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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
127
:
トキ
:2011/07/13(水) 20:48:59
>>126
山ちゃん1952様
若い頃はまともだったのですね。年齢が行ってからおかしくなる、というのは珍しく
ないですが、やはり若い頃にやんちゃをしても、年齢が行ってからは落ち着かないと。
しかし、昔の理想世界を読んで感じるのは、生長の家政治連合もそうだし、百万運動
もそうだけど、正しいとか間違っているとかの問題ではなくて、こういう運動に命をかけ
た人達がいる、という事実を、ありのままに記録に遺すべきだと思います。
これは、当時の運動方針をそのまま、現代に再現するという主張ではないです。
当時は共産党や共産主義が跳梁跋扈しておりました。しかし、現代では共産主義の間違い
は周知の事実です。違う脅威が登場しておりますから。
ある意味では、あの時代の「業」が、今日の混迷の背景となっているとも思います。
否定的な意味ではなく、肯定的な観点からも、どんどん体験者の方の投稿を期待したい
です。
合掌 ありがとうございます
128
:
山ちゃん1952
:2011/07/14(木) 12:08:59
トキ様
そう思います。
だが、現在の活動との乖離があり今の人では引いてしまうと思います。
中には感動する人も多く存在します。
100万運動当時の活動指針や方策や報告書は現在では残っていないと思います。
だが活動状況などはある人が所有されていると聞いていますが、総括として記録
に残すのかどうかはわかりません。
たとえば『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』など貴重な体験集です。
そういうのは破棄されたと聞いています。
それと隠れ蓑としての共産主義の台頭があります。たとえば「九条の会」などは
まさしく「白い共産主義」でしょうね。また今の「反原発」に象徴するような
主義はまさしく「国家」よりも「個人」という主張が正しいという誤解がります。
民主党政権となり国家に対する瓦解がおきています。
”日の丸”か赤旗か-それが聞きたい という谷口雅春先生の御著書をもう一度振り返らないと
いけません。
129
:
トキ
:2011/07/14(木) 18:31:45
>>128
山ちゃん1952 様
『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』は、貴重な資料です。評価は別にして、保存して欲しいです。
共産党の元活動者と最近、お酒を呑む機会がありました。
民青からの生え抜きで、永年、共産党と共産主義の理想を信じて活動をしてきた人です。
その人がしみじみと話していました。
「私の青春は、民青だった。が、私の青春には、何も楽しい事はなかった。」
どうやら、組織の道具とした利用されていた実態に気がついたみたいです。
省みて、私は生長の家青年会で活動をしてきて、確かに不合理な事も、嫌な思い出もありますが、
それでも、後悔はないです。どうしてか、というと、多分、「情」というものがあったからだと
感じます。学べた事、経験した事は貴重な財産ですし、得難い友人を得た事も感謝しております。
こういう経験を今の青年会の諸君ができているのか、気になります。
合掌 ありがとうございます
130
:
山ちゃん1952
:2011/07/14(木) 23:16:09
トキ様
『燃ゆる青春』に私は掲載されています。
あの当時の青年会は今も友達です。
いろいろな苦難もあり、喧嘩もしました。ほとんど寝ないで活動しました。
でも、私は誇りをもっています。
いまだに動員とか成績では破られた事のない記録があります。
練成会では当時高校生では10名〜20名の数でした。中学生では30名がやっとでした。
それを150名動員したり、小学練成では参加者は100名程度でしたが最高
350名参加して教化部のほうから怒られました。人数多すぎで怒られました。
たった一人の誌友会を常に20名超える誌友会にしたり、最高50名参加して
これも多すぎのため怒られました。(笑)
そうした活動に誇りを持って行っていました。
132
:
トキ
:2011/07/15(金) 11:53:23
山ちゃん1952様
本当に、青年会の頃は寝食を忘れて活動をしていましたね。よくやったと思います。
たぶん、山ちゃん1952様の頃だと、ものすごい活動をされていたと思います。
あの頃の仲間は、ほんとうに生涯付き合える人です。
あー、懐かしいです。と、懐古趣味に走ってはいけないので、頑張ります。
合掌 ありがとうございます
133
:
緑の意思
:2011/07/15(金) 13:24:10
トキ様
うーん、個人的な想いで色々あって書き込んでしまいましたが、統〜のあたりは失言でした、
>131削除願います。
134
:
トキ
:2011/07/15(金) 13:38:00
>>133
気にされるほどではないとは思いますが、御希望通り、削除しました。
合掌 ありがとうございます
135
:
緑の意思
:2011/07/15(金) 14:16:28
トキ様、お手数おかけしました。そうなんです、気にするような重要発言はなんにもないんですが、個人的に。
私は組織の歴史を知らなくて、トキ様や山ちゃん様のような先輩の話で勉強させて頂いています。
表面的な活動だけして組織のアラがみえれば、それらしいことを言って非難することはやめよう、と思いまして。
でも昔の活動や生長の家の歴史を知る方々に、いまの組織の中で教授指導頂いたら、どれだけそれを知らない若い人たちが燃えるだろうな〜と、本当にもったい想いが強くあります。
なので、私も勉強して頑張ります。これからも学ばせて下さい。
136
:
緑の意思
:2011/07/15(金) 14:17:58
◯山ちゃん1952様
×山ちゃん様
137
:
トキ
:2011/07/15(金) 15:17:47
>>135
緑の意思様
こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。
余談ですが、かぴばら様ならぬ、動物の「カピバラ」のサイトがありました。
存在を初めて知ったのですが、かわいらしいです。
http://capybara.eek.jp/
カピバラ大好き
合掌 ありがとうございます
138
:
山ちゃん1952
:2011/07/15(金) 15:22:26
緑の意思様
組織の歴史というのを学ぶというのは大変大切な事です。その歴史を知らない
ため、そこに生きた人物やその土壌に這えた人脈などわかりようがありません。
これは何回も申し上げているのですが、現在”社会運動の状況”という云って
みれば反生長の家です。それがどのように生長の家を見ていたのか等は重要な
歴史資料であります。生長の家では”30年史””40年史””50年史”と
歴史の編纂を行って来ました。
しかし、生長の家では教勢などは書かないでいたり、人事における左遷なども掲載していま
せん。悪くは書きません。
そうして教えられるのもいいのかもしれませんが、事実は隠してはいけない箇所もあります。
よく云われる講師が病気にかかると”それに対して云わなくなる”
「あの人は”病気はない”と言っていたんじゃないか”と蔑まれるのじゃないかと
ある意味、戦々恐々としているのです。
そうした事、は真理に対しての本人との思いが乖離しているのです。あまりにも
”他人に云う”のと”自分の行い”とが乖離している。
それが平気になるのです。平気になるのはいいのですが。自分に枠を作り
”こうでなければならない”と勝手に思い込むのです。
生長の家で講師と言われる人の御子息は”生長の家”に無関心であったり、
反発さえしている。だからほとんどが生長の家を継ぐような人はいません。
そこが非常に問題なのです。緑の意思様はどう考えますか?
139
:
緑の意思
:2011/07/15(金) 18:07:47
真理と行動の乖離は、往々にしてあることですが、例えば、病なし、を日頃講話されていた道場の講師が病気で入院されましたが、一般練成員はもちろん、職員にも、亡くなるまで徹底して病気を隠していたのを知った時、何か…痛々しいものを感じました。また青年会でも親が幹部活動者で、ウチに帰るといつも組織の悪口を言っていたから、絶対活動はしない、と言ってる人もいるので…講師や幹部ほど、そうした面が露わになりますね。
教義と人の行ってきた組織の歴史の乖離を、残せないものがあることは理解しました。
何というか、今は先人の想いまで消してしまう雰囲気が組織にいると感じるので、それが悔しくはなります。
歴史を学ぶというのが、難しい面があると理解しました。
しかし、人類光明化の歴史を受け継ぐという意識を持てると持てないとでは、全然違いますので、そういう想いまで消されて欲しくはないなと思います。
140
:
志恩
:2011/07/16(土) 08:26:40
(私も学ぶ会には,行きません。義春センセイ同様,私も次回もユーチューブでの放映を失礼ながら期待しています。今、復興G様ご推薦の村上和雄先生著書「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」を読んでいるところです。
本流宣言掲示板が、見誤って追い出した皆様、トキ様の集会所へ集結されてますが、実はとんでもなく優秀な方々ばかりですのに。あちらの宣言管理人様の眼は、まったくもって節穴です。)
「生長の家政治連合」を立ち上げるにあたり雅春先生のご指示により素案を作成したお方は、雅春先生のご指名により、最初は、一人でされてたので存じています。
そのお方の作った素案が、雅春先生のご許可を得て完成し、政治局を立ち上げ政治局局長となり、政治について最後の最後まで携わって全国指揮をされていたお方は、元企画局の大狭 麗三(おおはざま れいぞう)先生というお方です。
(ずっと後に、大狭先生は、裝道(礼法きもの学院)へ講師としてヘッドハンティングされ、礼法の著書も出されました)
政治に手をつけられたのは、何年だか、わかりません。s37~40頃。大狭先生は、当時30代後半。(私は20を過ぎたころ)最初は、先生は、一人で素案作りを始められましたが、下準備下調べがまた大変でね、
厚生省、国会参議院議員会館・衆議院議員会館。その他、、、、、、行きました。優生保護法、その他の法制化をめざしていたので。
私も雑用係で、大狭先生にたのまれて先生と二人で行きました。これという書類を手分けして、一日かけて書き写すために。(コピーもない時代)
当時は、お給料も安い上に、残業手当も0。なのに、先生は,毎晩遅くまで残業されてました。
雅春先生の想いをどのように政治にこめて行くか,どのように全国の組織に発信してゆけばいいのか、試行錯誤の連続でおられ、私は、ささやかながら全国の組織に発信する書類を和文タイプに打つ,お手伝いもさせて頂いていました。
大狭先生は、とても優秀でいらして、情にも厚く、企画力・判断力・統率力の全てを兼ね備えておられた総合的バランスに長けた先生でした。
先生が、政治局を立ち上げてからは、私は、関わっておりませんし、その後のことはわかりません。
理論的なことは、トキ様がお調べのようですから、トキ様の方がお詳しいと存じます。
生長の家には、現在ももちろんおられますが、目にみえないところでお金に関わり無く、命がけで、人類光明化運動をされておられるお方が、たくさんいらっしゃるんですよね。ですからね、私は、信徒の一人として
こういう先達の方達のあのころの貴い想いを思い出し考えますと、本来あるべき姿に、、、と強く期待して,ついつい身分不相応な生意気なことを申し上げてしまって。すみません。
142
:
志恩
