありますがね、あれは何かというと、愛の念願です。それには、「こうしたい」 という一つの理想が含まれている。愛の理想が。
「すべての人類が救われるまでは、私は仏にならん」
という法蔵菩薩のすばらしい理想と愛というものが、あの四十八願の中にあってですね、それではじめて阿弥陀如来として法蔵菩薩が成仏せられた。
われわれが伝道するのは、やっぱり、それでなければならにですね。理想がなければならない。愛がなければならない。………
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――まだまだ続きますが、テープ起こし謹写は一応ここまでにさせて頂きます。
>>3489
で、神想観も説法である、すなわち愛行である、というのは、本当にうれしくなりますね。
バンザーイ! です。
愛行は、たとえ何も持っていなくても、あらゆるところで愛行は出来る。電車に乗って、乗り合わせているすべての乗客がみな神に生かされている神の子でいらっしゃると観じ、招神歌を心に念じて、第一首の
「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ) 元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)え給え」
というとき、その意味は
≪ 「元津霊(もとつみたま)ゆ」 は 「元のみたまより」 「大生命より」 という意味。「幸え」 は、われらの幸福は自分の力で得られるものではなく、大生命から、「割(さ)きはえ」 されることによって得られる。「割き」 は 「分ち与える」 の意、「はえ」 は 「延(は)える」 すなわち 「根から末へ出て来る」 ことを言うので 「神」 という大根底から神の子なるわれらに霊を与えられることをいう。霊を与えられればわれらの霊は殖える。これを 「恩頼(みたまのふゆ)」 とも 「霊のたまもの」 とも言い、「霊のたまもの」 が殖えればわれわれはズンズン生長し幸福になれる≫(『生命の實相』第8巻「観行篇」)
ということでありますが、その 「幸え」 が、「自分に」 ではなく、「電車の乗客すべてに」 と念じます。
「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)。
吾が業(わざ)は吾が為すにあらず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)。」
というときも、「吾が」 というのは 「自分」 ではなく、乗客すべてが自分の力で生きていらっしゃるのではない、神の力で生かされていらっしゃる神の子にまします、と拝む気持で念じさせていただきます。
「天地(あめつち)の祖神(みおや)の道を伝えんと顕(あ)れましし 生長の家の大神まもりませ」
も、「乗客すべてを 生長の家の大神 守り給え」 「乗客すべてが生長の家大神に守られて、今すばらしく幸福でいらっしゃるのである」 と念じます。
こういうことも、すばらしい愛行ではないかと思っています。
まだまだ書きたいことがありますが、あとはまた明日にさせていただきます。
3491
:
a hope
:2013/12/18(水) 00:30:32 ID:/9IAdiFk
>>3485
rei さま
お返事くださり、ありがとうございます。
<<(愛行)とは自分の利益を度外視して相手の為に尽くすことだと思っています>>
というお返事、わたしはとても納得がいきました。
それはきっと、「無償の愛」または「アガペー」といって「神の愛」と同意義なのではないかと思います。
そう考えると、招神歌に、
『わが業(わざ)はわが為すにあらず天地(あめつち)を 貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)。』
という節がありますが、まさに「生長の家」の「愛行」は神の業によって行われるものだと言えないでしょうか?
また、具体的にも色々と教えてくださりありがとうございます。
<<どうすることが「愛」なのか必死で考えています
一人一人の顔が違う様に愛行も相手にあわせて千差万別>>
reiさまは常に相手にとって最善のことをしてさしあげようと努力されているのですね。
きっと、reiさまの心のこもった「愛行」にたくさんの方々が救われているのだと思います。
そして、ご紹介の「信仰の活人剣」に関しては、楠本加美野先生の「伝道物語」のまえがきに、
「本書は『信仰の活人剣』の実証篇とも言える。『信仰の活人剣』と併用され、日本国の実相顕現のために役立てることができますよう希(ねが)ってやまない。」
とあったので、以前購入してあって、現在手元にあります。
復興Gさまのお話のなかにも出てきていますから、どうやら、「生長の家」の愛行を理解するにはぴったりのテキストのようですね。
さっそく拝読してみます。
また、復興Gさまやトキさまの「愛行」に関しては、完全同意させていただきます。
わたしも、お二人のことは心から尊敬させていただいています。
rei さま、素晴らしいお返事をありがとうございました。合掌。
3492
:
a hope
:2013/12/18(水) 00:34:49 ID:/9IAdiFk
>>3488
ユタカさま
<<今おかれた場で、生命の実相でこれいいなと学んだ事を「実践」することかな。
実践しようと心がけながら、「七転び八起き」でも前進することかな〜。>>
とありますが、ユタカさまもrei さま同様、[試行錯誤をされながら、具体的な形で実践されているのですね。
素晴らしいですね!
また、
<<職場で学校で、いつも「神様に護られているから大丈夫。」って四六時中言っています。>>
とありますが、実は、この「神様に護られているから大丈夫。」という言葉には、わたしも以前救われたことがあるのです。
4年くらい前ですが信徒だった時に、娘の一人のことでちょっと心配事があったときに、
年配の講師の先生が「娘さんは『神さまが護って下さっているんだ』、と思っていれば大丈夫ですよ」と、
本当にさりげなく、それが当たり前のことのように声をかけてくださったのです。
それまで、「自分の祈りの力で何とかしよう」と力んでいた自分の肩の荷がふっと下りて、
「あーそうなんだ、大丈夫なんだ」って、とても楽な気持ちになったのです。
そのお言葉は今でもわたしの心にしっかり残っていて、子どもたちのことで、
心配なことが起こるたびに(頻発してますが・・・)思い出し、心を落ち着けています。
今気づきましたが、その講師の先生のお言葉こそ、わたしにとって「神の言葉」であったのですね。
だって、その講師の先生の何気ない「愛行」による一言で、わたしは今でも救われ続けているのですから・・・。
だから、ユタカさまもきっと周りの方々をたくさん救われているのではないでしょうか?
わたしも、「神様に護られているから大丈夫。」このおまじないのコトバ、これから使ってみようと思います。
だって、自分が救われたのですから、お返ししないとね!
ユタカさまのお返事で、とても大切なことに気づかせていただきました。
ありがとうございます。合掌。
3493
:
a hope
:2013/12/18(水) 00:47:00 ID:/9IAdiFk
>>3486
〜復興Gさま
<<生長の家で 「愛行」 と言えば、「神誌」 と言われた『生長の家』 の月刊誌をたくさんとって人々に配ること、とほとんど同義語に使われていた時代もありました。>>
やはり、そういう時代が実際にあったのですね。
その名残のような形で、今でも「愛行」という言葉がそのような意味でつかわれていることがあるのではないでしょうか?
ですが、みなさまのお返事を拝見していると、どうやら「生長の家」の「愛行」はそういう意味ではないということがわかってきました。
また、貴重な谷口雅春先生の御講話のテープを再生謹写してくださり、心から感謝いたします。
本当に素晴らしい内容ですね。
「信仰の活人剣」の内容も拝見しながら、これからじっくりお勉強させていただきます。
感謝 合掌。
3494
:
rei
:2013/12/18(水) 08:34:20 ID:ZIftZ1jM
おはようございます
a hopeさま
素直な表現をされるあなたも素晴らしいなと思い、いつも読ませて頂いています。
復興Gさま
いつも本当に有り難うございます。
勉強させて頂いております。
ユタカさま
この前は曵馬野さまに対して熱くなっておられてちょっとビックリしましたが、
似た思いは感じていました。
みなさまいつも本当にありがとうございます。
3495
:
ユタカ
:2013/12/18(水) 22:05:46 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
大変な作業をそのようにお急ぎになってなさらないで下さいね。
テープを訊けさんに送ってみんなで聞くっていう方法なども考えられますよ。
復興Gさまが疲れたら悲しいです、ゆっくり作業してください。
reiさま、
ありがとうございます。愛行の事、完璧!と思ってしまいました。 本部の先生のようですねカッコイイ!
曳馬野さんのいう事は総裁の思想とそっくりですが、生長の家の御教えとは程遠いように思いました。
難解なことさえ言えば周りが黙ると思っているのでは無いのかと思うと熱くなります。
3496
:
ユタカ
:2013/12/18(水) 22:11:47 ID:R1D4Jmeg
難しい事を優しく分かり易く伝える方が難しい。
新しい事をやることは自由で派手で楽しい、それより、伝統を受け継いで行く方が、地味で苦しい。
3497
:
復興G
:2013/12/18(水) 22:34:03 ID:AB6RqYXc
ユタカさま
ありがとうございます。
ゆっくりやります。
谷口雅春先生の特別御講話を聴き直して、深く感に打たれています。
これで行かなくてはと、肝に銘じつつテープ起こし・PC打ち込みも、ゆっくりさせてもらいます。
そして、思うところもたくさんあります。
年内に、まとめの仕上げをしたいと思います。
合掌
3498
:
rei
:2013/12/19(木) 08:13:15 ID:ZIftZ1jM
おはようございます
ユタカさま
ちょっと私を褒めすぎ?のような気もします。
できてない部分は言ってないだけです‥‥。
でも、曵馬野さまに対しては昨日のような優しい言葉を使ってもらうと
私はありがたいです。
合掌
3499
:
ユタカ
:2013/12/19(木) 08:19:15 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
そうですか!分かりました、室内を暖かくして湿度も保って、ゆっくりなさって下さいね。
いつも有難うございます。 ユタカは今日も元気に仕事にいってきま〜す!^^
みなさん、有難うございます、今日も元気一杯、無限力で生き生きやりましょう! イェーイ!生長のイェーイ!(バカ?
)
3500
:
ユタカ
:2013/12/19(木) 08:20:40 ID:R1D4Jmeg
>3498
絶対 嫌だ! 大嫌い!
3501
:
ユタカ
:2013/12/19(木) 08:22:03 ID:R1D4Jmeg
あ、間違えた、感謝できたら
優しくなれると思います。
では、もう遅刻しそう!
3502
:
ユタカ
:2013/12/20(金) 00:23:54 ID:R1D4Jmeg
>また雅宣先生が皆さんの云うような人であるとするならば、そのような人しか育てられなかった清超先生は師と呼ぶに値しないと云わなくてはなりません、
そしてそのような清超先生と云う弟子しか育てられなかった雅春先生は師と呼ぶに値しないと云わざるを得ません。つづく
reiさま
曳馬野さんのこの言葉を読みましたか?
