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108質疑応答

3268108★:2009/11/20(金) 01:13:19 ID:???0
>>1324

ふざけた煽りだとは思いませんよ。
ちゃんとお答えします。

> 好き勝手に生きることを決意して、浮気しまくって、他所に子供作ったり、
> 借金しまくったりしてもいいのでしょうか?

この時の「いい」「悪い」は、いったい誰が判断しているのでしょうか?

「良い」「悪い」という相対的な価値判断は、一見とても正当なものに見えますが、
実は幸せを遠ざけるために用いられる巧妙な罠です。

・AさんがBさんとセックスした

まずこの文章を読んでみます。
この時「セックス」という言葉に何か抵抗感や嫌悪感を感じたのなら、
あなたの中にセックスに対するネガティブな条件付けがあります。
まずはこれと向き合って対処した方が良いと思いますが、
今は話の本筋ではないのでスルーしますw

次に、

・AさんがCさんとセックスした

続けてこの二つの文章を読むと、義憤のようなものを感じる方が多いでしょうw

「Aさんは、Bさんというものがありながら、なんだよ!!」

というわけです。
市川海老蔵に不快感を覚えるのと同じ理由です(爆)。
ところがこう感じた理由は、

「AさんにBさんという人がいるなら、Cさんとはセックスしてはいけない」

という条件付けでこの文章を読んだからです。
一夫多妻制の国の人がこの文章を続けて読んでも、そんなものは感じません。
「それはいけない」という条件付けがないからです。

「だがここは日本だし、日本は一夫多妻制ではないんだよ!」

と思うでしょう。
でも、上の文章はただ事実を続けて述べただけであって、
それぞれがどういったタイミングで起きているかには言及していません。

Aさんは20年前にBさんとお付き合いをしていて、
その後Bさんとは死別をし、DさんEさんFさんを経て、
ようやくCさんと巡り会った。

こういった事情を考慮して読んでみると、続けて読んでもなんの違和感もありません。
一夫一婦制の日本においてもです。

…さきほど義憤を感じた人はAさんに謝ってくださいw

まあこれはちょっとした引っかけですが、
問題なのは、我々が常に勝手な条件付けで物事を見てしまいがちだということです。
市川海老蔵も実際にはそれぞれの時点で真剣な交際をしているかもしれないわけですw

最初のご質問に戻りましょう。

> 好き勝手に生きることを決意して、浮気しまくって、他所に子供作ったり、
> 借金しまくったりしてもいいのでしょうか?

あらゆる条件付けを外してみると、物事に絶対的な良い悪いはありません。
その観点では、答えは「良いか悪いかは判断できない」です。

しかし私はあなたに、

「今すぐ全ての条件付けを捨て去り、相対的な価値判断を止めなさい」

とは言いません。
突如そんな悟ったような心境になれる人は少ないからです。

ただし、条件付けと無関係に幸せを感じることは出来るはず。
あなたにとっての幸せを、なんの条件付けもなく受け容れ始めればよい。

「浮気」「他所に子供を作る」「借金をしまくる」というような
何らかの条件付けで限定されたシチュエーションではなく、
そこで感じたい「本質的な幸せ」を今すぐに感じ始めてください。
先に答えを書いておきますが、それは「自由」のはずです。

あなたが逆の立場の人だとするなら、恋人(or配偶者)が、
自分にとって誠実な態度で接してくれていることを素直に喜べばよい。
豊かさをあらゆる場面で感じられていることを素直に喜べばよい。

相手や環境がその振る舞いをし始める前にです。

あなたの質問に、それをされる方の立場で答えれば、
「そんなの良くないに決まっている」
です。
そんな「良くないと分かりきったこと」に、
どうして思考のエネルギーをわざわざ注ぐ必要があるんでしょうか。
それではあなたが望むことと正反対の現実を経験してしまう羽目になる。

「もう経験している」というのなら、今すぐそれを止めることです。
それに思考のエネルギーを敢えて注ぐことをです。
望まないことにではなく、望むことにそれを注いでください。
そうすればあなたはそれを経験することになります。

あなたの質問には、他のたくさんの方が大変意義深いレスをしてくれています。
ぜひ参考にしてください。

3269108★:2009/11/20(金) 01:13:57 ID:???0
今晩はこの辺で。
でわ〜。

ノシ

3270108★:2009/11/21(土) 01:52:19 ID:???0
こんばんは〜。

>>1334>>1340

チケットのメソッドはお薬ではないので、
一日何回服用すればOKとかいうのはありません。

たとえば、危機的状況にあると感じたとき、

「完璧だ!」

これを言うときエゴの範囲からではなく、その外側で断定するのです。

エゴの範囲内でエゴの見解を採用しながら何度これを唱えても、
この認定はエゴの現状認識と食い違っているため、
危機的状況をより強調してしまうだけで終わります。
そのフォームでこれを一日に何度も繰り返すと…恐ろしいですよね。

「完璧だ」という認定は、エゴの認定とは正反対なわけです。
だからこそ、敢えて逆の認定を力強く断定することで、
エゴには見えていない実際の完璧な現実に、
その時点から向き直す姿勢を取り始めることになる。

「気をつけ!!」

みたいなもんです。一種の号令です。
それであなたが正しい姿勢を取れば、
あなたの思考や感情がそれに合った形に整えられようとする。

その時、その物的証拠が目の前に見えていなくて構わない。

たとえ今は見えなくても、別の領域の見解を採用することで、
あなたはその方向に向き直したことになる。


その上で>>1340さん、抵抗は無視できるのならそうして構いませんが、
抑えつけようとしているのなら、それは既に無視できない抵抗なので、
しっかり感じるなり解放するなりしてください。

で、「完璧だ」というのは別の領域の観測結果ですから、
その抵抗と結びつける必要はないわけです。
それぞれを一致させようとはしないでください。

「状況として見えているものは全然違うが、
 私はその見えていない本当の観測結果を選択する」

こんな感じでやってみてください。

3271108★:2009/11/21(土) 01:53:40 ID:???0
>>1346

> この状態はたしかに心地よい。
> 心地よいけれども、思考を止めた私はどこに行き着くのだろう?
> と不安になったりもします。

とか言いながら…

> ただ今に浸ったるメソッドや108式瞑想の副産物か、
> 五感やカンが以前よりさらに鋭くなったような気はしています。
> (ついでですが年収も前年度比で倍以上に増えました。)

特に最後の行、重要。
思考を止めたことで、あなたは実質的な利益を得ている。
これ程ハッキリとした証拠がありながら、
なぜまだ不安になる必要があるんでしょうか。

質問に端的にお答えします。

> このまま幸せに浸る時間をどんどん増やしていいのか?

YESです。

思考はツールです。
ドストエフスキーがそうしたように、あなたも有意義に使ったらいい。
今あなたは、とにかく思考を放棄してみたことで、
心配や不安といった古くからの習性を手放すことが出来た。
あなたに利益がもたらされたのはその理由からです。

それが分かったのだから、もう思考のエネルギーをそこに注ぐ必要はない。
あなたが好きなことに注ぎたければ存分に注いだらいいのです。

あなたのレスは非常に重要です。
思考を放棄してただ単に幸せに浸ることが、
実際の利益として現れてくることを明確に示しているからです。

このレスは大変貴重です。
>>1351(1356)さんのレスも参考になりますね。
皆さんもどうぞご参考に。

3272108★:2009/11/21(土) 01:55:54 ID:???0
>>1349

じゃあ、金頼む!w

>>1353(1346さん)

追加レス。

> 思考は良くも悪くもないニュートラルな「道具」であるとして。
> これと、108さんの言われる避けるべき「エゴによる判断」とを
> どう区別したらよいのでしょうね?

胸の辺りが気分悪くなるようなのは、全てエゴからのものです。
つまり、あなたに不安や焦燥を感じさせるようなものです。
そういった思考を行っていることに気付いたら、即座に中断してください。


>>1354

> 「痩せなくてもいい」ってメソッドは効果を感じました。ありがとうございました。

良かったですね。おめでとう。
「痩せなくてもいい」メソッドはかなり効果があったようで、
たくさんの成功報告を頂いています。

> この場合は「かわいくならなくていい」なんでしょうか? (´・ω・)

それもアリです。
あなたがそれで気分良く、解放された感じがするのなら効果はあると思います。

もう一つは、宮崎あおいや蒼井優になっちゃう。
つまり、自分はその通りだと思って振る舞ってみるんです。
人間というのは、鏡などを利用しないと現在の自分の姿を確認できないので、
このメソッドは気持ちひとつで結構簡単にできたりします。

「自分は宮崎あおいみたいにカワイイんだ!」

と思えば気分良いですよね?
その気分のまま行動してみるのです。
自分が宮崎あおいの容姿だと思って。

実際に顔を変えるについては、板チケでか以前のLOAスレでか忘れましたが、
成功報告が結構あったような気がします。
私も「顔を変える」は、それほど難易度高くないと思ってます。
試してみてください。

>>1355さんのレスも大変参考になります。

…と書いてたら、ちょうど今テレビのCMで宮崎あおいが…

引き寄せ完了!w

あのくらいだったら、ちょっと頑張れば誰でもなれますよ(爆)。
(宮崎あおいさんご自身、およびファンの方ごめんなさい)

3273108★:2009/11/21(土) 01:56:27 ID:???0
それではまた。。。

3274108★:2009/12/05(土) 00:22:22 ID:???0
こんばんは〜。
いよいよ12月ですね。今年もあとちょっと。
それではボチボチ回答していきます。

>>1358

4ヶ月はとうに過ぎてしまいましたが、
あなたの世界はどのように展開しているでしょうか。

あなたにとって現状がどのように見えているとしても、
あなたのお父さんはずっと健康のままです。
つまり、生き通しです。
たとえお父さんの健康状態がどのように見えていたとしてもです。

> 私は父を愛してるし死なんてないしずっと一緒だしって思ってます。

実際にはこのあなたの願い通りなのです。

> 私の世界では父が元気でいてほしいし、コントロールできるのなら逆に父を生
かせなくてどうするんだと苦しくなります。

お父さんに元気でいて欲しいというあなたの願いは本物。
つまりそれが本当の有様だということです。
ところがあなたに見えている現実はそれとは違うかもしれない。

たとえそうだとしても、コントロールできなくて構わない。
また、コントロールしようとしなくて良い。
その事を受け容れているのならそれでも良い。

たとえ何を感じていても、その自分を裁かないで。
またお父さんも、お父さんの病気も裁かないで。
あなたに見えている現実も裁かないで。

そしてお父さんに愛を送ってみてください。
コントロールしようとか考えずに、ただ送り続けてみて。

あなたには、たくさんの方々から愛に溢れたレスがついています。
充分に受け取ってください。

3275108★:2009/12/05(土) 00:25:52 ID:???0
>>1362

> 軽く一杯飲んで、ポジティブにいい気持ちの時にアファとか
> 宇宙にお願いとかやっていいんでしょうか。

良いも悪いもないでしょう。
あなたがそうしたいなら、どんどんしたらいいと思います。
ただしアルコール依存症にならないように気をつけて。

…でも、あなたが聞きたいのはそういうことじゃないですよね。
「果たして、そんなんで本当に効果があるのか」ということだと思います。
実際のところは、

「効果がある場合もあるし、ない場合もある」

ということになります。
期待はずれの回答でスミマセン。

お酒を飲んで気分が良くなっている状態というのは、
ある意味「現実に対して手綱を緩めている状態」だと言えます。
そういう意味では効果が出ても不思議ではないのですが、
普段のあなたがどうしているかの方がはるかに重要です。

あなたが「まったくのシラフではなかなかポジまでいかない」と書いたように、
シラフの時のあなたは、かなり深刻になりすぎているのだと思います。
で、そこから逃避するためにお酒を飲む。
痛み止めを打って感覚が麻痺しているようなものです。

あなたの「ほろ酔いメソッド」は効果があるかもしれません。
でもそれより、痛み止めなしで快適に過ごせるようになることを目標にした方が良い。

あなたは、現実に対して絶えずネガティブな関連づけをしてしまうことが
普通の状態になってしまっています。
まずはこれを少しずつでも解消していくべき。
そうでないと、あなたは酒に逃避することによって、
現実に対するネガティブな条件付けをますます補強してしまうことになりかねない。

あなたがほろ酔い気分でアファや神様にお願いするときに、
そのポジティブな感覚を少しでも覚えておくようにしてください。
で、シラフの時にその感覚を思い出すようにしてみて。
宇宙なり神様なりが、あなたを全面的に認めて応援してくれていることをです。

あなたがほろ酔い気分の時にポジティブになれるのは、シラフの時に活性化している
「あなたのあなた自身に対する裁きの活動」が中断するからです。
要するにシラフの時にそうやってあなたを痛めつけているのは、
他の誰でもなくあなた自身だということです。

あなたはシラフの時、始終自分自身をつねったり、強く掴んだり殴ったりしています。
それで、

「ああ、もう嫌だ。こんなことから逃れて楽になりたい」

お酒を飲みます。
そしてほろ酔い気分になったあなたは、その活動を中断します。

「ああ、解放されて良い気分だ。快適だ。私は自由で世界から愛されている」

とあなたは感じます。
しかし実際には、本来常にその状態です。
あなたが行っている自虐行為を止めさえすれば、
お酒に頼らなくても常にその状態なのです。
あなたはほろ酔い気分の時、こう言っているようなものです。

「ああ神様、私に対する暴力行為が止んでいる今なら言えます。
 私の私に対する暴力行為が止まりますように!
 …どうでしょう?ちゃんと届いたでしょうか?」

…馬鹿馬鹿しくないですか?
それはあなた自身が止めさえすれば即座に止むものなのです。
そうやってシラフの時に自分を責める行為を徐々に止めていけば、
あなたは今のままでポジティブな気分を感じられるようになる。

もう一つ良い方法を教えておきましょう。瞑想です。
思考を止めて、ただゆっくりと呼吸を繰り返すことに集中していれば、
あなたが行っていた自虐行為は自然に止んだ状態になります。
その時に神様にお願いしてみたら良い。

一杯飲んで憂さを晴らすのも結構ですが、
要はシラフの時にポジティブになることが大切です。
しかもそれは、本来のあなたのデフォルトの状態なのです。
そのためには自分に対する精神的自傷行為を止めることです。
そうすれば無理矢理ではない自然なポジティブ状態が現れてきます。
試してみてください。

3276108★:2009/12/05(土) 00:27:39 ID:???0
>>1369さん以降の「思考を止める」議論は楽しく拝見しました。
興味深いレスもあって面白かったです。

ご質問でもないので回答はしませんが、一言だけ。

「思考を止める」を「息を止める」のと同じように捉えない方が良い。

「息を止める」というのは本来不自然な行為ですよね。
息をしているのが普通なわけですから。

でも「思考をしている」という状態は本来の状態ではない。
それは敢えてやっているわけです。
本来の状態に付け加えようとしている。
解釈しようとしているわけです。

「これは私にとってこういう意味がある。だからこうしなくてはいけない」

こうやって定義づけようとしている。
そのまんまであるものに制限をつけようとしているわけです。

あなたが定義づけしようがしまいが、
そんなことにはお構いなく鳥は勝手に空を飛んでいく。

ではあなたがするべきことはなんでしょうか。
鳥のように自由に振る舞ったらいい。
すなわち、自分がしたいことをすればいいのです。

そこで思考が必要なら駆使したらいい。
鳥が翼を駆使して空を飛ぶようにです。
思考を自傷行為の凶器として使うことを止めてみたらいい。

そうしたら軽く空に浮くようになる。
その時あなたは、周りにある空気が自分を支えて浮かせていることに気付く。
解釈を止めたら、周りにあるもの全てが自分を全力で支えてくれていることが分かる。

充足のまっただ中に既にいたことが分かるよ。

                    ハ_ハ  
                  ('(゚∀゚∩ わかるよ!
                   ヽ  〈 
                    ヽヽ_)



思考が止まらないなら、湧くに任せて関わらないことです。
自分を傷つけるためにそれを利用しようとしないこと。

3277108★:2009/12/05(土) 00:30:22 ID:???0
>>1394

パラレルワールドの話が、次のチケット続編に入るかどうかは分かりません。
現在の構想では別のテーマ一本に絞るつもりなので、多分入らないかも。
でもいつかは書きます。


>>1396

> ただ「もう痩せなくてもいいんだよ」と許してあげてるような気持ちなんですが、

「私は痩せる必要はない」

の方が良いような気がします。
ちょっとしたニュアンスの違いかもしれませんがw

あなたがそのアファメーションによって不安を感じてしまうなら、
それはあなたにとって適切なアファメーションではないということです。
不安ではなく解放を感じられるように文言を工夫してみてください。


>>1397

> だから、もうあれこれ考えるのはやぁめた
> …と思ったら、いま楽なんだけど、

それですよ。
その時あなたは不安や心配を手放している。
解放されているから気分が楽なんです。

> だって「俺、手放せてるんじゃね?」って考えちゃってるし

「俺、手放せてるんじゃね?」は何の問題もないです。
問題はそのあとの「って考えちゃってるし」の方です。

どんな場合でも自分を裁いて傷つける必要はない。
今回繰り返し言っている「自傷行為」のことです。
それを止めるだけであなたはずいぶんと解放されるはず。

ブログの方で詳しく書いたところなんですが、ここでも簡単にご紹介しておきます。

試しに一日だけ、

「今日だけは、いかなる場合でも自分を裁いたり責めたりしない。
 どんな場合であるに関わらず、一切しない」

と決めて実行してみて。

これを一日実行したら何に気付くのか。

答えを先に書いておきます。
あなたの苦しんでいたことのほとんど全てが自傷行為であったことに気付きます。
苦しみは全て自分が自分に押しつけていたことに気付いて愕然とするはずです。

これに気付いたら、この無駄な行為を徐々に解除していって。
そうしたら苦しみなど自分が設定しない限り、どこにもないことがわかります。

皆さんにもお勧めです。
「自分を責めないメソッド(一日限定)」
ぜひ試してみて。

3278108★:2009/12/05(土) 00:32:54 ID:???0
>>1399

> 「願いを叶えるまで楽しくなってはダメ、幸せになってはダメ」
> この信念がある限り、結局楽しいと思えることをしてても、
> 「願いはなーんも叶ってない、こんなことしてて私虚しい、惨めだ」になりやすい。

これは素晴らしい気付きです。
条件付けによって、幸せを感じることを自ら妨害していることへの洞察です。

> 内側が変化したかどうかが分からないから、外側に頼るしかない、となる。

ここも重要。
内側が変化したかどうかなど分からなくて良い。
それを知りたいというのは、

「内側が変化していなかったら、現象化に期待できるはずがない。
 望んだ現象化を得るには、内側の変化がどうしても必要なのだ」

という条件付けから来ています。
つまりこの場合望んでいるのは、とどのつまり「現象化」なわけです。
望む現象化さえあれば、内側なんか知ったこっちゃない。
この転倒を解消できていないわけです。

私がチケットで

「上手くできたかどうかは調べなくて良い」

と書いたのは、こういったループを断ち切るためです。
必要なのは、そのような永遠に精査する姿勢ではなく、
ただ単純で断固とした「意図」だけなのです。
(久しぶりに「意図」と書いた気がするw)

これと今回上に書いたこととを読み比べてみてください。
何か見えてきた気がしませんか?

>>1402

あなた方は既にマスターです。

3279108★:2009/12/05(土) 00:34:45 ID:???0
>>1404

私はそのスレを読んでいないのですが、
その方はそれを貫徹されたんでしょうか?
(見に行ったらdat落ちでした)

> 引き寄せや自分がそれを見る見ないかは全て自分次第ですが、この世の中
> げんに自殺を選択して自殺日記を書いている人がいます。私はそれを
> 見てしまいました。

だから何なんですか。
それを見たあなたが自殺を選択しなきゃならないわけでもない。

> 私が変わればこの人自殺しないで済むの?

それはこの世界の全てを自分の思うようにコントロールしたいと言うようなものです。

「自分の望む現象化だけを見るために、私は自分の内面を変えるぞ」

と言っているようなものです。
要するに上で書いたこようなことです。あべこべなのです

仮に、

「その人が『あなたが代わりに死んでくれたら自殺を思いとどまる』と言ってるよ」

と言われたらどうしますか。
私はそんな申し出は丁重にお断りします。

わざわざ望まない現象化に注目して、それを自分の経験に招き入れる必要はない。
それは引き寄せの観点、つまり「望む現実を創造する」という観点では全くナンセンスなのです。

あなたは多分すごく優しい方なんだと思います。
その辺も考慮して、端的にお答えします。

あなたが変われば世界は変わります。
しかしそれは、あなたが内面も含めて何か違うものになるということではない。
それは単に「あなたが物の見方を変える」ということです。
あなたもあなた以外も、今のままで何一つ変わる必要はない。
自殺しようとした(と書いている)人も含めて全てです。

あなたが今回のことで自分を責める必要は全くない。
また自殺しようとした人を責める必要も全くない。

責めるのを止めてください。
そうすれば世界をありのままに正しく認識できる。
そしたら、あなたが進みたい方向に自然に動いてみて。

3280108★:2009/12/05(土) 01:13:09 ID:???0
>>1406

捻くれ者さんが登場したのはこの辺からなんですね。
この一連の書き込みは大変読み応えがあります。
スター誕生の瞬間だ〜。面白い!

