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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
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:
志恩
:2011/07/16(土) 08:26:40
(私も学ぶ会には,行きません。義春センセイ同様,私も次回もユーチューブでの放映を失礼ながら期待しています。今、復興G様ご推薦の村上和雄先生著書「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」を読んでいるところです。
本流宣言掲示板が、見誤って追い出した皆様、トキ様の集会所へ集結されてますが、実はとんでもなく優秀な方々ばかりですのに。あちらの宣言管理人様の眼は、まったくもって節穴です。)
「生長の家政治連合」を立ち上げるにあたり雅春先生のご指示により素案を作成したお方は、雅春先生のご指名により、最初は、一人でされてたので存じています。
そのお方の作った素案が、雅春先生のご許可を得て完成し、政治局を立ち上げ政治局局長となり、政治について最後の最後まで携わって全国指揮をされていたお方は、元企画局の大狭 麗三(おおはざま れいぞう)先生というお方です。
(ずっと後に、大狭先生は、裝道(礼法きもの学院)へ講師としてヘッドハンティングされ、礼法の著書も出されました)
政治に手をつけられたのは、何年だか、わかりません。s37~40頃。大狭先生は、当時30代後半。(私は20を過ぎたころ)最初は、先生は、一人で素案作りを始められましたが、下準備下調べがまた大変でね、
厚生省、国会参議院議員会館・衆議院議員会館。その他、、、、、、行きました。優生保護法、その他の法制化をめざしていたので。
私も雑用係で、大狭先生にたのまれて先生と二人で行きました。これという書類を手分けして、一日かけて書き写すために。(コピーもない時代)
当時は、お給料も安い上に、残業手当も0。なのに、先生は,毎晩遅くまで残業されてました。
雅春先生の想いをどのように政治にこめて行くか,どのように全国の組織に発信してゆけばいいのか、試行錯誤の連続でおられ、私は、ささやかながら全国の組織に発信する書類を和文タイプに打つ,お手伝いもさせて頂いていました。
大狭先生は、とても優秀でいらして、情にも厚く、企画力・判断力・統率力の全てを兼ね備えておられた総合的バランスに長けた先生でした。
先生が、政治局を立ち上げてからは、私は、関わっておりませんし、その後のことはわかりません。
理論的なことは、トキ様がお調べのようですから、トキ様の方がお詳しいと存じます。
生長の家には、現在ももちろんおられますが、目にみえないところでお金に関わり無く、命がけで、人類光明化運動をされておられるお方が、たくさんいらっしゃるんですよね。ですからね、私は、信徒の一人として
こういう先達の方達のあのころの貴い想いを思い出し考えますと、本来あるべき姿に、、、と強く期待して,ついつい身分不相応な生意気なことを申し上げてしまって。すみません。
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