:2011/07/16(土) 09:19:12
目に見えないところで命がけで光明化運動されておらる方々が、「今もおられる」と書きましたが、
それは、この集会所における トキ様・義春様 情報によるものです。
私は、いまのことは、末端信徒ですので、存じ上げないのです。
143
:
志恩
:2011/07/16(土) 09:20:49
トキ様
すみません。141を削除、おねがいします。
144
:
トキ
:2011/07/16(土) 09:25:46
>>141
了解しました。
145
:
トキ
:2011/07/16(土) 21:47:16
>>140
志恩 様、貴重なご証言をありがとうございます。大狭 麗三先生の事は初めて知りました。
こういう事は本当に記録しないとダメですね。公式の歴史では知る事のない証言です。
理論的な事も他の方のほうが詳しいと思います。本当に勉強になりました。
感謝申し上げます。
裝道(礼法きもの学院)の山中先生も確か生長の家の方でしたね。
青年会活動の経験があると聞いております。
今後とも、貴重なご証言を期待しております。
合掌 ありがとうございました
146
:
トキ
:2011/07/16(土) 22:05:59
中公新書クラレ 歴代陸軍大将全覧(昭和編/太平洋戦争期)
半藤一利、横山恵一、秦郁彦、原剛 共著 P179より抜粋
*この本は4名の歴史家の座談会形式でまとめた本ですが、生長の家
が登場したので、ご紹介します。
田中静壱大将の部より
田中大将は、フィリッピンを守備する第14方面軍の司令官として赴任
しましたが、セブで発熱し病状が悪化します。
(原)18年5月初旬、東城(首相)がマニラに来て田中の病気が重いのに驚き、参謀
本部付の発令になります。(中略)そのまま第1陸軍病院に入院しますが、衰弱は増す
ばかりでした。天皇は田中に特に葡萄酒を下賜し「とくに大将に進級せしめよ」と言われ
田中は9月に大将に親任されるのです。
(横山)10月になると、血圧、体温が極端に下がり、軍医もサジを投げました。その
月末、夫人が信仰している「生長の家」の中島講師が面会謝絶の病室を訪れ、この宗教
の基本聖経である「甘露の法雨」を枕頭で読み始めます。中島が読み終わると、田中の
瞳に希望と歓喜の光が溢れ、その夜、寝汗をかかずに安眠し、翌日から食欲もまし、体力
を回復していったそうです。
(半藤)本当は死ぬはずの人が治っちゃうのでしょう。なんとも不思議な話ですよ。
田中を調べていくと「生長の家」が出て来るので、書きづらくて書きづらくて。
「そんな事があるのか」とも書けないし。
(以下、略)
ちなみに、病気が奇跡的に回復した田中大将は、東部軍司令官になり、終戦時の
近衛師団の反乱を見事に鎮圧したあと、責任をおい自決されています。この田中
大将がいなければ、クーデターは成功し、戦争はあと数ヶ月継続した可能性が高
いと言われています。
以上、ご参考まで。
合掌 ありがとうございます
147
:
ぼるぼ
:2011/07/17(日) 23:20:24
本流の伝統さんのスレッドに初投稿してみた。
ただし、雅春先生の詩集スレッドだから余計なメッセージは省略した。
古い生政連の小冊子にあった護国の神剣の歌詞である。
ここにもコピペする。
護国の神剣ー生政連讃歌=NEW (3403)
日時:2011年07月17日 (日) 22時12分
名前:広大なる慈門
釈尊出でてわが国に
聖王うまれ天が下
すべての民を救うぞと
弥勒下生の聖経に
預言し給ひし時いまぞ
また黙示録は預言せり
されど其の日の来るまでに
サタンと呼ばるる赤き龍
暫し檻より放たれて
四方の国民まどわすと
古事記の預言に照すれば
このサタンなる赤き龍
八岐遠魯智と称されて
瑞穂の国の稲田姫
ひと呑みにすと身を構う
この時姫を救わんと
須佐之男神いでたまい
天授の神剣うち揮ひ
赤き龍をば寸断し
姫を危機より救いけり
この須佐之男の神剣は
実相真理のつるぎなり
剣は神人両極を
真釣り合わせる神政を
奉じて起ちし生政連
この神剣のある限り
如何なるサタン窺うも
鉄壁の護り堅固なり
この聖使命受けて起つ
天使の集団生政連
護国の使命受けて起つ
天使の集団生政連
<日本の政治と宗教ー護国の神剣ー、谷口雅春より>
生政連という理念は、今日の日本においてなおさらに現実化する必要があると思う。
戦後日本がアメリカの占領下にあり、今もなおその重石の下で国民が呻吟しているのである。
そもそも、占領下で発布された日本国憲法という作文に原因があることは明らかである。
ならば、さっさと日本国憲法を閣議で無効宣言し、帝国憲法の改正により時代の要請にあった法体制にすればよいのに、これが遅々として進まない。
すなわち、戦後の日本政府が売国奴に牛耳られているからである。
自民党も民主党も同じ穴のムジナである。
なぜ、サンフランシスコ講和条約で国連との和解をして戦後日本がスタートしたのに、足を引張て、東京裁判の呪縛に国民を縛りつけるのか。
昭和60年の中曽根内閣の時、国会における土井たか子の質問と外務省の小和田氏の出来レースが元凶であるという指摘を渡部昇一さんがしている。
中曽根は大勲位、小和田氏は皇太子妃の父という見せかけの権威で国民を騙し続けてきた。
中国と韓国になんで不自然にペコペコしている理由が、ここにある。
今日見たYouTubeを紹介します。
http://www.youtube.com/watch?v=VA1H2x9L_gs&feature=youtube_gdata
148
:
河本
:2011/07/18(月) 04:32:50
先生方、
愛国「本流☆生長の家」でも
ぜひ、いいお話を御投稿下さい。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/415415.html
149
:
志恩
:2011/07/18(月) 08:11:47
「護国の真剣ー生政治讃歌」をお載せ下さって、ありがとうございました。生政連という言葉もとても懐かしいです。
大狭 麗三先生(愛称ーおっぱ さん)もご生存中で、これをご覧になられたとしたら、涙目で懐かしがられると存じます。
それから、別途 佳い新スレッドもできたのですね。拝見しました。ネーミングもいいですね。
愛国「本流☆生長の家」
トキ様のところは、次回は、どんなネーミングをされるのでしょう。たのしみです。
150
:
志恩
:2011/07/18(月) 08:13:46
生政治→生政連
151
:
ぼるぼ
:2011/07/19(火) 11:13:21
古い生政連の小冊子「日本の政治と宗教」をめくっていっていると、志恩さんが書かれた大狭氏の名がありました。
昨年の暮も押し迫った12月29日のこと、福田赳夫さんが、お山に尋ねて来られたのであります。総選挙の分析と今後の政局の動向にについて暫く話し合ったのですが、共産党の進出によって政局はいよいよ多難となり、49年の参院選では与野党の差が逆転するといふ非常な危機が予想される、ということをお話になりました。
インナ
発表しても差し支えないと思われる部分の話の内容を要約すると次のようになります。
福田さんは選挙前の観測では共産党がこれまでの14議席から20台に乗るかどうかと思っていたと言うんですが、38議席を占めるに至ったことに、自民党としても反省しなければならないということ、共産党員の熱心な隣人に対する日常活動の成果と、田中内閣の日中国交樹立が共産党に対する恐怖心を取り除かせる結果になったこと。
自民党が中国ブームに乗って日の丸ワッペンからパンダワッペンに切り替えた事への批判、日本列島改造論への批判等々、選挙の分析と反省はいろいろありましたが、これらのことは「生政連ニュース」1月1日号に生政連本部の大狭君が詳しく書いている、云々
という箇所で、大狭氏の名前が出てきました。志恩さんが書いているので目に止まった次第です。
なお、政治は昔から、権力闘争であります。今日の日本は、当時福田さんや雅春先生の危惧した事態になってしまいました。
政界は大浄化されなければなりません。
新しい生政連を担う若者によって、生長の家の再建と同時進行で生政連も再建される必要があります。
152
:
トキ
:2011/07/19(火) 13:30:16
ぼるぼ 様
貴重な資料のご呈示、ありがとうございました。
当時の熱い雰囲気がうかがわれます。あの頃は、共産党が政権党になる可能性を
共産党自身も考えていた時期でした。あの時代の事は、きちんと記録されなければ
いけません。
具体的な政治状況は当時とは違いますが、その精神は学ばなければいけないです。
新しい資料や当時の思い出など、今後も投稿をお願いします。
合掌 ありがとうございます
153
:
志恩
:2011/07/19(火) 19:58:31
ぼるぼ様
そうでしたか、古い生政連の小冊子に、生政連本部の”大狭先生”のお名が記されていましたか。うれしいです。お知らせ下ってありがとうございました。
谷口雅春先生が政界の清浄化を思い起たれたのは、信徒だけでは、日本の真の清浄化はできない。やはり、政界に宗教も出て、強い愛国の念から発しられた自主憲法制定や、いのちを護る中絶防止の優生保護法などなど、國として
法制化されなければ、國及び政界の清浄化は、絵に描いた餅に過ぎず実現しないと思われたからだと,当時、うかがっておりました。生長の家から玉置和雄先生が参議院選挙に立候補され、そのときは、本部講師、全職員、
そして全国の組織を挙げて
選挙運動も活発に行われ、玉置先生は、見事トップ当選され、喜びに沸いたことを覚えています。玉置和雄先生の秘書は、当初二人おられて、男性は村上先生、女性は、寺内様でした。のちに村上先生も国会議員になられましたね。
玉置和雄先生は、谷口雅春先生のご意思を実現するため頑張られましたが、法制化には、国会議員の過半数の賛成票が必要で、それが得られず、法制化には、至らなかったのですよね。
それをもって、政治運動したことは、まちがいであったと結論ずけるのは,愚かであると存じます。雅宣先生は、そう結論ずけましたが。なにごとも、無駄はなかった。よい経験だったのはないでしょうか。
福田赳夫先生は、私が本部在職中、まだ彼は総理大臣ではなくて、自民党の幹事長時代でしたが、本部にいらして、小道場で本部講師・全職員を集めて、講演をされたことがありますよ。なんのためにいらしたかは、おぼえていませんけれどW
鳩山一郎先生(元総理大臣)の奥様の ”鳩山 薫様(教育者・元共立女子大学学長)”が、私の本部在職中、2度 原宿本部にお忍びでお越しになられ、谷口雅春先生・輝子先生ご夫妻とお話合いにこられたことも覚えています。
2階の会議室でご歓談されてました。1時間半〜2時間ずつでしたよ。鳩山薫様は、クリスチャンですが、生長の家の熱心な信者でもいらして、文京区音羽のご自宅「音羽御殿」の離れで、毎月白鳩会支部も開いておられたほどでした。
私は、平の職員ですが、お山係の一人でもありましたから、(雅春先生ご夫妻担当の)会議室へ鳩山様をご案内したり、途中、ご歓談中の合間にお茶のことで、室内に入ったりしましたから、とても和やかにご歓談されてる様子も見ています。
雅春先生時代は、このようにトップの政治家さんたちも、雅春先生にご相談にこられていた訳です。それだけ、人間的にも絶対の信用がもたれていたからだと存じます。
154
:
志恩
:2011/07/19(火) 20:12:48
あの生長の家に熱心でいらした気品がお着物を召されておられるような”鳩山 薫”様のお孫様でおられる
鳩山由紀夫様・邦夫ご兄弟。
特に,兄、由起夫様の情けなさ!!信じられません。
あのお方も戦後教育・日教組によって毒されてしまった最左翼の思想家ですからね。フリーメーソンともいわれていますよね。
育て方が、どうのとかいう問題じゃないと思います。
悪徳 教師軍団によって、毒されたんです。!!!
雅宣先生とおんなじ大○○な男です。!!!!!!