>>1408

> 嫌な事が起きなくなったというか、トラブっても絶対結果はうまくいくっていう
> 妙な安心感と言うか、信じれる、ていうんですかね。

とても良いですね。

> 眠る前の手に入れたつもりアファが気持ちいいんです。

良い傾向だと思いますよ。
日中眠いのは、あなたの中で余計な緊張感が解除されているからです。
エゴを活用してピンと緊張の糸を張る活動が止んでいるんです。

その後どうですか。嬉しい報告をお待ちしてます。


>>1425さん以降の「痩せなくて良い」メソッドの効用は改めて凄いですね。
自分で提唱しておいてなんですが、あまりの効果と反響にちょっと引いてます(爆)。

でも「痩せなくて良い」メソッドは、ある意味核心を突いていると思うのです。

「痩せたい!」「痩せなくては!」と執着し続けていたときには痩せない。
「痩せなくて良い」と、抵抗している現状を許した途端、痩せ始めた。
抵抗してる現実を受け容れることで、逆に望む方向へと現象化が動き出す。

ここには間違いなく、全ての願望実現と充足への鍵があります。

>>1428に凄く良いことが書いてありますよ。
どんな願望に対しても、とても参考になるレスだと思います。


>>1429

願望に持って良い悪いはありません。
あなたが抱いた時点でそれは既に願望です。
ということは、実現可能だということです。

あなたのご質問に対する回答になるかどうか分かりませんが、
「死」については近々ブログで書こうと思ってます。


>>1435

人によって内面はそれぞれだから、その人によって適切なメソッドや考え方がある。
これは仮設男の時からの私の持論だし、矛盾していませんよ。
要はその人にとって効果が出れば良いんです。
皆さんも自分なりの発見があったら、こうやってどんどん書き込んでください。
それが同じような状態の方の助けにもなるし、やり取りすることで新たな発見もあるでしょう。
そうやって、とにかく実践することです。

>>1438

面白い!w


…ではWC抽選会があるので、今回はこの辺で…。

ノシ

3281108★:2010/02/09(火) 01:30:24 ID:???0
明けましておめでとうございますw

>>1440

> もう死んだほうがマシって時、どうしたらいいのですか

なにもしない。もちろん死ぬこともしない。

状況と取り組んで四苦八苦することを放棄し、
状況が自ら動くようにただ待機してみてください。

そのために一番良いことは、静かに座ってただ瞑想してみることです。


この瞑想を願望と結びつけない。

ただゆっくりと呼吸し、呼吸だけに意識を向ける。

ただ呼吸している自分だけを意識する。


…こうすることで、あなたの思考は勝手に止んだ状態になる。
あなたを苦しめている張本人である思考がです。
そうしたら、何か安心できる揺るぎないものを自分の中に感じることができるはず。

感じられたら、それと共にいてください。
あなたを苦しめている思考ではなく、
その理由なく安心できるものを信頼してください。

その安心できるポジティブさは、あなたが思考で作り上げたものではない。
それは常に最初からあるあなたの本質です。
あなたが思考を止めれば、雲が消えて青空が見えてくるかのように、
それはくっきりと現れてくる。

「いつか雲が晴れたら青空を見よう」ではなく、直に青空を見たらいい。
そうすることになんの条件も要らない。
敢えて雲を設定するのを止めて、青空を見てください。

3282108★:2010/02/09(火) 01:32:57 ID:???0
>>1451

申し訳ないですが、 LOAスレ時代から理論上の話はしない主義なんです。
こういう時の例えとしてイチローが出てくるのもLOAスレから同じですねw

あなたの抱えている問題として、一般化できる部分を回答します。

> いろんな世界で成功している人達は、叶わなくても良いと思ってた人なんでしょうか?

様々です。

成功した人だって、ずう〜っと同じ思考だけを持ち続けたわけではない。
成功してない人もそうだし、ここは一般化して語るのが難しいところです。

一つ言えることは、そういった表面的な意識がどうこうではない。
上手く行っているときというのは、そういう意識の外側にいることが多いからです。
意図を実行中であるとき、それをコントロールしているのは意識ではありません。
それは自我意識の管轄外で行われているからです。

> イチローはヒットを打ちたいけど、ヒットを打っても、打たなくても構わないと思ってるのでしょうか?

おそらくイチローは、打席に立つときそういう思考の範囲外にいます。
思考していたのでは反応できないような次元の勝負だからです。
これはイチローに限らず、真剣勝負をしているプロのバッターなら皆そうでしょう。
敢えて言えば、ある一つの意図を持って打席に入っているはずです。

ところがそのつもりで打席に入っても、
バッテリーとの駆け引きでいろいろな思考が顔を覗かせる。
そこで迷ってしまうとコントロールの意識が働く。
つまりは意図が働かなくなる。
試合の状況や他の様々な要因もその状態に影響を与えます。
だから実際には打席の60〜70%くらいは失敗してるわけですw


「ヒットを打ちたい」が意図にまで昇華すればヒットは打てる

「ヒットを打ちたい」を執着として抱えてしまうとヒットは打てない

「ヒットを打ちたい」という気持ちが「打てる」という確信になれば、
打ちたいという渇望は消滅して「打とう」という意図だけになるので、
(台所に水を飲み行くようなレベルまでハードルと重要度が下がるので)
ヒットは打てる

実際にはどのレベルまでなら「確信」を持てるのかは、
その人の持っている信念に左右されます。
だからイチローでも、逆にイチローレベルだからこそ、
一生懸命練習を積み重ねているわけです。

>>1453さん、>>1455さんのレスも、とても参考になりますね。

3283108★:2010/02/09(火) 01:36:19 ID:???0
>>1459

本当にそうですか?

・幸せ
・お金

二者択一の場合、あなたはお金を選ぶんですか?
…というより、そもそもなんでこれが二者択一になってしまうんでしょうか。

あなたは金さえあれば幸せは要らないという。
ところが、あなたがお金を得ることで手にしたいと思っていることは、
「安心感」「裕福感」「幸福感」などのはずです。
とどのつまり、手にしたいと思っているのは「幸せ」なんですよ。

じゃあ先に幸せを手にしちゃえばいいじゃないですか。
それをお金の有る無しに依存させないで。
つまりは、お金があろうがなかろうが幸せになってしまったら良い。

あなたは幸せにお金が含まれていないと考えている。
しかし実際には、幸せにはお金もその他の要素もキッチリと含まれている。

幸せを、お金やその他の条件から導き出されるだけの、
自我の表面意識による単なる反応・結果と捉えるべきではない。

幸せは充足を構成する一要素ではない。
幸せには本来、充足の構成要素は全て含まれている。
ところがあべこべの条件付けをしてしまっているから、
そのような形でしか幸せを経験できなくなる。

じゃあ、その条件付けをあらかじめ放棄してしまえばいいわけです。

「私は今あれを手に入れていないから、幸せになるわけにはいかない」
「お金が入ってきたら、その時点で自分の設定した条件付けにしたがって幸せを感じよう」

こんなことをしている限り、お金も幸せもどんどん経験から遠ざけることになります。

あなたが設定している「幸せに対する何らかの条件付け」を、今すぐ放棄することをお勧めします。
そして条件が成立してから経験しようと思っている幸せを、今経験したらいい。
直結するのです。
そうしたら順序の逆転が解消され、お金やその他の要素は必然的に顔を現す。

試してみてください。

3284108★:2010/02/09(火) 01:40:08 ID:???0
>>1461

その感情とそのまましっかり向き合い、感じきることができれば消えます。

> あと、3年以上抱えている問題があって解決せず毎日苦しいのですが、
> 充足を見るようにすれば解決にむかっていくのでしょうか?

そうやって、じりじりと解決していくことを望む姿勢ではなく、
たった今、あなたと解決したあなたを直結してください。

直結されたあなたには、既に問題が存在していないでしょ?
それを経験することです。
その充足は、あなたが仮想的に創り出した疑似体験などではなく、
あなたがいずれ経験したいと願っている実際の経験なのです。

そのあなたは「私は不幸が好きなのかしら」とか考えていないでしょ?

だったら待つ必要はありません。
ぐずぐず考えていないでw、とっとと充足に直結してください。
上の>>1459さんへのレスも参考にしてみて。

>>1465

あなたが「ある」と思ったら、それはありますよ。
あなたが「単なる怠慢じゃねーか」と思えばその通りになりますw

>>1466

もうそろそろ手放せる頃ではないでしょうか?

3285108★:2010/02/09(火) 01:42:21 ID:???0
>>1472

> 私の昼間隠れていたエゴの部分が出てきているのだと思います。

隠れていたというより、あなたが抑圧していた部分です。

> 私はどうして不足の部分をフォーカスしたがってるんだろう

起きているときに目を向けてあげないからです。
あなたは、

「私は別に不安感を抑圧してなんていないよ!」

と言うかもしれませんが、紛れもなく抑圧しちゃってるんです。
しかも意識的にです。
つまり>>1475さんのご指摘どおりのことです。

既に風が吹いているのに「風など吹いていない」と思い込もうとしても無理。
風が吹いていることを認め、その風と一緒に颯爽と流れていけばいい。

あなたは就活中だったから、職を失うという不安感がどうしても湧いてくる。
その不安感が風の正体です。
しかしその風は、新たなステージを求めて、あなたが希望に向けて走り出したために起きている。
その風はあたかも抵抗のように思えるけど、あなたが希望に向かって進んでいるということを示唆しているに過ぎない。
じゃあ、風が吹いていることはいい兆候じゃないですか。

風が吹いていることを「良くないことだ」とか捉えなくてもいい。
風を敢えて重大なことだと受け止めなくていい。
風が吹いたから、これはまずい作用を私自身に及ぼしているとか、考えなくて良い。
それはただ単なる反応に過ぎません。

あなたは起きているときもその風を頬に感じながら、

「大丈夫!」

と念押ししてやればいい。

> 不足や不安に焦点をあてない、という場合、それは意図的に行うものでしょうか?

「不足や不安に焦点をあてない」のではなく「充足と安心に焦点を当てる」のです。
これは同じことのように聞こえますけど、スタンスがまるで違います。
「充足と安心に焦点を当てる」というのは「希望の先にある光を見つめる」ということです。

要するに「風と一緒に流れていけ」ということです。
「不安感に飲み込まれろ」と言ってるんじゃありませんよw


>>1486さんのアドバイスは非常に参考になります。
感じきるのが難しければ、ただ何も考えずに瞑想してみてください。
あなたの深い部分と繋がれば「大丈夫だ」という実感はより真実味を増すからです。

…と思ったら>>1505で解決してましたねw

…とっくに就活期間は終わっていますよね(爆)。
その後どうですか?ご報告をお待ちしてます。

3286108★:2010/02/09(火) 01:44:43 ID:???0
>>1476

> せっかく、自分の心の持ちようが変わってきているのに、こういうことが
> あって大丈夫かな、と心配になるのですが、

大丈夫です。

なぜなら、親しくない人にそのことを謙遜した口調で言ったところで、
あなたの信念は深いところでは何も影響を受けていないからです。

だから気にしないで良いです。
気にしすぎるとそっちの方に向いて行っちゃいますよw

>>1479

メソッドは不安感を消すためにするのではありません。
むしろその外側に出るためにするのです。

「不安感が消えないから失敗だ」
「安心感を得たからうまく行くだろう」

こんな風に精査して一喜一憂する姿勢を止めること。
その姿勢でいる限り、不安感から一歩も外に出ていないからです。
だからそんな風に指針を設定することを、あなたは止めてみたらいい。

あなたはメソッドを行ったあと、鳩が豆鉄砲を食らったような状態になるべきです。
そうなったらあなたの心は不安感からも期待感からも離れている。

メソッドが難しいなら、大声で

「わお!!」

とか叫ぶので代用しても良いですよw
あなたが不安感から一瞬でも離れりゃ、それでいい。


>>1485

これが八兵衛さんの初登場なんだ。
発狂もしてないしw助かって良かったじゃないですか。

>>1498

その後どうでしょうか?

相手が現れる気配が一向になくても、一向に気にしなくて良い。
辞めることになったのなら、それと一緒に華麗に流れていけばいい。
何もかも計画したとおりにならなくても、何ら気にすることなどない。

あなたに必要なのは、思い通りになっていないんじゃないかと焦燥感を募らせることじゃなく、
この状況が私をどこへ連れて行ってくれるんだろうかと、興味と好意の目でもって見てみることです。

状況から感じるだろうべきものと無関係に、期待と確信を持って。

そうしたら状況があなたにそれを知らせてくれるようになる。

3287108★:2010/02/09(火) 01:45:06 ID:???0
ではまた…。

3288108★:2010/03/02(火) 02:20:36 ID:???0
こんばんは〜。
バンクーバオリンピックも閉幕しましたね。
私は女子フィギアでの浅田真央ちゃんの演技に感動しました!
まさにアスリートとしての真髄を見た想いです。
真央ちゃん、感動をありがとう!


>>1506>>1512

・願望が叶った状態を『今』感じる=直結
 ↓
  →願望を手放す=執着を解除する

・ネガティブな感情を感じきる=抑圧されているエネルギーを解放
 ↓
  →恐怖心その他の抵抗観念と正面切って向き合う
   ↓
    →実体のない虚像であることが暴かれる→無効化

こういうことです。
上は願望実現のメカニズム、下はクレンジングの仕組みです。

>>1512さんの疑問にはもう少し詳しくお答えします。

もしあなたが全ての観念(信念)を手放せたなら、あなたに不可能はなくなります。
しかしそれ以上に素晴らしいことは、なんの条件も必要なく自然にポジティブなエネルギーで満たされた状態になることです。

つまりあなたは、ありあまる充足によって存分に満たされた状態になる。

ところが、その目的によって全ての観念を手放そうとしても無駄。

「全ての観念を手放しさえすりゃ、自由に願望を実現できるんだな」

これじゃ現状から一歩も動いていないじゃないですか。
これじゃ目の前の現象化をコントロールすることが目的になってしまっている。
つまり「コントロールしなきゃ自分の願望は叶わない」と思っている。
要するに「思い込みを手放したら充足を経験できる」とは
これっぽっちも信用していないということです。

一見パラドックスみたいですが、実に簡単なことです。

あなたはどうしてもコントロールの権限を握っていたい。
手放した願望が叶わなかったら、それこそ「叶わん」からです。
ところが手放さないとなかなか願望は叶わない。これも叶わん。

どうせ同じなら、楽な方をとりゃいいじゃないですか。
楽だし、しかも叶う可能性がぐんと高くなる方を思い切って選べばいいじゃないですか。
コントロールしようとしてヘトヘトになり、結局叶わなかっただけ、
というような失望とはおさらばですよ。
これをすることで、あなたにとってのデメリットは何もない。
ノーリスクハイリターンです。

ところで、実際にはあなたの取り組みは中々うまく行っています。

> 全ての観念を手放すべき…?なのかなと思い、そう心がけていると確かに気持ちはニュートラルに、楽になって行くのですが、

これで良いのです。
必要なのは「行くのですが」のあとについつい続けてしまう、
ブツクサ言う思考を思い切って止めてみることです。

願望が実現しようがしまいが知ったことか。

少なくとも楽になり、叶う可能性を高めることにも成功しており、
おまけに、幻想とどっぷりつき合って苦しむという
不毛な営みからも足を洗い始めている。
これは私にとって多大なメリットを与えてくれているのだ。

こう考えりゃいいんです。

エゴが騒ぎ出したらこう言ってみてください。

「知ったことか」


>>1509

素晴らしい!

3289108★:2010/03/02(火) 02:23:28 ID:???0
>>1526

復縁希望とのことですが、その後どうでしょう?

一つ気になった部分がありました。

> 必ず私が彼を幸せにするんだ

ここです。

彼の幸せは、あなたに依存していない。
同じようにあなたの幸せも、だれかという条件に依存していない。

あなたが違う意味でこの表現を使っているのは分かっています。
しかし、まずはこの前提をじっくりと受け容れてみてください。

その上で、あなたが復縁を選ぶかどうかはさておいて、
彼のことが好きならその気持ちを大事にしてください。

その気持ちを復縁という考えに結びつけたりしないで、
「彼が好きだ」という純粋な想いのまま、大切にしてください。

> 潜在意識は、『そう思えばそうなる』ですよね?

そうとも限りません。
あなたが意識上で考えていることと潜在意識に刻印されていることは、
必ずしもイコールではないからです。

あなたはどうしても復縁したいから、失敗が許されないと考えている。
失敗が恐ろしいから、ネガティブな考えに猛烈に反応する。
つまり、それをどんどん引き寄せようとしているわけです。
執着することで復縁と正反対の方向に潜在意識をセットしようとしている。

だからまず、最初に書いた前提を思い浮かべてください。

あなたの幸せは彼に依存していない。

つまり、復縁できなくてもあなたにとっては「どうってことない」ということです。

「そんなことないよ!」

と思うでしょうが、実際には「どうってことない」というのが本当のところなんです。

今のあなたは復縁することに猛烈に執着しているから、
それ無しでは自分の幸せはないと思っている。
おまけに、自分なしで彼が幸せになることも許さないということになっている。
何重にも補強して、これ以外は絶対に許さないという態度で臨んでいる。

このスタンスでいる限り、復縁するのは難しいですよ。
たとえ復縁できたとしてもロクなことにはならないと思います。

だから、あなたは一度そういった条件付けを手放して楽になってみればいい。
従来のスタンスでは復縁することがより難しいなら、
そうやって執着することを、試しに一度放棄してみたらいい。

あなたは彼が好き。これは純粋な気持ち。
だからといって復縁しなきゃならないわけでもない。
「好きだから復縁するしかない」というのは、単にあなたがくっつけた条件付けです。
あなたが彼を好きなことと、実際にあなたが彼と復縁できるかどうかは関係していない。
じゃあ、それを結びつける必要はどこにもないじゃないですか。

結びつけなければ、あなたは彼を好きなことで苦しむ必要はなくなる。
あなたが彼を好きな気持ちは、復縁できるかどうかに依存していないからです。

あなたは彼と復縁できないということなら、彼を好きな気持ちが消滅するのですか?
しませんよね。
では、その気持ちは復縁できるか否かということからは独立しているということです。
つまりあなたが頭の中で作り上げた条件付けと無関係な、実存する本当の気持ちだということです。
だったらその気持ちを、なんにも依存させずに思いっきり大切にしてやればいい。
なんにも関連させずに、そのまんまで大事にすればいいのです。

ただし復縁できないとも言っていない。
でもそのことをがんじがらめに条件付けする必要はまったくない。

>>1552>>1553さんのレスも参考になります。
>>1530さんはチケットで復縁できたようです。
質疑応答まとめやチケットの「愛を送る」の項も参考にしてみてください。

3290108★:2010/03/02(火) 02:26:18 ID:???0
>>1530

> チケット第七章を実践して復縁できました。

おめでとうございます。

> 条件つけたくはないけど、願望が叶った後や常日頃エゴから抜け出すのは難しい‥エゴから抜け出そうというモチベーションを持ち続ける事も‥

じゃあ、あなたはエゴから抜け出すことをすっかりあきらめたらいい。

実はエゴというものは存在していません。
それ自体が錯覚なのです。

ところが、あなたは別の領域をエゴとの対比によって概念化しているため、
両方の領域をさも行ったり来たりしているように見える。

あなたに必要なことは、自分自身の奥深い本質の部分に注目し続けることです。
そのために効果的なのは、一日に一回から数回、静かに瞑想の時間を持つことです。

日常に戻ってエゴが騒ぎだしたと思っても気にしない。
それは単なる反応です。
反応をあなた自身だと錯覚する必要はない。
仮想的な錯覚の範囲で起きている事柄に、敢えて集中し続ける必要は全くない。

あなたが瞑想などによって別の領域を体験しているとき、
そこにもはや「別」という枠組はありません。
それはあくまでエゴの領域から本質を認識するために用いられた概念です。

あなたが別の領域にいるとき、あなたはエゴの領域の外側に出ているのではない。
そのときエゴという仮想概念自体が消え去っているのです。
つまり、エゴは本来存在していないという事実をただ単に認識している状態になる。

これをたびたび経験したなら、あなたは日常生活に戻っても
エゴという仮想概念にしたがってゆらゆら揺れることが段々馬鹿馬鹿しく思えてくる。

でも揺れたとしたって気にしない。
「ああ、揺れてんだな」
と思っときゃ良いんです。
揺れに抵抗したって、もっと激しく揺れるだけ。
あなたはそれに気付いている視点を持ち続けていればそれで良い。

あなたはかなりイイ線行ってますが、せっかくそのレベルまで来ているなら
どうせだから、もう少し先に進んでみましょう。

あなたが「実践している」と思っている第七章やメソッドのような意識の置き方は、
実はあなたにとって本来の状態であって、苦労して敢えて実践するようなことではないのです。

実はエゴと取り組んでいるときの方が、あなたは遙かに苦労して
別の領域に抵抗し続けているのです。
ところが「実践」と思っている意識の置き方は、本来自然な状態なので努力は用いられていない。

エゴと取り組んでいるとき、あなたはとても努力している。
別の領域にいるとき、あなたは何もしていない。

これが逆だと感じられるのは、あなた(を始めほとんどの人)が、
エゴと取り組むことにしたときから、知覚が逆転するようにセットされているからです。

では、この逆転を解除するにはどうしたらいいのでしょうか?
何も要りません。

「これは知覚が逆転している状態だ」

これに気付いてさえいりゃ良いんです。
たとえあなたが理性で納得できていなくても。

この意識を絶えず持ち続けていれば、あたかもだまし絵を見ていて
別の絵が視覚に突然飛び込んでくるようなことになる。

エゴが騒ぐ日常を経験しているときでも、
「これはひょっとしたらまやかしかもだぞ」
といった態度で、知覚が正常に戻ることを絶えずスタンバイしている状態になる。

こうなれば、エゴの正体が暴かれるのは時間の問題。
実際には時間はないので、あなたの信念が適当な段階まで解除できれば、
知覚は勝手に正常な状態に戻ることになる。

長々書いてきましたが、要するに

「気にするな」

とうことですw

3291108★:2010/03/02(火) 02:27:12 ID:???0
>>1550

> 『願望を叶えるために充足を見よう』
> 『充足見てれば叶うんだー』って気持ちじゃダメ?