私は、60歳のお爺さん(総裁の事)の所業を今更、親や祖さまの責任にしていますよね?
40歳すぎた男の顔は自分の責任だよね。。。。と私は思います。(20歳過ぎたら自分の責任ですね。) 引く馬ノさんの人生の失敗は全て先祖の責任ですか?って聞いたら親が私をこのように生んだからです。と言うのかな??
とにかく大嫌い!!
3503
:
rei
:2013/12/20(金) 08:32:10 ID:ZIftZ1jM
ユタカさま
おはようございます
曵馬野さまは生長の家をよく研究していて、
妻と共に熱心に信仰しているなんていうのは嘘だなと思いました。
その指摘だけで良かったのではないですか。
復興Gさまが論破してくださり、逆に私は嬉しかったですね。
曵馬野さまは答える事も出来なかったではありませんか。
生長の家の素晴らしさが、より解った瞬間でした。
ユタカさまのお覚りもとても素晴らしいなあとおもいました。
現生長の家も本流派もみんな雅春先生の生長の家だ!って言われたところ。
分派争いしているんじゃなくて、拡大してるんだよね?
すごいじゃないですか。
枝分かれして伸びていってるんだ。
争っている様に見えるのは間違いで、それぞれが信仰を深めているんだと観るんだって
いうのは「実相を観る」という生長の家の素晴らしさを如実に顕す機会を頂いていて
本当にありがたいことですね。
あなたのお蔭です。
気づかせて頂いて本当に感謝しています。
合掌
3504
:
復興G
:2013/12/20(金) 10:55:08 ID:AB6RqYXc
ユタカさま
rei さま
>> ユタカさまのお覚りもとても素晴らしいなあとおもいました。現生長の家も本流派もみんな雅春先生の生長の家だ! って言われたところ。
「分派争いしているんじゃなくて、拡大してるんだよね?」
すごいじゃないですか。
枝分かれして伸びていってるんだ。争っている様に見えるのは間違いで、それぞれが信仰を深めているんだ と観るんだっていうのは。<<
――ほんとに、そうですね。
すばらしい!
実相世界にすでにある、中心帰一大調和の無限に完全な素晴らしい神の国が、いよいよもっともっと完全に地上に顕れようとしている課程なのだ! すばらしい! ありがたい! と思います。
3505
:
ユタカ
:2013/12/20(金) 21:09:27 ID:R1D4Jmeg
>実相世界にすでにある、中心帰一大調和の無限に完全な素晴らしい神の国が、いよいよもっともっと完全に地上に顕れようとしている課程なのだ! すばらしい! ありがたい! と思います。
あ、分かった!
そういう事だったのですね。 良かった! 悪く見えるのは夢で、本当は神の国建設拡大中か!
良かったなぁ、 本当に良かったな〜〜〜。
復興Gさま、reiさま、おじさん、本当に有難うございます。
3506
:
seo thing
:2013/12/21(土) 05:16:56 ID:1frP8/Xo
SnQoIN I really liked your article post.Much thanks again. Really Great.
3507
:
神の子さん
:2013/12/22(日) 18:01:14 ID:NYUcBHWQ
>>3503
reiさん
【復興Gさまが論破してくださり、逆に私は嬉しかったですね。曵馬野さまは答える事も出来なかったではありませんか。】
私は論破されてぐうの音も出ないと云われるのですね。では皆さんにお聞きしましょう。
生長の家では大生命の存在と共に個生命の永遠を信じるものであります、とありますよね(七つの光明宣言の解説の二)。 としますと
神が実在の世界に於いて、個生命として実在の完全なる人間を創造したと云うことになります。
そこで疑問
現象界、これは霊界も含めた全宇宙という意味ですが、に存在する個生命は有限でありましょうか?
有限でありますと、生まれ変わりをさんざんして魂の磨きをし、実在そのものの影を映し出すまでの魂に、全個生命が
成った暁には、何処で(現象的に)生活するのでしょうか?
(これは逆に言うと実在界で個生命として完全に生きていながら、何故現象界に顕現しなければならないかと云うことでもあります。
無限のままでは何も表現されないから、との意の説明が巷ではされている。それでは実相世界が美しいものであると云うことは云えない。)
高級霊は地上を卒業して高級霊界に転生すると云われていますね。地上には霊魂、人間は一人も居なくなる訳でしょう?
高級霊になると他に転生してしまい、他の天体から低級霊が地上に転生してくる(これは50年頃の理誌に書かれている)
のであれば、地上天国は如何にして実現できるのですか?
何故完全な個生命の人間が、低級霊の姿を現じなければならないのですか?
完全な個生命の実相人間が、何故影とは申せ不完全な姿を現すのでしょうか?
いつの日か実相人間さながらの影を映し出すことが出来ると云うのならば、本来完全であった人間の影が何故不完全に映るようになったのでしょうか?
七つの光明宣言の解説の二には
【吾々が『生命』として顕現れて来たと云う否定できない事実から出発するのでありまして理屈ではないのであります。吾々は事実上生まれてきて
生長しつつあるのであります。この事実より考えるとき・・・・】 と書かれています
生長の家の教えは現実の認識から出発しているのではありませんか?
現実の生活の改善というものが先に有り、あとから実相論が説かれているように見えます。
「人間はこの世界に生まれてきたことはない」と説かれ、念のフィルムを通してそのように観ているだけである、だから病人とみている自分の観念を
この人は病人でないという思いに替えれば、即健康な人になる、その無病なりとの信念になるのには、それぞれの人に応じて時間は変わるけれども、
時間は本来関係がない、「吾らが真に実相の中に超入し得る底の神想観の境地に達して病気は無いと念ずれば瞬時の想念がよく完全にあらゆる病気を
消滅せしめ得べきであるのである」
と云われているのに何故「雅宣先生が病人である」と云うのならば、悟りを得たと云うような言い方の本流派、また復興Gさんは雅宣先生の病気を
消滅させることが出来ないのですか?
「全人類は同一の共通的心をもっていると認めなければならないのであります。その人間共有の一つの心を称して吾々は神とよぶのであります。」
神癒への道p107〜「省略・・時間がありません・・・どなたか書いて下さい」には『それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、
無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである」と説かれています。
復興Gさん、また本流派の指導者の過っての本部講師さん、あなた方が何か現象に対してもの云えば云うほど、神癒への道に説かれている真理に
私たちは反していますと表明することになるとは思いませんか?
『それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである』を実践していると云われますか?
生長の家を復興するなんて烏滸がましいことだと思いませんか?
生長の家の真理を真に理解している、また体得しているというのであれば、『神癒への道』を何十辺何百辺と読まれ真理の実践者となること、
それでこそ復興を名乗り本流を名乗る価値があると思うものであります。
3508
:
曳馬野
:2013/12/22(日) 18:02:25 ID:NYUcBHWQ
上は曳馬野です
3509
:
復興G
:2013/12/24(火) 21:06:28 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
>>3461
で私が質問しました
>>禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています<<
>>その指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか<< (<<3455)
と言われる禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。 <<
の質問に、お答えはいただけないんですか?
さて、皆さま
>>3489
・
>>3490
のつづき
<< 谷口雅春先生特別御講話 「菩薩、何を為すべきか」 と題されたカセットテープ(「實相研鑽会」<地方講師・光明実践委員の相互研鑽会> での御結語を収録したもの>>
の続きを拝聴し、本当に素晴らしい御講話だと、深く感に打たれています。
これで行かなくてはと、肝に銘じつつテープ起こし(録音筆写)してお伝えします。
○
谷口雅春先生特別御講話
「伝道とは愛の実践」 つづき
――それにはやっぱり、正法(しょうぼう)すなわち真理を知らなければいけない。
人に深切をすると言っても、真理でない深切をしたら、かえって気の毒なことを起こすかも知れない。物質で深切をする、あの人に何かあげたいと思って、カメラならカメラを、この頃流行の、シャッターをチャッと切れば自動できれいに写るという素晴らしいカメラが出てきたから、あの人にあげたい、と思ってそれをあげたら、それは相手によって、いい具合に使われるかも知れないけれども、あるいはその相手の人が、カメラマニアになっちゃって、仕事も何もほっといて写真ばかりに没頭して――というようなことにならんとも限らんわけでですね。これは相手にふさわしいものを与えなければならない。
そのためには、やっぱりわれわれが常に神想観をして、宇宙の最高の智慧と一つになって、自分の行うことが神様の智慧によって導かれているということにならなければ、間違いを生ずるおそれがあるですね。
そこで吾々は、神の智慧と、愛とをいただいて、更に神の生命を、無限の生命を、無量寿の生命を、そのいのちを相手に与えるアンテナになることですね。
神想観は、宇宙の神様が人類に対して真理を放送し給うところの、自分がアンテナになることですね。自分が真理を伝えるんじゃないんです。だから招神歌には 「わが業はわが為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」 と示されているのであります。
自分が神想観をして人を救うんだというのは傲慢な心であって、そうじゃないんです。自分は神様のアンテナになって、神様の真理を増幅する、増幅アンテナになり、さらに神様の無量寿のいのちを全人類に伝えるための放送アンテナであるという素晴らしい自覚をもって、神想観をする。その時に、その神想観が力を発揮して、ブラジルへもアフリカへも、その伝道が通ずるということになる訳なんであります。