155
:
義春
:2011/07/19(火) 20:27:23
>>154
志恩さま
激しく同意します!ポッポみたいな…ポッポみたいな奴がいなかったら、中川昭一先生も死なんで済んだのに…こんな事にならんかったのに…いや、中川(酒)先生のお葬式に参列して、お子様の姿見て泣いた口なので。
中川昭一先生の奥様からの御礼状を今も持ってますが、たどたどしくて練れた文ではないけど、その分、奥様の心が籠った御礼状でした。
…ふと思い出した事を書いてみました。
156
:
志恩
:2011/07/19(火) 20:56:51
義春様
激しくご同意くださって,サンキューです。義春様が、中川昭一先生のお葬式に参列されてたとはね。
最近の生長の家の教えは、『ノーミート」が、全面にでていますが、できれば、あのはとぽっぽを、焼き鳥にして、喰ってしまいたいくらい腹立たしいです。
157
:
義春
:2011/07/19(火) 21:09:23
>>156
志恩さま
友達に自民党の兵庫県議の学生秘書がいて、誘われましたんですよ。良い漢が志半ばで死んだんだから、弔いたくなって、バスに飛び乗ってました。
…あの鳩の丸焼き食したら、宇宙人になるので食べたくないですね(笑)むしろ、浄心行の浄火の炎で、浄化して下せい…と。
158
:
トキ
:2011/07/19(火) 21:24:00
>>155
中川昭一先生に関しては、ジャーナリストの上杉隆氏の著書で、こんな事を読んだ事があります。
朝日新聞の本田某という記者が、「中川昭一先生がNHKの番組に圧力をかけて改編させた」という報道をしたのですが、
上杉氏が中川先生に取材をするときっぱりと否定されました。そこで上杉氏が中川先生の行動記録を調べると、中川先生が
NHKに国会内で圧力をかけたとされた日の前後には、中川先生は国会にいなかった、という事が証明されたのです。これは
国会の公的な記録です。しかし、上杉氏がいくらその事を主張しても、朝日新聞は全く謝罪しなかったと言います。自社の
メンツを守る為に、ウソを突き通す姿勢に上杉氏は激しい憤りを感じたと言います。
他にも、例えば、相撲の貴乃花親方が暴力団と関係しているという報道をし、それが否定されても訂正記事を出さないなど、
どうかと思う姿勢があります。
谷口雅宣先生ご推薦の朝日新聞ですが、あまり推薦を真に受けないほうがいいみたいです。
合掌 ありがとうございます
159
:
義春
:2011/07/19(火) 21:55:55
そういえば中川昭一先生の葬列に並んでいると、私の前に猪口邦子さんがいましたよ…落選されていたからして、遠慮なされて一般の列に並ばれてました。堅い表情で、何度かお迎えがありましたが、最初の方は、断られてました。
思想は全く合わないですが、一般の列に並んでる姿は立派なものだと感じたものです。
160
:
山ちゃん1952
:2011/07/19(火) 22:29:05
『GHQ焚書図書開封』西尾幹二著という本を以前に読みましたが、焚書というのは昭和3年1月1日から昭和20年9月2日までの期間に刊行物が公刊されたのが22万タイトルの発行である。
それを審査して、7769点に絞って「没収宣伝用刊行物」に指定して焚書を行った。
そうしたリストを作ったのは占領軍ですが、実際没収作業を行ったのは日本政府です。
確かに、戦後の出版物に対する規制は検閲です。そうしたことも占領軍はおこないつつも焚書行為も行ったのであります。現在の教育現場で墨塗り教科書などは教えられたりします。実際検閲ということは以前から知っていました。また皇国や大東亜戦争や聖戦などそうした言葉などの規制も実際行っています。だが、そうした歴史が封殺されようとしている。GHQの検閲に携わる人の募集は英語の翻訳ができ、知性があり大学の教授や専門的知識のある人も多かったと思います。戦後まもない職もない、大変な時期でしたから同情も出来ます。だがそうした人は革新自治体の首長になったり、大会社の社長や有名なジャナリストであります。それに携わった人数は8000人〜1万人ともいわれ、ほとんどの人が口を閉ざしたままです。
こうした検閲という自国の歴史を裁いた人達は平然として暮らしているのです。
歴史を裁き、人をも裁き社会を裁いているのです。
発禁書の多くは新聞社が発行した書物が多いのも皮肉である。国威掲揚とはいえ、今の変わり身は哄笑するしかない。
161
:
志恩
:2011/07/20(水) 04:59:17
山ちゃん1952様は、なんでもよくご存知でおられますね。
詳しい情報、ありがとうございました。戦後、日本政府は、GHQとつるんで、このような膨大な図書を焚書にし、売国奴行為をやっていたんですか。
それで,政府のみならず、それらを行った知性のある一般人達も、今は、上部の人間として平然と生きているとは、ひどい話ですね。
それから
トキ様がおっしゃるように、朝日新聞は「捏造記事」が多いということも、よくいわれていますよね。例えば「南京大虐殺」にしても小説から歪曲して事実であるかのように記事にしたり、「爆撃された上海駅・1937』の写真も「捏造写真」と証明されているのに、
嘘の写真を続ける。
一番問題にされているのは、国内の問題をわざわざ外国に出向き、その半分は捏造とも言える内容を外国人に焚き付け、故意に外交問題に発展させるようにしたりしてる事実。そこまでして金儲けしているメディアは,朝日新聞しかないそうですね。
国賊新聞ではないでしょうか。
谷口雅春先生は、朝日新聞 = 赤旗(共産主義の新聞、最左翼新聞)と、公然とおっしゃっておられました。
なのに、雅宣先生は好んで 朝日新聞、日本経済新聞から様々な記事を引用されてブログに載せています。その思考回路もやはり、最左翼頭脳の証ですね。
162
:
トキ
:2011/07/20(水) 19:52:50
<口上>
証言 村上正邦 ー我、國に裏切られようとも (魚住 昭 著、講談社 2007年10月10日)
の一部を紹介します。村上氏は、言うまでもなく、生長の家政治連合の当事者のお一人であり、
その証言は、貴重なものです。以下、数ページを使いますが、ご了承のほど、お願い申し上げ
ます。
163
:
トキ
:2011/07/20(水) 19:56:41
(以下は村上氏の著作からの引用です。生長の家政治連合から出馬していた玉置和朗氏の動向
から始めます)
ところが、二月に入って思わぬ事態が起きた。玉置が参院から衆院へのくら替えを表明した
んです。玉置は生長の家の組織票で過去三回の参院全国区に当選してきた男です。それが衆院
にくら替えするということは、生長の家との関係を断絶させることを意味していた。
そうなった理由はいくつかありますが、結局のところ、生長の家と玉置の間の溝が埋めよう
がないほどに大きくなってしまったということでしょう。
直接のきっかけは、前年八月に参院全国区制度改革のための公選法改正案が成立したことで
した。全国区の選挙には大変な金がかかる。候補者は全国をかけずり回って体力を極端に消耗
させる。これではいけないというので全国区をやめ、比例区を導入したんです。
この制度改革の旗を振ったのが玉置でした。それを教団側の一部の幹部が「玉置は自分の利
益のために勝手に制度を変えたんだ」と誤解したんです。
それに比例区の名簿順任は候補者が獲得した党員数や党への貢献度で決まるので、当選させ
るには、生長の家の誌友(信徒)を自民党の党員にしなくてはならない。信徒が党員になれ
ば、生長の家は自民党の下部組織になっていく。それは教団側にしてみれば宗教組織の根幹に
関わる問題だったわけです。
(p157~158)
164
:
トキ
:2011/07/20(水) 19:58:47
玉置が教団と絶縁した理由はもう一つあります。これは教団の三代目である谷口雅宣さんの
玉置に対する不信感なんです。
二代目総裁の清超先生は初代の雅春先生の実子ではありません。若いときに肺結核にかかり
『生命の實相』を読んで救われたのをきっかけに生長の家に入られて、教団の雑誌、出版物の
編集をしておられた。
雅春先生の原稿を毎日取りに行く。そのとき玄関に出て応対されたのが、雅春先生の長女で
ある恵美子先生なんです。お二人が結婚されて雅宣さんが生まれた。雅宣さんは青山学院大を
卒業して産経新聞の記者になった。
ところが雅宣さんは支局勤務のままで、すぐに本社の政治部に上げてもらえなかった。それ
が玉置の差し金じゃないか、雅宣さんが政治部に果て玉置の政治的動きを全部知られたら困る
から、玉置が圧力をかけて本社に上げないようにしたのではないかという俗っぽい話になって
いるようだと、当時、玉置がぽやいていました。
もちろん玉置はそんなつもりは毛頭ないと弁明したが、そのうち雅宣さんは産経を辞め、教
団に帰ってしまった。まもなく私と玉置は教団の全国教化部長の会議に呼ばれて、
「なぜ勝手に選挙制度を変えたんだ」
と幹部たちからやり玉に挙げられ、雅宣さんからもお叱りを受けた。その時、私が前面に立
って、
「そうじゃないんですー・」
と弁明しました。玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断
でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信
感をぬぐえなかった。
ちょうどそのころ、かつて玉置がつかえた早川崇先生が病死して、和歌山二区の後継者の話
が持ち上がった。それで玉置は、
「生長の家からそんな糾弾を受けるくらいなら、俺は衆議院に行く」
と決心して、その直後に衆院選で無事当選を果たした。
(p159~160)
165
:
トキ
:2011/07/20(水) 20:00:26
昭和五十八年(一九八三年)二月に玉置が衆院へのくら替えを青書してから三カ月後には、
前に述べたように優生保護法の改正案も成立の見通しが立たなくなりました。さらに同年六月
に行われた参院選では玉置の後継者として生長の家が送り出した寺内弘子さんが次点で落選し
てしまった。寺内さんは玉置の秘書だった人で、玉置が参院からくら替えするときに「寺内は
必ず当選させる」と教団に約束した経緯があった。
ところが自民党が彼女を比例名簿の二十一位にしか載せなかったので落選の憂き目に遭っ
た。これで玉置や党に対する教団の不信感がさらに募ったんです。
生政連は昭和五十八年の八月十五日、ついに活動停止を宣言しました。つまり教団が政治と
の絶縁を宣言したわけです。
(p160)
166
:
トキ
:2011/07/20(水) 20:02:17
生政連が活動停止を宣言してから数日後、京都府宇治市にある生長の家の別格本山で孟蘭盆
会がありました。その折、私は清超先生にこう言われました。
「あなたの今後のことは、中曽根さんに頼んでおいたからね。中曽根さんは、ぜひあなたを中
曽根派に欲しいと言っている」
私は、
「はい。ありがとうございます」
と答えました。私は雅春先生や清超先生の絶対的な信頼を受け、あふれるような愛情で育て
られた政泊家ですから、教団の指示は「はい」とお受けするしかない。
このとき清超先生は、生政遵は解散するけれども、生長の家の福祉団体の理事としては残り
なさい、次の選挙のときに生長の家推薦と書くのは構わないとおっしゃられた。
(p161)
167
:
トキ
:2011/07/20(水) 20:04:51
生長の家は政治と絶縁しただけではありません。昭和六十年(一九八五年)に初代総裁の谷
口雅春先生が亡くなられて二代目の清超先生が後を継がれると、三代目候補の雅量さん(現生
長の家副総裁兼総裁代行)の主導権がそれまで以上に強くなった。そして雅宣さんは初代の雅
春先生の教義についての解釈自体まで変えていったんです。
雅春先生は大東亜戦争は聖戦であり、明治憲法を復元すべきだと訴えておられたが、雅量さ
んは明治惹法の復元どころか改憲も主張しなくなった。挙げ句の果てにはあの戦争は侵略戦争
だったから日本がアジア諸国に謝罪するのは当然とまで言うようになった。
そのうえ雅春先生が善かれた政治に関わりのある書籍も一部絶版にしてしまった。『我、誰
よりも国を愛す』などの良書がたくさんあったんですが、それが全部、絶版になったんです。
こうした生長の家の路線転換に生政連や生学連(生長の家学生会全国紙連合)などを拠点に活
動してきた人たちが反発した。彼らは雅春先生の教えを勝手に変えるのはおかしいと訴えた。
でも雅宣さんから見れば、従来の生政連は実質的に玉置和郎中心の路線だったから、その路線
で突っ走ってきた活動家たちを信用できない。それで「こいつらはダラ幹だ」とか何とか言
って切ってしまうわけです。
(p167)
168
:
トキ
:2011/07/20(水) 20:07:04
私の場合は二代目の谷口清超先生のご厚意で、当初は生長の家の福祉団体の理事として残り
ました。それで、次の選挙のときには今までのように、組織的な応援はできないけれども、生
長の家推薦ということは了解するよと清超先生がおっしゃってくださった。
だから私は生長の家推薦で二期目の参院選挙(昭和六十一年七月)を聞いました。一期日の
ように生長の家の組織を挙げての応援は受けられなかったけど、信徒の皆さんが自ら自民党貞
になってくださったから、私は比例名簿の六位にランクされて当選を果たすことができたんで
す。心ある生長の家の信徒の方々は、私が選挙で地方に行くと、「先生、がんばってね」とた
くさん応援に来てくれました。
しかし、その後、三代目の雅宣さんの意向が強くなって、政党とは一切、一線を引くという
厳格な方針が出されたため、私は生長の家の推薦を受けるどころか、教団に行くことさえもで
きなくなりました。
平成七年(一九九五年)に私が参院幹事長になったときも、ご挨拶に清超先生を訪ねました
が、会わせてくれない。もちろん講習会に行くことさえも、誇習を受けることさえも拒否され
た。政治家・村上正邦はね。
(p169)
*以上が村上氏の証言でした。なお、文中、「私」とあるのは、「村上氏」のことです。
169
:
トキ
:2011/07/20(水) 20:10:22
>>167