それだったら、

『願望を叶えよう』
『叶うんだ』

だけの方がマシです。
あなたの設定では、充足が願望達成のための条件になってしまっているからです。

充足というのは、願望達成のための一要素ではない。
充足には願望達成も含め、あなたを満足させる要素が全て備わっている。
だから充足をそのように概念化するべきではない。

充足>願望達成

なのです。
だったら充足をとりゃいいじゃないですか。
敢えて限定された少ない方を取るほど奥ゆかしくならなくてよろしいw


>>1554-1555

良かったですね。

> 「どんな状況であっても、今起こっている現実は現実として認めつつ、
>  私は私の幸せを選択していいんだ」
> と思って毎日過ごしています。↑結構効きますコレv

これも良いですね。
なにげに要点をズバッと押さえていますよ。

3292108★:2010/03/02(火) 02:30:14 ID:???0
>>1556

>>1587…だそうですw

ちょっと補足しておきます。

> 108さんの考えでは「充足をみる」と「感謝する」では同じですか?

あなたが充足を見ようと思ったとき、

「なんだよ。なんで望みと違う、既に持っている事柄に対して充足を見なきゃなんないんだ。
 でも充足を見ることが願望実現のための条件なら仕方ない、見てみるか」

こういう状態なら、あなたは充足を見ていません。
したがって当然感謝も出来ないでしょう。

あなたがコップの例えを持ち出したので使わせてもらうと、
あなたが「コップに水が半分しかない」と思っているのに、
「コップに半分も水がある」と思おうとしても無理。
既にコップの水を不足の観点から捉えているからです。
つまり二元性の観点から一歩も出ていないということです。

※これはポジティブ思考を行おうとするときにも良くある落とし穴だから気をつけて

これを回避するには、なんの予断なく、ただそのまんまで認識することです。

「コップに水が半分入っている」

これがそのまんまです。
「も」も「しか」もありません。

「コップに水が半分入っている」

ただそれだけです。

この認識をベースに、ちょっとだけ歩を進めましょう。

「コップに水が入っている」

これでも良いですよね。量は関係ない。

「コップに水が入っている」

あなたがこう認識した時点で、あなたの経験にコップと水が入ってきた。
あなたは、

「コップに水が入っている」

という経験をした。
あなたはコップでも水でもないのにも関わらず。

なぜ?

あなたはコップも水も認識できた。
それがあなたの意識の範囲に入ってきたということは、
あなたは「コップと水を持っている」ということです。

※「購入したので所有権を有している」という意味ではありません

あなたの意識に入ってきて認識したものをあなたは経験している。
あなたが経験しているということは、それは紛れもなくあなたのものだということです。

もう少し具体的に行きましょう。
あなたが街でベンツを見かけたとする。

「これは私の欲しいベンツだが、誰か他人の所有物のようだ。忌々しい」

とエゴによる所有権のアイデアを持ち出して充足を遮断するのか、

「これは私の欲しいベンツだ!なんて重厚な色合いと風格だ!素晴らしい!」

と、ただ単にそれが経験の中に入ってきたことを喜び、経験として所有できたことを喜ぶのか。

実際に一般的な意味でベンツを所有することに近いのは後者です。
なぜならもう既に所有したのと同じメンタリティになっているから。

これが充足です。
その上で最初のご質問に戻ると、充足と感謝とはセットです。
それは不可分です。
充足を見るということは、一般的な意味での所有権の確認ではない。
それを見るということは、それを自分の経験として招き入れるということであり、
所有権というエゴの概念をすっ飛ばして、直ちにその経験に突入するということです。

3293108★:2010/03/02(火) 02:32:51 ID:???0
>>1557

あまり深く考えないことです。
実際に起きていることはずっとシンプルだからです。
だからあなたも、もっとシンプルに考えてみて。

>>1573

期待と落胆とはセットだからです。
つまりエゴの認識するこの世界は二元性の世界だからです。

しかもあなたは、

「私はウキウキワクワクしていると、有り得ない方向から不幸がやってくる」

という信念によって、これを強力に裏付けることになっている。

一番良いのは期待しないことです。
たとえば、誰かと仲良くなれたら、そのこと自体にその場で充分に喜ぶ。
期待感を未来に投影せず、今その瞬間の喜びを充分に経験するようにする。

で、後は野となれ山となれです。

期待感を将来に投影しようとすると、今を充分に経験できなくなります。
今に集中してください。
今感じている嬉しさや喜びを充分に経験するようにして。

ある一定の時間線に沿って、それぞれの因果関係を求めようとしないこと。


>>1576

「努力しなかった過去」というように、概念化した設定を止めること。

こういうご相談の時によく言うことですが、
それはあなたがわざわざ思考で呼び起こしさえしなければ、
ハナから存在しないものなのです。

「努力しなかった過去」も、
「一度立ち止まったので差が開いてしまったという思いがぬぐえない」ことも、
「人間関係で立ち止まったので、その人物への恨みもぬぐえない」ことも。

あなたは、思考で呼び起こされたそれらの記憶どおりに振る舞わなくちゃと思っている。
でもそんなことはまったくありません。
記憶が呼び起こされたら、潔く無視することです。

「私が何を選択するのかと、これらの『記憶と認識されているもの』には一切関連性はない」

こう断定して、習い性となっているパターンを維持することを止めてしまう。
あなたが従わなきゃいけないと思っている、それらの記憶を無視できる度合いにしたがって、
あなたは今という地点から強力かつ自由自在に選択できるようになってくる。
そうしたら、自分の選択は記憶と思われるものと無関係だということが益々明らかになる。

記憶にしたがって選択してきたことが馬鹿らしくなりますよ。

過去でなく今に生きてください。
実際にはそれしか出来ません。

3294108★:2010/03/02(火) 02:33:24 ID:???0
それでは、また…

3295108★:2010/03/10(水) 02:38:13 ID:???0
こんばんは〜。
チリで大きな地震がありましたが、皆さん無事でしょうか?
一刻も早い復旧が望まれます。

>>1577

> 過去に、潜在意識の力か偶然か分かりませんが、「あの人と付き合う!」とか執着せずに想ってたら、向こうから告白された事が何回かあった事があります。

大変素晴らしい経験をお持ちですね。
「執着せずに想ってたら」というのが鍵だったと思います。
この時の感覚を思い出すようにして。

> どうやって付き合えるんだろうって今だに手段に拘る私が、います。

あなたが以前に成功したときには、そんなことには拘っていなかったはず。
自動的に事が運んだような印象をお持ちでしょう。

なら、そのようにしてしまえばいい。
あなたが思考によって考え出した手段など、失礼ですが、たかが知れてます。
エゴではなく別の領域に全託して、信頼してお任せすることです。

つまり、あなた的には「なにもしない」ということです。

何もしないというのが難しいなら、ぜひ相手の方に愛を送ってみてください。
恋愛を成就しようとか、相手を振り向かせようとしてそうするのではなく、
ただ単に愛を送り続けてみてください。気が済むまで。

>>1578

素晴らしいです。
あなたに起こったことは、紛れもなく奇跡です。
エゴとしては納得のいく形でつじつまを合わせておきたいところでしょうが。

皆さんも、これほど明白に奇跡が起こることを受け容れてみてください。
そうすればこの方のように瞬時に治癒が起こります。
すなわち幻想が消え去るということです。
おめでとうございます!

>>1579

次は整体師の方ですか〜。なんだか出来すぎですねw
>>1615で解決済みかなとも思ったんですが、一応回答しておきます。

> 何で、今の職場とスッパリ縁を切れないんでしょう?何をどうしたらよいのでしょうか?

何もどうする必要もない。
あなたが今の職場とスッパリ縁を切れないのは、

「私は今の職場とスッパリ縁を切ってはいけない」

と考えているからです。それだけです。

> ただ、主人と犬とゆったり生活して、野菜を育てたり、料理を勉強したりしたいだけなんですが、

あなたにとってそれが最優先事項であり、
それでも経済的な理由で働かなくてはいけない、等の特段な事情がないのであれば、
あなたがその職場を辞められない理由はどこにも見あたりません。

あなたは事実疲弊しきっており、仕事に注力できる状態でないが文面からよく分かります。
それで辞めることに対して、誰に何を遠慮する必要があるんですか。

あなたに必要なことは、スパッと会社を辞めることだけです。
それだけです。
次の日にそうすることにしたら、前の日は安心してゆっくりくつろぎ、ぐっすり眠ったらいい。

で、次の日には辞めることをただ実行するだけでオシマイです。
このことに対して、思考がブツクサ文句をいってくるようであれば、

「これに関する思考を一旦保留する。会社をスパッと辞めた後で思考を再開する」

こう断定して、思考がブレーキをかけることを「保留」にしてください。
思考を働かせず、ただ実行することです。

…実際には一ヶ月どころか一年近くたってますからw
もうとっくにお辞めになってますよね?
どうでした?心配するまでもなく、スパッと辞められたんじゃないですか?
可能なら続報をお待ちしてます。

3296108★:2010/03/10(水) 02:46:31 ID:???0
>>1583

「充足を見る」ということは、何も特定の事柄に対して、
「所有権を確認して無理矢理満足する」ということではありません。

別の領域から見れば、実際にはあなたは既に全ての願望を実現している。
つまり、実際には望むものを全て持てているのです。

ちょっと思いついた些細な願望や、世界を巻き込んだ大それた野望、
「あっ、このドレスかっこいいな」とショーウインドウで見かけた素敵なアパレル、
田園調布の一等地にある大豪邸、高層マンションの最上階にある超高級住宅、
見ているだけでため息が出るような最高級外車、
10桁の預金残高が記されてある預金通帳、持ちきれないほどの札束、
「なんて素敵なんだろう」と、ため息が出るような映画女優の美貌、
誰もが憧れるトップアスリートの運動能力とステータス、
世界的に著名な天才的映画監督の才能と手腕、
20代で財をなして、今や大富豪の仲間入りをしたネットビジネスの大家の才覚、
美しく壮大な大自然の中で暮らす、悠々自適の生活…

これらのことを、あなたも見たり聞いたりしたことがあるでしょう。
つまり、あなたの意識の中に入ってきたことがあるはずです。

それなら、あなたは既にそれらを持っている。
あなたの意識的体験に入ってきたということは、
紛れもなくあなたはそれを持っているということです。

ところがエゴの認識内では、

「それは『持っている』ということにはならない」

と言うことが出来る。
「所有権」というアイデアを活用して、持っていないことに出来るのです。

(つづく)

3297108★:2010/03/10(水) 02:47:26 ID:???0
(つづき)

では、次のことを考えてみてください。
あなたが車を運転していて、たまたま前を行く車のナンバープレートが

「1111」

だったとします。
(パチンコが好きな人だったら「7777」とかでも良いですよw)

この時あなたは、

「おっ、ゾロ目だラッキー!なんか良いことがあるような気がするぞ」

と思ったとします。
(こんな経験は誰でもお持ちだと思います)

この時、あなたはその車を所有しているわけでも、
そのナンバープレートを所有しているわけでもありません。
でもあなたはラッキーだと感じ、嬉しい気持ちになった。

なぜですか?

この時あなたは、エゴの「所有権」というアイデアを無視して充足を感じているじゃないですか。

同じようにあなたの見ているテレビに、あなたの大好きなタレントが登場したとします。
あなたは大喜びして充足を感じます。
あなたがそのタレントを所有したわけでも、そのタレントが実際に目の前にいるわけでもないのに。

なぜですか?

実際にはテレビ局から送信された電波信号に従って、
ブラウン管なり液晶モニタなりに、ある特定の映像パターンが映し出されているに過ぎません。

あなたが聞いていたラジオ番組に、大好きなタレントがゲストとして登場した。
あなたはウットリとしてその声に耳を傾け、充足を感じます。
ところが番組の途中で、その声の主が本人ではなく、
物まねタレントの声マネによるドッキリであったことがばらされます。

じゃあ、あなたがそこで感じた充足は一体何だったのですか?
自分の信念に応じて、充足を呼び起こしただけのことじゃないですか。

あなたの買った宝くじの当選番号発表日が来たとします。
あなたは手持ちの宝くじの番号を、新聞なりウェブなりで当選番号と照合します。

「…なんと!やった!!一等だ!二億円が当たってるぞ!!バンザーイ!!!」

この時あなたは、実際に二億円を手に入れたわけでもなんでもありません。
手持ちのクジと当選番号とを見比べ、特定の数字が一定の順序で並んでいることを確認し、
それぞれが同一パターンで一致していることを単に認識しただけのことです。

…もういいでしょう。
要するにあなたは、普段は特定の条件下、つまり
「所有権が確認された場合」に限り、充足を経験することを許しているように思うけど、
よくよく見ていくと必ずしもそうではないということです。

所有権というのは充足のための絶対条件ではない。
それは充足を限定された状況下でのみ経験しようと決めた、
エゴの単なるアイデアです。

反対に、充足は何らかの条件によって限定されているものではない。
むしろあらゆる限定から自由なものです。
それなら、あなたが設けた限定条件を自ら外せば、
あなたは直ちに充足の経験に入ることが出来ることになる。

いろいろ書きましたが、要するにあなたが考えたことは正しいのです。
上に述べたことを頭に置いて、自分が既にどれだけ充足しているか再確認してみると良い。
そうやって自らの充足に気付く度合いにしたがって、
所有権というアイデアを通してさえ、充足の経験は避けられないものになります。

3298108★:2010/03/10(水) 02:49:06 ID:???0
>>1595

まず、「自分から能動的に動くこと」と「努力」とは
必ずしもイコールではありませんよね。
また、自分から能動的に動くと、必ずしも苦痛を感じるわけでもない。

ところが多くの人は、

「なにか成果を得るためには、必ず苦しまなくてはいけない」

と考えてしまいます。
これは、その場限りのちょっとしたアイデアではなく信念です。
「信念」ですから、相当強力な思い込みです。

あなたは努力や苦労や痛みによってなにかを得ていると思っているけど、
本当は、得ることとそれらは何ら関連していません。

実際には、あなたの信念に従って持ったり持たなかったりしているに過ぎない。

それだけです。

実際には、手に入れることに対してあなたはなんの力も有していない。
あなたがその力だと信じている努力や苦労や苦痛には、そんな力はありません。
ゼロです。

むしろ、

「手に入れるには、努力や苦労や苦痛がつきものだ」

という信念によって、即座に手に入れることを延期することになっているだけ。

つまり、あなたに限らず多くの人は、
自分の信念に沿う形で、自分にそれを持つことを許可している。
で、許可した途端にそれを持つことになる。
つまり持つことに対する抵抗を止めた途端、あなたはそれを手に入れることになっている。

そりゃそうだ。
あなたは既にそれを持っており、
宇宙(神)は全力でそれに気付かせようとしている。
ところが信念という抵抗でもって、あなたは必死でそれに抵抗している。
だから抵抗を止めたら、それが流れ込んで当然だ。

あなたやほかの多くの人が信じているそれらのことは、単なるエゴの信念体系に過ぎません。
じゃあ、なぜエゴがそれを採用しているのかというと、
「それはない」という経験、つまり不足を経験できるからです。

「それはある」「瞬時に実現できる」

これでは不足は経験できません。
だからエゴは「それはない」という虚偽の前提を置くことが必要だった。

これは虚偽の前提だけれど、強力に信じ込むことによって「不足」という刺激的な経験が出来るようになった。
極めて刺激的だったので、これに強力にのめり込むことになった。
いつの間にか知覚がまるっきり逆転して、それがあたかも真実であるかのように認識されるようになった。
こうしてエゴのシステムが構築された。

皆がこのシステムから中々脱出できない、しようとも思わないのは、
このエゴの不足システムがあまりにも刺激的で中毒のようになっているからです。
この不足を乗り越えることで情熱を燃やしたり、ワクワクしたりして、
そこで生きがいを感じることができると勘違いしてしまっているからです。

ところがその不足を克服するための情熱やワクワクの裏には、
エゴのもう一つの根幹である「恐怖心」という強力な後ろ盾があるのです。

これによって充足は、見かけ上まったく別の属性を持つことになる。
血反吐を吐く思いでやっと得られる、ほんの一瞬の儚い安らぎという属性です。
散々苦労したものだけが得られる、ささやかなご褒美という属性です。
これは実際の有様からすれば、とんでもなく歪曲された虚像です。

ダイエットしたくても、食べたいものを控える必要はない。
新しくビジネスを始めるのに、勉強や資金は必要ではない。
恋愛を成就させるために、男性が特に積極的に行く必要はない。

これが本当のところです。
でも、今まで支えてきた信念を一瞬で変更するのは難しいかもしれない。

※一瞬で変更しても良いんですよ

それなら、まず真実だと思っているこれらの前提を疑ってかかってみればよい。

ダイエットに成功するのに、食べたいものを控える必要はないのかもしれない。
新しくビジネスを始めるのに、勉強や資金は必要ではないのかもしれない。
恋愛を成就させるために、男性が特に積極的に行く必要はないのかもしれない。

こんな風に。
こうやって前提を変えたら、あなたの目に入るものや経験することがちょっとずつ変わってくる。
より実際の有様に近いことが、あなたの意識体験に入ってくるようになる。
意識体験に入ってきたということは、あなたはそれを持っているということになる。
つまりエゴを支える信念は既に崩れ始めているということです。

ここから起きてくることは人様々です。
ですが、せっかくこの信念が崩れ始めたのなら、
それをぜひともあなたが充足を経験することに活用してみてください。
あなたが充足をなんの条件もなく見る決心をしたなら、
それにしたがったものが見えてきます。

3299108★:2010/03/10(水) 02:57:27 ID:???0
>>1608-1609

どうもありがとう!
チョプラ氏の引用、聞きようによったらオカルティックですが良いですねw
あなたはヘンな人なんかではありませんよ。魅力的な人です。


>>1610>>1632

> これには何か意味が有るんでしょうか…。

意味などありません。無意味です。
あなたが感じるどんな苦しみも無意味です。
価値はありません。何らかの評価を与えないようにして。

たくさんの方から愛のあるレスでついて落ち着かれたようですが、
ご指名なので私からもひと言。

> 可能なのかどうかだけでも……。

可能です。

…これだけだとあんまりな気もするのでw
もう少しアドバイスしてみます。

(つづく)

3300108★:2010/03/10(水) 02:58:25 ID:???0
(つづき)

上で書いたように、あなたが苦しむことは無意味で、
その苦しみになんの価値もないとするじゃないですか。

その苦しみはあなたの成長にとっても、あなたの幸せにとっても
なんら関連していないとするじゃないですか。

じゃあこの苦しみは、あなたにとって一切必要ではないということになる。

じゃあその苦しみの生成元と思われている、
過去の虐待だとあなたが認識している記憶も、
自分にその仕打ちをしたとあなたが認識している、
父親に対する怒りに満ちた属性づけも、
も一つついでに、それらの呼び起こされた記憶を反芻して、
頭の中で何度も再経験しようとするあなたの習い性も、

全部不必要ということになりませんか?