ともかく吾々は、愛と智慧とが伝道にも働かなければならない。利己主義では本当の伝道にはならんのでありまして、<自分よかれ> ではいかんので、<相手よかれ> という心が根本になければ、本当の伝道にならんわけです。
<つづきます>
3510
:
復興G
:2013/12/24(火) 21:07:21 ID:AB6RqYXc
<つづきです>
宗教は愛である。愛なしに伝道したんではいかん。責任感で伝道しているのではだめです。本当に、これをしなければ国家を救うことはできない、人類を救うことは出来ない、隣人を救うことは出来ない――という愛の権化になって動き出したときにはじめて、伝道が力あるものになるわけです。
愛は神である。愛なしに伝道したら、神なしに伝道しているのと同じことですね。だから吾々は、まず愛をもって――愛をもって何を与えるか。それは、真理を与える。真理とは何であるか。真理とは、
「この世界は神の創造り給うた世界である。悪はないのである」 という根本実相、
「悪はない。病気もない、罪もない、業(ごう)もない。」 この実相を伝える。
この実相を伝えることによって、迷っている結果あらわれているところの病気も、貧乏も、家庭の不調和も、子供の不良も、何もかも消えてしまって、実相が顕れる。これが根本です。
その真理を伝えるための愛行。――雑誌を配るのも、神想観をするのも、あるいは街頭で説教をするのも、すべてこの実相円満完全、一切皆善の、神のつくり給うたところの実相世界の素晴らしさをほめたたえ、そしてその素晴らしさを心の眼で見つめて行く。見ればあらわれる。それが神想観の行事でもあるわけです。
また家庭を訪問して行っても、そのお宅の実相を拝む。既に繁栄しているすがたを、すでに調和しているすがたを、すでに病気がないすがたを、すでに調和しているすがたを、すでに病気がない姿を、拝まして頂いて、そうして 「ごめんください」 と入って行く。そのときにですね、もう一切の悪は消え、抵抗は消え、そしてそこに現れていらっしゃるのはみんな吾々神の子の兄弟であってですね、もう一切の苦悩がない神の子たちが現れてきてくださる。そして神の子が藭の子と対面して、神の子の実相が現れる。これが本当の伝道だと思います。
その時にはじめて、「仏と仏とのみ能(よ)く真理を究尽(ぐうじん)し給えり」 (唯仏与仏乃能究尽) という境地が現れてきて、もうそこには一切の悪は無い。訪問して行ったお宅が、今まで病人があったとしたら、病気が消える。悩みがあったとしたら、悩みが消える。憂いがあったとしたら、憂いが消える。そしてもうそこに、その人の家庭に、天国浄土が出てくる、ということになるのが、本当の伝道であると、私は思うんです。それで、
「ああ、素晴らしきかな、この実相世界よ。
神の無限の智慧に満たされている。
神の無限の愛に満たされている。
神の無限の生命に満たされている。
神の無限の供給に満たされている。
神の無限の喜びに満たされている。
神の無限の調和に満たされている。
………」
――と、その実相を心の眼で見て、ほめたたえ、それを語る。そして目の前にいらっしゃるすべての人を、神の子の如来様であるとして、拝める。ここにはじめて、伝道の最後の成就があるということになると思うのであります。
今日はこれで終わります。ありがとうございます。
<第一話 「伝道とは愛の実践」 御講話終わり>
3513
:
復興G
:2013/12/24(火) 23:07:37 ID:AB6RqYXc
皆さま、ありがとうございます。
本流対策室の方では、「これにて退場させていただきます、さようなら」 とご挨拶しましたが、こちらweb誌友会板では今月(今年)一杯まで、最後の締めくくりをし、これまで多大なお世話になりました皆さまにきちんとご挨拶をしてから、お別れさせていただくようにいたします。
3514
:
復興G
:2013/12/24(火) 23:10:34 ID:AB6RqYXc
>>3484
で a hope さまが
>>生長の家の愛行について<<
という課題を出してくださって、とてもいい勉強が出来たとと思います。
私は、「伝道とは愛の実践」 の谷口雅春先生御講話を拝聴しなおし、「神想観は説法であり、愛行である」 とのお教えを確認し、「これだ!」 と方向付けがはっきりしました。この道で精進して行きます。
今朝、起きようとする時に、ふと
「顔を洗って出直して来い」 という言葉が浮かんできました。「人間は皆、神聖受胎した神の子である」 というお教えで、『愛と光との生活』 (谷口雅春法話集8) の中に出てくるお言葉です。
フランスに、「ルルドの聖泉」 というのがあり、毎年1回巡礼期間というのがあって、その時には何十万人もの人が巡礼して行き、多くの奇跡的な治病などが起きているということですが、それについては、「黄金の薔薇(ばら)」 という谷口雅春先生の詩があります(『生命の讃歌』・『ひかりの語録』 に掲載されている)。
謹写させていただきましょう。
<つづく>
3515
:
復興G
:2013/12/24(火) 23:11:17 ID:AB6RqYXc
○
黄金の薔薇
(谷口雅春先生著 『生命の讃歌』 より)
黄金の薔薇三輪空中に咲き出でぬ、
黄金は久遠金剛不壊を象徴す。
三輪は知恵と愛と生命なり
それを踏まえて立ち給えるは処女マリヤ!
処女マリヤは純潔を象徴す。
処女こそ全てのものの真(まこと)の母なり。
処女懐妊こそ
肉欲の子にあらず
不染者の受胎なり
久遠人間の受胎なり
聖霊の受胎なり
吾等すべて処女より生る!
「悔改めよ、天国は近づけり」
少女ベルナルドネは眼をあげぬ。
彼女の瞳を強く射るものは
女神マリヤの二の腕の
桃色の膚(はだ)に輝ける処女マリヤの
黄金の十字架!
桃色の美しき腕(ただむき)は
肉体を象徴す。
黄金の十字架のそれに懸(かか)れるは
肉体の久遠抹殺(エターナル・クロス)を象徴す。
「悔改めよ、天国は近づけり」
ふたたび聖声(みこえ)きこえきぬ!
「悔改めよ、天国は近づけり」
みたび聖声(みこえ)のきこえしとき
ベルナルドネは土を掘り
湧き出ずる泥水にて
浅猿(あさま)しき相(すがた)にまで顔漱(すす)ぎぬ。
少女ベルナルドネの顔は
泥にて覆われ、
群衆は叫ぶ
ベルナルドネは狂せりと。
されど、
ペルナルドネは狂せるに非ず
何人も自己の顔には泥を塗るべきなり。
他(ひと)の顔には泥を塗るべからず。
自己の顔に泥を塗るは
旧(ふる)き自己の抹殺なり
旧き自己を抹殺してのみ
我れこそは浄められたる者と言い得ん。
みずから泥を塗りたる顔は
やがて女神、聖少女ベルナルドネとして輝き、
泥水を噴出せしその跡より
滾々(こんこん)として湧き出ずる清水は
是れ万人の罪を浄むる聖泉!
今もなおこの聖泉に浴する者は
すべての難病悉く癒え
跛者(あしなえ)は立ち
盲人(めしい)は眼を開き
聾者は聞え
唖者は物言う。――
これ仏蘭西(フランス)ルールドの奇蹟なり。
現代に今もなおある奇蹟なり。
この奇蹟の根源は
みずからの顔に泥を塗ること!
吾れらすべからく
自分の顔に泥を塗らざるべからず
敢て他(ひと)の顔に泥を塗るべからず!
<つづく>
3516
:
復興G
:2013/12/24(火) 23:19:32 ID:AB6RqYXc
<つづき>
<< つづいて、新選谷口雅春法話集8 『愛と光との生活』 第一章より 謹写
重大なのは、本当のキリストの発見であります。物質に依りて生れないところのキリスト、聖霊の神聖受胎であるところのキリスト、それが自分の中にも宿っている。
自分の中に光がある。自分の中に罪を贖うところの原理がある。物質に依って生れず肉に依って生れず、永遠に汚れないところの永久の真理なるキリスト――それが自分の生命の生命――本当の自分であって、それが自分の内にある。と言って別にあるのでないのであってそれこそ本当の自分である、我こそは久遠のキリストである、こういう自覚を皆さん自身が有つことが、即ちキリストと一体になることが、これこそ本当のキリストに救われる道であり、本当のキリスト教だと信ずるのであります。
キリストに救われるということは、他所からキリストが手を出して空中にでも引揚げて呉れるのではないのであります。自分の真に自分なるもの――その本当の存在キリストなるものと一つだということを自覚することが救われであります。
≪ルルドの聖泉について≫
事の起りを簡単に申しますと、千八百何年かのこと、ベルナデットと称する十七八歳の乙女がルールドの町の郊外を歩いていると、白衣をつけ青い帯を結んで、黄金のばらの花三輪をその素足で空中にふんで立っている神々(こうごう)しいまだうら若い十五六歳にも見えるところの女神に出遇ったのであります。(
>>3514
「黄金の薔薇」 ご参照ください)
その女神は空中からその乙女だけに聴える声でいろいろのことを教えて呉れたそうですが、或る日 『お前は悔い改めよ、悔い改めたら肉体は救われるかどうか知らぬが魂は救われる』 と被仰(おっしゃ)るのです。『その悔い改めのしるしに顔を洗え、ここの土を掘って顔を洗え』 と被仰るのです。
それから乙女は、そこの土を掘って顔を洗ったのです。土を掘るとそこから噴水が泉となって噴出した。土を掘り立ての時に出た噴水のことですからどろどろの土を噴(ふ)き出して、それで顔を洗ったら顔中泥だらけになった。
そんな泥だらけの水で顔を洗うものですから、『あれは気が狂った、ベルナデットも可哀想なものだ』と町の人は言って居ったそうですが、やがてその神様が、乙女に 『此処に教会を建てよ。祠(ほこら)を建てよ』 と被仰ったのであります。
そこで近所の教会に行って牧師さんに、こういう神さまが祠を建てよと言われるから祠を建てたいと言いますと、『一体なんという神様か、神様の名前が分らないでは献堂金の集めようもないから、その神様の名前を聞いて来い』 と言われますので、その神様のところへ往って聴きますと、『我こそは無原罪の受胎である』 こういう長たらしい神名を被仰ったのであります。
(中略) 聖霊の汚れない妊娠、これは聖母マリアであるというので、ルールドの聖地にはマリアの像を岩壁に彫刻してあるのです。
<つづく>
3517
:
復興G
:2013/12/24(火) 23:20:18 ID:AB6RqYXc
<『愛と光との生活』 第一章より 謹写つづき>
(中略) 人間は始めから罪なきものであります。それなのに、心の迷で塗りつぶして、あの人は病人であって肺臓が空洞になっていると思う。その思いの波動が物質化して医学的に検診して見ても肺臓が空洞になっているように顕れている。実相の肺臓は壊れていはしないけれども、そういう風に現れるのであります。そういう風に吾々の心で塗ったところの、心で色づけしたところの仮りの姿が肉眼に見えている姿であります。