×雅量さん
◎雅宣さん
×明治惹法
◎明治憲法
ごめんなさい。お詫びして、訂正いたします。
170
:
トキ
:2011/07/20(水) 20:16:10
>>168
×聞いました。
◎闘いました。
×自民党貞
◎自民党員
ごめんなさい。お詫びして、訂正いたします。
171
:
山ちゃん1952
:2011/07/20(水) 20:50:37
志恩様
私など勉強不足で知らない事ばかりで恥かしい。
自分で調べる場合が多いのですが、抜粋も多いです。現在は「陵墓」関係と万葉集
を調べています。万葉集はやはり山口悌治先生の影響ですね。
大和三山と藤原京と橿原を中心とした歌、初瀬川や山之辺の道を中心とした万葉歌は
なんとも云えません。
172
:
志恩
:2011/07/20(水) 23:10:49
山ちゃん1952様
「万葉の世界と精神」(前・後)ですね。深いですよね。山口先生は、学者でもいらした。
山口先生の目黒区にあったご自宅へ遊びに伺ったことがありますが、壁という壁、床という床、難しい単行本で
埋まってました。本でできたカマクラのような中で、お話させていただきました。
173
:
ぼるぼ
:2011/07/20(水) 23:52:25
村上正邦さん、昨年5月に刑期満了して社会復帰されたんですね。
もう、79才になるんだ。
僕は全く面識がないんですが、ユニークな政治家だとおもいます。
Wikiによれば、
東京拘置所拘置経験者である鈴木宗男・佐藤優とともに奈良県吉野を訪れ、後醍醐天皇陵を参拝して再起を誓った後、鼎談する様子が放送された。また山田洋行事件で逮捕された守屋武昌にも逮捕後に差し入れをするなどして人脈を広げている。これにより、逮捕・起訴されて刑事被告人と自分と同じ境遇を受けた鈴木宗男・佐藤優・守屋武昌ら様々な分野で政官界の舞台裏を知りうる主要人物と人脈ネットワークを構築している。
とか。転んでもタダでは起き上がらないタフな精神を持っているなあ。
ぼくが飛田給を出て、国際組織をつくろうとしたことがあった。その際、生長の家有力者の協力を得たいと思って、玉置さんの事務所を訪ねたことがありました。
玉置さんは、自分は自民党の政調会長で、とても偉いのだ、と態度であった。
その後、原宿の本部にいたとき、たまたま玉置さんがやって来て、僕をみるや、向こうから握手を求めてきた。
政治家の二面性を見て、こんなもんかなあ、と思ったものだ。
永田町は魑魅魍魎の住む世界で、ぼくはあんまり近寄りたくはない。
でも、今、日本が潰れそうな時なので、どうしても生政連の復活が必要だとおもう。
174
:
ぼるぼ
:2011/07/21(木) 04:15:41
訂正、今調べたら玉置氏は党3役をやった形跡はないね。当時、総務をやっていた、ということがわかりました。
あんまり偉そうだったもんで、僕の記憶が勝手に捏造したようです。
で、そのころ、志恩さんとは生で本部廊下あたりですれ違ったかもね。
175
:
志恩
:2011/07/21(木) 07:22:57
ぼるぼ様
はい。玉置和雄先生も村上正邦先生(秘書時代)も、まめに本部にいらしてましたから、何度もお見かけしていました。
玉置先生、当選後、玉置先生の参議院議員会館事務所へ、なにかの用事でおっぱさんに連れて行ってもらったこともありました。
女性秘書の寺内様は、やりてで男勝りの「仕事人」という感じの人でしたが、トキ様が載せてくだった記録により、後に選挙にも立候補して落選したことを知りました。
でも、私がお見かけしていたころの先生方は、まだ初々しい感じでね。後にテレビで拝見するような「政治家」らしいかっぷくのいい威風堂々とした感じは、まだありませんでしたよ。
私は、当時からほんとは政治関係は、あまりすきじゃなくて。向き向きがありますからね。
176
:
志恩
:2011/07/21(木) 09:01:10
ぼるぼ様
ぼるぼ様が、体験されたように議員会館でお会いされたときは、地位のある政治家の顔になり、本部にいらしたときは、腰が低くく 握手を求めてくる
やさしいおじさんの顔になるというのは、昔からそうでした。
そういう二面性がないと、政治家はできないのでしょうね。そう魑魅魍魎の世界。
177
:
トキ
:2011/07/21(木) 10:05:05
別にスレッドで「統一教会」のネタを書きましたが、政治に関連する事なので、
続きをこちらで書きます。
元統一教会の幹部と話していて、統一教会があまりにも反社会的、違法行為を
常習的に行っているのを知り、驚いて
「なぜ、そんな団体の存在が日本で認められているのか?」
と言った事があります。その元幹部の返答は、
「統一教会は、日本、韓国の政治家に深く食い込んでいます。
ですから、日本と韓国の間に問題が起こった時に、通常の外務省のルート
では解決できないような場合でも、独自に解決するだけのチャンネルを
もっているのです。それがあるので、政治家も統一教会をつぶせないので
す。」
と話していました。
ただし、これは小泉政権以前の話です。ですから、最近になって、竹島の
問題など、日韓関係が緊張関係になる場合が多いのは、こういう背景がある
のかもしれません。
しかし、短期的には、こういう「裏技」で問題が解決できたのですが、
長期的には、不明路な方法での解決は歴史に汚点が残ると思います。その意味
では、やはり、正々堂々、言うべき事は言う、という王道での対応が必要かと
感じました。
合掌 ありがとうございます
178
:
山ちゃん1952
:2011/07/21(木) 10:09:56
志恩様
山口悌治先生は昭和10年から生長の家本部に勤務して『中のこころ』『万葉の世界と精神』
歌壇選評の『いのちを詠ふ』の三冊教文社から出版されていますね。
歌壇においては第一人者であり、優れた才能の持ち主だと言わざるえません。
>山口先生の目黒区にあったご自宅へ遊びに伺ったことがありますが、壁という壁、
床という床、難しい単行本で埋まってました。本でできたカマクラのような中で、
お話させていただきました。<
皆んなそんな暮らしをしているのです。必死に学習し、その旋律を詩にされていたのだと
思います。
森田先生や安東先生もそのような暮らしですね。以前の青年会の諸先輩は皆沢山の本を
読んでいました。
昔の人は必至になり学習し、それを行動に移していたのです。
179
:
志恩
:2011/07/22(金) 00:31:17
山ちゃん1952様
返信、遅くなってすみません。
山口先生のこと、詳しく教えて下さってありがとうございます。
先生は、昭和10年から生長の家本部に勤務されてたとは,存じませんでした。私が,生まれるず〜と以前からW
私の場合は、昭和30年代半ば過ぎからでした。
山口先生は、雅春先生のご高弟でいらっしゃるのに、やさしくて謙虚なご性格で人格的にも非常にすばらしい先生でしたので、全職員からも敬愛されてました。
日本教文社から3冊も、著書を出されていたんですね。私は「万葉の世界と精神」しか持ってなくて。
余談ですが、山口先生は、2月29日の閏年(うるうどし、4年に1度しか巡って来ない)生まれでしたから、60才の誕生日のとき
パロディで、皆でちょっとした15才のバースディ祝いをしてさしあげたことがあります。先生は、その様なちょっとした「ふざけ」にも乗って下さり、
一緒におもしろがって下さる心の広さの持ち主でもおられたんですよ。
180
:
トキ
:2011/07/22(金) 11:39:45
玉置和郎の遺言(元秘書 樋口常雄氏著 飛鳥新社発行 昭和62年7月31日)
という本があります。
玉置氏は、生長の家政治連合推薦の議員です。彼の政務秘書官だった方の回顧録です。
内容は政界の内情話で、生長の家政治連合に直接触れる部分は少ないですが、いくつか
気がついた事を書きます。
玉置氏は、「田舎の商業学校から、給費学生として北京の中央鉄路学院本科を出て、兵隊。
さらに予備士官学校卒、すぐ終戦帰国、闇屋から24歳で社長。倒産3回。党本部へ。」
(商業学校、予備士官学校ともにトップの成績だったらしい)というやり手の人間でした。
それまでの生長の家政治連合推薦の政治家が、生粋の生長の家の人で、紳士的な方が多かった
のに対し、彼は「票が目当て」で生長の家に接近した人だったようです。しかし、政界内部
では相当なやり手で、谷口雅春先生は、彼の人格ではなく、能力とか行動力に期待された
のではないか、と思います。
彼はバツグンの集金力を持っていたようです。が、田中角栄と違い、生長の家信徒の方々
から「広く、薄く」集めたので、法律に触れるお金の集め方ではなかったようです。
かって「KDD]事件という大汚職事件がありました。KDDの経営陣が政界などに賄賂を贈り
かつ自分達も会社の経費を私物化し乱脈を極めていたという事件です。この時、KDDの社長秘書
だった人物もマスコミに糾弾されました。彼は玉置氏と同郷で、奥さんが生長の家の信徒だった関係
で、玉置氏も懸命に彼のために尽くしますが、最後に「メモ」を遺して自殺します。その内容は、
当然、政界工作の一切を書いたもので、これを玉置氏が持っている事から、政界では玉置氏は
いきなり大変な発言力を持つようになります。それ以外にも、玉置氏は各種の政界スキャンダルの
証拠を集め、それを公表しない形で、与野党の政治家に圧力をかける事で、隠然たる力を持ちます。
こういうやりかたは、当然、彼の評価を下げ、同時に、生長の家の評価も下げる事になります。
ですから、生長の家本部では、彼に対して、相当な反発や不満を感じていたと言われています。
あと、中曽根氏への敵意は有名でしたが、実は、中曽根氏は谷口清超先生と東京大学の同級生
で、二人は仲が良かった、という話も村上氏の本にあります。
なお、最後、玉置氏はガンになります。死期を悟った玉置氏は、今までの行きがかりを捨て、
中曽根氏に全面的に協力する事を約束し、今まで集めた政界スキャンダルの資料も全て処分し
封印していた大臣にもなり、最後まで自分の政治課題の実現のため、活動をされています
合掌 ありがとうございます
181
:
復興G
:2011/07/22(金) 16:08:40
こちらのスレッドに初めて参加させて頂きます。
> 50 :山ちゃん1952:2011/06/26(日)
> ・・・・生政連をどうして「谷口雅春先生」が発起されたかということです。
──それについては、『生長の家四拾年史』に、次のように書かれています。
──────────
「国家の成仏ということ」
昭和38年2月28日、第13回生長の家全国代表者会議を開き、第一次五ヵ年計画最終年度の運動方針を決定した。そのとき総裁谷口雅春先生は結語として次のように述べられた。
「“人間神の子”を説く宗教は他にもある。“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。万教帰一だから根本は同じである。だがそれでは、とくになぜ生長の家が出現したのか。生長の家の神は住吉大神である。その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に現われ給うたのか。そこが非常に大切なところである。
『古事記』に示されるごとく、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に現われられた。最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と現われ給うたのである。天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となるということである。この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに現われ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。
ただ単に、人間は神の子であり、物質はない、肉体はない、病気は治るという、それだけのことではないのであって、天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うというところに、生長の家出現の本当の意義がある。
したがって、たんに個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおしすすめて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏というところまでゆかなければならないのであって、そのひとつが政治活動なのである。」
この総裁先生のお言葉のなかに、生長の家の政治活動のすべてが語られる。この翌年の39年3月に第二次五ヵ年計画をうち出したが、その中心課題を国家と政治の基本の確立とその理念の顕現においた。総裁先生のこのお言葉を基にしたことはいうまでもない。そして生長の家政治連合(以下生放逐)はこの第二次五ヵ年計雨の一環として結成をみたのである。すなわち、日本の実相顕現を政治の面から推進してゆこうとするのが生政連なのである。
もちろん「日本の実相顕現」はこのとき突如はじまったのではない。立教の当初からすでに示されていた。昭和7年5月27日の「久遠天上理想国実現の神示」、同年9月2日の「実相金剛身の神示」、翌8年1月6日の「梅の花の神示」、そして戦後では20年11月27日の「終戦後の神示」、同年12月28日の「日本の実相顕現の神示」、「君民間治の神示」等々はすべて日本実相顕現の神示である。また昭和8年1月、東京最初の講演会で、総裁先生は「中心に帰一する道」を説かれ、昭和10年11月に第1回天講習会が聞かれたときも、先生は『古事記』の御講義を中心にされたのである。・・・・
──────────
> 147で
ぼるぼ様が 投稿してくださった
「護国の神剣ー生政連讃歌」
なつかしい歌ですね。有名な作曲家 黛敏郎さんが作曲された力強い歌で、私は今でも歌えますよ。
182
:
復興G
:2011/07/22(金) 16:14:17
> 181
×生放逐
○生政連
です。(OCRが誤読していました)