あなたは、

「あの父親のせいで、私は未だにこうやって苦しむことになっている。
 だから、私を苦しませ続けているあの人物を許すことはできない」

と考えています。
ところが、この記憶を呼び起こして反芻しているのは誰でしょう?
父親ではありませんよね。あなた自身です。

それなら、この忌々しい一連のプログラムはあなた自身によって解除できるということです。
そのために必要と思われるなら、クレンジングや心理療法士による処方を試してみてください。

ですがその前に、その「消したい過去」を強固に支え続けているのは、
あなた自身であるという自覚を、まずは持ってみてください。

たとえば、あなたに限らずですが

「あの人間は許せない!」

と思うと、あなたの中でその人間が強力にその属性を帯びた形で存在し続けます。
おまけに、その属性を成立させる要素も強力にその存在を主張することになる。
あなたの中で、それらがよりパワーを帯びて生き生きしてくるのです。
あなたが「消したい過去」と思っている記憶や、
「消えて欲しい」と思っている、父親のネガティブな属性などがです。

本当のことを言いましょう。
あなたの記憶にある虐待の事実や、父親があなたに行ったひどい仕打ちは、
実際には行われていません。
変えるもなにも、そんな過去は最初から存在してはいないのです。

「いや、それらは全て事実だよ!」

とあなたは言うでしょう。
でも、実際はそれを事実と認定しているあなた自身が、
刻々その記憶を「今」創り出しているに過ぎないのです。

もっと本当のことを言うと、創り出してさえいません。
「創り出している」と錯覚しているだけなのです。

だから、その過去をなかったことにしたいのなら、
(実際にはそんな過去は存在していないのですが)
その過去を支えるという意識的な行為を今すぐに放棄することです。

「私は強力に信じ込んでいるが、それは事実ではないかもしれない」
という前提に立ってみる。
「その記憶は私が単に今、創り出しているに過ぎないのかもしれない」
と考えてみる。
「もっと言えば、創り出していると思っていること自体、錯覚なのかもしれない」
と疑ってみる。

あなたを苦しませようとするいかなる事も、
あなたが実際にはずっと幸せでいることを知られまいとする、
巧妙で狡猾なエゴの罠に過ぎません。

必要なら瞑想を行ってみてください。
ただ呼吸だけに集中して、雑念が湧いてきても放って置いてください。
ただ呼吸だけに意識を持っていき、静かにそれを行ってください。
ある程度瞑想が深くなり、全ての思考が止んだ状態になったら、
あなたは「今」という実際の領域に留まれている状態になっている。

そこでは何も起きていません。
あなたを苦しませるようなことは何一つ起きていないのです。
そしてそれだけが、実際に起きている全てのことなのです。

その領域に定期的に、充分に留まれるようになってくると、
上で私が書いたような突拍子もないようなことが、
頭で理解する形ではなく、真実なのだと実感できるようになってくる。

実感できたら、そのフィーリングと共にいてください。
そのフィーリングは理性を通さず、あなたに本当の有様を知覚させてくれているものです。

いろいろと書きましたが、要するにあなたは、

「今すぐに充分に安心して良いよ」

ということです。

3301108★:2010/03/10(水) 03:00:08 ID:???0
それでは、また…。

3302108★:2010/04/30(金) 01:03:40 ID:???0
こんばんは〜。
ゴールデンウィークに突入しましたが、いかがお過ごしでしょうか?
忙しい方もお暇な方も、幸せな一週間を過ごすと意図してみてください。

>>1613

> 色々な知識を持ち混乱してるカンジです(>_<)

じゃ、混乱の元になっているその知識を全部捨ててみてください。
ついでに、

> でも彼には彼女がいて‥

この情報も捨ててみましょう。
どこかの時点での情報は、あくまで「どこかの時点での情報」です。
そんな普遍性も一貫性もない事柄を信頼しても、あなたにとってなんの利点もない。

> 連絡先も分からず連絡の手段がない‥

これも同様ですから、両方捨ててみる。

> 過去のことにこだわる‥

この自分に対する定義づけも、ついでに捨てちゃいましょう。
この際だから、

> あたしは前付き合っていた彼ともう一度付き合いたい

ついでにこれも捨ててみましょう。

さて、これらを全部捨て去ったら…
捨て去ることは難しくても、せめてとりあえず一旦無視して、
相手のことを考えてみて。

…できましたか?どんな感じがしました?

実はこうやって捨て去ったのは、全てあなたによる条件付けの部分です。
あなたが思考によって敢えてつけ加えた、本質とは無関係な要素なのです。
あなたはこうやって、本質に対して無関係な要素を次々と付け足してしまっているわけです。
そして、それによって敢えて苦しむということになっている。

それらの無関係な要素を全て無視して考慮しなければ、本質だけが残る。
その本質とは「彼を好きだ」「愛している」という想いです。
この想いはそれだけで十全であって、完結しているものです。
これには、あなたが考えたどんな要素もつけ加える必要はないし、
つけ加えられることをなんら必要ともしていない。

あなたがその十全な想いを持っているということは、
あなたは既に十全に満たされているということになる。

それに対して思考で何かをつけ加えることによって、
それがあたかも不足の構成要素であるかのように自らを欺く必要はまるでない。

あなたはその十全なものを紛れもなく自分のものとして持っているのだから、
その十全であるものの本質だけをじっと感じてみればいい。
あるいはそうしたければ、その想いを相手に送ってみるといい。
実はこの二つは、別のことに見えてやってることはまったく同じことです。

そうやって実際にあるものの本質だけを充分に経験するようにしたら、
あなたに必要なことは全て自動的に起きてくる。

もし上記の手順を踏んだ上で、本質が何も残らなかったということなら、
あなたの想いは、条件付けがもたらした単なる思い違いだったということです。
つまり、何らかの条件付けから「彼と復縁する必要がある」と勘違いしていたということです。

もしそうだったら、そんなことと関わっても無駄なので、
あなたにとって快い方向に興味を向け直してみて。
それが恋愛でなくても構いません。
大事なことは、あなたが快いと感じる方向に、
たとえ小さくても良いから一歩を踏み出すことです。
苦しむ方向ではなく。

3303108★:2010/04/30(金) 01:04:53 ID:???0
>>1617(クロさん)

ひきつづき復縁のご相談ですが、少し違う角度からアドバイスしてみます。

> 夢の中の私が「大丈夫!より戻せる!」と確信しました!!
> これは間違いなく潜在意識に伝わっているとうことですよね??

あなたはご自分で確信したはずなのに、なぜ私に確認する必要があるのでしょうか?

あなたが本当に、

「彼は私とよりを戻したいのに悩んでいる」

と確信したのなら、簡単な話です。
あなたは彼とすぐ連絡を取って、よりを戻せばいいじゃないですか。
(ひょっとしたら、既にそうされたんですかね?)

もし「それは出来ないよ」ということなら、
あなたはそれを確信してはいないということです。

夢の中のビジョンと、あなたがそこから感じ取った想いに確信があるのなら、
あなたはそれを拠り所にしてどんどん進んでいけばいい。
そうじゃないというのなら、そんな如何様にも解釈可能なものに一喜一憂して
期待したり落胆したりして振り回されることになんの利点もない。

あなたの実践している潜在意識活用法がどんなものなのか分からないので、
それに対する具体的なアドバイスはできません。

それと関係なく私から言えることは、夢の中のあなたが感じた

「大丈夫!」

この部分は本当だということです。
よりを戻せるかどうかは分かりません。
つまりあなたは、よりを戻せるかどうかに関わらず
「大丈夫だ」ということです。


>>1618

素晴らしいですね。是非ともその態度でいてください。

>>1619

大丈夫。
あなたを怖がらせる如何なることも単なるでまかせに過ぎません。
他の全ての皆さんも、これを重々念頭に置いておいてください。

3304ALICE:2010/04/30(金) 01:05:37 ID:60k3gqnA0
>>3302 
わぁ、108さんだー
こんばんわー!はじめまして!!

3305もぎりの名無しさん:2010/04/30(金) 01:09:43 ID:03QhUZbQ0
108さん、早くチケット続編出してくんろ。

3306108★:2010/04/30(金) 01:10:42 ID:???0
>>1620

> 例えば週刊誌などで芸能人のスキャンダル記事を読んでメシウマ状態になったり、

文面から見ると、あなたは「そうしない方が無難だ」と考えているようだから、
その信念に敢えて抵抗しても得るところはない。
それらの情報は遠ざけたが賢明でしょう。

もう少し詳しく説明します。

> 振動数を下げないためにやらないほうが無難なことってあるんでしょうか。

「振動数を下げないため」という観点ではなく、
「振動数を上げる」という観点で考えてみて。

「振動数を下げないためには…」と考え始めると…

「スキャンダルの記事はよくないから、週刊誌を読まないようにしよう」
「人の噂話に加わらないよう、耳をふさがなくちゃ」
「あの人は不満ばかり言う人だから、なるべく近づかないようにしよう」

こうやって指針を設定してしまうことになる。
もちろんこれが功を奏する場合もあります。
でも、ここには二重に危険な落とし穴がある。

一つは、それらを行動指針として想起するとき、
それらのネガティブな要素、つまり

『これこれのことは、私によくない影響を及ぼす』

ということに焦点が当たってしまうということです。
それが起きるまえに、わざわざ頭の中で前もって体験してしまうことになる。
指針を設定しなければ、敢えて体験しなくてすんだそれらのことをです。

もう一つは、この指針は一体何を拠り所にしているのかということです。

『ネガティブな影響を受けるものから身を守らなくてはならない』
『そうしないと振動数が低下して、ネガティブな現象化を招いてしまう』

これは紛れもなく恐怖心です。
本来存在しない、あなたに脅威を与える「何物か」を、
最初の時点でわざわざ設定してしまっているということです。

だから、こういった「マイナスの影響から逃れるためには」といった観点ではなく、
「プラスの影響を受け容れるためには」といった観点で捉え直してみればよい。
つまり、

「振動数を上げるためには」

このように指針を設定してみて。
この時、思考を使って以後の行動を選別しようとしないで、
ただ指針を設定するに留めてください。
問いかけて放っておくのでも構いません。
そうすれば、そのための行動や物事が自然に視野に入ってくることになる。

または、

「私は振動数を上げる行動を取る」

こう断定して、決定事項としてしまう。
そうすれば、あなたは頭では分からなくても、
自動的にその行動を取るようにセットされたことになる。


>>1622

良かったですね。
あなたのレスは、私の上の回答にも関連しています。
これからも同じことをずーーーーーーーーーーっと言い続けていくのでw
よろしくです。

3307108★:2010/04/30(金) 01:13:28 ID:???0
>>3304

あれ、初めましてでしたっけ?
じゃあ、初めましてw

>>3305

チケット続編を出す前に、ブログに予告編的な記事を掲載する予定です。
ひょっとしたら前作よりぶっ飛ぶ内容かもしれません。
(と無駄にハードルを上げておくw)

>>1623、1628

> でも、愛って、なんだろう?

愛とはあなたの本質です。
だからそれは、持ったり持たなかったり、得たり失ったりするようなものじゃない。

それを感じたければ、静かに座って目を瞑り、ただ呼吸だけを意識してみて。
つまり、瞑想してみてください。

あなたの思考が止み、ただ瞑想が深くなっているとき、
静かだけど、なんとも言えない安心感を感じることが出来ると思います。

それが愛です。
それはあなたの本質を直に体験していることなのです。
それと共に心地よく留まることを習慣化してみてください。

何かを得ようとしてそうしないでください。
ただ単に、そのあなたの本質を体験するためにそうしてください。


>>1625

あなたの>>1578には、以前レスしたのを忘れて、前回二度目のレスをしてしまいました。
今回で三回目ですw
でもあなたのその体験は、皆さんに繰り返して何度も読んで欲しいくらい重要なレスです。

補足させていただくと、あなたに起こったことは
身体になんらかの物理的に不思議な力が働いて治癒した現象のように思えるけど、
実際には「身体の不具合」というあなたの幻想が解かれたということです。

奇跡というのはそういうことです。
あたかも物理的に突飛な現象が起きて、
何らかの量子的飛躍が起こったように思えるけど、
実際には物理的なことは何も行われていません。


全ての現象化と思われていることに、物理的な要素は何一つ存在しない。


何らかの障害は、全て意識的な問題なのです。
また、何らかの治癒や解決も、全て意識的なことです。

だから、あなたがどのように認識し、何を採用しているのかということが、
あなたが何を体験するのかを決定づけていることになる。

あなたと無関係な外側の物理的要因や、他人による何らかの思惑や行動が、
あなたが経験することに影響を及ぼしているということは一切ない。

全てはあなたから起きているのです。
これは非常に重大なメッセージです。皆さんも肝に銘じておいてください。

3308108★:2010/04/30(金) 01:20:38 ID:???0
>>1629

あなたは不安や失敗を非常に恐れている。
今に集中しているときにそれらを感じないのは、
今という瞬間にはそれらのことは起きていないからです。

で、実際には未来や過去はなく「今」という瞬間しか存在しないのだから、
あなたが心配しているようなことは、実際にはどの時点・どの空間域においても
ひとっつも起きていないということです。

不安というのは、何らかの事柄に対して思考を働かせて心配したときに起こります。
失敗というのは、何らかの行為に対して「成功させるべき」という条件をつけ、
なおかつその行為の結果がその条件から外れたと「自分が」判断したとき、
その状況をそう決定づけます。

いずれも思考によって呼び起こされているものであって、実際に起きていることではありません。
それらは、あなたが頭の中の想像や現実の出来事と思われるものを利用して、
そういった感情を体験しようとしているに過ぎないのです。
つまりは、あなた自身がその経験を自ら積極的に採用しようとしているに過ぎない。

あなたは不安や失敗から逃避しようとしている。
逃避することでは、その望まない経験を回避することはできない。
逃避・否定というのはネガティブな形での「積極的肯定」に他ならないからです。

あなたは一人きりでいるときの平安が、他人によってぶち壊されるんじゃないかと怯えている。
ところがあなたの平安をぶち壊しているのはあなた自身なのです。
あなた以外にあなたの内面を操作できる者はいません。
他人によってそれがぶち壊されているとあなたが思っているとき、
実際には「他人の言動を利用して」自分自身で前もって条件付けた形で、
あなたが意図的にそのリアクションを取っているに過ぎないのです。

だからあなたは、誰かと一緒にいることになったら、
覚悟を決めてノープランで臨んでみると良い。

その誰か他人を「自分の平安をぶち壊しかねない危険な存在」
とみなして、不安や失敗を感じるための準備をし始めるのではなく、
なんの予断なく、まっさらな気持ちでその経験に突入していけばいい。

それでもし、不安や失敗を経験することになっても気にしない。

「私はこうやって自分が望んでいた不安や失敗を経験したのか」

とだけ認識すればいいのです。
そうすれば、何故そんなあべこべなことになっていたのかは分からなくても、
自らが紛れもなく意図的にその経験をしようとしていたということが、徐々に明らかになってくる。

そうなったら、あなたは単なる意志でもってそのあべこべを解消できる。
本当は望んでいない不安や失敗に、焦点を合わせる必要などまったくなかったと知ることになる。
そうなったら他人に対する不都合な条件付けという荷物も、快く下ろせる状態になっていく。

瞑想を習慣にしてください。
そしてその安心感や心地よさと共に、他人との経験に入っていくようにして。
そうしたら、その安心できるものは常にあなたと一緒にいることが分かってくる。
実際には他人などいないということもピンと来るようになります。

3309kiki:2010/04/30(金) 01:22:23 ID:GI9btUGc0
お会いできて嬉しいです。
はじめまして!
やりたい仕事、やりたいことがわからない。
といった願望実現より手前の悩みについても
次回のチケット書いていただきたいです。

3310108★:2010/04/30(金) 01:23:35 ID:???0
>>1630

> 影響されないようになりたいです。

そう考えている限り、あなたはお母さんの影響から逃れることは出来ない。
なぜなら、

「母親は私に多大なるネガティブな影響を与えうる」

ということが前提になってしまっているからです。

> 私は昔から母親に悩まされています。手放しや愛を感じるメソッドを初めてからだいぶ良くなりましたが、やはり影響されてしまいます。
> 母は昔から自分の敷いたレールを歩かせようと脅迫や強制、平気で嘘(約束を破る)人でした。言った言わないでケンカもしばしばありました。自分の思い通りにならないと、どうにか退路を全て立って自分の思い通りにしてしまう感じです。その上本人は脅迫・強制や嘘をついたと言う感覚がないのです(分かっていても自分が正しいのでやって良いという考え方です)。親戚もみな、彼女は昔からそうだったので諦めるしかないと言ってきます。

…敢えて長めに引用しました。
これを捨て去ることです。今すぐに。
つまり、あなたのお母さんに対するこの認定をです。

あなたがお母さんについて述べたこれらのことは、
複数の要件をさも豪華に並べ立てているように思えるけど、
実際にはたった一つのことを様々な面から多様に表現しているに過ぎません。
しかも、あなたが存在するように思っているお母さんのこの属性は、
実際にはどこにも存在していません。

これらはお母さんが自ら表明した属性ではありません。
こうやって面倒な属性を認定しているのは、他ならぬあなた自身なのです。

「だって、実際に今までそうだったんだよ!」

あなたはそう言うかもしれませんが、実際にはそんな過去(と思われること)の、
しかもネガティブな属性を寄せ集めてお母さんの属性を「今」決定しているだけです。
これはあなたにとって、まったく、なんの利点もありません。
こんなことを考えている限り、あなたは常に

「お母さんに影響されて振り回されてしまう人」

になってしまいます。
別の言い方でいえば、引き寄せの作用点を常時お母さん側に設定してしまっているのです。

 ※実際には、あなたにとって誰か他人が
  「あなたにとっての引き寄せの作用点」になることはあり得ませんが、
  仮想的な「他人のネガティブな面」と見える部分(それに集中しようとしてるあなたの興味)に、
  作用点がセットされているということです。

(つづく)

3311108★:2010/04/30(金) 01:24:57 ID:???0
(つづき)

ところで「今この瞬間」、あなたとお母さんにはどういった関係性がありますか?
「昨日の」ではなく「さっきの」でもなく、たった今この瞬間の関係性です。

あなたが今これを読んでいるのだとしたら、
おそらくあなたの側にお母さんはいらっしゃらないはず。
(あなたの書き込みの内容からして、あなたと一緒にこれを読んでいるというケースは可能性低いですよねw)

それなら、今この瞬間において、あなたとお母さんの間には

「関係性は成立していない」

これが正解です。

「いや、私と母との関係性は…」

とあなたは考え出すかもしれませんが、
それは今、あなたが特定の記憶を拠り所に「敢えて」呼び起こしているものであって、
今実際に起きていることでもなんでもありません。

「でも、これを読み終えて居間に行ったら、そこには母がいて…」

これもまだ起きていないことに関して、過去のデータから最も起こりやすそうなことを、
あなたが単に頭の中で想起しているに過ぎません。

だから「今この瞬間の二人の関係性は?」と聞かれたら、

「関係性は存在していない」

これが真実です。

あなたとお母さんの関係性は、どの瞬間においても常に「白紙」なのです。
ところがあなたは常に、

「今まで私の内部に集積されて動かしようがない(と勘違いしている)
 記憶どおりに振る舞わなくちゃ」

と思っています。だからその白紙に対して、
毎度何らかの条件付けを前もって上塗りすることになっている。
で、そのとおりの経験を呼び込むことになる。
それであなたは、その経験の不都合な部分にさらに強力に注目し続けることに
ますます熱心になっていく。

(さらにつづく)

3312もぎりの名無しさん:2010/04/30(金) 01:25:52 ID:03QhUZbQ0
早くぶっとびて〜〜。

ね、108さん、上海の方でもクレさんや脱脳さんとかいっぱい108チルドレンが育ってるよ。
7章は本当だったんだね。
オラも早くチルドしたいお。

3313108★:2010/04/30(金) 01:26:47 ID:???0
(さらにつづき)

わかりますか。

あなたが経験している現状は、引き寄せの法則で簡単に説明がつくことなのです。
しかもこのプロセスは、望む現実を創造・経験するのとまったく同じメカニズムを利用しています。
あなたは単に、引き寄せる目標設定を誤っているだけなのです。

なら、目標設定を単純に変更してやればよい。
つまり「あなたにとって不都合な」お母さんの態度に注目するのではなく、
「あなたにとって好都合で快い」ところに焦点を単に移動してやればいいのです。

たとえば「毎日食事を作ってくれる」「朝起こしてくれる」
「出かけるときに『行ってらっしゃい』と言ってくれる」
「お風呂を洗って湧かしといてくれる」「いつも一緒にいてくれる」…

たくさんあるはずです。
(あなたの状況が不明なので、同居している前提で一般的な例を書きました)
意識の焦点を、あなたにとって「好都合」な部分に、意図的にセットし直すのです。
惰性によって不都合な部分にセットしたままにしておくのではなく。

そうすれば、あなたが経験している現実というのは、
「単に私の意識がどこに焦点を結んでいるかだけのことだ」
ということが徐々に鮮明になってくる。
あなたが何を経験するのかと、お母さんの態度・振る舞いには
一切関係性がないことが明らかになる。

そうすれば、現実にリアクションして意識の焦点を決定していることが馬鹿らしくなってくる。
そんな必要性は全くなく、あなたにとっての利点も一切ないことがハッキリするからです。

もう一度言います。
あなたが経験していることとお母さんとの間には、一切関連性がない。
あなたとお母さんとの関係性は常に白紙の状態です。
その時々の関係性はその都度あなたが決定しているに過ぎない。
あなたの意識の焦点だけが、あなたの経験することを決定している。

これまでの記憶やそれにまつわる思考を潔く無視してください。
そして意図的に選択してみて。
そうやってあなたが態度を変えればお母さんも変わります。
なぜなら、お母さんはあなたからの投影だからです。

深刻に考えて、望まない現実に強力に焦点を合わせるのではなく、
気楽に望む現実を単純に選択してみて。
そうすることにどんな努力も不要です。
それは単に視点の移動なのです。

3314108★:2010/04/30(金) 01:31:30 ID:???0
>>3309

初めまして!