ですから吾々は肉眼で見える病気の姿を、本当にある、あると思って其の通りに始終心に描いておりましたら、先に描いた絵具が剥げる時分には又新しい絵具で病気の姿を塗っている事になりますから、何時(いつ)まで経ってもその絵具が消えないでいるのであります。
心で賦彩(ふさい)せるものが現象の姿でありますから、上から塗った病気色の白粉が剥げたら実相の健康な生地が現れるのでありますけれども、夜昼なしに心の思いで 『ああ私は病気だ、病気だ』 と考えまして、『病気、病気』 という絵具を塗って、五官の鏡に映して見ておりますと、常に心の絵具で塗る通りに現れますから病気は決して消えないのであります。華厳経の唯心偈に 『心は工(たくみ)なる画師(えし)の如く種々の五蘊(ごうん)を描く』 と説いてあるのは誠にその通りであります。
その迷の白粉(おしろい)を塗った顔を洗い浄めるのが空中に現れた 『無原罪』 の神様が 『顔洗え』 と被仰ることだろうと存じます。
が、だから此の 『顔洗えよ』 『悔い改めよ』 というのはこれこれの日常の行為の一つ一つについてこれを改めるというようなそんな小さい個々別々の問題ではなく、もっと大きな悔い改め、『人間は肉体である』 と考えて居ったその考えをスッカリ悔い改めて、『人間は物質にあらず、肉体に非ず、久遠不滅のいのちである。神聖なる神のいのちがその儘ここに受胎しているのだ、神聖受胎だ』 という、その神聖受胎の悟りにまでクラリと変るのが、本当の悔い改めで、これが顔を洗うことであります。
『顔を洗って出直して来い』 と俗に申しますが、心の顔を洗い清めて、神聖受胎そのままの顔になって出て来れば、今まで狭いと思っていた世界が広くなり、今まで暗いと思っていた世界が明るくなり、病がなくなり、家庭が調和し、本当に楽しい世界が其処にあらわれて来るのであります。
<以上で 『愛と光との生活』 第一章より 謹写おわり>
3518
:
復興G
:2013/12/24(火) 23:26:38 ID:AB6RqYXc
今夜はこれまでにいたしまして、つづきはまた明日に。
おやすみなさい。
3519
:
復興G
:2013/12/25(水) 11:12:23 ID:AB6RqYXc
ありがとうございます。
昨夜謹写掲示させて頂きました 『愛と光との生活』 第一章より 「ルールドの聖泉」 についてのご文章、
>>3516
と<<3517の間のご文章を <中略> としていましたが、その部分も大切なところであると思いますので、追加謹写させて頂きます。
(注。ルールド=ルルド、ベルナルドネ(<<3515)=ベルナデット)
○
<< ルールドの聖地にはマリアの像を岩壁に彫刻してあるのですが、『我こそは無原罪の受胎である』 とこう仰しやったところの、その無原罪の受胎が顕現するための、罪を洗うところの象徴としてそこに聖泉が噴き出しているのでありまして、その中に 『罪あると思っている人』 が浸ると、『無原罪の受胎』――『神聖受胎』――人間本来の浄らかなるもの――病なきもの――が現れて病気が忽然と消えてしまうことになるのであろうと思われます。
これはフランス・ルールドに於ける奇蹟の私の解釈でありますが、その病の治る原理は 『本来罪なきものの受胎』 でありますから、その神聖受胎はなるほど或る程度までこちらの波長が合わなかったら形に現れて来ないのであります。だから昨年ルールドへ行ったけれども治らなかったが今年行ったら ぽかっと一度に治った というようなことも起るのであります。
ラジオの波長でもそんなものであります。波長を合わすと徐々に聴えて来るというよりも寧ろ同波長の圏内へぴたりと合ったとき聴えて来るのでありましょう。神様の救いも矢張りそういう式に、神様の救いはラジオの波と同じように宇宙一ぱい充満しておりますけれども 『おかげは我が心に在り』 で、こちらの心の波長が合って来たらパッと聴えて来るのであります。波長が合わなかったら徐々にも聴えて来はしないのであります。
此の波長が合うのは 此方(こちら)にも神様と同じ波長があるからであります。神様の無原罪の原理が、此方へ感じて来て、こちらが 『罪なき者』 になる、『浄められた者』 になる。それは本来 『浄められた者』 がみんなに宿って居るからであります。それを自覚しまして旧(ふる)い 『汚れたる我』 はないと悟る、本当の自分は既に 『久遠劫以前から悟りを開いていたものだ』 と悟る、これが 『我の置換』 であり、生れかわりであります。
自分は肉体にあらず、ヒトであると悟る、自分はヒトなんだということはヒトとは霊止(ヒト)である。つまり神聖受胎であります。イエス・キリストが 『汝らの中に罪なき者が一人いる』 と言ったと聖書にありますが、罪なき者が皆さんの中に、ひとりひとりの中に 『罪なき者』 が一人いるのであります。既に悪い癖もなければ、いろいろの因縁も業もない、始めから聖浄なる者が、貴方の中にいらっしゃるのであります。罪なきものが一人ずつ宿っている、それが皆さんである。
罪なき者であったらどうして病気が起るか。そんな病気などというものは本当は無いのです。罪なき者に悪い性癖がどうして現れて来るか。そんなものはあるように見えてもないのであります。それだのに或る人は人間には病気がある、悪癖があると思っているのであります。ですから思うとおりに現れる。
心に描くものは形に現れる。時間空間の世界に出ているものは皆自分の心の影であります。実相の完全な相(すがた)の上に一枚賦彩(ふさい=いろづけ)した――心で色づけたものであります。その奥には真物(ほんもの)の聖(とうと)い完全な相(すがた)があるのですけれども、心で色づけして、それを別の相のように見ている、――見えているのであります。
芝居を観に行きますと、六十の老人が十七八歳に化けてしまったり、二十(はたち)位の役者が七十位のおじいさんに化けてしまったりするのですが、そういう風に表面を自分の心の波に依って色づけして、病気を表したり、悪癖を表したりして化けているのであります。病人も、悪癖も、みんなお化けであって、それは本物の上をどうらんで塗りつぶしてお化粧しているだけのことであります。>>
<つづきます>
3520
:
復興G
:2013/12/25(水) 11:13:13 ID:AB6RqYXc
<つづきです>
>>3516
で、≪ルルドの聖泉について≫ と区切りをつけたところの前に、次のようなご文章がありましたが、割愛していました。それも、追加させていただきます。
○
<< 『我(われ)』 とは本来罪なきものだと知らなければならない。これが生長の家の高調しているところの真理でありまして、『本来罪なき神のいのち』 が自分自身でありますから、その真理が悟られますと、苦悩の解放が行われ苦悩の表現である病気なども消えることがあり、業(ごう)とか因縁とか今まで犯していた過去のいろいろの罪悪感から解放されることになるのであります。
『本来罪なきもの』 『神聖受胎』 が自分なのであります。『贖罪(しょくざい)の原理』 は外にあるのではなく、内部の 『本来罪なき神性、仏性』 それ自身が贖罪の原理なのであります。吾々のいのちは既に 『神聖』 であり、『仏性』 でありますから、もう既に贖(あがな)われて了(しま)っているのであります。自分自身が 『罪を消すところの原理』 そのもの――光が闇を消すように――すべての罪を破砕する原理なのであります、だから生長の家では 『本来罪はない』 というのであります。
『罪はない』 と申しますと時々間違って、罪がないからどんな悪いことでもしたとて好(よ)いか――などと考える人があるのでありますけれどもこれは法律上の問題ではなく、宗教上の自覚の問題であります。『罪がない』 ということは、『罪を犯しても好い』 ということではないのであります。
本当に 『罪がない』 ということが判れば、『無い』 ものはマイナスの値打しかないから、吾々の嗜欲(しよく)を誘惑する魅力を失ってしまうのであります。
罪に惹(ひ)き付けられると云う人はまだ 『罪がある』 と思っている観念がどこかに残っているからであります。本当に罪がないということが分ったときには罪の行為などというものは心に思い浮ばない、思い浮ばなかったら自然とそれが形に現れない、現れなかったら、したいと思わないのであります。
生長の家に来られまして 『本来罪なし』 の自覚を得られますと、自然に 『酒』 や 『煙草』 が嫌いになるというのは、罪の非存在を悟ることによって、罪がその誘惑力を失ってしまうからであります。
<つづきます>
3521
:
復興G
:2013/12/25(水) 12:05:59 ID:AB6RqYXc
<つづきです>
人間は物質にあらず肉体にあらず仏性、神性そのものである、神のいのちの神聖受胎である。日本的に言えば日子(ヒコ)であり、日女(ヒメ)であり、ミコトでありヒトである。ヒト(人)というのは霊止(ヒト)即ち霊のいのちが止(とどま)っている、宿っている、これが人間であるということであります。
それが本当に分りますと、もう罪というものは消える――消えるというよりも、罪以上の世界へ脱(ぬ)け出るのであります。
××教などにまいりますと 『あなたは因縁が中々切れぬから因縁を切る為にお運びなさい』 などと申します。何を運ぶかというと布教師の中には家財道具までも売って本山へ運びなさいというようなことも言われることもあるそうですが、本当に 『罪』 や 『因縁』 があるものならば、そんな家財道具を一つずつ運んで見たところが、数千億年前からずっと生れ更(かわ)り死に更りして出て来た間に犯したところの、無限ともいうべき罪とか罪障とか因縁とかいうものを有限の財産の持ち運びで贖(あがな)いをするということはとても此の世で出来ることではないのであります。
本当の贖いというものは、そういう物質に依って贖うことは出来ないのであります。どうしても 『我(われ)』 を置替えなければならないのであります。『罪ある自分』 をポンと捨てて了って、『罪なき自分』 を持ち出して来なければならないのであります。つまり内在の仏性を、『爾(なんじ)に宿るキリスト』 を、自分の中に招(よ)び出して来なければならないのであります。
自分の中に内在の仏性を招出(よびだ)すのが生長の家式仏教であり、自分の中に内在のイエス・キリストを招出すのが生長の家式キリスト教であります。>>
○
以上で、聖典の謹写を終わらせて頂きます。
我々は、「顔を洗って出直す」 (
>>3517
をご参照ください) 必要があると思います。
「人間至上主義は間違っている」 といわれるときの 「人間」 は、「神聖受胎」 した 「本物の人間」 ではなく、まだ 「罪がある」 と思っている、「物質によって生まれた人間」 すなわち 虚妄(うそ) の人間であると思います。
<<吾れらすべからく
自分の顔に泥を塗らざるべからず
敢て他(ひと)の顔に泥を塗るべからず!