183
:
復興G
:2011/07/22(金) 16:24:39
> 181
まだほかにも誤読があるようですね。ごめんなさい。
例:
× 第二次五カ年計雨 → ○ 第二次五カ年計画
× 君民間治の神示 → ○ 君民同治の神示
184
:
トキ
:2011/07/22(金) 16:54:36
復興G様
『生長の家四拾年史』は現代では入手が難しい資料ですから、読者には貴重な内容だと思います。
ご提示、ありがとうございます。谷口雅春先生の燃えるようなお気持ちがわかるようなご文章だと
思います。
生長の家政治連合と言えば玉置先生や村上先生が有名ですが、他にも重宗雄三先生や横山フク先生
など、立派な先生が多数おられましたね。当時の事をしる人が少なくなっているので、ご存知の方の
積極的な投稿を期待しております。
合掌 ありがとうございます
185
:
ぼるぼ
:2011/07/22(金) 17:38:11
僕は、雅春先生なら生政連の活動を停止しなかったと思っている。
雅春先生が総本山に移住し、実権が完全に清超新総裁に移った結果であった。
玉置氏は和歌山2区に鞍替えを果たしたものの、わずか4年後に64歳という若さで病死した。
政界の風見鶏といわれた中曽根氏に接近したのも間違いであった。以前この掲示板にも書いたが、渡部昇一さんの指摘するように、我が国が不自然に中韓にぺこぺこする原因を作ったのがほかならぬ中曽根内閣時代の国会質問であったからである。
すなわち、土井たか子の質問にたいして、外務委員だった小和田氏が、サンフランシスコ講和条約を無視して、東京裁判史観をもって内閣了解事項とするとした売国的答弁をしたのであった。
これが今日まで踏襲されている。
復興Gさんが紹介してくれた生政連の理念がある以上、今日の日本においてそのような生政連が再建される必要があります。
186
:
復興G
:2011/07/22(金) 18:11:41
> 180 :トキ様
貴重な資料をいろいろと教えていただき、ありがとうございます。
最初、玉置和郎氏は「票が目当て」で生長の家に接近したのでしたが、生長の家の信徒たちが、谷口雅春先生の推される人なのだからと、熱く燃えて命がけの選挙運動をしてくれる、その清らかな目に感動し、滂沱とあふれる涙を抑えられなくなるような体験をした。それから真剣に『生命の實相』などの聖典を読み、生長の家信徒になった──ということを書いた『善人よ強くなろう』という新書版の本(日本教文社刊)が爆発的に売れ、それも大きな推進力になって、昭和40年7月の参議院全国区では85万5千票余りを獲得し、夕刻の、一番多くの人がテレビを見ている時間帯に、「全国区第1位 玉置和觔 生長の家推薦」と報道され、バンザイ、バンザイと沸き立ったことを思い出します。最終的にはトップ当選ではなく、第3位でしたが。
その3年前昭和37年には30万票で惜敗(落選)だったのが、3年後に3倍近くの票を獲得できたということですから、いかに生長の家信徒が谷口雅春先生の願いにお応えすべく“しゃかりき”になってがんばったかがわかります。
この生政連は会長が田中忠雄氏、事務局長には大峡儷三(おおはざまれいぞう・「れい」の字にはにんべんがつきます)→ 小山孝雄 → 高森晴雄 → 小倉昌人 氏が事務局長を務められたと思います。
しかし、現象界の政界は魑魅魍魎の跋扈する世界のようですから、宗教団体が純粋な動機を保ちながら政治活動にかかわることは、容易なことではなかったのですね。
谷口雅春先生は、「聖胎を長養する」ために、政治活動は凍結するというお言葉を『聖使命』紙に発表されたと記憶しています。
この生政連の政治運動は、なぜ凍結されなければならなかったのか、私もそれを考えてみたいと思います。
187
:
<削除>
:<削除>
<削除>
188
:
復興G
:2011/07/23(土) 09:50:28
明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
谷 口 雅 春
<2>
○生政連の参謀室からは、詳細なる理由を挙げた上で、次のやうな献言が来てゐた。
『以上から判断して、
1、正攻法では全く当選の見込み両氏ともなく、泡沫候補扱ひを受け、生長の家の誌友も、また候補者本人たちも、余りにも惨めな思ひをすること。
2、参院選で受けた恩を仇で返すといふ、信義を失ふ結果になること。
(参院選で吾々の候補を応援して下さつた国会議員諸氏と同じ地盤で票の争奪戦をすることになり、どちらの候補も落選のおそれがある)
3、教勢発展に支障を来たし、生長の家をやめてゆく者が続出するであらうこと。
(選挙疲れのため選挙が厭になつてきてゐる)
4、それでも強行するとすれば、一候補当り五億円の金を用意しなければならぬこと。生政連本部では参院選中の借金が皆済されてゐない現在、十億円どころかその十分の一も金策できる現状ではないこと。さらに泡沫候補だから自民党公認はとれないため、党や派閥からは金が出ないこと。
5、仮に信徒の熱意で金が出来たとしても、殴り込み戦術だけに、周囲や色々の人間関係に摩擦や相克を生じてそれがさらに教勢に大きなマイナスになること。
等々の理由から、今回の衆議院出馬は無理であり、ぜひ見合はせて戴きたいと思ふのであります。衆議院を狙ふなら、公明、共産のやうに、まづ地方議員を大量に育成し強化し、生政連の地盤を固めてからやるほかありません。そのためには急いでも最低五年の準備歳月が必要であります。
ところが総裁先生が最近の最高首脳者会の席上、田中、村上両氏を衆院選に出馬させると発言せられたので、総裁先生のご命令なので、ハイと素直に受ける他なかつたのですが、勝算は全くないこと、金策もたたぬこと(村上君はこんどの選挙で五百萬圓ほど借金を残し、その返済に目下苦慮してゐる状態です)そしてさらに、勝算のない選挙を実際にやる地元の生長の家幹部が気の毒でならぬことなどを考へ合せて、本心は辞退したい気持でをりますが、御命令に背くので、それも申し上げられないといふのが現在の実情です』
以上流石に生政連の参謀室は其の道に詳しいのである。
189
:
復興G
:2011/07/23(土) 09:55:51
明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
谷 口 雅 春
<3>
村上氏を立候補させることにした愛媛県の白鳩連合会長の寄野美枝さんからは次のやうな手紙がが家内宛に来てゐた。
『合掌 ありがたう御座います。
御奥様、御見舞ひも申し上げませず失礼をいたしてをりますことを御許し下さいませ。実は私も選挙のあと、すぐ入院いたしまして、只今は大変よくなつてをりますのですが、医者は、数字的(血圧と、糖尿)に見ますものですから、一切を白紙から、出なほすつもりで素直な気持になつてをります。ところがどうしても、心境を御報告、申し上げておかねばならぬ事が起つて參りました。
それは例の村上正邦先生を愛媛の一区から、出すことについてで御座います。私が此の事を人の噂によつて知つたのは九月六日で御座いました。其の時の私の驚きやうは、血圧も下つてをりましたのに一ぺんにはね上り二百六十にもなつた程でした。早速、息苦しい中から、本部、生政連へ電話させて頂きました。愛媛一区の松山は、愛媛県でも一番弱いところで此の地域の人達を引張つて行くのに、どれほどの苦労をしてゐるか、とてもお話にならない位です。其の上現状を分析いたしますと、前回生政連から推薦いたしました塩崎代議士と、共食になつてしまふのです。まだ其の上、社会党か出る湯山勇氏は党籍は社会党ですが、松山の婦人等、教育者たちに熱狂的な人気があり、革新ぎらひの人々でも湯山さんだけは別問題だと言つてをり、前々回知事選に出馬した時などわづかの差で惜敗したが、大多数の票を松山の婦人票で取つたほどでした。又聞くところによると菅太郎氏が出ないので其の地盤を頂くさうですが、とても三分の一もむつかしいであらうと言ふのは誰しも知つてゐる事で御座います。
一応此の実情を大峡事務局長に申しましたところ、大峡局長の申されるのに、生長の家十月号、明窓浄机を拝読したか?(六日では地方は届いてをりません)とにかく明窓浄机を拝見して下さいとの事でした。待てど暮らせど今月に限つて、おそいのです。私は、其の夜から寝られない幾夜を過しました揚句、悩みに悩み抜いた結果、或る夜明けハツとして神の声なき声を聞くことが出来ました。
(つづく)
190
:
復興G
:2011/07/23(土) 09:56:29
明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
谷 口 雅 春
<4>
(愛媛県の当時白鳩連合会長の寄野美枝さんからのお手紙のつづき)
現象的に分析したならば常識で考へたなら、どんな手を打つても勝目のないやうに見える事も、又個人的には塩崎代議士など一緒に同行して各家を訪問した際、私の肉体では、足が、もう一歩も進まない程、自動車のドアを開けて下さつても後から押して貰はなかつたら座席に乗れないほど、ヘトヘトになるところまで歩いて頂きました。そんな事何回となくくり返しました。たつた昨日まで塩崎先生、此の御恩返しは次の衆議院選で返礼いたしますからと、口を揃へて言つてをつた矢先、今度は、其の人と戦ふ、こんな事が、人間として、出来る事であらうか。
「此のやうな、苦しい事も、顔の悪くなる事も、都合の悪い事も、皆、切つて捨てて無條件で、中心に帰一する事だよ」此の声なき声に、ハツとして起き上りました。そして、今まで悩んだ事は、ほんたうにすつきりといたしました。大きな壁にぶつつかつて大きな風穴が開いたやうに、身も心も一ぺんで軽くなりました。
さうしましたら不思議なことに、其の日の午後、「生長の家」誌を手にした塩崎代議士夫人が、東京からかけつけました。そこで私は初めて総裁先生の御筆を拝読させて頂きました。併し私の心は、六日に生政連へ電話した時とは打つて変つて、澄み切つた青空のやうな気持でしたから、私は塩崎夫人の前へ頭を深々とたれまして、「つい先日までお世話になつた私達が、今度はお宅様と競ふやうな事になりまして誠に申わけないと存じますが、個人の立場としたならば到底、出来ることではないと思ひますが、愛国の至情に立つて、中心に帰一する立場としては、私は生長の家をやめる事は出来ないのですから、何卒御許し下さいませ。貴女のお気持は判りすぎるほどよく判らせて頂きます。どうかお気の済むやうに、なさつて下さいませ」と、頭をたれたまま涙ながらに申しました。
さすがに塩崎夫人も御教を頂いてをられる方だけに涙を浮べてまた逆に、私を、いたはり激励して、お帰りになりました。それはそれは美しい光景で御座いました。さて此の程度ならば何も事更に手紙にまでしなくともと思ひましたが、明窓浄机をよくよく拝読させて頂きますと、やはり一応は、現象面のことも申し上げておいてなほ其の上で、私の無條件のハイが、松山の至極おとなしい、割合ひ消極的な人の多い信徒の一人一人に、此の心を伝へて行くことが出来るか、私も、ひたすらな精進を続ける覚悟でをりますが、どれほどの奇蹟が現れるか、唯々、結果は神様にまかせて、松山の信徒の一人一人に勇気の湧いて来ることを祈りつづけてをります。拙い筆で御座いますが、御奥様から、親しく総裁先生にお話し申し上げておいて下さいませ。再合掌
寄能美枝
谷口輝子御奥様御前に』
191
:
復興G
:2011/07/23(土) 09:57:10
明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
谷 口 雅 春
<5>
この手紙は涙なしに読むことはできないのである。私の我武者羅な注文のために、高血圧になり、入院まで寄能さんにさせたことは、まことに申訳がないと思ふ。寄能さんひとりではなく関係方面に色々の迷惑をかけてゐることだと思ふ。ここに皆さんにおわびする。この位の事がわからぬ位ならば解散してしまへと木間さんはいはれる、それは私に、生政連関係の仕事をやめて引込めといふ神様の言葉だと私は受取るのである。しばらく私は住居を東京から僻遠の小村に居を遷して国の中央部とは遠ざかることになつてゐるのも神さまのお指図であると思ふ。
私は本誌にも、他の市販の政治雑誌にも、次期衆院選に田中、村上を出馬させると公表したのに、それを今更とり消する、私の面子は丸つぶれであるけれども、私は政治方面の天分など持ち合はさないのだけれども、国家の危機と、年間三百万人殺される胎児のことを思ふと止むに止まれない気持で、政治方面にここまで努力して来たのである。しかし生政連もここまで育つて来て、私のやうな素人が口を挿まないでも一人立ち出来る錚々たる人物が中央には数人はゐるからこれらの人々に委せておけば大丈夫だと思ふ。私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい。現在の日本国は思想や国民の精神状態から見れば開闢以来の一大国難の秋なので、その国難を支へる宗教、政治、思想団体といへば、まだ力が充分発揮できないが、生長の家のみであるからである。
○田中、村上が衆議院出馬を断念した場合、三年後の参院選をどうするかといふ問題が残ります。この両氏に玉置、鹿島を加へて四名では三年後の参院選には、生長の家の資力からは勝算がないので、なんとかこの四人を生かしてあげたいといふので、この四名を二つに分け、二人を先づ衆院に出馬させ、残りの二名を三年後の参院選に出馬させれば、無理なしに四人の国会議員が生長の家から出て、それだけ発言権が増え、優生保護法でも通過させ易いし、一且、吾々が推薦した味方の人たちを彼を推薦し、此れを推薦しないといふ不公平を無くしたいといふ愛念からであつたのである。しかし、智慧なき愛念は結局、選挙関係の信徒及び誌友たちを精神的に苦しめて、高血圧で入院までする人までも生じました。「心、全相に達せざるを迷ひといふ」と大乗起信論にある通りです。