チケット続編に入るかどうかは分かりませんが、
質疑応答に具体的に投下していただければお答えできます。
十年後になるかもしれませんが(爆)
これは冗談ですが、山田君のまとめに参考になるレスがいくつかあるかもしれません。
そちらの方もどうぞよろしくです。

>>3312

チルドしちゃダメでしょw

3315108★:2010/04/30(金) 01:32:27 ID:???0
>>1639

> 願望を手放す→他の人と縁が出来る→Aさんとの願望が強くなる

この時点で、

「あなたはAさんに対する願望を手放せていませんよ」

ということを指摘されているわけです。
だって本当に手放せていたら、他の人と縁が出来たときに、
改めてAさんへの願望が再燃したりしないでしょう。

> そして他に彼が出来そうになると、Aさんの事が出てきて、『本当はAさんと一緒に居たいんでしょ?この人じゃないでしょ?諦めていいの??』

この時に「いいんですグリーンです」とAさんのことを手放せたら、
あなたは本当の意味でAさんへの渇望を手放せていたはず。
で、新しくできた彼氏と素晴らしい日々を過ごせていたかもしれません。

「それじゃ手放したは良いけど、結局元の願望は叶ってないじゃん!!」

とあなたは思うでしょう。
でも、仮に、仮にですよ。
その新しい恋人と本当に素晴らしい恋愛関係になったら、あなたはきっとこう言います。

「神様はなんて素晴らしい恋人を授けてくれたんだろう。
 全てはこの人と出会うためにあったのね。本当に幸せだわ。神様、ありがとう!

 …Aさん?ああ、そんな人もいたっけね」

これは冗談ではなく、あなたが本当にAさんへの執着心を手放したら、
こういうことも充分起こり得るということを言っているのです。

でもあなたは、将来のことをあらかじめ知ることが出来ないから、
現時点で唯一最善の選択である(と信じている)「Aさん」を手放すことが出来ない。

(つづく)

3316108★:2010/04/30(金) 01:35:25 ID:???0
(つづき)

じゃあ聞きますけど、あなたは幸せになりたいのか、
それとも現時点で「そのための条件」に設定しているAさんを手に入れたいだけなのか。

あなたが幸せを選択したら、そこにAさんは入って来るかもしれないし、来ないかもしれない。
でも幸せになれるのなら、いずれにしても目的は達成することになる。

あなたがAさんを選択したら、そこにに幸せが入って来るかもしれないし、来ないかもしれない。
つまりこの場合、必ずしも幸せになれるとは限らない。

それでもAさんという絶対条件を外す気にはなりませんか?

「Aさんを手に入れることが出来たら、私はそれだけで既に幸せなんだよ!」

あなたはこう言うかも。
確かにその時点での「目的達成」という意味ではそうかもしれません。
しかしそれはあくまで「目的を達成した喜び」なだけであって、
達成してしまえばそう長くは続きません。
その後幸せになれるかどうかは…
(もっともこれは、他の人が相手でも同じかもしれませんが)
とにかく別問題なわけです。

あなたは幸せになることが目的のはずです。
誰と出会うかとか誰かを手に入れる喜びを感じるというのは、
あくまでそのプロセスにおける通過点に過ぎないのです。
じゃあ、誰を手に入れるのかということに殊更拘る必要は何もない。

あなたはAさんと一緒にいる、結婚するということを幸せの絶対条件として設定しているため、
それ以外のプロセスや可能性について、ことごとく遮断することになっている。

あなたがプロ野球のバッターだとします。
あなたはホームランを打ちたくて打席に入ります。
ところがあなたは、

「内角にこのくらいのスピードでこういった変化球が来たところを打ち込みたい。
 それ以外のボールを打ってホームランしたところで何の意味もない。
 このイメージしたとおりのボールが来るまでは絶対にホームランしないぞ」

こうしてあなたは希望の球を待ち続けて、ファールボールを打ち続けます。
素直にスイングしていれば楽々ホームラン出来る球が何球もあったにも関わらずです。

要するにあなたは、極めて限られた形でしか自分の幸せを受け容れるわけにはいかないと、
絶えず流れ込もうとしている、ありあまる充足を一定方向にのみ限定しようとしているのです。

「じゃあ、特定個人に対する恋愛成就は諦めろということなの?」

そんなことはありません。
私は「特定個人の引き寄せは不可能」と言ったことは一度もありません。
ところが今のあなたの態度では、特定個人を引き寄せるのとは真逆の方向なのです。

だからまず、別の可能性についても考慮し、
幸せになれるならそれもアリというように
充足に対して敢えてオープンな姿勢を取ってみたらいい。

これだけで現在のあなたより、特定個人を引き寄せる可能性がずっと高まりました。
そうしたら、

「Aさんと一緒になれたら最高だけど、なれなくても別に良いか。
 どっちみち私は幸せになれるんだから」

と、Aさんと結ばれるか否かに関わらず、思い切って幸せを選択しちゃえ。

で、あなたが二年間経験し続けたように、他の人と縁が出来たら、
ものは試しにその人とつき合っちゃえ。

つき合ったからと言って、必ずしも肉体関係を結ぶ必要はない。
でも恋愛感情が充分に高まったようなら、そうしても一向に構わない。
必要なのは、あなたがあなたの幸せに対してオープンな態度でいることです。

この時、Aさんにまだ未練があったって構わない。
意外かもしれませんが、あなたはこうして誰かとつき合った方が、
Aさんを振り向かせるという当初の目標にずっと近づくことになる。

あなたが恋愛に対してオープンな姿勢でいるということは、
その対象には「Aさん」も当然含まれることになる。

あなたが恋愛に対してクローズな姿勢でいるということは、
その対象には「Aさん」も当然含まれることになる。

このパラドックスがお分かりでしょうか。
モテる人というのは恋愛に対してオープンな姿勢でいる人のことです。
で、モテる人というのは通常全方位にモテるのです。
特定の人にだけモテないということはあまりない。

つまり言いたいことは、

「条件を捨て去り、自分の幸せを中心において、気に入った人がいたらどんどんつき合っちゃいなよ!
 そうやってどんどんモテる人になって、ついでにAさんも振り向かせちゃいなよ!
 (by ジャニー喜多川)」

ということですw

3317もぎりの名無しさん:2010/04/30(金) 01:37:10 ID:03QhUZbQ0
ダゼさんが来ないのが寂しいお。

ダゼさ〜ん、108さんが現れたよ〜。

3318108★:2010/04/30(金) 01:37:28 ID:???0
それでは、今晩はこの辺で…
ノシ

3319108★:2010/07/07(水) 02:40:45 ID:???0
こんばんは!
ワールドカップもいよいよ準決勝が始まりましたが、皆さん観戦してますか?
我らが日本は惜しくも決勝トーナメント一回戦で、PK戦の末敗退しました。
しかし当初の予想を上回る大健闘で、日本中が大いに盛り上がれて良かったですね。
サッカー日本代表の頑張りに元気をもらった人もたくさんいると思います。
岡田監督、代表選手達とスタッフの皆さんに感謝しです!


>>1654

> 他力本願といいますか、神様に委ねてみて、
> 自分が何もしないのは実は大変な勇気がいることに気がつきましたが、

そうです。これは非常に重要な気づきです。
ここは大事な部分なので入念に説明します。

神様にすべて委ねたとき「勇気がいる」と感じるのは次ような理由からです。

「何もしないで手をこまねいていては、事態はどんどん悪化する」
「何らかの現実的な取り組みをしなくては、状況が改善されるはずがない」
「必死に努力したものだけが状況を打開することが出来る」
「頑張っても事態が悪化したのに、ほっといたくらいで改善されるわけがない」
「何もしないでいる者を、神がお救いになるはずがない」
「何もしないというのは怠惰なことに他ならない。つまり罪である」
「罪であるなら神が罰を与えるはずである」
「よって私は不足を経験するに決まっている」

…まだまだいくらでも挙げることが出来ますが、概ねこんなところです。
あなたに限らず多くの人がこのような思い込み、つまり信念を持っています。
あなたはこれらの信念によって、十全であるものに制限をつけています。

そしてその制限に沿った形で、十全であるものを部分的に経験しようとしている。

十全とは完全でまったく欠点のないことをいいます。
完全であるものは、思考による条件付けなどからなんら制限されていません。

ここに木彫りの人形があるとします。
この人形は、元々大地にそびえ立っていた大木から切り出された材木が材料です。
その材木を「こうあるべき」という任意の形に削り取っていった結果、木彫りの人形が出来上がりました。
ですが、これは元々の大木であった状態から考えれば、大きくそぎ落とされ、
極めて制限された非常に部分的なものであることが分かると思います。

これが不足の正体です。
あなたが制限しなければ、それは本来十全な状態なのです。
あなたの現実は実際には木彫りの人形などではありません。
実際のあなたは十全であるものに制限をつけることなど出来ません。
そんな能力は持ち合わせていないのです。
あなたは単に、

「私はこれこれこういう木彫りの人形である」

という条件付けにしたがって、そのように振る舞っているだけなのです。
その結果あなたは、木彫りの人形として経験できる部分だけに知覚を制限し、
それ以外の部分の経験について知覚を遮断しているに過ぎないのです。

あなたが自分を木彫りの人形だと信じ込んでいるている以上、
あなたはその制限された能力を頼りにすることになる。
そして当然のことながら、それは十全に働き得ない。

あなたが木彫りの人形として振る舞うことを止めれば、
あなたはその制限された仮想的な能力を頼りにすることはなくなる。
そうなれば本来ある十全な能力が働く余地があなたの知覚に入って来る。
それは何らかの能力を失うようなことではなく、
本来ある十全な能力に譲るということなのです。

つまり「神様にすべて委ねる」とは、
木彫りの人形であるという仮装概念を放棄することです。
そのことに対して、何ら恐れを感じるようなことはない。

不安や苦しみがでてきたときは、

「神にすべてを譲り、私が自ら設定したこの制限を放棄します」

こう断言してみてください。

3320108★:2010/07/07(水) 02:43:33 ID:???0
>>1657

> 様々な自己啓発書に手を出しすぎて、苦しいです!

それなら、

「私は自己啓発書に手を出さない」

こう決定してください。
それらの書籍類はあくまでヒントです。
本当の答えは貴方の中にしかありません。
だったら面倒くさい手順を踏むことなく、
あなたが既に持っている答えに直接アクセスすりゃいいじゃないですか。

「私は、自分が知りたい『自分自身の中の回答』に目を向ける」

こう断言して後は放っておきましょう。


>>1661

> 「文章」や「言葉」が大切なのではなくて、それを聞いたらどんな「気持ち」になるかが重要なのだと思いますので

そのとおりです。
あなたの仰る、

「安心、満足、幸せ」のふわーと温かな感情」

がターゲットです。
そのトリガーとなる言葉は人によって異なります。
自分にとってのツボとなるポイントを探すような気楽さで、
言葉の組み合わせを選んでみると良いですよ。


>>1683

> 普段からあまり不安感などがないお気楽な人間なので、変化に気付かないのかな?とも思っているのですが…

逆に、あなたは常に今この瞬間を充分に生きているのでは?
それならなんの心配もいりませんよ。

今この瞬間というのは、何か特別なことが起きているわけじゃありません。
むしろ何も起きていないということに気付くべきです。
エゴの考える「現在より数段素晴らしい感覚」などというものが、
直線的な概念にしたがって上位に存在しているわけではないのです。

「今この瞬間を充分に経験する」ということは、
むしろそういった概念を放棄してしまうということです。
それをエゴで再解釈しようとすると、あたかも何ら有効なことが行われていない、
ひどく空虚な経験として捉えられてしまう。

しかしエゴの考える「空虚さ」にこそ、本当の意味があるのです。
現在は知覚が逆転しているため、そうは捉えられないとしても。

だから、その何もないようなあたかも空虚であるかのような経験を、
蔑ろにしないで重要なものとして扱ってみてください。

そこを起点に知覚が元に戻り始めます。
あなたがエゴの考える空虚な経験を丁重に扱い始めるということは、
知覚は既に元に戻ろうとしているということなのです。

>>1686さんの方法も、とても良いですね。
ぜひご参考に。

3321108★:2010/07/07(水) 02:45:35 ID:???0
>>1692(この回答をもって>>1697さんへの回答ともしておきます)

その節はどうもでした。
なんだか、はるか大昔のことのような気がしますw

あなたは「死んだらオシマイ」という観念をお持ちのようですが、
死んでもオシマイになんてなりゃしませんよ。
というか、死んだりなんかしません。

でも、この観念は簡単には変更できないと思うので、
条件付けの方を変更してしまいましょう。

「どうせ死ぬんだから、何したって自由」
「どうせ死ぬんだから、精一杯楽しまなきゃ!」

こっちの方がよりポジティブですよね。
あなたがワクワクしたりイキイキする考えを採用すれば良いんです。
>>1693さんの仰るとおりですね。


>>1694-1695

> 「今」に焦点当てたらお金が貰えるの?
> 貧しい家庭を救う手立ては「今」を感じるしかないの?

今に焦点を当てるというのは、そういったあなたの条件付けを補強することではありません。
むしろそれらの条件付けを放棄することになる。

あなたは「お金をもらうために」今に焦点を当て、
「貧しい家庭を救うために」今を感じようとしている。
つまり「今この瞬間」を充分に経験する事が手段になってしまっている。

これではあべこべが解消されていないため、あなたが期待するようなことが起きる可能性は低い。

> 何を持って「意図」や「選択」したことになるの?

「何らかの条件が成立したら、意図あるいは選択したことになる」

こう考えている限り、あなたは意図することも選択することも出来ない。
それはエゴの範囲内でそうしようとしていることに他ならないからです。

あなたのご質問に対しては端的にお答えします。

何かのためにではなく、ただその目的のためだけに今に焦点を当ててみて。
何らかの条件付けと無関係に、ただ意図して選択してみて。
そうしたら、あとは気持ちを楽にして、直感に従って動いてみて。

3322108★:2010/07/07(水) 02:48:56 ID:???0
>>1692さんと>>1697さんは同じ人でしたか。
まあいいやw

>>1712

あなたの仰る宇宙空間というのが、どういった概念を指しているのか分からないのですが、
「在る」は「在る」です。存在するということです。
つまり、実際にあるということです。

あなたの言う「目の前にはない」というのは
「私はそれを知覚できていない」ということだと思いますが、
あなたが知覚できていなくとも、それは実際にあるのです。
今はなくて、あとからぼわ〜っと徐々に形をなしていくようなものではありません。

あなたが望む事柄は既に生成され終わっており、現に存在しています。
しかもそれはどこか時空の遠くにあるのではなく、
それどころか、なんとあなたのすぐ目の前にあるのです。
ところがあなたはそれを知覚することを必死に遮断しようとしている。

なぜですか?

次の問いかけをしてみることをお勧めします。

「私はどうして、既にある充足の経験を遮断しているのだろう?」

問いかけたら考えないで放って置いてください。


>>1716

あなたの解釈にも一理あるのですが、それだとそのケーキは、

「ケーキ屋にはあるが私の目の前にはない」

という言い方が出来ますよね。これは、

「あの人は持っているが、私は持っていない」

という考え方と同じになってしまいます。
私が言っているのは、

「ケーキ屋にもあるかもしれんが、私の目の前にある」

ということです。
じゃあ、なぜケーキ屋のケーキは知覚できて、目の前のケーキは知覚できないのかということです。

「私はどうして、既にある充足の経験を遮断しているのだろう?」

この問いかけを、ぜひ不足を感じるたびに行ってみてください。

>>1712さんのこの設問、色んな意見が交わされて面白かったです。

3323108★:2010/07/07(水) 02:52:00 ID:???0
>>1723

良かったですね。
その後いかがですか?

> 頭のスイッチは切って、呼吸に意識を集中させます。

これもとても良いですね。
頭のスイッチを切ると、ありのままを経験できるようになります。
なんとそこには不足が存在しません。
つまり不足というのは、思考がでっち上げた幻想に過ぎないのです。

質疑応答スレが復活した暁には、また何かあれば書き込んでください。


>>1733

ここで捻くれ者さんに重要な転機が…。
直近のレスを拝見すると、凄いレベルに到達されているようですね。
えがったえがったw


>>1734

なにか>>1737で解決したっぽいですね。

> 今まで、どうしても別の領域に委ねる事が出来ずにいましたが、
> 長年抱えていた問題に対して、素直に働きかけてみようという気持ちがなぜか湧いてきました。
> 簡単な事なのですが、それがこの10年出来なかったのです。

これは非常に含蓄のあるレスですね。
何はともあれ、おめでとうございます。


>>1736

「痩せなくていい」メソッドのことですかね?
このテーマについては、過去スレも含めてかなり語られてきました。
効果を体感された方も多かったですね。
それぞれの質疑応答からポイントを拾い上げてみてください。
必ずご参考になると思います。
(探すのが困難なら、山田君によるまとめサイトをぜひご活用ください)

>>1738-1739さんのレスも参考になりますね。

3324108★:2010/07/07(水) 02:53:51 ID:???0
>>1747

なにげに核心を突いたレスですね、これは。
まったくそのとおりです。

>>1759

おめでとうございます!

>>1760

携帯さんのこれも含蓄のある話ですね。
こうやって感心するレスばかりだと質疑応答は楽です(爆)。

>>1771

あなたは、

「私は遊びたいように遊んだり、楽しんだりしてはいけない」

という観念を保持しています。
だからまず、

「私は自分が楽しく好きなように遊んではいけないという信念を持っている」

と、ここを認めます。
(文言は好きなようにアレンジして)

次に、

「どうして私はその信念を保持しているのだろう?」

このように問いかけます。
(文言はお好きなように…)

問いかけたら放って置いてください。

で、いずれその答えが浮かび上がってきたら
適切な方法(セドナ、EFTその他)でリリースするのも良し、
さらに質問攻めにして解体するのも良し。

または、

「私は自分が楽しく好きなように遊んではいけないという信念を持っている」

ここを認めたあと、

「この信念は私になんの利益ももたらさない。不要なので消去します」

といって消去してください。
そしたら、消去したあなたとして活動してください。

「その信念は消去したのでもう存在していない」

こういった態度で毅然と振る舞ってください。

または、その信念に対して

「今までどうもありがとう。でももういらない。サヨウナラ」

と手放してみて。

余計な信念をリリースする方法は色々あります。
あなたにシックリ来る方法でやってみてください。

>>1774さんもご参考に。

3325108★:2010/07/07(水) 02:56:13 ID:???0
>>1772

何か、他の方たちとのやり取りで解決したっぽいですね。
ですので、私からの回答は割愛します。
でも、あなたのレスとやり取りは大変参考になります。
ぜひ他の方もレスを追ってみてください。

>>1773

「この携帯は最高の携帯だ」

理由は考えないで、ただ断定してみて。


>>1786

他の方のレスも参考になると思いますが、
ちょっと別の角度から回答してみます。

あなたが自己を否定しているのは、自己というものが存在していると思い込んでいるからです。
それが自分の設定した条件に合致していないと感じているので、否定してしまう。

ところが自己というものは存在していません。
あなたが「自己」と思っているものは、単なる仮想概念に過ぎないのです。
だから否定したところで、単に仮想概念を弄んでいるに過ぎない。

あなたに必要なことは、あなたが自己だと思っている架空のキャラクターについて、
潔く無視して本当の自分を受け容れることです。

本当の自分とは、あなたが勝手に設定した何らかのキャラクターなどではなく、
経験しているところのあなたです。
本当のあなたとは、何かを行っていると思っているあなたではなく、
単純に経験している意識のことです。

それは何も行っていない。完全に受け身の存在です。
それがあなたの正体であり、実際のあなたなのです。

かなり抽象的な書き方をしました。
これを抽象的なまま実行してみて。

3326108★:2010/07/07(水) 02:58:31 ID:???0
>>1799>>1801

大変面白いですね!
あなたの書き込みで感覚をつかめる人もいるはずです。
皆さんもぜひご参考に。

>>1806

> 神様にお願いするのは思考を停止することとどう繋がるの?

上の方の回答とも関連しているのですが、
あなたが思考を行っていないとき、あなたは神と一致しています。
思考によって制限や解釈を加えていないので、ありのままを経験しています。
ありのままということは、神の意向を受け容れているということです。
つまり神を完全に信頼しているということです。

完全に信頼しているなら、疑いを持たずに気軽にリクエストできますよね?