自己の顔に泥を塗るは
旧(ふる)き自己の抹殺なり
旧き自己を抹殺してのみ
我れこそは浄められたる者と言い得ん。
(「黄金の薔薇」 より) >>
そして、
<< 『顔を洗って出直して来い』 と俗に申しますが、心の顔を洗い清めて、神聖受胎そのままの顔になって出て来れば、今まで狭いと思っていた世界が広くなり、今まで暗いと思っていた世界が明るくなり、病がなくなり、家庭が調和し、本当に楽しい世界が其処にあらわれて来るのであります。(『愛と光との生活』 第一章より) >>
このお言葉通り、日々、自分の顔に泥を塗って旧我を否定し、毎朝 「顔を洗って出直し」――神想観をして心の顔を洗い清め、「神聖受胎」 そのままの顔になって愛行、伝道に精進いたしたいと思います。
<つづきます>
3522
:
復興G
:2013/12/25(水) 12:08:45 ID:AB6RqYXc
<つづきです>
>>3507
で曳馬野さんが
>> 生長の家を復興するなんて烏滸がましいことだと思いませんか?<<
とおっしゃる通り、「自分が生長の家を復興する」 なんて思ったら、烏滸がましいことです。
谷口雅春先生がご教示くださっていますように、
<< 吾々は、神の智慧と、愛とをいただいて、更に神の生命を、無限の生命を、無量寿の生命を、そのいのちを相手に与えるアンテナになることですね。
神想観は、宇宙の神様が人類に対して真理を放送し給うところの、自分がアンテナになることですね。自分が真理を伝えるんじゃないんです。だから招神歌には 「わが業はわが為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」 と示されているのであります。
自分が神想観をして人を救うんだというのは傲慢な心であって、そうじゃないんです。自分は神様のアンテナになって、神様の真理を増幅する、増幅アンテナになり、さらに神様の無量寿のいのちを全人類に伝えるための放送アンテナであるという素晴らしい自覚をもって、神想観をする。その時に、その神想観が力を発揮して、ブラジルへもアフリカへも、その伝道が通ずるということになる訳なんであります。>>
これを実行したいと思います。
<つづきます>
3523
:
復興G
:2013/12/25(水) 12:40:20 ID:AB6RqYXc
<つづきです>
神想観は、すばらしいです。
>>3490
で書きましたように、私は電車に乗ったとき、目をつぶって招神歌を心の中で唱え、乗り合わせているすべての乗客に神の生命をさきはえたまえと祈り、皆さまが現象の世界を去って実相の世界に坐していらっしゃる尊い神の子様たちである――と念じさせていただきますと、自分のために何も祈らないのに、満員電車の中でも必ず席を譲ってくださる方があらわれる、あるいは目の前にすっと空席があらわれるというようなことが起きます。
あるいは、本流対策室/5 の方で >5113 に書きましたように
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/5113
地元の誌友会に派遣されてきた講師が、体験談を織りこみながら、『生命の實相』 第39巻 <仏教篇> の、次のご文章を朗読してくださる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<< 悟ってみれば、天地間のものことごとくが生かし合いならざるものはない、実にありがたい世界だったのであります。すべてのもの一つ一つに仏の命が現われている、仏の慈悲が現われている、神のいのちが現われている、神の愛があらわれていることが悟れるのです。
神の生命が現われ、仏のいのちが現われているからこそすべてのものが互いに愛し合い生かし合っているのです。今まで殺し合いだと思っていた世界は神の、仏の、無限の生命、愛、智慧に満たされているところの立派な世界だったのです。
互いに憎み合い争い合っていると見えた生命も、その敵と見えたものは、自分にとっては自分をみがく砥石であってわれわれの生命がだんだん砥石にかけられて、いっそう立派な霊性が啓(ひら)かれてゆくために仕組まれている仏の慈愛、神の愛の顕われだったのです。
天地間、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎み合っているかのごとく見えている者同士さえも生かし合っている世界なのです。みんな愛し合いの世界なのです。みんな解け合いの世界なのです。そういうことが釈迦に解ってきたのであります。
そうすると、形は同一であっても釈迦の前にある世界がすっかり変貌してしまったのであります。そこで釈迦は、十二月八日の明けの明星を見ながら、「有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏」と悟られたのであります。すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」――ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。山も川も草も木も悉く仏の相(すがた)である。
みんな生かし合い、拝み合いの相(すがた)である。今まで地獄の相だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。
(『生命の實相』第39巻 <仏教篇> p.41〜p.42より)>>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
――「天地間、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎み合っているかのごとく見えている者同士さえも生かし合っている世界なのです。みんな愛し合いの世界なのです。みんな解け合いの世界なのです。」 と、教えて頂きました。
――生長の家で、教団と本流の人々が、いかに激しく争いあっているように見えても、実は拝み合い、生かし合いの相(すがた)である。
私は、上記の実相を、ひたすら祈らせて頂きます。
そうしていますと、実に不思議な円滑現象といいますか、シンクロナイゼーションといいますか、こちらから求めなくても、同調してくださる方、協力してくださる方とお会いできたりして、ただありがたいことが次々に展開してくる、ありがたい毎日を過ごさせて頂いています。
これは、この掲示板、特にこのweb誌友会板で皆さまに育てていただいているおかげです。
ここに書き込んでくださったことはないけれども、いつもご覧になって、時には涙を流して感動してくださっているという方に、最近お出会いして、お話ができたこともあります。
「悪はない」 「悪と見えるものは、善があらわれ出ようとしている過程である」。
既にある神の国は、必ず地上世界に現れざるを得ないのである、ということを固く信じて、喜んで、愛行にいそしんでまいりましょう。
3524
:
ユタカ
:2013/12/25(水) 13:29:58 ID:R1D4Jmeg
>>枝分かれして伸びていってるんだ。争っている様に見えるのは間違いで、それぞれが信仰を深めているんだ と観るんだっていうのは。<<
――ほんとに、そうですね。
すばらしい!
実相世界にすでにある、中心帰一大調和の無限に完全な素晴らしい神の国が、いよいよもっともっと完全に地上に顕れようとしている課程なのだ! すばらしい! ありがたい! と思います。
「悪はない」 「悪と見えるものは、善があらわれ出ようとしている過程である」。
既にある神の国は、必ず地上世界に現れざるを得ないのである、ということを固く信じて、喜んで、愛行にいそしんでまいりましょう。 <<
あはは!ははは!!
そういう意味だったのか! 今、分かりました!! 有難うございます。
今まで、分かったような、分からないような感じでしたが復興Gさまのご講義を読ませて頂いて、心からの喜びが出てきました。
今まで現象をそのまま見て、あーだこうだと言っていたのは曳馬野さんでなくて「自分」だった!です。
ごめんなさい、曳馬野さん。そして有難うございます、復興Gさま、トキさま、みなさま、すべてのみなさま。
今から、私は魂の肉体服を脱いで、真っ白い翼で天を舞い天使となって全世界を祝福する。
私は天使となる。 私は生まれ変わったです。
どうしましょう、こんな声が聞こえる。。。。
3525
:
ユタカ
:2013/12/25(水) 13:56:59 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
最初にお勉強した生長の家の重大な使命の「七つの燈台の点灯者」ってどんな事かの解答を復興Gさま献身的なご講義で理解できました。
今、私は、生まれ変わって心の底から笑えます! 喜べます! そして此れを伝えなくては!と元気一杯です。
心晴々、数十年ぶりに本当に心から笑えます。
復興Gさま、生長の家の御教えの偉大さを身をもって分かりました、偉業です。
この嬉しさを言葉に出来ません。 私はこれから心から喜べます。
本当に、本当に心から感謝します、復興Gさま、トキさまみなさま、生まれ変わってこれからも前進して行きましょう!!
喜び一杯です、有難うございます。
ユタカ 拝
3526
:
復興G
:2013/12/25(水) 21:06:39 ID:AB6RqYXc
>>3524
・
>>3525
:ユタカさま
ありがとうございます!
ユタカさまは、神様からすごい使命を授けられた、神聖受胎のヒト(霊止)だと思います。
明るく、うれしく、楽しく、ねばり強く、使命実現にいそしみましょう。
バンザーイ!
私も、さらに勇気百倍、うれしく ありがたく 使命に邁進させてもらいます。
感謝 合掌。
3527
:
ユタカ
:2013/12/25(水) 21:48:44 ID:R1D4Jmeg
嬉しい! 嬉しい!!
うわぁはは! わっははは! わははは!!
うわぁはは〜〜〜〜〜〜〜〜!!
3528
:
トキ
:2013/12/25(水) 22:29:50 ID:JA1TBhRE
復興G様、素晴らしいご指導、心から感謝申し上げます。
一連の内紛もそう考えるといい兆候かもしれませんね。
感謝、感謝です。ありがとうございます。
3529
:
山本富士子
:2013/12/25(水) 22:49:42 ID:wj1ZCavg
合掌 ありがとうございます。
神想観、私のいのちもそこから来てそこにかえるのですね。
復興G様の神想観につながっていこうとおもいます。
ご指導ありがとうございました。WEB誌友会、何か目新しいことが
はじまるのかな?と思ったことがありましたが、そんなことではないのだ
とわからせていただきました。ありがとうございました。
3530
:
a hope
:2013/12/26(木) 00:16:12 ID:/9IAdiFk
みなさま こんばんは
そして、メリークリスマス!!
今晩は、ほろ酔い気分で失礼いたします。
復興Gさまがご指導を続けて下さっていてうれしく思います。
また、ユタカさまも感謝と喜びに満たされていられるようで、素晴らしいですね!
わたしは、家族が元気に幸せに暮らしていてくれること、毎日好きな仕事ができること、
まわりの人たちの笑顔が見れること、そんな当たり前のことが最高にありがたく感じられる自分が嬉しいです。
また、この掲示板でみなさまとつながっていられること、「生長の家」の教えのお勉強ができることにも感謝の気持ちでいっぱいです。
年末年始は忙しくてなかなか書き込みできませんが、a hopeは来年もこのトキ掲示板でお勉強を続けさせていただき、
今までどおり、感じたこと、思ったことを素直に発言していきたいと思っています。
みなさま、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
3531
:
rei
:2013/12/26(木) 08:18:26 ID:ZIftZ1jM
おはようございます
復興Gさま
みなさま
ありがとうございます。
ようやく私も一つの落ち着ける境地に立つ事が出来ました。
「実相の大地に立った」という雅春先生のお言葉が
理解出来る様になりました。
本当に本当に有り難うございました。
合掌
3532
:
ユタカ
:2013/12/26(木) 08:58:51 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
今朝復興Gさまの、多分神想観中の祝福の念波をキャッチしました、ありがたい事に生長の家大神さまも一緒に来てくれました。
ご祈念を有難うございます。
ではいってきまーす。
3533
:
rei
:2013/12/26(木) 09:10:09 ID:ZIftZ1jM
「身分いやしきもの」さま
「曵馬野」さま
真摯に求道されていらしゃいますことが感じられます。
教えられることが多かったです。
特にありがとうございました。
3534
:
復興G
:2013/12/26(木) 12:26:01 ID:AB6RqYXc
安部総理が靖国神社に参拝したテレビ報道を見ました。
安部総理が、輝いて見えました。
「安部さん、ガンバレ!」
と、心の中で、声援を送りました。
ありがとうございます!