そこで田中忠雄氏に立候補をやめるやうに説き、三年後の参院への出馬をも断念して頂いて、生政連会長として本部に残つて、後進の指導にあたつて頂くと同時に、従来の天分である禅学の完成に邁進して頂くやうに致しました。田中忠雄氏は、落選の時点では、私の勧めで衆院選に出馬を決意されましたが、現在の心境は、国会議員の泥仕合の中に自分を汚すよりも、座禅に徹し、明鏡止水の心境を取り戻して道元の研究の大作に取り組みたい心境になつてゐられる。
作家の林房雄氏は参院選では田中後援会長をせられたが、田中氏の出馬を最初から反対で、政治家にするのは惜しい人物で、落選してよかつたと喜んでゐられる由で、誌友の評判でも「田中さんは政治には不向きだ。七十歳を過ぎてしかも新人として衆院選に出ることなどは無謀だ。学者的風貌があり、程度が高い点があり、それが一般になつかしがられないし、少しであるが村上票より少なかつた原因だ。候補者はもつと程度を下げて大衆に親しまれるところまでゆかないと、全国区でさへもこのやうに票が辷る。これが地方区しかない衆院選では、とてもだめだ」といふことが一般の声のやうであつた。三年後の参院選では、尚老齢といふことになり、信徒の運動意欲が喪失するので、さらに票が辷り、こんどのやうに五十万票を得ることは不可能だらうといふ人もある。かうして私も誌友及び信徒の先輩に教へられて、選挙といふものの実態が大分わかつて来たのである。
田中忠雄氏を生かす道は、もっと他にある。ある人は、田中氏の禅学の蘊蓄に大いに期待して、今後静かに退いて、道元禅師の全著作の決定版と、その完訳版並びに解説といふ大掛りの大事業を生涯賭けてやつて頂きたい。その方が、僅か二人が国会に出て、国会議員一年生では、あまり発言の機会も与へられないし、発言しても用ゐられない状態でゐるよりは、その方が余程、日本国家のためになるといふ人もある。十目の見るところ、十指の指さすところ、誠にそのやうに考へられるのである。
192
:
復興G
:2011/07/23(土) 09:58:23
明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
谷 口 雅 春
<6>
○村上正邦氏については、本人はまだ若い(四十二歳)し、将来があり、政治家として大成する素質と、伸びる前途の年齢がある。非常に純粋であり、本人は、たとひ国会議員のバッヂを将来ともつけられなくとも、愛国の一念、生政連の中にゐて献身したいといつてゐる由で、それだけに、次期参院選で雪辱戦をやらせたいし、全国区で次期に出馬すれば、全国各道府県の幹部も一斉に協力して頂けると思ふ。
○田中忠雄氏が三年後には出馬しないとすると、次期参院全国区については村上正邦氏を加へて玉置、鹿島の三人が出馬することになると思ふ。今回は健実に内輪に見積もつて、生政連の実力票九十数万と見て、そのうちの二十万票を、鹿島俊雄氏に差上げれば、後は歯科医師会の票が四十万票以上あるので鹿島氏は非常に楽に当選できると思ふ。また選挙資金の面でも、鹿島氏のそれは歯科医師会が全部負担するするので、生長の家の荷は軽いのであります。玉置氏は、後進の村上氏に生長の家の票の大部分を譲つて、残りの票を加へて、百万票以上をとるべく大いに張り切つてその準備に入つてゐる由。生長の家以外から五十万票を集めようといふ張り切り方ださうである。かういふ風に三人が協調して参院選に出馬すれば、三年後の生長の家の教勢はもつと発展してゐるだらうから、三人とも当選するだらうと思ふ。
○三年後の選挙には、三人のうち、一人か二人にしぼつて応援して、立候補させて、必ず当選さすといふ方法をとれといふ説もあります。これでは非常に楽な選挙となります。その代り、ほつといても当選するよと甘い考へに陥りやすく、あまり必死の活動をしなくなるので、今年の参院選ほどには票が出ないかも知れない。今年、田中、村上両氏で得た百十万票が恐らくその半数に減るかも知れない。さうしたら立候補を1人にしぼつても落選するかも知れない。やつぱり、二人か三人を立候補させ、せめて胎児の虐殺をやめさせる法律が通るまでは、吾々の国会代表を減らすことはできない。これは私の生涯の願ひである。
しかし、政治方面の知能や機略は私の専門外にあるので、此処には希望をのべるだけで私が長崎に退いた後は、政治のことは今後、副総裁に全托してやつて頂くことにする。私は九州別格本山を、別格を消して大本山に完成することに人生の最後の任期を賭けたいと思ふ。(後略)
193
:
復興G
:2011/07/23(土) 11:31:53
以上の「明窓浄机」を拝読して、私の感想です。
(1)木間敬・寄能美枝 ご両人のお手紙に、まず胸打たれます。ご両人とも、それぞれ谷口雅春先生を深く信じ敬愛しつつ、命がけの気持ちで心情・実情を吐露し、そして鋭い直言献言などもされている。このことにまず驚きます。
(2)それに対して先生は、それを全心全霊で受け止められ、「私の面子は丸つぶれであるけれども」と、すでに発表された「田中忠雄・村上正邦 両氏の次期衆院選出馬は中止する」とおっしゃっているのです。
ああ! 私は、言葉もありません。
現総裁と信徒との間柄もかくあらば・・・・と、思います。
(3)谷口雅春先生は、結局「今は政治・選挙活動を中止して聖胎を長養するとき」と、生政連活動の凍結を認め、「聖胎」すなわち聖なる純粋な信仰の本を確立し、長く養い育てて行くようにと諭されました。しかし、上記「明窓浄机」で、「私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい」とはっきり書かれていますから、先生のご意志・ご熱願は明らかです。でも、信仰の基礎をないがしろにしたまま政治活動にばかり走ったのでは、かえって混乱を招き、国家を救うことにならないのではないか。今こそ、盤石の揺るぎない信仰の基礎を確立して前進する時でしょう。
(4)昭和50年前後ごろ、『理想世界』百万運動を繰り広げたリーダーの森田征史氏・安東巌氏らは、当時生政連の中央部に直接関係していた方ではありませんでしたが、谷口雅春先生の悲願を深く受け止め、真心を持ってそれにお応えしたいと、命がけの活動を展開した。「衆議院を狙ふなら、公明、共産のやうに、まづ地方議員を大量に育成し強化し、生政連の地盤を固めてからやるほかありません。そのためには急いでも最低五年の準備歳月が必要であります」という生政連参謀室の献言が明窓浄机<188>に載せられていましたが、そのように、地方議員から育ててやがて衆議院まで、ということを、全力を挙げてやろうとして来られたのではないかと拝察いたします。
(5)谷口雅宣総裁は、その政治運動の影・闇の部分に引っかかりすぎて、むしろそうした活動をきびしく弾圧・排除してこられた。それで、その反動として「雅宣総裁追放」こそが谷口雅春先生のご悲願を実現する道である、と立ち上がっておられるのが、現在の「本流宣言」や「学ぶ会」の皆さんであろうかと思います。
(6)しかし、雅宣総裁を追放したら、雅春先生のご悲願が達成できるのでしょうか?
そこを、本当に真剣に考え直す時ではないかと、私は考えております。
194
:
ぼるぼ
:2011/07/23(土) 11:49:47
復興G様
当時の明窓浄机を興味深く拝見しました。
雅春先生の心中を慮るに、玉置、田中、村上、そのた生政連参謀諸君は未だ護国の神剣を託すに至らない連中である。
選挙の票読みや資金の手当ばかりで狼狽えている。地方の幹部も、自分の人間関係が壊れる事の方が、国家の危機を救うことより大事であるといってくるし、生政連はまだ未熟な胎児の段階である。
自分は総本山に移って、住吉本宮を顯祭することにする。いづれ、しっかり長い時間をかけて、本格的な生政連を復活させるとしよう。
とりあえず、今は、一旦凍結しよう。
というように解釈しました。
195
:
トキ
:2011/07/23(土) 11:57:48
復興G様
貴重な資料のご提示、深く感謝申し上げます。
生長の家政治連合については、当時の活動者に話を聞いても、あまり話したがらない事が
多かったです。それは、単に活動停止になったから、という理由だけではなく、やはり自分
がしたくなかった事をせざるを得なかった、という気持ちを持っておられたように感じました。
一般論ですが、生長の家は実相直視ですから、影の部分というか、失敗にはこだわらない
姿勢が強いです。それが拡大解釈され、過去の話をタブーにする傾向があると思います。
それが、生長の家政治連合についての論争が今でも継続している背景の一つだと思います。
今回、ご呈示の資料は、谷口雅春先生のご心境を示すたいへん優れた資料だと拝察します。
今後とも、復興G様のご投稿を期待する次第であります。
合掌 ありがとうございます
196
:
トキ
:2011/07/23(土) 20:09:22
復興G様のご投稿で少し思い出した事を書きます。
ずーと昔、何の会議だったか忘れたのですが、谷口清超先生もご臨席の会議があったのです。
その時に、夏期青少年練成会の参加者数が激減した、という報告が上がったのです。
それをご覧になられた谷口清超先生が、
「なぜ、参加者が減ったのか、理由を知りたい」
と出席した幹部に問いかけられたのです。ところが、誰も返事をしないのです。
「少々、言いにくい事でもいいから、教えて欲しい。」
と繰り返し谷口清超先生が尋ねられたのですが、とうとう誰も満足のいく返答をしなかった
のです。
最近では、谷口雅宣先生がご講習会が終了後、教区の幹部を集めて「幹部懇談会」
とか「特別幹部会」とかを開かれますが、あれも出席すると幹部は本当の事をあまり
言いません。私よりもエラい人が総裁に縷々説明するのを後ろで聞きながら、内心
「ウソだろ」
と思った事は何回かあります。まあ、講習会の前日には、教化部長から
「明日の幹部懇親会では、つまらない話をするなよ」
と釘をさされますから、気の毒になった、つい控えめの発言になってしまいますね。
そう言えば、倒産したヤオハンの和田一夫さんが、「最後の方には、都合の悪い
情報が入って来なくなった」と言われていました。なんとなくわかります。
おそらく、今でも、生長の家のエラい人のところには、都合の悪い情報はあまり
行かないような気がします。
そうすると、やはり、都合の悪い情報とか意見もきちんとあげるのは、大切な
事だと感じました。その点、復興G様があげられた方々はご立派だと思います。
合掌 ありがとうございます
197
:
山ちゃん1952
:2011/07/24(日) 00:12:15
トキ様へ
今回 中公新書クラレ 『歴代陸軍大将全覧(昭和編/太平洋戦争期)』の本を紹介
して頂きありがとうございます。
早速、今日購入して読みました。
私のブログで書きました『社会運動の状況』では『甘露の法雨』で魚雷に当たらなかったり
そういう場面にはならなかった。という話を本部講師がして、特高に睨まれていましたが、
雅春先生は「生長の家本部の理事であった西岡茂泰少尉や、本部講師の小路金蔵少佐や大森知義中佐など坐乗
している間は其の軍艦は不思議に、爆弾も魚雷も命中せずにいて、他艦に転乗または、
陸上勤務になった直後に、爆沈されていて・・・」生長の家三十年史より
『甘露の法雨』の功徳についてはいろいろと勉強になりました。
トキ様の文章を私のブログに無断で抜粋させていただきました。
すいません。
また教えて下さい。お願いします。
198
:
ぼるぼ
:2011/07/24(日) 10:25:27
合掌、ありがとうございます。
最近の、ネット上の記事に啓発され、何十年も埃に埋もれていた雅春先生の本を取り出して再読しているところです。
永らく錯覚していた事柄にいまさら気がついて、大いに反省させらています。
例えば、日本占領について。
ぼくは、戦後生まれなので、当然、戦後の占領下で教育され、しっかり自虐史観を教え込まれて育った訳です。
それで、サンフランシスコ講和条約までは完全に、その後も軍事的には完全に、日本は連合国(=アメリカ)の占領下に置かれていて、もうアメリカのやりたい放題になっているのも、戦争に負けたんだからしょうがないや、と思っていました。
ところが、今、「秘められたる神示」の140ページを読んだ時点で、この錯覚に気がついたのであります。
雅春先生は、こう指摘されていたんです。僕は、以前、この部分を気にも止めずに読み飛ばしていました。
「日本国全土が連合国に占領されたと思い違いしている人もありますが、それも大変な勘違いで、ポツダム宣言の第7条には、第6条までを受けて、
右の如き新秩序が建設せられ、且つ日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は我らのここに指示する基本的目的の達成を確保する為占領せらるべし
とあるのであって、
占領せられたのは諸地点(英語ではpoints)であって、日本国全土ではないのであります。
すなわち、一度も日本国全土は占領せられず、軍隊だけが降伏して、日本国は未だかつて滅びたことはないのであります。
戦後教育では、日本は戦争に負けて、原爆で広島、長崎がやられ、東京や大阪も焼夷弾で焼き滅ぼされてしまって、もう完全に灰燼に帰し、死んでしまったのだと襲えられて来たのである。
でも、そんな死んでしまった国家が、いく朝鮮特需があったからといえ、急激に復興してあっというまにGNP世界第二位の経済力を持つようになったのはなぜなのかを真剣に考えても見なかったのである。
これを奇跡の経済復興だ、などといって無邪気に喜んでいると、今日のような愚民が大量に発生して、民主党政権を作ってしまうことになったのである。
奇跡はないのである。日本は滅びていなかった。先の敗戦で、ちょっと怪我をした程度の傷を負っただけであった。
天皇陛下が無事であることが証明しているのに、日本弱体化の宣伝、教育に乗せられて、多くの日本人が敗戦の時点で記憶を断ち切られて来た。
自民党も民主党も、いまや戦後の亡国思想、売国政治家に牛耳られている。
いまこそ、護国の神剣、生政連の理念が顕現し、日本国の政治を神の指導にのみ服すように、再生する時である。
199
:
志恩
:2011/07/24(日) 16:53:46
ぼるぼ様
谷口雅春先生のご著書「秘められたる神示」の140頁にすごいことが記されてあったのですね。