>>1813さんのレスも大変参考になります。


>>1807

素晴らしい!!
あなたの仰っていることは、たとえ話なんかではなく、本当の有様ですよ。
実際にそのとおりなのです。

>>1808

一番良いのは、自分に絶対的な自信を持つことです。
根拠はいりません。
あるいは、ある程度の根拠があるなら、それを最大限に評価したらいい。
自分に対しても、相手と一緒にいる状態に対しても、
あれこれ思考を働かせて心配するのとは逆に、絶対の自信を持ってみたらいい。
繰り返しますが、根拠は必要ではありません。

3327108★:2010/07/07(水) 02:59:46 ID:???0
>>1812

そんな風に、あれこれと思考で詮索して選別しようとしないこと。
好きな人が出来たら、頑張って話しかけても良いし、メアドを聞いたって良い。
自然な事じゃないですか。
そこでストレスを感じるということは、

「このミッションは絶対に失敗してはならない!」

と、あなたが自分自身にプレッシャーをかけているからです。

> ただ純粋に話したいから、メールしたいからという場合はどうなるんでしょうか?

純粋に話しかけたり、メアドを聞いたらいい。

> また、現実では好きな人に近付けていなくても、
>「大丈夫、宇宙に任せてあるから、そのうち近付ける」という心構えでいるのが良いのでしょうか。

物理的に近づける距離内にいるのなら、思い切って近づいてみたらいい。
単純なことですよ。
それが出来ない、宇宙に任せようとしているのは、

「このミッションは絶対に失敗してはならない!」

と、あなたが自分自身にプレッシャーを…これはもう言いましたねw

あなたが失敗の恐怖に取り憑かれたままでは、そうすることに二の足を踏んでしまう。
相手が好きならそのワクワクに素直に従い、思い切って行動すればいいじゃないですか。
その方がはるかに成功の可能性は高い。

で、最初のご質問に戻ると、
「手放す」というのは、そういった結果に拘る姿勢をリリースするということです。

これは非常に答えやすい質問でしたね。

3328108★:2010/07/07(水) 03:00:15 ID:???0
それではまた〜。
ノシ

3329もぎりの名無しさん:2010/07/07(水) 03:08:44 ID:6oiitcS20
願望が
「お菓子とか、おいしい物を食べたい」だったら
どうすればいいのでしょうか。

おいしい物を食べてる自分を想像すると
空腹感、飢餓感が強調されて
結果、不足感に苛まれます。

「お金がたくさんある」とかだったら
「お金が無い」という認識に
頭が反応すると思います。

でも食べ物関係の場合、
ダイレクトに体が飢餓感に包まれるので
どうしたらいいのか分かりません。


金銭的理由からではなく、
環境の問題なんです。
(親が菜食主義で、お肉やお菓子を食べると烈火のごとく怒る。
あと、私がアトピーだから、食べてはいけないと。)

ちなみにアトピーは、ほぼもう無いです。

むしろ、(隠れて)お菓子とかを食べると
美味しくって癒されて、身体の調子がよくなります。

でも、隠れてってのがイヤだし、
そうすることで逆に罪悪感を感じるし
自由に堂々と美味しいものが食べたいんです。


親が怒ったり、不自由な環境にあるのは
私が私を許してないから、
それも分かるんです。

でも、
「親は関係ない」
「私はおいしい物を食べていい」と許すメソッドをすると
前述の通り、飢餓感で苦しみます。


助けてください。

自由に自分の好きな物を食べたいです。

3330108★:2010/07/08(木) 01:30:14 ID:???0
こんばんは〜。

>>3329

スレストになるわずかな間に、良く書き込みできましたね!w
そのラッキーさに敬意を表して、順番飛ばしですがお答えします。

> 願望が
> 「お菓子とか、おいしい物を食べたい」だったら
> どうすればいいのでしょうか。

あなたの願望は、他の方にとってはいくらでも叶えられている、
一般的にはなんの造作ない願望ですよね。
でもあなたにとっては、これは切実な問題です。

> ちなみにアトピーは、ほぼもう無いです。

おめでとうございます!

アトピーだったときは、苦しくて大変な思いをされていたと思います。
今はアトピーがほぼ出ていないから、あなたはそれを普通だと思っているかもしれないけど、
これは相当に評価して良いことですよ。

まずはこのことに関して、改めて充分に感謝してみてください。

> 親が菜食主義で、お肉やお菓子を食べると烈火のごとく怒る。
> あと、私がアトピーだから、食べてはいけないと。

あなたの家庭環境について詳しくは知らないので、ここからは想像です。

親御さんが菜食主義者になったのは、あなたのためなのでは?

もし自分の子供がアトピーだったら、食生活には相当気を遣うはずです。
子供だけに辛い思いをさせるわけにもいかないので、
家族全員の食生活をその子に合わせて変更せざるを得ないでしょう。
私が親ならそうします。

あなたは今アトピーが出ていないと言うけど、
それは家族全員があなたのために食生活を改善したからなのでは?
その成果が出て、あなたは今苦しい思いをしなくて済んでいるのでは?
親御さんが、あなたがお肉やお菓子を食べると烈火のごとく怒るのは、
あなたにアトピーが再発すると、あなた自身が苦しい思いをするからなのでは?

上に書いたことは、あくまで私の想像です。
事実とは違っているのかもしれません。
でも、もしそうだとしたら、あなたは大変大きな愛に包まれていることになる。
私はその可能性が高いんじゃないかと思います。

だからあなたは、そうであるかもしれない親御さんの愛情を信じてみて、
一度このことについて腹を割って話し合ってみたらいかがでしょうか。

自分は今アトピーが出なくなって、それは親御さんの菜食主義のおかげかもしれないこと。
それに対して充分に感謝の気持ちを伝える。
しかし、自分はお菓子などを食べられないので非常に苦しんでいること。
これも素直に伝えます。
そして、何か良い解決策がないか、一緒に考えてもらうのです。

もし親御さんがあなたのために菜食主義者になったのだとしたら、
現在のあなたの苦しみに対しても、誠意を持って考えてくれるはずです。

「私が現在、お菓子や美味しいものが食べられないのは親のせいだ」

などと考えず、あなたのアトピーを治すために全力を尽くしてくれたその愛に感謝する気持ちで、
心を込めて話し合ってみてはいかがでしょうか。

普通の人生相談にみたいになってしまいましたが、それが最善の策だと思います。

3331108★:2010/07/08(木) 01:32:37 ID:???0
>>1824

>>1830さんの投下してくれた>>1540も参考にしていただきたいのですが、
折角ですから、ちょっと違った方向からもアドバイスしておきます。

別の領域を体験する時間を増やそうとしているあなたの姿勢は大変結構なのですが、
外出中など、特に人混みの中で別の領域に浸るのは難しいと思います。
別の領域に本格的に浸るのは、家に帰って一人で静かになれるときを基本にしてみて。

で、外出するときは

「私は別の領域によって完全に守られている。大丈夫」

こう宣言してから出かけるようにしてみて。
文言はシックリ来るものに変えて構いません。
別の領域を神や他の表現に変えても良いです。

こう宣言したら、外出中は必要以上に防備を固めるような態度で活動しないで、
別の領域に完全に守られているというフィーリングを感じながら、
安心して、余裕を持った態度で活動してみてください。

現実世界をエゴの世界だと思って敵視していると、
現実世界はそのような反応を返してきます。
あなたが経験していることは、このことと関連して起きています。

あなたが経験することを、思考によって仕分けしようとするべきでない。

あなたが現実に対して何らかの認定をすれば、現実はそのように振る舞おうとする。
あなたは「現実世界はエゴだ」とか思わなくて良いのです。
そのように考えるあなたの思考・判断自体がエゴなのです。

あなたがそのように考えて防備を固めようとすると、
現実は(あなたが経験しているように)危険でおっかない世界だという側面を見せてきます。
それであなたはますます別の世界に逃避しようとする。
現実世界はますます危険でおっかないという属性が強化される。

あなたが「ループだ」と感じているのは、こういった構造があるからです。
あなたに必要なことは、別の領域に浸ることで現実を切り離すような姿勢ではなく、
別の領域で感じたフィーリングを、心穏やかに現実世界に投影していく態度です。

あなたの文章からは、エゴに対する敵意が見て取れます。
(…お前が言うなって?w)
エゴを敵視する必要はないのです。
それはあなたにとって、酷く狭く限られた知覚ということに過ぎません。
あなたと別の「エゴ」というものが存在しているわけではないのです。

あなたに見えている現実世界もあなたの一部なのだから、大切にしてあげてください。

3332108★:2010/07/08(木) 01:33:59 ID:???0
>>1827

その後いかがですか?回復しましたか?

あなたは自分の人生が暗かったと信じているので、
明るくポジティブな状態に抵抗しています。
「それは普通ではない、止めよ」というわけです。

人生をモードチェンジしようとすると、こういう事はままあります。
しかし、必ずしもこういった抵抗を経験しなくてはいけないわけでもない。

何かに対して反発して変えようとするから抵抗が生じるのです。
あなたの場合は、暗くネガティブな人生をポジティブに変えようとした。
そのこと自体は大変結構ですが、前提を引きずったまま変更するのは困難です。
前提とは「私の人生暗かった〜♪(by 藤圭子)」というあなたの自分自身への認定です。

そんな過去を支えても、あなたにとってメリットはありません。
今変えてしまいましょう。

「私の人生は明るくて、常に幸運に恵まれている」

この前提で行きましょう。
あなたが保持したいネガティブな前提は、
この際思い切って無視してしまいましょう。

コツは、これを前提条件として、すべてをそこから発想することです。
そうすればあなたの思考習慣も習い性も、それにしたがって勝手に整列してきます。

自分の属性を決定するのに時間は必要ではない。
それは今ここでの選択によってのみ可能となるのです。
それに対してどんな条件も必要ではない。
必要なのは、今ここでのあなたの選択のみです。

3333108★:2010/07/08(木) 01:35:15 ID:???0
>>1832

素晴らしい!
あなたのように、経営者の方がそういった心境になると、
その影響は必ず会社全体に及びます。
どうぞ素晴らしい会社にして、どんどん利益を上げていってください。

>>1835さんのお言葉も含蓄がありますね。


>>1836

願望を手放すのは別の領域に対してです。
握ったままでは実現しないので、それが可能になる領域に解き放つのです。

> 「ありがとう、でもこれは、もういらない」と言えば良いのですか?

「ありがとう!これをいただきます!」

と言ってください。
逆に、

「これを差し上げます!」

でも良いですよw

あなたにとってシックリ来る表現を使ってみて。

3334108★:2010/07/08(木) 01:36:50 ID:???0
>>1837

昨日の私のレス、>>3319>>3324を参考にしてみてください。

あなたは成功を凄く期待してしまうから、失敗をセットで経験することになっている。
針は片方に揺れると、同じ振幅で反対側に振れます。
こうやって揺れ続けていたいというのがエゴの本性です。
あなたはホトホト疲れ果てているので、もうそろそろこの営みから足を洗うべき。

どうすればいいのかというと、揺れるのを止めるのです。
それで、秤の中心点に留まることにする。
そのためには、成功と失敗とを同等に評価してやりゃいい。
つまりそれらを同様に受け容れるということです。

成功は受け容れるけど、失敗は受け容れない。

この姿勢だと、依然として針は勢いよく振れ続けます。

もっとも良いのは、成功とか失敗という概念自体を手放してしまうこと。
そして、あなたの今ここでの経験を充分に体験することだけに没頭する。
つまり評価を放棄するということです。

昨日の表現を借りれば、

「木彫りの人形として振る舞うことを放棄してしまえ」

そうすればあなたは、森羅万象をそのまま受け容れることになる。
あなた自身が森羅万象として機能することになる。
そこには不足も困難もありません。
十全なあなたで在ることを選択することになるからです。

3335108★:2010/07/08(木) 01:37:19 ID:???0
では、今晩はこの辺で…
ノシ

3336108★:2010/09/10(金) 02:00:16 ID:???0
こんばんは〜。
まだまだ暑いですが、みんなで涼しさを引き寄せよう!

>>1847

「思考を観察する」というのは、
「思考している自分を一歩引いて見る」ということです。
つまり、思考と一体化しないということです。

観察しているあなたは思考を行っていません。
すなわち本来のあなたのポジションに戻るということです。

思考を思考で再解釈しようとすると、らちがあきません。
あなたが観察するポジションを取れば、思考は勝手に止まるものです。

>>1848

> そっちを見ないようにする

それは抑圧することになるので、手放すのと反対の方向性です。
目を逸らすのではなく、見つめてください。
執着している自分自身の活動をです。

一つ有効なアプローチをアドバイスしておきます。
執着していることに気付いたら、それを消そうとするのではなく、
むしろ徹底的に執着しまくってみるのです。
全エネルギーを傾けて。

執着というのも一つのエネルギーなので、徹底的に燃焼し尽くせば、
それは枯渇して執着することが出来なくなります。

こういう逆説的なアプローチはしばしば効果的です。
「上手くいっていないな」と感じたら、
まったく逆のスタンスで取り組んでみるのも一手ですよ。
お試しください。

3337108★:2010/09/10(金) 02:01:34 ID:???0
と思ったら>>1848さん、あなたの>>1854

> きっと願望への執着って、もうひとつの鉢のほうを「まだかまだか」と
> 土を掘り起こすような行為なんだろうなあと思ってます
> ただ水をやって待ってれば、そのうち生えるのにね

これは素晴らしい洞察ですよ。

> わかっているのに自分の願望に応用するのが難しいですね

そんなことはありません。
その思い込みを手放してください。
自分自身に対しても客観的に見てください。
すなわち、観察者としてのスタンスを取ってみるということです。


>>1855

> 「私は何をしていようが、何を思っていようが、願望を実現していい」
> この考え方を完全に受け入れられたら、
> 執着していようが何していようが叶うんですか?

あなたがその考え方を完全に受け容れたら、
あなたは執着することが不可能になります。
請け合いますよ。


>>1858

ウサギさん、お久しぶり。

> やはり、引き寄せとは『思考の範疇』以外の、マジで!?と思う事が出る事では、ないでしょうか?

なにかありましたね?
そうです。可能になるのはすべて思考の領域「外」でのことです。
これを思考で説明しようとしても、構造上難しい。
低い次元内の手管で高次の理屈を説明するようなことだからです。
理論で伝えにくいのはそういう理由です。

3338108★:2010/09/10(金) 02:03:13 ID:???0
>>1864

まずあなたの、その

「体質だからどうにもならない」

という思い込みを解体すべきです。
そう医者に言われたことによって、あなたはその信念を活性化しているけど、
実際には、あなたがそのお医者さんと思われるものを通して、
告知のような形で自分の隠し持っていた信念を自分自身で表面化させただけです。
要するに自作自演です。

そのお医者さんの認定によって、あなたの状態が決定されるわけじゃない。
あなたの健康状態は、あなたの外部と思われるものに何ら依存していない。

自分の身体の状態はすべて自分自身で決定していることを理解すべきです。

> 引き寄せで体質改善とか症状軽減とかできるんでしょうか?

「体質改善」「症状軽減」といった考えから離れるべき。
なぜなら、そう考えている以上問題を抱え続けることになるから。

それらの問題が存在しないあなたは、どんな気分でどんなふうに過ごしていますか?
そのようにしたらいいのです。今すぐに。
つまり、あなたが問題と考えている持病について気にかけないということです。
気分というレベルで。

実際にはその持病のために薬を飲んだり、病院で治療をしてもらう必要があるかもしれない。
それでもあなたはそんなことと無関係に、すっかり健全な状態に身を置くこともできる。
気分というレベルで。

これが鍵です。

3339108★:2010/09/10(金) 02:05:58 ID:???0
>>1865

> わからないです。全然わからない。

分からなくて良いんです。分かろうとしないでください。
あなたに必要なことは、頭で分かることではなく受け容れることです。

頭で理解してから受け容れようとしないで、理解というプロセスをすっ飛ばして受け容れてください。
つまりは、コントロールしないですっかり脱力するということです。
それであなたに充足が流れ込む条件は全て揃っている。

> 願望を手放すと、その願望については、普段思い出さないものなのでしょうか?

それについても気にかけない。
あなたが思い出そうが思い出すまいが、放って置いてください。

> ある人が憎い、うらむような気持ちが交互にやってきます。

やってきたらしっかりと感じてあげてください。
抵抗したり逃げたりしないで。
それでOKと認定を変えてあげるのです。

捻くれ者さんのレスも参考になりますね。
あなたが楽になる方法でやってみて。

>>1876

> 「つまんない」と言ってるのはエゴでしょうか?

そうです。

>>1878

いいですね。大変結構!

>>1880-1881、1883

そんなことはありません。
そう思ってたらそうなるかもですが。

「目標を達成したら、後は何もやることがない」

これもエゴの典型的な発想ですね。
目標と無関係に幸せを感じ続けることにすればいいじゃないですか。
エゴに自分の寿命を決定してもらう必要はありませんよ。

>>1882

ピノコ発見!

3340108★:2010/09/10(金) 02:07:48 ID:???0
>>1887

何度も言ってるかもですが、
「愛(を送るorに浸る)メソッド」を目標達成と関連させないで。
対象を手に入れようとしてそれを行うと、その時点でそれはもう別のものになっています。

>>1891

> 彼らの活躍を引き寄せることはさすがに不可能なのかな

この「さすがに」の部分にあなたの本音が隠されていますよ。

> 現象は内面を映し出す鏡というのならこういう現象すらもそうなんでしょうか

そうです。例外はありません。
ところがあなたはそれをこれっぽっちも信じていない。
そうは思っていないということです。

「外部で起きている他人の出来事は、自分の内面でどうにかなる問題ではない」

これがあなたの本音です。
これをひっくり返して、あなたの認識を徐々に変更していくことをお勧めします。

「私は『外部で起きている他人の出来事は、自分の内面とは無関係だ』と信じている(思い込んでいる)」

あなたが外側と思っている現象化についてそう感じるたび、この確認作業を行ってみて。
これはあなたの信念とも現状認識とも矛盾していないので、抵抗なく受け容れられるはず。
ポイントは「自分はそう信じている(思い込んでいる)」という部分をつけ加えていることです。

この部分について頭で解釈しようとしないで、ただ認定するに留めてください。

3341108★:2010/09/10(金) 02:10:53 ID:???0
>>1895

分け分からんことはないですよ。
チケットを明快にズバッと簡略化していただき、ありがとうございますw

>>1896

これも分かりづらくなんてないです。
非常に良いとこをついてますよ。

>>1898

55さんのレスが助けになったようですね。
これは次のご質問と関連してます。

>>1902

これは>>1903さんの言うとおりなんです。
>>1905の55さんが言ってることも同じです。

あなたがそれを「他人の現実」として自分から分離している限り、あなたはそのとおりを経験する。

あなたがそれを「自分の投影」としてある意味客観視しているとき、あなたの意識は現象ではなくあなた自身の内面に向かうことになる。

すると、どうするべきかも分かる。

どうにもならない問題など、外側と見える部分には存在していなかったことが分かる。

全ての問題は、あなたの内側で「どうにでもなる」ものです。
そして、実際にそのとおりにやっている。

これは>>1891さんや>>1864さん、>>1898さんに対してのレスでもあります。

>>1902さんのご指摘に関して補足すると、つい最近もありましたよ。
大病→大手術→生還という流れでした。
一般的には年齢や病状からして厳しいと思われる状況でしたが、
その方は今やピンピンしていて最高に健康を取り戻していますよ。
この時も私がしたことは「心配をすっかり手放した」だけでした。
自分の内面が神に一致すればそのとおりの経験ができる。
というより、それしか経験のしようがないわけです。

神はいますよ。
あなたの内部にある、中心点がまさにそれです。
それは判決を下したりあなたを裁いたりする意地悪者などではありません。
あなたに活用されることを今か今かと待ち構えているものです。
それは「よきこと」をあなたに経験させ「よきもの」をあなたに与える意向しか持ち合わせていません。
つまりあなたに対する無償で全面的な愛がその本質なのです。
あなたがそれに抵抗して現実をねじ曲げようとしない限り、それは自動的に顕現されます。

今すぐにあなたの内部にある神に意識を向け始めてください。穏やかな気持ちで。
そしてそれを信頼し始めることです。

3342108★:2010/09/10(金) 02:14:02 ID:???0
※特別にれんらく帳のご質問に回答

>> ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10211/1252082641/297

「直結」に現象化は関係ありません。
つまりあなたが五感で何を感じているかとは無関係なのです。

要は「そのあなたになること」です。
現象化とは無関係に。

実際にあなたが一人暮らしをしていたとしても、たまに実家に帰ってくることくらいはあるでしょう?