3535
:
復興G
:2013/12/26(木) 13:00:37 ID:AB6RqYXc
トキ様、山本富士子さま、a hope さま、rei さま、ユタカさま
コメント、ありがとうございます。
私も忙しくなりましたが、書き込みは、もうしばらく続けさせて頂きます。
皆々さま、ありがとうございます。
3536
:
ユタカ
:2013/12/26(木) 22:15:58 ID:R1D4Jmeg
安倍総理は立派でしたね。復興Gさまの祈りは効果があるので安倍総理に向けて祝福の神想観をなさって下さい。
>安倍首相の靖国参拝に関する記者会見全文
安倍晋三首相が2013年12月26日に、東京・九段北の靖国神社参拝後に行った記者団とのやりとり(全文)は以下の通り。
首相:本日、靖国神社に参拝を致しました。日本のために尊い命を犠牲にされた御英霊に対し、尊崇の念を表し、そして御霊安らかなれと手を合わせてまいりました。そして同時に靖国神社の境内にあります鎮霊社にもお参りをしてまいりました。鎮霊社は靖国神社に祭られていないすべての戦場に倒れた人々、日本人だけではなく諸外国の人々も含めてすべての戦場に倒れた人々の慰霊のためのお社であります。その鎮霊社に対して、すべての戦争において、命を落とされた人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りし、そして、二度とふたたび戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いを致しました。
記者団:12月26日は安倍政権が発足してちょうど1年となります。なぜこの日を参拝の日として選ばれたのでしょうか。
首相:残念ながら靖国神社参拝自体が政治問題、外交問題と化しているわけでありますが、その中において、政権が発足して1年、この1年の安倍政権の歩みをご報告し、そして二度とふたたび戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるとの誓いを、この決意をお伝えするために、この日を選びました。
記者団:中国、韓国をはじめとして、海外からの安倍総理が靖国神社に参拝することへの根強い批判の声には今後はどのように説明されていくのでしょうか。
首相:靖国神社の参拝は、いわゆる戦犯を崇拝する行為であると、誤解に基づく批判がありますが、私は1年間この歩みをご英霊に対してご報告をする、そして、二度と戦争の惨禍の中で人々が苦しむことのない時代をつくっていくという決意をお伝えするために参拝をいたしました。もとより、中国、あるいは韓国の人々の気持ちを傷つける、そんな考えは毛頭ございません。それは、靖国神社に参拝をしてこられた歴代の総理大臣と全く同じ考えであります。母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りをし、そしてリーダーとして手を合わせる、このことは、世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか。これ以外のものでは全くないということを、これから理解していただくための努力を重ねていきたいと考えています。また、日本は戦後、自由と民主主義を守ってきました。そしてその下に、平和国家としての歩みをひたすら歩んできた。この基本姿勢は一貫しています。この点において一点の曇りもございません。これからも謙虚に礼儀正しく、誠意を持って説明をし、対話を求めていきたいと思います。
記者団:中国、韓国のリーダーに対し、説明したいということですか。
首相:ぜひこの気持ちを直接説明したいと思います。戦後、多くの首相は靖国神社に参拝しています。吉田茂総理もそうであります。近年でも中曽根総理、あるいはその前の大平総理もそうでした。そしてまた、橋本総理も小泉総理もそうでしたが、すべての靖国神社に参拝した総理は中国、韓国と友好関係をさらに築いていきたい、そう願っていました。日中関係、日韓関係は大切な関係であり、この関係を確固たるものにしていくことこそ日本の国益だと、そう皆さん信念として持っておられた。そのことも含めて説明させていただく機会があれば本当にありがたいと思っております。
記者団:2年後、3年後、今後も定期的に靖国神社に参拝されたいということでしょうか。
安倍:今後のことについてこの場でお話をすることは差し控えさせていただきたいと思います。私は第1次安倍政権の任期中に靖国神社に参拝できなかったことは痛恨の極みだとこのように申し上げてまいりました。それは総裁選においても、あるいは衆議院選挙のときにもそう述べてまいりました。その上で、私は総裁に選出をされ、そして総理大臣となったわけでございます。私はこれからも私の参拝の意味について理解をしていただくための努力を重ねていきたいと思います。
記者団:多くの戦犯の方が祭られていますが、戦争指導者に対しての責任に対してはどう思われますか。
安倍:それは今までも随時国会で述べてきた通りでございます。我々は過去の反省の上に立って、戦後しっかりと基本的人権を守り、民主主義、そして自由な日本をつくってまいります。そして今やその中において世界の平和に貢献しているわけでございます。今後もその歩みにはいささかの変わりもないということは重ねて申し上げておきたいと思います。
3537
:
ユタカ
:2013/12/26(木) 22:39:50 ID:R1D4Jmeg
生長の家の信仰を持つ稲田さんが総理の近くにおられるのも心強いですね。
学ぶ会の靖国見真会で講演なさったですね。
復興Gさま、お祈りをよろしくお願いします。
3538
:
あさひ
:2013/12/26(木) 22:41:45 ID:u9w/1zYY
合掌
復興G様
>安部総理が靖国神社に参拝したテレビ報道を見ました。
安部総理が、輝いて見えました。
「安部さん、ガンバレ!」
と、心の中で、声援を送りました。
ありがとうございます!<
全く同じ思いでした。
阿部総理への祈りと聖経読誦したいと思います。
3539
:
ユタカ
:2013/12/26(木) 23:04:25 ID:R1D4Jmeg
あ、そうか、自分で祈るのが大切か。人に頼っていては駄目だよね。
3540
:
ユタカ
:2013/12/27(金) 00:03:35 ID:R1D4Jmeg
トキ管理人さま
関係ないこと投稿してしまいました、ユタカのを削除してください。
安倍総理の。
3541
:
復興G
:2013/12/27(金) 10:00:33 ID:AB6RqYXc
ユタカさん、安部総理のこと、削除要請しなくていいんじゃないの?
私は、このところ忘年会つづきでした。昨夜もそうです。
高校生時代の同期会、大学生時代の同期会、地域の合唱団等々にも積極的に出て、生長の家と直接関係の無い一般の方たちを祝福し、お世話をさせて頂くのも、愛行だと思って……で、そういう場合は、普段飲まないお酒を飲んだりもするんです。
昨夜も、地域の合唱団の忘年会で、お酒を飲みました。
夜10時半ごろ帰ってから、ユタカさんの
>>3536
、ありがたく拝見しました。しかし、お酒が入っているので、書き込みは遠慮しました。
安部総理の靖国参拝は、想定通り、というかアメリカなども 「失望」 という発言をしたりして、波紋はひろがっているようですね。
でも、ユタカさんが掲示してくださった、安部総理の真心の思いを、これから信念を曲げずに貫いて、ねばりづよく国際社会にも堂々と丁寧に説明して行けば、長い目で見れば、心底からの相互理解尊敬と世界平和のためにプラスになると信じます。そうなるように、祈り、声援を送ることは、これも愛行だと思います。ですから、このweb誌友会のテーマと無関係ではないと思うのです。
私はユタカ様の投稿に感謝し、「安倍総理に向けて祝福の神想観を」 ということに大賛成で、協力させて頂きます。
ユタカさま、ありがとうございます!
あさひ様、ありがとうございます!
