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108質疑応答

3319108★:2010/07/07(水) 02:40:45 ID:???0
こんばんは!
ワールドカップもいよいよ準決勝が始まりましたが、皆さん観戦してますか?
我らが日本は惜しくも決勝トーナメント一回戦で、PK戦の末敗退しました。
しかし当初の予想を上回る大健闘で、日本中が大いに盛り上がれて良かったですね。
サッカー日本代表の頑張りに元気をもらった人もたくさんいると思います。
岡田監督、代表選手達とスタッフの皆さんに感謝しです!


>>1654

> 他力本願といいますか、神様に委ねてみて、
> 自分が何もしないのは実は大変な勇気がいることに気がつきましたが、

そうです。これは非常に重要な気づきです。
ここは大事な部分なので入念に説明します。

神様にすべて委ねたとき「勇気がいる」と感じるのは次ような理由からです。

「何もしないで手をこまねいていては、事態はどんどん悪化する」
「何らかの現実的な取り組みをしなくては、状況が改善されるはずがない」
「必死に努力したものだけが状況を打開することが出来る」
「頑張っても事態が悪化したのに、ほっといたくらいで改善されるわけがない」
「何もしないでいる者を、神がお救いになるはずがない」
「何もしないというのは怠惰なことに他ならない。つまり罪である」
「罪であるなら神が罰を与えるはずである」
「よって私は不足を経験するに決まっている」

…まだまだいくらでも挙げることが出来ますが、概ねこんなところです。
あなたに限らず多くの人がこのような思い込み、つまり信念を持っています。
あなたはこれらの信念によって、十全であるものに制限をつけています。

そしてその制限に沿った形で、十全であるものを部分的に経験しようとしている。

十全とは完全でまったく欠点のないことをいいます。
完全であるものは、思考による条件付けなどからなんら制限されていません。

ここに木彫りの人形があるとします。
この人形は、元々大地にそびえ立っていた大木から切り出された材木が材料です。
その材木を「こうあるべき」という任意の形に削り取っていった結果、木彫りの人形が出来上がりました。
ですが、これは元々の大木であった状態から考えれば、大きくそぎ落とされ、
極めて制限された非常に部分的なものであることが分かると思います。

これが不足の正体です。
あなたが制限しなければ、それは本来十全な状態なのです。
あなたの現実は実際には木彫りの人形などではありません。
実際のあなたは十全であるものに制限をつけることなど出来ません。
そんな能力は持ち合わせていないのです。
あなたは単に、

「私はこれこれこういう木彫りの人形である」

という条件付けにしたがって、そのように振る舞っているだけなのです。
その結果あなたは、木彫りの人形として経験できる部分だけに知覚を制限し、
それ以外の部分の経験について知覚を遮断しているに過ぎないのです。

あなたが自分を木彫りの人形だと信じ込んでいるている以上、
あなたはその制限された能力を頼りにすることになる。
そして当然のことながら、それは十全に働き得ない。

あなたが木彫りの人形として振る舞うことを止めれば、
あなたはその制限された仮想的な能力を頼りにすることはなくなる。
そうなれば本来ある十全な能力が働く余地があなたの知覚に入って来る。
それは何らかの能力を失うようなことではなく、
本来ある十全な能力に譲るということなのです。

つまり「神様にすべて委ねる」とは、
木彫りの人形であるという仮装概念を放棄することです。
そのことに対して、何ら恐れを感じるようなことはない。

不安や苦しみがでてきたときは、

「神にすべてを譲り、私が自ら設定したこの制限を放棄します」

こう断言してみてください。


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