そのときに、

「ここは実家だ!私の一人暮らしは幻想だったのだ!」

とか思いませんよねw

ベンツを手に入れた人がたまたまバスに乗っていて、

「これはバスじゃないか!私のベンツはどこに行ったんだ!!」

ともなりませんよねw

このように、目の前の現実とあなたがどんな状態であるかは無関係なのです。
だから目の前の現実と無関係に、なりたいあなたに今すぐ直結してしまえばよい。

あなたがそれを現象化と無関係に実感できれば、それは既にあるということです。
目の前にあろうがなかろうが。

3343108★:2010/09/10(金) 02:14:40 ID:???0
それでは〜
ノシ

3344108★:2010/11/16(火) 02:46:11 ID:???0
こんばんは〜。ご無沙汰しました。
すっかり寒くなってきましたが、風邪などひかないようにしましょう。
うがいと手洗いをしっかりやって、栄養と睡眠を充分に摂ることですよ!

>>1910

> これは引き寄せ的にいうと願いを強く握り締めすぎて、叶わないパターンのはずではないのですか?

あなたが考えるどんなパターンも、単なる概念化に過ぎない。

「強く握りしめると叶わないであろう」
「握りしめることを止めたから叶うはずだ」

これはあなたの中で概念化された単なるパターンに過ぎません。
つまり、実際の有様とは異なっている。
厳密に言うと、実際の有様を特定方向に当てはめて解釈し、都合良く定型化していようとしているに過ぎない。

強く握りしめても手放しても叶う。
強く握りしめても手放しても叶わない。

これではあなたにとって法則を類型化することは困難。
再利用できる形でパターン化できないとことになるからです。
しかしこの事実はあるひとつの真理をあなたに示しています。
それは、

「実現状態は、あなたが願望を握りしめるか否かに依存していない」

ということです。
何故なら、実現しているのは「あなた」というパーソナルな存在ではないからです。
そこには実現する能力など最初からありません。
それどころか、実現しない能力さえ持ち合わせていません。

敢えて「法則」という観点から考えてみます。
それが法則であるとするなら、あなたが握りしめたり手放したりすることによって、
その度に法則が都合良く変更されているわけではありませんよね。
上手く行ったり行かなかったりするのは、

「そのときあなたが法則に合致している状態かどうか」

という一点だけです。

法則はあなたというパーソナルな存在やものの見方によってねじ曲げられたりしない。
この「法則」を「真理」と置き換えても良い。
あなたの立ち居振る舞いによってなんとでも変わってしまうなら、それは法則とも真理とは言えません。

具体的に行きましょう。
あなたという個人的なサイドに実現能力はない。
それなら願望の実現について、そのパーソナルな能力を頼りにすることは得策ではない。

あなたにとって必要なことは、それを再現できるようにパターン化することではない。
それは構造上、今後もなかなか困難でしょう。
あなたがすべきことは、パターン化という無益な試みでエネルギーを浪費することではなく、
むしろそういった営みから一切手を引くということです。

それが「手放す」ということです。
そこではなんのエネルギーも用いられず、あらゆる意識的・無意識的な抵抗を解除することになる。

最後の質問について具体的に回答すると、
あなたは願望の実現と関係なく、ただ静かに瞑想する習慣を持つと良い。
これが唯一パターン化できる行動です。

ただし瞑想時には、願望実現のためのルーチンワークだという考えは捨てて、
ただ自分の中心を充分に経験するためだという態度で行ってみて。

これを習慣化したら、必要なアファメーションについてもその中心部で聞くようにして。
そしたらピンと来る形で自然に思いついた言葉をアファメーションとして使ってみて下さい。

瞑想を習慣化したら、アファメーションについては特に骨を折る必要はありません。
アファメーションは別にしなくても構いません。
必要なことは、願望を明確にしたら、あなたの中心部に対してリクエストするだけです。
必要なことはこれで全てです。

3345108★:2010/11/16(火) 02:48:10 ID:???0
>>1913

> どうしたら後悔を手放せますでしょうか?

今に生きることです。
そうすれば、あなたの思考は過去から自動的にパッと引きはがされる。

試しに今、

「過去も未来も実際には存在していない。
 それは私が今、頭の中で創り出している仮想現実に過ぎないのだ。
 その幻想にふけることを止めて、今という実際の瞬間をただ充分に経験しよう」

こう決めてみてください。

あなたの目の前には、後悔を要求する過去の現実なんて存在していません。
これは実際の有様です。
目の前の物や現象から特定の過去の記憶が想起されたとしても、
それは実際に今起きていることではなく、あなたが頭の中で今創り出している反応に過ぎません。

それらから一切手を引いてみる。
そして実際である「今という瞬間」に没頭することだけにしてみる。

別のアプローチについても書いておきます。

「私は何故、後悔したがっているのだろう?」

こう問いかけてみて。

あなたが「過去への後悔」という特定の行為に執着していることは事実です。
では、なぜその行為に執着しているのかというと、あなたが深い部分で、
それがあなたにとって利益になると思い込んでいるからです。

「過去への後悔が利益になるなんて、これっぽっちも思っていないよ」

あなたの表面的意識ではそう思っているでしょう。
しかしついついその行為を繰り返してしまうということは、
明らかにあなたの深い部分で「これは自分にとって利益になる」と思い込んでいるからなのです。

それが具体的にどういうことなのか分からなくて構いません。
「後悔が自分にとって利益になる」という条件付けが有効になっていることが分かればいいのです。

その上で、今後あなたが何らかの行動を起こすとき、
どうすべきかをあなたの中心部でその都度尋ねるようにしてみて。
その結果、依然として後悔するようなことになっても構わないから。

「私は今ここで、どう行動することが適切ですか?」

こうやってその都度中心部に尋ねるのです。
コツは、思考を使わないでただ中心部に尋ねて聞き耳を立てることです。
このとき中心部から返事が返ってこなくて構いません。
こうすることであなたは、習い性となった「後悔が有益である」というシステムを活用せず、
実際の適切性に叶った行動に対して、徐々に意識を向けることが出来るようになっていくはず。

必要なことは「私は過去の出来事に対して後悔しがち」という習性に注目する行為についても気にかけず、
それらと無関係に自分の中心部で適切性について興味を向け、期待し、意識していくことです。

3346108★:2010/11/16(火) 02:51:06 ID:???0
>>1935

> こーゆー時、皆どうやってクレンジングしてる?

「どうして不幸が大好きなの?どうして不幸じゃないと落ち着かないの?どうして不幸なままでいたいの?」

こうやって不幸を求めている自分を認めた上で、質問攻めにして信念を解体していく。
これが一つ。

もう一つは「不幸にメリットなど一つもない」ということを心の底から理解し、
正反対のもの、つまり幸せに興味と関心を移していくこと。

上の回答でも書きましたが、あなたが不幸を求めているのは、
あなた自身が「不幸でいることは自分にとってメリットがある」と
心の奥底で思い込んでしまっているからです。

当然のことながら、これはあなたの本質、本来のあなたの望みとは一致しません。
そのように考えてしまっているのはエゴなのです。

あなたはこれまでの人生で経験したことや、両親や周囲の意見などを元に、

「不幸でいた方が何かと安全だ」

という間違った信念を保持してしまっているわけです。
だから、あなたがどれだけ辛い思いをしようが、あなたにとっては
「これで私は安全だ」
という状態だと認識されているのです。
裏を返せば、幸せで喜びを感じている状態というのはあなたにとっては危険なことなのです。
だから、なるべくそれを回避するような行動を取ってしまう。

この不具合を解消するのは実は簡単です。

「不幸は安全だ。出来るだけ不幸な状態を維持しなさい」

こういった根本的な指令を出しているのはあなたのエゴなわけですから、
単純にエゴを活用しないようにすればいいのです。

具体的には、

「私が本当に望んでいることは何?」

このように問いかけてみます。
このとき間違っても、思考を活用してエゴの解釈を採用しないように。
問いかけるのは自我の表面意識に対してではなく、あくまでもあなたの中心部に対してです。

返事が返ってこなくても構いません。
必要なのは問いかけ続けることです。
あなたが自分の中心部に対して問いかければ、
その答えは「幸せであること」以外にあり得ません。
「不幸であること」などという、エゴ特有の捻くれた解釈など生まれようがないのです。

こうやって折に触れ、自分の中心部で聞くことを習慣化していってください。
そうすれば、あなたは絶えず本来の自分の立場から物事を見ようとしていることになり、
不都合や不幸・不具合を求めるようなエゴの志向性は徐々に活力を失っていきます。
それは同時に、本来の自分の望みである「幸せ」に対して、絶えず関心と興味を向け続けるという矯正作業にもなっているのです。

正しい答えを得たければ、より大きな観点に譲ることです。
すなわち、あなたの中心部を積極的に活用するということです。

3347もぎりの名無しさん:2010/11/16(火) 02:52:20 ID:U6QuZ6SY0
108さんみっけ!!

3348108★:2010/11/16(火) 02:53:09 ID:???0
>>1943

そのとおりです。
方法論に手を焼くくらいなら、そこを都合良くすっ飛ばしちゃえば良いんです。
つまりは直結です。

>>1947

これもお見事。
実際に起きているのはそういうことです。
エゴの解釈でいうと「魔法のごとく」全てが瞬時に出現している。
というか既にある。
これが実際の有様です。

エゴはこれを自ら納得して解釈出来る形に、出来る限り引き延ばして認識しているに過ぎない。
合理的な解釈が成り立たなければ認識出来ない。つまりは知覚できないわけです。
これに知覚できる可能性を与えるのが「合理的でない不可思議な現象」、
つまり「なぜだか分からないけどそうなった」という解釈なわけです。

>>1948

あなたはご自分で答えを書いていますよ。
願望と反対の現象化が起きるのは、あなたが「こうなったら嫌だ」と感じているからです。
そうやって思考と感情でもって「起きたら嫌なこと」にフォーカスしているからです。
つまり、単純にそれを止めればいいわけです。
ですが「起きたら嫌だ」と感じていることを「そう思わないようにする」というのは困難です。
これでは逆に、より望まないことにフォーカスしてしまいかねません。
だから「望まないこと」ではなく「望むこと」により興味と関心を移していく方が良いでしょう。
思考と感情のエネルギーをそこに集中して向けるようにするのです。

逆に捻くれた方法としては、望んでいることを「こうなったら嫌だ」と感じてみる。
仮設男的ですが、あまりにも意図したことと逆な現象化が起きているなら、試してみる価値はありますよ。
逆方向から感情的に注目することで、連鎖的になっているそのシステムを解除できる可能性があります。

いずれの場合でも深刻になりすぎないで、気楽な気持ちで試すことが大事です。

3349108★:2010/11/16(火) 02:56:16 ID:???0
>>3347

みっけられた!!

>>1949-1950(1910さん)

もうちょっと補足しておきます。

「手放す」というのはテクニックではないのです。
これを一つのテクニックとして捉えると、あなたが言うように上手く行ったり行かなかったりする。
重要なことは、別の領域、神、その他表現はなんでも良いのですが、
その可能な領域に願望が渡っているかどうかだけです。

別の観点から言うと「叶った」「叶わなかった」という点に拘りすぎると、
願望は叶ったり叶わなかったりするものだという属性をより強固にしてしまいます。
(あくまでもあなたの中で)

あなたがこういったテクニックを一般化して普遍化したいという気持ちはよく分かります。
ところがそこに拘りすぎてしまうと、願望は実現するものだという観点からはどんどん離れていってしまいます。
つまりは本末転倒なわけです。

だから必要なことは手綱を緩めることなのです。
どうせ自分サイドに実現能力はないのだと諦めれば、どのようなメカニズムで実現しようが、実現すればそれで構わないという立場に立つことが出来ます。

実現方法についてあれこれ心を砕かなくてはいけないという労苦からも解放されることになる。

そうなれば、願望についてもっと気楽でポジティブな立場から関わることが出来るようになるのです。

別の角度からの>>1963さんのアドバイスも大変素晴らしいですよね。
参考にしてみてください。

>>1966さんのレスも非常に素晴らしいです。
これは>>1950さんの問題提起とは関係なく、単独で読んでも極めて参考になる部分がたくさんあります。
皆さんもぜひもう一度、いや何度でも繰り返し読んでみてください。


>>1951

> ただ、難しいのは、その内面を調整せずに先にそのものになるという事です

難しくありません。難しいことにしてしまわないで。
「なる」というのは、そのしち面倒くさくて難しいプロセスをすっ飛ばすということなのです。
バイパスするのです。どうせ無駄なプロセスなんですから。
それを「無駄じゃない」と思っているのはエゴだけです。

3350108★:2010/11/16(火) 03:03:07 ID:???0
>>1910さんのレスについて、重要な部分だと思うので、
しつこいようですがさらに補足回答しておきますw

1910さんの問題提起は、非常に意義のあることだったと思います。
同じように感じている方もいるだろうし、私自身も幾度となく同じことを経験してきました。

以前、仮設男の時に指摘した部分にもつながるんですが、LOAを「法則」と捉えることで、がんじがらめになってしまう場合がある。

「なんで他の人には法則が好都合に作用し、私は不都合として作用しているんだ?
 こんな法則認められるか!」

といった具合です。
法則と言うからには絶対的なものであるはずなのに、人によって作用の仕方が異なる。
これを矛盾や不条理だと感じてしまうわけです。
ところがこういう人は、自分自身の観点とスタンスについて都合良く無視してしまっています。

法則は絶対的で揺るがない。にも関わらず現象化が異なるのは、その人が望む現象化とは逆の方向に向けて法則を作用させているからです。

仮設男ではこの部分を係数という形で説明しました。それぞれの内面は異なるから、法則は同じで望む現象化は同じでも、内面が異なれば係数も異なるはずだ、というのがその主旨でした。

この時の理論を108的に説明すると、次のようになります。

「あなたの内面を変更する必要はない
 あなたはあなたのままで良いのだ
 願望も変更する必要はない
 その願望はその設定のままで良いのだ
 必要なのはあなたのスタンスを変更することだけだ
 それは単に「立ち位置」を変更するようなことだ
 あなたの立つ位置が変われば、影の出来る場所も単純に変わるように、
 あなたは立っている場所を願望実現に適した場所へとちょっと移すだけで良いのだ
 太陽は誰に対しても同じところからあなた方を照らしている
 あなたがいくら強く願ったとしても、太陽の照らす方向があなただけに都合良く、
 即座に変更されるようなことはない
 わざわざ敢えてそんな困難な選択をしなくても、
 あなたがほんのちょっとだけ立つ位置をずらすだけで事足りるのだ」

(つづく)

3351108★:2010/11/16(火) 03:03:54 ID:???0
(つづき)

仮設男のアイデアは、端的に言うと
「ちょびっとだけずらせば上手くいくんじゃない?やってみそ?」
という提案です。
自分にとって最適になるように、試しに立ち位置や身体の向きをちょっとずらしてみ?ということなのです。

ところが「なんだよこの法則!」とお怒りの方は、常に
「どうしたら上手くいくんだ、ちっとも上手くいかないじゃないか」
という立場から法則やメソッドを捉えてしまっています。
これでは「上手くいかない立ち位置」にロックされたままなのです。

この場合、各種メソッドの実行は困難と抵抗を伴います。
望みと逆の結果を得たり、ちっとも成果が出なかったりします。
立ち位置をロックしたまま、内面や法則を変更しようとしているようなことだからです。

内面は変更されることなど望んでいません。だから抵抗を伴います。
法則は変更など出来ません。だから悪戦苦闘するのです。

必要なことは、立ち位置をほんのちょっとずらすだけのことなのです。
それが「上手くいく」という観点から物事を捉えることであり、
ワクワクに従うことであり、楽観的な視点で充足に目を向けるということなのです。

これは内面の変更ではありません。
単に視点、立ち位置をずらすことに過ぎないのです。
このことになんの努力も力も要りません。
視点を変えることにエネルギーは一切用いられないからです。
あなたがそのときエネルギーを使ってヘトヘトになるようなら、やり方を間違っています。
それは立ち位置は変えないで、内面や法則の方を変更しようとしているからなのです。

メソッド自体に何らかの力があるのではありません。
それは視点や立ち位置をずらすための単なるキッカケに過ぎないのです。
視点をずらすことが目的であって、メソッドが目的ではないのです。

上手くいかない人は立ち位置をロックしたままメソッドを実行し、願望の実現を期待します。
この場合、メソッドに何らかの独立したパワーが必要になってくる。
ところが既に述べたように、メソッド自体にはなんのパワーもないのです。
だから「どうして上手くいかないんだ!」という事態を経験する羽目になる。
当然なわけです。

あなたが上手くいきたいのなら、視点や立ち位置のロックを解除することです。
つまり、

「全てのことは、私が思っているのと実際の有様では全然違うかもだぞ」

という興味と関心を持ってみるということです。
全てのことに対して、従来の偏執狂的な視点を解除することです。
これによって、メソッドはトリガーとして機能することが可能になる。
それどころか、ロックが解除されればメソッド自体が不要にさえなります。
あなたがそういった興味と関心を持てば、立ち位置は即座に適切に修正されようとするからです。
「直結」「なる」もこのメカニズムなのです。

繰り返しますが、これらのことに力は一切用いられません。
むしろ無益に使っている一切の力を抜くことになる。
これが抵抗を止めるということであり、森羅万象と調和するということなのです。

もう一度いいます。力は一切用いられません。
力が用いられていると感じたら、それはやり方を間違っているのです。
それを指針としてください。

3352108★:2010/11/16(火) 03:06:17 ID:???0
>>1952

> 好きな人とのイメージングをずっと頑張ってるのに、こっちはさっぱり叶いません。
> よく眠ってしまって、あまり真面目にはやってはいませんが…

…どないやねん!という感じですがw

> なんでなんでしょう??

頑張らないでイメージングしてみて。
あなたが頑張ってしまうのは、

「あの人がどうしても良いんだ!あの人以外はダメだ!」

と、その人に酷く執着してしまっているからです。

「あの人以外はダメだ!」

と強く思うと、

「あの人以外はやっぱりダメだ!」

という現実を引き寄せてしまいます。
それによって、

「やっぱりあの人がどうしても良いんだ!」

という感情を強く経験することになる。
このパラドックスがお分かりでしょうか。

特定の人と上手くいきたいのなら「あの人以外はダメだ」とは考えないことです。
「あの人と上手くいけば最高だけど、そうならなくても別にいいや」
というところまで持って行ければベストです。
前にも書きましたが、このメンタリティは願望実現という観点では完璧だからです。

3353108★:2010/11/16(火) 03:06:50 ID:???0
それでは、また…
ノシ

3354108★:2010/12/01(水) 01:12:46 ID:???0
こんばんは!元気ですかー!
もう師走ですが、風邪などひかないように暖かくしていきましょー!

>>1960

たくさんの暖かいレスで解決済みのようですが、似たようなお悩みの方も多いと思うので、私からも一言。

あなたがもし、そのサイトを見ることがなかったとしたら、あなたはどういった状態だったでしょうか。
あなたは依然として心のどこかで相手のことを引きずっていたとしても、大きなショックを受けることも、涙があふれて止まらなくなることも、それに取り憑かれて苦しむこともなかったはず。

あなたはご自分で書いています。

> この写真を見てから悲しさが頭によぎり、他の事が考えられなくなりました。

この写真がトリガーとなってあなたの記憶を刺激し、そこから発生した思考と感情とによってあなたは苦しむことになった。

ところが、その写真には何の意味もありません。
客観的に見れば何の意味もないのです。
どこかの犬が電信柱にオシッコをすることや、あなたの知らないどこかで誰かの車がパンクしたこと等と何ら変わりはありません。
あなたはそれを知ったとしても、なんの影響も受けることはない。
ところがある特定の事柄に関してあなたは激しく反応した。

なぜなんですか?