3542
:
復興G
:2013/12/27(金) 10:07:26 ID:AB6RqYXc
「安倍総理に向けて祝福の神想観」 とともに、「世界平和の祈り」 を熱祷しましょう。
3543
:
復興G
:2013/12/27(金) 10:53:29 ID:AB6RqYXc
私はこのところ、「大日本神国観」 の神想観もよくしています。
その後の方で、
<< 天皇陛下、ありがとうございます。ありがとうございます。
皇祖皇宗の御神霊ありがとうございます、ありがとうございます。
百官もろもろの司(つかさ)様ありがとうございます。
十方、八百万(やおよろず)の神々様、護国の英霊様、ありがとうございます、ありがとうございます。
十方の諸仏・諸天様ありがとうございます。
<かく念じつつ光明遍照の調和せる荘厳なる実相世界を心に描きつつ>
既に大宇宙の救済は成就せり。金波羅華(こんぱらげ)実相の完全円満の相(すがた)、地上に隈(くま)なく反映し実現して中心帰一、万物調和の永久平和の世界今現ず。
一切の生物ところを得て争う者なく、相食(は)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。
実相・現象渾然(こんぜん)一体、実相・現象渾然一体……(繰返す)
みこころの天に成る世界、既に地に成就せり、ありがとうございます。ありがとうございます。>>
という祈りの言葉があります。
この最後の、
「みこころの天に成る世界、既に地に成就せり」
というのは、イエス・キリストが、「みこころの天に成るがごとく地にもなるらせ給え」 と祈るように教えた、その神の国が地上(現象世界)にすでに成就している ということを祈るわけですね。
そのちょっと前の
「金波羅華実相の完全円満の相、地上に隈なく反映し実現して」
というのは、お釈迦様が金波羅華すなわち金色の蓮華の花を拈って、実相世界が中心帰一の大調和の世界である、それを悟ることが仏法の極意であると示された。
その金波羅華実相の完全円満のすがたが、地上に隈なく反映し実現して、中心帰一、万物調和の永久平和の世界がすでに実現している有様を祈るわけです。
だから、「スメラミコト」 というのは、クリスチャンなら 「永遠のキリスト」 (Eternal Christ) と置き換えてもよく、仏教信者なら 「大日如来」 と置き換えて念じてもよろしいのであって、要するに中心が一つあって大調和している世界、「一切の生物が処を得て争う者なく、相食(は)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」 という世界がすでに成就していることを祈ることなのだ。
だから、「スメラミコト」 というのを 「永遠のキリスト」 (Eternal Christ) とか 「大日如来」 (「阿弥陀如来」 あるいは 「釈迦如来」 でもよい) とか置き換えて念ずれば、この祈りは日本人だけでなく、世界中に通用する祈りなのだ、と私は思っています。
「スメラミコト」 は、それぞれの国の国家元首とかではなく、「永遠のキリスト」 とか、「阿弥陀如来」 とか、イスラム教ならアッラーの神ということになるのでしょうか、ともかく現象人間ではなく、実在界(現象の根源、本源なる実相世界)の絶対的中心者を意味するものだと思います。
その、実相世界の絶対的中心者と、日本の場合は天皇陛下とが渾然一体になっていられる、と念ずる祈りが、「実相・現象 渾然一体」 という言葉になっているのだと私は思っています。
3544
:
復興G
:2013/12/27(金) 11:06:05 ID:AB6RqYXc
以上のような、イエス・キリストが、「みこころの天に成るがごとく地にもなるらせ給え」 と祈るように教えた、その神の国、
お釈迦様が金波羅華すなわち金色の蓮華の花を拈って、実相世界が中心帰一の大調和の世界であることを示された
そのような万物調和の永久平和の世界が実現しているのが 「日本の実相」 である。
その日本を護り日本の実相を顕現することこそ、万物調和の永久平和の世界を実現する正しい道なのである。
だから、「鎮護国家」 によってこそ、究極の世界平和が達成できるのである、と私は信じます。
が地上(現象世界)にすでに成就している ということを祈るわけですね。
そのちょっと前の
「金波羅華実相の完全円満の相
3545
:
復興G
:2013/12/27(金) 11:10:04 ID:AB6RqYXc
ごめんなさい。上記の後3行は、余分でした。削除してお読み下さい。
3546
:
復興G
:2013/12/27(金) 11:15:20 ID:AB6RqYXc
上記のような意味で、私は 「鎮護国家」 は、ナショナリズムとは全然違うと思っています。むしろ、世界平和の祈りと一体のもの、世界平和の祈りそのものだと思います。
3547
:
復興G
:2013/12/27(金) 11:39:50 ID:AB6RqYXc
>>3507
:曳馬野さん
>>3461
で私が質問しました
>>禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています<<
>>その指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか<< (<<3455)
と言われる禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。 <<
の質問に、まだお答えをいただいておりません。
『神癒への道』 は、あなたに言われるまでもなく、私も「これだ!」 と何十回も読み、深く肝に銘じて、生き方の指針にし、実践しようとしているご本です。だから、同じことをさらにくわしく具体的に説かれている 「伝道とは愛の実践」 という御講話も繰り返し拝聴して、実践しています。(
>>3522
・
>>3523
)
あなたが特に読めとおっしゃった 『神癒への道』 のp.107 には、次のようにありますね。
<< 本当を言えば、思念というような特殊な技術的なものが必要な訳ではないのである。思念者は決してだれも癒すのではないのである。すでにすべての人は癒されているのである。たれも 「病気の人も不幸の人もないのである。」 すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。ただ自分が彼を病気であり不幸であると 「観た」 のに過ぎないのである。
「観] を変えることが必要である。思念者がなすべき役割は、ただ神の造りたまうた実在の完全円満であるととを観、それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである。この懺悔が完全でないと存在を不完全であると云う観の幾分が残滓として残っていることになるから、実相の完全さがあらわれない恐れがあるのである。(後略) >>
「『神癒への道』 を何十辺何百辺と読んで真理の実践者となれ」 というお言葉は、まずあなたご自身が実践して頂きたいです。
つまり、
<< すでにすべての人(本流の人も)は癒されているのである。たれも 「病気の人も不幸の人もないのである。」 すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。ただ自分が彼(本流の人)を病気であり不幸であると 「観た」 のに過ぎないのである。>>
と、その状態が実現するまで何十辺何百辺も祈ってから、他に言って頂きたいです。
ですから、「『神癒への道』 を何十辺何百辺と読んで真理の実践者となれ」 というお言葉は、有り難く頂戴します。同時に、そのお言葉を、またそのままあなたにお返したいと思います。
3548
:
ユタカ
:2013/12/27(金) 22:42:49 ID:R1D4Jmeg
トキさま、復興Gさま
復興Gさまが愛行の話と通じるとおっしゃいました。安倍総理の会見のはそのままでお願いします。
それにしても、アメリカ側から言われると思いませんでビックリしました、小泉さんのときはブッシュと仲良しだったから報道が遠慮したとか・・・
それでは大日本神国観して、安倍総理めがけて光明思念を放送しますね、総理が神愛充満し光明に包まれて必要なときに必要な知恵がでて日本に尽力下さいます様に。。。
復興Gさま 鎮護国家=世界平和のお話をありがとうございます。
逆にいうと世界平和=鎮護国家になるのですか??
そうすると、総裁も鎮護国家を言っていて請願券も言葉は世界平和となっていますが、
鎮護国家を通しての世界平和実現となると、私の中では納得できます。
いかがでしょうか??
3549
:
復興G
:2013/12/27(金) 22:50:05 ID:AB6RqYXc
>>3548
:ユタカさま
ありがとうございます。
>>鎮護国家=世界平和のお話をありがとうございます。
逆にいうと世界平和=鎮護国家になるのですか??
そうすると、総裁も鎮護国家を言っていて請願券も言葉は世界平和となっていますが、
鎮護国家を通しての世界平和実現となると、私の中では納得できます。<<
なるほど。そう考えたらいいですね。
バンザーイ!
ありがとうございます!
3550
:
神の子さん
:2013/12/28(土) 01:02:33 ID:???
請願ではなく誓願です。根本的に違いますので気を付けてください。
3551
:
ユタカ
:2013/12/28(土) 06:55:17 ID:R1D4Jmeg
>請願ではなく誓願です。根本的に違いますので気を付けてください。
青色神の子さま
字を間違えてすみませんでした。気をつけます。意味が違いますものね。
青色神の子さんの雅宣総裁の世界平和と雅春先生の鎮護国家の違いのご意見をお聞かせください。
よろしくお願いします。
そうか、誓願か。 誓ってきたのですよね。
現象的には、言う人も、いわない人もユタカの周囲のほとんどの信徒が現本部に怒っているのは、納得します。
だた、それが総裁に伝わらないのは、この間の原宿本部での秋季慰霊祭の時もそうだったけど、
総裁が退場の祭 舞台からお辞儀をすると、相変わらず形の上では、信徒側で、割れんばかりの拍手と、バンザーイ!なんて続けているからでしょうね。。。
3552
:
曳馬野
:2013/12/28(土) 06:58:41 ID:xR0RYWLc
復興Gさん
『自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり』の後に
『仏道をならうというは自己をわすするなり』
『自己をわすするというは、万法に証せらるるなり』とあります
身分いやしきものさんと訊けさんとのやり取りの最初は、『自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり』を
引用してのものでした。其処にあなたが遣り取りを始めて、最後は「きれいごとで終わるのですね」と云われて終了です。
そして彼の問題提起は『言葉の牢獄に居るのではないか』と云うものでした、そして抜け出る方策の一つが禅の説くものだと思う、私は違うところを求めるけれども、
というものでした。
大死一番大復活した人と、実相を見つめると云う、実相と離れたまま、想念に浮かべる人とは違います。
師また古人の云われたことをその通りであった、とそのものになった人は師の言説を証明したことになります。
然し生長の家では、信じると云うことで結果が出るから正しいと云うのみで、実相はこうであったと自分が実相を直接見たと云う人にはお目にかかっていません。
● 本当を言えば、思念というような特殊な技術的なものが必要な訳ではないのである。思念者は決してだれも癒すのではないのである。
すでにすべての人は癒されているのである。たれも 「病気の人も不幸の人もないのである。」 すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。
ただ自分が彼を病気であり不幸であると 「観た」 のに過ぎないのである。
「観] を変えることが必要である。思念者がなすべき役割は、ただ神の造りたまうた実在の完全円満であるととを観、
それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである。
この懺悔が完全でないと存在を不完全であると云う観の幾分が残滓として残っていることになるから、実相の完全さがあらわれない恐れがあるのである。(後略)
「『神癒への道』 を何十辺何百辺と読んで真理の実践者となれ」 というお言葉は、まずあなたご自身が実践して頂きたいです。
つまり、
● すでにすべての人(本流の人も)は癒されているのである。たれも 「病気の人も不幸の人もないのである。」 すべての人は神の子であり、病気も不幸もないのである。
ただ自分が彼(本流の人)を病気であり不幸であると 「観た」 のに過ぎないのである。
と、その状態が実現するまで何十辺何百辺も祈ってから、他に言って頂きたいです。
ですから、「『神癒への道』 を何十辺何百辺と読んで真理の実践者となれ」 というお言葉は、有り難く頂戴します。同時に、そのお言葉を、またそのままあなたにお返したいと思います。
この二つの意見であなたの立ち位置は明白ですね。この掲示板では生長の家で説く真理は正しいと云う前提であり、否定の投稿は禁止と云うことですので、私は「正しいと云うのなら
何故真理に則った行動をしないのか」、と云う観点から意見を言っているのであります。私には義務はないのですよ。あなたが正しい真理を生長の家は説いているというから、
それなら真理に則て御覧なさいと云っているのです。
「雅宣先生はおかしい」と観ることそのものがおかしい、これはあなたも本流の方も同じです。この観たものが現れると云う真理そのものがどうですかね。
雅春先生が孫の一人が生長の家の真理を肯定しないと詳密講習会で云った、と云った人がいましたが、これこそ現象を観ての発言でしょう
真理の言葉は自分が実践して何ぼで、他の実践不実践が心に浮かぶことそのものが、実相は完全と云いながら完全しか存在しないところには居ないと云うことを証明しているのです。
私の実相さえ観えず現象をとやかく云う人が、何で雅宣先生の実相が見れましょうか。それより観るとか観ないとかいうことが可笑しいのです。
何十億の金を持っている人は貧乏と云う観念は持ちようがないです。実相完全と知っている人は不完全と云う観念の持ちようはないです。
ご自分自身が実相と現象の二つの世界を見ているでしょう。どういうことであれ、自分が実相だけになっていればこそ、他の人も実相だけであることが分かるものでしょう。
現象は影であると云っても影が常について来るしそれに心が捉えられる。
という事で信は強盛でも実相そのものを証明した人は生長の家にはいないのではありませんか。
3553
:
ユタカ
:2013/12/28(土) 07:43:29 ID:R1D4Jmeg
よく読んでいない曳馬野さんへ
>引用してのものでした。其処にあなたが遣り取りを始めて、最後は「きれいごとで終わるのですね」と云われて終了です。
違います。復興Gさまが勝利したのです。
いいですか、復興Gさまが勝利したのです! と言われて終了していますよ!