『占領されたのは諸地点であって、日本全土では、なかった、いちども日本全土は占領せられず、軍隊だけが降伏して、
日本全土は未だかって滅びたことはないのであります。』とは、世紀の大発見に近いご指摘を、ぼるぼ様は、あらためて発見されたと思います。私などより、トキ様や復興G様に、コメントしていただきたい内容です。
お二人とも,今日はおでかけなのでしょう。
復興G様も昭和49年代の生長の家誌を、よく持っておられましたねぇ。”明窓浄机”の生政連に関する,詳しい文章を載せて下さって、ほんとに勉強になりました。私も読んでるはずなんですけれどね。忘れてることが多くて、はずかしいです。
トキ様も、またまた玉置和雄先生情報を書いて下さいまして、ありがとうございます。
お三人とも、幹部でおらるのでしょう。視点が違います。高度です。
私は、平の職員でしたから、幹部でないので、むずかしいことは書けません。例えば、西岡理事と書いてあれば、「いらした、いらした、いらしたぞ。そうだよ、あのお方、確かに軍人さんのお顔されてたな」とか、
東山半之介先生、菊地藤吉先生と出れば、「そういえば、かわいがってもらったよな」とか、ご神像を彫刻された服部先生の奥様も
本部に本部講師としておられましたから、ご神像と聞けば、「なつかしいぞ、服部先生の奥様!おやさしい方だった」とか、人間関係のことをあれこれ思い出し、
私は、どうにもならない体たらくな感想しか述べられませんので、はずかしいので、しばらくの間、見学者のほうへ回っていたいと存じています。
でも、皆様のことは、みまもらせていただいておりますからね。
ブログ管理人様には、いつもおなかをよじらされて、義春様の体験談には いつも感涙させられて、初心者様の新たな一面を拝見しては、感動したり、いつもながらのかわいい個性的なうのはな様にほほえませていただいたり,その他のかたがたも愉快な文才が、
おありになって、トキ様の集会所は、ほんとにすてきなところです。
200
:
トキ
:2011/07/24(日) 19:27:21
>>199
志恩様の投稿はいつも素晴らしい内容で、感心しております。志恩様の場合、直接見聞した
内容ですから、貴重な証言です。どうか、気にしないで、どんどん投稿をお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
201
:
トキ
:2011/07/26(火) 19:35:58
>>199
志恩様
追伸です。故 榎本恵吾先生はご生前、何冊かの本を自費出版で出されています。
最後に出版された本は「弟子像」という本です。この本は、藤原敏之先生、徳久克巳先生、吉田
國太郎先生など、榎本先生が師事した谷口雅春先生の直弟子の先生方の思い出を書かれた本です。
谷口雅春先生については、今まで何冊も本が出ています。しかし、こういう弟子の先生方につい
て、詳細に書かれたのは、この本が最初だと思います。量も内容も、自費出版とは思えないほど
すごいものです。よく、ご多忙の中、この本を遺されたと感嘆します。
実は私もこの本は持っていません。榎本先生が、特に自分の真意をわかってくれる人に限定して
この本を配布されたからです。そして、この本を読むと、榎本先生が何を後世に言い残したかった
のかがわかります。弟子の姿を通して、求道とは何かを切々と訴えたかったと思います。
ちなみに、この本を榎本先生から「あなたなら、私の真意をわかってもらえるだろう」と
言われたもらった人を知っていますが、その方は「今の教え」は間違いだと思っている人で、
「学ぶ会」とは関わりを持ちたくない、と言っている人です。
もし、今、総裁と学ぶ会の会長に推薦する本があるとしたら、この「弟子像」でしょう。
ご一読をお勧めします・・・・と申しても、容易に入手できるものでないのが残念ですが。
志恩様のご文章を拝見すると、違う観点からの「弟子像」が見えてきます。
その意味で、志恩様の証言もたいへん貴重だと思います。
今後とも、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
202
:
「訊け」管理人
:2011/07/27(水) 06:41:50
>トキさん
その榎本先生ご著書ですが・・・以前どなたか(お名前失念)が述べておられ
ましたね。榎本先生がお弟子さんだけにお渡しになられたそうで、わたしも
「読みたくて仕方ねえ」状態であります(笑)
ああどこぞかで入手できぬものでしょうかね?無論コピーでも構わないの
ですけどね・・・「榎本恵吾記念館」にも掲載がありませんので、相当レア
なのかもしれませんね。
203
:
トキ
:2011/07/27(水) 11:00:02
「訊け」管理人様
うーん、あれは超レアですな。でも、ひょっとしたら、日本教文社から出版されたりして。
(教文社のエラい人がこれをご覧の場合はご検討下さい!)
でも、ここで書き込んで祈っていたら、誰かが貸してくれるかもしれませんよ。
合掌 ありがとうございます
204
:
「訊け」管理人
:2011/07/27(水) 12:32:51
榎本先生レア本所有者 誠魂位ィ〜
205
:
志恩
:2011/07/27(水) 21:17:32
トキ様
返信が遅くなり、すみません。昨日は、遠くの親戚のものが遊びに来ていて、夜遅くまでにぎやかにしており、疲れて珍しくPCを開かずに寝てしまいました。それで、今夜になり、開いてみて、びっくりしているところです。
あぁ、「弟子像」ですね。私も残念ながら持っておりません。あれは、幻の名著だそうですね。私も、読みたい,読みたいと思っている著書です。一子先生は、恵吾先生の奥様ですから、数冊は持っておいでではないでしょうか。
宇治別格本山気付けで、一子先生にお借りしたいと理由を述べて、お手紙でおねがいされたら、きっと貸して下さると存じます。そのような聡明で理解力のあるお方です。
今後の光明化運動の原動力なる重要な著書の1つですからね、お借りしたら、コピーしてから、返却されたらいかがでしょうか。
ほんとうは、日本教文社で出版されるといいのですが、雅宣先生がOKされるかどうか、わかりませんよね。そのときは、光明思想社で出版してくださると、どれだけ多くの幹部・信徒の皆様が喜ぶか知れません。たくさん売れると思います。
恵吾先生は、いつも『救いの原点」をお話くださいますものね。
ある方が、「神がわからない」と言われると,先生ー「神はわかる必要はない。わかってから生まれて来たんじゃないから」、、で、ある方が「神が信じられない」と重ねて言うと
先生ー「神を信じる必要はない。神の方でこちらを信じていてくれるだけで十分だ」
先生は,謎めいた話し方や文の書き方をされるけど、よくわからないけど、わからないようで、どこか、わかるのですよね。すとーんと安心感が腹の底に落ちる。底しれないふしぎな魅力のあるお方です。
「弟子像」、出版、私も期待!!
206
:
トキ
:2011/07/27(水) 22:07:38
>>205
志恩様
ご投稿、ありがとうございました。
そうですね、あの本は自費出版ではもったいないです。著作権は現在、一子先生がお持ちのはずですが、
現役の本部講師ですから、残念ながら光明思想社からは出せないと思います。
ただ、弟子像の内容には、直接の教団批判とか総裁批判の部分はないので、現在の体制でも教文社から
出版する事は可能だと思います。これを読まれた本部や教文社の関係者が、出版に向けて動き出す事を
願っています。また、信徒の方々が、教文社へ「出版して欲しい」と電話なりメールをしたら、それで
動き出すと思います。
では、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
207
:
志恩
:2011/07/27(水) 22:53:04
本部に幹部候補生として奉職されていらした頃の榎本恵吾先生は、無口で謙虚な感じのお方で、あのころは講話もされてませんでしたし、文章も公に発表されておられませんでしたから、どのようなお方かということは
今のようには、私は、わかっておりませんでした。
榎本先生が、当時東京在住でいらした藤原敏之先生のご自宅に、一子先生とご結婚を誓った後に、初めてご挨拶にうかがったとき、藤原先生は、榎本恵吾先生と数時間ご歓談されて、「この榎本君という男性は、ほんものだ」と確信されたそうです。
ほんもののお方は、ほんものが わかるのでしょうね。
208
:
志恩
:2011/07/28(木) 03:04:57
「弟子像」は、「光あるうちに」と同様に、すりきれるほど読んだという何人かの地方講師の方の文章を読んだことがあります。「弟子像」には、教団批判とか総裁批判の
部分はないそうですから、トキ様のお話ですと、日本教文社でも、信徒の熱い要望があれば、出版可能だそうで、ちょっと期待できそうで、心に灯りがともりました。
トキ様の集会所では、あたらしい試みを義春様が企画され、皆様参加されて、見る度 たのしくて勉強させていただいてます。
209
:
「訊け」管理人
:2011/07/28(木) 07:33:53
>トキさま
>志恩さま
こうなったら、やりますか?日本教文社に向けての
FAX(圧力)作戦
本流みたく、文例を募集しますか?(笑)「あたしならこう書く!」
みたいな(笑)
追伸
でもマジメな話、本当に読んでみたいですね。志恩さまアドバイスに従い、
一子先生にお手紙を作成しようかしら?「こげなブログ、やっちょります!」
と添えれば愚生の真剣度、ひょっとしたら伝わるのかもしれませんし、ですね。
まあしかし、入手したら我がブログ・・・連日、榎本恵吾特集になりそうで
すね(笑)
210
:
「訊け」管理人
:2011/07/28(木) 07:41:52
>志恩さま
>ある方が、「神がわからない」と言われると,
>先生ー「神はわかる必要はない。わかってから生まれて来たんじゃない
>から」、、で、ある方が「神が信じられない」と重ねて言うと
>先生ー「神を信じる必要はない。神の方でこちらを信じていてくれるだけ
>で十分だ」
ああ私も貴殿ご引用箇所が、大好きです。
いや本当に榎本先生ですけど、只者ではないですよね。
お会いしたかったなあ・・・榎本恵吾先生。
211
:
復興G
:2011/07/28(木) 07:57:10
>202 :「訊け」管理人様
>207 :志恩様
志恩様は、私の尊敬する榎本先生のことなども、本当によくご存じなのですね。うれしい情報を、本当にありがとうございます。
ところで、私は『弟子像』を持っています。これは、榎本先生から「自分の真意をわかってくれる人」と見込まれて直接頂いたのではなく、「榎本恵吾記念館」サイトの管理人に「弟子像、読みたいんですが・・・・」とメールしたら、送ってくれたんです。「記念館」サイトの管理人は、『弟子像』を、一子先生から何冊か預かっているみたいですよ。
『弟子像』を読みたい方は、同サイトの管理人にメールされてもよろしいかと思います。
なお、恵吾先生は、私の知っている限りでは「幹部養成学校」の出身ではなく、「飛田給道場の練修生」出身だと思います。幹部養成学校というのは昭和50年代に森田−安東体制の中から作られたものであり、「頭でっかち」との批判がありましたが、練修生というのは昭和30年代から、徳久克己先生の傘下で飛田給道場から大学に通わせる制度でした。榎本先生は、道場で鶏の世話などをしながら大学に通った、というお話をされていたことがあります。道場で行を積んでこられたのだと思います。
212
:
「訊け」管理人
:2011/07/28(木) 08:12:22
マ ジ で す か ! !
213
:
志恩
:2011/07/28(木) 08:31:46
榎本恵吾先生についての続きですが、
彼が、本部に入る前は、飛田給道場で研修生(第3期)をされてたそうです。研修生として、昼間は、畑仕事その他の農事などをしながら、夕方から夜間大学へ行っていた。
で,飛田給で、ある日、研修生だけをぐるっと輪に座らせて、谷口雅春先生が直々に勉強会を開いて下さったことがあったそうですが、そして、雅春先生が話をされたことについての「感想文」を
9人くらいいた研修生にその場で書かせて、その場で,雅春先生は、一人一人の感想文に目を通されたそうですが、
そのとき、榎本恵吾先生の感想文を読まれて、雅春先生は、すごく驚き,感動されて、すごいやつがいる。「君に乾杯だ」ということで『お茶」の入った「湯のみ茶碗」を榎本先生に向けて、、
それで、ぐっと雅春先生は、お茶を飲み干されたそうです。態度でも表現されたそうなんです。
雅春先生も、榎本先生が、ほんものだ。とそのときから気がつかれていたわけですね。そのときの榎本先生の文章の内容ですが、今、われわれが読んでいる、これらの文をすでに書いておられた魂であったそうなんです。
『もうその時点で、大悟されていた』と、後になってある方から間接的に伺っております。
それで私は、思うんですよ。
それにひきかえといっては、おこがましいのですが、雅宣先生が、コロンビア大学在学中に、谷口雅春先生宛にだされた手紙のことです。雅春先生が、読まれて激怒された。その手紙の内容は、『愛国心とか皇国日本というような
雅春先生が、説いていらした生長の家の基本理念の思想は、間違いだ。』という内容の手紙だったそうじゃないですか。我が国を愛せず、兄弟も愛せず、母親を「あんた」よばわりする とんでもない男が、人類を愛せるのかな、
親兄弟は、人類に入れておられないのだろうか、と私は、不思議に思うのです。
雅春先生は、それ以後、雅宣先生の名を決して口にすることは、なかった。
雅春先生は、雅宣先生は、孫ではあるけれど、左翼思想に毒された、真っ赤な『にせもの』 になってしまった、とお嘆きになられたことに他ならないと思われませんか。その雅宣先生が、生長の家丸の船長の舵(かじ)をにぎり続けている。おもかじいっぱい。
左へ左へ。左へしか進みません。中道にも右へも廻す脳は、毒されて消えて無いのですから。皆様、腐った虫歯を祈ったら、虫歯は消えますか。ほんとうに、このような左翼思想に固まった脳の船長に任せてて、それでいいのでしょうか。行き先は???