今回のことは、あなたの条件付けが起こしていることです。
「こうでなければならない」
「ある特定のことに関しては、私にとってこうでなくてはならない」
あなたはこういった思い込みを持っています。

こういった条件付けを保持している限り、あなたは常に外部の現象と思われるものに左右され、一喜一憂することになる。

あなたはあらゆる条件付けを駆使して、現象に対して舵を取ろうとします。
そうやってコントロールすることで主権を主張したいわけです。

ところがこの取り組み方では、あなたの条件付けと現象とは常に相反する危険性を持っている。
条件付け自体が、思考という狭い領域によって極めて限定されたピンポイントなものであるため、それは現象と一致しない場合が多いはず。
現象のほとんどは条件付けと一致せず、あなたはその差異を不足として認識することになる。
結果、あなたにとってこの世界は不足で満ちあふれたものになる。

これではいくら充足を見ようと思っても無理です。
充足を見ようとすればするほど、不足がより強調されて認識されることになる。

(つづく)

3355108★:2010/12/01(水) 01:13:41 ID:???0
(つづき)

「こうありたい」

これ自体になんの問題もない。
ところが、

「こうでなくてはならない」

こう考えた途端、それは条件付けになり、あなたに不足を経験させる準備が万端整ったことを意味している。

一つ簡単なメソッドをご紹介しておきます。
あなたが条件付けと異なる現象と遭遇したとき、

「ああ、そうか」

こう唱え、そう認識してください。

これはチケットで紹介したメソッドと言葉は一緒ですが、使い方が異なります。
チケットでは特定の問題に対する回答を得たいときに「思い出す形でリアクションを先に取る」というメソッドでしたが、このメソッドは目の前の現象になんの条件付けも用いず、自分にとってニュートラルなものとして認識する方法です。
チケットで言えば「認める」と近い方法です。

この時、実際にはあなたの感情は激しく反応しているかもしれません。
その反応に対しても「ああ、そうか」と唱え、そう認識するのです。

現象に対して感情的に激しく反応しているパーソナルなあなたがいる一方、「ああ、そうか」とニュートラルまま状況を受け取っているあなたもいます。
そして本当のあなたとは後者の方です。

あなたが一切の条件付けを用いなければ、あなたは全ての現象から不足という属性を取り除くことが出来る。

その上で言いますが、現象は全てあなたからの投影です。
投影元は例外なくあなたなのです。
そして現象はただ投影されているだけの実体を持たないものです。
本当の実体はあなたの中にあるのです。

あなたが現象へのリアクションに躍起になっている間、投影元は巧妙に隠蔽されています。
ただ投影されただけの映像に対していくら熱心に拘ったところで、投影元が変更されることはない。次の上映時間が来れば、そのフィルムは再びスクリーンに向かって上映されることになる。
あなたに必要なことは、いますぐ映写室に行ってフィルムを掛け替えることです。
そのためには、掛け替え用のフィルムをまず選ばなくてはならない。

既に投影し終わった映像に対していつまでも拘っている場合ではない。
そうしている限り、あなたは観客の立場をとり続けることになる。
それは既に過去です。「ああ、そうか」といってやり過ごしてください。
そしてそれと関係なく、今選びたいものに「今」焦点を合わせることです。

本当に現象の舵を取りたいのなら、現象に取り組まないことです。
そこは舵を取れる場所ではないので、いつまで経ってもらちがあきません。
舵を取るべきは現象ではなく、あなた自身の姿勢・立ち位置なのです。

3356108★:2010/12/01(水) 01:14:59 ID:???0
>>1972

だぜさんとのやり取りからなんかヒントを得ましたかね。
もう一年半経ってますが、素敵な彼女は出来たでしょうか?

まず最初にここを指摘しておきます。

> 彼女が出来るまでここをうろつきます。世のシングルの為、少子化打開の為にも。

そんな風に余計なものを背負い込まない方が良い。
あなたはあなたの幸せだけを追求すればいい。
世の中のシングルや少子化問題とあなたの幸せは何ら関係していないので、それらを関連させようとするとおかしなことになるよ。
抽象度を上げた使命感でモチベーションは高まるかもしれないけど、それによってあなたは自分自身の幸せからどんどん遠ざかっていくことになる。

「以前はあんなにモテたのに、おかしい!」

と考えていると、

「以前はあんなにモテたのに、おかしい!」

という現実を引き寄せることになる。
あなたの場合、この思考を感情で強力に裏付けることになっているので、その現実が延々と再生産され続けることになっている。

再上映と言っても良い。

再上映を止めるには、そのスタンスをすっかり諦めて別の姿勢をとってやりゃいい。
つまりモテようがモテまいが、彼女が出来ようが出来まいが「どこ吹く風」という態度をとってやることです。

彼女がいてモテモテなあなたは、どんなスタンスでどんなふうに過ごしているだろうか。
そのあなたは少なくとも、

「以前はあんなにモテたのに、おかしい!」

と考えることも、その考えを感情で裏付けることもしていないはず。
モテていたときは、モテていることに対して「どこ吹く風」で、そのこと自体に対して強力に執着するようなことはなかったはず。
その状況から一歩離れて、微妙に距離を置いて観察しているあなたがいたでしょう。

これが鍵です。

こんなふうに現象化と関係なく、モテていた頃のあなたに戻ってみたらいい。
あなたはそれを実際に経験したことがあるので、そうでない人よりそれは容易なはず。

いいですか。現象のせいじゃないんです。あなたが今選んでいる姿勢が、過去も含めた「あなた自身」を「今」創造していることになっている。

> 俺は今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今今!!!
> 大好きな彼女が欲しいのです!!!!!!!

こうやって、あなたは彼女がいないあなたを強力に創造し続けている。
これは引き寄せの法則の観点からしても、なんの矛盾もない極めて健全な状態ですよ。

「今」というのは創造が行われているところです。
だから「今という瞬間」に焦点を合わせるということは、あなた自身を創造という運動の最先端に乗せることになる。
そこで「こう在りたい」とあなたが取ったスタンスが、そのまま現実に反映されていくことになるんです。

「彼女がいない」ということに対する苦悩の感情が来ていて、それに翻弄されているのなら、たった今それと充分付き合ってあげたらいい。

明日とか明後日とかに先延ばししないで。

そうしたら、今度はいっそう明確になったあなたの望みに対して、たった今からとことん集中し続けることにしたらいい。
そのあなたでいることにです。

捻くれ者さんの>>2037も大変示唆に富んだレスですね。参考にしてください。

3357108★:2010/12/01(水) 01:19:04 ID:???0
>>1971 >>1975

なぜ人が「何故叶ったのか」を気にするかというと、
それを再利用できる形でパターン化したいからです。
これはこないだの回答で説明したことです。
再利用できる形でないと、エゴにとっては都合が悪いからです。
それを自分の手柄に出来ないから。

ところが叶うシステムはエゴの内部にはない。
だったらパターン化を潔く諦めれば良いんです。
こっちをパターン化しちゃえば良いんですよ。

>>1992

> 幸せを維持拡大するモチベーションは、ぐだぐだ理屈をこねるのと反対方向なんだよ。

全くもってこのとおりですね。

>>1993

画家さんのレスで解決済みかもしれませんが、私は別の角度からアドバイスしておきます。

あなたはずっと願望を叶え続けていますよ。

> 私はまさに渇望が病みつきになっています。

このとおりです。
つまり、あなたは「常に渇望した状態でいたい」という願望を叶えどおしなんですよ。

「渇望することに何の意味もない」

これをアファメーションとして唱え続けることをお勧めします。
同じような境遇だと感じている方も試してみてください。

「渇望することに何の利点もない」

でもいいですよ。
変化があったらご報告お願いします。

3358108★:2010/12/01(水) 01:22:53 ID:???0
>>2001

だぜさん、捻くれ者さんのレスで解決済みのようですね。
特にだぜさんのレスは珍しく完璧な指南だったと思います。
トリプルアクセルもどんぴしゃりな時があるんですなw
ですので、この件は私からの回答はなしです。

あ、だぜさんご結婚おめでとう!
末永くお幸せにだぜ!

>>2002-2003

> だったら”手放さずとも叶う”ことをもっと探求するほうがみなさんのためにもなると思うんですけどねぇ

そう思いますよ。
私は必ずしも現実的対処を止めなさい!とは言ってないし、
人によってはそっちを勧めたりもしてます。

LOAなりチケットなりが新たな条件付けになってしまっては意味がないわけです。

「この願望を実現するためには、何もしてはいけない!」
「手放さなくてはいけない!」

なんて風にね。
エゴは条件付けが好きだから、どんな方法論もすぐ条件にしてしまいたがる。
それで自由を得たと思ったあなたは、即座に制限に引き戻される。
それでは以前も言った「バイトの内容が変わるようなこと」に過ぎないからです。

「私は無条件で幸せを受け取る」

こう宣言してください。

「私は無条件で神の祝福を受け取る」

こうでも良いですよ。文言はなんでも良いです。
まだ自分が何らかの条件付けをしているなと感じたら、

「私は無条件で神の祝福を受け取る」

こんな風に断言してみてください。

あなたが願望の実現に何らかの条件をつけたとする。
するとそれは制限となって充足をせき止めることになる。

「このピンポイントの小さな穴から充足を流し込んでくれ!」

こう言っているようなものだからです。
これは大変ですよ。充足の流れ込みようがない。
何故って、神があなたに与えようとしている充足は、その穴よりはるかに巨大だからです。文字通り無限大です。
そんな無限大のものが、あなたが限定した小さな穴から入って来れようがないじゃないですか。

話が横道に逸れました。
要するに誰でも、何をしたって良いんです。
どういうアプローチを取ったって構わない。
でも受け取ることに関しては、無条件で受け取る姿勢を取ってみてください。
「無条件」が条件付けにならないようにして。

3359もぎりの名無しさん:2010/12/01(水) 01:24:12 ID:fvbK/yo.0
あ、108さんまたみっけw

3360108★:2010/12/01(水) 01:36:49 ID:???0
>>2011

> だから全てを見てしまう勢いで、すべてに許可を与えるというか、

素晴らしい!そういうことです。

>>2031

こちらこそ、感謝しています。

>>2036

以前にこういったケースへのアンサーみたいな回答をした覚えがあります。
別の方への回答でしたが。
>>3315-3316ですね。

端的にお答えします。

> 充足感と幸せな感覚でいながらも一見願望とは真逆の行動をされている方っていないのでしょうか。

あなたにとって大事なのは、今の充足感と幸せな感覚の方です。
願望の方ではありません。
だから、

「今私が幸せを感じているこの行動は、願望と照らし合わせて不謹慎で罪深いものなのではないか」

などと考えないでください。
あなたは願望は願望として神に委ねて手放すことが出来ているし、一方で今現在のあなた自身の幸せや充足感を大事にしている。だからなんの問題もありませんよ。

>>2045

あなたがやっていることは、本来の願いとは逆の現実創造です。
上のいくつかの回答を参考にしてください。
特に>>3356はどんぴしゃりかもしれませんね。

その上で提案なんですが、あなたは願望実現のために色々と取り組んでいるようだけど、そういったことを一度、一切止めてみたらどうでしょう?

あなたが強烈に切望しているそれらの願望は一旦保留にして、あなたが「今」やりたいことを、たった今からやり始めてみてはどうでしょうか。

「いや、それは最優先のこれらの願望が叶ってからでいい!」

あなたはそう考えるかもだけど、もう二年も取り組んで一向にらちがあかないのなら、あなたが「今」したいこと、できること、着手できることに手をつけてみたらどうでしょう?

あなたがそうやって楽しんで没頭できることにあなた自身を乗せることができたら、保留にしてあった願望も徐々に叶っていくような気がしますよ。

上の>>3358で書いた「充足をピンポイントな制限で遮断する」例を読んでみてください。
今楽しめること、情熱を傾けられることにあなたの重点を移していってみて。
それが早結果的には近道だと思います。

3361108★:2010/12/01(水) 01:39:01 ID:???0
>>3359
まためっかった!

ではまた…。
ノシ

3362108★:2010/12/09(木) 02:48:15 ID:???0
こんばんは〜。
もうすぐクリスマスですが、あなたはどんなクリスマスを過ごしますか?
先に決めちゃうと良いですよ。

「私はこういうクリスマスを過ごす」

こんな風に、今決めてみてください。
これは単なる抱負ではなく、ハッキリとした意図です。
でも、必ずしも「そうならなきゃならない」わけでもない。
ぜひこの微妙なニュアンスをつかんでみてください。

>>2047(u4DX3UEgOさん)

あなたの一連のレスは、非常に興味深いものがありました。
ここではこの問いに対してお答えします。

> 本心が望むパラレルワールドに刻々と変化しているとして、自分の理想と現実にギャップがあるのはなぜなんでしょうか?

「刻々と」変化しているわけではないんです。
パラレルワールドへの移動は、常に瞬時に行われています。

例えばあなたの経験の中で「時が止まる」という経験はできないですよね?
「まるで時が止まったような経験」をすることはあるかもしれませんが、
そのときでも実際には刻々と時は進んでいます。

ありゃ?時間なんて幻想なんじゃなかったの?
やっぱり現として時間は存在するのか?

違うんです。
あなたがどんな状態にいても刻々と時間が進んでいるように感じるということは、
あなたは常に刻々と新しくなっているということです。
これはこのあいだ書いた「創造の最先端に乗っかっている」ということです。

あなたの状態は常に変化しているように見える。
これはあなたが決して静止して固定されたものではなく、まさに運動そのものだということを示唆している。

時間が進んでいるのではなく、あなたが進んでいる。
ところがこれをあなたの立場から見ると、あたかも時間が進んでいるように見える。

周りに注意を向けてみましょう。
時計は一秒一秒針を進め、流れてくる音楽は次の小節へとメロディが進み、
花はしおれていき、タイヤは摩耗し、また新しい朝が来て太陽が東の空に昇ってくる。

こうやって現象を中心に考えていくと、あなたとは無関係な「時」というものに沿って、全てが否応なく一方向に状態を変化させているように見える。
ここでは「あなた」という存在は固定化され、その固定された視点から外界の現象を眺めるという構図になっている。
つまり、この立場では「あなた」という運動については考慮されていないわけなのだ。
だから自分は「時間」という抗えないものに一方的に押し流されているように感じる。

ところが実際には動いているのはあなたなのだ。
あなただけなのだ。
あなたという運動によって、それら新規の経験ができることになっている。

(つづく)

3363108★:2010/12/09(木) 02:52:02 ID:???0
(つづき)

分かりやすくいきましょう。

あなたが「刻々と」と感じているのは、あなたが時間というものを「自分とは別の抗えない強力なシステム」として概念化しているからです。

ところが実際にはそんなものはなく、あるのは常に「あなたという運動」という状態の変化だけです。
ところがあなたは「自分という存在」が「運動そのものである」ということが分かってないから、
あたかも自分とは別に勝手に時間が進んでいっているように見える。

自分を運動ではなく「何か静止して固定されたもの」と考えているから、
相対的に周りの方が「あたかも」動いて進んで変化しているように見える。

時間を感じるのはそのせいです。
本当は進んでいるのは時間ではなくあなたの方なのです。

ここに気付くと「今という瞬間」の意味も理解できてくる。
常に最先端なんです。あなたはそこに乗っかってる。
それで自分自身が経験を創り出していることもピンと来る。

ここであなたの質問に戻ると、

> 本心が望むパラレルワールドに刻々と変化しているとして、自分の理想と現実にギャップがあるのはなぜなんでしょうか?

あなたは常にパラレルワールドに移動し続けている。
何故ならあなたは運動そのものだから。
固定化された世界がどこかにあって、あなたはそこに置き去りにされて「外に出たい」と藻掻いている無力な存在などではないんです。

ここが理解できると内と外の逆転が起きる。
視点の転倒が解消される。
あなたにとって世界は外部ではなく、あなた自身となる。

それが理解できたら「理想」という概念は意味をなさなくなる。
「いつか到達したいけど、現状とは大きくかけ離れた最高の状態」などという概念は消滅する。
それは視点が転倒した、時間という圧倒的な錯覚を元にした発想です。

そうなったら「こうありたい」は消滅して「こう在る」しかなくなる。
創造の最先端、すなわち「今という瞬間」にいると気付けば、あなたはそうすることが全てだと気付く。

これが直結です。
あなたは「こう在る」と常にパラレルワールド選択しているんですよ。
自分のがその最先端にいて選択していることに気付いてないから、周りの状況と思えるものを充分に考慮した上で、それに差し障りがないように惰性で選び続けているんです。

これが分かると「理想と現実とのギャップ」という考えには意味が無くなる。
理想を選べば良いんです。たった今。

3364108★:2010/12/09(木) 02:54:04 ID:???0
>>2048

> こんな場面でさえ、充足を感じれば、願いはかなうのか?

願いを叶えるために充足を見ても何の意味もありません。
それは、

・願いを叶えるために「願掛けをし」
・願いを叶えるために「メソッドをし」
・願いを叶えるために「アファメーションをし」

…などと何ら変わりはないからです。
言ってみればバイトの内容が変わったようなことに過ぎないからです。

そうではなく、充足を見るために充足を見てください。
>>2051さんの仰っているようなことです。
充足を何らかの手段にしてしまわないで。

も一つ言うと、「願掛け」「メソッド」「アファメーション」
これらも「願望を叶えるための何らかの手段」ではなく、
目的そのものとして行ってみたらいい。
そしたら初めてそれらが意味を持って来ます。

>>2044

これも充足と願望とを関連付けています。
充足はあくまで充足です。

あなたがミカンを欲しいとします。
しかし目の前のテーブルにはリンゴがある。
ここで、

「私の欲しいミカンがないじゃないか!私が欲しいのはミカンなのに!」

とリンゴに文句を言っているようなものです。
リンゴはただあるだけなのに、あなたによってそこに「ミカンがない不足」という属性が与えられてしまった。

目の前にリンゴがあるなら、それを受け容れて美味しく頂けばいいじゃないですかw
で、ミカンが欲しけりゃそのあと買いに行けばいい。
リンゴを見つめながらいくらミカンをイメージしたところで、
目の前でみるみるリンゴがミカンになったりはあんまりしませんよw

リンゴを見てミカンの不足を感じているということは、
リンゴという今の経験を歪めて遠ざけているということです。
だから「リンゴがある」が「ミカンがない」と認識されてしまう。
それは実際の有様ではなく、あなたが頭の中で敢えて創り出した幻想、つまり錯覚です。

それで、充足を見るということは「リンゴを経験する」ということです。
そこでありもしない「ミカンがない」という想定上の虚偽の経験をするのではなくて。

>>2053さんのレスも大変示唆に富んだレスです。

3365108★:2010/12/09(木) 02:56:14 ID:???0
>>2060

たくさんの方から素晴らしいレスがついていますね。

> 僕は引きこもりな性格を直そうと、自己啓発セミナーに参加したり、
> 接客業のバイトを始めたり、ナンパを始めたりして、
> 人見知りや対人恐怖症を克服しようとしてきました

あなたはそうやって、自分の中にせっせと「克服すべき問題」をこしらえてしまった。
対立しており、駆逐すべき問題をです。

私にも引きこもりのようなときがありましたよ。
でも、それを「克服すべき問題」として取り組んでいたなら、
おそらく私は今でも引きこもりのままだったでしょう。

それで、あなたは「かつて引きこもりだった自分」を問題視しており、
眼鏡だったり、不細工(だと思い込んでいる)だったり、丸鼻だったり…
自分が嫌いな自分の部分に、強力に焦点を合わせ続けている。
結果、バリアはますます強固に補強され続けている。

あなたが行っている思考は、バリアを無効化するものでも突き破るものでもない。

それ自体がバリアなんです。

ここに気付いてください。

で、バリアというのはそこに焦点を合わせなくなったら自ずと消えるんです。
だって元々あなたの頭の中にしか存在していない虚像だったのだから。

「じゃあ、バリアを見ないようにすればそれは消えるんだな」

これも違います。
それもバリアを補強する行為です。
「見ないようにする」だと、バリアはまだ強力に存在したままじゃないですか。

いいですか。バリアなんて無いんです。
それはあなたが想定しただけの「自分に対する虚偽の定義付け」です。
あなたがそういった「頭の中のでっち上げ」から離れたら、そんなものは即座に消えます。
それはあなたが敢えて思考で支えているものに過ぎないからです。

(つづく)

3366108★:2010/12/09(木) 02:57:13 ID:???0
(つづき)

じゃあ、その思考を支えないためにはどうしたらいいのか。

あなたが興味があることに自分の意識を丸ごと持っていく。
そして、そこでの経験を充分にするようにする。
それであなたは今という瞬間、つまり創造の鉾先に立つことができる。
そうしたら、そこで自分に対する虚偽の定義付けを持ち出すかどうかなど、全く意味をなさなくなる。

例えばあなたがボウリングをやりたいとするじゃないですか。
ボウリング場に行ったあなたは

「こんな引きこもりな自分がボウリング場に来て浮いてんじゃないか」とか、
「メガネをかけているからカッコ悪く見えていないだろうか」とか、
「こんな丸い鼻で周りから笑われていないだろうか」とか、色々考えるでしょう。

これでは、あなたは家にいて引きこもっているのとなんの変わりもない。
ボウリング場にいながら、行っている思考は家で引きこもっているときと同じものです。
むしろボウリング場という環境を利用して、より強調された形でその思考を行うことになっている。
そこに感情が乗っかってくる。
良いコトなんて一つもありゃしない。

いいですか。あなたはボウリングがやりたくてボウリング場に来たんでしょ?
じゃあ思う存分ボウリングを楽しんだらいいじゃないですか。
引きこもりだろうが、暗かろうが、メガネだろうが丸鼻だろうが知ったことか。

あなたは
「周りがどのように自分を評価するか」
あるいは、
「私がどれだけ自分の従来の定義付けから離脱できるか」
を調べるためにボウリングに来たんじゃないでしょ?

あなたに必要なことは、今この瞬間に興味があることを全力で経験することです。
意識的にです。

それがささいな、くだらないと思われることであっても全然構わない。

そうしたら、あなたは今という創造の最先端に自分を乗せたことになり、
バリアに没頭するという無意味な偽りの経験から脱出することができる。
敢えてバリアと取り組まなくてもです。

3367108★:2010/12/09(木) 02:57:36 ID:???0
それでわ〜。
ノシ


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