これだけでも見落として、「実相を証明した人はいない」なんて発言していては、当然ながら誰からもレスは来ないし
説得力 ゼ〜〜ロ〜〜。 000000
説得力 0
顔洗って、出直せば?? おじさんも生まれ変わりが必要だね。。。
3554
:
復興G
:2013/12/28(土) 08:39:07 ID:AB6RqYXc
>>3550
:神の子さん様
>>3551
:ユタカ様
ありがとうございます。
私も見落としていました。「請願」 は請い(乞い)願う、請願(せが)み求めること。
「誓願」 は、谷口雅春先生が 「伝道とは愛の実践」 の御講話で、
<< 「願」 というのは、如来の本願、四十八願というのがありますがね、あれは何かというと、愛の念願です。それには、「こうしたい」 という一つの理想が含まれている。愛の理想が。
「すべての人類が救われるまでは、私は仏にならん」
という法蔵菩薩のすばらしい理想と愛というものが、あの四十八願の中にあってですね、それではじめて阿弥陀如来として法蔵菩薩が成仏せられた。
われわれが伝道するのは、やっぱり、それでなければならにですね。理想がなければならない。愛がなければならない。………>>
とおっしゃっている、そのような愛の理想、与える誓いが 「誓願」 であって、求める願いの 「請願」 とはほぼ逆の意味ですね。
「言葉は神なり」 ですから、気をつけましょう。
それで、ユタカ様が
>>3548
で
>>鎮護国家=世界平和のお話をありがとうございます。
逆にいうと世界平和=鎮護国家になるのですか??
そうすると、総裁も鎮護国家を言っていて誓願券も言葉は世界平和となっていますが、鎮護国家を通しての世界平和実現となると、私の中では納得できます。<<
と仰る意味は、簡単に言えば、
「鎮護国家 = 世界平和」
ならば、
「世界平和 = 鎮護国家」
だから、総裁が 「世界平和」 とおっしゃっているのは、「鎮護国家」 とおっしゃっているのと同じだと受けとって、喜んでいていいのだ。「鎮護国家」 を、そのような絶大な誓願と考えずに、狭いナショナリズムぐらいに誤解する人がいたら残念だから、
≪総本山の祭祀の重点を、「鎮護国家」 から 「世界平和」 に移す≫
と言われたけれども、「鎮護国家」 の看板を外す、などとは言われていませんから、何も目くじら立てて怒ることはない。
――ということなのではないかと、私は受けとりました。
3555
:
復興G
:2013/12/28(土) 08:48:32 ID:AB6RqYXc
>>3553
:ユタカ様
そんな勝ち負けなんか、ついていないのですよ。
「負けるが勝ち」 ということもありますし、私は、「一切は自分の責任」 と引き受けた方が、真理に於いて、本当の勝ちなのだと思います。
曳馬野さんとのことも、そうです。
3556
:
神の子さん
:2013/12/28(土) 09:05:25 ID:H/1Clsdw
真理においての勝ちなんてこそ無いと思います。
捨て台詞せず静かに去られたほうが良かったのに…
3557
:
復興G
:2013/12/28(土) 09:48:58 ID:AB6RqYXc
曳馬野さんは、総裁の忠実なポチか、馬の脚を、一所懸命 演じていらっしゃる。
まあ、それもよいでしょう。
谷口雅春先生は、『幸福を招く365章』の117頁以下に、次のようにお教えくださっていますから。
○
既に天国の饗宴に招かれている
吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。
地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。
尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。
○
上記
≪それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。≫
――「お役目ご苦労様です」 と感謝しながら、「自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだ」 と自覚して、内なる神のみ声を聴き、使命感のままに行動して行く。
私は、そうありたいと思います。
「馬脚を現わす」 という言葉があり、その意味は、馬の脚を演じていた役者がうっかり自分の姿(足)を見せてしまうことから、隠していた本来の姿が表にあらわれること、化けの皮がはがれることをいう、ということです。それは、悪事がばれることなどに使われることが多いようですが、「本来の姿」 はみんな神の子ですから、その本性(ほんしょう=神の子)が現われるという、良い意味で、曳馬野さんもやがて馬脚を現わされると信じます。
そうしないと、何か仰っても、魂にひびかないから、観客からそっぽを向かれ、やがてだれもお客さんがいなくなってしまうでしょう。ということは、教勢がどんどん落ちて行くばかりになって、総裁からも相手にされなくなるのではないかと思いますよ。
早く馬脚を現わした方が勝ちです。
3558
:
復興G
:2013/12/28(土) 10:46:53 ID:AB6RqYXc
>>3543
で、私は 「大日本神国観」 の神想観について
>> 「スメラミコト」 というのを 「永遠のキリスト」 (Eternal Christ) とか 「大日如来」 (「阿弥陀如来」 あるいは 「釈迦如来」 でもよい) とか置き換えて念ずれば、この祈りは日本人だけでなく、世界中に通用する祈りなのだ、と私は思っています。
「スメラミコト」 は、それぞれの国の国家元首とかではなく、「永遠のキリスト」 とか、「阿弥陀如来」 とか、イスラム教ならアッラーの神ということになるのでしょうか、ともかく現象人間ではなく、実在界(現象の根源、本源なる実相世界)の絶対的中心者を意味するものだと思います。
その、実相世界の絶対的中心者と、日本の場合は天皇陛下とが渾然一体になっていられる、と念ずる祈りが、「実相・現象 渾然一体」 という言葉になっているのだと私は思っています。 <<
と書きました。
それからさらに考えたのですが、世界各国に人たちがそれぞれの国の国家元首を、イスラム教国ではアッラーの神と渾然一体なりと祈り、キリスト信者の多い国では永遠のキリストが国家元首として現れていらっしゃると祈り……というようになったとき、アッラーと永遠のキリストとは別ではない一体なのだとすると、あらゆる国の国家元首は一体だということになる。
しかしそれは、必ずしも国境が無くて一つの無差別の世界国になるということではなくて、やはりそれぞれ違う個性を持った、文化的にも多様性のある国々が共存しながら、オーケストラが交響楽を演奏する如く、それぞれ違った音程や音色のひびきを奏でる。それが大ハーモニーして、感動し、楽しく喜び合う――それが神の国の実現したすがたなのではないか。そのようになるのだと思われます。
そのとき、それぞれ違った音程や音色のひびきを奏でながら、それが大ハーモニーとなるには、一人の指揮者が必要です。その指揮者は、神――天之御中主神、永遠のキリスト、アッラー――現象を超えた絶対界の中心者と一体の、無我、無私にしてすべてを礼拝し、生かすお方でなくてはならないでしょう。それは、「自分が指揮する」 という自我がなくて、無指揮でも、ただ 「徳」 によって、おのずから皆が帰一するようなお方。
そういう尊いお方が、日本にいらっしゃる――と、私はありがたく、ありがたく思っています。
3559
:
復興G
:2013/12/28(土) 10:48:55 ID:AB6RqYXc
私はこれから出かける用があり、夜も出講する行事がありますので、あとはまた明日に。
3560
:
身分いやしきもの
:2013/12/28(土) 19:32:08 ID:6V6zA9Jc
「逃げ口上」といわれて、出でくる口実ができました。ありがとうございます。
あの勝負、わたしの一方的な勝利です。
>そんな勝ち負けなんか、ついていないのですよ。
復興G様。本気で言っておられるのですか。あれだけ一方的にやられて、「勝ち負けはついてない」ですか。復興Gさまは、「現象とはなにか」との問いかけに答えるために颯爽と出てこられたでのはなかったのですか。結果はみてのとおりの大失敗です。それでも「勝ち負けはついてないのですよ」ですか。そうだったのですか、しりませんでした。
最後はきれいごとで逃げ切りを図られることなど、最初からわかっておりました。ですから最初に、「きれいごとは最後にしてくれ」といったようなことを申し上げたのです。「復興Gさまの勝利です」は強烈なあてこすりのつもりでしたが、どうやらこちらの意図が伝わらずに「逃げ口上」ととられたようですね。
あれは逃げ口上ではなく予定通りの書き込みです。一方的に勝利していながら、なぜわたしが逃げなければならないのでしょう。理解に苦しみますね。
復興Gさまがきれいごとで逃げ切りを図られることなどわかりきったことではないですか。書くべきことははじめから用意しておりました。当方としてはあてこすりで書いたつもりでありましたが、復興Gさまをはじめとして、生長の家の方々は字義どおりに受け取ってしまわれたようでありますね。
>「負けるが勝ち」 ということもありますし、私は、「一切は自分の責任」 と引き受けた方が、真理に於いて、本当の勝ちなのだと思います。
「一切は自分の責任」といわれるのであれば、言葉には意味があるということをご自身の責任でもって、きれいごとではなく正々堂々と述べて見られてはいかがでしょう。
3562
:
神の子さん
:2013/12/28(土) 21:52:26 ID:AB6RqYXc
>>3560
:身分いやしきもの様
はい、私の完敗です。
そう書いたのに、
>そんな勝ち負けなんか、ついていないのですよ。
と言ったのは失言でしたね。
認めます。
泥水で顔を洗って、出直します。
ありがとうございました。
合掌 礼拝
3563
:
復興G
:2013/12/28(土) 21:57:55 ID:AB6RqYXc
上記は、復興Gです。
3564
:
神の子さん
:2013/12/28(土) 22:08:45 ID:VA75U0O.
出直さなくてもいいです。
そっと去って行きましょう。
3565
:
ユタカ
:2013/12/28(土) 22:31:26 ID:R1D4Jmeg
>3564
いちいちウルサイ! 足!
3567
:
ユタカ
:2013/12/28(土) 22:47:42 ID:R1D4Jmeg
ここで復興Gさまにお尋ねします、
一切は自分の責任とか、 一切を自分で引き受けたものが真理において勝ち。
生長の家の本で自己一切者の自覚とか書かれていますが、イマイチよく分かりません。
一切の現象が我より出でて我に返る。??
そうだった、と思うこともありますが、一切というと、すべての現象という意味だとすると、納得がいかない。
自分がこのような悪い事したかな?と思いますが???
3568
:
神の子さん
:2013/12/28(土) 22:52:02 ID:???
復興G様は、出直しの必要はありません。
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