214
:
志恩
:2011/07/28(木) 08:36:57
復興Gさま
すご〜い、「弟子像」を持っていらしたんですか。長文でしょうけれど、是非、トキ様のここへ少しずつでも ご紹介いただきたいですね。
ブログ管理人さまも、よかったですね。あかるいニュースです。
215
:
義春
:2011/07/28(木) 08:50:06
>>212
ブログ管理人さあ
ブログ管理人さあ、狂喜乱舞ktkr
良かったですね(*^o^*)
216
:
トキ
:2011/07/28(木) 10:27:14
昨日の晩に「弟子像」を借りてみましたが、細かい活字で500ページを越す分厚い本です。
おまけに、一面に書き込みとか傍線とか付箋がついていて、所有者も毎日読んでいるので、
紹介するのを断念しました。それだけに、復興Gさんの情報は嬉しいです。
今にして思えば、もっと榎本先生のところへ通っていたら良かった、と少し後悔をして
います。と、言うのは、当時、生長の家宇治別格本山には、藤原先生もおられたので、
同じ場所に藤原先生と榎本先生がおられたら、どうしても藤原先生の方へ行ってしまう
のですね。それに、あんなに早く亡くなられるとは思わなかったので、いずれ時間のある
時に・・・・と思っていたのが仇になりました。
が、若い人がよく榎本先生のところへ通っていたのは知っています。私の友人の地方講師
には、日曜日ごとに、教区の行事を全部すっぽかして宇治へ通っていた人間もいるぐらい
です。
亡くなられてから、真価が知られる人ですね。
合掌 ありがとうございます
217
:
風笠
:2011/07/28(木) 11:19:55
研修生の責任者をされていたので、宇治に長く住んでいる人は影響を受けていたはずです。本を持っている人も多いはずです。
確か『弟子像』の編集者は、「あれは百年、二百年後の人に伝えられて読まれるものだ。」と言っていたと思います。
榎本恵吾先生は、祈願部におられる時も気配がするのでその時に神癒祈願をされているのが分る方でした。
(気配がするので時計を見ると祈願の時間帯だった事とかがあります)
私的な事を少し言えば、恵吾先生がご存命の時、「あのニコニコマークを私も講話時に使ってもいいですか?」と
聞き、『いいよ』と承諾をもらった覚えがあります。と言いつつ実際使った事は無かったです。
218
:
風笠
:2011/07/28(木) 11:25:36
教文社さんも
(榎本 本)何冊か出ているのでまとめて上、中、下巻として出版したらいいのではないでしょうかね。
・・と勝手な事を言っています。
神奈川の地方講師さんも表現を変えて引用説明をされているので現本部から出そうと思えば、
出せる本だと思います。
私も内容的に話が活発になれば、「弟子像」私的解釈でもして参加させて頂くかもしれません。
(機会的に無理でしょうが。)
なんとなく久々に気分で書き込みをしてみました。
では、失礼いたします。
219
:
「訊け」管理人
:2011/07/28(木) 11:32:21
>復興Gさま
さ、さ、さ、早速、れ、れ、れ、連絡しますた(笑)
情報のご提供をまことにありがとうございました!あー、早く届いて、名
著『弟子像』
追伸
同書はウン十年後かに、「¥10万円」で取引されてしまうかもしれませ
ん。本の裏に我が子孫に向けて「本書の売買を禁ず」と書いておこうと思い
ます(笑)
>志恩さま
いやーなにか、「ありがとうございます」という言葉以外、見つかりませ
ん。私の大好きな榎本先生なのですが、ああ、こんなエピソードがおありで
したか。ああ、やはり只者ではなかったわけですね。
まあしかし、あの雅春先生から「君に乾杯だ」なんていうお言葉を賜りま
したら・・・これ以上の喜びが、他にあるでしょうかね。ああ、良い話をあ
りがとうございます。
ああ榎本先生・・・会いたいなあ。
>義春さあ
おおまさに、今のオレは狂喜乱舞している(笑)
・・・ちなみに以下は、過去本流掲示板に書き込んだ内容、だ。
まあ、現世利益が本質ではないとは申せ、榎本恵吾記念館に行きだしてか
らの我が事業は、奇蹟の領域に入っているのだよ(笑)
220
:
「訊け」管理人
:2011/07/28(木) 11:36:18
本流宣言掲示板より
――――――――――――――――――
日時:2011年05月31日 (火) 10時28分
名前:ブログ「雅春先生に学ぶ」管理人
――――――――――――――――――
>伝統さま
御礼申し上げたいことがあります。榎本恵吾先生を知り、そして貴殿より
ご紹介に預かったWEBサイトを熟読しておりましたら、トンデモない(=人間
智慧では計れない)奇蹟がありました。
<塩漬けの地、テナント候補現る>
ここ十年来、愚生を悩ませてきた問題があったのですが、これが解決致し
ました。
先祖より相続し、そして「誰も入居しない」と云う〝呪いの不動産〟があ
るのです。本日はその話なのですが、「土地がある」というと人はたいてい
「うらやましい」と申されます。ところがこれ、とんでもない話なのです。
有効活用できていない土地など持っていれば、即、銀行側がマイナス査定を
行ってくる訳であり(註:本来詳説が必要ですが省きます)そしてこの〝呪
われた土地〟があるために、銀行側は当社を、債務超過と看做している次第
なのでありました。(「黒字なのに」ですよ。全く非道な基準です・・・い
や、まったく観世音菩薩+自壊作用な基準です)
「じゃあその土地、売れば?」なんですが、これまたトンデモない話なんで
す。今時買ってくれる人など居ませんし、売れても二束三文にしかならぬの
です。そして二束三文で売ったとしてもマイナス査定は覆らないのです。・
・・ですのでそうしますと、「じゃあ造成して駐車場にすれば?」なんです
けど、これ以上借入金など増やせぬのです。設備投資しても黒字化は、七年
先以降になるでしょう。(その間はキャッシュでマイナスです)
・・・ところで愚生、『無門関解釈』に「進退両難」という公案がありま
すが、――進むも地獄、退くも地獄、さあどうする?――あれを読むたびに
いつも「オレのことだ・・・」と涙が流れていたのでありました。その涙の
わけですがそれは、この土地に絡む問題なのでありました。ああ呪われた土
地よ――放置しとけば「マイナス査定」、駐車場にしようにも資金なし、売
ろうにも買い手なし――皆さんならば、どうします?少なくとも私(の人間
智)では、全く解決策がないのでありました。
ところがなぜか先ほど・・・ウソみたいな話なんですが、この土地に建つ
建物(昭和二十年建築)に興味を持つ人が現れました。
その方曰く「あの古民家風の建物にゾッコン」とのことで、そして「実は
ここ十年、『あそこでフランス料理店を開きたい』と思っておりました」な
んてことを申されるのであります。そんな方が突如、なぜか現れたのであり
ます(!)ここ二十年間、こんな話など全くなかったというのに・・・実に
不思議です。しかも提示された家賃ですが、相場以上のものでして(!)
「詐欺じゃねえの?」なんていう言葉まで脳裏に浮かんでいる現在です。
そして、早速銀行にも電話しました。開口一番で「テナントが決まればマ
イナス査定は撤回か?」と確認したところ・・・なんと「マイナス査定は撤
回します」との返答が(!)
おおお、凄いぞ、生長の家!
追伸
マジメな求道者の方ならば「現世利益は宗教の本質ではない」と申される
と思います。ですので愚生の話も、お耳汚しにしかならぬでしょう。しかし
・・・いやそれでも、現世利益なき宗教など、商人に用はないのです。(あ
あ、これは誤解を生む表現かも)
この、元無神論者が信じる程になるほど、この生長の家の御教えは、素晴
らしいものだと思います。本日は、特にそのことを強調致したく駄文投稿し
た次第。ぜひお許しを。
余談
雅春先生が申されておりますが、「神想観を超える大行はない」とのこと。
いやこれ、この言葉――「神想観を超える大行はない」でありますが、こ
れは、割引無しに読むべき言葉なのではないでしょうか。サ象が如何にあれ、
この神想観をマジメに行ずるとこの愚生であれ――度し難き凡夫で親不孝五
段+雅宣総裁以上の唯物論者でも――この様な奇蹟が出現するのであります。
かつ、『善と福との実現』(『幸福生活論』だったかも)には、「12名
で真剣に祈れば、国家の問題すらも解決する」という、ニューソート系識者
の言葉が紹介されております。雅春先生もいたく感動されておられた言葉な
のですが、この「12名で真剣に」は、行う価値がありはせぬかと愚考する
次第です。
221
:
「訊け」管理人
:2011/07/28(木) 11:38:05
>風笠 さま
そうそうそう!貴殿でございました、第一情報提供者の方は(笑)
お名前を失念しておりましたが、ありがとうございました。
>私も内容的に話が活発になれば、「弟子像」私的解釈でもして参加させて頂くかもしれません。
(機会的に無理でしょうが。)
ぜひぜひぜひ、お願いする次第です。
222
:
トキ
:2011/07/28(木) 13:31:21
風笠様
ご投稿を心から感謝申し上げます。管理人のトキです。今後とも、投稿を期待しております。
「弟子像」は、トキ流で言うならば「初期 生長の家」というか、戦前、戦中、戦後の激動
の時代を谷口雅春先生と弟子がどう生きたか、を描いた貴重な資料であり、また、魂の記録です。
Amazonに出したら、100万円でも欲しい人は買うでしょうね。
思い出す事もあるのですが、それを書くと、身元がバレるので、また別の機会に。
では、宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
223
:
志恩
:2011/07/28(木) 17:08:27
風笠様
とてもすてきなご投稿、大変嬉しく拝見しました。ありがとうございます。
榎本先生のお近くにおられたお方のようで、恵吾先生のご本のことにもお詳しいようで、こころ強い限りです。
「弟子像」が、出版実現のおりには、きっとお力添えくださるお方なのでしょうね。
ほんとうに実現するといいと思っております。未来永劫、多くの信徒の方々の光になる名著のようですから。合掌。
224
:
風笠
:2011/07/29(金) 12:11:04
>「訊け」管理人様
私的解釈はあくまでも私的ですので、共感を得られるかどうかは分りません。
榎本恵吾先生の解釈を再度解釈を仕直したものですので、ある程度 唯神実相を
ベースにしている状態でないと、ただ単に『教義を知らない人』扱いされる気が
します。なんとか本流とかを見たことがありますが、神奈川の某氏が「生長の家も無い」
とブログで書いていたそうですが、(これは例の本からの引用ですが)『「生長の家も無い」
とはなんたること!!』と意見をされていた人もいますので、ある程度、榎本先生テイストが
分る人でないと難しいかもしれません。
(その上、榎本先生の解釈に付け加えるとなると・・・)小心者といたしましては、ブルブルです。
>トキ様
返信ありがとうございます。ただ『弟子像』は歴史上の「初期 生長の家」というより、
「原始 生長の家」といったものだと思います。その上『私の中の・・』とありますように
雅春先生のお弟子さんの記録ではありますが、そこにあるのは榎本先生御一人です。
講話でよくされていた『はじめのはじめ』の原点が各弟子によって表現されていますね。
225
:
風笠
:2011/07/29(金) 12:11:45
>志恩様
ご期待して頂いてありがたいのですが、ただの一市民です。『出版実現のおりには、・・』
残念ながら”一市民”にそんな力はありません。申し訳ないです。
榎本先生とその本に関わっていた人達ですが、基本あまり外に出ることを望んでいなかった
ように思います。ですので気軽な私の立場で発言しておりますで(後年先々読まれるように
なるならば、ある程度以上の志がある人ならば読めばいいのではないかと。但し理解し難い
人は止めておいて欲しい。という立場)それこそ気軽に見て下さい。
あと『弟子像』についてですが、非売品ですので所有者皆さん無償で頂いているはずです。
(榎本先生から頂いた身で発言するのもなんですが)記念館その他に問い合わせが多いと
その費用は、結構掛かると思います。掲示板で入手方法を公開するのはどうかと個人的には
思います。
226
:
「訊け」管理人
:2011/07/29(金) 12:46:41
>風笠さま
>『「生長の家も無い」
>とはなんたること!!』
はははは(笑)ホニャララ掲示板では、自然に起こりそうな事件ですね(笑)
まあ、そんなツッコミが来ますと自動的に、私が「笑いの練習」を開始致します。
たぶん、笑いの練習用の原稿になりたくない人は、ここには来ないでしょうから
安心してください(笑)
でも確かにあの世界観(=方便)は、ある程度、榎本先生テイストが分る
人でないと難しいかもしれませんね。でも個人的にはあの「物言い」に、ガン
ガン魅了されてしまうのですけど(笑)
あなたを生んだのは
神ですから、
神に責任を
とってもらおうじゃあないですか。
わたし、こういうの好きですけどね(笑)
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